四百十話 イグルードの真実

 ヘルメの液体が皆を包む。

 皆の尻はてかてかと輝いている……。

 ヘルメの仕業だが、指摘はしない。


「完了です~」

「おう」


 皆、綺麗さっぱりとなったが、まだ寝ている。

 ヘルメは成長した効果なんだろうか?

 なにごともなく元気だ。

 衣装がほのかな朝日をイメージするようなものに変化して、尻の輝きが増したぐらいか。


 俺はそんなヘルメと黒猫ロロと一緒に軽めの朝食を作る。

 机の上に、その料理を盛った皿とフォークを配膳したあと……。


 シェイルの指にじゃれていた黒猫ロロと、猫じゃらしを使って遊ぶ――。


 更に、魔力の歪な手<導想魔手>を使って壁を作る。

 その<導想魔手>の下に猫じゃらしの先っぽを出して、すぐに猫じゃらしを引く。


 魔力の壁<導想魔手>の中に逃げるような猫じゃらしを追う相棒。

 そのまま猫じゃらしを出し入れした。


「ンンン――」


 興奮した黒猫ロロ

 猫パンチを<導想魔手>に浴びせまくる。

 出たり入ったりする猫じゃらしを捕まえようと必死だ。


「フッフンフッ――フンフンッフンッ」


 と、大興奮状態の相棒。

 俺が巧みに猫じゃらしを引くから、<導想魔手>の裏側に回り込み、猫じゃらしの本体を捕まえようとしてくる黒猫ロロは、「ンン!?」と変な鳴き声を発して俺の腕から猫じゃらしを強奪。

 相棒は猫じゃらしを抱きかかえて、『にゃろめぇぇ』といった勢いの後ろ脚のキックをその猫じゃらしに浴びせていった。


 ふぅ、楽しかった。

 

 そんな風に暇をつぶして遊ぶ。


 すると、


『何か、いやな予感がするんだけど~』


 と、ヴェロニカ先輩から血文字メッセージがきた。


『はは、鋭いな。皆が俺の家に集まって、色々と頑張った』

『えぇ~。今、この瞬間の記憶を消すから……』


 間が開く。


『んとね、報告があるの』

『何だ?』

『アメリちゃんのこと。複数の司祭を連れた神聖教会の関係者が探しに来たのよ。そいつら、<隠身ハイド>をしていたのに<探知>系のスキルを持つのか、わたしの存在に気付いたの。争いに巻き込まれそうだったからすぐに逃げたけど……。

 盲目の美少女が奉仕活動を続けていたら、注目されるのは当然の流れか……』

『神聖教会といっても、色々と派閥があるからな。少なくとも魔族殲滅機関ディスオルテではないだろう?』

『たぶんね』


 すると、


「んぅん~」

「ん、よく寝た、いい匂い」

「ふあぁ~」


 皆が起きてきた。


『んじゃ、朝食の時間だ。また今度な』

『了解~♪』


 ヴェロニカとの血文字連絡を終える。


 皆でヘルメから水をかけてもらった。

 その水で顔を洗ったり、ラジオ体操をしたりしながら、和気藹々と机に並べた朝食を一緒に取った。


「シュウヤ! ありがとう。これは美味しいぞ」

「ハイグリアさんの量が一番多い」


 ハイグリアはガツガツと食べている。

 卓球には参加したが、昨日のえっちな絡みには混ざっていない。


『わたしには、大切な儀式があるのだ!』


 と、頑なな態度だったので、お預け状態。

 だが、むずむずと内股を動かして、モンモンと過ごしていたのを知っているので、彼女にだけヘカトレイルの市場とペルネーテの市場で買っといたとっておきの肉を増やして山盛りにして上げた。

