ep11.イヴェアム・ストーリー ~魔王と側近の絆~

 イヴェアム・グラン・アーリー・イブニングが物心ついた頃には、すでに両親という存在はいなかった。

 家族―――血のつながりをそう呼ぶのであれば、イヴェアムにとって家族は、歳の離れた兄が一人いるだけだ。

 ただ兄とはほとんど面識などなく、会話をすることも誰かを介してというパターンが多かった。幼いイヴェアムには、その理由が分かっていた。

 何故なら兄は【魔国まこく・ハーオス】を治める魔王で、日々多忙を極めていたからだ。無論寂しさはあった。家族が自分に見向きもしないという形に不満を持つことも、普通の子供として当たり前のように感情として持っていたのだ。

 しかし兄が魔王だということに誇りもあった。

 今、この【イデア】という世界は、人間、獣人じゆうじん魔人まじん精霊せいれいと四種族が存在し、精霊を除き、最初の三種族は、三つの大陸にそれぞれ住み分けて暮らしている状態である。

 互いに過去からの怨恨えんこんにより、憎しみ合っている間柄だ。戦争ばかりを繰り返している。そんな中、兄は『魔人族』の頂点に立ち、皆を守っているということに、イヴェアムは誇らしい気持ちでいっぱいだった。

 だから決してままを言わずに、物心ついてからもずっと一人で我慢してきた。遊ぶことも勉強することも一人で……。

 だがある日、そんなイヴェアムに転機てんきが訪れる。イヴェアムとよく話して

くれるアクウィナス・リ・レイシス・フェニックスという人物がいるのだが、その人物が、一人の女性とともにイヴェアムの自室へとやって来たのだ。

「アクウィナス? ……誰、その人?」

 女性の容貌ようぼうは、雪のように真っ白な髪を持ち、感情の見えない瞳を宿していた。歳の頃は二十歳に届くか届かないか……といったところだろうか。

 最初の印象でいえば、酷く冷たい氷のような人……だった。

陛下へいかから姫にと」

兄様あにさまから……わたしに?」

「そうだ。これからは、この者が姫の側近となり世話をする」

 アクウィナスが普段通りの憮然とした態度で説明をしてくれた。

 今まで兄からプレゼントをされたことなどない。だから兄が自分を気にかけてくれたことが素直に嬉しくもあった。

 ただ、いきなり知らない人をあてがわなくてもいいのでは、と首をかしげる気持ちも無きにしもあらずなのだが。

「お前も挨拶あいさつをしろ」

「はい。初めまして姫様、私はキリアと申します。この度、姫様の側近に任命されました。誠心誠意お仕え致しますので、どうかよろしくお願い致します」

「あ、う、うん……」

 能面のような表情で丁寧ていねいな挨拶をするキリアに、少し圧倒された。城の中にいる兵士たちも、敬語を使うが、やはり魔王の妹ということなのか、萎縮し、緊張して言いよどんだり眼が泳いだりするのだ。会話も端的なもので、すぐに終わることがほとんど。

 しかし彼女にはそんな様子は微塵みじんも無かった。まるで機械のようにそこに立ち、決められた言葉をただ音にしただけといった感じ。萎縮も緊張も見当たらない。

 だから本当に最初の印象は、「何だこの人?」という不可思議さを覚えたものだった。

 それがキリアとの最初の出会い。

 イヴェアムが五歳の頃の出来事だった。


「はあっ!」

 大地を蹴り出し、両手に持っている木剣もつけんで、目の前に立つ相手の右肩周辺を狙い突き出す。しかしターゲットはスッといなくなり、視界がグルンッと一回転する。

「きゃっ!?」

 背中から地面に落ちて肺から空気が吐き出される。

「うぅ……痛い……」

「まだまだですね、姫様」

 倒れたイヴェアムを見下ろすのはキリアである。今、彼女と一緒に模擬戦もぎせんをしていたところ。せっかく一撃を与えられるかと思ったが、呆気あつけなくかわされ気づいたら倒されていた。先程から―――いや、修練を始めて今までずっとこの調子である。

 上半身を起こして、口を尖らせながらキリアをジト目でにらみつけた。

「う~少しは手加減してよぉ、キリアァ~」

「何を抜けたことを仰るのですか。あなた様は陛下の妹君であらせられます。故にその身に秘めている力は絶大。しかしなまけていては、いつまで経っても成長致しません。持っている力もただの宝の持ち腐れとなるだけです。力はきたえてこそ意味があるのですから」

「……キリアのお説教タイムがまた始まった……」

「何か仰いましたか?」

「いいえ、何も言ってませ~ん!」

 イヴェアムはゴロンと横になると、大きく溜め息を吐く。

「あ~あ、私に戦闘センスなんてないと思うけどなぁ」

「そんなことはございません。あなた様は現魔王の血を引くお方なのですか

ら」

「ウ~ン、でも魔王の後を継ぐのは、兄様の子供だと思うし、私に戦闘センスとかいらないと思うんだけど……」

「ですが陛下にはご子息はおられません。そのような弱気なことを言っておられると、もし魔王を継ぐことになった時、大慌て致しますよ?」

「そんなことにはならないわよ。だって兄様は歴代の魔王の中でも初代様に次いで強いって言われてるじゃない!」

「それでもこの世の中、何が起こるか分かりません。鍛えておくに越したことはありませんよ?」

 いつもこれである。キリアは何かというとイヴェアムが魔王になったことを想定して話を始める。確かに今の世の中、戦争に負けてしまうと殺されてしまう可能性は高い。

 しかし現に兄は戦争に勝ち、最低でも引き分けに持ち込み、命だけは守り通している。文武両道、鬼才、天才などと、常人がうらやましがる肩書かたがきを、兄はこれでもかというほど背負っているほどの人物。

 そんな兄が簡単に誰かに負けて死んでしまうようなビジョンなど見えてこない。

(あのアクウィナスだって、陛下を殺せる奴はいないだろうなって言ってるし……私が魔王を継ぐような事態なんて絶対こないわよ。ていうか絶対にこないでほしい)

 万能過ぎる兄の後釜あとがまなんて勘弁かんべんである。能力的に見劣りするイヴェアムなどに、上手い治世ちせいができるわけがないのだ。少なくとも民たちは比較して、確実にそう思うだろう。

