第8話 ネクラ勇者、剣帝との決闘をスッポかす 後編
「むにゃ……からだがだるおもー……」
ミーチカはハンモックの上で、もぞもぞと身体を動かした。
彼女は朝にとことん弱かった。幸い二日酔いにはほとんどならないのだが、早起きの習慣をつける気が全くないのである。
多分、時刻はまだ正午前といったところだろう。全然寝ていられる――と考えたところで、大事な用事があったことを思い出す。
(そうだ。今日は剣王さまに会えるかもしれないんだった)
ミーチカの憧れの存在――《影の剣王》。
森を出たのだって、彼の仲間になり、一緒に冒険したいと思ったからだ。
しかし、ネオンブリッジに来たはいいものの、お目当ての人には未だに巡り会えていない。
(まあ、ネクラさんやダウリナに会えたのは良かったけどさ)
おかげでこの家にはタダで住めているし、お酒(ミルク)も飲み放題だし。
(でも、剣王さまに出会えたら、もうこんな怠けた生活ともさよならかも)
神出鬼没で知られる剣王。彼についていこうと思ったら、休んでる暇なんてない。しかし、きっと憧れの人と一緒なら頑張れる気がしているのだ。
(そうだよ。なんてったってあたしは、賢く尊いエルフなんだから。今は本気出してないだけ~)
ふわああとあくびしながら手探りでワンドを
家にいるときはいつも寝転んだままで、物を取り寄せるのは念動力に頼っている。いちいち立つのは面倒だ。くつろげるハンモックを導入した今となってはなおさらである。
スマホンの表示を薄目で確認すると、まだ十一時過ぎ。やっぱり余裕だ。
「もうちょっと寝てようね、セルゲイちゃん」
昨日買ったばかりの犬の抱き枕に、ぎゅっと力を込める。
「ん……?」
セルゲイちゃんに頬ずりしたところで、ミーチカは妙な違和感を覚えた。昨日寝る前まであったはずのふわふわした毛の感触が、全然感じられないのだ。さらっとして、ひんやりとすらしている。
でも、そんなはずはない。自分は毛布とセルゲイちゃん以外は、なにもハンモックの上に持ち込まなかったはずだ。
自分の抱き抱えているものを確認しようと目を開けると――そこには自分を見つめる、巨大な一つ目玉のお化けがいた!
「むひゃ―――っ!」
驚いて、抱えていたお化けを思いっきり放り投げた。と、その拍子にハンモックがくるんとひっくり返ってしまう。
ずだーん、と床に転落するミーチカ。
「いたーい!」
頭を打ち、目から火花が飛び散る。
さらに追い討ちをかけ、顔にはスマホンが落ちてきた。
「ぶべらっ!」
ぼーっとしていた頭が一気に目覚めたが、それでもなにが起きたのか、ミーチカにはさっぱりわからなかった。
とにかく後頭部と鼻が痛くて、涙が出る。
いや、自分のことなど、今はどうでもいい。
「あ、あたしのセルゲイちゃんはどこぉ……?」
有り金を使い切ってお迎えした、お気に入りの抱き枕。
もしもなくなってたりしたら、ショックで死んでしまう。
そこでミーチカは、さっき自分が投げたものに目を留めた。
「……まさか」
瞬間的にお化けだと思ったものは、よく見れば顔の描かれた白いシーツだ。
ぎゅっと縄で縛られたシーツをとると、予想した通り、その中身は愛しのセルゲイちゃんだった。
光の加減か、黒い瞳が心なしか潤んで見える。
「か、かわいそうに。投げちゃってごめんね……」
ミーチカは思わず悲しくなって、鼻の部分をすりすりと
一体誰がこんなひどいことを――
いや、待て。容疑者など、ひとりしかいないではないか。
「これは、あのネクラ勇者の仕業ね……!」
昨日ケンカしたからって、なんという非道な行いを。
怒りに震えて部屋を見回すが、そこにクラムの姿はない。
イタズラを仕掛けるだけ仕掛けておいていなくなるとは。
「トコトン尊いエルフのあたしに対して……不敬罪にもほどがあるよ!」
なんとしても、この手で懲らしめてやらなければ。
剣王の決闘を観に行くより先に、やらねばならぬことができた。
「絶対に後悔させてあげるからね……!」
ミーチカは手早く身支度を整えると、大きな歩幅で部屋を飛び出したのである。
目を開けると、見慣れない天井があった。
「ここは……」
思わず口を開き、俺は自分の声が
俺が寝ていたのは、清潔そうなベッドの上だった。身体には毛布がかけられ、開け放たれた窓からは心地よい光と風。
体調の悪さを忘れさせてくれそうなほど、素晴らしい睡眠環境だ。
「お目覚めになりましたか?」
そう言って、俺の視界にひょっこりと顔を出したのはダウリナだ。
「あれ……」
どうして彼女がそばにいるんだ? ここは、ダウリナの家?
