闇の精霊シウバとの邂逅 後編

 人間が住む大陸――人間界に存在する森の中。

 茂みに身を隠しながら周囲をうかがう二人の人物がいる。

 一人は紅き髪と同色の双眸そうぼうを持つ幼い風貌の少女――リリィン・リ・レイシス・レッドローズだ。

 鋭い視線を方々へ動かして敵の気配がないことを悟ると、小さく溜め息をきながら、まだ周りを確認している白髪の老人――シウバ・プルーティスへと意識を向けた。

(よもやこんな事態に巻き込まれるとは)

 リリィンの野望。それはこの世で《異端》や《禁忌》と蔑まれるような存在たちでも安心して暮らせる場所を提供すること。

 その下積みとして、こうして三界――人間界、獣人界、魔界と歩いているのだが、数十年旅をしても、いまだに夢の先は真っ暗闇でゴールの欠片かけらほども見ることができていない。

 それでも諦めずに旅をしていたところ、このシウバが人間たちに追われているところを目撃して、暇潰しがてらに助けてやったというわけだ。

 お礼として彼の作る料理を堪能させてもらった。グルメなリリィンですら目を見張るほどの食材と料理の腕で、最高に満足度を高めていたその時、黒髪黒眼の青年に突然襲われたのである。

 そして今、追ってくる青年から逃げ、こうして森の中に隠れて今後の方策を考えようとしているところだ。

「さて、あの男のことについてだが、何か心当たりでもあったか?」

 逃げる直前に、シウバから青年についての情報があると言われていた。

 会ったことはないようだが、青年は強い恨みをシウバに抱えていることは確かである。何故あそこまでシウバが認知していない存在が強い憎悪を抱いているのか疑問だ。

「そうでございますな。あの者は恐らく――――わたくしと同じ『闇の精霊』にございましょう」

 シウバは世にも珍しい『精霊族』と呼ばれる種族に属する存在で、精霊なのである。同じ種族にある妖精よりも稀少度が高く、滅多に確認することができない。

 高位精霊は見た目を変えられるので、シウバの姿はリリィンと同じとがった耳に褐色の肌が特徴の魔人となっている。

 そして『闇の精霊』。

 彼らは同種の精霊たちからも異端とされている存在らしい。

 本来、人界に長時間居続けることのできない精霊という種族の枠を跳び越えて、彼らは自由に人の世にいることができる。

 また人の負の想念によって生まれた『闇の精霊』は、純粋でけがれのない他の精霊からその存在だけで異質とされ忌避されるようだ。

「『闇の精霊』だと? その根拠は?」

「リリィン殿も拝見されたと思われますが、彼はわたくしの魔法で拘束した人間たちを簡単に解放させました」

 確かにそうだ。青年に操られた人間たちを殺さず止めるために、シウバが自身の闇属性の魔法を使い、人間の身体を拘束した。

 その拘束をいとも簡単に青年は解いたのである。

「わたくしの魔法に干渉し、魔法を解除できたということは、同じ魔法を扱える者としか考えられません」

「ふむ……そういえば、貴様と同じ魔法も使っていたな」

 彼が繰り出すシャドウクリメイトという魔法。影で様々な形態を作る魔法らしいが、それと同じ魔法を青年も使っていたのだ。

「それに極めつけは…………リリィン殿の魔法が一切効かなかったことでございます」

 その言葉に思わず顔をしかめてしまう。

 そうなのだ。青年を得意の《幻夢魔法ファンタジア・マジック》で、濃厚な幻術世界に精神を閉じ込めて瞬殺してやろうと思ったが、彼には効果がなかったのだ。

(しかも特大に濃いのをかけたはずだ。奴の心を殺したと思った)

 たとえ幻でもその精神を侵し、心を殺すことができるほどの力を持つリリィンの魔法。故に今までの相手は手を触れずとも、リリィンと瞳を合わせるだけで簡単に倒すことが可能だった。

 その解答として、シウバから思わぬ言葉が飛び出る。

「精霊という存在は、その存在そのものに魔法は通じないのでございます」

「何……だと……っ!」

 初耳だった。いや、そもそも精霊は人の前に姿を現さないことが普通で、どのような特性を持つのかは専門家でもよく分からないような存在だ。

 だからリリィンが知らないのも無理はないのだが、さすがに魔法自体が効かないというのは冗談かと思えるほどである。

「つまり貴様ら精霊は、魔法無効化能力を持ち合わせているというわけか?」

「左様でございます。高位精霊ほど無効化能力の適性が強く、恐らく彼は相当レベルの高い精霊でしょう。故にリリィン殿の魔法を打ち消せた」

「くっ……よもやそのような能力を持つ種族がいたとはな」

 そういった能力を持つ存在が稀に現れたりするが、まさか種族全体で備わっているとは驚きだ。

「! ……ということは貴様にも魔法は通じないということか」

「基本的には、です」

 少し気になる言い方ではあるが、彼と目を合わせた瞬間に魔法を発動してみた。

 幻術にかかったものは瞳がうつろになる――が、シウバにはその様子が見当たらない。

「いきなりそれはあんまりでございます」

「フン、好奇心だ好奇心。許せ」

 大げさに涙を流すような仕草をするシウバだが、やはり彼の言った通り精霊には魔法が通じないようだ。

「しかし基本的にと貴様は言った。例外もある、ということだな?」

「左様でございます。精霊同士なら、通じる魔法もございます」

「……ほう、それも初耳だな」

「わたくしたち精霊が扱うのは《精霊魔法》と呼ばれるもので、人が扱う魔法と仕様が若干異なります。どう異なるか説明は難しいのですが、単純に申せばより高度な魔法といったところでしょうか」

 自然の力が集まって構成されている存在が精霊だとシウバが教えてくれる。故に単純な物理攻撃も通じはしないし、自然エネルギーを利用した魔法そのものも効果はないとのこと。ただし精霊の稀有な無効化能力をさらに上回る力を持つ魔法も中には存在するという。

(なるほど。精霊というのは極めて異質な存在だということか。なかなかに興味深いな)

 精霊についてほとんど知識がなかったので、こうして学べることは大きいと思った。

「しかし稀少度の高い『闇の精霊』と立て続けに会うとはな、こんな経験は二度となさそうだ」

「そうでございますな。わたくしや彼の青年のように、人型を維持し放浪し続けることが可能なほど力の強い『闇の精霊』は数えるほどでしょう。この短期間で出会うとは、もしかすると天文学的確率かもしれませんな」

「ほう、なら後世に笑い話として伝えることができるな。そのうち一人は変態で、もう一人は殺戮さつりく者か」

「ノフォフォ、お恥ずかしい限りで……申し訳ございません」

 この状況の原因である彼に嫌味として返したが、彼は素直に謝るだけ。調子が狂う。

「そういうことですので、どうぞリリィン殿、このままお逃げください」

「は? どういうつもりだ?」

「あの方が狙っているのはわたくし。ならばリリィン殿が関わる必要はございません。この度はご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」

