ep10.追憶のウィンカァ ~月光と呼ばれし者~

 少女はひたすら走っていた。

 後ろから猛追もうついしてくる恐怖にあらがいながらも必死に前だけ見

みすえて。しかしそれももう限界。身体が疲労で悲鳴を上げている。

 少女は地面にある小石につまずき転倒してしまう。すぐさま後ろを振り返ると、そこには巨大な獅子ししのような姿をしたモンスターが、大きな口を開けてよだれを垂らしていた。

 少女の頭など、一口で食べてしまえる大きさだろう。少女は手に持った黄色い野草やそうを握りしめてまぶたを強く閉じ叫ぶ。

「だれかたすけてぇ――――っ!」

 モンスターが少女に向かって跳びついてくる。――――ズシュッ!

 突如、モンスターの身体が真っ二つに切断され、地面に倒れた。ドスドスッと地面を叩く音を聞いて、少女が瞼をそっと開ける。

 そこには、身長に似つかわしくないほどの長槍ちようそうを手に持った女性……いや、少女と呼ぶべき人物が立っていた。

「……大丈夫?」

「え……えと……あの……だ、誰……?」

「ん……ウイはウイだよ。でもウィンカァともいう」

 少女を助けた人物はウィンカァという名前だ。アンテナのように頭の上に生えている黄色い髪束かみたばがユラユラと揺れている。

 ウィンカァの翡翠ひすい色の瞳を見て、敵ではないと思ったのか、少女がホッと

息をついているのが分かった。

「あ、ありがとうございま――――っ!?」

 少女の安堵あんどした表情が再び恐怖ですくみ上がる。ウィンカァも彼女をそうさせた原因が、自らの背後にあると思ったようで、振り向き確認した。

「グギャァァァァァァッ!」

 先程ウィンカァが一閃いつせんで倒したモンスターと同種。しかし確実に三倍ほどもある体躯たいくを持つ。どうやら少女を襲っていたのは子供だったようだ。

 口元に生えている鋭い牙で貫かれたら一溜ひとたまりもないだろう。少女は恐怖でウィンカァの背中に隠れると、キュッとウィンカァの服を小さい手で握りしめる。

「ん……大丈夫。安心する」

「だ、だけどぉ……」

「……それ《ムーンクローバー》、だよね?」

「う、うん……」

「……もしかして誰か、病気?」

「うん、おかあさんが」

「ん……そっか。だったら、早く届けてあげないと……ね」

「で、でもモンスターが……!」

「大丈夫。前にも、戦ったことある。そして――勝ってる」

 ウィンカァがブンブンブンブンと槍を凄まじい勢いで回し始める。そして目前にいる敵に向かって鋭い視線をぶつける。

「あの時みたいに、邪魔はさせない。すぐに、倒すよ!」



 ――――十四年前。一人の赤ん坊が誕生した。

 玉のように可愛らしい女の子である。両親は彼女の誕生を心から祝福した。たとえこの先、この子の人生が辛いものになるということを知りながらも、

この子が幸せになれるように心血を注ぐと、父親であるクゼル・ジオは誓う。

「よく、頑張りましたね、ピアニ」

「はい。クゼルさんやリンデがそばにいてくれたおかげです」

 ピアニは満面の笑みを浮かべている。それが何よりもクゼルにとっては嬉しいもの。傍にいる、ピアニの双子の妹であるリンデも一片のくもりもない笑顔だ。

 周りには大いに反対されながらも、リンデだけはクゼルたちを祝福し支え続けてくれている。それがクゼルたちには大きな力となった。

 クゼルとピアニとの出会いは、それほど劇的なものではない。ピアニとリンデが森で迷っていたところに、たまたま出くわして、クゼルが助けることになった、というだけの話である。

 ピアニたちは、その森に自生する食材をみにきたらしく、道に迷ってしまったとのこと。出会いはそんな偶然からだった。

 彼女たちは気さくであり、クゼルの正体―――獣人じゆうじんであることを知っても態度が変わらなかったことにクゼルは驚いていた。

 この世界――【イデア】には大きく分けて、人間、獣人、魔人まじん精霊せいれいの四種族が生息しているのだが、特に先に挙げた三種族は、互いに憎しみ合っている関係にあり、戦争も数多く起こしている現況なのだ。

 だからこそ、人間である彼女たちが、獣人であるクゼルのことをみ嫌い離れていくと思っていたクゼルだが、恩人に種族など関係ないと言って、二人は普段と変わらない接し方をした。

 時が経つに連れて、クゼルはピアニの優しさと全てを包み込む温かい雰囲気に心を奪われるようになっていく。

 そしてピアニもまた、クゼルの強さと純粋さにかれていき、互いに結ばれるまでそう時間はかからなかった。リンデもクゼルならと認めてくれたのだ。

 だが彼女たちの両親は、クゼルのことをよく思っておらず、結婚を最後まで認めてくれなかった。

 ピアニはたとえ両親に何を言われてもクゼルと一緒にいたいと言って、駆け落ち同然に家を飛び出した。

 しばらくクゼルが建てた小屋で暮らしていると、そこへリンデが一人でやって来て、ピアニを連れ戻しにきたのかとクゼルは不安に思ったのだが、驚くことに自分も一緒に住むと言い出したのだ。

 あのような分からず屋の両親と一緒に暮らしたくないという理由だけで、彼女まで家出してきてしまった。

 クゼルは彼女の決断に大いに悩んだが、味方が増えて嬉しかったのも事実だし、何よりもピアニが喜んでくれたので了承することになる。

 そうして三人で一緒につつましく、だが祈りのように幸せな時間を過ごしていき、第一子である女児が誕生したのだ。

「名前はもう決めてあるのかい?」

 リンデが尋ねてくる。クゼルは大きく頷き、ピアニと顔を合わせる。

「ウィンカァ……この子はウィンカァ・ジオです」

 クゼルが世界に宣言するように言う。

「へぇ、んじゃ縮めてウイだね、ウイ」

「もう、リンデちゃんったら、いきなり縮めるのですか?」

「呼びやすいじゃん、ウイ。音的にも可愛らしいし」

「あはは、リンデらしいですね」

「それにほら、この子も喜んでくれてんじゃん!」

 見れば、リンデの差し出した指を、ウィンカァがつかんで笑っている。

「それにしてもさ~、クゼルもピアニもやることやってたんだね~。あたしゃ、初心うぶ過ぎる二人だから、こういう瞬間はもっと先になるかと思って不安だったよ~」

 何ということを生まれたばかりの子供の前で言うのか。クゼルとピアニは顔を真っ赤にしてしどろもどろになってしまう。それを面白そうにリンデがニヤニヤ顔で見つめているのだから、確信犯であるリンデに天罰てんばつが下る。

