三百二十話 サージバルド伯爵領

 

 神獣ロロディーヌとの旅は楽しい。空のまにまに。

 左腕をたなびく雲に伸ばして、指先から、ひんやりとした水気を感じ取る。


 鯨が空に棲息しているから綿飴(わたあめ)的な美味しい雲かもしれない! と、雲に触った指を舐めた。が、普通の水だった。

 指で雲を触りながら――。


 手首の<鎖の因子>マークから<鎖>を意味もなく射出した。


 雲のキャンバスに鮮やかな風穴を作ってやった。

 そのまま両腕を広げて、ほどよい風を頬に感じていく。


 ――清々すがすがしい。

 ロロディーヌの背から体を出して――。

 

 眼下に広がるハイム川と新緑の樹木たちをのぞいていった

 

 前髪が持ち上がって、顔に当たる風が気持ちいい――。


 相棒は体から出した魔力粒子を操作してくれたのかな?

 いい感じに風が強まった――。


 遠くのハイム川では……。

 ぽつりぽつりと浮かんで消える漁火いさりびを発見。


 それははかなさのある陽炎かげろうのように見える。

 

「このような空の世界があるのですね……」

 

 ネレイスカリもゆっくりとした空旅を楽しんでいた。

 その視線の先の遠くには、クラゲの群れを平らげている鯨親子の姿があった。


 大きな口を広げてクラゲを食べている大きな鯨。

 小さい鯨は、小さいクラゲを、小さい口なりに拡げつつ、追いかけ回す。

 口にたくさんの小さいクラゲを入れると、口を閉じた。

 小さい鯨は顎と腹部を膨らませた。

 その姿を見た大きい鯨は、褒めるように頭部付近から水飛沫しぶきを宙空に発していた。


 その様子を見て、皆、感動。

 

 クラゲにとっては悪夢的な一族の危機か。

 凄惨な立場だが、まぁ仕方がない。


「……姫様、そのボタンは押さないでください」

 

 ミスティがネレイスカリに注意している。

 姫が空を見ながら、新しい魔導人形ウォーガノフに触っていたらしい。

 

 新しい魔導人形ウォーガノフは人型。

 頭部の額に先端が細長い角がある。

 ドイツ語で闘士の言葉を連想する渋いシンプルな姿だ。

 格好良すぎる。

 

 そこで、先日の、工房で作業中のミスティとのやりとりを思い出す。

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 作業着姿のミスティとの会話で、


「この角は、三倍の速さになる意味か?」


 と、冗談で聞いたが、


「あれ、なんで分かったの?」


 とミスティは切り返してきた。

 本当に三倍の速さになるとは……と考えながら、

 

「ある種、世界の法則だ」

「……難しい顔をして。その世界とは他の次元世界のことかしら?」

「いや、冗談だ。三倍というと、内部に秘密がある?」


 俺の突拍子もない返しの言葉に、ミスティはまばたきを繰り返してから、微笑む。


「ふふ、正解。角の内部に強力な魔力増幅器の役割があって、それが全体を加速させるパワーを生み出すというわけ。主な素材はワームの雫と、ついこの間、シュウヤからもらったばかりの生命体が宿る金属を融合させた物よ」


 未来的なゴミ収集車のドアか。

 あの部位を使ったのか。


「……潰れたゴミ収集車とはいえ、未知の鋼鉄が役に立ったか」

「うん。その収集車? の意味がわからないけど、今回使ったのは表面上の金属。潰れた中身の方に面白い金属機構の物もあったから保存したわ。シリンダーと燃焼ガスを利用した作りの吸気機構から圧縮機構とクランクシャフトが繊細に繋がった金属体。研究すれば動力源になりそう。肝心の角の増幅に関してはワームの雫が作用した結果かもしれないけどね」


 この時は車のエンジンの一部だと想像したな。


「まぁ、いいパーツになりえたようだし、買ってよかった」

「エヴァも喜んでいた。いつもわたしたちのためにありがとね」


 工房で眼鏡が似合う博士美女からの言葉はいい。


「……いいって」

 

 ミスティの視線に照れた覚えがある。

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 そこで、過去の情景から、今、神獣ロロディーヌに乗っている現状を見つめていく。

 

