三十話 幕間ユイ

 

 ◇◆◇◆



 黒装束に身を包む刺客が、槍使いを追い、【魔霧の渦森】の前で佇んでいた。

 【魔霧の渦森】は、濃霧が立ち込めており、近隣では地上の迷宮と揶揄される場所でもある。旅人や隊商だけでなく、盗賊も避けるほどに、モンスターが出現する地域として有名だ。



 ◇◆◇◆



 濃霧が広がる森の手前まできた。

 ここは【魔霧の渦森】。


 鬱蒼と聳え立つ木々の間へ視線を向ける。

 赤い線がはっきりと見えている。


 わたしのエクストラスキル<ベイカラの瞳>は、獲物を絶対に逃さない。


 あの槍使いが、この森に入っていったのは確かだ。


 ヒュアトス様は、あの槍使いを殺せとわたしに命令した。

 それは同時に闇ギルド【暗部の右手】としての指令でもある。


 危険だが行くしかない。だけど、不安になる。

 あの槍使いは尋常ではない強さだった。

 初めはただの浮浪者にしか見えなかったが……いざ戦いになると、あっさりと負けてしまった。


 あの熟練した槍捌きに体捌き……。

 少し、どこかでみた覚えのある歩法、風槍流? 強すぎる。

 槍使いに殺された二人はセナアプアで鳴らした凄腕暗殺者たちだ。

 サーマリアの海を荒らす水竜ネビュロスの名を取り〝ネビュロスの三傑〟と呼ばれ、<魔闘術>を極めていたとされる隠剣のゼエフと獄閃のアポー。


 その凄腕たちを一瞬で倒し、わたしも軽くあしらわれ、最後には蹴り飛ばされてしまった。もう一度戦ったときも、腕を折られ敗れてしまう。

 二回も不覚を取ってしまった。

 あまつさえ、その場で命あっての物種だろうと言われて情けをかけられる始末。

 女だと分かると胸を揉まれ、嬲られてしまった。


 それに、あの男、わたしを綺麗と……。

 あぁっ、もうっ――強く吹っ切ろうと頭を左右に振る。


 いつまでも気にしてちゃダメ。

 もっとしっかりしなくては。パチパチッと両手で頬を叩く。


 命令は『殺せ』、闇ギルドの命令は絶対だ。

 あの槍使いを殺さなければ、報酬は得られない。

 金がなければ、父さんの薬も用意できない。

 再び、霧で覆われた森を見る。

 あの槍使いをマークした赤い線がこの奥に続いていた。


 【魔霧の渦森】だろうが関係ない。

 そう覚悟を胸に刻んで、魔霧の渦森に突入していった。

 <ベイカラの瞳>を使い、赤い線を追う。

 森は霧が一層濃くなり、視界に白い霧が纏わりついてくる。

 ざわめきも酷くなってきた。

 そんな森を進んでいる時――目の前の霧が霞むように一瞬動いた?


