ep18.会得しろ、爆拳! 師匠と弟子の修行物語!

 ―――早朝。

 大岩の上には、胡坐あぐらをかいて腕を組み、ひたすらあることを悩んでいる少年――丘村日色おかむらひいろがいた。

 座り込んだのは十分ほど前。下はゴツゴツ不規則な凹凸おうとつがあるわけでなく、平べったいので座り心地は存外悪くない。それでも長時間座れと言われれば難色を示すだろうが。

 日色が静かにまぶたを上げると、すぐ目前には一人の少女(見た目は幼女)がいる。彼女は岩の上だというのに、正座をして何かを期待するような眼差しで、日色をジッと見つめていた。

 名前をニッキといい、つい先日に日色の仲間……というより弟子になった女の子である。

 風でユラユラと揺れている、頭上に生えている触角のような二本の珊瑚さんご色のアホ毛と、日色と同様の真っ黒い瞳が特徴的だ。

(さて、どうしたものか……)

 日色が何を悩んでいるのかというと、彼女に対する修行のやり方である。

【バンブーヒル】という竹に覆われた場所で、バンブーベアというモンスターに赤ん坊の頃から育てられていた彼女は、先日家族を失った。

 一人きりになってしまった彼女に、日色とその仲間は手を差し伸べ、その手を彼女は取った。

 ただ予期せぬことに、彼女は日色に弟子にしてほしいと頼み込んだのだ。

日色の強さに憧れたようである。

 ニッキの真っ直ぐな瞳に込められた期待を裏切ることができずに、結局日色は弟子を取ることになったのだが……。

(そもそも戦い方ってどう教えればいいんだろうか……?)

 今まで誰かに戦い方を伝授してきたことはない。児童養護施設にいた時、子供たちに勉強や施設での過ごし方などを教えたことはあるが、さすがにモンスターとの戦い方などというものを教えたことはない。

 それもそのはず。日色はこう見えても、この世界――【イデア】の住人ではない。

 元々は地球の日本に住んでいた一般人なのだ。

 それがひょんなことから、勇者召喚という話しても決して信じてもらえないような出来事に巻き込まれる形で召喚されてしまった。

 日色の他に四人が召喚されたのだが、その四人が本命の勇者で、日色は一般人。彼らとは別れ、一人で召喚した国を出て旅をし続けてきた。生きるために住民や本などから情報を得て、モンスターを討伐したりなどをして過ごしてきたのだ。

 そうやって強さを得てきたのだが、戦い方をニッキにどう教えればいいか思い悩んでしまう。

 しかし一度引き受けた以上は、断ることは日色の矜持きようじが許さない。

「――――そろそろ方針が決まりましたかな?」

 そんな日色たちに近づき声をかけてきたのは、白髪と白髭しろひげ、それに執事服が特徴のシウバ・プルーティスである。

 柔和にゆうわな笑みを浮かべて近づいてきた彼に、日色は首を左右に振った。

「いいや、サッパリだ」

「ノフォフォ、どうやら難航しているようでございますね。そろそろ食事の用意ができましたので、下に降りてきてくださいませ」

「ああ、分かった。おい弟子、まずは食べてからだ」

「ハイッ!」

 打てば響くような返事は気持ち良いのだが、これからどうすればいいか分からない日色にとっては、少し申し訳ないような気持ちになる。

 簡単に弟子にするなど言わなかったら良かったと後悔しそうにもなってしまう。

 岩の下には、テーブルが設置されてあり、そこには三人の少女たちが、先に椅子に腰を下ろしている。

「む? ようやく来たか。ワタシを待たせるとは良い度胸だな、ヒイロ?」

 吊り上がった紅眼あかめにらみつけてくるのは、リリィン・リ・レイシス・レッドローズ。

 燃えるような紅い髪を持ち、言動も大人びてはいるが、見た目は確実に十歳程度の少女である。しかし見た目には騙されてはいけない。こう見えても彼女は、日色が想像もできないほど長く生きているのだから。決して純情可憐な幼女ではない。

「あっ、ごしゅじ~ん!」

 日色の姿を見ると、この中で最も小さい、それこそ純真な少女が一人、席から離れて駆け出してくる。そのまま日色の下半身に飛びついた。

「クイクイクイクイ~!」

 グリグリと頭を擦りつけながら嬉しそうな声を出す。彼女はミカヅキ。フワフワモコモコしている白い髪と、黄色いつぶらな瞳。それに額には名前の由来になった三日月形のあざが見える。

「あ、ダメですよミカヅキちゃん、ヒイロ様が歩きにくいですから」

 ミカヅキに近づいてたしなめるのは、鮮やかなピンク色の髪とメイド服が目を引くシャモエ・アーニールである。外見通り、彼女はメイドであり、シウバともどもリリィンに仕えているのだ。

