金色の文字使い 野望の軌跡編 紅蓮の幻夢使い
リリィンの野望、その旅立ち 前編
「――では本日を
そんな言葉すら、今のリリィンにはそよ風のようだ。
どうでもいい。そんな何の足しにもならない資格など、あろうがなかろうが関係なかった。
周囲の嘲笑すらその場ではあっただろう。事実周りを見渡せば、リリィンを見て侮蔑の言葉を投げかける者もいた。
(フン、価値のない
果たして、
目の前の玉座に座る者から発せられた明確な存在否定の言葉。リリィンは平然としたままそれを受け止め、
別に持ち出すような大仰な荷物などない。一応自室に用意してあった携帯用バッグ一つだけで十分である。
リリィンはバッグを腰に携えると、氷のような面相をしながら城――【
その最中、城門の傍には一人――赤髪の男が立っていた。リリィンは立ち止まらず無視して行こうとしたが、その前方を塞ぐように男が立つ。
「……どけ」
「リリィン……どうしても出て行くのか?」
「当然だ。こんな国に何か期待ができるのか?」
「…………」
「貴様も貴様だ。荒れ狂う波の上に浮かぶ泥船に、いつまでしがみついているつもりだ?」
「確かに今の上層部は自分勝手過ぎる。俺も含めて……な」
自嘲するような笑みを浮かべている。
彼の名はアクウィナス・リ・レイシス・フェニックス。【ハーオス】の重鎮の一人でもある。
「しかし行く当てはあるのか?」
「貴様になど関係ない」
「……俺が何とかしてお前の王位継承権を復活させ――」
「余計なことをするな」
「リリィン……」
「これはワタシが望んだ結果だ。元々ワタシの理念は、今の上層部とは相反するもの。煙たがられているのも分かっていた。それにこんな国……継ぎたいとも思わん」
「変えようとは思わないのか?」
「腐った木を元通りにできるわけがない」
「しかし諦めたらそこですべてが終わる。お前の母も――」
「母様のことは言うなっ!」
リリィンの
「母様は奴らに謀殺されたといっても過言ではない。しかしその証拠もまた……ない」
そう、だからこれは一種の泣き寝入り……なのだろう。何もできない自分が腹立たしく、ここにいると無力感に
「もう何も期待はしない。ワタシはワタシで、母様の意志を継ぐ」
「お前……。一人で何ができるというのだ?」
「貴様らと組むよりよっぽどマシだ」
リリィンはそれだけを言うと、アクウィナスの脇をサッと通り抜けて城門を潜っていく。
そうだ、この世の中で信じられるものは、最早自分だけ。
世界を変えようとしない者たちを当てにしても仕方がないのだ。
(ワタシは奴らとは違う。ワタシは――必ず野望を叶えてみせる!)
これは、リリィンが
世は戦いと血に
一人の少女が、自らの野望を叶えるために生まれ故郷を捨てた――長く辛い人生の幕開け。
奇しくも空は、少女の行く末を占うかのように光の見えない曇天だった。
――二十年後。
国を出た時とほとんど変わらない様相で、リリィンは崖の上から眼下に広がる大地を見下ろしていた。
変わったことといえば、ボロボロになってしまったローブとバッグを新調したくらいだろう。少女のような姿は一切変わり映えはしていなかった。
「人間界、
今の時代、戦争など珍しくもない。
人間、獣人、
リリィンは博愛主義者ではない。自分勝手に戦いを選ぶ者たちを擁護するつもりもない。
しかし、戦争で捨て駒のように扱われる者たちを見て、何も思わないほど冷徹でもなかった。
この世界――【イデア】には、《
そんな者たちの命は、あってないようなもの。戦では盾に扱われるのは当然で、魔法の実験体や家畜奴隷などの扱いを受ける者も多い。
別に彼らが何か迷惑をかけたわけではない。ただ生まれながらにして、普通とは少し違った資質を持って生まれてしまっただけ。
人はそれらを異端とし、自分たちの世界からはじき出そうとするのだ。
そんな行為が許せず、リリィンは国にいた時に、彼らの待遇改善を献案した。しかし当然のように却下され、それでもしつこく口にした結果――国を出ることになったのだ。
幼き頃から頭脳
だがその自信は、国の権力者の前ではガラスのように
だからこそ、今の魔王にとってリリィンの追い出しにはほくそ笑んだことだろう。
しかしまあいい。リリィンもまた、あんな腐った国に頼ることはできないと判断していた。
野望――《禁忌》や異端者たちが平和に暮らせるような場所を造ること。
それがリリィンが人生の目標としているもの。
この世界の誰もが成し得なかったことを自分がすることで、自分を放逐した国を見返したいという気持ちがあるのかもしれない。
