三章 仲間/四人目(前編)

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 鳶雄は、『隠れ家』の一室で朝を迎えていた。ベッドと机がひとつしかな

い質素な部屋だ。彼は、ベッド下で丸くなって寝ている黒い子犬を見て、昨

日の出来事があらためて真実なのだと再認識した。ベッドに横になりながら

鳶雄は息を吐く。

 ……絶望のなかにも一筋の希望が見つかった。到底、受け入れがたい現実

が襲いかかってきているが、それでも皆を――紗枝を救いたい。

 鳶雄は心中で決意をあらためて固めていた。強い意志を持ったところで、

鳶雄は今日の目的を心のなかで反芻はんすうしていた。

 ――陵空高校一の不良生徒だった鮫島綱生に会いに行く。

 ベッドのなかで鳶雄は鮫島綱生のことを思い出していた。最後に見たのは、

同級生の合同葬儀のときだ。「ヘヴンリィ・オブ・アロハ号」の海上事故発

生から、数週間後――。

 その日は快晴だったのを鳶雄は覚えている。雲ひとつない青空のなか、合

同葬儀はしめやかに行われた。陵空高校二年生二百三十三名の生死は不明と

されていたが、生存は絶望視されたのだ。

 遺体が見つかった教師、「ヘヴンリィ・オブ・アロハ号」の船員も含めた

合同での葬儀。

 葬儀場の外は情報を嗅ぎつけてきたマスコミで溢れかえり、テレビでも報

道された。

 葬儀を執り行ったのは、生徒の遺族たちだ。いまだ生死もはっきりとして

いない状況での葬儀。あまりにとんとん拍子で進む手際のよさを鳶雄はいぶか

げに思った。

 鳶雄たち修学旅行へ参加せずに生き残った生徒たちの席は十席にも満たな

い。いくつかの空席はある。仲間がマイクの前に立って、別れの言葉を言う。

それを聞き、嗚咽おえつを漏らす遺族たち。だが、妙だった。どうしても、葬式の

演技をしているような感覚に陥る。遺族の、特に生徒の両親たちからは悲し

みが舞台演出のようなものとしてしか伝わってこないのだ。生徒の遺族たち

は泣いてはいたが、誰も本気で悲しんでいる目をしておらず、憔悴しようすいした様子

も見受けられなかった。どこか、淡々としていて哀悼の感情も上辺だけのよ

うに感じてしまう。

 少なくとも自分の祖母の葬儀のときは、このような妙な違和感はなかった。

親しい者との別れにただただ悲哀を抱いた。

 鳶雄の疑念をよそに、葬儀は進んでいった。いま思えば、あの段階から

「違和感」はあったのだ。

 葬儀は進み、もう終わりが近づいたときだった。勢いよく扉を開け放つ者

が入ってくる。

 鳶雄と同い年ぐらいで、髪の毛を茶色く染めた少年。その姿に参列してい

る全員が、注目した。少年の手には花束が握られていた。

 ツカツカと無礼千万で乱入してきた不良少年。霊前に立つと無愛想な表情

で、とある遺影を見上げていた。遺影のなかの人物は、彼のように茶髪で強

面の少年だ。

 すると、彼は持っていた花束をそっと献花台に添える。

「バカヤロー……」

 少年は手も合わせず、それだけつぶやくと、くるりときびすを返して帰っ

ていった。風のように現れ、風のように去っていった不良少年。

 鳶雄が合同葬儀で一番印象に残ったのは、その場面だった。

 それが鮫島綱生。陵空高校で同級生から一番怖れられた不良だ。

 天井を眺めながら、ふぅ……と、深く息を吐いて、鳶雄は頭を再び枕に沈

める。

「……陵空一の不良……鮫島、か」

 ――皆川夏梅のことは覚えてなくても、鮫島綱生のことは鮮明に覚えてい

るなんてな。

 そう自嘲しながら、目を腕で覆った。男子高校生ならば、名の通った不良

ぐらいは自然と覚えて当然か、とも思ってしまう。普段の学校生活で避けね

ばならない人種のひとつなのだから。

「シャークは悪いヒトではないのですよ」

 そのような声が近くから聞こえてきた。女の子の声だった。鳶雄は跳び起

きてベッドを調べ出す。掛け布団をバッと取り払うとそこには――。

「おはようなのです」

 白ワイシャツ一丁のみという格好の金髪の少女――ラヴィニアがいた!

「な……なっ……!」

 あまりの出来事にまともに発声もできない鳶雄。彼の人生のなかで、異性

が同じ寝床にいるなど、あったことがないため(正確には幼い頃に紗枝と共

に昼寝をしたことがあったが、それは幼少時のためノーカウントだ)、驚き

は一際大きい。

 彼の目に飛び込んでくるのは――雪のように白い肌の脚だった。ワイシャ

ツひとつのため、ラヴィニアの脚はほぼすべて露わになっている。健全な男

子高校生には毒でもあり、薬でもある情景だ。白ワイシャツも窓からの日射

しで透けて見えてしまっていて……。

 鳶雄は頬を赤く染め、目を背けながら、彼女に問う。

「ど、どうしてここに……!」

 自分でも上ずった声音だと気づき、さらに気恥ずかしくなる。

 ラヴィニアは気にも留めずに寝ぼけ眼をさすりながら言った。

「……昨夜、トイレに立ったのです。気づいたらこのベッドにいたのです」

 気づいたらこのベッドにいた――。余計に意味不明だと鳶雄は思って仕方

ないが、ここにいるのだからどうしようもない。

「どういうことなのです?」

 首を傾げながら逆に訊いてくるラヴィニアに鳶雄も「俺が訊きたいっ

て!」とつい突っ込んでしまった。

 このままでは調子が狂うと判断した鳶雄は、話題を変える。

「……シャークって、鮫島のこと?」

 先ほど、ラヴィニアは『シャーク』と言った。自分が鮫島の名前を独りご

ちたときだ。『鮫=シャーク』、安直だがそういうことなのだろう。

 ラヴィニアはあくびをひとつしたあとに答える。

「そうなのです。シャークはシャークなのです。本当にシャークな雰囲気な

のでピッタリだと思ったのです」

 鮫島がシャークな雰囲気……。不良ゆえか、強面だと思ったのだろうか? 