「おわぁぁぁぁっ!? な、なにさコレェッ!?」

 リンデがウィンカァを抱き上げた瞬間、彼女の確信犯ぶりを受けたのか、ウィンカァがおもらしをしてしまう。

 ウィンカァは何故か楽しそうに笑みを浮かべている。クゼルは心の中でよくやったぞと娘をめていた。

鍛冶師かじしクゼル》―――武器を扱う仕事をしている者で、この名前を知らない者はいないであろう。彼の腕は一流の鍛冶師でも辿り着けないと言わしめるほどの才を備えている。

 それほど彼の生み出す武器は評価が高く、誰もが渇望かつぼうした。特に今のような戦乱の嵐吹き荒れる時代、彼の力を手に入れた陣営こそが勝利を得るとまで言われていたのだ。

 クゼルの姿を実際に見た人は少ないが、彼の名前と実績は三界――人間界、獣人界、魔界に渡って有名なのもまた事実。

 だから軒並のきな血眼ちまなこになって人間、獣人、魔人が彼を追い求めた。一人の獣人を三界の王が追ったその図式は、何とも奇妙なものであるが、彼の実力を考えれば皆が納得のいくものである。

 しかし彼は自分の造りあげたものが、戦争の道具にされていることを知り、武器を造るのを止めてしまっていた。一説には音沙汰おとさたを無くしたクゼルは寿命で死んでしまったのだろうともくされていたが、事情通には、その所在地を探り出され会いに来る者もいる。

 だからこそクゼルは、一所ひとところに腰を落ち着かせるようなことはせずに、ずっと旅をし続けて世界を回っていた。

 だが今、クゼルにも守るべき家族というものができて、必然的にその場から移動することが難しくなっていたのだ。

 この時、ウィンカァは一歳と半年ほどにまで成長していた。

「とと……しゃん」

「ん? どうしましたか、ウィンカァ?」

「こえ……あげゆ」

 ウィンカァからクゼルへと手渡されたのは、紙で折られた花だった。

「これは……?」

「へっへ~ん、どう? それアタシが教えたんだよ! この子ったらすっごいよ。まだ一歳と少しなのに、一目見ただけで折るんだから! 天才だね! さすがはアタシのめいっ子!」

「もうリンデちゃん。そこはさすがはピアニの娘って言ってほしいですよ~」

「悪いわねピアニ。これだけは譲れないわ!」

「そんなことを言うんなら、今日の晩御飯はおかわり抜きですからね!」

「うん、さすがはピアニの娘だよ、ウイは。いや、もう立派過ぎてビックリ仰天」

「……調子が良いんですから。っぷ、あははははは」

 皆がつられて笑い声を上げる。クゼルはそんな談笑風景を見て苦笑を浮かべる。

「……こんな……悪魔たちに狙われている、血の運命さだめに縛られた私にも、愛する家族ができるとは……神に感謝せねばなりませんね」

「クゼルさん、私はいつも感謝しておりますよ。そしてお願いしております。この幸せがずっと続きますようにと」

「ととしゃん……かなし?」

「……いいえ、嬉しいですよ、ウィンカァ」

 頭をでられて気持ち良さそうに目を細めるウィンカァ。それを微笑ましそうに眺めているピアニとリンデ。そこには確かな幸せが存在している。

 愛する妻と娘。そしていつも支えてくれる義理の妹。クゼルは幸せの絶頂期にいた。

 しかしそんな幸せも長くは続かない事態が襲い掛かってくる。

ある日のこと、突然クゼルの小屋へとぞくが襲撃をかけてきたのだ。

 彼らは戦争などによって貧困化ひんこんかし、生活に飢えてしまい、他人から食材や金品などを奪取する賊へと成り下がってしまった者たち。戦争の被害者とも

いうべき存在。

「逃げますよ、ピアニッ!」

 幸い小屋にはウィンカァとリンデがいなかった。近くにある林檎りんご畑に向かい、林檎を農家の者たちに貰いに行ったのだ。ウィンカァも、よく遊んでくれるリンデに非常に懐いており、ピアニがヤキモチを焼くほどだった。