だがそれ以上に、リリィンは見てみたいのだ。
多くの種族が一つにまとまることで、きっと生まれる“ナニカ”を。
そのためには一つの国に留まっていてはどうしようもない。外へ出て、多くの者たちと出会い“人”というものを知る必要があるのだ。
だからこそ
(しかし……先は長そうだな。それでも、母様が夢見た景色をいつか――)
母の願い。
すべての者が手を取り合い、笑顔で日々を過ごす光景を見たい。
それが彼女の理想だった。
混迷を極めているこの世界で、その理想もまた異端として扱われたが、リリィンは幼い頃から母が望む景色を自分もまた見てみたいと思っていたのだ。
だが志半ばで母はこの世を去ってしまった。
だからこそ、娘である
それでも野望を持ち続けて前進し続けていれば、いつかそれが叶うと信じて――。
しかしこの二十年、世界を回ってみたのはいいが、異端者に対する残酷な扱いを再確認するだけだった。
時には手を差し伸べてみたり、加害者を打ちのめしたりしたが、現状は一向に良くならない。
どうすれば現状を変えることがきるのか。リリィンは分からなくなっていた。
ただただ目の前にいる者にとって救いになるであろうと思うことをやるだけ。中には現状に苦しみ、助けたにもかかわらず命を絶った者もいた。
逆に助けたことでその者の状況を悪くしてしまったことだってあったのだ。当然恨まれもした。
眼前に広がる大地の上には、数多くの生命が
しかし人は命を区別し、差別をする。
(母様……ワタシはどうすればいいのだろうか)
一人では限界……なのかもしれない。しかしともに歩む者などそうそう見つかるわけがない。わざわざ忌避されるような行為に、望んで手を貸してくれる者などいないからだ。
確かにリリィンの夢を信じたいという者たちは、ここ二十年の間で数多くいた。しかし全員を引き連れて旅をするわけにはいかないので、今はまだ署名運動のようなものだ。
どれだけの者たちが、リリィンの夢に賛同してくれているかを確かめるための。
それにリリィン自身にも、支持はしてやりたいが傍にいてともに歩みたいと思えるような存在は残念ながらいなかった。
過酷な旅にもなるし、正直強者と自負する自分の足手
しかしそれでも仲間……と呼ばれる者が傍にいれば……。
(――いいや! ワタシは一人でも大丈夫だ! しっかりしろリリィン・リ・レイシス・レッドローズ! 弱気になっている場合ではないだろうが!)
長年において蓄積された負のエネルギーのせいでつい弱気になっていたが、自分ならやれると言い聞かせて心を震わせる。
そうやって曲がりなりにもこの二十年やってきたのだから。
「……ん? あれは……!」
遠目に映る大地の上を走る一台の馬車。左右を木々に囲まれた街道を走っている。
しかし少し先の木々の陰から複数の人の気配を感じた。
感じたとほぼ同時に、木々から次々と馬車の前に十数人ほどの荒くれっぽい者たちが姿を現す。
馬車は急に止まり、馬の手綱を引いている商人らしき男が
(……賊か)
戦争のせいで貧富の差が激しくなり、落ちぶれた兵士や貧困に
賊らしき者たちは全員武器を所持している。このままでは商人らしき男は殺されてしまうだろう。賊にとって生かす理由もないのだから。
「フン、ちょうどいい。少し
いろいろ考え込んでしまったせいで湧き上がったモヤモヤを発散するために、リリィンは背中に黒い翼を生やし空を飛んだ。
瞬く間に距離を詰め、すぐさま商人と賊の間に降り立ったリリィン。降り立つ前に翼を収納する。
当然、突如として現れたリリィンにギョッとなる男たち。
「な、何だいきなり!? 何者だてめぇっ!」
賊の一人が剣を突きつけてくる。
「……別に。何者でもいいだろう」
「はあ? フードで顔を隠してねぇで見せやがれ!」
「ククク、顔を見たければ自ら
「っ!? 上等だ! おい野郎ども! まずはそいつから殺しちまえぇっ!」
「「「「おおぉぉぉぉぉぉぉっ!」」」」
先程から声を発している者がどうやら
(どいつもこいつも醜い豚にしか見えん)
奪い傷つけることしかできない悪党。同情の余地など、今のリリィンには見い出せなかった。
男たちが次々とリリィンに向かって剣や
それを鼻歌混じりに軽やかにかわしながら、時折足を出して賊を転倒させるなどの楽しみを満喫する。
「ちぃっ、何やってやがんだぁっ! 手ぇ抜いてねぇでさっさと殺せやぁっ!」
実力の差などまったく理解していない愚かさに
賊の一人に対し、瞬時に肉薄して武器をかざした右手を
――ボキィッ!
