ep12.ミミルのパシオンライブ! ~想いを歌に乗せて~

「――え? 明日から各地を回りながらミミルちゃんの復活ライブをやる?」

 獣耳けものみみに尻尾を持つ獣人じゆうじんたちの国――【獣王国じゆうおうこく・パシオン】に住むミュア・カストレイアは、複数の木々が融合ゆうごうしたような造りをしている《王樹おうじゆ》に遊びに来ていた。

《王樹》は、【パシオン】の王族が住む場所であり、ひょんなことから第二王女であるミミル・キングと友達になったのだ。

 この国でミュアは、保護者であるアノールド・オーシャンとともに、冒険者としての修業に努めている。そんな中、たまの休みに、こうして《王樹》に出掛けては、ミミルと一緒に遊んでいるのだ。

 今日も修業が休みなので、朝から来ているのだが、ミミルから驚くべき言葉を聞かされて、聞き返しているところである。

「はい。ヒイロさまが声を取り戻してくださったおかげで、こうしてまた歌うことができます。大好きな歌を、です」

 まだ九歳であるミミルの、ほっこりするような可愛らしい笑顔。

 彼女は幼い頃にかかった病気のせいで喉がやられ、つい最近まで声を失っていたのだ。そこへ、これまたつい最近まで一緒に旅をしていたミュアの仲間である丘村日色おかむらひいろが、特異とくいな魔法で彼女の声を復活させた。

 しかしそのせいで、ここにいれば王に目をつけられ、下手をすれば世界を見て回るどころではなくなると言って、日色はミュアたちと別れて国を出て行ってしまったのだ。

 別れはとても悲しいが、それでも再び会う約束もした。半年後には会いに来てくれるという言葉ももらえた。だからそれまでにミュアは、再び旅をしても足手纏あしでまといにならないように、強くなると決めたのだ。だからこその修業である。

「お父さまが各地を回って、ミミルの歌を聴かせてみるのはどうかとおつしやられて……」

「あ~そっかぁ。この国の人だけじゃなくて、近隣の街や村の人たちも、ミミルちゃんの歌が聴けなくなって悲しんでるって聞いたことあるしね」

 昔はよく各地を回っては、歌っていたらしい。またこの国でライブをする時にも、他の街などから大勢が集まって、ミミルの歌を聴きにやって来たと聞いたことがある。

「またミミルが歌えるようになったことを、この国以外の人たちは知りません。ですから、今度レッグお兄さまが演習で山向こうの街へお出かけになられるので、それについていってはどうかと申されましてね」

「ふぅん。それで一緒に行くことにしたんだ?」

「はい。少しでもミミルの歌で喜んでくださるのであれば、お届けしたいと思いまして」

 やはりミミルは大人だなと、ミュアは自分と比べて感心してしまう。確かに見た目も歳も、自分より幼いが、それでも考え方が驚くほど大人っぽい。

 これも彼女が今まで過ごしてきた環境でつちかったものなのだろうが、自分ももう少し大人にならなければならないと思い知らされてしまう。

「でも危険じゃない? 獣人界じゆうじんかいを回るだけって言っても、つい最近まで戦争が起きてたのに……」

 今、この【イデア】という世界は、人間、獣人、魔人まじん精霊せいれいと四種族が存在し、精霊を除き、最初の三種族は、三つの大陸にそれぞれ住み分けて暮らしている状態だ。

 互いに過去からの怨恨えんこんにより、憎しみ合っている間柄。戦争ばかりを繰り返している。

 つい先日も、獣人と魔人の戦争が終結したばかりであり、獣人たちが住む獣人界を回るといっても、やはり他種族の襲撃などがないとは言えない限り、危険性は高いと思う。

「レッグお兄さまもおそばにおられますし、大丈夫だと思いますよ」

 レッグお兄さまというのは、第一王子であるレッグルス・キングのこと。現国王であるレオウード・キングの後継者であり、人望、実力ともに備わっており、将来を期待されている人物。

「それに遠くまで行くわけではなく、一つ山を越えるくらいですから。その気になれば、一日で帰って来られる距離です」

「そっかぁ。確か今回は山のふもとにある街で音楽ライブを行うんだよね?」

「はい。書簡しよかんももう出しており、向こうではミミルのためにステージまで作ってくださっているらしいのです」

「へぇ~、それは楽しみだね!」

「はい。ミミルも全力で歌わせていただきます!」

「あ、そういえば、五日後にこの国でもライブをやるって聞いたよ? 《始まりの樹・アラゴルン》の前に、さくさんの木材が積まれてたけど、あれってステージを作るためだもんね」

 昨日通りかかった時に、束になっている木材を見て何に使うのだろうと思っていたミュアだが、これで謎が解けた。

 ちなみに《始まりの樹・アラゴルン》というのは、この国のシンボルにもなっている大樹である。初代の国王の時代からあるその樹は、皆に大切にされており、精霊が宿る樹としても知られているのだ。

「それじゃミミルちゃん、向こうで歌って、すぐにこっちに帰ってきてまた歌うんだよね。結構大変なスケジュールじゃない?」

「ふふ、そうですね。でも今は歌えることが何よりも嬉しいのです。これもすべては、ヒイロさまのお蔭です。本当に感謝しております」

「でもごめんね、ミミルちゃん。ヒイロさんをここに連れて来ようと思ったんだけど、結局ダメになっちゃって」

「いえ、いいのです。ヒイロさまは同じ空の下におられます。ならいつか会える。ミミルは、そう信じていますから」

 ミミルの夢は、日色に会って声を取り戻してくれたお礼を言いたいらしい。何でも治してもらった直後は、あまりの動揺どうようから名前すらも聞くことができずに日色と別れてしまい、それっきりなのだ。

(会わせてあげたいんだけど……、ヒイロさんが顔を見せに来るって言ったのって半年後だしなぁ)

 ずいぶん先の話である。

 翌日の朝、ミミルとレッグルスの部隊が、【パシオン】を出て行くのを、アノールドと一緒に見送ったミュアは、いつも通り修業を見てくれるララシーク・ファンナルのもとへと向かっていた。

 彼女の家は変わっており、木で作られた家の地下には広大な研究施設が広がっているのだ。ありの巣のように張り巡らされた通路の先々には、様々な部屋が存在し、その一つには修業用に作られた広い空間を持っている場所がある。

