四百十一話 ルシヴァルの紋章樹と新しい眷属
――心臓の鼓動が速い。出血量は今までで最大か……。
<筆頭従者長>とは違う<光魔の王笏>による作用と分かる。
<大真祖の宗系譜者>も内包した<光魔の王笏>の血の螺旋の系譜を見届ける。
◇◆◇◆
「輝く血を吸う閣下の天眷と神性を帯びた樹!」
常闇の水精霊ヘルメが叫ぶ、陽を浴びたイグルードの樹は神々しさを増した。
シュウヤの血は凄まじい勢いで宙空を行き交いながら、血の波濤がイグルードの樹に衝突を繰り返すたびに、シュウヤの血を吸収していくと、天を覆う夜空を形成する星々を造るように枝と銀色の葉が増えていく。そんなイグルードの樹の変化を、黒猫から神獣の姿に変身したロロディーヌも見上げて、
「にゃごぉぉ……にゃご! にゃぁ……」
と、独特な唸り声を発した。その声は、だいすきなひと……あいぼう! と、シュウヤが大量の血を失ったことを心配している声だった。
同時にイグルードの樹がルシヴァルの紋章樹へと成長していることを神獣ロロディーヌなりに理解している声でもある。
その頭の良いロロディーヌだったが、シュウヤに対する愛情が勝る。
虹彩を真っ黒に染める勢いで瞳が散大させるや、ルシヴァルの紋章樹がだいすきなひとに血を吸い取る攻撃だと判断し、全身から伸ばした触手を放射状に展開しつつルシヴァルの紋章樹へと飛び掛かろうと四肢にも力を入れていた。
すると、蜂を追いかけていた蜂蜜好きの
そのポルチッドが、
「ぷゆゆ!!」
と、驚きの声を上げる。この
因みに他の地域にも、
一方、シュウヤの体からは依然と大量の血が宙空を巡っている。その血は回転楕円体を模りつつ拡大しながらイグルードの樹の外側を覆いながらイグルードの樹と衝突しまくる。血の波頭と波頭が激しく衝突ては、イグルードの樹に取り込まれていく。回転楕円体のような形は徐々に変化しつつ血の流れの速度は上昇していく、その勢いと速度、攪拌という表現を超えていた、事象の地平線の周囲を高速で回転するエルゴ球を彷彿させる勢いとなった。その血の中に王笏を意味する杖の印が浮かぶと煌びやかな陰陽太極図と似た印も無数に出現する。
それらが消えては現れるを繰り返す。陰と陽が重なり合って消えているように見えるだろう。そう、それはまるで光と闇が手を取り合うような消え方だ。更に血を纏うデボンチッチたちが出現。デボンチッチたちは宙空で踊りながら小さい声を発した。
「……チッチ、カゴ・ノウェー・ダーム」
「……チッチ、チィチッチィ、カゴ・ノウェー」
「……チッチ、ダラー、フシュラッ・ダーム」
「……チッチ、カゴ・ノウェー」
血色のデボンチッチたちは、微かな歌声を発した。
それは意味のある言葉――。
この場で、その歌の意味を理解する者は少ないだろう。
<
今までにない動揺を示す。
「……鼓動が速くなった。魔力もまた上がった?」
「ん、けど、シュウヤが心配」
シュウヤはエヴァの声を聴いて、頭部を傾ける。すると、エヴァとレベッカの背後で地べたに座っていたシェイルは「アァァゥアァ……」と何かを語りつつ、薄く開いた双眸でジッと血が滴るデボンチッチを見ていく。
虚ろな表情を浮かべていたが、錯乱めいた声音とは違う、何か……を伝えようとしていた。シュウヤはシェイルの声を聞いてから、
「血の消費は凄まじい。だが、大丈夫だ」
と皆を安心させるように発言。
「そう? <
「……俺も成長したということだろう」
シュウヤの言葉と視線が物語るように……燃えたような朱色に染まるルシヴァルの紋章樹。蝙蝠傘かユーカリの樹と似た幹と枝からは『柳は緑、花は紅』といった真新しい白と緑の草花たちが芽吹いていった。芽吹く草木は血を吸って艶を帯びると、巨大な幹の中心に大きな円が魔法陣を形成する如く規則正しく並んで出現し小さい円も枝に系統樹として現れていく。円の中の一つには〝ルシヴァル第一の<筆頭従者長>ヴィーネ〟の古代文字が刻まれていた。系統樹の他の円の中には光魔ルシヴァルの眷属たちの名前が刻まれている。
◇◆◇◆
「……体の内側から痺れるような感覚を受ける。この樹、存在感がある……」
「ん、ムーちゃん。怖がらなくて大丈夫」
「おい、突然の血といい樹木も成長したが……大丈夫なのか?」
「わたしはネームス……」
モガ&ネームスの声が響く。ムーも怖がっているようだ。
「にゃごぉぉ」
「少し怖いけど……見て! 大円の中にわたしの名前がある」
レベッカが成長したイグルードの樹木を見て、指摘してきた。
「もうイグルードの樹木ではない。その枝と葉にある大きな円と小さい円は、家族としての証拠。だからこの樹木は
と、説明した。
「ん、畏怖を感じる」
エヴァも皆と同じように感じているようだ。
<ルシヴァルの紋章樹>とブラッディサージテラーの効果か?
