七話 死闘と黒き獣の咆哮

 またあの怪物かよ。


 頭に響く声の主の怪物を見ようと背後に振り向こうとした。

 その刹那――。

 背中に強い衝撃を何度も受けた。

 その衝撃で前方に吹き飛ばされた。

 黒き獣の彫像の台座に頭から衝突――イテェェェッ、血だ。


 大量に俺の血が舞う。

 台座も血で真っ赤だ。全身が痛い。

 片目の視界が赤く染まる。


 え? 何だこれ。

 橙色の台座に彫られてあった古い壁画が動いている?

 視界が血で濁っているせいか?


 いや、血だ、俺の血が蠢いていた。


 壁画の溝を這う俺の血は不自然にせり上がるが、直ぐに溝の中に吸い込まれた? 

 溝が乾いたスポンジのように血を吸収しているように見えたが……。


 なんだこれ?

 壁画が俺の血を吸い取っているのか?


 頭をぶつけたから、幻覚でも見ているのか?

 怪物よりも、目の前の不可思議な事象に気を取られた。

 その僅かな思考の間にも……。


 血を吸い込んだ壁画の一部が黒く変色。

 徐々にだが……壁画の絵が新しく上書きされていった。


 最終的に、彫像と同じ黒き獣の姿が壁画に現れる。

 同時に台座の上にある黒き獣の彫像が光り出す。


 バチバチと黒い線香花火のような物が虚空に幾つも散った。

 硝子がひび割れるような大きな音も響く。


 ひび割れた巨大魔法陣が現れては消えた。

 重そうな彫像が揺れ動きつつ、纏う黒炎が、俺の血肉で更に赤く縁取られてどす黒い色合いへと変化を遂げた。


 大量出血して、夢でも見ているのか?

 俺はそんな不可思議な現象から視線を逸らして、周りを見ていく。


 台座の下や周りには、肉片が落ちていた。

 血はわかるが、肉片?


 これは俺のか?


 そこに背中、腹、足から凄まじい痛みが遅れてやってくる。


 いてぇぇぇぇ、痛すぎる……。


『……人族のくせに随分と逃げ足が速い奴よの。だが、その傷だ、もう動けまい?』


 いてぇぇぇぇ、あの怪物……。

 また頭に直接話しかけてきやがる……。


『だが、少しお前を追うのに夢中になりすぎてしまった。ここは来たことが無い領域。何かの古代神、旧神を祀る祭壇か? ……まぁいい。今は楽しみを優先しよう』


 地面に這いつくばりながら怪物がいるだろう背後へと視線を向けた。

 そこにはやはり、背中に羽を持った白色の鎧を着た怪物がいやがる。

 赤いメガネゴーグル。

 俺の腹の肉を喰った時と同じく怪物は俺の肉片を握っていた。


 怪物の四本の長い腕は漆黒色。

 その漆黒の中に紫色の小さい魔法陣が幾つかある。


 漆黒色が紫色の魔法陣をよけいに強調している。

 しかも、その紫色の魔法陣が生きているかのように……真っ黒な皮膚の表面を移動していく。


 不気味すぎる。

 指先の紫色の波打つ形の長い爪も毒々しい。

 あのフランベルジュのような波打った紫色の爪で俺の背中や足を突き刺したらしい。


 白い怪物はその漆黒色の手を引き戻すように収斂。

 長い腕を普通の四本腕の大きさに戻して、自らの口に、俺の肉片を運ぶ。


 怪物は前と同じように、俺の肉を……。

 白い怪物の唇がぶるりと気持ち悪く震えた。

 上下の唇がぱっくりと裂けて口が広がった。

 前にも見せたように、口蓋から太いミミズのような舌が二つに分裂しながら登場。


 俺の肉片へと舌を伸ばした。

 二つの舌は生きた蛇のように肉片から溢れる血を啜る。


 そして、ギョロりと動く白い眼。

 ゴーグルのような物を装着しているが……。

 怪物の眼は、ぐわりぐわりと異質に蠢く。


『……うまいうまい。しかし、その視線といい、まだ意識があるのか?』


 もう、そんな怪物に視線を合わせられないでいた。

 痛みがキツい。

 そうだ。に、逃げないとっ、<脳脊魔速>。


 …………。


 ――<脳脊魔速>。


 え!?


 なっ、なぜ? スキルが発動しない?


 <脳脊魔速>が、なぜか発動しなかった。


 何回も、何回も――。

 意識して発動させようとするが――。

 思考に靄がかかったようにスキルが発動しない。


『プ、フハハハ、無駄無駄ァァ。お前はまた、逃げようとしたのだろう?』


 クソがっ、<脳脊魔速>っ!


 何でだ?


『本当に、ム・ダ・だから。アハハハハ、今度は逃がさないと言ったではないか』


 白い怪物が勝ち誇り、嗤う。

 しかし、その通りで、いくら<脳脊魔速>を念じてもダメだった。


『お前はわたしが知らぬ不思議なスキルを使うからねぇ? 一部のスキルの認識を阻害する能力封じの特殊麻痺毒を仕込ませてもらったわ』


 何だとっ、あの黒い腕の先にある紫の爪か。

 確認のため、ステータスと念ずる。


 名前:シュウヤ・カガリ

 年齢:20

 称号:異界の漂流者

 種族:光魔セイヴァルト

 戦闘職業:鎖使い

 筋力1.8敏捷2.7体力1.8魔力3.8器用2.7精神3.9運1.7

 状態:異常:血漿欠亡病99%:高位侵食麻痺毒ハイ・バイオインベイジョン


 スキルは発動しなかったが、ステータスは見られるらしい。

 ハイ・バイオインベイジョン、これがスキル封じの原因か。


 それに、血漿欠乏病が九九パーセントに……。


 結局、逃げに逃げてこれかよ。


 ミイラ化よりも、今殺されそうだ……。

 異世界転生? 吸血鬼ヴァンパイア? 何がスキルだ……。


 が、そんな後悔の思考も激しい痛みで途切れてしまう。


 ――ガハァッ。


 口から血を吐く。

 視界が血で染まった。

 回復が追いついていないのか?


 ……傷の治りが遅い。

 血漿欠亡病のせいか。

 ひょっとして、能力ダウンも関係している?