……記憶がない。
「もしかして……、俺たち結婚してる?」
「はい?」
ぽけっとされた。……そうか、そこまで時間は飛んでないか。
てっきりもう何年も経って、俺がダウリナの家にいるのはごく自然なところまで関係性が発展してるのかと思ったぜ……。
「で、でもクラムさんがしたいというのなら考えなくも……」
「えっ、マジで!?」
顔を紅潮させ、もじもじし始めるダウリナ。カワイイ!
「げほっ、ごほっ!」
「だ、大丈夫ですか?」
いかん、興奮しすぎてムセちまったぜ。
う、し、しかし結婚するとなったら俺も邪教に改宗しなきゃダメなんだよな。どうしよう、悩む!
「それにしても、なにがあったんですか?」
って、そうだよ。今は、状況の整理が先だろ。(問題の先送りとも言う)
「えーっと……?」
なにがあったかと言われても――俺も記憶が曖昧なんだよな。
昨夜は、確かに自分の家まで帰った。で、起きたらルージェがやってきて、そうそう、剣王に化けた魔族を倒せとか無茶ぶりされたんだよ。
あ、それで魔族を見つけたはいいけれど、負けたんだった! そこにちょうどダウリナが通りかかって――
なるほど。俺は彼女の回復魔法に助けられたんだな。
今日ばかりは邪教の神様にも祈りを捧げたいぜ。
俺は今朝からの流れをかいつまんで話すと、ダウリナに礼を言った。
「ありがとう。ダウリナが通りかかってなかったら、俺は死んでたと思う」
頭を下げると、彼女は照れるというか気まずいというか、なぜか複雑な表情を作った。
「そ、そんな……。直接的に殺してしまったのは私ですし。
「ん? 殺して? 蘇生?」
「な、なんでもないですー。良かったですね、私がいて。あははー」
なにかをかき消すようにブンブンと手を振るダウリナ。なんだろ、重要なことを誤魔化されているような。
「それにしてもあの魔族の攻撃、正体が全く掴めなかった。毒消しも効かなかったしな……」
ここまでやられて、あのヤローに勝ち逃げさせるつもりはない。
けど、例の霧状の攻撃の正体。あれがなんなのか掴めないと、次に戦っても結果は同じだろう。
するとダウリナは、顎に手を当ててむむむと
「魔族には、ひとりにひとつずつ、特殊能力があると聞きます。その魔族の攻撃は、おそらくその《
「ウイルス? なんだそれ、魔法か?」
「いえいえ。ウイルスは小さな生き物で、空気や
毒じゃなくて、病気?
「じゃあ、俺はまだ病気にかかってるのか? それって、ダウリナに
心配になって訊ねると、ダウリナは俺を安心させるように笑う。
「大丈夫ですよ。私の回復魔法で、ウイルスは全部死んじゃいましたから」
「そ、そうか」
それを聞いてほっとした。
「まあ、回復魔法というか、即死魔法がウイルスにも効いただけなんですけどね……」
「ん? 即死魔法?」
「そ、促進魔法です! 健康促進魔法!」
「ああ、病気に打ち勝てる体力をつける的な――」
「それです」
キリッとした顔になるダウリナ。やっぱりなにか誤魔化されてるような気がするが。俺、どうも肝心なことを忘れてるよなあ……。
「にしても、ウイルスね。ダブートが周囲に発生させてた霧のようなものが、そのウイルスなのか」
「ウイルスは目には見えませんよ。多分、水蒸気を発生させて、そのなかにウイルスを仕込んでいたんでしょう。水を媒介させているところからすると、空気感染はしなさそうですね」
「そのウイルスは、どうやったら殺せる?」
「熱には弱いと思いますけど、クラムさんは炎の魔法って使えましたっけ?」
「……使えないな」
俺が使えるのは、《
炎と言えばうちにいるダメエルフは得意だったはずだけど、昨日大ゲンカしたとこだし、加勢を頼みにくいよなぁ……。
それに、アイツに借りを作りたくないんだよ。調子に乗るのが目に見えてるしさ。