(それに戦争の指揮なんて絶対したくないもん)

 人が死ぬなんて見たくはない。そんな残酷な物語は、外の世界だけの話で留めておきたいのだ。自分の目の前に持ってこないでほしい。

(私は、何事もなく平和に暮らせればそれでいいんだから)

 その平和を維持しているのが、周りにいる者たちだということを、イヴェアムはこの時、まったく理解できていなかった。

「さあ、続きを始めましょう」

「え~まだ休みたいよぉ~」

「はぁ、姫様ももう十歳になるのですから、少しは威厳いげんというものをお持ちになって頂きたいです」

「……あっ、ならキリアが笑ってくれたら私も少しはイゲン出すわよ!」

「……どういう関係があるのですか?」

「だってぇ、キリアってば、出会ってから一度も笑ってくれてないし」

「臣下の身でありながら、姫様の御前ごぜん無作法ぶさほうに笑うことなどできません」

「いいじゃない。私が許可するから!」

「……さあ、鍛錬たんれんの続きを致しましょう」

「あー、話そらしたーっ!」

 何だかんだいって、この状況を楽しんでいた。鍛錬は辛いけど、今までずっと一人だっただけに、キリアとの日々はイヴェアムの心を豊かにしていく。

 そしてそれは、生涯しようがい変わることなく、こんな日が続いていくのだろうと漠然ばくぜんと考えていたのだ。

 しかしそれは五年後、呆気なく打ち崩されることになる。


「―――え? い、今なんて言ったの……キリア?」

 聞き間違いだと思った。いや、そう願った。

「ですから、先日陛下が崩御ほうぎよなされました。よって、新たに姫様が魔王を引き継がれることと相成あいなりました」

「嘘……でしょ? そ、それじゃ最近城の中で蔓延はびこってるうわさって……本当だったの?」

 最近現魔王である兄が何者かに殺されたという噂が城中に流れていた。しかし兄が死ぬなどということは有り得ないと勝手に思い込んでいたイヴェア

ムは、どうせ誰かが流したデマだろうということで処理していた。

 敵国のスパイなどが、国中に不安を与えるために広めたものだと思っていたのだ。

 そういう見解に至ったのも、側近であるキリアに聞いて、根も葉もない噂だと知らされていたからだ。今も陛下は忙しく日々を過ごしていると。

「今まで秘密にしていてすみません。ですがこれは非常にデリケートな問題でもありまして、こちらとしても陛下の死の原因を探るためでもありました。下手に口にすれば民たちにも動揺が広がると思い、箝口令かんこうれいが敷かれていたのですが……。人の口に戸は立てられないとはよく言ったものですね」

 どうやら兵士たちの中で、魔王の死の事実が流れてしまっていたということらしい。

「じゃ、じゃあ兄様はもうずっと前に……?」

「はい。五日ほど前に、陛下の死体を発見しました」

「そ、そんな……!?」

「姫様にご報告が遅れてしまい申し訳ありませんでした」

 悲しい……。そう、悲しいという気持ちは確かにある。だが何故だろうか、それほど胸にポッカリと穴が開いた感覚はなかった。涙も出ない。

 考えてみれば、それは自然なことなのかもしれない。兄とはこれまで数えるほどしか顔を合わせておらず、一方的に話を聞かされるばかりで、会話という言葉のキャッチボールをした覚えなどない。

 そのため、本当に身内なのかということ自体も疑わしくなるほどの繋がりでしかなかった。魔王として『魔人族』を束ねているという事実は誇らしくはあったが、それでも必要以上に、感情が兄へと向くことはなかったのだ。

 だから彼が死んだと聞かされても、無論悲しくはあったが、激情にかられるほどの衝撃よりも戸惑いの方が大きかった。

「で、でも何で私が次の魔王なの?」

「それはごく自然の流れかと存じ上げますが……」

 キリアが一通の手紙を手渡してきた。

「これは陛下の自室にあった任命状です」

「任命状……?」

「もしかすると、陛下はご自分が殺されることを予期していたのかもしれません。陛下には敵が多かったですから。敵味方問わずに」

「……え? て、敵味方問わず……って?」

 聞き捨てならない言葉が聞こえたことで、イヴェアムは彼女の顔をつい見入ってしまう。

「姫様には何も知らされていませんでしたが、陛下の治世には不満の声も多くあったのです。力こそすべて。力が正義を成しうるという理念のもと、かなり強引な政治もなさっておられましたし、敵国に関しても、そして味方に関しても厳しい方でありましたから」

 そのような話は初めて聞く。そもそも戦争に関することや、政治に関することなど、イヴェアムには何一つ知らされていないし、イヴェアムもまた知ろうとしなかった。

「それにアクウィナス様からの言いつけで、姫様にはそういった黒い部分を知らせずに日々を送らせる約束でしたから」

「……どうしてアクウィナスは、私に何も知らせてくれなかったの?」

「……知らない方が幸せなことがあると、アクウィナス様は仰っていました。それだけ姫様のことが大事なのでしょう」

 アクウィナスはぶっきらぼうで、基本何を考えているか表情を見ただけでは分からない。だが定期的に会いに来て、悩みなどがないか、暮らしには不満がないかなどと、まるで自分の娘でもあるかのように接してくれた。

 そんな彼を、イヴェアムは兄のように感じていたこともある。実際に接していた兄よりも、彼の方がずっと兄らしいことをしてくれていたのだから。

「…………本当に私が魔王を継がないと……ダメ?」

「はい。あなた様しかおりません」

「アクウィナスは何て言ってるの?」

「……実は《魔王直属まおうちよくぞく護衛隊ごえいたい》――《クルーエル》の中で、アクウィナス

様とマリオネ様だけが、姫様の魔王継承を快く思っていらっしゃいませんでした」

 魔王を直々に警護する六人だけの部隊――《魔王直属護衛隊クルーエル》。その中で強い者順に《序列一位》、《序列二位》、《序列三位》と与えられていくのだが、アクウィナスは一位で、マリオネは二位なのだ。

 その二人が渋い判断をしているのなら、イヴェアムが魔王になるということは流れることもあり得たはず。

「ですが、やはり陛下がのこされた任命状が決め手でした。元来、次代の魔王の引き継ぎは現魔王の任命によって決まってきていますので。書状がある以上は、それに従うのがこの国のルールでもあります」

