三章 仲間/四人目(後編)

三階、四階と上がっていき、五階にたどり着いたときだった。

 そこで待っていたのは――三十人以上はいるであろう、ウツセミの大群

だった。各種様々な異形のバケモノたちが、怪しい眼光でこちらをにらむ。

三十体以上のバケモノに睨まれるのはそれだけで十分に驚異的な情景だった。

初めて見るタイプであろう巨大な植物のようなものまで何体もいる。

 鮫島の視線が一点に注がれた。鳶雄が追うと、そこには明らかに場違いな

男の姿があった。

 背広を着た二十代後半の男性がそこにいたのだ。

 男性は不敵な笑みを見せながら、近づいてくる。嫌みな笑みを見せながら

言った。

「やあ、これはこれは。二人も。いや、下に三人めもいるのかな?」

 鮫島はドスの利いた声で問う。

「……黒幕か?」

「――の一人と言っておこうかな。私は童門どうもん計久かずひさというものだ。今回の『

きよう計画』に参加している者だよ。楽しそうだからね、現場を見学しに来た

んだ」

「……四凶? んだ、そりゃ」

 鮫島が問い返すように、鳶雄にも聞き覚えのない単語だった。……『四凶

計画』?

 この反応を見て、男は怪訝けげんそうな表情となる。

「ほう、まだ例の『堕天の一団グリゴリ』からは話されていないのかな? まあいい」

 男は指を鳴らした。――刹那、男の背後で待機していた怪物たちが一斉に

動き出す。

 童門と名乗った男は両手を広げて、鳶雄たちに言う。

「何はともあれ、キミたちを奪取させていただくよ。我々はその猫と犬を持

つキミたちが欲しいのだからね。『ウツセミ』など、そのための前座の実験

に過ぎない」

 鮫島はそれを聞いても、この状況となっても一切退かずに剛胆に言い放つ。

「本物の神器――セイクリッドなんたらだっけか? わけのわからねぇこと

に巻き込みやがってよ。いいから、俺のダチを解放させてもらおうか?」

「確か、キミは前田まえだ信繁のぶしげという実験体と友達だったようだね。うむ、彼はウ

ツセミと化しているよ」

 その一言に鮫島は、憤怒の形相となった。打って変わっての濃厚な戦意を

鳶雄も横で感じ取れるほどだ。

 鳶雄はその名前に覚えがあった。前田は鮫島の数少ない仲間の一人だった

はずだ。よく、二人でつるんでいるのを陵空時代に見かけた。

「だから、返せって言ってんだよ。ぶっ飛ばすぞ、クソ野郎がっ!」

 鮫島の左腕に再度ランスが誕生する。完全に戦闘態勢だった。

下賤げせんだ、実に」

 男は吐き捨てるようにそう口にした。

 鮫島が構えながら、鳶雄に訊く。

「……鳥頭と魔女っ子はまだ上がってこられないか? 黒幕をせっかく捉え

たのにさすがにこいつは面倒そうだ」

 鳶雄はうなずいて耳を押さえて二人に問いかける。

「皆川さん、ラヴィニアさん、そっちはどう? こっちは上階で大群と戦う

ことになりそうなんだ」

 そう報告するが、聞こえてきたのは夏梅の必死な声だった。

『こっちもね、外から侵入してきたウツセミと交戦中でなかなか抜けられ

ないわ! ラヴィニアが燃やしてもしびれさせても切りがないわ! たぶん、

四十人ぐらい来てる!』

 ――四十! こちらとあまり変わらないじゃないか!

 どうやら一階も激戦と化しているようだった。

『いざとなったら、「凍らせる」のです』

『そ、それは最後になさい! こっちも凍っちゃうかもしれないでしょ! 

