ep10.追憶のウィンカァ ~月光と呼ばれし者~
少女はひたすら走っていた。
後ろから
少女は地面にある小石に
少女の頭など、一口で食べてしまえる大きさだろう。少女は手に持った黄色い
「だれかたすけてぇ――――っ!」
モンスターが少女に向かって跳びついてくる。――――ズシュッ!
突如、モンスターの身体が真っ二つに切断され、地面に倒れた。ドスドスッと地面を叩く音を聞いて、少女が瞼をそっと開ける。
そこには、身長に似つかわしくないほどの
「……大丈夫?」
「え……えと……あの……だ、誰……?」
「ん……ウイはウイだよ。でもウィンカァともいう」
少女を助けた人物はウィンカァという名前だ。アンテナのように頭の上に生えている黄色い
ウィンカァの
息をついているのが分かった。
「あ、ありがとうございま――――っ!?」
少女の
「グギャァァァァァァッ!」
先程ウィンカァが
口元に生えている鋭い牙で貫かれたら
「ん……大丈夫。安心する」
「だ、だけどぉ……」
「……それ《ムーンクローバー》、だよね?」
「う、うん……」
「……もしかして誰か、病気?」
「うん、おかあさんが」
「ん……そっか。だったら、早く届けてあげないと……ね」
「で、でもモンスターが……!」
「大丈夫。前にも、戦ったことある。そして――勝ってる」
ウィンカァがブンブンブンブンと槍を凄まじい勢いで回し始める。そして目前にいる敵に向かって鋭い視線をぶつける。
「あの時みたいに、邪魔はさせない。すぐに、倒すよ!」
※
――――十四年前。一人の赤ん坊が誕生した。
玉のように可愛らしい女の子である。両親は彼女の誕生を心から祝福した。たとえこの先、この子の人生が辛いものになるということを知りながらも、
この子が幸せになれるように心血を注ぐと、父親であるクゼル・ジオは誓う。
「よく、頑張りましたね、ピアニ」
「はい。クゼルさんやリンデが
ピアニは満面の笑みを浮かべている。それが何よりもクゼルにとっては嬉しいもの。傍にいる、ピアニの双子の妹であるリンデも一片の
周りには大いに反対されながらも、リンデだけはクゼルたちを祝福し支え続けてくれている。それがクゼルたちには大きな力となった。
クゼルとピアニとの出会いは、それほど劇的なものではない。ピアニとリンデが森で迷っていたところに、たまたま出くわして、クゼルが助けることになった、というだけの話である。
ピアニたちは、その森に自生する食材を
彼女たちは気さくであり、クゼルの正体―――
この世界――【イデア】には大きく分けて、人間、獣人、
だからこそ、人間である彼女たちが、獣人であるクゼルのことを
時が経つに連れて、クゼルはピアニの優しさと全てを包み込む温かい雰囲気に心を奪われるようになっていく。
そしてピアニもまた、クゼルの強さと純粋さに
だが彼女たちの両親は、クゼルのことをよく思っておらず、結婚を最後まで認めてくれなかった。
ピアニはたとえ両親に何を言われてもクゼルと一緒にいたいと言って、駆け落ち同然に家を飛び出した。
しばらくクゼルが建てた小屋で暮らしていると、そこへリンデが一人でやって来て、ピアニを連れ戻しにきたのかとクゼルは不安に思ったのだが、驚くことに自分も一緒に住むと言い出したのだ。
あのような分からず屋の両親と一緒に暮らしたくないという理由だけで、彼女まで家出してきてしまった。
クゼルは彼女の決断に大いに悩んだが、味方が増えて嬉しかったのも事実だし、何よりもピアニが喜んでくれたので了承することになる。
そうして三人で一緒に
「名前はもう決めてあるのかい?」
リンデが尋ねてくる。クゼルは大きく頷き、ピアニと顔を合わせる。
「ウィンカァ……この子はウィンカァ・ジオです」
クゼルが世界に宣言するように言う。
「へぇ、んじゃ縮めてウイだね、ウイ」
「もう、リンデちゃんったら、いきなり縮めるのですか?」
「呼びやすいじゃん、ウイ。音的にも可愛らしいし」
「あはは、リンデらしいですね」
「それにほら、この子も喜んでくれてんじゃん!」
見れば、リンデの差し出した指を、ウィンカァが
「それにしてもさ~、クゼルもピアニもやることやってたんだね~。あたしゃ、
何ということを生まれたばかりの子供の前で言うのか。クゼルとピアニは顔を真っ赤にしてしどろもどろになってしまう。それを面白そうにリンデがニヤニヤ顔で見つめているのだから、確信犯であるリンデに
「おわぁぁぁぁっ!? な、なにさコレェッ!?」
リンデがウィンカァを抱き上げた瞬間、彼女の確信犯ぶりを受けたのか、ウィンカァがおもらしをしてしまう。