「あっがぁぁっ、いってぇぇぇぇっ!?」
まるで枯れ木を曲げたようにあっさりと折れてしまった。
「
下がった
「……一人目」
そんなリリィンの
「ビ、ビビッてんじゃねぇ! しょせん奴は一人だぞ! 全員で一斉にかかれぇっ!」
賊頭の鼓舞により、恐怖を吹き飛ばした賊たちが一斉にかかってきた。
一人の攻撃を避けては殴打を繰り出し、一撃で沈めていく。
「二人、三人、四人――」
十数人もいた仲間が徐々に動かなくなっていく光景に、さすがの賊頭も顔を真っ青にする。もう残っているのは彼一人だった。
「な、何だよ! 何なんだよてめえはよぉっ!」
「ククク、
フードを剥ぎ取り、自身の顔を露わにするリリィン。
顔を見た賊頭が息を呑んで固まってしまう。
「っ…………ま、魔人……族!?」
賊頭が必死に絞り出した言葉に対し、リリィンは冷然としたまま目を細める。
「これで終わりだ――悪党ども」
刹那、リリィンの姿が
「ぐはぁぁぁっ!?」
そのままぐったりとして、膝から大地に倒れた。
(……まあ、そこそこは気が晴れたか)
彼らも悪党だが、気分次第で手を出した自分もまた悪党だなと自嘲めいた笑みを浮かべてしまう。
リリィンは傍にある馬車へ視線を向ける。
「ひぃっ!? ま、ま、魔人……っ!? こ、殺さないでくれぇぇぇっ!」
明らかに賊の時より
思わず
「……別に貴様の命など興味は――」
「頼む! お願いします! 殺さないでぇ! 私にはまだ妻と子がいるんだぁっ!」
「…………」
別に感謝をしてほしくて介入したわけではないが、こうまで怯えられると思うところだってある。
しかし、こういう態度も決して珍しくはないが。
リリィンがクルリと背を向けた瞬間、今がチャンスと言わんばかりに馬車を走らせその場を走り去っていった。
(……まあ、別に構わんがな)
せっかく少しは気分が晴れたのに、何だかまたモヤモヤが溜まった気がした。構わないと思いつつも、やはりどこか釈然としないものを感じているのかもしれない。
それでもリリィンは頭を振ると、気持ちを切り替えて翼を生やし空へと浮き上がる。
(――よし。とりあえず今日は、あそこで羽休めでもするか)
少し遠目。視線の先にあるのは一つの街だ。
今――リリィンが立っているのは人間界。今日はそこの街で一泊するつもりだ。
すぐに向かい、それほど時間を費やすことなく辿り着くことができた。
木造建築が建ち並ぶ街並み。その中で一際異彩を放つ頑強な石造りの建物が街の北に位置する。
何でも研究所ということで、何を研究しているのかは知らないが、国家からも金が出ているらしいということで、かなり成果を期待されている場所なのだろう。
人間界で自分が魔人だとバレると問題があるので、リリィンは着用している旅人用の茶色のローブで全身を覆い、顔も見えにくくしている。
少し人の目を引きつけてしまうが、それでもフードを脱ぐよりはいい。
宿に入ると当然のように
部屋のベッドに横になると、旅の疲れに大きく溜め息を吐く。とはいっても身体的なものではなく、これから先どうすればいいのかという悩みからくる精神的なものだ。
「……ワタシらしくないな。悩んでいても仕方がない」
やれることを一つずつやっていくしかない。
しかし思い出すのは先程自分の顔を見て拒絶反応を示した男たちのこと。
それは賊だろうが一般人だろうが関係ない。人間にとっては魔人など恐怖の対象でしかないし、モンスターのように討伐することに何のためらいも持たないだろう。
こんな世情において、母が言っていたようにすべての者が手を取り合える世界など本当に実現できるとは普通思えない。
(しかし諦めるわけにはいかん。母様がワタシに託してくれた夢なんだから)
――母との優しい思い出を。
虫すら殺せないほど優しく穏やかな人だった。他人の痛みを自分のもののように感じ、いつも笑顔を絶やさない。
そんな母を、リリィンは尊敬していたし大好きだった。
亡くなる時も、自分の手を握り微笑みながら彼女は言った。
『辛いことも悲しいことも、いつかその先に待つ幸せのためにあるものなのよ』
だから人を憎まず、人を愛しなさい、と。
そして母は、最期に自らの夢をリリィンに託して
尊敬する母の想いを叶えたい。それがリリィンの原動力になっている。
(母様……人を愛するのは難しいよ)
それを貫いたまま死んでいった彼女は、本当に
その時、部屋の扉の向こうから二人の男たちが話し合っている声が聞こえてきた。
部屋の中でやれと思いつつも、天井を見据えながら自然に入ってくる声に耳を傾ける。
「――なあ聞いたか、例の研究所のこと」
「もしかして《サベル研究所》のことか?」
確か……この街の外れにある研究所のことだ。
「そうそう、何でもこの間の戦争で、また大量に材料が手に入ったらしくてよ」
「材料? 何だそれ?」
「知らねえのか? 実験体だよ実験体」
「ああ、例の《禁忌》どもか」
その言葉を聞いて、思わずリリィンは跳ね起きてしまった。
(今、何て言ってた――?)