「そんな……私に魔王が務まるわけないじゃない」

 何も知らなかった。何も知ろうとしなかった。ただ平和に今まで生きてきただけ。辛いことなど一切知らず、外での戦争にも目をつぶり見ないようにしてきた。

 見てしまえば、心が痛くなるから考えないようにしてきたのだ。自分には関係ないからと。それなのに突然、これからは矢面やおもてに立てと言われて、すぐに首を縦に振れるような人生経験などしてきていない。

「嫌よ! 私が皆の上に立てるわけがないわ! 無理よ! 無理っ!」

「現実を見てください。近々、魔王継承の儀が行われます」

「何もかも急過ぎよっ! 何も知らなかったのよ!」

「これから知っていくのです」

「だ、だって今……戦争をしてるんでしょ?」

「はい。あなたの采配さいはい次第では、多くの血が流れます。下手をすれば、『魔人族』が滅びます」

「絶対嫌よっ! そんな……そんな重い責任なんて背負えるわけがないじゃないっ!」

 イヴェアムはそのままテラスから飛び出す。背中から黒い翼を生やして、全てから逃げるように。

 イヴェアムがやって来たのは城の近くにある小高い丘の上。そこは花畑が広がっており、海を一望できる絶景スポットである。

 ここはイヴェアムのお気に入りの場所であり、いつも悩んだり困ったことがあったらここに来てリフレッシュするのだ。

 花畑の近くにある大岩の上に座り込んだイヴェアムは、ジッと水平線を眺めていた。先程キリアから聞いた話など夢物語に思えるような静けさである。

「どうして私なのよぉ……無理よぉ…………だって私、何も……できないもん」

 戦闘訓練でも、いまだにキリアには勝てないし、勉強はしているけれど、知識量でもキリアやアクウィナスの方が絶対的に上。

 彼女たちに勝っている部分が自分にあるとは到底思えないのだ。彼女たちの誰かが魔王をした方が、明らかに自分より素晴らしい国にしてくれるはずだ。

「いきなり人の上に立てって言われても……兄様みたいに、人に命令なんてできないよぉ」

「やはりここへ来られていたのですね」

 そこへ背後からキリアの声が聞こえて振り向く。イヴェアムを追ってやって来たらしい。

「キリア……」

「皆も最初から姫様に多くは求めないでしょう。何故か分かりますか?」

「…………どうして?」

「期待していないからです」

「うっ……」

 グサッと心に突き刺さる言葉。理解している言葉でも、こうして実際に言われれば結構悲しいものである。

「ですが、それでいいのではないですか?」

「え?」

「確かに陛下が示した道は、一つの王の道ではありました。支持する者もたくさんおりました」

 兄はやはり何だかんだいっても立派な魔王だったのだろう。現に今まで同志を守り抜いているのだから。

「ですが今の皆が求めているのは、陛下の治世ではありません」

「……?」

「陛下は……前魔王様は味方すら信頼されないお方でした」

「え……そうなの? どうして?」

「さあ、前魔王様は何もかもご自分一人でなさっておられましたから。仲間の声も聞かずに、自分が正しいと思われる道を突き進むようなお方」

 そう言うキリアの横顔は、どことなく寂しげで悲しみを含ませていた。

「そのため、味方を手にかけたり、汚いといわれる手段で敵を殺したこともあります。故に前魔王様には多くの敵がいました」

「味方を手にかけたって……そんなことを兄様はしてたの!?」

 まるで初耳だ。仲間を殺していたなどと、誰が予想できただろうか。

「自分に逆らう者は、たとえ味方でも容赦ようしやのないお方でした。だからこそ、城の兵士たちも必要以上に姫様にも近づきはしなかったのですよ」

「……私の機嫌をそこねたら、兄様に殺されるから?」

「そう思った兵士も多々いるでしょうね」

 そこで思い出す。

(そういえば、幼い頃から兵士たちに声をかけても、対応がすごく機械的だったかも……)

 絶対に粗相そそうをしてはいけないと命まで懸けていたような対応だった。アレは冗談ではなく、本当に命を懸けていたのかもしれない。

 そう考えると、必要以上に自分に近づいてこなかった者たちの気持ちがよく分かる。誰だって、少し機嫌を損なえば殺されてしまうかもしれない相手に近づきたくはないはずだ。

「……アクウィナスたちは、それでも兄様を支えていたのよね?」

「どうでしょうか……前魔王様のやり方に、先に反対されたのもアクウィナス様でした」

「で、でもアクウィナスは殺されていないわよね?」

「さすがに『魔人族』最強の名を持つ彼を殺すことは難しいかと。それとも前魔王様は、彼を殺さない方が良いと考えていたのかもしれません。彼を慕う兵士や民は多いですから」

 もし殺せば多くを敵に回してしまうと考えたということだろうか……。

「……兄様のことは分かったわ。正直、今もまだ信じられないけど、兄様は非常に強引な治世をしてたってことなのね?」

 キリアがコクンと軽くうなずく。

「だからこそ、我々が姫様に求めているのは、前魔王様のような治世ではなく、姫様の治世なのです」

「私の……治世?」

「無論一人にすべてを任せるわけには参りません。姫様には知らなければならないことが山ほどあります。失敗だってこれから数多くしてしまうでしょう。ですがそのために我々……私がお傍にいるのです」

「キリア……」

「民の心をつかむには、民を知らねばなりません。これからどのような王になられるかは分かりませんが、姫様ならきっと、素晴らしい王になって頂けると信じております」

「…………どうして?」

「はい?」

「どうして、キリアはそんなにも私を信じてくれるの?」

「ずっとおそばで見てきましたから」

「え……」

「姫様はお優しい。その優しさがあれば、前魔王様とは違った英傑えいけつになれると思っておりますから。ですから、姫様には、姫様の王道を進んで頂きたいのです」

 キリアの揺るぎの無い言葉。真っ直ぐな瞳。初めて会った時から変わらない無表情さではあるが、彼女が自分を気遣きづかってくれていることは伝わってくる。

 正直不安だ。いきなり王として民たちを束ねろと言われても自信なんか少しも無い。だけどキリアの言葉を聞き、少しだけ……ほんの少しだけ勇気が湧いたような気がした。

「…………本当に、ずっと支えてくれる?」

「ええ、いつまでも」

「…………うん、分かった。キリアが傍にいてくれるなら、私……ちょっとだけ頑張ってみる」

「それでこそ、新たな魔王です」

 それから一緒に城へと帰った。

 そして魔王継承の儀に、イヴェアムは出る決意をした。

 アクウィナスとマリオネは、イヴェアムがやる気だと知って渋い表情をしていたが、他の者たちは歓迎とまではいかなくとも素直に受け入れてくれた。

 イヴェアムの魔王就任は、決まり切ったことなので諦めているのかもしれない。マリオネはただただ、イヴェアムの実力では国を治めることなどできないと思っているようだが、アクウィナスはどうなのだろうか。

