ep14.時を超える、勇者の遺産! 2

「裂けろっ、《文字魔法ワード・マジツク》っ!」

 地面に書いた『裂』という文字から放電現象とともに、前方へと地面が割れ、その延長線上に立っていたモンスターたちが次々と落下していく。

「……ふぅ。かなりモンスターのレベルが高いな、この洞窟は」

 地下階段を下りてからもうずいぶんと経っている。丘村日色おかむらひいろは、魔力を回復することができる《蜜飴みつあめ》というMP回復薬を口に含みながら額の汗を無造作むぞうさそでで拭き取った。

「……しかし、お前も少しは戦えばどうだ?」

「む、むむむ無茶言わないでくださいですぅ! 昨日今日冒険者になったばかりといっても過言じゃない私が、こんなAランクやBランクのモンスターがウヨウヨ出てくるダンジョンで力を発揮できるわけがないじゃないですかぁ! 即死ですよ、即死ィィィッ!」

 岩の隙間すきまから顔だけ覗かせて反論してくるのはヨルル・ニーケストラという新米冒険者だ。

 獣人じゆうじんたちが住む大陸である獣人界を旅していた時に出会った。何でも日色の腕にれ込み、勇者の遺産というものを一緒に見つけてほしいということ。

 当初興味は無かった日色だが、彼女が手にしていたメモ帳を見て考えを改めることになる。そのメモ帳は驚くことに、日本語で書かれたものだった。そして勇者の遺産かは分からないが、そこに“黒い本”と書かれていたのだ。

 日色にとって美味い食べ物や珍しい本は大好物のカテゴリーに入る。それはもうわきも振らずに飛びつくほど生きがいとしているのだ。だからこそ、こうしてその本を探しにやって来た。

 ここ【イデア】という世界は、日本人の日色にとっては異世界である。日色は勇者召喚に巻き込まれてこの世界にやって来たのだが、勇者と違い国には従わずに一人で旅に出た。

 魔法やモンスターがいる世フアンタジー界は、危険極まりない場所ではあるが、日色にも恵まれた魔法が一つあった。

文字魔法ワード・マジツク》―――日色の代名詞とも呼ぶべき唯一無二の魔法ユニークチート

 指先に魔力を宿して文字を書き、その文字が持つ意味を現象化げんしようかさせる力。魔力は多大に消費するが、威力は絶大なものであり、日色はこの万能の能力を効果的に行使して、今まで異世界を歩いてきた。

 だからこそ、ヨルルが持っていたメモ帳が日本語で書かれていたことに驚愕きようがくしたのだ。理由を聞いてみれば、過去にこの世界に召喚された勇者と、ヨルルの先祖が仲間だったとのこと。

 その時に手に入れたメモ帳を、今の今まで保管してきたらしいのだ。そのメモ帳を見つけたヨルルが、何とか少しだけ解読されていたメモ帳に従って、勇者の遺産とやらを探していた時に、日色と出会ったというわけである。

「はぅわぁ~……私ってば生きて帰ることができるのでしょうかぁ~」

「今からでも帰るなら帰っていいんだが?」

「み、みみみ見捨てないでくださいですぅ~!」

 足元にすがりついてくるヨルル。日に焼けた褐色かつしよくの肌に、大きなあい色の瞳を持つ。

 茶髪ポニーは、長過ぎだろと思える程、足元まで伸びている。獣人の『栗鼠人りすびと族』という種族で、感情が豊かな可愛らしい少女だ。

「とにかく、結構潜ってるのに、どこまで行けばいいのやら」

「進む度にモンスターのレベルも増してますよね?」

「そうだな。わなとかが無いのはめんどくさくなくていいんだが……」

「でもこの道をあの黒ローブの人も通ったんですよね……」

 彼女が言う黒ローブとは、この洞窟に来た途端に、いきなり攻撃をしてきたわけの分からない存在だ。男で、どうやら勇者の遺産を狙っているらしいのだが……。

(依然として正体は不明だ。それに単独でここを通過できるってことは、相当の実力者でもある)

 基本的に、Aランクのモンスター相手に単独で挑む冒険者はいない。普通はチームを組んで討伐とうばつするもの。しかしそれを単騎たんきで仕留められるということは、並みの冒険者ではないということ。

(……攻撃された時、あれは間違いなく魔法だった。つまり獣人じゃない)

 獣人は魔法を使えない。その代わりに《化装術けそうじゆつ》という、獣人が編み出した技は使えるが。

 日色は攻撃を受けた時に、強い魔力の流れを感じたので、ほんど魔力を消費しない《化装術》ではなく、魔法だと判断した。

(アイツが何者だとしても、“黒い本”だけは渡さんぞ)

 自然と早足になってしまう。一応冒険者の端くれでもあるヨルルも、ちゃんとその後についてきている。相変わらず少しの物音でびくついてはいるが。

 どんどん下層に入っていくと、気温が高くなってきた。

「うぇ~暑いですぅ~」

「我慢しろ。さらに下層に行くなら、もっと暑くなるかもしれないんだぞ」

「乙女にとって汗まみれというのは許容できませんですぅ!」

「別に誰が見てるわけでもないんだからいいだろ」

「だ、だ、だってその……ヒイロさんが見てるじゃないですかぁ」

「ああ、安心しろ。お前に異性としての魅力は最初ハナから感じてないから」

「うわぁぁぁぁぁんっ! ヒイロさんイジめるですぅぅぅ!」

 盛大に涙を流す純朴な少女を冷ややかな視線で見つめる日色。

(あんなやかましく図々しい女になびくほど、オレは愚かじゃないしな。まあ面白い奴ではあるが)

 一緒にいて退屈をしない反応を返してはくるので、好意的な人物ではあった。

「さっさと行くぞ」

「あ、待ってくださいですぅ~! 一人ぼっちはいやぁぁぁぁ~!」

 それなりにショックだったのか、日色の服をつかんで歩きながらぐずっている。

(何とも居心地が悪いが、自分でいた種だしな……)