 血を吸ってないから、こんな麻痺毒の影響を受けたのか?


 だとしたら、ひょっとして――本当に、俺は死ぬのか?


 必死に思考しようとするが、また体に激痛が走る。

 ――思考は途切れて、口の中で血の臭いが充満。


 やがて、血が喉の奥から溢れてきた。


「ぐぼぉっ、ぁ、血……いやだ」


 こんなところで死んでたまるかっ。

 必死になって地下生活に順応したんだっ。


 あらがう、あらがって、やる!!!

 抗う、抗うぞぁぁぁっ!!


 しかし、痛みで、思考が掻き消えていく。


 痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い…………。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、いや、いや、い、やあ、――あああああああああァァァァァッ!


 急激に世界が色褪せる――。

 ドクンッ、と鼓動が高鳴った。

 弓なりになった!? うぇ、体が跳ねっ、えぅあッ、なんだ、これ、体が自然と動く?

 沸き立つ血、血潮が体の内部を駆け抜けている?

 血が躍動する、心臓の跳ねる音が鳴り響く。


 電気ショックを連続で食らったような感覚が体を突き抜ける。

 毒の影響か分からないが……一つ一つ体の自由が失われていく感じだ。


 恐怖、後悔、憤怒、苦痛、死、狂気、血の渇望。

 最後には狂気と血の飢えがまざり合い、思考の渦は極限に達した。



 ピコーン※血の暴走ガ開始サレマス※精神汚染加速※狂乱枯渇カオスティックアウトガ始動※

 ※血ノ暴走ニヨリ強制上書キ※高位侵食麻痺毒ハイ・バイオインベイジョン解除※

 ※<真祖の血脈>限定解除開始※


 視界に赤く表示された情報、頭に響く音も、背や腹の痛みによって消えていく。


 ※<血の渇きの狂喜>※暴走スキル限定解放※


 こみあげる血の欲求に、喉ガ、焼けツク。

 理性ガ、俯瞰の位置に遠ざけられ、漂ウ――。


 こ、りゃぁ、暴……そ、うリィィィァァァァッ、ヒャァァハヒャヒャハハハハハハ。


 ピコーン※<真祖の血脈>※一部限定解放※

 ※血道第一門※血道第二門※強制開門※<血道第一・開門>※<血道第二・開門>※<血魔力>限定解除※

 ※<血魔力>※限定解放※

 ※能力不足※解放できず※

 ※エクストラスキル連鎖確認※

 ※一部限定解除※<血鎖の饗宴>※スキル限定解放※

 


 ノウにツギツギとヒビク音。

 視覚にもジョウホウが表示されていく。


 こ、れは、ココチ、イィィィィィッィィィ――!

 フヒャヒャヒャァ、ハハハハハッ!!


「ハハハハハハッ」


 オレはワラウァァァッ!

 スキル解放なんたらの、 チ、チカラ、力ヲッ、カンジルゥゥゥ!


 フッハハハハ、グゥゥ……。


 ――喉ガ、焼ケル。


 血、血、チ、チィ、チ、チィィィィ――。

 口の中にタマッテ、タ、ミズカラの血ヲ飲ミ込ムィィィ。


 ――血ィィィウィィィィィ、ウ、ウメェェェェ、モット、モッ、モットダァッ!