 いつもそこで師匠であるララシークにしごかれているというわけだ。

「よ~し、今日もやる気を出していくかぁ~。ふわぁ~」

 少しもやる気が見えない……。

 ピョコンと可愛らしく頭に生えている獣耳――ウサミミが、張りをなくしてしぼむように折れている。

よれよれの白衣をまとい、めんどくさそうに欠伸あくびをしながら左手に持っている酒瓶さかびんを口元でクイッとかたむける幼女姿は、どう見ても二百歳を優に超えているとは思えない。

「し、師匠! シャキッとお願いしますよ!」

 青髪を逆立てた、筋肉質の男であるアノールドが声を張るが、うるさそうに顔をしかめたララシークは、

「っつ……うっせぇなぁ。二日酔いなんだから叫ぶなよぉ。あ~頭いてぇ」

 そんなことを言いながら酒をまだ呑み続ける。

(ふ、二日酔いならお酒を控えた方が良いと思うんだけど……)

 ミュアだけでなく、恐らくアノールドもそう思っているだろうが、言って聞くような相手でもないことは二人も熟知している。

 ただこんな状態でも、二人掛かりで襲い掛かっても触れることすらできないのだから驚きだ。それほどの力量の差が、ララシークと自分たちには確実に存在するということ。

「さぁて、えっと……昨日はどこまで話したっけか?」

「あ、《化装術けそうじゆつ》の基本的な扱い方についてです」

 ミュアの言葉に「そっかそっか」と言いつつうなずくララシーク。

「そうだったな。んじゃ、昨日のおさらいだ。《化装術》ってのは獣人だけに扱える戦闘技術だが、その利点を述べよ。はい、ミュア」

「あ、はい。えと……まず魔力消費がほとんどありません」

「ん、正解。んじゃ次、アノールド」

「はい。獣人の身体能力を最大限にかせる技術です」

「よし。基本的なことは覚えてんな。《化装術》ってのは、人間や魔人が扱う魔法を使えない獣人が、必死こいて編み出した技術。まだ出来立てほやほや感満載だが、それでも魔法に匹敵する力だ」

「必死こいて編み出したって言いますけど、編み出したのは師匠じゃん……」

 アノールドの言う通り。獣人にとってかけがえのない、この技術を編み出したのは目の前にいるララシークなのだ。

 しかもその《化装術》を扱うために必要な、《名もなき腕輪》を作ったのが彼女の兄であるユーヒット・ファンナルなのだから、ファンナルの血筋は物凄いとしか言いようがない。

「まあ、《化装術》の基本的な知識は二人も知ってるみてえだから、あとは実戦を繰り返して実力をつけていくだけなんだが……」

「何か問題でもあるんですか?」

 ララシークが言いよどんだので、不思議そうにアノールドが尋ねた。

「最近じゃ、ワタシとだけしか戦ってねえだろ?」

「ま、まあ、ここには俺たちだけしかいないですし」

「別にそれでもレベルは上がっていくんだが、同じ相手とばっか戦ってても応用力が身につかねえ。それは冒険してたお前も分かるよな、アノールド?」

「まあ、そうですね」

「それに実力がかけ離れた相手とやるより、拮抗きつこうした相手と戦う方が得るモノが大きかったりする。故に、これから言う場所に向かってモンスターを狩ってこい」

「……はい? モ、モンスター……ですか?」

「そうだ。ちょうどお前らの今の実力を出し切れば勝てるってぐらいだな……多分」

「多分!? ちょ、ちょっと待ってくださいよ! そんな危険な相手とやるんですか? 死んだらどうすんですか!」

「あ? そんなもん、はいそれまで~ってなだけだろうが」

「いやいや、そんな軽い感じで言われても!」

「修業は遊びじゃねえぞ? 強くなりてえんなら、死線ぐらい幾つも潜る覚悟をしろ。死にたくなけりゃ知恵を巡らせ生き抜け。そうしなきゃつかめるもんも掴めねえよ」

 まさに豪胆な物言い。しかし彼女の言うことに反論できないのも事実。覚悟もなくて冒険者など務まらない。

 冒険者になれば、凶悪なモンスターと戦うことだって何度もある。モンスターを討伐とうばつして、その討伐報酬などで生活する職業なのだから。

「…………ミュア、大丈夫か?」

「うん、おじさん。わたしは何でもやるつもりだよ!」

「よっしゃ、なら俺も全力でやるだけだ! 分かりましたよ、師匠! あ~ただ一つ聞いていいですか?」

「何だ?」

「二日酔いでしんどいし、自分が相手したくないから、外に出して適当なモンスターを狩らせて経験値を上げようって思ったわけじゃ……ないですよね?」

「…………………………もちろんだ」

 物凄く気になる長い間だった。信じてもいいんだよね、とミュアは心の中で思う。

「と、とにかく、クエストを出すから、見事それをクリアしてみな!」

 誤魔化ごまかすように言う彼女を見て、益々怪しさが増すが、一応彼女を信じてクエスト内容を聞くことにした。

「お前らが狩るべき相手は――――――」



 揺れる馬車の上で、久しぶりに見る外の風景に、ミミルは感嘆かんたんの声をらしていた。

 声を失ってからというもの、こうして他の街などに向かうことなどなく、いつも《王樹》の庭園で日向ぼっこをするか、アノールドの姉であるメイド長のライブの手伝いをしているかどちらかだった。

 街に出て他の子供たちと遊ぶようなこともせずに、一人でずっと閉じこもるような生活を送っていたのだ。

 声を失う前は、こうして馬車に揺られ外へ出ることも多かったので、久しぶりの外出に結構テンションが上がっている。

(楽しみですね。皆さん、ミミルの歌をお気に召して頂けるでしょうか)

 五歳の頃に一度行ったことがある街ではあるが、あれから四年も経っているので、街人たちが満足いく歌を提供できるかいささか不安でもある。

「いいえ、ミミルは精一杯歌うだけです!」

「はは、いきなりどうしたんだい、ミミル?」

 優しげな笑顔で聞いてくるのは、第一王子のレッグルスである。穏やかな

雰囲気通り、レッグルスはとても優しい人であり、ミミルもいつも頼りにしているのだ。

 レッグルスは次期獣王としても期待されており、民たちからの支持も厚い正義感溢れる男性で、街の女性たちの黄色い声も集めている、ミミルの自慢の兄である。

「あ、すみませんレッグお兄さま、つい意気込んだら声が出てしまって」

「いいや。しばらく聞けなかった、俺の大好きな声だ。いくらでも聞かせておくれ」

「はい。ありがとうございます!」

「ははは。……でもいきなりライブなんて大丈夫かい? 無理をすることはないんだよ?」

 レッグルスの温かい心遣いが胸いっぱいに広がっていく。

「いいえ、大丈夫です。それどころか、もっともっといっぱい歌いたいのです。五日後には、盛大なライブを【パシオン】でするとお父さまが仰っていましたので、勢いをつけるためにも今回のライブも頑張ります!」