 その瞬間、牙を剥き出した青白い虎が襲い掛かってきた。

 急ぎ、虎の噛みつきを刀で防ぐ。

 のし掛かろうとしてくる虎の胴体に前蹴りを繰り出し、すぐに離脱。


 だが、離脱した先には、白い波紋のようなシルエットが特徴の巨大なカマキリが待ち構えていた。


 カマキリの鎌は大きい。

 わたしの足へ向けて、カマキリの鎌が降り下ろされてくる。


 横へ動いて躱そうとするが、間に合わない。

 鎌がわたしの右足をかすめてしまう。

 右足の脹ら脛に一本の血の筋が作られて、血が舞った。


「痛いっ」


 くっ――鋭い鎌。また振り下ろされてくる。

 足が痛いが、走って逃げた。

 方向など考えずに必死に霧の中を走る。

 茂みが見えたので、その中へ飛び込むようにして隠れた。


 茂みの中から周りの様子を窺う。


 幸いモンスターの追ってくる気配はない。

 くっ、安心した途端、ズキッと右足から痛みが……傷からは骨が僅かに覗く。

 思ったより傷は深い……早く薬を飲まないと。


 懐にしまってある高級なポーションを取り口へ当てる。

 ごくごくっと飲み干すと、足の傷はすぐに塞がった。


 この薬、高級なだけはある。

 仕事用として組織から支給された特別な薬。


 だけど、薬はこれだけ……これからは傷を負えない。

 それにしてもこの森、視界が悪いうえにモンスターが強い。

 いや、それだけではなく、わたしがあまり休息を取らずに、あの槍使いを追い続けているせいもあるだろう。


 選択を誤ったか……。

 その刹那――ざざっと木々を掻き分ける音と共に斜め後ろから青白い虎が現れた。


「きゃっ」


 わたしは虎に押し倒されるように地面に倒されてしまう。

 またさっきの虎っ――。

 虎は吼えることもせずに、口を広げた。


 サーベルのような鋭い牙だ。

 その牙からは唾が滴り落ちている。


 虎は唸り声をあげて、わたしの首筋を噛み砕こうと迫ってきた。


 喰われてたまるかっ――急遽、右手に握る刀を水平に保ちながら、虎の口へと押し当てた。

 そこから一文字の如く引き斬ってやろうとした――。

 けど、青白虎はそんなわたしの行動を読んでいたように口を閉じたっ。

 魔刀を鋭い牙で噛むように防いだ。


 虎は力強い顎で、魔刀の刃を噛み砕こうとする。

 刀は鋭い歯に挟まれている。

 でも、うん。普通の刀ならば折れていただろう。

 わたしは安心するように虎が噛みついている自らの愛刀の刀身を見つめていた。


 刀身にある白く輝く光る魔法文字。

 この刀剣は普通の刀剣ではない……サーマリア伝承に登場する、アゼロス&ヴァサージという魔王級魔族の名が由来になっている一対の刀剣。

 サーマリアの豪商・五本指のドルイ・リザロマの物だったが、わたしが組織の依頼でドルイを暗殺した際に頂いた物だ。


 青白虎は荒々しく鼻息を鳴らし、光る刀ごとわたしを喰おうとしているのか、ガツガツと鋭い歯を刀に当ててきた。

 臭い息がぶあっとわたしの顔へ送られてくる。

 すると、青白虎の首の黒いエラが、突如裂けるように変形。

 中から鋭く細長い突起物が突き出してきた。えっ――急ぎ顔を横に逸らす。

 白い突起物はわたしの頬をかすり、髪の毛を僅かに切って地面に突き刺さった。


 危なかった――。

 この虎、こんなものまで――しかも臭い。


 ぐっ、そんな臭いなど消し飛ばすように左肩に痛みが走る。


 肩に虎の前足がのし掛かり、鋭い爪が外套を突き抜けていた。痛っ、黒装束の鎖帷子も破って、生身の皮膚へ爪が食い込んでいた。

 血が皮膚に伝うのが分かる。

 でも、痛みを力に変えて、慌てずに反撃に出た。


 左手に持つ魔刀を逆手に持つ。


 剣刃に成っている柄の部分で虎の顎を下から強打。

 更に虎の胴体を膝で蹴り上げ、仰け反らせた。その際に虎の歯に挟まれていた刀を滑らせるように引き抜く。


 ――体を<魔闘術>で強化。

 右に回転しながら起き上がる。スムーズに<舞斬>を発動。

 スキルにより勢いを増した回転斬りの刃が虎の首を捕らえた。

 首筋の半ばまで魔刀の刃が沈む。そこから、更に引き斬る。右に回る機動を終えると、青白い虎は血の虎と化して……ゴトリと頭部が地面に落ちていた。

 斬った首の断面から血が噴出。その血飛沫が全身にかかってしまう。


 ――はぁはぁはぁ、疲れた。

 急いでここを離れないと。


 血の汚れなど構わず、肩で息をしながらその場を離脱。

 ――霧の中を駆けて槍使いを追った。

 暫く森を彷徨い、出現するモンスターを倒し続けていく。


 そんな時、ついに標的である槍使いに近付くことに成功。

 標的に続く赤い線が更に濃くなった。


 ――足音を立てずに近付く。


 ――<魔闘術>を発動。

 ――魔力を足、手に循環させ留める。


 よし、今だ!

 ――だが、簡単に避けられて、刀は空を斬っていた。


「よう、ひさしぶり。仮面は外しているな。だが、綺麗な顔が汚れているぞ? 怪我も負っているようだし、疲れているんじゃないのか?」


 わたしの位置をこうも早く察知するとは……。


「……」

「また黙りか?」


 わたしを惑わすように……この槍使いは、また言葉を発する。


 気にしてはいけない。

 こいつを殺すのだ。

 エクストラスキル<ベイカラの瞳>を発動。

 さらに槍使いを赤く縁取る。


「どうした? そんなに俺の顔を見て――っと」


 槍使いの言葉を無視して一気に跳躍。

 頭から両断しようと両手に握ったアゼロスを振り下ろす。

 だが、堅い岩を斬るような感触。

 金属音が響き、身体能力を引き上げていた両手が僅かに痺れる。


 わたしの刀はあっさりと黒槍に防がれると、力に負けて薙ぎ払われてしまった。

 槍使いはそのまま魔獣の手綱を引き、逃げていく。


 クッ、逃がさない。


 わたしはすぐに追いかけ走る。

 槍使いが逃げた先は、崖の行き止まりだった。

 あいつは崖の上で、わたしが来るのを待っていた? 

 バカめ、わざわざ待つとは。ここで奴を絶対に仕留める。


「ユイ、顔色が悪いな? 大丈夫か?」


 またなの? この槍使い……。


「わたしの心配をしてる場合か?」

「はは、それもそうだな」


 <魔闘術>を全開にして斬りかかる。

 途中で、二刀の攻撃へ移行。


 <抜刀暗羽>からの、右からの袈裟斬りっ。

 え!? ――あっさりと躱された。

 返す刀でっ、<二連暗曇>ならっ! クッ、また避けられた――。


 こいつ、避けて、また躱す。どうして――こんな動きができるの!?


「なっ、なぜ反撃しないっ」


 一向に反撃してこない槍使いに怒りを覚えた。

 だが、相変わらず、わたしの攻撃は当たらない。


 スキルを使った攻撃がかすりもしない。

 <重刀暗双剣師>の戦闘職業を得ている、このわたしの攻撃がだ……。


 わたしは覚悟を決めた。

 秘技であるアレを使う。


 魔力消費が大きく、負担も大きいが。

 <魔闘術>を発動させた状態で――。

 ――アゼロス&ヴァサージの二刀へ魔力を注ぐ。


 ここだっ、<暗片々>――。


 魔刀による無数の迅速な突き。

 これなら躱せないはず――だっ、やった、感触、初めて傷を与え――えっ?


 こいつ、刀条が見えているの?

 槍使いは僅かに頭を横にずらして突きを躱し続けている。

 わたしの秘技の突きを、避け続け――て、いる!?


 しまいには時折笑顔を見せつけてきた。


 そ、そんなっ……あっさりと躱すなんてっ。

 わたしは人の動きを超越した動きをする槍使いに、激怒するよりも懇願するように話していた。


「何故なのっ」

「いやまぁ、ズバリ言うとだな。――お前のことを気に入ったってのがある」


 気に入っただと――また変なことを!


「くっ、な、なんなんだっ、おまえは!」

「もう、そんなに振り回すなよ」


 槍使いの言葉に動揺してしまう。


 わたしにとって、こんなことは初めてだった。

 こうも連続でわたしの攻撃を躱し、秘技までも躱され、嬲るように槍で攻撃もせずに、言葉攻めを繰り出してくる。


 ここで、秘技を使ったせいか、体から力が抜けていく。


 しまった。足がもつれ、気付いた時にはもう遅く、視界が沈み込んだと思ったら崖から落ちていた。


「あっ」


 落ちていく。

 そこで――どっと衝撃が体に走り、視界が回った。


 痛っ、痛い……足が岩にぶつかったらしい。

 あぁ、わたしはここで――と諦めかけたその時、槍使いがわたしの腕を掴むのが分かった。


 この槍使い、必死な顔して、平たい顔だ。

 だけど、わたしを助ける気らしい。

 だけど、なぜ、何故、何故――。


 槍使いは腕だけでなく、わたしの体を抱きしめてくれた。

 その抱き締められた感覚に不覚にも力強い父さんの姿を思い出す。


 そこで、更に強い衝撃を受けた。

 意識を失ってしまう。


 ◇◇◇◇



 意識を取り戻した時、目の前にはあの槍使いの男が居た。

 どうやら助けられたようだ……またそこで意識を失い、次に気付いた時は見知らぬ寝台の上で寝かされていた。


 殺し屋なのにターゲットに助けられるとは……不甲斐ない。


 わたしは腹に小さい穴が空き、足を骨折しているらしい。

 他にも全身のあちこちから悲鳴が聞こえてきた。


 槍使いの男はわたしを助けたと説明し、気に入ったと話をしてきたので、少し考える素振りをしてから、了承してやった。

 こいつも男だからな、わたしの体が目当てなのだろう。

 ただし、条件としてこの槍使いの恋人として演技をしなければいけないらしい……今はこの体を治さなければ任務を遂行できないので、しょうがない。


 だが、わざわざ殺そうとしたわたしの世話をしてくれるとはな。呆れるよ。


 だから、恋人の演技は我慢できる。

 ふふ、殺されるのに助けるとは、おかしな男だ。


「……わたしは、……それで構わない」


 了承の言葉を返すと、ローブを着た家の家主と見られる人物が歩いてきた。


「恋人さんが気が付いたようで」

「あぁ、そうなんだ!」


 その時、槍使いの男がわたしを抱き締めた。

 一瞬、わたしは呆気にとられた。

 何故か、素で男の体を抱き返し……この男のぬくもりを感じていた。


「ははっ、よかったよかった。恋人さん、お元気になられたようで。食事ができましたので、まだ動けないでしょうから、持ってきて差し上げます」


 宿を提供してくれた男はスキンヘッド気味の禿だ。

 ん、額に魔印がある? どこかの貴族の出なのか?