 確かに青年が狙っているのはシウバだけだろう。彼だけに殺意は向けられていたのだから。

 リリィンはたまたま縁ができてそばにいただけ。無関係ともいえる。

「なるほど、貴様の言い分はもっともだな」

「では――」

「しかしワタシにはワタシの矜持きょうじがある」

「! ……矜持でございますか?」

「そうだ。ワタシには貴様のような変態を野放しにはできん。世の中のためにもな」

「ノフォ?」

「ククク、冗談だ。それにしても貴様もそのようなほうけた顔をするのだな。少し笑えたぞ」

「リ、リリィン殿、お戯れでございますぞ!」

 今まで彼のテンポに流されたままだったが、ようやく意趣返しができた。彼にとっては理不尽かもしれないが。

「フン、まあ貴様が変態だろうが何だろうが、このまま何もせずに放置することなどできない」

「……何故でございましょうか?」

 シウバの真剣みを帯びた瞳がリリィンを見つめてくる。

 リリィンは自身の野望。

 亡き母が望み、彼女に誓った夢をシウバに告げた。

 ――誰もが手を取り安心して過ごせる場所を造る。

 人という存在は異常を許さない。しかし普通だけで世が成り立っているわけでもない。

 何の因果か、世界には必ず一般からはみ出すような者たちが出てくる。

 それは二つの種族の血を引くハーフであったり、普通とは違った力を持って生まれた者だったり、シウバのような存在だったりする。

 精霊の中の異端児。

 それは決して彼が望んでそうなったわけではない。また他の者たちだってそうだ。

 あがらうことのできない自然の流れとして命を授かり、その個人として生まれてきただけである。

 しかし特別な何かを有して生まれてきただけなのに、人はその特別を忌み嫌い距離を置こうとするのだ。

 リリィンはそういった者たちの居場所を作ってやりたいという信念のもと、こうして旅を続けている。

「――そう、でございましたか。まさかリリィン殿がそのようなお考えをお持ちだとは」

「フン、まだ夢の一端すら見えないがな。数十年と渡り歩いてきてもこのありさまだ。どうだ、笑えるだろ?」

「そんなことは……わたくしはご立派な夢だと思います。そうですな、そのような場所があれば、不幸にさいなまれている者たちにも幸福が与えられるやもしれません」

「そうだろうそうだろう」

「しかし、とてもとても遠き理想のようにも思えます」

「そんなことは分かっている。だがだからこそ目指し甲斐かいがあるというものだ! 簡単な野望など追いかけてどうなる?」

「リリィン殿……」

「難しいからこそ追いかける価値があるのではないか。それを望んでくれる声がある限り、ワタシはいつかきっと達成してみせる!」

 それが何の力にもなれなかった、亡き母への償いにもなると信じて。

「…………強いですな、あなたは」

 羨ましそうな、それでいて疲れたような表情を見せるシウバ。

 きっと彼も自分の生い立ちを振り返っているのだろう。その中で様々な理不尽を受けていたのかもしれない。

 一人で生き、ずっと戦い続けた結果、こんな顔を彼にさせてしまっている。

「わたくしには…………自分には何もないですから」

 重い言葉だった。

 心の底からそう認めざるを得ないといった感じで口にしている。

 諦めを凝縮したような彼の物言いに対し、リリィンは鼻を鳴らす。

「フン、だったら見つければよいだろうが」

「……え」

「何だその呆けたような顔は。何もない? それは現状ではってことだろう?」

「それは……そうですが」

「だったら今後生きていく上で見つければいいだけだ。何故そんな簡単なことが分からん?」

「そんな資格……残念ながらわたくしにはございません」

 どうも卑屈過ぎる。過去の経験がそうさせているのだろうが、見ているこっちはイライラしてしまう。

 いや、しかし思い返せばリリィンもまた彼のように挫折を味わったことがある。どれだけ旅をしても、声をかけても、リリィンを支援してくれる者が見つからなかった時、さすがに野望の遠さに絶望を感じたこともあった。

 一人で頑張って頑張って、それでも全然手が届きそうもない理想。

 それを実感していた時、今のシウバのような諦めをにじませた表情をしていたかもしれない。

 しかし――リリィンは真に信頼できる仲間という存在に気づいた。

 いつか出会ったルルノという少女に教えられた。

 仲間の心強さ、頼もしさ、温かさ。

 今は遠く離れているが、彼女とは心でつながっている。支え合っているのだ。

 そう思うだけで、リリィンは決して一人ではないと強く思えることができ立ち上がれる。

(しかしコイツにはそういう存在が今までいなかったのだな)

 もし自分もルルノに出会わなかったら、今でも支え合える者の尊さを知らず、もしかしたら夢の重さに潰れてしまっていたかもしれない。

(こういう奴らに生きる意味を与えるのもワタシの目指すべき道、なのかもしれん)

 だからリリィンは口にする。

「――ならその資格、このリリィン・リ・レイシス・レッドローズが与えてやろう」

「……! そ、それは……は?」

「ククク、何だそのマヌケ面は? どこかおかしかったか?」

「いえ、ですが……資格を与える……とは?」

「フン、貴様は一人のまま生き過ぎて性格がひん曲がっている」

「……性格に関してはリリィン殿の方が」

「あぁ?」

「……何でもございません」

 冷や汗を浮かべながらブンブンブンブンと首を左右に振るシウバ。

「フン、よいかシウバ・プルーティス! 貴様は今日からワタシに仕えろ!」

「……! 仕え……る?」

「そうだ! そうだな……貴様の振る舞いは執事としてピッタリだ。これからリリィン様、もしくはご主人様と呼びあがめろ!」

 彼の性格、というより性癖はいかがなものかと思うが、彼の作る料理や気遣いなどは非常に好感が持てるものだ。

 それに何よりも、この男は自分が鍛え直さないときっと死ぬまで卑屈なままだと思う。

(コイツがいれば、精霊たちとの橋渡しにもなるかもしれないしな)

