八十三話 鬼神な強さを誇る優しき虎
血の跡を追い斜向かいの路地裏へ進む。
だが、路上に付着した血痕が、途切れ途切れとなった。
掌握察を――使う。
んだが……あちこちに魔素の反応がある。
正直分からない。
路地には、路上生活者やトタン屋根に暮らす人もいるからな……。
魔素の反応が多すぎる。
……しょうがない。
こうなったら、ヴァンパイアハンターに感づかれてもいいからアレを使うか。
<
これを使うと思わず鼻を動かしてしまう。
くんくんっと、女の汗の臭いはすぐに分かる。
――複数感知、おっ、あった。
濃厚な血の臭い。
女の反応。しかも新鮮で若い。
臭いの元は右の路地の先だ。
血の縁取った線が空間に記されてはないが、そんなイメージをしながら匂いの元に急いだ。
あそこか。廃屋の中。
元は何かの店舗だったようだ。
内部の梁はまだ残っている。
「ロロ、慎重に行く。ここからは無言で」
「ン、にゃ」
一階の奥へ向かう。
血の臭いがより強くなる。
処女の血であろうミアさんか。
恐怖を感じているらしい。
魔素の反応もあった。ミアさんは生きている。
男のくせぇ汗が五人、女が一人。
そこに声が響く。
「あははっはは」
「痛いっ――」
「びびってるなァ? 元、団長ォォ」
「おぃ、ダンヒル、あまり傷を増やすな。団長、いや、その女は商品なんだからな。気を付けろ」
「アコースさん、この女を手土産にする前に、頂いちゃだめっすか?」
「ボケ――」
――物が壊れる音が聞こえた。
この壁向こうだ。<
向こう側から回れと
俺は壁伝いに移動する。
声を響かせているのは薄暗い渡り廊下だ。
音に気をつけつつ歩くと、はっきりと声が響いてきた。
「いたたた、アコースさん蹴らないでもいいじゃないですか。痛いっすよ」
「うるせぇ。何、手出そうとしてんだよ。何のために拉致ったと思ってんだ。下種が。この女は高く売れるんだよ。【梟の牙】の幹部であるジェーンと約束したんだ。無事な状態で引き渡すとな」
「例の鞭使い女幹部とですか」
「そうだ。その証拠に、この梟のブローチに暗号の〝腹を空かせば梟が飛ぶ〟の言葉を教えてもらった」
「腹を空かせば……」
「たっく、お前のせいで、この話が無駄になったらどうするんだ? 【梟の牙】に入れなくなっちまうぞ?」
「そ、そうですね。すいません」
「ふん――貴方を含めて全員が屑ですね」
ミアさんの声だ。
「馬鹿女が。その屑に【ガイアの天秤】は潰されたんだぞ? ま、最初は邪魔されたが、今回の奇襲に合わせて、大成功ってな」
「……最初?」
「そうだよ。あの時は激強の魔槍使いに邪魔されたがな……」
「そういうことだったのですね……やはり、屑です」
「ケッ、ほざいてろよ。粋がりやがって、裏切りに気付かねぇ素人女がよ。こんな、しょんべんくせぇガキ女が、団長だったとはお笑いもんだなァ」
「……」
「なんだァ? その目は、お高くぶって入られるのも今の内だぞ」
「そうでしょうか? 【梟の牙】が裏切り者の貴方たちを喜んで迎えるとでも? 裏切り者の下種――うぐぇっ」
鈍い音が響く。
聞いておいてなんだが、殴られたか?
