六話 異世界初のコミュニケーション

 この骨だらけの場所を歩いて、もう何日経つだろう……。


 しかし、こうやって何日も飲まず食わずで歩けるのだから……。


 俺は確実に人間ではない。


 やはり光魔と名がつくだけある種族だな。

 だが……喉が乾き、腹が減って……。

 多少は身体に重石が乗ったような気だるさを感じる。

 

 一応、確認してみるか。

 足を止めて、


「ステータス」


 名前:シュウヤ・カガリ

 年齢:20

 称号:異界の漂流者

 種族:光魔セイヴァルト

 戦闘職業:鎖使い

 筋力1.5敏捷2.5体力1.5魔力3.5器用2.5精神3.5運1.5

 状態:異常:血漿欠亡病15%


 こんな表示になった。


 うへぇ、だるいと思ったら病気かよ。

 状態の項目に異常と、バッドステータスがついてるし。


 しかも、血漿欠乏病一五%とは何だ?


 血漿欠亡病にタッチ。


 ※血漿欠亡病※

 →血が枯渇。ミイラ化の初期症状。


 ※全能力値半減、飢餓状態五%~三十%が初期飢餓状態※

 ※この状態で血液が失われるほど状態異常は素早く進行し、どんなに状態異常無効スキルを備えていても関係ない。ただし、飢餓状態が百%に達成すると終期ミイラ化の開始前に狂乱枯渇カオスティックアウトの精神暴走が強制的に意識を奪う※

 

 ※この狂乱枯渇カオスティックアウトにより、身体を蝕むどんな状態異常もキャンセルされるが、発動している最中の数時間以内に血を摂取しなければ、最終的に終期ミイラ化が開始される※


 俺の感覚としては水のほうが欲しいが……。

 身体は血も欲しているらしい。


 今は初期のミイラ化か。

 能力が半減したうえに、最後は暴走だと?


 怖いな。しかし、体が重くなってきたのは確かだ。

 この数字通りに体力が半減したからだと思う。


 そこでステータス表示を消す。


 腹も減ったし、喉もからからで唇はかさかさだ。

 痛みには耐えられるが、正直、喉の乾きはキツイが、歩みを進めるしかない。

 地面に転がる骨を踏み砕く音が辺りに木霊した。


 時間を忘れるほどに歩く。

 疲労は無いが、重い足どりで、低い骨の山を越えた時。


 右側に、縦に割れた洞穴、縦に高く横に狭い三角形っぽい岩の洞穴を発見した。


 吉兆か? 骨の海を進むのは一旦止めて、あの穴の先に進むか。

 湿っていれば水があるかもしれん。


 その暗い洞窟に躊躇なく入っていく。


 中は暗闇だ。

 だが、構わず進む。


 狭い岩の通路……岩は何となく湿った感じがする。


 そんな洞窟を進むこと数日。

 正直、時間の感覚はもうない。


 何日か過ぎたと仮定。


 あした、あした、そして、あしたと、しみったれた足取りで、日々が進む。


 狭い岩の通路はまだ続いていた。


 行きつく先は運命にしるされた、俺にとっての最後の時か?


 お? 最後ではないらしい。


 通路の天井から光る苔が目立ち始めた。


 そんな僅かな光に目が慣れてきた時――。


 ん? なんだ……冷んやりとした、湿った空気。

 匂いも森林のような青臭い匂いがする。


 おおぉっ、柔らかい、でも、土に地面、草?

 草を踏む感覚だ。


 ――草だ、草だ。


 こんな暗闇で草かよ。

 しかも、この葉っぱ、蛍光色の光を発してる。


 葉の表面には根本から続く細かな葉脈が青白い光を発しながら外側へと広がっていた。


 葉の外側を縁取るように淡い青白い光を発している。


 この葉、軽いライト代わり?

 その葉を触り、一枚引き千切ってみた。


 ライトに使うより、今は腹が減ってるし、これを食べちゃうか?

 もういいか。何でもいい。腹を満たそう。


 色的に下痢を起こしそうだが、構わない。


 ええいっと、その葉を口へ運んだ。

 葉を噛み、咀嚼し、胃に運ぶ。

 腹が減っていたので、その葉を食いまくった。


 う、ぐ、不味い……。

 不味いが、腹が満足するまで食べ続けた。


 すると……腹の底から力が溢れるような、いまだ味わったことの無い、不思議な高揚感を得る。


 腹痛とかは無い。ラッキー。


 地面に生える草の葉を掴んでは口へ運んだ。

 もぐもぐと噛みながら、前へ進む。何気なく岩壁に手を置いた瞬間――つ、冷たい!


 おおおぉぉぉぉぉ――水だ水っ。


 水の感触ぅぅ。

 岩の間から僅かだが水が流れている。


 その湿っている岩肌へ顔を擦りつけるように、乾ききってひび割れていた唇をぶち当てた。


 ぶちゅっと水を吸うぅ。

 ちょろちょろと流れる水を必死に啜る。


 みずだ、みずみず、と乾きを潤す。

 心を満たしていると、突然、足に痛みが走った。


「痛いっ――」


 いてぇな。

 足に触ると血が流れていた。切り傷ができている。


 何で? ――イテェッ。


 まただ。何だ?

 足の回りを見るが、草で覆われていて分かりにくい。


 その時、僅かに蛍光色の光を発する草の根本からウサギのような動物が飛び出すのが見えた。


 歯を剥き出している。


 けど、兎かよ。

 小さい黒兎が俺の足へと噛みついてきやがった。


 イタッ、また足に切り傷を負う。


 ん、痛いは痛いが、兎だし、これ、肉じゃねぇか? 

