七十八話 奇人伯爵

 マリン・ペラダス司祭の表情はニコニコと笑顔が多い。

 馬車に揺られて領主の館へと向かった。


 その司祭が、


 領主の館が建つのは、ホルカーバムの北で高い場所。

 新興の資産家たちが多く住む洒落た地区ハイタウンの一角。


 大きな建物ではないが、庭があり洗練されているのです。


 と、にこやかに語っていた。

 司祭が説明を終えたところで馬車はタイミング良く止まる。


「ついたようです。降りましょう」

「うん」 


 司祭と俺は高低差がある馬車を降りた。

 降りてすぐに大きい門が見えた。門の両端には今にも動き出してきそうな真鍮製の牡羊像が目立つ。

 その手前には衛兵の詰め所も見えた。

 俺たちが馬車から降りたのを確認したのか、その詰め所から大柄な衛兵たちが近寄ってくる。


「ここは領主の館。どういったご用で?」


 衛兵は手慣れた様子で聞いてくる。


「ペラダスです。領主様と面会の約束があります」


 司祭がいつも陳情に来ているからか、衛兵の態度が柔らかい。


「あ~、あの司祭様ですね。どうぞ、中へお進みください」


 ペラダスの顔パス的な感じで、俺と黒猫ロロが傍にいても門を軽く通され敷地を進む。

 しかし、洒落た一角どころか、結構な広さじゃないか。

 門からは屋敷までは百メートルはあるか?

 玄関まで続いている石道の左右には整備された芝生が広がり花壇もあちこちにあり、疎らに点在する青白い光を発生させている縦長灯篭が独特な雰囲気を作る。

 左の芝生中央には巨大な天然石から作られた祈りを捧げている乙女の彫刻も置かれてあった。


 点在している青白い光の灯篭は形が違うが、魔霧のゾル家の坂下にも設置されていたのは覚えている。


 石道を進むと伯爵が住む屋敷の詳細が見て取れた。

 横広な二階建ての瀟洒な建物だ。

 白石と白樺がメインの建材。

 正面には二本の螺旋柱に支えられたテラス屋根付き玄関があり、柱に挟まれる形で低い階段があった。


 俺と司祭は、低い階段を上りテラス下にある奥の玄関扉へ向かう。


 木目が目立つ焦げ茶色を囲う鶯茶色うぐいすちゃの玄関扉。

 鶯茶うぐいすちゃの色合いで動物や凛々しい女性の意匠が施されている飾りが玄関扉の中央上に掲げられた伯爵家の紋章と見られるエンブレムを囲う作りになっているので、高級感溢れる玄関扉となっている。

