ep7. 思い出は、色褪せず――三つの、あけましておめでとう!

 突然爆発音が周囲に響き渡る。

 煙が蔓延まんえんし、粉塵ふんじんが支配する中、誰かの苦しそうなせきが煙の中から聞こえ

てくる。

「げほっ、げほっ、げほっ! あ、あのなヒイロッ! 前から言ってっけど、

魔法使うんなら前もって言えよなっ!」

 額に青筋あおすじを浮かべ手で煙を払いながら

怒鳴どなり散らしているのは、青い髪を

逆立てた男性―――アノールド・オーシャンである。

 そんな彼の視線の先には、右手の人差し指の先を青白い魔力によって光ら

せている丘村日色おかむらひいろがいる。

 地面にはブタのようなモンスターが倒れている。これは日色が《文字魔法ワード・マジツク

を駆使して倒した。日色は日本人―――この【イデア】にとっては異世界人

になる。

 勇者召喚に巻き込まれて、こうして何の因果いんがか飛ばされてきたが、せっか

くだったらこの状況を楽しもうと思い、珍しい書物や、美味い食べ物との出

会いを目指して一人で旅に出た。

 今は旅の仲間もできて、一緒に目的地である【獣王国じゆうおうこく・パシオン】を目指

して獣人界を突き進んでいる最中だ。

「おい、聞いてんのかヒイロ?」

 アノールドの追及に、日色は漆黒しつこくの瞳を半目にしながら、

「一応言ったぞ。心の中でな」

「お前と俺は物言わずとも心で通じ合ってる仲だとでも言うんかコラァ?」

「気色の悪いことを言うな」

「お前が言わせてんだろうがよぉ!」

「もう、おじさんもヒイロさんもそこまでぇっ!」

 二人の間に入って言い争いを仲裁ちゆうさいするのは、銀髪獣耳ぎんぱつけものみみ美少女のミュア・

カストレイア。アノールドの義理の娘で、保護欲ほごよくをそそる可愛い女の子だ。

「ん……ケンカよくない。みんな仲良し」

「アオッ!」

 そこで同じように煙の中から現れたのは、黄色い髪にアンテナのような

髪束かみたばがチョコンと生えているのが特徴のウィンカァ・ジオ。その隣には、スカ

イウルフというモンスターであるハネマルがトコトコと歩いてきている。

 彼女たちの後ろに、大きなダチョウのような鳥が三体発見できる。ライド

ピークという乗り物として活躍してくれるモンスターの一種で、彼らに乗っ

て今は移動しているのである。

「あ~もう、ミュアとウイの可愛さに免じて許してやるよ!」

 釈然しやくぜんとしない様子のアノールドだが、それでもミュアたちには弱い彼なの

で、呆気あつけなく折れてきた。

 日色が今、魔法で倒したばかりのモンスターを、料理人でもあるアノール

ドが調理すると言い、たきぎを集めてから火を点けてくれと日色に頼んできた。

「燃えろ、《文字魔法ワード・マジツク》」

 空中に描かれる青い軌跡きせき。それが『火』という文字に形成され、日色の指

先から薪へと放たれる。するとボボウッと何もないところから火が出現。

 アノールドたちは何も驚く様子はなく、その火を別の薪に移して燃やして

いく。すると、最初に燃やしていた火が一分経つと消えた。

文字魔法ワード・マジツク》―――この異世界には魔法があふれている。日色もまたその恩恵おんけい

あずかっているのだが、このように文字を書いて、その文字の持つ意味を現象

化させることができる珍しいユニーク魔法を扱えるのだ。

 ただ制限も存在し、今のように無から有を生み出すような力は、一分で消

える。だから消える前に、その効果を別の場所に移して持続させたのだ。

 ちなみに先程の爆発は『爆』の文字効果によるもの。近くにいたアノール

ドは、若干じやつかん爆風の被害に遭っていたようだが……。

「はぁ~今日は結構モンスターと戦ったから汗まみれだぜぇ。温泉でもありゃ、

ひとっ風呂浴びてえぜホントまったくよぉ」

 アノールドがやれやれと肩を回しながらしやべる。パチパチとき火から木々

が弾ける音がする。その音ももうどれだけ聞いただろうか。野宿にも慣れた

ものだ。

 アノールドの言う通り、体中は汗塗れだ。日色の場合、魔法で清潔を保つ

ことも可能だが、やはり日本人として温泉の魅力は強い。

「そういえば……温泉っていや、嫌なことを思い出しちまったぜ」

「何かあったっけ、おじさん?」

 ミュアがキョトンとしながら首をかしげる。耳がピクッと動くのが可愛い。

「覚えてねえか? ありゃ、正月のことだったじゃねえか」

「……! ああ、確かにあの時は大変だったよねぇ。特におじさんがだけど

……」

 この世界にも年号もあれば月号もある。そして季節も存在する。ほぼ日本

と同じ感覚である。ただ正月まであることは素直に驚きではあった。ミュア

の最後の呟きも気になるところではある。

 ウィンカァも日色同様に興味を示したようで、「その話、聞きたい」と口

にする。

「え? あ……できりゃ話したくねえんだけど……」

 シュンとなるウィンカァ。アノールドはしまったという感じでどうしよう

か迷った挙句あげく、結局話すことにしたようで、大きな溜め息を一つくと語っ

てくれた。

「あれは去年の正月だったかな……まだヒイロと出会う前に人間界でミュア

と二人っきりで旅してた時のことだ……」



「ねえおじさん、もうすぐ年越しだね」

「そうだよな。去年は二人で森で迷ってて野宿だったもんな。今年くれえは、

せっかくだからちょっと奮発ふんぱつして温泉宿で一泊ってのはどうだ?」

「うん! それすっごくいいよ! あ、でもお金とか……大丈夫?」

「心配すんなっての! 大人に任せなさい!」

 ミュアはアノールドに頭を撫でられて「えへへ~」と嬉しそうに笑ってい

る。

 アノールドは地図を取り出すと、む~む~と唸りながら温泉がある宿を探

し出す。

「確かこの辺にあったとか聞いたことあんだけどな…………お、ここだここ

だ! よし、んじゃ行くか、ミュア」

「うん!」

 二人は地図を頼りに温泉宿を目指して歩き出した。

 辿り着いたのは何とも情緒じようちよ溢れる景観をしている宿。小山の中腹ちゆうふくにあり、

雪におおわれた景色を見ながら温泉に浸かれるので、ここは旅人たちの癒しス

ポットになっているのだ。

「いらっしゃいませ、当温泉宿【美女の湯】の女将おかみ――ナコンダと申しま

す」

 着物を着こなすたたずまいは見事であり、名前の通り美女と称しても間違いな

いほどの美人女将である。

 整った顔立ちもそうだが、こん色の髪がハラリと動く度に首元で揺れる様は

男心をくすぐる。

「…………ゴ、ゴクリシャス……!」

「おじさん……よだれ」

 アノールドのみっともないとろけた顔を見てミュアは呆れて肩を落とす。

ミュアの忠告に「おっと危ねえ危ねえ」と言って口元をく。もはや危ない

のが自分だとも気づかずに。

 二人はナコンダの案内のもと、部屋へと入る。部屋の中も広々としており、

