闇の精霊シウバとの邂逅 前編

 一人で【魔国まこく・ハーオス】から旅立って早くも数十年の月日が経った。

 といっても見た目の少女から少しも成長はしていない。

 よくて十二歳くらいに見られる風貌だ。二十年も生きているにもかかわらず、だ。

 しかしこれはリリィン・リ・レイシス・レッドローズだけに限ったことではなく、『夢魔むま族』の女性は、基本的に外見は幼いままが多い。

 比較的長命種だという理由からそうなっているのか分からないが、同種の男が幼い外見を好みとしていることから自然とそうなったと伝えられてはいる。嫌な進化ではあるが。

 すでにリリィンの周りには男の『夢魔族』はいないが、この成長しない外見が彼らの嗜好しこうのせいだというなら、いつかぶん殴ってやりたいと思っている。

 出国して一通り三つの大陸を回っていたのだが、再び人間界へと渡っていた。

 その名の通り、ここは人間が住む世界を作っていて、当然他種族は忌避きひされる。

 『魔人族』、『獣人族』、『人間族』。

 この三種は今、戦争状態にある。血で血を洗うような醜い争いを、長年に亘って続けているのだ。

 その理由はひとえに、自分たちの方が優れた種族だということを誇示したいというものから。

 まったくもって愚かしい。感情を持つ人ならではとも思うが、よくもまあ飽きずに殺し合いができるものである。

 元王族であるリリィンも、その渦中にいたわけだが、それが嫌で出てきたのだ。

 そして国を出た最大の理由。

 ――異端とされる者でも平和に暮らすことができる場所を造ること。

 リリィンが人生のすべてをかけて成し遂げたいと考えている野望だ。

 それが自分を生んで育ててくれた亡き母の願いでもあったから。

 時間がかかってもいい。いつか誰もが笑い合える場所を造る。それを理念にしてリリィンは旅を続けてきたのだ。

 しかし世の現状は想像以上に厳しくひどいもので、理解できたのは野望を実現させるための道の果てしなさ……であった。

 この他種族同士がいがみ合う中、同じ種族でも生まれつき魔力がなかったり、身体の形が変わっていたり、二つの種族の血を引いていたりと、少しでも“普通”から逸脱した者たちは、例外なく排除されてしまう。

 リリィンはそんな者たちでも自由に暮らせる場所を造りたいのだが、いまだその糸口すら見出せない状況である。

 魔界を歩いてみたはいいが、基本的に魔人たちは同族にしか心を許さない性質を持つ者が多いので、他を受け入れる広い器量を持つ存在は少ない。

 リリィンの野望は、まだまだ闇の中の手さぐり状態といったところだ。

 無論良い出会いもあった。

 ここ人間界で出会ったルルノという少女との邂逅かいこうは、リリィンにとっても夢を追う上で元気づけられるようなものだったのだ。

 彼女は獣人で、当初は魔人のリリィンを怖がっていたが、悪い人間たちに捕まり実験施設で処理されようとしていたところを助けたことをきっかけに仲が深まり、彼女もまたリリィンの夢に賛同してくれるようになった。

 ともに旅をしようとリリィンは思っていたが、彼女は彼女で獣人たちの意識を変えることを念頭に置いて、少しでもリリィンの役に立てればと【獣王国・パシオン】に住んで、国の中から変えていこうと奮闘してくれるようになったのである。

 闇の中の一筋の光明のように思えたリリィンは、彼女の存在に勇気づけられ、こうしてまた様々な出会いを求めて旅をしている最中なのだ。

「――この人間界でまた何かいいきっかけがつかめればいいがな」

 人間は手先が器用で技術力がある。他の大陸と比べても、圧倒的に文化度は高く整備された街や村の数も多い。

 将来造るための〝野望の場所〟にとって何か参考になればいいが……。

 そう思い、左右を木々で覆われた街道を歩いていると――。

「ん? 何の気配だ?」

 右側。少し遠くから複数の気配を感じた。

「モンスター? いや、この気配は……」

 ちょうど目的地もなく時間も持て余していたので、確認がてら向かうことに。

 木の枝に跳び移り、木から木へと移動を開始していく。

 ――すると、目先に映った光景に目を細める。

 一匹の黒い体毛に覆われた狼のような獣が木々の合間を擦り抜けて走っていて、それを複数の人間たちが武器を持って追いかけていた。

(狩り……か? いやあの獣……妙な気配を感じる)

 逃げている獣から、異様なオーラを感じ取った。体長はリリィンより少し大きいくらいだろうか、墨でもかぶったように真っ黒な体毛は逆立っているが、フワフワとして触り心地は良さそうだ。顔立ちは精悍せいかんで尻尾を丸めながら逃げている。