「そうか。俺だけでなく、きっと向こうの人たちも楽しみにしているはずだよ。五日後のライブも当然ね。父上なんて、わざわざ各地にお触れまで出して宣伝してたから、五日後のパシオンは慌ただしくなりそうだけどね」

「う……そう思うと少し緊張してきました」

 揺れていた馬車が静かに歩みを止める。

「おっ、もう頂上に辿り着いたようだね」

 立ち上がってレッグルスが前方を確認する。

 今、ミミルたちがいる場所は【アロンドラ山】という山であり、これから行く街へはここを通過する必要があるのだ。

 前方にはがけが存在し、山と山を繋ぐように架け橋が存在している。丈夫そうな橋なので、馬車でも問題無く渡れるだろう。

(す、少し怖いですけど……)

 下から吹き荒れる風で、ギシギシと橋が揺れているところを見ると若干じやつかん不安感が込み上げてくる。

「さて、それじゃ先に進むか」

 レッグルスの掛け声で、馬の手綱たづなを握っている兵士が頷きを返し馬車を進める。後ろにも幾つか同じ馬車がついてきているのは、すべて護衛のための兵士が乗っているのだ。

 ここらへんのモンスター程度なら、レッグルスの部隊だとまったく問題にはならないので、誰も怯えなどは見せていない。それにこういう遠征に関しては、何度も経験しているらしいので、一種の余裕さえ感じられる。

 だからこそ、ミミルは安心して腰を落ち着かせていられるのだ。

 ミミルは晴れ渡った空を見上げながら、最近友達になった少女のことを思い浮かべる。

(ミュアちゃん、今頃何しているのでしょうね……ふふ、修業でしたね。頑張ってくださいね、ミュアちゃん)

 心の中でエールを送る。そしてミミル一行は、橋を渡って山を下っていく。



「――っくちゅん!」

「おお、すっげえ可愛いくしゃみだな、ミュア。大丈夫か?」

「う、うん……ごめんね」

 熱はないし風邪ではないとミュアは思う。

(誰かがうわさしてるのかな? ……ヒイロさんかも。えへへ、まさかね)

 少しの期待感を込めながら、ここにいない少年の名を心でつぶやく。

 ミュアたちは今、ララシークから言い渡されたクエストを達成するために、ある場所へと向かっていた。

「師匠もどうせならもう少し早く言ってくれればいいのによぉ」

「あはは、タイミングが悪かったね。まさかわたしたちがこれから向かうのが、【アロンドラ山】だったなんてビックリだよ」

「だよなぁ。昨日とかに言っておいてくれれば、ミミル様たちの馬車に乗らせてもらったのに……」

 愚痴ぐちを口にしながら、歩き続けるアノールドに対しミュアは、

「う~ん、でもこうやって二人っきりで冒険するのも久しぶりだから、わたし楽しいよ?」

「ぬおぉぉぉ~! お前はな~んて可愛いんだ、ホントまったくよぉ~!」

「うぷ! く、苦しいよぉ、おじさん」

「おっとすまねえすまねえ、つい親心が感動で爆発しちまったみてえだぜ」 

ミュアの身体を抱きしめていたアノールドは、身体を離すと、再び前を見据みすえて歩き始める。

(こんな時、ヒイロさんがいたら、きっとおじさんのことをロリコンとか言うんだろうなぁ)

 懐かしい二人のやり取りを思い出し、思わず笑みがこぼれ出てしまう。またあんなふうに楽しい旅をするためにも、自分もこのクエストを目一杯やり遂げようと決心するミュア。

 急ぐ旅でもないので、ゆっくりと時間をかけて進んだ。野宿も経験し、翌日の昼頃に目的の場所―――【アロンドラ山】に辿たどり着いた。

 眼前にそびえ立つ山が映る。緩やかに蛇行だこうする道が頂上へと延びている。

「この道をミミルちゃんは先に行ったんだね」

「みてえだな。馬車が通った跡もあるし、間違いねえな」

 その跡を追うようにミュアたちは山の中へと突き進んでいく。

「ここまで運が良いのか悪いのか、モンスターとはちっとも遭遇そうぐうしなかったのは残念だったなぁ。せっかくミュアには良い経験になると思ったのによぉ」

「そだね。でもここからは多分、戦闘は避けられないし、頑張るよ!」

「意気込みはバッチリだな! よっしゃ、なら山の探索といくか!」

 しばらく山中を探索し、途中洞窟らしい穴が幾つもあったが、そこには入らずにひたすら道なりに歩みを進めていくと、

「おじさん、敵だよ!」

「ようやくだな! 気合入れろよ、ミュア!」

 モンスターが現れた。数は――二体。一人一体ずつ相手にする。

「このモンスターは確か…………アックスビートルだね!」

「ああそうだ! 角がおのみてえになってっから気をつけろよ!」

「うん!」

 ミュアは腰に携帯している短刀を抜き身構える。実際にこうやってモンスターを討伐するのは初めてだったりする。

(うぅ~緊張するよぉ)

 自然と身体が震えてくる。相手はDランクのモンスターで、ミュアのレベルでも十分に倒せる相手なのだが、こうやって一人で対峙たいじするのは初めてなので緊張してしまうのだ。

「いいか、ミュア。落ち着いて、相手の動きを見ろ。アックスビートルは攻撃した後に隙が絶対できる。そこを突け!」

「う、うん! 分かったよ、おじさん!」

 口を一文字に結びながら、短刀を持つ手に力を込める。目の前にいるアックスビートルがジリジリと前に進んできて、突然羽を広げて突進してくる。

 するとミュアの頭上まで一気に詰め寄り、身体を回転させて、角を振り下ろしてきた。

「当たらないもんっ!」

 ミュアは相手の攻撃を最後までじっくりと見つめながら左側に回避。

(お師匠様の攻撃に比べたら、全然遅いよ!)

