ep20.月光ウィンカァ、師との出会い

 ザリ、ザリ、ザリと、一歩一歩踏み出す度に足元から音が鳴る。もう一時間近くこの砂利道じやりみちを歩いている。

 ウィンカァ・ジオは、隣に流れる清流を眺めながら、この川の先を目指して歩いていた。

「ワオワオ!」

 ウィンカァの少し前を、四足で歩きながら尻尾を振っているのは、今ともに旅をしているスカイウルフというモンスターのハネマルである。

 澄み切った空のような体毛と、背中に生えている翼が特徴の犬型の生物だ。

 ――二カ月ほど前、ウィンカァ・ジオは一人旅をしていたが、ひょんなことから旅仲間を得ることができた。

 丘村おかむら日色ひいろ、アノールド・オーシャン、ミュア・カストレイアの三人の人物。そしてこのハネマルである。

 少し前に、三人とはそれぞれやるべきことがあるということで、【じゆうおうこく・パシオン】で別れることになった。

 またいつか会おうという約束をして、ウィンカァもまたその国を離れ旅を続けることに。

 その目的は――父親の捜索。

 この世界のどこかにいるであろう幼い頃に別れた父親を捜して、七歳の頃からずっと一人で旅をし続けてきたのである。

 父が残してくれたあいそう――《ばんしようこつ》を手に、十四歳のウィンカァは今、

ハネマルとともに獣人じゆうじんかいを動き回っていた。

「ん……おなか、減った」

 大分飲まず食わずで歩き続けていたので、そろそろ腹の虫が警告を発している。見た目にそぐわないたいしよくかんなので、すぐにお腹が空いてしまうのだ。

 今までは料理人のアノールドが食事を用意してくれていたが、最近は狩りをして食材を調達した上に、適当な調理しかできないので物足りないとも感じていた。

「お魚、食べよっか」

「ワオワオ~!」

 ハネマルと出会って約二カ月、生まれたばかりだったハネマルは、少し大きくなっていた。食べる量も増えて、鳴き声も少し低さが増している。

 動物は得てして成長が早いが、ハネマルもやはりといったところか、生まれた頃と比べると倍以上に大きくなっていたのだ。

 ウィンカァは、鎖が巻きつけてある《万勝骨姫》を右手に取ると、握り手を持ってその場で軽く振った。

 ガチンガチンガチンと、音を鳴らして鎖が根元へと吸い込まれ、その分、槍の長さが増していく。これがこの槍の特徴であり、こうして普通の槍のように使うこともできれば、先程のように短くして持ち運びを楽にすることもできるのだ。

「ん……行くよ」

 普段の眠たそうな眼差しから急に鋭さを増した目つきへと変化させると、槍を構えて川をにらみつける。

 ――キランと、ウィンカァの瞳が光った。

「――《よんだんいつせん》!」

 その場から消えたように動き、川を瞬時にして光が走ったように真っ直ぐ横切るウィンカァ。そのせき辿たどるように川は割れ、空中には数匹の魚が飛び出している。

 そのまま先程と同じ速度で、今度はハネマルが待っている岸のところへ戻ると、ウィンカァの脇と口には空に浮かんでいた魚の存在があった。

「ほえ、はへほう(これ、食べよう)」

「ワオーン!」

 調理は至って簡単。ただ焼くだけ。

 本当にアノールドがいればいいのにと思うウィンカァであった。

 とは思っても、結局腹が膨れればそれで満足してしまうのがウィンカァなので、しばらくそこで魚を獲っては食べて、ハネマルと一緒に満腹度がMAXになったら、また歩を進めていく。

 そうやって再び一時間ほど歩いていると、川の先には広大な海が広がっていた。

 ただただ青々とした海には、何もない水平線だけが延びている。

「……大きい」

 それが素直な感想だった。世界の大きさを改めて感じ、もしかしたら父親がこの海のどこかにいるかもなどというおかしな発想も持ってしまった。

 この世界――【イデア】において、海という存在は生易しいものではない。目の前に広がるのは、波も穏やかな海だが、その実、生息しているモンスターは例外なく強力であり、数も地上と比べても遥かに多い。

 また突然発生する渦や高波、竜巻などもあり、とてもではないが海と共存するのは無理なのである。

 故にこの世界に存在する人間、獣人、じん、精霊の四種族とも、海そのものが大きな魔物だと捉えて近づこうとはしないのだ。

 それでも物好きやトレジャーハンターなどは、海の中には宝が眠っていると疑わずにチャレンジしては散る者が後を絶たないのだから、人の好奇心や欲望は時によって命を軽くさせてしまうのだろう。

「……ん?」

 海岸を一通り見回していると、少し高台になっているみさきの端に人影を発見した。

「誰か、いる?」

 コクンと首をかしげつつも、その相手が少し気になったので近づくことにした。

 ハネマルも「クゥンクゥン」と鳴きながら、トコトコとウィンカァの後ろをついてくる。

 岬に到着すると、人影をより鮮明に観察することができた。

 編みがさを被った人物のようで、着ている服もあまり見ない着物だ。傍には刀――おおが置かれていたので、ウィンカァは少し警戒する。

 この状況では、まだ相手が獣人かどうかは分からない。ここは獣人たちが住む獣人界ではあるが、相手が人間、もしくは魔人である可能性も否定できないのだ。

(もしそうなら、いきなり襲ってきたりするかも……しれない)