 すると獣が足を止めてしまう。何故なら前方が岩場に塞がれていて立ち往生してしまったからだ。人間たちが逃がしはしまいと、獣の周りを囲い始めた。

「多勢に無勢か。まあいい、暇潰しだ。少し相手をしてやるとしよう」

 リリィンは木の枝から跳び下りて、獣と人間たちの間に降り立つ。

 当然、突如として現れた少女に人間たちは足を止めてしまう。

「っ!? 何だ何だ!? いきなり子供が現れたぞ!」

「お嬢ちゃん、邪魔だ! 俺らはそいつに用があんだよ!」

「そうだそうだ! 最近造った武器の試し斬りができる獲物がようやく見つかったんだしな!」

 どうやら人間たちの目的は、自身らが持つ武器の試し斬りだったようだ。

 別に残酷、とは思わない。弱者は強者に何をされても文句を言えないのが、今の世の中だから。

 しかし――。

「ほほう。武器の試し斬り、か。面白い。ならばワタシを斬ってみるがいい」

 その弱肉強食の摂理は――。

「ただし数秒後、いつくばるのはどっちか分からぬがな」

 ――誰にも等しくやってくるのだ。

 リリィンは不敵に笑みを浮かべて、ゆっくりと人間たちに近づいていく。

「おいおい、邪魔しようってか」

「! ちょ、ちょっと待て、コイツの耳! 耳を見てみろ!」

「へ? と、とがってやがる!? ま、ま、『魔人族』じゃねぇかぁ!?」

 尖った耳と褐色の肌。それは多くの魔人の特徴につながっている。

 後ろで立ち止まっている獣も、リリィンを見て目を見開いていた。

「ククク、どうした? 魔人だから恐れをなしたか?」

「っ!? へ、へへへ……恐れるこたぁねぇ。ガキが一人じゃねぇか! 野郎ども、やっちまえ!」

「そ、そうだそうだ!」

「やぁぁぁってやるぜぇぇっ!」

 人間たちが息巻いて一斉にかかってくる。

 ――ヒュン。

 一陣の風が吹いた。

 気づけば人間たちの目の前にいたリリィンの姿が消えている。

 リリィンは、ほんの一時の間隙の中、人間たちの脇を通り抜け背後へと出ていたのだ。

「「「「――ぐはぁぁっ!?」」」」

 人間たちが手に持った武器がそれぞれ真っ二つに折れ、口からも血を吐いて大地へと沈む。

 かといって命を奪ったわけではない。腹に一撃重いのをくらわせてやっただけである。武器は鋭い爪でもって一息に真っ二つにしただけのこと。

 どうやら誰一人としてリリィンの動きに反応できなかったようだが。

「フン、貧弱な奴らだ。やはり身体能力は種族一弱いな、つまらん」

 魔法を使うまでもなかった。

 ただ少しの暇潰しにはなったので良しとする。

 すると後ろから大地を踏みしめる僅かな足音とともに追われていた獣が近づいてきた。

 リリィンは振り返り小さく鼻を鳴らす。

「別に礼はいい。気まぐれが働いただけだ。運が良かったと思ってさっさとこの場から消えるんだな」

 そう言い残し、リリィンは岩場から離れていく。

 しかし少し歩いたところで、足を止めて振り向く。

 何故か獣がついてきていた。

「はぁ、餌などは持っていない。いいか、ついてくるな」

 強めに忠告し、再び歩く。

 だがまたしばらく歩いたあとに、リリィンは溜め息をいて振り向いた。

 どうやら離れるつもりはないようで、獣が足を止めたリリィンにどんどん近づいてくる。

 じゃれつくように足をペロペロとめてきた。

「っ! く、くすぐったいから止めろ!」

 足をどけるが、それでも諦めずに獣はにじり寄ってくる。動物に好かれるというのは癒しを感じるから別にいいのだが、何故か獣の瞳がぎらついて、ハアハアと息が荒いことが物凄く気にかかる。

 その時――ブルルルルと、獣が顔をうつむかせて全身が小刻みに震え出した。

 一体何事かと思ったら、あろうことか、身体が徐々に大きくなってきて人型へと変化してしまったのだ。

「な、な、な……っ!?」

 どういう原理か一瞬理解できずに顔を引き攣らせてしまう。

 そして――。

「――ああもう、これは運命ですぞ! ええそうです! 誰が何といっても運命なのでございます! ですから……ですから私はもう――出会う前から愛していましたぁぁぁっ!」

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 何の悪夢だこれは。 

 凛々りりしさすら感じさせる獣が人型になったと思ったら、その姿は老齢な男性で、不気味なほど興奮状態のまま両腕を広げて飛び掛かってきた。しかも口は何故かタコのようにすぼめている。恐怖の権化としか思えない。