〝恐慌を齎す血の爆風〟とかの意味があるのか?
あるいは<血魔力>の電撃めいた電波が精神に恐慌を与えるとか。
単に、血の臭いと出血量を見て驚いているだけかもしれないが。
「大きい。前と違う、これが本物のルシヴァルの紋章樹……」
「ん、大円の中にはわたしの文字もある。<筆頭従者長>の意味!」
ヘルメとエヴァは少し声音が変わっている。
「……樹木が主の血を!?」
「クエマ様……俺の背後に隠れてください!」
オークたちは完全に怯えている。
「……」
「その大きな円は数が増えたようね。新しい形の円も幾つかある?」
「ん、新しい円にはシュヘリアの名が刻まれている」
「血の眷属とは、少し違うとシュウヤは言っていたけど、わたしたちと同じってこと?」
「……同じってことじゃないと思う。シュヘリアの名がある新しい円は
エヴァの言葉に頷きながら、
「そうだ。すべてが同じじゃない。魔界騎士を俺が受け入れた結果だろう」
「ふーん。シュヘリアさんが語っていたようにシュウヤ専属ってこと? ルシヴァル専用の光魔騎士という感じなのかな。魔界の神様が認めたからこその結果だろうけど」
「たぶん」
「閣下との繋がりが記される眷属たちは羨ましく思います」
ヘルメの名は紋章樹に名がないからな。
「あと、ヴェロニカ先輩の大きな円と小さい円と小さい溝の線で繋がっている」
「ん、ヴェロニカ先輩は吸血鬼として長く生きた経験があるから<筆頭従者長>として直系の<筆頭従者>のメルとベネットを作れた」
エヴァは真剣な表情を浮かべて語る。
レベッカも頷いた。
「……この血を分け合う三人の<筆頭従者>を造れることが<血道第三・開門>の証拠かぁ。ヴァルマスク家の女帝と同じってことね。改めて吸血鬼としてヴェロニカが〝先輩〟なんだと認識しちゃう」
「血道は普通のスキル獲得より難易度が高い」
「<吸血>のこともあるし仕方ない。でも、シュウヤの血の樹を囲う形は、わたしたちを誕生させた時と同じ形?」
「ん、大きいけど、あの時と同じ」
「イグルードの樹木が閣下の力と融合を……ピュッピュッと水を上げた効果でしょうか」
ルシヴァルの紋章樹が大きいだけか。
ここからだと……紋章樹の全体像を覆う血の形は見えないが、皆の喋っている内容通りだとすると<筆頭従者長>たちを生み出した時と同じようだ。
依然と手形に嵌まる腕に突き刺さった管は、生きているように俺の血を吸い続けている。
まだ俺の血を吸うのか? と、疑問に思ったところで、
『ぐぬぬぬぬ、妾の血は吸わせんからな!』
左の手の内に宿るサラテンが念話を飛ばしてきた。
身の危機を感じているような念話だったが、無視。
その瞬間――痛ッ。痛みの元は手と腕だ。手首ごと嵌まる手形はそのままだが、手と腕に刺さっていた枝の管が抜けた。枝の管の先端は注射器風の針。
その針の先端が、お辞儀をするように下がると、管は鞭のようにしなってルシヴァルの紋章樹の中に引き込んだ。同時に俺の出血が止まる。
更に、紋章樹を囲う俺の血がルシヴァルの紋章樹の中へと吸い込まれていく。
血の軌跡が煌めいて綺麗だ。一方、痕の手の甲と手首の穴から血が溢れ出る。
と、<血道第一・開門>を意識せずとも……手と腕から流れ落ちる血は、映像を早送りで見ているように自然と体に収斂された。刺された穴の傷も
内部で新陳代謝を活発化させているのか?