 ……ミスティが出現させている新魔導人形ウォーガノフはカッコイイ。


 龍の顎を彷彿させる頭部。


 パズルのような金属のフレームが重ね合わさった作りで随所に丸型の穴が空いている。

 穴という穴から少量ながら蒸気のような煙が昇っていた。


 額の位置には細長い一本角。

 そして、双眸を意味する左眼と右眼の位置に、微妙に形が違うフォークの先端を模ったような溝がある。

 

 眼の位置にある合計六つの溝の内部から魔導人形ウォーガノフの意識を感じさせるような、眼球としての、魔力の輝きが放たれていた。

 

 単眼は残念ながらダメだったようだ。

 口元にガスチューブ風の繋ぎ目もない。

 

 だが、そんなことはどうでもいい。

 ダマスカス鋼の加工したような金属模様が綺麗だ。

 首も細くて体も全体的に洗練されているし、ミスティのセンスが、ずば抜けているとよくわかる。

 鎖骨の窪みも精巧に表現されてあった。

 肩を覆うショルダー、肩当てのデザイン性はすこぶる高い。

 

 肩当ては湾曲したスリット状。

 

 防御層が徐々に厚みを増している形となり、やや盛り上がった肩当ての頂点に紫色のクリスタルの核が備わり、その周りを原子核の電子のようにくるくると回っている紺色と赤色の水晶の粒があった。

 そして、そんな肩当てとは対照的に、腕先へと続いている肘当てはエレガントさを意識しているのか、逆にだんだんと細まる作りだ。

 

 まるで女性ピアニストのような強さと繊細さを兼ね備えた両腕となっている。

 

 上半身は女性とは違い男性的だ。

 鎖骨から滑らかに下に続く、男の胸筋が再現されたような胸甲は分厚い。

 太陽の明かりが反射していた。

 金属の足は太腿が太く、膝から下が細くなっているカモシカのような脚だ。

 尖っている膝頭があるので少し歪かもしれない。

 

 その尖った膝頭の中心点には、太陽のようなマークがある。

 太陽の周りにはコロナとプロミネンスを再現するように炎の波が描かれてあった。

 

 全体的にフリューテッドアーマーを彷彿とさせる魔鋼金属だ。

 濃密な技術が詰め込まれていると感じさせた。


 金属の溝の間からネオンに似た魔力光が走っている。 

 その複雑そうな金属の機構から、正義の神シャファの姿を思い出す。

 

 勿論、神の姿からは遠くかけ離れている。

 だが、金属の生命体という部分では、似ている部分があると思う。


 ミスティは「この綺麗な大空の上でも上手く作用するのか実験よ」と、語っていた。

 

 この新魔導人形ウォーガノフは足裏からジェットでも噴射して空を飛べるのかと一瞬期待して、聞いたが、

 

「そんなことは不可能」


 と、素っ気ない態度のミスティに怒られた。そんな機能はないらしい。

 ただ、「でも……」と、ぶつぶつと糞、糞、糞と言い始めて妄想研究していったので、可能なのかもしれない。

 

 現時点では現実味がなさそうだが……。

 羊皮紙に関数解析風の魔力数値を書き、自身も血と魔力を腕先から放出しながらペンを凄まじい速度で走らせていくミスティ。


 一通りの妄想研究が終わると、気を取り直した彼女は「……今は、ロロちゃんの上に出現させただけだから」と、自信がない口調で話していた。

 

「ンンン、にゃぁ、にゃ、にゃ~」

「ロロちゃん。また表面を叩いているし、あまり強く叩かないで……あ、でも耐久性の実験になるから別にいいかな」


 ミスティは少し動揺しながら喋っている。

 ロロディーヌは背中に乗っている妙な重さを感じさせる金属の感触が嫌なのか、空を飛びながらも、首元だけではなく、触手を全身の至るところから発生させて新魔導人形ウォーガノフに絡めていた。

 特に頭部辺りを入念に触手で触っている。

 平たい肉球付きの先端で、ぽん、ぽこ、ぽん、とリズムよく叩いて撫でていた。

 触手骨剣は出していないので、壊すつもりはないとわかるが……。


 そんなまったりムードで、空の旅を続けていると、大河のハイム川を見守るようにそびえ立つ巨像たちの姿が見えてきた。

 