「クゼルさん、囲まれています!」

 ピアニの言葉通り、すでに包囲網の中にいたクゼルとピアニ。

「……やるしか、ないようですね」

 ピアニを守るのがクゼルの役目である。彼女を守るためなら、腰に携帯している愛刀で人を斬ることもいとわない。

 その時、少し離れた場所から煙が上がっているのを発見した。街が―――ピアニとリンデの両親が住んでいる街がある方向だった。

 賊たちがその方向からこの場へとやって来ている。増援部隊というよりは、向こうが本命だったのかもしれない。

「おかしらァ、街はぶっ潰しましたぜェ」

「よくやった。あとは、ここにいるカスくせェ野郎どもだけだな」

「あ、でも女の方は美人じゃねェですか?」

「ククク、そうだな。街の女どもと一緒に可愛がってやるか?」

 下卑げびた表情でクゼルのはらわたが煮え繰り返りそうな言動を吐く賊たち。

「オイ、あの刀の斬れ味はどうだった?」

「へい、最高でさァ、お頭ァ」

 刀という言葉にクゼルが耳をピクリと動かす。そして部下らしき人物が手に持っている刀を見て言葉を失う。

「そ、それは《燃刀ねんとう・モエツキ》!? 何故それをあなたがっ!?」

「はあ? いきなり何言ってんだァ、この獣人? ねえお頭ァ、コイツ、コレで殺しちまっていいですよねェ」

 完全に人を殺すことに快感を得ている者の瞳。刀の魅力にりつかれ、我を失っている様子。

「オラァァァァァァァッ!」

 部下が《モエツキ》を振るうと、刀から業火ごうかが生まれクゼルとピアニに迫って来た。クゼルはピアニを抱えて即座に回避行動を取る。

「避けるじゃねェかァァァァッ!」

 刀の詳細を知っているクゼルにとっては、避けることは容易たやすい。

「まさかその刀で街をっ!?」

「だとしたら何だァァァァァッ!」

 刀から炎の渦がほとばしり、クゼルたちを囲い込んでいく。刹那せつな、クゼルの眼が鋭く光ると、カチン―――と刀をさやに納める音が響いた。

 音とともに炎が爆風にでも散ったかのように霧散むさんする。当然何が起こったか分からない賊たちはキョトンとしていた。

「……ゆるしませんよ? その刀で罪も無い人たちを傷つけたというのなら」

 クゼルは腰に携帯している刀のつかにいつの間にか手をかけていた。

「き、貴様ァ、今何をしやがったァ? あァッ!」

 部下の怒りのボルテージが益々上がっていき、火力も最大級に高まっていく。同時に彼の身体に張り巡らされている血管が浮き上がり、所々が破けて血が噴き出ている。

(とうとう臨界点を超えてしまいましたか。未熟な者がそこまでの力を引き出すとこうなることは予想できましたが。……すみません、私の刀よ。そのような者に使わせてしまって本当に申し訳ありません)

 部下が手にしている《燃刀・モエツキ》は、クゼルが生み出した刀の一つ。どこかで賊が手に入れて、今まで多くの人の命を奪ってきたに違いない。

 クゼルは痛む心を押し隠して、何とか彼から刀を奪おうと一歩踏み出す。しかしそこでうっかりしていたことに気づく。

「―――掴んだぜ?」

「え……?」

 賊の顔がニヤリと口角を上げている。その手には短刀が握りしめられていた。短刀を自らの影に突き刺している。そしてその影が伸びて、クゼルの影と繋がった状態だ。

「そ、それは――――《影刀えいとう・カゲサシ》ッ!? そのようなものまで!?」

 その刀もクゼルがかつて造り出した代物である。

「くっ!? う、動けないっ!?」

《カゲサシ》は、影を自在に操り、こうして敵の影と繋がることで自由を束縛することが可能なのだ。

「今だァ、とっとと殺しちまえェ!」

「へい! お頭ァッ!」

 部下が突進してきて、《モエツキ》をクゼルの頭上から目一杯振り下ろそうとする。しかし刀の犠牲になったのはクゼルではなく―――――ピアニだった。

「ピ……アニ……?」

 目の前で崩れ落ちるピアニを、クゼルは慌てて抱える。彼女はクゼルをかばってくれたのだ。

「クゼ……ル……さん……ぶ……じ?」

 瞬間、クゼルの中で何かが切れる音がした。



 クゼルの小屋のある方角から、爆発音や煙が立ち昇るのを農園から見て、リンデはウィンカァを抱えて慌てて小屋へと戻ることになった。せっかくもらった林檎を入れたかごを放り捨てて、願うはクゼルたちの無事だけ。

 向かっている時に確認したが、両親の住んでいる街からも煙が上がっていた。大気を震わすような悲鳴の声も、微かに伝わってきている。

(クゼル、ピアニ、お願いだから無事でいてよっ!)

 背中で気持ち良く寝ているウィンカァと一緒に小屋へと辿り着くと、そこには見るも無残に全身を刻まれて絶命している賊たちの姿があった。

 まるで鋭い刃物で攻撃されたかのようだ。賊たちの襲撃にあったのだとい

うことは、その瞬間に気づいたが、リンデはそれどころではない。

「ピアニィィィィッ! クゼルゥゥゥゥッ!」

 二人の名前を張り上げて探し回る。すると「ヒィィィィッ!」という悲鳴が聞こえたので向かってみると、そこには体中を金色の毛に包まれ、九本の尾を臀部でんぶ近くから生やしたクゼルと、その姿を見て怯えている一人の賊がいた。

「な、なななな何者なんだよぉぉぉっ!」

「……死になさい―――」

 クゼルが左手に持った刀を軽く振った瞬間、離れたところで腰を抜かしている賊の身体が真っ二つに切断された。

(あ、あれが……クゼル……なの……っ!?)

 いつも優しく穏やかな彼とはかけ離れたオーラをみなぎらせていた。

 クゼルから、ただならぬ憤怒ふんぬの感情が伝わってくる。殺気を向けられていないはずのリンデが恐怖で身体が震えてくるほど。そこで初めて気づく。彼の双眸そうぼうから涙があふれ出ていることを。