ウィンカァは何故か楽しそうに笑みを浮かべている。クゼルは心の中でよくやったぞと娘を
《
それほど彼の生み出す武器は評価が高く、誰もが
クゼルの姿を実際に見た人は少ないが、彼の名前と実績は三界――人間界、獣人界、魔界に渡って有名なのもまた事実。
だから
しかし彼は自分の造りあげたものが、戦争の道具にされていることを知り、武器を造るのを止めてしまっていた。一説には
だからこそクゼルは、
だが今、クゼルにも守るべき家族というものができて、必然的にその場から移動することが難しくなっていたのだ。
この時、ウィンカァは一歳と半年ほどにまで成長していた。
「とと……しゃん」
「ん? どうしましたか、ウィンカァ?」
「こえ……あげゆ」
ウィンカァからクゼルへと手渡されたのは、紙で折られた花だった。
「これは……?」
「へっへ~ん、どう? それアタシが教えたんだよ! この子ったらすっごいよ。まだ一歳と少しなのに、一目見ただけで折るんだから! 天才だね! さすがはアタシの
「もうリンデちゃん。そこはさすがはピアニの娘って言ってほしいですよ~」
「悪いわねピアニ。これだけは譲れないわ!」
「そんなことを言うんなら、今日の晩御飯はおかわり抜きですからね!」
「うん、さすがはピアニの娘だよ、ウイは。いや、もう立派過ぎてビックリ仰天」
「……調子が良いんですから。っぷ、あははははは」
皆がつられて笑い声を上げる。クゼルはそんな談笑風景を見て苦笑を浮かべる。
「……こんな……悪魔たちに狙われている、血の
「クゼルさん、私はいつも感謝しておりますよ。そしてお願いしております。この幸せがずっと続きますようにと」
「ととしゃん……かなし?」
「……いいえ、嬉しいですよ、ウィンカァ」
頭を
愛する妻と娘。そしていつも支えてくれる義理の妹。クゼルは幸せの絶頂期にいた。
しかしそんな幸せも長くは続かない事態が襲い掛かってくる。
ある日のこと、突然クゼルの小屋へと
彼らは戦争などによって
いうべき存在。
「逃げますよ、ピアニッ!」
幸い小屋にはウィンカァとリンデがいなかった。近くにある
「クゼルさん、囲まれています!」
ピアニの言葉通り、すでに包囲網の中にいたクゼルとピアニ。
「……やるしか、ないようですね」
ピアニを守るのがクゼルの役目である。彼女を守るためなら、腰に携帯している愛刀で人を斬ることも
その時、少し離れた場所から煙が上がっているのを発見した。街が―――ピアニとリンデの両親が住んでいる街がある方向だった。
賊たちがその方向からこの場へとやって来ている。増援部隊というよりは、向こうが本命だったのかもしれない。
「お
「よくやった。あとは、ここにいるカスくせェ野郎どもだけだな」
「あ、でも女の方は美人じゃねェですか?」
「ククク、そうだな。街の女どもと一緒に可愛がってやるか?」
「オイ、あの刀の斬れ味はどうだった?」
「へい、最高でさァ、お頭ァ」
刀という言葉にクゼルが耳をピクリと動かす。そして部下らしき人物が手に持っている刀を見て言葉を失う。
「そ、それは《
「はあ? いきなり何言ってんだァ、この獣人? ねえお頭ァ、コイツ、コレで殺しちまっていいですよねェ」
完全に人を殺すことに快感を得ている者の瞳。刀の魅力に
「オラァァァァァァァッ!」
部下が《モエツキ》を振るうと、刀から
「避けるじゃねェかァァァァッ!」
刀の詳細を知っているクゼルにとっては、避けることは
「まさかその刀で街をっ!?」
「だとしたら何だァァァァァッ!」
刀から炎の渦が
音とともに炎が爆風にでも散ったかのように
「……
クゼルは腰に携帯している刀の
「き、貴様ァ、今何をしやがったァ? あァッ!」
部下の怒りのボルテージが益々上がっていき、火力も最大級に高まっていく。同時に彼の身体に張り巡らされている血管が浮き上がり、所々が破けて血が噴き出ている。
(とうとう臨界点を超えてしまいましたか。未熟な者がそこまでの力を引き出すとこうなることは予想できましたが。……すみません、私の刀よ。そのような者に使わせてしまって本当に申し訳ありません)
部下が手にしている《燃刀・モエツキ》は、クゼルが生み出した刀の一つ。どこかで賊が手に入れて、今まで多くの人の命を奪ってきたに違いない。
クゼルは痛む心を押し隠して、何とか彼から刀を奪おうと一歩踏み出す。しかしそこでうっかりしていたことに気づく。
「―――掴んだぜ?」
「え……?」
賊の顔がニヤリと口角を上げている。その手には短刀が握りしめられていた。短刀を自らの影に突き刺している。そしてその影が伸びて、クゼルの影と繋がった状態だ。