「こらーっ、離れる! ミカヅキッ!」

「クイィッ! ヤッ!」

 いまだに日色にひっついているミカヅキに向かって怒鳴るのはニッキだ。ミカヅキは頬を膨らませて顔をプイッと背けている。それを見たニッキは

益々ムッとした表情になり、

「師匠、離れる! ミカヅキ、邪魔!」

「ニッキ、うるさいっ! ごしゅじん、ミカヅキの!」

 二人とも言葉遣いがぎこちないが、それには理由がある。

 何故なら元々二人とも、人の言葉は話せなかったからだ。

 ニッキはモンスターに育てられていたので当然であり、ミカヅキはというと、日色の魔法で人の姿になっているモンスターだからである。

 同じ言葉を覚えさせるのでも、競い合わせた方が成長も早いと思い、ニッキのライバル役としてミカヅキを擬人化させたのだ。

 シウバに言葉を教えるように頼んだところ、二人とも瞬く間に言葉を理解し話せるようになった。

 ただミカヅキに関しては、シャモエが中心になって教えているようだ。ミカヅキもシャモエに懐いているので、彼女に教えてもらった方が覚えが早い。

 まだ二週間程度なので少々ぎこちないが、二人とも人の言葉で意志を伝えることができるようになっていた。

「ええいっ、うるさいわ貴様らっ! 頭の中をグチャグチャにかき回されたいかっ!」

「「ひぅっ!?」」

 リリィンの殺気じみた言葉に、ニッキとミカヅキは互いに身体を抱きしめて怯え出す。

 この中で誰よりも強い彼女から発せられるオーラに当てられて、二人は完全に委縮してしまっている。

「さっさと席につけ! ワタシを飢え死にさせるつもりかっ!」

「「ハイィッ!」」

 こういう時、リリィンの一喝は便利だ。

 彼女は確かに厳しくて尊大な人格をしているが、身内には甘く寛容的である。食事も家族が揃わないと決して口にはせずに律儀にも待っているのだ。

 まあ、本人は認めないがかなり寂しがり屋な面もあるとは思うが。

「ヒイロ、シウバ、貴様らも席へつけ。食事を始めるぞ」

 彼女の言葉に日色は「ああ」と軽く答えて席へ着いた。

 今日も一日が始まる――。


 食事を終えると、シウバが得意の闇魔法を使って、足元に広がった影にテーブルや椅子、食器などを収納していく。そうやって手ぶらで持ち運びできるので便利である。

 今、日色がいるのは魔界と呼ばれる場所で、『魔人まじん族』という種族が住む大陸のこと。

 召喚された場所は『人間族』が住む人間界で、そこからずっと旅をし続けて、『獣人じゆうじん族』が住む獣人界を通過し、最後にここへやって来たというわけだ。

 日色の目的として、生きがいでもある読書欲と食欲を満たすというものがあるのだが、もう一つ、この異世界を自由に旅して楽しむことも目的としている。

 今は魔界にあるという唯一の国――【魔国まこく・ハーオス】を目指してのんびり旅をしている最中だ。

「師匠! 修行! 続き!」

 ニッキがやはり期待感を込めた真っ直ぐな瞳をぶつけてくる。

 さて、どうしたものかと腕を組む日色に、リリィンが近づいてきた。

「何だ、まだ修行法を確立していなかったのか? もうコイツが貴様の弟子になって二週間は経つというのに」

「別にここ二週間ムダに時間を費やしたわけじゃない。その間にも魔力の扱い方や基本的な身体の鍛え方は教えた」

「む? だったら何を思い悩む必要があるのだ?」

 それなら問題ないではないかといった感じで上目遣うわめづかいに見てくるリリィン。

「…………コイツはアレを教えてほしいって言ってきてるんだ」

「……アレ?」

「【バンブーヒル】でコイツの家族を殺した“狂気の獣人”と戦った時、コイツの右拳に魔力が宿ったのは確認したか?」

「……そういえばそうだったな。確か小規模ではあるが魔力爆発を起こしていた」

 そう、ニッキは“狂気の獣人”に攻撃を繰り出した時、右拳に宿った魔力を爆発させるという攻撃をしていた。

 完全に彼女は無意識に発動していたのだが、あれはかなりの威力が込められており、確かにものにすれば大きな武器になる代物だ。

「魔力爆発は、下手をすれば自分にもダメージを受けるだけに、その威力は大きい。緻密ちみつな魔力コントロールが必要な技だが……なるほど、それを教えてほしいということか」

 リリィンも納得したかのように一つうなずく。

「まあ、最初はオレの《文字魔法ワード・マジツク》を教えろってうるさかったがな」

 日色が扱う魔法――《文字魔法ワード・マジツク》。

 書かれた文字に込められている意味を現象化させるこの魔法は、強いイメージ力が不可欠だが、万能で使い勝手の良い力である。

 何せ『風』と書けば、何もないところに風を生み出すこともできるし、『地震』と書けば程度こそあれ、文字通り地震を起こすことができる反則技だ。

 これを日色は規格外の万能魔法ユニークチートと呼んでいる。

 ただこれは個人魔法とも固有魔法ともいわれており、使えるのはこの世で一人だけ。つまりどれだけ教えたとしても、ニッキが使えるようになるのは有り得ないのだ。

 そのむねを伝えると、だったら魔力爆発を教えてほしいと言われた。彼女も自身でした攻撃方法をおぼろげながら憶えていたらしい。

「しかしな、魔力爆発は一点に魔力を凝縮させて一気に破裂させる手法だろ?」

「その通りだ。凝縮する魔力が多ければ多いほど威力は増す。しかし魔力を一点に凝縮し、それをとどめるという行為は至極難しくもある」

「お前はできるのか?」

 日色が聞くと、リリィンは軽く肩をすくめて言う。

「魔力を爆発させるといった事象に関しては問題はない。己の中にある魔力を一点に集めてあとは魔力を一気に注ぎ込むだけだしな。ただ……」

「ただ何だ?」

「それを攻撃方法に転じて、自身をも無傷でいようとは難しい話ではある」

「……やはりそうなのか」

 日色もそれは考えていた。爆発が起きるのだから、放った本人にもその余波が襲うのは当然。

「威力は大きいが、諸刃もろはつるぎでもあるしな。好んで使うような愚か者はおらんだろうな」

 しかしニッキに、他の技を習得したらどうだと聞くと、頑固にも魔力爆発がいいとかたくななのである。

「まあ、貴様の弟子なのだから、精々悩んで答えを引き出してやったらどうだ。ん? お師匠様?」

 嫌味をたっぷり含んだ言い方をして、リリィンはシャモエとミカヅキの方へ近づいて行く。その入れ違いに今度はシウバがやって来た。

「ヒイロ様、そろそろ出発しようと思うのでございますが、いかがですかな?」

「……そうだな」

 日色はこれから進むであろう真っ直ぐに伸びた道を見つめながら、その先に何があるのかをシウバに尋ねると、

「そうでございますね。まずひたすら真っ直ぐ突き進めば、広大な草原が広がっている場所に出ます。少し右に逸れて進むと海がございますね」

「海?」

「はい。美しく輝く広大な海を一望できる浜辺がございますね」

「浜辺……か」

 そういえば、と魔界に来てから海に行くのは初めてだった。この機会にジックリ観察するのもいいかもしれない。

「なら一度海を見ておくか」

「ではお嬢様にもそのように通達致します」

 シウバが丁寧ていねいに頭を下げると、主であるリリィンに許可を取りに行く。

 彼女も急ぐ旅ではないので、日色の提案をあっさりと受け入れてくれた。

「おい弟子、修行の続きは海に着いてからだ。それまではジイサンに言葉を教えてもらっておけ」

「ハイッ!」

 良い返事だが、やはり修行の方を先にしてほしかったのか、少しだけ残念そうな表情が窺える。海に着く前に、彼女の指導方法を考えておかなければと思い、日色もまた出発の準備に取り掛かった。