「クゼ……ル……っ!?」

 そこで初めて気づく。彼の右腕に抱かれている存在―――ピアニ。身体から大量の血液を溢れさせてピクリとも動かない。

「そ、そんな……ピアニィィッ!」

 リンデは慌ててクゼルへと駆け寄る。

「……リンデ……」

 クゼルもリンデの気配に気づいたのか、尻尾の数も元の一本に戻り、風貌ふうぼうが普段と同じクゼル然となる。

「すみません……すみません……すみません……」

 まるで壊れた玩具おもちやのように、同じことを何度も繰り返し涙を流すクゼル。そんな彼の姿を見て、リンデは悟ってしまった。

 ああ―――――――ピアニは死んだんだ―――と。

 それからすぐにリンデはクゼルと、死んだピアニを連れてその場から離れ

た。国軍が来たら、クゼルのことを聞かれて面倒なことになるのは明らかだったからだ。

 下手をすれば、獣人ということで、主犯がクゼルだと勝手に決定されかねない。クゼルからは、両親が住んでいる街も賊の襲撃にあって壊滅状態だということも聞いた。

 両親は無事なのか、確かに気にはなったが、今はとにかくクゼルとピアニを安全な場所へ連れて行ってやりたかったのだ。

 小屋から離れた川辺にて、クゼルが賊について語ってくれた。

 何でも彼らはクゼルが過去に作った武器を持ってやって来て、その武器でピアニを殺し、街まで崩壊させたのだという。

 クゼルの作る武器は、そういう力をいとも簡単に一般人にも授けることができる代物らしい。

「すみません……ピアニは私を庇って……私が武器など……造らねば……」

 リンデはクゼルの頬を叩いた。

「……リン……デ?」

「……いい加減にして! アンタそれでも男なの!」

「え……」

「クゼルは……世のため人のためになると思って鍛冶師になったんでしょ?」

「それは……そうですが……」

「クゼルは、それこそ自分の魂をたくさん込めていろんなもんを造ってきたんでしょ! ならそれはもうアンタの子供じゃんかっ!」

「……そう、ですよね」

「だったら悪いのはアンタじゃない。アンタの子供たちを使う奴らだよ! だから……そんな悲しい顔をしないでよぉ……。ピアニが浮かばれないじゃんかぁぁぁぁ」

 その日、リンデもクゼルも泣いた。まだ物心がついていないウィンカァも、何があったのか薄々感じ取ったのか、一緒に涙がれるほど泣いた。


 ―――一年半後。ウィンカァが三歳になった頃―――。

「これを、ウィンカァに」

 クゼルがリンデに手渡したのは布で包まれた細長い物体だった。大きさは大人の片腕の長さほどだろうか。机の上にそっと置かれている。それを渡すクゼルの表情は決意と覚悟が見て取れた。

「……やっぱり行くのかい?」

「ええ、この世界に散らばっているであろう、私が造った子供たちを回収します」

 それはリンデにとって初耳ではない。実際、ピアニが死んだ当初から、彼は旅に出ると言ってきた。しかしまだ幼いウィンカァもいるし、父親も必要だということで、リンデが止めていたのだ。

 しかし彼は、自分がこのまま傍にいれば、いずれまた災いが降りかかると言って聞かない。

 自分が造り出した武器が戦争の道具や、賊の手に渡っているのは心が痛む。だからこそ、できるだけ世界を回って回収するのだと言った。

「わがままですみません。ですが、もうこれ以上、私のせいで家族が傷つくのは見たくないのです」

「……何を言っても無理なんだね?」

「……すみません。ウィンカァのことをよろしくお願いします。こんなことを頼めるのは、リンデだけしかいませんから。ですから、今までと同様に、これからも母親として接してやってください。お願いします」