 餌だ。にくだにく、肉だぁぁぁ、ヒャッハーー、肉を貰うぞ。逃がすかよ。


 捕まえてやる――。


 また兎が、俺の足を狙って飛び出したところを、錆びた剣を派手に振り回してぶつけようとするが、この黒兎、意外に動きが素早い。


 何回も空振ってしまう。


 素早いな。釣ってみよう。

 兎は飛び掛かってくるので、わざと俺の足を伸ばし釣り餌のように誘った。


 ――掛かったっ。


 足に飛び掛かってきたところを一本釣りの如く。

 身を乗り出して、アメフトのタッチダウン、ラグビーのトライを行うように、地面に転がりながら黒兎を捕まえることができた。


 そのまま、黒兎の頭を捻り殺す。

 えぇ、もう完全に野蛮人ですよ。


 寄生虫とか、一瞬頭に過るが、知らねぇよ。

 勿論、焼いて食いたいが、ここには火を着ける道具は何もない。


 だから、殺した黒兎をそのまま口へ運ぶ。

 生のまま食ってやった。

 久々の肉に血だ……血が体に染みていく。

 うまうま、血も補給できた……。


 肉は貴重なたんぱく源。


 一応、確認しとこう。


 ステータス


 名前:シュウヤ・カガリ

 年齢:20

 称号:異界の漂流者

 種族:光魔セイヴァルト

 戦闘職業:鎖使い

 筋力3.6敏捷4.5体力3.5魔力7.4器用5.1精神7.4運3.0

 状態:平穏


 やった。血の病気が治ってる。


 ふぅ……なんか久々に肉を食って安心した。


 青白い光を発している周りを改めて確認。


 黒葉草が洞穴のいたるところに生えている。その繁っている中で黒兎がピョンピョンと跳ねている音が聞こえてきた。


 何でここに黒兎が居るんだという単純な疑問より、大事なのは肉である黒兎が、この辺に沢山生息しているということだ。


 ひとまず、食料があるこの辺で生活するか……。



 ◇◇◇◇



 俺は不気味な淡い光を発している黒葉草が生えた範囲を調べた。

 少しずつ生活圏を広げる。


 黒葉草が生えている範囲は異様に広い。

 洞穴は何層にも分かれていて多数に分岐しているし、奥の奥まで続いている。


 あまり奥に行くのもアレだ。そのアレが分からんが、なんとなく、先に進むことが怖かった。

 いや、怖いってのも違うか、まぁいい、戻ることにする。

 

 俺は骨の海へ繋がる洞穴に戻った。

 ここは黒兎が比較的多く生息しているからな。


 肉は重要だ。

 ここに生活基盤を置くことに決めた。

 

 こうして、黒兎を捕まえることに必死になった。


 しかし、黒兎は素早いので逃がすことも多い。

 だから岩から流れる水をひたすら啜り、黒色の葉を食べることが基本となった。


 不思議とこの黒葉草を食べているだけでも腹が満たされる。

 腹が減ることは少なくなっていた。


 暫く経っても相変わらず黒兎を捕まえることに苦労するが……。

 何とか足を餌代わりにして捕まえることができていく。


 黒兎の解体もスムーズだ。

 血を啜り、血抜きをして錆びた剣を使い内臓を取り出す。

 皮は座布団や腰布代わりに使った。


 そういえば、腹が痛いとか皆無だ。

 黒兎や黒色の怪しい葉を主食にしているが……。

 

 一度も下痢が無い。

 と言うか、おしっこは出るけど、糞が出ない。


 <腸超吸収>のスキルがあるお陰だろうか?


 さすがは普通じゃない腸内フローラたちだ。

 凄いスキルだったんだ!


 因みに、性欲はバリバリにある。出るものも出るし。

 いつも黒葉がティッシュ代わりだ。


 <妄想>スキルなんてものがあったら、そうとう使いこなせる自信がある。


 そんな地下空間で暮らしを続けて、暗闇に完全に適応したと思った時――。


 ピコーン※<夜目>※スキル獲得※

 ピコーン※<暗者適応>※恒久スキル獲得※


 <夜目>スキルを獲得。


 使用すると、ふっと視覚が広がった気がして、鮮明に像を結びだす。

 これは凄い。黒兎を楽に捕まえられる。


 <暗者適応>をステータスでチェックした。


 ※暗者適応※

 ※暗闇世界に適応した種族のみ得られるスキル。暗闇限定で各種能力がアップ。スキル<隠身ハイド>の効果を上昇させる※


 この二つのスキルを取得してからは暗闇が完全に俺のホームとなった。

 予想通りに黒兎をスムーズに捕まえることができるようになり、肉を毎日食べられるようになる。


 この地下世界で暮らすのもまんざらでもないな。


 と、タイムイズマネー、機会費用の言葉を忘れた俺。


 思考が完全に原始人と化していた。


 今日も黒兎を捕まえようと、黒と蛍光色が混ざった不思議な草を踏みしめながら暗い洞窟の奥へと進んでいた。


 そんなある時、空間の角を照らす眩しい光が、暗闇に慣れた俺の視界を奪う。


 ――ひぇぇ、何だ? 眩しい、松明か? 


 更に、高鳴る不思議な音。

 乾いた柏手の音が連続で轟いた。


 何だ何だと黒葉草が繁る洞穴を走り――その明かりと不思議な音の発信もとへ近付いていく。


 あ、あれは人? 違う、やけに背が小さい……。

 もっと近付いて見てみよう。


 目を擦りながら、<隠身ハイド>を発動。

 草が繁る暗い洞窟に身を隠すように体を屈める。


 希望の光に感じるほどの眩い光のもとへと、更に近付いていく。


 そこには、背が小さい種族が居た。

 身長は百二十ぐらいか? 髪と髭が繋がりずんぐりむっくりだが、筋肉質。


 松明を片手に持ち、何かを探すように頭を動かしている。


 おぉ、あれはもしや、ドワーフという種族じゃないか?