 魔王を継ぐ意志を示した時、彼からは、

『……そうか。辛い役目を背負わせてしまうな。すまない』

 と微かに悲しみに揺れる瞳を向けてきたのが印象的だった。もしかしたらアクウィナスは、イヴェアムの実力不足を嘆いているのではなく、ただ魔王という重荷を背負わせたくはなかったので渋い表情をしていたのかもしれない。

 だがもうイヴェアムも決心したことだ。

 数日後―――魔王を継承したイヴェアムは、もう引き返すことなどできはしない。

(私は魔王になったんだ!)

 民を導く存在へと。

 しかしアクウィナスから、民への報告はまだしないと言われた。ギリギリまで前魔王が死んだことは伏せておくということ。もしぎつけられれば、これをすきと考えて、他種族が一気に攻め入ってくることも考えられたからだ。

 だから相手がこちらの内情を知り得るその日までは、イヴェアムが魔王に就任したという事実を隠すことに決めた。その間に、イヴェアムは魔王として、必要な教養を身に着ける必要があり、今まで以上の激しい修練と勉強がキリアから施された。


「はい? 和睦わぼくの親書を送るですと?」

 魔王城の一室。そこでは魔王軍の上層部が顔を連ね会議―――魔国会議が行われていた。

 イヴェアムは《魔王直属護衛隊クルーエル》の面々に対し、少し物怖ものおじしながらある提案を出したのだ。それが各国への和睦親書の送付である。

 しかしそれに真っ先に反抗の意志を示したマリオネが、いかつい顔をさらに不審ふしんそうにゆがめて尋ねてきたのだ。

「他種族と和解ができれば、戦争をしなくてもいいわ」

「ハハハ、これまた安直な考えですな」

「ど、どういうこと?」

「我々の歴史は戦争の歴史なのですぞ? 過去から今に繋がっている憎しみの連鎖が、たかが和睦の親書程度で断ち切れるとお思いですか?」

「そ、それは……」

「一体何人の魔人が、人間に囚われ実験体になっているとお思いですかな? 何人の魔人が獣人に殺されているとお思いですか?」

 マリオネから感じる威圧感に、思わず喉が鳴る。

「姫……いえ、陛下はまだ戦争の指揮すらしておられん。奴らに殺された同志の無念が、たかが一通の書簡でキレイさっぱり無くなると? クク、笑わせないでほしいものですな」

「言い過ぎだぞ、マリオネ殿」

「黙れっ! 誰が貴様の発言を許可しておる! 《魔獣まじゆう》ごときが偉そうにワシに意見をするでないわ!」

 マリオネに対し発言したのは、《序列四位》のオーノウスという人物。青毛の狼が擬人化ぎじんかしたような姿をしている存在であり、魔人と獣人の間に生まれたハーフでもある。

 マリオネは純粋な魔人ではない彼を酷く毛嫌いしており、会う度に殺気をぶつけているのだ。

「じゃ、じゃあマリオネは、このまま戦争を続けた方が良いというの?」

「我々以外のすべての敵を滅ぼせば、自ずと魔人の世界だけが残るではありませんか。これぞ平和に繋がる一本道でしょう」

「そ、そんなこと……」

 それはあまりに極端な考えである。

「確かにあなたの言う通り、争う相手を滅ぼし尽くせば、争う存在がいなくなって平和になるかもしれないけど……それって、本当に平和を手に入れたって言える?」

「言えるではありませんか! そうなれば誰も争わずに済む。我々の憎しみも晴らすことができる。すべてが上手くいくではありませんか!」

 彼はあまりに復讐ふくしゆうりつかれているような気がする。確かマリオネの妻と子が、獣人に殺されたらしいが、その時から彼は敵に対して容赦がなくなったらしい。特に獣人には。

「それに和睦など、相手も呑むわけがありませんぞ」

「そ、そんなことやってみないと分かんないわよ!」

「ハハハ、では一度戦場に出られてみては? あなたの姿を大っぴらにすることはできませんので指揮はさせられませんが、戦争というものがどれほど残酷なものか、その眼でご覧になられよ。そうすれば陛下も理解できるはずですぞ。憎しみというものが」

 そこで会議は終了した。この続きは、イヴェアムが次の戦争に参加して、現状を把握してからということになった。


 地獄。そう―――そこには地獄が広がっていた。

 舞う血飛沫ちしぶき。飛び交う怒号どごうと悲鳴。地面は数え切れないほどの死体で埋め尽くされている。中には身体を切り刻まれたり、炎で身を焦がされたりと、原型を留めていないものもあった。

 イヴェアムはそんな光景を目にして、胃の中から押し出される熱いものを大地へと吐き出してしまう。

「うぐ……ぐぅぅ……っ!?」

 これが戦争。命のやり取り。負ければ死に、勝ってもそれは、味方の死の上に成り立ったもの。いや、味方だけではない。勝利も敗北も、全ては死がいしずえになって築かれているものだ。

 マリオネに言われた通りに、攻めてきた人間たちとの交戦に、イヴェアムも顔を出すことになった。出すといっても遠くで戦場を眺めているだけの立場ではあったが。

「大丈夫ですか、陛下」

「キリ……ア……あ、あなたは平気……なの?」

「……私にとって戦場は初めてではありませんから」

 淡々と述べる彼女の表情からは感情が読み取れない。自分だけが気分を悪くして青ざめている姿は、何となく気恥ずかしささえ覚える。

 他の者の中で、今のイヴェアムのような様子を見せている者は誰ひとりとしていないのだ。誰もが戦場の緊張感に包まれて厳しい顔つきをしたまま戦っている。

(これが……戦争なのね……。こんな酷いのが……!)