魔力を循環させる。続いて、樹皮と手形が脈動を起こしたかのように鳴動しては蠢いた。樹皮に幾筋の亀裂のような火花の線が走る。
火花の線は、弧を描きつつ魔法陣をその樹皮の表面に創り上げた。
手形と合う形の魔法陣だ。その新しい魔法陣の中心には、ルシヴァルの紋様樹と血を照らすようなキラキラと光る杖の絵がある。
<光魔の王笏>の効果か? 続いて、俺の腕がルシヴァルの紋章樹の特別な鍵となったように、手形の魔法陣がくるくると手首の周囲を回った刹那――。
重厚な鍵が開いたような金属音が樹の中から響いた。 本当に、俺の腕がルシヴァルの紋章樹の鍵だったか、手形に嵌まっているとはいえ、宗主だしな。
同時に目の前の樹皮が変形し寸胴な太い幹に見合う樹皮製の両扉となった。
その両扉が大きく内側へと、ぐにょりと、音を立てて窪み開くと、手形に嵌まった腕ごと、ルシヴァルの紋章樹の内側へと樹の洞に引き込まれた。
樹洞の中は奥行きがありそうな感じだ――掌握察と魔察眼の把握は難しい。
いたるところに魔力の反応がある――視界も悪いから見えない。
……しかし、液体のような
普通の人族なら窒息死しそうだが……これは血か? いや、匂いからして違う。
コールタールのような樹液でもない。
なんらかの体液のような湿った感覚を肌から感じ取った。
……温かい。こりゃ、イグルードの体内とも言えるのか?
「――閣下!」
「あぁッ、シュウヤの体が!」
「イグルードが食べちゃった?」
「にゃごぁぁぁ」
「ああー主がぁぁ」
「クエマ様! 大丈夫ですか! 失禁を……」
背後から皆の慌てたような声が響く。
クエマが倒れたのか?
『……器よ。ゆゆしき事態ぞ。妾を外に出すのじゃ!』
『だめだ。敵対している訳ではないが、外に出たら血を吸うどころか、逆に魔力とか血を吸い取られるかもしれないぞ』
と、サラテンに警告する形で伝えたが……神界堕ちしたとはいえ……。
〝秘宝神具サラテン剣〟という名が付く存在だ。
だから、この樹の内側にサラテンを射出しても平気だと思う。
というか……サラテンは、ゆゆしきとか語っているが、俺の血を吸い取ることが目的と判断した。サラテンは血や魔力を糧としているようだし。
血の燃費は悪そうだが、あの神剣の中に血でも巡っているんだろうか。
スロザの店主がサラテンを鑑定したら……鑑定を弾く可能性のほうが高いか。
『……チッ 血を吸いたかったが我慢ぞ! 妾はここにいる!』
サラテンは大人しくなった。しかし、この状況を皆に知らせないと。
『大丈夫だとは思う』
口は塞がれているので、血文字でレベッカたちに伝えた。
「血文字? 内部では口が覆われている?」
『そう、覆われてはいるが、音は聞こえている』
「ロロちゃんが神獣の姿で興奮している」
そりゃ、俺が取り込まれたように見えたようだからな。
『エヴァ、ロロを落ち着かせてくれ』
『了解』
ハルホンクごと俺の体を包む、この体液のようなモノは不思議だ。
侵食している訳ではないが、液体状のヘルメが身を包む感覚とは微妙に異なる……。
温かさと僅かに粘り気を持つ液体が俺の体を特別に労わるような感覚。
気持ちいいかもしれない。しかし、俺を取り込んだようにも見える、このルシヴァルの紋章樹と化したイグルードの元は精霊樹か邪霊樹の種だったはず。
その種だった物へ俺が魔力を注いだ結果とはいえ……ここまで進化するとは……。
光と闇の魔力を得たイグルードの種。
精霊樹のようなイグルードの樹木として再生しながら成長したと推測が立つ。
そして、光属性を持つだろうイグルードの精霊樹は俺たちが知らないうちに女王サーダインの侵略を未然に防ぐという大戦果を齎していた。
更に、エヴァの心を読む力と俺の魔力が切っ掛けか分からないが……。
俺の魔力と血を糧にしたイグルードの樹木は、いや、この精霊樹と思われるイグルードは、俺のエクストラスキル<ルシヴァルの紋章樹>と反応して、新しく獲得したばかりの<光魔の王笏>にも反応した。
その結果、精霊樹からルシヴァルの紋章樹へと進化したと、仮定。
そのルシヴァルの紋章樹に進化したイグルードが……。
どういうことか俺を内部に引き込んだと……そう考えを纏めたところで、腕を動かす。
手形の樹に嵌まっていた腕はもう自由だ。
手形に腕を引っ張られた樹皮の感触もない。
手からぬめりを直に感じるが……掌も自由に動く。
と両腕を下ろした直後――ん、何だ? 小さい触手?