 ファンタジー作品によく登場する種族。


 ドワーフの腰ベルトには不思議な紫の光と青白い光が合わさったような色で発光を続けているランタンが装着されていた。

 他にも仕留められた黒兎がぶら下がっている。


 今、俺が姿を現したらびっくりするだろうな……。


 どうしよ……。

 ドワーフだと思うが、異世界で初の知的種族だ。


 この錆びた剣は持っていない方がいいよな……。

 飛び出すか迷っていると、そのドワーフが口を開く。


「フッハハハハハハ。パドック様に感謝をっ、これでわしも復活だ。ついに恵みがきたぞぉ、ここにもあっちにも一杯生えている。ヒャッヒャッヒャッ、【副王会】のせいで苦汁を舐めたが、逆に追放――万歳ってかァ? いやァ嬉しいねぇ。この分だと……この黒寿草が生える一帯は、骨の海まで続いているようだな」


 えらいテンションで独り言を話している。


 初めての言葉、しかも理解できる。

 彼は武器を持ってるが……ええぃ、いったれ。


 俺は気合いを込めて、ガサッと音を立てるように草から飛び出した。

 そのドワーフは俺の姿を見ると、唖然とした表情を浮かべて動きが完全に止まる。


「――あ”あ”、あのぅ、ず、ずいまぜん」


 ありゃ、声が……。


「ひぃぁぁ、なっなんじゃぁぁぁぁぁ、ここはわしのもんじゃぁぁぁ」


 ――ドワーフは目が血走り恫喝を浴びせてくると、メイスと斧を腰から抜く。


 俺に殴りかかってきた。

 二刀流とか怖ェェェ――。


「――ぢょ、ま”ま”、まっ、待って、待っでぐだざいっ、な、何もするつもりはないですっ」


 俺は後ろに後退しながら、バンザイ、諸手をあげる。

 それに久々に言葉を話したので、舌の根が乾いたようなドモり声になってしまった。


「ぬぉっ、訛ったドワーフの言葉だと? 背中に羽もない……お主、グランバではないのか?」


 俺の言葉を聞き入れてくれたらしい。

 <翻訳即是>のスキルのお陰か? 訛ったドワーフ語に聞こえるようだ。


 ただ単に、俺がどもってたせいかもしれないけど。


 だがグランバってなんだ?

 ドワーフは右手にメイス、左手に斧を構えて、目付きは怖いままだ。


 俺は口や舌を意識して丁寧に話す。


「……その、グランバとは何なのです?」

「ぬ? 普通に話せるのか。グランバとは怪物のことだ。骨の海に出現する怪物。この黒寿草が生えた地帯よりずっと先にある【グランバの大回廊】と言われている骨の海が広がる場所に古の黒き環が存在し、その辺りから出現すると言われている」


 あの骨の海か。

 だが、今は俺自身の弁解タイムだ。

 アイムフレンドリーの精神で背の低いドワーフに話し掛ける。


「怪物ですか……その怪物はこうやって話をしますか?」


 俺は慎重に両腕を上げて下げてのジェスチャーを繰り返しながら、笑顔を浮かべる。


「……ふむ、怪物はそんなことはしない。リョゴルの冥界音も効いてないようだし、背には羽も無いし顔も平たい。もしや……マグルか? だが、初めて見る。ありえんな……格好も見たことのない上に変な汚い服を着ているな? ノームやダークエルフの魔術師が化けているのではないのか?」


 リョゴルの冥界音? マグルとは何だ?

 ノーム、ダークエルフってのは他の種族だな。

 まぁ、それより……。


「マグルってのがわかりませんが、俺は人だと思います。それで、あなたはいったい……」

「やはり蓋上、マグルか。わしははぐれドワーフ。はぐれなので、一族の名は名乗らんぞ。名前はロアだ」


 マグルは人を意味する言葉か。


「はぐれドワーフ……ロアさんですね。俺はシュウヤ・カガリ。カガリでもシュウヤでも好きな風に呼んでください」

「ロアで結構。ではシュウヤ。マグルであるお前が、なぜ地下に? それも、この黒寿草が生えるところに、何で居る?」


 そう聞いてくるロアの目がギラついていた。

 やけに警戒している。

 マグル、人はこのドワーフにとって危険なのか?


「それは……」


 適当に記憶をなくしたとかで誤魔化すしかないな。


「記憶がないんです。骨の海のような場所にある天井の巨大穴から落ちてきて、助かったのですが」

「なんだと……天の蓋上から落っこちてきた? それで無事? まぁ、それはさておき、あの危険な骨の海を歩いてきたのか? リョゴルの音無しでグランバの領域を……」


 骨の海にはグランバという怪物がいるんだっけか?


