二百七話 ママニが吠える
◇◆◇◆
「殺す、殺す~」
細筆で書いたような眉を顰めていたが、途中から浅黒い女は癖なのかウィンクをするように片目を瞑り、嗤い出す。
露出している臍を突き出すように胸を張ると、左右の肘を四十度くらいの角度にゆらりと上げる。
魔力を纏わせた指先で小円の魔法陣を二つ描くと、その小型魔法陣を爪繰っていた。
その魔法陣は宙を漂っていた骨型魚たちとリンクしているのか、指先の動きと同時に、穴の空いた頭蓋骨の眼窩に光が灯り顎を上下に広げる。
骨魚は鋭そうな牙の歯を見せると、海中の捕食者の如く、骨格にある骨を靡かせながらママニたちへ襲い掛かっていく。
「――攻撃が来る、撤収、アルガンの嘆き!」
ママニは予め決めておいた危険に対処する作戦名を叫ぶ。
彼女は冷汗をかいたのか毛が豊かな顔を拭ってから肩を竦めるように
背後に居たエルフのフーが固唾を飲む音が聞こえるが、
「土精霊バストラルよ。我が……」
指示通り、魔法の詠唱を始めていく。
「承知――」
ママニの言葉に呼応したビアは詠唱しているフーを守るように前進しながら太い腕を用いて、手槍を<投擲>。
面妖な怪物を先に潰す。
そう意識込めて投擲された槍は向かってくる骨魚ではなく、操作している浅黒い肌の女へ胴体に向かう。
だが、
「あら、反応が速いわね――」
浅黒い女は軽い調子で楽し気に語ると、両手にある黒色の爪を伸ばし黒光りする直剣へ変貌させる。
その直剣を垂直に風巻く速度で振り上げた。
黒爪の直剣は投擲された鉄槍をチーズを裂くように、いとも簡単に切り裂く。
――やはり、効かぬか。ママニの判断は正しい。
――主人並みに魔力を放出していた面妖な相手。
ビアなりに浅黒い化物女を分析しながら右手に方盾と湾曲した
――速いが、我なら潰せる!
そうビアは考えると同時に動いた。
頭蓋骨の魚の頭部へ左手に持つ刃が湾曲している
骨魚は瞬く間に二つに寸断された。
煙が立ち昇る荒野の地に平たい断面が目立つ骨魚だったものが二つ転がる。
「へぇ、驚き。成長した<魔骨魚>を両断かぁ」
<魔骨魚>をあっさり斬ったビアの剣筋を見て、目を見開き驚く浅黒い女。
だが、まだ違う二匹の魔骨魚が残っていた。
左右からママニたちへ向かっていく。
そこに、
「
綺麗な鈴の音のようなフーの詠唱が終わり、言語魔法上級:
どこからともなく現れた平たい大きい岩群が浅黒い肌を持つ化物女の胸元に集結するように飛翔していく。
浅黒い化物女は魔法の岩たちが迅速の勢いで目の前に迫っても、涼しい顔色を浮かべたままだ。
すると、魔力を帯びた銀色の縺れた長髪が蠢き、自動的に迫る岩群を迎撃するように空中へ扇状に展開した。
飛翔してきた大きい岩たちを、群がる蠅でも落とすように、その髪の銀扇で叩き潰していく。
その間にも魔骨魚たちがママニたちに襲い掛かる。
ママニは肘を畳め
「開・靭脚――」
ママニは独特な声で叫びながら左足の膝頭を急角度で持ち上げ綺麗に開脚する
彼女は普段指示役に徹しているが虎拳流の達人。
こういった接近戦も得意だ。
頭上に鯉が跳ねるように魔骨魚を浮かしたところで、左手に持った
魔骨魚の顎に円盤の縁を衝突させて完全に顎骨を粉砕。
顎だけでなく頭蓋の骨も罅が入ると、魔骨魚はバラバラに砕けた骨くずになり散るように吹き飛んでいた。
だが、後方から上級魔法を唱えた直後のフーにも魔骨魚が迫っている。
魔骨魚は、綺麗な声で詠唱を生み出していた彼女の喉笛へ噛み付こうと口を広げていた。
抜剣していたサザーが動く。
フーには触れさせないっ!