 血、血、旨い。モット欲しい。

 少し血ヲ吸って、スコシだけ、理性をカンジる。


『笑っている? おかしくなったか? 不思議な人族だ。さぁ、もっとお前の血肉を食わせろ』


 チ肉を喰ワセロ、だと……オレを補食する気か? ヴァンパイアである、オレを? フザケルナ……。


 血が蠢き立つ。


「フザケルナ……」


 黒い彫像を手で押さえながら立ち上がる。


『ん、なんだ? 急に立ち上がりおって、ぬおぉ!? ――魔素の質が変わるだと? それに動いている血はいったい?』


 怪物の声ガ、悲鳴ノヨウニ、頭ニ響ク。


「ゴチャゴチャとウルセェナぁ?」


 血ガ蠢き、オレの傷ツイタ身体の箇所カラ、血ガ大量に溢れ出す。

 そこで、自分の血を飲み込んだおかげか、理性が戻ってきた。


 しかし、血が欲しくて堪らない――。


 顔ヲ隠すように右手を無造作に上ゲタ。

 その瞬間、オレの身体中にある傷口から溢れ出ていた血ガ、無数の血鎖となる。


 無数の血鎖は俺の周囲をぐるりと回り、ボール状の球形となった。

 まるでオレを守るバリアのようだ。


 白い怪物野郎からは、オレの姿が見えなくなっただろう。


『なっ!?』


 白い怪物は驚きの思念を飛ばしてきた。

 そんな白い怪物の思念など意に介さず。


「オマエの血をいただく」


 極自然に出た言葉だ。

 血ガ食べられる。血ガ吸える。血ガ欲しい。などの思考で脳内が埋め尽くされていた。


 思考の渦は血の大海で渦巻いている。

 あそこに大量の血がある。そう思うと、自然とニヤついてくる。


 顔に寄せていた、右手を真っ直ぐ伸ばして、人差し指を怪物へと向けて、差す――。


 その瞬間<血鎖の饗宴>が発動した。


 オレの周り全体を包んでいた血鎖が一斉に波を打ち唸り声をあげるように動く。

 血鎖は大きな群れとなり、その一つ一つの血鎖がまるで獲物を狙う蛇のように白い怪物へ向かう。


 白い怪物は自身に迫る血鎖に恐怖を感じたのか、必死な形相を浮かべて身体を反転させた。

 背中の羽を見せている。血鎖から逃げようとしているらしい。そんな逃げようとしている白い鎧野郎へ無数の血鎖が肉薄。


 血鎖が最初に貫いたのは――怪物の足だった。


「ギャァッ」


 フハハッ、初めての声が悲鳴とはな。


 怪物は足を貫かれ転倒。羽をばたつかせる。地べたに這いつくばりながら四つの黒い腕を空中へ伸ばして、自らに迫る血鎖に対抗しようとするが、無駄だった。


 辺りに散らばるオレの血溜まりからも血鎖が形成されていく。


 それら新しい血鎖も血の嵐に加わると、怪物の背中へ血鎖の群れは回り込む。


 半透明の羽が貫かれていた。怪物の背中から体を覆うように血鎖が巻き付いていく。

 白い鎧は朱色の血鎖によって埋め尽くされた状態に。


 アハハハハ、怪物をがんじがらめにしてやった。

 さしずめ、血鎖の着ぐるみ状態だな。


 最終的に怪物の白い首筋と頭だけが、表に現れ見えるだけになっていた。


『まっ、まてまてぇぇぇぇ』


 白い怪物は焦ったように思念を飛ばしてくる。


「何を言っている?」


 オレは冷たく言い放ち、素早く跳躍。

 瞬時に血鎖でがんじがらめの怪物に近付くと、その怪物の頭を両手でがっちりと掴みあげる。


 オレの手から伸びた爪が怪物の顔の肉に食い込むほどに押さえ込む。


 嗤い――口を広げた。

 犬歯の部分が変形し、歯が少し伸びて尖る。


 そして、勢いよく怪物の首筋に噛みついてやった。


 一気に血を吸い、貪り尽くす。


 ――血ィィィィィィィ、うめぇぇぇぇぇぇ。


 ※血が満たされました※血の暴走※狂乱枯渇カオスティックアウト解除※

 ※暴走スキル<血の渇きの狂喜>※解除※

 ※能力値及び限定解除したスキルは解消され元に戻ります※


 脳に音が響くと共に視界に文字が羅列されていく。


 ※処女の血により<真祖の血脈>解放※

 ※スキル解放に伴い<真祖の血脈>から<真祖の力>へと変化します※

 ※<真祖の力>により魔力が二段階引き上がり各種スキルが融合します※

 ※<吸血>が<吸魂>へと変化※

 ※<分泌吸の匂手フェロモンズタッチ>※スキル獲得※

 ※<眷族の宗主>※恒久スキル獲得※

 ※<血魔力>※恒久スキル獲得※

 ※エクストラスキル連鎖確認※

 ※エクストラスキル<鎖の因子>の派生スキル条件が満たされました※

 ※<血鎖の饗宴>※スキル獲得※


 その瞬間――白い怪物から燐光が僅かに発生。


 それが俺に流れ込む。


 血とは違う。

 一気に爽快な気分になった。


 ピコーン※魔素許容量限界突破により進化を行います※

 ※光魔セイヴァルトから光魔ルシヴァルへと種族進化※

 ※種族特性強化※<真祖の力>へと恒久スキルが融合します※


 怪物はみるみるうちにやつれていく。

 やがて全身が干からびて、骨の表面に赤い血溜まりが僅かに残るだけの骸骨となった。


 骨と共に機械風の白い鎧が地面に落ちる。

 その時――白い十字光が目の前を明るく照らした。


 ピコーン※<光の授印>が発動します※

 ※<光の授印>により精神汚染解除※


 その不思議な白い光は俺の左胸、鎖十字のマークから発せられている。


 何故か、頭に鐘の音が鳴り響く――。

 血だらけだった思考は正常に戻っていった。


 この死骸……この白い怪物、処女だったのか……。


 目の前の骨をみて、むせかえる。


「おぇっ」


 いや、解っている。血が欲しくて……意識してやった。

 俺が力を欲し、血を望んだんだ。


 そして、力を得た。種族進化と<真祖の力>。


 俺の中で何かが変わった事は確かだ。


 血の餓えは収まったが、精神の変質を感じる。


 心臓の音が耳に響く。音の捉え方が変わった? 

 聴覚が鋭くなったのか、静寂がより長く深くなった。


「だが、疲れた……」


 俺は血肉まみれの黒き獣の彫像の前で倒れて意識を失った。



 ◇◇◇◇



 彷徨う意識――。

 混濁した意識の中――。



『素晴らしい……』


 声が聞こえてくる。


『素晴らしい……人族であり闇の眷族でもある、魂に光の十字を刻む男よ』


 ん? 地響き……響く声。また頭に声が響く?


『ソナタの名前が知りたい』


 その響く声に誘導されるように立ち上がる。

 声が聞こえた方へと視線を向けてみた。


 そこは青空が広がり、太陽が眩しい、緑豊かな、知らない土地だった。


「何だ……ここは……」


 周りを確認しながら、前に進むと、空間が蜃気楼のようにぼやけていく。


 怪物を倒して、気を失った?

 洞窟……俺は古い遺跡のような場所にいたはずだ。


 ここは違う世界?


 一歩ずつ、不思議なところを歩いてゆく。

 一歩進む毎に、足元の地面から草や花が咲いて花の香りが辺りを包んだ。


 まるで、花々が、歩く俺を祝福しているかのように。


 花びらは不思議な色合いを魅せて輝く。紫と白が合わさったような色合いを見せたと思ったら今度は真っ赤に変わり輝きを増す。


『こっちだ……』


 また、聞こえた。透き通る声……。

 声の方向に向かうと、動物たちの咆哮があちこちから聞こえ始めた。


 狼たちの遠吠えだろうか?

 その咆哮は前に進むごとに大きくなっていく。


 すると、また空間が揺らぐ。

 今度は目の前に断崖が出現した。


 向こう岸も見える。


 崖の際に移動すると、キュインキュインと音を出す黒く光る玉が現れた。

 その黒い球に触ろうと手を伸ばす。しかし、黒い球は意識があるように俺の手をするりと避けてしまった。


 たゆたう黒い球は崖を渡り奥へと移動してしまう。


 ん? なんだ?


 黒い球が通り過ぎたところから、淡く光る透明な植物のような橋が浮かび上がっていく。

 光る植物の橋はあっという間に出来上がり、崖と崖を繋いでいた。


「この道を通れ?」


 黒い玉は返事をするように『こっちだ……』と返してきた。


 しょうがない。この橋を渡るか……。

 勇気を出して、その幻想の橋に足をかけた。


 大丈夫だ。透明だが、歩ける。橋だ。


 橋の表面が透明の蔦なので内部がよく見える。

 不思議だが、橋の内部では光の流線が川のように流れていた。

 光が流れ星のように橋の中を通っている。


 とても綺麗な幻想の橋だ。


 そんな幻想の橋を歩いて崖を渡りきると、黒い玉が消え、また空間がぼやけ出して、景色が変わっていく。


 淡い空が現れて景色が固定されたと思ったら、今度は、一面に雲が広がっていた。

 真っ白い雲の上。空は青くなり、太陽が燦々と照り付ける。


 まさに天国?