この! 無差別氷姫デイマイズ・ガール!』

 何か切り札があるようだが……こちらにはまだ加勢に来られないというこ

とには変わりないのだろう。

「……わかった、こっちも死なない程度にがんばってみる」

『ええ、お互い、生き残りましょうね!』

 その連絡を隣で聞いていた鮫島は苦笑していた。

「……ま、あの鳥頭じゃ、無理か。いいさ、やるだけやって勝てばいい」

 鮫島は鳶雄に言う。

「あの童門とかいう野郎だけは逃がすな、いろいろと訊きたいことがあるか

らよ」

「ああ、わかってる」

 二人はそれだけ確認すると、それぞれのパートナー――子犬と猫と共に一

歩前進した。それに呼応するようにウツセミの大群も動き出す。素早い形態

のバケモノから仕掛けてくる。正面から迎え撃つ格好で、黒い子犬、鮫島の

ランスが巨大なムカデとバッタのバケモノを斬り伏せ、貫き倒した。ただ突

進してくるだけなら容易に相手はできる。――が、距離を取って触手または

つたのようなものを伸ばしてくるタイプは苦手だった。詰まるところ、鳶雄も

鮫島も近距離から中距離でしか敵に対応できないことを意味していた。

 襲い来るは虫類タイプの触手と植物タイプの蔦を斬り飛ばすしかない両者。

一度でも腕か足を絡み取られれば苦戦は必至となるだろう。細心の注意を払

いながら、鳶雄の子犬とランスを持つ鮫島は一体、また一体と退けていく。

 二人は怪訝に感じていた。なぜ、あれだけの人数を集めておいて一斉に仕

掛けてこないのか? 多くても四匹程度のグループで奴らは攻撃をしてきて

いたが……。鮫島はともかく、昨日今日能力に目覚めたばかりの鳶雄ならば、

十人ほどで一気にかかれば取り押さえることはできるであろうに、奴らは一

向にそうしてこない。

 理由は――童門という男にあるようだった。男は、あごに手をやり、興味

深そうにこちらに視線を送っていたのだ。ウツセミに指示を送るときも大仰

ではなく、人差し指をくいくいと小さく動かすだけの所作だけ。それを見て

鳶雄はひとつの結論に至る。

 おそらく、童門はこちらの戦い方を観察しているのだ。あえて、ウツセミ

を一定数仕掛けさせることで、こちらの動きをなめるように見る。

 鮫島も鳶雄と同じことを考えていたのか、舌打ちした。

「……高みの見物ってことかよ。いいご身分だ。――ぶっ潰す!」

 童門の行動は激しく鮫島の気に障ったようだ。

 飛来した蜂とトンボのバケモノを鳶雄と鮫島が打ち倒したときだった。童

門が何度もうなずきながら、懐に手を入れた。

「うんうん、わかった。やはり、本物は違う。目覚めたばかりでも人工物で

はとうてい及ばない差を見せつけてくれる。特に鮫島綱生が現状で一番神器

を扱えるようだ。さすがは『四凶』の一角を宿しているだけはある。――と

いうことで、次に移行しようか」

 男が取り出したのは――数枚の札のような紙切れだった。何か、呪術的な

文字が記されているが、それが何を意味しているのか鳶雄は知らない。童門

は札を手にして、小声でぶつぶつと呪文のようなものをつぶやきだした。

「……土より生まれずるもの、金の気を吐き、水の清めにより、馳せ参じ

よ」

 男が札を手放すと――札が意思を持ったかのように宙を漂い始め、五芒星

を形成させていく。札のすべてが怪しい輝きを放ったあと、床に大きな影が

生まれる。その影が盛り上がり、形をなしていく。

 ……鳶雄、鮫島の眼前に現れたのは、三メートルはあるであろう人型の土

の塊だった。あまりの高さに天井に頭部をぶつけるほどだ。目も鼻も口も耳

もないのっぺらぼうではあるが、電柱ほどもありそうな太い両腕は見るだけ

で寒気を覚えてしまう。

 童門が笑う。

「これでも由緒ある術士の家系でね。さ、私の土人形でキミたちを捕らえよ

う」

 男が指を鳴らすとそれに応じて、土人形がゆっくりと動き出す。

 鮫島がランスを構えながら吐き捨てるように言う。

「……魔女っ子の魔法といい、てめえのバケモノ召喚といい、なんでもあり

かよっ!」

「それでもキミたちの持つものに比べたら、矮小わいしようであるんだよ。まったく、

不愉快なことにね」

 土人形が大ぶりにパンチを繰り出した。空気が振動するほどの勢い。直撃

――いや、かするだけでも大きくダメージを受けそうだ。鮫島は後方に飛び

退いて距離を取り、一気にランスを突き刺していく。――が、乾いた音がフ

ロアに響くだけで、ランスは土人形の体に弾かれてしまう! 土人形の硬度

が鮫島の持つランスの攻撃力を上回っているということなのだろう。今度は

黒い子犬が翼のように生やした背中の一対の刃にて斬りかかるのだが――そ

れも乾いた音を生むだけで土人形にダメージらしいものを与えられなかった。

 その結果を見て童門は嘲笑する。

「どうやら、現時点では私の人形のほうがキミたちを上回っているようだ。

――では、仕上げといこうか」

 男は、さらに札を取り出して呪文を唱えた。札が宙を飛び回り、鳶雄と鮫

島の背後で展開して二体めの土人形を呼び寄せる。バックに現れた新手あらて 。正

面からも先ほどの土人形が詰め寄ってきていた。

「……くそったれ!」

「…………くっ」

 程なくして、鳶雄と鮫島は、土人形によって取り押さえられてしまう――。

「さてさて、どうしたものか」

 童門の土人形により、床に取り押さえられた鳶雄と鮫島。土人形は右腕で

鳶雄を、左腕で鮫島をそれぞれ押さえている。鳶雄は自分を押さえる土人形

の腕から凶悪なほどのパワーを感じ取れてしまう。自分の力だけでは完全に

抜け出せないであろうことは理解できてしまった。子犬と猫ももう一体の土

人形の手に捕まっており、自由を奪われている。

 童門は再びあごに手をやり、手元の携帯機器を見ながら何かを楽しそうに

考え込む。携帯機器をいじる手が止まった。鳶雄にいやらしい視線を送り、

こう言う。

「ちょうど、この場にキミと縁のある者を連れてきていたようだ」

 男は、背後で待機するウツセミたちに言う。

「後方にいる者は前に出なさい」

 すると、うしろの列にいて正面からは確認できなかった者たちが複数現れ

る。

 ――っ!