糞ッ、ミアさんが……。
「お"いィ、うるせェッ、と言ったんだ。素っ裸にして街中で晒すぞ?」
「ぐ、ゲホッケホッ……」
「えぇ、アコースさんだって、殴っているじゃないですか」
部下らしき声がはっきりと分かる。
「あぁ、いいんだよ。腹は見えねぇ、だろ?」
「だってさっきは顔を殴ってましたよ?」
「俺は特別なんだよ」
「それじゃ、俺も特別をくださいよ、この女を犯したい」
「ぷっ、お前はさかりのついた犬かよ。 とにかく、今は駄目だからな?」
「今はですね、ハイ」
コイツら……。
俺は音の方へ近付いていく。
壁からクリアリングするように索敵を開始した。
狭い部屋だ。手前に見張りとみられる二人の男。
その奥にミアさんが太い梁にロープで縛られている。
その周りに拷問していた三人の男だ。
見張り二人を瞬時に殺り、奥の三人を同時に殺るか。
相棒のタイミング次第だが。
敵の有視界も確認。
――殺れる。
ミアさんはあられもない姿だ。
顔には殴られた跡が……鼻血が流れていた。
胸の服が切られ、乳首が見えちゃってるがな。
布スカートは切れ切れだ。
あの綺麗な顔を……怒りが、噴出――我慢ならねぇ。
俺は突入していた。
魔槍杖を――横一閃。見張りの首を飛ばす。
刎ねた首が地面に落ちる前に胸ベルトから短剣を引き抜き、横合いからもう一人の見張りに近付く。
胸を一突きして、標的の口を押さえながら、短剣を首に突き刺し地面に優しく倒した。
手が返り血で濡れるが、僅かな音も漏らさない。
見張りの二人を、
ここで<
<導想魔手>を発動。
魔力の拳でミアさんの側にいた男を殴り飛ばす。
同時に<鎖>を射出。
赤茶髪の野郎の胸を鎖で貫く。
残りの男は
念のため<導想魔手>で殴り飛ばした男を確認。
その男は木材の破片により頭と首を貫かれて死んでいた。
急ぎ、ミアさんのところへ戻る。
「――ミアさんっ、大丈夫か?」
「あぁぁぁ、しゅ、しゅうやさん――」
ミアさんは安心したのか堰を切ったように泣き出す。
彼女の体を縛るロープを切ってから震えている体を優しく抱いてやった。
切れ切れの服だから、俺の大きめの皮服を被せた。
「今、ポーションを出すから飲んで」
「……はい」
アイテムボックスから回復薬を取り出す。
ミアさんは手が震えて飲めそうもないから、飲ませてあげた。
口元が悩ましいとは言えない。
薬の効果か、彼女の口や鼻から流れていた血は止まり傷が癒えていく。
「ありがとう。楽になりました」
「よかった。それにしても、アコースの裏切りか」
俺の言葉にミアさんは胸を貫かれ死んでいるアコースを睨み、冷たく反応した。
「――えぇ、そうです」
部下たちのことを言わないとな……。
「だが、ミアさんだけでも助かってよかった。……皆、殺られてしまったし」
「え? そ、そんな、まさか……」
ミアさんは俺の言葉を聞くと、目を見開く。
瞳孔の散大と収縮を繰り返す。
俺は黙って、頷いていた。
彼女は体を震わせながら両足の太股をペタッと地面に付けた。
その場で大粒の涙を零し……打ちひしがれた様子で沈む。
「う、うそよ、うそ、うそうそ、なんで……」
ミアさんにかける言葉が見つからない。
辛いが話しておかないと。
「デュマの最期は俺が看取った。ビクターも敵の幹部に……味方の若い衆も全員殺られただろう。だが、戦った相手の【梟の牙】も壊滅だ。二人の幹部も俺が殺った。もうこの都市に【ガイアの天秤】の敵となる者はいないよ」
慰めになるか分からんが……。
だが、俺の言葉を聞くと、更なる大泣きへ発展してしまった。
ミアさんは体を震わせ体を折り曲げて泣きじゃくる。地面を叩いて……。
苦悩、鬱屈、暗澹とした敗走の心なのだろう。
暫く、黙って傍で見ているしか、俺にはできなかった。
時間が経つと、弱いあえぎ声に静まる。
彼女は顔を附せていたが、
だが、
彼女は立ち上がりながら、ぽつりぽつりと怒りを込めて話し出す。
「……シュウヤさんっ、わたしを助けてくれたことには感謝しています。ですが、何故、争いに介入したのですか?」
「それは――」
ミアさんは俺に喋らせない。
「――あなたなら争いを無視して逃げられたと思います。わざわざ自分の命を危険に晒してまで、黒社会の争いに飛び込む必要はないはずです。……わたしを助けるために冒険者の、あなたが……あなたがっ、闇の争いに加わっては駄目なんですっ!」