「そのグランバってのには会いませんでしたよ。動く死体みたいなやつには遭遇しましたけど」

「そうだろうな。会っていたら喰われて死んでるだろう」


 分からないけど、同意しておこう。


「ええ、はい」


 ロアは頭を捻り、自身の顎髭を汚い手で掻きながら口を開く。


「ちと確認するが、【ラングール帝国】の最大都市【地下都市サウザンドマウンテン】や【地下都市リンド】、闇毒の都【地下都市ダウメザラン】の名は知ってるか?」


 そんなのは知るよしもなし。


「それはなんです? 地下に国や都市があるのですか?」

「……やはりか。この地下世界に生きる他の共同体やドワーフも知らないようだな。そうなるとはぐれの意味も知らんわけだ」


 ドワーフのことは想像つくけど、黙ってよ。


「えぇ、はぐれとは何です?」

「わしのような外に放りだされたドワーフのことだ。犯罪者のレッテルだな。わしはラングール帝国から追放されたのさ。【副王会】とのリリウム生産の権力争いに敗れてな。壁の外に追放されて、もう何ヵ月も放浪生活を送っているところだ。リョゴルを持っていたお陰で、この地下世界で生き延びる事ができた」


 はぐれか。

 放浪ねぇ……ようするに、権力争いに敗れたおっさんドワーフか?


 ロアの目付きは鋭いから、犯罪者と言われても納得できる。

 頭と髭の毛がだらしなく伸びて繋がって、もじゃもじゃの毛が満載だし……。


「なるほど……」

「はは、安心せい。そう身構えんでも大丈夫だ。取って喰う気など無いぞ。飢えていたら分からんがな? だが、幸いにして、ここは黒寿草が生える一帯が続く。黒寿草を食べるヂヂも大量にいるからな」


 黒寿草ってのは、下に生えてる黒葉草のことらしい。

 ヂヂってのは黒兎のことだろう。


「そうですか。そのヂヂは、俺も食っていました」

「はは、そうかそうか、お互い運が良いのか悪いのか、わからんな」


 このオッサンドワーフ。

 皺まみれな笑顔だけど、愛嬌がある。

 ついでだ、先ほどからロアが言うリョゴルが気になった。


 聞いてみようか。


「……えぇ、まったくです。あと、いきなりですが、リョゴルとは何ですか?」


 俺の予想は、腰に装着しているランタンだ。

 紫と青白い光を発生させているアイテム。


「がはは、これは不思議な光だからな。気になるか。そうとも、これがリョゴル。特殊な魔道具だ。古き伝説のアイテムでもある」


 へぇ、特殊な魔道具か。


「どんな効果があるんですか?」

「ここの上をポンッと叩くと周囲に音を発して、特殊な音階フィールドを発生させるのだ。この音は地下に住むモンスターたちを遠ざける効果がある。さっきも言ったが、だから、わしは生き延びてここまで辿りつくことができたのだ」


 あぁ、だから変な乾いた音が轟いたんだな。


「なるほど。凄いアイテムですね」

「そうだ、やらんぞ。触ろうとしたら、この斧で頭をかち割ってやるからな……」


 ロアは俺の視線が気に食わなかったらしい。

 だったら自慢気に見せるなよって言いたいけど、友好的に接していく。


「そんなことはしませんって」

「うむ、そうか。いや、すまんな。わしも長らく友好的な者には会っていないものでな」

「……こんな地下世界ではそうでしょうよ。でも、そういうアイテムは他にも存在するんでしょうか?」

「どうだろうか。わしが住む地下都市には数十個あるだけだと思われる。なんせ、これには冥界に住まうリョゴルの一部が封じられていると言われているからな」


 冥界に住まうリョゴル?

 そんな怪物っぽいのがいる世界があるのか。


「しかし、わしは確実に運が上向いてきた。……ついに見つけたのだからな、この黒寿草が生える一帯を……。明日にはここを急ぎ脱しなければ」


 何ぃ。


「ここを出る?」

「あぁ、ラングール帝国に返り咲く。これだけの黒寿草の束と採取場所があればリリウム成金でわしは大富豪だ。【副王会】を逆に潰してやるさ。衛兵や議員の買収など容易くなる。しかも、それだけじゃない……ヒャヒャヒャ」


 汚い歯を剥き出して笑う。

 愛嬌があった顔が、今度は不気味な笑い顔だ。


 しかし……行っちゃうのかよ。

 せっかく異世界に来て、初めてコミュニケーションできたってのに……一人は嫌だな……。


「……俺も連れていってもらえませんか?」

「駄目だ」


 ハヤッ。


「えっ? なぜです?」

「ラングール帝国はドワーフの国。マグルなぞ見たこともないだろうし、現にわしも初めて見たからな。それに我らラングールの民はマグルやマグルの世界を毛嫌いしている。お前さんを連れていったら、わしまで衛兵に捕まり、買収どころの話ではなくなるわっ」


 えぇ、また一人かよ。

 ん~、いやだな。もう一度頼んでみよう……。


「どうしてもだめですか?」

「あぁ、だめだ」


 がっくりだ。

 ついていったら攻撃も辞さない。という顔色だし。


 しょうがない……。

 専門用語を聞くだけ聞いて情報を得ておこう。


「そうですか。残念です……ですが、教えてください。そのマグルとは何です?」

「……質問ばかりだな? まぁいい。マグルとは蓋の無い世界、地上の世界に住む人々を指す。わしたちドワーフも、大昔は地上にも拠点はあったようだが、戦争が長らく続いたせいか、わしらの祖先は地上との交流を絶った。今では長らくマグル、お前さんのような人族を含めた地上の種族たちと交流するのが禁止されている」


 ロアは天井に指を差して説明してくれた。


「へぇ、地下のラングールには、人族がいないんですね」

「勿論だ」


 地下には人族が居ないのかよ。


「それでは地上へと向かう道は分かりますか?」

「分かるには分かる。地上へ出る直通路だと思われる、神具台と呼ばれている石筒が幾つかある。我らドワーフの祖先が作ったと言われているんだ」


 わぉ、そんな石筒があるのか。

 という事は、地上へ出られるかも知れないっ!