 そのなかに鳶雄の友人がいた。

「……佐々木?」

 そう、それは昨日再会した友人だった。一度、連れていたトカゲのバケモ

ノを倒して、魔方陣に飛ばされてしまったのだが……。佐々木は再びトカゲ

のバケモノを引き連れてこの場に列している。

 童門が言う。

「昨日、キミに一度倒された子だね。けれど、こちらの技術で、分身体を再

生できるケースもあるのだよ。できない子もいるが、彼は幸運にも再生でき

るタイプだった。だから、パートナーを再び連れていける」

 ……童門の説明よりも、鳶雄は再び出会えた友人の姿に複雑な心境を覚え

ていた。

「やめろ、佐々木! 俺だよ、幾瀬だよ!」

 あのときできなかったこと――。呼びかけを鳶雄は必死でおこなう。だが、

佐々木は何も答えない。無表情でその場に立つだけだ。

 鮫島が目を細めて悔しそうに言う。

「……無駄だぜ。こいつらを操る連中を叩かない限り、襲いかかってきやが

るのを止めやしない」

 童門はこちらの反応を楽しみながら、佐々木を子犬と猫を捕らえている土

人形の前に立たせた。童門が、佐々木の首をつかみ、さらに前に詰め寄らせ

る。その先には――子犬が額から出している鋭利な刃があった。

「まだ、ヒトを斬ってはいないのだろう? 『四凶』とされるキミたちの神

器がヒトの血を覚えたとき何が起こるのか、実に興味深いとは思わないか

な?」

 楽しげに語る男の目は――狂気に彩られている。

 ……自分の分身である子犬に佐々木を斬らせようとしているのか……ッ! 

衝撃的な行動に鳶雄は絶句して、無理矢理にでも土人形の手から抜け出よう

ともがく。――が、屈強なまでの腕力にて、鳶雄は微動だにできない。

「…………ッッ! てめえ、卑怯にもほどがあんだろうが……ッ!」

 同様に暴れる鮫島が叫ぶが、男は嘆くように息を吐くだけだった。

「何を言っている? もとはといえば、あの豪華客船に乗らずにいたキミた

ちが悪いのだ。まあ、それもキミたちのなかにいたそのセイクリッド・ギア

が、危険を察知して熱を出させたのだと思うがね。しかも忌々しくも堕天の

一団が関与したせいか、キミたちの不参加を事前に知ることすらできなかっ

た。おかげで我々は計画を大幅に修正せざるを得なかった。よくもまあ我々

を出し抜いて情報を操作したものだ、あの黒き翼の者たちめ」

 男は一転して苦笑する。

「いや、だからこそ、神の子を見張る者たちグリゴリと呼ばれるのだろうか。ふむふ

む、セイクリッド・ギアは神からの贈り物とされるからねぇ」

 佐々木が――こちらに視線を送り、口を動かす。

「うらぎりもの」

「佐々木……」

 切ない心情が鳶雄に押し寄せてくる。

 ――うらぎりもの。

 そうだ、彼にしてみれば、自分は裏切り者なのだろう。あの旅行に参加せ

ずに、彼らを巻き込んでしまった。こんな理不尽なまでに異常な事態に投げ

込まれて、バケモノの主として級友と戦うよう仕掛けられた。

 これが裏切り以外の何だというのだ……!?

 ふいに鳶雄の脳裡に旅行前に佐々木と会話した光景が蘇る。

 放課後、帰り道で佐々木は気恥ずかしそうに言った。

『なあ、幾瀬。俺な、今度の旅行でC組の室瀬にコクろうと思ってんだ

……』

 佐々木は、室瀬のことを事あるたびによく口にしていた。恋路に疎い鳶雄

でも、佐々木が彼女に恋しているのぐらいは知り得ていた。佐々木は鳶雄の

背中をばんばんと叩く。

『もし、玉砕したら、そのときはあっちで慰めてくれよなっ! 頼むなっ!』

 普通の学生だ。佐々木は、普通の高校生だ。

 勉強をして、運動をして、笑って、怒って、泣いて、恋をする。どこにで

もいる普通の男子高校生だ。

 童門が子犬の刃に佐々木を近づけていくなかで、佐々木はくぐもった声を

発する。

「…………い……いくせ……」

 ――っ。……それは、自分の名前……?

 佐々木は無表情のまま、涙を流していた。

「……たす……けて……」

 意識はないはずだ。バケモノを使役するだけの存在に塗り替えられた同級

生――級友。あのときだって、自分を倒そうと向かってきた。いまだって、

意識は奪われて、童門たちの手駒として機能している。

 なのに、佐々木は……自分の名を呼んだ。救いを口にした。

 その現象に鳶雄は――頬に涙を伝わらせた。

 童門がこの一連の光景を見て、打ち震える。

「これは……素晴らしい! まだ意識があるというのか! なんとも興味深

いことだ! 彼らを捕らえたら、すぐに職員に報告しなければならない! 

まだまだ人工セイクリッド・ギアのデータは少ないのだから、これは貴重な

ものとなる!」

 ……あくまで、この男にとって、佐々木は、陵空の生徒たちは、物でしか

ないのか……? どうして、こんな酷いことができる? なぜ、ここまでの

非人道的なことができる?

「……ざけるなよ……っ」

 鳶雄は――激情を抑えられなかった。

「ふざけるなよ……ッ! なんで、佐々木や皆がおまえたちの研究に付き合

わないといけないんだ……っ!」

 童門は嘲笑する。

「それはキミたちがあのときに参加しなかったのが悪い。いや、堕天の一団

がキミたちを隠したせいか。だとして、手に入らなかったのだから、プラン

Bは発動するべきだと思わないかね? どちらにしても、もともと『四凶計

画』の実験体として多くの若者が必要だった。彼らの協力は必然だったのだ

よ」

 知らない。そんなものなど、彼らは関係なかったはずだ! 自分たちだっ

て――普通に暮らしていたに過ぎない! たとえ、そのような力があったと

しても、こいつらが求めてこなければ何もなかったはずだ! いつも通りの

生活がそこにあったはずなんだ!