 人という存在では、彼らとは接触すらままならないが、彼ならばまだ自分よりは接触しやすい。たとえ忌避されているとしても、人よりは都合が良い時もあるだろう。

 そんな打算も含んでいるが、彼の存在が面白いと思っているのも確かだ。故に仲間として傍にいれば退屈することはないと思った。

「わたくしが……従者……」

「ワタシの野望を手伝わせてやろう。その中で貴様が誇れる〝ナニカ〟を見つければいい。それが人生というものだろう!」

「リリィン殿……っ」

 彼の瞳が僅かに揺れる。そこには戸惑いと迷いが含まれているように感じた。

 リリィンの言葉は嬉しいが、伸ばされた手を本当につかんでいいのか悩んでいるみたいだ。


 ―――――――こんな所にいたのか。


 不意に聞こえた底冷えがする野太い声。

 反射的にリリィンとシウバは、その場から離れて警戒を最大にし身構える。

 見れば一本の木、その太い枝の上に立ち青年が冷ややかな視線を向けてきていた。



「ほう、ワタシがけしかけたモンスターどもに大分と苦労したようだな」

 逃げる際に、時間稼ぎのために得意の《幻夢魔法ファンタジア・マジック》にて、近くにいたモンスターたちの精神を乗っ取り、青年を獲物として認知させたのだ。

 ここに彼がいるということは、モンスターたちをすべて始末してきたということだろう。

 全身黒一色の男。この世では珍しい黒い髪と黒い瞳。闇そのものを体現したような存在だとリリィンは思う。

「そろそろ逃げるのは止めて死ぬ覚悟はできたか?」

 その言葉は真っ直ぐシウバへと向けられている。

 一体何故そこまで彼を恨むのか。

 まだシウバと出会って間もないが、それでも彼が人からここまで恨まれるような存在だとは思えないのだ。

「はぁ……せっかくのリリィン殿との蜜月を邪魔されるとは、無粋な青年でございます」

「だ、誰が貴様と蜜月を堪能しとるか!」

「はぐんっっ!?」

 とんでもないことを言うシウバの股間を蹴り上げてやったせいで、彼はそのまま白目をき情けない……いや、若干気持ち良さそうな顔で前のめりに倒れる。やはりドMの変態らしい。

「さて、おい貴様」

「……たかが魔人に用はない」

「フン、攻撃を仕掛けておいてその言い草か」

「そいつの傍にいるからだ。嫌ならさっさと消えろ」

「断る!」

「……?」

「コイツは今からワタシの従者になったのでな」

「従者……? お前はバカなのか?」

「ぐっ……ほほう、良い度胸だな、『闇の精霊』」

「!? この魔力量……!」

 青年が目を見張るほどの魔力を身体から溢れさせ、それを全身にまとわせていく。

「貴様には魔法は通じん。だから……何だ?」

 刹那、青年の視界からリリィンが消える。

「! どこへ――」

「――こっちだ」

 疾風の如き動きをもって、青年の背後をついたリリィンは、そのまま魔力を纏わせた右拳で背中を殴りつけた。

「がぁっ!?」

 拳の衝撃で、それまで無表情だった顔をゆがめながら前方へと吹き飛ぶ青年。体勢を整えようと青年が動こうとするが、頭上にリリィンが出現し、

「――っ!?」

 今度はかかと落としをくらい地面に向けて落下した。

 大地に突き刺さった瞬間に地面が割れ土煙が蔓延まんえんする。

 リリィンもまたその近くの地面に降り立ちながら、警戒度を緩めないで煙の中を凝視していた。

「っ……!」

「ほう、立ち上がるか」

「くっ……何だその動きは? それにこの一撃の重み……お前、ただの魔人ではないな」

 煙の中から右肩を押さえながら出てくる青年。

「魔法を無効化するとは言っても、魔力そのもので強化された拳を受け流すことはできまい」

 精霊というのは自然の力が凝縮して形成された存在であり、単純な物理攻撃も無効化することができるのだ。

「……ちっ、俺が用があるのはあの男だけなのだがな」

「フン、それは残念だったな、あの男はすでに昇天した」

 冗談交じりに言うが、男は表情一つ変えない。どうやら冗談が通じる相手ではないようだ。

「……反応無しか。つまらん男だな」

「まったくでございますね。リリィン殿のユーモアを理解できないとは嘆かわしいものです」

「生きてたのか不気味存在」

 いつの間にかケロッとした顔でリリィンの隣に立っている。

「ノフォフォフォフォ! やはりリリィン殿の折檻せっかん…………とろけそうでした」

「そのまま大地に吸収されてこの世から消えた方が世の女性のためっぽいがな!」

「ノフォフォフォフォ! これは手厳しい! ですがそんなツンなリリィン殿にわたくしはもうビンビンと感じるものがございます! ノフォフォフォフォ!」

 シウバの相変わらずの言動に、リリィンは頭を抱えて溜め息だけを深く吐いていた。

 すると突然、リリィンとシウバの表情が険しくなる。リリィンの足元に突如として広がる黒い影から鋭い針状のものが伸びてリリィンを貫こうと襲い掛かってきたのだ。

 しかしその物体の動きが突然停止し、諦めたようにボロボロと崩れていく。

 見ればシウバの足元から伸びた影が、リリィンの足元に広がっている影に伸びて今にも攻撃をしようと威嚇いかくしているように感じられた。

「ノフォフォ……ずいぶんせっかちでございますな……青年殿?」


 シウバがリリィンに攻撃した張本人を見つめる。せっかくの反撃のチャンスをシウバに潰されてしまい、青年も不愉快そうに眉をひそめていた。

「レディには優しく、と教えられはしませんでしたかな?」

「おいシウバ、こいつとは今ワタシが戦っている最中だ。あのすました顔が絶望にゆがむところを拝ませてやろう。ククク」

「まるで魔王のような発言でございますね。しかしここはわたくしめにお任せください」

「! どういう了見だ?」

「あの方はわたくしに用がある模様。それに、恩人であるあなた様をこれ以上戦わせたくはございません。ですからどうか、お願い致します」

 真摯しんしに頭を下げるシウバに対し、リリィンはしばらく思案する。奴にはデザートを台無しにされた仕返しもしたい。それに相手はハッキリ言って強い。

「……勝てるのか?」

「こう見えても魔法の扱いに関してはリリィン殿にも負けはしまいと自負がございます」

「クク、言ってくれるではないか」

 そこまで自信があるのであれば……。

「……いいだろう。しかしワタシの従者である以上は無様な姿は許さんぞ」

 許可することにした。精霊同士の戦いというのも面白そうだという理由が強いが。

「ノフォフォ、まだ従者と決まったわけではございませんが。いえ、ありがとうございます」

 シウバがリリィンに向けて微笑んだあと、青年に身体ごと向き直す。

「お待たせ致しました。ここからはあなたのお望み通り、このわたくしがお相手致しましょう」

「……ようやく、か」

 するとすかさずシウバが、足元に転がっている小石を器用に足で弾いて浮かび上がらせ、それを取るとそのまま青年へ向けて投げ放つ。

 しかし青年の足元から上方へ伸びた影が壁となって立ちはだかり、泥に投げ入れられたかのようにナイフを呑み込んだ。

「そんなものが効くと思っていたのか?」

「いやはや、魔法が効きませんので物理的に戦おうかと」

「冗談はよせ。俺たち精霊、単純な物理攻撃が効くわけがない」

「おや? そうでしたかな? 最近物忘れがひどくてですな」

「……なら俺の背後にあるのは何だ?」

 青年の背後から襲い掛かる槍状の黒い塊。彼は振り向きもせずに向かってきた槍をその場から左に身をかわし逃れた。そして一言。

「油断も隙もない奴だ」

「ノフォフォフォフォ! さすがでございますなぁ」

 シウバは相手の油断を誘いつつ、その隙をついて一気に勝負を決めようとしたらしいが、青年の警戒網を潜り抜けることはできなかったようだ。

「次はこちらからいくぞ」

 苛烈な殺意がほとばしり、青年の身体から放出された闇が広がって、まるで波のように襲い掛かってくる。

「これはこれは、老体はいたわらなければいけませんよ?」

「よく言う! そんなにやわじゃないだろ――《冥王めいおう》っ!」

「――っ!?」

 彼が言い放った最後の言葉を聞いた瞬間、シウバの表情がさらに険しくなる。

(冥王……? 初めて聞く二つ名だな)

