ep9. アノールドとミュアの邂逅・後編 ~銀と青の誓い~
――――四年前。
ギン・カストレイアは、ベッドの上で静かに寝息を立てている、二人の人
物の顔を穏やかな表情で見つめていた。
一人は愛する妻――ニニア。ギンと同じ美しい銀髪と、空色の瞳を持った
獣人。もう一人は、そのニニアとの間に授かった一人娘であるミュアだ。
目に入れても痛くないほど可愛い子であり、ニニアによく似ている。きっ
と大人になれば、美しい女性になること間違いなしの少女だ。
彼女たちの顔を見ているだけで、ギンの心には幸せが込み上げてくる。
ふと、ニニアの
「……あなた? まだ起きてたの?」
「ああ、少し眠れなくてな」
少しどころではない。ここのところ毎日、眠れない日々が続いている。そ
の理由はひとえに、ニニアを思うからこそだった。
彼女は今、病気に冒されてしまっていて、ここ数カ月ずっと寝込んでいる。
どんな薬草を
やるくらいしかできない自分の無力感が辛い。
何とかして彼女を病から救ってやりたいが、ここは自分たち
辛い人間界であり、医者も人間が多く、頼み込んでも
この【リンツの山】から出て、獣人が住む獣人界へ帰ることができれば医
者にも頼れるのだろうが、今のこの状況で彼女を動かすのは危険。とても長
旅に耐えられる体力などありはしない。
「……ねえあなた、少し手を貸して」
「ん? どうした?」
彼女に言われて手を差し出すと、その手を取り起き上がろうとする。
「おい、寝てなくちゃダメだろう?」
「ううん、少し夜風に当たりたいの。あなたと一緒に」
「ニニア…………分かった」
て外へと向かう。暖かい季節だといっても、夜風は少し肌寒い。彼女には毛
皮のコートを着用させた。
ホットミルクを二人分作ると、二人一緒に星空を見上げながら飲む。
「……
「ああ、まさに星の海……だな。それにあっちにある大きな月も
存在感
「ねえ知ってる? 月には神様が住んでるっていう話」
「何だそれは?」
「そういう物語を書いた本があって、前に読んだことがあるの」
「へぇ」
「その神様が創り出した世界に住む人たちが争いばかりするから、神様が
怒ってみんなを滅ぼそうとするの」
「おいおい、
「うん。でもね、住んでいる人たちも神様に負けないように生きようとして
戦うの」
つまり黙って倒されるほど
あ、当然か。
「……どっちが勝ったんだ? やっぱり神か?」
「ううん、勝ったのは世界に住む人たち……になるのかな」
「神なのに負けたのか?」
「実はね、神様は人々に知ってほしかったの。争いがどれだけの命を奪うか。
もしそれに気づけずに神様と戦い続けるようなら、神様は人々をすべて滅ぼ
したわ。けれど、人々は争いの無意味さに気づいて、神様にお願いした。も
う二度と争わないから、どうかもう一度チャンスがほしいって」
「なるほど。それで神が受け入れたってわけか」
「そう。だから本当の意味で勝ったのは、やっぱり神様だったのかもしれな
いわね」
すべては神の
「……神か」
「どうしたの?」
「いや、この【イデア】にも神ってのがいるのなら、お前の病気も治しても
らいたいって思ってな」
「あなた……」
「でも神なんていない。もしそんな都合の良い存在がいるのなら、世界はこ
うまで荒れてないし、戦争ばかりしてないはずだ」
この世界――【イデア】には、人間、獣人、
る。その中で人間、獣人、魔人は互いに仲が悪く、争いの歴史ばかりを作っ
ていた。
だから獣人であるギンたちは、そう簡単に人間の前に姿を見せるわけにも
いかないのだ。過激派に見つかれば
てある。
獣人にとっては、この人間界は住みにくい場所だ。なら何故このようなと
ころで暮らしているのかというと、それはこの【リンツの山】が、ニニアと
初めて出会った思い出の場所だったからである。
ここは比較的人間の手が入らない山奥であるということも大きかった。そ
れに何よりも自然が豊かで美しい場所だったから。
それでもやはり人間たちに
わさずに魔法を放ってくる可能性だってあるのだ。魔法を使えない獣人が編み出した《
抜けるのも難しいだろう。
だからしばらく住んで、すぐに離れようとした時にミュアが生まれた。ま
だ小さな子を抱えて人間界を旅するのは怖かった。だからこうして、今まで
この場から離れられずにひっそりと暮らしているのだ。
(もし本当に神がいるんなら、平和にしてくれよ……頼むから)
そう願わずにはいられない。何よりも彼女を―――ニニアを救ってほしい。
ふと手に温もりが伝わる。ニニアがギンの手の上に手を重ねていた。
「あなた、わたしは幸せよ」
「ニニア……?」
「あなたがいて、ミュアもいる。この地は誰にも侵されずに、こうして平和
に暮らせているもの。これ以上望むのは
「し、しかしお前の身体は……」
「ううん。わたしは病になんて負けない。だって、まだあなたたちを置い
ていくのは、不安がいっぱいだもの。だってあなたはお料理もできないし、
ミュアだってまだ八歳になったばかりで甘えん坊だしね」
「りょ、料理くらいやろうと思えばできるさ!」
「あら、嘘はよくないわ。この前作ってくれたおかゆなんて、塩と砂糖を間
違えてたし」
「うっ……それを言わないでくれ」
「ふふふ、でも本当にあなたには感謝しているの。ミュアという素敵な贈り
物までしてくれたんだもの」
「ニニア……俺だって、君に会えて良かった。君は俺の星そのものだから」
「もう、恥ずかしいわよ」
ニニアの顔が真っ赤に染まる。自然と彼女と目が合い、少しの間、
目を開くと、彼女が涙を流していることに気づく。
「ニニア?」
「ご、ごめんなさい。幸せ過ぎて……嬉しくて」
「……必ず君とミュアは俺が守るから」
「ありがとう…………ギンさん」
彼女を優しく抱きしめた。いつまでもこの時間が止まればいいと思う。
しかし時の針は
その日から二日後、ニニアの
小屋の近くにある小高い丘に、美しい花畑がある。ニニアと出会った場所。
「……なあ、ニニア。守ってやれなくてごめんな」
花畑の中央には一つの石碑が置かれてあり、“ニニア・カストレイア”の