 童門が何かを思い出して、おかしそうに口にした。

「幾瀬……か。ああ、そういえば、キミは確か東城紗枝と懇意にしていたと

いうデータがあったね。いいだろう、会わせてあげよう。彼女もいいウツセ

ミとなっているよ。思い出した!」

 ――紗枝。

 その名前を聞いて強く反応する鳶雄を見て、童門はさらに醜悪に微笑ほほえんで

続ける。

「彼女は、実験中にこう何度も呼んでいたね。『とびお、とびお』――と。

そうか、キミを呼んでいたんだね。納得したよ」

 …………。

 ……………………。

 言葉もない鳶雄は――奥歯を激しく噛み、怒りと悔しさのあまり、涙を止

めどなく流した。殺意に満ちた瞳で童門を睨む。奴はせせら笑うだけだった。

 ……ああ、そうか。

 ……こいつらは……『悪』なんだ……っ!

 ……こいつらは、どうしようもないほど、俺を、佐々木を、紗枝を、己ら

の欲――悪意で満たそうとしている。

 ――許せない。

 こんな奴らを許せるはずがない……ッ!

 こんなクソのような存在を、見過ごすわけにはいかない……ッ! 佐々木

を、友達を、紗枝を救う! こいつらの魔の手から、大事な者たちを助けな

ければならないっ!

 そのときだった。ラヴィニアに言われたことが脳裡に蘇る。


 ――想いの力。神器――セイクリッド・ギアは想いが強ければ強いだけ、

所有者に応えるのです。

 ――トビーが強く想えばきっとそのワンコも応えてくれるはずなのです。

 

押さえられている黒い子犬に視線が行く。

 なあ、俺の影から生まれたおまえ。おまえは、俺が想えば、願えば、力を

貸してくれるのか? 俺のために《刃》と化してくれるのか?

 黒い子犬はバケモノたちに押さえられながらも、その双眸そうぼうを赤く、赤く輝

かせる。

 ドクン……。

 自分のなかで静かに脈動する何か。自分と犬が繋がっているという感覚を、

昨夜よりも強く感じさせてくれる。

 なら、俺のために、《刃》となれ――。

 奴らを斬る《刃》となってくれ!

 鳶雄のなかで何かが、勢いよく弾けようとする――。

 ――斬れ。斬れ斬れ斬れ斬れ斬れ斬れ斬れ斬れッ!

 奴らを全部斬り伏せろッッ! 斬り伏せてみせろッッ!

「俺に力を貸せェェェェェェェェェェェッッ! おまえは《刃》なんだろォ

ォォォォッ!」

 オオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォ…………。

 鳶雄の絶叫に呼応して、子犬はフロア全体に響き渡るほどの咆哮をあげる。

 刹那――子犬の体から黒いもやのようなものが生じて、広がっていく。そ

れは鳶雄の体にも現れて、ついには土人形すらも包み込む。鳶雄はゆっくり

と起き上がろうとしていた。強力なまでに押さえられていた土人形の腕力を、

徐々に徐々に解いていき、ついにはその巨腕を破壊して解き放たれる。自分

でも信じられないほどの力が身の内側から生じている。それはしだいに膨れ

あがって、内側から食い破ってきそうなほどの感覚だった。鼓動はさらに高

まる。呼応するように黒い子犬も全身から無数の刃を生やして土人形の腕を

破壊した。

 互いに束縛から解放された鳶雄と犬は、揃って童門の前に立った。鳶雄と

犬が身にまとうのは、漆黒のオーラのようなものだった。

 鳶雄は自分のなかで知らずのうちに「力」――「刃」の使い方を認識でき

ていた。

 手を前に突きだして、鳶雄は一言つぶやく。

「――全部、刺せ」

 子犬の全身を覆う黒いオーラがいっそう深まる。次の瞬間、男の後方で待

機していたウツセミ――従えていたバケモノの大群が足元の影より生じた無

数の刃にて、串刺しになっていく!