 アノールドの言った通り、アックスビートルは角を地面に突き立てることになり、そのまましばらく身体を硬直させている。

「ここだーっ! 《雷の牙》っ!」

 バチバチッとミュアの身体が放電を起こし、短刀を振りかざすと、帯電状態の斬撃が真っ直ぐアックスビートルに襲い掛かった。

 避けることもできずに攻撃を受けたアックスビートルは、雷の効果により黒焦げになり絶命する。

「はあはあはあ……ふぅ」

「お疲れ様、ミュア」

 アノールドはすでにもうモンスターを倒していたようだ。

「初めてのモンスター討伐、上手くいったみてえだな」

「ほぇ~……き、緊張したよぉ~」

 ペタリと地面に座り込んでしまうミュア。

「初めてにしちゃ上出来だよ。《化装術》の《雷の牙》もしっかり使えてるみてえだしな。この調子でお目当てのモンスターもサクッと狩ってやろうぜ!」

「あはは……う、うん、頑張るよ」

 さすがにアノールドのような楽観的思考はできない。確かに見事にモンスターを倒せたが、油断の一つでもすれば、今のでも殺されていた可能性だって否定はできないのだ。

 冒険者は常に死が付き纏う職業。それを実感させられる。今までは戦闘に参加していなかったから理解できなかったが、アノールドたち冒険者は、こんな緊張感の中で常に戦い続けているのだ。

(まだまだだな、わたし)

 まずは肉体よりも精神的に強くならなければならないと思う。強き心があってこその武力でもあるのだ。自分の力を存分に発揮するためには、恐怖に打ち勝つようなタフな心が必要になるとミュアは確信した。

「よし、んじゃ例のモンスターを探しに行くぜ!」

「あ、うん。でもどこにいるのかな?」

「ん~師匠にはこの山のどっかにいるって聞いただけだしなぁ」

 とにかく探しながら頂上まで行こうということになって、出現するモンスターを倒しつつ上を目指していく。

 しかしなかなか見つからず、清流で汗を流しつつ、のんびりとモンスター探索に勤しむミュアたち。これはもしかしたら長丁場になるかもしれないと考え、その清流で野営の準備もしておいた。

 結局その日は討伐すべきモンスターの姿を発見することは叶わなかった。



 ライブを行う街へ到着して、とどこおりなく歌声を街人に届けることができたミミルは、レッグルスが手配した宿屋の一室で、彼と一緒にほっこりと茶を楽しんでいた。

「素晴らしかったよ、ミミル」

「ありがとうございます。これも街の方たちが盛り上げてくださったお蔭です」

 彼らが立派なステージを作り、そして彼らが用意した楽器を使い、音を奏でて歌いやすい状況を整えてくれたからこその成功だったとミミルは考えている。

「この調子なら、三日後の【パシオン】でのライブも、問題なく進められそうだね」

「はい。すごく楽しみです!」

 この度、獣人が魔人へと仕掛けた戦争は、魔王が獣人界と魔界とを繋ぐ橋を崩壊させたことで、互いの大陸を行き来できる手段を失い即時終結することになった。

 そのことに関しては、争いの嫌いなミミルは嬉しいと思うのだが、獣王じゆうおう

オウード他、やる気に満ちていた兵士たちは不完全燃焼で終わってしまい、悔しい思いをしているらしい。表面上には出さないが、どことなく士気が下がっているのだ。

 そんな落胆色を漂わせる彼らを元気づけたいと思い、ミミルが【パシオン】でのライブを提案してみたところ、レオウードは大手を振って賛成してくれた。

 盛大なライブに向けて、慣らし……というのは言葉が悪いかもしれないが、今回の街のライブで喉を《パシオンライブ》用に温めておくようにとの配慮があったからこそ、レオウードは、ミミルに今回の街ライブを計画したのだとミミルは考えている。

 もちろん、ついでや慣らしなどといった想いはミミルにはなく、街ライブも全力で歌ったつもりだ。その甲斐かいもあってか、昨日のライブは大いに盛り上がり、街も盛大にいていたと思う。

「しかし、少し気になるのは山の天気だね」

 レッグルスが、窓から見える【アロンドラ山】に視線を向けながら不安気にまゆを寄せる。確かに山の上の黒々とした雲の存在は不安をあおってくるのだ。

「もし天気が崩れて山を通れないとなると、迂回うかいしなければならない。そうなると一日じゃ国へ戻れないかもしれないなぁ」

「明日にこの街を出ますが、まだ二日あります。大丈夫なのではないでしょうか?」

「まあ、多分ね。二日もあれば国に帰ることはできると思う」

「……もし間に合わなければどうなりますか?」

「う~ん……。延期……ってことになるだろうね」

「そんな……」

 せっかく国民が楽しみにしているライブを延期などで心をえさせたくはないと思うミミル。

「他の街や村からも、大勢がやって来るしね。中には一日しか時間を取れない重役の人だっている。そもそも明後日にしたのは、父上が他の街などとコンタクトを取って、スケジュール管理をした結果だしね」

 つまりその日にしかライブは行えない。いや、行うことはできるが、その日を楽しみにしている人たちを裏切ってしまうことになるということだ。

「では、絶対に帰らなくてはいけませんね」

「そうだね。まあ、二日もあるし、馬車を使えば一日とかからずに国へ戻れる。大丈夫だよ、きっと」

「そう願います」

 ただミミルは願う。今回の街ライブと同じように、《パシオンライブ》も

どうか成功させてください――と。

 しかし山の上空を覆う黒い雲を見て、胸が若干ざわつく感じを抱く。それでもミミルにできることは、祈ることだけだった……。

 翌日、ミミルはレッグルスらとともに馬車に乗り込み【アロンドラ山】へと向かう。見送ってくれる街人に手を振りながら小さく会釈をすると、街人からも感謝の言葉が響いてくる。そんな声を全身に受けながら街を後にした。

 そして山に入ると、やはり懸念していた通り、空に浮かぶ黒い雲はまだ晴れていなかった。ただまだ天気も崩れていないようなので、このまま突っ切れば雨が降る前に山を通過できるとレッグルスは考え、こうして馬車を走らせることにしたのだ。