名前が刻まれてある。彼女が死んで、ミュアと一緒に作った墓だ。
「けどな、約束する。この子だけは、俺が死んでも守ってみせる。幸せにし
てみせるぞ」
いまだに泣いているミュアの頭を
ているニニアに誓う。
「ミュア、今は好きなだけ泣くといい」
「おと……う……さん……」
「悲しむなとは言わない。お父さんだって悲しい。辛い。苦しい。けどな、
お母さんが喜ぶのは、俺たちの笑顔だ」
「え……がお?」
「そうだ。そして長生きすることだ。幸せになることだ。だからお母さんに
誓うんだ。絶対に幸せになるってな」
「……うん」
まだ八歳。だが死という
必要な時期であり、甘えたい盛りだろう。それでもこれからは、その悲しみ
を背負って生きていかなければならない。
「強く生きて行こう、ミュア」
「……うん。わたしもお母さんみたいに強くなりたい」
二人で誓った。ここは、ギンとミュアの特別な場所になったのだ。
※
ギンとミュアに三年前に出会ってから、彼らと一緒に過ごすことが心地好
くなり、ずっと傍にいるアノールド・オーシャンは、ギンたちが住む小屋へ
と向かう途中で捕まえた獲物を、誇らしげに見つめながら歩いていた。
「いや~、さっすが俺! こ~んな大物が手に入るとは成長したよなぁ~。
もうすぐミュアの誕生日だし、コイツを使って美味いもんでも作って祝って
やっか!」
冒険者であるアノールドは、山を下りて街にクエストを
た。冒険者はクエストを達成し、その
伐などの危険な仕事も多い。その分、実入りはかなりのものではあるが。
アノールドも稼ぐために、街に下りてクエストを探したのはいいが、自分
のレベルに合っているクエストが無かった。そのため残念ながら、こうして
とんぼ返りにはなったというわけだが、帰り道の途中で、良い獲物を狩れた
ので満足しているのだ。
「もうすぐ小屋だな~。あいつら寂しがってねえといいけどなぁ。カッカッ
カ!」
陽気に声を張り上げながらしばらく歩いていると、ギンたちが住む小屋が
見えてきた。
しかし小屋に近づいた瞬間、思わずその周囲の状況に
た獲物を落としてしまった。
木々が
うな跡がくっきりと残っている。まるで戦闘でもあったかのようなその様子
に、アノールドも顔を真っ青にして走り出す。
「おおいっ! ギンッ! ミュアッ! どこだっ! どこにいるぅっ!」
もし人間が襲ってきたとしたら、彼らは確実に狙われてしまう。この状況
は確実に異常事態が起きていることを
小屋の中に入っても誰もいない。返事もない。一度出て裏側に回ってみる
と、
「ギンッ!?」
ているのを確認し、この状況を作ったのが彼だということも何となく理解で
きた。
「お、おいギン……?」
しかし返事がない。歯を食いしばりながら地面の一点をジッと見続けてい
る。アノールドはキョロキョロと周囲を見回し、
「な、なあ、ミュアはどこだ?」
尋ねると、ピクリと彼の耳が動く。ようやく反応してくれた。
「ミュアは……ミュアは……俺が目を離したせいで……ミュアは……」
いつも彼の存在の強さを伝えてきた大きな背中が、今では物凄く小さく見
える。
「おい! 一体何があったんだ!」
「ミュアは……ミュアは……」
アノールドの存在にすら気づいていないのか、ずっと彼女の名前を呼び続
けているだけ。
「このっ、目を覚ませバッカヤロウがっ!」
バッチィンッと彼の頬を平手打ちする。
「そんなんじゃ何が起きたか分からねえだろうが! いつものお前らしく、
しっかりしやがれっ!」
「…………アノールド……?」
「おうよ。ようやく気づいたか」
「……アノールドッ! ミュアが! ミュアが
「何だってっ!?」
彼から聞いた話によると、風呂の用意をするために一人外に出たミュア
が、いつまで経っても戻って来ないから
ミュアの片方の
ギンは自分の不甲斐無さに暴走してしまい、小屋の周囲で暴れ回ってし
まったとのこと。
「おいおいマジかよ。んじゃ人間がここに?」
「いや、近くに人間がいたんなら気づくはずだ。けど、人間の気配なんて
まったくしなかった」
「なら何かの魔法か?」
「……かもしれない」
「けど、だったら何でギンは放置したんだ? 同じ獣人なのに……。獣人
人間の中には獣人を見下している者たちが多い。
人間は昔、公に獣人を
その経験があり、その時に獣耳を当時の飼い主に千切られたという苦い思い
出がある。
今は規制もかかり、獣人を奴隷化する者は少なくなったが、完全に消失し
たわけではない。今もなお、獣人排斥を
多く住む大陸――人間界にいる獣人たちは肩身の狭い思いをして生きている。
過激派に見つかれば、どのような獣人だろうと捕らえられるはずだ。それ
なのにミュアだけというのが解せない。
「分からない。一人だけでやって来て、まずはミュアだけを攫おうと考えた
のかもしれないし、他に理由があったのかもしれない」
「けどお前の存在も知られているはずだ。何かしらコンタクトしてくると思
うが」
ミュアがこのようなところに一人で住んでいるとは思わないだろう。小屋
まであるのだから、中に誰がいるか確認くらいはしているはず。
その時、窓ガラスを突き破り何かが壁に激突する。それは泥の塊。
「な、何だ!?」
アノールドが警戒しながら窓の外を見てみると、そこには以前戦ったこと
のある一体のキャノンリザードがいた。
「キャノンリザード? 何でいきなり攻撃なんか……?」
「待てアノールド! アイツの
「え――――あ、あれはっ!? ミュ、ミュアの靴じゃねえか!?」
それはもう片方のミュアが
た泥の中から、丸め込まれた紙を発見する。
「おい、何かあるぞ!」
アノールドが拾い上げ、紙を開いてみる。そこには血文字のような赤い色
で文が書かれてあった。
「くそっ! ふざけやがってっ!」
「俺にも読ませてくれ!」
ギンがアノールドから受け取り目を通す。
“銀髪の小娘は我が手中に。返してほしくば、この場所へ来い”
それは明らかな
て捕縛するつもりなのだろう。いつの間にかキャノンリザードもいなくなっ
ている。
「どこのどいつか分からねえが、まさかモンスターを操れるのかよ……!