「にゃ?」
しかし、そんなこと言ってもな……。
「しかし……」
ミアさんは眉を動かして、今まで見せたことない表情だ。
目くじらを立て俺を見る。
俺に喋って欲しくないらしい。
「――あなたにとって、冒険者では得られない、刺激か、何かを求めたのかも知れません。でも、あなたは、わたしたち闇側の人ではないんです」
当然だな。闇ギルドではないし。
人族でもない。
そう。俺はむしろ闇ギルドよりも濃密な闇の側面を持つ怪物。
新種族だ。とは、言えない。
「……そうだな」
俺は冷静に答えていた。
「あ、あなたは、冒険者なんですよ! 普通の冒険者なんです! ずるいんですっ、ダメなんですっ、黒社会の悪に関わってしまってはダメなんですっ!」
「ンンンン、にゃお」
でも、冒険者でずるい? なんか、ただのやっかみ状態だな。
助けてやってこれか。
まぁ、今はしょうがない。
怒りを吐き出しているんだろう。
これは彼女のためだ。
心が壊れないために少しは、聞いてあげるか。
「……確かに、そうなのかもな」
「わたしには守るべき者たち、わたしが背負うべき者たちがいたのに……結局、助けられなかった……」
ミアさんは手や体が震えている。
目には涙を溜めて、俺を睨む。
「……最初にシュウヤさんは、わたしを助けたい。と、言いましたよね」
「言ったな」
「わたしを助けるのなら、皆を助けてください……ビクターを、デュマを、皆をっ!!」
すまん……死んだ奴は無理だ。
この世界には蘇生魔法があるかも知れないけど、俺は知らない。
ゾルが生きてたら、シータのような存在で生き返らせたかもしれないが。
「……」
俺が無理だと言おうとしても、続けてミアさんが口を開く。
「でも、できるわけないですよね? 皆、皆、死んじゃいましたから」
「確かに、だが――」
ミアさんは俺の言葉に〝また〟被せて重ねる。
「――あなたは、わたしを助けて、自分が気持ちよくなりたいだけなんです」
イラッとしてくる。だけど、その通りだ。
女の虐げられてるところが見たくないということは、結局は自己満足に過ぎないからな。
「……そうかも知れない」
「そうです。わたしを見殺しにしてしまえば、あなたは冒険者としての気持ち、ううん、自分の矜持まで失ってしまうから、だから、あなたは〝何も背負おうとしない〟」
はは、今度はすげぇ毒舌、ストレートパンチだ。
言葉の<刺突>、皮肉を越えてはっきりというね。
しかし、ぐうの音も出ない。当たりだよ。背負おうとしないか……。
彼女は何気なく言ったのだろうが、無責任な俺にとって、ピンポイントなクリティカルだ。
「……確かに」
ミアさんは大粒の涙を流しながら、改めて俺の顔を不思議そうな表情を浮かべて見ていた。
「……シュウヤさん。ど、どうして、わたしを責めないのですか?」
今度は打って変わって弱々しい声で聞いてきた。
「にゃ」
正直、俺の心にはグサッと言葉の<刺突>が突き刺さったが、良い意味でも悪い意味でも、俺の無責任さを改めて考えさせられた。
……言葉の薬として受け入れる。
だから、今は聞いといてやるさ。
我慢できなくなったら、ハッキリというけど。
「……そりゃ、ミアさんのためさ」
「そんなこと、しないでもいいんですよ。こんな、わたしのために……わたしなんて、最低な団長、最低な女ですから。皆を死地に追いやったのは、わたしなんです。死なないでとは言いません。とか、最後に都合のいいことを話して……結局、父、母、トトカ姉さんの仇を名目に、皆を殺すように誘導したのは、わたし自身なんですからっ」
悲痛な思いが木霊した。
「しかし、あの時と場所で、闇ギルドのトップとしての言葉だ。そりゃ仕方ないだろう。俺も同じ立場なら近い言葉を話していただろうし」
「……では、救われた者は死んでいった者に、どうやって報いたらいいのですか? あなたはこんな思いからも、本当に助けてくれるのですか?」
ミアさんはここで嗚咽を漏らす。
〝わめき声と怒りには意味はない〟
マクベスの一節が頭に過ぎる。
いや、ここでマクベスを思い出すと縁起が悪いか、夢遊病のようになった婦人が「消えろ、この忌まわしい