俺の掌の表面を調べるように触ってきたモノの感触……。
柔らかい感触――小さい大きさからして……子供のような指か?
その柔らかいモノたちは手探りで俺の左手を掴むと、
『……あるじ』
下の方から幼げな声が響いてきた刹那、液体を押し出すように外へと流された。
俺を樹洞に取り込んでいたルシヴァルの樹は元の形を瞬時に取り戻す。
「あ、戻ってきた。粘液をかぶってるけど。あれ、小さい樹を連れている?」
「まさか、閣下の割れたお尻から……」
皆、当然驚いているが、ヘルメの言葉とテンションを見て思わず、「はは」と笑う。
「驚き」
「にゃお」
「ぷゆ! ぷゆ~」
「血の巨大樹に変わったことも驚いたが、シュウヤがネームスの親戚を産み落とすとは!」
「……わたしは、ネームス……」
「……」
しかし、子供ではなくて小さい樹の花?
と右手を見る。俺の右手には第六のイモリザの指がある。
が、今は親指を注目。ネイルアートのような竜紋は前と同じ。
俺の血を吸った
バルミントとの契約の証しだ。その模様の爪の近くに……真新しい緑色に輝く四つ葉のクローバーが加わっていた。そのマークを覆うように俺の手を握っていたのは……。
植物の蔓だと? 蔓製のアームレットから伸びた植物の蔓。それが、小さい指と化したモノだった。その蔓の先には……人の子供のような樹の生命体が存在した。
白色と緑色の花びらでできたような細い髪。
虹色の花模様が綺麗な髪飾りが可愛らしい。眉毛は金色に近い黄色。
瞳は小さいビー玉が集まったような光彩を持ち、片方ずつ色が違うオッドアイだ。
耳には蔓のイヤーカフのアクセサリーもあった。白と緑の色合いが可愛らしい。
首には、樹製のチョーカーを装着。
妖精が着るような小さい葉っぱ飾りが可愛らしい植物製の鎧服を身に着けている。
自然と首輪に視線が向かう。
チョーカーの真ん中には虹色の水晶風の小型宝石が嵌まっている。
その特別そうな宝石から、七色の樹の立方体のような形が浮かんでは消えていた。
すると、中空を漂っていた血を纏うデボンチッチたちが近寄ってきた。
生まれたばかりの彼女を祝福するつもりなのかな?
……環状の血の冠でも作るように舞い踊っている。
この血色のデボンチッチたちは……今までと違うのか?
元々それぞれ個性があるのがデボンチッチだからな。
ゴルディーバの里の奥地でアキレス師匠からサバイバル技術を学んでいた頃。
ポポブムと
ホルカーバムの爺さんデボンチッチ。
水神アクレシス様の神像があった神殿の内部。
旅先で出会ってきたデボンチッチたちは個性が豊かだった。
今、聴こえてくる、この微かな歌声も他では聞いたことがない。
霊歌か、童謡のような歌声。が、そんなデボンチッチの姿や歌声よりも、この子だ。
もしかして……色合い的にエリアスとイグルードの子供か?