聞き間違いかどうか確かめるために、今度は全神経を耳に集中させる。
「いろいろ手に入ったみてえだぞ。ハーフとか戦災孤児とかがよぉ」
もうリリィンは動き出していた。
気づけば扉を開けて、通路で話していた者たちを
「その研究所のことを詳しく教えろ!」
周囲を金網で覆い、侵入者を拒むように高い外壁で形作られた建物が異様な存在感を示している。
規模も街の四分の一ほどの領域を有しているので、金をかけていることは明らか。
(――ここが《サベル研究所》……か)
背中に生やしている黒い翼をはためかせて、空から外観を確認するリリィン。魔力を感じないので、恐らく結界のようなものは張られていないだろう。
(侵入は
塔の体裁を整えている見張り台が敷地の四つ角に設置されてあり、そこには常時恐らく一人が周囲に目を光らせているのだろう。
しかしリリィンには関係ない。空から滑空するように一つの見張り台へと向かっていく。
空からの気配に気づいたようで、見張りが上空を見上げてリリィンの存在を知る。
「き、貴様は何も――っ!?」
リリィンと目を合わせたあと、最後まで言葉を言えない見張り。ドクンッと心臓を高鳴らせたあと、見張りはそのまま糸の切れたマリオネットのように倒れてしまった。
そのままリリィンは見張り台に立ちながら、意識を失っている見張りを冷ややかに見下ろす。
「フン、そのまま悪夢でも楽しむのだな」
リリィンは見張り台から周囲を確認していき、他の者に見つからないように下りていく。
すると中央にデカデカと建っている施設の中から、白衣を着込んだ者たちが数人出てくる。その姿を見てギョッとした。
何故なら白衣は明らかに血に
さらに白衣たちがリヤカーのようなものを引いてきているのだが、荷台には目を逸らしたくなる遺体らしき者たちが積まれていた。
どれも人間ではなく、獣人や魔人だったりしている。四肢が切断されている者や、顔が潰れたり、首だけになっている者など多種多様。
白衣たちはそんな状況に慣れてしまっているのか、平然としている様子だ。
(くっ……吐き気がする)
あまりにも無残な最期を迎えた者たちに同情が湧き、平然とそのような行為ができる者たちに憤りを持つ。
白衣たちが施設の裏手に向かうので、リリィンも密かに後をつける。すると白衣たちが鉄でできた井戸のようなものがある場所の前に立った。
井戸には
そのまま白衣たちがいなくなるまで、リリィンは建物の陰から見守る。
リリィンは視界に入る二つの見張り台に立っている者たちの監視に注意しながら、素早く井戸へと向かってレバーを回して蓋を開ける。
「うっ……!」
中からは何とも言えない腐臭と熱気が漂ってくる。これは人が焼かれた臭いや、放置して腐ってしまった臭いだろう。
リリィンはそれでも顔をしかめながら、中へと侵入することにした。
降下してすぐに開けた場所へと
「アレは――マグマドロか!?」
マグマドロ――全身がドロドロのマグマでできているモンスターで、形状はナメクジのようではあるが、その大きさは体長五メートル以上はある。
死体を好み、溶かして栄養分を補給する生物だ。
(なるほど。アイツに死体の処理を任せてるってわけか)
人を焼いたような臭いがしたのは、マグマドロのせいだったということが分かった。
マグマドロは骨さえも溶かして食べてしまうので、掃除屋として扱われているのだろう。
「ったく、
そんな中、リリィンの視界に何かが
マグマドロがもう一体いるのだろうかと思って注視してみると、そこには多くの遺体の陰になった場所で横たわっている一人の少女の遺体が……いや、僅かだが肩と指先がピクリと動くのを確認した。
(まさか生き残りかっ!?)