 彼女をこんなふうにしたのは自分なので、一方的に拒絶することができない日色であった。そのうち泣き止むだろうと思い、彼女の好きにさせておく。

(それにしても、ホントに段々と暑くなってきてるな。気温でいうと40℃くらいはいってるんじゃないか? ……仕方ない)

 日色は『冷感』という文字を自分の腕に書いて発動させる。すると先程まで感じていた暑さが嘘のようになくなり、逆に涼しさを覚えた。

「う……っ……うぅ」

 まだ背後で泣いている。日色は大きく溜め息をくと、ピタリと立ち止まり、彼女の腕を取って、

「え……ぐす……何を……?」

「いいから黙ってろ」

 空中に『冷気』という文字を書いて発動する。すると日色が発動していた『冷感』の文字効果は上書きされて、『冷気』の文字効果が発揮された。

「あ……涼しい。え、でもどうして? まさかヒイロさんが?」

「とにかくいつまでもぐずられてると鬱陶うつとうしいからな」

「あ……はい」

「オレの近くにいれば、しばらくの間、清涼感を得られるが、戦闘中はどうしても無理だからな、今の内に堪能たんのうしておけ」

「ヒイロさん……はい!」

 ようやく笑顔を見せたヨルル。先程まで泣いていたからすのようだったのに、もうにこやかに笑って鼻歌まで口ずさみながら歩いている。

(相変わらず現金な奴だ)

 コロコロ変わる感情だが、それもまた面白いと言えなくもない。

 上機嫌のヨルルを連れて、さらなる下層へと向かって行く。



 日色たちがさらなる下層へ向かっていた頃、ある四人組もまた日色が通過した道程を歩いていた。

「やっぱり誰か来てるってことで間違いないよなぁ」

 歩きながら周囲を観察しているのは、青山大志あおやまたいしという勇者四人組の一人だ。この四人組が、日色と一緒に異世界に召喚されてきたのである。

 何故彼らがここへ来ているのかというと、【人間国・ヴィクトリアス】の国王であるルドルフ・ヴァン・ストラウス・アルクレイアムに調査を頼まれたからに他ならない。

 この近くに【プールス】という村があるのだが、そこにある大蔵おおぐらぞくが侵入し暴れたので、現状を把握して賊を討伐、もしくは捕縛してほしいと頼まれたのだ。

 そこで【プールス】の村長に話を聞いてみると、その賊の行き場所が今、大志たちが攻略中の【おそれ洞窟】にいるかもしれないということで、こうやって調査にやって来ている。