 旅の中でも、そのような二つ名を持つ存在は聞かなかった。

 シウバが厳しい目つきのまま向かってくる闇をにらみつけ、そしてサッと右手を闇へと向ける。

 するとその闇がシウバの手に触れた刹那、まるで元々シウバのものだったかのように闇はシウバの右手へと吸い込まれていく。

(ほう、相手の魔法を吸収。自分のものにしたか)

 青年もまたシウバの魔法を勝手に解除したりしていたが、それもまた闇魔法の一種なのかもしれない。

「やはりシウバ・プルーティス。いや、《冥王》だな」

「ずいぶんと懐かしいですね。まさかその名を再び耳にするとは考えておりませんでしたな」

「他にもある。《始まりの闇》、《光の天敵》など、精霊……特に俺たち『闇の精霊』で知らない者などいない」

「ノフォフォフォフォ! 恥ずかしい若気の至りのことにございますよ! 今はただのしがない旅人です。それはそうと、できればあなたのお名前を教えて頂きたいのですが、いけませんか?」

「…………アビスだ」

「やはり聞き覚えのない名前でございますね」

 名前を聞いても心当たり一つないようだ。

「……一つお前に聞きたいことがあった」

「ほほう、何でございましょうか?」

「『闇の精霊』は、他の精霊と違って異質。その存在は数えるほどしかいないが、何故お前は【スピリットフォレスト】を捨てた?」

 微笑を浮かべていたシウバの表情からゆっくりと笑みが崩れていく。

(【スピリットフォレスト】……確か精霊たちが住む楽園だったな)

 その名前は知っている。人が住む場所とは隔絶して存在する園。どこにあるのかも、本当にあるのかも伝説と化していたが……。

(奴が口にしたということは、現実に存在するということだな)

 やはり精霊同士の会話は勉強になると、リリィンは黙って耳を傾けていた。


     ※


「捨てた……そうですな。わたくしは確かに故郷を捨てました」

「何故だ?」

「それをあなたが聞きますか? 『闇の精霊』は異質といったのはあなたですぞ?」

「……俺たちは契約者なしでも自由に外を行き来できる」

「それはメリットですな。わたくしが申し上げていますのはデメリットの方ですぞ」

「…………」

「『闇の精霊』は契約者なしで自由に動けるのではなく、元々契約者を持てない代わりに自由がきくだけです」

「それが理由か?」

「それは理由の一つに過ぎません。それはあなたも理解しているでしょうに。我々『闇の精霊』はその存在そのものが強い。【スピリットフォレスト】にいる精霊たちは、それこそ千差万別。生まれたばかりのか弱い者も大勢います。ですが『闇の精霊』は、そこにいるだけで、他の者の力と干渉し呑み込んでしまう。あの場にずっと居続ければ、精霊たちが自我を失い暴走してしまうのです」

「……それは決して俺たちの非ではないはずだ」

 ギリッと歯を噛み締めながら、初めてアビスが怒りの感情を見せた。シウバはその表情を見て、彼もまた犠牲者なのだと悟る。

「そうですか……あなたもまた失ったのですね……己の大切な者を」

「……っ、…………忘れたか?」

「む?」

「もう何千年も前になる。俺とお前は――――会ったことがあるのだ」

 アビスの告白にシウバの目が大きく開かれる。シウバにとって彼の記憶がない。しかし彼が嘘を言っているようには思えない。

「お前が今の『精霊王』と、もう一人……アシュカとともに【スピリットフォレスト】に住んでいた時だ」

 アシュカ……懐かしい名前だ。『精霊王』というのは、精霊たちの長で【スピリットフォレスト】を統治する存在である。

「…………そうですか。そんな昔にわたくしとあなたが……」

「覚えていないか? あの時、まだ生まれたばかりだったが、お前たちの周りをチョロチョロと動き回っていた存在がいただろう?」

 シウバは過去に思いを馳せるために目を細める。そしてハッとなり、「そういえば」と口にした。思い出したのだ。

「……確かにいました。しかし……わたくしたちの周りにいたのは二つの存在だったはずです」

「その一つがまだ幼かった俺だ」

「……!?」

「俺はお前の存在に影響を受けて、あの場で自然構築されて生み出された闇の属性を持つ精霊だった。そして……もう一つ。アシュカの影響を受けた光の属性を持つ精霊――ヘブンがいた」

 名前は知らない。だが確かにシウバの記憶上では、小さな精霊が、いつも楽しそうにシウバたち三人の周りでプカプカと浮いていた。まだ自我が育ち切っていなかったが、彼らの存在が三人に癒しと希望を与えているのもまた事実だったのだ。

 その二つの存在を皮切りに、次々と新たな精霊が生み出されていった。

「だがある日、お前という『闇の精霊』の影響を受けて、自我を失った存在がいたな」

「…………!」

 どうやら彼はを知っているようだ。シウバはつい苦々しい表情をしてしまう。

「それが――アシュカだった。まだ若い俺たちには何が起きたのか分からなかった。突然暴れ出し、多くの精霊たちが散っていった。そして……ヘブンもその犠牲になった」

 アシュカの影響を受けて生み出されたヘブン。それは人間で言えば、血の繋がり。肉親と同意。そんな存在を親が殺してしまった。

 そしてそんなヘブンと恐らく仲が良かったであろうアビス。アビスは親友を目の前で失ったのだ。他でもないシウバの影響力によって。

「結果的にアシュカをお前たちが倒した。俺はアシュカを憎んだ。友を奪った存在を憎んだ。だけど……憎み切れなかった」

「アビス殿……」

「アシュカはそれでもヘブンの親のような存在だ……。それに彼は俺たちに一番良くしてくれていた」

 一番面倒見の良かったのがアシュカだ。精霊たちも全てが彼を慕っており、シウバや現『精霊王』もまた絶大な信頼を彼に寄せていた。そこで当初、彼に精霊たちをまとめる役である『精霊王』になってもらったのだ。