「――戦神ヴァイスと愛の女神アリアの巨像ですね」


 ヴィーネは銀髪を左耳の裏に通しながら喋っていた。

 彼女も、最初は俺の腕におっぱいを押し当てながら「天蓋がない……」と不安気な表情を浮かべて呟いていたが……神獣ロロディーヌは空をゆったり優しく飛んでくれていたので、この空旅のペースに慣れたようだ。


 皆で、ハイム川と城塞都市が齎す絶景の光景を眺めていく。

 巨像から鎖が伸びているのは変わらない。

 

 きっと巨像を使ってハイム川を封鎖するのも一大イベントになるんだろうな。


「……ここが城塞都市ヘカトレイルだ」


 皆に語りながら、懐かしい思い出が蘇る。

 

 高層ビルのような壁の高さは変わらない。

 まだ、遠いが、城壁の向こう側に広がる街並みも確認できた。

 

 そして、ヘカトレイルの右辺の空に、グリフォンの編隊も見える。

 

 ヘカトレイルの領主であるシャルドネは東のサーマリア王国と紛争中。

 当然、周りにも気を配るか。それとも何か他に原因があるのかもしれないが、一部の防御部隊はちゃんと残しているようだ。

 そういえば、戦神ヴァイスの広場で魔竜王討伐の決起集会が行われた時、優秀そうな軍人さんが皆に挨拶していた。だから軍に関しては大丈夫だろう。

 

 魔竜王戦で、だいぶ消耗したとは思うが……。

 

 シャルドネも、地下オークションで散財して個人的な戦力を整えている。

 黒き戦神と呼ばれた男を買っていた。

 軍服が妙に似合う日本人だと思わせる彼は、両手から四角い立方体を生み出していた。

 あの正六面体らしいモノを、離れたところにも突然生み出せる能力だとしたら、かなり凶悪な能力だろう。戦うとしたら近距離戦を想定したい。

 オークション時に見せていたデモンストレーションでは、腕先のみだったが……あの場ですべての能力を見せる必要もないから、他にも予想外の能力を持っているに違いない。


 他にも、足首から下がない女性を買っていた。

 不思議な足。切断されたというより……自然に足がない形。

 その足の部位から、泡状の魔力を放出させて浮いていた。

 泡を放出する能力者といえば、魔人ザープと戦っていた蚕のメンバーが居たけど、関係があったりするのかな……。

 

 こういった戦力を整える以外にも、第一王子、第二王子を含めた他の中央貴族たち&血長耳との交渉をしていたと、オークション時に語っていた。


 そんなことを考えていると、下降していくグリフォン編隊が見える。

 

 空を飛ぶグリフォン隊の光景は絵になるなぁ。

 ……第三軍団隊長のセシリー・ファダッソの可憐な姿を思い出す。

 イケメンな部下の映像も脳裏を過ったりしたが、無理やり打ち消した。

 

 そして、美人のキッシュとチェリの姿を代わりに思い浮かべるが……。

 

「ヘカトレイルには降りず、ネレイスカリを優先させる」

「……ありがとう、シュウヤ」


 ネレイスカリは優しい笑みを表情と態度で醸し出す。

 伯爵領に戻れることを期待した尊敬の眼差しだ。

 

 俺は、昔、姫のことを助けられなかった贖罪のつもりなんだ……とは姫様にいえず。

 もっとも、俺はその気持ちを表に出していないので、彼女がエヴァのような心を読む能力を持っていないかぎり、俺の借りを返そうとしている気持ちは伝わらない。


「……いいってことさ」

「ヘカトレイルは好きじゃないからありがたいわ」


 ミスティの言葉だ。彼女の顔色は悪い。

 あの城塞都市は彼女の故郷。

 しかし、兄、ゾルを発端とする一連の事件で憎しみを抱いていた都市でもある。


「俺もだ。あの銀色と緑色の髪のエルフとは相対したくない」


 ハンカイも同意していた。

 銀色と緑色の髪……というと、

 

「クリドススか?」

「……そうだ」


 ハンカイは俺たちに顔を向けず……ヘカトレイルの街並みを眺めながら呟く。

 ポルセン&アンジェの【宵闇の鈴】に居た頃か。

 当時、血長耳のクリドススとは激しく戦っていたようだ。


 ということで、ヘカトレイルには、姫を送って、ミスティたちを魔霧の渦森に運んでから個人的に来ることにしよう。

 

 とにかく今は姫を優先。俺があの時、姫を助けられなかった思いを胸にレフテン王国の南、サージバルド伯爵領へ無事に送り届ける。


「ン、にゃ」

 