外の雪景色も拝めるとあって、二人の浮かれ具合は最高潮さいこうちようだった。

「もうすぐ夕食ですので、しばらくお待ち下さいませ」

 ナコンダがそう言いながら部屋から出ていくと、

「うむ、素晴らしい女性だ、ナコンダさん。是非ともお近づきになりたい」

「……め事は起こしちゃダメだよ?」

「ハッハッハ、果たして揉め事だけで終わるか。もしかすれば、俺は違うと

ころを揉むことになるかもしれんよミュアさん。ハッハッハッハッハ!」

「……大丈夫、おじさん?」

 ミュアは本気でアノールドを心配している。浮かれ過ぎていて正気を失っ

ている彼が、何か失敗でも起こさないか気が気ではない。

 夕食はとても豪華だった。この近くにある川で獲れる魚や、山で成ってい

る山菜などを利用して作られた絶品料理。どれも手が込んでいて料理人のア

ノールドも思わず唸ってしまうほどの出来。

「うんっまいですよナコンダさん!」

「ふふ、ありがとうございます。そう言って頂ければお作りした甲斐かい

があったというものですわ」

「え? もしかしてこれってナコンダさんが?」

「もちろん全てというわけではありませんが、私もお手伝いをさせて頂いて

おります」

「ああ、だからか……。愛が溢れているから、これほどの美味さを感じるん

ですね、ナコンダさん?」

 いつもは見せないイケメンを気取った笑みを浮かべてアノールドが彼女の

手を取り見つめ合う。

「ナコンダさん……も、もし良かったら俺と一緒に風呂でぐふぅっ!?」

 ミュアは彼の襟首えりくびを引っ張って、力ずくで彼女から引きがす。首が絞

まってアノールドの顔が徐々に青くなっていく。

「ミュ……ア……なに……を……っ」

「失礼だよおじさん。揉め事はダメって言ったよね?」

「げほげほっ。い、いやこれはだな、純粋なアプローチというか…………は

い、自重じちようしま~す」

 キッとミュアがにらむと、アノールドも渋々ナコンダから距離を取る。睨む

とはいっても、上目遣うわめづかいなので可愛いだけなのだが……。

「ふふ、よろしかったらこの後、お二人とも入浴なさって下さい。あ、です

が混浴風呂を使う時は気をつけて下さい」

「……はひ? い、今何と……何と仰いました?」

 アノールドの瞳の奥に潜む炎が徐々に燃えたぎっていく。

「混浴……と、仰いましたか?」

「あ、はい」

 アノールドの気迫にナコンダも少し引き気味になる。

「……フフフ、どうやら俺の時代が来たようだな」

 テーブルの下で嬉しそうにガッツポーズしている彼に呆れながらも、料理

を口に運んでいくミュア。

(あ、これほんとにおいしい。でも旅人には人気だって言ってたけど、あん

まり人と会わないのはどうしてかな……?)

 ここまで案内されてきた時も誰一人として会わなかった。それに先程ナコ

ンダが気になることを言っていた。一応確かめておこう。

「あの、どうして混浴には気をつけなければならないんですか?」

 一体何が理由なのかと思い尋ねるミュア。すると困ったような顔を浮かべ

ながらもナコンダが説明してくれる。

「実はですね、この時期になると、混浴には美女の団体がやって来られるの

ですが――」

「ぬぅわぁんですってぇっ!」

「きゃっ!?」

 おしとやかなナコンダも小さく悲鳴を上げるほどアノールドの声は大き

かった。彼は瞳から猛火もうかほとばしらせながら拳を高く突き上げる。

「来た……間違いなく来た……! ここで決めなきゃいつ決める! そう、

俺は今日! 光り輝く星になるっ!」

 訳の分からないことを口走り始めたアノールドは放っておいて、ミュアは

ナコンダの案内のもと、女性用の温泉へと向かった。

 やはり誰もおらず、少し物寂ものさびしいものを感じながらも、ミュアにとっては

それで良かった。何故なら彼女は獣人だから。

 ここは人間界であり、獣人に良くない印象を持っている人間たちが多いの

で、誰もいないという方がミュアにとってはありがたいのだ。

 身体を洗い少し熱めの湯に浸かる。

「ふぅ~、気持ち良いよぉ~」

 冬に入る温泉はどうしてこんなに気持ち良いのだろうか。冷えた身体を包

み込む湯に、外に見える雪景色が気持ちを高揚こうようさせていく。

 顔を上気じようきさせながら、んだ夜空を見上げて温かな息を吐き出す。

(ふふ、何かすっごく贅沢ぜいたくな気分かも)

 明日はおせち料理が待っていると思うと、自然と胸が高鳴っていく。

 その胸へと自然に視線が向かう。

「むぅ……ナコンダさん大きかったなぁ……。わたしだってあと数年すれば

きっと……」

 クイクイッとタオル越しに自らの胸を「大きくな~れ~」という思いを込

めて揉む。しかしせっかくの温泉までやって来て、自分は何をしているのだ

ろうかと思ってスッと手を下ろすことにした。

「はぁ…………あ、でもおじさんてば、本当に混浴に行ったのかなぁ」

 何となくナコンダの言葉が気になっていたが、それでも温泉を堪能たんのうするこ

とで胸いっぱいになり、考えを放棄ほうきして最高に満喫まんきつしていた。

 ――――

 その頃、アノールドは混浴風呂に入り、通算百回目となる腹筋運動が終

わったところだった。

「ふぅ、この見事な肉体美にくたいびで必ず美女をゲットしてやるぜ!」

 胸筋をピクンピクンと動かしながら、まだ見ぬ美女がやって来るのをジッ

と待つ。

(あ~まだかなぁ。ホントはナコンダさんでも大いに結構なんだが、美女の

団体が来るというのであれば、動くしかあるまいっ!)

 しかし混浴風呂にはアノールドだけしかいない。まあ、だからこそ腹筋ト

レーニングができたのだが。

 混浴風呂は周囲を岩で固められていて、絶景ぜつけいが見えるポイントに作られて

いる。浴槽よくそうの向こう側はがけのようになっており、昼間は遠目に見える山が

雪化粧ゆきげしようされており見応え抜群ばつぐんだという。

 するとチャポンと湯に誰かが浸かる音がする。アノールドはゴクリとのど

鳴らすと、慌てて身体を洗い始める。

 そしてゆっくりと視線を浴槽の方に向ける。湯気でほとんど見えないが、

確かに細い身体を持つ者が、ゆっくりと湯に浸かる瞬間を視界に収めること

ができた。

「ゴ……ゴクリシャス……!」

 本日二度目のゴクリシャス。意味は定かではないが、喉が鳴るほどの興奮

を覚えているということである。

 アノールドは気づかないフリをしながら湯へと近づき、背中を向けながら

ゆっくりと近づいていく。

 ―――――――トンと、肩が当たる。

「あ、申し訳ありません。あなたのような方がおられるとは知りませんでし

た」

 微かに首を左右に動かす相手を見て、

(な、何て奥ゆかしそうな女性なんだ! あ、でもタオルでも巻いているの

か、何かフワフワしている感触があるな……いや、逆にそそるっ!)