 順風満帆だった【スピリットフォレスト】が、たった一つの出来事に恐怖した。

 そしてそれを成したシウバ――『闇の精霊』の存在が問題視され始めたのである。

 皆から慕われていたアシュカの消滅は、それまでの精霊たちの常識を覆すものだった。『精霊王』として皆を導いていた存在が、たった一つの『闇の精霊』の影響力によって自我をなくしてしまうということ。

 その現実が精霊たちを恐怖に陥れることになった。また『闇の精霊』は自我が強く、契約者を持たなくとも、自由に世界中を行き来することができるという事実にも拍車をかけ、異端、異質、異常な存在として認識され始めたのだ。

 現『精霊王』は、シウバ――果ては『闇の精霊』たちの扱いを決定しかねていた。どんな属性を持つ存在であれ、同じ精霊なのは間違いないのだ。

 だが長時間同じ場所に居続けていれば、『闇の精霊』の存在の強さに呑み込まれてしまい、他の者が自我を失い暴走してしまう。

 故に『精霊王』は決断を下す必要があった。だがシウバは、そんな親友である現『精霊王』に辛い役目を背負わすようなことはしたくなかったのだ。

 だからこそシウバは黙って【スピリットフォレスト】を出ることを決めた。

「俺が許せなかったのはそれだ」

 アビスが殺気を含ませた視線をシウバへとぶつけてくる。

「お前は自身がその場にいれば、また誰かを暴走させる危険性を考慮した。だから自分一人で出ていった」

「…………」

「……だがお前は問題を放置し、逃げただけだ」

「……耳が痛いですな」

 アビスの言葉。それはまさしく正論だった。シウバは逃げたのだ。親友であるアシュカをその手にかけることになり、居場所まで失い自棄になった行動ともいえる。いや、実際にそうだったのだ。シウバはあそこに居続けたくなかったのだ。

 居続ければ、嫌でもアシュカのことを思い出す。もう一人の親友からも憐みの視線を向けられる。仲間たちからは恐怖の対象として見られる。それが我慢できなかった。

「あれから他の……とはいってもあの時に自我のあった『闇の精霊』は俺だけだが、どうなったか知ってるか?」

 シウバは眩しそうに目を細めてアビスを見つめる。無表情の彼なのだが、どことなく泣いているように見えた。

「『闇の精霊』は精霊の敵というレッテルを張られ、それまでともに過ごしていた精霊たちから俺は非難を受けた」

「な、何と……っ」

「当然俺は皆を傷つけはしないと何度も何度も宣言した。お前の代わりに、お前がいつか戻ってくる場所を俺が守るために。それがお前の力を受けて生まれた俺の役目だと思ったから!」

「っ!?」

「でもお前は全然戻ってこなかった! 必死に他の奴らを説得しても聞き入れてもらえず、それでも……それでもいつかお前が戻ってきて一緒に精霊たちの考えを変えてくれると信じて……っ」

 シウバはきっと戻ってくる。それがアビスの生きる指針になっていたのだ。

「俺は……お前を追って【スピリットフォレスト】を出た。こうなったら俺がお前を探し出し連れ戻すためにな」

「……そう、ですか」

「だがまだ人化もできない俺は、お前を探すのは楽ではなかった」

 それはそうだろう。いくら自由のきく『闇の精霊』だといっても、自然界には危険が溢れているし、幼いアビスには過酷なものになったはずだ。

「何年、何十年、何百年、何千年もお前を探し続けた。そして見つけた。だがお前はその時、お前は――――笑っていた」

 再び湧き上がるアビスからの殺意。

「へらへらと、まるで過去を捨て去ったかのように笑い、旅をし続けていた」

 アシュカたちのことを忘れたことはない。しかし確かに旅の最中に楽しいと思えることもあった。その時に笑ったこともあるだろう。

「それにそこのガキにも楽しそうに食事を振舞っていたな」

 それは……確かにそうだ。誰かに食事を振舞うという行為も久々で、楽しいという感情があったのも事実だ。

「その時の俺の絶望感を理解できるか?」

「アビス殿……」

「お前の影響を受けて生まれ、勝手に傍からいなくなられ、長い年月をかけてようやく探し当てたと思ったら、お前は全てを忘れて日常を楽しんでいる。こんなふざけたことがあるかっ! 何故出ていく時に俺も連れて行かなかったっ!」

 激昂げっこう。初めて誰にも分かるほどに感情を爆発させるアビスを見て、シウバは申し訳なく思うことしかできなかった。

「お前は自分のことしか考えていなかった……俺のことを忘れていた……」

「アビス殿……わたくしは何も言えません。確かにあの時、逃げることだけしか考えておらず、過去を顧みないで、あなたという存在も忘れていた」

 『闇の精霊』が再び他の者とともに過ごせるという答えを探すこともなく、ただただ問題を放棄し日々を過ごしていたのだ。

「俺を生み出しておいて……勝手だと思わないのか?」

「勝手ですな。まことに勝手だと思います。わたくしはあなたに何かできるのでしょうか?」

「なら俺の恨みを受け止めろ! それが俺の望みだっ!」

 アビスが大地を蹴り上げ瞬時にシウバの懐へ入る。そのまま魔力が収束した右拳をシウバの腹へと突き出した。

「ぐほぉっ!?」

 メキメキッと骨のきしむ嫌な音とともに激痛がシウバの腹部に走る。そのまま砂をき散らしながら吹き飛んでいくシウバは、一切の抵抗の意志を見せずに、追い打ちをかけてくるアビスを黙って見つめているだけだ。

 そして何度も何度も全身を強打され続ける。膨大な魔力が込められたアビスの攻撃は凄まじい威力があり、タフなはずのシウバの体力をドンドン減少させていく。

 だがシウバには彼に抵抗するつもりなど毛頭なかった。

(彼は……わたくしの被害者……わたくしは彼の怒りを受け止める義務がある……)

 シウバはただただ懺悔ざんげしながらアビスの猛攻を受けるしかなかった。怒り心頭に顔を凄ませるアビスが納得するまで。その結果、待っているのが己の死だとしても、シウバは受け入れなければならない、と。

 アビスがシウバを仰向けに倒し、シウバを冷ややかに見下ろしている。シウバはそんな彼を見て、大人しく運命を受け入れるように目を閉じた。

(すみませんリリィン殿……どうやらここで幕のようでございます)

 この青年の想いを受け止めることができるのは自分だけ。そう思い、シウバは静かに死を待った。アビスの右手に刃状の黒い物体が生み出される。

「魔法でトドメを刺すつもりか! 精霊には魔法は効かないはずだが」

 そんなリリィンの疑問に、アビスが冷淡に答えていく。

「《精霊魔法》は絶対の力を持つ。魔法無効化を受け付けない崇高な力。だがその力にも優劣は存在する。万全のコイツ相手では俺の魔法は完全には通じず牽制けんせいくらいにしかならなかっただろうが、今は違う。今ならば俺の魔法で、お前の無効化を突き破れる!」