それでも鮫島は陵空時代、不良とはいえ、女子受けがかなりいいほうだった。

いわゆるワル系のイケメンだ。だが、浮いた話はひとつも聞こえてこなくて、

武勇の面ばかりが耳に入ってきたのだが。

 ラヴィニアは続けて言う。

「シャークは昨夜もこのマンションに帰ってこなかったみたいなのです。た

ぶん、お外で神器を使ってウツセミ退治でもしているのだと思うのです」

 ……外でウツセミ退治、か。なんとも豪気というか、命知らずの行動に出

るものだ。彼も自分や皆川夏梅のように独立具現型とかいう動物の神器を有

しているのだろう。それでウツセミの相手はできようが、何よりも驚きなの

がそのメンタル面だ。……あんなバケモノどもと一昼夜戦い続けることなど、

できるだろうか? 少なくとも自分には、できそうもないと鳶雄は冷静に判

断する。肉体的な面と精神的な面の疲労度を考えるだけで、無計画にそんな

ことはしたくないと思えてしまうからだ。

 ……それを行えるだけの強靱な意志、確固たる目的を鮫島は持っていると

いうことなのだろうか? 単に不良ゆえの気性から異常なことばかりが起こ

る戦いに単独で臨むなど、考えにくい。

 それに「ウツセミ」の特性のひとつが厄介だ。鳶雄は昨夜得た「ウツセ

ミ」の情報を思い返す。

 ウツセミ――使役されているバケモノは、一度対象者の血から相手の臭い

を覚えると、仲間のウツセミにその臭いが伝達されるのだという。鳶雄は、

友人である佐々木が使役したウツセミに頬を切られた。どうやらそのときに

流れた自分の血から臭いを覚えられてしまったようだ。ウツセミたちは一度

覚えた相手の臭いをもとに対象者を追っていく。そして、ウツセミは鳶雄の

自宅を襲撃してきた。

 どこかで安心していたのかもしれない。

 家まで入ってはこないだろう――と。だが、その思いとは裏腹に、いとも

簡単に襲撃された。そのショックは計り知れない。

 聞けば、夏梅もすでに自宅を襲撃され、ここに行き着いたのだそうだ。彼

女は、現在同じマンションの別の部屋に住んでいる。

 この「総督」が用意したというマンションは、市内の外れにあった。どう

やら特殊な造りになっており、そう簡単にはウツセミに見つからないように

なっているのだという。

 ……それ以前に自宅は相手方に把握はされていたようだ。ウツセミたちを

操る機関とやらはすでに鳶雄たち生存組の情報を持っている。……このマン

ションもいつそいつらに捕捉されるかわかったものでもない。そうなる前に

相手の本拠地を見つけて、ウツセミにされている皆を助けるしかないだろう。

 ……時間はない、と思う。限られた時間のなかで、いかに生きて、いかに

強くなるか、それがいまの命題だと鳶雄は理解できていた。

 ふいにラヴィニアが黒い犬を見ながら訊いてくる。

「……トビー、ひとつ訊きたいのです」

 トビー……。どうやら自分も鮫島と同じようにニックネームをつけられた

と鳶雄は認識した。

「な、なんだい?」

 ラヴィニアは黒い犬を青い瞳で捉えながら、こう言った。

「――そのワンコさんは、『タマゴ』からかえったのですか? 本来は、あの

『タマゴ』をパキパキと内側から割って出てくるのです。その通りに生まれ

たのか、気になったのです」

 ――っ。

 ……鳶雄は返す言葉も見つからなかった。タマゴは――割れていたが空

だった。犬は――己の影から現れた。彼女が言うパキパキと内側から割って

出てくる光景など、見てはいない。

「…………なんでそれを訊くんだい?」

 生唾を飲み込みながら、そう答える鳶雄。

 ラヴィニアと――子犬の視線が絡む。青い瞳の少女と赤い瞳の子犬。

「……そのワンコさん、明らかに夏梅やシャークの持っているものとは違う

雰囲気なのです」

 ……皆川夏梅の持つグリフォンとは違う雰囲気……。鳶雄にはそれが今一

実感が湧かない言葉であったが、その子犬が何か得体の知れないものを内に

有しているということだけはなぜか直感で理解できた。

「トビー、このワンコさんもセイクリッド・ギアならば、どんな形、能力で

あれ、力の顕現に関するルールはシンプルなのです」

 ラヴィニアは己の胸に手を寄せながら真っ直ぐに言う。

「――想いの力。神器――セイクリッド・ギアは想いが強ければ強いだけ、

所有者に応えるのです。トビーが強く想えばきっとそのワンコも応えてくれ

るはずなのです」

 ……『想い』の力。黒い子犬に強くなりたいと願えば応えてくれるという

のか……?