どうするギン!」
「もちろんミュアを助けに行くに決まっている」
「けど相手が何人かも分からねえんだぜ?」
「だから何だ? 大事な娘が助けを待っているんだぞ!」
「……相手は多分、ユニーク魔法の使い手だ。いくらお前があの種族だとし
てもよぉ、数も分からねえんじゃ厳しいんじゃねえのか?」
人間が扱う魔法は強力だ。そしてさらに強力なのは、ユニーク魔法と呼ば
れる、その者にしか扱うことができない固有魔法。規格外の能力を有してい
るものばかり。
だからこそ、何の対策も無しに突っ込むのは危険なのだ。
「そんなことは分かっている。それでも行くしかない。時間をかければ、
ミュアに何をされるか分かったもんじゃない」
確かに彼の言う通りだ。問答無用で獣人を殺す者だっている。中には人間
に高値で売り付け奴隷化させられることだってあるのだ。
「お前は早く逃げろ。多分お前の存在には気づいていない」
「な、何言ってんだよ!」
「この文を見るに、一人で来いとは書いていない。つまり元々俺一人しかい
ないと思われているんだ。多分さっきみたいにモンスターを使って小屋の周
りを
がモンスターが偵察している間、お前は山から出ていたから相手は知らない
んだろう」
「け、けどよ……」
「お前には感謝している。だがこれ以上迷惑はかけられない。今の内に逃げ
ろ。お前も獣人なんだ。見つかれば……」
そう、見つかればどうなるか考えただけでも恐ろしい。だから彼は、ア
ノールドに気を使ってくれている。しかしその気の使い方はムカついた。
「……俺のこと、家族だって言ってくれたよな?」
「……アノールド?」
「言ってくれたよな?」
「あ、ああ」
「なら家族であるミュアを助けるのは、家族として当然じゃねえか?」
「だ、だが危険だ!」
「そうだな、確かに危険だ。けどよ、多分さっきのモンスターに姿を見せた
せいで俺のことも気づかれたかもしれねえし、俺だけ逃げて、もしお前らが
死んじまったら、俺は多分もう心の底から笑うなんてことはできねえ」
家族を見捨ててまで生き延びたいとは思えない。それほど、アノールドに
とってこの三年間は
ていた。
「
てんだ! 大人の俺が逃げるわけにはいかねえんだよっ! そうだろ、ギ
ンッ!」
「アノールド…………フッ、本当にお前はバカだな」
「親バカのお前には言われたくねえぞ」
「ハハ。…………本当にいいのか?」
「愚問だぜ、親友」
「…………分かった。ならっ!」
突然ギンが腰に携帯していたブーメランに雷を帯びさせて、窓の外へと放
り投げた。続いて落雷のような轟音が鳴り響く。
「い、一体何したってんだギン……?」
「さっき逃げたモンスターを仕留めておいた。これでお前の存在が向こうに
バレることはない」
やはりギンという男はとんでもない男である。恐らくまだ近くで動いてい
たキャノンリザードに向けて攻撃を放ったのだろう。臨戦態勢に入ったこの
男の感覚は
「アノールド、作戦を練るぞ」
「あ、ああ」
心の中でミュアの無事を祈りながら、二人で作戦を立てることになった。
※
「――――……う……うぅ……」
ひんやりとした空気に身震いをしながら意識が覚醒し始める。ゆっくりと
瞼を上げたミュアは、初めて見る景色に半ば呆然としてしまい、まだ夢の中
にいるような感覚になった。
「……え……?」
だが身体に違和感を覚える。自由に手足が動かせない。よくよく観察して
みると、壁に設置された
一体何が起きているのか思考能力がストップしてしまい判断できなくなっ
ている。その時、何かゴソゴソッと視界の端で動いた。
ゾクッとするものを感じながら視線を動かすと、
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
そこには黒く
しさに恐怖を感じて身体が
「――――黙れ、ガキが」
人の声がした。冷酷な
「た、助け……」
この人に助けを請おうとしたが、鉄仮面の周りにいる白ローブを
たちを見て息を呑む。
彼らが身に着けている白ローブには、獣人のシルエットが描かれており、
その上にバツ印が刻まれている。ミュアはそのローブを羽織る者たちのこと
をギンから聞かされていた。
《獣の檻》―――獣人排斥派たちで組織されている集団。元冒険者たちが多
く
で対処を行う非道な者たち。
決して獣人が近づいてはならない存在だと、ギンだけでなくアノールドか
らも教えられていた。
そこで何故自分がここで拘束されているのか、ようやく思い出してきた。
(あの時、わたしはモンスターに襲われたんだ……!)
風呂に
いうモンスターに気絶させられたのだ。声を出そうとしたが、舌が首まで伸
びてきて巻き付いたせいで出せなかった。そしてそのまま意識が遠のいて
いったのだ。
(わたし……誘拐されちゃったの……?)