 触手と繋がっている神獣ロロディーヌが、俺の気持ちを察したのか、小さく鳴いてからヘカトレイルから離れてハイム川沿いから北東へ向かう。

 

 大きな雲を突き抜けたところで、バルドーク山が南に見えた。

 懐かしい。魔竜王討伐を行った場所だ。

 

 と、昔を懐かしんでいると、


「……見えてきました、サージバルド伯爵領です」


 もうサージバルド伯爵領だった。

 空に舞うクラゲの群れか。 

 

 良くある光景だ。

 一方で、地上の街道は俺が前に通った頃よりも建物が増えている? 人も多い印象だ。

 

 前に、治安が回復したとネレイスカリは語っていた。

 

 だから、人々が流入して宿場街自体が活性化したのか。

 流通が整備されて村から街へ発展しているのかもしれない。

 商人たちも多数行き交っているようだし、伯爵は様々な商会を呼び込む政策を取っているんだろう。

 

 織田信長や豊臣秀吉が取った政策、楽市楽座かな。

 

 サージバルド伯爵、切れ者かもな。

 まだ会っていない伯爵の姿を想像しながら、美形の姫の顔を見て、


「……伯爵が住む場所はどの辺り?」

「真下の街道から右手……そう、煉瓦れんがの建物の先。新緑のじゅのマークが目印です」

「了解」


 ネレイスカリの指示通りに神獣ロロディーヌが低空飛行を続けていく。

 そして、伯爵の屋敷と思われる大きな屋敷が見えてくる。

 

「見えました。あそこです」

 

 姫様の言葉が響く。

 

 屋敷の周囲の四隅に見張り台があり、警備兵の姿を確認できた。

 神獣ロロディーヌは目立たないように、街道の脇にあった溝の場所に降り立つ。

 

 王子の屋敷の時と違い、さすがに初見で、見知らぬ伯爵の屋敷へ直で降りはしない。


「ロロ、ゆっくりの飛行をがんばったな」

「にゃぁ~」


 皆を乗せた空旅での移動に、ご苦労様と気持ちを込めて、神獣ロロディーヌの後頭部を撫で撫でしてあげていく。嬉しそうに鳴いてから、「ンンン~」から「ゴロロロ、ゴロゴロ」と、喉声を発していた。


 姿が大きいので、当然喉声も空気中に震動するかのような巨大な音だ。

 その音を全身で感じ取りながら、仲間たちが居る方へ振り向く。


「――さぁ、到着だ。もう降りていいぞ」


 腕をロロの長い尻尾がある方に向けながら語る。

 ミスティは目尻の位置に、人差し指と中指を揃えた指の先端を当てていた。


「了解~、先に降りる」


 かわいい敬礼の仕草で軽い挨拶をしてから、目の前に出現させていた新魔導人形ウォーガノフに魔力を通す。

 

 すると、新魔導人形ウォーガノフが瞬時に縮小。

 アーレイとヒュレミのように姿が小さくなり、銀色のブローチ型に姿を変化させていた。

 

 ミスティはそのブローチを見て、満足気に微笑むと、その銀色の人型ブローチを胸のチューブトップの縁に引っ掛けるように付けてから体勢をかがめる。


 そのままロロディーヌの背中に手を当てて、

 

「――ロロちゃん、気持ちいい空旅をありがとう。いつか授業に生かすからね。生徒を乗せてあげたくなっちゃった」

 

 ロロディーヌの背中をすりすりと触りながら語るミスティ。

 触り心地に満足した彼女は立ち上がり、黒毛がふさふさしている背中の上を歩いて、長い尻尾に触りながら降りていった。


 彼女の鎧に似合うブローチはお洒落だ。


「ここがレフテン王国という国なのか。さすがは神獣猫だ! 俺も撫でさせろ」

「にゃごぁ」


 ミスティが撫でていた長い尻尾が反転して、玉葱頭のハンカイが叩かれていた。

 叩かれるというより、『こっちにくるニャァ』という感じだろうか。

 

「……ロロディーヌ曰く、早く降りろってことだろう」


 その姿を見て、フォロー。


「ぬぬ、この毛のふさふさで許してやろう」

 