「しかもAランクやBランクのモンスターが、のきみ倒されてるしね。やっぱりその黒ローブって相当の実力者なんじゃない?」

 すでに絶命しているモンスターを見ながら言うのは、スレンダー美少女である鈴宮千佳すずみやちかだ。

「もしかしたら犯罪者リストとかに載ってたりするんかなぁ」

 好奇心の強そうなネコ目の赤森あかもりしのぶがあごに手を当てて思案している。

「ん~朱里しゆりはどう思う?」

「私ですか?」

 大志に振られ、少し目を見開いたのは、大人しそうな外見をし、女性がうらやむほどのスタイルを持っている皆本みなもと朱里である。

「そうですねぇ……、村の蔵に侵入して暴行を働いたということであれば、過去に犯罪を犯している可能性も十分に考えられるかもしれませんね」

「だよなぁ。けど、そんな奴が何で勇者の遺産なんか欲しがるんだろうな」

 村長からの情報で、黒ローブは勇者の遺産を探しているとのこと。

「そもそも勇者の遺産っつうんは、どんなもんがあんねんやろ」

「しのぶの疑問も当然よね。アタシだって気になってるし。過去に活躍した勇者が遺したものなんだから、きっと強力な武器とかじゃないの?」

「俺も千佳と同じ意見だな。オンラインゲームでも、やっぱり過去に活躍した英雄が遺した偉大なるものって、武器っていう場合が多いし」

 彼らは日本にいる頃、よく四人でMMORPGをしていたのだ。

「それにこういうダンジョンの一番奥に隠されてるってことは、伝説の剣とかって相場は決まってるって」

「大志、アンタね、まだここに勇者の遺産があるって決まったわけじゃないのよ」

「まあ、そうだけど。これだけ攻略難度の高いダンジョンなんだぞ。きっとすっげえ便利グッズとかあるかもしれないじゃんか!」

「大志っちはこういうダンジョン系のクエスト好きやったからね。気持ちは分かるで」

「おお! さすがしのぶ! 朱里も分かるよな!」

「え、あ、そうですね。でもこういうダンジョンは、下層に行けば行くほどモンスターのレベルが上がったり、罠が増えたりするので、気をつけなければなりませんよね」

「そうよ、大志! アンタはいつも浮かれ過ぎ! 少しは気を引き締めて――」

 千佳が注意を促そうとした瞬間、前方の地面が盛り上がり、中から巨大な物体が姿を現した。

「うおぉっ!? き、気持ち悪いィッ!」

 大志が驚くのも無理はない、何故なら、日本では確実に存在しえないほど

巨大なムカデだったのだから。

「ちょ、ちょちょちょちょっと大志! 何とかしてよっ!」

「お、俺だって虫はあんま好きじゃねえんだって! きっと緑色の液体とか出したり、身体を切ってもまだ動いたり」

「止めなさいよそういうこと言うのっ!」

 大志と千佳がはしゃいでいる間にも、ムカデのモンスターは素早い動きで近づいてくる。

「大志っち、千佳っち、イチャイチャモードは後にし! 戦闘開始やで!」

「お、おう!」

「わ、分かってるわって、誰が誰とイチャイチャモードしてるってのよ!」

 千佳の言うことは誰も拾わず、朱里が「皆さん、来ますっ!」と叫ぶと、ムカデが四人にのしかかってこようとしてきた。

「ああもう! 気持ち悪いけど仕方ないっ! フレイムランスッ!」

 大志から放たれる紅蓮ぐれんやり。しかしムカデは熱を察知した直後、すぐにその場を動いてフレイムランスを回避。

「速いわねっ! ならこれでどう! アイスニードルッ!」

 千佳の魔力が氷で形作られた針を出現させ、雨のようにムカデに向かって降り注ぐ。

 するとムカデはクルリと身体を丸めてダンゴ虫状態になると、千佳の攻撃を弾いていく。

「どうやら魔法でも物理耐性は高いみたいやね! せやったらまずはしびれさせばええっ! パラライズッ!」

 しのぶから放たれる電撃の塊が、いまだ丸まっているムカデに襲い掛かる。電撃は効果抜群なのか、痙攣けいれんしながらダンゴ虫状態を解除し始めるムカデ。

 しかしやられてばかりではいられないのか、ムカデの口から毒々しい紫色の液体が噴出された。

「させませんっ! ウォーターウォールッ!」

 地面から噴出ふんしゆつした水の壁がムカデの液体から全員を守る。

「サンキュ、朱里っ! 千佳、行くぞっ!」

「オッケー、大志!」

 二人は水壁の両脇から同時に抜け出てムカデを挟み撃ちする。

「「フレイムランスッ!」」

 二人して同じ魔法を繰り出し、身動きの取れないムカデに直撃させる。炎の槍は相手の身体に突き刺さった瞬間に燃え広がり、ムカデはウネウネと苦しそうに身体を動かすが、次第に焦げ付き絶命した。

「「「「やったぁぁぁっ!」」」」

 四人はそれぞれハイタッチをして勝利を味わう。しかしすぐにも地面が盛り上がり、新たにモンスターが出現し始める。しかも今度は複数だ。

「あっちゃあ~、マジかぁ」

「さすが危険度の高いダンジョンね。やってくれるわ」

「せやけど、ダンジョン攻略はこうやないとな」

「力を合わせて必ずクリアしましょう!」

 大志、千佳、しのぶ、朱里が、日色たちに追いつくのはまだまだ時間がかかりそうだった。



 一方その頃、【恐れ洞窟】の最下層付近では、黒ローブで全身を覆い隠した人物が目の前に広がる光景に溜め息を漏らしていた。

 下はマグマが支配する地帯。どういう原理かは分からないが、直径一メートルほどの土の塊が、幾つも浮いて足場になっている。その先にはさらなる地下に進むための階段が見える。

 つまりこの先に行きたいのならば、乗れば落ちるだろうと思われる足場を乗り越えていく必要があるということ。

 しかし……と、宙に浮かんでいる足場を観察する。

「……恐らく正解ルート以外の足場を踏めばそのまま落下する可能性が高い……か」

 眼下に広がるマグマを見ると辟易へきえきしてしまう。落ちれば即死。

 黒ローブの考えは、目の前に広がっている幾つもの足場には、乗っても落ちない足場が存在し、それ以外のものは落下する仕組みだということ。

「……こんなところで時間を取られているわけにはいかないんだ。急がないと、間に合わないかもしれない」

 黒ローブは覚悟を決めて、最初に飛び乗る足場を確定させる。そしてそのまま跳んで、足場へと降り立つ。

「…………ふぅ、どうやらこれは正解のようだな」

 もしかしたら全部が本物で、どれも落下しないのかもしれない。だが楽観的な考えをしていれば確実に足元をすくわれてしまう。その証拠に……。

「ぐぅ―――っ!?」

 次に飛び乗った足場は、グラリと揺れ安定を損なう。舌打ちをしながらも、すぐさま蹴り出し次なる足場へと辿り着く。だがそこも踏んだ瞬間に足場が崩れるという現象が起きる。

 このままだとマグマまで真っ逆さま。黒ローブは右手を振り「頼む!」という言葉を吐き出す。黒ローブの右手から細い糸が放出され、足場に絡みつかせ宙ぶらりんのまま、マグマへの落下だけは防ぐことに成功した。

「……ふぅ」

 もし糸を絡みつかせた足場も偽物だったならアウトだった。黒ローブは身体を揺らして、反動で足場へと上った。

 そうして何とか時間がかかったものの、対岸へ辿り着いた黒ローブは、背後からやって来ている何者かの気配を感知する。

「……追いかけてきたのか」

 そこで思い出すのは、先程会った獣人の少女。もう一人の獣人の少年は何者か分からないが、気になったのは少女の方だ。

「……いや、まさかな」

 思いついた考えを、頭を軽く振って払拭ふつしよくする。

「急ぐ必要があるな」

 先を越されるわけにはいかない。

「勇者の遺産だけは誰にも渡さない」

 追いかけてくる気配に焦りながらも、さらに速度を上げて階段を下りて行った。



「これはまた、強烈なところだな……」

「うひゃ~、ヒイロさんが魔法で涼しくしてくれてなかったら、きっとすぐに干からびちゃいますね」

「そんな極端なことにはならないだろうがな」

「ぶ~ノリが悪いですよぉ」

 ヨルルは頬を膨らませながらも、すぐに表情を引き締めてトコトコと崖のようになっている場所まで行き、眼下でうごめくマグマを見つめて頬を引きらせる。

「こんなところに落ちたら一巻の終わりですよねぇ」

 確かに彼女の言う通り、普通ならマグマに落ちて耐えられる存在はいないだろう。

「それにしても、だ……」

 眼前に広がっているのは、奇妙な足場が幾つも点在している光景。

「どういう原理で浮いてるのか知らんが、こういう場所をわざわざ作ってるってことは、全部の足場が安全ってわけじゃなさそうだな」

「つまり、乗っかったらそのままヒュ~ってこともあるってことですか?」

「だろうな。そうでなかったらこんな場所など作らん」

「えと……じゃあ大丈夫な足場とかって分かるんですか?」

「さあな。何のヒントもないし、分かるわけがない。恐らくここを作った奴が、自分だけが通れるように細工を施してるんだろう」

 侵入者を防止する仕掛けということだ。

(向こう岸までの距離は大体百メートルくらい……か?)