サザーは視線を鋭くし、脇構えから地を蹴り――飛んでいた。
身軽な彼女は宙へ跳ねあがり魔骨魚と距離を詰める。
そのまま右手に握られた
斬られた魔骨魚は断面が滑らかな三つの骨塊になり地に落ちていた。
――<漣>ボクの得意スキル。
でも、この魔法剣は凄い……。
と、サザーは自らの技の切れよりも、シュウヤに貰った魔剣の切れ味に満足していた。
そのまま、次の魔法の詠唱を開始しているフー、そのフーを守るビア、ママニの連携の位置である遊撃ポジションに走りながら戻っていく。
「ふーん、<魔骨魚>を全部倒しちゃうなんて、予想外……さっきの冒険者たちは翻弄されて骨針を無数に喰らっていたのに、実力は雲泥の差ね? 素晴らしいわ……」
浅黒い女は上級魔法を潰すように壊した扇状の銀髪を収縮。
黒い爪剣も縮めて普通の黒いマニキュアが綺麗な爪に戻すと、感心したようにパチパチと柏手を行い……口角を上げた愉悦の顔を浮かべ、唇を動かす。
「……失敗したかなァ、一日一回の
可憐と評するような造作の下唇に綺麗な黒爪を当てながら悩ましく肌が見えている腰をふりふりと揺らしながら語る。
「貴女たちを吸えればもっと貴重なモノが得られたかもしれないのにぃぃ……わたしの馬鹿、馬鹿ァァ。あ、でもでも、普通に戦うのも楽しいかもしれない!」
双眸に魔力を纏わせると、ママニたちの様子を観察し、目と同じ色合いの独特な水色の魔力を全身に纏わせていく。
ただならぬ相手に
ご主人様……すみません。
心の中でママニは地下二十階層にて
「……頂いた鎧が壊れるので、使いたくはなかったがッ――!」
異質なガリッとした硬質音が響く。
それはママニが虎らしい口歯を激しく上下に噛み合わせた音だ。
と、同時に、震えるような声から、
「グゥォ……グォォォォォォォ――」
ママニが吠える。
その刹那、彼女は身体を膨らませ巨大獅子の姿になっていた。
虎の化身、仁王立ちした虎神のような特異な黄色魔力を全身から放っている。
そう、彼女は切り札を使用した。特異体としての力。
そして、予め彼女が謝り呟いたように身に着けていた魔法の防具でもある黄金の鎖帷子は膨張に耐えきれず引き千切られ地面に散っていた。
だが、顔のサイズは変わらない。面頬はそのままだ。
虎邪神シテアトップの姿を思い起こす黄色毛並みの太い首には“意識ある黄色の髭”たちが無数に伸びている。
首輪の防具はない。留め金が折れるように曲がった状態で荒野の地に落ちていた。
小回りの利くサザーがまだ直せば使えるベルトと落ちたポーション袋を素早く回収している。
「……チッ、
さっきまでピュリンと呼ばれていた浅黒い化物女はママニの虎毛に反応したのか、銀髪が逆立ち、筆で書いたような細目を目一杯大きくさせる。
そして、変身を遂げたママニの巨獅子姿を見据えながら、黒爪を再度伸ばし黒剣に変貌させると、初めて戦闘態勢を取り構えた。
巨大獅子となったママニの左手にある
黄色毛に覆われているが筋肉が隆起していると分かる巨腕を振るい、円盤武器アシュラムを浅黒い化物女へ投げつけた。
わたしがここで注意を引く!
「ぬおおおおおおおぉ」
巨大獅子ママニが咆哮をあげながら凄まじい膂力で吶喊。
荒野に巨足の跡が生まれ出ていた。
シュウヤが魔闘術を足に纏う速度と同じか、やや速いぐらいである。
浅黒い化物女は自身に迫る
そこに、流星のごとく距離を詰めた巨大獅子ママニの風を纏う右拳が、黒爪剣を動かしていた浅黒い化物女の顔から胴体にかけて直撃していた。
「ぐぇっ――」
浅黒い怪物女は右半身が拳跡に凹みながら吹き飛んでいた。
さすがに、化物女とて……なんだと!?