 何故なら、この世界では人間、獣人、魔人がそれぞれいがみ合い争っているからだ。つい先日も他種族同士で戦争を引き起こしている。

 相手が獣人なら問題ない。ウィンカァの今の姿は、けものみみと尻尾もある完全な獣人の姿をしているからだ。

 だが実を言うと、今のこの姿はウィンカァ本来の姿ではない。おかむらいろの《文字魔法ワード・マジツク》である『化』の文字効果によって、今のウィンカァの姿は獣人と化しているだけ。元の姿は獣耳と尻尾のない人間の姿なのだ。

 とはいっても、ウィンカァも獣人ではない、とも言い切れない。獣人の血も半分ウィンカァの身体には流れているからだ。

 ウィンカァは俗に言うハーフ。獣人と人間との間に生まれた、この世では《禁忌きんき》とされる存在である。

 この獣人界を旅するのなら、この獣人の姿の方がいいだろうということで、日色が姿を変えてくれたのだ。

 だからもし、相手が獣人なら今のウィンカァを見ても襲い掛かったりはしないだろう。

 それに直感でしかないが、何となく、相手はこちらを襲ってはこないとも感じていたりする。こういう直感はよく当たるので、ウィンカァはゆっくりと相手に近づいていった。

 どうやら岬から釣り糸を垂らして魚釣りにいそしんでいるようだ。

 もし大物でも釣れたらごそうになりたいと思いつつ、さらに近づいてみるが、不意に背後から殺気を感じた。

 まるで今にも鋭い刃物のようなもので斬りつけられるようなビジョンをのうに描き、とつにバッと振り返って槍を身構える――が、そこには誰もいなかった。

 気づけば自分が冷たい汗を流していることにウィンカァは気づく。

(え……誰もいない?)

 確かに気配を感じた。それも勘違いとは思えないほどの濃厚な存在感。

 しかし現に誰もおらず、気配もいつの間にかさんしていた。

 仕方なく再び釣り人の方に身体ごと向けたその時、すぐ目の前にその人物は立っており、

「ふぅむ、拙者に何か御用でござるかな?」

 と、顎に手を置きながら言ってきた。だがウィンカァはその返事に応じることなく、反射的に大きく一歩後方へ跳んで距離を取る。

(…………気づかなかった……!)

 すぐ手を伸ばせば届く範囲に近づかれたことが、ウィンカァにとって衝撃的だった。それは音も気配も何も感じさせずに、ウィンカァに近づいたということ、だから。

 こう見えても直感は鋭く、気配にも敏感な自負はある。普段とは違い警戒もしていた。それなのにやすく懐に入られたことが信じられなかったのだ。

「おやおや、少し驚かせ過ぎたでござるか。これは申し訳ござらんな」

 釣り人が謝りながら編み笠をスッと取った。

 紫陽花あじさいのような鮮やかな薄紫色のストレートヘアーが腰まで伸びており、それを五つに分けて束ねている。袖口に山形の模様であるダンダラ模様を黄色く染めたおりを着込んでおり、羽織の下には、紺色のはかまを着用し、額には鉢金をしていた。

 またいつの間にか地面に置いていた刀は消えており、腰元に大太刀が携帯されている。

 表情は少しタレ目で穏和そうな顔立ちをしていて、スラッとして鼻筋が通り女性が羨むほど整っていた。また女だと判断できるような大きな胸がこれみよがしに強調されてもいる。