婦人は精神を病んでしまうからな……。
ふぅ……少し、文句ばかり言われたんで、思考が脱線してしまった。
我慢できなくなってきたから、泣いている彼女にはもう〝さん〟はつけない。
「……すべてを助けることはできないな」
「それはどういう……」
「どうもこうもない。月並みな言葉だけど、ミアが少しは楽に思えることを言えるぐらいだ」
「わたしが楽に?」
彼女は涙声で強がるように訊いてくる。
「あぁ、ミアの部下たちは一部を除いてだが、【ガイアの天秤】が不利なのを承知で、お前を〝助け〟〝守ろう〟と死んでいったはずだ。幹部のビクターは最後にお前を止めていただろう? ひょっとしたら、ミアには逃げて欲しかったんじゃないか?」
「そうでしょうか……」
違うかもしれない。
けど、そんなことは言わない。
余計なお世話だが、負の連鎖から解放してやりたい。
偽善者になろうとも。
「それはお前の気持ち次第だ。そんな仲間たちに報いるには、お前がこれからの未来を少しでも幸せに生きることなんじゃないか?」
「……わたしが幸せ? それでは、普通に生きろと?」
彼女は少し眉を細めて、困惑気味に語る。
「そうだ。綺麗事なのは分かってる。けど、お前が普通に生きていけば、死んでいった者の餞にはなるだろう……」
ミアは俺の言葉を聞いても、その険しい顔色は変わらない。
だが、俺は構わずに、話を続けた。
「復讐して気が紛れるのなら……手伝ってやってもいい。だが、死んでいった者は喜ばないかもな」
かぶりを振る彼女。
「――今更、普通に生きるなんて無理です。【ガイアの天秤】に命を張った人たちの思いを考えたら……のうのうと過ごすなんて、心が保てません」
ミアは自らの話の途中で、俺をハッキリと見つめてくる。
その涙で溢れた瞳の奥底には憎しみの澱んだ色が浮かんでいるようだった。
まぁ、当然だ。
「だがなぁ……〝人を憎むのは自ら毒を飲むということ〟というぞ?」
「……今さら、どこかの司祭の受け売りな説教ですか? いいんです。あなたには分からないんです。わたしたちの気持ちなんて」
う、まずったか。
確かに俺では人の気持ちを推し量り解ろうとする気持ちは無理なのかもしれない。
いや、それこそ
だけどな。そんな俺にだって言えることはある。
「……言いたいことはそれだけか? 確かに、俺は部下を持ったことがない。今は、ただの冒険者の一人だ。冒険者の日常を中途半端に、はみ出して、闇ギルドに足を踏み入れている。俺の場合は踏み潰しているともいえるが……」
そのタイミングで、間をおいて、目に力を込めながら心情を吐露していく。
「そうやって、俺は無闇に力を振り回しては、人を中途半端に助け、正義感に浸っている。お前が言ってた通り、俺は自分の行動が気持ちいい。美人な女を助けてモテたいとか不埒なことを考えているし、完全な自己満足だ。偽善者だろう」
自虐過ぎるが、ミアなら、ちゃんと聞いて判断してくれるはずだ。
「で、ですが……」
ミアに話させるつもりはない。今度は俺のターンだ。
「――俺は“のらりくらり”と冒険者生活をしながら、殺しに混ざっている。完全なる外野側だ。だから、ミアにとっては中途半端に見えるのだろう? 確かに、その中途半端な偽善者が“俺”なんだよ。だけどな、その中途半端な自己満足野郎が、お前を救ったんだ。そして、これからも救うことになる。どんな“闇ギルド”だろうが、俺の前に立ち塞がるのなら、踏み潰してやる。……さすがに国が相手なら交渉すると思うけど。でも、好きな女や仲間のためになるのなら、相手が一般人だろうと虐殺を行うことも躊躇しないで暴れるつもりだ」
「……そっ、そんな。これは死んでいった仲間たちの、【ガイアの天秤】である、わたしたちの戦いなんです」
ミアの気持ちは分かる。
俺だって、部下、仲間、家族が殺られたら絶対に復讐を果たす。
けどな……力の無い復讐なんて……。
はっきりと厳しくいうか。
「お前の戦い? 自惚れるなよ。だいたい、お前一人で何ができる? 前の戦いで【梟の牙】の支部を潰したといっても、あれは“俺”がやったことだ」
ミアはショックを受けたのか、目を見開き、あわあわと口を動かす。
「……」