ママニは驚愕した。
吹き飛んでいた血塗れな浅黒い怪物女は、宙空の歪な体勢ながら、瞬時に蜘蛛の巣のように変化させた黒爪たちを地面に向けて射出し空中を漂うように動きを止めていたからだ。
「……痛いわぁ」
間の抜けた声を発生させながら、血塗れた垂れた銀髪を後ろ持っていくように顔を上向かせ、細目だが青から血色に染まったぎょろりとした双眸で頭上から巨獅子ママニを見下ろす浅黒い怪物女。
独特な心理的圧迫を戦闘奴隷たちに与えていた。
その顔の半分は拳上部の跡により窪んでいたが、その痕がぐにょりと蠢くと、元の整った顔を取り戻す。
「――死になさい」
浅黒い怪物女の濃密な殺意を込めた言葉と共に、地面に刺さっている黒爪たちが巨獅子ママニに襲い掛かった。
巨獅子ママニは素早く後退しながら
「――ぐっ」
引き戻していた
巨獅子ママニは両腕で身体をブロックするように構えたが、空間を裂くような斬撃により、腕の半分がざっくりと斬られていた。
音を立てる血飛沫が迸る。
「ママニ!」
サザーが直ぐ様、瓶を投げつけポーションをママニにぶちまける。
傷はふさがったが、大量に出血をした巨獅子ママニは苛立ちに顔を歪めながら肩で大きく息を繰り返した。
憎々しげに化物女を睨むママニ。
浅黒い化物女もその視線を受けて喜ぶように、巨獅子ママニを凝視、強敵の存在である彼女だけに集中していた。
よし、完全にわたしだけを見ている。
後はビア、任せたぞ。
わたしの最終切り札“黄色い髭たち”の出番はない。
と、ママニは蠢く顎髭たちを片手で触りながら考えていた。
身体に負担の大きい特異体を終了させ、元の姿、普通の虎獣人へ戻し、
そう、彼女の憎々しい視線、態度を含め行動そのモノが“作戦”なのだ。
「変身は終わり? なら、もっと斬り……ァ レ?」
浅黒い化物女は黒爪が動かない。
視界も横転し、なんだァ? と浅黒い化物女は完全に混乱した。
我の<麻痺蛇眼>が決まった。
――撤収だ。
「アースウォールド!」
そこに甲高いフーの声が響き、土魔法が発動された。
突然に、ドンッと、音を立てながら太い土壁が、麻痺により倒れた浅黒い怪物とママニのたちの間に出現していた。
同時に、戦闘奴隷たちは踵を返す――背後の荒野を駆け出す。
体力の自信のないフーが先頭を走り、体力には少々自信のあるサザーが真ん中、体力に自信のあるママニとビアが最後尾という形で、荒野を走り続けていた。
これも前もって危機から撤収する動きである。
ママニ、ビア、サザーによる“殿”の代表的戦術、繰り引き。
だが、彼女たちはその戦術を使用することなく必死の形相で走り続けていた。
前に主人であるシュウヤが彼女たち戦闘奴隷たちの実力を、感心していたように彼女たちは体力も並みではない。
他の冒険者たちが狩りとキャンプを行う安全地帯まで戻ってこれた。
彼女たちは足を止める。
「……あの化物は?」
「……我の後ろにはいない。どうやら追撃は諦めたようだ」
ビアは逃げてきた方向を見て、蛇舌を伸ばしながら語る。
「はぁはぁはぁ……」
エルフのフーは膝を地面につけ、肩で息をして喋れない。
「……はぁはぁ、ここなら、他の冒険者も居るし攻撃はしてこないと思う」
キャプテンママニが頷く。
彼女は胸にある双丘が揺れているが、黄色毛の包まれているのであまり目立たない。
そして、虎の目を厳しくさせながら、
「……あの女化物は隠蔽タイプのようだからな、派手に追い掛けてはこれないだろう。だが、姿を自由に変えられる能力を持つようだから、何気ない冒険者でも、今後は油断ができない……」
「ふむ。我の<投擲>した鉄槍をあっさりと黒爪で切裂いていた。魔力も桁違いだ。一瞬、主人なみに放出していたぞ」
「ご主人様に要報告ね。まだ不安だから、急ぎ水晶体から帰りましょう」
「あぁ……面の皮が厚い化物だからな」
「……あらゆる面でね」
奴隷たちは冗談を言い合うと頷き合う。
「余裕よのソナタら。さっきの面妖な怪物は、我らの大切な主人と同等クラスの強さかもしれぬのだぞ?」
ビアは麻痺の魔眼を発動しそうなぐらいに目を大きくさせ蛇舌をしゅるると伸ばす。
「そうかな? ご主人様のような機動力はなかったよ」
速度に自信のあるサザーが呟く。