《獣の檻》が友好を深めるためにミュアを捕らえるわけがない。きっと自分
はこれから殺されるか、人間に売られるかどっちかなのだと思うと、怖くて
声が出なくなってくる。
(そ、それにこれは―――)
ミュアは視線を近くにいる黒い物体へと向けた。一体モンスター何匹分か
分からないほどの巨大な物体が蠢いている。
もしかしたらコレの
「貴様はもう一人をおびき出す餌だ。安心しろ、親子ともども査定をし、売
れるようなら殺しはせん」
鉄仮面の奥から低い男性の声が耳に入ってくる。だが聞き捨てならない言
葉があったことを追及する。
「も、もう……一人……?」
「貴様には父がいるのだろう? どうやら
みると、殺されたようだが、こちらの言いたいことは伝わったはずだしな」
「ど、どういう……ことです……か?」
「これだから頭の悪い獣人は
それは父であるギンをおびき出して捕らえるということ。そんなことはさ
せられない。だって誓ったから。死んだ母に。父であるギンを守ると。
「わ、わたしだけに!」
「あ?」
「お、お願いです……から。お父さんは……お父さんだけには手を出さない
で……ください」
「冗談を言うな。わざわざ金になりそうな獲物を手放す理由がないであろう」
「そんなっ!」
「男の獣人は買い手が少ないから、恐らく殺すことになるだろうが、まあ獣
人の検体を欲しがっていた実験施設もあるし、
「やめてっ! お父さんを傷つけないぐむぅっ!?」
突然鉄仮面の男に、その大きな手で口を塞がれる。そしてそのまま軽く手
を動かして、頬を殴られた。
「キーキー
凄まじい殺気が男から放たれ、無意識に身体が震える。
(……お父……さん……)
いくら涙を流したところで、ここにいる者たちがミュアの望みを叶えてく
れないということだけはハッキリした。
絶望に打ちひしがれていると、突如、悲鳴のような叫び声が洞窟内に反響
した。
「何だ? 何の騒ぎだ?」
鉄仮面の男のもとへ、部下らしき人物がやってくる。
「例の銀髪の獣人が攻め込んで参りました!」
「ほう、来たか」
「しかし恐るべき強さで、同志たちが次々と殺されています!」
「フン、そんなことはどうでもよい」
「は?」
「さっさと奴をここへ通せ。面白い見世物が始まるぞ」
「ぎょ、御意!」
部下を見送った鉄仮面の男は、再びミュアに顔を向ける。
「どうやら貴様の父が来たようだぞ。さあ、楽しいショーの始まりだ!」
ミュアは頬の痛みを我慢しながらも、ギンに来ないでと心の中で何度も叫
び続けた。だが聞こえるのは、頼もしい父が自分の名を呼びながら向かって
くる声だ。
その声を聞いて嬉しく思う自分が腹立たしい。ここに来れば、ギンが殺さ
れてしまうかもしれないというのに、助けに来てくれたことが嬉しくて仕方
がないのだ。
「ミュアァァァァァァァッ!」
「お父さぁぁぁぁぁぁんっ!」
現れたギンの姿を見てホッとすると同時に、鉄仮面の男から放たれる不気
味なオーラを感じて顔を真っ青にしてしまう。
「ミュアッ!」
「お父さんっ! すぐにここから逃げ―――」
鉄仮面の男にまたも口を塞がれ最後まで言えなかった。
「お前っ! その汚い手を放せっ!」
「ククク……ゲームをしようじゃないか、獣人?」
※
「ゲーム……だと?」
ようやくミュアを見つけたと思ったら、ギンの眼に飛び込んできたのは、
愛する娘が壁に磔状態にされている姿だった。
思わず我を失い暴れそうになったが、敵がミュアの近くにいる以上、下手
に動くのは危険だと思い立ち止まる。
「そうだ。今からここにいる儂の手駒と戦ってもらう。もし見事、全部の駒
を倒すことができたのなら、このガキを解放してやろう」
周囲を確認する。壁には幾つもの檻が設置されており、その中にはモンス
ターが閉じ込められているようだ。やはりここのモンスターを操る能力を、
敵が有していることは間違いなさそうだった。
「俺がゲームに勝って、お前が約束を守る根拠でもあるのか?」
「ククク、こちらから仕掛けたゲームだ。ルールは守る。一方的に破ること
などはせん。そのようなことはつまらんからな」
「…………分かった」
どちらにしろ、今は相手の思惑に乗って、
面の男が少しでもミュアから離れた時が勝負だ。
(しかし……)
ギンが見つめるのは突き当たりに鎖で繋がれている黒い巨大生物である。
今まで見たこともないほどのモンスター。その威圧感だけで常人なら足が竦
むだろう。
全体に黒い布でも巻いているのか全容は分からないが、普通のモンスター
ではないことは確かだ。
(アレの相手は正直しんどそうだな)
鉄仮面の男がパチンと指を鳴らすと、壁の檻が開け放たれる。そこから
キャノンリザードやらダーティフロッグなどのモンスターが姿を見せる。
(まずはコイツらと戦わせて体力を奪うって算段か)
ブーメランを握る右手に力を込める。
「さあ、まずは第一回戦といったところだ!」
鉄仮面の男が宣言した瞬間に、モンスターたちが襲い掛かって来た。
「
帯電状態になったブーメランを投げ、モンスターたちを真っ二つにしてい
く。油断はできない。ここは敵の拠点。何があるか分からない。
(だから早くしてくれよ!)
一緒についてきた親友の顔を思い浮かべながら、ギンは電光石火のごとき
動きで敵を蹴散らしていく。
「ほう、やるな。とても山奥にひっそりと暮らしていたとは思えんほどの実
力だ。《化装術》も強力に育っている」
鉄仮面の男が興味深そうに声を漏らしている。ギンはモンスターと戦いな
がらも、意識だけは男にずっと向けている。
(ミュアに何かしてみろ。その時は絶対に殺してやる!)