 故に――。

「死ねぇっ、変態ぃっ!?」

「はぶんでぃっ!?」

 懐に潜り込んで全力でアッパーをかましてやった。

 男は「あぁ~」とどこか気持ち良さそうな声を漏らしながら、空を放物線を描きながら飛んで――地面に落下する。

「あ、ああ……ナイスな……刺激……がふっ」

 男は幸せそうな表情のままガクッと顔を横に向けて失神した。

「…………何だこの薄気味の悪いジジイは……悪夢か?」

 きっと関わり合いにならない方が良さそうな気がしたリリィンだった。


     ※


「っ……いててぇ」

 獣を狩ろうとしていたところ、気まぐれを起こしたリリィンにあっさりと打ちのめされた男たちが、小さなうめき声を上げながら意識を覚醒させた。

 ずいぶんと手加減されたようで、気絶していた時間もそれほど長くはない。

 男の一人が殴られた箇所が痛むのか、腹を押さえながら周囲を確認する。他の仲間たちも次々と起き上がっている。

「……ちっ、何であんなバケモンが人間界にいやがるんだよ。ったく」

「だよな。まったく動きとか分かんなかったぜ」

「反則だあんなもん。あれでまだ魔法も使えるってんだしな。やってられっかよ」

 対峙たいじして命があっただけでも儲けものだといいながら、男たちは立ち上がり落とした武器を拾う。

「獲物も逃がしちまうし、今日はとことんついてねぇや」

「だよな。せっかく女を使ってまでおびき出したってのによぉ」

「まさか相手が獣人だったとは驚きだったけどな」

 シウバの存在を獣人だと決めつけているようだ。

「けどあれだな、獣人って獣の姿にもなれたんだな。初めて知ったぜ」

「次会ったら絶対にハントしてやろうぜ」

「そうだそうだ! あの魔人のガキにも一泡吹かせてやりてえ!」

「できりゃ俺はもう魔人の方には会いたくねえけどな」

「がはは、違いねえ! アイツはバケモンだしな!」

 男たちが笑い合う。

 リリィンの強さを実感した男たちにとって、彼女は決して乗り越えることができない存在だと判断したのだろう。

 そろそろ街へ帰るかと、男たちの中の一人が言ってその場から離れようとした時。

「――あ?」

 男たちの目の前に、全身黒づくめの男が立ちはだかっていた。

 黒髪に黒眼。そして黒装束。まさしく黒一色。

 見たところ二十代前半ほどの青年といったところ。男たちを路傍の石でも見るような感情の無い瞳が特徴的だ。

「何だお前? 何か用か?」

 しかし青年はそれには答えずに、ただ一言だけ口にする。


「――――ようやく見つけた」


 何のことか分からないのだろう。男たちは怪訝けげんそうな表情を浮かべるが、次の瞬間、その顔が驚愕きょうがくに染まる。

「ちょうどいい、貴様らを使って挨拶をさせてもらうか」

「「「「――っ!?」」」」

 青年の足元――その影が一瞬にして男たちの足元にまで広がった。

「っ!? うっぐ……何だ!? 動けねぇっ!?」

 まるで足が縫い付けられたように、男たちはその場を動けない様子。

 すると影が男たちの足から上部へと伸び、ちり紙に墨汁をつけたように彼らの身体が徐々に黒へと浸食されていく。

「「「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」」」」

 数秒後――物言わぬ人形と化した男たち。瞳は青年と同じように真っ黒に支配されていた。

 青年は鋭い視線で、リリィンたちが去っていった方向をにらみつける。

「必ずお前を殺してやるぞ――――――『冥王めいおう』」

 殺意のこもった冷たい言葉が大気を震わせた。


     ※


「――ほんっとぉぉぉに感謝感激でございますっ!」

 あれから傷一つなくすぐに目覚めた男性。

 何故かリリィンが与えたあごの傷すら皆無なのだから不可思議過ぎる。

 早くこの場から遠ざかりたいと思った矢先だったが、男の復活があまりにも早かったため、それは失敗に終わってしまったのだ。

 彼からは頭を下げて感謝を述べられ、どうして人間たちに追われていたのか聞いてもいないのに語り始めた。

「あれは聞くも涙、語るも涙の話にございます」

「おい、まさか長くなるんじゃないだろうな?」

「そう、あれは一時間ほど前のこと」

 自分の世界に入ってまったくリリィンの言葉が届いていない様子。

 このままコイツを放置して去ろうとする――が、何故か風のような動きで回り込まれ行くてを立ち塞がれてしまう。

(コイツ……この動きがあるならあんな連中どもを簡単にけただろうが)

 激しく疑問が浮かぶが、どうも話を聞かないと解放してらもえそうもないので、仕方なく腕を組みながら耳を傾けてやることにした。

 何でもこの男は一時間前にこの近くの町にやって来たらしいが、買い物をしている最中、道を歩く女性たちの美しさに目を奪われていた時のこと、不意に視界に飛び込んできた一人の女性がいたようだ。

 豊満なボディを持ち、色気たっぷりの踊り子のような恰好かっこうをしたとびきりの美女。しかも明らかに男を誘うように色気を振りまいてウィンクまでしてきた女性に、男は一撃で胸を打たれ、ついつい声をかけてしまったらしい。

 しかし不幸なことに、その女性はいわゆる美人局つつもたせというやつで、バカな男が人気のない場所へと誘い込まれ、そこに待ち伏せをしていた男たちに囲まれ金を脅し取られるのだ。

 男はまんまと女性の罠にハマり、薄暗い路地に入った。そこで先程の男たちに囲まれ、獣の姿になって身を隠しながら逃げ回っていたということらしい。獣の姿の方が素早く動け、町を脱出しやすかったようだ。

 しかし相手が獣人だと知って金は諦めたようだが、逆に最近手に入れた武器を試し斬りさせろと追ってきたという。

「……どこが涙を誘う話だ。完全に貴様のゆるゆるに緩み切った自制心のせいだろうが」

「ノフォフォフォフォ! これは手厳しい! 手厳しいですぞ! ですが美しい女性に声をかけるのは男として当然。ただ…………悲しかったでございますなぁ。あの揺れるおっぱいは見事でした。いやはや本当に残念です」