 鳶雄が子犬を見つめても、とうの本人はきょとんとしているだけだった。

 ――と、鳶雄とラヴィニアがまじまじと子犬を見つめるなか、ドアがノッ

クされて開け放たれる。

「おはよー。扉、開いてるよー?」

 そう言いながら夏梅が部屋に現れる。昨夜ここに入り鍵をかけたはずの扉

が開いていることに鳶雄は驚くが、「ラヴィニアがここに来るときに開けた

のか?」とすぐに思い至る。

「もう、朝だよ朝。ちゃっちゃと起きて、用意する――って! わーおっ! 

何しているのよ、あんたたち!?」

 こちらの様子を見て仰天している夏梅。それはそうだろう。ベッドに女子

を寝かせたままの男の部屋と化しているのだから。

「い、いや、これは……っ!」

 これはいかんと言い訳をしようと立ち上がる鳶雄だったが――、

けがされてしまったのです? こういうとき、そう言うと日本の漫画で見た

のです」

 ラヴィニアが無表情で淡々とそう口にしてしまう。「どんな漫画だ!?」と

心中でツッコミを入れてしまいたくなる。

「ちょ、おいおいおいおいおいっ! 俺は何もしてないぞ!?」

 必死にそう告げるしかない鳶雄だったが、夏梅が指を突きつけてもの申し

てくる。

「幾瀬くん! 新しい仲間と仲を深めあうのは結構だけど、深めあいすぎな

んじゃないかな!?」

「だ、だから、これは……っ!」

 顔を間近にまで寄せて文句を告げる夏梅だったが――その表情が破顔する。

「なーんてね。わーってますって。どうせ、ラヴィニアが夜中に寝ぼけて

入ってきちゃったんでしょ? 私の寝床に入ってくるのなんてしょっちゅう

だし。それに私の見立てでは幾瀬くんって、女の子に誠実そうよね」

 …………。

 ……ラヴィニアに顔を向ければ、「なのです」と同意する金髪少女がいた。

……誤解は解けそうだが、どうにも釈然としないものが鳶雄の心に生じてし

まっていた。

 昨夜、ビデオを見た部屋に集合した鳶雄、夏梅、ラヴィニアの三人は、遅

めの朝食を取ることとなった。

 ――が、鳶雄の眼前に用意されたのはポットとカップラーメンだ。夏梅と

ラヴィニアはそそくさとお湯を注ぐ準備をし始めた。

 それを見ていた鳶雄が一言だけ口にする。

「……朝はカップ麺、か」

 鳶雄は、レトルトとジャンクフードを好んで食べることはしなかった。亡

くなった祖母が毎日三食きちんとしたバランスの良い食事を用意してくれた

ためにその手のものに触れる機会がなかったからだ。と言っても友人の付き

合いやどうしても外せない用事があって調理できなかった場合などがあれば、

その限りではない。しかし、祖母が亡くなったあとも一人で料理をし続け、

幼馴染みの紗枝にも手料理を作ってもらっていた手前、レトルト食品はあま

りに馴染みが薄いのだ。

 女子二人は特に気にも留めず、お湯を注ごうとしているのだが、鳶雄は立

ち上がって両名に言った。

「俺、実は家から出てくるとき少しばかり調味料と缶詰とか持ってきたんだ。

それで料理でもするよ。えーと、二人は何か材料になるものとか持ってない

かな?」

 鳶雄の――いや、男子からの突然の料理宣言にポカンとする夏梅だったが

――、

「……え、ええ、給湯室に食パンとか牛乳、たまごぐらいならあるかな」

 ――と、答えた。

「ここの住民が共同で使える給湯室があるのです。そこの冷蔵庫にある程度

材料があったりするのです」

 挙手するラヴィニアからも良い情報を得られる。

「わかった。じゃあ、二十分ぐらい待っていてくれるかな? 朝食を作るか

ら」

 鳶雄は笑顔で二人にそう告げて、材料を取りに行った。

 ――二十分後。

 卓に並んだのは、プラスチックのコップに縦に入れられた野菜スティック

&からしマヨネーズ、マグカップに入れられたオニオンスープ、ツナサンド、

そしてデザートとしてジャムが添えられたフレンチトーストという献立だっ

た。

 それらを見て、夏梅は惚れ惚れするように「すごいすごい!」と騒いでい

た。ラヴィニアも表情はあまり変わらないように見えるが、瞳はフレンチ

トーストに釘付けだった。

 鳶雄はエプロンをたたみながら言う。

「ごめん、ツナサンドとフレンチトーストでパンが被っちゃったけど、とり