 見れば、鮫島と白い猫を押さえていた土人形二体も足下の影より生まれた

巨大な刃によって、縦に両断されていた。

 そう、これが子犬の能力のひとつ。影から攻撃を加える。鳶雄の視界に映

る範囲であれば、犬の刃は影から生やすことができるのだ。その力の使い方

が先ほど鳶雄の頭のなかに入り込んできたのだ。

「……な、なんだ、これは!? 影から刃!? 無数の剣だと!? どうしたと

いうんだ!?」

 あまりの光景に童門は激しく狼狽ろうばいして、視線を後方と前方とに配らせて混

乱の様相を見せていた。

 鳶雄は横で構える子犬に言った。

「……思い付いたよ、おまえの名前」

 夏梅が言っていた。パートナーには名前が必要だと。鳶雄は、いままさに

このとき名を見いだす。

「――《ジン》。おまえは刃だ。すべてを斬り払うための俺のやいばだ」

 そう、それが自身より生じた分身の名前――。

 鳶雄は子犬――刃に命ずる。

「刃、斬れスラツシユ

 子犬の刃は神速しんそくとも言えるほどの速度で前方に飛び出して、残っていたウ

ツセミのバケモノどもを一刀両断にしていく。あまりの速さにウツセミのバ

ケモノは一体も反応できずに斬り倒されていった。距離を取ろうとしたバケ

モノたちも再び足下――あるいは物陰から生じた無数の刃にて、為す術もな

く貫かれ、切り刻まれていく。五階のフロアは、数え切れないほどのいびつな形

の刃が生える異様な空間と化していた。

 突然の逆転劇に童門は狼狽うろたえ、首を横に振って顔をひきつらせる。

「バカな! 数十体を一瞬で始末したというのか!? なんだ! なんだ、そ

の神器は!? 四凶ではないのか!? 影からの刃だと!? 知らないぞ、そん

な能力はッ!」

 男に詰め寄る鳶雄。容赦するつもりはない。元凶の一人なのだから――。

 童門は懐から札を新たに取り出して、呪文を唱えたあとで鳶雄に放る。

――が、それは童門の足下の影から伸びてきた刃によって、すべてが塵と化

す。童門の横にある柱の影から、音もなく子犬の刃が姿を現した。影を通じ

て転移したのだ。その移動能力もまた先ほど覚えたばかりの力のひとつ。鳶

雄の視界が届く範囲であれば、刃は影のなかを自由に移動できるのだ。刃が

額の得物えものを童門に突きつける。パートナーである刃はいっぺんの隙も童門に

与えなかった。

「あとはあんただけだ」

 眼前に立つ鳶雄を見て、男はその場に尻餅をついて、這うように逃げ出す。

そこにさきほどの余裕は微塵もなかった。

「ひっ。くるなっ! こっちにくるなっ!」

 まるで異物を見るかのような男の目。

 手を出しかける鳶雄だったが、その横でまばゆい輝きが生じる。見れば、

魔方陣らしきものが出現して、そこから人影が現れた。

 四十代ほどの男性が、魔方陣の中央から登場して童門に向かって叫ぶ。

「計久っ! ここは退け!」

 童門がそれに気づいた。

「姫島室長!」

 ――姫島。姫島だと?

 その名前に鳶雄は反応してしまう。

 ……いや、まさか、そんなはずはない。

 一瞬、気を取られた隙に童門はポケットから筒のようなものを取り出すと、

こちらに放った。刹那、閃光がフロアに広がり、鳶雄たちの視界を遮断させ

る。

 目がくらむなかで、魔方陣から現れた男の声だけが聞こえる。

「――おもしろい。いずれ、まみえよう。《いぬ》よ」

 目が回復したときには、すでに男たちはこのフロアから消えていた。同様

に、ウツセミたちもすべていなくなっている。……どちらもあの魔方陣に

よって、ここから逃げたのだろう。

「……へっ、逃げやがったか」

 鮫島が息をつきながらそう吐き捨てた。

 黒いオーラが消え失せた鳶雄はドッと疲れが現れて、その場に座り込んだ。

怒りが爆発して得た力によって、一気に体力を奪われたように思える。

 少しして、エスカレーターを上がってくる靴音がふたつ。

「幾瀬くん、鮫島くん! 無事!?」

 皆川夏梅とラヴィニアだった。どちらも服が汚れ、下での激戦をうかがわ

せる。

「おっせーんだよ、鳥頭」

 呆れるように言い放つ鮫島に、夏梅はぷんすか怒った。

「誰が鳥頭か! 勝手に突っ込んだあんたが原因でしょうが!」

 口げんかを始めてしまった二人をよそにラヴィニアが鳶雄のもとに近づい

て言う。

「……トビー、その子に想いが通じたのですね」

 傍らで尾を振る子犬――刃。それを見て鳶雄は微笑んだ。

「ああ、キミのおかげだ」

 そう、ラヴィニアのアドバイスのおかげで、鳶雄は強く願い、強く想えた。

それは刃に通じて、力となったのだ。

 ラヴィニアは微笑み、「よかったのです」とだけ口にする。

 口げんかを終えた夏梅は大きく息を吐いたあとで、言った。

「さて、どちらにしても、このメンツが揃ったことですし、あらためて『総

督』に会いにいきましょうか。今度は詳しく教えてもらわないとね」

 鮫島も、夏梅の言葉を否定せず目元を厳しくしていた。彼も『総督』とや

らに訊きたいことがある様子だった。

 四人は一休みしたあとで、デパートを抜け出て、『総督』のもとに歩を進

めることになる。

 