 そんな感想を抱いていたら、突然また目の前に黒い玉が現れた。黒い球は、ぐにゃっと変形して姿を現していく。

 最終的に黒き獣の姿で落ち着いた。


 さっきの彫像か? 似ている。


 黒き獣は彫像の見た目の姿より一回り小さい姿だが、リアルな動物としての姿だった。


 黒い黒曜石のような艶やかな毛並み。

 毛が柔らかそうな黒豹や黒馬にも見えた。

 耳をピンと立たせ、瞳は紅く輝いている。


 猫のような瞳。


 だが、大型の獅子にも見える。


 大きな鼻は縦に通る濃淡のある黒いラインが綺麗に映えていて、その立派な獣の口からは肉食獣のサーベルタイガーを想起させる鋭そうな牙を覗かせていた。


 口周りにある髭は猫科特有の立派な白髭。


 喉元の毛並みは段々とした黒毛がふっくらと広がり威厳を示す獅子の風格を感じさせた。

 胴体の方は艶やかな黒毛なので黒豹をイメージさせる。


 しかし、この黒き獣は、ただの動物じゃない。


 一番に目立つ、不思議で特徴的な物があった。

 その不思議な物とは、黒き獣の首筋から生えた六本の長く太い触手。

 黒い触手はクネクネと生き物のように宙を漂い、伸び縮みを繰り返して動いている……。


 胴体の上部には小さい翼のような物も生えていた。


 不思議だ。


 その黒き獣の黒豹顔にある一対の紅色と黒色の瞳がジロッと俺を見てくる。


『よくきた、光と闇を併せ持つ男よ……名前を何と言う?』


 お? 頭の中に言葉が響く。

 テレパシーか。


「え~っと、俺はシュウヤ、シュウヤ・カガリだ」


 それにしても、紅色の虹彩か。

 黒い瞳孔は縦に細まって、獣としての瞳孔の開き具合だ。


『シュウヤよ、さきほどの戦い、素晴らしい闘争であったぞ! 我は感じ、見ていたのだ。久々に血がたぎった。ウォォォォォォン!』


 黒き獣は顔を上に伸ばし、喉を震わせ吠えた。

 地響きで空気が震動したかのように揺れ動き、獣特有の匂いと共に風が吹くと、俺の髪が靡く。


 びっくりした……。

 それよりも、さっきの戦いを見ていたのか?


『そうだ、見ていたぞ。白き物とソナタ、シュウヤが戦う姿をな』

「心が読める? 筒抜けってことか……それで、ここどこ?」


 黒き獣はそこで、脳に響く薄い高い声から、獣の大きな口から発生する重低音の地声に変わっていた。


「そうだ。何しろ、ここは我の精神世界だからな」

「あぁ、なるほど、だから不思議な蜃気楼と透明な橋に、今は雲の上か」


 ありがちなことだな……。

 俺の思考を読み取った黒き獣は笑うように口を広げる。


「ありがちとは……グルルゥ、さすがだ。理解が早いな」


 唸るように喉を震わせながら答えていた。

 俺はその唸り声に一瞬強張りながらも質問を返す。


「……それで、俺にいったい何の用だ?」

「それはだな。我と血の盟約を契って欲しいのだ」


 黒き獣はそう言うと、頭を垂れてきた。


「血の盟約? それって何なの?」


 黒き獣は頭を上げて、紅い瞳で俺をジッと見つめてくる。

 暫しの沈黙が流れた。


 そして、黒き獣は大きな口を人間が話すように小刻みに動かしてゆく。


「……血の盟約とは、一定の条件を了承し、我と契約することを指す」

「ほぅ」


 俺は両手を組む。


「血の盟約が成ると、我は完全に結界を破ることができるのだ。我はシュウヤ、ソナタの使い魔やしもべとなり、体を得て外の世界へと出られることになる」

「俺の使い魔やしもべだって? 家来やペットみたいな感じか?」


 猫や犬のペットのような感じ? ってことかな……。


「僕、下僕や家来と同じだ。ペットという思考を読みとくと、そうだな、その通りだ。だが、我にも思考は存在し、自由である」


 自由か、大きな口だが、器用に話すもんだ。


「それで、その条件とは?」

「一つ目は魂の一部共有による魔素の譲渡。二つ目はもう条件を満たしている。三つ目は我の希望だ。なにより一番難しいと思われる。だから、これはどんなに時間が掛かってもいい」


 魂の共有……いったいどういう?


「魂の一部共有と魔素の譲渡って?」

「それは、二つ目の条件と関係がある。シュウヤ、ソナタの血肉が必要なのだ。闇の眷族の血肉が条件の一つ。だが、それはもう……この辺り一面に広がっているソナタの血肉で条件は満たしている。その血肉が我の新しい肉体に成るのだ……その際にシュウヤの魂の記憶と大量の魔素の一部が我に流入される」


 俺の血肉と魔素が黒き獣の新しい肉体になるわけか……。


「そういうことね……俺の血肉がお前の体に成ると。その際に俺の魔素と魂の一部が流入するって訳か……何か哲学的な話だが、俺の記憶がお前の力になるのか? 結局は俺の精神力が削られるってことで合ってる?」


 黒き獣は一回頷いてから、静かに答えた。


「そうだ。シュウヤの精神が我の糧に成ることは変わらん。だが、我が主と成るシュウヤの精神力全てを奪うことはないぞ?」


 確かに、俺の精神力の全てを持ってかれて、気付いたら廃人でしたってのはシャレにならんな。


「そのような一方的な契約ではない」

「安心した……それで、条件の三つ目が難しいって?」


 俺がそう問うと、黒き獣の紅き双眸はどこか悲しげに変わる。


「……そうだ。三つ目の条件は秘宝アーティファクト神遺物レリクスと言われる物を手に入れてもらいたいのだ。我はその秘宝アーティファクトがあれば、言葉は無理だろうが……本来の姿を取り戻せると考えている」