 その女性が、桜色の瞳をウィンカァに向けて微笑を浮かべた。

「ふむ、お主は獣人でござるか」

「っ!?」

 ウィンカァの警戒度が増す。何故なら彼女には獣耳も尻尾も見当たらなかったからだ。つまりは獣人でない可能性が高い。

 ハネマルも、主人の気持ちを悟ってか、低くうなってかくをしている。

「む? そう警戒せずともよいでござる。拙者は別にお主に危害を加えるつもりは毛頭ござらん」

「……そう、なの?」

「いやぁ、さっきは少しお主を試してみたく。この通り、すまぬ」

 そう言って頭を素直に下げてきた。

「……さっき?」

「おや? 警戒しておるのは、さっき拙者がお主をからかいがてら殺気をぶつけたからでござろう?」

「っ!? ……さっきのお前?」

「うむ。足音を忍ばせ近づいてこられたので、こちらも少し警戒していたのでござるよ」

 どうやら先に警戒をさせてしまっていたのはウィンカァの方だったらしい。

「ごめん。ウイが悪い」

「む? いやいや、こちらも驚かせたんでござるから、お相子ということで一つ」

 無邪気に笑う彼女からは、敵意などじんも感じない。それどころか包み込むような温かささえ感じた。

「おっと、袖振り合うも多生たしようの縁。出会ったからには名乗るのが礼儀でござろうな。拙者はタチバナ。タチバナ・マースティルと申すでござる」

「ウイは、ウイ。でもウィンカァともいう。こっちはハネマル」

「ワオッ!」

「ウィン……カァ……で、ござるか」

「ん……? どうかした?」

 明らかにタチバナが思案気に自分の名を呼んだので少し気になった。

「いやいや、別に何でもないでござるよ。それよりもウイというのは愛称でござるか。ではそちらで呼ばせて頂いても?」

 コクンと了承の意味を込めてうなずきを見せるウィンカァ。

「ハネマルはスカイウルフでござるな。拙者のことも好きなように呼んでほしいでござる」

 それに関してもウィンカァは一つ頷いた。

 するとタチバナがジッとウィンカァを観察し始める。

「――ふむ。しかしお主、なかなかにきたえているでござるな」

「旅、してるから」

「では拙者と同じでござるな」

「……タチバナは、人間?」

「む? そうでござるが……ああ、安心するでござる。拙者、他種族同士の争いには興味がござらんし」

「そう、なの?」

「そもそも種族が違ったとて同じ命。そこにせんはござらん」

「……どうでもいいってこと?」

「平たくいえばそうでござるな」

 そう言いながら、岬の端の方へ戻っていく。そして再びつり竿ざおを持つと、糸を垂らし始める。

「拙者にとって興味があるのは、自身の高み。どれだけ強くなれるか、それだけでござる」

「……強く……」

「人はどこまでの高みに上れるか。そして自分はどこまで行けるのか、それを見たいとは思わぬでござるか?」

「……見たい」

「で、ござろう?」

 彼女の言い分に、ウィンカァはコクンと頷いた。

「もっと強くなれば、ととさんを守れる」

「む? ととさん? ……ちちぎみにござるか?」

「ん……ととさん、追われてる。だからウイから離れて行った」

「むぅ、話が見えないでござるが。お主は父君を捜している、ということでござるかな?」

「ん……でも、見つからない」

「なるほど。だがこの世で生きているのでござろう?」

 ウィンカァが首を縦に振る。するとタチバナはニッコリと笑顔を浮かべ、

「ならいずれ会えるでござるよ。お互い、生きているのでござるからな」

「……タチバナも、かかさんやととさん、いる?」

「戦争で死んでしまったでござるよ」

「……ごめん」

「ははは、もうずいぶんと前でござる。当時はバカみたいに泣いたが、今はその時に泣いた分だけ強くなれた気がするでござるよ」

「……泣いたら、強くなれる?」

「うむ。人はまず、自分の無力を知ることこそが強さを得るための最初の一歩にござる」

「……タチバナは、強い」

「おや? いきなりどうしたでござるかな?」

「さっきの」

「さっき? ああ、もしかしてお主に殺気をぶつけたことでござるかな?」

「ん……それも、ある。けどいきなり近づかれた」

 それがウィンカァにとって一番驚くべきことだった。今の強さを得てから、あそこまで無防備に近づかれたのは初めてだ。

「ふむ……お主は相当自らの腕に自信があるようでござるな」

「ん……いっぱい鍛えた、から」

 タチバナがジ~ッとウィンカァを見つめてくるが、ウィンカァもただ彼女の目を見返すだけ。

「…………なるほど。良かったら教えてほしいのでござるが、お主は今、何歳でござるかな?」

「十四?」

「はは、何故に疑問形でござる? しかしまだ十四でそれほどの……少しうらやましい才にござるな」

 何か思うところでもあるのか、タチバナからあいしゆうが漂っている気がした。

「しかし、自分の才におごることなく精進を積み重ねてきたのでござろうな」

「旅をするには、必要」

「で、ござるな。もう一つ、お主の父の名を聞かせてはもらえぬか?」

「……クゼル・ジオ」

「っ!? ……なるほど」

 そう言うと、再びタチバナが立ち上がる。

「……ウイ殿、お主はやはり……」

「……?」

 何か彼女が言いたげだが、スッとまぶたを閉じると釣竿を置いて立ち上がった。

「ウイ殿、確かお主は父君を捜しているのでござったな?」

「ん……そう」

「無礼を承知で言わせて頂くでござるが、今のお主の力では父君の力にはなれないでござるよ」

「! ……それ、どういうこと?」

 驚くよりも胸がチクリと痛んだ。

「簡単でござる。父君はお強いでござろう?」

「ん……かかさんから聞いた。ととさんはとても強いって」

 しかしその時、ウィンカァの中にわずかな疑問が生まれた。

(あれ? ウイ……ととさんが強いって言った?)

 そんな覚えはなかったが、タチバナはまるでクゼルが強いことを知っているかのように口走った。それが若干気になったのである。

「そんなお強い父君でも敵わない者がいる。だからこそ、お主のもとから去ったのでは?」

「……かかさんはそう言ってた」

なまはんな強さでは、たとえ父君に会ったとて、あしまといにしかならぬのではござらぬかな?」

「……ウイは、生半可じゃない」

 少しムッとするものを感じた。これでも旅に出て七年――毎日のたんれんも欠かさず、それなりの強さを得たと思っている。

 しかしウィンカァの反論を否定するようにタチバナが首を左右に振った。

「いいや、お主の父君は、お主とは比べものにならぬほど……強いでござる」

「……! タチバナ……もしかして、ととさんに……会った?」

「それを知りたければ……」

 それまで波一つない穏やかな海のように優しげな雰囲気のタチバナだったが、まるで別人のような熱烈なオーラをほとばしらせ、荒れ狂う海をそうさせた。

 無意識に戦闘態勢を整えてしまうほどの――敵意である。

「タ……タチバナ……?」

「……ウイ殿、拙者に勝てば、お主の父君――クゼル殿のことを教えて進ぜよう」

「っ!?」

 やはり彼女の言葉の端々から感じていた違和感の正体。それが父のことを知っていたという事実でひようかいした。

(もしかして……ととさんの敵? ううん、でも……!)