しかし、背中側の樹木は羽のような形のまま、ルシヴァルの紋章樹と繋がっていた。
俺の眷属だが基本は樹木の種族ということか?
「……エリアスとイグルードの子供なのか? それとも……」
樹の子供に尋ねていた。
「……? あるじ……」
ん? また俺をあるじ? 植物の指で俺を指しながら、そんな共通語を話す。
イグルードやエリアスとしての記憶はないのか?
「記憶がない?」
と聞いても頭を傾げる樹の子供。
「……? あるじ……」
再び同じ言葉を語る樹の子供。俺を指していた小さい指を自身の小さい桃色の口で咥えた。煌びやかな双眸といい、本当に可愛らしい樹の精霊だ。
「……言葉は喋れるようだが……」
「閣下、新しき妖精眷属ちゃんをお尻から誕生させたのですね!」
「お、おう、お尻が割れている、ってなにを言わす! 違うから」
「ふふ、はい!」
笑顔が可愛いヘルメちゃんだが、今の溌剌とした口調で喋るヘルメの胸に思わず、ツッコミの逆水平チョップを繰り出したくなったぞ、まったく。
「ん、可愛い! 記憶で見たイグルードとエリアスに少し似てる」
「……可愛いけど、シュウヤ……」
レベッカはエヴァに同意してから、青い目を細めていた。
俺の股間とお尻を入念に確認するかのような視線……。
「レベッカ、ヘルメと俺の言葉を鵜呑みにするな、冗談だからな、眷属というか契約をしただけだと思う」
「ふふ、そうなの? というか分かってるわよ、ふふ、でも冗談で良かった。シュウヤが生んだとか、樹をシュウヤのスタミナ溢れる行為で妊娠させたのかと」
「ん、でも、精霊様はお尻から誕生したって、ふふ」
エヴァは冗談を重ねる。
「うん、精霊様のいうことは結構あたる」
「ん、ふふ」
エヴァっ子は、俺をチラッと見て舌を出していた、可愛い。そして、モガとネームスから離れて寄っていたムーとぷゆゆがいるが、「ぷゆゆ!」とぷゆゆが語り、ムーと頷き合う。ムーとぷゆゆの小熊太郎は目を輝かせている。自分たちよりも背が小さい存在に興味があるようだ。そんなムーとぷゆゆは神獣ロロディーヌの鼻息を背後から受けている状態だ。メッシュ系のムーの髪とぷゆゆの毛はそれぞれの頭の上で踊るように乱れていた。鼻息荒い神獣ロロディーヌだったが、皆の邪魔をしないようにネコ科とウマ科が融合したような神獣らしい洗練された頭部を前に突き出して、
「ンンン、にゃ、にゃお~ん」
『なんだにゃ、なんだにゃ、おもしろいにゃ~』
と言うように興味津々な表情を浮かべながら喉声から連続した鳴き声を発していた。
すると、樹の子供へ向けて首下辺りからお豆型の小さい触手を伸ばす。
が、途中で珍しく黒触手の動きを止めていた。いたずら好きのロロディーヌが珍しい。
ロロディーヌは今までと違う子供と感じ取ったようだ。
慎重になっているのか、樹の子供を触ろうとはしなかった。 樹の子供は、
「あるじ……」
と、小声を発した。神獣ロロディーヌを含めた皆の勢いを真に受けたのか、驚いたのか、恥ずかしかったのか、分からないが俺の脹ら脛の後ろに隠れてしまった。
「とっても可愛らしい妖精眷属ちゃん! 閣下、お名前は決めたのですか?」
「決めていないが……」
と足元にいるる樹の子供を見る。
「気に入った! ちっこいから、〝チー〟なんてどうだ?」
「――わたしはネームス」
モガとネームスが名前を提案してくる。
ネームスは地面に難しい漢字らしき文字を書こうとしている……。
巨大すぎる手と指で力を入れ過ぎてしまったのか、訓練場の地面が窪んで書いていた線が潰れてしまった……時間が掛かりそうだ。
すると、レベッカが腰に片手を当てた状態で、
「それじゃ、わたしは……ルッシー!」
白魚のような手を真っすぐ俺に伸ばして、名前を提案してきた。
ルッシーか。意外に、いいかもしれない。
エヴァもレベッカの名前に頷いてから、魔導車椅子へと瞬時に移行し、