 だが、こんなところに貴族が住んでいるわけがない。


 不気味な視線も気になる。


「あ、俺が運びますから大丈夫ですよ」


 槍使いの男は、わたしから離れた。


「そうですか? ではお願いします」


 家の家主と見られる不気味なスキンヘッド男は離れていった。


 でも、わたし……どうしちゃったんだろう。

 さっきは自然と抱き返してしまった。


 そんな槍使いの男は食事を運んできてくれた。

 ふん、だからといって殺しの標的には変わりないのだ。

 だが、礼だけは言っておいてやろう。


「すまない。だが、明日か明後日までだぞ。時間が経てば……この足は治るだろう」


 男は少し目を見開く。笑顔を浮かべていた。


「あぁ、分かってるさ。それより、ユイ、俺が食べさせてあげようか?」

「いい、肩の傷は大丈夫。もう腕は使える」

「そっか。それじゃ、俺は向こうに行って食ってくるよ。少しこの辺りの地理についても聞きたいし」


 槍使いの男は屈託の無い笑顔だ。不思議な男。

 わたしは出された食事の匂いを嗅いでから食べ始める。


 美味しい。久しぶりのちゃんとした食事だった……。

 暫くして、また槍使いの男は戻ってきた。


「……食べたようだな。元気になって良かった」


 当たり前だ。そんな笑顔をわたしへ向けるな……こいつは平気なのか? わたしは殺し屋でお前の命を狙った相手なのだぞ?


「……お前といるとわたしは……」

「気にすんなよ。今のお前は俺の恋人だ。それより、食事が終わったのなら、その台を持っていくよ」


 この男、ふざけてるのか?


「あ、ありがと」


 しかし、わたしは普通に礼を述べてしまっていた。

 槍使いの男は、食器を片付けに隣の部屋に向かう。それから間もなく血相を変えて倉庫に戻ってきた。


「どうしたの? そんな顔して」


 おかしな顔。

 わたしは笑いながら槍使いの男が急ぎ説明するのを聞いていると、自身の体がおかしいことに気付いた。


 手が震えていたのだ。


「なっ、では……あっ、腕が痺れて……」

「ロロ、念のため、外へ出ていつでも戦えるように準備しておけ」

「にゃッ」


 黒猫は短く返事をすると、勢いよく外に飛び出していった。

 もっと用心すべきだった。


「もう薬が効いてきたか」


 どうやら、ここの家主に毒を盛られたらしい。

 そんなことに気付かないとは……殺し屋失格だ。

 わたしも僅かな薬品の匂いを嗅ぎ分けることはできる。


 無臭の毒。


 それにしても、変な毒。死ぬわけじゃないのに体の感覚を残して、しかも、口回りの筋肉は動く。特殊な麻痺毒?

 こんな毒など知らない。


 特殊な高級薬を飲ませるということは、何か理由があるはずだ。


 でも、この槍使いの男は平気らしい。


「……お前は、平気なの? わたしは、口は動く……でも、腕が震えて足にも力が入らない……感覚はあるのに、おかしい……これは特殊な痺れ薬か…」

「俺は平気だ。食事を運んだばっかりに……済まん」

「今さらしょうがないわ」

「分かった。とりあえずここを出よう。運ぶぞ」


 槍使いの男はわたしを抱き抱えた。


「きゃっ」

「今は恋人だろ? 助けてやる。気にするな」


 ドキドキしているのに気付かれただろうか……。

 その時――。


「おや……何処へ行かれるのですか?」

「あ、ちょっと、ユイと夜空を見に、風に当たりたいなぁ~、なんて……」


 槍使いの男はわたしを抱えながら部屋を出ようとしていた。


「そうですか。ハッ、お互いに見え透いた嘘はここまでだ。このまま帰すわけにはいかないのだよ。シータ、出口を塞げ」

「はい、マスター」


 ローブ姿の男はさっきの窶れた禿で額に魔印を持つ男だ。

 微笑を浮かべながら指示を出している。


 槍使いの前にシータという女性が立ちふさがったようだ。

 わたしは担がれているので、前がどうなってるか分からない。


「ロロッ」


 槍使いの男はそう叫ぶ。

 シータと呼ばれていた女性と、何かが戦っている?


 その隙を使って、槍使いはわたしの体を抱えながら部屋から飛び出していた。

 わたしは後ろから、シータという女と何かの動物が戦うのを見ていた。


 ――あっ、黒猫?


 槍使いは、獣魔を従わせているのかしら。

 それとも召喚系の使い魔?

 ローブを着た禿男はそれを見て、悲鳴を上げるように、


「――なっ、なんだとッ」


 そんな声はあっという間に遠くなる。


 槍使いの男はすごい膂力だ。

 わたしを抱えてこの速さ。


 すぐにわたしを魔獣に乗せ「このまま先に走れっ」と命令を出した。


「待って」


 不安になり、槍使いの男を呼び止めた。


「大丈夫、俺を信じろ。お前を殺らせはしない。森の中も心配だが、まずはあの夫婦だ。このポポブムなら速度が出るし逃げられる。あの夫婦を殺ったら、すぐに呼び戻すから」

「待て、絶対に死ぬな。わたしがお前を殺すのだから――」


 わたしが動ければ……。



 ◇◇◇◇



 三十分ぐらいだろうか。

 魔獣に乗せられたまま何もできないことに苛立ちを覚えるが、体の自由が利かないのでしょうがなく待っていた。


 暫くして、口笛が聞こえてきた。

 魔獣はブボッと鳴いて返事をすると、音の方向へと進み出す。


 また聞こえてきた。魔獣は鼻息を荒くして走っていく。

 この子、利口な魔獣だ。


「ユイ! 大丈夫か?」


 槍使いの男は、生きていた。


「……大丈夫。体は痺れて動かないけど……貴方は大丈夫だったのよね」

「ん? 俺のことを心配してる?」

「馬鹿……なわけないでしょうっ、わたしが貴方を殺すのよ?」


 強がった態度で話す。

 すると、槍使いの男はにやにやしながら近寄ってきて、動けないわたしのお尻を撫でまわして揉み拉いてきた。


「きゃぅ、へっ、へんたい!」

「ははは、そんなこと言ってると、お嫁にいけない体にしちゃうぞ」


 全く……信じられない。この男、スケベだ。


「……」


 わたしは魔獣に乗せられたままさっきの小屋へと戻ることになった。


「ユイ、体を抱えるぞっと」

「あんっ、ばかっ」


 ……またわたしのお尻を触ってきた。もうっ、やらしい男っ。

 でも、この男はわたしを優しく寝台へと下ろしてくれた。


「そういや、ユイの大事な刀、ここに置きっぱなしだった。治った時のために大事にしないとな」


 スケベ男は端正な顔を崩して笑顔を何回も重ねて話していた。

 そして、笑顔に釣られたわけではないけど、自分の大切な魔刀のことより、このエロ男にお尻を触られたことで頭がいっぱいだった。


「うん……」


「それじゃ、体を休めておけ。庭で転がっている死体を片付ける」

「わかった」


 まだ体は麻痺していて少しも動かせない。

 槍使いは……外から帰ってこない、遅い。

 激しい剣戟音が響いてきているが……まだ誰かいたのか?