 その間には、直径一メートルくらいの土の塊が、足場として幾つも浮いている。

「《浮遊石ふゆうせき》でも使ってるんでしょうかねぇ」

「何だそれは?」

「その名の通り、浮かぶ石ですよ。小指くらいの石があれば、あれくらいの土の塊は浮かせられるって聞きましたです」

「なるほどな。そんなものがあるのか」

 つまり《浮遊石》を土で固めたものが、あの足場になっているということなのだろう。

「ど、どうしましょう? あ、あれを……渡るん……ですよね?」

「当然だ。この先に目的のものがあるんだからな」

「けど、さすがに勘だけで渡っていくのは危険なんじゃ……。罠もあるんでしょう?」

「誰が勘なんかで行動すると言った? そんな不確実な方法より、オレは絶対的手段を取る」

 そうして日色はヨルルの手を握る。

「ふぇ!? あ、あのいきなりそんな……、こ、こんな場所で私を抱き寄せるつもりですか?」

「何を勘違いしてるのか分からんが、少し黙ってろ」

「で、でも汗をかいたばっかりですし。ヒイロさんのおかげで涼しくなってるっていっても、できればそういうことは汗を一度流して身を清めてから……って、あれ? ここどこです?」

 ヨルルが頬を染め上げながらモジモジしている間に、日色は『転移』の文字を使って、見えている場所―――つまり対岸まで瞬時に移動したのだ。

 当然景色が変わったのでヨルルは目を丸くしている。

「ほら、さっさと先に進むぞ」

「え? あ? ほへ? な、ななな何でもう通過してるんですぅっ!?」

 ヨルルが驚くのももっともではあるが、日色にとって罠や仕掛けなど意味を成さないのだ。罠泣かせ、仕掛け泣かせといったところだろうか。

 説明は面倒なので、叫んで仰天しているヨルルを放置して先に進むことにした。

「あっ、待ってくださいですぅ! 説明を! お願いですから説明を願いますですぅ!」

 無視しながら階段を下りていると、先程から感じていた熱気が嘘のように消失していることに気づく。

(……一体どういうことだ?)

 何故急に環境が変化したのか分からず、疑問を抱えながらも歩を進めていると、辿り着いた場所に言葉を失った。

「えと……ヒイロさん、ここって……洞窟ですよね?」

 ヨルルの当惑気味な言葉も無理もない。

 何故なら目の前に広がる光景は、木、木、木、木、木、木。広大に広がるジャングルが映っているのだから。

(めちゃくちゃなところだな、ここは。まあ、勇者の遺産とやらが隠されているらしいから、並みではないだろうとは予測していたが……)

 それにしても異常なダンジョンには間違いない。

 どこからか獣のうなる声も響き、「ひっ!」とすかさずヨルルが日色の後ろに隠れる。

「どうやらこの密林の中を通っていく必要があるみたいだな。それにモンスターの気配もある。迷ったら死ぬかもしれないから、離れるなよ」

「は、はひィィっ!」

 もう完全にビビっているヨルル。そこまでして勇者の遺産を見たいと思うのは、逆に感心する覚悟である。

「今度は暑いっていうより、蒸し暑いって感じだな。それでもさっきよりは大分涼しいが」

 もう『冷気』の文字も必要ないだろう。

 しかしこのジメジメしているのは、ここが多湿たしつ地帯だということだ。それに木々のニオイもそうだが、見たこともない植物から甘い香りが漂ってきている。

「おい、下手に触るなよ」

「え? どうしてです?」

 人間の頭ほどの大きさの花を見つけ、ヨルルが近づこうとしている。

「こんなとこにある植物なんだ。侵入者撃退用に、食人植物かもしれないだろ」

「ひィィィッ! それはイヤですぅぅっ!」

迂闊うかつな行動はけろ。長生きしたかったらな」

「は、はぁい……」

 そうしてジャングルを突き進んでいると、少し開けた場所を見つけたが、すぐにヨルルと一緒に木陰に隠れる。

「ど、どうしたんです!? ま、まさかここでですか!? そ、そんないきなり心の準備が……い、いいえ、別に嫌というわけではないんですけど、やっぱり初めてはその……ムードのあるベッドの上がいいかなぁって乙女心が……」

「いいから静かにしろ。アレを見ろ」

「ふぇ? アレって……っ!?」

 息を呑むヨルル。視線の先には、巨大な恐竜のようなモンスターとある人物が戦っている姿が見えている。

「黒ローブさん……ですよね? さっき襲い掛かってきた」

「ああ。恐らくモンスターに襲われて戦っているんだろうが。しばらく様子を見るぞ」

 相手の戦力を分析しておくのも重要な勝つための行為。日色は『覗』という文字を使い、相手の《ステータス》を確認する。

 目の前に映し出された黒ローブの《ステータス》画面を見て、日色は「ほ

う」と少し感心した。

(レベルが65……。かなりの実力だな。冒険者でいうとSランクと同格)

 かつて仲間にいたウィンカァ・ジオという少女もレベルが70を超えており、凄まじい強さを見せていたことを思い出す。

(名前は―――アルエイド・キュオス。得意魔法は、火と雷……ね)

 簡単に相手の情報を得られる日色の魔法はやはり反則並みだが、こうして見ていると、アルエイドも素晴らしい強さだということが分かる。

 結局、Aランクであろう恐竜モンスターに対し、無傷で勝利を収めた。

「ど、どうするんですか、ヒイロさん」

「……まだ様子を見る。アイツがモンスターを片付けて進んでくれるんなら楽ができるからな」

「なるほど~、楽して得を取れってやつですね!」

「それを言うなら損して得を取れだ」

「ありゃ? そうでしたっけ?」

 相手が何者かは大体分かったが、このダンジョンについては詳しく知らない。故にアルエイドの動きを追えば、簡単に目的のところまで辿り着けるのではと考えた。

「あ、歩き出しましたよ」

「後を追うぞ」

「はいです!」

 日色たちの尾行が始まった。



「おいおい、冗談だろぉ。何て暑さだよぉ~」

 先程日色たちが通過した《浮遊石》がある部屋まで、大志たちは到達していた。しかしあまりの熱気に全員が辟易している。

「さっさとこんなとこ抜けてくぞ! そりゃ!」

「あっ、ちょっと待ちぃ、大志っち!」

「え?」

 しかし大志はすでに足場へジャンプした後で――――グラッ!