「そんな物があるのですか……それはどこに?」

「たとえ見つかっても使えないと思うが……」

「お願いします。教えてください」


 ロアは俺の必死な顔を見て、毛に覆われた頬を掻きながら口を開いていく。


「……そうだな。マグルとはいえ、こんな途方もなく地上から離れた地下深くで出会ったのも、何かの縁。パドック様のお導きなのかも知れん。教えておこう」

「おお、ありがとうございます」


 俺は笑顔を浮かべて、耳を広げるように聞く。


「わしが知ってるのは【ラングール帝国】の中心部である【地下都市サウザンドマウンテン】にある神具台だ。壊れて幾千年の時が経ったとされる。それ以外には……この広い広い地下のどこか遠くに散らばるように点在しているらしい。だが、その神具台を見つけたとしても、独自の使い方があるのか、壊れているのか、動かないと思うぞ。そもそも作られた技術はとうに失われているのでな。偉大なパドック様、偉大なご先祖様も、マグルに通じる道なんて、いったい何のためにこしらえたのやら……」


 ガーン。

 ロアが知っている場所はドワーフの国じゃないか。

 ま、壊れているんじゃ意味がない。


 でも、その神具台をイメージすると、石筒、エレベーターのような箱物の機械かな?

 そのような技術があったことが驚きだ。


「……そうですか」

「おう。それじゃ、わしは二、三匹ヂヂを狩ってここを離れる。何ヵ月後か分からんが、ここにはドワーフの衛兵や俺の傭兵が来ると思うからな。その時、見つかるかもしれんから、逃げておくのだぞ? んでは、去らばだ。マグルのシュウヤよ」


 何ヵ月後ね。この世界の暦の数え方が分からんけど。

 グレゴリオ暦、五行、干支、と似たようなのだとは思うが。


「……はい」


 俺の言葉を無視するかのように、ロアと名乗ったドワーフは松明を片手に洞窟の奥に消えていく。


 寂しい……。



 ◇◇◇◇



 ロアは来るな。

 と警告していたが、無視だ。


 彼をつけていた。

 ドワーフといえど折角話せる人物と出会ったんだからな……。

 それに、ロアが進む地下都市は壊れた神具台とやらがある場所なんだろ?

 もしかしたら使えるかも知れないじゃないか。


 彼についていけば、地上への近道になるかもしれない。

 地下都市に潜り込めば、スラムの片隅に身を寄せることもできるはずだ。


 多少は話せる相手が欲しいが。


 そんな一方的な想いでロアを追跡すること数週間。

 その間のロアはリョゴルの冥界音を響かせながら進んでいた。


 ロアはモンスターの気配がすると、毎回リョゴルを使い、気配を隠す。

 様々なモンスターと戦わないで移動ができていた。


 だが、俺の範囲まで、アイテムの音の影響はないようだ。

 獣のモンスター、体に大きな眼球を複数備えた毛虫のモンスター、熊と蟹が合わさった大柄のモンスターなどの数々の化け物たちを、俺は近くで見ることになった。


 あくまでも、見るだけ。

 俺には<隠身ハイド>と<暗者適応>がある。

 だからか、見るだけで済んだ。

 モンスターに俺の姿が露見することはなかった。

 そして、長い事追跡を続けて、ついにロアは動きを止める。


 同時に、少し先に地下都市らしい眩い光を発見。

 周りも自然洞窟ではなく、巨石が正方形に切り揃えられた人工的なオブジェクトに変わり、整地された道が増えてきた。


 やっと地下都市に到着したらしい。


 あれが地下都市か……。

 都市と言うより、明かりを発している巨石群にしか見えないが、確かに人工的な明るさだ。


 だが、しょうもない俺の追跡劇はそこまでだった。


 ――矢が飛んできたのだ。

  <隠身ハイド>を発動しているのに、次々と弓矢が飛んでくる。


「あそこに見知らぬ魔素反応。――敵がいるぞっ!」

「ダークエルフか? 追えっ」


 そんなことを口々に言うドワーフたち。


 小さい黒鎧を着たドワーフの兵士たちが次々に出現。

 動きがロアと違う。


 忍者のように転々と跳んで移動を繰り返している。

 ドワーフたちは上下に突き出た岩と岩の間を器用に岩を避けつつ素早く駆けた。

 地を這うように移動している。

 分身の術でも使いそうな忍者ドワーフか。

 

 彼らは俺が隠れた場所を指した。

 また矢が飛来。


 ――くそっ、逃げるしかない。


 幸い、来た道は覚えている。

 しょうがない、ロアの追跡は諦めよう。


 走り逃げ出した。

 直ぐに追ってきたドワーフたちを撒く。


 ドワーフは足が短いからな。

 どんなに素早く動いても足は遅いと思われる。


 単に俺が速いだけかな。

 さて、また、黒寿草が生えてるとこに戻るか。

 その戻りゆく洞穴の中でモンスターと度々遭遇――。

 ま、できるだけ戦わずに避けようか。


 ……何週間か歩いて、無事に黒寿草が生える一帯に戻ってこられた。



 ◇◇◇◇



 こうして、また、この暗い洞窟での生活が始まった。


 朝か夜かも分からない日々。

 寝て起きてを数十回、数百回繰り返し……。

 

 色々と自己流の格闘技やらの試行錯誤を繰り返し……。

 訓練、いや、孤独というモノを自分なりに体感し、がんばってみたが……。

 ふと、急に、俺は何をしているのだろう。


 と、自問自答を起こす。

 原始人並みの生活に慣れてしまい、兎肉がご褒美な生活って、どうよ?

 こんなとこで、ずっと暮らして、そんなことをして……。


 転生に何の意味がある?