奴隷たちは背後を確認しながらも、話し合いを続けていく。
“化物対策のために、もっと訓練を重ねよう”と。
“主人であるシュウヤと直接、模擬戦をお願いしよう”とする意見で纏まっていた。
さすがは、元八階層を経験している高級戦闘奴隷たちである。
◇◇◇◇
魔眼効果が切れた浅黒い女化物が、体勢を直して、徐に起き上がる。
「アハハハハ」
突然、女化物が、呵呵大笑。
お見事、やられちゃったなぁ。逃げられた。
でも、彼女たちの顔と特徴は覚えた。あの変異体は特に……。
ニヤリと口角をあげて嗤う浅黒い肌をもつ化物女。
だが、見た目は中々の美形。長い銀髪を梳くように指で髪を伸ばしながら美形の化物は思考していく。
けど、どうしよかなぁ。
明日になれば、また変身できるし。
姿、形を変えちゃえば、誰にもわたしの事は分からないので、彼女たちを無視してもいい。
でも、彼女たちの肉、骨、魂、記憶は“色々”と美味しそう~。
陰から彼女たちを追ってみようかな? うふふ、また潜り込んで、一気に収穫祭をしたら楽しそう~。
あの優秀な能力たちも欲しいなぁ~吸収が成功したら、ピュリンとアッシュたちの能力たちのように、わたしの糧になってくれそうだし。
少し狩場を地上に移して調べてみるかなぁ。
でもなぁ、ここのが質といい狩りといい、仕事が楽なのよねぇ……悩むぅ~。
浅黒い化物女はそんな思考を重ねながら、中空にまた小さい魔法陣を描くと、<魔骨魚>を生み出していた。
「お前たち~さっきぶり~」
浅黒い肌を持つ化物女は、自らが生み出したモノへ軽快に挨拶し、魔骨魚の骨格の表面を掌で撫でていた。
健康的な肌が露出しているお尻をヒョイっと魔骨魚の上にお尻を横向きに乗せると、魔骨魚は宙をゆらりと揺れながら荒野を進み出す。
今は、気を取り直し普通の仕事も頑張ろうかなぁ。
浅黒い化物女は魔骨魚に乗った状態で、煙のようなモノが立ち昇る荒野を進む。
その途中、無意識に銀色の髪を動かし、頭上に“?”らしきマークを作ったり“!”らしきマークを作りながら、次の収穫祭は誰にしようとか、あの虎獣人は美味しそうとか、怪物らしい思考を重ねていく。
荒野を進む浅黒い化物女だが、ここは迷宮五階層である。
問答無用に
モンスターを倒したところで浅黒い化物女が、乗っていた魔骨魚を止める。
そのまま頭上を見上げた。
空は変わらず暗雲の不気味な光だ。
その空を縫ったように一瞬強く降り注いだ光によって姿を現したのは、人型の男。
だが、体毛がなく皮膚が破れ皮膚の色が変色し内臓を覗かせる人型であった。
その死体の顔を動き、呼吸をするように息を吐くと口から蠅の群れを飛ばし、呼吸を吸う……と、荒野の地から生気を吸うように魔力を吸い、風を起こしていた。
「……リリザ。仕事は順調か?」
浅黒い化物女をリリザと呼んだマアムド。
彼の身体からは生気が感じられないのにも拘わらず、眼球の無い一対の眼窩の奥には豆粒のような煉瓦色の炎が揺れていた。
骨の歯茎が剥き出しになった形の崩れた口からは、地獄を連想させる蠅たちが蠢き……彼が息が漏らす度に蠅たちが口周りに漂う。
「……死体遊びのマアムド。ほら、順調よ」
リリザは身体の一部を変形させて、仕舞っていた魔法のアイテムに大量の魔石をマアムドに見せて笑顔を浮かべていた。
マアムドは顔を傾け、彼女の身体を覗く。
「――そのようだ」
「今日はそれだけ? 何か報告があるのかしら、死体遊び君」
マアムドは身体の姿から予想は付くが、死体、悪霊の憑依も得意とする死者を操れる死霊魔法ネクロマンシーを得意とする。リリザには死体遊び君と呼ばれていた。
「我らに招集が掛かった」
「へぇー使徒たちも集まるんだ。んで、迷宮の何階?」
「十五層だ」
「えぇぇぇ、あそこかぁ……」
リリザは十五層と聞いて嫌そうな顔を浮かべる。
「何だ? ニューワールドは嫌いか?」
「ううん、こっちの話だから気にしないで」
「あの世界もまた広いからな、気持ちも分からんでもないが……」
リリザは高級戦闘奴隷たちの顔を思い浮かべ、彼女たちを喰うのは暫くお預けかなぁ。と考えていた。
◇◆◇◆
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