  3


 その日の午後、指定の駅に降りて、夏梅先導のもと、鳶雄たちは歩を進め

る。

 駅から十五分ぐらい歩いた先の雑居ビル。そこが、夏梅が連絡を取り合っ

ていた『総督』から指定された場所だった。

 人の気配は、外からは感じられない。中を確認しながら、鳶雄はビルへと

入っていった。場所は四階。エレベーターは壊れているのか、使えなかった。

階段を上りながら、四階を目指す。

 上りきった先に薄汚れた一枚のドア。ドアノブに手をかけ、「キィ」とい

う音をさせながら、扉を開けていく。塾の教室ぐらいの間取りの部屋に、白

く長い机とイスがいくつも並べられていた。巨大なスクリーンらしきものも

確認できる。

 昼間なのに、窓には暗幕がかけられていた。天井からの灯りがなければ

真っ暗だろう。

 少しして、部屋に備えつけられていたスピーカーに音が入りだした。

《……こんにちは、元・陵空高校の二年生諸君》

 突然、男性の声がスピーカーより聞こえてきた。『陵空高校』という言葉

に鳶雄と鮫島が反応する。夏梅のほうは、ここのことを少しばかり知ってい

るせいか、冷静だ。

 ……その声は鳶雄の記憶をふいに呼び起こそうとするものだった。どこか

覚えがある。

《どうやら、役目はちゃんと果たしたようだな、皆川夏梅》

「まあね。で、約束どおり三人集めたんだから、いろいろと聞かせてもらう

わよ?」

《いいだろう》

 鳶雄の足元には、刃が座る。夏梅のそばにはグリフォン。鮫島のすぐ隣の

椅子にも白い猫が待機していた。

《先にあいさつをしよう。俺はセイクリッド・ギアなどの超能力を研究す

る組織の長だ。組織の名前は『グリゴリ』。セイクリッド・ギア研究のほか、

所有者の保護なんかもしている。キミたちをかくまっているあのマンションは、

その手の能力者の隠れ家のひとつだ》

 ……『グリゴリ』。そういえば、童門と名乗ったあの男もその名を口にし

ていた。鳶雄の記憶が確かであるのなら、その名は聖書や伝記に出てくるも

のだったはずだ。

 鳶雄はスピーカーのほうに顔を向ける。

「質問がいくつかあって、それを訊きにきたんです」

《ああ、俺も立場上、おいそれと接触することも、機密事項を話すこともで

きないんだが……そろそろキミたちが次のステップに進んでもいいだろうと

判断している》

「俺たちがセイクリッド・ギアというものを持っているのはわかりました。

その力が常識じゃ考えられないものであることも。修学旅行の船舶を襲撃し

た奴らが、この国のとある機関の連中で、そいつらの目的が実は俺たちの力

だった――」

《その通りだ、幾瀬鳶雄。機関を語る前に、キミたちが見たであろう連中の

術についてだ。この国には、古くから裏で魑魅魍魎ちみもうりようを相手に戦ってきた者た

ちが多かった。キミたちが出会った男の力もそれだ。陰陽道、あるいは方術、

法術と呼ばれる人の手が起こす超常現象――。ラヴィニアの使う魔法に限り

なく近いが、極めて遠くもある》

 ……超能力や魔法だけじゃなく、陰陽道とまで来た。いったい、自分たち

は何に巻き込まれたのか。鳶雄たちも心中穏やかではない。

『総督』が続ける。

《その異能使いのなかでも特に強い力を持つ一族が五つあり、それらをこの

国では「五大宗家」と呼んでいる》

「五代宗家?」

 夏梅の言葉に『総督』はさらに説明していく。

童門どうもん櫛橋くしはし真羅しんら 、姫島、そして百鬼なきり。これらが「五大宗家」だ。それら

の出自の者は退魔師になって国を裏から守るか、あるいはそれに近しい職務

に殉ずる。――ところが、この各家のはみ出し者どもが暴走したようでな。

今回、キミたちを襲っている連中、事件の黒幕はその者たちだ》

 鮫島が足を机の上に載せるという行儀の悪い格好で座りながら言う。

「そういや、昼間に俺と幾瀬を襲った奴は自分を童門と言ってやがったな」

 そう、あの醜悪な笑みを見せた男は自らを『童門』と名乗った。そして、

それを魔方陣から現れて救いに来た男は、『姫島』と呼ばれていた。

《彼らは「四凶」と言われる魔物を封じた神器の所有者を探し当てた。独立

具現型のなかでもトップクラスの性能を有する代物だ。皆川夏梅、鮫島綱生、

キミたちが持つそれらは「四凶」に違いないだろう》

 夏梅、鮫島はそれぞれ鷹と猫を見る。鳶雄も刃に視線を向けた。

 ……これが『四凶』? そもそも、『四凶』すら自分たちは知り得ない。

魔物というのは、なんとなくわかる。この動物たちが、ただの生き物でない

ことぐらいは十分なほど感じ取れているのだから。

 ……だが、童門もこの一件を『四凶計画』だと言っていた。

《四凶とは、渾沌こんとんとうこつ饕餮とうてつ窮奇きゆうきのことであり、不吉をもたらすとされ

る伝説上の怪物のことだ。古い時代に退治されてな、セイクリッド・ギアに

転じることになった。それが現代にも伝わって、いまキミたちの力となって

いる》

 ……名前からしておどろおどろしいものを感じてしまう。

 鮫島は携帯電話を取りだして、『四凶』を調べている様子だった。

「……パッと調べてもわからねぇことだらけだが、関連してる四神ししんとかいう

のに名前ぐらい知ってるのがあるな。玄武げんぶやら朱雀すざくやら。『四凶』ってのと

関係あるのか?」

《――ある。五大宗家はそれぞれ四神と黄龍おうりゆうを司る一族だからな。一族で一

番強い力を持って生まれた者に朱雀だの玄武だのの名と能力を与える決まり

がある。今回の事件の裏側にいる者たちは、その各家の名を継げなかった連

中だ》

「……なんだか、ファンタジー色が濃くなってきたわね。魔女っ子とセイク

リッド・ギアだけで精一杯だったのに、この国を裏から守っている陰陽師と

か超能力者とか……」

 額に手をやりながら考え込む夏梅。さすがの夏梅も理解に苦しんでいる様

子だった。鳶雄も同様だ。バケモノ、セイクリッド・ギア、魔法、そして四

神ときたのだから、ついこの間まで普通の高校生だった彼らにしてみれば、

理解の度合いを遙かに超えている。

 鳶雄が訊く。

「……俺たちを襲ってきている連中は、四凶――俺たちの神器が欲しいって

ことですよね?」

《ああ、そうだ。今回の裏にいる連中――「虚蝉うつせみ機関」に所属する者たちは、

もともと、力があるのに問題があって家を追い出されたはみ出し者ばかりだ。

そんな者たちが集っているせいか、どうしても自分たちを切った宗家を逆恨さかうら

みしていてな。見返すだけの力が欲しかったのさ。そこで「四凶」の反応を

得た奴らは行動に出た》

「――それが、豪華客船襲撃の真相か。四神とかいうのに対抗するために四

凶ってのを利用するっつーことかよ」

 鮫島の言葉に『総督』は『そうだ』と肯定する。

《修学旅行中の襲撃で連中は生徒だけをすべて回収した。連中にとって幸運

だったのが、船体の半分が海底深くに沈んだことだ。おかげで人数分の遺体

を用意する手間が省けただろう。その後の遺族への対応も目に余るものだっ

た。何せ、子供の生存不明に悲しむ親族に催眠をかけたのだからな。キミた

ちも違和感のある葬儀に参列したはずだ。どこか、演技じみたあの葬儀をな。

奴らは子を想う親の心すらも握り潰した。己たちの野望を達成せんがために

――》

 ……そうだ、『総督』が言うようにあの合同葬儀は違和感ばかりのもの

だった。自分たちを現在狙っている者たちは、同級生の肉親の心をも支配し

たというのか……っ!