 俺、無職の頃より怠惰なコストを払っている気がする。

 コストっていう考え自体もオカシイか。

 生産性がないとか、人を見下すようなことだけはしたくない。

 と、そんなことを考えてもな……。


 やっぱり地上へ、人間、マグルのところへ行こう。


 それには手がかりの神具台を探すしかない。

 ロアが語っていた怪物とやらが怖いが、あの広い骨の海の先にきっと何かがあるはずだ。


 そういやロアがドワーフを引き連れてここに戻ってくるとかなんとか言っていたな。


 どちらにせよ、骨の海へ行くしかない。


 そのための準備を調える。


 黒寿草を体のあちこちに巻き付けていく。

 これは非常食にする予定だ。

 念のためヂヂを狩り、五匹程度集めた。


 これだけあれば、ある程度は持つだろう。

 腐るから日持ちは期待できないが……。


 最悪、食事、水なしでも生きられることは分かったし。

 人間、人族がいる地上へと行ってやる。

 神具台を見つけて、地上へと続く道を見つけてやる。


 決意を固めた俺は黒寿草の生える地域を脱した。

 地下世界の旅へと出発。ジュール・ヴェルヌを自ら行ってやるさ。



 ◇◇◇◇



 黒寿草が生える洞穴を抜けて、骨の海に到着。

 それから五日、六日と時間が経っただろうか。

 感覚はもう完全に狂っているので、分からない。


 あれほどあった黒寿草はもう残り僅か。

 ヂヂの肉はもうない。


 そんな感じで、骨を延々と踏み潰し歩き続けていた時。


 ――ブゥゥン、ブゥゥゥゥンと振動音が響いて聴こえてきた。


 それがどんどん大きくなってくる。


 上空を見上げると、白いヒトガタ? なんだあれ?

 白い鎧? 見た目は怪物だ。


 上空に漂う不気味な白い怪物は、俺を見下ろしていた。


 真っ白な鎧、機械系の鎧だ。腕は四つありどれも黒い。

 顔の目元だけを覆う赤いガスマスクのような物を装着している。


 そのマスクからガス菅が幾つも伸びて胸の鎧へと繋がっていた。


 背には透明の膜でできた長い羽が幾つも付いている。

 それらの透明な長い羽が、ハチドリのように激しく振動していた。


 巨大な羽虫を想像させる震動音――。

 顔の皮膚は白色。

 そして、何故か、顔の下半分の口元だけが大きく露出している。

 あの露出した口は、やはり、化け物か。


 ドワーフのロアが語っていた怪物グランバに違いない。


 四角形の口が、内と外に二つある。

 外側の口の歯は、そのほとんどが、鮫と似た歯牙だ。

 一度獲物を捕らえたら離さないといった鋭さを感じさせる。


 もう一つの小さい口のほうは、より緻密に歯牙が揃っていた。

 キモイし、不気味だった。

 映画で例えるならば、エイリ○ンとプレ○ターをごちゃまぜにした感じか……。


 そのガスマスクに白い鎧を装着している怪物は……。

 すぅっと音も立てずに下りる。


 俺の前方に立った。


『濃厚な魔素と血の臭いを追ってきたが、まさか生きている人族に会うとはな……』


 今、直接……頭に響いたぞ?


「えっ? 魔素? 血の臭いって」


 意思疎通ができる?


『ほぉ……我が思考波の<念波>を読み取り理解できる? オカシイなオマエ、本当に人族か?』


 最後の言葉、いや、思念の言葉を聞いた瞬間。


 ――腹に突風が発生。

 同時に――左脇腹に衝撃と激痛が走る。


 ――視線を激痛を齎している腹に移すと、


「え?」


  左脇腹の一部を失っていた。


「――うぐぁぁぁっ」


 遅れて悲鳴をあげた。

 怪物の真っ黒な右の掌には、俺の腹の一部の肉片が握られているじゃないか。


 その掌からは俺の血が、ポタポタと……垂れていた。

 怪物は俺の肉片を四角形の口へと運ぶ。

 すると、そのキモイ口の中から蛇が出すような舌がにゅるりと伸びて、先っぽが分裂。


 二つの舌に変化とか。

 舌が動きに動いて、俺の肉を貪る。


『ふむ……血の味は人族と似た味……』


 くそが、俺の肉を食ってやがる。


 だが、


「いてぇぇ……」


 ……痛すぎる! 

 アイツの攻撃、まったく見えなかった。ヤバイ……。


 思わず身震いした。

 恐怖の余りうなじの毛が逆立ち、鳥肌が全身を駆け巡る。


『さて、もっともらおうか』


 その言葉が頭に響いた瞬間。

 俺は――<脳脊魔速>を発動。


 速度を上げ――斜め前へ緊急離脱。

 俺が居たところの地面は、骨の塵が舞うように散らばる。

 怪物から伸びた黒い腕が地面に突き刺さっていた。


 そんな怪物に向けて錆びた剣を投げつけてやる。

 白い怪物の鎧に当たるが、あっさりと弾かれた。


 うへ、それを見て、即座に逃げ出す。

 ――とにかくっ、走る!