「少しばかり揺れがきつくなるだろうけど、我慢するんだよ、ミミル」

 彼の言葉にミミルは頷きを見せた。急いでいるので、馬の足も速くなり馬車の揺れが通常よりも激しくなる。ミミルは舌をまないように歯に力を入れて食い縛った。

 途中、モンスターが現れ戦闘になるが、優秀なレッグルスの部隊はあっさりとモンスターを退けていく。もうすぐ頂上。

 その付近まで来た瞬間、ゴロゴロゴロと空から不吉な音がとどろく。

「マズイな……もう少しだけ我慢してくれよ」

 レッグルスが上を見上げながら下唇を噛み締めている。

「ここは素直に迂回した方が良かったかもしれないな……しかし、今から引き返すよりは、このまま突っ切った方が早いし……」

 馬車を一度止めてレッグルスの判断を仰ぐ兵士たち。しかし結局は、このまま進むことにした。ミミルも、早く着くのであればその方が良いと彼に言ったことが後押しになる。

「よし、それじゃもう少し速度を上げて進もう。出現するモンスターはあまり相手にしないでおこう!」

 兵士たちはレッグルスの言葉に返事をして、馬車を動かしていく。

 頂上に出た時、ポツポツと小粒の雨が地面をらし始めた。山と山を繋ぐ橋を、三台の馬車が通っていく。最後尾に着くのはミミルとレッグルスを乗せた馬車である。

 一台、二台と、橋を渡り切り、最後の三台目が通過しようとした時―――

「きゃあっ!?」

 突然の稲光いなびかり轟音ごうおんとともに、三台目の前方の橋へ雷が落ちた。馬が驚き、馬車がグラリと傾く。さらにその傾いた反動で、ミミルが馬車から投げ出されてしまう。

「ミミルッ!?」

 咄嗟とつさにレッグルスが手を伸ばすが、掴めたのはミミルの着用する服の切れ端。掴んだはいいものの、服の耐久力が弱く破れてしまったのだ。

 そして大きな網目状あみめじようになっている橋の側面から、ミミルは抵抗することもできなく薄暗い谷の底へと落下してしまう。

「きゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

「ミミルゥゥゥゥゥゥゥッ!?」

 あと二日後に《パシオンライブ》を控えての大事故。皆が呆然と立ち尽くしてしまっていた。


 ポタリと頬にしずくが落ちた感触で、意識を覚醒させるミミル。

「う……あ…………ここ……は? あぅっ!?」

 身体を動かそうとすると、左腕に痛みが走る。その痛みのお蔭で、意識がさらにハッキリとしていき……。

「そ、そうでした……ミミルは……」

 自分が橋から落下したことを思い出す。上半身を起こし周囲を見回すと、すぐ上には豊かな緑をたたえた木が映る。

 どうやら崖から生えている木々がクッションになったお蔭で無事だったこ

とを知る。

 上空から微かに誰かの叫び声が聞こえるような気がするが、雷と雨の音でほとんどかき消されている。

 今自分がいるのは岩場。とてもではないが、ミミルの力では崖を登り切ることなどできない。

「ど、どうしましょう……」

 上にある葉っぱの傘のお蔭で雨が直接身体に降り注ぐことはないとしても、身体も徐々に冷えていっているのが分かる。この天気の中、救助しようにも崖下にいるので難しいかもしれない。

 明日になればもしかしたら天候が回復するかもしれないが、それも希望的観測……。

「レッグお兄さま……」

 きっと兄が助けてくれるはずだと思い名を呼ぶが、一人ということと、周囲が薄暗いということが恐怖心を煽ってくる。しかもこの山にはモンスターが生息しているのだ。見つかれば、戦闘力がないミミルは格好のえさになる。

(……怖いですぅ……誰か……助けてください……)

 震える身体を抱きしめ、壁に寄り添うミミル。そしてふと思った。

(このまま時間が過ぎて、救助されたとしても……、もしかしたらライブには出られないかもしれません……)

 せっかく楽しみにしている者たちの期待を裏切ってしまうと思うと次第に目尻が下がっていく。孤独感と申し訳なさで涙が出てきてしまう。

 それに最近ようやく再び歌えるようになったのに、このままモンスターに見つかって死にたくはない。もっともっと、自分の歌を民たちに届けたいのだ。

 しかし無情にも助けが来る様子もなく時間だけが過ぎていく。雷も雨も止むことがなく、周囲は日が落ちて真っ暗闇が支配した。

 この闇が、ミミルの不安を大いにき立ててくる。身体も冷え切ってしまっており、歯がカチカチと鳴ってしまう。

(一人って……こんなにも怖いものだったのですね……)

 今の自分には誰もいない。せめて誰か傍にいてくれれば……そう思うが、自分ができることはただ歌うことだけ。だがその時、ハッと思いついたことがあった。

「あ……そうです! 歌です! ミミルには、歌というお友達が傍にいます!」

 ミミルは両手を祈るように組むと、何度か息を整えるように深呼吸をする。

「ら~ららら~ららららら~」

 すると眼を閉じて歌っているミミルの周囲がポワ、ポワ、ポワッと光が灯る。それはまるで蛍火ほたるびのよう。

(歌っている間は怖くありません。お願いします、誰か近くにいらっしゃったら、この声に気づいてください)

 もしかしたら冒険者の誰かがこの近くにいるかもしれない。そんな一縷いちるの望みにけて歌う。しかしそれは近くにいるモンスターすらも呼び込んでしまう可能性を含んでいる。

 しばらく歌っていたミミル。やはりこの雷と雨の中で、たとえどこかに冒険者がいても声は届かないのだろうか。そう思った矢先、ガラガラッと上空から小石が落ちてくる。

 ミミルは振り向く。声を聞いた誰かが助けに来てくれたのではと。しかし―――

「ギギギギギィッ!」

 ミミルの願いは届かず、招かざる脅威がそこに姿を見せた。

 崖を這うようにしてミミルへと近づいてくるモンスター。カメレオンのように両目がギョロギョロと動き回り、長い舌をヒュンヒュンと動かし奇声を上げながら近づいてくる。

 とても友好的な関係を結ぶために近づいてきているとは到底思えない。ミミルほどの体長をしており、よだれを撒き散らしながら敵意満々といった感じだ。

「ひっ!?」

 腰が抜けてしまい立ち上がれないミミル。

「い、嫌……こないで……!」

「ギギギギィ……」

 それでも一歩、また一歩と、ミミルと同じ足場に立って近づいてくる。そしてその長い舌でミミルの身体を捕らえた。

「い、嫌ぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 このまま引きり込まれて食べられるのだと思い絶望するミミル。

「ったあぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 刹那せつな、上空から甲高い叫び声とともに、何かが落下してくる。明らかに人。その手には短刀が握りしめられてあり、それが真っ直ぐモンスターの身体に突き刺さった。