「そ、それは――――《
その刀もクゼルがかつて造り出した代物である。
「くっ!? う、動けないっ!?」
《カゲサシ》は、影を自在に操り、こうして敵の影と繋がることで自由を束縛することが可能なのだ。
「今だァ、とっとと殺しちまえェ!」
「へい! お頭ァッ!」
部下が突進してきて、《モエツキ》をクゼルの頭上から目一杯振り下ろそうとする。しかし刀の犠牲になったのはクゼルではなく―――――ピアニだった。
「ピ……アニ……?」
目の前で崩れ落ちるピアニを、クゼルは慌てて抱える。彼女はクゼルを
「クゼ……ル……さん……ぶ……じ?」
瞬間、クゼルの中で何かが切れる音がした。
※
クゼルの小屋のある方角から、爆発音や煙が立ち昇るのを農園から見て、リンデはウィンカァを抱えて慌てて小屋へと戻ることになった。せっかくもらった林檎を入れた
向かっている時に確認したが、両親の住んでいる街からも煙が上がっていた。大気を震わすような悲鳴の声も、微かに伝わってきている。
(クゼル、ピアニ、お願いだから無事でいてよっ!)
背中で気持ち良く寝ているウィンカァと一緒に小屋へと辿り着くと、そこには見るも無残に全身を刻まれて絶命している賊たちの姿があった。
まるで鋭い刃物で攻撃されたかのようだ。賊たちの襲撃にあったのだとい
うことは、その瞬間に気づいたが、リンデはそれどころではない。
「ピアニィィィィッ! クゼルゥゥゥゥッ!」
二人の名前を張り上げて探し回る。すると「ヒィィィィッ!」という悲鳴が聞こえたので向かってみると、そこには体中を金色の毛に包まれ、九本の尾を
「な、なななな何者なんだよぉぉぉっ!」
「……死になさい―――」
クゼルが左手に持った刀を軽く振った瞬間、離れたところで腰を抜かしている賊の身体が真っ二つに切断された。
(あ、あれが……クゼル……なの……っ!?)
いつも優しく穏やかな彼とはかけ離れたオーラを
クゼルから、ただならぬ
「クゼ……ル……っ!?」
そこで初めて気づく。彼の右腕に抱かれている存在―――ピアニ。身体から大量の血液を溢れさせてピクリとも動かない。
「そ、そんな……ピアニィィッ!」
リンデは慌ててクゼルへと駆け寄る。
「……リンデ……」
クゼルもリンデの気配に気づいたのか、尻尾の数も元の一本に戻り、
「すみません……すみません……すみません……」
まるで壊れた
ああ―――――――ピアニは死んだんだ―――と。
それからすぐにリンデはクゼルと、死んだピアニを連れてその場から離れ
た。国軍が来たら、クゼルのことを聞かれて面倒なことになるのは明らかだったからだ。
下手をすれば、獣人ということで、主犯がクゼルだと勝手に決定されかねない。クゼルからは、両親が住んでいる街も賊の襲撃にあって壊滅状態だということも聞いた。
両親は無事なのか、確かに気にはなったが、今はとにかくクゼルとピアニを安全な場所へ連れて行ってやりたかったのだ。
小屋から離れた川辺にて、クゼルが賊について語ってくれた。
何でも彼らはクゼルが過去に作った武器を持ってやって来て、その武器でピアニを殺し、街まで崩壊させたのだという。
クゼルの作る武器は、そういう力をいとも簡単に一般人にも授けることができる代物らしい。
「すみません……ピアニは私を庇って……私が武器など……造らねば……」
リンデはクゼルの頬を叩いた。
「……リン……デ?」
「……いい加減にして! アンタそれでも男なの!」
「え……」
「クゼルは……世のため人のためになると思って鍛冶師になったんでしょ?」
「それは……そうですが……」
「クゼルは、それこそ自分の魂をたくさん込めていろんなもんを造ってきたんでしょ! ならそれはもうアンタの子供じゃんかっ!」
「……そう、ですよね」
「だったら悪いのはアンタじゃない。アンタの子供たちを使う奴らだよ! だから……そんな悲しい顔をしないでよぉ……。ピアニが浮かばれないじゃんかぁぁぁぁ」
その日、リンデもクゼルも泣いた。まだ物心がついていないウィンカァも、何があったのか薄々感じ取ったのか、一緒に涙が
―――一年半後。ウィンカァが三歳になった頃―――。
「これを、ウィンカァに」
クゼルがリンデに手渡したのは布で包まれた細長い物体だった。大きさは大人の片腕の長さほどだろうか。机の上にそっと置かれている。それを渡すクゼルの表情は決意と覚悟が見て取れた。
「……やっぱり行くのかい?」
「ええ、この世界に散らばっているであろう、私が造った子供たちを回収します」
それはリンデにとって初耳ではない。実際、ピアニが死んだ当初から、彼は旅に出ると言ってきた。しかしまだ幼いウィンカァもいるし、父親も必要だということで、リンデが止めていたのだ。