 天を仰ぎ涙を流すジジイ。その歳でまだ枯れていないのかとあきれるばかりだ。

「というより、その気になれば簡単に事を収めることもできたはずだろう。相手を殺すという選択もできたしな」

「いえいえ、そのような乱暴な行為は趣味ではございませんので。いたぶるよりは、可愛らしい女性にいたぶられる方が大好物なので」

「こ、この変態……それ以上近づくな!」

 想像以上の危ない奴らしい。

「ノフォフォフォフォ! ですが町を出て良いこともございました! 何故ならあなた様にお会いできましたので!」

「は、はあ?」

「こんなにも気高く美しさと可愛さを兼ね備えた幼女は見たことございませぶふんっ!? ……にゃ、にゃにをにゃしゃいましゅので?」

「誰が幼女だ! ワタシはれっきとしたレディだぞ!」

 横っ面にフックを入れてやったが、まったくもって効いていない。一体コイツの身体はどうなっているのだろうか。

「そもそも貴様は豊満な女性がタイプではないのか!」

「いえいえ、幼女もまた捨てがたぶへんっ!」

「だから幼女と呼ぶな愚か者が」

 顎を蹴り上げてやった。

「あいたたた。いやはや、魔人の女性に殴打される。なかなかに貴重な体験ですなぁ」

「! ……そういや貴様、ワタシを見ても恐怖を抱かんとはな。一体何者だ? 見た目は貴様も魔人のようだが……」

 尖った耳に褐色の肌。リリィンと同じ特徴を、この白髪の老人もまた持っていた。

 しかし先程は間違いなく獣の姿だったことから、純粋な『魔人族』ではないのではと疑問を浮かべる。

 もしかしたら魔人と獣人のハーフなのではと、脳裏に《禁忌きんき》と世間で呼ばれる存在が浮かぶ。

「ノフォフォ、わたくしのことをお聞きになりたいと! ああ~可愛らしい美少女がわたくしに興味を持たれるとは……生きていて良かった」

 感極まったように天を仰ぎながら危なさを感じさせる笑みを見せる。

 完全に早まったか、と思ってしまったリリィンだが、元々好奇心旺盛なこともあり、彼の正体が知りたい欲求が強くなっていた。

「おほん! そういえばまだ自己紹介をしていませんでしたな。わたくしとしたことが、恩人に名乗りを忘れるとは申し訳ないことを致しました」

 再度咳払いをした彼がうやうやしく頭を下げてから言う。

「わたくしの名はシウバ――シウバ・プルーティスと申します。以後お見知りおきを」

「以後なんてのはないと思うがな」

「ノフォ!? これは手厳しい……わたくしゾクゾク致しますぞ」

 真正のド変態だコイツは。本当に以後などないことを願いたい。

「ま、まあいい。ワタシはリリィン・リ・レイシス・レッドローズだ」

「ノフォ? レッドローズ……確かそのお名前は……いえ、恩人に詮索は無しに致しましょう」

 彼の気遣いはありがたい。レッドローズという名は、そこそこ世に広まっている可能性が高い。何せ【魔国・ハーオス】の王族に連なる者の名前だからだ。

 彼が知っていたとしても不思議ではないだろう。別に隠しているつもりはないが、説明が面倒だったので、聞いてこない彼は空気が読める男だと認識した。

「さて、わたくしのことでございますが、できれば秘密にしていた方が良いかと思うのですが」

 彼の言い分に思わず眉をひそめてしまう。相手は笑顔のままだが、瞳に寂寥せきりょう感が宿っているように思えた。

 秘密にしたいということは、それ相応の何かを抱えているということ。

「……構わん。話すがいい」

「しかし……」

「貴様はワタシが隠していることを聞くと怯えたり態度を変えたりすると思っているのか?」

「…………」

「だとするなら見縊みくびるな、馬鹿者」

「! ……しかし」

「ワタシをそこらへんにいるやからと同列に扱うな。いいから話せ」

 何故ここまで彼の秘密とやらを聞きたいと思ったのか。

 それは――ニオイを感じたからだ。

 これまで接してきた多くの異端者と呼ばれる者たちが、同様に持つ雰囲気が漂っていたからである。

 だから確かめたいと思ったのだ。

 シウバがふぅっと諦めたように溜め息を吐き出し、「……了解致しました」と言うと、真っ直ぐにリリィンの目を見つめて答える。

「わたくしは――――精霊にございます」

「! ……本気で言っているのか?」

「偽りはございません」

 この世界には人間、魔人、獣人の他にもう一つ大別すると種族が存在する。

 それが――『精霊族』だ。

 妖精や精霊と呼ばれる者たちがそこに属する。

 精霊というのは妖精よりも稀少度が高く、滅多に人の前に姿を見せない。また精霊たちが住む集落があり、基本的にそこから長時間離れることができない存在だとも聞く。

 しかし例外もある。

 精霊というのは“人”と契約することができるのだ。魂をリンクさせ契約者のそばに在ることで、集落から長時間離れても支障はないらしい。

 見たところ、この男には契約者らしき存在は見当たらない。

 ということは……。

「まさか近くに精霊が住む集落があるのか?」

「いえいえ、少なくとも人間界にはございません」

「……! ならば何故平気な様子でこの場にいる? 精霊は契約者を持たぬ限り、外の世界で自由に活動することはできないと聞いたぞ? それともどこかに契約者でもいるのか?」

「そのすべての疑問に解答できるのが、先程秘密にしておいた方が良いと申した理由にございます」

「ふむ……どういうことだ?」

「わたくしは――『闇の精霊』なのでございます」

「? ……だから何だ?」

 精霊に属性があるのは知っている。

 元々自然の力が強まり凝縮されて生まれるのが精霊らしいのだ。

 故に魔法属性と同じように、火、土、水、風、雷、氷、光、闇の力を持って誕生するようだ。

 しかし真剣な表情で“闇”という言葉を強調した彼から、そこに秘められた異質をリリィンは感じ取った。

「『闇の精霊』というのは、人の負の想念から生まれた存在でもあるのです」

「ほう、それは初めて聞いたな」

 するとシウバが右手を少し上げて、てのひらの上に小さな黒い塊を現出させる。

 一般人が見たら何てことない球体だが、リリィンは反射的に目を見開いていた。

 球体から感じる闇の力の他に、確かに強い負のエネルギーを確認できたからだ。

「精霊が何故人の世で長く過ごせないのか、それは精霊が非常に純粋で感応力が高く、人の負のエネルギーに影響を受けやすいからでございます」

「それの何がいけないというのだ?」

「知らず知らずに負を吸収していき、やがて自我を失い暴走する危険性があります。そうでなくとも、エネルギーの負荷に耐え切れずに身体自体が崩壊してしまう恐れも」

「なるほど。故に暴走や崩壊を防ぐために、人の世界では長時間活動することは禁じられているということか。……! そうか、『闇の精霊』は負の影響に強い。だから……」

「そういうことにございます」

 シウバが「ただ……」と言いながら付け加えていく。

「純粋な自然の力の凝縮体であるはずの精霊にとって、我々のような“闇”というのは異端でもあります」

 異端という言葉にリリィンは眉をピクリと動かした。

「精霊は契約者を持つことで、負のエネルギーに対して抵抗力を得ることができます。人と魂で繋がるのですから当然といえば当然ですが」

「しかし元々負の塊のような『闇の精霊』は、契約者無しでも外の世界で自由に活動できる?」

「左様でございます。まあ、契約者を持つことができないといった方が正しいでしょうが」

 彼曰く、人と自身の負が反発し合って契約が成り立たないのだという。それが『闇の精霊』が自由を得る対価に支払っているリスク。他との繋がりを持つことができないという悲しき運命さだめでもある。

「それに他の精霊と異なる要素も持ち合わせております」

 彼の瞳が寂しげに揺れるのを見た。人の負の想念によって生まれたという事実以上に、彼にとって嫌なことでもあるのだろうか。

 リリィンがもし自分が彼と同じ存在ならと考えてみる。

(……最悪だな)

 けがれ切っている“人”から生まれ出た負の凝縮体として存在するなど、リリィンには考えられないし、不愉快極まりないと思う。

 きっとこの男も、そういう存在として精霊からも人からも忌避されてきたのではないだろうか。

 だからこその寂しげで辛そうな瞳の色を宿しているのだと感じた。

 好奇心から話を聞いていたが、これ以上聞くと逆に陰鬱になりそうなので、「もう結構だ」と言って彼の告白を中止させる。

「あと一つ、何故魔人の姿をしている?」

「精霊には決まった形というものは存在しません。性別は存在しますが、高位の者はどのような姿にもなれますからな。この姿は魔人であるあなたに最初から警戒されないようにと配慮した次第でございます」