 建物全体が卯の花色で白に近いので、この鶯茶うぐいすちゃ色と焦げ茶色の玄関が異常に引き立っていた。


 ドアノッカーからして金細工という豪華さ。

 鶯から焦げ茶色に変化している木目の手触りを確認しながら両扉を押し開けて、中へ入っていく。

 中はホールとまではいかないが広々とした空間。

 床は天然の大理石と見られる石が敷き詰められていた。

 天窓から明かりが反射して、床面はぴかぴかに輝いている。

 歩くと、滑りそうでみょうにそわそわしてしまった。


 玄関の近くの左右には小さい部屋があり、右の部屋には給仕たちが調理机の上で野菜を切っている。

 中央には幅広な階段があり二階へ続いていた。

 中央階段の右辺と左辺には奥へ続く通路もあるようだ。


 そこに、執事と見られる初老男性が現れた。


「司祭様、こちらへどうぞ」


 執事さんは階段には上がらず左辺の通路を進む。

 そこの端に待合室があった。


 俺と司祭は待合室の高級ソファに座り待つことになる。


「では、少しここでお待ちを」 


 案内してくれた執事さんは頭を下げて退出していく。

 少しして、隣に座るマリン司祭が話しかけてきた。


「シュウヤさん、陳情は前もって予約してあるのですぐに目通りが許されるはずですから」

「分かった。待つよ」

「司祭様、こちらでございます」


 司祭が言った通り、執事さんが戻ってきた。

 案内が再開される。幾つかの扉を潜り廊下を通され立派な大扉が視界に映った。

 あの大扉部屋が伯爵が生活しているところか。

 大扉の両端の位置には門番の兵士が待ち構えていた。

 見た目は傭兵。茶色系の鋲付き革鎧を着込み、腕には切れ目が目立つ赤布が巻かれ腰には曲剣をぶら下げている。

 胸には赤羽のワッペンが付けられているので独自のシンボルマークなのだろう。


「ここの部屋に伯爵様がおられます、では」


 執事さんは踵を返し撤収。


 司祭と一緒に扉の前まで進んだ。

 すると、傭兵ライクな門番が、無言で腕を伸ばす。

 俺と司祭の動きを止めてきた。

 これ以上ここには“入るな”と言うように、門番は黙ったまま眉間に皺を寄せると目付きを鋭くさせてから、安全を確かめるためか……ボディチェックを行ってきた。


 黒猫ロロは触られるのを嫌い床に降りて俺の足元に逃げてくる。


 随分と用心深いのだな。と思ったが、そうでもないらしい。

 形式上だけのようだ。

 胸ベルトに短剣が収まっているが、没収はされなかった。


 この傭兵はただ身体を触りたいだけなのか、勘ぐってしまう。

 安全が確認されるとされてないが、大扉が開けられ中へ通された。


 あの人が伯爵で領主か。


 太った白人系な人種。距離があるが丸分かりだ。

 執務机の向こうから、俺たちへ視線を向けていた。

 太った伯爵と思われる人物は高い背もたれ付きの肘掛け椅子に座っている。

 伯爵の隣には紺色のローブに身を包む女性が立っていた。

 反対側には数名の大柄な男たちが派手な赤羽根帽子に傭兵服を着てこちらを威圧するような視線で見つめてくる。


 手前にいた門番兵たちと同じ赤羽根ワッペンが大柄の男たちの胸にあった。

 同じ傭兵部隊の隊長クラスか?

 視線が集まる中、司祭が先に歩いていくので、俺は少し遅れてついていく。

 黒猫ロロは頭巾からちょこんと顔を出していた。


 俺は部屋の中を観察しながら歩いていく。

 内装は派手だ。壁や柱には飾りが施され部屋は広い。

 あちらこちらに金銀細工であしらった調度品が飾られてある。


 ……凄いな。展示用の収納机と思われる棚は硝子ケースだ。

 まるで美術館。中にはマジックアイテムとも思われる刃が三重に成った特殊長剣、魔法文字が刻まれた薄緑の光を発している斧、歪な形で血が付着した状態の邪悪そうな気配を醸し出す短剣、水晶髑髏が先端にある長杖、動いている内臓部位みたいな不気味なアイテム、小さな魔石スロットがついた扇風機、人の幻影を発している魔導書、エトセトラ、多数の品物が飾られてあった。

 

 ロックピックで鍵開けして盗みたくなる。

 ま、そんなことはしないが。

 

 隅には不気味な灰緑色の皮膚を持つゴブリンだと思われる剥製人形が置かれてあった。

 こんなゴブリンの姿は見たことないが……。

 陳列されている様々な逸品を見ていると、司祭が伯爵に頭を下げていた。


 伯爵が先に話し出す。


「ペラダスか。また、あの大樹についてだな?」

「はい」

「それで、その後ろできょろきょろと、僕の宝コレクションを見ている男は誰だ?」


 伯爵が俺を指差した。

 お宝には好奇心が刺激されてしまうから、済まんね。


「はい、この方は――」

「――伯爵様。名前はシュウヤ・カガリと申します」


 司祭より早く、俺は伯爵へ、恭しく頭を下げて挨拶をした。


「ほぅ、それで、見ていた感想はどうだ? 僕の宝は凄いだろう? このコレクション以外にもまだ沢山持っているんだぞ。前に、第二王子にも誉められたことがあるんだ」

「それはそれは、感服いたします。伯爵閣下は宝を見極める素晴らしい観察眼をお持ちのようで」


 ここは無難に持ち上げる。よいしょだ。

 実際、宝は相当な物と思われる。


「おぉ、分かるか。それでそれで、お前は冒険者ランクは幾つなのだ?」

「Cランクです」

「何だ、Cか」


 伯爵はつまらんといった感じに秘書的な文官を見る。


「……それで、司祭様はこの冒険者を連れてどうして陳情に?」


 美人文官がそう聞いてきた。


「はい。彼に“ホルカーの大樹”に関する依頼を受けてもらいました」

「へぇ、ペラダスの依頼を受けたのか……僕は、あの枯れた大樹は伐採しようと思っていたのだが……」


 伯爵は横柄に語る。そこで、その伯爵の顔を拝見。

 まだまだ若そうな顔付き。金髪で西洋人風……髪型はマッシュルームカット。

 目は肉厚な瞼に負けそうな感じの細目の青色。

 頬は林檎のように赤い。

 そして、貫禄のついた二重アゴの肉が目立ち、色彩に富んだ衣服にべんべんと太った腹は完全なおぼっちゃま系と言える。


「領主様。伐採はお止めください。お願いでございます。枯れた大樹は甦ると“聖典”にも書き記されておりますし、わたしにはスキルがございます。それに、大樹はこの都市に残る歴史遺産。この都市の成り立ちにも関わると云われるホルカーの大樹です」