 アノールドの興奮度はメーターを振り切ってしまいそうになる。

(よ、よし! さ、さりげなく近づけたんだ。あ、相手も嫌がってる素振り

はねえ! な、ならこのまま踏み込むべきだ!)

 覚悟を決めてアノールドは自身の中で最高のスマイルを浮かべながら振り

向きながら喋る。

「いや~気持ちの良い夜ですね。こんな夜は、温泉で火照ほてった身体を、何と

なくさらに火照らせたいとは思いませんか? ねえ、名も知らぬあな……た

…………え?」

 アノールドの表情がそのまま硬直する。相手も振り向いてはくれた。だが

これはさすがに予想の範疇はんちゆう激越げきごえマックス過ぎる。

 そこにいたのは、素晴らしいプロポーションをした―――――――――

「ウキキャ?」

 ――――――――猿だったのだから。

 すると何の前触れか、突然湯気がサーッと引いていき、ギョッとする光景

が視界に飛び込んでくる。

「ウキ?」

「ウキャキャ?」

「ウッキィーッ!」

「ウッキ~ン……」

 まさに団体客。しかし全てが猿だった。しかも何故か全員がアノールドを

見て頬を染めている。目がキラキラとしている。舌舐したなめずりをしている。

 思考がストップ。どういう事態に見舞われているのか、アノールドには整

理が追いつかない。

(え……猿? 美女……? え……猿?)

 自然と涙が出た。その涙を見てそそられたのか知らないが、いきなり興奮

して体中を触ってくる猿たち。

「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!? 助けてミュアァァァァぶふぅっ!」

 愛しい娘の名を叫ぶが、顔を豊満な胸で抱きしめられて口が塞がれてしま

う。

(嫌だぁ! こんなんじゃないのぉ! 柔らかいけど、こんなんじゃない

のぉっ!)

 必死で湯から上がり出口に向けて走るが、ガシッと身体を掴まれ湯に

り込まれていく。

「あっ! ちょ、ど、どこ触ってんだよっ! そこは違……違うからそこ

はっ! あ、だ、だからそこはっ、ああっ……! らめぇぇぇぇぇぇぇええ

えええええええっ!」

 アノールドは輝く星になった。

「あれ、おじさん? どうしたの? 何かすっごくやつれてるけど……?」

 風呂から上がって来たアノールドは、ひど憔悴しようすいしていた。まるで生気を何

者かに吸われてしまったかのようにせ細っている。

 そのまま何も答えず、アノールドは部屋の隅に行きひっそりと座り込む。

「猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿

は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌

だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿

は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌

だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ猿は嫌だ」

 まるで呪詛じゆそのように繰り返すアノールドに唖然あぜんとする。そこへナコンダが

やって来て、彼の様子を見て、その理由を教えてくれた。

 何でもこの時期になると、混浴風呂の方にパッションモンキーというモン

スターが団体で押し寄せてくるらしい。

 しかも彼女たちは人型のモンスターであり、モンスターの中でも美女の部

類に入ると学者が提唱ていしようした。他のモンスターにも人気があり、オスはついそ

の魅力でコロッといくほど。つけられた通り名が《美女ビジヨンキー》だそうだ。

 確かにモンスターにとっては美女かもしれないが、人にとっては…………

やはり何かが違うのだ。

 だからほとんどの旅人は、この時期にあまりやって来ないのだ。特に男は

……。

「ほらほらおじさん、わたしがマッサージしてあげるから、ね!」

「うぅ……毛むくじゃらはダメなんだよぉ……」

 グチグチと言葉を漏らしつつもうつぶせに横たわるアノールドの身体をマッ

サージするミュア。

「んしょ、んしょ、んしょっと!」

「ああぁぁぁ~」

「ふふ、気持ち良いかな、おじさん?」

「気持ち良いけど……これは求めてたやつじゃねぇ……」

 どうやらまだ悪夢に悩まされているようだ。

 それから一晩中泣いていたアノールドを慰めていたミュア。翌日になって

もまだ元気のないアノールドと一緒に出されたおせちを食べる。

「わ~、このエビおいしいよ! この黒豆も甘くて癖になりそうだよぉ」

 ミュアはおせち料理を満喫しているのだが、アノールドは能面のうめんのような表

情になりながら、無意識に料理をついばむという境地に達している。

「はは……これはしばらくは放っておいた方がいいの……かな?」

 そこへナコンダさんがやって来て、年初めの挨拶をしてくれた。

「こちらこそ、あけましておめでとうございます」

 ミュアはしっかりと返す。するとアノールドが「そうだ! この苦しみを

ナコンダさんに慰めてもらえればっ!」と叫ぶと、風のような動きでナコン

ダに詰め寄る。

 ナコンダさんに慰めてもらおうと思ったのか、そのまま勢いでアノールド

は思い切って告白したのだが、

「私、夫がいますので」

 スパッと切って落とされてしまった。料理を作っている人が夫なのだそう。

追い打ちをかけられたアノールドは、そこから一週間――立ち直ることはな

かった。



「欲望に走るからだ、アホかオッサン」

「うっせえわいっ! 男が女に走って何が悪い! あぁ~っ、ナコンダさぁ

ぁぁんっ!」

 未練がましく空に向かって叫ぶアノールドの姿を見て、こういう大人にだ

けはならないでおこうと決意する日色だった。

「チビは楽しめたのか?」

「あ、はい。いろいろありましたけど。温泉も気持ち良かったし、おせちも

おいしかったですから」

「なら良かったんじゃないか。若干一名も忘れられない思い出を作れただろ

うが……」

「ナコンダさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」

 まだ叫んでいる。もう夜なのだから静かにしろと言いたいが、触れれば面

倒な愚痴ぐちを聞くことになりそうなので止めておいた。

「ん……でも面白かった。それに、正月は美味しい」

「え? ウイさん、正月はおいしいってどういうことですか?」

 日色も気になる。ウィンカァの言っている意味が分からなかったからだ。

いや、もしかしたらおせちを食べた話をしているのだろうか……?