 黒毛のふさふさの尻尾に包まれたハンカイは微妙な表情を浮かべてから、降りていく。

 そして、最後に残って、今のやりとりを微笑んで見ていたネレイスカリ。


 そこにヴィーネが「姫様、こちらです」と、丁寧に対応して姫の手を握ると、その姫を脇に抱えるように神獣ロロから降りていた。


 お姫様抱っこは、俺がやりたかった。

 と、文句は言わずにロロディーヌから跳躍――身を捻りながら降りる。

 

 全員が降りた瞬間、ロロディーヌは神獣の姿から、いつもの黒猫の姿に戻った。

 

 降りた場所は、右から左へ続いている通りの土道。

 木造住宅と土壁の家々に住む人たちの姿を見てから、ネレイスカリへ視線を向ける。


「……ところで、ネレイスカリ。ここからは姫様とお呼び致します」

「……少し残念ですね」

「友なのは変わらないさ。でも、ここはもうレフテン王国だ。そして、姫様の支持を表明しているサージバルド伯爵領。伯爵様に無礼があっては、姫様の沽券に関わるかと」

「もう、そんな体面なんて……一度、奴隷に落ちた姫ですよ?」


 ネレイスカリは姫様らしく口元を手で隠し微笑みながらも『友なんだから堅いことをいうな』と、暗に責めてくる。

 しかし、俺はわざと突き放すように視線を強めた。


「そんな姫様だからこそ、できること・・・・・があるのではないですか?」

「……ふふ。厳しいお方。昔、父が言っていた言葉を思い出します」

「父というと病弱の?」

「はい、ザムデにより幽閉されていますが」


 殺さずに王を幽閉か。

 

「気軽な言葉はここまでということで、その王の言葉を聞かせて頂いてもいいですか?」


 俺が笑みを意識して、そう問うと、ネレイスカリはふにゃっと恥ずかしそうに笑う。


「……えぇ、はい。父は、眼で語る男を見つけろ。その男を見つけたら、配下に召し抱えるか、口説き落として愛人もしくは旦那に迎えろ……という感じです」


 ネレイスカリは頬が上気したように朱に染まっていた。


「はは……」


 王の哲学を匂わせる言葉だと思ったら、そっちかい。愛人、旦那とは。

 思わず、告白された気分になってしまった。

 その瞬間、冷たい眼差しを寄越していたヴィーネさんが、素早く右方を見やる。

 

「――姫様、あちらの方から騎馬隊が……」


 通りに馬蹄の音を響かせながらこっちに向かう集団が見える。

 馬に乗った騎士たちの姿だ。

 サージバルド伯爵領の騎士たちか?


「あの紋様はサージバルドの騎士たちで間違いないです」

「空を警戒していたか、誰かが通報したか」

「どちらにしても、速い連絡網です」


 ヴィーネが俺の意見に頷きながら語る。

 瞬間的な伝達能力があるアイテムを持つ者、または、能力者がそう都合よく騎士団の内部にいる? 

 ないな。たまたまだろう。

 と、考えながら、まずは俺が前に出て挨拶だ。

 

 ハンカイも頷いて、俺に任せるぞっとアイコンタクトを寄越してきた。

 そのまま頷いて歩いていく。

 

 そして、

 

「ンン、にゃ」


 いつものように、黒猫ロロが俺の肩に乗ってきた。


「――お前たち、止まれ、何者だ!」


 険しい表情の騎士たち。

 挨拶しようとしたが、ネレイスカリが早足で前に出る。


 姫は自らの胸に手を当て、


「わたしは、ネレイスカリ。この名に聞き覚えはなくて?」


 と、力強い印象で語っていた。


「な、ひ、姫様!?」



◇◇◇◇


 俺は騎士団の方々に姫を預けて、立ち去ろうとしたが、その姫様に説得される形で、騎士団の方々と共に伯爵の領主館に案内された。


 そして、サージバルド伯爵領の領主館に入る。

 エントランスホールの先にあった政務室に向かう。

 

 地図と旗が掲げられた部屋で、領主と騎士たちと対面。

 当然だが、領主と騎士たちは全員が恭しい態度だ。


 全員が膝を突く。


「……サージバルド、頭を上げてください」

「姫様……良くぞご無事で……」

「えぇ……色々とありましたが、このレフテンに戻ってこられました」


 姫の言葉を聞いたサージバルトは頭をあげる。


「姫、わたしは嬉しいですぞ」

「わたしもです。講和派として、主戦派の貴族たちとの争いによくぞ持ちこたえてくださいました。そして、立ってください。姫という立場ですが、今は、ただの女。サージバルドを頼りにきた……か弱き女です」