「あーん」と口を開けて調子に乗っていたが、キサラがその開けた口に巨大な肉を詰めていく。


 サナさんとヒナさんはびっくりしていたが、


「シュウヤさん、料理もできるのですね」

「……はい。スタミナ・・・・のある男性は素敵です」


 感心してくれた。

 丸眼鏡のヒナさんは卓球大会のあとのできごとを指摘したらしいが、適当に笑顔で対応した。


 そんな楽し気な朝食のあと……。

 キサラとサラたち紅虎の嵐のメンバーは、ハイグリアを連れて、砦の話をしながら外へ出ていった。


「それでは、わたしも先に、シュヘリア殿」

「はい」


 キッシュとシュヘリアも出る。

 緑色の髪と金色の髪の美女が外に向かう。


「ロロ、俺たちも行くぞ」

「にゃ」


 相棒のかわいい体重を肩に感じながらシェイルの手を握り、一緒に訓練場へと向かう。

 ヘルメにエヴァとレベッカも少し遅れて付いてきた。


 家の玄関外で待機していたソロボとクエマ。

 頭を下げてくる。

 昨日の卓球大会の時にはもう外に出ていた。


「おはよう」

「おはようございます!」

「おはようございます! 家の守りは俺たちに任せてください!」


 オークのクエマとソロボは衛兵のつもりか。

 沸騎士たちの存在を少しライバル視している素振りがあったからな。


「おう。ありがとう。今からイグルードの樹木を調べる。興味があるならついてこい」

「「はい!」」


 俺たちが目の前の訓練場へ向かうと、ソロボとクエマは一緒に付いてくる。


 その訓練場にはモガ&ネームスにムーが居る。

 そして、先に外に出ていたキサラたちが訓練場の柵の外を歩いているのが視界に入った。


 ブッチと合流し、装備とアイテムを互いに確認するように各自のアイテムを触っている。


「それではロターゼに材木と重い石を運ばせますから」

「俺に任せろ!」


 空から急降下してきたロターゼが叫ぶ。


「細かなところは、わたしの中隊にも手伝わせよう。見回り中のダオンとリョクラインに伝えないと」

「うん。ロターゼさんとハイグリアさんも、よろしく。さすがに重量のある石はわたしたちでは無理だからね」

「隊長の奥義を使えば?」

「ふふ、無理無理。反ったカトラスラ・グラスの力が必要だし、あのロターゼさんのように、体を活かして石を潰す自信はさすがにないわ」

「そうですか? 腕を巨大化させた状態ならいけそうな気もしますがね」


 ブッチの渋い声が響く。


「大切な武器にもしものことがあったらショックがでかいから、いい」

「腕を巨大化させる技はまだ見てないな。美しい紅色の毛といい、もしや古代狼族に近いのか?」


 ハイグリアはサラの獣人系の秘術について興味を持ったのか聞いていた。


「ううん、爪のような鎧は作れないから違うと思う。猫獣人アンムルと魔人系のハーフだと思うけど……ね。一種の特異体や変異体の種族特性かな」


 サラはそう話をした。

 彼女たちは卓球大会の前後の話を続けていく。

 そのまま訓練場のさくの外側を歩きながら高台の端へと向かうと、話し声は聞こえなくなった。


 その卓球大会前後の話の続きとは……。

 これから交易が増えることもあり、サイデイル村の拡充計画第一弾の作戦が練られた。

 それは樹海の中に簡易的なとりで&町の基礎を作る計画。


 谷間のような崖を利用したサイデイル村の正門を真っすぐ進んだ先の道は崖。

 その崖をくり貫いたような岩の道は九十九つづら折りの隘路あいろだ。

 隘路。防衛の時は役に立つ。

 が……戦争がない時は邪魔だ。

 そして、数が少ない旅商人ならまだしも、隊商となると……。

 道が険しすぎて大規模な荷物の搬入には、どうしても時間が掛かるし無理がある。


 ということで、隘路を下降した樹海の先に、簡易砦or町の基礎を建設しようと盛り上がっていた。今の山にあるサイデイル村を、城に見立てるイメージだろうか。