「良かったら、今度はウイさんの正月のお話が聞きたいです」

「……ウイの? …………ヒイロは?」

 何故か振られた。

「話したければ話せばいいだろ」

「ん……分かった」

 ピョコンと彼女の頭に生えているアンテナのような髪束が動く。

「あの時は、とっても満足だった」



 ウィンカァはとても困っていた。

 歩いている時にどこかに地図を落としたらしく、どこをどう行けば街に辿

り着けるか分からず呆然と立ち尽くしていた。

 一人旅にはこういったなんが時々起こるから大変だ。

「ん……どうしよ」

 お腹も先程からうるさいほど警戒警報を鳴らし続けている。このままだと

本当に背中と腹がくっつくかもしれない。

 ウィンカァはとりあえず鼻を頼りに動かして、何か良いニオイがしないか

クンクンと嗅ぎ回ってみる。

 今は森の中。誰でもいいから人のニオイがすれば、追ってみようと思う。

無論食べ物の香りならなおいいのだが……。

「……ん」

 東の方向から何か香ばしいニオイが鼻腔びくうをつく。そのまま若干前のめりに

顔を突き出しながら目を閉じつつ歩を進めていく。

 すると突然の浮遊感―――――。ウィンカァはあまりにも嗅覚きゆうかくに集中して

いたために足元への注意がおろそかに。そこが崖になっていたことに気がつかな

かった。

「くっ!」

 咄嗟とつさに背中に背負った愛槍あいそう――《万勝骨姫ばんしようこつき》を抜こうと手を伸ばすが、盛

大に腹の中からぎゅるぅぅぅぅっっと音が鳴りヘナヘナと力が抜ける。

 だらりと腕から力が抜け、そのまま地上まで落下してしまい、ウィンカァ

の意識は闇に沈んでいく。

 どれくらい時が経ったのか――――。

 ウィンカァが目を覚ますと、目の前には土壁の天井が映し出されている。

ウィンカァは上半身を起こして周囲を確認してみると、ここは洞窟どうくつのようで、

自分が簡易式に作られたベッドの上に横になっていたことが分かった。

「お? 起きたかのう?」

 そこへ一人の男性がやって来た。歳の頃は七十代の老人。年代を感じさせ

るしわが浮かんだ表情をくしゃっと動かしながら穏やかな微笑みを向けてく

る。

「……誰?」

「ワシか? ワシはテンドクっちゅう、しがない薬師やくしじゃて。お主、どうし

てここにおるか、理解しておるかい?」

 ブンブンと頭を左右に振る。

「お主はこの近くに倒れておったんじゃよ」

「……あ、崖から落ちたの、思い出した」

「はあっ!? お、お主……よくもまあ無事じゃったもんじゃのう……」

「ん……きたえてる」

「いや、それでも……。まあ、木々がクッションになったおかげでもあるとは

思うがのう」

 彼から聞くに、崖下には樹海が広がっており、葉っぱや枝などの密集地帯

に落下したお蔭で大事には至らなかったという。しかしそれでも多少は切り

傷などがあったので、テンドクが治療してくれたのだ。

「ありがと、おじいちゃん」

「なぁに、怪我人を治療するのも薬師の仕事じゃて。それとじゃな、お主は

女人によにんゆえ、着用しておるローブを取るようなことはせなんだが、他に痛いと

ころはないかのう? まあ、顔色も良かったから大丈夫だとは思うんじゃ

が」

「ん……大丈夫」

 今、ウィンカァは茶色いローブを身体に纏っている。今はリウ(冬)の時

期なので、厚めのローブを着込んで旅をしていたのだ。

「じいちゃん、ここはどこ?」

「ここは《モチモチもっぱいきよう》の隠れ里じゃよ」

「……もっかい言って?」

 意味が分からない言葉が出てきたので再度確認してみるが、同じ言葉を彼

が繰り返す。

「もちもちもっぱいって……何?」

「むぅ、ワシも旅の途中に世話になっとるだけなんじゃが、ちょっとまあ、

なかなかに説明が難しくてのう……特に女人にはな……」

 何やら歯切れが悪いが、とにかく身体には異状がないので旅を続けようと

思うが、再びお腹に潜む虫が盛大にわめき洞窟内に反響する。

「何じゃ、腹が減っとるのか?」

「ん……スカスカ……」

「ならちょうど良かったのかもしれんのう」

「……?」

「いやのう、今世間では正月なのは知っておるかの?」

「ん……」

「ここに住む者たちは、正月……年の初めに女神に祈りを捧げるうたげを行うん

じゃが、料理もたらふく出るんじゃよ」

「ホントッ!?」

 料理と聞いて口内によだれが溢れ出し受け入れ準備が瞬時に整う。

「ウイは、いっぱい食べる!」

 ベッドから降りるとローブを乱暴に脱ぎ捨てて、ポポンと腹を叩きいくら

でも食べるよという仕草をする。

「なっ!?」

 テンドクが何故かウィンカァの身体―――いや、ある場所を凝視ぎようしして目を

丸くしている。

「ん……どうしたの?」

「お、お主……け、結構なものを持っておったんじゃなぁ……」

「ん? 結構なもの? 何のこと?」

「いや、しかしマズイのう……よりにもよってこの時期にお主のような

……」

 ウィンカァはテンドクがチラチラと見る部分に気づき、

「……胸? 胸がどうかした?」

「む? そ、そうじゃのう……やっぱりここにいる間はローブを着てもらっ

て―――」

 テンドクがローブに視線を移した時、二人の男性が現れる。

「テンドクじいさ~ん! そろそろ宴が始ま……る…………よ?」

「今年も良い一年になるように女神さまに良いお乳さまに巡り会えますよう

に願い……ます…………よ?」

 二人の男がウィンカァを見て固まる。テンドクは「あっちゃ~」というよ

うな感じで頭を抱えてしまった。

「「め、女神だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!?」」

 いきなり大声を張り上げると、一目散にきびすを返して出て行ってしまう。

「……何か、あった?」

「いや……まあ、手遅れじゃったのう」

 諦めた仕草を伝えてくるテンドクに対し、意味が分からないウィンカァは

ただただ首を傾げるだけ。

 その後、多くの男たちがそこへ現れて、いきなり土下座をするのだから、

さすがに唖然あぜんとしてしまう。

「貴方さまこそは天上から降り立った女神さま!」

「どうか! どうか我々とともに宴を楽しんでは頂けないでしょうか!」

「是非! あなたのその麗しく魅力的なもっぱいを揉ませぶふびひんっ!?」

 三人目が何か言おうとしたが、他の男たちによって制裁せいさいを受けて沈黙した。

「おほん! し、失礼致しました! 女神さま!」

「……ウイのこと?」

「その通りです! 是非とも我々の宴にご参加下さいませ!」

「いっぱい……美味しいもの、食べれる?」

「もちろんでございます!」

「ん……なら一緒に行く」

 食べ物で腹を満たすことができるのなら是非もなかった。しかしテンドク