「なら、どうすりゃウイルスを体内に入れずに済む?」
「鼻と口を塞いで、目を閉じれば大丈夫です」
「いや、それじゃ戦えないだろ」
無我の境地にでも至れってか。
「なに言ってるんです。クラムさんなら、簡単じゃないですかー」
こともなげに、おっとりと話すダウリナ。
「いやいや……。お前は俺を部屋の片隅にできた影かなにかかと思ってるのか? どうせ普段から存在感がないから、空気を吸ってないとでも? 目は節穴だから閉じてても問題ないと?」
「クラムさん、発想が卑屈すぎます……。誰もそんなこと言ってませんから」
しまった。ネガティブ思考を
「じゃあ、どういうことだ?」
ダウリナは自分の案を自信たっぷりに話す。
「《
「……なるほど。不意打ちか……」
確かに、それは悪くない手だ。
ちょっと卑怯な気もするけど、それ以外に方法はないように思える。
俺には遠距離から攻撃する方法なんてないし、それに下手に遠くから追い詰めようものなら、相手もヤケになって人質をとったり、ウイルスとやらを無差別に
正直、まともに戦えるだけの体力も残ってない。
けれど、その策にも問題はあった。
それは、俺の魔法力だ。
「今の体調じゃ、《
病気に感染していたせいか、体力だけじゃなく、魔力までほとんど空っぽに近かった。
つまり、一撃で仕留められなきゃ、俺の負け。
初見で《
「幸い、ヤツがどこに現れるかはわかってる」
「王立闘技場、ですね」
「ああ、入り口前で張ってりゃ、見逃すことはないはずだ」
なにせ、相手は俺と同じ顔をしてるんだからな。
セラを助けるだけならもう諦めちゃってもいいんだけど、俺のフリをして悪さをされたらたまったもんじゃない。
一刻も早く、倒さないことには。
あれ?
そういやアイツの顔を変えられる力は《
ウイルスの方がそうなら、あれは魔法を使ったのかな。
まあ、考えてても始まらない。俺はベッドから起き上がると、そばに立てかけてあった剣を掴む。身体がよろけそうになったが、ダウリナが脇から支えてくれた。
「私もついていきます。また感染したときはお役に立てるかもしれませんし」
「助かる」
いかんせん、このコンディション。戦闘向きとはいえないダウリナだけれど、ついてきてくれるだけでもありがたい。
朝、家を出るときにはこんな大変な一日になるとは思ってなかったんだけどなあ……。
あーあ。全部終わったら、俺、エール酒を大量に飲むんだ。
決闘の時刻を間近に控えた午後一時。《光の剣帝》ことセラ・シュバッツブルクは、装備を万端に整えて家を出た。
ありとあらゆる剣技を身につけたセラだが、今日選んだ武器は最も使い慣れた細身剣である。
対人戦ではなによりも速度が重要と判断したのだ。高速で立ち回るという《影の剣王》を相手にする場合はなおさらである。
相手に恨みはない。ゆえに命の取り合いをするつもりは毛頭ないのだが、実力が
だが、緊張はしていない。むしろセラはワクワクを抑えきれなかった。
「さて、《影の剣王》ってのはどれほどのヤツだろーな」
自分同様、仲間を作らずひとりで冒険を続けているところには好感が持てる。やはり、最後に頼りになるのは自分だけ。その考え方を共有できるのなら、勝負のあとに酒を酌み交わしてみてもいい。
(ハッ。決闘だとか、最強の称号なんかより、どうやらオレ様は《影の剣王》そのものに興味があるみてェだ)
そうだ。決闘が始まる前に、負けた方が今晩の酒をおごるという条件をつけてやろう。そうすればどちらかが大怪我を負うか、死んだりしない限りは語り合う機会が持てる。
もちろん、セラはおごられる側になる気満々だ。
「ん」
闘技場へ向かう大通りに入ると、黒いマントを着た後ろ姿が目に留まった。腰には片手剣。そのいかにもな格好に、
(もしかして《影の剣王》か?)