何とか相手の隙を探りながら、ギンは次々と戦いを消化していく。
そして十五分が経ったくらいだろうか、動き回っているせいで、さすがに
体力が消耗してきた。モンスターのストックがどれだけあるのかと突っ込み
を入れたくなるほど、檻の中から湯水のごとく湧いてくる。
「やるではないか。冒険者ランクとしては、確実にSランクはある実力だな。
見事だぞ、獣人」
「そんなことよりも、約束は守れよ?」
「ああ、そうだな。貴様が本当にゲームに勝利したらな」
の人間の態度である。しかも――《獣の檻》。
あの時、山でミュアを捕まえようとした《獣の檻》の一人を殺したが、あ
の人物もここにいる鉄仮面の男の部下なのだろう。
恐らく【リンツの山】を調査していたところ、運悪くミュアが見つかって
しまったのだ。
(ミュアを救い出したら、一刻も早く山から出て行かなければな)
もう
険地帯に変わり果てたのだから。
ふと、天井のある部分から気配を感じた。チラリと視線を向ける。
(……やっとか。待ってたぞ)
ギンは頬を僅かに緩めると、大きく息を吸って、激しい放電を放つブーメ
ランを天井へと投げる。
「何だ?」
鉄仮面の男も急に
いる。
ブーメランは天井を突き破り、空へと舞い上がると、
「《
ピタリと止まる。そして雷を纏ったブーメランから、
が降り注ぐ。
地上にいるモンスターすべてに落雷が襲い掛かる。今まで戦闘に参加して
いなかった黒い巨大生物にもだ。
さらに周りにいる鉄仮面の男の部下らしき者たちにまで雷撃が襲い掛かる。
部下たちも突然の攻撃に成す術なく落雷を受け沈んでいく。
「……なるほど、《化装術》第二の攻撃といったところか。この分だとさら
に上のステージも持っているみたいだが?」
残念ながら鉄仮面の男には雷を落とせなかった。傍にミュアがいるから。
話しかけてきた鉄仮面の男を睨みつけながらギンは口を開く。
「これで全員倒した。さあ、ミュアを解放しろ!」
「ククク、何を勘違いしている」
「?」
「貴様が倒したのは―――――
突如、雷に打たれてピクリともしていなかった黒い生物がモゾモゾと動き
始めた。
(―――何だっ!?)
生物の身体にピキピキピキッとヒビが入っていく。
「さあ、拘束具が取れるぞ」
鉄仮面の男が
い生物を覆っている黒が弾け飛び、
「な、何だコイツは……!?」
二倍ほどの大きさに変化し、赤黒い肌を宿した巨大なサソリが姿を現した。
「ククク、これで面白くなってきたな。さあやれ、キメラスコーピオンよ!」
凄まじい速度で毒針を持つ尾を動かしてギンを攻撃してくる。
「ちィッっ! 厄介な生物をっ!」
毒針には
ギンは全神経を集中させて尾を回避する。だが次の瞬間、
が再び同じ場所から襲い掛かってきた。
「お父さぁぁぁんっ!?」
ミュアの声が聞こえる。
「安心しろ、ミュア!」
ギンは身体を半回転
ピオンを観察する。
(尾が二つ!? そうか、だから避けたと思っても攻撃がきたのか!)
最初から尾が一つしかないと思っていたギンの浅はかさ。相手は時間差で
二つの尾で攻撃をしていたようだ。
「ほほう、今の攻撃まで回避するとは、ただの獣人ではなさそうだな。並み
の奴らなら、たとえ《化装術》を使えても、今ので終わっている。見事だ」
鉄仮面の男がギンへの
が。
「……ずいぶん、余裕じゃないか、鉄仮面」
「む?」
「たまには、俺だけでなく、周りにも目を配った方が良いぞ」
「何を―――」
――――――――その通りだぜ、クソ野郎ぉぉっ!
突如、上空から人影が鉄仮面の男目掛けて降りてくる。
「おらぁぁぁぁっ!」
剣閃が鉄仮面の男の頭上から降り注ぐ。
「何っ!?」
突然の奇襲に鉄仮面の男は、
着用している
されてしまう。
そして、ミュアから距離を取らされた鉄仮面の男は、ちょうどたった一つ
の出口を背にする形で立ち、突然現れた
「うっしゃあっ! ギン、成功だぜっ!」
ミュアを背後に剣を構えているのは――――――アノールド・オーシャン
だった。
「お、おじさんっ!」
「よぉ、ミュア、元気そうで何よりだ」
「で、でも何で……?」
「おいおい、俺はもうお前の家族だぜ。助けに来るに決まってんだろ?」
「おじさん…………うんっ!」
そんな二人のやり取りを見ていた鉄仮面の男から、ギリッと歯を噛む音が
聞こえる。
「……何者だ貴様?」
「へへ、小さい子を攫って喜んでるような奴に名乗るような名前なんてねえ
よ! おらぁっ!」
アノールドが見事な剣
「ギン! ミュアを確保したぜ!」
「よし、上から脱出できるか!」
実のところ《雷轟崩落》は、モンスターたちを一掃するという目的の他に、
天井に穴を開けてアノールドを呼び込むという最大の目的が潜んでいた。
ギンは時間を稼ぎ、天井方面にアノールドがやって来るまで鉄仮面の男の
気を引くことを徹底していたのだ。そしてアノールドの気配を感じて、実行
に移した。
これもすべては、アノールドの存在を、相手に知られていなかったからこ
そできた作戦である。どうせ鉄仮面の男が約束など守らないと思っていたの
だ。
「思った以上に
「なら俺が来た入口から出ろ!」