「ふむ。なら人間の姿にも獣人の姿にもなれるということか」

「左様でございます」

 そうして人間、獣人と姿を変えて見せてくれた。

「なるほど。まあ魔人の姿の方が似合っているとは思うがな」

「ほほう。ではしばらくはこの姿でいることに致しましょう」

 褒められたことが嬉しいのか顔をほころばせるシウバ。その流れで提案してくる。

「それでは是非とも助けて頂いたお礼をさせては頂けませんか?」

「お礼……だと?」

「はい。こう見えてもわたくし、お料理などをたしなんでおりまして」

 料理と聞いて「ほう」とリリィンは僅かに目を開く。

 そういえばここ最近、美味いと思ったものを口にしていないような気がする。 

 ただただ栄養補給とばかりに果物や、適当な動物を狩って雑な調理で腹を満たしていた。

 金も有限なので、そういつもいつも街で買い出ししたり食事どころでまともな料理を食べることもできないのだ。

(さて、どうするか。コイツの言ったことがすべて真実だとは限らんし、見た目からして怪しい奴だしな。仮にワタシを陥れようと料理に毒でも忍ばせるということも考えられる)

 確かに今までリリィンが出会った種族とは、感覚ではあるが根本的に違うものを感じるし、なら精霊だという彼の言い分は信用できるだろう。

 だがこのまま素直に礼を尽くされて隙を見せるのはどうか……。

「……一つ聞いておきたいのだが」

「何でございましょうか?」

「貴様の実力ならば追いかけてきた人間たちを一掃できたのではないか? 精霊は魔法の扱いに関していえば魔人以上だと聞いているしな」

「そうでございますなぁ。確かにあのようなやからを追い払うことも可能でしたでしょう」

「ならば何故そうしなかった?」

「いえ、ただ単に争わずに逃走できれば一番だと考えた次第です。そうすれば誰も傷つきません。しかし意外にも彼らがしつこく、その上動きも素早かったもので。もしあのまま助けがなければ、さすがに手を出していたでしょうな」

「……できる限り争いを避ける、か。貴様は臆病者なのか?」

 彼の性格を見抜こうと尋ねてみると、彼の瞳が僅かに揺れたのが見てとれる。そこに込められた感情がどこか寂しげなものであり、かつて自分も瞳に宿していた感覚と似ているような気がした。

「わたくしは臆病者でございます。怖いことから逃げて、今もまだ答えを出せずにただ目的もない旅をし続けるだけの存在です。いやはや、格好悪いことこの上ありませんなぁ」

 自身の感情を隠すように乾いた笑いを見せてくる。

(コイツ……)

 もしかしたら彼の瞳の奥には、想像以上の悲劇が潜んでいるのかもしれない。そう思わせるようなやり取りだった。

「ノフォフォフォフォ! このような湿っぽい話をしていてもつまりませんぞ。どうですかリリィン殿、わたくしのお礼を受け取って頂けますかな?」

 露骨に話を逸らされた感はあるが……。何となく今の話に嘘はないと直感できた。

 完全に警戒は解けないが、それでも少しだけ流れに身を任せてもいいと思ってしまう。

「…………ふむ。そういえば腹も減る頃だしな。いいだろう、しかしもしマズイものを作ったなら覚悟しろ。濃厚な悪夢を見せてトラウマにしてやるからな」

「ノフォフォフォフォ! それは怖い! では不肖このシウバ、全身全霊で調理に当たることに致しましょう」

 すると突然、足元の影を自分の意志で大きく広げたシウバだったが、そこから驚くことにテーブルや椅子、調理台や食材などを次々と出したのだ。

「さあさあ、リリィン殿お座りくださいませ」

 呆気に取られるリリィンを半ば強制的にエスコートして椅子へと座らせるシウバ。

 魔力を感じたので、恐らく『闇の精霊』が扱う闇魔法の一種なのだろうが、一応説明をしてほしいと思い声をかけようとするが……。

「料理ができるまで、この食前酒でも召し上がっていてくださいませ」

 そう言って同じように影から取り出したのは――。

「お、おう……これはもしかしてシャンパンか」

「左様でございます。シャンパンはアルコール度数が低く、炭酸が入っているため食欲を増進させ会話を弾ませる効果がございます。調理中でも是非お声をかけて頂ければ幸いです」

「別に会話を楽しもうなどとは思わんが……って違う! これは何だ? 魔法で出したのだろ?」

 聞けば、彼の魔法は、自分の影を広げ、そこに様々なものを収納することができるとのこと。食材に関してはある程度保存も利くらしいので、旅にはもってこいの能力である。

 その気になれば屋敷のような大きな建物でも収納することができるというので、リリィンは異常なほどの利便性に富んだ魔法を素直に羨ましいと思った。

「そ、そうか。何というか変わった魔法を使うものだな」

「ノフォフォ、一種のデモンストレーションとしてお気に召して頂けましたでしょうか?」

 どうやら何の説明もなくいきなり魔法を使ったのは、リリィンに感動と驚きを与えるためだったようだ。

「ではしばらくお時間を頂戴致します、ミス・リリィン」

 柔和な笑みを浮かべながら調理をし始めた。

 ――不思議だった。

 この男と話していると、自然に会話に弾みはできる。

 ただの変態ではなく、リリィンが保護・支援をしてやりたいと望んでいる異端者だった。

 それだけでもリリィンが興味を持つ十分な理由になるのだが、こうして話をしていると、彼のペースに次第に自分が合わせているような気までする。それが別に不愉快ではないのだ。もしかしたらこれは彼の持つ魅力なのかもしれない。

(フン、何だか警戒していた自分がバカらしくなってきたぞ。……まあいい。今は奴が作る料理を楽しみに待つとしようか)

 仮に毒が入っていたらその時はその時だ。きっちり落とし前をつけさせればいいだけ。



 自慢げに料理を嗜むと言うだけあって、シウバの手際は見事である。

 包丁さばきや食材の洗い方にも一切のムダがなく流麗に事を成していく。

(ほほう、見事なものだな)

 次第に香ってくる腹の虫を刺激するようなニオイ。

 この香りだけでも十分に料理人として一流だということが伝わってくるようだ。

(それにこのシャンパンも悪くない)