「それに、何度もいうが、この一件に関わる前から【梟の牙】にはちょっかいを出されているんだ。だから“俺の戦い”でもあるんだよ。後、デュマが逝く前に、お前を頼むと、言われたしな」
彼女は唖然となった状態で、口を震わせながら話す。
「わ、わたしは“団長”として責任を果たしたいんです。【梟の牙】を倒したいです……」
言ってる言葉は立派だが、もう覇気がない。
「だろうな? だから、手伝う――いや、無理だな。【梟の牙】がこのまま黙っているとは思えない。俺を探して襲ってくるだろうし、その都度、返り討ちにしてやる。しつこかったら、潰しにいく」
「駄目です。だって、だって、闇ギルドはわたしなんです。シュウヤさんは冒険者です」
それ、拘るねぇ。
「まだ拘ってんのか? 真面目ちゃんも大概にしとけよ。お前の矜持といったプライドがあるんだろうが、俺にもお前のような女を守りたいっていう、“小さなジャスティス”があるんだよ!!」
あちゃぁ、熱くなって、
けど、大声の効果か……ミアは泣き止む。その目には活力が戻っていた。
「……ふふ、はは、あははは」
彼女はそこで小さく笑ったかと思うと、破顔して上体を揺らし笑い出す。
「どうした?」
「いえ、すみません。何となく、わかりました。初めて会った時から“優しい”のは変わらないんですね。シュウヤさんという
「優しいかどうかは――」
俺の言葉の途中で、ミアが抱き付いてきた。
「えっと、何だ急に……」
彼女は目尻が下がり優しい表情に戻っている。
「ありがとう……だいぶ、楽になりました。わたしの無理やりな罵詈雑言の黒い怒りを“全て”受け止めてくれて……そして、叱ってくれて、嬉しかった。わたしの胸の中に暖かい灯火が生まれました。もう【ガイアの天秤】はないですが、元、団長として……恥じない生き方をしていきたいです」
そんなことは構わないんだが……。
おっぱいが当たっていますぜ、ミア君。
この場合、ぎゅっと抱きしめ返していいんだろうか?
「……あ、いや、まぁな」
「本当に
そういって、ミアは俺の胸に顔を預けて、強く強く抱き締めてきた。
鎧や外套上からでも分かる。
その――オッパイの潰れる感触を得た瞬間。
緊張と緩和とエロティズムからか、脳内裁判が急遽発令。
俺の脳内で、複数のミニチュア姿となった俺が、天使軍団と悪魔軍団に分かれて対決を起こす。
天使集団は……。
“このまま体を離して優しく諭してあげなさい”
“紳士たる“漢”の境地を見せるのです”
と、冷静な口調で語る。
悪魔軍団は……。
“このままミアの体を抱き締めて、押し倒せYO”
“あわよくば頂いちゃえYO”
“GOだよ郷ひろ○だYO”
と、口々に叫んでいる。
完全に勢力が二分化していた。
――えぇい、むぎゅっとしちゃえ。
判決はギルティ。あっさりと悪に軍配が下る。
「あっ――」
ミアを抱き締めてしまった。
「柔らかいな」
「はい……」
このままだと本当に脳内裁判通りになってしまう。
ここは冷静に……違う話をしよう。
「……ただ、俺は優しくはない。ミアを死なせたくなかっただけだ。本来は血を好む、化け物だ」
そう、本当に俺は人間じゃない。ここじゃ人族か。
「いいえっ、わたしにとっては、本当にシュウヤさんは“優しい虎”ですよ」
「今、言ってた鬼神のなんとか虎は、何かの話?」
「そうです。わたしが大好きだった物語の本なんです。“鬼神な強さを誇る優しき虎”。わたしの部屋に来た時に見てませんか? 部屋の本棚にもあったはずです。雄虎が雌虎を守るために熊や怪物を撃退。雌虎と結ばれ結婚して家族を作る。という素晴らしい話なんですよ」
家族……なんかのフラグですか?
とは言えないので、
「へぇ……読書家であり、勤勉家だったんだな?」
「はい。父や母が亡くなるまで、【迷宮都市ペルネーテ】で暮らしていたんです。冒険者と成るために魔法学院へ通ってましたから。成績は自分でいうのも何なのですが、中々優秀で迷宮にも何度も潜っていたんですよ?」
「そうだったのか……」
あ、だからか……だから、あれほどまでにミアは“冒険者”としての意見に固執してたのか。
冒険者の俺を自分に照らし合わせて、俺が冒険者なのに、簡単に闇ギルドと関わるのが許せなかったとか?
彼女は冒険者としての生活を夢見ていた。
本当は闇ギルドなんて継ぎたくなかった?
