三十三話 ヴァライダス蟲宮

 

 バボンの店を探す前に適当な宿を探すか。

 ついでに、都市を見学だ。

 ポポブムは厩舎に預けてあるから、近場の大通り沿いを歩く。


 大通りには多数の馬車が行き交う。

 大都市らしい光景だ。


 通りの向こう側と俺が歩く側には、様々な商店が並ぶ。


 おっ、安宿らしき木造建築を発見。

 木彫り看板に彫られた名前はサイカ。

 見た目は集合住宅アパートのような宿だ。

 通り沿いにあるギルドの隣の隣という位置。

 冒険者ギルドに近いから、泊まる宿の候補だ。


 だが、まだ決めない。まだこの辺を少し見て回るつもりだ。


 街中だから敵やモンスターを探すわけではないが――<分泌吸の匂手フェロモンズタッチ>と掌握察を使い、索敵を行いながら歩いていく。


 匂いによる索敵の<分泌吸の匂手フェロモンズタッチ>で血の匂いと人から発せられているフェロモンの匂いを感じ取った。人の形がうっすらと判別できる時があるから便利だ。


 肩にいる黒猫ロロと共に、鼻孔を拡げて窄めながら大通り沿いを歩いていく。

 大通りを渡った先に教会らしき白い建物が見えてきた。


 らしきではないな、天辺に十字架がある。

 直ぐ下には大きな鐘がぶら下がる小部屋があった。確実に教会だ。


 教会前の大通りを歩きながら、何気なく<分泌級の匂手フェロモンズタッチ>や掌握察を行う。

 通りを行き交う人々と実際の魔素の大きさを見比べていると、視線が合った女性がいた。


 その女性は黒い革鎧を身に着けた冒険者風の人族の女性。

 茶色髪のウェーブが掛かったクリープパーマが風で靡いていた。


 瞳も茶色だが、俺を睨んでくる。


 耳には綺麗な白い宝石が付いたピアスをしているようだ。

 鼻筋も高く、唇は仄かに紅く小さい。

 綺麗な若い女性だ。女性にしては背丈が高いな。

 背に背丈並みの長さのある両手剣が確認できた。

 血の匂いも健康その物。

 あの首筋に流れる血管の血が律動するリズム。


 ――美味しそうだ。


 ……思考がやばい。

 このところ……ユイを抱いてから、美人を見ると変な方向へ思考がいってしまう。

 でも何故か――あの茶色の瞳には憎しみが感じられた。

 俺のことを睨んでるし。

 大通り越しだし、なんであんなところから?

 そこで教会の信徒と見られる人々が俺と女性の視線を遮った。

 緑色のダルマティカ系の法衣を着た人を中心に紺色の法衣を身に纏う集団が教会の中へ入っていく。


 背中に○印と黄色い十字が合わさったマーク。

 あぁ、あれが神聖教の教徒たちか。

 アキレス師匠から聞いていた通りだ。

 光神ルロディスを信仰する神聖教。

 あの睨んでくる女性も教会へお祈りを行うために来たのかな?

 でも、これだけ人通りが激しい中で、俺だけをピンポイントで睨んでくるかね?

 普通はありえないよな。

 あんな綺麗な女性に恨まれる覚えはないのだが……。

 ま、たまたまだろう。

 ぼけぇっと、ぼんやりとしていたのかもしれない。

 分からないけど、ほっとこ。


 気にせず、見学見学っと。


 通りを進むと、食事処、酒場がある路地を見つけた。

 ここの路地界隈、良い感じに食事処が密集してるじゃん。

 下町にある居酒屋通りのようだし、雰囲気もいい。

 アパートのようや宿からも近いし、この辺りで少し酒を飲んで過ごすのも良いかもな。


 そう考えると、すぐに行動へ移した。


 見学は途中で止め、来た道を引き返す。

 ギルドの近いところにあった小さい宿、サイカ。

 そのサイカに泊まると決めて、小さい戸を開く。

 宿の主人と話をして宿賃を支払い部屋を借りた。


「部屋は一番奥だ」


 顔にしなびた柿のような皺がある宿の主人にそう言われ、一番奥の部屋へ向かう。

 視界が狭まったような印象を抱く、遠近法を用いて描いたような廊下の奥の部屋には扉がない。安宿らしく狭い貧相な部屋か。荷物はあまり置けない。部屋にあるのは固い寝台と大きい桶のみだ。その寝台を除くと、大きい桶が部屋の大半を占めている。