あえず、間に合わせのもので用意できたのはこんな感じかな」

 女子に食べてもらうのだから、もう少し気の利いたものを用意したかった

鳶雄ではあったが、この状況なのでシンプルかつパパッと腹に収められる献

立にすることにした。

 だが、とうの夏梅はとびきり喜び鳶雄の手をつかんで上下にぶんぶんとさ

せた。

「すごいわ、幾瀬くん! ま、まさか、あなたがこんなにも料理男子だった

なんて! いやー、私、いい拾いものしちゃったかも!」

 ……拾いもの、か。ちょっと反応に困る鳶雄ではあったが、喜んでくれて

いるようなので、それでいいと思うことにした。

 ラヴィニアは「ottimo」と口にしながらパクパクと食べ始めていた。

 オッティモ――イタリアの「おいしい」という言葉だ。だとすると、ラ

ヴィニアはイタリア出身なのだろうか? そういえば、ラヴィニアという同

名の有名な画家がイタリアにいたかなと鳶雄は思い返していた。

「カップ麺のふたを開けたままにしてしまったので、あとでヴァーくんにあ

げるのです」

 ラヴィニアはカップ麺の容器を見ながらそう言う。

「ヴァーくん?」

 聞き覚えのない名前を出されて疑問符を浮かべる鳶雄。夏梅が嘆くように

息を吐く。

「……昨夜言ったこのマンションに住む生意気な男の子のことよ。カップ麺

ばかり食べていてね、私たちのカップ麺もその子から貰ったの。成長期なの

に不健康すぎだわ。今度幾瀬くんの料理を振る舞ってあげてね!」

 ……このマンションにはどんな住人がいるのだろうか? 鳶雄の予想以上

の者たちがいそうで少しばかり気後れしてしまう。

 食事を終えた頃、夏梅はあらためて口にする。

「さて、今日の予定だけれど、昨夜言ったように鮫島くんと合流するわ」

「それはいいけど、彼の居場所はわかっているのかい? それとも連絡すれ

ば、ここに戻ってくるとか?」

 鳶雄の問いに夏梅はケータイを取り出す。

「連絡は……ダメね。いちおう、鮫島くんの番号は無理矢理にでも手に入れ

たけど、電源切ってるみたいで繋がらないわ。偽の番号を教えなかっただけ

まだマシなのかしら」

 電話は拒否しているということか。つまり、こちらからの連絡はいらない

ということだ。となると、かなり好き勝手に動いているのかもしれない。

 では、鮫島綱生の居場所はわからないということか。もしかして、すでに

ウツセミによって……。最悪の想定も鳶雄のなかで生まれつつあったが、ラ

ヴィニアが言う。

「だいじょうぶなのです。シャークには私の術式マーキングを施してあるの

で、位置は特定できるのです」

 その一声に夏梅が「さっすが、魔法少女」と唸っていた。いまだ「魔法少

女」という触れ込みに眉根を寄せる鳶雄ではあったが――。

 ラヴィニアが小枝ほどのスティックを懐から取り出すと、その先端が青い

光を発し始めた。

 その現象に言葉を失う鳶雄。先端に光る仕掛けでもあるのかと思ってしま

うのだが、自分の状況をかんがみるとあながち魔法少女というのもごとでもな

いのだろう。

 ラヴィニアがその場で立ち上がり、ぐるりと一回りする。すると、ある一

定の方向にスティックが一層光を放つことが見て取れた。

 その方角を指し示しながらラヴィニアは言う。

「こっちの方角にシャークがいるみたいなのです。ただ、反応がいまひとつ

悪いのです。おそらく、私の魔法が及びにくい場所……相手が敷いた力場に

入り込もうとしているのかもしれないのです」

 それを聞いて夏梅が問う。

「つまり、鮫島くんは単独で敵がウジャウジャいそうなところに突貫しそう

になっているってこと?」

 ラヴィニアは無言でうなずく。夏梅は顔をひくつかせていた。

「……あのヤンキー、敵を倒すことに夢中になって、相手陣地に誘われたん

じゃないでしょうね……っ!」

 夏梅は歯ぎしりしながら、拳を震わせていた。半笑いをしているが、その

双眸そうぼう憤怒ふんぬ の色と化している。彼女はドカドカと足音を立てながら玄関へと

向かう。

「鮫島綱生を捕まえるわ! 戦闘覚悟でも、彼を放っておくわけにはいかな

い!」

 鮫島との合流――。それはウツセミ――同級生との戦闘再開を意味してい

た。

  