「……はい?」

 大志の身体が傾き、そのままマグマへと落下していく。

「うっそぉぉぉぉぉぉっ!?」

「大志ぃっ!」

 千佳が手を伸ばそうとするが、指が触れただけで掴むことができなかった。

「―――グリーンバインドッ!」

 朱里が咄嗟とつさに大志に向けて風魔法を放つと、風が大志の身体を包み込み落下を阻止することに成功した。

 そのまま朱里が風を操作して、自分たちの場所まで彼を運ぶ。

 パチィンッと乾いた音が大志の頬から鳴る。

「ち、千佳……」

「バカ大志! もう少し考えて行動しなさいよっ! 死んだらどうすんのよっ!」

「ご、ごめん……」

 完全にダンジョンを甘く見ていた大志の落ち度である。

「まあまあ、無事やったんやからええやんか」

「けどしのぶ!」

「大志っちも反省しとるって。なあ、大志っち?」

「あ、ああ。本当にごめん、みんな! あと朱里、助けてくれてありがとう」

「い、いいえ! 無事で何よりですから」

 にっこりと微笑む朱里の姿は女神のように後光が射している。

「と、とにかく、今後は気をつけなさいよね!」

「うん。悪かったよ、千佳」

「ふん!」

 大志は気づいていないが、千佳の目は涙目になっていた。大志が死ぬかも

しれなかった事実が、相当堪えたのだろう。

 それを把握しているのか、しのぶは大志の肩にポンと手を乗せると、

「大志っちは、ウチらのリーダーやねんから、無茶は止めてや」

「しのぶ……」

「大志っちが死んだら、ウチらは悲しいんやで」

「……分かった。軽はずみな行動は止めるよ」

「うん! その意気や!」

「痛っ! ちょっとしのぶ、背中強く叩き過ぎだって!」

「それくらい我慢しぃ! 乙女を困らせた罰や!」

 とほほといった感じで背中をさする大志。

「さて、問題はここをどうするかやけど……」

「あ、それなら俺思いついたんだけど」

「お、何や大志っち」

「風魔法を使える俺と朱里で、みんなを向こう岸まで運べばいいと思うんだ」

「なるほど! 朱里っち、できるか?」

「はい。大丈夫です」

「千佳っちもそれでええ?」

「いいわ。けど運ぶにしても慎重にしてよ、大志」

「分かってるって。今度は失敗しないから」

 そして大志と朱里が風魔法を使い、四人の身体を浮かせて《浮遊石》のエリアをクリアすることに成功した。

「ふぅ~……この距離をずっと飛ぶのは結構しんどかったなぁ」

「そ、そうですね……魔力も大分消耗しました」

 大志の言葉に朱里が賛同する。二人の肩が軽く上下しているようだ。この環境で、魔法を集中し、持続させるのはかなり困難であり、それを成しとげたことで、体力も魔力も疲弊ひへいしてしまっている。

「ここから先は、回復薬でHPもMPも万全にしていった方がいいわね」

「千佳っちの言う通りやな。特に大志っちと朱里っちは」

 しのぶに渡された回復薬を服用する二人。

「よっしゃ! それじゃ先に進もうぜ!」

「油断しないようにね、大志!」

「せやで、大志っち」

「そうですよ、大志くん」

「へ~い……」

 皆に突っ込まれ肩を落としながらも、四人は穏やかな雰囲気を醸し出しつつ先に進んでいく。



 黒ローブを身に付けているアルエイドの後をつけていた日色たち。まだジャングルの中をうろつき回っている状態ではある。何度か彼がモンスターと戦っている間も、戦力分析のために黙って見守っていた。

(やはり単純な強さという観点から見れば、奴の方がオレよりも上だな。戦闘経験もずいぶん豊富に見える)

 追跡しているお蔭で、相手のことをある程度分析することができた。

(だが俺には《文字魔法ワード・マジツク》というアドバンテージがあるから、この程度の戦力差は問題ないはず。まだ隠し玉を残しているなら別だが……)

 そう思っていると、アルエイドがさらに木々が生い茂っている奥深くへと突き進んでいく。しかし洞窟の中だというのに明るいのは何故か。

 それは木々になっている木の実が発光しているからだ。それがライトの役割をしていて周囲を明るく照らしている。

 不意にアルエイドが足を止めたので、日色とヨルルも木陰で息を潜めた。

 そっと覗いてみると、一本の大木の目の前には石で作られたひつぎのようなものがあり、その上には、何故か白い刀身の剣が突き刺さっている。

(何故こんなとこに棺が……? それに白い……剣?) 

 思い出すのはヨルルが持っていたメモ帳。再度預かっていたメモ帳を懐か

ら取り出して確認し直す。

・転移する草原

・封じられしモノ

・白い剣と黒い本

(最初の“転移する草原”はもう判明した。ここに書かれてる“白い剣”ってのは、あの剣のことなのか……?)

 さらによく見ると、日色はギョッとした。

 何故なら剣が突き刺さっているのは、棺だけではなく、その上には真っ黒い表紙に包まれた本があったからだ。

(おい! まだ読んでない本だってのに、傷つけるなよっ!)