 ……なんとも身勝手で怒りを覚える話だ。その機関の者たちは、五大宗家

の出身ではみ出し者であり、追い出した者たちを見返すために自分たちを、

陵空高校の生徒を襲った。自分や皆川夏梅たちの持つ力が原因だったとはい

え、奴らがそもそもそれを狙ってこなければこのような事態は起こらなかっ

たのではないか?

 自分も紗枝も何事もなく、ごくごく平凡な毎日を過ごせたのではないだろ

うか――。

 夏梅が問う。

「それで、『総督』が私たちに協力している理由は? いくらなんでも見ず

知らずの私たちをここまでフォローするなんて、ヒトが良すぎでしょう?」

 それは鳶雄も感じていた。ここまで自分たちに気配りする理由はなんだろ

うか? むろん、戦い自体はこちらにゆだねているが、それ以外の面では、

今回もこうして情報を提供してくれるほどだった。

《ウツセミはな、うちの組織が開発していた技術――人工セイクリッド・ギ

アが漏洩した結果だ。キミたちが四凶であることを機関に漏らしたのもうち

の組織の裏切り者でな。もともとは俺たちの組織が招いた厄災に等しい。本

来なら、俺たちが出ていって止めるべきなんだが……こちらの世界とは複雑

な事情があってな、おいそれと干渉はできない。キミたちをサポートしつつ、

違う角度から事件を処理するしかない。俺たちの組織がしたいことは今回の

人工セイクリッド・ギアの実験を阻止することと、裏切り者を捕らえること

だ》

 ――っ。

 ……言葉を失う面々。ラヴィニアだけは事情を知っていたのか、平然とし

ているが、鳶雄たちのショックは隠しきれない。

 鮫島が一転して憤怒の表情で机を激しく叩いた。

「んじゃ、あんたらの不始末で俺らがこんな目に遭ってるってことかよ!? 

冗談じゃねぇぞ!」

 怒りを隠さない鮫島だったが、鳶雄も激情に駆られていないだけで、理不

尽は強く感じている。ラヴィニアが手をあげる。

「シャーク、総督だけをとがめないで欲しいのです。実は、今回の一件、私の

組織――魔法使いの協会が追っている者たちも関与しているので、何も総督

の組織だけが不備をきたしたわけではないのです。いくつかの悪い要因が集

まって、今回の事件に繋がっているのですよ。私も『グリゴリ』に協力しつ

つ、その者たちを追おうと思って、ここにいるのです。いままでこの話を

シャークたちにしなかった私にも責任はあると思うのです。怒るなら、私も

怒って欲しいのです。でも、これだけは知っておいて欲しいのです。いっぺ

んに非日常の話をしたら、夏梅もトビーもシャークも頭がパンクしてしまう

と思ったからこそ、少しずつ現実として受け止めてもらいながら、徐々に話

そうとしていたのですよ」

 ぺこりと頭を下げて謝るラヴィニア。心なしかどこか声のトーンも落ちて

いた。

 ……『総督』の組織の裏切り者だけではなく、魔法使いの協会とやらが

追っている不審者も、『虚蝉機関』に協力していて、ウツセミ――人工セ

イクリッド・ギアの実験と『四凶計画』に関与しているということなのか

……?

 ラヴィニアの謝罪に鮫島も複雑な表情となり、髪をかいたあとで「あー、

クソ!」と行き場のないものを吐いていた。

 怒りを無理矢理抑え込んだ鮫島は、話をぶった切るように『総督』に訊く。

「どうでもいいわけのわかんねぇことが増えても今更だろうよ。来た奴を全

員ぶっ倒せばいいからな。それよりもあんたに聞きてぇことがある!」

 鮫島はスピーカーをにらむように視線を向けていた。

《なにかな?》

「ウツセミに変わった奴は、二度と元に戻らねぇんか?」

 その質問は、鳶雄も夏梅も同じく抱いているものだ。

《――戻れる。俺が保証しよう》

 それを聞いて鮫島は右の掌に左の拳を打ち付けた。その表情は活力に満ち

ていた。

前田まえだ信繁のぶしげ――。キミの友人だったな。無事に連れ帰れば、元に戻すと約束

しよう。皆川夏梅と幾瀬鳶雄の友人も同様だ》

 鳶雄と夏梅はその報告を聞いて、表情を明るくさせた。

「あんたが何者か知らないし、まだ語る気もねぇんだろ? 今回の事件があ

んたらが招いたもんってのも納得はできねぇが……ダチを元に戻してくれ

るってのと、あんたを一発殴らせてくれるなら、それでチャラにしてやって

もいい。俺もそのなんたら機関ってのは気に食わねぇからよ。ぶっ倒すのは

賛成だ」

《すまないな。いまは顔を出せないことについて謝ろう。だが、いずれ必ず

キミたちの前に顔を出すことも約束する》

 その『総督』の声、対応はあくまで真摯だった。

 夏梅が小声で鳶雄に「鮫島くんのあの態度、ツンデレっていうのよね」と

小さく笑っていた。

 今回の一件、まだまだ裏がある。自分たちの想像を超えた何かが、暗躍し

ているのだろう。だが、ひとつだけ大きな朗報はある。希望は――見いだせ

た!