 その時、リリィンが「どういうことだ?」と説明を要求した。

「ふん、知りたいか。精霊はその意志で存在力の強度が決まる。存在力はそのまま魔法の力となり、強い意志こそが精霊の強さそのものなのだ」

 例えば精霊同士、互いに魔法をぶつけ合ったとする。この時、力の弱い方の魔法は無効化されるが、強い者の魔法はその効果を発揮することができるのだ。

 シウバとアビスの力量からいって、シウバの方が上だった。

「しかしそいつの今の意志は薄弱。迷いだらけの上、死を受け入れている時点で、俺の力を上回れるわけがない!」

 さらに体力を奪い満身創痍まんしんそういにさせられた今のシウバでは、無効化の力は望めない。

「死んでびろっ!」

 アビスがその凶刃をシウバの喉元へ突き立てようとした時、何者かがアビスを横から吹き飛ばしてしまった。

 アビスは突然のことに戸惑ったようだが、身体をクルリと回転させて体勢を整えると、自らを吹き飛ばした相手を確認する。

 そこには腕を組みながらふてぶてしそうに佇む赤い髪の少女――リリィンがいた。

 彼女は不愉快そうに倒れているシウバを見下ろしながら近づき、その細い足を高く上げるとそのままボールでも蹴るような感じでシウバの頭部を蹴り上げた。

「アホかぁぁぁぁぁぁっ!」

「ぶっへぇっ!?」

 シウバは人身事故にでもあったようにゴロゴロと大地の上を転がり、一つの岩に激突したあと大地に倒れた。

 さすがのアビスも彼女の行動に唖然あぜんとしている。それもそのはずだ。もしかしたら今の一撃でシウバは昇天したかもしれないのだから。

 だが彼女はキリッとした表情のまま怒鳴る。

「何をふ抜けたことをやっているっ! 貴様は私の従者だろうがっ! シャキッとせんかっ!」

 吹き飛ばされたシウバは、大地に横たわりながら考えていた。

(相変わらずリリィン殿は容赦がありませんなぁ……)

 目が覚めるような今の一撃で、ショック療法とでもいおうか、身体を覆っていた強烈な脱力感が少しマシになっていた。

 シウバはフラフラになりながらも立ち上がる。

「さ、さすがに死を覚悟しそうになったのですが……リリィン殿?」

「フン! 貴様にとっては嬉しいサービスだろうが!」

 確かに普段なら気持ち良くなれるかもしれないのだが、今のシウバは度重なるアビスの攻撃により疲弊し切っている。下手をすれば今の一撃でも十分に天に召される可能性はあった。

「シウバ! 貴様先程、ワタシにこう言ったな! 『自分には何もない』と! ならこの様は何だ!」

「…………!」

「何もないのであれば悔やむこともあるわけがあるまい!」

 リリィンの言う通りだ。何もなければ過去すらないということ。

「ワタシの従者なら、逃げることは許さん! 過去に何があったのか詳しくは知らんが、きっちりケジメをつけろっ! 死に逃げるな愚か者めっ! 生き続けなければ何の償いにもならんだろうが! だから――生きろ!」

「……リリィン殿…………はは」

 思わず笑みがこぼれ出た。

 何故だろうか。真っ直ぐ痛烈な物言いをする彼女に安心感を覚える。

(! ……そういえば、わたくしを注意してくださる方などおりませんでしたからな)

 それに自分のことを思って言葉をかけてくる彼女にありがたさを感じていた。

 自分の間違いを正してくれる人物。そんな人物とはもう巡り会えないだろうと勝手に思っていたのだ。

(しかしこの方ならば……)

 すぐに離れるつもりだった。礼をしたらすぐにでも。しかし何と居心地が良いお方なのだろうか。

 彼女の傍なら、もう二度と間違うことはないかもしれない、そんなふうに思えるのだ。

(リリィン殿……感謝致します)

 シウバはパパパッと服についた砂を落とすと、大きく深呼吸をする。そしてアビスのもとへ向かい、彼と対面して発言する。

「アビス殿、どうやらわたくしは、まだ死ねないようでございます」

「ふざけるなっ! この上まだ生き恥をさらしたいかっ!」

「結構なことでございます」

「な、何だと?」

「生き恥を晒そうとも、生きろと仰ってくださる方がおられます。その方がおられる限り、わたくしはどれほど泥水をすすろうと生きていこうと思います」

「くっ……何を勝手な……っ」

「そしてこの戦いにおいて、わたくしなりのケジメをつけさせて頂きます」

 シウバは戦闘態勢を整え、アビスの瞳を曇りのない瞳で見返した。


     ※


「ではいきますぞ、アビス殿?」

 爆発的に膨れ上がるシウバの魔力と殺気に、無意識に大きく一歩後ろへ下がってしまうアビス。

(ようやく本気になったか、馬鹿者め)

 リリィンもまたこれからが本番だと思い、勝負の結果を見届けようと彼らを見つめる。

「だ、だがたとえ迷いを吹っ切ったとはいえ、満身創痍の今のお前に俺の魔法を打ち消すことはできまいっ! シャドウシックルッ!」

 アビスが距離を維持したまま、その場で右手の手刀を振り下ろすと、弧を描く黒刃が放たれシウバに襲い掛かってきた。

 しかしシウバは避けようともせずに立ち尽くしている。

「――――ダークゲート」

 シウバの口が静かに動き、その目の前に黒い円が出現。

 アビスの攻撃がその円に呑み込まれたと思ったら、彼の頭上から同じような黒円が現れた。そこから驚くことに先程放たれたはずの黒刃が、今度はアビス目掛けて飛ぶ。しかし彼は不敵に笑みをこぼしている。

「愚かな。いくら攻撃の軌道を変化させようがしょせん俺の攻撃。この俺に効くわけが――」

 バシュゥゥッと、アビスの左肩を斬り裂いた黒刃。

 ――仰天するアビス。

 自分の攻撃が、自身にダメージを与えるわけがないと心底信じていたようだが、それが覆されて困惑している。傷はまだ浅い方だが、傷口を押さえながら痛みに耐えるような表情でシウバを睨みつけてきた。

「な、何故だ!……っ!?」

「あなたにお返しする時に、わたくしの魔力を注がせて頂きました。故に今のはもうわたくしの攻撃そのものでございます」

「くっ……俺の無効化の耐久値を越えたというわけか」

 アビスの力にシウバの力を上乗せすることで、本来なら無効化できるはずの魔法が、アビスの許容量をオーバーしてしまったあげく攻撃を受けてしまったのだ。

「《精霊魔法》にも優劣は存在する。そう仰ったのはあなたですよ?」

「ぐ……ならばこれでっ!」

 アビスの全身から闇が広がっていく。それが次第に形を成して、無数の矢に変化していき、空を埋め尽くしていく。

「ほほう~これはこれは、大したものですなぁ」

 シウバはアビスの力量に感嘆し目を丸くしている。青い空が、一気に闇空へと早変わりした。即座にアビスがクイッと指先を地面に向けて折る。

 すると次々と黒い矢がシウバ目掛けて降り注いできた。

「くらえっ! ――ブラック・デスッ!」

 シウバを囲うようにして覆い尽くしている矢の集合体から放たれる強襲。

 真っ直ぐ落ちてくるものもあれば、弧を描き死角から襲い掛かってくる矢も存在し、まさに四方八方を埋め尽くされた回避不可能の魔法だ。

(これは……魔法の使い方が上手いな。さすがは精霊といったところか。さて、シウバはどうする?)