 ま、内実は神獣と化したロロディーヌがぎ倒した樹海の一部を有効活用しようという話から発展したんだが……。


 少し前にそんな話をしたが、まさか、本当にヒノ村へと向かう樹海の難所を少しずつ切り開いて、街道を整備する話を具体化させるとは……。


 国が行うようなインフラはさすがに無理があると反対したが、皆はやる気だ。


 将来的に、城塞都市ヘカトレイルやベンラック村にフェニムル村との隊商ルートの確立を目指し、冒険者ギルドを設立することにまで話が及ぶとは思わなかった。


 勿論、その工程に立ちふさがる問題は……山積みだ。

 死蝶人関係は落ち着いたとはいえ……樹海の地下と外には脅威ばかり。

 樹怪王の軍勢、プレモス窪地の水晶池に棲む水蜘蛛様は敵となるか分からないが、その水晶池の周辺にはゴブリンのコロニーもある。


 そして、地下と地上に勢力を持つオーク帝国。

 更に、紅虎の嵐が探索に失敗した旧神ゴ・ラードの古代遺跡も……。

 だから簡単ではないんだが……。

 キッシュの司令長官らしい力強い言葉とヘルメの絶妙な誘導により、皆、賛成した。

 ま、これは仕方ない。

 <血双魔騎士>のシュヘリアを含む優秀なメンバーが充実してきたのもあると思うが、

 この話が真剣に検討されたのには、ヘルメの言葉以外に、俺にも原因があった。


 キッシュにはもう話をしてあるが……。

 生真面目に、今までの経緯を皆に説明したからだ。


 闇ギルドの伝統的な連合組織の【八頭輝】を崩した張本人だったことや……。

 【血星海月連盟】の大同盟を作った【天凜の月】の盟主だったこと。

 ペルネーテを治めるオセベリア王国の第二王子ファルス殿下と、個別に俺たちの冒険者パーティー【イノセントアームズ】が契約を結んでいることに加えて……。


 邪教に囚われた大騎士レムロナの救出。

 さらに戦争の潜入工作任務の一環で西の砦に逃げ込んでいた妹の救出に向かい、見事【幽魔の門】に所属するフランを砦ごと奪還する形で救出に成功したこと。


 その結果、オセベリアの王族の感謝状とオセベリア王国ペルネーテ領の竜鷲勲章を頂いたことや、ヘカトレイル領を治める侯爵シャルドネとも面識がある上に、そのヘカトレイルの冒険者ギルドマスターのカルバンとその娘とも知り合いだと告げた。


 そうした【白鯨の血長耳】を含めた闇社会の力と表の権力機構であるオセベリア王国の王族と侯爵にコネがあることは皆を興奮させてしまう。


 それに加えて……眷属の勧誘に熱心なヘルメが……。

 ルシヴァル神聖帝国の話を絶妙に組み合わせて話を誘導してしまった。


 だから、妙に皆がやる気になってしまったんだ。

 これはある種の精霊様効果だろうか……。


 そんなことを考えながらヘルメを見ると、彼女は微笑んでくれた。

 ヘルメの野望か……。

 俺は頃合いを見たら旅に出るが、いいよな?


 と、口には出さない。


 訓練場から紅虎の嵐のメンバーとハイグリアの姿は見えなくなった。


 シュヘリアとキッシュはまだ残っている。

 二人は訓練場の中に居るムーとモガ&ネームスの様子を見ながら話し合っていた。


 その顔色は互いに硬い。

 シュヘリアは目尻の切れが深くなったように見えた。


 話は、陸軍を組織するに当たっての村の防衛に関することから……。

 キッシュの先祖たちのエルフ氏族ハーデルレンデと関係する【蜂式ノ具】の奪還に協力する話に続いて、クエマとソロボからの対オーク戦線の情報と、魔界セブドラの諸侯の一人、魔蛾王ゼバルの指示の元、南マハハイム地方の任務を任されていた魔界騎士たちの詳細など、多岐に渡る内容だった。


 昨日、皆で色々と話をしていたが、個別にすり合わせを行うようだ。


 シュヘリアはペルネーテに関する情報にも詳しかったからな。

 湾岸都市テリアに巣くうヴァルマスク家の討伐に関しては、湾岸都市を支配しているオセベリアの大貴族だけでなく、サーマリアの大貴族たちも裏で関係していることを知った。闇ギルドも関わっていることだろう。