しかし彼は、自分がこのまま傍にいれば、いずれまた災いが降りかかると言って聞かない。
自分が造り出した武器が戦争の道具や、賊の手に渡っているのは心が痛む。だからこそ、できるだけ世界を回って回収するのだと言った。
「わがままですみません。ですが、もうこれ以上、私のせいで家族が傷つくのは見たくないのです」
「……何を言っても無理なんだね?」
「……すみません。ウィンカァのことをよろしくお願いします。こんなことを頼めるのは、リンデだけしかいませんから。ですから、今までと同様に、これからも母親として接してやってください。お願いします」
深々とクゼルが頭を下げる。
自分が武器を造ってしまったせいで、妻が
このままだと、また自分のせいで命の危険にリンデたちが巻き込まれると悟った彼は、このまま離れて暮らすことを選んだのだ。
「できれば、ピアニが殺されたことは秘密にしてあげてください」
「……何で?」
「あの子は何も知らない。あなたのことを母だと思っています。それでいいんです。それであの子が幸せに暮らしていければ」
「……ホントにそれでいいの?」
「リンデには、辛い役目を背負わせることになると思いますが……」
「アタシのことはいいんだよ。クゼルはあの子と会えなくなるのは寂しくないのかって聞いてるんだよ?」
「……寂しいに決まっています。ですが傍にいて、またそのせいで傷つく可能性があるのなら私は…………会えなくても構いません」
クゼルは机の上に置かれている細長い物体に視線を落とす。
「これは、私のすべてを懸けて造り上げた最高
《
歯を
「本当はもう二度と武器など造らないつもりでいましたが、この子には必要になるかもしれません。この子は生まれながらにして、宿命を背負わされているのですから」
「……それは、ハーフだからかい?」
この世界で《
そしてハーフという種族は、どちらの種族にも煙たがられる存在であり、災いを運ぶ種とされ忌み嫌われる。
「それもあります。ですが―――」
奥歯にモノが
「……よくは分からないけど、この子も強くならないといけないってことかい?」
「……そのためのコレですから。まあ、この子が使いこなすには、それ相応
の修練が必要になるとは思いますが」
傍で寝ているウィンカァに近づき、クゼルは優しく彼女の髪を撫でる。
「すみません、ウィンカァ。ですが、どうか幸せになってください」
スッと立ち上がるクゼル。
「クゼル……」
「あなたもですよ、リンデ」
「え?」
「あなたも……どうか幸せになってくださいね。……ピアニの分まで」
「……ホント……バカだよ…………
そうして、クゼルはウィンカァとリンデの元から去っていった。ただ残されたのは、深い
※
―――四年後。
今、二人の人物が互いの視線を合わせ、それぞれがジッと相手の呼吸を読んでいる。一人はリンデ。そしてもう一人は、四年間で逞しい成長を遂げたウィンカァである。
リンデが呼吸を吐いた瞬間を見計らい、ウィンカァは即座に大地を蹴り出し懐へと侵入。そのまま右手の
しかしそれが狙いだった。その払おうとしている腕を、左手で掴むとそのまま
「あいたたたたたっ! タンマタンマ! アタシの負けだよっ、ウイッ!」
リンデの降参宣言を聞き、ウィンカァは彼女を拘束から解放した。
「ん……これでウイの、五連勝」
「あ~イテテ……少しは手加減しなよね。あたしゃアンタの母親だよ?」
「ん……でもかかさん、弱い」
「うぐ……くそぉ……これでも去年まではまだ勝ててたってのにィ……。ホ
ントにまだ七歳かい? 末恐ろしい子だよまったく」
「
五歳になった時、リンデが身体を鍛えるよと言ってきた。理由は、弱いままでは強い者たちに殺されてしまうからということだった。
父であるクゼルが出て行ったのは、そんな強い者たちに殺されないようにということらしかった。
父は狙われている。しかも強い者たちに。母であるリンデからそう聞かされた。四年前、クゼルが
実際に父の顔を鮮明に覚えているわけではない。ただニオイと温かさはハッキリと身体で覚えている。
「……ねえ、かかさん」
「何だい?」
「いつか……ととさん、迎えにきて……くれるかな?」
クゼルの話をすると、いつも決まってリンデは悲しげで辛い表情をする。でもすぐに笑顔を作り、
「良い子にしてると、きっとね!」
と、言ってくれるのだ。
「でも、アイツが大手を振って帰ってきた時、めちゃくちゃビックリさせるためにも、まだまだ強くならなきゃね! ウイ!」
「ん……ウイ、身体動かすの好き。いっぱい、強くなる」