 この大桶で風呂や洗濯をしてくれと宿の主人に言われた。

 水は、<生活魔法>が使えなきゃ中庭の柳の木の傍の井戸から自由に水を汲み上げてくれ。とだけ言われて、そっけない態度だった。


 ま、その宿の親父の態度から分かるように、安宿でぼろい集合住宅アパートだからな。飯なんて当然でない。桶があるだけマシという感じだ。


 ボロい部屋だが、黒猫ロロは気に入ったのか、固い寝台の上で飛び跳ねている。


 寝台にシラミとかいないといいが……。

 金はあるので、もっと探せばグレードの高い宿に泊まれると思うけど、今はここで十分だ。ま、住めば都と言うしな。


 ギルドと飲食街が近いし、楽しむさ。 


 んじゃ、風呂にでも入るかな。


 <生活魔法>で桶へお湯を入れていく。

 体が少し臭うので、ギュザ草を使い軽く体を洗う。

 ……属性が水で良かった。水の汲み上げは時間がかかりそうだったし。

 この<生活魔法>……攻撃に転用できるかなっと、今まで色々試してきたが、蛇口から水が勢いよく噴出するか弱まるかだけの違いにしかならなかった。

 覚えたての頃は、イメージ次第で水圧をあげ、ウォーターカッターとかできるかなぁ、なんて夢をみたが、この<生活魔法>では無理。

 この間覚えた<古代魔法>で、闇属性の魔法ならイメージ通りにできるかも知れないとか、ポジティブに予想するが……ま、俺には槍がある。


 そんな幻想を求めても、本当にできるか分からない。

 剣だって学ぼうとしているのに、あれやこれやと焦って広く浅く学んでも仕方ない。

 まずは槍。もっと高みを目指せるはずだ。


 魔法を含めた他の武術は、あくまでオマケで、覚えられたら覚えていこう。


 そんなことを考えていると、パチャンパチャンと水面を弾く音が――。

 気が散ってしまう――。

 音の正体は黒猫ロロだった。

 桶の縁から水面に向けて猫パンチを繰り出している。

 可愛い姿だ。パチャパチャとジャブを打つように片手の肉球を水面へ当てて遊んでいた。


「ロロ、遊んでるとこ悪いが、お前も臭いから洗うぞ」

「にゃっ」


 遊んでいる黒猫ロロの首根っこを掴む。

 お湯を掛けてやった。

 脚の汚れを落とし肉球も綺麗にしていく。「ンン――」「えっさえっさ」「にゃ? にゃお~」「えっさえっさえっさっさぁぁ!」何言ってんだか、と自分にツッコミを入れつつ、体育祭にあるようなリズムで黒猫ロロを洗う。

 

 黒猫ロロは体を洗われて実に気持ち良さそうだ。

 体をだらーんと弛緩させて後ろ脚が真っ直ぐ伸びている。

 全く以てけしからんな!

 

 そんなダラーンとした黒猫ロロを桶のお湯に漬けた。


 黒猫ロロは湯の中で体をぶるっと震わせる。

 俺の手から離れるとスイスイと泳ぎ出した。

 意外に泳ぎが上手い。


 顔を水面から上げながら触手を左右に展開させて楽しそうに泳いでいる。


 水中で触手を使うのが巧い。

 暫く泳いでいた黒猫ロロは泳ぐのに飽きたのか、桶から出た。

 寝台近くでぶるぶると体を揺らし水分を飛ばす。


「こら、あまりここで水分飛ばすな」

「にゃっにゃぁ」


 ロロは元気良く鳴くと、勝手に外へ飛び出していった。

 ったく、どこに行ったんだか……。


 俺も風呂から出ると、素早く身支度を整え宿の外へ出た。

 受付嬢が話していたバボンの店へ向かう。

 通りを歩いていると、


「ンン、にゃ」


 黒猫ロロが鳴きながら後ろから肩へ飛び乗ってきた。


「どこにいってたんだ?」

「……」


 黒猫ロロは尻尾を動かすのみ。

 おしっこでもしていたのかな?