 すると、俺の横にいたヘルメが、


「閣下の邪界製の樹木が大活躍ですね」

「砦か? その話はまだ先だな。ハイグリアの故郷での交渉が先だ」

「……はい」


 ヘルメは納得したように頷く。


「ん、皆忙しい。わたしもペルネーテの店がある」

「でもさぁ、エヴァ。正直、一緒にいたいでしょ? リンゴ畑もあるし」

「ん……うん。でも、ペルネーテでしかシュウヤに貢献できないこともある」

「それもそうね。ベティさんの仕事以外にも、わたしも皆との中庭での訓練に協力しているし」

「アジュールとリコさんの模擬戦は激しかった」

「ママニをやぶったアジュールは強いけど、リコさんはさすがに神王位ね」

「中庭での特訓にレベッカも混ざっていたのか」

「そうよ。シュウヤの影響かな?」


 そう話しながらレベッカは振り向く。

 金色の前髪が揺れて、蒼い目がくっきりと見えた。

 元気のある笑顔だ。


 俺も元気になる。


「はは、訓練病になるなよ?」

「クルブル流もがんばっているから、病気かもしれない?」

「ん、レベッカがんばってる! わたしも店の手伝い以外に、メル繋がりのファルス殿下たちとの活動がある」

「ルル&ララとロバートも加わって一緒に協力しているんでしょ?」

「うん。キリエさんと蟲使いの人も」


 彼女たちには待っている家族が居るからな。

 そういえば、そのメル繋がりの件をエヴァから少しだけ聞いたが……。

 第二王子の配下となっているキリエと一緒に<紫心魔功パープルマインド・フェイズ>を使い貴族の処断に力を貸しているとか。


 エヴァは、昔、ナイトレイという男爵家だったからな。

 これは聞いていないが、貴族としての返り咲きも視野に入れているのかもしれない。

 ま、それはないか。


 そのエヴァはシェイルを支えながら肩で休む黒猫ロロの尻尾を触る。

 そのまま、ムーとモガ&ネームスがいる場所まで歩いた。


 ムーと同じ身長のモガが、ムーに向けて、


「ムーよ。お前はシュウヤの弟子。槍使いの弟子だ。糸も使うようだが……そんなお前にも、剣王の俺が剣以外で教えることはある。それはなんだと思う?」

「……っ」


 ムーは糸を放出。

 綾をなして乱れ飛ぶような糸を視線で追いかけながら、頭を傾げるムー。


「分からないか。よーし、教えてやろう! それは体力だ!」

「――だっ」


 短く発音したムーは、こけそうになっていた。


「フハハ、当たり前過ぎたか。だがな、どんな一流の使い手も息が切れたらおしまいだ」

「……」


 ムーは頷く。


「と、巷ではよく言うよな?」

「……っ」


 ムーは『違うの?』とまた頭を傾げる。


「世の中広いからなァ。呼吸法のスキルもある。体力がなくても強い奴はごまんといるもんだ。だがしかし、体力があって困ることは何一つない! 体力があるからこそ、新しい技が得られることもあるんだからな!」


 ムーは笑顔。

 気合いを入れて話すモガの姿に面白くなったようだ。

 一方、モガは腰から魔剣シャローを引き抜くや前転を行うと、小っこい片手で倒立を行っていた。


 ペンギンの体操選手か。

 