 深々とクゼルが頭を下げる。

 自分が武器を造ってしまったせいで、妻が犠牲ぎせいになった。ウィンカァとリンデは無事だったが、ピアニとリンデの両親もまた賊に殺された。

 このままだと、また自分のせいで命の危険にリンデたちが巻き込まれると悟った彼は、このまま離れて暮らすことを選んだのだ。

「できれば、ピアニが殺されたことは秘密にしてあげてください」

「……何で?」

「あの子は何も知らない。あなたのことを母だと思っています。それでいいんです。それであの子が幸せに暮らしていければ」

「……ホントにそれでいいの?」

「リンデには、辛い役目を背負わせることになると思いますが……」

「アタシのことはいいんだよ。クゼルはあの子と会えなくなるのは寂しくないのかって聞いてるんだよ?」

「……寂しいに決まっています。ですが傍にいて、またそのせいで傷つく可能性があるのなら私は…………会えなくても構いません」

 クゼルは机の上に置かれている細長い物体に視線を落とす。

「これは、私のすべてを懸けて造り上げた最高傑作けつさくです。その名は――――

 《万勝骨姫ばんしようこつき》。ウィンカァへの最後のプレゼントになる……でしょう」

 歯をみ締めるクゼル。覚悟はしていても、やはりウィンカァと離れ離れになるのは辛いのだろう。

「本当はもう二度と武器など造らないつもりでいましたが、この子には必要になるかもしれません。この子は生まれながらにして、宿命を背負わされているのですから」

「……それは、ハーフだからかい?」

 この世界で《禁忌きんき》とされている他種族交配。獣人であるクゼルと、人間であるピアニから生まれたウィンカァは、紛れもなくハーフになる。

 そしてハーフという種族は、どちらの種族にも煙たがられる存在であり、災いを運ぶ種とされ忌み嫌われる。

「それもあります。ですが―――」

 奥歯にモノがはさまったような面相を浮かべるクゼル。何か言い知れぬ不安でも抱えているのだろうかとリンデは思ってしまう。

「……よくは分からないけど、この子も強くならないといけないってことかい?」

「……そのためのコレですから。まあ、この子が使いこなすには、それ相応

の修練が必要になるとは思いますが」

 傍で寝ているウィンカァに近づき、クゼルは優しく彼女の髪を撫でる。

「すみません、ウィンカァ。ですが、どうか幸せになってください」

 スッと立ち上がるクゼル。

「クゼル……」

「あなたもですよ、リンデ」

「え?」

「あなたも……どうか幸せになってくださいね。……ピアニの分まで」

「……ホント……バカだよ…………義兄にいさん」

 そうして、クゼルはウィンカァとリンデの元から去っていった。ただ残されたのは、深い寂寥せきりよう感と一本の槍―――《万勝骨姫》だけだった。



 ―――四年後。

 今、二人の人物が互いの視線を合わせ、それぞれがジッと相手の呼吸を読んでいる。一人はリンデ。そしてもう一人は、四年間で逞しい成長を遂げたウィンカァである。

 リンデが呼吸を吐いた瞬間を見計らい、ウィンカァは即座に大地を蹴り出し懐へと侵入。そのまま右手の掌底しようていを突き出すが、リンデの腕で払われる。

 しかしそれが狙いだった。その払おうとしている腕を、左手で掴むとそのままひねり相手の背中側へと持っていき関節をめる。

「あいたたたたたっ! タンマタンマ! アタシの負けだよっ、ウイッ!」

 リンデの降参宣言を聞き、ウィンカァは彼女を拘束から解放した。

「ん……これでウイの、五連勝」

「あ~イテテ……少しは手加減しなよね。あたしゃアンタの母親だよ?」

「ん……でもかかさん、弱い」

「うぐ……くそぉ……これでも去年まではまだ勝ててたってのにィ……。ホ

ントにまだ七歳かい? 末恐ろしい子だよまったく」

きたえてくれた、かかさんのおかげ」

 五歳になった時、リンデが身体を鍛えるよと言ってきた。理由は、弱いままでは強い者たちに殺されてしまうからということだった。

 父であるクゼルが出て行ったのは、そんな強い者たちに殺されないようにということらしかった。

 父は狙われている。しかも強い者たちに。母であるリンデからそう聞かされた。四年前、クゼルがたもとを分かったのは知っていた。ほんのおぼろげだが、誰かが出て行ったという記憶が残っているのだ。

 実際に父の顔を鮮明に覚えているわけではない。ただニオイと温かさはハッキリと身体で覚えている。

「……ねえ、かかさん」

「何だい?」

「いつか……ととさん、迎えにきて……くれるかな?」

 クゼルの話をすると、いつも決まってリンデは悲しげで辛い表情をする。でもすぐに笑顔を作り、

「良い子にしてると、きっとね!」

 と、言ってくれるのだ。

「でも、アイツが大手を振って帰ってきた時、めちゃくちゃビックリさせるためにも、まだまだ強くならなきゃね! ウイ!」

「ん……ウイ、身体動かすの好き。いっぱい、強くなる」

 強くなって、リンデもクゼルも守るんだと心に決めているウィンカァ。そのためにも日々の修練を欠かさず行おうと思った。

 どうすればもっと強くなれるか、天を仰ぎつつ汗を首にかけているタオルで拭いながら考えていると、アッと効率の良さそうな修練方法を思いつく。

「ねえ、かかさん、今思いついた修練方法なん……だけ……ど……っ!?」

 ゆっくりと空に向けていた顔を、リンデが立っているはずの方向に向けると全身が凍りついた。何故なら彼女が口から血を吐いて倒れていたのだから。

「かかさんっ!」

 すぐさま駆け寄り身体を抱える。せきをしているので死んでいるわけではない。しかし真っ青に顔色を染めて、苦しそうに胸を押さえている。

 ウィンカァは小屋へと彼女を運びベッドへ寝かせると、近くの村に行き医者を呼んできた。

「これは…………一体いつからなんです? ここまで病状が悪化しているなんて」

 医者が言うには、もっと前から身体に不調があったはずだったらしい。それをリンデはだまし騙し無理を重ね、働いて金を稼いでウィンカァを食べさせていたとのこと。

「この病気は最近ここらで流行っているんだけど、かなり性質たちが悪くて、すぐに治療を施さないと危険なんです。村でも触れを出したはずなんですが……」

 知らないのは当然だ。何故なら村に住んでいないのだから。たまに日用品などを購入するために行くくらいだ。

「恐らく、買い出しに行っている時に、他の住人から病の種をもらってしまったのでしょう。もう少し早く診断していればまだ治る見込みだってあったものを……」

「そ、そんなっ! 何とか、してっ!」

 ウィンカァは医者に泣きつく。

「う~むぅ…………………………《ムーンクローバー》……」

「え……な、なに?」

「《ムーンクローバー》という野草を知っているかな?」

「ううん」

「もしそれがあれば、この病も少しは快復に向かうかもしれん。残念ながら、私が住んでいる村には備蓄がありません。とてもよく効く万能な薬ですが、手に入れることは非常に困難なのです」

「それがあれば、助かる?」

「間に合えば……ですが」

「……分かった。それ、ウイ取ってくる。どこにある?」

「確かこの近くだと――――」

 高い岩崖いわがけにひっそりと生えている月色つきいろの野草。それが《ムーンクローバー》であると医者に聞き、近くの岩場までやって来たウィンカァ。

 見上げるほどの高さにある岩の密集地帯。命綱などはない。もし採取中に落下してしまえば、大地に叩きつけられ即死してしまう。

 医者の言葉を信じるならば、リンデに残されている時間は限りなく少ないという。一刻も早く《ムーンクローバー》が必要だ。失敗は許されない。時間もかけられない。

「大丈夫、ウイは、いつも修練してる」

 リンデを守るためにも修練をしてきたのだ。ここで発揮しないでどうするのだと自分に活を入れて岩崖を登っていく。

(《ムーンクローバー》が生えてるのは、もっと先……)

 小さい身体を存分に動かしてスイスイと上昇していく。だが足をかけた岩が脆かったのか、崩れてしまいバランスを失う。

「くっ!」

 落下しそうになるも、つめがれるほどの握力で岩にしがみつき、何とか落下だけは防ぐ。

「ゼッタイに、採ってくるから……。だから……待ってて、かかさん!」

 少しでも気を抜けば吹き飛ばされる風にも負けずに、一歩一歩確実に上へと突き進んでいく。

 しばらく昇っていると、ようやく目前に月色に色づく草を発見することができた。あとはアレを摘み、医者のもとへ届けて薬にしてもらうだけ。

 俄然はやる気持ちを抑え、ウィンカァは一歩一歩確かめながら前へと進み、手を伸ばせば摘み取れる距離までやって来ていた。

 外見は四葉のクローバーに似ているが、その大きさは《ムーンクローバー》の方が十倍ほど大きい。色も空に浮かぶ月のごとく黄色に輝いている。

 ウィンカァはその手に《ムーンクローバー》を掴むと、懐にしまい、今度はゆっくりと崖を降りていく。

 焦ってはいけない。焦ってしまえば、足の踏み場も危うい状況の中、間違いが生じて落下してしまうかもしれない。そうなればすべてが水泡に帰してしまう。そんな事態だけは避けねばならない。