だけはいまだにこめかみを押さえながらやれやれというような感じで首を左

右に振っていた。

「はぁ、お主ら、その娘はまだ幼いし、それに女神でもないと思うがのう

……」

「何を仰いますかテンドク殿! あなたも男なれば! これほど見事なもの

をお持ちの女性が目の前に現れれば手に汗握るのではありませんか!」

「…………できればワシはもっと大人で色気のある方が……」

「ちっ! お前たち、どうやらテンドク殿には、まだ《モチモチもっぱい

教》の訓示くんじが足りないようだ!」

「むお? な、何じゃ離さんかい!」

 男たちがテンドクの背後から腕を取り、どこかへ連れて行こうとする。

「じいちゃん、どこ行くの?」

「テンドク殿には、崇高すうこうなる教えを説きたいと思うのです」

「……じいちゃんはウイの恩人。痛いことするなら、許さない」

「ご安心を。きっとテンドク殿も我らの同志となってくれるはずですから!」

「……仲間ってこと?」

「その通りです」

「ん……ならいい」

「ではご案内致します。宴の準備はすでに整っておりますので」

 男たちに案内されて外へと出ると、大きな石臼いしうすが幾つも地面の上に置かれ

ており、その傍には火をくべて、蒸籠せいろを使いもち米を蒸していた。

「皆の者よ聞けぇっ! ここに我らが女神さまがご降臨こうりんなされたっ!」

 大体三十人ほどだろうか、全員ふんどし姿の男ではあるが、皆がウィン

カァのある場所を目撃するとまぶたを大きく見開き涙を流して歓喜かんきの叫びを上げ

始める。

「ん……みんな、元気」

 ウィンカァには、どうしてそれほど彼らが喜びに打ち震えているかは分か

らない。そんなことよりも米の良いニオイが鼻をくすぐり涎が溢れ出てくる。

「ささ、こちらへお座り下さいませ」

 一際豪華に彩られた椅子いすへ腰かけさせられた。その時にプルンと揺れた胸

を見て、男たちの興奮メーターが一気に上昇。

「め、女神さま、一言頂いてもよろしいでしょうか?」

「ん……ウイはいっぱい食べたい」

 その瞬間――男たちの心が一つになる。蒸した米を石臼に入れると、冬だ

というのに全身から湯気と汗を溢れ出し、きねをついてモチを作っていく。

 そして出来上がったモチには、きなこ、抹茶まつちや、チョコなどなど、様々なモ

チと相性抜群の具材をつけられウィンカァの目前に持っていかれる。

「……頂きます」

 ウィンカァは次々と運ばれてくるモチをポンポンポンポンと口の中へ放り

込んでいく。これだけ我慢したので、食べる速度はまさに電光石火。

 傍にいる男たちが呆気にとられるほどのスピードで、モチが消失していく。

食べる度に動く二つの山に男たちの視線は釘づけである。

 すると傍にいる二人の男が一歩後ろへ下がり、小声で会話を始めた。

「な、なあ、本当にやるのか?」

「もちろんだ。こんなチャンス、逃せば絶対にもう二度と、この目であれほ

どのもっぱいを拝むことはできねえぞ!」

「し、しかしテンドク殿の言った通り、まだ子供っぽいんだが……」

「バカヤロウ! ……それがいいんじゃねえか」

「……へ?」

「ロリなもっぱい。略してロリッぱい……最高だろ?」

「お前も変態だな」

「何を言いやがる。そういうお前もさっきからあの子のもっぱいをずっと見

てただろうが」

「フッ、バレたか」

「我々は同志! なぁに、この睡眠薬で眠らせて、少しその……ツンツンっ

てさせてもらうだけだ」

「あ、ヤベエ……鼻から愛情が溢れてきた」

「バカ! さっさと止めろ! 出しつくしちまえば死んじまうぞ!」

 そんなアホなやり取りをした二人の男は、隠し持っていたビンに入ってい

る睡眠薬を、まだウィンカァが手を付けていないモチにふりかけた。

 ウィンカァは何も知らずに睡眠薬のモチを口へと運び、確実に嚥下えんげした。

 二人の男は顔を見合わせてダークな笑みを浮かべる。まさに計画通りと

いった悪い笑顔だった。

 数分後、ウィンカァを睡魔すいまが襲ってきたのか、段々と食べる速度が遅くな

り、そしてとうとう――――…………すぴ~。

 眠ってしまった。ウィンカァが眠ったことを、モチをついていた男たちに

も知らせる。すると彼らの目がすわり始め、一斉にウィンカァの前へ集まっ

てくる。

「いいか、順番だぞ順番!」

 コクコクコクコクと物凄い速さで頷き始める男たち。

「フッフッフ……苦節くせつ五年。モテない乳好き同志が集まり《モチモチもっぱ

い教》を開いてから、ちっとも良いことなどなく、毎年すがるようにいるかい

ないか分からない乳神ちちがみさまにお祈りをささげていたが、ようやくそれが実を結

ぶのだ!」

 男たちのすすり泣く声が聞こえる。

「どうせ今年も男だらけのモチつき大会で終わる予定だったが……神は我ら

を見捨てはしなかった!」

 男は静かに両手を伸ばし、椅子の上で眠りこけているウィンカァの胸当て

に手を添える。そのまま一気に胸当てをがして「こんにちは」とするつも

りなのだ。

「さあ、いざ行かん! 我らのエデンへぶしっ!?」

 …………沈黙。突然男が吹き飛んだからだ。まさか目覚めたのかと誰もが

思って彼女を見つめるが――――――すぴ~。…………眠っている。

「な、なら俺がばふんこっ!?」

 ウィンカァが寝返りを打つと、そのこぶしが男の顔面を捉えて吹き飛ばした。

「くっ! さ、さすがは女神! だが諦めねえばっふんっ!」

「やぁぁぁってやるぜぇぇぇぇべへもぅっ!」

「負けてたまるかよぶっくふぅっ!」

雑魚ざことは違うのだよ、雑魚とはべろんびっ!」

 だが勢いむなしく、男たちは寝惚ねぼけて動き回るウィンカァに殴られ蹴られ、宙を舞っていく。

「な、何ということじゃ……これは…… !?」

 無理矢理牢屋に連れて行かれたテンドクだったが、力づくで抜け出して外

へ出ると、そこにはふんどし姿の男たちが宙を舞っている光景。

「す、凄いものじゃのう……女神は女神でも戦いの神じゃったのかのう……。

しかも……あれ眠っとるよなぁ」

 その動きはまさに武の達人。眠りながらも戦闘反射で無双する彼女の姿は

見る者の心を掴むほどである。

 テンドクの近くまで吹き飛んできた男が、ベシャリと大地に落下する。

 男は震える手を伸ばし、何かを必死に掴もうとウィンカァを見つめる。

「お……俺らは……あ……諦め……ねえ……いつか……必ず……もっぱいを

……もっぱい……を……掴んで……がふ」

 ガクッと首を落として気絶した。ただ尋常じんじようではない執念しゆうねんを感じて、同じ男

としては同情を禁じ得ないものは確かに存在した。

 全ての男たちを吹き飛ばし満足そうに眠るウィンカァにテンドクは近づく。

「……おや? ワシには危害を加えんのか……?」