 片手倒立を行っているモガは、その小っこい体を横に傾ける。

 そして、その傾けた体勢と勢いを剣の威力へと加算させるように、片手を軸とする体を独楽のように急回転させた。


「面白い機動剣術です」


 ヘルメがそう指摘した。


「そうね。体力というか敏捷性が必要そうだけど」

「ん、わたしも昔は毎日のように魔導車椅子の操作をがんばってた」

「わたしは、ネームス!」

「……っ」


 ムーは、ペンギンと似たモガが軽快な動作で剣技を披露する動きを見て、小さい双眸を輝かせる。


 ネームスは巨大な腕を振り上げた。

 ムーへと振り下ろそうとしたが途中で止める。


 子供のムーを潰しかねないからな。

 下のムーを楽しそうに、ネームスの巨大な手で触ろうしていた。

 が、ムーは義手のあなから糸を射出して、ネームスの巨大な腕に糸を絡める。


 ムーは、ネームスの腕に絡めた糸を、義手の孔へと収斂しゅうれんしつつ、その引き戻る糸の勢いを利用して、ネームスの腕の上へと軽快に跳び上がっていた。


 それは子供というか軽業師のムーといえる機動。


 ムーは楽しそうに両手を伸ばしながら、義足と片足でバランスを取るように立つ。


 そして、ネームスの腕を走ると、肩まで移動した。


 そのまま「……っ」と荒い息を吐きながら義手の孔から放出した糸をネームスのクリスタルの目へと向かわせる。


「わた、しは、ネームス?」


 ムーは義手の孔から出ている糸を操作して、ネームスのクリスタルの瞳を触る。


 ネームスは重そうなまぶたをゆっくりと閉じてからまぶたを開けていた。


「……っ」


 ムーは笑顔。

 ネームスの睫毛まつげの枝についた葉を取っていた。


「わた、し、は、ネームス……」


 ネームスの声音のニュアンスが少し違った気がする。


「ネームスとムー! ということで、走るぞ! ムーは降りてこい」

「……っ」

「わたしはネームス!」


 ネームスの肩に座っていたムーは樹槍じゅやりを掲げて『えい、えい、おー』というようにモガに向けて返事をする。


 その元気なムーは地面に向けて糸を放出しながら跳躍。


 自身の体重の衝撃を糸に吸収させながら器用に着地を行う。


 義手と義足から出る糸を使いこなすムーは、モガと一緒に訓練場を囲うさくに沿うように内側を走った。


 巨体のネームスもドタドタと足音を響かせながら、ムーとモガを追う。


 すると、ソロボが、


「モガ殿は、主のパーティーメンバーらしいが」

「ソロボ、モガ殿の腰にぶら下がる魔剣は相当な物だと推測できる。小さいなりだが、剣術も確かなモノだと思うぞ」

「はい。だれしもが憧れるヴェン大氏族の古老剣士ギザもそうです」

「焼神レギュイェ様の?」

「はい、焼神様のお力を黒壇剣に宿す、伝説の古老剣士の一人。魔傘と羽織が似合う一流の剣士。ですから、モガ殿の魔剣と打ち合ってみたい」


 クエマとソロボはそう語る。

 ソロボは、銀の太刀を眼前で振るった。


 八大神に関することはまだ知らないことが多い。

 地下世界を含めてオークたちの多くが信奉する神々。


 だが、【獄界ゴドローン】に関係する地底神とは、違うようだな。


 一応、そのオークの八大神と地底神の違いは、キッシュに報告済みだが……。

 

 すると、ネームスが巨体をゆらりゆらりと左右に動かしながら、


「わたしは、ネームス!」


 と叫ぶ。

 モガとムーは、足踏みするようにジョギングをしながらネームスのことを待っていた。


「……ネームス殿は不思議ですな。昨日、甘露水を飲んだと思ったら、喉と胴体の一部から滝のように甘露水が吐き出されていた。あの時は心底驚いた……」

「あれか……わたしが何回もオーク語でクエマ・トク・トトクヌと名乗っていた時も、同じ言葉を繰り返すのみだった」

「はい。わたしたちの言葉を理解しているのか不明だ」

「初めて見た時は、樹怪槍軍の怪物たちを思い出してしまったが、まったく違う」


 モガ&ネームスとムーの様子を見ていたオークたちが語る。


 それから鬼神キサラメ様の像と書のことを話していくクエマとソロボ。


 鬼神キサラメ様に関係することはララーブイン地方が多くを占める。


 闇ギルドの仕事の範疇はんちゅうに入るか。


 メルにはノーラの件を含めて色々と報告をしているが、鬼神キサラメ様に関係することは後回し。


 メルは『わたしがララーブインに出張してもいいですよ』と語ってくれてはいたが……彼女も第二王子関連の仕事が増えたからな。


 主に【血月布武】を含めた重要な案件を多数抱えた身。


 そんなことを考えながら、


「……クエマとソロボ。暇だったらムーたちと一緒に走ってもいいぞ。模擬戦も自由にしてくれて構わない。下の村には言葉も不自由だし、肉として調理を受ける可能性もあるから行かないほうがいいが、基本は自由だ」

「……分かりました」

「……主! 怖いことを! ですが、ありがとう」


 クエマとソロボに頷いてから、エヴァに視線を向ける。


「エヴァ。このイグルードの樹木へと魔力を注ぐ前に触ってくれるか?」

「ん、分かった」


 エヴァは頷いた。

 金属の足に付いた大きい車輪と金属の板を、大きい金属の足へと移行していた。


 入念に行うつもりなのか、紫色の魔力を指から掌へと集中させたエヴァ。


 そして、細い指先がじゅの幹に触れた。


「ん、イグルードは生きている……」


 とつぶやくと、目をつむるエヴァ。

 集中するように押し黙った。

 しばし、そのまま間があいた……。


 いつもと違って長い……。

 表層ではなく深層の心が読めているのかな?


 待つか。


「……ねぇ、大丈夫?」

「……」


 イグルードに触れて微動だにしないエヴァの様子を見ていたレベッカが心配になったのか、シェイルの手を離して、そう話しかける。


 だが、エヴァは反応しない。


 シェイルのそばにはヘルメが付いた。

 水飛沫しぶきに向けて、シェイルは「アァァ」と声を上げて指を伸ばしている。


 が、今は、シェイルよりもエヴァだ。


 おかしいな、少し触るか? 

 リーディングの邪魔をしちゃうと悪いかもだが……。


 俺の肩にいた黒猫ロロもエヴァの様子がオカシイと思ったらしく……。

 肩から離れた。


 トコトコと歩いて、エヴァの足下に移動。


 そのエヴァのふくらはぎへと、小さい頭を衝突させていた。


 しかし、エヴァは膝カックンもしない。


「おい、エヴァ。起きていいんだぞ――」


 と話しながら……。

 イグルードの樹木へとエヴァが伸ばしていた手に触れた瞬間。


 世界が反転――。


 目の前には、リュートをいては音楽を楽しむ子供がいた。


 いきなりか――。


 その子供の髪は白色で、オッドアイか?