 容易く刈り取られていく多くの命。それまで生きてきたすべてを無にするような行為にしか、イヴェアムには思えなかった。

 無論、魔人――同志を殺していく人間に対し怒りは覚える。仲間が殺されているのだから当然の感情だ。

 しかしそれよりもイヴェアムの胸中に渦巻いているのは――――悲しみだった。

(どうして? どうして人は、こんな悲しいことばかり繰り返すの?)

 命の悲鳴が聞こえる。もっと生きたかった。もっと大切な人たちの傍にいたかった。そんな後悔の念が痛烈にイヴェアムに届く。悲鳴とともに。

 マリオネは言った。戦場に出れば、憎しみが理解できるだろうと。人間に対して、獣人に対して、怒りを覚えるだろうと。

 確かに憎しみは覚えた。怒りを覚えた。

 しかしそれは他種族に対してのものではなく、――――戦争に対してのものだった。

 現実から今まで眼を逸らしていた自分が急激に恥ずかしくなっていく。自分が平和に暮らしていた外では、こんな悲劇が広がっていることに気づかなかった。いや、気づこうとしなかったのだ。

 その時、イヴェアムの中で答えは決まった。

(何としても、戦争を終わらせなきゃ! 戦いなんて、何も生まないわ!)

 生むとしたら憎しみと悲しみ、そして痛みだけだ。

「キリア……」

「どうされましたか?」

「……私は決めたわ」

「はい?」

「……私は私にしかできない王をやる」

 彼女に宣言したのは、自分が逃げ出さないために必要だと思ったから。そうすることで、自分が進むべき道を示したかったのかもしれない。


 戦争が終わり、イヴェアムは青い顔のまま城へと帰還した。そして休む間

もなく、《魔王直属護衛隊クルーエル》の面々を会議室へ集結させた。

 そこでイヴェアムは、自分の考えを述べる必要があったからだ。

「何ですとっ!? やはり和睦の道を選ぶ!? 正気ですか、陛下!」

 イヴェアムの考えは先に行った魔国会議で発案したものと変わらなかった。いや、戦争を眼にして、その想いはより一層強くなったといっていい。

 しかしマリオネは当然のごとく眼をき怒鳴ってきた。

「正気よ。私は争いのない道を選びたいの」

「あなた様は……あのように同志を殺されてもなお、奴らと手を結べると本気でお考えなのですかっ!」

「あなたの気持ちも理解できるわ」

「いいや! 理解などできてはおりません! できていると仰るのならば、そのような戯言たわごとが出てくるわけがありませんぞ!」

「理解はできるわ。けど納得することはできないの」

「む? どういうことですかな?」

「あなたは人の歴史は戦争の歴史だって言ったわね」

「事実、過去がそれを証明しておりますからな」

 確かに人類の歴史を紐解ひもとけば、争いの歴史ばかりである。

「でも、今生きる私たちが、その歴史を繰り返す必要なんてないのよ」

「む……」

「歴史は作ることができる。今までが争いの歴史ばかりだというのなら、私たちの代で平和の歴史を作ればいいだけよ」

「そのようなことが可能だとでも?」

「難しいのは分かっているわ。だけどつかもうとしなければ、平和なんて掴めないのよ」

「ですから以前にも申し上げたように、敵をすべて滅ぼせば平和などすぐ目の前に――」

「そんなもの平和なんかじゃないわ」

「なっ……!」

「争いの上に成り立つ平和なんか、絶対あってはダメなのよ。私は今回、戦場を見て思ったの。命はもっと素晴らしいものだって」

 皆がイヴェアムの話に耳を傾けて黙っている。

「それが一瞬にして奪われるのよ。その人が今まで生きてきた人生が、たった一瞬で失われるの。そんなの……悲し過ぎるわ」

「で、ですから敵を殲滅せんめつすればそのような悲しみなど……」

「命に区別はないわ」

「く、区別?」

「魔人も、人間も、獣人も、そして精霊も、同じ命を持ってるのよ」

「……陛下は、すべてを救う道を選ぶということですか?」

「そうよ」

 その時、マリオネがスッと立ち上がり、部屋の出口へと一人向かう。

「どこへ行くの、マリオネ?」

「……はぁ、陛下はまだまだ甘いようです。人の感情というものは、そんなに簡単ではありませぬ」

 それだけ言うと、マリオネはさっさと部屋から出て行ってしまった。

(……それでも私は――――)


 イヴェアムが戦場に出てから数日が経ち、一人で街の視察に出てきていた。

 キリアにも何も言わずに城を抜け出してきた。あとで怒られることは分かっているが、こういう行動も初めてではないので、キリアもそろそろ諦めて許してくれるかもしれない。

 最近、お気に入りの食べ物屋を見つけて、こうして街に出ると決まってそこでお茶を飲んでから、街の様子を見て回るのがイヴェアムのお決まりルートになっている。

 今日も同じように店に直行していた時――――背後から何者かに襲撃を受け、手錠てじようめられてしまう。

「な、何をっ!?」

 見れば顔に布を巻いて目だけを出している数人の人物がいた。魔法を使って反撃しようとするが……。

(そんなっ、魔法が発動できないっ!?)

 そこでハッとなって手首に嵌められた手錠を見る。

(もしかしてこれって、魔封まふうじの――――っ!?)