「姫、なにをいわれますか。この場に姫がいることがどれほど重要なことか。そして、ザムデの魔の手から逃れられたのですから、もう大丈夫ですぞ。今後は、このサージバルドにお任せあれ」


 伯爵は、髭をハンカイのように蓄えた人族だ。

 歳は白髪が目立つが、初老を過ぎた辺りだろうか。

 

「はい、期待していますよ」

「――はっ」


 サージバルドは姫様の手の甲にキス。

 伯爵が立ち上がると、騎士たちも同様に立ち上がった。

 

「サージバルド、領内は繁栄しているようですね」

「はい、お陰様で。講和派に恩恵を感じる大商会、特にハイペリオン大商会の会長と【一角の誓い】の幹部の方から大規模な支援がありまして」


 一角の誓い? キャネラスのとこじゃないか。

 ヴィーネも気付いたらしく、銀仮面越しに鋭い視線を向けてくる。


 小さい顎を下げて『はい』と頷く。

 アイコンタクトも寄越す。

 だから、キャネラスの商会で合っているだろう。


 ハイペリオンの名前は、地下オークションの時に目立っていた。


 当時、その商会らしき関係者の姿を見たが……。

 

 皆、ローブ姿だったからちゃんと顔を見ていない。

 一人だけ、顎が二つに割れているぐらいしか分からなかった。


 たぶん、彫りが深いイケメンのキャネラスだとは思う。

 

 伯爵と姫は、積もりに積もった話を展開させた。

 暫し、話し込んでから、俺のことを紹介。


「……そうでしたか。彼が……ネレイスカリ姫をお救いになった英雄」


 サージバルドは俺を見て、にっこりと笑う。

 騎士風の敬礼をしてきた。


 俺も、ラ・ケラーダの挨拶で応えた。


「英雄なんてとんでもない。当初は放っておくつもりでした。ネレイスカリ姫様の勇気があるからこそ、俺は動いた。だから、今があるんです」


 そのままを語る。


「……正直な方だ。シュウヤ・カガリ様。本当に八頭輝なのですか?」


 伯爵は闇ギルドという暗い側面をよく知っているようで、聞いてきた。


「サージバルド、何回もいいますが、本当ですよ。ペルネーテの武術街に大きな屋敷を持っていらっしゃいました。ただ、八頭輝という称号よりも、武術家の面が非常に強いかと思います。毎日、中庭で行う槍の稽古……他にも沢山の武器を学んでいました。そして、時には怖いぐらいに……激しい模擬戦を仲間の方々と励んでいるのを見学させて貰いました。あまり訓練には詳しくないのですが、黄昏の騎士たちよりも、修行が厳しいのではないかと思います」

「……はは、黄昏の騎士とは……姫、ここに控えている一部の騎士たちはいい顔をしませんぞ?」


 確かに伯爵の背後で控えている獣人が多い騎士たちは俺のことを睨んでいた。

 黄昏の騎士ってあまり知らない。

 

 大騎士のような存在だと思ったままでいいんだろうか。

 

「すみません、ですが、事実なのです」

「姫様、わかっていますとも。そして、シュウヤ様。このルサン・イド・サージバルド。今回の件を踏まえ、正式にお礼がしたい。報酬として白金貨を――」

「いえ、伯爵様。礼は要らないです」

 

 無礼だが、即座に断った。

 姫様から俺に関する情報を得た伯爵としては……。

 当然、今後の戦力として抱え込みを目指そうとするだろう。

 

 ネレイスカリ姫も俺の行動を責めたりはしない。

 納得顔だ。

 

「なんと……」

「サージバルド。そんな顔をしないでください。当初、シュウヤ様は、ここの屋敷に来るつもりはなかったのです。わたしが銀蛇ぎんじゃ衛兵団の方々に説明をしていた時、「それじゃ、姫様。約束は守りましたので、ここまで、です」と、簡単に立ち去ってしまうところを、わたしが必死になって止めたんですから。そして、無理を承知でお連れしたんです」