「ん、イエシュ!」
座った状態で、トンファーを真上へ伸ばしながら、名前を宣言。
「エヴァの提案は、イグルードのイと、エリアスのエの頭文字をとって、最後のは、俺のシュか?」
「――正解」
天使の微笑を浮かべるエヴァ。
そのまま紫の双眸を足元の樹の子供へと向けていた。
「ぷゆッ――」
ぷゆゆは持っていた数珠のようなサイコロを地面に転がしてから、サイコロの結果を見て、何回も小刻みに頷いてから「ぷゆゆぅーん!」と愛用の杖を掲げながら、偉そうに宣言を行う。はにかんだ、白い歯でニカニカと笑顔を浮かべている……ぷゆゆちゃん。
なんとなく、その行動の意味は分かったが無視。
続けて、常闇の水精霊ヘルメが見事な双丘を揺らしながら、
「ふふふ、皆のセンスはまだまだ甘い!」
と、にこやかに語りながら、細い指でノンノンと否定するように動かし、
「ここはわたしの出番です! <
ひとまず、俺が知らないうちに勝手につけていた技の名前は置いておくとして……。
自信溢れる態度だ。ヘルメはキサラと似たような仙女が纏うような新しい衣を着ているし……もしかしたら、もっと成長したネーミングセンスを聞かせてくれるかもしれない。
よーし、
「いいぞ。ヘルメ! かもーんっ」
「はい! では、割れ目ちゃんを希望します!」
「却下だ」
「では、お尻から、オシリーヌという――」
「にゃおぉ」
「……ロロが賛成しても却下だ。ここは……」
と皆の笑い声が響く中……足元にいる樹の子供を見る。
すると、樹の子供は、皆の名前を決めようとした変な気迫に押されたわけではないと思うが、ルシヴァルの紋章樹の中へと戻っていた。
「……あれ、名前を決めようと思ったが、外にはあまり出られないということかな?」
「……あるじ……」
樹の子供はそう喋りながら小さい頭を縦に動かして頷く。
正解らしい。すると、重厚な音を立てながら樹製の扉を閉ざしていく。
双眸がオッドアイだった樹の子供は見えなくなった。樹の妖精が俺の眷属になったのは確かだが……。
このルシヴァルの紋章樹に宿る妖精なんだろうか。
それとも……と、俺の疑問に応えるように根本に咲いていた草花の茎が蠢く、ルシヴァルの紋章樹の樹と根も動いて植物の茎が土の囲いを作ると、深緑色と翡翠色の蔦や植物が増殖し伸びては花々と植物の祭壇と柱が一瞬でできあがる。リュートのような楽器模様が表に描かれた天の門を彷彿する祭壇とは驚きだ、柱もあるし、祭壇というか神殿なのか?
「――っ」
シェイルと一緒に黙って見ていたムーは義手と義足から糸を放出させて走ってきた。
祭壇めいた樹木の中へと消えた子供が気になったようだ。
ちょうど同じぐらいの背格好だしな……。
ムーの鎧服はファッション的に洗練されている。
ドココさんがプレゼントした服かな。
オークたちの戦利品は豊富にあるとはいえ、毎度、毎度、違う服を……。
全部手作りなんだろうか。ムーを甘やかしすぎているような気もする。
そんな新しい服が似合うムーだったが、ルシヴァルの紋章樹の根に足が引っかかる。
助けようと前進した俺よりもヘルメの方が速かった。
指先から伸びた<珠瑠の花>の紐がムーの体に絡んで転倒を防いでいた。
「ムーちゃん。そんな急がないでも、妖精ちゃんはまた姿を見せてくれますよ。ね、閣下?」
ヘルメは語尾のタイミングで、ウィンク。
「そうだな」
と、笑顔を意識しながら応える。
しかし、様々な要因が重なったとはいえ……。
オッドアイの双眸が可愛いが、樹の妖精的な眷属を生み出してしまうとは……。
魔力はそうでもないが、血は大量に消費して、疲れもでたが、それも当然か、イグルードの樹から、この神殿のようなルシヴァルの紋章樹へと進化を見れば、自分で自分を感心してしまう。
光魔ルシヴァル系の神秘たる古代生命樹の大本だ。