 人間界や獣人界と比べて、遥かに厳しい環境である魔界の海というものを一度経験しておきたくてやって来た日色たち。

 一分後には快晴から嵐になるような異常環境が常の魔界だから、さぞかし海の近くは危険なのだろうと思っていたが、浜辺に辿り着くとその光景に目を奪われていた。

 真珠のように輝く砂浜の先には、エメラルドグリーンに色づく広大な海が広がっている。透明度も高く遠浅とおあさなのか、ずいぶん先まで底が確認できた。底には珊瑚が大量に棲息しており、その周りには小魚たちが集まりホッと息つくような情景を映し出している。

(いきなりモンスターが大量に現れたりとか、竜巻が起きたりとか、そんな異常事態を半ば覚悟していたが、これは予想外だったな)

 そこには穏やかな時間が流れていた。

 この【イデア】の海は、どこもかしこも危険地域とされていて、好んで人

は近づかないし、船で大陸を渡ったりもしない。

 何故なら海中には、熟達した冒険者でもさじを投げてしまうほどの凶悪なモンスターが多く生息しているし、波や渦も激しく、とても通行場所として利用できる場所ではないのだ。

 事実、日色も人間界の海に入った時、やはりといった感じか、巨大なモンスターに襲われたこともある。沖というほど沖でないにも関わらずだ。

 だから地球の海のように、観光スポットや海水浴を楽しむようなところでは決してない。

「いやはや、もう少し気温が高ければ海へ入って楽しむこともできましたなぁ」

 シウバの言う通り、確かにこれほど美しい海ならば、是非とも海水浴を楽しみたいと思うだろう。

 海を初めて見たニッキなどは、キラキラと目を輝かせて、

「す、すごいっ! 水がいっぱいっ! 師匠っ! 水がいっぱいっ!」

 無邪気な笑みのまま明らかに興奮している。

「ニッキ殿、これは海というものですぞ」

「……うみ?」

「そうでございますぞ。この海の中には、人の数とは比べものにならないほどの命が息づいております」

「わぁ~!」

「しかし凶暴な生物もまた存在します。ですから不用意に、何の準備もなく海へ入ったりしてはいけませんぞ。命は一つしかありませんからな」

「わかった! ですぞ!」

 言葉遣いをシウバに教わっているせいか、何となくシウバに口調が似通ってきているのは気のせいだろうか。

 ミカヅキの場合は、教えてもらっている割合がシャモエの方が多いのでそういうことはないのだが。

 そんなミカヅキも、シャモエと一緒に海を眺めながら「すごいね~!」と

感嘆の声を飛ばしている。

「さて、シウバ、ティータイムの準備をしろ」

かしこまりました、お嬢様」

 リリィンの言葉に頷いたシウバが、自身の影からテーブルセットを出す。これからリリィンは海をバックにしながら優雅なひとときを過ごすつもりらしい。

 彼女ではないが、潮風が心地好いので、ティータイムを楽しみたいという気持ちは分からないでもない。

 つい日色も、こんな状況ならのんびりと読書時間を送りたいと思うのだが……。

「――師匠! 修行ぉ!」

 やはり憶えていたようで、ニッキが声をかけてきた。

「はいはい、分かった分かった」

 日色は周囲を見回しながら、岩礁がんしようを見つけて、そこを指差した。

「ならあそこでやるぞ」

「ハイッ! ですぞぉっ!」

 やる気十分の彼女と一緒に、岩礁地帯へと向かう。

 ゴツゴツした岩場には、あちこちに水たまりが存在し、そこに小さな魚やカニなども発見できた。澄んだ水の中にいる魚たちは気持ち良さそうに泳いでいる。

 岩礁の上に立ってニッキと対面する日色は、腕を組みながら口を動かし始めた。

「じゃあ基本的なことをおさらいだ。まず、魔力とは何だ?」

「ボクの力っ!」

「……間違ってはないが……まあいいか。なら魔力はどこから生み出される?」

「えっと…………血?」

 可愛らしく不安気な表情で答えるニッキに対し日色は「ああ」と頷きを見

せると、合っていたことが嬉しいようでぱあっと笑顔になる。

「お前が使いたいっていう魔力爆発だが、血液から抽出した魔力を一点に集束しなければならない」

「ちゅう……ちゅちゅ? しゅう……ちょく?」

「……簡単に言うとだ、自分の身体の中に流れてる血から魔力をかき集めて、それをお前自身の右拳に溜めるんだよ」

「おお~!」

 まだ難しい言葉は分からないようなので、いちいち説明を噛み砕かなければならないのは面倒だ。

 しかし……。

「……師匠!」

「何だ?」

「魔力集めるの、どうやる?」

 どうやら魔力を抽出する方法すら分からないようだ。

 とはいっても、日色も感覚的に会得しているものなので、説明がかなり困難である。

「……そうだな」

 どうすればニッキに分かりやすく説明できるか思案していると、あることを思いつき右手の人差し指に魔力を宿した。

 青白い光が指先に灯り、そのまま指を動かしていくと、空中に文字が形成されていく。

 書かれた文字は――『共感』。

 文字をニッキに向けて放つ。

 当然いきなりのことでニッキはギョッとなっているが、

「驚かなくていい。これで上手くいくはずだからな」

 ニッキはキョトンとしたままだったが、この文字の効果で、日色が感じるものをニッキも同じように感じることができる。

「いいか?」

 日色が右拳だけに魔力を集中させる。

「分かるか? 魔力を集めるにはイメージが必要だ。さっきまではよく分からなかったろうが、オレの感覚がお前にも伝わってるはずだ」

「お、おお~っ!? わかるぅ! わかるっ、師匠!」

 どうにか《文字魔法ワード・マジツク》の効力で先に進めるようだ。

(というか最初からこれをしてたら楽だったな……。いや、だがあまりこれに頼るのもな。魔力のコントロールだって人それぞれ感覚が違うだろうし)