強くなって、リンデもクゼルも守るんだと心に決めているウィンカァ。そのためにも日々の修練を欠かさず行おうと思った。
どうすればもっと強くなれるか、天を仰ぎつつ汗を首にかけているタオルで拭いながら考えていると、アッと効率の良さそうな修練方法を思いつく。
「ねえ、かかさん、今思いついた修練方法なん……だけ……ど……っ!?」
ゆっくりと空に向けていた顔を、リンデが立っているはずの方向に向けると全身が凍りついた。何故なら彼女が口から血を吐いて倒れていたのだから。
「かかさんっ!」
すぐさま駆け寄り身体を抱える。
ウィンカァは小屋へと彼女を運びベッドへ寝かせると、近くの村に行き医者を呼んできた。
「これは…………一体いつからなんです? ここまで病状が悪化しているなんて」
医者が言うには、もっと前から身体に不調があったはずだったらしい。それをリンデは
「この病気は最近ここらで流行っているんだけど、かなり
知らないのは当然だ。何故なら村に住んでいないのだから。たまに日用品などを購入するために行くくらいだ。
「恐らく、買い出しに行っている時に、他の住人から病の種をもらってしまったのでしょう。もう少し早く診断していればまだ治る見込みだってあったものを……」
「そ、そんなっ! 何とか、してっ!」
ウィンカァは医者に泣きつく。
「う~むぅ…………………………《ムーンクローバー》……」
「え……な、なに?」
「《ムーンクローバー》という野草を知っているかな?」
「ううん」
「もしそれがあれば、この病も少しは快復に向かうかもしれん。残念ながら、私が住んでいる村には備蓄がありません。とてもよく効く万能な薬ですが、手に入れることは非常に困難なのです」
「それがあれば、助かる?」
「間に合えば……ですが」
「……分かった。それ、ウイ取ってくる。どこにある?」
「確かこの近くだと――――」
高い
見上げるほどの高さにある岩の密集地帯。命綱などはない。もし採取中に落下してしまえば、大地に叩きつけられ即死してしまう。
医者の言葉を信じるならば、リンデに残されている時間は限りなく少ないという。一刻も早く《ムーンクローバー》が必要だ。失敗は許されない。時間もかけられない。
「大丈夫、ウイは、いつも修練してる」
リンデを守るためにも修練をしてきたのだ。ここで発揮しないでどうするのだと自分に活を入れて岩崖を登っていく。
(《ムーンクローバー》が生えてるのは、もっと先……)
小さい身体を存分に動かしてスイスイと上昇していく。だが足をかけた岩が脆かったのか、崩れてしまいバランスを失う。
「くっ!」
落下しそうになるも、
「ゼッタイに、採ってくるから……。だから……待ってて、かかさん!」
少しでも気を抜けば吹き飛ばされる風にも負けずに、一歩一歩確実に上へと突き進んでいく。
しばらく昇っていると、ようやく目前に月色に色づく草を発見することができた。あとはアレを摘み、医者のもとへ届けて薬にしてもらうだけ。
俄然
外見は四葉のクローバーに似ているが、その大きさは《ムーンクローバー》の方が十倍ほど大きい。色も空に浮かぶ月のごとく黄色に輝いている。
ウィンカァはその手に《ムーンクローバー》を掴むと、懐にしまい、今度はゆっくりと崖を降りていく。
焦ってはいけない。焦ってしまえば、足の踏み場も危うい状況の中、間違いが生じて落下してしまうかもしれない。そうなればすべてが水泡に帰してしまう。そんな事態だけは避けねばならない。
ゆっくりと時間をかけて岩崖を降りると、疲労感がドッと全身を襲う。このまま横になり寝たい衝動にかられるが、一刻も早く《ムーンクローバー》を届けなければ、リンデが死んでしまう。
突如、ウィンカァは小石に躓いて前のめりに倒れてしまう。だがそれが良かった。そのお蔭で、確実に一回は命拾いをしたのだから。
すんでのところで頭を
明らかな敵意。腹でも空かしているのか、眼も血走っていて、すでにウィンカァを獲物としてロックオンしているのは間違いない。
「ぅ……あ……っ!?」
このような巨大なモンスターと
恐怖で足が竦む。まるで蛇に睨まれた蛙だ。本心はここから逃げ出したいと思っているのに、身体が言うことを聞かない。まるで石化の魔法でもかけられたかのようである。
「逃げ……なきゃ……!」
今の自分ではすぐに殺されてしまうということはハッキリしていた。本能が逃げろと選択を促している。だがウィンカァが向かうべき場所はモンスターがいる方向だ。
このまま逃げれば逆方向になり、せっかく手に入れた《ムーンクローバー》も届けることができない。
(ど、どうすれば……?)