 ……まだあの槍使いの男は帰ってこない。


 その代わりに、黒猫が傍に来た。

 ――わたしの腕を舐めてくれる。


 わたしの表情を見て、何やら判断しているらしい。

 この子、わたしのことを心配してくれているの? 可愛い。


 槍使いが無事に帰ってくると、槍使いの男は、わたしの姿勢を直してくれた。


 そして、家の奥から回復ポーションを探してきてくれるらしい。


 暫く黒猫と遊んでいたら、槍使いの男は幾つも瓶を持ってきてくれた。

 それらの匂いを嗅いで調べて、薬を飲ませてもらう。


 が……治りが遅い。

 この体を麻痺させる毒は特殊な物のようだ。

 完全に毒が抜けるまでには数週間はかかりそうだった。



 ◇◇◇◇



 次の日起きると、槍使いは消えていた。


 ふふっ、どうやら……わたしを置いていったようだな。

 あぁぁっ、くそっ、体が動かない。わたしは……。


 すると、槍使いの男は帰ってきた。上半身裸で……。


「ユイ、少しは動かせるようになったのか?」

「……あっ! あぁ、少しだけな。だが、この通り……」


 はっ、しまった。

 一瞬、嬉しそうな表情を出してしまった。


「さすがに一日だけじゃ、そこまでの回復は期待できないか」


 わたしの表情には気付かなかったのか、槍使いの男はきょろきょろと視線を動かしている。この倉庫で何かを探しているらしい。


「お前……裸?」

「あぁ、訓練したからな、おっ、あったあった……」


 ん? この平たい顔の男、ネックレスを胸にかけている。

 しかも、飾りが白いてんとう虫。


 ――あ、あれは、もしかして古の星白石ネピュアハイシェントかしら……エルフの古い伝説で、愛を誓い合う者と分かち合う石として有名な古の星白石ネピュアハイシェント


 なんで、古代ベファリッツ大帝国から伝わる宝石を……。

 エルフの恋人でもいるのかしら……。


 この男はわたしが裸を見ても、気にも止めずに作業している。

 大きな桶を小屋の隅から引っ張り出していた。


「ん、何だ?」

「風呂だよ風呂。汗掻いたしな」


 槍使いは風呂に入るらしい。綺麗好きのようだ。


「風呂か……」



 そして、桶を洗い終わると、<生活魔法>で桶へお湯を注ぎ出した。


 どうやら本当に風呂へ入るらしい。


 変な草団子を取りだし、両手で丁寧に器用に泡を立てていた。

 黒猫もごしごし洗ってあげている。


 それにしても……鍛えあげられている体……。

 胸板も厚いし、腕も太い。

 背中の筋肉も――ん? 何だろう。

 背中とお尻に小さい模様があった。


 最初、入れ墨か何かかと思ったけど……。

 背中のは黒くて丸い点が三つで動物の手形のような物。

 お尻のは水色の涙のような物。


 それにしても、やけに入念に洗うのね……。


 と、槍使いの男を見ていたら――。


 無理矢理風呂に入れられてしまう。

 拒否したのだが、ウヤムヤのうちに裸にされ桶へ運ばれてしまった。


 わたしはそこで男の一物を初めて見た。

 槍使いの男は興奮しているのか、男根が屹立していた。

 だが、そんなことより……エロ男は、わたしの体をくまなく洗い、胸を揉まれて、あそこも洗われてしまう始末。


 その時に名前を教えてもらったが、恋人とかまたふざけたことを言ってきたので、思わず汚い言葉を返してしまった。


 ……おかしなエロ男だ。

 わたしを綺麗といったり、欲情したりするとは……。

 まぁ、わたしの顔はそれなりに整ってるらしいからな……。

 こいつも、実はただのエロで、スケベな男ということだ。


 だが、スケベの癖にオカシイ。


 今のわたしは体が麻痺していて動けない。

 なので、この槍使いは、いつでもわたしを襲って犯すこともできたはずだ。

 時折、いたずらをするようにくすぐったり胸やお尻を揉んでくるだけで乱暴なことは一切しない。


 一切そういうことはしてこなかった。

 きっと、あのネックレスの想い人がいるからだろう。


 ……意外に紳士な一面を見せてくれた。

 こうして、数日は食事と薬を口へ運んで飲ませてもらい、体も洗ってもらい、下の世話までしてもらう始末……。


 この槍使い、シュウヤ・カガリという姓がある名前からすると、何処かの下級貴族の出だったりするのだろうか。


 そうに違いない。

 綺麗好きだし、槍だけでなく魔法にも興味があるようだ。


 難しい魔法の本を何冊もすらすらと読み、わたしの知らない難しいことを知っていたりする。何度か魔法の本を読ませてもらったが、難し過ぎた。

 その難しい本を楽しく読んでいるので、知能は高そうだ。


 シュウヤはいったい何者なのだろう。


 冒険者カードは持ってないようだし。

 それでいて、とてつもなく強い。

 戦った時も、ずっと情けをかけられていたようだし。


 わたしはそれを知って落ち込み、思わず八つ当たりしてしまった。

 決定的だったのが、シュウヤが狩りから帰ってきたときだ。


 一度戦うところを少し見たから知っていたが、大きくなった黒猫が獲物を自慢するように触手の先に青白虎をぶら下げながら小屋に入ってきた時は、本当に驚いてしまった。

 わたしがシュウヤを襲った際に、この黒猫も同時に相手をしていたら、戦いにすら成らなかっただろう……。


 この黒猫はロロディーヌという名前。


 つぶらな紅い瞳の奥に小さい黒い点がある。

 可愛いが、意外に思慮深いところもあり、わたしの体を気遣うように舐めてきたり、頭を擦りつけてきたりする。


 本当に可愛い猫だ。

 だけど、少し大きくなった姿を見たときは、正直怖かった。


 そんな黒猫とシュウヤとの生活にも慣れてきた頃……。

 少しずつだが、体が動くようになり、会話をしていて自然と笑顔になることも増えていく。


 シュウヤが近付いてくると胸がどきどきする。