 骨の山を回避。走りに走った。

 左脇腹から激しい痛みと血が溢れるが、無視だ。くそが――。


 ひたすら跳躍して走って逃げた。


 骨の山の空間は延々と続くと思われたが……。

 前方に朽ちた砦らしき建造物が見えてきた。

 そこに近付くと、入り口に黒く細い柱が何本かある。


 その――入り口らしきところに駆け込んでいく。


 砦らしき建物の中を全力で走る。扉はない。


 中は暗いが構わず、暗闇を突き進んでいく。

 途中狭い蛇の通路のような場所に出るが、壁に擦れながらも歩く。


 歩くが、先程の恐怖が蘇って身震いが起きてしまう。


 怖い……緊急時に使える<脳脊魔速>はもう使用可能だ。

 

 だいぶ距離を取ったはず。

 後ろを見た。


 ……ふぅ、来ない。よかった。

 腹が痛いだけで、特に疲労は無いが、壁に手を掛けて少し休憩する。


 一応、<隠身ハイド>を発動させておく。


 しかし何なんだ、あの敵は……。

 ドワーフのロアの会っていたら喰われていたという言葉は本当のことだった。


 正直、舐めていた。


 ――ぐっ。


 腹部の傷が逃げろ。と疼いているように痛み出す。

 腹の痛みを我慢。走るか。


 走り出す。走って跳躍を繰り返し進む。


 砦らしき建物は終わり、瓦礫の感触がする暗闇が続いた。

 また骨の海に出たらしく、足元で骨を潰す感触を得る。


 骨の海の空間をひたすら前に進んだ。

 すると暗闇が急に終わり、明るい光が目の前に現れて眩しくなった。


 それは光というより霧に近い? 光る霧?


 濃度の濃い光る霧だった。

 その霧は重苦しい空気で、それが俺の肺を満たす。


「なっ、ゴホッ」


 思わずむせかえるほどだった。

 その濃度が濃い霧を走る。少し苦しいが無視。

 霧が濃い中を進んでいく。


 前方、霧で見にくいが――んお!? 建造物か?


 走るのを止め、巨大な建造物を見た。


 それは、とてつもなく巨大な円形の建造物の一部だった。

 中には水膜が張っていて、円形の縁には色々なマークと共に文字の装飾が書かれてある。


「おいおい、こりゃゲートか?」


 SF映画にあったような物にそっくりだぞ?

 円形の縁回りには、変な蛇が踊っているような文字が書かれてある。


『ザララープ 遠くと近き物』らしい。


 簡単に読めた。エクストラスキルの<翻訳即是>のお陰だな。


 それに特徴的な丸いシンボルマーク。

 白と黒が半々に描かれた陰陽太極図のような円形マークが一番上に飾られてある。

 太陽のシンボルのようなモノもある。

 

 あれも何か意味があるのかなぁ……。


 すると、後方からブゥゥゥゥンと羽の音。


 げげっ、またかよ。逃げる!


 トラウマになりそうだった。

 音を聞いただけで顔を歪めてしまう。


 <脳脊魔速>を発動。また走り出す。

 巨大な建造物、黒い円形の環の脇へと回り、前へ進む。


 あのゲートの中に入ることも考えたが、嫌な予感がするから入らない。

 走っている間も光る濃霧は暫く続いていたが……。


 黒い環の建造物から離れたのか、濃霧はいつの間にか消えていた。


 また暗闇の空間が広がる。

 その暗闇を躊躇なく走り進んでいく。


 暗い。地面が見えない。

 <夜目>を発動させることも忘れていた。


 必死だよ。必死な形相だろうな、俺。

 そりゃ、あんな白いエイリアンにもう会いたくねぇからな!


 愚痴のような思いのまま踏みしめる骨の砕ける音。

 骨の砕ける音でさえ、俺の恐怖を助長させる。

 周りに音が響くのが怖い。

 <夜目>を使用していたが、尖った壁に腹をぶつけてしまう。


 再生中の削り取られた脇腹から激痛が走る。

 だが、痛みを我慢して、お構い無しに走っていく。


 すると、「ぬおっ」という間抜けな声と共に、足が滑って転びそうになった。


 地面に水気があり湿っている。

 どうやら水が近くにあるらしい……。


「……水か、欲しいかも」


 喉がからっから。

 本当は俺の体的に血じゃないとダメなんだが……。


 贅沢はいってられない。


 湿った濡れている床を触り感触を得た。

 鍾乳洞のような地面は湿って薄い苔が生えている。


 壁から水が伝って流れていることが分かる。

 同時に、前方から別の音も聞こえてきた。

 最初は……心臓の鼓動音が耳の中で脈打っているのかと感じたが……。


 音は先の方から聞こえてくるようだ。

 ゴォォーッ、という重低音が地面を震動させるように響く。


 再生中の腹の傷に響いた。

 立ち上がって、音がする方向に腹を押さえながら走り出す。


 音が更に大きくなった。

 え? 光っている? 音の正体は地下水脈の川か。

 それは圧巻だった。


 ――暗闇に浮かぶ青い光。


 川が青白いブルーライトのような光を発して輝いていた。

 その不思議な川へと駆け寄る。


「おぉ」


 自然と感嘆の声をあげていた。


 急流の地下の川を見る。

 追われてなければ、もっと感動したのに。


 急流の川の水を手で軽く掬う。

 掌から溢れ落ちる水は光ってはいない。

 川底の石が光って見えているだけのようだ。


 その川の水を掌で椀を作って掬い口へ運ぶ。

 ごくごくと喉を鳴らして飲み込んでいった。


「ぷはぁぁ」


 ひさしぶりの水だよ。

 うまうま、旨い。硬水気味か?