このような場所に放り込まれるのだから、全員が死んでいると思っていた。しかし明らかに彼女はまだ生きていた。
リリィンはすぐさま彼女のもとへ飛ぶ。
「おい、貴様」
すぐさま半眼のまま口が僅かに動き出す。
「……っ……」
「何だ? 何を言ってる?」
「ず…………み……ず……っ」
彼女が何を言いたいのか分かって、リリィンはすぐにバッグの中を探り竹筒を取り出す。栓を抜くと、吸い口を彼女の口元へとやり、水を飲ませる。
するとカッと瞳の色がにわかに強まり、慌てたようにリリィンから竹筒を奪い取るようにして、ゴクゴクと一心不乱に喉を潤し始めた。
マグマドロがいるせいで、ここは熱気で溢れておりいるだけで汗が流れる。そんな場所にいたのだから脱水症状を起こしても無理はない。
「――ぷはぁっ」
「もう大丈夫のようだな。聞きたいことがあるんだが」
「え……ひっ!? な、なにっ!? 誰!?」
もう空っぽになった竹筒を大事そうに胸に抱えたまま後ずさる少女。
完全に怯えている様子。無理もないだろう。リリィンのことが、自分を殺そうとした白衣の者たちと同様に見えても不思議ではない。
ボロボロになったワンピースのようなものを着ており、体中に細かな傷が刻まれている。もう何日もここにいたのか、茶色い髪はボサボサで、痩せ細ってしまっていた。
明らかな衰弱ぶりだ。唇もカサカサしており、瞳もまだどこか虚ろさを感じさせる。
あと一日でも……いや、数時間放置していたら、そのまま死んでいたかもしれない。まさに九死に一生を得たといったところだろう。
見た目は自分とそう変わらない十歳くらいの――獣人。
(長い耳……? 『
頭の上に生えている耳は、花が
きちんと
「安心しろ。ワタシは敵ではない」
「う、嘘! 嘘だ! だって……あんた……ま、魔人じゃないか!」
リリィンの尖った耳と褐色の肌を見てそう判断したのだろう。それが『魔人族』の特徴だから。
「嘘じゃない」
嘘ならばわざわざ飲み水を飲ませるわけがない。しかしそんなことを理解できるほど、彼女は落ち着けていない様子である。
「こ、殺しにきたんだ! まだ生きてるって分かったから!」
「いやだから……大丈夫だと――」
「こっちくるなぁっ!」
差し出した右手をバチンッと叩かれて距離を取られた。幼い少女の拒絶に、胸にチクリとするものを感じる。リリィンは赤く
そして男勝りな口調の少女が痛烈なことを言う。
「だって……だってあんたは獣人じゃないだろっ!」
「っ!?」
やはり種族の壁というものは大きい。もしリリィンが獣人ならば、恐らく一目見て安心するだろう。獣人という種族は仲間を決して裏切らない
しかし人間や魔人は、
ここでこの子を見捨てるのは簡単だ。別に助ける義理だってない。いつまでもここにいれば、今度はリリィンだって危険かもしれないのだから。
拒絶だって慣れている。街へ来る前に出会った商人のような者たちで、この世界は溢れている。
しかしそれでも――。
『人を愛しなさい』
大好きだった者の言葉が心に浮き上がる。
拒絶されようが、まだ目の前でか弱い存在が震えているなら、自分ができることをしよう、と。
「……え?」
少女は、リリィンが真顔で自身の顔の高さにまで上げた両手を
「武器も何も持っていない。信じろ、ワタシは貴様をそんなふうにした者どもと同列な存在ではない」
少女が開いた両手とリリィンの顔を何度も見比べたあと、確かめるように問う。
「敵……じゃない?」
「そうだ。よく考えてみろ、こんなことをするような連中が、わざわざここの様子を見にくると思うか? 貴様に飲み水を提供するか?」
「そ、それは……」
「貴様は獣人らしいが、何故ここにいるのだ?」
「……アタシは……白衣の人たちに連れてこられて……」
「……ハーフなのか?」
「え? ううん……違う。アタシは……戦争で一人ぼっちになって」
戦災孤児……確かそういう者たちを実験体にしていると、宿の通路で男たちが話していたのを思い出す。
聞けば、獣人界にあった村で平和に暮らしていた彼女だったが、人間たちが攻めてきたせいで戦になり村は巻き込まれて壊滅。生き残った彼女は、人間たちに捕らえられこの研究所に運ばれたという。
「でもここに来た時に、怖くなって逃げ出して。とっさに……台車に乗って隠れたんだ」