 秘宝アーティファクトが必要なのか。


秘宝アーティファクトが無いと、どうなるんだ?」

「我は契約後、新たに生まれ変わるので、知能も著しく落ち、記憶も無くし、言葉も話せなくなる。感情のみ伝えられるが……姿形も小さく変わると予想できる」


 姿も小さくなるのか。

 それを秘宝によって取り戻したいと。

 しかし、そんなもんがあるのかねぇ……。


秘宝アーティファクト神遺物レリクスなんて物が本当に存在するのか?」

「我はあると信じている」

「そっか。その宝物を見つけて、お前に与えたら、今の姿とか記憶も取り戻すんだな」

「いや、秘宝アーティファクトを得たとしても、我の、今の記憶や言葉は取り戻すことはできないだろう。元々、契約をした時点で、主の魔素と我が混ざり合うのだ。それにより全てが変わるのだからな。しかし、秘宝の力があれば、我が今見せている姿だけは取り戻すことは可能だと思っている」


 記憶や言葉は無理か。それはそれでいいのだろうか。


「良い。苦い記憶など、新たに生まれでる我には必要ではない」


 そういうもんなのかね。


「……それで、その秘宝アーティファクトって名前とかあるの?」


 俺の問いに黒き獣は一対の紅き眼を輝かせて答える。


「その秘宝は“玄樹の光酒珠”、“知慧の方樹”とも呼ばれる物らしい。本来の姿を取り戻した暁には、主であるシュウヤ、ソナタに、我はもっと役に立つ存在となろう」


 俺の役に立つか……。

 でも、根本的な疑問が残る。


「それを探せってか? 元のサイズに戻れるって言うと、そもそもお前は何者なの?」

「何者? それを、ソナタ、シュウヤが言うのか? まぁ良い。一先ずこの映像を見るのだ」


 その時、フラッシュバックのように何かの映像が再生された。


 黒き獣がどこかの平原を走る。

 黒き獣は、見たことのない大鹿や見知らぬ動物を追いかけ回す。

 狩りをしている映像だった。


 これは、こいつの、黒き獣の過去の記憶か?


 そう思考した直後――暗闇に暗転。

 視界が戻ったと思ったら……。


 目の前には巨大な黒き環が聳え立つ。

 その黒き環の前で、見知らぬ種族たちと魑魅魍魎の生物たちが壮絶な戦いを繰り広げていた。


 魑魅魍魎の生物たち……。

 見た目は蜥蜴、蜘蛛、エイリアンが合わさったような奇形生物。


 太い長方形の頭部。

 先端が細まる顎と口。

 上下に開いた口には鋭そうな乱杭歯が揃う。

 喉の奥から長い舌を前に伸ばし、その舌から唾が滴り落ちる。

 唾は酸なのか、触れた地面が焦げていた。

 太い筋肉質の胴体には、六本の腕がある。

 その六本の手が握る武器はそれぞれ特徴を持つ。

 巨大な胴体を支える下半身は、太い鋼鉄の柱のような蜘蛛の脚が六つ。

 その多脚がせわしなく機敏に動き回る。


 そんな怪物たちと戦う人型生物たちは……。

 ファンタジー映画やゲームに小説といった作品に出てくる種族たちの姿に似ていた。


 俺が落とし穴で落ちる前にゴブリンたちが占拠していた遺跡があったが……。

 あの場所に刻まれてあったレリーフの状況と酷似している……。


 頭に角を生やした種族。

 人間っぽい頭部に、羊の巻き角が生えている。


 色白な金髪で耳の長い種族。

 こいつはエルフだろう。


 人間そっくりな種族、人族だな。


 背の低い種族、こいつはドワーフ。


 大柄で全身が毛むくじゃらの種族。

 こいつは知らないけどファンタジーなら居そうだ。


 獣の虎顔だが二本足で立つ種族。

 この種族もゲームとかで居そうな感じ。


 猫顔で腕が四つか、この種族もどっかで見たことがある。


 それはもう多種多様な人々が戦ってるね。


 映像はそんな序盤から切り替わり、黒き環から出てくる魑魅魍魎の怪物たちとの死闘の場面へと移り変わる。

 人型種族と黒き獣が合同で怪物たちと戦っていた。

 それは怪物たちとの、無限に続く……戦闘に次ぐ戦闘。最後には、無数の生物や怪物たちに囲まれ苦しそうに悶える、黒き獣……。

 そこで映像は止まった。


「今のは……」

「我が記憶の一部を見せたのだ。遥か昔、数万、数百万年前のことだ。我は元々、この世界の住人ではなかった。そなたに見せた記憶の通り、元いた世界では気ままに狩りをするだけの生活をしていたのだ。そんなある時、いきなり暗闇に包まれた。我は気付くと黒き環ザララープの前に存在していたのだ」


 その言葉と共にさっき見た映像と自分の記憶の一部がリンクした。


 あぁ、あれだ、アレ。

 俺が怪物から必死に逃げている時にあった、霧に包まれた巨大な建造物。

 あれが黒き環ザララープか。


「あの光の霧に包まれた黒い環か」

「今はそうなっているのか……黒き環ザララープは」


 あんな場所で戦っていたんだな?


「そうだ。我はどうやら戦いに巻き込まれたようだった。召喚された直後、その場にいた人族は我を見て襲いかかってきたが、我は襲ってきた人族を殺さずに気絶させた。そして、その人族が話していた言語を真似て戦闘中に会話を試みた」

「会話か、そりゃ獣が言葉を話せばびっくりしただろうに」


 黒き獣は俺の言葉に頷き話を続ける。


「その通り。頭に角を生やす種族たちが『言語を話す魔獣だと!? 神か!』といった反応を示した。その者たちと我は会話を続け、一緒に共闘することになり、化け物たちと戦うことになったのだ。その戦いは我を含めた様々な種族が一致団結し、黒き環ザララープから出現し続ける化け物たちを一時的に駆逐することができた」


 あの映像の序盤の出来事か。


「その後はどうしたんだ? 映像での戦いはずっと続いていた印象だったが……」

「うむ。確かに、戦闘は一時的な勝利でしかなかった。その黒き環ザララープからは見知らぬ生物たちが、止めどなく溢れるように現れてきた」


 映像には確かに怪物から深海魚的な生物まで沢山現れていたな。


「でもさ、なんでまた……そんなとこに、お前が召喚されたの?」

「それは我も当然の如く、疑問に思い……聞いた。戦闘に勝利するたびに数分、暇になるのでな」


 黒き獣はそこで長い耳をピクピクと動かし、間を空ける。


「黄金色の髪を持つ耳が長い種族が疑問に答えてくれた。事故だ。複数の大賢者による時空魔法の失敗による連鎖が起きたのだと……」


 黒き獣の触手がにゅるっと動いて環を作り、話を続けた。


「我は最初、話を聞いても解らなかった」


 どうしてだ?