そう思ったセラは早足で男を追い越し、くるりと振り返ってみた。
(……なんだ)
違った。誰かと思えば、ついこのあいだ演劇の舞台でシャドウ役をやっていた冒険者だ。
確か、名前はクラ……なんとかだ。
二年前、パーティへの参加を断ったときのことを、妙に根に持っていた。
(いや……、あれは根に持たれてもしょうがなかったか)
思い出した。そういえばあのときムシャクシャしていた自分は、相手を必要以上に、完膚なきまでに叩きのめしたのだった。
クラなんとかは大通りで立ち止まり、褐色の肌をした綺麗な少女となにかを
(ふん……。チャラチャラしやがって)
セラは正面に向き直ると、再び闘技場へ向かって歩き出す。
冒険者は、魔王を倒すことが使命のはずだ。それなのに最近は、大してダンジョンに潜りもせず、酒ばかり飲んでいるヤツが多すぎる。
「ねえ、あれ見て。《光の剣帝》よ」
「きゃあっ! イケメンすぎるぅ~」
「セラ様! ご武運を-!」
さすがに闘技場に近づいてくると、《光の剣帝》であるセラに気づく者も増えてきた。
正直セラは、女性からの黄色い歓声をありがたく思っていない。
真面目に魔族討伐に
ああ、うぜェなぁ。
「あっ、セラさん」
ぼやきそうになったとき、ふいに横から知った声が聞こえた。
「ん。よォ、ダウリナ嬢じゃねェか」
そこにいたのは、ヘウレーカ教の司祭であり、セラの数少ない友人でもあるダウリナだった。
「演劇を手伝っていただいて以来ですね。どうですか、腕輪の具合は」
ダウリナはセラの腕輪をちらりと見て訊ねてくる。今はめている《
「悪くねェぜ。最近は結構これに助けられてる」
呪いと言っても、困ることは一生外せなくなることくらいで、それ以外は疲れにくくなったり、傷が癒えるのが早くなったりと良いことずくめだ。
「あ、でも決闘にはめていくのは、ちょっと卑怯かもな……。といっても、外せねェんだけど。これ、一時的に効果を消すことってできねェの?」
「《
「おっ。それいいな、良かったら貸してくれよ」
「いいですけど、一度はめたら外れなくなりますよ?」
「ダメじゃねェか!」
「そうでもないですよ。また新しい《
「だから、それがダメ!」
それをやっていたら、どんどん腕輪が増えて、身動きがとれなくなる。
「まあいいや。どのみち圧勝すりゃ、卑怯だなんて言われねェよな」
要は《
「これから闘技場に向かわれるんですね。頑張ってください」
「ああ」
「なにを頑張るんだよ……。どうせ相手は来ないのに」
そうつぶやいたのは、ダウリナの隣に立っている男だ。
セラは彼に目を留め、ぎょっとした。
(あれっ? クラなんとかだ。さっきまで別の女と話してたよな)
どうしてこんなところに? いつのまにか追い抜かれたのか?
だとしたら、なんてヤツなんだ。コイツはもしかして、手当たり次第に女の子に声をかけているのではあるまいか。
冒険者を
「そんなヤツと仲良くしてンのかよ。ダウリナ嬢にはもう少し、友人関係に気を遣ってほしいんだけどな」
特に、馴れ馴れしくダウリナの肩に手を置いているのが
「セラさん。クラムさんはクラムさんで、良いところがあるんですよ」
「へぇ。例えば?」
「例えば……、どんな男性と組み合わせても受けでいけてしまうところとかですね!」
「あ、
この趣味さえなければ、とっくにパーティを組めていると思うのだが――ヘウレーカ教の司祭ならば致し方ないのかとセラは諦める。
「でもよォ、コイツ、ついさっきまで別の女と歩いてたンだゼ? そんなスケコマシでも、まだ男と組み合わせる気になンのかよ」
「おい」
目の前で
「ンだよ」
他の女と喋っていたことをバラされたくなかったのかと思ったのだが、
「俺にどこで会った?」
クラムは不思議なことを訊いてきた。
「は? どうして自分自身のことを訊く?」
まさかとは思うが、ほんの数分前のことを忘れてしまったのか?