「ギェェェェェェェェェェェッ!?」

 断末魔だんまつまの声を上げて沈黙したモンスター。

「大丈夫っ、ミミルちゃん!」

「……ミュ…………ミュア…………ちゃん?」

 まさか彼女が助けてくれるとは思わなかったが、友達の顔を見てホッとして意識がフッと消えていき倒れそうになる。

「ミミルちゃんっ!」

 自分の身体を支えてくれる確かな温もりを感じて、ミミルは意識を闇の中に沈み込ませていった。



「……う……うぅ」

「あっ、おじさん! ミュアちゃんが意識回復したよ!」

「……ミュア……ちゃん?」

「うん! そうだよ、ミミルちゃん! 良かったぁ、ミミルちゃんが無事で~! ほんとに良かったよぉ~」

 意識を回復し、上半身を起こしたミミルを抱きしめるミュア。左腕は少し捻挫ねんざしているが、それ以外は大した傷も無かったのでミュアは心底安堵あんどしていた。

「え……っと……ミュアちゃん……ですよね?」

 まだ夢見心地ゆめみごこちのような感じで不安気な表情を見せるミミルに、ミュアはニッコリと笑顔を浮かべて口を開く。

「そうだよ! わたしだよ、それに、おじさんもいるよ!」

「ふぅ~、ホントに間一髪って感じで良かったぜ~」

 アノールドもミミルが目覚めて嬉しいのかホッと息をいている。

「……でもどうしてミュアちゃんたちが……?」

「それはね、少し前からわたしたちもここにクエストで来てたんだよ」

「クエスト……ですか?」

「うん。ここに生息してるモンスターを狩ってこいってお師匠様に言われてね」

「ララシークさんに……」

「それで、なかなかターゲットが見つからなくてね。ず~っと何日も山で探索してたんだけど、昨日から天気が崩れてきて。だからどこか雨風を防げる場所で野営することになって……」

「ここは……洞窟ですよね?」

 ミミルがキョロキョロと周囲を見回す。

「うん。洞窟の中で天気が回復するのを待ってたんだよ。そして今日なんだけど、雨が止まないなぁと思っていると、アッチの穴から何か歌声が聞こえてね」

 ミュアが指差した方向には、大人が十分に通れるほどの穴が開いており、そこから外の様子が見れるようになっている。

「穴をのぞいてみるともうビックリだよ! そこにミミルちゃんがいて、モンスターに襲われそうになってるんだもん!」

「そうだよなぁ。しかもいきなりミュアが、自分の身体にロープを巻きつけ

て穴から跳び下りるんだから、腰を抜かしそうになったけどな俺は」

「あはは、ごめんね、おじさん。でも一刻の猶予ゆうよもなさそうだったし」

 その後は、ミュアが岩にくくりつけたロープを手繰たぐり寄せて、ミュアとミミルをアノールドがここまで引き上げたというわけだ。

「そうでしたか……。本当に助けて頂いてありがとうございました」

「お礼なんていいよ! だってミミルちゃんはわたしのお友達だもん!」

「ミュアちゃん……いいえ、本当に嬉しかったです。ありがとうございます」

「ミュア、ミミル様が真摯しんしに感謝してくれてるんだ。ちゃんと受け止めてやりな」

「……うん、おじさん。助かって良かったね、ミミルちゃん!」

「……はい!」

 ようやくミミルから笑顔が復活した。つい先程まで絶望色に染まっていた彼女はもうどこにもいなかった。

 そしてミミルから、何故一人であのようなところにいたのかを聞いて、ミュアは難しい表情を浮かべる。

「う~ん……レッグルス様たちは多分、無事だと思うけど…………でも何とか明日には国に帰らないといけないね、おじさん」

「だな。俺らもミミル様のライブには参加する予定だったし。何よりも、ミミル様を送らなきゃなんねえ。何たって主役なんだしな。ただまあ、この天候で外に出るのは危険だし……」

「明日の夕方のライブには間に合わないといけない。けどここから走っても半日くらいはかかるよね?」

「まあ、走り続けられるわけじゃないから、休みも入れてそんくらいはかかるか」

「……あ、レッグルス様たちなら、まだこの近くで探索しているんじゃないかな?」

「おお! それもそうだな! 多分王子様たちもこの天候で動けなくなってるだろうから、多分橋の近くで雨宿りしてる可能性はたけえな」

「明日になったら天候も落ち着くだろうし、橋の上に向かうのはどう?」

「そうだな。それが一番良いだろう。ミミル様もそれでいいですか?」

「あ、はいです。その……ご迷惑をおかけしてすみません」

「いいよいいよ、言ったでしょ! お友達だし、それに困った時はお互い様だよ! わたしたちだって、ミミルちゃんのライブをすっごく楽しみにしてるんだから!」

「ミュアちゃん……」

 三人の間に穏やかで温かい空気が流れている頃、背後でうごめく物体の存在にミュアたちは気づけないでいた。


 翌日朝―――。

 雨音がしないということは、どうやら願望通り天候が回復してくれたようだ。しかし外はまだ暗い。もしかしたらまだ空はどんよりとくもっているのかもしれない。

 ミュアたちはさっそく頂上へ向かう準備をしていた。

「とにかくレッグルス様と合流しなきゃな」

「そうだね、おじさん。多分今頃レッグルス様たちも、ミミルちゃんを捜索しているはずだから急ごう! ミミルちゃんも、準備いい?」

「はい。大丈夫です。お世話になります」

 三人が洞窟の外へ出ようとした時、アノールドが何かを感じたように立ち止まり、手でミュアたちの動きを制した。

「お、おじさん……?」

「……何か変だな」

「どうしたの?」

「おいミュア、昨日あんな大岩なんてあったか?」

 見れば確かに大きな岩がある。とても変わった岩で、大きな岩にとがった岩が幾つも生えている感じだ。

「え……う~ん、どうだろう?」

「いいか、ミュア。一流の冒険者を目指すなら、こういったダンジョン内での地形は把握しとかなきゃなんねえぞ。確かに昨日まではあんな岩なんてなかった」

「う、うん。ごめんね、おじさん。でも何で急に岩ができてるの?」

 確かに岩がいきなり増えているのは驚きかもしれないが、何故アノールドがそこまで警戒しているのかミュアには分かっていない。

「……まさか……な?」

 アノールドは緊張した面持ちで岩に近づく。そして大剣でコンコンと尖った岩部分を叩くと、次の瞬間グラリと大岩が動いた。

「な、なに!?」

「きゃっ!?」

 ミュアとミミルの驚き。アノールドは「こっから下がれ!」と言うので、二人は言う通りに大岩から距離を取る。そして明らかになるアノールドの警戒していた理由。

 大岩がのっそりした動きで180度回転すると、そこには長い首のような物体があり、その先には顔のようなものを発見できた。

「ちっ、こんな時にターゲットとエンカウントかよっ!」

「そ、それじゃ、おじさん!」

「ああ、コイツが師匠の言ってた俺らが狩る獲物――――ロックタートルだ!」

 この薄暗い中で、ロックタートルの目が赤く光る。背中に背負っている甲羅こうらを大岩と間違えていたようだ。向こうも今まで寝ていたのか、突然起こされて機嫌が悪そうである。