 ゆっくりと時間をかけて岩崖を降りると、疲労感がドッと全身を襲う。このまま横になり寝たい衝動にかられるが、一刻も早く《ムーンクローバー》を届けなければ、リンデが死んでしまう。

 虚脱きよだつ感に襲われる身体を必死に動かしながらリンデが待つ小屋へと急ぐ。だが前だけを見ていて、ウィンカァは気づかなかった。茂みの中からウィンカァをにらみつける害意ある存在に―――。

 突如、ウィンカァは小石に躓いて前のめりに倒れてしまう。だがそれが良かった。そのお蔭で、確実に一回は命拾いをしたのだから。

 すんでのところで頭をかすめた何か。顔を上げると、そこにはウィンカァを一飲みにできそうなほどの巨躯きよくを持つ、獅子のようなモンスターが立っていた。

 明らかな敵意。腹でも空かしているのか、眼も血走っていて、すでにウィンカァを獲物としてロックオンしているのは間違いない。

「ぅ……あ……っ!?」

 このような巨大なモンスターと対峙たいじするのは初めてである。もっと小さなモンスターと戦ったことはある。しかし相手のまとう存在の力強さから、確実なレベル差を感じさせるようなモンスターとは戦った経験などは今までに一度もない。

 恐怖で足が竦む。まるで蛇に睨まれた蛙だ。本心はここから逃げ出したいと思っているのに、身体が言うことを聞かない。まるで石化の魔法でもかけられたかのようである。

「逃げ……なきゃ……!」

 今の自分ではすぐに殺されてしまうということはハッキリしていた。本能が逃げろと選択を促している。だがウィンカァが向かうべき場所はモンスターがいる方向だ。

 このまま逃げれば逆方向になり、せっかく手に入れた《ムーンクローバー》も届けることができない。

(ど、どうすれば……?)

 誰も答えを教えてくれない。心の中でリンデや父であるクゼルのことを何度も呼ぶ。

(ととさんっ! かかさんっ! 助けてっ!)

 しかし声が彼らに届くことはなく、モンスターがジリジリと詰め寄ってくるだけ。

 死にたくはない。だけど逃げれば《ムーンクローバー》を届けられない。凄まじい葛藤がウィンカァの心の中でせめぎ合っている。

 モンスターが咆哮ほうこうを上げながら大きく口を開けて喰らおうとしてきた。ウィンカァは咄嗟とつさに身体を地面に転がしてその場から移動する。

 すると、先程いた場所は地面ごとごっそりと――――喰われていた。

 背中にゾクッとするものを感じ、ウィンカァは逃げ出す。しかし相手の行動の方が速く、即時に回り込まれてしまい、再び噛み攻撃が襲い掛かってくる。

「ああぁぁぁぁっ!」

 身体を捻って何とかかわすが、苛立いらだちを覚えたのか、モンスターが前足を横薙よこなぎに振るいウィンカァを弾き飛ばした。

 咄嗟にガードはしたものの、衝撃力は並ではなく意識が飛びそうになる。そしてあろうことか、懐にしまっていた《ムーンクローバー》が、外へと流れ出て地面へ落ちてしまう。

 地面に倒れながらも、《ムーンクローバー》だけは死守しなければという想いは強い。しかし吹き飛ばされたせいで体中がきしむように痛い。

 手を伸ばそうとするが、モンスターが知らず知らず、《ムーンクローバー》を踏みつけてしまった。

 その瞬間、ウィンカァの脳裏のうりぎったのはリンデの苦しむ顔ではなく、彼女の笑顔だった。そしてふと、その笑顔に誰かの笑顔が重なった。誰かは定かではない。ただこのままその笑顔をもう二度と見られなくなるのは絶対に許容できるものではなかった。

(これが―――――――最後なんてやだっ!)

 何が起こったのか、身体の奥底から湧き上がる激情が身体を起こしてくれた。獣人と人間のハーフであり、人間よりの姿だったウィンカァには、獣耳と尻尾は生えていない。

 しかし今だけは、何故か頭の上には獣耳、臀部近くには尻尾が顕現けんげんしていた。

「どいてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええっっっ!」

 ウィンカァが風のような動きで相手との距離を潰し、顔面を力一杯殴った。突然のことに、モンスターも反応が遅れて、後方にある岩壁があったところまで吹き飛び激突した。

「はあはあはあ……」

 次第に花がしぼむようにして獣耳と尻尾が小さくなって消失した。ウィンカァはモンスターの足元にあった《ムーンクローバー》をそっと手に取る。少し形が崩れたそれを大事に胸に抱えて、リンデのもとへ帰っていった。

 実際のところ、どうやって帰ったのか覚えていない。あの状態でよく帰ることができたと自分を褒めてやりたい気持ちだったウィンカァ。

《ムーンクローバー》を時間内に医者へと届けることができて、リンデは少し持ち直すことが可能になったのだ。

 しかし根本的な解決にはならなかった。症状は末期であり、あくまでも延命的えんめいてき措置そちに過ぎなく、彼女の病気はそれ以上良くなることはない。

 それでも《ムーンクローバー》があったからこそ、リンデの命は確実に延びたのだ。それを知ったリンデは、ボロボロになりながらも命を助けたウィンカァを抱きしめて喜んでくれた。