 司祭は必死に伯爵領主を言いくるめようと話すが、マクフォルはつまらなそうな顔を浮かべるのみ。


「それは、前にも聞いたなぁ」

「……冒険者であるシュウヤさんが、枯れた大樹の復活を成し遂げる依頼を受けてくださいました。どうか、ご猶予を……」


 司祭の話を聞いた子爵は懐から指揮棒のような物を取りだす。


「ふむ。それは置いて、聖典のことなんだが……ビミャル――司祭が話す聖典の内容は把握してるな?」


 伯爵は指揮棒を伸ばし、紺ローブを着る茶色髪の美人文官へ問いかける。

 あの秘書文官ビミャルという名前か。


「はい」

「それは、現実にあの枯れた大樹を復活できる代物なのか?」


 文官の側近と思われるビミャルは軽く会釈をしてから、伯爵に答えた。


「――どうでしょうか。司祭様には悪いですが、あまりにも必要とされる素材が遠い場所にございますし、それに本当に復活が可能ならば、五年も枯れた状態で、何もせずに放置していたのは何故でしょうか? 些か、疑問に思います」

「だ、そうだけど?」


 領主はビミャルの言葉を聞いて、ニヤっと笑みを浮かべながら、指揮棒の鋒を司祭の顔へと向ける。


「放置していたのではありません。わたしの個人的な理由で“できなかった”のです。種族ソサリーの“誇り”にかけて断言できます」


 司祭のマリン・ペラダスは背筋を伸ばす。

 キルティング加工された頬筋を伸ばしては、瞳には独特の強さが入り、目力を見せた。


「ソサリーと言われてもな……ビミャル?」


 伯爵は太った肩を竦める。

 側近ビミャルへ“お前が答えろ”的に名前を呼ぶ。


「はっ、古きエルフたちと似た信仰を持つと言われていますね。ソサリーとは大地や草花を愛する種族として知られ、信奉する神々は主に植物の神サデュラ、大地の神ガイア、ホルカーの精霊、などで、森の奥に暮らし、森の隠者と云われている珍しき種族です」


 側近のビミャルは喋るウィキペディアのように理路整然と説明をしていた。

 良い部下だなぁ、美人秘書な魔法使いか。良いねぇ。

 俺も勉強になった。

 ペラダス司祭の種族はソサリー。

 彼女は宇宙人ではなく、自然を愛する種族か……。


「なるほど。で、その“誇り”を問おう。できなかった理由とは?」


 伯爵は細目だが、しっかりと司祭を見つめて話していた。


「はい。父母はこのホルカーの大樹が枯れると同時に“悪しき者”たちに殺されました。わたしは父の遺志を継いで司祭になりホルカーの大樹を守りながら“悪しき者”を長年に亘って調べていたのです」


 司祭から溢れ落ちる言葉には確かに、淀みない清廉さを感じさせている。

 しかし、父と母が殺された話は俺も初耳だ。

 だからか……初めて会ったとき、あんな風にいきなり土下座した理由。

 切羽詰まっていたのだろうか。土下座は日本風のような感じではなく、自然と感情が高ぶった結果の行動だったのかもしれない。


「……殺されたか。それを五年も調べて結果が分からずに、司祭の立場でありながら、枯れた大樹は放置していたと……」


 伯爵の言葉に、司祭はそうじゃない、と、かぶりを振る。


「放置ではありませんっ、わたしはホルカーの大樹を守っていたのです。毎日祈りを捧げ結界を維持しています。見た目は確かに枯れていますが、まだ僅かに生きているのです。わたしには微かに大樹の波動が感じられますので」


 ん、そういや、デボンチッチも一匹だけ居たな。

 微かに大樹が生きている。という言葉は本当なのかも。

 “ソサリー種族”独特のスキルか“司祭”のスキルか分からないが、波動を感じるのなら、きっとそうなのだろう。


 司祭と話してみて、嘘とは思えない。

 俺自身だってめちゃくちゃな種族だしなぁ……。

 なんだってありえる。


「ふ~ん、なるほど。ビミャル?」

「はい。わたしも魔法を志す身。ですので“司祭様”故に“解ること”の可能性は高いと判断できます。きっと、植物の神サデュラ様や大地の神ガイア様の恩恵を得られておられるのでしょう」