 つい心の叫びが轟く。

(いや、落ち着け……多少傷ついてても『修復』の文字さえ使えば元通りになるはず。クールになれ、丘村日色)

 煮えたぎりそうになった頭の中を冷やしていく。

(しかし“白い剣”に“黒い本”ってのはあれで間違いないようだな。だったら“封じられしモノ”ってのは……)

 やはり目が向かうのは棺である。まさしく何かを封じているかのようだから。

 日色はメモ帳をさらにめくって確かめていく。何か良い情報がないか確認するためだ。ほとんどが、村や町の情報など、恐らく過去の勇者が立ち寄って世話になった場所の情報が書かれているのだが、他に有益な情報がないか探ってみる。

(……む?)

 あるページには、勇者の遺産について書かれていた。勇者の誰かが日記のように書いている。

『俺たちは、各地を巡り、様々なモンスターを討伐した。その中で、何度倒しても甦ってくるアイツは、正直もう相手にしたくないと思った。その時はまだレベルが低かったこともあり、俺の魔法では倒すことができずに、何とかあの剣と本の力を使って封印することができた。もっとレベルが上がってから、アイツを倒しに来よう。けど、もしかしたら世界の情勢がそれを許してくれないかもしれない。俺は……平和を掴むためにここにいる。皆の勇者として、希望になりたいんだ』

 

 そう書かれてあり、筆者が言う“アイツ”に関しても情報が載っていた。

『とにかく、光魔法を使えない者がアイツと戦おうとしてはいけない。何故なら……』

 その先を追った日色はゾッとして、慌ててその場から姿を現し、“白い剣”を手にして抜こうとしているアルエイドに向かって叫ぶ。

「その剣を抜くなぁぁぁっ!」

 しかし一歩遅く、アルエイドも日色たちに気づき振り向くが、すでに剣を抜いてしまった後だった。

 すると剣が一瞬で灰化して消失し、本も石化をし始め、同時に棺にはヒビが入っていく。

 刹那――棺が爆発し、近くにいたアルエイドが吹き飛ばされてしまう。地面を転がりながらも、すぐさま体勢を立て直し、棺があった方を見る。

 そこには全身が包帯で巻かれ、どす黒いオーラをほとばしらせるミイラ男の姿があった。顔の部分からは、鋭い角のようなものが伸び出ており、殺意と害意で固めたような気を放ってきている。

「……あの角か。あの角があれば……っ!」

 アルエイドのフードが取れて顔が露わになる。声を聞いた通り男性のようだが、二十代前半といった若い青年の顔立ちをしていた。

 焦げ茶色の髪を無造作に後ろで束ねていて、キリッとした目つきとスッとした輪郭がイケメン度を上げている。

(角? どういうことだ? コイツが何者か黒ローブは知ってたっていうのか?)

 角があれば……と聞こえた。つまりアルエイドの目的は、ミイラ男の額から突き出ている角なのだろう。

 日色は《覗》の文字を使って、ミイラ男の《ステータス》を確認していく。メモ帳に書いてある情報が真実かどうかも確かめたかったからだ。

(……間違いない。アイツは―――――SSランクのモンスターだ!)

 Sランクとは出会ったことがある。そのせいで一度死にかけるほどの思いをしたが、何とか倒すことに成功した。しかしまだその上に位置する存在モンスターとは会ったことがなかった。

 初めて出会うSSランクの怪物。あの棺に封じられていた魔物。

 それがあの……。

「……エンシェントマミー……か」

「え、えんちぇんと? し、知ってりゅんでしゅか、ヒイロしゃん……っ」

 もうヨルルは恐怖と震えで滑舌が面白いことになっていた。幼児退行といわれても納得できるほどだろう。

 しかし新米である彼女ならこの状態は当然なのかもしれない。日色でさえ、ビリビリと伝わる憎悪と威圧感で、今すぐ逃げ出したい衝動にかられているのだから。

(アイツ……確実に怒ってるな……。まあ当然か、何百年もこんなとこに封じられていたんだし……!)

 過去の勇者が活躍したのは数百年前と言われているので、必然的にそうなる。

「おい、そこの黒ローブ! とんでもない奴の封印を解いてくれたな」

 嫌味を含めた言い方でアルエイドに言うが、彼からは何も返ってこない。日色たちをまるで無視して、ターゲットをエンシェントマミーに絞っている。

「ヒ、ヒ、ヒイロしゃんっ! 来るでしゅぅぅぅっ!」

 エンシェントマミーが、その場から駆け出し日色たちの方へ突っ込んでくる。だがそんなエンシェントマミーに対して、横から跳び膝蹴りをくらわせたのはアルエイドだ。

 動きは止まったものの、ニィ……っと笑みを浮かべたエンシェントマミーは、アルエイドの首を掴むと、そのまま身体を回転させて大木に向かって放り投げた。

「かはぁっ!?」

 大木に跳ね当たり大地へと倒れ込むアルエイド。

 そしてエンシェントマミーの意識が日色たちへ向く。

(マズイな、もうこうなったら転移しておさらばするか……?)

 その方が命の安全は保障できるだろう。わざわざこんな化け物を相手にする必要はないのだ。

 しかしながら、本だけでも手に入れておきたい。石化しているが、魔法で解くことは可能なはずだから。

 だがそのためには隙を見つけなければならない。ここから離れることは簡単だが、離れれば恐らくエンシェントマミーのターゲットにヨルルが入るだろう。

 彼女のレベルでは瞬殺されてしまう恐れが高い。

(なら一緒に本のとこまで転移して、すかさず外へ転移するか……)

 そう思った時、エンシェントマミーの背後からブスリと剣が貫く。

「その角は、もらうっ!」

 アルエイドだった。彼は静かに距離を詰めて攻撃をしたのだ。しかしエンシェントマミーは、うめき声一つ立てずに、裏拳でアルエイドを再度吹き飛ばした後、何でもないかのように突き刺さった剣を抜いてポイッと地面に投げ捨てた。

(ダメージがない……! いや、確かメモ帳にも『何度倒しても甦ってくる』と書いてあった……)