 グラスに入ったシャンパンを楽しみつつ、ニオイに酔いしれる。

 一品、さらに一品と、テーブルの上に並べられていく料理の数々。

 思わずその出来栄えに顔が綻んでしまう。

「ではまず前菜から御堪能くださいませ」

 いわゆるオードブルというやつだ。

「こちらは《レモンサーモンとアボカドの前菜》にございます」

「ほう。黄色と緑の色合いもさることながら、このレモンの香りはレモンサーモンだな。食欲をそそってくるではないか」

 普通のサーモンと違って、《レモンサーモン》は身が黄色で、レモンの酸味と風味を兼ね備えている。何もつけなくてもそのままでも十分に堪能できる味わいを持つ。

 口の中はすでに臨戦態勢は整っている。早く放り込んでこいと腹の虫もわめいている様子。

「あむ…………ん~」

 これは製燻くんせいにした《スモークサーモン》だろう。それで調理を施したアボカドを包んでいる。

 さらにかにとにんにくの食感とニオイも漂ってきた。レモンの酸味と食材の甘さや苦みが見事にマッチした一品だ。

「次はこちらの《クローバーコーンクリームスープ》にございます」

 その名の通り、三つ葉のクローバーの形をしたコーンが、噛む度にプチプチと弾けて口内を刺激してくる。見た目も味も楽しめる料理となっている。

「……ん、先の前菜も素晴らしかったが、スープもまたちょうどいい塩っ気とサッパリ加減だな」

「今の季節、陽射しが強く汗をかきますから、少し塩分を多めに含ませておきました」

 普段なら少し塩辛いはずのスープが、今のリリィンの状態ではベストテイストになっているようだ。

 食べる相手を見て料理を合わせる。まさにプロの仕事だった。

(これは、思わぬ拾いものだったかもしれんな)

 性格……というより性癖に問題はありそうではあるが、彼自身のスペックは目を見張るものが多い。

 物腰の柔らかさや言葉遣いも特筆に値するものだし、何よりも便利な魔法とこの料理の腕がある。

 彼がいれば、常に気分良くさせてくれるのなら性癖には目をつむってもいいかもしれない。

「本来ならここで次は魚料理なのですが、あいにく今は切らしていまして申し訳ございませんが肉料理になりますがよろしいでしょうか?」

「問題無い。それにそれほど大食漢というわけではないからな」

かしこまりました。ではこちら――《宝石鴨ほうせきがものトマト煮込み》にございます」

 出されたのは、赤い液体に包まれた肉の塊だ。傍にはポテトサラダも添えてある。

「宝石鴨だと? かなり稀少度の高いモンスターだが……」

「わたくしがこの手で最近捕らえた新鮮鳥でございます」

 ナイフで肉を切ってみると、中がそれこそ宝石をちりばめたようにキラキラと輝いていた。これが宝石鴨と呼ばれる所以ゆえんである。

 かなりの高山にしか棲息しておらず、すばしっこい上に数も少ないので捕獲が困難なモンスターとして位置づけられているのだ。

(それを捕まえられるほどの腕も持っているということか)

 精霊というのは基本的に身体能力は低い。魔法に特化した存在だからだ。

 しかし目の前にいる男は、身体能力もずば抜けたものを持っているのだと判断する。

 そうでなければ、武人でも苦労する高山へ登り捕獲難度の高い獲物を手にすることはできないだろう。

「ん……んん~っ!? 美味い! 宝石鴨は久しぶりに口にしたが、やはりこのコリコリとした食感に適度な脂身が癖になる! この鴨独特のたんぱくな味わいもいいし、それがトマトとよく合っていて見事だ。いい仕事をしているではないか!」

「お褒めにあずかり恐悦至極。どうぞ、こちらのワインを」

 スッと差し出してきたワイングラスには、濃い紫色をしたワインが注がれてある。

「おお! そのようなものまで用意しているのか! どれ……ん。……ふぅぅ」

 まさにこれぞ幸せ。美味い料理と酒で、リリィンの心と身体は悪い部分がすべて浄化されている気分になってきた。

 恍惚こうこつの表情を浮かべながら、シウバとの出会いに感謝した瞬間である。

 不味まずかったら素直に不味いといってけなしてやろうと思っていたが、想像以上の結果にリリィンは反論の余地が一切なかった。

 彼が出してくる料理を完食し、青空の下で幸福感に包まれているリリィン。

「ふぅ、そろそろ腹も膨れてきたな」

「では最後にデザートなどを」

 と言って彼が目の前に出した皿には、大きな灰色一色の球体がポカンと置かれていた。

「……? 何だこの物体は?」

「どうぞ、ナイフで切ってみてくださいませ」

 そう言われて、いぶかしみながらも拳を丸めたくらいの大きさの球体にナイフを入れていく。

 すると切れ目から、キラキラと色鮮やかで可愛らしく小さい球体が幾つもあふれ出てきた。

「お、おい! これはまさか――《七色星ななしょくぼしブドウ》か!」

「おお、ご存知でしたか。その通りでございます。実自体は、切る前のグレーの皮に包まれた状態で実っているのですが、内側には七色に色づく粒状の果実が盛りだくさんに詰め込まれているのでございます」

 話には聞いていた。

 しかし《七色星ブドウ》は、先程の宝石鴨よりも稀少度が高いもの。

 栽培が不可能と言われるほど育てるのが難しい果物であり、天然もの自体も実がなっている期間が非常に短く、その期間に収穫しないと味が渋くなってとても食べられないらしい。

 しかも実がなる時期というのが決まっておらず、春夏秋冬どの季節にでも実るが、収穫期間が短いため、だからこそ稀少度が高いとされている。

「まさかこのようなものまで所持していたとは……!」

「たまたま旅先で発見しまして。時期も奇跡的に合っていたようで、手に入れることができたというわけでございます」

「ほほう。売る場所を選べば一財産でも稼げるかもしれないというのに、初対面のワタシに出すか」

「人の出会いとは一期一会と申します。良い思い出になれれば、と」

 それに恩人には誠意を尽くすのが自分の矜持きょうじだと彼は言う。

「フン、こうまで尽くされると逆に気持ちが悪い気もするがな」

「ノフォフォ、では見返りにほっぺにチューなどを」

「さて、食うか」

「幼女の無視……身体の芯から震えますなぁ」

 幼女と言ったことはあとで仕置きするとして、今はこの宝そのもののような果物を食すためだけに意識を集中したい。

 用意されたスプーンを持って、ブドウをすくおうとしたその時――。

 リリィンたちがいる場所へ、頭上から巨大な球体が落下してきた。



 あのまま優雅に食事を楽しんでいると、きっと球体の下敷きにされていたはずだが、リリィンとシウバは反射的にその場から距離を取っていたのだ。

(……何だ、コレは?)