「魔法の事だからだ。事故とは、死闘の中で、大規模な新しい時空魔法の攻撃途中に、その魔法を放とうとしていた大賢者たちが怪物にやられてしまい、詠唱途中であった魔法の一部が黒き環ザララープへ衝突。黒き環ザララープと同調したように空間に亀裂が走り、そこから突然我が現れたと……説明を受けた」


 へぇ、そんなことがあったのか。

 だから最初に同じような怪物が現れたと思われて襲われたんだな。


「同じような怪物と思われたのは気に食わないが、そういうことになる」

「ふむふむ、それで?」


 俺は頷き、続きを促した。


「最初の激闘後、耳が長い種族たちと人族種族たちは、我に、黒き環ザララープから出現する怪物たちを全滅させたら元の世界へ戻してやると、条件を出して交渉をしてきた。我は魔法など解らぬ故に帰る術など無い。協力しなければ故郷に戻れない。だから、我は従って約束をした」


 そりゃ、怪しいな。


「うむ。我も馬鹿ではない。戦いに利用するために嘘の場合があると、直感で分かってはいた。だが、それは心の隅にしまうことにした。この黒き環ザララープから以外にもモンスターは出現する上に、この世界が分からなかったからな」


 召喚されたばかりだからな、しょうがない。


「そうだ。黒き環ザララープからも怪物、魔族共が現れ続けるので選択する余裕が無かったとも言えるが、素直に協力した。我は黒き環ザララープから出てくる怪物たちと戦うことを決め、次々と見知らぬ怪物たちを殺し、葬ってきたのだ」


 しかし、あの映像通りだと過酷すぎだろ。


「そりゃ……難儀なことで」


 黒き獣はどこか達観するように語りだした。


「うむ。戦いは長く、長く、幾星霜と続いた。戦いのたびに敵に押されるが、何とか持ちこたえていた。前線の砦は全滅を繰り返すが、地下洞穴のあちこちに砦が築かれてあるので、我らの戦いは長らく拮抗していた。黒き環ザララープからは行列を成して魑魅魍魎が現れるが、我らの味方も地上から次々と増援が補充されていたのもある。そして、我々はいつも土壇場で勝利をあげていた」


 だからか、あの骨の海が広がっている理由は。

 でも、あの大穴の下に積み重なっていた骨もあったから、違う要因もありそうだけど……。


「だが、長きに渡る戦いは、心を蝕む。我を召喚した種族たちの仲を切り裂いていく。我と共に戦っていた者たちの中で、裏切り逃げ出す種族も出始めた。だが、我は気にしてはいなかった。裏切らない仲間も多数いたからな。それに、我は故郷への想いが強かった」


 どこか寂しげな顔をしてるな?

 意外にこの黒き獣……表情豊かだ。


「厳しい戦いだったんだな」


 黒き獣は悲しげな口調へと変わってゆく。


「そうだ……だが、ある時ピタッと、黒き環ザララープから怪物たちが出てこなくなった。皆は歓喜した。今まで、短い間だけ出現しなかったことはあったが、十日以上も怪物たちが出現しなかったのは初めてだったからだ」


 おぉ、って映像と違うような……。


「まぁ、話を聞くのだ。皆と我は歓喜した。時間が過ぎ、大勢の兵士たちは地上へと帰っていった。我も戦いが終わり、これからどうするかと考えた時、古き約束を思い出す」


 最初の約束か。魔法により元の世界に帰すだっけ?


「そうだ。地上に帰らずに我の傍にいてくれた頭に角が生えた者たちは正直だった。その者たちは顔を沈めながら我に話してくれた。『元の世界に帰すことはできない』と。我が出現したではないかと聞くと、『たまたま偶然が重なっただけだ。過去の戦士たちから聞かされていた。そもそも、魔法を行った当人たちはもうとっくに死んでいるから、分からない』と。それを聞いた我は、やはりそうであったか。と怒りを覚えたのだが、人は寿命が短い上に過酷な戦いだ。死んでいく仲間を間近で見ているのだから、こんなことは最初から解っていた。だが……暇という時間は故郷を思い出すのに十分だったのだ。我は我の故郷を思う心が広がり過ぎてしまった」


 分かる気がする。


「同情する……最初の約束も嘘っぽいな」

「ふむぅぅ、だが、嘘でも良いのだ。角が生えた種族、背が小さい種族、耳が長い種族、毛むくじゃらの種族、人族種族たちといった様々な種族たちとは長い年月……共に戦い続けた結果、彼らに対して親しみ以上の感覚を得るようになっていたからな……」

「そうだろうね」


 黒き獣は溜め息をつき、大きい鼻息を俺に吹き掛けて、また語りだした。


「……そこで、我は思い立つ」

「何をだ?」

「大本の原因である黒き環ザララープを破壊できるのではないか、とな」


 あの巨大建造物をか? 無理だろ……。


「そうだな。だが、当時の我は必死だったのかもしれん」

「その言動だと、行動を起こしたのか?」

「そうだ。黒き環ザララープを破壊しようと動いた。角がある種族や耳が長い種族は『無駄だ、止めろ』と言って止めた。だが、背が小さい種族たちは逆に『やってみろ』と言った」


 背が小さい種族は随分と豪快な性格だな。


「我はその通りにやってみた。我は怒りをぶつけるように牙や触手骨剣に爆炎など、数々の化け物を葬ってきた攻撃を繰り出した。だが……黒き環ザララープには全く傷が付かない。我の攻撃が全く効かなかったのだ」