 わたしはこの男を……。


 でも、風呂の時や下の時は別だ。いつも不機嫌になる。

 体を洗ってくるのだ。それは我慢しよう、動けないのだから……でも、あれは……死ぬほど恥ずかしい……。


 まぁいい。完全に回復したら……。

 殺すのだから。

 いや……正直言うと、もう……。


 わたしには……ムリ。

 コロセナイよ……とうさん……。



 ◇◇◇◇




 わたしが生まれた日は寒い夜で、厳冬の季節。

 生まれながらにして不思議な瞳を宿していたらしい。


 唯一の瞳、他に無い瞳。

 そこから、ユイと名付けられた。


 わたしの瞳は特殊な力を秘めている。

 <ベイカラの瞳>。


 通称、死神の瞳。死神ベイカラの力を宿す。

 エクストラスキルという特別なスキル、恩寵でもあった。


 わたしの家にはフローグマンという姓がつく。

 サーマリア王国に古くから仕える小貴族だ。


 わたしの先祖には魔族の血を引くものがいたらしい。

 だからフローグマン家の血筋は生まれながらにして特別なスキルを宿すことがあり、その力を使い数々の戦場で武勲を立てたとか。


 だが、その栄光も長くは続かなかった。

 あれほど戦争を繰り返し仲の悪かった【レフテン王国】とフローグマン家の主である【サーマリア王国】が大国【オセベリア王国】の進出により、突如和解したのだ。


 それにより長年続いた戦争が終わると……。

 武門の小貴族であるフローグマン家は要職から外れて落ちぶれていく。


 フローグマン家は元から領地が狭く裕福ではない。


 父の代で家計が大きく傾くことになり、貴族と称してはいるが実際の生活は貧窮を極めていく。

 それでも、父カルードと母サキは弱音を吐かずにフローグマン家再興のために必死に働いて日々の糧を得て生活していた。


 そんな時に運が良かったのか。

 父が大貴族に武術の腕を買われて雇われることになった。


 昔からフローグマン家が小貴族なのは変わらない。

 けれども、血筋は代々から伝わる武門の出。

 それが色濃く出たのが父さんだった。

 武術に優れ、わたしを幼い時から鍛えてくれていた。

 わたしが言うのもなんだけど、頭も良く強い。それでいて端正な顔立ちだ。


 正に秀外恵中な父さん。性格は女性に近い部分があるけど言わなかった。


 ところが、良いことは長くは続かない……。

 母が突然倒れ病死したのだ。


 父は悲しみに暮れる間もなく、新たな仕事で忙しくなり、家を空けることが増えていく。

 父の仕事は順調でも、フローグマン家の財政は厳しい状態だった。サーマリア王国の貴族籍剥奪の一歩手前という状況なのは変わらない。


 常にぎりぎりの生活だった。

 そんな厳しい事情でも、父からはフローグマン流剣術の手解きを受け続けていた。

 三大流派の飛剣流、絶剣流、王剣流の良い部分を取り入れた戦場武術だ。

 周りから介者剣術と馬鹿にされることもあるが、そんな奴らは何も解っていない。


 しばらくすると、師範の父がわたしの実力を見て驚く顔が増え、嬉しそうな顔を浮かべることが増えた。

 父が喜んでくれる姿を見るのが嬉しかった。


 そんな父が一度だけ血濡れた姿で家に帰ってきた時は慌ててしまう。


 父さんは厳しい顔を浮かべて説明を始める。


「ユイ、黙っていて済まない。わたしは闇ギルドに入り、色々な闇の仕事、暗殺業に手を染めていたのだ」


 父さんは珍しく動揺しながら話す。


 誇り高いフローグマン家を闇に染めてしまったのだと。


 泣きながら、わたしを抱き締めて説明してくれた。



 わたしは「大丈夫。どんなことがあっても父さんを嫌いにはならない。その代わり、わたしが強くなるために、もっと訓練して」と強く懇願した。


 父さんは黙って頷き、わたしの思いに応じてくれた。

 そして、闇ギルドの仕事を終えると、厳しい稽古が始まった。


 わたしは父さんと一緒にいられる時間が増えて凄く嬉しかった。


 父さんはすごく強いし厳しい。

 怪我は日常茶飯事だった。

 だけど、必死で厳しい訓練についていく。


 厳しい訓練を重ねていくと、父さんはわたしの成長に驚きの顔を見せる。


 どうやら、わたしにもフローグマン家の血筋が色濃く反映されているらしい。

 戦闘職業も、<戦士>、<剣士>、<双剣士>、<重戦士>、<軽技使い>、<弓使い>、<軽戦士>、<刀使い>、<暗殺者>と次々と獲得していった。


 そして、魔力を纏う特殊秘術系の<魔闘術>を教わった。


 これは身体能力を引き上げてくれる。

 自身の魔力を使うので最初は苦労したけど、身体速度を上げることができるのは戦士系にとってどれほど大きいか。


 <魔闘術>を身に付けられたときは嬉しかった。

 こうして、父から厳しく剣術や暗殺術を教え込まれ、才能を開花させていく。


 ――天賦の才。


 父がわたしを見てそう語ったのは、真剣を使った稽古を始めてから三ヶ月を過ぎた頃だった。


 訓練の最中、わたしの瞳が光芒を繰り返す。

  <ベイカラの瞳>を発動させたのだ。

 死神ベイカラにまつわるスキルである<ベイカラの瞳>。


 この目で見た相手を赤く縁取り、それは消えることのない死神のマークとなる。

 マークを付けた相手には、わたしはあらゆる身体能力を倍増させて戦うことができる。


 父さんは唖然として口を開いた。


「ユイ、不気味な瞳だな。だが、その瞳が発動した場合、動きの質が違う。凄まじい鋭さになる。<魔闘術>と合わせればお前はサーマリアでトップクラスの暗殺者となろう。さすが、わたしの娘であり、フローグマン家だ。落ちぶれても神は見捨てはしなかった。死神といえど恩恵は恩恵だ。だが、その瞳が死神ベイカラの狂信者共にバレたらやっかいだ。発動時は気を付けろ。もっとコントロールできるようになるのだぞ」