誰も答えを教えてくれない。心の中でリンデや父であるクゼルのことを何度も呼ぶ。
(ととさんっ! かかさんっ! 助けてっ!)
しかし声が彼らに届くことはなく、モンスターがジリジリと詰め寄ってくるだけ。
死にたくはない。だけど逃げれば《ムーンクローバー》を届けられない。凄まじい葛藤がウィンカァの心の中でせめぎ合っている。
モンスターが
すると、先程いた場所は地面ごとごっそりと――――喰われていた。
背中にゾクッとするものを感じ、ウィンカァは逃げ出す。しかし相手の行動の方が速く、即時に回り込まれてしまい、再び噛み攻撃が襲い掛かってくる。
「ああぁぁぁぁっ!」
身体を捻って何とかかわすが、
咄嗟にガードはしたものの、衝撃力は並ではなく意識が飛びそうになる。そしてあろうことか、懐にしまっていた《ムーンクローバー》が、外へと流れ出て地面へ落ちてしまう。
地面に倒れながらも、《ムーンクローバー》だけは死守しなければという想いは強い。しかし吹き飛ばされたせいで体中が
手を伸ばそうとするが、モンスターが知らず知らず、《ムーンクローバー》を踏みつけてしまった。
その瞬間、ウィンカァの
(これが―――――――最後なんてやだっ!)
何が起こったのか、身体の奥底から湧き上がる激情が身体を起こしてくれた。獣人と人間のハーフであり、人間よりの姿だったウィンカァには、獣耳と尻尾は生えていない。
しかし今だけは、何故か頭の上には獣耳、臀部近くには尻尾が
「どいてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええっっっ!」
ウィンカァが風のような動きで相手との距離を潰し、顔面を力一杯殴った。突然のことに、モンスターも反応が遅れて、後方にある岩壁があったところまで吹き飛び激突した。
「はあはあはあ……」
次第に花が
実際のところ、どうやって帰ったのか覚えていない。あの状態でよく帰ることができたと自分を褒めてやりたい気持ちだったウィンカァ。
《ムーンクローバー》を時間内に医者へと届けることができて、リンデは少し持ち直すことが可能になったのだ。
しかし根本的な解決にはならなかった。症状は末期であり、あくまでも
それでも《ムーンクローバー》があったからこそ、リンデの命は確実に延びたのだ。それを知ったリンデは、ボロボロになりながらも命を助けたウィンカァを抱きしめて喜んでくれた。
それだけでウィンカァは救われる思いだった。
それから一月ほど―――。リンデはやはり快復することはなく、他界してしまうことに。
その際に一本の槍をウィンカァに託して。
「ねえウイ、アタシはアンタには好きに生きてほしいって思ってる。これはクゼル……アンタのととさんが残した愛そのもの」
「……愛?」
「そう。この槍には、クゼルの愛がいっぱい込められてる。アンタはコレと一緒に強くなるんだよ」
「かかさん……」
「アハハ! アンタにかかさんと呼ばれる度にアタシは嬉しくてね! けど…………ごめんね。アンタにずっと黙っていたことがあるんだよ」
「……なに?」
とても言い
「……実はね、アンタはアタシがお腹を痛めた子供じゃないんだ」
正直その告白は衝撃的だった。いや、実は昔から少し気になっていたことがあったのだ。それは記憶の片隅に、本当に小さな
時折笑いかけてくるその顔に見覚えがある。リンデとよく似ているが、穏やかで優しそうな女性。そしてとても懐かしさを覚える人。
ただハッキリとした記憶ではないので、気にはなるものの、どうしても知りたいというほどではなかった。
そのことを話すと、リンデは嬉しそうに笑って、
「うん。それがアンタの母親。名前は―――ピアニ。可愛くて、優しくて、
少し天然な、アタシの大好きだったお姉ちゃんさ」
そしてピアニがもう他界してしまったことを知る。
「……かかさんと、同じ病気?」
しかし彼女は首を左右に振る。
「何でピアニが死んだか、それだけはアンタがいつか、クゼルに会った時に教えてもらいな」
「ととさん……に?」
「ああそうだよ。アイツはアンタやアタシのことを想って出てった。けどどこかで生きてるとアタシは信じてる」