 2



 隠れ家のマンションを出て、町中に着いたとき、皆川夏梅は鳶雄に一枚の

マイクロSDカードを手渡した。

「それのなかに『総督』が用意してくれたとあるデータが入っているわ。携

帯電話にそのカードを入れれば勝手にアプリがインストールされるの。急い

で」

 彼女に急かされながら、鳶雄は己の携帯電話を取り出した。昨夜から電源

を落としたままだった。警察は頼れないと夏梅にも説明を受けていたし、か

といって誰かを巻き込みたくはなかったため、自主的に携帯電話の電源を

切ったのだ。

 ……電源を入れると、友人からの着信があり、若干何とも言えない心境と

なる。今日から当面、学校に通えない。通えるはずがない。今回の一件に現

在の学友を巻き込みたくなかったし、学校に行けば高い確率で敵に気取られ

るだろう。事件が解決するまでは、元の日常に帰ることはできないのだ。

 夏梅から受け取ったカードを携帯電話に入れた瞬間、勝手にインストール

は始まり、中に入っていたアプリが立ち上がる。

 画面に若者たちの写真が現れる。それはウツセミと化した生徒二百三十三

名分の写真名簿だった。

「今後の対策のために、相手の顔を覚えておいて損はないってことね」

 夏梅はそう言った。

 知っている者、知らない者、次々と画面に表示されていく。

 ――知らない同級生も多い。

 ウツセミとなってしまった陵空高校二年生二百三十三名のなかで、知って

いるのは自分の元クラスメートと、わずかに見知っている別クラスの者たち

だけ。大半は名前と顔が一致しない人ばかりだった。

 それはそうだ。教師でもない限り、同級生全員の顔と名前が一致できる高

校生なんてそういないだろう。

 だが、このアプリはありがたい。いざというとき、参考となる。見知らぬ

怪しい人物を見かけたり、接近を許してしまったら、これを見て判断すれば

いいということだ。

 スティックの先端を光らせるラヴィニア。町中でこの光景を見ると、とん

がり帽子を被り、マントを羽織ってスティック型のおもちゃを光らせるコス

プレ金髪少女に思える。あまり人目にはつきたくはなかったため、途中でタ

クシーを拾ってラヴィニアの誘導のもと、目的地へと急いだ。

 車内に黒い子犬まで乗車できるのか、心配になったのだが、直前までつい

てきていた子犬はいつの間にか消えていた。消えたことに気づいた夏梅が言

う。

「そういうものらしいのよ、私たちのパートナーって。ちなみにうちのグリ

フォンちゃんはお空を飛んでついてきているはずよ」

 彼女はそう気軽に答えた。彼女曰く、基本的にタマゴから孵ったセイク

リッド・ギア――子犬や夏梅のグリフォンは同級生のウツセミたちと違って

関係のない人にとって、知覚、認識されない存在なのだそうだ。自ら認識さ

れたいと思えば他人にも見えるようにもなる。

 関係者である鳶雄がいま見えないのは、彼が子犬を求めていないからだと

夏梅に言われた。

 家を出ても子犬は後方からトコトコとついてきた。タクシーの発車寸前ま

で付き添い、子犬は頑なに鳶雄のそばを離れなかったのだ。

 そういう存在なのだ、この独立具現型と言われるセイクリッド・ギアは。

関係のない者には、認識されない存在――。しかし、主人のピンチには必ず

駆けつけるという。

 夏梅はふいに言う。

「名前、つけてあげたほうがいいかも。呼ぶとき、名前がないと不便でしょ

うから」

 ……名前、か。昨夜にいろいろなことが起こりすぎたためか、そこにまで

思考が及ばなかった。……この黒い子犬が、自分の超能力でありながらも、

意思があるのであれば、名称は必要なのかもしれない。

 タクシーでの移動中、外の風景を眺めながら鳶雄は犬のこと、今後のこと、

様々な事柄を思慮していた。

 乗車中、ウツセミに狙われるのではと心配したが、日中だったのが功を奏

したのか、タクシーは無事にふたつ先の町内にまでたどり着けた。公園の入

り口に降り立ったあと、ラヴィニア先導による鮫島綱生捜索が開始された。

途中、出くわす住人がウツセミではないかと一々警戒してしまうが、大概は

学生には見えない歳の者たちばかりだった。当然かもしれない。いま、学生

は学校で授業を受けている時間なのだから。こんな時間帯に学生に見える自

分たちが住宅街にいるほうが目立つだろう。

 さらに進み、三人がたどり着いたのは――住宅街の端っこに存在する廃業

したデパートだった。このデパート廃業の話は鳶雄の耳にも届いた。隣町に

できた大型ショッピングモールの攻勢に敗れて、近く取り壊しが検討されて

いる。跡地には屋内プールを備えた総合スポーツジムが建つとされていた。

 人気のないデパートを前に鳶雄と夏梅は構えてしまう。現在、置かれてい

る立場を鑑みても危険な場所に他ならない。何せ、人気がないということと

建物内というウツセミに襲撃される最悪に等しい条件が被っているのだから。

 だが、ラヴィニアのスティックの光は、素人が見てもデパート内に向けて

いっそうまばゆく輝いている。……この中に鮫島綱生がいるということだろ

う。

 意を決した夏梅が言う。

「……ウツセミの巣になっていてもなんらおかしくない」

 消えていた黒い子犬もいつの間にか足下に姿を現していた。……つまり、

そういうことなのだろう。主人の身に危険が及ぶ可能性が高いから――。こ

の中にそれだけの存在がいるということになる。このデパートの規模を考え

れば、中に入っているウツセミは一人二人ではないのかもしれない。

「中に入るのです」

 ラヴィニアは特に臆することもなく、裏のほうに向かおうとしていた。正

面の入り口はシャッターが下りていて入ることはできない。鮫島が中にいる

ということは、どこかから入れるところがあったのだろう。関係者用の入り

口が開いているのかもしれないと鳶雄は考える。

 三人は関係者用の入り口を探して歩を進めた。

「やっぱり、暗いわよね……」

 夏梅のつぶやきは小声でも店内に軽く響いた。

 あのあと、裏手に回って入り口を探し当てた。やはり、関係者用の扉が何

者かの力によってこじ開けられており、侵入は容易たやすかった。

 デパートの中は、当然明かりがついておらず、シャッターで締め切られて

いるため、店内は暗黒に近かった。夏梅は鞄の中からペンシルライトを二本

取り出して、一本をこちらに渡してくれた。ラヴィニアはスティックの先端

を光らせているため、ライトはいらないようだ。

 三人で一定の距離を取って一階を進む。夏梅は中にいるであろう敵に察知

されないよう囁くような声でラヴィニアに訊く。

(……あのヤンキー、何階にいそう?)

(わからないのです。ここは私の魔法が及びにくい力場なので、シャークに

つけたマーキングを捉え続けるのが限界みたいなのです。ただ、この中にい

るのは確かなのです)

 彼女が言うように、スティック先端の光源は不規則な点滅を繰り返してい

た。ラヴィニアが使うという魔法とやらの弊害となるものがこのデパート内

にあるということなのだろう。

 夏梅は提案を小声で囁く。

(一階ずつ捜索しましょう。無闇にどかどかと上に上がっていって大勢に出

くわしても困るし。ラヴィニアは連絡用の魔法か何か使えたわよね?)