 そこで側近の魔法使い女性ビミャルは意見を変えてきた。


 伯爵はそれを聞くと太い眉を動かし、反応。

 その表情から、逡巡の色を読み取れた。

 伯爵は贅肉がたっぷりと付いた顎を動かし、細い青目を司祭と俺に向ける。


「……へぇ、今日は随分と説得力があるね。僕も少し考えを直そうかな? そこの冒険者、シュウヤだっけか。君の影響かな? 君はCランクで、この依頼を受けたそうだけど、自信はあるの?」


 伯爵は手に持った指揮棒の鋒をびゅっと俺に伸ばす。

 意見を求められた。


「あります。必ず、あの大樹は復活するでしょう」


 多少、大袈裟だが……言いきってしまった。


「おぉ、力強い言葉だな。見たところ一人だけのようだが。クランではなく個人で活動してるのだろう?」

「はい」

「……驚きだ。それなのに僕の前で“はっきり”と宣言するのだな。――はっ、もしや、ランクで見分けられない強き者か。噂で聞いたことがある。自分の腕や見識によほどの自信があるのだろう? ……フハハ、楽しみになってきたぞ。そんな君と、僕の配下、どっちが強いかな? 興味があるなぁ」

「閣下――こんな若造小童に興味を?」


 俺を小童と言って挑発してきたのは、今まで黙って聞いていた大柄の男。

 赤羽根が付いた軍帽子を被る、目付きが鋭い口髭を生やす中年男性だ。

 腰に反った曲剣、シャムシールと思われる物をぶらさげている。


「僕は興味が出てきたよ。そうだ。おもしろいことを考えた。シュウヤよ、そこのセロニアスと戦うのだ。このセロニアスと戦い勝てたら、あの枯れた大樹は伐採はしないと、約束しようではないか」

「本当ですか?」


 司祭が喜びの反応を示す。


「閣下、またお戯れを……こんな小童、低ランクの冒険者と勝負しろと?……」


 大柄のおっさんは俺を見下し、馬鹿にしたように話す。

 ……確かに、この赤羽根軍帽子をかぶったセロニアスという人物は、中々の強さだとは思う。背は俺より少し高く、魔闘術と見られる体内での魔力操作の動きが確認できるし、腕や足に魔力を溜めている。


「そうだ。セロニアス。僕の命令だ。いいな? 僕の昔から知る従士隊を押し退けて、君たちを採用したんだ。我が伯爵軍の筆頭騎士長である君なら、余裕で勝てるだろう? 元は“赤翅傭兵団”の部隊長。過去、北では【アーメフ】と【ヘスリファート】の戦争で活躍し、南では魚人海賊団アッテンボローを撃滅せしめた“赤翅のセロ”“赤翅の五十人斬り”と呼ばれた異名を発揮せよ」


 伯爵の言葉を聞いたセロニアスは大柄の鳩胸に手を当て、敬礼。


「ハッ――」


 セロニアスは敬礼後、俺に対して一瞥を向けると軽く、会釈。

 そのまま、にこやかに笑顔を向けてくる。

 余裕顔でやる気満々といった顔つきだ。


 しかし、俺の意見はなしで勝手に決闘が決定かよ。


「戦うことは決定なのですか?」


 少し、頭にきたよ~。的な“演技顔”を見せてやる。


「いやなのか?」

「はい。いやですね。主に“条件”がですが」

「――生意気なッ」


 セロニアスが注意してくるが、


「――別に構わない。条件、良いぞ良いぞっ、言ってみろ」


 伯爵はセロニアスの意見を退けた。

 俺の言葉が予想外だったようで、伯爵は嬉しそうだ。

 妙に乗り気だし。俺も伯爵の脂ぎった腹上でサーフィンを行うように口を滑らす。


「では、書面で“マクフォル・ゼン・ラコラゼイ伯爵はホルカーの枯れた大樹、又は復活したホルカーの大樹は絶対に伐採しない”としたうえに、マリン・ペラダス司祭が、あの“ホルカーの大樹”の権利を有する。と、ハッキリとした明記が欲しいです。更に、マリン司祭の父母を殺したとされる犯人の調査を正式にお願いしたい」