「……そうだったのですか、ならば、シュウヤ様と出会えただけでも、幸運としなければなりませんな。今宵こよい晩餐会ばんさんかいには是非とも出席をして頂きたい」


 どうしようかな。ゾルの家がある魔霧の渦森まきりのうずもりに行こうと思ったんだけど。

 ヘカトレイルに行ってキッシュとチェリに会いたいし。

 

 キッシュ……会ったら喜んでくれるだろうか。


「シュウヤ、わたしは別に遅くなってもいいわよ」

「俺も構わん。ミスティが向かう魔霧のなんたらで斧を振りたいが……まぁ、森と目的の家は逃げないだろう?」


 ハンカイが金剛樹の鎧に両腕を乗せながら語る。


「そうだな、じゃ、少しだけ美味い食事を貰うとしよう」

「おぉ、では、こちらに入らしてください。ホウドン! チゼル!」


 伯爵は勢いよく柏手を打ちながら、使用人たちを呼ぶ。


「お前たち、シュウヤ様を奥の間に案内しなさい。姫様もお休みになってください」

「はい! わたしもシュウヤ様の傍に居ます」


 ネレイスカリは嬉しそうに語ると、近寄ってくる。

 少しの期間とはいえ、仲良くなれたから名残惜しいんだろう。


「それじゃ、少しの間だけ、お世話になろうかな?」

「ふふ、そうですよ~。こちらのお部屋らしいですよ。レフテン産のフルーツもあるので一緒に少しだけ食べましょう」

「ンン、にゃ」


 大人しくしていた黒猫ロロが、俺の肩をぽんっと叩いて答えていた。

 フルーツが食べたいらしい。

 そのまま使用人たちに横幅が十メートルはありそうな縦長の廊下を案内される。


 茶色い絨毯じゅうたんが敷かれた廊下だ。

 扇の形の扉に到着。

 その扉の左右には、ランプの魔道具がつけられていた。

 

 扉が開かれたから入った。

 応接間かな、さすがに伯爵の屋敷。


 綺麗な家具が並ぶ。

 壁には野菜が盛られた絵画が飾られてあった。

 

「にゃ」

 

 黒猫ロロはソファ目掛けて走っていく。

 

 ミスティとハンカイもそれぞれに家具と調度品を物色しながら肘掛け椅子に座っていた。

 使用人たちが、水、ワイン、フルーツを乗せたサイドテーブルを運んでくる。


 俺とヴィーネは、黒猫ロロが跳ねて遊んでいるソファーに腰をかけた。

 

 姫様は対面にあったおそろいのソファーに座る。

 背中を伸ばし、深呼吸。

 うーん、いい感じの屋敷だ。天井にシャンデリアもあるし、壁の模様が絵画に合うようにデザインされているし、アルコーブにある猫型のランプがお洒落だ。

 

 黒猫ロロが気付いたら、猫パンチを食らわせそうだけど……。

 

 そんな空間で、皆で、談笑。

 高級ホテルのロビーで、くつろぐように、ハーブティーを飲み、フルーツを食べながら、ネレイスカリ姫が塔の内部にとらわれていた頃に身に付けた裁縫技術の話を聞いたり、なぜか、そのことに嫉妬したヴィーネが、幼い頃にお姉さんから教わったひもを使ったダークエルフの子供が覚える遊びを自慢気に披露したりしていると、ハンカイが地下世界のダークエルフの話に興味を持って、地下のはぐれドワーフや、ドワーフの地下社会について熱心にヴィーネから聞き出したり、ミスティの夢に出てきた古代文明と関わりがあるんじゃないかという話に展開。

 

 休憩という雰囲気は終了。

 濃密な話が続き、時間はあっという間に過ぎた。


「ンンンン」

 

 話の最後に喉声を鳴らした黒猫ロロさんは跳躍。


 低いテーブルクロスに乗ると……。

 肉球から伝わる布の感触が気に入ったのか、そのクロスにゴロニャンコ。

 

 背中を擦り始めていった。

 

『ロロ様が、幸せそうな表情です! 可愛らしいおっぱい!』


 視界に現れた小型ヘルメが相棒の腹を見て興奮していた。

 そして、精霊ヘルメの声が聞こえたように、黒猫ロロの腹がなんとも言えない。


 ゴロニャンコとゴロニャンコ、ゴロニャンコ、ゴロニャンコ、ピンク色のおっぱい見せびらかせ、パイパイ、パイパイ、パイリャーナとか、ワケワカメ。

 