 その時、首筋に衝撃が走り、身体から力が抜けてしまう。

「キリ……ア…………」

 いつも傍にいる側近の名を呼ぶが、意識は徐々に闇の中へと沈んでいく。

 意識を失ったイヴェアムを運んでいく者たちを、まるで彼らに見つからないように静かに跡をつける存在がいた。

 それは緑色をした、一羽の小鳥だった―――。



 魔王城の通路をキリアは、普段と変わらぬ無表情を保ちながら歩いていた。しかしその速度は若干普段より速度が増していて、どことなく不機嫌そうな雰囲気を漂わせている。

 そんなキリアの歩く先から、紅い髪をなびかせた男が逆向きに歩いてきた。

「む? どうした、キリア? 何か慌てているようだが?」

「アクウィナス様、いえ、すみません。実は陛下が見つからなくて」

「またか。どうせ城下に行っているのではないか?」

「そう言えば、最近美味しい店を発見したと仰っていましたね」

「部下に捜しに向かわせるか」

「いえ、お手をわずらわせるのは忍びありませんので、ここは私が―――」

「あっ、アクウィナス様! こちらにおられたのですね! ご報告があります!」

 その時、兵士の一人が二人の前に現れてひざまずく。明らかに焦っている様子を

見せている。そのただならぬ様子に、二人も険しい顔つきを互いに見合わせてから、兵士に向ける。

「何があった?」

 アクウィナスの問いに兵士が「はっ」と返事をしてから話し出す。

「実はたった今、これが城に!」

 そう言って兵士が前に差し出したのは一通の手紙。

「これは…………テッケイルからの手紙か?」

 テッケイルというのは《魔王直属護衛隊クルーエル》の一人で《序列三位》に立つ人物であり、諜報活動をメインに、人間界と獣人界に潜伏して情報を収集している者である。

『陛下が何者かにさらわれたッス。相手は恐らく過激派の連中で、陛下の魔王就任を快く思っていないやからだと思われるッス。詳しくはここに書いてある通りッスから、よく読んで対応をお願いするッス』

 手紙を読み終えたアクウィナスとキリアは益々険しい顔つきを作る。イヴェアムが攫われたということは、国の一大事だ。

「この手紙は、テッケイルが常に陛下につけていた魔法生物によるものだな?」

「はっ! テッケイル様のつかわしになられた小鳥が慌てて帰って来たものですから、紙を用意したところ、その小鳥が紙に触れて文字化しました」

 それはテッケイルの作り出す魔法生物の特徴である。小鳥が収集した情報を、どんなものにでも文字化して文章に起こせる便利なもの。しかし一度文字化してしまうと、二度と元の小鳥には戻れない。

「陛下が囚われている場所はここに書いてあるな」

「すぐに向かいましょう」

「待てキリア」

 キリアが向かおうとした時、アクウィナスが制止の声をかける。

「どうされたのですか?」

「今、この城にはマリオネもいる。アイツにも声をかける」

「……しかし、今回の騒動は過激派。陛下の魔王就任を快く思っていない者たちの仕業です。ならばその手引きをしているのは――」

「マリオネかもしれないということか?」

「はい。手紙にはこうも書かれてあります。『ぞくは気絶させた陛下を見下ろし、和睦なんてされたら困るんだよと言葉をこぼしていた』と」

 和睦を快く思っていないのはマリオネも同じであり、イヴェアムの魔王就任も彼は納得していない様子だった。だからこそキリアには、この誘拐の黒幕がマリオネだと思えているのかもしれない。

 だがアクウィナスは静かに首を左右に振る。

「――安心しろ」

「はい?」

「マリオネにとって、陛下は娘みたいなものだ」

「……?」

「厳しく辛く当たるのは、陛下が可愛いからだ」

「そう……でしょうか?」

「それに、マリオネは決してこのような下卑げびた行為だけはしない。アイツは

真っ直ぐな男だ。やるなら真正面から堂々とやる」

「……そこまで仰るのでしたら、マリオネ様に関してはお任せ致します。私は先に陛下の元へ」

「そうだな。だが気をつけろよ」

 キリアは微かにあごを引くと、その場から急いで去っていった。残されたアクウィナスは、手紙を握りしめると、細い眼を更に細めていく。

「賊ども……好き勝手はさせないぞ」

 大気を震わせるような殺気に、跪いていた兵士は身体をただただ震わせていた。



 微かに話し声が聞こえてくる。ひんやりとした感触が頬を伝って全身に広がり、意識を覚醒させていく。

「う……うぅ……」

 ゆっくりとまぶたを上げる。揺れる視界の中、ぼんやりとした意識が徐々にハッキリとしていく。

「ここ……は……?」

 そこでようやく思い出す。自分に何があったのかを。街を歩いていると、奇妙な賊に襲われた。

 カチャリと金属音が鳴り、音のした方向である手元に視線を向ける。そのまま上半身を起こしながら大きく溜め息を吐く。

「私……誘拐された……?」

 ここはどこかの倉庫のようで、周りはシンプルな石造りで、何年も放置されていたような光景が視界に入ってくる。蜘蛛くもの巣や砂利など、一切掃除などをしていないところで寝かされていたことに、乙女として苛立いらだちを覚えてしまう。

 何とか脱出しようと試みるが、足も頑丈がんじようなロープで縛られているようで身動きができない。手首には魔法を封じる効果のある手錠のせいで、魔法が使用不可能になっている。

 天井付近には窓があるが、手錠の効果なのか翼も出すことができないので、この状態では空を飛んで脱出することもできないようだ。

「何とか、外と連絡が取れたらいいのだけれど」

「―――そりゃ無理な相談ですな、新魔王様」

 カツカツと足音を響かせて、数人がイヴェアムへと近づいてきた。

(一、二、三…………七人? この人たちが誘拐犯?)

 見覚えのある人物がいるかと思ったが、恐らく全員が初対面のはずだ。少

なくともイヴェアムには、彼らとの邂逅かいこうの記憶がない。

 真ん中に立つ赤い布を頭に巻いている、リーダー格っぽい男がニヤリと口角こうかくを歪める。

「初めまして、ご気分はいかがですか?」

 どうやら初めましてで合っているようだ。

「……最悪よ。あなたたちは何をしているのか、理解しているの?」

「ええ、もちろんですよ、新魔王様」

「ん? ちょっと待って、何で私が魔王だって知ってるの? それはまだ民には伝えていないはずよ?」

「ハハハ、人の口には戸を立てられませんよ。だから知ってる。あなたが魔王に就任したことも、そして―――――戦争を止めようとしてることもな」

「だ、だったら何でこんなことをするの? あなたたちだって、戦争に参加して命を無駄にしたくないでしょう!」

 すると男は鋭い眼差しをぶつけてくる。

「勘違いしないでもらいたい。我々は――――戦争を望んでるんだ」

「…………え?」

 今、彼は何と言ったのだろうか……?