 ひしひしと感じる敵意ではあるが、それでもタチバナが本気でウィンカァを殺そうとしているのではないということが何となくだが分かる。

 それが分かっているからか、傍に立つハネマルも吠えたり飛び掛かったりせずに、ただジッと身構えているだけ。

「どうするでござる? 父君を守るために育てたお主の力。拙者に見せてみるでござるよ」

 そう言いながら、腰元の大太刀を静かに抜いていく。

 思わずうなってしまうほど美しい刀身にれてしまった。傷一つ、こぼれ一つ見当たらない。さらに普通の刀の倍以上の大きさのせいか、その存在感は遥かに強さを増している。

「一つ――教えて進ぜよう。この大太刀の名は――《しんとう・グラツキ》。まごうことなき、お主の父君のこんしんの一振りにござる」

「っ!?」

「さあ、参るでござるよ!」


「――――う……うぅ……っ」

 瞼を上げると、あかね色に染まった空が視界いっぱいに広がっていた。

「おや、目が覚めたようでござるな」

 視線だけを右側に動かすと、そこには見つけた時と同じように釣りをしているタチバナの姿があった。

「タチ……バナ」

「クゥン……」

 ペロペロと、ハネマルが頬をめてくる。くすぐったくてつい顔をしかめてしまった。

 ――そうだ、自分はタチバナと戦って負けてしまったのだ。

 それもあっさりと、である。

 ウィンカァはどうやって自分が負けたのか思い出す。

 戦いが始まって、すぐに《万勝骨姫》を構えて、前方から突撃してくるタチバナを迎え撃った。しかし背後から誰かに狙われているような殺気を感じて、反射的に意識を後ろへと向けたが、そこには誰もいない。

 ハッとなってタチバナへと意識を戻すと、もう懐まで接近されており、彼女が刀を頭上から振り下ろしてきたので、それを槍で防御した――が、槍に当たる前にタチバナがピタリと刀の動きを止めたのだ。

 すると今度は首筋にチリチリとした気配を感じたと思ったら、次の瞬間

――首を落とされた……ような感覚が走った。

 次いでまたも背後から殺気とともに、背中から胸を突き破って刀身が貫く。いや、これもまた錯覚だった。何故ならタチバナの刀は、いまだに自身の槍の上で止まっているのだから。

 それなのに、まるで複数の人物と交戦しているかのような錯覚を感じる。何が何だか分からず、困惑する思考とともに身体の動きを止めていると、今度はひんやりとした感覚が首筋に伝わり、直後――意識を失ってしまったのだ。

 あれよあれよと、たった数秒ほどの攻防で意識を飛ばされてしまったのである。そしてそれを成したのは、間違いなくタチバナだということは感覚で理解していた。

 ウィンカァはハネマルの頭をでながら上半身を起こす。

「身体は無事でござるかな? 手加減はしたのでござるが……」

 あれで手加減していたのか、と久しぶりに悔しいという気持ちが胸に広がる。

「……一体ウイに何したの?」

「む? ははは、それを読み解くのも強さの一つでござろう」

「むぅ……」

「そうむくれるものではござらんよ。別にお主を害そうなどと思って仕掛けたわけではござらん。少しこちらにも思うところがあっただけにござる」

 タチバナはコバルトブルーに色づく海を眺めながら生温かい息を吐き出す。

「いやぁ、それにしても何度見ても、ここから見る海は絶景でござるなぁ。そうは思わぬか?」

「……ん」

 確かに見惚れてしまうような美しい水平線が延びている。

「世界はかようにも美しいものでござる。拙者は武者修行をしては、こういった景色を堪能するのが好きなのでござるよ」

「……世界中に行った?」

「まだまだ行ってないところが多いでござるがな。しかし人間界、獣人界、魔界と、それなりに回ってみたでござるよ」

「それで、ととさんにも会ったの?」

「……でござる」

 やはり彼女はクゼルに会っていたようだ。

「……タチバナ」

「何でござるかな?」

「……ウイは、弱い?」

「…………」

「このままじゃ、ととさん守れない? 足手纏い?」

 言っていてどんどん悲しさがあふれてくる。父を守るために身につけた力なのに、これでもまだまだ足りないことに心が痛んできた。久しぶりに目頭が熱くなり、そのまま涙がこぼれ出てきた。