「分かったぜ! ミュア、背中におぶされ!」
「う、うん!」
ミュアを背負うアノールド。出口に向かって一歩を踏み出そうとした時、
出口の前に立っていた鉄仮面の男が向かってくる。
「行かせると思うか、忌々しい獣人たちどもめ……」
鉄仮面の男から
アノールドも自然と
いかない。
上の穴から脱出できない以上は、鉄仮面の男という壁を突破する必要があ
る。
「ミュア、しっかり捕まってろよ!」
アノールドが剣を構えて鉄仮面の男に突撃していく。相手は丸腰。だから
倒せると判断したのだろうが……。
「アノールドッ、左を見ろっ!」
アノールド目掛けて一本の尾が襲い掛かる。
「っ!? のわっとぉっ! あ、危ねえっ!」
ギンのお
隙に鉄仮面の男が距離を詰めアノールドの顔面へ拳を叩きつける。
「ぐぶぅっ!?」
吹き飛びながらも、ミュアを落とさないように足で大地を必死に掴む。
「お、おじさん!」
「い、いってぇ……、なんつう一撃してやがんだあの野郎ぉ!」
アノールドの右頬が一撃でかなり
「ここは通さぬと言ったはずだ」
「…………ふぅ~、ミュア、絶対に手ぇ離すなよ?」
「う、うん!」
アノールドが両手でしっかりと大剣を握る。倒すべき目の前の相手を見据
えて。
※
相手は強い。正直まともに戦えば、勝ち目がないだろうことは、アノール
ドの経験上でも分かる。だが、ここから無事にミュアを助け出すためにやっ
て来たのだ。
「俺の家族に手を出したことを後悔させてやるぜっ! うおぉぉぉぉぉっ!」
アノールドを中心にして風が吹き荒れる。それは竜巻状になり、剣に纏わ
れていく。
「吹き飛びやがれぇぇぇぇっ! 《
下から上へと刀身を突き上げる。纏われていた風が、鉄仮面の男に向かっ
て真っ直ぐ
ながら、後方にある壁まで吹き飛び激突する。
「見たかぁぁぁっ! これがアノールド様の真骨頂だぜっ!」
「お、おじさんすごいっ!」
「アノールド! コイツは俺が引きつけておくから、今の内に逃げろっ!」
「分かったぜ、ギン! お前もさっさと来いよ!」
アノールドはミュアを背負いながら出口へと向かう。
「おじさんっ!」
「え―――っ!?」
ミュアの声で気づいたが少し遅かった。壁に吹き飛んで沈黙したと思って
いた、鉄仮面の男が上空から剛腕を振り下ろしてきた。
(このままじゃ、ミュアまで!?)
攻撃に巻き込まれると思ったアノールドは、咄嗟にミュアを放り投げた。
「おじさんっ!?」
アノールドは向かってくる鉄仮面の男の拳を寸前でかわそうとしたが、凄
まじい風圧が込められており、大地を爆散させた彼の攻撃の余波で吹き飛ん
でしまう。
「ぐわぁぁぁぁぁっ!?」
地面を盛大に転がりながらも、何とか意識だけは飛ばさないように努める。
「アノールドッ! ミュア、逃げろっ!」
ギンの叫び。しかし鉄仮面の男の気迫でミュアが動けずにいる。ゆっくり
と男がミュアへと近づき、彼女の細腕を握ると、
「よもや、この儂に傷をつけるとはな。クソ獣人ふぜいが! ……もうよい。
貴様らはここで皆殺しだ!」
「いやぁぁぁっ! は、放してっ……え――――?」
男が力任せにミュアを宙へと放り投げた。突然の浮遊感に、ミュアは呆け
たような表情を浮かべている。
しかも行き先は――――キメラスコーピオンの毒針。
「止めろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
瞬時にミュアの落下地点まで辿り着いたギン。
「お父さん!」
「はは、ミュア。無事か――――っ!?」
「え……お父……さん?」
ミュアの視界に映った、ギンの腹部から
は、毒々しい紫色の液体が
「ぐ……うおぉぉぉぉっ!」
ギンが身体を捻り、雷を刃状に変化させて尾を切断し大地に降りた。
「ぐぅ……っ!?」
「お、お父さんっ!?」
ギンの腹部から流れ出る大量の血液。
「だ……い……じょう……ぶだ……。はあはあはあ……だか……ら……お前
は……ここから……」
だが容赦なく鉄仮面の男が近づいてくる。
「うおらぁぁぁぁっ!」
「むぅ!」
鉄仮面の男の背後から、復帰したアノールドが襲い掛かった。
「貴様、まだ立つか!」
「こちとら
アノールドの剣を、男が巨体を軽やかに動かして避けつつ、いつでも攻撃
ができるような距離を取って睨みつけてくる。
アノールドはそのままクルリと身体を回転させて、ミュアたちの傍に立つ
と、横目でギンの様子を見た。
(マズイな……このままじゃ、全滅しちまう!)
どうすればこの場を切り抜けられるか思考を巡らせていると、
「鬱陶しい獣どもめっ! そのまま吹き飛ぶがいいっ!」
鉄仮面の男の命を受けて、キメラスコーピオンの尾が
ろにはミュアたちがいるので避けることはできない。
「うおぉぉぉぉぉっ!」
大剣を構えて防御態勢を整えて、尾を受け止める準備をする。しかし地力
の違い故か、
面に転がった。
「く……くっそぉ……!」
体中に激痛が走った。骨も折れたかもしれない。だがそんなことよりも衝
撃を受ける事態が起きている。転倒したミュアを狙って相手の毒針がユラユ
ラと動いているのだ。
(このままじゃミュアがっ!?)