「ん……ウイも。ホントは、全部かかさんから、聞きたい……けど、我慢する」
「アハハ、ありがとね。うん、今は知らなくてもいい。いつか……そう、いつかその槍でクゼルさえ守れるような強さを得ることができたら、きっとアイツに会って―――」
「かかさん……」
「……ごめんね、ウイ。でもアタシはアンタのかかさんになれてホントに幸せだった。アタシの人生は楽しいことばかりじゃなかったけど、それでもアンタがアタシの希望になってくれる。こんなに嬉しいことはないよ」
ああ、これでもう本当にリンデとはお別れなのだということを直感的に理解した。
「幸せになりなね、ウイ。誰よりも。アタシは一足先に天国に行って、ピアニ……アンタのホントのかかさんと見守ってるからね。…………大好きだよ、ウイ」
その言葉を遺して、リンデはこの世を去った。悲しかった。とても辛かったけど、リンデと一緒に暮らしている間は幸せだった。
楽しい思い出ばかり。いつまでも悲しんでいると、きっとリンデは悲しむ。だからウィンカァは決意した。もっと強くなると。
そして―――――父を探す――――と。
父であるクゼルから託された《万勝骨姫》を携えて旅に出る。
ウィンカァ・ジオ。まだ
※
「おかあさぁぁぁぁんっ!」
少女が一つの家の中に飛び込んできた。その小さな手には月色の野草が抱えられている。
「ど、どこへ行っておったんじゃ、ナビ!」
少女(ナビという名らしい)の祖父らしい男が、
「ぁ……ご、ごめん……なさい……で、でも……」
「む? そ、それは《ムーンクローバー》じゃぞ!? い、一体どこで!? ま、まさか一人で探しに外へ出て行ったのではあるまいな!」
「うぅ……ごめんなさい……」
「何という無茶なことを……怪我はないのか?」
不安気にナビの体調を気にし始めるナビの祖父。
「う、うん。だいじょうぶ。ウイさんがまもってくれたから!」
「ウイ? ……誰じゃ?」
「……ここ」
「のわぁっ!? だ、誰じゃ!?」
「だから……ウイ」
いつの間にかナビの祖父の隣に立っていたウィンカァ。音も気配もなく立たれたらやはり怖いようだ。
ナビがウィンカァに助けてもらったお蔭で、こうして病気に苦しんでいる母親に《ムーンクローバー》を届けられたことを教えてもらったナビの祖父は、丁寧に腰を折り曲げるような頭の下げ方で感謝の意を示してきた。
「本当に感謝する。我が娘と孫の命を救ってくれて、ありがとう」
「ん……間に合って良かった」
ウィンカァはベッドの上に寝ているナビの母親の寝顔を見てホッと息をつく。どうやらリンデの時より症状が軽いようなので、これなら延命措置というわけではなく、しっかり養生すれば治るかもしれない。
話を聞けば、村における《ムーンクローバー》の備蓄が底をついていて、何とか手元にある他の薬で症状悪化を防ごうとしていた最中だったということ。
ナビの夫が近くの街まで《ムーンクローバー》を買いに出かけたらしいが、まだ帰って来ない。
何とかお小遣いで《ムーンクローバー》を一輪だけ買うことはできたみたいだが、帰りにモンスターに襲われてしまったということらしい。
「明日にはお前の父も帰ってくると言うておったじゃろ? 頼むから無茶せんでくれ、ナビよ」
「うぅ……ごめんなさい……」
どうやら完全にナビの勇み足だったようだ。子供は思い立ったが吉日とばかりに、本能的に行動するので困ってしまうのだろう。
「でも本当に無事で良かったわい。改めて礼を―――」
その時、家の外で悲鳴が上がったのを聞く。慌ててウィンカァたちが外へ出てみると、
「お、おとうさぁんっ!」
ナビがそう呼ぶ男性の傍には、鋭い
「ん……ジャックマンティス」
見覚えのあるモンスターだ。血のニオイに敏感で
なかなかに強いモンスターなので、モンスター狩りを
ナビが父親らしき、その男性のもとへ向かう。
「ナビッ! 来るなっ! 来ないでくれっ!」
しかしナビは止まらず父のもとへ。ナビが近づいたと同時に、ジャックマンティスの刃が彼らの頭上から降り注ぐ。
村人たちは次に訪れる残酷な光景に目を閉じるが―――キィンッ!