「……そんな悲痛そうな顔をしないでください。でも、そうですよね。シュウヤさんが考えてることは分かります。そうなんです。わたしは冒険者に成りたかった。でも……父、母、幼い時に面倒をみてくれたトトカ姉が殺されてしまい全てが変わってしまった。“両親が殺された”と報せが届き、急いで【ガイアの天秤】の人員たちに守られる形で【ホルカーバム】へ戻りました。そして、わたしは当時、家族が殺されたことで……気持ちが沈んで全てを恨んでいたんです。そんな、わたしを助けて支えてくれたのが【ガイアの天秤】の幹部たち、ビクターやデュマだった……」
ミアの瞳から水滴が流れ落ちていく。
どうして、素人の彼女が闇ギルドの団長になったのか。
今ならよく分かる。家族が残した店、部下たちが残り、父が残した闇ギルド。
自分を励まし支えてくれた部下たちの命を見捨てることはできなかったんだな。
だから素人と揶揄されても、継いだのか。
責任感があり真面目すぎる子だ。
「でも、その【ガイアの天秤】のみんなを……わたしは、まもれなかった……み、みんなを……ま、守りたかったんです――」
ミアはまた泣いてしまった。強く、強く、抱き締めてくる。
俺は何も言わずに抱き締めて、黒き髪を撫でてやった。
幾らでも胸は貸してやるさ……。
エロい気分は完全に吹っ飛ぶ。
暫く、ミアは声を大にして泣いていた。
「さぁ、もう泣くのはここまでだ――とりあえず、その革服を着なよ」
ミアの悲しみに泣き濡れた顔を見る。親指で涙を拭き取ってあげた。
「ぁ、――はい」
着替える間は当然のこと、反対側を向く。
「もういいか?」
「はい。着替え終わりました」
「これからどうする?」
「……店に戻りたいです」
「了解。いこうか」
ミアを連れて【ガイアの天秤】の店へ戻る。
店の火災は石や土が多かったせいか、消えていた。
だが、店の土台は焼け焦げ崩れている。
ミナは僅かに焼け残っていた自室の跡から金庫を回収。
部屋にあれほどあった本は全て燃えて無くなっている。
表紙の一部と見られるのを発見。
“鬼神な強さ――”
切れ端は途中で黒くなっている。
これだけが焼け残っているだけだった。
「この本だったんですが……燃えちゃいました」
「あぁ……」
「……本当に皆、死んでしまったんですね……」
「大丈夫か?」
「はい、さっき全ての気持ちを爆発させたので、思ったほどショックではないです」
そうは言っても、表情には翳りを見せるミア。
目の奥に宿る負の感情を圧し殺してるのが分かる。
彼女は淡々と使えそうな荷物を探して回収を行っていく。
幸いなことに金庫の他にも頑丈そうな宝箱が見つかる。
その宝箱の中には茶色のローブ、革鎧、火の魔宝石が付いた杖に髪留めやポーション類が豊富に入っていた。
ミアは律儀にもポーションを俺に返そうと渡してきたが、それはいらないと断る。
「回収は終わったか?」
「はい、土地の権利書も無事です。ただ、建て直すお金もありませんので、放置ですね」
「閉店か」
「はい。元々、石細工職人さんたちは引き抜かれて居ませんでしたし、商品も残ってないですから……なので店は閉店です。【ガイアの天秤】は終了です」
そうだったのか。そういや、店員らしき人が居なかった。
「店仕舞いか、残念だ」
「はい。では、この装備着ちゃいますね」
「おっ、革鎧ね――了解」
また後ろを向く。
「――終わりました」
振り返ると、黒髪美女の魔法使いが存在した。
長髪を一つに纏めてローブの肩の上に流している。
ふむ。髪型一つ取っても、綺麗だ。
「シュウヤさん? 何、頷いてるんです?」
「あ、いや、何でもないよ」
「ふふ、おかしなシュウヤさんです。 これをお返しします」
着ていた革服は綺麗に畳まれてある。それを返された。
「それと――シュウヤさん。本当にお世話に、助けてもらいありがとうございました」
「いや、まぁ、そうだが。気にするな」
と、言っても無理があるか……。
「わたしが、独りでしっかりと稼げるようになった時、その時に、この、ご恩をお返しします」
「あぁ、だが、俺をそう簡単に探せるかな?」
「その時はわたしの“小さなジャスティス”に賭けて“シュウヤさん”を必ず探し出しますので、覚悟しておいてください。それでは――」
ミアは皮肉じみた言葉を言って律儀に笑顔で語ると、お辞儀をしてから背後へ振り返り、すたすたと歩いていく。
はぁ、全く。
振り返った彼女の背中を追い掛け腕を掴む。
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