 本来ならさじを投げるところかもしれないが……。

「まだまだ若い者には負けていられませんよ。ノフォフォフォフォ!」

 シウバのバカ笑いがとどろき、その間にも矢はシウバに迫ってきている。そしてそのまま避ける間もなくシウバの全身を、無数の矢が貫いていく。

「……フッ」

 アビスも確実にシウバの命を奪ったと確信しているかのように笑みを浮かべる。ザクザクザクザクッと音だけが響く黒塗りの空間を見つめながら、攻撃が終わるのを待つ。

 時間にして一分ほどだが、攻撃を受けている者にとっては永遠にも感じる攻撃だろう。終わらない矢の放射に文字通り全身を貫かれても時間が来るまで地獄は続く。いや、すでにこの空間に入った者は最初の十数秒で死を与えられているはずである。

 すでにむくろと化しているであろうシウバの様子をアビスが確認するために近づく。

 大地の上には黒い物体が横たわっていた。

 その黒い物体を見た瞬間――――アビスに戦慄せんりつが走る。

 何故ならそこにいたのは黒い獣。

(! あの姿は……!)

 全くの無傷で、見るだけで恐怖を感じさせ震えてしまいそうな紅き瞳で睨みつけている。

 リリィンと初めて出会った時よりも強い存在感を漂わせるシウバの姿だった。

 虎や獅子すら可愛らしく思えるほどの威圧感を持つその姿に、アビスはマズイと感じたのか、その場から距離を取ろうとするが、シウバの動きはその上をいく。

 瞬時に砂を巻き上げたシウバは、雷のような速度で一気にアビスを追い越し彼の背後に立つ。

「……わたくしの勝ちですな、アビス殿」

「がはぁっ!?」

 シウバの声が聞こえたと同時にアビスの全身が、激しく刻まれ仰向けに倒れた。今の一瞬で、目にも止まらないほどの速さで攻撃を受けたのだ。それはリリィンですらも感心してしまうほどの速度だった。

 黒い獣が徐々に姿を変化させていき、魔人型のシウバとして顕現する。

「ふぅ~やはり全力を出すといささこたえますなぁ」

 首を回してボキボキッと小気味の良い音を出すシウバ。

「ぐ……お前……何をした? どうやって俺の魔法から……っ」

「分かりませんか? いみじくもあなたが仰ったではありませんか。《絶対魔法》にも優劣があると」

「……っ!? バカなっ! 俺の魔法を無効化したというのか!?」

「ええ、その通りでございます」

「ふざけるなっ! 万全のお前ならともかく、今のお前が俺の攻撃を無効化できるわけがないっ!」

「……精霊にとって優劣とは、その存在の力でございます」

「……?」

「確かにあなたに組み伏せられていた時、あの時ならば間違いなくあなたの刃はわたくしに届いたことでしょう」

 シウバは目線を下げて彼を見つめる。目にはもう敵意の一欠けらすら宿ってはいない。

「しかし、リリィン殿のお蔭で、わたくしはまだ死ねないということを強く意識しました。弱々しかった存在力が元の強さに戻ったわけです。我々精霊は、元々が自然の意志が形になって生まれた存在でございます。意志の力が存在の力なのですよ。それは先程、あなた自身が仰ったことでもあります」

「……!」

「わたくしはあなたにしたことを罪と感じ、その手にかかることで罰を受けようと……死を受け入れようとしていました」

 その時、シウバの生きる意志は脆弱ぜいじゃくなものになり、存在の力も弱体化していた。しかしリリィンの言葉で立ち直り、再び生きることに執着した結果、元の存在力を取り戻したのだろう。

「精霊としては、まだまだあなたはわたくしより弱い。だからこそ、あなたの魔法はわたくしには通じなかったのでございますよ」

「…………俺は……お前を……許さない……っ」

 その言葉を受け、表情に陰りを見せるシウバ。

 するとアビスの姿が人型から、シウバが見せたような黒い獣の姿に変化した。力を使い果たし、人化を維持できなくなったようだ。

「フン、さっさとトドメを刺したらどうだ、シウバ? 今のそいつなら簡単だぞ」

「リリィン殿……」

「生かしておいたら、また確実に命が狙われる。なら憂いはここで断っておくに限るのではないか?」

 リリィンはシウバの瞳をジッと見つめながら、彼の選択をあおる。

 アビスもまた異端者ではあるが、争いだけを求めるようなやからに情けだけを向けることはできない。

「そうだ! 殺せ! 一度見捨てたんだ! お前なら簡単だろ! 俺の命を奪うなんてことはなぁ!」

 わめくアビス。痛烈なその叫びに耳が痛そうな顔をするシウバがいる。

(さあ、コイツはどういう答えを出す?)

 リリィンからシウバが視線を外し首を左右に振った。

「できません」

「っ!? シウバ・プルーティス……この期に及んで情けをかけるつもりかっ!」

 相当腹に据えかねたのか、まだ動く尻尾で地面を何度も何度も叩いて怒りを露わにしている。

「…………怒ったら尻尾で地面を叩く癖、まだ直っていなかったのですね」

「! ……お、お前……覚えて……いたのか?」

「当然です。尻尾が痛むから注意するように申したのはわたくしなのですから」

 まだてのひらにチョコンと乗るようなほんの小さな獣の姿だった頃のアビス。彼がへそを曲げると尻尾で地面を叩く癖は生まれた時からあるもので、よく注意をしていたのだという。

 信じられないという面持ちでシウバの顔を見上げるアビスに、シウバがそっと近づき膝を折って手を差し伸べる。

「……何の真似だ?」

「……わたくしに償わせて頂けませんか?」

「……?」

「本当は、あなたに殺されることがあなたにとって一番の復讐ふくしゅうなのかもしれませんが、どうやらわたくしはそれを選ぶことができないようです」

 そう言ってリリィンを見つめてくるシウバ。リリィンは鼻を鳴らして無愛想な表情を見せつけた。苦笑を浮かべたシウバが再びアビスへと視線を戻す。

「ですが、あなたにしてしまったことは、今でも悔やみ切れません。だからこそ、わたくしに、別の形で償わせてほしいのです。勝手なことを申し上げているのは重々承知しております。ですがどうか……この身で、どうか……」