 伯爵は俺の言葉を聞き、何回か神妙に頷く。

 そして、何か思い付いたように、ニヤっと邪悪めいた顔を浮かべてから口を開いた。


「……良いだろう。だが、君が負けた場合はどんな“条件”になるんだ?」 


 何かの代償を払えか。

 このおぼっちゃまの伯爵、意外に交渉しようとしている。


 もう乗った船、もとい、板上だ。波に乗って直進あるのみ。


「……俺の全てを賭けます」

「おぉぉ、わかった。約束を守ろう。おい、ビミャルすぐに契約書面を用意せよッ」


 伯爵は青目を輝かせ興奮しているようだ。

 太い首を揺らし鼻息も荒い。


「はいっ」


 ビミャルも嬉しそうな反応を示し、背後へ踵を返す。

 壁に設けられてある書類棚へ向かっていた。


「セロニアスとシュウヤは、今すぐ表の庭で戦うのだぞ」


 伯爵はそう急かすと、重そうな肥えた体を動かし椅子から立ち上がる。


「お任せを」


 セロニアスは恭しく頭を下げていた。


「了解――」


 俺も了承する。


「にゃお」


 頭巾の中で丸くなっていた黒猫ロロが肩に移動。

 場違いな声で鳴いていたが、誰も指摘はしなかった。

 伯爵を含めたその場にいる全員がぞろぞろと玄関へ向かう。


 歩きながら司祭のマリン・ペラダスは心配そうに顔を沈ませて口を開いた。


「シュウヤさん。あんな約束を交わして大丈夫なんですか? それに、わたしのために……」

「いや、マリンは心配はしなくていい。まぁ大船に乗ったつもりで見てなよ」


 ……決して、狸が乗る泥船ではない。


「ンン、にゃお」


 黒猫ロロも喉声の後に『だいじょうぶにゃ』的な鳴き声を発して、ポンっと俺の肩を片足で叩く。


「はぁ……」


 司祭のマリンは釈然としないのか、嘆息を吐き、表情に不安の色を滲ませる。

 黒猫ロロの態度や、俺の言葉を聞いても不安は拭いきれていないようだ。


 そんなやり取りをしながら、表の庭に到着。

 天然の芝生が広がり石の畳が点々と置かれた綺麗な庭。

 花壇と女神像があり青白い石塔が置かれた場所だ。


 綺麗な芝生の庭上に、簡易的な椅子や机やらが置かれていく。

 従者たちがテキパキと忙しなく働きセッティングを行っていた。


 伯爵はセッティングされた椅子に座り、真新しいテーブルクロスの上に出されたティーカップを手に持ち口へ運ぶ。

 紅茶を啜りながら、足を組もうと動かしているが、足が太いせいか、組もうとして何回も失敗を繰り返していた。


「……それではいつでも、始めよ」


 伯爵が始めていい。と片手をあげている。


 俺は敷石の上を歩き、中央へ進む。

 そして、肩に居る黒猫ロロに視線を移し「離れて見てて」と小声で話した。


 黒猫ロロは短い喉声を発しながら俺から離れていく。

 セロニアスと呼ばれていた傭兵風男も腰から反った長剣を抜くと、芝生を横歩き、俺の様子を窺いながら間合いを測る。


 その視線を横目に確認しながら、敢えて周囲を確認。


 何回も思うが、本当に綺麗な庭だなぁ。

 あの伯爵の趣味だろうか、まぁ悪い趣味ではない。

 黒猫ロロは小さい煉瓦花壇の狭い隙間の上に乗って見学するようだ。

 壇の上で人形のように両前足を揃えている。


 司祭は伯爵の傍に居た。

 両手を胸にあてて心配そうに佇んでいる。


「若造よ。余所見とは余裕だな? 武器はどうしたのだ? 馬車なら表に止まってるぞ」


 若造と言われる歳でもないんだがな。

 目の前のセロニアスは馬鹿にした様子で言う。


 一対一の対決。なかなか痺れる展開。

 痺れる憧れるぅ。

 何故か、野太い声でそんな言葉が脳内で再生されてしまう。


 ここで出てくる台詞じゃないな。


 あの太った伯爵がそんなこと話したら、あまりにそっくりで、ブファッと口から牛乳を吐いて笑った自信があるが。


「おい、武器を持ってこいと言ってる。何を笑ってるんだ?」

「……すまん。武器ならある――」


 そこで、右手に魔槍杖バルドークを召喚。

 突如、武器を出現させた俺を見て、セロニアスを含め、座って紅茶を飲んでいた伯爵も驚き飲んでいたお茶をブファッと本当に噴き出していた。


「ほぅ……」


 なにが〝ほぅ〟だよ。

 お前は予想もしなかったくせに……。

 あの余裕な髭面を懲らしめてあげたくなるが……伯爵の印象を良くするのに部下をあまり痛め付けるのはよくない。


 ここはあの剣豪を見倣い〝後の先〟待ちでいく。


 半身の体勢で魔槍杖を右肩に構え、視線で相手を殺すように睥睨した。

 左手を掲げ、相手を誘うように……数本の指先で、ちょいちょいと手招きする。