 ……珍しい。

 子供の背後にはイグルードの樹木と似たガジュマルの根を持つ巨大樹木がそびえ立つ。


 しかし、ここは精神世界か?

 エヴァの姿が見当たらないぞ……。


『この地を守護する霊樹様~、ぼくの名はエリアス。将来、リュートの音楽を生かした槍使いになるんだ! だから、応援して!』


 白髪の子供がそうしゃべる。


『……』


 エヴァの力が、イグルードの過去を見せているのか。


 さらに、映像は早回しで移り変わって月日が経つ。

 子供は青年となっていた。

 白い髪が変わらない青年は槍の訓練を行っている。

 近くにはリュートも置かれてあった。


 訓練を終えた青年は、カジュマルの根を持つ巨大樹木を見つめる。


『エリアス……』


 これはイグルードの声か?

 すると、樹木の根の一部が変形。

 根が人型の綺麗な女性に変身した。


 深みのある緑色の髪……あれは間違いない。

 最期に見えた水蒸気のような幻影と同じ美しい表情を持つイグルードだ。


 人族ではなく、元々は樹木系の種族だったのか。


『シュウヤ。これはイグルードの幻影世界。記憶の一部だから安心して』


 お、エヴァの声だ。


『エヴァは大丈夫なのか?』

『うん。この樹木にシュウヤの力が入っているから相互作用したみたい。このまま彼女の強い想いを聞いてあげるから、しばらく付き合って』


 エヴァの精神力がイグルードの精神体と接触し、過去の幻影世界を作ったのか。


『……了解した。精神世界のことは正直分からないが……エヴァ、あまり無理するなよ』

『ん、大丈夫。でも、あとで〝ちゅっ〟として!』


 はは、エヴァの声しか聞こえないがキスなら何回でもしてあげるさ。

 すると、エヴァの声は聞こえなくなった。


 しかし、イグルードは綺麗だ。

 深みのある緑色の髪といい、細い月を思わせる眉の形も女性らしさを表している。

 化粧をしたら、もっと美しくなるに違いない。

 邪霊槍の面影はない。

 やはり精霊さんなのだろうか。


 しかし、イグルードが離れたガジュマルの根を持つ巨大樹木はうなり声を上げていた。


『イグルード。我ら霊樹精霊のおきてに反して離れるとは……』

『奴ハ、罰スルベキ存在ト化シタ! 掟ヲ破リ、ケガレたモノ』

『穢レはゆるさない』

『穢レは我らを破滅サセル……』


 多重の声音が響いた。

 この巨大樹木の唸り声たちは、エリアスと呼ばれた青年には聞こえていないようだ。


『あ、霊樹精霊様……顔色が悪く見えますが……』

『エリアス、気にしないで、こちらのことだから。それより、さんざん愛し合った仲でしょう。もう様は止して。そして、イグルードと呼んでと前に頼んだでしょう?』

『……分かった。イグルード』


 頬を朱に染めた青年、エリアスは恥ずかしそうに俯く。

 イグルードは微笑んでから、


『ねぇ、エリアス。わたしも槍とリュートを上手に使えるようになりたい』

『この間の続きだな?』

『うん』


 エリアスとイグルードは、仲むつまじくリュートを楽しむ。

 槍も互いに学んで成長を遂げていくといった楽し気な日々が続いていった。


 俺からは一瞬の映像としての記憶だが。

 よく分かる。


 イグルードは霊樹の群れが存在する森から離れてエリアスと過ごすことが当たり前となった。


 が、イグルードが離れるたびに、その霊樹の形が、ぐにょりとうごめいびつな邪悪めいたモノへと変質していた。


 しかし、霊樹をあがめ暮らす人々は気付かない。

 イグルードが離れてエリアスと過ごす度に、イグルードの力が増し、同時に、周辺地域に幸が降りかかったからだ。


 そして、決定的なことが起きる。


霊樹精霊我らの掟を破り、人の精と魔力を体内に取り込み穢れし者となったイグルード……このまま霊樹の力を周囲にばら撒くことを放っておくと思ったか! 霊樹精霊の糧となれ』