恐らくその台車は、白衣たちが運んでいたリヤカーだったのだろう。運が良いのか悪いのか、見つかりはしなかったが、そのままここへ放り込まれたというわけだ。
実験体になるのは避けられたみたいだが……。
「そうか。貴様も一人……か」
「え……アタシ……も?」
「…………生きたいか?」
リリィンの問いに顔を
「でも……生きてたって行く場所が……ないし」
こういった戦災孤児なんて山ほどいる。そのほとんどが、結局敵側に捕虜とされるか殺されるか、だ。彼らを保護して養えるほど、今の世界は豊かではない。
このまま彼女が外へ出られたとしても、頼る者がいない状況で生きていける可能性など極めて低い。
「……貴様がこの手を取るというのであれば、ワタシが生きる術を教えてやろう」
リリィンは彼女へ向けて右手を差し出す。
「生きる………術?」
「そうだ。いつかワタシは、どのような者たちでも関係なく過ごしていける場所を造るつもりだ」
「……アタシも?」
「当然だ。ハーフだろうが、何か欠陥を抱えた種族だろうが、貴様のような戦災孤児だろうが、な」
「……!」
「その者が他と
少女は差し出された手を物欲しそうに見つめながらゴクリと喉を鳴らす。
「……ほ、本当に助けてくれるのか?」
「ああ、そのためにここまで来た」
「…………何で他人のためにそこまでするのさ。しかも魔人なのに」
「言っただろ。生きることを望む者に手を差し伸べると。それがワタシの野望へと繋がっているのだからな。種族の違いなど、ワタシにとっては
「…………うぅ、アタシは助かるんだ」
「貴様がそれを望むのならな」
「っ…………し、信じてもいいん……だよな?」
「当然だ!」
そして、目を潤ませながらリリィンの手を小さい手で彼女は掴んだ。
「フフン、ワタシの名はリリィン・リ・レイシス・レッドローズだ。リリィン様、もしくはご主人様とでも呼ぶがよい」
「う、うん分かったよ、リリィン様! アタシのことはルルノって呼んでほしい!」
「うむ。ならさっさとここから出るぞ、ルルノ」
こうして一人。リリィンの野望を支持してくれる者が増えた。このようなルルノのような存在があるお蔭で、リリィンもまた夢を持ち続けることができるのだ。
(だがコイツの場合は、今後連れていくか、知り合いに預けるかする必要があるな)
何といっても一人ではこの世で生きてはいけないだろうから。
しかし何はともあれ、まずはここから脱出しなければならない。
「おい、ワタシの背に乗るがよい!」
「へ? で、でも大丈夫? リリィン様、すっごく細いのに……」
「
そんなことでは異端と呼ばれる者たちを支えることなどできない。
「わ、分かった! そう見えてもリリィン様は馬鹿力を持ってるってことだな!」
「ば、馬鹿力……! おいルルノ! 主に向かって馬鹿とは何事だ!」
「? ……褒めてるんだよ?」
「褒めとらん! 馬鹿がついているではないか!」
「……もしかしてリリィン様って結構めんどくさいタイプ?」
「っ!? ほほう……元気が出たと思ったらなかなか良い性格してるな貴様は」
「良い性格? あはは、ありがとリリィン様!」
「褒めとらんわ!」
こんなにも気軽に自分に話しかけてくる存在は久しく無かった。というより旅に出て初めてではなかろうか。それにどこか新鮮さを感じていた。
「ったく、さっさと背中に――」
おぶされと言おうとした時、背後に強烈な敵意を覚えた。
「っ……やはりすんなりとは出してもらえそうもない、か」
振り返ってみれば、死体を捕食していたマグマドロが
「い、いや……っ」
「大丈夫だ、ルルノ。アイツはワタシに任せておけ」
「え……でも」
「懐に入れた者たちを守れるだけの器量がなければ、主は務まらんだろう」
リリィンは不敵に言葉を吐き、お化けナメクジ――マグマドロを睨みつける。
マグマドロもまたリリィンの敵意を感じ取ったようで、体表面が熱く、そして赤く色づいていく。これはマグマドロが戦闘態勢に移行した証拠。
マグマドロは体表面のマグマをボコボコと動かして、そこから真っ赤な塊を飛ばしてくる。
「――ちっ!」
リリィンは、背後にいるルルノの手を取り空へと飛び上がる。
「わ、わあ!? そ、そそそ空飛んでるぅ!?」
「しっかり掴まっておけ!」
「う、うん!」