 通りの先を見据えて黒猫ロロを肩に乗せた状態で歩いていく。


 大通りを渡り、すぐにバボンの店に到着。

 この店……受付嬢がなんでも屋と言っていた通りだ。


 本当に沢山の品物が置いてある。

 手前にはポーション類、薬草、乾燥した肉、干し葡萄、調味料、ブルーベリージャムのような物が入った瓶も沢山売っている。

 お菓子に似た食品も無造作に並び、一見すると駄菓子屋にも見えた。

 その店内に入ると、銅剣が傘のように縦長の壺に沢山入れられ、嵩張るように革鎧が積まれて、天井には膝まであるレギンスが吊られて陳列されている。

 なぜか、料理で使う樽や鉄鍋が防具売り場に置いてあるし、背曩や革紐に腰袋も天井に吊るされる形で売られていた。

 小物の類いである木製ブラシやランタンに油などに、綺麗な布も束になって売られている。

 黒猫ロロはこの何でも屋の店で売られている新品の匂いに興味があるようで、鼻をくんくんさせて片足を伸ばしていた。


「ロロ、イタズラはだめだぞ……」


 黒猫ロロは黙っていたが、俺の声質でちゃんと判別しているらしく、足を引っ込める。


 そんな時、天井から吊るされて売られている腰袋に目が止まった。

 アキレス師匠から貰った丈夫な袋、魔法袋。

 どうせなら、最新の魔法袋が欲しい。

 一番奥には店主と見られる人がいたので、話しかけてみる。


「すいません、迷宮用の魔法袋にランタンや背曩などのセットで、良い奴ありますか?」

「あぁ、あるぞ。これやこれに……」


 親切な店主に必要な物をある程度見繕って貰い、買い揃えた。


 旅用の軽い背嚢なら持っていたが、戦士用の背曩があったので買っといた。

 後は、腰ベルトに付けられる簡易ランタン、携帯食、鍋、魔法袋、歯みがき用の木ブラシも買い、胸の前に通す袋付きの皮ベルトも買った。

 皮布にいたっては何枚も買った。


 <夜目>があるのでランタンは必要ないが、最初は冒険者らしく見た目から行こうと考えてランタンも買ってしまった。


 買ったその場で袋付き皮ベルトを肩に掛けて装着。

 背曩の中に荷物を詰め込み、その背曩を背負って店を出る。

 新品の背曩には武器が嵌められる金具が付いていたので、その金具に黒槍を装着してみた。


 これで準備万端。

 さっさと依頼をこなすかな。ギルドに戻ろっと。


 ギルドに戻り、ヴァライダス蠱宮の転移陣の前まで歩く。

 その転移陣の前には小さな台座が設置されている。

 台座の上には、文字が刻まれた板が嵩張っていた。

 これ、フリーペーパーみたいなもんかな?

 板には簡単な迷宮に関する説明が書かれてあるようだ。

 もらっておこう。が、この板、薄い、すぐに破れてしまいそうだ。

 無料だから当たり前か。

 それより、この転移陣、白く光っている。

 本当に大丈夫か? 少し不安になる。


 ええいっ、いったれ!


 黒猫ロロを肩に乗せたまま転移陣へ足を踏み入れた。

 その瞬間――耳がぶあっとなり、目の前の光景が一瞬で切り替わる。


 この感覚は、あぁ、あれだ。

 車でトンネルに入った時の感覚に近い。

 気圧の変化? それとも、転移のせいか?

 耳に空気が詰まる感覚に襲われた後、転移は成功したらしい。

 足元には青く光っている転移陣がある。

 そして、ちゃんと黒猫ロロも俺の肩に座っていて、転移に成功していた。


 よかった。ホラー映画にあった転移で失敗、合体とか……。

 蝿人間に体が変化とか、勘弁だ。


 そんな昔の映画を思い出しながら転移陣の外へ出ると、転移陣の色が青から白へ変わる。

 試しにまた転移陣へ足を踏み入れた。

 また耳に空気が詰まるような感覚を覚えた瞬間、ギルドへ戻る。


 ギルドの転移陣は青色。

 転移陣の外へ出ると白い色に戻っていた。

 転移陣を使用すると、小さいLED電球が集まっているように青く光るのか。

 興味深いと転移陣を観察していると、他の冒険者が邪魔だと言わんばかりに手で俺を押し退け、強引に転移陣へ入り消えていく。


 俺も続いて転移陣へ入る。


 再度蟲宮へ転移すると、押し退けてきた冒険者は他の冒険者たちと合流して迷宮内部へ向けて歩いていた。


 文句言おうと思ったけどいいや。


 この迷宮を観察しよ。


 転移陣の周りは円形の広場になっている。

 でも、冒険者たちが集まる広場より、天井に視線が行ってしまう。

 ヴァライダス蠱宮、その虫が集まりそうな名前からくる印象とこの迷宮の見た目は全く違う。


 幻想的でファンタジック。

 そんなロマンチックな言葉が頭に浮かんだ。


 灰色の天井には蟻たちが出入りするだろう穴が多数あり、その穴からは木漏れ日のような太陽の明かりが幾筋も差し込んでいる。

 明かりが細かな塵に反射して光が揺れると、銀色の花が宙に舞い散る幻想が見えた。

 天然の光源が蠱宮の上域を照らす。本当に美しい迷宮。

 塵でさえ幻想的な自然の絵画を形作る一つなのだと、改めて認識するほどに。

 上域を照らす銀彩の光はこの迷宮を構成している黒い繊維の壁を詳細に映し出していた。


 その黒い繊維の壁へ近寄り、触ってチェックする。


 硬い。黒い繊維ではなく枝が絡まってできているのか。

 細い枝と太い枝が無数に集まり絡みあっているので繊維に見えたらしい。

 それらを無理に引き出すと、ちくっと棘が指に刺さった。


 痛っ、茨か?