「…………ウイ殿、悔しいでござるかな?」

 彼女の問いに軽く顎を引くしかできなかった。

「……拙者も幼き頃は、そうやって悔し涙を何度も流したものでござるよ」

 懐かしげに遠い目をするタチバナ。

「その度に、涙に負けないほど強くなると自身に誓い、鍛錬に鍛錬を重ねて、ようやく少しは誇れる強さを得られたと思うでござる」

「ウイも…………強く……なりたい……っ」

「……でござろうな。だが、先にも申した通り、今のお主ではクゼル殿を守れるとは到底思えんでござる」

 それが一番辛い言葉だ。何よりも心に突き刺さる。

「どうでござろうか、ウイ殿。しばらく拙者と旅をしてみては?」

「……へ?」

「拙者は武者修行中ゆえ、旅先ではまだ見ぬ脅威との戦いもまた存在するでござる。その戦いを経験することで、お主は今よりも強くなれると思うのでござるが」

 タチバナの申し出。

 少し手合せをしただけだが、今のウィンカァが全力を出したところで到底敵わない相手だというのは確実だ。

「ウイに、戦い方を教えてくれるの?」

「お主が望むならば」

「……行く。一緒に行く。ウイは、強くなりたい!」

「武者修行は生半可ではござらんよ? 覚悟はあるでござるかな?」

「ある!」

 ウィンカァの覚悟を感じたのか、タチバナは満足気に頷く。

「ではちょうどいい時間帯でござる。さっそくひとけいといくでござるか」

「……稽古?」

 ちょうどいい時間帯とはどういうことか気になったが、すぐにタチバナがビシッとある方向を指差す。

 それは明らかにコバルトブルーの海を示していた。

「…………海?」

「むふふ、そうでござる。これから、かいを狩りに行くでござるよ」

 初めて聞く言葉に首を傾げてしまうが、タチバナは楽しそうに笑顔を作っていた。

 ――数分後、ウィンカァたちは小舟に乗っていた。しかも海の上である。

「海魔というのは、“海の魔物”――つまりは、モンスターのことでござる。

しかしお主も知っている通り、地上のモンスターよりも遥かに強く、厄介な存在が多いのが特徴的でござる。しかしその分、大きな経験値を得ることができるのでござるよ」

 と、いうことで海魔を倒しにやってきたのだ。何でもタチバナは、ここへ来ると毎回海魔と戦うというのが修行の一環らしい。

「さあ、ここらへんでござる」

 小舟を止めた後、タチバナは海の下を見つめながら大太刀の柄に手をかけた。

「何、するの?」

「いまから戦いの場へと向かうのでござるよ」

「……? ここじゃないの?」

「目的地は――この下でござる」

「下?」

 どう見ても下には海が広がっているだけ。疑わしい目つきでタチバナを見つめるウィンカァとハネマル。

「まあ、見ているでござる」

 ゆっくりと大太刀をさやから抜いていく。そのまま小舟の上から大きく跳び上がった。小舟は大きく揺らぐため、バランスが崩れてしまう。

 それでもタチバナが何をするか気になり、彼女の動向を目線で追う。

「行くでござるよ、《震刀・グラツキ》」

 刀を槍投げするように持って、そのまま海に向かって突き投げた。

「――《振動壁しんどうへき》っ!」

 空気を切り裂きながら突き進む刀が、海を貫いて底に突き刺さった直後

――周りの水が蒸発したように消え、ちょうど刀を中心にして半径二十メートルほどの底が露わになる。

 必然的に二十メートル圏内に浮かんでいた小舟は、浮力をなくしてそのまま海の底へと落ちていく。ウィンカァはハネマルを抱えて脱出し、無事に底へと降り立つ。

 そしてタチバナもまた落下してきた。

(……凄い。海を消した)

 いまだに周りから海が寄ってこないことに不思議を感じる。まるで見えない結界が迫ってくる海から守っているようだ。

(……耳がキーンってする)

 耳鳴りのようなものを感じて、キョロキョロとその原因を探ってみる。すると音を出している正体が底に突き刺さっている大太刀であることに気づく。

「――驚いたでござるか?」

「タチバナ……」

「拙者の刀――《震刀・グラツキ》は、目にも捉えられないほどの高速振動を起こすことができる刀なのでござるよ」

「……ととさんが造った?」

「左様でござる。空気を振動させ、超音波を発生させることもできるでござる。その力を利用して鍛え上げた拙者の技――《振動壁》。それにより、しばらくこの空間は結界そのもの。とはいっても、維持できるのは精々数分ほどでござるし、刀をあの場から抜けばすぐに海も元通りになるでござろうが」

 タチバナが、「さて……」とある場所を指差す。そこで初めて気づいたが、彼女が指差した先の地面に大きな魔法陣を発見した。

「何、あれ?」

「あそこが目的地でござるよ」

 するとどこからか大きな気配がこちらに向かって近づいている感覚を得た。

「さあ、今すぐにあの魔法陣の上に立つでござる」

 変わらず笑みを浮かべるタチバナに対し、いろいろなことが一遍に起こって戸惑いがちになっているウィンカァ。

 とりあえず直径が五メートルほどの魔法陣の上に向かう。その上にウィンカァが立ったのを確認すると、タチバナが大太刀を抜いてすぐに魔法陣のところへ行く。

 大太刀を抜いたと同時に、周りから海が迫ってくる。

 このままだと海の圧力により流されてしまう――が、タチバナが魔法陣の上に立つと、右手を魔法陣に触れた。直後、魔法陣が光り輝きその上に立つウィンカァ、ハネマル、タチバナの身体も淡く発光する。まるで魔法陣の光を注がれたような感じだ。

 そのまま海がウィンカァたちを襲うのでハネマルを抱えて息を止めるが……。

「――息はできるでござるよ」

「……!」

 ウィンカァとハネマルは、海の中に漂っているはずなのに、りゆうちように話すタチバナを目を丸くして見つめてしまった。

「あの魔法陣の効果によるものでござる。しばらくは海の中でも地上と同じように話せるし息も……って、ウイ殿……耳と尻尾がなくなってるでござるよ?」

「え? ……あ」

 彼女の言うように、確かに消失していた。

「……もしやあの耳や尻尾は魔法効果で作ったものとかだったりするのでござるか?」

「そう」

「なるほど。この魔法陣の効果は、その者の在るべき姿を取り戻すというもの。それがお主の本来の姿ということでござるな」

 そのような効果があるとは。せっかく日色の気遣いで獣人化できたのに、という思いもあるが、消えてしまったものは仕方ない。しかしそこであることにタチバナが気づいてしまう。それは――。

「なるほど。お主は人間よりのハーフだったわけでござるな」

 ウィンカァが獣人と人間のハーフだということがバレたということ。この世界での《禁忌》であるウィンカァは、多くのべつや差別を受けてきた。 

 だから思わず正体を知られて警戒してしまう。

「……そんなに警戒する必要はござらんよ。申したでござろう。種族が違ったとて同じ命。そこに貴賤はござらんと。お主がハーフでもそれは変わらぬ」

「…………!」

「それに、お主がハーフなのは、先刻承知のこと。何せクゼル殿に聞かされておったのでござるからな」

「……タチバナ、変わってる」

 まるでどこぞの黒髪少年のようだ。

「よく言われるでござるが。それよりも――」

 タチバナの視線の先――そこから先程よりも強い巨大な気配を感じる。

「さあ、修行の始まりでござるよ」

 大きな黒い影。それが物凄い速度で迫って来ていた。

(アレは――っ!?)