 下手に日色の感覚で教えても、ニッキの心身に合っているかは定かではないのだ。

 ただこれで魔力をどう集めてくるのか、ニッキにも日色の感覚を通して伝わったはず。

「よし、それじゃ一度やってみろ」

「ハイッ!」

 ニッキは右拳に視線を落として「むむむぅ」と口を尖らせながら魔力を集めようとする。

 日色とニッキは感覚が違うかもしれないので、時間がかかるかと思われたが……。

「――おおっ!? できた! ですぞ!」

 驚いたことに、一発で成功した。

 しっかりと魔力が右拳に集束し、先程日色が見せたものと同じである。

(これは……! つまりコイツとオレの魔力コントロールはかなり似通ってるってことか)

 日色にとっては都合が良い状況である。

 ニッキがここからどうすればいいの的な様子で日色の顔を見上げてきていた。

(確か魔力を爆発させるには、ゴムボールに破裂するまで空気を溜めるようなイメージって赤ロリが言ってたな)

 日色は魔力爆発という技を使ったことがないので、リリィンにその方法を

尋ねたところ、そのような答えが返ってきた。

 まず、魔力で分厚い外膜を作る。その中に大量の魔力を注ぎ込み、漏れないように注意する必要があるのだ。そのまま破裂寸前まで溜めて、攻撃時に一気に魔力を流し込み破裂させるといった手順。

 言葉では単純だが、やってみるとかなり難しい。まず外膜がしっかり構築できていなかったら、魔力は垂れ流しになり溜めることができない。

 また溜めたとしても、次の工程である魔力を一気に流して破裂させるというのも、本当に一瞬でかつ大量の魔力を注ぎ込む必要がある。

 そうでなければ、やはり外膜が中途半端に壊れてそこから魔力が逃げ出してしまう。

 外膜の強度と、魔力の放出速度が高次元なレベルで求められる。

(オレは魔法を使えば爆発も簡単だからやったことなかったしな)

 それにまだ問題がある。

 上手く爆発させることができても、その爆発の向きにも気を付けなければならない。

 仮に拳に溜めた魔力をそのまま爆発させたとする。その際に自身も被害を受けないように全身を魔力で覆い防御していたとしても、その余波で吹き飛んでしまうこともあるだろうし、防御力が足りなければダメージだって受けてしまう。

 だからこそ、爆発の向きはすべて前方――というより、自分に向かないようにしなければならない。

(そう考えれば、この技は高難度なんだよな)

 とりあえず考えていても始まらない。成功させるためにはやってみなければどうしようもないのだ。

「いいか、今からオレがやってみるから見てろ」

「ハイッ!」

 とは言ったものの、日色も初めて行う技でもある。

 ニッキに少し距離を取っておけと言ってから、指先に魔力を圧縮させてい

く。いきなり拳にまとうような量の魔力では、失敗した時のリスクが大きいと判断したからだ。

 イメージ的には、指先に丸い指人形をつけているような感じ。

 このまま外膜を固定させないと、魔力が溢れ出したり、球体が大きくなっていったりするので、しっかり直径三センチメートルほどの球体を形作る。

「――よし」

 足元にある水溜まりに視線を落とし、水面に魔力で作った球体を触れさせる。

 そしてその球体に大量の魔力を一気に注ぎ込む――。

 刹那せつな、思わず顔をしかめるほどの甲高い破裂音がして、水溜まりが弾け、日色もまた下から上昇気流を受けたかのように後方へ身体が浮く。

 気づけば弾けた水で日色は水浸しになり、ドスンッと岩に尻餅しりもちをついたことで臀部でんぶ周辺に痛みまでもらってしまった。つい溜め息が漏れ出てしまう。

「………………今のは悪い見本だな。真似するなよ?」

 ニッキはコクコクと頷いているが、感動したような表情も浮かべている。彼女は今のが成功だと思っているのだろう。

 確かに爆発はしたので一応の成功とはいえる。しかし注ぎ込む魔力が多過ぎたし、爆発の向きもまったく考慮していなかった。もし完璧にこなせていたのなら、水だけが前方へ弾け飛んで、日色には一切影響はなかったはずだ。

(だが今ので大体の感覚はつかめた。そしてオレが掴めたっていうなら……)