 とげとげした黒い茨。

 この黒い茨がヴァライダス蠱宮を形作っているらしい。

 俺が出てきた転移陣の周りは、その黒い茨の壁に囲まれた円形の広場になっている。


 その中央広場にはテントが数張りあった。

 冒険者、商人たちの溜まり場ができているようだ。

 そんな中央には向かわずに、黒い茨の壁沿いをぐるりと歩いていく。

 すると、黒い茨が絡む存在感溢れる大きな彫像が、黒い茨の壁の間に並び立っていた。

 岩盤を削って彫られた像や、銅などの鉱物で作られた大きい彫像。

 その彫像へお祈りをしている人たちが多数いる。

 この神様たちへ祈れば、俺でも恩恵が受けられるのだろうか?

 そんな些細な疑問を持ちながら、信者の人々から離れて広場の中心に向かう。


「――中域から下域にかけての地図売るよぉ、誰か買わねぇか?」


 冒険者が周りの人々へ向けて、そんな言葉を投げ掛けていた。

 他にも、アイテムを売る商人の声と、パーティメンバーを勧誘する声が響く。


 ギルドじゃない場所でも、こういう誘い誘われの場所はあるんだな。

 そんな広場を抜けて、冒険者たちが奥へ向かっている通路を進む。

 通路の右側から階段が見えてきた。


 この大きい階段が迷宮の出入り口らしい。


 ついでにこの階段の先を見てみるか。

 転移陣の移動はあまり実感が無いし、実際に外を確認しよう。


 走るように階段を上った。迷宮の外にあっさり到着。

 外は森が広がっていて、バルドーク山の麓がより近くに見えた。

 迷宮周りの土壌は大きく盛り上がっているようで、今俺が立っている位置は坂の上となっている。見上げると、巨大な蟻塚のような形を保ったドーム状の屋根があり、そこには穴が多数空いていた。


 あれが光源であり、モンスターが出入りしている穴だな。

 さて、これを読むか。

 太陽の光が眩しく感じる中……。

 迷宮について書かれた板を読み始める。


 □■□■


 ヴァライダス蟲宮は上域、中域、下域と網目状に分かれた迷宮だ。

 ここには蟻や虫系のモンスターが数多く住み着き、近隣の森林地帯を脅かしている。


 時折、バルドーク山からくる竜たちと、この近辺領域を巡って争いが起きていることでも有名だ。尚、この迷宮の下域には女王大蟻ヴァライダスクイーンと呼ばれるS級モンスターが君臨している。そのクイーンを筆頭に近衛大蟻インペリアルアントと呼ばれる女王守護部隊も存在し、女王を守っているのだ。


 近衛大蟻インペリアルアントはA++級相当の強さである。

 このクイーンを守護する部隊は例外なく強い。

 他の似たような蟻の迷宮でも必ず女王を守護する部隊として存在することで有名だ。この守護部隊を突破してクイーンを直接見た冒険者たちの数は少ない。


 因みにこの迷宮での近衛大蟻インペリアルアントは、常にスリーマンセルの小隊を組んでいるとされ、未だに討伐はされていない。


 □■□■


 他にも説明があったが、適当に情報を覚えてから、文字を追うのを止めて、迷宮へ目を向けた。


 A++か、ずっと前に師匠が言っていた。

 冒険者ランクとはまた少し違い、モンスターの強さはより細分化されていると。


 さて、向かうか――。

 俺は見ていた板を捨て、階段を降りて迷宮内部へ戻る。

 階段下にある通路には上域へ向かう多種多様な鎧を着こむ冒険者が多数いた。

 転移陣から、今も続々と冒険者たちが現れている。

 あの転移陣便利だな。

 便利な転移陣を設置したのはたしかクナさんと言っていたか……。

 きっと凄い魔法使いに違いない。


 大陸中の冒険者ギルドから引っ張り凧だろうに。

 ……俺だったら設置できても黙っているかもしれない。

 そんなことを考えながら、冒険者たちの列に並ぶように、ヴァライダス蟲宮の上域へ向かう。

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