 つまりは不死身……ということなのだろうか。痛みすら感じている様子は見えない。

「仕方ない。あんなキモい身体の奴を相手にしてる暇は……」

 そう思い、背後にいるヨルルの手を取って逃亡しようと思ったその時、彼女は驚愕の表情を浮かべていた。

 その視線の先にあるのはアルエイドの姿。

「おい、一体どうした?」

「あ……う、嘘……な、何で……?」

 幽霊でも見たかのような顔をして瞬きを失っているヨルルを不思議に思っていると、彼女は視線をそのままに、バッグから例の《ムーンタリスマン》を取り出す。

 それはかつて彼女が三年前に冒険者として旅立った姉から、旅立つ前に《ムーンタリスマン》を真っ二つにして、その半分を受け取ったものだった。

 どうして今、それを取り出す必要があるのか……。

 日色はそう思いつつ、彼女と同じように視線をアルエイドへと向けると、彼の黒ローブの隙間から、ヨルルが持っている《ムーンタリスマン》に似たブローチが目に入った。

(確か、姉からは割った右半分をコイツはもらったって言ってたな。まさか!)

 再度確かめるように、互いの《ムーンタリスマン》を見比べてみる。するとアルエイドが持つ《ムーンタリスマン》は左半分で、ヨルルは右半分という形を成していた。

「な、何であの人がお姉ちゃんの《ムーンタリスマン》を……!?」

 当惑する気持ちは分かる。姉から、いつか《ムーンタリスマン》が、自分たちを引き寄せてくれるからと言ってもらった大事なもののはず。

 それなのに、片割れだと思われる《ムーンタリスマン》の半分を、アルエ

イドが持っている理由が説明つかなかったのだ。

 ただ唖然あぜんとしている時間もなく、エンシェントマミーの腕に巻かれていた包帯が異様に伸びてきて、日色たちを捕らえようとしてくる。

「ちっ! とにかく正気に戻れっ! このままだと殺されるぞっ!」

「ふぇあっ!」

 日色がコツンと額を小突く。パッと焦点が日色へと戻り、正気に戻ったヨルル。彼女を抱えて大地を蹴り出し、左側へ跳んで包帯を回避する日色だが、包帯自身が意思を持っているかのように、クイッと方向転換して、日色たちに追随してくる。

「させるかよっ!」

『防』の文字を書いて発動させると、青白い魔力の壁が文字から生まれて包帯を弾き身を守ってくれる。

 そのまま壁を崩すように、包帯でバシバシバシバシッと何度も連続攻撃してきて、徐々に壁が悲鳴を上げ始める。

「さすがはSSランクの攻撃力ってことか……!」

 二文字なら耐えられるのかもしれないが、あの状況では一文字が限界だった。書く時間という難点があるのが、《文字魔法ワード・マジツク》の欠点だろう。

 その間も、やはりアルエイドが気になるのか、チラチラと見ているヨルル。その気持ちは分かるが、今はここから逃げることに集中してほしい。

「おい、ここから転移して逃げるが、いいな?」

「転移……? あ、ちょっと待ってください! あ、あの人は!」

「アイツを助ける義理なんてないだろ。そもそも先に攻撃してきたのはアイツだぞ」

「で、ですけどぉ……」

「それに見ろ」

「え?」

「アイツはまだ戦うつもりだ」

 エンシェントマミーに吹き飛ばされたものの、アルエイドが火の魔法を中

心に使って攻撃を繰り出す。

「テン・ブレイズッ!」

 それは日色たちに対して放ったものとは、まるで込められた魔力の強さが違った。この前は、爆音と爆風は結構強かったが、今度は爆撃そのものの威力を備えているようで、エンシェントマミーにぶつかった瞬間、爆炎を上げて破裂する。

(よ、よし! 今の内に本をっ!)

 日色はそう思い、エンシェントマミーに近づかないようにかいして石化している本のもとへとヨルルを連れて向かった。

 エンシェントマミーが復活した時の衝撃により、結構なところまで吹き飛ばされていたが……。

「ふぅ……どうやら粉々になってはいないようだな」

 石化しているので、少し不安だったが、逆に頑丈になっているのか、しっかりと本の様相を保ったままだった。

 日色は本を手に取ると、すぐに肩越しに携帯しているバッグの中へと片づける。早く読んでみたい衝動にかられるが、今はここから脱出しなければならない。

 だがその時、クイッと服が引っ張られる。

「……? どうした、新米?」

「えと……そのぉ」

「言いたいことがあるならさっさと言え」

 だが答えを聞く前に、「ぐわぁぁぁぁっ!?」という悲鳴が周囲に響く。声を出したのはアルエイドであり、エンシェントマミーの腕から伸び出た包帯で、足を巻きつかれて、ジャイアントスイングのようにグルグルと回されていた。

 するとそのまま遠心力を利用して、天井に向かってアルエイドは飛ばされ、背中から天井へ激突する。

「―――ぐはぁっ!?」

 そしてゆっくりと天から落ちてくる。エンシェントマミーがニィッと獰猛どうもうな笑みを浮かべ、包帯を硬質化させて落下してくるアルエイドを串刺しにしようと突き出す。

 日色はそのまま黙って見ていたが、不意に日色の脇から飛び出たヨルルが、ナイフを大地に突き立てた。

「――《土の牙》っ!」

 突き立てた大地がボコッと盛り上がり、エンシェントマミーの包帯に向かって針状に伸び出ていく。見事包帯と衝突した《土の牙》は、ターゲットのアルエイドから方向をずらすことができて、彼の腹部を軽くかすった程度で済んだ。

 アルエイドは歯を食いしばりながらも、身体を回転させて地面に叩きつけられないように着地をすると、疲弊した表情でヨルルを見つめる。

「……な、何故……?」

「……だ、だって……」

「お前ら、油断してる場合じゃないぞっ!」

 日色の声に二人はハッとなって、エンシェントマミーに意識を向ける。攻撃が邪魔されたことにより、明らかに怒りを覚えているようで、その原因であるヨルルの懐に素早く入り、彼女の首を右手で掴む。