何とか彼女を救わなければと思うアノールドだが、脇腹を強く打ったのか、
凄まじい痛みが走り身体が硬直してしまう。ミュアが毒針に貫かれてしまう
と真っ青になった時、
「……アノールド……」
近くに倒れていたはずのギンが、歯を食いしばり立ち上がっていた。
「ギンッ!?」
「はあはあはあ…………ミュアを……頼んだぞ」
「え……お、おい……ギン?」
ギンの
から銀色に輝く粒子が放たれると、粒子が彼の身体を覆い隠していく。
「―――――――ミュアは、殺させない―――――――」
粒子が急に弾かれたと思ったら、その中からは、見るも美しい銀の
われた巨大な竜が姿を現した。
誰もが呆気に取られている中、銀色の竜は大きな翼をはためかせると同時
に、大地を強く蹴り出し、キメラスコーピオンを烈火の勢いで体当たりを食
らわせ吹き飛ばした。
アノールドは思い出す。これはあの時、《ホタルウィッシュの光》に包ま
れていたあの日の夜のこと、彼が自分の種族に関して話してくれた。
正体を見せてくれたのだ。その時に感じたのは、絶対にこのことは公にして
はならないという使命感だった。
ギンが信じて、竜の姿になってまで教えてくれた真実。それを守り抜くこ
とが自分の使命だとアノールドは思っている。何故なら彼の正体が判明すれ
ば、必ず人間たちや国王たちが利用しようとするかもしれないからだ。
それだけギンの種族は、獣人にとっても特別なものであった。
「なのにお前……」
ミュアとアノールドを助けるために正体を見せた。
「―――な、何だあの姿はっ!?」
当然鉄仮面の男は驚愕しているようだ。
「お……父さん……?」
ミュアでさえも、初めて見たのか目を丸くしたまま。
「グオォォォォォォォォォォォォォッ!」
ギンの身体から激しい雷が迸り、大地を削り天井を破壊していく。アノー
ルドは、ミュアを庇うために痛む身体を動かして、彼女の前に立ち、落下し
てくる岩などを弾く。
「ミュア、こっちこい!」
「お、おじさん!」
彼女を抱えてその場から離れる。
「おじさん、あれはお父さんだよね?」
「あ、ああ。間違いなくギンだ」
「お父さん……」
竜の姿になったギンは圧倒的だった。あれほど苦戦していたキメラスコー
ピオン相手に、凄まじい速度で雷を落として焦がしていく。
「ちっ、こんなはずではなかったぞ! よいか貴様らぁ! 必ずこの儂が殺
してやるから、覚えていろっ!」
鉄仮面の男は、ギンに敵わないと判断したようでその場から去っていく。
状況判断も正確とは、呆れるほど厄介な相手である。それでもアノールドた
ちにとっては、敵が去っていったのでありがたいことだが。
ギンも無暗に追わないで、キメラスコーピオンにトドメを刺そうと相手の
真上へ飛び上がる。膨大なエネルギーが彼へと集束していく。
「決めちまえぇぇぇっ! ギィィィィンッ!」
ギンから放たれた神の裁きとも思えるような雷の柱。真っ直ぐ真下にいる
キメラスコーピオンごと大地を貫いていく。
…………青白い光が収まる。目の前の光景に言葉を失う。底すら見えない
ほどに、雷に貫かれた大地だけが広がっていた。キメラスコーピオンの姿な
ど跡形もない。
「乗れ、アノールドッ、ミュアッ!」
ギンが近づいてきて、翼を差し出してくる。アノールドとミュアは、彼の
背に乗り、天井から飛び去り、そこから逃げ出すことに成功した。
※
ギンの背に乗ってやって来たのは、小高い丘の上。
そこはギンとミュアにとって特別な場所。愛する者が眠っている聖域であ
る。
「ギンッ!?」
「お父さんっ!?」
アノールドたちを下ろした後、ギンはすぐに人型に戻って倒れてしまう。
二人が駆け寄ってくるが、腹部からの出血が酷過ぎる。皮膚も
ように黒々としていた。
「くそっ! 毒か! 何とかなんねえのかよっ!」
アノールドが叫ぶが、解毒薬などこの場には無い。
泣きながらギンに
く。
「ミュア……無事……か?」
「お父さん……うん……うん、わたしは無事だよぉ」
「そうか……良かった……」
最悪の事態だけは免れたことで、ギンはホッとした。何とか大事な存在だ
けは守ることができた。だが徐々に眼が
だったようで、ギンは自分に残された時間が少ないということを直感的に悟
ることができた。
「……アノールド……」
「……ギン」
「……何、泣きそうな顔……してるんだ。らしくない……ぞ」
「当たりめえだろうがっ! だって……だってよぉ」
恐らく彼も気づいているのだろう。自分にはギンを救えないということが。
ギンの命が尽きかけているということが……。
「……悪いな、アノールド。最後の最後まで、お前に頼ることになってし
まった」
「何を言ってやがんだよ! こんな傷なんて気合で治せよっ! 最後なんて
ぜってえ許さねえからなっ!」
「……聞いて……くれ」
「……っ!?」
「……もし……ミュアが……真剣に悩んで……出した答えなら……はあはあ
はあ…………それを……信じて支えてやってくれ……ないか」
「お前……そんなこと言うなよ! まるで
「…………頼む、アノールド……頼む」
「分かったから! 分かったからもう喋んな……!」
「感謝するぞ…………さすがは俺の親友……だ」
ギンは涙を流す親友を
い出す。この下で眠っている、愛しい妻―――ニニアの最後の言葉を。
『あなた……。一人で
アを……守ってあげて』
床に
満足そうに笑顔を浮かべて、
『愛しています……ギンさん、ミュア……』
その言葉を残して、彼女は息を引き取った。だからこそ―――彼女との約
束だけは破るわけにはいかない。ミュアだけは死んでも守ると誓った。
「ミュア……」
「お父……さん……お父さん!」
ミュアの涙がギンの頬に落ちる。ギンは彼女の涙を指で
「……ごめん……な。もっと……お前の傍に…………いてやりたかった」
「やだよ……やだよぉ! お父さん、死んじゃやだよぉっ!」