「聞こえなかったのかな? 我々は戦争を望んでる。故に、あなたという存在が邪魔でしかないのですよ」

「ど、どうして……? だって……戦争が起これば人が……仲間が傷つくのよ?」

「だが、戦争をしなければ復讐を叶えることはできないでしょう」

「復讐……?」

「ここにいる者たちは、皆が人間や獣人に家族や恋人を殺された者たちです。だからこそ、戦争で奴らを殲滅することに生きがいを持っているんですよ」

 そこにいる者たちの瞳には、暗い炎が渦巻いていた。それは言葉にするなら憎しみの感情だろう。

「もし和睦などされたら、この怒りを、この憎しみを、どこに向ければいい

というのですか?」

「それは……気持ちは分かるけれど」

「ならば和睦という方法を選ばないで頂きたい。我々も本当なら、こんなことはしたくない。しかしもし、まだ和睦を選ぶというのであれば、ここであなたを始末することも辞さないつもりです」

 脅し……だろう。しかし彼らの瞳もどことなく不安の色が見え隠れする。彼らもまたこの行動が正しいと、ハッキリと感じているわけではないのかもしれない。

 男が懐から一枚の紙を取り出す。

「もし承諾してくれるのなら、この《契約の紙コントラクト・ロール》で契約を交わして頂く。無論、戦争を止めないという契約をね」

契約の紙コントラクト・ロール》というのは、その名の通り、書面に書かれた内容を強制的に順守させる効果を持つ。破れば寿命が削られるなどのリスクを背負うことになる。

(彼らは本気なのね……。だけど私は……)

 下唇を噛み、ゆっくりと顔を上げて、そこにいる者たちの顔を一人一人見回す。

「……そうね、あなたたちの言うことも正しいかもしれないわね」

「では、我らの要求を呑んで頂けるのですね?」

「いいえ、それはできないわ」

「なっ!? このままだと、あなたは死ぬかもしれないんですよっ!」

「それでも、私は和睦の道だけは譲れないの!」

「くっ…………ならば仕方ありませんな。……おい」

 リーダー格の男に声をかけられた部下らしい者たちが、「はい」と返事をしてイヴェアムに向けて右手をかざす。そしてリーダー格の男もまた同様に。

「……残念です。あなたなら……先王せんおうの妹であるあなたなら、先王と同じ道を歩いてくれると信じていたのですが」

 男たちの右手に魔力が集中する。魔法を繰り出すつもりだろう。いくら彼

らよりイヴェアムが強かったとしても、魔法も使えず防御態勢もできない無防備のままでは、まともに魔法を受ければ死んでしまう可能性が非常に高い。

「待ってっ! どうか話し合いをっ!」

「放てっ!」

 有無を言わさない男の掛け声で、一斉に放たれる火の玉。一つ一つは小さいが、集中攻撃を受ければ、イヴェアムの身体一つぐらい吹き飛ぶかもしれない。

 イヴェアムが咄嗟とつさに目を閉じ、来るべき衝撃に備えようとした時、パリィィンッと天窓を突き破って何かが侵入してきて、イヴェアムの前に降り立つ。

 音によって眼を開いたイヴェアムの視界に映ったのは―――

「キ、キリアッ!?」

 自分の一番頼りになる側近だった。イヴェアムをかばうように魔法に背中を向けて、両腕を広げて壁になり、その身で火の玉を受ける。

「ぐっ、うぅぅぅぅっ!?」

 キリアの痛みに歪む表情を見て、イヴェアムは彼女の名を叫ぶ。攻撃が止み、男たちも突然の闖入者ちんにゆうしやに言葉を失って立ち尽くしている。

 キリアはそのままグラリと膝を折るとイヴェアムに向かって倒れ込む。

「キリアッ!?」

「へ……いか……ご無事……で」

 バキンッとイヴェアムの手錠が壊れる。キリアが力任せに握り潰してくれたのだ。彼女は魔法は使えないが、こう見えても膂力りよりよくだけは《魔王直属護衛隊クルーエル》に引けをとらないほどある。

「しまったっ! おいお前らっ、早くトドメを刺せっ!」

 男たちが再び魔法を放とうとしてくる。イヴェアムはカッと目を見開くと、全身から膨大な魔力を溢れさせる。魔力によって、イヴェアムを拘束してい

たロープもブチブチと音を立てて千切れた。

「な、何て魔力だ……っ!? さ、さっさと魔法を放てぇっ!」

 イヴェアムの魔力量に完全に動揺している彼らが魔法を放ってくる。

「――――アイシクルストーム」

 イヴェアムの呟きに呼応するように、一瞬にして周囲を凍りつかせるような寒冷な竜巻が顕現けんげんし、火の玉を凍らせてしまった。氷属性の魔法で、自分を中心にして、吹雪のような竜巻を起こし、攻撃から身を守ることができる。

「くっ! ならこれでどうだぁっ! ボムド・フレイムッ!」

 男から放たれる巨大な紅蓮ぐれんの塊。凄まじい熱量が込められているのが離れていても伝わってくる。

「そのまま弾けてしまえぇぇぇぇっ!」

 しかしイヴェアムは慌てない。そっとキリアを寝かせた後、静かに立ち上がり右手を前方へとかざす。

「―――インペリアル・ゼロッ!」

 右手からズズズズズと広がる黒い煙のような物体が、飛んできた火球に触れた瞬間、シュンッと瞬きをする間もなく消失した。黒い物体とともに。

 闇属性の魔法。注がれる魔力に比例して強化され生み出される黒い煙は、それに触れた魔法を相殺そうさいすることができる効果を持つ。

「く、くそっ! 失敗だ! こんなに魔王が強いなんて! まだ小娘のはずだろっ! ええい、逃げろぉぉっ!」

 男たちが一斉にその場から出口に向かって逃げようとするが、その出口がいきなり爆発し、壁ごと崩れていく。男たちは転倒してしまい、唖然あぜんとして外を眺める。

 そこに現れたのは、アクウィナスとマリオネ、そして彼らが率いる部隊だった。どんどんと青ざめていく賊の男たち。

 マリオネがイヴェアムの姿を見て、その無事を確認しホッと息を漏らすが、すぐに表情を引き締めて賊たちを睨みつける。

「貴様らぁ、覚悟はできておるな? 我らが陛下に手を出した報い、この私

が身をもつて教えてやろう」

 マリオネから発せられる暴虐ぼうぎやくともいえる殺気に、男たちは震え上がり立ち上がることすらできずに地にせている。

「―――待って、マリオネ」

「……陛下?」

 マリオネの意識を賊から自分へと引き戻したイヴェアムは、彼に向かってこう言う。

「彼らを殺すことは禁じるわ」

「なっ!? 何を仰るのですか! 奴らが何をしたとお思いか! もう少しであなたは殺されるところだったのですぞっ!」

 イヴェアムの言葉に驚いていたのは仲間たちだけではなく、賊たちもだった。皆がほうけたようにイヴェアムを見つめている。

「私は、彼らがどうしてこんなことをしたのかを聞いたわ。その理由を聞いて、私なりに答えを示さなきゃならないって思ったの」

「は、はあ……」

「アクウィナス、キリアの治療をお願いしてもいい?」

「……ああ」

 アクウィナスが倉庫の中に入っていき、キリアを抱えると部隊の方へ戻っていく。イヴェアムも同じように部隊の方へ向かって、マリオネの傍に立つと、倒れている男たちに向けて頭を下げた。