 感覚を共有しているニッキもまた同じだということだ。

「とにかく最初は今みたいに、小さい爆発を起こす練習をしろ。拳に纏うのはそれからだ」

「ハイッ! ですぞっ!」

 少しは師匠らしいことができているようで、日色も安心した。

 しかしあとは繰り返し修練を積むしかないと思う。感覚さえ掴めたら、それを反復して身体に覚え込ませていくだけ。

 それは魔法も同じだ。いや、魔法だけでなく、どんなものでも完全に習得

するには、根気と努力が必要になる。

 ニッキは日色に言われたことを守り、それから魔力が尽きるまで飽きることなく修行を繰り返していた。


「…………んむ……にゅう……」

 可愛らしい声とともに瞼を上げたニッキ。彼女の視界には、空いっぱいに広がった星が飛び込んできた。

「――ようやく起きたか」

 砂の上に寝転んでいるニッキに声をかけたのは、その隣に座って海を眺めていた日色だ。

「う……し……しょう? ……っ、か、身体が……!」

「動くわけないだろ。あれだけ心身を酷使したんだからな」

 ニッキが身体を起こそうとするが、微妙に手足を動かせるだけであった。

 魔力爆発を会得しようと、魔力を何度も爆発させては吹き飛んでいたニッキ。その際に体力も魔力も消耗して、失神するまで続けたのだから動けるわけがない。

 シウバやシャモエには止めた方が良いと言われていたが、日色はニッキの好きにやらせていた。

 どこまでが自分の限界なのか、それを知るためには好都合だと思ったからだ。一歩間違えば危険ではあるが、しっかり遠目からでも日色は彼女を観察していたので大丈夫だった。

 何かあればすぐに対処できるようにも準備を整えていたこともあり、彼女が限界を超えて倒れた時も、すぐに容体を確認し問題ないと判断したのだ。

「あぅ~……にょわ? ……寝袋?」

「ああ、夜は風が冷たいからって言ってな、ドジメイドが着せてくれたぞ」

 ニッキが寝る時に使用するクマスーツ。寝袋というよりは着ぐるみのようになっているが、それを着て寝ている姿はとても可愛らしいとシャモエは絶

賛している。

 彼女を育てたバンブーベアの体毛を利用して作られているので、とても温かく、また丈夫なのでニッキは重宝しているのだ。

「ほら、ジイサンが用意してくれた飯だ。食え」

「ご飯っ!? うっく……う、動けない……!」

 日色が食事の入ったトレイを彼女の傍に置く。すでに日色たちは食べ終わった後。

 リリィンたちは、シウバの用意したテントの中でもう就寝している。

 時刻は深夜を回っているので当然ではあるが。

「うぅ……師匠ぉぉ……」

「はぁ……分かった分かった。ほら、食え」

 食器に置かれているおにぎりを手に取り、ニッキの口元へと持っていくと、彼女は嬉しそうに口を開けてパクリと食べた。

「んん~っ! おいしいぃっ!」

「そうか、それは良かったな」

 まさか看護までするはめになるとは日色も思っていなかったが、彼女が動けないのも自分が放置したせいでもあるので仕方ない。

 一瞬、魔法で彼女の身体を治そうかとも思ったが、それは止めておいた。

 今、彼女が感じている痛みや脱力感も、彼女自身が克服する必要があると思ったからである。これから生き抜いていくにも、その経験が力になるはずだから。

「師匠! もっと! もっと! あーん!」

「コイツ……動けないことをいいことに……」

 まるで雛鳥ひなどりのように口を開けて食べ物をねだってくる。

「次! ノド、カラカラ!」

 今度は水分の要求。日色は少し冷めたスープをませてやった。

 そしてあっという間に、シウバが用意した食事をたいらげたニッキ。

 彼女は満足気な笑みを浮かべて「えへへ~」と声を出す。

「何がそんなに嬉しいのやら」

「うれしい! だって師匠と一緒! 師匠、起きててくれた!」

 彼女も周囲の状況を見て、誰もが寝静まる深夜だと気づいたのだろう。だが日色がニッキが目を覚ますまで起きていたことが嬉しいようだ。

「お前に戦い方を教えると約束した。オレは一度口にしたことは死んでも守る」

 それが自分日色のポリシーなのだ。

「えへへ~! ボク、師匠大好きぃ!」

「よくもまあ、そんな恥ずかしいことを堂々と言えるもんだな」

 子供だからこそ、なのだろうが。

 彼女はモンスターに育てられて、人の温かみというものに触れたことはない。だからこそ、無愛想ながらも誠実な日色の厚意に、ニッキは嬉々とした感情を抱いているのかもしれない。

「しばらくここに滞在するって赤ロリは言っていた。どうやら海を眺めながらティータイムするのが気に入ったようでな。だからその間は、しっかり修行に励めよ」

「ハイッ! ですぞっ!」

 少しだけ、師匠と弟子の関係が深まった一日になった。


 ――二日後。

 明日には海から離れるという日になり、ニッキの修行もかなり成果を上げるものになっていた。

「――むむむぅ!」

 ニッキは日色たちが見ている前で、右拳に魔力を集束させ強度のある外膜を形成し、長時間維持することができていたのだ。

 まだまだ荒削りで、少し気を緩めればすぐに外膜が崩壊し魔力が漏れ出てしまうが、それでも形にはなりつつあった。

「ほほう、この三日でそこまでできるとは大したものだ」

 リリィンも認めるほどの成長ぶりらしい。

「ノフォフォフォフォ! さすがは無意識ながらも一度魔力爆発を使われているだけのことはございますね!」

「す、凄いですぅ、ニッキちゃん!」

「クイィィ……」

 シウバもシャモエもニッキの成長を褒めているのだが、ミカヅキだけは不満気な表情だ。どうやらニッキに対抗意識を燃やしているので、ニッキが褒められて嫉妬しているらしい。

 とはいっても、すぐにシャモエに、その小さな白い頭をでられて機嫌が良くなるので大したことはないが。

「よし、形は良い。そのまま一気に魔力を注ぎ込んで爆発させろ」

 日色の指令に「ハイッ!」と答えると、ニッキは右拳を海がある方向へ突き出し、身体から絞り出した魔力を加速度的に右拳に集めた。だが――。

「にょわっ!?」

 右拳に溜まった魔力が大きな音を立てて破裂し成功したかに見えたが、その余波を受けてニッキが後方へ吹き飛ばされる。

 そのまま砂浜を転がって数メートル先で倒れた。

「ふぇぇぇぇっ!? ニッキちゃん、大丈夫ですかぁっ!」

 慌ててシャモエが駆けつけて、ニッキを抱え起こす。

「ふむ。確かに魔力を爆発させることができたといえるが、その威力もまだまだだし、爆発の向きもバラバラだな」

 リリィンの言う通り、今の威力では弱いモンスターを吹き飛ばせる程度だ。とても魔界に生息する強敵モンスターを倒せる代物ではない。

 また爆発の向きも上向きだったり、斜め下だったり、全方位だったり不安定なのだ。

「まあ、魔力の形を維持するコントロールはまあまあだからいいのではないか。ガキにしては、だが」

「ノフォフォフォフォ! いえいえお嬢様、ニッキ殿は豊かな才能に恵まれてます。成長率もさることながら、何よりも決してくじけぬ心。それは最早一種の天与の才かと」

「フン、褒め過ぎだ愚か者」

 そう言いながらテーブルに置かれているワインを一口呑むリリィン。まだ正午を過ぎた頃だというのに優雅なことである。

「うにゅ~、目が回るですぞぉ~」

「しっかりしてくださいですぅ、ニッキちゃぁぁん!」

「クイクイクイ! ニッキのおめめがグルグル~!」

 シャモエの心配をよそに、ミカヅキはニッキの様子が面白いようで、指を差しながら笑っている。

(まあ赤ロリの言う通り、この三日で魔力コントロールだけはかなり上達した。あとは上手く爆発力を上げることと、その爆発の向きだが、そればかりは時間がかかるだろうな)

 ただ魔力を爆発させるという行為は、ニッキとの相性が良いらしく、その問題点も近いうちクリアできるだろうと日色は考えていた。

(繰り返し覚えさせればいいか。幸い物覚えはいいようだしな)

 そう思っていたその時、日色、リリィン、シウバの三人はピクリと眉を上げて海の方に注意を向けた。

 この三日、海からは穏やかな波音が響き、心地好い潮風が心身ともに癒しを与えてくれていたが、急にピリッとした緊張感を感じさせてくる。

(……何だ?)