そのまま井戸の入口へと脱出しようとしたところ、その入口に向かってマグマドロが赤い粘液を飛ばして、
「くっ、面倒なことを!」
どうやらマグマドロ本体を倒した方がすんなり抜け出すことができそうなので、リリィンはひとまず下にルルノを降ろした。
「いいか、ここにいろ。アイツは――ここで潰す」
「ホ、ホントに大丈夫?」
「良い機会だから、その眼に刻みつけておけ。ワタシの圧倒的な力を、な!」
リリィンは空を飛び回りながら、マグマドロを翻弄していく。
マグマドロもマグマの塊のようなものを何度も放出してリリィンを撃ち落とそうとしてくるが、リリィンの速度についていけていない様子。
(ワタシの《
観察しているが、マグマドロの眼がどこにあるか分からない。もしかしたら眼は退化しており、嗅覚や触覚を使って生きる生物なのかもしれない。
「……仕方ない。なら面倒だが正攻法でいくか」
ピタッとリリィンは空中で止まる。当然マグマドロが再び塊を放ってきた。
「フンッ、自らの弾で吹き飛ぶがよいっ!」
青白い魔力でコーティングした右足で、飛んできた塊を蹴り返してやった。
塊は真っ直ぐマグマドロに直撃して、その衝撃により後方へと吹き飛ぶ。
「す、すごい……っ!?」
ルルノもリリィンの行為に素直に感嘆しているようだ。
のっそりと起き上がるマグマドロを見て、さすがに一撃で沈めることはできなったことを知る。
「ならば今度は、その身を貫かせてもらうぞっ、デカブツめ!」
今度は全身を魔力で覆い、そのまま真っ直ぐマグマドロへ向かって突っ込んでいく。
動く度に空中に青の軌跡が残り、まるでそれは巨大な一本の槍のように見える。
マグマドロもリリィンの速度に反応することができずに、体当たりをまともに受けた。それはまさしく槍の突きのごとし、リリィンの突撃をよけ切ることができずに、マグマドロは身体に風穴を開けてしまう。
宣言通りマグマドロの身体を貫いたのだ。
「ウボォォォォォォォォォッ!?」
低く不気味な断末魔の声を上げながら沈むマグマドロを、上空から冷たい目で見下ろすリリィン。
「人間に飼われたことを呪うがいい」
そのままリリィンの強さに呆気に取られたまま固まっているルルノのもとへ向かう。
「す、すごいよ! ホントーにすごい! リリィン様ものすっごく強いじゃん!」
「クハハハハハ! 当然だ! 何せワタシなのだからな! クハハハハ!」
「うんうん! リリィン様が言ってたようにすっごい馬鹿力だったぞ!」
「だから馬鹿をつけるなっ!」
「えぇ~」
「えぇ~ではない! もっと敬った発言を心がけろ!」
「……ムズカシイことはちょっと分かんないなー」
「その顔は分かっているな! 分かっているだろ絶対!」
と、悠長に会話をしている場合ではないと、すぐにルルノの手を取って今度こそここから脱出する。
そのつもりだったが、不意にルルノが「ちょっと待ってほしい」と待ったをかけてきた。
「どうした?」
問いには答えずに、ルルノが周りを見回す。
「おい、早く逃げた方が良いぞ」
「うん、分かってる。でももしかしたらまだどこかに生き残っている人がいるかも!」
彼女曰く、マグマドロが怖かったせいで、動き回ることなくずっと死体の陰で震えていただけらしく、この中を見回ったわけではない。
故にもしかしたら他にも自分のような命ある者がいるかもしれないとルルノは言う。
確かにその可能性は否定することはできないだろう。
しかしリリィンもある程度確認したが、それらしき存在は発見できなかったし、ルルノだけだったことを伝える。
「でもしっかり見たわけじゃないだろ、リリィン様」
「それはそうだが……」
「だったらどこかに生存者だっているかも……」
「それでもとりあえずはルルノ、貴様を外へ運んだ方が貴様にとっても良いはずだ」
「……うん。でもごめん。もう少しだけ探させてほしいんだ」
気持ちは分かる。しかしここで騒ぎを起こした以上は、一刻も早く脱出を図った方が良いのも事実なのだ。
「ルルノ……いい加減にしろ。せっかく助かった命をむざむざ危険に
ルルノでさえ奇跡のような存在であるのだ。それが二回、三回と起こっているとはさすがに思えないのだ。
「…………そう、だよな」
釈然としない様子のルルノを見て、彼女の優しさと無謀ぶりにリリィンがやれやれと肩を
(――? 何だ、まだ熱気が収まらない?)