 落下してきた球体に注目。

 それは土や枯れ木、石や草などが互いにくっついて球体状を作っていた。まるでゴミの塊に見える。

(何故突然こんなものが降ってくる……?)

 訝しみながら現状を分析していたが――。

「ああぁぁぁぁっ!?」

 悲痛な叫びをリリィンが響かせた。

 その視線を地面へと向けて、信じたくない光景に身を震わせてしまう。

「あ、あ、あ……ワ、ワタシの《七色星ブドウ》がぁ……っ」

 球体がテーブルに直撃したせいで粉々に破壊され、その上にあった《七色星ブドウ》もまた被害に遭い、地面に散らばってしまっていた。

「ま、まだ一口も食べてなかったのに……」

 明らかに自然現象ではない。何故ならゴミの塊にはリリィンたちを攻撃するという意志が込められていたし、それをリリィンも感じ取っていたからだ。

 見れば、木々の合間から先程打ちのめしたはずの男たちの姿を発見することができた。

 なるほど、報復というわけだ。

「ほほう、いい度胸だ。あやつらめ、ワタシの憩いの時間を潰した礼はきちんとしてやる。それこそ生きていることを後悔させてやろう」

 今度は手加減などない。そもそもバカな人間相手に同情した自分が愚かだった。

 奴らには濃厚な幻でも見せて残りの人生を辛いトラウマを抱えながら過ごさせてやるのも一興。

 台無しにされたデザートの恨みから、そう黒いことを考えていたリリィンにシウバが声をかけてくる。

「少々お待ちを、リリィン殿」

 つい語気が荒くなり「あ?」と彼を睨みつけてしまう。

「彼らの様子がおかしくありませんでしょうか?」

「フン、嫌がる相手を面白おかしく追いかけ回し傷つけようとするような腐った連中だ。最初からおかしいに決まっているだろうが」

「いえ、そうなのですが……あの目」

「目?」

 そう言われて、男たちの目に注目してみる。

「……! 確かに奇妙だな」

 彼らの瞳から意志がまったくもって感じられない。まるで人形が無理矢理動かされて視線を向けているような、そんな不可思議な感じだ。

 この状態。自分が相手に幻術をかけている時によく似ていた。

 幻の世界にとらわれていて、現実に意識が宿っていない様子だ。

「まさか、誰かに操られているのか?」

「どうもそのようですな。しかし一体誰が……」

「そのようなことを考えている暇などないようだぞ」

 リリィンが言うと同時に、男たちが一斉に動き出し、武器を持ちながら突撃してきた。

 統率も何も取れておらず、ただただ突っ込んでくるだけ。

 そんな相手にリリィンが後れを取るわけもなく、振り下ろす武器を簡単に避けて腹に一撃を与える。先程よりも強い一撃だ。

 これで確実に意識を奪って――。

「んなっ!?」

 まずは一人を撃沈したと思った矢先、殴ったはずの男が倒れることもなくすぐに反撃をしてきた。

 リリィンは咄嗟とっさに後方へ跳んで回避。

 どうやらシウバに向かった相手も同様で、失神させようにもどれだけ的確に急所を捉えても意識を失わないのだ。

(そうか、元々意識がないのだ。動きを止めるには操っている者を倒すか、物理的に動けないようにするしかないというわけか)

 リリィンは男の懐に入り、素早く屈み込んで両足に強烈なキックを与える。ボキィッと乾いた音が同時に鳴り響いた。

 男はその衝撃で前のめりに倒れてしまう。

「…………おいおい、冗談にもほどがあるな」

 驚くことに、骨折させたというのにまだ立ち上がってくる。

 痛みなどまるで感じていない様子に、つい顔をしかめてしまう。

 さすがにこれ以上痛めつけるのは気が滅入る。弱い者を一方的にいたぶり続けているだけだからだ。さすがにリリィンとしても気分は良くない。

(しかし意識がない以上、ワタシの魔法も効果はない)

 リリィンが扱う《幻夢魔法ファンタジア・マジック》は、相手の精神を支配して幻術に落とす力だ。しかし今、その相手に意識はなく、支配できる精神が表に出てきていないので操ることができないのである。