 恐らくは殺気や敵意に反応するのだろうと解釈する。男たちから迸る殺気

にも似た執着心に反応していたのかもしれない。彼女をおぶさり、そこから

離れて行った。

 起きた彼女に、一体何が起きたか聞いたが、

「いっぱい食べたら、眠くなって寝てた。何か、夢でたくさんのモンスター

と……戦った……と思う」

 何とも不思議な魅力を持った少女だった。逆に彼女も何があったのか聞い

てきたので、テンドクは見たままを正確に教えておいた。

「おお、そう言えば年始の挨拶がまだじゃったのう。お嬢ちゃん、あけまし

ておめでとうのう」

「ん……あけましておめでと」

「お嬢ちゃんにとっちゃ奇怪な正月を迎えたみたいじゃが、残念じゃったの

う?」

 ウィンカァが首を左右にフルフルと振って口を開く。

「ううん、ウイはお腹いっぱい。正月は、美味しかった」

「む? ん~よく分からんが、気にしておらんのならそれで良いのじゃ。そ

れじゃこのまま街まで案内しようかのう」

「ん……よろしく」

 それから街まで一緒に行ってから別れて再び旅に戻った。



「……つまり、正月に知らない男たちにモチを食べさせてもらい。気がつい

たらジジイの背中の上だったってことか?」

「ん……正月は美味しかった」

 話を聞いた日色とミュアは首を傾げるしかなかったが、とりあえずその

《モチモチもっぱい教》とやらは危険なニオイがする。

「ま、まあでもウイさんが満足できたなら良かったのでは?」

 ミュアも苦笑を浮かべながら、恐らくは日色と同じ見解に辿り着いている

とは思う。

「ところでヒイロさんのお正月はどんな感じだったのですか?」

「……覚えてないな」

「え? そ、そうなのですか?」

「ああ、お前らみたいな面白エピソードも経験してないしな。それよりもそ

ろそろ寝る時間だぞ」

 話が聞けなくて、ミュアは少し残念そうだったが、本当に面白い正月など

経験したことはない……はず。

 日色は寝転びながら、黄金色に輝く大きな月を見て物思いにふける。

(正月……か。……はぁ、そういや今思い出したが、あの時は大変だった

な)

 


 ――――――――――二年前。

 十二月二十九日、両親を事故で失った日色が、ずっと世話になっている児

童養護施設では子供たちが浮足立っていた。それもそのはずで、一月一日

――元日、近くの神社で縁日えんにちが行われるのだ。

 年初めの大きな祭り。神社の祭りはいつも盛大な賑わいを見せる。毎年子

供たちはそれが楽しみで、いつも施設長とともに出店を見て回るのが毎年の

恒例行事。

 日色は子供たちに誘われるが、人ごみが苦手なのでサクッと断り、正月は

常にコタツの中でのほほんとミカンを食べつつ読書の日々を過ごしている。

 施設内では、子供たちの喜色満面な顔がそこかしこに発見することができ

る。

(祭りなんて、何がいいのやら)

 確かに出店で売っている食べ物には興味があるが、あれほどの人ごみの中

をかき分けてまで欲しいかというとそうでもない。別に珍しい食べ物がある

わけでもなし、欲しいならいつもは施設長に頼んでいるから問題はないのだ。

 今年も例年通り、元日は静かな時間を過ごすのだろうと思っていた矢先、

子供たちにとってはバッドニュースが飛び込んできた。

 それは―――――台風。

 例年になくまれに見る大きな台風が接近しているとテレビのニュースに映り、

子供たちが全員そろって不安顔を浮かべている。

 何故なら台風が見事に直撃するから。しかもその日は元日なのだ。ただ子

供たちはまだ望みを捨てていないのか、テレビに向かって「アッチへいけ

~!」やら「コッチへくるな~!」などと意味の無い声を振り絞っている。

(あ~あ、今年はチビたちが家の中にいるのか……うるさいだろうな)

 一番年上の日色は、やはり子供たちの面倒を任されている。元日くらいは

ゆっくり過ごせるかとも思ったが、台風が来ているのなら外には出られない

だろう。

 その時、施設長が外から帰ってきて、皆を食堂へと集めた。

(多分台風のことだろうな)

 思った通り、施設長の話は台風の日には外に出ないようにするということ

だった。無論これには子供たちが反発。

 しかし追い打ちをかけるように施設長から子供たちへ、残酷ざんこくな言葉が突き

刺さる。

「実はね…………祭りは中止になったのよ」

 やはりなと日色だけは得心していた。子供たちの顔は絶望に歪められ、泣

き出す者まで出てくる始末。

 何とかしてよ的な感じで施設長が視線を送ってくる。施設長なら自分で何

とかしろと思うが、さすがに今度ばかりは施設長だけでは何ともできないだ

ろう。

 何といっても一年に一回の楽しみを奪われたのだから。

「おいお前ら、祭りなんて正月だけじゃないだろ? 春にも夏にもある。今

回は運が悪かったと諦めて―――」

 もっと声を上げて泣き始めた。まだ五歳前後の子供たちばかりなので、一

度泣き出すと機嫌を取るのはなかなかに難しい。単純といっても、五歳にな

れば物心がつきかけている者が多いので生半可な慰めでは泣き止んでくれな

いのだ。

 しかしいくら泣きわめいたところで、台風が消失するわけではない。どれだ

け神に願っても、テレビのニュースだとほぼ百パーセント台風は直撃するよ

うだし、それに祭りに関しても一度中止と決めたものを無理矢理行うことも

ないだろう。

 施設長も困惑気味に子供たちを抱きかかえて泣き止まそうとしていたが、

相当ショックだったようで全然泣き止んでくれない。

(あ~うるせえ……)

 ここで怒鳴っても、状況を悪くすることは経験上把握している。それに泣

き止んだとしてもだ……当日は全員が見事に意気消沈した暗い空気が施設内

にはびこるだろう。

 せっかく一年の始まりなのだから、そんな暗いムードで迎えたくはない。

(だが台風をどうにかすることなんてできるわけもない。魔法なんか使える

わけがないんだからな)

 こんな時にファンタジー要素に頼るようでは駄目だ。日色も少し混乱して

いるのを自覚する。

(放っておけば泣き止むだろうが、どうせ施設長はオレに何とかしろとか言

うんだろうな……)

 そう思い顔を見てみると、案の定、両手を合わせて祈るような仕草を見せ

つけてくる。思わず溜め息が漏れる。

(どうしろってんだよ……)

 そもそも子供たちは祭りの雰囲気が好きというよりも、出店で売っている

ものを皆で一緒に食べたいのだ。そうしてワイワイと楽しむ場を奪われたか

ら泣いている。

(かといってここらへんで祭りなんてやってる場所なんてない。それに台風

なんだ。たとえ祭りの予定があったとしても、どこもかしこも中止するはず

だ。ならどうする……?)