「こいよ。その反った曲剣はお前の股間と同じで、飾りか?」

「黙れっ、小童ァァッ!! フンッ――」


 ――掛かった。

 セロニアスは何処かの戦国武将の如く、整えられた眉を中央に寄せ、目付きを鋭くさせながら叫ぶ。

 そして、曲剣を構えると一気に走り寄ってきた。


「チェストッ――」


 気合いの声を発してくる。

 薩摩に伝わる示現流的な構えに似ていた。

 左からの袈裟斬りを狙ってくるようだ。


 槍の間合いに入った。

 だが、わざとセロニアスに剣を振らせてやる。

 セロニアスはフェイントもせずに斬り下ろしてきた。

 斬り下ろされる剣筋を確認しながら、最小の動作で胴体を半身ずらし、風を感じる斬剣を避けた。その刹那、セロニアスは降り下ろされた曲剣を返しての、次の斬り上げ動作へ移ってくる。

 さすがは筆頭騎士。だが、その二ノ太刀、斬撃はやらせない――短く持った魔槍杖を小刻みに揺らし、穂先で八を描き∞の字を作る。

 セロニアスの返し刃の曲剣と∞軌道の紅矛が衝突。

 斜めに入った曲剣は紅斧刃と紅矛の僅かな溝に吸い込まれるように嵌まり込み、曲刃から柄の握り手を瞬間的に捻っていく。


「――痛ァっ」


 セロニアスは捻られていた腕の痛みに耐えかねて、剣を離した。

 曲剣は地面へ跳ねるように落ちる。


 武器を放棄させた、その瞬間――俺は相手の懐へ入り左足裏による垂直踵蹴りで、セロニアスの右足甲を踏みつけた。


「ギャッ――」


 セロニアスを地面に縫い付け動きを止める。

 俺はそこから簡素な組み打ちを狙った。


 左手に持ち替えていた魔槍杖を回転させセロニアスの背中に固定。

 より密着した体勢へと移行した瞬間に、彼の鳩尾みぞおちへ右肘鉄による打撃を喰らわせコンマ何秒も立てずに、右拳の下側でトンカチを振り下ろすようにセロニアスの脇腹へ当てながら斜め後方へ退く。

 その退き際に魔槍杖の後端をセロニアスの両足へ引っ掻けて転倒させていた。


 地面に転んだセロニアスはピクリとも動かない。


 本来ならば足を斬り脳天落としがあるのだが、足も斬らずにただ転ばすだけにした。

 地面に転がるセロニアスは鳩尾に肘撃ちを喰らった時点で気を失っていたと思われる。

 曙がダウンしたように、地面とキスした状態で動いていないうえに、失禁と脱糞をしているが……ま、死んではないので、大丈夫だろう。

 魔闘術もあまり魔力を込めなかったし。


 決闘の勝負はあっけなく終わったが周りはシーンっと静寂に包まれていた。

 伯爵サイドはセロニアスが簡単に倒されたのが信じられないらしい。


「ンン、にゃ」


 見学していた黒猫ロロが戻ってくる。

 肩に乗り、ごくろうさんっと言うように、ポンポンっと肩を叩いていた。


 俺は伯爵たちを見る。


 司祭はあっけにとられ目をぱちくりと瞬きを繰り返している。

 伯爵はティーカップを地面に落としていた。

 配下ビミャルは何が起こったのか理解できていないようだ。


 右手から魔槍杖を消し、唖然とする伯爵たちのもとへ歩いていく。

 その行動に他の大柄な騎士たちが怯えながらも伯爵を守るように側に走りよっていた。

 魔法使いのビミャルも何故か杖の代わりにペンを持ち構えている。

 剣呑な雰囲気だが――。


「えっと、伯爵様。約束は守ってくださいね」


 俺はにこやかに、アルカイックな笑顔を作る。


「あ、あぁ、わ、わかっているとも。約束は絶対に守る。ビミャル!」

「ハ、ハイッ」

「契約書とペンをよこせ」

「はい、これにこざいます」


 伯爵は机に置いた高級そうな羊皮紙へカキカキと、記していく。

 簡単に契約書が出来上がった。


「確かに、受け取りました。では、あそこで地面に寝てる、セロニアスさんへ回復魔法をかけてあげてください」

「うむ。ビミャルに他の者。セロニアスを治療してやれ」


 俺はその書類を司祭に手渡す。


「これで、ひとまず大丈夫かな?」

「はいっ、ありがとうございます。シュウヤさん強いんですね。吃驚ですよ……」

「まぁね」

「にゃっ」


 黒猫ロロは『当たり前にゃ』的な声を鳴く。

 強めな猫パンチで俺の肩を叩いていた。

 セロニアスは回復魔法をかけてもらうと意識が回復している。

 介抱されている様子を見学していると、伯爵が興奮しているのか顔を紅潮させながら話しかけてきた。


「凄いぞぉ、僕の予想以上の強さだ。シュウヤよ。今の動きは本当に凄かった。と言ってもよく見えなかったのだが、殺さずに打撃で済ませる技術に感心した。気に入ったぞ。……依頼が済んだら僕の配下にならないか?」