 蛇のような細長いたい 。岩のようにゴツゴツしてそうな茶色い肌。大きな口には細かく鋭い歯がギッシリと生え揃っている。

 それはまさしく《海のギャング》――ウツボだった。しかし普通のウツボとは大きさが明らかに違う。その気になれば、ウィンカァたちを一呑みにできるほどのきよである。

「彼の者は――かいおうウツボ。ここらを縄張りにしている海魔にござる。ウイ殿の修行故、拙者は手を出さぬ。存分に戦うでござるよ」

 そう言うと、刀を鞘にしまい、静かに海に漂い始めたタチバナ。

「……ハネマル、離れてて」

「アオンッ!」

 息はできるししやべることもできるが、水中にいるのは変わりはないようで、動きに制限がかかっている。それに日も沈みかけで、視界も悪い。

 こんな状況ではハネマルは満足に動くことはできないだろう。下手をすれば食べられてしまう。それを本人も理解しているのか、主人の足手纏いにならないように下がった。

 ウィンカァは愛槍を構えて、目の前から接近してくる海王ウツボを見据え

る。

 相手は間違いなくウィンカァを餌としか思っていない。そのいかつい睨みだけで、大抵の者なら縮み上がってしまうだろう。近づくと大きな口を開いて食べようとしてきた。

 ウィンカァは両足を大きく蹴り出して移動し、相手の突進をかわすと同時に、海王ウツボの身体目掛けて槍を一閃。

 しかしはがねと鋼がぶつかったような衝撃があっただけで、傷一つ相手につけることができなかった。

(っ……硬い!?)

 思った以上の防御力。かなり力を込めて槍を振り下ろしたはずなのに……。

 水の中ということもあり、やはりこちらの攻撃力は衰えてしまっているのだ。

 海王ウツボがUターンをして、再度突っ込んでくる。それと同時に、はんてん模様の身体から無数の卵が出現し、そこから生まれた普通サイズくらいのウツボが、ウィンカァを喰らおうと迫って来た。

 まるでウツボの津波のような現象に思わずギョッとなるが、このままでは跡形もなく喰い尽くされてしまう。

 地上なら槍から炎をけんげんさせて焼き尽くすという戦法もできたが、ここではそれは使えない。ならば――。

「――《二ノ段・渦巻き》っ!」

 そのまま身体を高速回転させ渦を作り、頭上へと小さなウツボたちを追いやっていく。

 しかし海王ウツボにとっては、そんなわいしような渦などものともしないようで真っ直ぐ突っ込んでくる。

「今度は、これ! ――《一ノ段・疾風はやて》!」

 素早く槍を振るうと、真空の刃が斬撃となって海王ウツボに襲い掛かる

――が、斬撃は堅い守りに弾かれてしまい、そのまま突っ込んできた海王ウツボの頭突きを受けた。

「かはぁっ!?」

 肺から押し出された空気が泡となって浮かんでいく。背後には岩がある。このまま挟まれれば戦闘不能も十分に有り得てしまう。

「――アオアオッ!」

 ハネマルがタチバナに向かって吠えている。その目が助けに行ってくれと言っているようだ。

 しかしタチバナは腕を組んだまま、静かに大岩と海王ウツボにきようげきされそうになっているウィンカァを見つめていた。

 ハネマルが堪らず助けに向かおうとするが、

「行ってはならんでござるよ」

「ッ!?」

「これは彼女の修行でござる。手出しは禁物。…………安心するでござるよ」

「……?」

「ウイ殿の目は、まだ死んではおらぬでござる」

 ハネマルもその言葉にハッとなって、慌ててウィンカァを見つめる。

 そう、ウィンカァはまだ諦めていない。その純朴な瞳には生きる意志、そして勝利への意志が強く輝いている。

 しかし海王ウツボに押されている速度が速過ぎて、なかなか身体が思うように動かない。

 槍で身体を突くがビクともしないのだ。さすがは誰もが敬遠する海のモンスターである。

(このままじゃ……やられる)

 その時、あるひらめきがウィンカァの脳裏にぎった。



 ウィンカァの表情の変化を漏らさず観察していたタチバナは、

(……! 何か思いついたようでござるな)

 彼女が何かをしようとしていることに気づいた。

 水中での戦闘は慣れなければ難しい。それに加えて、相手はSランクのモンスターでもある。生半可な実力では決して倒すことはできない。

 海魔は特別な力を持っている者が多い。この海王ウツボは、鉄のような肌が特徴で、たとえ万全の状態でも、その身を傷つけることはなんわざ

 その圧倒的な防御力に対し、どうやれば打ち崩すことができるのか。海魔との戦いは、知恵を鍛える良い修行になるのだ。

 するとウィンカァは何を思ったのか、口を開きながら大岩に向かっている海王ウツボの口の中にスッポリと身体を沈み込ませてしまった。

「アオォォォッ!?」

 ウィンカァのパートナーでもあるハネマルが、その光景を見てギョッとなり吠え出す。もしかしたらウィンカァが海王ウツボに食べられてしまったと思っているのかもしれない。

(……なるほど。そういうことでござるか)

 しかしタチバナには、彼女の考えは見抜けていた。

 海王ウツボは、獲物を捕食したことで満足したのか、大岩への突撃を止めて、今度はタチバナとハネマルを視界に捉える。

 今度はこちらがターゲットというわけだ。

 そのまま物凄い速度で突っ込んで来た。当然対抗するために、ハネマルは身構えて低く唸る。

「……安心するでござるよ」

「アオン?」

「もう勝負はついているでござるに」

 自然体で立つタチバナを、キョトンとした表情で見上げるハネマル。

 その間にも迫ってくる海王ウツボ。あと少しでここまで到着する、というところで、急に海王ウツボが動きを止めて苦しそうに暴れ始めた。

 そして大きな口を目一杯広げて、そこから大量の血液を出し始める。すると目の焦点が合わなくなり、仰向けになって浮上しだした。

 その口から出てきたのは――間違いなくウィンカァである。

「アオーンッ!」

 喜び勇んで、彼女のもとへ犬かきをしながら駆けつけるハネマル。ウィンカァもニッコリと笑ってハネマルを抱きしめ、そのまま一緒にタチバナのもとへ向かってくる。

(むふふ、さすがはかの《月光げつこう》にござるな。クゼル殿、お主の子は立派に成長しているようでござるよ)