 邪悪めいた巨大樹木は蠢きながら無数の枝触手を人族姿のイグルードへ差し向ける。


『イグルード!』


 青年は槍を振るい、イグルードに差し迫った枝触手を切断。


『人族よ。霊樹に歯向かうことは、この地に災いとなることを知れ――』


 多重の音声が響くと触手の群れの数は増した。


『どうして皆、分かってくれないの!』


 イグルードは叫ぶ。

 自身の両腕を触手と樹槍に変えて、エリアスに迫りくる触手の群れを切断していく。

 だが、触手の数は地面を埋め尽くす勢いで襲い掛かってくる。


 エリアスを守りきれないイグルード。


『ぐあぁぁぁ』


 エリアスは心臓を穿うがたれると、霊樹の中に取り込まれた。


『な、エリアス!!』

『……ぐふぁぁ、グェ……、俺ごと、この霊樹を喰え……イグルード』


 霊樹に無残な姿となって取り込まれたエリアスが、声の質を途中で変えながら、イグルードに訴える。


『そ、そんな……』

『――いいから、俺ごと喰えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ』


 顔の半分が霊樹に取り込まれ、片目だけとなっていたエリアス……。

 最期に命を燃やすように叫び……気持ちを訴える。

 涙を流したイグルードは、自ら巨大な樹の槍と化した。


『ウアァァァァァッ――』


 わめきながら吶喊とっかん

 霊槍イグルードは、迫りくる触手枝を切り裂きながら、霊樹の歪な中心のコアを見事打ち抜いた。


 そして、コアという巨大な心臓部に突き刺さったイグルードは、周囲の霊樹を喰うように魔力を体内に吸収していった……。


『エリアス……ごめんね』

『いいんだ……これで、ずっとお前と一緒だろ……』

『……うん、一緒。エリアス……わたしと一緒にいれて楽しかった?』

『……』


 エリアスはもうイグルードの問いに答えることはなかった。


『……死んじゃったの? うそよ、うそ! うぅぅぅあぁぁぁあぁぁぁぁ――』


 その瞬間、イグルードは悲鳴が渦巻くような怨念を超えた恨み声を上げた。

 完全に精神が闇に溶け込む。

 槍をかたどっていた形がゆがみ、樹皮と樹皮が衝突しては、槍の形がいびつに邪悪めいた形へと変わった。

 そして、内側から闇と化したイグルードが、闇夜の水のような黝色ゆうしょくから粘り気のある漆黒色に染まりながら、他の霊樹の群れをもらった。


 暴喰いハルホンクが魔界で暴れている時もあんな感じだったんだろうか……。

 まさに、邪霊樹イグルードが誕生した瞬間だった。

 そして、邪霊樹と化したイグルードは内部のコアの力を使い、エリアスの精神の欠片かけらと自身の魂を融合させることに成功したらしい。


『フフッ、人の心臓があれば、エリアスは生き続けられるのね』

『……俺は……』

『……これからは、わたしとずっと一緒よ』


 周辺の地域を襲う化け物と化した邪霊樹イグルード。

 故郷を自らの手で、奈落の底に突き落とす。

 そこからの記憶の映像は……早回し的で……乱雑となった。

 邪悪で醜悪めいたことは、エヴァの精神と相反しているから合わないようだ。


 そうして、秘宝の智慧の方樹ちえのほうじゅの探索に来たホフマンとシュミハザーにより、邪霊樹が倒されるまで……人の心臓を欲し魂を吸い続けていくことになる。


 というか、ホフマンは智慧の方樹ちえのほうじゅを探していたのかよ。


 すると、いきなり現在のイグルードの樹木が映った。

 サイデイル村の頂上でもある魂の黄金道が続いている小山の天辺てっぺん

 その下には俺の家と訓練場。


 訓練場には俺たちの姿がある。

 これはリアルタイムの映像らしい。


 続いて、イグルードの樹木の内部の映像に移り変わる。

 洞窟のような根の中を内視鏡検査でのぞいているような特殊な映像となった。


 ……主観的な視点で、訓練場の地下深くに続く映像。

 イグルードの根の奥は深い。

 ぐいぐいと下へ下へと映像は進んだ。

 

 すると、その主観視界は第三者視点に切り替わる。

 地中だが、鮮明に根の群れが見えた。

 そして、樹海側から俺たちの村側に伸びている歪な形をした根の群れと、イグルードの根が衝突しているところが映った。

 

 外側から侵入した根の群れを、イグルードの樹木から伸びた根が防いでいる?