熱気の原因であるマグマドロに視線を向けると、確かに倒したことは事実だが、その身体が崩れてマグマが周囲へ流れ出ていた。
このままではマグマに呑み込まれてしまいかねない。そうでなくとも熱気でリリィンも脱水症状になるかもしれない。
「ルルノ、心残りはあると思うが、さっさと脱出しないといけないようだぞ」
「え……っ!?」
リリィンの視線を追った彼女が、マグマドロの状況に気づいて目を見張る。まだ十歳だが、現状を理解できる頭は持っているようだ。
入口を塞いでいた粘膜は、マグマドロが絶命したことがきっかけなのだろう、すでに消失していた。
「いいか、手を離すなよ?」
「う、うん、分かった!」
リリィンはルルノの手を掴みながら空へと浮かび脱出口へと向かう。
真っ直ぐ井戸から脱出し、そのままルルノをとりあえず安全な場所まで運んで行こうと思った矢先――。
「――今だ、捕らえろっ!」
そんな声とほぼ同時に、リリィンたちに向かって放たれる鉄状の網。
(くっ、まさかすでに待ち伏せをされていただと……っ!?)
網に
「やだぁっ、放せよぉっ!」
「ルルノッ、貴様らぁっ!」
まずはルルノを助けるために、彼女を捕らえている白衣の瞳に視線を合わせようとするが――。
「ぐっがぁぁぁぁぁっ!?」
突如リリィンを襲う激痛。まるで身体に電流を流されたような感覚だった。
(ぐ……こ、これは……!)
自身を
「リリィン様ぁっ!」
ルルノが電流により苦しんでいる姿を見て
そんな中、一人の白衣の男が口を開く。
「異常な魔力反応が検出されたと思って、ここで待ち構えていましたが、どうやらかなりの大物が手に入ったようですね」
楽しげに頬を緩める糸のような目をした男。線は細いが、微かに見える目の奥の光から狂気を感じさせた。
「これほど生きの良い検体が手に入ったのですから、いろいろ――遊べますかね」
男の言葉に、周りの者たちもクスクスと笑みを
――狂っている。
そう思わせるには十分だった。
「き、貴様……ら、何故……異端者の
「はい? 異端者? ……ああ、実験体に何故ハーフや戦災孤児など、世間に見放された
いちいち言い方が
男がう~んと思わせぶりに腕を組んで
「そうですねぇ…………役立たずも使い様ってことで」
「っ!? …………そうか。どうやら貴様らには一欠けらの情すらないようだな」
「だとしたらどうします?」
「ここで貴様らをがぁぁぁぁぁぁっ!?」
またも網から電流が流される。見れば、糸目の男がスイッチのついた箱のようなものを持っている。恐らくはそれが、電流を流す装置なのだろう。
アレを何とかして自由を得なければ、このままでは――マズイ。
「おやおや、しぶとい検体ですね。Sランクのモンスターでも、二度も電流を流されれば失神くらいするのですが」
しかしリリィンは、遠ざかりそうになる意識を、下唇を
「しかしこの反応……まさか死体処理用に飼っていたマグマドロを壊されてしまうとは。仕方ありませんから、その分、あなたに役に立って頂きましょうか。これほど魔力純度の高い魔人の身体を
「ぅ……っぐ……誰……が、貴様ら……などに……っ」
しかし身体が痺れているせいか、魔力が上手く練れない。これでは魔法を使うことができない。
「強がりもそこまでですね。もうあなたは動けない。さて、そこの人は……身形からして最近脱走した検体の一人ですね。まさか処理場に身を潜めていたとは。いやはや、さすがに予想しておりませんでしたよ」
それはそうだろう。何といってもルルノだって隠れたくて処理場に隠れていたわけではないのだから。
「では皆さん、彼女たちを施設の中へお連れしましょうか」
そうしてリリィンとルルノは、白衣たちの手で施設の中へと連れ込まれてしまう。
ルルノにとって、希望があっさりと絶望に変わった瞬間であった。
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