 そこへクイッと服を引っ張られる感覚を覚える。

「ん?」

 そこにいたのは四歳児の女の子。目をうるませて見上げてきている。

「ぐすっ、ね……ねえひーにぃ、まつり……にゃいの?」

 他の者たちも同様に見つめてくる。何とかできる? 的な顔で。

「はぁ……あのな、オレは便利屋でもなんでもないんだぞ。無理なことは無

理だ」

「ひぐっ! うわぁぁぁぁぁんっ!」

 泣き声につられて、他の者までボリュームを上げて泣き始める。子供は感

染度が高いから大変である。

「とにかく、今回は諦めろ! 台風が過ぎるまで外に出るのも禁止だ!」

 それだけ言うと日色はきびすを返して自室へと逃げる。

「あ、ちょ、日色くんっ!?」

 施設長の声が聞こえるが無視だ。

(こうなったら寝て起きて忘れていることを祈るか)

 施設内にいる大人たちがそれから子供たちの相手をしていたようだが、明

らかに疲弊ひへいし切っていた。

 しかし日色だけは我関われかんせずといった様子を保ち、自室に引きこもっている。

布団の上に寝転び、見慣れた天井を見上げながら、

(まだ日はあるんだし、奇跡が起こるのを待ってろ)

 心の中で子供たちに向けて言うが、思っている本人はまったくもって奇跡

など信じてはいない。世の中そんなに甘くはないからだ。

 翌日、窓をカタカタと鳴らす音で目を覚ます。反射的に窓の外を見ると、

どんよりとくもった天気が空を覆っている。

「やはり、奇跡は起こらない……か」

 もしかしたら無意識に信じていたのかもしれない。しかし結果、想像通り

の解答が返って来た。

 部屋から出ると、子供たちは天気ニュースにくぎ付けになっていたり、て

るてるぼうずを作っていたりと、やはり神頼みにいそしんでいるようだ。

 そんなことをしても無駄だと知りつつも、日色は黙って子供たちを見つめ

ている。いつも鬱陶うつとうしいほどうるさい子たちが、悲しそうに表情を陰らせて

いる。

 さすがにもう泣いている者はいないが、明らかに元気が欠けている。

「……はぁ、仕方ないな」

 小声で呟くと、日色は施設長のもとへと向かった。

 コンコンとノックをして、入室の許可をもらったあと、施設長の自室に足を

踏み入れた。まだ三十代の女性である施設長の部屋は、モノトーンを基調きちよう

した大人しい様相を見せている。

 ベッドの上には可愛らしい猫や犬のぬいぐるみがあるが、あれは学校で子

供たちが作って、施設長にプレゼントしたものだ。彼女は大切に扱っている

みたいである。

「どうしたの、日色くん?」

「どうしたのじゃない。いいのか、雰囲気が最悪だ」

「う、うん……でも」

「このまま暗い元旦を迎えるつもりか? オレは別に構わんが、さすがに正

月中ずっとああじゃ鬱陶しいぞ」

「そうね……けどあの子たちが楽しみにしていた祭りがなくなったのは確か

だし……。台風じゃなかったら、代わりにどこかピクニックでも行けたんで

しょうけど」

 そう、それがネックだ。代案を考えようとしても、外へ出ることができな

いという禁止事項があるため、ほとんどの娯楽を制限されてしまう。

「何か施設内でできて、子供たちが喜びそうなことがあればいいのだけれど

……」

「だったら一つ提案がある」

「……え? ほんと?」

「ああ、けどこれは大人全員が動かなければならないし、時間も限られてる。

何よりもそれで上手く行くかは定かじゃない」

「…………いいわ。私は、ううん、私たちは日色くんを信じてる。だから教

えて」

「そんなに信用されてもな。まあ、説明することはするが……」

「うん、どんなこと?」

「それはだな……」


 当日―――元旦。

 やはり台風は直撃みたいで、朝から空を覆っている黒々とした雲からは大

量の雨が大地を叩いている。また庭に生えている木々も暴風を受けて木の葉

を次々と散らしている。

 家の中にいても、風の威力を伝えるような音が耳に入ってくる。

 そんな状況を目の前にして、子供たちはさすがにもう諦めたようで、ガッ

クリと肩を落とし窓から外を眺めている者がほとんど。

 しかしそこへ日色がやって来て、子供たちに向かってこう言う。

「お前ら、祭りがしたいか?」

 子供たちは、何を言っているの? 的な感じでポカ~ンとしてほうけている

が、

「どうなんだ? 祭りがしたいのか、したくないのか」

 再度尋ねると、一人の少女が呟き声で「……したい……けど」と漏らす。

他の子供たちもそれに呼応して口々に祭りがしたいと喋り出す。

「ならついてこい」

 無愛想にそれだけ言うと、日色はある場所へと向かう。後ろから子供たち

が困惑気味な様子でついてきているのを確認する。

 やって来たのは一つの部屋。そこは元々小さな道場だった場所で、雨の日

などで外に出られない時は、そこで子供たちは遊んだりする。

「おい、連れてきたぞ」

 扉越しに日色が声をかけると、ゆっくりと扉が開いていく。

 すると突然、ドンッ、ドドドンッ、ドンドンドンッと景気良く腹に響くよ

うな音が鳴り響く。

「「「そいやっ!」」」

 ドンドンッ、ドドドドドドドンッ!

 子供たちも呆気あつけに取られているようだ。それもそのはず、いきなり扉の奥

からは、法被はつぴを着た大人たちが太鼓たいこを叩き出したのだから。

 大人たち……とはいっても、数人程度ではあるが。彼らは全員、この施設

で働いている人たちだ。

「「「はっ! せいやっ! ほっ!」」」

 息が合っているように見えるが、やはりどことなく叩くリズムがズレてい

る。

(ま、仕方ないか。練習もそんなにできなかったらしいしな)