「ごめんなさい!」

 突然の謝罪に対し、全員がきよを突かれたような表情をする。

「あなたたちの憎しみを本当に理解することはできないわ。だけど……だけどね、やっぱりそれでも私は和睦の道を選びたいの!」

 それが彼らの話を聞いて出した答え。

「納得できない人たちもいっぱいいると思う。私も魔王になってまだ日も浅いし、これからもみんなが満足できるような王になれるとは限らない。でも、私なりに精一杯やりたいと思ってる。みんなが戦争で傷つくところなんて見たくないの。キリアが……私の親友が言ってくれたわ。私には、私の王道を進んでほしいって」

 アクウィナスに運ばれているキリアが微かに目を見開き、アクウィナスに

 「少し待ってください」と小声で言い、立ち止まりイヴェアムの話を聞いている。

「だから私は、私の信じる魔王になるって決めたの。そこにはきっと不満や怒りも出てくると思う。事実、ここにいるマリオネは、どちらかといえば、あなたたちよりの考えを持っているもの」

 その言葉にマリオネはまゆをひそめる。もしかしたら賊と一緒にするなと言いたいのかもしれない。

「私の進む道は、『魔人族』が平和に暮らせる世界を創ること。魔王となった今、私にとってはあなたたち魔人はもう――私の家族だから。だからあなたたちが安心して暮らせる世界を目指したい」

「……だ、だったら、やっぱり戦争で人間や獣人を滅ぼした方が良いと思いますが?」

 リーダー格の男が、震える唇を動かして言葉を述べてくる。しかしイヴェアムは首を左右に振る。

「それじゃダメ。人を殺して得られる平和なんて、多分……それは真の平和なんかじゃないわ」

「真の……平和……」

「そう。復讐したって少し気持ちがスッキリするだけよ。そうじゃなくて、互いに手を取り合って、平和を目指したいの。だから……」

 イヴェアムは男に手を差し出す。

「あなたたちも、私に力を貸して」

「ま、魔王様…………しかし我々はあなたを手にかけようとした」

「こうやってぶつからなければ分からないことだってあると思うの。私はあなたたちのような人がいるんだって知れて良かった。こうして対話ができたことに感謝してるわ。けれど、やっぱり力ずくは、それよりも大きな力によって駆逐くちくされてしまうのよ。今のあなたたちのように。だからこそ、私は対話を望むわ。だって私たちはこうやって話し合うことができるんだもの」

 イヴェアムは彼らに笑顔を向ける。無論キリアを傷つけた彼らに対し、怒りがないかといえば嘘になる。だが、それでも彼らは人だ。考えることができるのだ。こうして話し合うことだってできるのだ。

 それがいつか和解へと繋がっていくと信じる。それが、イヴェアムの選んだ道。

「…………あなたは……真っ直ぐ過ぎます」

 リーダー格の男がゆっくりと立ち上がる。マリオネが素早く動き、イヴェアムの前に立つ。男がマリオネの前に歩を進めると、ゆっくりと両手を前に出す。

 その仕草の意味を理解して、マリオネは部下たちに彼らの拘束を命じた。そう、処刑ではなく拘束を……だ。

「陛下、一つご忠告を」

 リーダー格の男が口を開く。

「何?」

「……魔王を名乗るのであれば、もう少し威厳というものを身に付けることをオススメ致します。今のままではやはり、められるでしょうから」

「……ええ、きもめいじておくわ」

 賊たちは連行されていった。


「そうですか、マリオネ様も渋々了承してくれたわけですね」

 イヴェアム誘拐事件から数日後、キリアの傷も完全に塞がり、こうして二人で、イヴェアムの自室にあるテラスで紅茶を飲んでいた。

 あの一件があったからか分からないが、和睦の親書を各国へ出すことを、マリオネが了承してくれたのだ。まだ釈然しやくぜんとしていない様子ではあったが、とりあえず試してみれば良いのではないかといった具合に認めてくれた。

「しかしキリア、あの時は無茶をし過ぎだぞ」

「……その話し方、やはりあまり似合いませんね」

「なっ……しょ、しょうがないでしょ! まだ慣れてないんだから」

「戻っていますよ、口調が」

「……キリアの意地悪」

 賊に威厳が無いと言われて、まずは口調から変えてみようと思ったイヴェアムだったが、やはり堅い言葉というのは性に合わない。

 それでもこの口調なら、少しは王らしさが出ると思い続けることにしている。

「これからまた魔国会議があります。和睦親書の内容に関しての話し合いですが、陛下のことですから、また甘いことを言ってマリオネ様の逆鱗げきりんに触れるのではないですか?」

「む……私は思ったことを紙にしたためるだけだ。魔王として、家族である

 『魔人族』を守るためにな」

「……ふふ、あなたらしいですね」

「あ、今……笑ったな?」

「……何のことでしょうか?」

「……そんなふうに笑ってくれるの、久しぶりに見たな」

「そんなことはどうでもよいでしょう。さっさと会議室へ参りますよ」

 照れ隠しに少し尖った表情を見せる彼女が可愛らしい。

「ああ、これからやらなければならないことが多い。一つも手を抜けないぞ」

「そうですね」

「キリア、これからも私を支えてくれるか?」

「そのために、私はお傍におりますから」

 キリアのその言葉があるだけでイヴェアムは心強い。こうして王として立とうと思ったのも彼女がいてくれたお陰だ。

 まだまだ学ぶべきことは多いが、それでも彼女と一緒に進んでいこうと思う。

(私には、私の王道があるのだ)

 キリアと一緒なら、どこまでも行けると思うから。

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