 外見上、別に変わったところは見当たらない。

 だが急に空が曇天どんてん模様に移り変わったと思ったら、驚くことに波が干潮かんちようを迎えるかのごとく引いていく。

 当然遠浅だったので、底に棲息している珊瑚たちが姿を現す。

 すると今度は背後から幾つかの気配を感じた。確認すると――。

「――何だアレは!?」

 背後から現れたのは五体の生物。

 風船のように身体が丸々と太り、フワフワと宙に浮いている奇妙なモンスターが姿を見せた。

「ほう、ここはバルーンリザードの餌場だったってわけか」

 リリィンはモンスターのことを知っているようなので、どのようなモンスターなのか尋ねると、彼女は快く答えてくれた。

「奴らは基本的に複数で行動するモンスターで、その名の通り風船のように膨らんで空を移動する面白い生態を持つ存在だ」

 すると全身が緑色をしているバルーンリザードたちが、膨らませている身体をしぼませて砂浜にボタボタと落下してくる。

 膨らんでいない時は、巨大なトカゲそのものだ。ただし凶悪な赤い瞳と、強靭きようじんそうな背中のうろこ、丈夫で鋭い歯を見れば、かなり強そうな印象を受ける。

 そんなバルーンリザードたちが、日色たちの脇を通り過ぎて珊瑚がある場所へと向かい、一心不乱に珊瑚をバリバリと食し始めた。

「……なるほどな。餌場とはそういうことか」

 恐らくこの海は、数日に一度干潮を迎えて、その度に珊瑚が顔を出す。その時を見計らって、バルーンリザードたちが食べにくるということなのだろう。

 たった五体しかいないというのに、一面に広がった珊瑚畑をどんどん狩り尽くしていく。美しい光景だったものが、一気に殺風景なものへと変わり果てる。

 ものの数分が経つと、海が再び干潮から元の姿へと戻り始めていく。

(おいおい、干潮時間はたった十分程度なのか……?)

 干潮とは月と太陽の潮汐力ちようせきりよくによって潮位ちよういが最小になった状態のことをいい、普通一日に二度起きるはずだが……。

(こういうところでもデタラメなんだな。さすがは魔界の環境だ。一体どういう原理で干潮になってるんだか)

 呆れてしまう環境変化ではあるが、すぐに身が引き締まる思いをさせられ

てしまう。

 腹を満たし満足したはずのバルーンリザードが、こともあろうに日色たちに意識を向けて喉を鳴らし始めたのだ。

「……おい赤ロリ、どういうことだ?」

「さあな。腹ごなしに適当な遊びでもしようってことではないか?」

 リリィンは敵意を向けられて楽しげに口角を上げている。シャモエとミカヅキは完全に怯え、平然と立っているシウバの背後で震えているが。

「ちょうどいい。こちらも身体を動かしたいと思っていたところだ。おいヒイロ、三体はワタシが相手をしてやるから、残りは貴様がしろ」

「命令するな。けどまあ、オレだって黙って遊ばれるつもりはないがな」

 腰に携帯している愛刀――《刺刀しとう・ツラヌキ》を抜こうとすると同時に、バルーンリザードの一体が素早い動きで砂浜をいずり突進してきた。

 日色は舌打ちをしながら左側へと跳び回避するが、相手も方向転換して飛びついてくる。

「させるかっ!」

 蹴り飛ばしてやろうと思い、日色は向かってくるバルーンリザードに向かって蹴りを放とうとするが、寸前で相手の身体がバルーン状態に膨れ上がり、攻撃は当たったものの……。

「くっ、何だ今の感触は……!」

 まるで本当に風船を蹴ったかのような弾力を感じた。バルーンリザードは蹴られて吹き飛ぶが、すぐに元の身体に戻り体勢を整える。ダメージは一切見当たらない。

(……なるほどな。単純な物理攻撃は効かないってことか)

 ならここはやはり刀で斬り裂くか貫く必要があるようだ。

 そう考えたその時、

「師匠!」

「……? 何だ?」

 背後からニッキが声をかけてきた。その目を見て彼女が何を言いたいのか

直感的に理解する。

「ボクも! やる! ですぞ!」

 やはり自分も戦いたいということだったらしい。

 真っ直ぐな彼女の瞳はやる気に満ちている。

「……奴にはお前の貧弱な拳じゃ傷一つつけられないぞ?」

「う……っ」

「お前がダメージを与えられるとすれば、魔力爆発だろうが。まだ未完成のくせに戦えると思うか?」

「うぅ……師匠ぉ……」

 すがるような目で見つめてくる。

 日色は頭をかいた後、『覗』の文字でバルーンリザードの《ステータス》を確認していく。

(…………あの小さい奴ならある程度は大丈夫か)