 シウバの不安気に揺れる瞳をジッとアビスは見つめる。アビスは視線を切り、目の前に広がっている空を見つめる。そのまま静かに目を閉じて言葉を出す。

「……今更遅い。俺はアンタを許せない。次に会った時は今度こそこの手でアンタを……超えてやる」

「…………そうでございますか」

 シウバは差し出した手を引き、悲しげに立ち上がるとそのまま重い足取りで近くまで来ていたリリィンの前に立つ。

「……もういいのか?」

「はい、ご迷惑をおかけしました、リリィン殿」

 シウバが頭を下げたあと、再度視線をアビスへと向けるが、すでにどこかへ消えたのか、アビスは倒れていた場所からいなくなっていた。

「フン、どうでもいいがその辛気臭い顔を止めろ」

「……申し訳ございません」

 どうやらアビスと完全に和解できないことが相当に彼の心に刃となって突き刺さっているようだ。

「はぁぁ……長生きのくせに肝心なことは理解しておらんな貴様は」

「は? 肝心な……こと?」

「奴は最後に何と言った?」

「?」

「……ったく。奴は今度こそと言ったのだぞ?」

「……あ」

「それまで殺してやるの一辺倒だったものを……しかも呼び名がからにまで変わっている。ったく、どっちも甘い奴らだ」

「…………アビス殿」

 先程とは打って変ったように、彼の瞳が嬉々とした色を宿している。

 アビスもシウバと全力でぶつかり、その想いを聞いて少し思うところがあったのだろう。

 本当に和解できるかどうかは分からない。それこそ恨んでいた期間が長いのだから。

 しかしそれでも今回のことで互いのことを知ることができたのは確かだ。

(いがみ合っていても、たとえすれ違っていても、話し合い想いを伝え合えば分かり合うことだってできる。それはコイツらに限ったことじゃないはずだ)

 自分と違うから認められない。普通とは違うから距離を置きたい。

 それは感情としては一般的なのだろう。しかし直接言葉を交わして、心と心を触れ合わせればその高い垣根を取っ払うことだって可能だとリリィンは思う。

「リリィン殿、この度はまことにありがとうございました」

「……感謝をしているのなら、生涯従者としてワタシに仕えろ」

「……しかし、わたくしは今回のように恨みをどこかで買っている可能性もあります。それだけではなく『闇の精霊』でございます。またご迷惑が……」

「ともに在れと言った。なら貴様は何も気にせずに全身全霊でワタシに尽くせばいいだけだ」

「リリィン殿……!」

「この手を取れ、シウバ・プルーティス」

 彼がジッとリリィンが差し出す右手を見つめる。

「…………後悔、なさいませんか?」

「そんなやわに見えるのか、このワタシが?」

「ノフォフォフォフォ! そうでございますね! わたくしがお仕えする方でございます! 弱音など吐きはしますまい」

 当然だ。そんなものを吐いている暇などない。

「ただもし弱さを感じたその時は……」

 突然シウバが着用しているジャケットを剥ぎ胸をはだける。

「その時は、このわたくしの胸でリリィン殿を誠心誠意抱きしめてそのままベッドにぶふぅんがっ!?」

 脳天にかかと落としをくらわせてやった。彼の頭はただいま地面に埋もれている。

「この変態が!? 貴様にそのようなものは求めておらんわ!」

「ノフォフォ……これはまた……効きます……なぁ」

 ぐったりしながらも嬉しそうに「癖になりそうでございます」と、不気味な笑みを浮かべる彼に怖気おぞけが走る。

 もしかしたら早まったかもしれない。

 そう思ってしまうのも自然だろう。

 しかし……。

(まあ、退屈はしそうにないがな)

 また彼の実力も高いし、人格的にも一部を除いて問題はない。

 本人が異端と呼ばれる存在ということもあり、これから同種の者たちと触れ合っていくのにも心強い武器になりそうだ。

「そういえばこれからどちらに向かわれるおつもりでございますか?」

 すぐにケロッとした表情で聞いてくる変態。

「一度魔界に戻ろうと思う。そこに拠点――家でも作って、貴様のようにともに来る者たちを住まわせるのも悪くないかもな」

「なるほど、拠点でございますか?」

「しかし一から家を造るとなると結構な大仕事になりそうだがな」

「ふむ、それに関しては一つご提案がございます」

「ほう、聞こう」



 家について提案があると彼から聞かされたのは、この人間界のある場所にひっそりと佇むボロ屋敷があるとのこと。

 そこには誰も住んでおらず、たまにシウバが雨宿りや寝床として利用させてもらっているらしい。

 周りは鬱蒼うっそうと茂った森が広がり、確実に放棄された建物だというので、様子を見に行くことになった。

「――ほほう、これはなかなかに雰囲気があっていいじゃないか」

 シウバの案内に従ってボロ屋敷が立つ場所まで来ていた。

 確かに修繕はかなり必要になり幽霊屋敷のような佇まいであるが、大きさも申し分ないし使えると思えた。

「しかしワタシは修繕などできんぞ。面倒だしな」

「ノフォフォフォフォ! それはわたくしにお任せください! こう見えても大工作業は得意なのでございます!」

「そうか。ただこれをどうやって魔界に運ぶつもりだ?」

 気に入った屋敷が見つかったのはいいが、人間界を拠点にするつもりはない。

 まさか一旦屋敷を破壊して少しずつ運ぶとでもいうのだろうか。一体どれほどの時間がかかるか想像もできなくて思わず顔が引きってしまう。

「それについてはご心配ありません」

 シウバが自身の影を拡大化していき、屋敷に面する大地を覆っていく。

 するとその影の中に、まるで沼に沈むかのごとく屋敷が傾きながら吸い込まれ始めた。

(ま、まさかここまで大きなものまで収納できるとは……!)

 彼がこのような能力を持っていることは分かっていたが、これは結構な驚きだった。

 確かにこれならば屋敷を一回でそのまま運ぶことができる。

(本当に思った以上に良い拾いものをしたかもな。性癖に目をつむったら、だが)

 リリィンは満足感を覚え笑みを浮かべる。

「よし、シウバよ。最初の仕事として申し分なし! さっそく魔界へ向かうぞ、ついてこい我が執事!」

かしこまりました――リリィンお嬢様」

 こうして一人だった野望の旅に、心強い仲間を得ることができた。

 これから何が起こるか、何が待っているか分からないが、それでもリリィンは歩みを止めない。

 新たな門出を祝うような心地好い陽射しが、二人の行く道を明るく照らしていた。

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