 五年ほど前に出会った、狐耳と尻尾を宿す一人の獣人――クゼル・ジオ。出会いは偶然だったが、同じ旅人同士気が合い、彼が打ったという大太刀を所持していたことからも、彼とはすぐに酒を呑み交わし、しばらくともに旅をするようになった。

 その時に、ウィンカァという子がいること。最愛の人間の妻との間にできた、世界中で最も愛する存在だということを教えてもらった。

 彼が自分の造り上げた武器を回収する旅をしていることも知る。自分が近くにいれば、ウィンカァにも危険が及ぶと判断し離れたということも彼から聞いた。

 そして旅の道中、再び行く道が分かれることになった際、彼から、

『もしウィンカァに出会うことがあったら、少しだけでもよいので目をかけてやって頂ければ幸いです』

 それだけを言い残し、クゼルは去って行った。

 やはり遠く離れていても、娘のことを第一に考えているのだと悟る。もしかしたら、ウィンカァがこうやって自分を捜す旅に出るかもしれないと、彼もまた一抹に考えていたのかもしれない。

 ウィンカァはすでに並みの冒険者よりも強く育っている。恐らく冒険者ランクも――S。かなりの上位者。彼女が二つ名で《月光》と呼ばれていることも知っていた。

 しかし本物の強者と戦う経験が少ないようだ。

 初めて会った時も、手合せした時も、殺気のフェイントをぶつけてみたが、簡単に引っ掛かった。本物が目の前にいるのにもかかわらず、殺気にだまされて意識をそちらに奪われていたのだ。

 年齢を考えれば満足以上の強さを持つ彼女だが、それでもタチバナやクゼルには遠く及ばない。それに海魔との戦闘でも、戦い方を思いつく時間がかかり過ぎている。

 今回は海王ウツボ一体だけだったが、もし複数現れていたら?

 そうなっていれば敗北は必至だっただろう。しかしそれでも、彼女が才の塊であることには変わらない。

 クゼルにも頼まれたということもあるが、こんな才能ある若者を見ると、つい育ててみたくなるのもタチバナの癖である。

(むふふ、クゼル殿、しばらく娘さんを借りるでござるよ)



 何とか海王ウツボを撃退することができたウィンカァだが、思った以上に苦戦してしまった。

 恐らく本来ならば、息もできない状態で倒すことができるようにならなければならないだろう。

「では、地上へ戻るでござるかな」

 タチバナがそう言うと、そのまま頭上を指差した。いつの間にか水面には、乗ってきた小舟が浮かんでいる。

 そこに戻れという指示だろう。しかしこの身体に纏っている光はそのままでいいのだろうか。

「この魔法陣の効果は水中でのみ、さらに一定の範囲内でだけ有効なのでござる」

 彼女の言う通り、小舟に乗ってすぐに光は収まった。

 しかしそこでさすがは皆が脅威に思う海といったところか、小舟を取り囲むようにして、先程の海王ウツボらしきモンスターが三体現れる。

「いやはや、さすがは海でござるなぁ。何が起こっても不思議ではござらん」

 余裕の笑みを浮かべるタチバナだが、ウィンカァとハネマルはかなり表情を強張らせていた。今は海の中というわけではないが、足場は小舟のエリアのみ。こんな小舟なんて、すぐに破壊されてしまうだろう。

 そうなれば再び海へと引きり込まれ、先程倒すのに苦労した敵を、今度は三体も相手にしなければならない。

 ウィンカァの額から汗がじんわりと浮き出てくる。

「むふふ、稽古をつけるということは、拙者とウイ殿とは師弟の間柄。ならばここは、師として器の大きさを見せておくことにするでござるかな」

 タチバナが大太刀 《震刀・グラツキ》に手をかけて引き抜いていく。同時に海王ウツボが三体とも、待ち切れないといった様子で、小舟ごと丸呑みしようと跳び上がって頭上から襲い掛かって来た。

「――――《次元じげんだち》っ!」

 ウィンカァにはただ、タチバナの動きが微かにブレた……としか見えなかった。気が付けば、三体の海魔が一瞬にして両断されており、全部で六つの海王ウツボだったものが、海へと落下してプカプカと浮かび始める。

(す……凄い……!)

 思わず見惚れてしまうほどの腕前。確実にいえるのは、ウィンカァよりも遥か高みにいるということだけ。

 ウィンカァはタチバナに近づいてジッと上目遣いで見つめる。

「む? どうしたでござるかな?」

「さっきの技、ウイにもできる?」

「ふむ。修行をすればあるいは、でござる」

「…………ウイ、頑張る。ね、ハネマル」

「アオンッ!」

 先程見せてくれた技が瞼に焼き付いて離れない。もしあの技を習得できる

ほど強くなれば、きっと父であるクゼルを守れる力となってくれるはず。

 そのためには、この人から技を盗めるだけ盗まないと。

「…………お師さん」

「むむ?」

「ウイ、でいいから。お師さん」

「ウイ殿……いや、ウイ。では今日の最後の修行として、ここに浮かんでいる食材を地上へと持ち帰るでござるよ」

「……?」

「この海王ウツボ、とても美味なのでござる」

「!? ウイ、いっぱい運ぶ!」

 美味いものなら大歓迎だ。

 そうして幾つも浮いているウツボの肉片を持ち帰ることになった。

 地上へ戻ると、さっそくタチバナがウツボを使って料理をしてくれることに。とはいっても凝ったものではなく、塩焼きといったこの場でできるものに限るとは思うが。

 下処理くらいはウィンカァも手伝えたことで、少し時間がかかったものの料理が完成した。ただ元々が大きいので、臭みの原因になる表面の《ヌル》というものを落とす作業に一番時間を費やした。