 夏梅の問いにラヴィニアはうなずき、スティックで空に何かを描き出した。

先端の光源が、スティックの動きと共に円を浮かび上がらせる。さらに見知

らぬ文字、紋様を円の中に描いていき、小型の魔方陣らしきものが目の前に

生まれた。

 ……ウツセミが消えるときに現れる魔方陣みたいなものと同種……いや、

紋様には違いがあるように思えた。小型の魔方陣が消えると、米粒大の光の

結晶が空に浮かんでいた。光の結晶は勝手に動き出して、自分や夏梅、ラ

ヴィニアの耳の中に入っていく。突然のことに体をびくつかせる鳶雄だった

が……耳の中に入っても特に問題は起こらなかった。

 夏梅が鳶雄の反応にくすりと小さく笑いながら、耳元を手で押さえて、囁

いた。

『(聞こえる?)』

 ――っ! 目の前から夏梅の声が届くのと同時に、耳の奥にも直接聞こえ

てきたことに鳶雄は驚いた。

(耳を押さえてしゃべればその声は私たちに伝わるわ。これがラヴィニアの

魔法のひとつよ)

 …………。

 言葉もなかった。隣で若干得意げにピースサインをするラヴィニアだが、

本当に魔法――超常現象を起こせるとは……。あの発火現象も本当の魔法

だった? ……だが、このように驚くのは今更なのだろうか。何せ、昨夜か

らその手の現象に遭遇し続けているのだから――。

 ……そうなると、ウツセミが消えるときのあの魔方陣も魔法使いが関係し

ている? ラヴィニアが自分たちに協力しているのも、もしかしたら、それ

が原因なのか? 鳶雄は様々なことに想像を巡らせたが、いまは鮫島捜索が

急務のため、ラヴィニアへの言及は置いておくことにした。……ここから生

きて帰ったらあらためて訊けばいい。

 夏梅が確認するように言う。

(いったん散って捜索するわ。一階ずつね。二階に上がるときは相互連絡を

取り合い、決めていきましょう。ただし、鮫島くんを見つけたら、皆に連絡

後、追ってちょうだい)

 うなずきあい、三人はいったん距離を取って探索を開始した。

 


ヒトのいない閉め切られたデパート内というのは、こんなにも不気味なも

のかと鳶雄は心音を鳴らしながら歩いていた。中にあった各店舗は商品ごと

引き払っているのか、内部にあるのは撤去用に使われたであろうビニール

シートや脚立、置き忘れの商品棚などしか見当たらなかった。おかげで姿を

隠す場所は限られてしまう。

 ……放課後、誰もいなくなった学校も薄気味悪さを醸し出してくるが、誰

もいないデパートも相当なものだ。しかも、この建物内には、昨夜襲ってき

たようなバケモノ付きの同級生たちがいる。昨日まで一般の高校生だった鳶

雄にしてみればたまったものではない。

 それでもどうにか意志を強くつなぎ留められているのは、この状況を気に

も留めず前をとことこと歩く黒い子犬の存在が大きい。犬は額から鋭い突起

物――刃のようなものを生やしており、すでにいつ襲われてもいいような臨

戦態勢だった。

 ……強い意志を宿すことができるのは、この恐ろしげな現状の先に、同級

生たちの解放と――紗枝との再会があると信じているからに他ならない。

 この先に紗枝がいるのなら――。

 鳶雄はその思いだけを強く持って、恐怖に耐えながら前を進んだ。

『そちらはどう?』

 夏梅の声が耳に直接聞こえてくる。鳶雄も耳を押さえて囁いた。

(特に何も。そちらは?)

『まだ何も。グリフォンに先を行かせているんだけど、特になしね』

 ……となると、一階は特に何もなしということか?

 鳶雄が行き着いたのは、停止したエスカレーターだった。上がるとしたら

ここから? それとも階段から行ったほうがいいのか。判断は皆と合流して

からにしよう――そう考えていたときだった。

 子犬が何かを感じ取り、一点を見つめていた。鳶雄は生唾を飲み込んで、

ペンライトをそちらに当てる。子犬が視線を送るのは、柱だった。……裏に

誰かが隠れている? ライトを当てても一向に出てこないのを見て、皆を

いったん集めようか思慮したときだった。

 柱の裏側から――白い猫が一匹現れる。真っ白な毛並みの猫。長い尻尾を

左右に揺らしていた。

 ……デパートに入り込んだ野良猫? ――が、すぐに思い改める。奴らウ

ツセミが持つのは、動物の姿を模したバケモノだ。だとしたら、この猫も

……?