「ミュアッ、戦闘開始だ! お前はできるだけ距離をとってミミル様を守れ!」

「う、うん! ミミルちゃん、こっち!」

「は、はい!」

 岩陰にミミルを連れて行くミュア。このまま戦えば非戦闘員のミミルが傷つく可能性が非常に高い。

「ゴオォォォォォォッ!」

 鈍く低い声で咆哮ほうこうを上げるロックタートル。そしてそのままアノールドに向けてタックルを放ってくる。アノールドに激突する瞬間に首を引っ込めた。

「うおらぁぁぁぁっ!」

 タックルに負けじと大剣を振りかぶり吹き飛ばされないように踏ん張るアノールド。

「ぐっ……このぉ……なんっつう硬さだっ!?」

 自慢の大剣も甲羅には傷一つ付けられていない。それどころかアノールドの腕が、防御した反動でしびれを起こしているようだ。

「《風の牙》っ!」

 風を大剣に纏い斬撃力を向上させる《化装術》。しかしそれすらも甲羅は弾いてしまう。

「くそっ! 弱点は首だって分かってんだけどなぁっ!」

 ロックタートルについて首が弱点だということは、ここに来る前に調べてきた。しかし相手は、首と尾を甲羅の中に引っ込めているので攻撃が届かない。

 ロックタートルが甲羅に閉じこもったままで、身体を独楽こまのように回転し始める。砂煙を上げてアノールドへと迫ってくる。

「さすがにアレは受け止められねえっ!」

 大きく左側に飛んで回避するものの、器用に方向転換して速度を保ったままアノールドを追撃してくる。岩陰に隠れても、スピンと突進の威力で防壁にもならずに粉砕する。

「くっそぉー! こんなことしてる場合じゃねえのに!」

 出口は一つ。そこからミュアにミミルを連れ出させたいのだろう。アノールドは自分に敵を誘導させている。

「おじさん……」

 アノールドの考えが分かったミュアは、ミミルを連れて脱出を試みる。

 だがジャリッという足音に反応して、今度はミュアたちのもとへ方向転換して襲い掛かってくるロックタートル。

「危ないっ、ミミルちゃんっ!」

「きゃあっ!」

 咄嗟とつさに彼女の身体を抱えて跳び退く。間一髪でき逃げされないで済んだ。しかしギュインッと、またも方向を変えて向かってくる。アノールドが相手を引きつけ、ミュアたちを庇ってくれていた。

(このままじゃ、いつまで経っても頂上に行くことができないよ! やっぱり倒さなきゃ!)

 それが最も早い解決法だと思い、ミュアは逃亡を中断し、撃破へ思考を転換させる。

(だけどあの回転力に、おじさんでも傷一つつけられない防御力。一体どうすれば……)

 動きを止めるにも、アノールドの力でも止められないのに自分の力では到底不可能であることは理解している。

(……そうだ! お師匠様は知恵を使えって言ってた)

 ミュアは周囲をよく観察する。

(……水溜まり……? そうか昨日の雨……!)

 上空に開いた小さな穴からポタポタと滴が零れ落ちて、下に水溜まりをそこかしこに形成しているのを発見した。

(……うん! やれることはやってみるだけだよ!)

 ミミルに顔を向け、「ここで隠れてて」と言うと、彼女も了承してくれた。そしてミュアはアノールドのところへ急いで向かい耳打ちをする。

「……分かった! 試してみようぜ! おらっ、カメ野郎! コッチだぁ!」

 アノールドは剣をブンブン振って挑発する。簡単に乗ってくれたロックタートルはアノールドに向かって突撃した。アノールドも、全力で洞窟内を駆ける。

「よっと! ほっと! おわっとっと、危ねえっ!」

 水溜まりを跳び越えて着地時に転倒しそうになりながらも走るアノールドに、水溜まりを弾きながら突き進むロックタートル。

 それを見ていたミュアは、先程ロックタートルが通過した水溜まりがある場所へ立ち、静かに目を閉じて息を整える。手に持った短刀を水溜まりに突き刺し―――バチチッ!

「コッチだよぉ! おじさぁんっ!」

 ミュアの掛け声に反応して、アノールドがロックタートルを水溜まりがある場所へと引き連れてくる。今、ミュアの前方は水浸みずびたしになっている。ロックタートルが通過して水溜まりの水を飛び散らせたことで、この光景はできあがっている。

 アノールドが、水浸しの地面の前で《風の牙》を地面に放って、その衝撃で上空へと大きくジャンプする。アノールドの下を、そのまま通過し水浸しゾーンに入ったロックタートル。

「……ありったけの力でぇっ!」

 カッと眼を見開いたと同時に、ミュアの身体から凄まじい雷がほとばしる。それが短刀へ注がれ、短刀から水溜まりへと流れていく。水浸しの地面にも水溜まりを伝って雷が流れ、その上にいるロックタートルの身体にも雷撃となってダメージを与える。

 ミュアの攻撃によって、動きを止めたロックタートル。数秒後、雷撃が止んでも痺れているのか呻う《うめ》き声を上げながら停止中だ。

 そんなロックタートル目掛けて、地面に下りてきたアノールドが、大剣に風を纏い、地から天へと大きく突き上げる。

「《風陣爆爪ふうじんばくそう》ぉぉぉぉっ!」

 巻き上げられた風は、抵抗できないロックタートルの身体をフワリと浮かせて舞い上がらせる。そして天井に激突したロックタートルは、甲羅を下にしたまま落下してきた。

 引っ込めていた首もニョロリと出てきて、見たところ意識を失っているよ

うだ。すかさずアノールドがトドメの一撃で首をった。

「よっしゃあっ! クエスト達成だーっ!」

「やったぁーっ!」

 アノールドとミュアが互いに抱き合いながら喜ぶ。これでララシークから言い渡された課題をクリアできた。

「あっ、こんなことしてる場合じゃないよ、おじさん! 早く討伐部位を取って、ミミルちゃんを頂上へ送り届けなきゃ!」

「あ、そうだった!」

 そこからは迅速じんそくに行動することにした。この【アロンドラ山】での仕事をすべて片づけたミュアたちは、恐らく待っているであろうレッグルスがいる頂上付近へと急いだ。