「うん――」


 父さんは本当に嬉しそうに語った。


 そう、わたしのこの瞳は不気味な瞳。この瞳は死神の力。

 この力を使いこなすようになると、父の訓練はまた一段と厳しくなっていく。


 ――恐怖を感じるほどに……。

 その時、わたしは瞳が自動的に変化していることに気付かされた。


「ん? また瞳が変わってるな?」

「えっ、あっ、うん」


 コントロールしようとするが、どうも恐怖を感じると自動発動してしまうらしい。


 だけど、これは今のわたしにとっては好都合。

 それだけ能力が強くなるからだ。

 こうした父との訓練は、殺し合いの寸前まで及んでいた。


 だが、そんな生活は長くは続かなかった。


 あれほどの強さを誇った父が任務で怪我を負ってしまったのだ。

 その怪我は重傷だった。

 ポーションや教会の司祭に見てもらったが、回復魔法でも完全には治せない。傷が普通の切り傷ではなかった。


 黒い斑点が顔や皮膚に浮かび、極々小さい魔法陣らしき物が多数切り傷の周りにある。


 こんな傷……見たことない……。

 まるで何かの呪いでも受けてしまったように……。


 きっと、父が受けた任務は普通の任務ではなかったのだろう。


 それが元で、父さんは病気を患ってしまう。

 病状は日々悪化した……。

 そんな時、朗報があった。父さんに効く魔法薬を見つけたのだ。


 だけど値段が異常に高い。


 しかし、それしか頼る物がなく、高価な魔法薬に頼るようになってしまった。仕事に出られないので、一気にフローグマン家は衰退の一途を辿る。


 そのせいで、わたしが父の代わりに闇ギルドに入るのは至極自然な流れだった。


 そして【サーマリア王国】の大貴族であるヒュアトス様と会い、忠誠を誓わされ、闇ギルドに正式に加入して現在に至る。


 だから、わたしは父さんを救うため任務を果たさねば成らない。


 けど、このままじゃ、ムリ……。

 もう……ずっとこの堂々巡り。


 しっかりしなければ。



 ◇◇◇◇



 シュウヤと黒猫との生活を始めて七日が過ぎた。

 わたしは立ち上がれるようになった。


 シュウヤはこの七日間……本当にわたしの体を労わって大切にしてくれた。

 わたしを元気付けようと、わざとふざけたことを言ってきたり、馬鹿げたことをする。食事を作ってくれたり、体をほぐしてくれたりもしてくれた。


 紳士だけじゃなくて優しいのだ。

 そして、彼のわたしを見る目も優しい。


 最初にわたしと対峙した時のような凍るような冷たい視線は一切見せずに、わたしのどうでもいい話を聞いてくれたり笑顔を返してくれるだけでなく、女として扱ってくれる。


 彼のその頑な姿勢は、わたしにとっては初めての温もり。

 そんなある日――わたしは自然と父さんのことを話していた。


 暗殺者失格だろう――。

 だけど、彼は黙って聞いてくれて、わたしのことを解ってくれた。

 彼も自分のことも話してくれる。お師匠さんが居るらしい。

 とても強いんだとか。わたしには想像もつかなかった、シュウヤより強いだなんて。


 黒猫とも仲良く過ごすことができた。ロロちゃんは可愛く、じゃれて遊んであげると触手を伸ばし気持ちを伝えてくれたりした。


 不思議な猫。


 使い魔らしいけど、気持ちを伝えてくれる猫とか魔獣とか、聞いたことない……とても愛くるしいし、ふふ。


 それと、シュウヤは毎日のように小屋の奥にある書斎部屋へ向かう。

 本を探しにいくんだとか。


 わたしは何かシュウヤの役に立つことをしたくなり、肉を干そうとした。


 だけどダメだ。

 ここは霧が濃くて干そうにも乾燥しそうにない。

 暫くしてから、シュウヤが戻ってきた。


「シュウヤ、ここで干物は無理だ。霧のせいで湿る」

「しょうがないな。保存食にするには適当に焼いて乾かすしかないか」

「魔法が使えたら楽なのに」

「あ、魔法と言えば、だ。変な魔法書を発見した。見てくれる?」


 シュウヤは子供のように嬉しそうな顔を浮かべて魔法の書物を見せてくれた。


「これが? 字は読めないし、あっ、これ、ちゃんと魔力は感じる。でも、中身はちんぷんかんぷん。こんな文字みたことないし。エルフ語とも違う……古代ドワーフ語に少し似ているけど違うと思う。見たことのない字」

「そっか、俺には読めるんだけどな」

「えっ」


 これを読める? 古代語を?


「少し実験を行う。離れててくれ……」

「え? 実験?」

「にゃ」


 急ぎロロちゃんを抱き上げ、シュウヤから少し距離を取った。


「そこで見といて」


 シュウヤは短く告げる――。

 えっ? 文字が浮かんでいる……。


 こんなの知らない。魔法書を読んで覚えるところを見たことはあるけど、こんな現象なんて見たことない! 輝く文字が浮かんでいる。


「何……これ?」


 こんどは文字が揺れたと思ったら、文字がシュウヤの頭に吸い込まれていった。


「うぉっ……」


 一瞬、大丈夫? と声を出そうとするが、シュウヤは恍惚とした表情を浮かべて頷き、深呼吸をしていたので大丈夫そうだった。


 最後にはシュウヤの掌にあった古い魔法書が消えてなくなっていく。

 今度は右手を掲げて何かをやろうとしていた。


 右の手を前にして、指で円を描く――。


 魔法だ……。

 指でなぞる仕草をして、黒い光が尾を曳くように魔法陣を構築をしていた。


「すごい……<魔術師>……」


 この魔法陣、シュウヤは<魔術師>なの?


「最初は書物の基本通り……だが、名前は変える」


 シュウヤはそう呟いている。


「《闇弾ダーク・バレット》」


 魔法名を言い放った瞬間――。


 闇の歪な石のような塊が魔法陣から現れた……。

 こんな魔法は知らない。

 <魔法使い>どころか、<魔術師>級だったなんて……。

 そんなわたしの気持ちを吹き飛ばすように、魔法から生み出された黒い塊が地面に衝突――土を抉り、破片が周囲へ弾けて突風が発生した。


 衝撃波でわたしの髪の毛が揺れる。

 ロロちゃんも驚く。跳ねちゃってるし。

 凄まじい威力に、激しい重低音の衝突音だった。

 ものすごい威力。あの大きな穴……。


「これ、直撃したら中々の威力だな」


 暫し……魔法の威力に呆気に取られていた。

 この威力に、武術だけではないシュウヤに恐怖を感じ始めている。


 そして、疑問に思ったことをすぐに口にしていた。


「シュウヤ……貴方、何者なの? 槍武術だけでなく、魔法まで使いこなすなんて……」

「ユイ、目が……」

「あっ、見ないで!」


 あっ、なんか恥ずかしい。


「あぁ。が、見ちゃった……」


 こんな目……。


「わたしの瞳、虚ろで異常でしょ……」

「そうか? 幻想的で綺麗だったが……」


 えっ? わたしの瞳が綺麗……。

 そんなこと言われたの、生まれて初めてかも……。

 父さんでも不気味としか言わなかった。


「……シュウヤだけよ。そんなこと言ってくれたの」


 嬉しくて自然と涙が流れていた。


「綺麗だよ。前にも一度……その瞳を見せていたな」

「うん、ありがと。あの時はシュウヤを追うためにね」


 さっきまでの恐怖が消えていた。


「あっ、元に戻っていく」

「ふふ」


 心が軽い。シュウヤになら全てを話せる気がする。


「俺を追うってことは、それは特殊な瞳だったり?」


 笑顔でそう聞いてくる。


「そう。これは<ベイカラの瞳>。通称死神の瞳。追跡能力に長けているの。そして、わたしの能力も高めてくれる。一度この瞳で捉えたターゲットは未来永劫赤く縁取られて、どこにいても追いかけることができる。わたしにとっては獲物ね。二度、三度と重ねてターゲットを見ると、そのたびにわたしの暗殺能力がアップするの」