 構える鳶雄だったが、柱の裏側からもうひとつの影が姿を見せる。ペンラ

イトに当てられたのは、背の高い茶髪の少年だった。

 ――鮫島綱生だ。

 少年――鮫島はライトの光に目を細めながらも手元に視線を落としていた。

携帯電話を見ているようだ。子犬も相手の猫も見つめ合ったまま、微動だに

しない。少しして、鮫島が嘆息した。

「……どうやら、このリストにない奴みたいだな。すると、生き残り組

か? ったく、こんなところまで来やがってよ」

 鮫島は後頭部を手でかきながら文句を垂れていた。

 お互い、身の危険がなくなったところで鮫島が言う。

「おまえ、皆川や魔女っ子と一緒に来たのか?」

「……ああ、彼女たちも一階で探索しているよ」

「……俺の動きを把握されたってーと、魔女っ子か、もしくはあの生意気な

銀髪のクソガキに特定されたってところか。……ったく、当面勝手にやらせ

ろと言ったのによ。ようやく黒幕のてがかりを掴む寸前だっつーのに」

 毒づくように鮫島は言う。

 ――と、鮫島が何かに気づいたようにエスカレーターの先に視線を送った。

同様に白い猫と黒い子犬も鮫島と同じ方向を見つめていた。鳶雄も促される

ようにそちらへ目線を送るが……暗がりだけしか確認できず、何があるのか

感じ取れなかった。

「……やっぱ、ここにいるってことか」

 鮫島はエスカレーターの先を睨んでいた。

「気配の取り方、覚えたほうがいいぜ。神器を通して感覚を研ぎ澄ませば、

ケンカの素人でもすぐに覚えられるはずだ」

 鮫島はそう言いながら鳶雄の横を過ぎて、エスカレーターのほうに向かう。

鮫島の発見と、彼が二階に上がろうとしていることを夏梅たちに伝えようと

したとき――耳から聞こえてきたのは彼女たちの声だった。同時に一階の奥

から大きな音が鳴り響いてくる!

『幾瀬くん! ごめん! 襲撃されちゃった! いまラヴィニアと一緒に対

応しているの! そっちは!?』

 襲撃!? 一階から相手は襲ってきたというのか! 上から階段で下りてき

たのかもしれない。

 鳶雄は耳を押さえて、夏梅たちに言う。

「こっちは鮫島綱生を見つけたよ! 俺はどうしたらいい!? 鮫島を連れ

て、そっちに向かったほうがいいよな!?」

 その提案をする鳶雄だったが、鮫島は小さく笑うだけだった。

「魔女っ子がいるんだろう? なら、あの鳥頭でも心配するだけ損だぜ? 

悪いが、俺は上で待っている奴らに用があるんでな」

 そう言うなり、鮫島は白い猫を拾い上げると肩に乗せてからエスカレー

ターを上がっていく。

「おいっ!」

 制止させようとする鳶雄だったが、夏梅の声が届く。

『幾瀬くん! いまの声、鮫島くんでしょ? なら、彼を追ってちょうだ

い!』

「けど! そっちは本当にだいじょうぶなのか!?」

『私のグリフォンちゃんを舐めないで。それにこちらにいる魔法少女はそん

じょそこらのウツセミ程度じゃ相手にならないわ』

 刹那、奥から破砕音と共に赤い閃光が闇にきらめく。

 夏梅が言うように、ラヴィニアは昨夜発火現象にてウツセミの連れたバケ

モノを一瞬で倒した。夏梅や鮫島が二人して心配をしていないということは、

それほどの実力者なのだと思う。

「……悪い! 俺は鮫島を追う! 絶対に死なないでくれよ、皆川さん! 

ラヴィニアさん!」

『了解!』

『了解なのです』

 耳に届く女の子二人の勇ましい返事。女子を置いていくことに抵抗はある

が……鳶雄は振り切るように鮫島を追ってエスカレーターを上がった。



 二階に上がると、途端に明かりがついた。突然の光明に目がくらむ鳶雄と

鮫島。明かりのおかげか、フロア全体が見通せるようになった。

 そして、二階で待っていたのは――巨大なバケモノたちだった。カマキ

リ、クワガタ、蟹、亀のような姿をした怪物の群れ――。昨夜戦ったカエル、

蜘蛛の別種も存在していた。傍らには少年少女たち。同級生のウツセミだ。

ざっと見渡すだけで十体はいる。

 ……この一件に巻き込まれて二日目にして、この数を相手にしなければな

らないのか。

 鳶雄は、初めて味わう数の暴力というものに背筋を冷たくさせていた。

 ――が、その男は「ククク」とおかしそうに、不敵に笑んだ。

 鮫島は臆することなく、一歩、また一歩と敵陣に踏み込んでいく。

白砂びやくさ、いくぞ」

 肩に乗る猫にそう告げる。すると、猫の長い尾がピンと立って――二つに

分かれていった。分かれた二本の尾はぐんぐんと伸びていき、その一本が鮫

島の左腕をぐるぐると包み込んでいく。主人の腕を包む白い尾っぽは徐々に

形を変えていき――円錐型の巨大なランスと化した。

「――俺の猫はなんでも貫く槍だ。さ、ぶっ刺されてぇ奴からかかってこ

い」

 左腕にランスを生やした鮫島はウツセミたちに宣戦布告をたたきつける。

 それが開戦の狼煙のろしとなり、前方から蜘蛛のバケモノが突貫してきた。鮫島

は体勢を低くして、超低空からアッパーをする要領で蜘蛛のバケモノを左腕

のランスで貫いた!

 天にかざすように貫いた蜘蛛を突き上げる鮫島は、敵方のほうに放り投げ

るようにランスを振り下ろす! 一瞬で絶命した蜘蛛がランスから解き放た

れて前方に吹っ飛んでいく! その場から散っていくバケモノたち。鮫島は

右側から襲い来る蟹に向けて、右手で猫に指示を送る。

「硬い殻の隙間を狙えっ!」

 二本ある白い猫の尾の一本が、うねうねと動いて高速で飛び出していく! 