 それだけでウィンカァは救われる思いだった。


 それから一月ほど―――。リンデはやはり快復することはなく、他界してしまうことに。

 その際に一本の槍をウィンカァに託して。

「ねえウイ、アタシはアンタには好きに生きてほしいって思ってる。これはクゼル……アンタのととさんが残した愛そのもの」

「……愛?」

「そう。この槍には、クゼルの愛がいっぱい込められてる。アンタはコレと一緒に強くなるんだよ」

「かかさん……」

「アハハ! アンタにかかさんと呼ばれる度にアタシは嬉しくてね! けど…………ごめんね。アンタにずっと黙っていたことがあるんだよ」

「……なに?」

 とても言いにくそうな表情をするリンデ。ウィンカァは黙って、彼女がしやべってくれるのを待つ。

「……実はね、アンタはアタシがお腹を痛めた子供じゃないんだ」

 正直その告白は衝撃的だった。いや、実は昔から少し気になっていたことがあったのだ。それは記憶の片隅に、本当に小さな欠片かけらとして残っている一人の女性の顔。

 時折笑いかけてくるその顔に見覚えがある。リンデとよく似ているが、穏やかで優しそうな女性。そしてとても懐かしさを覚える人。

 ただハッキリとした記憶ではないので、気にはなるものの、どうしても知りたいというほどではなかった。

 そのことを話すと、リンデは嬉しそうに笑って、

「うん。それがアンタの母親。名前は―――ピアニ。可愛くて、優しくて、

少し天然な、アタシの大好きだったお姉ちゃんさ」

 そしてピアニがもう他界してしまったことを知る。

「……かかさんと、同じ病気?」

 しかし彼女は首を左右に振る。

「何でピアニが死んだか、それだけはアンタがいつか、クゼルに会った時に教えてもらいな」

「ととさん……に?」

「ああそうだよ。アイツはアンタやアタシのことを想って出てった。けどどこかで生きてるとアタシは信じてる」

「ん……ウイも。ホントは、全部かかさんから、聞きたい……けど、我慢する」

「アハハ、ありがとね。うん、今は知らなくてもいい。いつか……そう、いつかその槍でクゼルさえ守れるような強さを得ることができたら、きっとアイツに会って―――」

「かかさん……」

「……ごめんね、ウイ。でもアタシはアンタのかかさんになれてホントに幸せだった。アタシの人生は楽しいことばかりじゃなかったけど、それでもアンタがアタシの希望になってくれる。こんなに嬉しいことはないよ」

 ああ、これでもう本当にリンデとはお別れなのだということを直感的に理解した。

「幸せになりなね、ウイ。誰よりも。アタシは一足先に天国に行って、ピアニ……アンタのホントのかかさんと見守ってるからね。…………大好きだよ、ウイ」

 その言葉を遺して、リンデはこの世を去った。悲しかった。とても辛かったけど、リンデと一緒に暮らしている間は幸せだった。

 楽しい思い出ばかり。いつまでも悲しんでいると、きっとリンデは悲しむ。だからウィンカァは決意した。もっと強くなると。

 そして―――――父を探す――――と。

 父であるクゼルから託された《万勝骨姫》を携えて旅に出る。

 ウィンカァ・ジオ。まだわずか七歳の頃の決断であった。



「おかあさぁぁぁぁんっ!」

 少女が一つの家の中に飛び込んできた。その小さな手には月色の野草が抱えられている。

「ど、どこへ行っておったんじゃ、ナビ!」

 少女(ナビという名らしい)の祖父らしい男が、とがめるように言葉を吐く。

「ぁ……ご、ごめん……なさい……で、でも……」

「む? そ、それは《ムーンクローバー》じゃぞ!? い、一体どこで!? ま、まさか一人で探しに外へ出て行ったのではあるまいな!」

「うぅ……ごめんなさい……」

「何という無茶なことを……怪我はないのか?」

 不安気にナビの体調を気にし始めるナビの祖父。

「う、うん。だいじょうぶ。ウイさんがまもってくれたから!」

「ウイ? ……誰じゃ?」

「……ここ」

「のわぁっ!? だ、誰じゃ!?」

「だから……ウイ」

 いつの間にかナビの祖父の隣に立っていたウィンカァ。音も気配もなく立たれたらやはり怖いようだ。

 ナビがウィンカァに助けてもらったお蔭で、こうして病気に苦しんでいる母親に《ムーンクローバー》を届けられたことを教えてもらったナビの祖父は、丁寧に腰を折り曲げるような頭の下げ方で感謝の意を示してきた。

「本当に感謝する。我が娘と孫の命を救ってくれて、ありがとう」

「ん……間に合って良かった」

 ウィンカァはベッドの上に寝ているナビの母親の寝顔を見てホッと息をつく。どうやらリンデの時より症状が軽いようなので、これなら延命措置というわけではなく、しっかり養生すれば治るかもしれない。

 話を聞けば、村における《ムーンクローバー》の備蓄が底をついていて、何とか手元にある他の薬で症状悪化を防ごうとしていた最中だったということ。

 ナビの夫が近くの街まで《ムーンクローバー》を買いに出かけたらしいが、まだ帰って来ない。

 しびれを切らしたナビが、近くに《ムーンクローバー》を所持している行商人がいると村人から聞いて、居ても立ってもいられずに村を一人で出て行商人に会いにいったのだ。

 何とかお小遣いで《ムーンクローバー》を一輪だけ買うことはできたみたいだが、帰りにモンスターに襲われてしまったということらしい。

「明日にはお前の父も帰ってくると言うておったじゃろ? 頼むから無茶せんでくれ、ナビよ」

「うぅ……ごめんなさい……」

 どうやら完全にナビの勇み足だったようだ。子供は思い立ったが吉日とばかりに、本能的に行動するので困ってしまうのだろう。

「でも本当に無事で良かったわい。改めて礼を―――」

 その時、家の外で悲鳴が上がったのを聞く。慌ててウィンカァたちが外へ出てみると、

「お、おとうさぁんっ!」

 ナビがそう呼ぶ男性の傍には、鋭いかまのような両手を持つ巨大生物がいた。今にも男性に襲いかかりそうな雰囲気である。

「ん……ジャックマンティス」

 見覚えのあるモンスターだ。血のニオイに敏感で獰猛どうもうな生物。その両手の鋭い鎌を払うように動かしてターゲットを寸断するので、生身で受けたら痛いどころでは済まない。

 なかなかに強いモンスターなので、モンスター狩りを生業なりわいとしている冒険者でもない者が立ち向かえる相手ではないだろう。

 ナビが父親らしき、その男性のもとへ向かう。

「ナビッ! 来るなっ! 来ないでくれっ!」

 しかしナビは止まらず父のもとへ。ナビが近づいたと同時に、ジャックマンティスの刃が彼らの頭上から降り注ぐ。

 村人たちは次に訪れる残酷な光景に目を閉じるが―――キィンッ!