 わたしは自然と自分の大切な秘密を打ち明けていた。


「だからあの時変化していたのか」

「うん、あの時は意識して発動させたけど、恐怖を感じて自動的に発動しちゃう時もあるの」

「そっか。怖がらせてしまったな、済まない。が、そんな重要な情報……俺に教えちゃっていいのか?」


 確かに……でも、もういいの。


「わたしはもういいの。それより問題はシュウヤ。実は<魔術師>だったりするの?」

「違うと言いたいが、否定はできない……<魔法使い>になったし。つまり、元々その素養があったってことかな?」


 素養があったというだけでは、納得がいかないわ。


「……わたしも見たことのない現象だった。魔法を覚えるのに文字が浮かぶなんて知らない。言語でも紋章でもあんな現象は起きない」

「文字が飛ぶのはそうなんだろうな」


 何かまだ他にもありそう。


「何か、隠してる?」

「<古代魔法>らしい」

「<古代魔法>!?」


 <古代魔法>――。

 【サーマリア王国】や【レフテン王国】内の噂では聞いたことがあったけど、そんなものが本当に存在するなんて。【迷宮都市ペルネーテ】や【塔烈都市セナアプア】に、遥か北の【魔法都市エルンスト】なら解るけど。


 ますます分からない。シュウヤ……。


「好きな女にそう何度も怖がられるとショックだな」


 え? えぇぇ、好きな女?

 わたしはその一言で恐怖の感情や疑問が吹き飛んでいた。

 好き、その言葉を聞いて、一気に頭の中がそのことでいっぱいになり、胸が高まる。


「……わたしが好きなのか?」

「あぁ、好きじゃなかったら介抱したりするかよ」

「それも、そうね……」


 嬉しい。胸が張り裂けそう。

 どきどきする。どうしよう、わたしも……。


「ユイ、さっき肉を焼くとか言ってただろ? さっ、今やっとこう」

「ん、そうね」


 思わず、言葉が固くなってしまう。

 ぎこちなくなってしまった。


 シュウヤは気にせず肉を焼いているし……。

 その日は、シュウヤのことをあまり見られずに過ごしてしまった。



 ◇◇◇◇



 シュウヤは毎朝、朝早くに起きて訓練をしているようだった。

 いつも上半身裸で……汗を流して部屋に帰ってくる。

 わたしがいるのに平気で風呂に入るし、でも、やっぱり筋肉が素敵だった。


 背も高く、黒髪に黒目。

 顔は平たいけど、関係ない。

 胸には鎖が巻き付いた白い十字のマークがある。


 首にはネックレスが二つ。

 その一つは相変わらず、あの星白石ネピュアハイシェントのネックレス。

 シュウヤの想い人は、どんな女性なんだろう。


 あ、シュウヤのお尻、結構キュートだ。

 わたしが見つめていると、「また一緒に入るか?」と言ってきたので、「わたしはもう平気だっ」と強めに言ってしまい、近くにあった果物ナイフを投げつけてしまった。


 簡単に躱されたけど。


 アレの日は、シュウヤは鼻をくんくんさせて目が血走っていた。

 正直怖かった。

 そして、楽しい日々はいつの間にか過ぎて、十日以上経過していた。


 わたしの体はもう完全に治っていたけど、黙っている。


 毎日一緒に誰かと食事をするのは、幸せ。

 今日は気分を変えて外に出て食事を行っていた。


 生まれて初めて女として生きている気がする。


 わたしを見つめてくるシュウヤ。顔は平たいけど、整っていると思う。

 笑顔が可愛い。

 シュウヤも笑顔を返してくれた。

 だけど、今日はそこでシュウヤは視線を逸らしてしまった。


 その瞬間――。


 シュウヤは険しい顔を浮かべて、空を見上げた。


 すると、突然頭上、霧の中から化け物、魔族が現れた。

 その魔族は地面に降り立つ。骨の翼を持っていた。

 ガーゴイル系ね、みたことのない種。


 わたしは警戒して刀の柄巻を握る。

 青白い肌に黒い瞳が大きい。足は鳥のようだ。

 その魔族が、


「おや……あの<魔術師>ではないな」

「あぁ、お前は何だ?」



 シュウヤが話している間に、わたしは<ベイカラの瞳>を発動。

 いつでも斬りかかれるように戦闘態勢を取る。


 両手に刀を持ち、構えた。

 シュウヤは話しているが、油断はしていないと思う。手には黒槍を握ってるので大丈夫なはず。


「その女も容姿が違うな? ゾル・ギュスターブはどうしたんだ?」

「それよりも、質問に答えろ。お前は何だっ?」


 シュウヤは脅すように聞いていた。

 あの魔族、ニヤついてるっ、来る!


「さぁな――」


 魔族がシュウヤに斬りかかると同時にわたしも<舞斬>を発動。

 魔族目掛けて――攻撃を仕掛けていた。

 ――回し斬ってやるっ。


 両手に握った刀による<舞斬>。

 十数回、硬質な音が響く――ちっ、防がれた。

 でも、着地と同時に袈裟斬りから――<暗羽>を喰らわせてやる。


 ――<暗羽>。


 首薙ぎの剣撃とスキルの連続技も、硬い骨剣で弾かれた。

 太い骨剣でタイミングよく往なされる。


 ――また防がれた。

 この魔族、強いっ、一旦距離をとる。


「人族の女にしてはやるじゃねぇか。だが――」


 わたしを挑発するように話してくる魔族。

 その言葉通り、急に動きの質があがった。

 背にあった骨の翼が左右に広がり、魔族の速度が急激に上昇した。

 速度が増した魔族は、骨剣の連撃を繰り出してくる。

 連撃が激しい、速い――クソッ、反撃の隙も与えてくれない――。

 ――痛っ、えっ? これは、骨の翼だった物?

 骨の槍に足を貫かれてしまった。いつの間にか魔族は背の翼を槍状に伸ばして攻撃に使ったらしい――動けない、魔族の攻撃が来る!


 刺されると思った瞬間――。


 あれ、魔族が吹き飛んだ!?

 あぁ、シュウヤが助けてくれた! ――ロロちゃんも!

 魔族はよろめき僅かな呻き声を漏らしている。

 そこに――、


「俺の好きな女に手を出したことを後悔するがいい」


 好き、……女。好きな女。わぁ……。


 シュウヤは手から鎖のような物を突出させたと思ったら、わたしが視認できないぐらい凄まじい速度で動いて連続攻撃を行い、簡単に魔族を仕留めていた。


 ――凄い動き。でも、あの鎖は何だろう。

 それより、また好きと言われちゃった……。

 嬉しい……。


「ユイ、大丈夫か?」


 わたしも好き……。


「ユイ?」


 シュウヤが不思議そうな顔を浮かべて近寄ってきた。

 急ぎ、ぼうっとしていた表情を取り繕う。


「あっ、あぁ、うん、大丈夫。それより、助けてくれてありがと。また命を救われちゃったわね……きゃっ、痛い」


 足の傷をロロちゃんに舐められていた。


「ロロッ」


 シュウヤは少し焦っていた。


「あ、大丈夫だから。ふふ、ありがとね、ロロちゃん」


 ロロちゃん。ふふ、可愛い。なでなでしてあげちゃう。


「ロロ、舐めるのはだめだ。むしろおれ……」

「え?」


 おれ? 何かしら?