 というよりほとんどぶっつけ本番。だから練習不足は否めない。

 それでも台風の音をかき消すような音が室内にとどろく。

「「「はあぁぁぁぁっ! えいやっ!」」」

 最後だけは結構練習していたようで、ピッタリ打ち終わった。

 すると子供たちが「すっげえ~!」や「わぁ~!」と感嘆の声を漏らして

いる。

「みんなぁ! 今からこの《児童養護施設・めぶき》による、正月祭りを開

催するわよ!」

 施設長の開会宣言。…………沈黙。大人たちは子供たちがいつ反応を返し

てくれるか黙って見ている。そして―――――

「「「「わぁぁぁぁぁぁっ!」」」」

 先程までどんよりとした空気だったが、一気にガラッと景色が変わる。子

供たちは歓声を上げながら室内にある、いろいろな作り物や、店に目移りし

ている。

「ふぅ、何とか上手くいったようだな」

「そうね、ありがと日色くん」

「まあ、一応年長者だからな」

 施設長に話したのはこうだ。

 子供たちの元気を取り戻すには、やはり代案が必要だった。しかしながら

台風で外には出られない。ならどうするか……。

 中でしかできない祭りを行えばいいのではという考えに至る。無論時間も

限られているし、やれることも少ない。サプライズにした方が良いというこ

とで、子供たちにバレないようにするのも一苦労だった。

 施設長たち大人は、ヨーヨー釣りの風船や、くじ引きなどの賞品にするた

めの玩具おもちや、スーパーボールすくいに使うボールなどなど、短い時間の中、街中

を駆け巡って集めてきた。

 祭りっぽくするためにも、法被や太鼓などを、元々祭りを企画していた自

治会から借りたりもして、必死に大人たちは動いてくれた。

 それもすべては子供たちの笑顔のために。太鼓に関しては、本当に練習量

が少ないので、簡単にできる短いものを自治会の人に教わったという。

「本当にありがとね、日色くん」

「オレは案を出しただけだ。何もしてないぞ?」

「ふふふ、それでも日色くんが案を出してくれたから始められたのよ。見て、

子供たちみ~んなすっごい楽しそうじゃない」

 ヨーヨー釣りで糸が切れて悔しがっている子も、楽しそうに「もういっか

い!」と続けてやっている。スーパーボール掬いも、大人に教わりながら楽

しそうに掬っている。

 やはり一番人気なのはくじ引きらしく、それぞれが引いて賞品をゲットし

ている。まだ一等は出ていないようだが、皆が真剣にくじを選んでいる様は

見ていてほのぼのとする。

「さあ! モチつきも始めるぞ!」

 大人たちが石臼と杵を持ってきてモチつきを始め出す。子供たちも一緒に

掛け声をかけて、笑い声を重ねていく。

「これで仕事は終わったな。オレは自分の部屋に帰って本でも―――」

 するべきことは済んだと思い踵を返すと、ガシッと肩を掴まれる。

「ノンノンノン、日色くんにはまだお役目さんが残っているのよ?」

「……はい?」

「うわ~、ひーにぃがつくるの?」

「うっそだぁ~! だってひーにぃは、りょうりなんてつくれないもん!」

「でもでも、ほらぁ」

 子供たちが指差す先には、鉄板を前に頬を引きらせている日色がいる。

何故か法被の着用を義務付けられ、額には鉢巻はちまきもしている。

「……何故こんなことに……?」

 それはすべて施設長の企みなのだが……。実は日色には鉄板で焼きそばを

作って欲しいと頼まれたのだ。

 焼きそばくらい、作り方は知識としてはあるが、実際に作ったことなどは

ない。

「ほら、頑張って日色くん! みんなの眼がキラキラだよ!」

 おのれ施設長……この恨みはいつか倍返しだ!

 心からそう思いながら、鉄板に油を引いて焼きそば作りに取り掛かる。バ

チッと油が跳ねて頬を襲う。

「熱っ!?」

 ハッキリ言って超めんどくさい……。油は跳ねるし、熱気で眼鏡が曇るし

で良いことなし。

 しかし周囲を子供たちに囲まれているこの状況では、さすがにサボるわけ

にはいかなかった。一応の年長者として……。

「はぁ……」

 仕方なく覚悟を決めて焼きそばを作っていく。

(ふん、作り方なんて本を読んでいるオレにはつつけだ。こんなもの、簡単

にできる!)

 機械のように正確に手順を踏んでいく日色ではあるが、野菜を上手く切る

こともできないし、ヘラを使って均等に火を通すことができないしで、結局

でき上がった焼きそばはというと……。

「う~ん、なんかね、かたいとこと、ねちゃっとしてるとこある!」

「こっちはおにくがやけてない!」

「あじがね、うすいとこと、からいとこあるよ?」

 グサグサグサッと胸に突き刺さる言葉。次いで施設長が焼きそばを口にし

て言う。

「ん~………………微妙?」

 グッサァァァァッとトドメを刺された。

(うぐ……何故だ! 手順通りに作ったはずなのに……!)

 確かに知識にある通りに手順は正しかったが、野菜の形がバラバラだし、

火加減などもよく分かっていなかった。ヘラも上手く扱えていなかったし、

結果は火を見るよりも明らかだったのだ。

(くそぉ、もう絶対料理などせん……)

 こんなことならやるんじゃなかったと後悔していると、クイッと服が引っ

張られる。しかも一回だけじゃなく何度も。

 振り向くと、そこには子供たちの笑顔が並んでいた。

「ひーにぃ、ありがとぉ」

「うん、びみょーだったけど、うれしかった!」

「またね、ひーにぃにつくってほしい!」

「えーでも、ひーにぃりょうりへただよぉ~」

「でもおいしかったもん! なんかぽかぽかするから! わたしだ~いす

き!」

「ん~そっかぁ。んじゃぼくもまたたべた~い!」

 ただただ笑顔。自分の作った微妙な料理で得た奇跡のような光景だった。

思わず言葉を失って立ち尽くしていると、

「ふふふ、やっぱり日色くんに頼んで正解だったわ。また、お願いね」

 施設長も嬉しそうな笑顔を浮かべて嘆願してきた。日色は子供たちの顔を

見回す。誰一人として、数日前のような絶望感を感じている者はいなかった。

 そこには、確かな温かさが溢れている。家族と言う名の温かさが――――

―。

「「「「ひーにぃ、ありがとぉ~!」」」」

 元気いっぱいに感謝の意を表す子供たち。

「それとみんなぁ、まだ言ってなかったこともあるでしょ?」

 施設長の言葉に子供たちは首を傾げるが、すぐにピンときたのか、

「「「「あけまして、おめでとうございま~す!」」」」

 元旦の挨拶を行った。その様子を見て、日色は久しぶりに思った。

(こういう正月も……悪くない……かもな)

 思い出は確かな糧として、日色の胸の中に閉まってある。

(あの時の正月は大変な思いもしたが、それでも確かに悪くはなかったんだ

よな……)

 月を眺めながら日色は近くで寝ている仲間たちを見る。

(この世界にも正月がある。それまでコイツらと一緒にいるかどうかなんて

分からんが、それもまた思い出になるんだろうな。まあ、良い思い出か悪い

思い出かは分からんがな)

 あの後、子供たちがなつきに懐いて、やれカルタだの、やれコマ回しだのと

付き合わされた。しかも三が日全部潰されてしまった。結局、祭りがあろう

がなかろうが、安息の日々は日色にはなかったということ。

(オレはコッチの世界で生きていくって決めた……だが)

 ふと一人になり空を見上げていると、施設のことを思い出す。今頃何をし

ているのか考えてしまうのだ。

(ホームシック……? はは、そんなことあるわけがないか)

 胸に去来きよらいしている僅かな寂しさ。それが言葉にすればどういうものか知り

つつも、日色は首を左右に振って、静かに瞼を閉じた。

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