「あっぐっ!?」

 SSランクの力で握られれば、ヨルルの細い首などすぐにでも折られてしまうだろう。

 だがそんなエンシェントマミーの腕に、剣閃けんせんが走る。ズズズズと、腕がズレていき、切断された腕がそのまま地に落ちた。

 エンシェントマミーの腕目掛けて刀を振るってヨルルを助けたのは日色だ。日色はそのまま相手の腹を蹴って、距離を取らせる。

「げほげほげほっ!」

 喉を押さえながらせき込むヨルル。

「何勝手な行動をしてるんだ!」

「だ、だって……あの人は多分お姉ちゃんのことを……!」

 彼女にとっては、初めて見つけた姉の手掛かり。だからこそ気になるのは分かるが、新米が手を出していい相手ではない。

(こんなことなら、無理矢理にでも置いてくれば良かったか)

 まさかSSランクなんていう化け物と戦うとは思っていなかったことを悔いる。警戒を怠っていた自分を叱咤しつたするが、反省はこの状況を何とかした後でだ。

 別に無理矢理ヨルルをここに連れてきたわけではないので、このまま放置して日色だけ逃げることは可能だ。

 目的の“黒い本”も手に入ったので、基本的にもう日色は満足している。しかしながら、ここでヨルルを置いて逃げると、まず間違いなく彼女は死んでしまうだろう。

(あの黒ローブが死のうが生きようがどうでもいいが、さすがにコイツが死ねば寝覚めが悪そうだな)

 かといって、不死身のSSランクのモンスターに勝てるビジョンも見つからない。先程切断したはずの腕も、切った部分からトカゲのしっぽのように生えているところを見ると、戦う気さえ削がれていく。

 このまま戦えば、日色も致命傷を負う可能性だって高い。

(なら、無理矢理にでもコイツを連れて転移するか?)

 それが一番現実的だろう。人を見捨てたということで、ヨルルに恨まれるかもしれないが、命には代えられない。

 そう考え、彼女の手を取ろうとすると、

「あ、危ないっ!」

 ヨルルが突然叫ぶ。その対象はアルエイドだ。何故ならエンシェントマミーの硬質化した包帯で、殴られる寸前だったから。

 しかしヨルルの心配も虚しく、すでに大ダメージを負っているアルエイドは回避できずに、包帯に吹き飛ばされる。

 一応ガードしてはいるが、地面に転がり体中は傷だらけだ。

「……ヒイロさん!」

「……?」

「お願いします! あの人を助けられませんか!」

「何だと?」

「いきなり攻撃してきた敵だっていうのは分かっています。だけど……だけど、悪い人じゃないような気がするんです!」

 真っ直ぐな瞳で訴えてくる。

「お前、分かってるのか? あのモンスターはレベルが違う。下手すりゃ全滅だぞ。その前に逃げるのが賢いと思うが?」

「……かもしれません。ですが、もしあのモンスターが地上に出てしまえば、多くの人を襲っちゃいます」

 それこそ、日色の知ったことではないのだが……。

「あの人も、何か理由があってここに来たことは間違いないんです。何となく……本当に何となくですが、それには私のお姉ちゃんが関わってる気がするんです」

「…………」

「だからお願いします! 何でもしますから、力を貸してくださいっ!」

 まったくもって厄介な娘と付き合ってしまっているようだ。ここで断るのは簡単だが、断ればきっと彼女は一人でも残ると言い出しかねない。

(無理矢理連れ帰っても、意地でもここに戻ってくるような無茶をしそうだしな)

 見れば泣きそうな顔で上目遣いをしてくる。こういう表情は昔から苦手だ。

「…………はぁ、分かった」

「ヒイロさんっ!?」

 満開の花のような笑顔を見せる。

「ただし条件がある」

「じょ、条件……ですか?」

「そうだ。これ以上はホントにダメだって思ったら、お前が何と言ってもこ

こから逃げる。お前もだ。そしてその後は、他の冒険者か、国軍に任せろ。いいな?」

「………………分かりました」

「それと、お前が持っている獣人界の情報、特にグルメ関係と書物関係を教えること」

「え……あ、そんなことでいいのなら……はい」

 言質げんちは取った。

 ならあとはできる限りやるだけ。

(しかし、不死身の身体に強烈な攻撃力。攻略法なんてあるのか……?)

 初めて出会うSSランクのモンスターなので、情報がほとんどない。一応 《ステータス》は調べてあるが、自分とのパラメータの差に愕然とするだけだ。

 人間のレベルで言えば、相手のレベルは確実に三ケタを越えている。

「でもまあ、オレには《文字魔法ワード・マジツク》があるしな」

 この力があれば、使い方次第では、たとえ格上相手でも倒すことはできる。

「ただ不死身ってのがどうもな……」

 その時、エンシェントマミーの身体から数十本もの包帯が伸び、日色たちへと迫って来た。

 アルエイドは、火の魔法を駆使して包帯を燃やしながら回避行動をとっていくが、日色は『速』の文字を使って速度を上げて、ヨルルを抱えながら逃げ回る。

「おい、新米! 一人でかわし続けることができるか!」

「無理ですぅぅぅぅっ!」

 だろうな、と分かっていたもののつい聞いてしまう。

 するとエンシェントマミーの身体が突如として膨れ上がっていく。

「な、何だ……っ!?」

 元は二メートルほどの人型のモンスターだったが、今では縦よりも横幅が大きく、力士の三、四人を丸呑みしたのかと思うほど膨れている。

「―――な、何っ!?」

 日色の油断。足首に違和感を感じて見てみると、いつの間にか包帯が巻かれていた。どうやら包帯を地面に埋めて、静かに大地の中を泳がせて日色に近づいてきたようだ。

 ほぼ同時に日色だけでなく、ヨルルもアルエイドも包帯に捕まっている。

 そのまま三人は上空へと押し上げられ、

「し、しま―――――――っ!?」

 大きな口を開けたエンシェントマミーの身体の中に、三人はスッポリと呑みこまれてしまった―――――。

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