「伯爵様には悪いですが、お断りします」

「な、何ぃぃ、そ、そうか……なら、金、女、アイテム……」


 伯爵は残念そうな顔を浮かべ、徳川家康のように指の爪をかじりだした。

 ぶつぶつと独り言を繰り返し、細目を広げて話し出す。


「そうだ。金貨、白金貨十枚ならどうだ? 最高の女も用意するぞ。それに、従士を超えて、僕のラコラゼイ家筆頭騎士長として迎えようではないか。“宝剣フィングエルド”を授けてやってもいい……」

「閣下、何を血迷っているんですか? その宝剣はだめです。亡き父上の形見ですよ?」


 腹心のビミャルが止めにはいった。


「煩いぞ、ビミャル。シュウヤのような“守護聖獣”が加われば、ホルカーバムは安泰なのだ。それに、僕は一度気に入ったものは……」


 何だ、守護聖獣とは、俺はゴジラじゃねぇぞ。

 しつこそうだから念を押すか。


「――伯爵様、何を貰っても配下になることはないですよ。俺には目的がありますから、束縛されるのはめんどうですし、自由が楽なんですよ」

「目的? それは依頼のことか?」


 伯爵はまだなのか不満か? と言う感じに質問を重ねてくる。


「それも含めて、ですが依頼を終えても続きます」

「ぐぬぬぬ、そこまでのことなのか。その目的のためには金、女、名誉、アイテムが要らないと申すか」

「えぇ、そうです」


 しかし、この伯爵、そこまでして俺を配下に欲しいのか。


「……僕の配下では、どんなに金を積もうが、不服ということか」

「配下になるのが、嫌なだけですね。……正直言いますと、金とか女は欲しいです」


 俺の素直な問いにマクフォルは更なる変化を見せた。


「ぷっ、あははは、面白い男。正直な男だ。ますます、欲しくなった」

「いや、ですから……」

「――僕には、僕の言うことの聞く配下しかいない……」


 片手を出して、俺の言葉を遮る伯爵。

 そのマクフォル伯爵は、ビミャルや従者たちの顔を見ては自らに翳を落とすように視線を下げながら語る。


「……こんな風に誘いを断る人物は、僕の周りには誰一人として、居なかった。小さい時からいつもそうだ。……僕は、僕は本当は独りなんだ」


 また、爪を噛んでいるし。

 喜んだり鬱ったり、忙しい奴だ。

 語尾でぶつぶつと独り言を始めているし。


「――閣下っ、わたしがいつも側にいるではありませんか」


 女秘書は必死な顔を浮かべている。


「ビミャル……そうだが、そうではないのだ」


 美人な側近にあんなことを言わせて……。

 健気じゃないか。

 贅沢生活を送っていそうなマクフォル伯爵だが、その内実は孤独で、寂しい生活なのかもしれない。 性格には同情しないがビミャルを見る視線は健気だった。


 なので、逆に、親近感が湧いてきた。

 ついでだ、あの美人秘書を助けてやるか。


「伯爵様、ビミャルさんの言う通りですよ。良い部下が居るじゃないですか」

「そうだな。だが、僕には良い部下がいても、……友がいない――アッ、そうだ。シュウヤよ。配下がダメなら“友”になってくれないか?」


 友か。配下、配下と煩いから、友なら無事に収まるかな?