 水を久々に味わったから活力を得た。

 まぁ実際はあんまり変わらないが。


 そのまま地下にある鍾乳洞の地面が続く川沿いを早歩きで進む。

 水が激しく流れ落ちる音、叩きつける轟音が耳朶を叩く。


 構わず、音の方向へ走る。

 そこには上から下へと叩きつける地下水流の滝があった。


 洞穴の上から激しく流れる滝。

 二十メートルぐらい下に滝壺が見える。


 水飛沫が高い位置にいる俺の顔にまで飛んできた。

 冷たい。辺りを薄い霧が包んで、雲を吐き出しているようにも見える。


 青い光が下から発生しているので、幻想的な光景だった。


「綺麗だ――」


 そんな淡い幻想に浸った時――。


『ここか』


 また俺の頭に響く不気味な声が聞こえてきた。


『それにしてもオマエ、急に動きを変える不思議な技を使うな?』


 ――またあの怪物かよ!


 後ろを振り向くと、上空を飛んできている白い怪物。

 怪物が放つ羽音は、水の音に飲み込まれて聞こえなかったようだ……。


 また逃げよ。すぐに<脳脊魔速>を発動。

 飛び込み台はないが――地下水流へ身体を投げ出していた。

 オリンピックの高飛び競技をイメージし飛び込む。滝壺へ急降下。


 水に衝突すると、ズボッといい音が響く。

 きっと、水飛沫が上がったんだろう。


 怪物には良い目印だが、仕方ない――。

 滝壺はかなり深い。

 ――深い水から上へ這い上がり、流れに沿って泳いでいく。


 幸い、俺は泳ぎが得意。

 中高と水泳クラブに通っていたからな。


 しかし、垢が浮く浮く。我ながら汚い。

 が、そんなことは気にしていられない。

 走るより速く泳いでいく。速度を上げて泳ぐ。


 水の流れに乗って泳いでいるだけでも十分速く感じた。

 どんどんと流れていく。川の流れが穏やかになったところで、二十秒が過ぎたのか<脳脊魔速>が切れた。


 静かな水の中に身を任せるように力を抜きながら平泳ぎで泳いでみたり、途中で平泳ぎからクロールに変えたりして泳いでいく。


 暫くすると、鍾乳洞らしき洞穴が見えてきた。

 天井が低い洞窟、しゃぁない、行くぜ。


 意気込んで水中へ突入――。

 スイスイと水中深く潜っていく。


 水の温度はより冷たくなっていた。

 両手で掻くように泳ぎ、潜水を続ける。


 おっ? 息継ぎ……しないでもいける?

 不思議だが、息継ぎしないでも大丈夫なようだ。


 左の脇腹は再生中。血は流れていたが……。

 構わずに泳いでいく。

 途中まで川底が青く輝いていたが、それがなくなり暗くなってきた。


 完全な暗闇になる。<夜目>を発動。


 暗闇の水中を進み続けた。

 だいぶ進んだので、一応、水中から顔をあげる。


「ぷっはぁ」


 息をおもいっきり吸う。

 肺に空気が満ちる中、辺りを見回すと、石の人工的な建物だと分かる、石が削られてできた建造物がちらほらと視線に入ってきた。


 ゆっくりと泳ぎながら石の建築物群を確認していく。

 ここは何かの遺跡か。上方、明るい光があちこちにあるようだ。


 ん? 目の前に階段だ、階段が水の中まで続いてる……。


 水から這い上がり、びしょびしょに濡れた足で石階段を上りながら光源を見た。

 光源は石場の上と、空中に吊らされてある鉄鍋から発せられている。


 炎のオレンジ色の光が神殿をライトアップするように明るく照らしていた。


 下からだが、炎の揺らぎが微かに見えるので、鍋の中の炎は勢いよく燃えたぎっているのが分かる。


 骨の海の辺りにあった照明に似ているが、少し違うようだ。


 石階段を上がりきると、卜の字のような通路になっていた。

 前方は水へ続く下がる階段。

 右へ続く階段は、上り階段で遺跡中央部へ続いているようだ。


 右の上がり階段を選択。


 何かを祭る神殿の一部があるかもしれない。


 上ってみよ。


 階段はやはり中央部へ続いていた。

 つきあたりを横へ曲がりさらに小さい階段を上がると……。


「……広場、へぇ、朽ちて壊れた灰色の像たちに、黒い獣像か……」


 奥には高台へ向かう大きな階段が続いている。


 石畳の円形の広場に、上には高台か。

 階段があるし、上には人工的な何かがありそうだ。


 だが、今はとりあえず、この彫像たちを見ていこう。


 円形の壇上には腕や頭がない人型の像、片足がないエルフ、片腕のドワーフ、角が生えた顔で身体が削れている像など、他にもファンタジーらしい見たことのない種族の彫刻、彫像が壊れた古代ギリシャ像のように立ち並んでいる。


 だが、これらの周りにある古びた彫像より……。

 真ん中で存在感を示している黒色の獣像の方が気になった。


 欠損が無く新品に近い。

 形はくっきりと残っている。


 橙色の石の台座の上に乗っている巨大な黒色の獣の彫像が、この遺跡神殿の主のように存在感を示していた。


 立派な獣だ、黒き獣か……台座には彫像の壁画も彫られてある。

 壁画が彫られた台座の下には萎びたお供え物に蝋燭が数本置かれてあった。


 ここ、誰かが来ているな。

 黒き獣にお祈りでもしているのだろう。


 と、黒き獣の彫像を凝視。


 この彫像……明らかに、他のと違う。

 表面に闇色の燃えているような靄が浮かんでいるし。


「いや、オーラ? 黒炎みたいなのが……」


 黒炎が彫像の全身に広がり黒き獣の姿を縁取っている。


 獣は、豹、虎、獅子か?

 動物型と分かるが、頬、首下の箇所から幾つか触手のようなモノが生えていた。


 いったい何だろう……。


「彫像の目が赤い……」


 更に彫像へ近寄っていく。

 すると、背後からまたあの声が頭に響いた。


『もう逃がさない』と。

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