小気味の良い
「―――お、おねえちゃんっ!?」
ナビの視界に映ったのは、自身の身の丈よりも長い槍を構えたウィンカァだった。
「ん……大丈夫?」
「えと……君は?」
ナビの父が尋ねてくるが、答えずにウィンカァは彼が脇腹から出血しているのを確認する。どうやらその血のニオイを辿ってジャックマンティスはやって来たらしい。
ここで暴れられたら死人まで出る可能性が高い。そんなことはさせない。そう思って、ウィンカァはジャックマンティスと対峙する。
相手もウィンカァに意識を集中し出し、素早い動きで両手を何度も振ってきた。
「無駄。ウイの槍は―――――最強、だから」
華麗に弧を描きながら槍を振り回し、相手の攻撃を
見事に相手の右腕を斬り飛ばすことに成功する。相手もたじろぐが、驚くことに後ろからさらに二体、同じジャックマンティスが出現。村人たちの顔が青ざめる。
しかしながら、ウィンカァは一つも表情を崩していなかった。槍の切っ先を相手へと向けて、少し前かがみに上体を向ける。
「行くよ。《四ノ
それはモンスターであるジャックマンティスも同様に。ただ激しく、そして清廉に動いているのはウィンカァだけ。
映るは黄色い閃光。それだけがジャックマンティスたちの傍を動き回り、
数秒後―――即時戦闘終了。大地には、細切れにされたジャックマンティスたちの
「…………《
「え……げっこう?」
父の呟きに、ナビが首を
「さ、最近まだ幼いってのに、二つ名がついた冒険者がいるって話を聞いた……。その子は黄色い髪に、馬鹿でかい槍を持ってるらしい……。今の動き……まさかあの子が……!」
「ふわぁ~、おねえちゃんってすごいんだね~」
「ん……ブイ」
褒められたのが少し気分良く、ナビに向けてVサインを送った。村人たちも、ウィンカァに詰め寄り感謝の言葉を述べてくる。
その中でナビの祖父が、ウィンカァがどのような人物なのかを皆に説明し、説明を聞いたナビの父が頭を下げてきた。
「この通り。本当にありがとう。妻と娘だけでなく、村まで救ってくれて。実は帰る途中に、奴に襲われてしまってね。何とか逃げ延びたと思ったんだけど、逃げる時に受けた攻撃で脇をやられてね。多分、この血のニオイを追ってきたんだろうな」
「まったく、
「ご、ごめんなさい。で、でも《ムーンクローバー》だけは死守したし」
老人に怒られシュンとなるナビの父親。だがすぐに誤魔化すように笑い声
混じりに言う。
「いや~、それにしても、さすがはかの《月光》だよ」
「ん……みんなも無事。良かった。ナビのかかさんも、無事。言うこと、ない」
「本当にありがとう! いや~でも、今日はつくづく黄色に縁がある日だわ」
「んん? どういうこと、おとうさん?」
「いやな、ほら、ジャックマンティスの身体も黄色っぽいし、助けてくれたこの子の髪も黄色だろ? それに街で手に入れた《ムーンクローバー》も黄色だ。しかもコレを買う時、少し金が足りなくてな、そん時にお金を貸してくれたのがお嬢ちゃんみたいに黄色い髪をした人だったんだ。獣人だったからビビったけど、優しくて良い人っぽくて良かったぁ。獣人の中にもああいう人がいる……ってなになにっ!」
ウィンカァはカッと目を見開くとナビの父に詰め寄る。
「その人、どんな人?」
「え、あ、はい?」
「刀、持ってた?」
「か、刀? 刀って、細長い剣のことだよな? ウ~ン、持ってたような……」
ウィンカァは彼のその言葉を聞き、すぐに街がどの方角にあるか聞く。そして聞いた後、すぐさま走り出した。その場にいる者たちは、ただただ
に取られたまま。
「…………し、知り合いだったのかのう?」
「さ、さあ……」
「おねえちゃん……もっといっぱい、おはなししたかったのに……」
「ま、まあもしかしたらまた戻ってくるかもしれんから、その時にでも改めて礼をさせてもらえばいいんじゃよ」
ナビの祖父の言葉に、ナビとその父は頷きを見せる。少しの間、村人も含めた全員が、去っていったウィンカァの後ろ姿を目で追いかけていた。
黄色い髪をした獣人。そして刀を持っている。それだけの情報量で、確証はないが、もしかしたらクゼルかもしれないと思いウィンカァは走っていた。
(会いたい……会いたい。……ととさん)
その想いだけを胸に、今まで旅をしてきた。クゼルの力になるために必死で鍛錬もしている。リンデとの約束もある。
「ウイの、幸せ。それは、ととさんを守ること」
彼を守れるだけの強さを手に入れる。もっともっと強くなって、父とともに生きたい。それだけが今のウィンカァの望み。
ウィンカァに残された家族はクゼルのみ。だから探す。一緒に暮らす。それが幸せ。
この残酷な世界でも、確かな幸せはまだ残っている。獣人にとって、人間たちが住む人間界は住みにくい場所ではあるが、それでもウィンカァは旅をし続ける。
いつか父と暮らすという夢を掴むために。
(ととさん、待っててね!)
ウィンカァの旅はまだまだ続く。
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