 どうせ、今だけだし。


「友ならなってもいいですよ」


 上から目線でなっても良いとか、くっちゃべってる俺だけども、友といえる人物はキッシュのみだ……。

 しかも別れてしまった。

 実はボッチ同士。


 暗くしている顔色が表に出てしまっているが構わない。


「おぉぉ、そ、それは本当か?」

「えぇ……あくまでも、普通の友ですから。配下ではないですし、自由ですからね?」

「そうだ。そうだとも。あっははは、自由だ。友だからな。僕の友だ……これからは気兼ね無く普通に話すのだぞ。友よ。自由なのだからな」

「えぇ、そうですね。ハハ、俺は自由だぁぁぁ。なんて、ハハ」


 前世で、そんな台詞を叫ぶマイナー芸を披露する人が居たような気がする。


「にゃっにゃぁ」


 そこで、俺がふざけて“自由だ”の言葉に反応した黒猫ロロも何か文句を言い出した。

 黒猫ロロは触手を一本、俺の頬に伸ばし気持ちを伝えてくる。


 『友』『相棒』『ここ』『兄弟』『好き』『遊ぶ』『姉妹』『遊ぶ』


 姉妹は少し違うような気もするが、数々の親愛なる感情を俺に伝えてきてくれた……。 

 ありがとうな、友はわたしだよ。と言ったつもりなのか?

 ――お前は俺の顔色から心を読んだのか? 

 ……感動だ。泣きそうになる。


「その黒猫はなんだ?」


 伯爵は興味深そうに黒猫ロロを見つめだした。


「俺の相棒です。使い魔、大事な友でもあります」

「おぉぉ、そのような生き物を……」

「にゃ?」


 黒猫ロロは紅きつぶらな瞳で伯爵を見た。


「僕も欲しい……」

「ンン、にゃ、にゃぁ」


 黒猫ロロは頭をプイっと動かし、肩から頭巾の中に潜っていく。

 何となく『お前じゃ無理にゃ』と言った感じが伝わる。


「むむ、隠れた。何か、馬鹿にされたような感じを受けたぞ」

「……気のせいだよ。俺の友なら友らしく、おおらかにな?」

「む、そうだな。うむ」


 伯爵はその後、えらくご機嫌になる。

 友なのだから、金を進呈しよう。とか、この家具はどうだ? とか、宝剣がダメなら、この宝具はこの魔杖はどうだとか。 


 なので、伯爵に説教気味に言い聞かせてやった。


 “友にはむやみに贈り物はせぬものです”

 “時々に贈るのが良い習慣です”


 とか、適当に調子づいて説明してやると、何回も頷き納得した様子を見せる若い伯爵君。伯爵の進呈しよう攻撃は何事もなく終わる。


「今日は饗応に招こうではないか」


 ということで、その晩は伯爵家で夕食会が行われた。

 沢山の美味しい食事が賄われ踊り子が招かれて、華やかな食事会となる。


 その席で司祭のマリン・ペラダスとマクフォル伯爵も仲良くなり、テンション高い伯爵は君も友だ。とか、女だとわかると、宇宙人顔の司祭を口説くように興奮した口調で語り出して、司祭は面食らっていた。


 しかし、食事会は大いに盛り上がり今回の説得は大成功に終わる。

 伯爵邸から帰る際には配下のビミャルが、ソッと耳元に話しかけてきた。


「この度は本当にご迷惑をおかけしました。それと宝剣の件はありがとうございます。マクフォル様の性格ですと、一度言いだすと聞かないのです」


 この人も苦労していそうだな。


「気にしないでください。本当に要らないから断っただけですから」

「いやはや……一介の冒険者の考え方ではありませんね。さすがはマクフォル・ゼン・ラコラゼイ伯爵が友と認めたお方。このビミャルも自分のことのように嬉しいです」

「“美人”なビミャルさんにも喜んで貰えて嬉しいですよ」


 俺の言葉にふふっと笑うビミャルさん。


「……ありがとうございます。これからはマクフォル様の友ということで、シュウヤ様とお呼びしますね」

「え?」

「シュウヤ様? 何か?」


 いきなり、様か。

 ま、もう会うことも無いと思うし、別にいいか。


「いや、何でもない。それじゃ俺たちはそろそろ帰るよ」

「はい、シュウヤ様。また、いつでもお待ちしています」


 そうして、帰りの馬車に乗り坂下に向かう。

 その馬車の中で司祭マリンと今後のことを話していく。


「領主の件はこれで大丈夫だろう」

「はい。全てはシュウヤさんのお陰です。ありがとうございます」


 領主であるマクフォルがあんな調子で助かったな。

 司祭と仲良くなり渡りを作れた。


「……たまたまだよ。そんなことより問題は素材だ。遠いので少し時間が掛かる。けど、マリンが思っているほど時間は掛からないかも知れない」

「それは、どういう?」

「秘密だ。お、ついたな。それじゃ、用があるんで、また。素材が揃うまでは会うこともないだろう」

「そうですか。残念です。でも、頑張ってくださいね。わたしはホルカーの大樹を守って待っています」


 司祭とそこで別れて馬車を降りる。

 俺は宿へ戻った。

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