 ――紗枝を取り戻せる!

 いまだ会えない大切な幼馴染み。けれど、あとは連中から奪取するだけだ。

 必ず助ける。必ず――日常を取り戻してみせる。

 夏梅が違う事柄を訊く。

「ねえ、『総督』。他の子――残りの生存組は、どうなっているの?」

 そう、夏梅の言うとおりだ。自分たちの他にも旅行に参加せずにいた者た

ちがいる。自分たちを含めて、全部で九名――。彼らも今回の事件に巻き込

まれているだろうし、自分たち同様の能力を得ているのではないか。

『総督』が言う。

《旅行に参加せずにいた九名のうち、四名が「四凶」であることは間違いな

い。しかしな、その他の者は、ただのヒトであったり、違うセイクリッド・

ギアの所有者でもあった。現在わかっていることは、九名中七名がセイク

リッド・ギア――異能力者だ。うち、四名が四凶ということになる》

「残りの二名は普通のヒト?」

 夏梅の問いに『総督』は『ああ』と答えた。

《常人だった者たちは、今回の一件からは外されていてな、変わらずの日常

を送っている。だが、四凶と三名の異能力者は奴らに追われている身だ。キ

ミたち以外の四凶は、こちらの協力を拒否して独自に暴れ回っている。残り

の三名はすでにこちら側が匿っているところだ》

 他の生存組の情報を聴けたのは貴重と言える。できれば合流して共に戦い

たいところではあるが……生存組のなかには在学中不気味な雰囲気を持って

いた生徒もいたため、もしその者が『四凶』ならば接触には躊躇ためらいも生じて

しまう。……願わくば、その生徒が能力を持たず、日常を送っていてほしい

と鳶雄は強く思ってしまう。

《「四凶」はな、自然と四つが引かれあって一か所に集うことが多い。覚醒

しようとしまいと、それは古くから変わらない「四凶」唯一のことわりだ。幸か不

幸か、キミたちが一堂に会したのもそれが原因だろう。いずれ、残りの二人

とも出会うことがあるはずだ》

 ……二人? 『総督』の言葉を怪訝に感じる鳶雄、夏梅、鮫島の三名。四

凶は――あと一人ではない? そういえば、先ほど『総督』は四凶と断言し

た者のなかに鳶雄を含めなかった。そう呼んだのは――夏梅と鮫島だけだ。

『総督』が鳶雄に言う。

《――黒い狗の少年、幾瀬だったか。キミのその狗は「タマゴ」からかえらな

かっただろう? 自身の隣から生じた――。そうではないかな?》

 ――っ。……そう、刃はあのタマゴからは孵っていない。自身の影から生

じたのだ。

 ……言い当てられてしまったため、鳶雄は生唾を呑み込んだ。

「……なぜ、それを……?」

 恐る恐る聞き返す。

《おそらくな、おまえは今回の奴らの目論見を超えた存在だ。イレギュラー

体、ラヴィニアもそう睨んでいる。奴らは「四凶」奪取の過程で異物を取り

込んだ。幾瀬鳶雄、キミの持つその犬は――別次元の存在だろう》

 ラヴィニアに視線を送れば、彼女は珍しく目を細めていた。

「たぶん、彼らの想定外の異物がトビーなのです」

 ……あの黒いオーラのようなものは、四凶の力ではない? では、自分の

力は……刃の正体はなんだというのだ? 先ほど、『四凶』以外の能力者を

三名匿っていると言っていたが……つまり、そのなかの一人に自分が含まれ

ているということか。

 ラヴィニアと『総督』はなんとなく鳶雄の力の真実に見当があるようなの

だが……。

《幾瀬鳶雄、キミのおばあさんはいまどこに住んでいるかな?》

「中学の頃に亡くなってます」

 鳶雄は偽りなく答えた。

《……そうか、おばあさんの旧姓を教えてもらえないだろうか》

「……姫島です」

 ……童門のもとに姫島と呼ばれた男が現れたとき、鳶雄は一瞬驚いた。偶

然とはいえ、祖母の旧姓と同じ者が現れたからだ。

 それを聞いて『総督』は――初めて笑った。

《…………くくくくく》

「……総督? どうかしたんですか?」

 夏梅が疑問符を浮かべながら問う。

《……いや、なんともな。皮肉にパンチが効きすぎていて久しぶりになんと

も言えなくなってしまったよ。……どんなに家の闇をはらおうとも、今世こんせ にお

いてはどうしようもないようだな、長殿。くくく、「狗」だぞ「狗」。雷光

を毛嫌ったあんたは、「狗」まで祓えるのか?》

 おかしそうに一人笑う『総督』。誰もその真意は測れない。

「……もしかして、さっきあんたが言ってた『五大宗家』ってーのと、そい

つのばあさんが関係あるのか?」

 鮫島も鳶雄と同じことを思っていたようで、口に出して訊いていた。

 だが、『総督』はあえて語らない。

《いや、いまは気にするな。すべてが決められていたことならば、いずれ全

部繋がるだろう。だがな、黒い狗の少年。他の「姫島」には気を付けること

だ。その名は、この国の裏では酷く重い代物だからな》

 まだ鳶雄は知らない。

『五大宗家』とされる者たちとの出会いが、自分の運命を狂わすことを――。

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