光と闇の奔流の意味もあるエクストラスキルの<ルシヴァルの紋章樹>は当然として……<従者開発>と<光闇ノ奔流>に<光邪ノ使徒>と<大真祖の宗系譜者>の四つが融合した<光魔の王笏>の恒久スキルも伊達ではない。
まだステータスで詳細を見ていないが……。
<血道第四・開門>に関することや支配力に眷属たちの力を強めるだけのスキルではないことはよーく分かった。と、思考を続けながら……。
ルシヴァル神殿を彷彿する真新しい血が滴るルシヴァルの紋章樹を見上げる。
同時にポケットから魔煙草を取り出した。
大きい円の中には<
ヴィーネ、レベッカ、エヴァ、ユイ、ミスティ、ヴェロニカ。
小さい円の中には<
闇ギルド創設という野望の達成を目指して西方へ旅に出ているカルード。
迷宮都市ペルネーテでアイテムボックスの進化に必要な大魔石を集めてもらっているママニ、ビア、サザー、フーの名。
大きい円の数も十から二十へと、エヴァとレベッカが会話をしていたように増えている。
<血道第三・開門>を獲得済みのヴェロニカの大きい円から小さく伸びた枝があり、枝の先には小さい円がある。そこの円の中には<筆頭従者>のメルとベネットの名がちゃんと刻まれている。<筆頭従者長>のヴェロニカは、もう一人<筆頭従者>を作れるはず。
誰を選ぶんだろう。
ヴェロニカはヴァルマスク家で例えると女帝ファーミリアと同格。
そのファーミリアにも高祖
一人は転生者のホフマン。ホフマンにはシュミハザーはもう死んだが、他も黙示録の騎士やら、巨大棺桶を操り二百五十の悪魔を従えている。<従者長>とは違う眷属たちだから、明らかに他の
ヴェロニカを追っているルンスも<筆頭従者>だ。
そのルンスがホフマン並みに強い存在だとしたら、俺の<
もう一人の高祖
神殿のような作りとなったルシヴァルの紋章樹を凝視……圧巻だ。
このルシヴァルの紋章樹からは……セフィロトか、クリフォトを想像させる。
生命の樹としての特異な力を感じる。カバラ数秘術の数字にアルカナカードの関係と似たようなものがルシヴァルの紋章樹にもあるのかな……と、運命占師カザネと初めて遭遇したときの会話の内容を思い出し、考えを巡らせてから、魔煙草を咥えた。
するとレベッカが、気を利かせて指先から蒼炎を出してくれた。
俺との間合いを一瞬で詰めたレベッカの速度に感心しながら……。
レベッカの蒼い瞳に向け「ありがと」と呟く。
「うん、いいの。昨日のお礼だから」
レベッカは頬を斑に紅く染めながら、恥ずかしそうに語ると、視線をそらす。
そんないじらしいレベッカの脇腹をくすぐりながら、口に咥えた魔煙草の先端を蒼炎に当て、健康にいい煙を吸っていく。
◇◇◇◇
ルシヴァルの血を引く妖精か子供のような新しい眷属も気になったが……。
まずは、失神したクエマに回復魔法をかけ介抱してあげた。
クエマはすぐに意識を取り戻したが……。
おしっこを漏らしたことがショックだったのか、小さいとはいえ一氏族を率いていたプライドが傷ついたのか、鬼神様への信仰が揺らいだのか、分からないが……。
「少し、失礼する――」
と、きつめの表現をオーク語で発してから、スタスタとした早歩きで俺の家の中へと向かう。自身の武器である槍を落としたままだ。腰ベルトの金具に括られている紐には骨笛もぶら下がっていた。
筋肉が目立つソロボも「主……」と困ったような表情を浮かべて呟くので、
「いいぞ。見ておいてやれ」
と顎先を横へクイッと動かす。
ソロボは「ハッ」と短く返事をしてからクエマの槍を拾い俺の家に戻っていった。
続いてムー&ヘルメとモガ&ネームス対俺&レベッカ&エヴァという模擬戦を行う。
勝負は勿論、俺たちが勝利。だがしかし……。
ムーが居るのに大人げないと、チームメイトのエヴァに怒られてしまった……。
なぜだ。
死蝶人シェイルはぷゆゆの毛に指を絡めて遊んでいる。
訓練場の柵に腰を落としてまったりと休憩。