「いいから」
セラはやれやれと思いながらも、今しがた来た道へ目を向ける。
「ほんの数分前、この通り沿いで褐色の肌をした女の子と喋ってただろうが――って、あれ?」
再び視線を戻すと、さっきまでそこにいたはずの男がいない。
「ダウリナ嬢。あの……クラなんとかは?」
「先に行っちゃいました」
ダウリナは苦笑すると、
「私もクラムさんを追いかけますね。では、ごきげんよう」
そう言って、闘技場とは逆の方向へ駆けていく。
「え……。オレ様の決闘を観にきたんじゃねェのかよ……」
セラはポリポリと頭を
「さて、クラムンはダブートを倒してくれたかなっ?」
闘技場前の大通り。ルージェはテラス席のある店で、優雅にランチを楽し
んでいた。まだ昼間だというのに、すでに
クラムに他の用事があると言ったのは、ダブートを倒す場に自分がいるのはマズいと思ってついた嘘だ。
ダブート男爵を従える大貴族で、ルージェの兄でもある《奈落の聖者》は用心深いことで知られる男。もしダブートに監視がついていたら、ルージェの裏切りがバレてしまう。
だからなんとしても、クラムにはひとりでダブートを倒してもらわなければならなかったのである。
(頼りなさそうに見えるけど、一応クラムは《影の剣王》の正体なわけだし、男爵クラスに一対一で負けるなんてことありえないでしょ)
あとは、無事クラムがダブートを発見したかどうか。それが問題だ。どこかで適当に探しているフリをして、サボっていないとも限らない。
(ま、その場合はセラを諦めるかぁ……。色々遊べそうだからもったいないけど、そうなったときは手をつける前で良かったと思うしかないよね)
そんなことを考えながら、多くなってきた人通りを眺め、葡萄酒を飲み干す。あと一時間もしないうちに、決闘の開始時間だ。闘技場もそろそろ開場するとあって、大通りの騒がしさは否応なく増してくる。
「落ち着かない雰囲気になってきたなあ……」
ルージェはテラス席に代金を多めに置くと、店を移動することにした。
まずは無事にダブートを倒せたかどうかクラムに訊ねるべく、スマホンを取り出す。
指先を滑らせて連絡先を探していると、
「……あれっ?」
視線の端に、ちょうどクラム本人の姿を捉えた。
まるで見計らったかのように、彼が闘技場の方へ向かって歩いてくるのである。
クラムはルージェを見てもまるで動じる様子がない。サボっていたのなら、こうも堂々としてはいないだろう。
ということは、頼んだことはきちんと済ませたのだろうか。
「やっ。どう? もう始末しちゃった?」
ルージェが声をかけると、クラムはピクンと肩を揺らし、立ち止まる。
(……んん?)
声をかけられるとは思っていなかったというような反応である。
「いや、まだである」
「え、なにそれ」
いつもより堅苦しい返し方が気に入らず、ルージェは声を荒らげる。
「ぢゃあなんでのんびりしてるの? 早くしないと、決闘が始まっちゃうよ?」
「早くもなにも、決闘の時間にならねばどうしようもないではないか」
「あ、なるほど。決闘場におびき寄せて倒すつもり。意外と頭いいぢゃん」
「……昨夜もそう言ったはずだが」
ルージェは首をかしげた。クラムはなにを言っているのだろう。昨日の時点では、魔族の話など一言も口にしていなかったはずだ。
「それにしても見事である。変装している我をこうもあっさり見抜くとは」
「変装って、ただ服装を変えただけぢゃない? 顔も大して隠れてないし」
「? だからさっきからなにを貴公は言っておるのだ。昨日から変わっていないのは、むしろ服装の方ではないか」
「……そうだっけ?」
前から黒ずくめだから、ルージェが勘違いしているだけなのだろうか。
では、どこを変装しているというのだろう。顔も髪型も、全然変わっているようには見えないのだが。
「まあいいや。でもしっかりしてよね。剣帝を守れるかどうかはクラムン次第なんだからさっ☆」
言ったあとで、ルージェはしまったと思った。
失念していたが、クラムは光の剣帝を守るつもりなど全くないのだった。
『アイツを守るなんてやっぱりごめんだ』そんな言葉が返ってくると予想し
たのだが、なぜかクラムは黙ったままだ。
「…………クラムンだと?」
クラムは無表情のまま、
そこでようやくルージェは気づく。
目の前にいる男は――クラムではない。
顔を変えたダブート男爵だと。
そして重大な勘違いに気づいたのは、相手も同じだった。
「……なるほどな。貴公は《影の剣王》クラム・ツリーネイルに我を売ったのか」
下手を打った。相手が顔を変えられることは知っていたというのに。
「な、なんのことかしら」
もはや言い逃れはできないとわかっていながらも、ルージェはとぼけてみせる。
どうする? 考えている暇はそれほどない。
「この逆賊め」
ダブートはギリリ、と歯ぎしりする。
「どうやらセラ・シュバッツブルク抹殺よりも大事な仕事ができたようだ。七
「……チッ」
なんとか懐柔できないかと考えていたのだが、そんな手が通じる相手ではなさそうだ。
「このアタシが、おめおめと逃すとでも思ってる? だとしたら超おめでたいんですけど」
もはや手段を選んではいられなかった。ルージェは腰に提げた
ダブートの死体を調べられると厄介――そう思っていたが、こうなったら調べられないほどバラバラに解体してやる。もう腹は
「ほう、我と正面切って戦うつもりか? グレマ様でさえ、我を腫れ物に触るかのように扱うというのに」
だが、魔王の娘を前にしても、ダブートは泰然とした態度を崩さない。
「なにせ先ほど本物の《影の剣王》も、我の能力に屈したばかりよ」
「な……。アナタまさか……」
「そう。この顔は剣王を殺して奪ったのだ」
ダブートの言葉に、ルージェは絶句する。
クラムが――死んだ?