 小気味の良い刃音はおとが響き、ジャックマンティスが後方へ吹き飛ぶ。

「―――お、おねえちゃんっ!?」

 ナビの視界に映ったのは、自身の身の丈よりも長い槍を構えたウィンカァだった。

「ん……大丈夫?」

「えと……君は?」

 ナビの父が尋ねてくるが、答えずにウィンカァは彼が脇腹から出血しているのを確認する。どうやらその血のニオイを辿ってジャックマンティスはやって来たらしい。

 ここで暴れられたら死人まで出る可能性が高い。そんなことはさせない。そう思って、ウィンカァはジャックマンティスと対峙する。

 相手もウィンカァに意識を集中し出し、素早い動きで両手を何度も振ってきた。

「無駄。ウイの槍は―――――最強、だから」

 華麗に弧を描きながら槍を振り回し、相手の攻撃をさばいていく。そのまま鋭い一閃――。

 見事に相手の右腕を斬り飛ばすことに成功する。相手もたじろぐが、驚くことに後ろからさらに二体、同じジャックマンティスが出現。村人たちの顔が青ざめる。

 しかしながら、ウィンカァは一つも表情を崩していなかった。槍の切っ先を相手へと向けて、少し前かがみに上体を向ける。

「行くよ。《四ノよんのだん一閃いつせん》っ!」

 刹那せつな、大地から砂が巻き起こる。その砂が再び地上へと落下するまでの間、ほとんどの者はまばたきすらしていなかっただろう。

 それはモンスターであるジャックマンティスも同様に。ただ激しく、そして清廉に動いているのはウィンカァだけ。

 映るは黄色い閃光。それだけがジャックマンティスたちの傍を動き回り、鋼色はがねいろ軌跡きせきと血しぶきが舞う。

 数秒後―――即時戦闘終了。大地には、細切れにされたジャックマンティスたちの死骸しがいだけが残されていた。

「…………《月光げつこう》……っ!」

「え……げっこう?」

 父の呟きに、ナビが首をかしげる。

「さ、最近まだ幼いってのに、二つ名がついた冒険者がいるって話を聞いた……。その子は黄色い髪に、馬鹿でかい槍を持ってるらしい……。今の動き……まさかあの子が……!」

「ふわぁ~、おねえちゃんってすごいんだね~」

「ん……ブイ」

 褒められたのが少し気分良く、ナビに向けてVサインを送った。村人たちも、ウィンカァに詰め寄り感謝の言葉を述べてくる。

 その中でナビの祖父が、ウィンカァがどのような人物なのかを皆に説明し、説明を聞いたナビの父が頭を下げてきた。

「この通り。本当にありがとう。妻と娘だけでなく、村まで救ってくれて。実は帰る途中に、奴に襲われてしまってね。何とか逃げ延びたと思ったんだけど、逃げる時に受けた攻撃で脇をやられてね。多分、この血のニオイを追ってきたんだろうな」

「まったく、迂闊うかつじゃぞ馬鹿者!」

「ご、ごめんなさい。で、でも《ムーンクローバー》だけは死守したし」

 老人に怒られシュンとなるナビの父親。だがすぐに誤魔化すように笑い声

混じりに言う。

「いや~、それにしても、さすがはかの《月光》だよ」

「ん……みんなも無事。良かった。ナビのかかさんも、無事。言うこと、ない」

「本当にありがとう! いや~でも、今日はつくづく黄色に縁がある日だわ」

「んん? どういうこと、おとうさん?」

「いやな、ほら、ジャックマンティスの身体も黄色っぽいし、助けてくれたこの子の髪も黄色だろ? それに街で手に入れた《ムーンクローバー》も黄色だ。しかもコレを買う時、少し金が足りなくてな、そん時にお金を貸してくれたのがお嬢ちゃんみたいに黄色い髪をした人だったんだ。獣人だったからビビったけど、優しくて良い人っぽくて良かったぁ。獣人の中にもああいう人がいる……ってなになにっ!」

 ウィンカァはカッと目を見開くとナビの父に詰め寄る。

「その人、どんな人?」

「え、あ、はい?」

「刀、持ってた?」

「か、刀? 刀って、細長い剣のことだよな? ウ~ン、持ってたような……」

 ウィンカァは彼のその言葉を聞き、すぐに街がどの方角にあるか聞く。そして聞いた後、すぐさま走り出した。その場にいる者たちは、ただただ呆気あつけ

に取られたまま。

「…………し、知り合いだったのかのう?」

「さ、さあ……」

「おねえちゃん……もっといっぱい、おはなししたかったのに……」

「ま、まあもしかしたらまた戻ってくるかもしれんから、その時にでも改めて礼をさせてもらえばいいんじゃよ」

 ナビの祖父の言葉に、ナビとその父は頷きを見せる。少しの間、村人も含めた全員が、去っていったウィンカァの後ろ姿を目で追いかけていた。

 黄色い髪をした獣人。そして刀を持っている。それだけの情報量で、確証はないが、もしかしたらクゼルかもしれないと思いウィンカァは走っていた。

(会いたい……会いたい。……ととさん)

 その想いだけを胸に、今まで旅をしてきた。クゼルの力になるために必死で鍛錬もしている。リンデとの約束もある。

「ウイの、幸せ。それは、ととさんを守ること」

 彼を守れるだけの強さを手に入れる。もっともっと強くなって、父とともに生きたい。それだけが今のウィンカァの望み。

 ウィンカァに残された家族はクゼルのみ。だから探す。一緒に暮らす。それが幸せ。

 この残酷な世界でも、確かな幸せはまだ残っている。獣人にとって、人間たちが住む人間界は住みにくい場所ではあるが、それでもウィンカァは旅をし続ける。

 いつか父と暮らすという夢を掴むために。

(ととさん、待っててね!)

 ウィンカァの旅はまだまだ続く。

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