ルシヴァルの紋章樹の枝に糸を巻き付けて遊んでいたムー&
シェイルをその場に置いて村に降りていくが、何かの時間? 気にはなったが追いかけはしない。
「ロロが大好きな遊びをしてやる!」
「にゃあぁ」
俺の気合いの声に応えるように
そして、ルシヴァルの紋章樹神殿の一部から伸びている葉の陰から表に出したり引っ込めたりして、魔造虎の陶器人形の出し入れを素早く繰り返す。
「ンンンンンン――」
「アァァゥァ」
魔造虎は
ヒナさんが持っていたヌコ人形とは違い、魔造虎なだけあって、丈夫だからな。
まったりとした時間は過ぎていった。
俺たちが遊んでいると、モガ&ネームスはレベッカ&エヴァとの訓練を始める。
レベッカは、
「今後のパーティ戦闘のことを想定した訓練よ!」
「おうよ。だが、モガ流の技を受けきれるか見ものだな。魔剣シャローは使わないが……」
モガは背が低いことを利用するような独特の下段構えを取る。
ユイかカルードも時々下段構えを見せて「刀の勝負、或いは長期戦は、この構えが有利となります」と俺に教えてくれたことを思い出す。
モガはペンギン系の種族だが、彼の着ている衣装は侍というか『傾奇者』の恰好に近い。
レベッカはクルブル流の構えで右手を上に左手を下に向ける。
左拳から生えたようにも見えるジャハールの切っ先をモガに見せている。
「ん、ネームスの硬い金属、調べたい」
エヴァはそう話すと、魔導車椅子に乗った状態からトンファーを伸ばす。
「エヴァ、足で溶かしちゃだめよ?」
「ん、大丈夫」
「……わたし、は、ねー、むす……」
「べらんめぇ! ネームスが怖がってるぞ。のこぎりを持った博士と助手はいまだに忘れらないようだからな」
「大丈夫。ミスティと違って溶かさない」
「それは、研究好きのシュウヤの眷属か」
「はいはい、話はそこまで! いくわよ!」
と、近接戦闘の技術を披露したがっているレベッカの先制攻撃から訓練が開始された。
「モガ&ネームスに怪我をさせるなよー」
と、まったく心配はしていないが一応フォロー。
モガ&ネームスは二人だけで、あのAランクモンスター
……そんなこんなで数時間後……。
訓練と遊ぶことに疲れたムーは、モガ&ネームスと一緒に訓練場をあとにした。
しかし、俺は少しショックを受けていた。
それは訓練も順調だし、雷式ラ・ドオラをムーにプレゼントしようとしたら、この樹槍のほうがいい――と、いったニュアンスで拒否られたからだ……。
ドココさんからの服はもらうくせに。
必死に頭を振って、俺が最初にあげた樹槍を手放そうとしないあたり……。
何か、あの樹槍に拘りがあるんだろう。
……グリップの位置にムー独自の糸とか巻き付いているしな。
そして、短槍の雷式ラ・ドオラを肩に当てながら、
「……んじゃ、そろそろ新しい眷属のことをキッシュに報告するか」
と、ヘルメたちに話をした。
「はい。キッシュ司令長官の眷属化の件もあります。これで……緑の剣帝、ふふ……」
考えが漏れている常闇の水精霊ヘルメ、緑の剣帝とは何だよ。尻だけでなくキッシュに何をさせようとしているんだ。
「ハイグリアさんも待っているようだし」
「ん、ぶちのめす儀式?」
「そう! そんな儀式は認めたくないけど……仕方ないわよね」
「古代狼族の故郷も気になる」
「ハイグリアも待ち望んでいることでしょう」
と皆との会話の直後――空から凄まじい速度で俺たちに寄ってくる複数の魔素があった――敵の襲来か?
「ロロ――」
相棒も俺と同じ方向の空を見ていた。掌握察ではもう位置を捉えている。
数が多い……まさかホフマンか? 魔界騎士を引き抜いた形となった魔蛾王とかいう勢力か?
「……あるじを守る」
え? この声は樹の子供、新しい眷属の声だ。
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