 傷も付かなかったのかよ。

 硬いとかいうレベルじゃなさそうだ。


「壊せなかったか」

「そうだ。耳が長い種族たちは言った。『無駄だ。我々の祖先も同じことをした。我々が信奉する神々でさえ、この疑問には答えてくださらなかった。この黒き環ザララープは異質、我らの世界に隣接した魔界や神界とは関係が有るようで無いのだ』と」


 神々、魔界に神界、そんな物があるのか。

 でも、有るようで無いとか、わけが解らない。


「角が生えた種族も語った。『この黒き環ザララープは我々が生まれる前から存在しているのだ。長い年月をかけてモンスターや魔族を出現させ続けている扉なのだ。我々が戦わなければ、地下、地上の都市が灰になってしまう』と嘆いていた」


 紅い瞳を見つめながら、自然と口が開いていた。


「……壮大すぎる話だ。黒き環ザララープに、様々な種族たち」


 俺は長い歴史に少し感動するように答えていた。


「そうだ。我も記憶の一部を忘却してしまうくらいだからな」


 でも、あの黒き環ザララープとはいったい……。

 SF映画に出てくるような代物とはわかるが……。


「俺が見たときの黒き環ザララープは、環の中に水膜のような物が張ってあったな。やはり転移門ゲートか移動やワープをする物ってことなのかな?」


 黒き獣は大きく頷き答えた。


「その通り。まさに転移門ゲートだろう。巨大な人工ゲートだ。そんな黒き環ザララープを大魔術師や大賢者たちが長期間調べていたが、操作方法は解らずに、ただ、中に入ってどこかに移動できる事ぐらいしか解らないようであった。それに黒き環ザララープは一つではなく無数に存在していると言っていた」


 まじ? 他にもあるのかよ。


「この世界には広い地上世界や地下世界があると、我々はその一部に過ぎないと、他にも無数に黒き環ザララープが存在すると教えられた。地上にある黒き環ザララープでも、この場所と同様に長き戦いが繰り広げられている黒き環ザララープもあれば、平穏無事の黒き環ザララープも存在すると聞いた。過去にはそれらの黒き環ザララープを使い、遠くの黒き環ザララープへと移動していたこともあったと」


 無数に存在し、それを利用していたのか。

 結構な文明レベルと予想できる。

 ゲートのことはよく調べたってことかな。


「そのモンスターの出現が止まった黒き環ザララープであるゲートの先へと、誰か行ったことがあるのかな?」

「ふむ、あるぞ。耳が長い種族と人族種族の大魔術師、様々な種族の賢者たちが入っていき、何人も帰らぬ者となったが、帰ってこられた者たちも存在した。その者たちが言うには、この黒き環ザララープの場合はランダム次元転移が作動していると言っていた」


 ランダムだって? 何処に行くのか分からないのか。


「そうだ。同じ世界の遠くにある黒き環ザララープに出る場合もあれば、全く違う次元の黒き環ザララープに出ることもあると。それも一つの違う世界ではなく様々な世界へ繋がっていたと。その違う世界でも黒き環ザララープは存在し、その無数に繋がった世界の中で、幾つかの魑魅魍魎のモンスターたちが生息する世界に繋がっており、それがたまたま我々の世界と繋がっているだけなんだと。その言葉を聞き、我は一瞬だが、我の世界へ戻れるのではと夢想したものだ……すぐに黒き環ザララープなど我の世界には無かったと思い出し、儚い思いを味わった」


 違う次元に違う世界か。ますます黒き環ザララープはゲートだな。


「そんな黒き環ザララープだが、不思議な話を聞いた。地上にある黒き環ザララープの一つはランダムではなく、どこかの迷宮世界に固定された状態の巨大なものだそうだ。その黒き環ザララープがある地表では街が発展して都市となり、そこの地下では何処かの迷宮世界に繋がっていたり、普通の地下空間に繋がっていたりと、そんな摩訶不思議な迷宮都市があるそうだ」


 ほぁ、そんな物まであるのか。なんでもありだな。


「お前はそんな地上には行かなかったのか?」

「行かなかった。化け物たちが出現しなくなったとはいえ、地下空間にはモンスターの残党が多数徘徊していたからな。とは言え、一緒に戦っていた仲間の種族たちの大半は地上と地下のどこかに戻っていった。そのせいもあり、我が封印される直前まで、傍にいたのは頭に角が生えた種族だけだった」


 封印ってことは……。


「封印されたってことは、結局どうなったの?」

「我は負けたのだ。黒き環ザララープから出てくる怪物たちに……」

「やはり、出現が止まったのは一過性のものだったわけか。黒き環ザララープから出る怪物たち」


 黒き獣は悲しげに紅い瞳を揺らし、大きな口を震わせ語り出す。


「その通り、怪物が出てこなくなったのは一時的だった。黒き環ザララープを研究していた大賢者の一人は周期と呼んでいたな。その大賢者も、現れた怪物たちに殺られてしまったが。その怪物たちは怒濤の勢いで次々と出現してきた。我は戦ったが、傷つき追い詰められ劣勢になった。我は強い。だが、我が攻撃を行える範囲など……たかが知れている。戦場に残っていた兵士たちが少なかったのもあるが、一度形勢が傾いた戦いの挽回は無理であった」


 そりゃそうだろう……。

 思わず感情移入してしまう。


「ついには、前線の砦は我が居るところだけになり、最後まで残った仲間たちも撤退を決めて離れていった。優れた大魔術師たちは独自の小さいゲート魔法を使い次々と退却していく。そのゲートに何人も入って同時に消えていった」


 独自のゲート魔法なんてあるのか。


「そうだ。そのゲート魔法に乗り遅れた者や魔法が使えない者たちは、過去に背の小さい者たちが作り上げていた地下と地上を繋ぐ移動装置がある場所まで逃走していった。我を神と崇めていた角が生えた者たちも、最後には地上へと逃げたようだった。地上は無限に広いと言われている。どこか遠くへ逃げたのだろう……」


 黒き獣が話す言葉は、どことなく、力がない口調になっていた。


「我の記憶を見たと思うが……その直後に、何千何万という怪物たちに囲まれた我の戦いは、最後の戦いになった。我は何度も体を再生させて抗い続けたが……ついには限界を迎える。我は力尽きた。四肢がもう動かなかった。怪物たちは動けない我を祝勝の記念にするように、見せしめに封印するらしかった。巨大な魔法陣が次々と出現し、展開され、何かの魔法や魔道具により我の精神が絡めとられてしまった。そうして、最後は黒き彫像へと封印されたのだ」