蟹のバケモノは避けることもできずに殻の一角から尾の一撃を許してしま

う! 白い尾は細く鋭いレイピアのごとく、蟹の体を貫き、相手の動きを止

めてしまった。自在に動く尾が、体に侵入後、核となる部分を破壊したのだ

と鳶雄は理解する。鮫島が穿うがつランスと、猫の操る鋭く細い尾。息を合わせ

るように鮫島と猫はこの二種の攻撃を繰り出していた。

 ――と、今度は鳶雄のほうにもバケモノは襲い来る。昨夜同様、カエルの

バケモノが舌を垂らしながら、飛びかかってきたのだ。鳶雄は右手をカエル

のほうに示して、黒い犬に命令を送った。子犬は目にも止まらぬ速度で飛び

出して、通り過ぎ様にカエルを額の刃にて両断する。

 その光景を見て鮫島はひゅーっと賛辞の口笛を鳴らす。

 鮫島は続いて、カマキリの両腕の刃を避けて腹をランスで貫き、低空で飛

んできたクワガタの突進をジャンプして回避する。

「――んじゃ、ここだな!」

 ジャンプした勢いでランスを下に向けて、上からクワガタを刺突した。二

階の床に突き刺さるランスを貫いたクワガタごと引き抜いて横にいだ。変

わり果てたクワガタのバケモノは力なく床にうち捨てられる。

 横では、鳶雄がまた一体バケモノを始末したところだった。この状況で、

鳶雄は力を実感していた。

 ――戦える。勝てる!

 まだこの異常な世界に飛び込んで二日目だが、黒い子犬の力は本物だ。そ

して、傍らで戦う鮫島の力も他のウツセミを圧倒していた。

 ……これが、本物のセイクリッド・ギアと人工物の差なのだろうか? そ

んなふうに思ってしまうが、むろん、相手の一撃を生身に食らえば鳶雄も鮫

島もひとたまりもない。自分たちが有するセイクリッド・ギアが、持ち主の

想定以上の力を発揮しているからこその攻勢だろう。

 だが、鮫島の攻撃が通らない相手がいた。亀のバケモノだ。硬い甲羅が彼

のランスを弾く。亀のバケモノは甲羅のなかに頭部と四肢を隠して防御に徹

していた。これには鮫島も舌打ちしていた。――が、黒い子犬はかまわずに

飛び出していった。

 いくら犬の刃が鋭利だとしてもあの甲羅にまで傷をつけることなんて――。

 だが、犬は鳶雄の想像以上の行動に出る。亀の頭部が引っ込んだ先に刃を

生やしたまま突撃していったのだ。

 頭部が引っ込んだ部分の前に来ると――額の刃を前方に突きだして伸ばし

ていった。亀は甲羅に隠れたとはいえ、頭が引っ込んだ部位は硬いものに覆

われていない。犬は刃を生かして、そこを狙ったのだ。鋭く伸びていった刃

は、引っ込んだままの亀のバケモノを串刺しにしてしまう。甲羅に隠れたま

まの亀を頭部の先端から、尾までを貫いたのだ。亀はそのまま絶命した。

「甲羅がダメなら、甲羅のないわずかな部分から攻撃か。うちの白砂みたい

なことやるじゃねぇか」

 鮫島はそう評した。確かに、白い猫は先ほど蟹のバケモノを倒す際、硬い

殻の隙間を狙って貫いた。……黒い子犬はそれを見て、即座に学習したとい

うのか? だとすると、この子犬の知能は思った以上に高いと判断できる。

 二人が二階に上がり、戦闘を始めて数分――。

 十体はいたウツセミは全滅していた。バケモノを倒された同級生たちは気

を失ってその場に倒れ込む。魔方陣に消えていく同級生を見届けながら、鮫

島が鳶雄に訊いてくる。

「ひとつ訊きてぇんだが」

 鳶雄は無言でうなずいた。

「おまえ、ここに来たってことは逃げるのを止めたってことだよな? なん

でだ? こんなわけのわからねぇ、頭がおかしくなりそうなほどの理不尽が

来てんのによ、どうして動ける? なんで戦おうと決心した? その犬は、

おまえと戦うって目してんぜ?」

 鮫島の視線の先、黒い子犬は赤い瞳を爛々らんらんと輝かせていた。それは勇まし

く思えるほどに強いものを乗せている。

 鮫島に問われて、鳶雄は天井を見上げた。

「……俺も怖いよ。でも――」

 真っ正面から、鳶雄は鮫島に言った。

「どうしても救いたいヒトがいる。どうしても助けたい友人たちがいる。

……俺に戦えるだけの力があるなら、せめて抵抗をしてから死にたい」

 それを聞いた鮫島は、初めて気を許したように強面な表情を和らげた。

「……へっ。ただの愚図じゃなさそうだな」

 鮫島はそのままエスカレーターのほうに足を向けて、三階へと上がろうと

する。鳶雄もそれを追っていった。

 二人がエスカレーターを上がっていくなかで、鮫島が振り返りもせずに訊

いてきた。

「……女か?」

 不意打ちの一言だった。先ほど鳶雄が口にした「救いたいヒト」というも

のが、鮫島に看破されているようだった。

 鳶雄はその通りだったためか、顔を赤くさせて慌てた。

「え! い、いや、あの……」

 言いよどむ鳶雄に鮫島は笑う。

「ははっ、女か。いいじゃねぇか。変に正義ぶるよか、よっぽどいいさ」

 鮫島は振り返り、手を突き出した。

「鮫島綱生だ」

 鳶雄は驚きながらもすぐにその手を取って握手に応じた。

「幾瀬鳶雄、よろしく」

 元陵空高校一の不良――鮫島綱生。だが、噂よりも大分まともな男だと思

えた。

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