 視線が一体のバルーンリザードへ向けられており、それから視線をニッキへと戻す。相変わらず彼女はお願いお願いといった感じで上目遣いに見つめてきている。

「…………はぁ。ならこの中で一番小さいアイツと戦ってみろ」

 日色が指を差したのは、五体の中で一際小さなバルーンリザードである。

 日色から許可をもらったことで、嬉しそうに笑顔を浮かべるニッキ。

「いいか、実戦は油断したら死ぬことだってある。最後まで気を抜くな。常にどうすればいいか考えろ。考え続けることが生きることに繋がる。そして、勝つことにもな」

 コクリと彼女が頷く。

 日色は刀を抜くと、

「少しは成長したところを見せてみろ」

「……! ハイッ! ですぞっ!」

 こうして本格的にバルーンリザードとの戦闘が始まった。

 戦闘が始まって一分も経たないうちに、リリィンが相手をしていた三体のバルーンリザードのうち、二体がすでに沈黙し砂浜でぐったりとしていた。

 そして残りの一体とは、完全に遊んでいるようで相手の攻撃をかわしながら、

「ほらほら、そんな鈍重な動きではワタシに触れることすらできんぞ?」

 と、まるでダンスでもするかのように軽快だ。

 バルーンリザードも挑発に乗って必死に追いかけて噛みつこうとしてはいるが、実力差があり過ぎるのか、見ていて同情したくなるほど遊ばれているのが分かる。

 そして日色もまた、バルーンリザードの突進を軽やかに回避し、そのまま身体を回転させた勢いで刀を横薙よこなぎに一閃いつせんした。

 しかしバルーンリザードは背を向けて刀を弾き返す。

(……! どうやら背中周りの皮膚は鋼鉄並みに硬いみたいだな)

 ならば狙いは軟らかい腹の部分。しかし相手も自分の弱点を守りつつ噛みつきや頭突きなどの攻撃を繰り出してくるので狙いが定まりにくい。

「―――なんて普通は思うだろうが、問題はないな」

 跳び上がって突進してくるバルーンリザードの腹に向かって刀の切っ先を向ける。刀身には『伸』の文字が刻まれてあり、発動した刹那――刀身がグインッと伸びて、相手の腹へと吸い込まれていく。

 しかしバルーンリザードは身体を捻って背中を向けてきた。また弾くつもりだ。

「…………甘いな」

 続けて『曲折』の文字を使うと、真っ直ぐ伸びていた刀身がグネッと曲がり、奇妙にも放物線を描くようにしてバルーンリザードの身体を回ると、そのまま切っ先が腹へと突き刺さった。

「――――グギャァァァァァァァァァァッ!?」

 腹を貫かれ、そのまま血を流しながら砂浜に沈んだ。

 見ればすでにリリィンも勝負を終えており、残りのニッキの戦いに注目していた。

 日色も彼女の戦いを見守るべく視線を送る。

(さて、レベル的にはまだまだ敵わないだろうが、どうなることか)

 少し弟子の成長が楽しみな日色だった。



 師である日色に敵の一体を任されたことが嬉しかった。

 だからニッキは、彼の期待に応えるためにも全力で戦うつもりだ。

 しかしどれだけ間を詰めて相手に拳や蹴りを突き出しても、いっこうにダメージを与えることができない。

 まるで全部の攻撃を受け流されているような感じである。

「はあはあはあ……。硬い……ですぞぉ」

 相手の防御力は、今のニッキの素手による攻撃では傷一つ付けられないらしい。

 相手が飛びかかってきたところを素早く懐に入って腹を殴るが、すぐに膨らんで衝撃を緩和されてしまうのだ。背中部分は鉄でも殴っているかのようで、逆に拳が悲鳴を上げてしまう。

 ニッキにとって、アドバンテージは素早さだけ。それも時間が経ち、足場が砂であることも含めて体力とともに落ちてきている。

 見れば日色たちは戦いを終えて観戦モードに切り替わっていた。

(ボクも……一人で……っ)

 しかし物理攻撃が効かない相手ではどうしようもない。

 自分に残された手は、相手の体力がなくなるのをジッと耐えることだろうか……?

 その時、日色が言っていたことを思い出す。

『いいか、実戦は油断したら死ぬことだってある。最後まで気を抜くな。常にどうすればいいか考えろ。考え続けることが生きることに繋がる。そして、勝つことにもな』


 油断は……していない。でも今の実力……というより使える手札では、相手を倒すことはできない。

(……どうすればいいか考えろ……)

 そう師匠は言っていた。

 チラリとニッキを見つめている日色に視線を向けた。

 彼は瞬き一つせずに黙って見守ってくれている。それはきっとニッキがまだ諦めていないから、まだ戦えると信じてくれている証拠。

 ――その想いに応えたい。

「……考える……考える……っ」

 バルーンリザードが蛇行しながら迫ってくる。ニッキは突進されないように、相手の一挙手一投足を観察しつつ距離を取っていく。

(…………やっぱりボクに残されてるのは、魔力爆発だけ!)

 まだまだ中途半端だが、ダメージを与えられる可能性のある攻撃はそれしか考えつかなかった。

(ボクの魔力爆発は、まだ威力が弱い。それは多分……)

 無意識のうちに注ぎ込む魔力量をセーブしてしまっているから。爆発の余波で身体が傷つくのを恐れて、反射的に制限をかけてしまっているのだろう。

(師匠は言ってた……。魔力は……流れだって)

 向きを作るのも、その流れを変えるようにイメージをする必要がある、と。

「ギガァッ!」

 深く考え事をし過ぎたためか、バルーンリザードの接近を許してしまい、相手の尻尾が顔面へと迫って来た。咄嗟とつさに右腕で防御態勢に入るが、そのまま左側へと弾き飛ばされてしまった。

「あっがっ!?」

 下が砂で良かった。もし固い地面だったら大ダメージを受けていたかもしれない。

 実戦は油断したら死ぬことだってあるという日色の言葉通りだ。

 ニッキは立ち上がり、そして大きく深呼吸をする。

 ピンと張りつめる空気。ニッキの右拳全体が青白い魔力で覆われていく。

 バルーンリザードも警戒するように直進せずに様子を見守っている。

(……もっと。もっと魔力を込めるっ)

 頑丈な外膜を作り、そこに魔力を注ぎ込んでいく。破裂寸前まで……ギリギリに。

 この境目を見極めなければ外膜にヒビが入って、魔力が漏れ出てしまい失敗する。

 だがそこへ砂を尻尾で弾いて目潰し攻撃を繰り出すバルーンリザード。それにまんまと直撃されて、意識がかき乱れてしまい、せっかく整えた魔力が霧散する。

 そしてまた尻尾による攻撃を受けて吹き飛ばされてしまう。

 シャモエやミカヅキの心配するような声が聞こえるが、日色は動かない。まだジッと立ったままニッキを見つめている。その瞳が語っている。

 まだやれるのか、と。

 ニッキはコクンと頷く。そして――立ち上がる。

「――あきらめないっ!」

 再び魔力を右拳に集束。

 だがまたも砂をかけてくるバルーンリザード。今度はしっかり警戒していたので意識は保たれている。

(…………うん、魔力は溜まった。あとは……)

 タイミングを見計らって、大量の魔力を一気に注ぎ込んで爆発させるだけ。

(……ううん、違う。まだギリギリじゃ……ない!)