「いや、そうだ、薬。ポーション取ってくる」

「あ、うん」


 おかしなシュウヤ。

 でも優しい。ポーションをまた飲ませてくれた。


「これで大丈夫だ。ポーションが沢山あって良かったよ」


 それより、あの魔族、わざわざここに来たということは、ここの家主と繋がりを持っていたようね。

 サーマリアでも魔族と繋がっていた人族は多くいたし、わたしも魔族の血が入っているから、何ら不思議なことではないのだけど……。


「……うん、でも、あの魔族……ここの家主だった<魔術師>と面識があるみたいな感じだった」


 わたしがさり気なく言うと、シュウヤは魔族の死体を探り出す。


「……死人に口なしだが、ゾルの日記には骨の翼の魔族に関する記述があった。それと、この魔族、荷物が無い。骨剣があるだけだ」

「また違うのが襲ってこなければ良いんだけど……」

「確かに、その可能性はある。この場所からは早々に退いたほうが良いかもな」

「そうね」


 シュウヤはそこで、神妙な顔つきに変わった。


「そういや、さっきの刀を扱う動き、中々鋭かったな? 体の方はもうすっかり回復したんだろ?」


 嫌な予感がする……。


「えぇ、治ったわ……」

「そうか……良かったような、良くないような……」


 何か言いにくいことを言うつもりね……。


「なにが言いたいの?」

「お前が回復したのなら、明日の朝にでも俺はここを出ようかと」


 ……何でよ……ここを出るなんて言わないでよ。

 でも、わたしはそんなこと、言えない……。


「……なっ……待ってよ、わたしと敵対関係に戻ると言うの?」

「ユイ次第だ」


 どうして、どうしてよ。ずるいわよ。

 わたし、ワタシだってっ、……シュウヤの馬鹿!


「……わたしはシュウヤを殺さなければ、ならないのよッ。でも、殺したくないのッ。それなのに、ずるいっ、ずるいっ、ずるいっ!」


 わたしは感情が高ぶり、感情の抑えが利かずに話していた。

 そんなわたしを優しい表情で見るシュウヤは、暫し間をあけてから話し始める。


「……なぁ、それなら俺と黒猫ロロと一緒に旅をしないか?」

「……」


 一緒に旅……。


「俺は黒猫ロロのために、ある秘宝アーティーファクトを探してるんだ。その旅にユイ、お前が居たらどんなに楽しいか……どうだ? 一緒に来ないか?」


 秘宝アーティーファクト、旅……。

 仕事だけで精一杯だったから、今まで一度もそんなこと、考えたことがなかった。

 わたしも付いていきたい。シュウヤの傍に……。


 けど……。


「……行きたい。でも、ごめんなさい。無理なの……組織が許さない。それに、フローグマン家を守らないといけない。病に伏せっている父さんのためにも」

「……無理にとは、言わないよ」


 シュウヤは残念そうに視線を落とす。

 わたしだって、離れたくない。初めて好きになった男。

 でも、殺さなくてはいけない相手。

 離れるなら、最後に……。

 シュウヤには想い人がいる。けど、想い人がいてもいい。


 わたしは……。


「……シュウヤ」


 わたしは着ている黒装束を脱いでいった。


「変に思わないで聞いてほしい。離ればなれになる前に、礼がしたいの。シュウヤに想い人が居るのは……知っている。けど、それでも良いから、……わたしを抱いて欲しい」


 言葉が鉛のように喉に詰まりながらも、勇気を振り絞り告白していた。

 こんなわたしを、受け入れてくれるだろうか?



 シュウヤは……わたしの体を見つめてくる。

 わたしは、嬉しさのあまり心と体が震えた。


「……ユイ、綺麗だ。……だが、俺には想い人なんていないよ?」

「え、でも、そのネックレス……」

「あぁ、これか。ずっと前に拾った奴だよ……」


 そう、だったの……。

 良かった。


「あぁ、これか。ずっと前に拾った奴だよ……バカだな、勘違いしたのか、ほらっ」


 シュウヤが腕をひっぱり抱き締めてくれた――。

 シュウヤの胸は温かい。


「綺麗で、可愛い奴だ」


 耳元でそう言ってくれた。嬉しい。

 乳房の芯が疼く。


 シュウヤが裸になり、また強く抱き締めてくれた。

 胸板の筋肉がすごい。

 わたしは、自然とシュウヤの顔を見上げ目を瞑っていた。


 シュウヤの唇を感じる。

 上唇を重点的に優しくキスされた。


「ん、今日だけ、わたしは恋人……」


 どうしようも無い感情が溢れた。


「あぁ……」


 何回も唇を重ねてもらい、感情が高ぶる。

 そして、何も考えることができないほど抱いてもらった。


 だけど、次の日。

 わたしが起きた時にはシュウヤは、もう居なかった。


 ――これで良かったのかも知れない。


 ううん――本当は悲しい――。

 胸にぽっかりと穴が空いた感じがする。


 シュウヤと一緒にもっと過ごしたい。

 ――もっと抱いてほしい。


 昨日の抱いて貰った感情がわたしの心を埋め尽くす。

 寝台上で自然と両足を抱えて、膝と膝の間に頭を入れて手を組んでいた。目から出た水滴が頬を伝い流れていく。

 気付けば寝台が濡れていた。

 シュウヤに会いたい。だけど、きっとそれは別の人生。


 わたしの手は血濡れている。


 一時の幸せを得られただけでも、満足しないとダメだ。

 きっと、シュウヤが残っていたら、わたしはシュウヤに甘えていただろう。


 そこで、顔を上げて立ち上がる。


 ん、手紙?


 寝台横にあった小さい物置の上に、何か書かれた羊皮紙とお金が沢山置かれてあるのが見えた。



 □■□■


 ユイへ


 この金はお前の父さんのためだ。

 足らないかもだが、これで高価な薬の足しにしてくれ。

 古代金貨も置いていく。もしかしたら高く売れるかもだしな?

 因みに、俺を殺したかったらまた来いよ。いつでも待ってるから。


 追伸 ちゃんと歩けるか? 悶える顔も良かったが、寝顔も可愛かったぞ、ハハ。



 □■□■



 ……ばかシュウヤ。


 でも、ありがとう。


 ……戻ろう。任務は失敗。汚名は甘んじて受ける。

 殺し屋、暗殺者失格だが、殺す相手を愛してしまった以上、指令はムリ。


 ヒュアトス様や暗部の右手からどんな仕打ちが待っているか分からないけれど、戻ろう。

 それに、この古代金貨、高く売れたら父さんを救えるかもしれない。

 そうしたら足を洗って、シュウヤの……。


 ううん。今はまだ分からない。


 わたしはこの想いを持って生きていく。

 サーマリアへ帰ろう。

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