「ちっ、厄介なことだ」

 最も手っ取り早い方法は、彼らの命を奪う攻撃を繰り出すこと。首でもねればさすがに動かなくはなるはず。 

 しかし……と、さすがに躊躇ためらわれる。彼らの意志で食事の邪魔をされたわけではないだけに、殺すにはひど過ぎると思った。

 ならやはりどこかにいるはずの術者を探し出して、その者を何とかするしか方法はなさそうだが……。

「――――シャドウクリメイト」

 不意にシウバから大量の魔力を感じ取り、彼へ視線を向けると、その足元に広がる影から黒い触手のようなものが幾本も出現し、男たちの身体に巻き付いて拘束した。

「これでしばらくは動きを奪えるはずでございます」

「そんな便利な力があるなら最初から使え馬鹿者!」

 それならわざわざ相手の骨を折る必要もなかったはずだ。別に後悔はしていないが。

 二人してホッと息を吐いた刹那――。


「――――シャドウクリメイト」


 野太い声がどこからか響くと同時に、シウバが繰り出したものと同じ触手が伸び出てきてシウバの身体に巻き付いてしまった。

「ぐぅ……っ!?」

「シウバ!?」

 苦しそうな表情をするシウバの視線の先。

 男たちが出てきた木々の合間から、スッと一人の人物が姿を現す。

 この世界では珍しい黒髪と黒眼を持つ二十代前半ほどの青年。

 リリィンは一瞬で気づいた。

 その黒き瞳に込められた並々ならぬ殺意に。そしてそれは確実にシウバへと向けられている。

「っ……あなたは……?」

 てっきりシウバが相手のことを知っていると思ったが、眉をひそめて心底分からないといった様子だ。

 しかしシウバの問いに答えずに青年がスッと右手を上げる。

 同時に男たちを拘束していたシウバの影が解かれていく。

「! わたくしの魔法を!? そうですか……あなたはもしや」

 心当たりが思い浮かんだようで、シウバが強張った表情を浮かべる。

 さらに解放された男たちが、再び動き出して一斉にリリィンへと向かってきた。

「リリィン殿!?」

「貴様は他人の心配などせずに、そこから脱出しろ!」

 リリィンはそう言うと、男たちの攻撃を軽やかにかわしていく。

 攻撃を入れたとしても気絶することがない男たち。かといって殺すのは忍びなく、どうすればいいか悩んでしまう。

「まさか貴様に連れができているとは思わなかった。ならそこで見ているといい、貴様と触れ合った者がどうなるのかをな」

 青年が冷淡に言い放つと、静かに右手を地面へつける。

 その行為に呼応して、右手から影がどんどん伸びていき、リリィンの足元まで迫って来た。

 何をするつもりか分からないが、大人しく影に囚われるわけにはいかない。故にその場から翼を生やして空へと舞い上がる。

「! ……なるほど、魔人だったか」

 青年が目を細めて観察するように、上空に浮かぶリリィンを見つめてくる。

「好き勝手やってくれるな。しかしワタシの前に姿を現したのが運の尽きだ。貴様を倒せば傀儡かいらいは解ける。ちろ――《幻夢魔法ファンタジア・マジック》!」

 魔力を紅き双眸そうぼうに集束させて、青年の瞳を射抜く。目と目を合わせるだけで発動できるこの魔法は、一瞬で勝負がつく。

 ――――はずだった。

「フッ、何をしようとしているか分からんが、落ちるのはお前だ」

「何……だと……っ!?」

 青年がダンッと地面を足で叩いた刹那、影から無数の触手が出現しリリィンへと向かってきた。

 リリィンは、自身の魔法が効かなかったことと、魔法の発動後の僅かな隙のせいで、触手を完全に回避することができず脇腹にかすってしまい出血してしまう。

「ちぃっ」

 舌打ちをしながらも残りの触手を避けて地面へと避難した。

 相手の触手も静かに影へと戻っていく。

(何故だ? 何故魔法が効かない?)

 この世界には魔法そのものを発動できなくさせる《赤雨レッドレイン》という存在があるが、今は空も晴れているしそんな兆候も見当たらない。

 何か魔法を封じるようなことをされた覚えもないし、現状に戸惑いを感じてしまう。

「――リリィン殿、後ろでございますっ!」

「っ! 気づいておるわ!」

 身体を回転させて後ろ回し蹴りを放ち、そっと近づいてきていた傀儡の男を吹き飛ばしてやった。

「ふんぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」

 シウバが顔を真っ赤にして踏ん張り、影の拘束を無理矢理引き千切った。

 しかしそれも想定内だったのか、青年は眉一つ動かさない。

「リリィン殿、ご無事ですか」

「誰に言っている?」

「しかし……」

 彼の視線が脇腹へと向けられている。痛みはあるが動けないほどではない。 

 ただ血止をした方が良いこともまた確かだ。

「ここは一旦退却しましょう」

「ワタシに逃げろというのか?」

 操られているとはいえ、相手は脆弱ぜいじゃくな人間だ。

 強者を自負する自分が逃げるなど、プライドが許さない。

「戦略的撤退というやつでございます。それに彼は…………普通ではありません」

「何か気づいたようだが、説明はできるのか?」

「恐らくは」

「…………分かった」

 魔法が通じないという事実は確かに驚きである。故にその理由に説明を求めたかった。

 シウバが何か知っているというのなら、少しでも情報を得た方が賢い。

「逃がすと思っているのか?」

 青年を中心に、男たちがジリジリと近づいてくる。

「シウバ、森の中を突っ切るぞ。ワタシに少し考えがある」

「畏まりました、では背中へ」

「はあ!? 何故貴様におんぶなどされないといかん!?」

「リリィン殿はその考えだけに集中してくださいませ。わたくしがそれをサポートしますゆえ」

「! …………ちっ、仕方ない。ただ落としたら殺すからな?」

「ノフォフォフォフォ! レディを無下に扱うような育ち方はしておりません」

 若干不愉快さを感じるものの、彼の背に身体を預ける。

 なるほど。よく考えれば、都合の良い乗り物を得たと考えられなくもないし、これはこれで良い。

「よし! 森へと急げ!」

 当然逃げるリリィンたちを青年たちが追ってくる。

「何度も言うが逃がすわけがないだろう」

 加えて青年が放つ触手もあるが、シウバが感覚で後ろを見ずに回避していく。さすがは同じ魔法を扱えるだけのことはあるようだ。

「ちっ、ならこれでどうだ。――――ダストアステル!」

 青年が右手に出現させた小さな黒い球体を空へと投げつける。すると、球体に引き寄せられるように岩や木などが吸い寄せられていく。

(! そうか、さっきワタシたちにぶつけてきた塊はコレか!)

 ゴミの塊をリリィンたち目掛けて落としてくるが、シウバの影が線路のような形になって塊へと伸び、その軌道をずらしてくれた。青年が悔しげに舌打ちをしている。

 それを見て回避行動はシウバに任せれば安心と判断し、リリィンは彼の背中で周囲を見回す。

「フン、何もしもべを扱うのは貴様の専売特許ではないぞ、黒い阿呆あほめ」

 怪しく瞳を光らせながら、顔をいろいろな方向へ向けていく。

 すると――。

「! ちっ!」

 追っていた青年がピタリと足を止めた。そして警戒しながら目線だけを周囲へ移す。

 茂みの中、枝の上、木々の合間から様々な生物が姿を現し、前に立ちはだかったのだ。

「これは一体……?」

 多くのモンスターが何故か青年だけに敵意を向けている。

「クハハハハハハ! どうだ見たかぁ! 貴様のクズ人形とどっちが優秀かな! クハハハハハ!」

 リリィンの考え。

 それは森中にいるモンスターたちに魔法をかけて、青年を獲物だと思わせたのだ。

 青年がいくら強くても、さすがにこれだけ多くのモンスター相手では討伐するにも逃げるにも時間がかかるだろう。

 その間に、障害物の多い森の中で行方をくらませる寸法だった。

 高笑いするリリィンの声が、青年からどんどん離れていく。

「…………ふぅ。なるほど、只者ではなかったというわけか」

 諦めたように溜め息を吐くと、青年は軽く肩をすくめる。

「まあいい、すぐに見つけてやるからな」

 まだ鬼ごっこは始まったばかりだった――。

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