 もう少しだけ溜められる気がした。限界まで溜めなければ、爆発の威力は半減してしまう。今まではこれで満足していた。

 これからは今よりもさらに一歩前へ――。

 魔力をもう少し注ぎ込む。すると右拳に溜まった魔力から、頭の中に直接ギギギギという音が流れ込んできた。まるで今にも爆発しそうな勢いだ。

 ニッキはその場からバルーンリザードに向かって肉薄する。カウンターで迎撃するように、バルーンリザードは尻尾を振り回してくるが、ニッキはジャンプをしてかわす。

 バルーンリザードも、ジッとしておらずその場から跳び上がって風船のように膨らんだ。

 ニッキの目が一点に集中する。

 狙うは――――腹の中心。

 バルーンリザードは、ニッキの拳が自身の腹を殴ってもダメージを受けないことを知っているからわざわざ背中を向けて防御しない。

 ニッキは敵の腹目掛けて接近し、

「てやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 拳を突き出すと同時に、右拳を覆っている魔力溜まりに全身から集めた魔力を一気に注ぎ込んだ。

 ――ドガァァァァァァンッ!

 けたたましい爆発音が周囲を震わせた。爆風で砂は舞い、小さな砂嵐を生んだ。



 ニッキの生み出した魔力爆発によってバルーンリザードは、腹から煙を立ち昇らせながら、そのまま海の方へと飛んで行き落下した。

 完全に倒せたのかは分からないが、少なくともニッキにとっては大金星に違いないだろう。

(爆発を生む拳。――《爆拳ばくけん》とでも名付けてやるか)

 しっくりくる命名が浮かんだので、あとで教えてやろうと日色は思った。

 ニッキはというと、やはりというか爆発の余波を受けて砂浜に落下していた。

 ただちゃんと魔力で身体を覆い防御態勢も整えていたようで、目立った外傷はないようだ。

 日色は砂に顔を突っ込んでいるニッキに近づくと、砂から顔を出してぺっぺと砂を吐いている彼女を見下ろし……トン。

 彼女の額を人差し指で軽く突く。

「まあ、及第点……だな」

「し、師匠……」

 キョトンとしたままのニッキ。

「……何だ?」

「きゅうだいてん? なに?」

「ギリギリ合格ってことでございますな」

 シウバがニッキに教えてやった。

「合格!? やったぁーっ!」

 突然ニッキが跳ね起き、日色に抱きついてくる―――が、

「お、お前身体から魔力があふれてるぞっ!」

「にょわ?」

 ニッキが防御に使っていた魔力が、魔力爆発の時のように外膜を作っていびつに形を整え始めた。

 そして――パァンッと小さな爆発を引き起こして日色とニッキは互いに弾かれたように飛んだ。

「ふぇぇぇぇっ!? だ、だだだ大丈夫ですかぁ、お二人ともぉ!」

「ごしゅじぃぃぃんっ!」

 シャモエとミカヅキが叫ぶように声をかける。

「ノフォフォフォフォ! どうやら緊張が一気に緩んでしまい、小規模の魔力暴走が起きてしまったようでございますな」

「フン、修行が足らんわ愚か者め」

 シウバは楽しげに頬を緩め、リリィンはあきれたように肩を竦めている。

「し……し……しょうぉぉ……っ」

「お前な……」

「す、すみませんです……ぞぉ……」

 日色は砂浜に転倒しながら頬を引きらせる。

「最後まで気を抜くなって言ったよな?」

「……忘れてた……ですぞぉ」

「……フフフフフフ、どうやらお前は弟子じゃなく――――だったようだな」

 これからはバカ弟子と呼ぶことに決めた日色だった。

 身体を起こして、申し訳なさそうに小さくなっているニッキを見つめる。

 よく見ると、彼女の伸びに伸びきった髪には砂がこびりついて汚れていた。

「……おい、ドジメイド」

「はい? 何ですか、ヒイロ様?」

 手招きをしてシャモエを呼び、彼女に耳打ちをする。

 シャモエふんふんと聞いており、「それはとてもとても賛成なのですぅ~!」と大絶賛していた。ただ周りの者はキョトンとしているが。

 そして――数分後。

「はい! できましたですぅ!」

 シャモエの言葉を受け、全員が彼女の前に立つニッキに注目した。

 鍛錬するのに邪魔そうだったニッキの長い髪は、頭の上で二つの団子状にまとめられ、地面に映る影が、まるでクマのように見える。

 シャモエは「はぅ! 可愛いですぅ~!」ともだえているが、ニッキは不安気に日色を上目遣いで見つめてきた。

「……ど、どう? 師匠?」

「オレがその髪にするように頼んだんだ。似合うと思ってな」

「似合う?」

「ああ、お前らしいと思うぞ」

「うわぁ~!」

 向日葵ひまわりのような笑顔を浮かべてニカッと白い歯を見せると、ニッキはミカヅキに自慢し始めた。嫉妬したミカヅキとまた言い争いを起こし、リリィンに説教されるのだから、本当に懲りない二人である。

(やれやれ。まあ、今回コイツの成長が見れたのは良かったな。詰めが甘い奴だが、それはこれから教えていけばいいだろ)

 気づくと育てるということに関して興味が湧いている自分がいた。

(オレもこの世界に来て変わったってことなのかね……)

 しかしそれは決して不愉快なことではなかった。

 日色は仲間たちの顔をそれぞれ見回してから、いつの間にか雲一つなくなった晴天を見上げる。

(……こういうのも悪くない、かもな)

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