 俺にも黒き獣の感情が波のように伝わってきて恐怖を覚える。

 それを受け止めるように自分の腕を広げて、疑問に思ったことを語った。


「それで、今封印されていて、なぜこんな精神世界のようなことができる?」

「長い年月と共に結界に綻びが生じたのだろう。だが、シュウヤの闇の眷族としての血肉が封印の一部を破ったのは確かだ。それで、我の思考がシュウヤに伝わった」


 えっ、もしかして……。

 不安を掻き立てられた。


「俺の血肉、闇の眷族という事は、封印した側にヴァンパイアのような魔族がいたのか?」

「そうだ。我の敵には闇の眷族たちもいた、魔族と呼ばれる者もいたな」

「それじゃ、お前は俺の敵でもあるのか?」


 黒き獣は俺の不安な気持ちを察知したのか、髭を上げて優しく微笑むように語り出す。


「違うであろう……そもそも、シュウヤは完全な闇の一族なのか? 違うであろう」


 確かに、<光の授印>により光魔が付いた。

 新種族の光魔セイヴァルトから……白い怪物を倒して、新しい、新種族の光魔ルシヴァルになった。


「闇の眷族の血が引き金となったのは確実だが、綻びがあったとしても、敵対心が少しでもあれば、同調せずに、この封印が一部でも破られることは無かったはずだ。これは絶対だ。安心していい。それに、今、こうして話しているのが何よりの証拠。我の波長とシュウヤの波長は合うのだ」


 確かに、温かい素直な心が伝わる……。


「まぁ、それもそうか。現にお前への憎しみなど持ち合わせていないしな」

「うむ、そうだ。外は時が流れ……那由多の時が過ぎている。そして、シュウヤ、ソナタのような者が現れたのだ……」


 黒き獣は黒猫のように優しい目付きで俺を見る。


「分かった。それで契約するとしてさ、お前の名前は何て言うの?」

「我が最初に、ここの世界に来た時は怪物や魔物と呼ばれたな。次第に異界の神、異界の獣、黒き獣、時と共に名前は変わっていく。頭に角が生えた者たちは、我を神獣ローゼスと呼び親しげにしてくれた」


 俺は考えるように視線を斜めに向けて、腕を組む。


「異界の神や神獣ローゼスね……」

「名前はシュウヤが決めてくれ。我が主と成るのだから」

「そっか……」


 なら、考えるか……瞳は紅いなぁ、レッドか。それに髭も大きいし、その横には触手がある。黒毛もモフモフしてそう……れっどもふもふ。


「シュッ、シュウヤ、ソナタの思考はこちらに伝わるぞ?」

「あはは、済まん。ちゃんと考えるよ」


 ディープな紅い瞳。獣といえば北欧神話に出てくるフェンリルとか有名だな。それにあの大きい髭に触手はテンタクルウィンカース……。


「おもしろい、未知の言語にイメージが広がっていく」

「そういえば、雄なの? 雌なの?」

「雌だ」

「雌かぁ……」


 となると……シンプルに、


「ロロディーヌ……とかどう?」

「ウォォォォォォォォン!! 気に入ったぞ」

「うあっ」


 びっくり、急に目の前で雄叫び……地響きしてるし。


「シュウヤ。契約前に言うのも何だが……最後の条件である、神遺物レリクス秘宝アーティファクトについてだが、我はその秘宝について話しているのを聞いただけなのだ……だから、何処にあるのか、果たして本当にあるのかも分からない」


 俺は眉を寄せて疑問顔を向けた。


「それじゃ、何で条件に?」


 黒き獣は優しく笑うように話す。


「希望だ……血の盟約は生まれ変わるのと同じ……昔、故郷で好きに走り狩りをしていた時代の夢を見ても構わんだろう? それに、もう……元の世界には戻れないのだ」


 なんか可哀想だな。生まれ変わるか。俺も転生だし、同じだな。


「分かった、約束しよう。契約した際に知能が著しく落ちると言ってもさ、獣にまで落ちることはないんだろう?」


 黒き獣は紅色と黒色の瞳をきゅっと細くし、声音を強くした。


「馬鹿にするでない。我をなんだと思うておる。契約後も姿を少しだけなら大きくするのも可能だと思われる。それに思考は人族並みにはあるだろう……とは思う」

「ロロディーヌでさえ分からないの?」

「そうだ。何せ、初だからな」

「初って……なんか心配だ。失敗とか無いよな?」


 黒き獣はどこか空を見るように一瞬視線を逸らした後、俺を見据えた。


「……いや、あるだろう。新たに転生するのと同じ。その時は、その時……我は消えて無くなる。シュウヤには、ただの夢……幻の如く感じるだけだ」

「そういうことか。そっちがそういう気概なら良し。血の盟約、やってやろうじゃないか。それと約束もな」


 俺は笑う。


 すると、黒い獣ロロディーヌは六本生えた触手のうち、二本の触手を俺に伸ばしてきた。


 両頬に触手が触れる。

 優しげな気持ちが伝わってきた。


『……いいのだな? シュウヤの精神、魔素が大量に失われるぞ』

「あぁ、いいさ。大船に乗ったつもりでどんとこいや。受け止めてやろう」


 黒き獣は紅き瞳をかっと見開き、口を開いた。

 契約の呪文のように言葉を紡ぐ。


「我は今日からロロディーヌ。我が主シュウヤよ、コンゴトモヨロシク」


 どこかで聞いたような台詞だ。

 と、黒き獣こと、ロロディーヌの黒いラインが目立つ鼻を凝視。


 大きい鼻だが、可愛い。

 と、口を大きく広げると、


「ウォォォォォォォォォォォォン!!!」


 遠吠え的な咆哮が精神世界に響き渡った。

 微かな風が吹き抜け、地響きと共に雲の精神世界は弾けて消えていく。



 ピコーン※称号:血の盟約者を獲得※

 ※神獣契約により精神力を大量に失います※

 ※称号:血の盟約者と異界の漂流者が統合サレ変化します※


 ※称号:神獣を従エシ者を獲得※

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