 くうぅ、凄まじい可愛さ……。

 

 皆、黒猫ロロの腹を見て、全員が魅了された。

 

 皆、視線をぎらつかせて、黒猫ロロの内腹を触りだした。

 ハンカイもなんだこりゃぁと声を発して、相棒の柔らかい腹に指を当てていた。


 マッサージしている。

 

 武人ハンカイ、玉葱タマネギ頭を揺らし、猫の内腹に萌えるの巻。

 ハンカイの知らない一面だ。

 

 黒猫ロロは背中の布からくる感触が楽しいらしく、皆にお腹を触られても気にしていない。


 俺は、薄毛の下から覗かせる小さい乳首ちゃんを優しくマッサージしてあげた。

 暫し、至福の時間が過ぎていく。

 そうして、食事の用意ができましたと使用人から知らせが入ったところで、黒猫ロロが起き上がる。

 

 マッサージタイムが終了。

 レベッカがいたら鼻血が出ていたかもしれない。

 

「ふふ、ロロちゃん、お食事を期待しているのですね」

「にゃぁ」


 黒猫ロロは俺の肩に乗りながら、触手の先端を部屋の出入り口に向ける。

 『速く食事の場所に行くニャー』と思っているんだろう。

 貴族の飯だからな、期待度は高いだろう。

 

 だが、ロロさん、カソジックがそう簡単に食べられると思うなよ?


「……そのようだ。さぁ、いこうか」



 ◇◇◇◇


 美味しい食事をたっぷりと頂いたところで、扉が急に強く開いた。


「伯爵様! 何者か不明ですが、敵が屋敷の敷地内に侵入しました! 複数名の味方が斬られてしまい、数名が倒れています。正面、裏口が激戦です――」


 敵? 宰相ザムデの兵か? ホクバか?


「なんだと! 兵舎と騎士館に増援の伝令をだせ」

「はい!」


 伯爵は手慣れた動きだ。

 小競り合いを色々と経験していると見た。


『閣下、外に出ますか?』

『いや、今は索敵を優先させる。目を貸せ』

『はい――ぁん』


 精霊眼の力を利用しながら黒猫ロロに視線を向ける。

 黒猫ロロも紅い眼を俺に向けてアイコンタクト。


「ン、にゃ」

 

 すぐに黒豹型に変身を遂げる。

 ヴィーネも翡翠の蛇弓バジュラを構えた。

 ガドリセスもあるが弓を選択している。

 彼女が持っている翡翠の蛇弓バジュラは、いつものように緑色の光を発しているが、長弓化はしていない。ここは室内だからな。

 弓の握りから飾藤の表面に、赤い文字でヴィーネ・ダオ・アズマイルと名前が浮かんでいるのも変わらない。


 ミスティは新魔導人形ウォーガノフは使わず、腰から小さい金属の玉を掴むと、瞬時に掌の中で金属の杭を生成し、ペンを扱うように十本の指の間に挟んで構えていた。

 

 何か、くノ一みたいでカッコいい。

 ユイに短剣術を習ったのか?

 学校の授業を利用していたのかもしれない。

 

 ハンカイは片手に金剛樹の斧を握ると、窓際に移動していく。

 

 確かに、裏からの急襲もありえるか。

 ……中庭が見える硝子製の窓だ。

 

 やはりホクバの【ノクターの誓い】か?

 一応、姫を最優先に守ることを意識。

 

 <鎖>の大盾と魔法。

 <光条の鎖槍シャインチェーンランス>の飛び道具を想定。

 ハンカイは窓際だ。ヴィーネは弓を持ちつつ姫の前に立つ。

 ミスティはロロディーヌの背後から、この部屋の大きさを確認していた。

 俺は廊下からくる奴に対応するか。


 刹那、晩餐会の入り口の両扉が砕けた。

 かしの木材のような分厚い茶色扉が砕け散る。


 そんな砕けた扉の破片を、踏み潰しながら現れたのは、猫獣人アンムル


「カカカッ、表は制圧完了だ。案外奇襲もいいもんだ」


 そう、ホクバ・シャフードだ。ホクバは余裕の現れなのか、四つの腕をぐるぐる振り回している。

 

 鷹揚感を醸し出す。


 強者の雰囲気のあるホクバの背後にも……。

 強そうな連中がいた。


 前に見たことがある槍使いの猫獣人アンムルもいる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る