ミュアを残していくことは辛い。これから先、きっとミュアには試練のよ
うな日常が待っているだろう。それがあの種族に生まれついた宿命なのかも
しれない。
ずっと見守ってやりたかったギンだが、それができないことが一番悔し
かった。
「……そうだ……。明日は……お前の誕生日……だったよな」
「……え?」
「俺の……机の引き出しに……プレゼントが……ある。不器用ながらも……
アノールドに教えて……もらいながら……頑張ったんだぞ……」
「お父さん……」
「もらって……くれるか?」
「もらうよ! もらうから死なないでよぉ!」
「……もう、眼が見えない」
「お父さんっ!?」
「ギンッ!?」
二人の声だけが耳に入ってくる。もっと話したいことがたくさんあった。
「頼む……【イデア】の神よ……。どうか……ミュアの幸せを…………約束
……して……」
もう言葉が出ない。悔しい。悲しい。寂しい。でもまだ良かった。
傍にアノールドという親友がいるから。彼ならば託せる。だから……。
―――――――――――ミュアを守ってくれ、アノールド――――。
※
「やだよぉぉぉぉぉぉぉっ!」
父であるギンが動かなくなった。彼がどうなってしまったのか、分からな
いほど子供でもない。だからこそ、余計に何もできなかった自分が悔しい。
自分のせいで父を殺してしまった事実に心がキリキリと痛む。自分に力さ
えあったら、ギンは死ななかったかもしれない。アノールドが傷つくことも
なかったかもしれない。
すべては自分が、自分すらも守れないほど弱いからこうなったのだと、
ミュアは胸いっぱいに広がる後悔に打ちひしがれていた。
「……ミュア」
今は誰の言葉も耳に入らない。傍にいるアノールドの声さえも。ただただ、
現実を受け入れたくなくて嘆いていたいだけ。
それからどれだけ経っただろうか……、冷たくなっていくギンの手が、次
第に硬くなっていた。
「……ここに、眠らせてやろう。お前の母親、ニニアと一緒にな」
ミュアが落ち着くまでずっと傍にいてくれたようだ。アノールドの言葉に、
ミュアはコクンと頷く。
アノールドが石碑の下の地面を掘って、ギンの身体を埋めてくれた。
「お母さんと一緒なら……お父さんも寂しく……ないよね?」
「……ああ、もちろんだぜ」
「ひっぐ……おと……っさん…………やだよぉぉぉぉぉぉぉ!」
ミュアはアノールドに身体を寄せて泣き喚いていた。
※
ひとしきり泣いた後、ミュアは泣き疲れたのか眠ってしまった。アノール
ドは、彼女を背中におぶって小屋へと帰っていた。
ギンが言っていた、彼が作成したプレゼントを取るためだ。小屋へ到着す
ると、悪いとは思ったが彼女を起こした。
あのプレゼントは、彼女が自分の手で受け取るべきなのだ。
「その引き出しの中だ、開けてみろ」
「う、うん」
ミュアがギンの机にある少し大きめの引き出しを開ける。
「あ…………これって」
ミュアが手に取ったそれは――――一つの帽子。
ギンがプレゼントとして作ったものだ。あまりに不器用なので、アノール
ドが編み方などをレクチャーしたお蔭で、何とか上手く帽子として形作るこ
とができた。
何度も針で指に穴を開けて、夜遅くまで頑張っていたのを思い出す。
「それはな、これから人間界を旅するのに必要だろうって、アイツが
めて作ったんだぜ」
「……うん、うん……お父さんのニオイがする……。それに、とってもあっ
たかい」
ミュアが帽子をギュッと胸に抱きかかえる。
「明日で、ここともさよならしなきゃなんねえ。人間にも見つかっちまった
しな」
「……うん」
「なぁに、大丈夫だっての。ミュアは必ず俺が守ってやるさ!」
それがギンとの誓い。いや、それだけじゃない。ミュアを守りたい。幸せ
にしてやりたいと心から思っているからだ。
「……おじさん、わたしも………………強くなれるかな?」
「……安心しろ。お前はギンの娘だぜ。ぜってえに強くなれる!」
「……うん!」
まだ迷いのある不安気な瞳をしているミュアだが、前に進もうとしている
ことだけは伝わってくる。
ミュアはとても強い子だ。それは三年間一緒に暮らしてきて理解している。
でも弱い女の子でもあり、誰かが支えてやらなければならない。
(その役目は俺がやってやる。この子を幸せに導くためにもな)
※
翌日、再度ギンとニニアが眠る石碑へと向かった。
「お父さん、お母さん。これから旅に出るね。しばらくは、お墓参りできな
くなっちゃうけど、絶対にまた来るから」
ミュアは花を添えてから手を合わせる。後ろにいるアノールドも同様に。
「あと、この帽子、とっても大切にするからね」
初めてギンが手作りしてくれたプレゼントでもある。自分の宝物だ。
ミュアはクイッと帽子の位置を動かして被り直す。
「……行くか、ミュア」
「……うん」
もう一度、二人で手を合わせる。
「ギン、後は任せろ。この子は必ず守る。絶対にだ。あと、変な虫がつかな
いようにも見張るからな」
「な、何の話をしてるの、おじさん?」
「い、いや、ミュアは可愛いから、クソ野郎どもが群がってくる可能性が高
え。そんな
「もう……」
何だかギンがもう一人増えたような気がした。親バカっぷりがそっくりで
ある。
ミュアは晴れ渡った空を見上げた。穏やかな風が花を揺らし、香りを運ん
でくる。
「ここなら、静かに眠れるよね……」
再び石碑に視線を落とす。
「……わたし、頑張るからね。お父さんたちの分まで必死に生きるよ。だか
ら……だから…………ずっと見守っててね」
するとふと、風に乗ってギンとニニアの声が聞こえた。
“行ってらっしゃい”
空耳かとも思ったが、ミュアは笑みを浮かべて答えた。
「――――行ってきます」
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