 

 樹海側から伸びている歪な根を凝視した。


 ところどころに角を意識したような女性の頭部が浮かんでいる。

 

 これは、女王サーダインか。


 だとするとイグルードの樹木が、キッシュのサイデイル村を守ってくれていた? 樹海の一部を支配しているだろう女王サーダインの樹の根の侵食から守ってくれていたのか……。


 そこで、視界が反転――。

 視界が元に通り、現実世界に戻ってきた。


 ハルホンクを食った時とは違う。

 一瞬で、視界は元に戻った。


「……エヴァ」

「ん、イグルード……」


 エヴァは紫色の瞳を充血させて泣いていた。

 触っていたイグルードの樹木から手を離している。


「良かった。元に戻ったようね。でも、泣いている?」


 心配していたレベッカが、下からエヴァの顔を覗くように見ていた。


「ンンン、にゃおぉ」


 黒猫ロロも心配そうに鳴いている。

 いつもと違う鳴き声だ。エヴァの泣いている姿を見てショックを受けたようだ。

 エヴァの金属足に両前足を乗せながら、ぺろぺろと一生懸命エヴァの足を舐めている。


「ロロちゃんとレベッカ。大丈夫……」

「にゃお?」

「そう? でも、そんな悲しいことが?」


 綺麗に整った眉をひそめるエヴァはレベッカを悲し気に見て、


「うん……イグルードの想いが悲しくて……彼女の記憶を見たの……種の状態から、シュウヤの魔力を吸って、この巨大な樹木に成長した理由が分かった……」


 エヴァは涙をぽろぽろと零す。


「あぁ……俺も見た。このイグルードの樹木は、女王サーダインの侵略から村を守ってくれていたらしい……」

「へぇ、この巨大樹木はそんな立派な仕事を……」


 レベッカはもらい泣きしたのを隠すように鼻をすすりながらイグルードの樹木を見ていた。


 イグルードの樹木には、俺の手と合う手形の樹皮と白い花が生えた幹がある。


 緑の屋根を作る葉っぱたちか。


 このイグルードの樹木は……。

 過去の映像にあったようなイグルードが霊樹だった頃の名残か?

 俺の魔力を糧として……イグルードが種族としての成長を果たしたということか?


 名残にせよ、何にせよ、サイデイル村を裏から守ってくれていたのなら……。

 礼をしないとな。


 そして、俺の魔力を望むなら、少し分けて上げようか。

 しかし、霊樹の名前が少し気になる。

 <破邪霊樹ノ尾>と関係があったりするんだろうか……。


 イグルードの樹木の幹にある手形と二つの花を見た。

 花は、ディープトーンの深みのある緑色とライトトーン系の白色。


 もしかして、この二つの花の色は……。


「それじゃ、この手形に手をめて魔力を送るとしよう――」


 幹の手形に手を合わせる――。

 前回と同じく……俺の手と樹皮が一体化したように、指と指の隙間がイグルードの樹木の樹皮で埋まった。見た目は、俺の手がイグルードの樹木の内部へと取り込まれたようにも見える。一瞬、樹木ハンマーだ! とか、ふざけたことを考えて、腕を持ち上げようとした。が、当然、持ち上げることはできない。

 ふと、思い出して笑う。前にもトラペゾヘドロンの魔法書で同じことを考えたっけ。


 しかし、先ほどのイグルードの記憶の映像は悲劇だった。


 一瞬、このまま魔力を送っても大丈夫か?

 そんな不安を覚えたが、エヴァとレベッカの表情を見て癒やされた。

 よーし、勇気を出して魔力をそそぐとしようか。

 刹那、手から痛みが走った。

 嵌まった手にイグルードの樹木から伸びた管が無数に突き刺さる。

 こりゃ、心配した通りか? 俺の血を吸うイグルード。

 管はどくどくと脈打ちつつ、イグルードの樹木の中に俺の血が取り込まれていった。


「シュウヤ! 血が!?」

「にゃごぁぁぁ」


 イグルードの樹木は、レベッカの叫び声と黒猫ロロの声を霧散させるように、瞬く間に急成長。横幅はあまり太くなっていないが、縦から斜めへとニュルニュルとした動きで樹木は伸びていく。これはホルカーの樹木を再生させた時に近いかもしれない。

 ん? 形がルシヴァルの紋章樹? と疑問に思った瞬間――。


 ――<ルシヴァルの紋章樹>発動。

 ブラッディサージテラー展開。<光魔の王笏>発動――。

 ――血文字が展開された。いや、それだけはなく。

 俺の全身から一気に血が噴き出す――急成長したイグルードの樹木へ向けて血海と化した血の波が衝突していった。こりゃ、<筆頭従者長>を作るような血の量だぞ――。

 皆、驚いて間合いを取った。

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