 途中、何度もモンスターに出くわして時間を取られたが、捜索隊であろうレッグルスの部下の人たちとも遭遇し、事情を話した結果、一緒に馬車がある頂上へと向かった。

 そこには血相を変えていたレッグルスがおり、ミミルの姿を見て大喜びして抱きしめていた。助けたミュアたちは王子から頭を下げて礼を言われて恐縮する。

 ミュアたちも【アロンドラ山】での仕事が終わったので、一緒に馬車に乗って国へ帰ることになったのだが、雨のせいでぬかるんだ道を行くのは、馬車でも結構な時間がかかってしまい、国が見える頃には夕方になってしまっていた。



 ミュアとアノールドのお蔭で、何とかレッグルスと再会できたミミル。しかし馬車を走らせて国へ帰り、ライブに間に合うのは恐らくギリギリ。

 ミミルは両手を組んで神に祈る。どうか、間に合ってください―――と。

 だが日は徐々に沈みかけ、いつもキレイだと思われていた茜色あかねいろの空が、今

は憎らしくなってくる。

 傍にいるミュアたちは、大丈夫だよと気遣ってくれるが、すでにライブ開始の時間は過ぎてしまっていた。

 予告の時間より一時間も遅くなっての到着。

「な、何か不自然に感じるほど、静まり返ってない?」

 ミュアの言う通り、国の灯りが普段はそのようなことは決してないのに、全部消されている。

「とにかく急ごうっ、ミミルちゃん!」

「は、はい!」

 ミュアに手を引かれて、《始まりの樹・アラゴルン》がある場所へ向かう。そこには大きなステージがあり、裏手に回ったミミルたちを待っていたのは、獣王レオウード・キングだった。

 彼はミミルの姿を見ると、「うむ」と頷くと、指をパチンと鳴らす。するとまるで花火でも上げたかのように、一気に周囲が明るくなる。

 そして唖然あぜんとしてしまっているミミルの頭にそっとレオウードが手を乗せて言う。

「よくぞ帰った」

「おと……うさま。…………ですが、申し訳ありません……。約束のお時間を守れなくて……皆さんの……期待を……裏切ってしまいました……っ」

「ガハハ! 裏切ったかどうかは、ステージに上がって確かめてみよ」

「……え?」

 レオウードに背中を押されて、ステージに設置されている階段を昇ると

――

 ―――――うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!

 大気を割り、耳をつんざく歓声。ステージの前には、数え切れないほどの人たちが大手を振っていた。口々に「ミミル様―!」や「待ってました

よぉ!」など、ミミルの帰還を喜ぶ声が飛び交う。

「みんなね、ミミルの帰りを待ってたんだよ」

「クーお姉さま……」

 隣に立つ第一王女のククリア・キング。にこやかに笑みを浮かべた彼女が教えてくれた。

 レオウードが、ステージに上がり、ミミルの現状を皆に報告していたという。その際に、国王である彼が一同に頭を下げたというのだから驚きである。

 しかしそのお蔭で、こうして遅れながらも皆はミミルの帰りを信じて待っていてくれたのだ。

「ミミルちゃん!」

 ステージの脇からミュアの声が届く。

「頑張ってっ!」

「…………はいっ!」

 感謝の気持ちでいっぱいだ。自分がどれだけ多くの人に支えられて、ここに立てているか、これほど実感する日はない。

 だからミミルは歌う。もうここには笑顔しかいらない。そして自分の歌で、ここにいる者たちをもっと笑顔にするんだという気持ちを込めて―――。

 楽器の音がリズムを刻み始める。色とりどりの灯りがステージを照らし、観客が活気を与えてくれる。

 そう、今はただ、歌うだけ。

 ねえ、今……聞こえてるかな――この気持ち、胸が震える

 時には寂しくもあるけれど―――でもまたこうして出会える

 その喜びを、歌にたくし――――みんなに届けるよ――

 鳥たちも口ずさみ―――――――花も揺れ、笑顔が溢れる

 だからわたしも歌うの―――――この風に乗せて

 ありがとう――ありがとう―――わたしの歌を聴いてくれて

 ありがとう――ありがとう―――この想い、伝わってるといいな

 一緒に歌おう、喜びの歌

 気持ちの良い風が、ミミルの歌を優しく皆に届けてくれる。

 歌えて良かった。ミミルはこの日を決して忘れはしないだろう。



 ミュアとアノールドは、ステージの脇から、輝きを放っているミミルを見守っている。

「良かったね、ミミルちゃん」

「そうだな、俺らも間に合って良かったぜ」

 そこへララシークが近づいてくる。

「あ、師匠」

「お師匠様……」

 グビグビッと、こんな華やかな場で酒瓶を傾け飲んでいるララシーク。

「はい。これが討伐部位です」

 袋に入れておいたロックタートルの討伐部位である、《ロックタートルの尾》を見せる。

「……? 何だこれは?」

「な、何だこれはって、師匠がクエストをさせたんでしょうが!」

「……そうだっけ?」

「ま、まさか師匠……覚えてないんじゃ……」

「……ナハハハハハ!」

「笑って誤魔化さないでくださいよ! コッチは何日もかけてようやく狩ってきたってのにィッ!」

 どうやら二日酔い時の彼女は、意識がハッキリしていなかったらしく、クエストを依頼したのを忘れてしまっていたらしい。

(はぅ……そんなことってあるのぉ~)

 ミュアもガックリと肩を落とす。

(……ううん、でもクエストがあって良かったよ)

 ミュアは嬉しそうに歌っているミミルを見つめる。

(もし、わたしたちがあの場にいなかったら、こうしてミミルちゃんは歌えていなかったかもしれないんだもん)

 そう考えると、本当にクエストがあって良かったと思う。

 アノールドはいまだにガミガミとララシークに説教しているみたいだが……。

 ミミルの歌を聴くだけで、疲れていた身体が癒されていく。

 だからミュアは思う。

(歌って、いいなぁ)

 この日は、【獣王国・パシオン】にとって、笑顔溢れる最高の一日になった―――。

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