 出来上がったのは《海王ウツボの塩焼き》と《海王ウツボのたたき》と名付けたくんせいである。

 まずは塩焼きの方から頂くことに。

 香ばしく焼き上げた部分から、《ウナギのかば焼き》のような食欲をそそるニオイが鼻を刺激する。

「あむ……んぐんぐ……んんっ!?」

 魚肉とは思えないほどの肉汁が溢れ出てくる。これは牛肉のステーキと見紛うくらいの弾力のある肉質だ。それに噛む部位によって味が異なっており、飽きることなく食べ続けることもできる。

「ハグハグハグッ、アオォォォォォンッ!」

 ハネマルも気に入ったようで、一心不乱にがっついている。

「むふふ、やはりここに来たら海王ウツボを食すのは定番でござるなぁ。これに酒があれば良いのでござるが」

「……お酒?」

「ウイにはまだ早いでござるかな? いつかお主とも酒を呑み交わしたいものでござるな」

 そう言いながら上機嫌で塩焼きを口に含んで、肉汁を口端から零れ落とすタチバナ。

「次、それ食べたい」

《海王ウツボのたたき》に目がいく。薄くスライスされているたたきには、ネギなどの薬味を乗せて、タチバナが作った甘辛い特製ダレで頂くことに。

 さっそく手に取って、ハネマルとほぼ同時に噛みつく。

「――っ!?」

 今度は牛肉ではなく、鶏肉に近い淡泊な味と食感。しかし風味は魚のそれが強い。それに甘辛いタレが絡み合って、極上の一品に仕上がっている。

「いやぁ、益々ますますこの《たたき》には酒が欲しいでござるなぁ~」

 塩焼きも美味しかったが、このたたきも絶品である。

「……海のモンスター、侮れない」

「で、ござろう? こうやって命を奪った相手でも、食べられるものならしっかり食す。それが自然の掟というやつでござるよ」

「なるほど。分かった」

「アオッ!」

 そのまま食事を続けながら、先程の戦いにおいて気になることがあったので尋ねることにした。

「お師さん、聞いていい?」

「む? 構わんでござるよ」

「海の下。何で魔法陣あったの?」

「ああ、それでござるか。あの魔法陣はかつてこの世界に降り立った勇者が刻みつけたものだという話でござる」

「勇者?」

「そう。実はここは昔まだ海が広がっていなくて、小さな村があったらしいのでござる」

 数百年も前に、そういう者たちが【イデア】に異世界から召喚されたという話は聞いたことがあった。

 噂では、つい最近も異世界から勇者が召喚されたらしいが、一体異世界から来た者とはどういう人種なのか少し気になる。

「その村ではある流行り病が広がったらしくて、どんな薬も効かなかったと聞くでござる」

 タチバナが海の方を――魔法陣があるところに視線を向ける。

「あの魔法陣の効果は――その者にとって正常な姿を取り戻させること。海中でも息ができて喋ることができるのも、その効果の副次的なものに過ぎぬでござるよ。たまたまここに武者修行に来て、あの魔法陣の効果を知って、せっかくだから拝借させてもらっているでござるがな」

「それじゃ、勇者は村人を救うために?」

「恐らく、でござるな」

 過去の勇者はずいぶんと親切な人物だったらしい。

「魔法陣の効果はあったらしく、ここに住んでいた獣人たちは、病から治り正常に戻ったらしいでござる」

 だからウィンカァの身体も、正常な姿――人間の姿に戻ったってわけらしい。

「まあ、その後で地殻変動というものが起こって、ここら一帯に海が迫ってきて、村人は離れていったようでござるがな」

「でも、すごい。ずいぶん昔なのに、まだ魔法陣残ってるなんて」

「それだけ勇者の力が絶大だったということでござろう。拙者たちよりも遥かに……。拙者はそんな伝説の勇者のように強くありたいものでござる」

「……ウイも、もっと強くなりたい」

 目の前にいるタチバナよりも、その伝説の勇者よりも、だ。

 そしてそれがクゼルに近づける近道というのなら――。

「むふふ、いい眼でござる。しかし並ではないでござるよ? たとえクゼル殿の噂を聞いても、満足のいく強さを得るまでは修行を中断して会いに行かないと誓えるでござるか?」

「…………今会っても、ととさんの力になれないなら意味がない、だから……」

 タチバナの瞳を真っ直ぐ、そして強く見返す。

「だから、強くなるまで――――会わない」

「…………良き覚悟! では拙者も、お主の師として全力で覚悟を持って強くして進ぜよう!」

 もう日が沈み、大きな月と美しい星空がウィンカァたちを見下ろしている。

 その目を見返すように、ウィンカァもまた天を仰ぐ。傍にハネマルが「ク

ゥン」と寄り添ってきたので、その身体を優しくでてやる。

(ととさん、待ってて。ウイは――――絶対に強くなるから)

 もしかしたらタチバナと引き合わせてくれたのはクゼルかもしれない。クゼルを知っていた彼女との出会いが、何だか偶然のようには思えなかったのだ。

 運命――そう言い換えられるかもしれない。

 そんなことを思いながら、師を得たウィンカァの夜は更けていく――。

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