まさか、という疑心は、ダブートの自信たっぷりな表情によって、かき消されていく。
ハッタリで言っているのなら、こんな顔はしない。
「………………ふぅーん」
ゴウウ、と空気が荒れすさび、道を行く人々は突然の突風に悲鳴を上げた。
ルージェの持つ伝説級の魔導具 《グリージアの紫鞭》が、主の怒りに反応し、猛っているのだ。
「ほう……。これまでふざけた笑い方しか見なかったが、そんな目もできるのだな、貴公は」
ダブートが感心したような声を上げる。
「……別にアタシは人間の味方なんてするつもりはないんだけどさあ。自分の玩具を壊されて許せるほど、魔族としてデキてないんだよね」
「なるほどな。これが七落胤に名を連ねる《堕落の悪魔》本来の圧力というわけか……! ふははは、それでも最後に勝つのは我よ!」
そう宣言すると、ダブートは勢いよく剣を抜き放ち、
「もう黙ってくんない? 耳障りだから」
もう彼女の頭からは、ダブートの死体を隠蔽しようなどという考えはすっかり抜け落ちていた。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。
激情のままに、ルージェが紫鞭を振りぬこうとしたそのとき――
ズグンッ!
一瞬にして、ダブートの胸から鋼色の剣先が生えた!
「え」
突然のできごとに、ルージェの頂点に達していた怒りは、どこかへ吹っ飛んでしまった。突き出た剣を中心にして、ダブートの黒服が血でさらにドス黒く染まっていく。
「な、なんだ……。これは」
カハッと血を吐きながら、ダブートは後ろを振り返ろうとする。
その剣は、魔族男爵の心臓を後ろから狙い、
魔族の感覚は人間よりもはるかに優れている。いくらルージェに気を取られていたとはいえ、普通なら攻撃される前に敵の接近に気づきそうなもの。
それができなかったのは、奇襲を浴びせた者の動きが、あまりに速かったからだろう。
剣が抜き取られると、バランスを保てなくなったダブートは、地面へと崩れ落ちる。
背後から現れたのは、まさに倒れた魔族と同じ顔をした少年だった。
いや、少年こそがその顔の――本来の持ち主だ。
「大丈夫か、ルージェ。偽者に騙されたりしなかったか?」
「――クラムン!」
ルージェは感極まって、クラムに飛びついた。
「わっ」
クラムは尻餅をついたが、それでも構わず、ぎゅっと抱きしめる。
「ど、どうしたんだよ」
「アイツが、クラムンは死んだなんて言うからさあ……」
「そんなに簡単に死なないって」
そう言うわりに、クラムの顔色はあまり良くなかった。どこかにダメージ
を受けているのは明らか。しかし、それでも生きていてくれただけでルージェは嬉しかった。
(やば。やっぱりアタシ、自分が思っているよりもクラムンを気に入っているのかも)
そんな風に考えていると、
「ごほん」
すぐそばで咳払いが聞こえた。顔を上げると、そばで気まずそうに立っている司祭服の少女。
「ん、リナっちもいたんだ」
「ええ、今追いつきました。……ところでルージェさん、そろそろクラムさんから離れてもいい頃では?」
「ん? ひょっとしてやきもち焼いてる? じゃ、リナっちにもぎゅー!」
ルージェはクラムの代わりに、今度はダウリナを抱きしめる。
「わ、私はそういうことをしてほしいわけじゃないんですけど」
「うひひ、遠慮しなくていいんだよっ☆」
「全然遠慮してないですぅ……」
ルージェはむしろ嫌がっているダウリナをしばらく離さなかった。
「なんとか倒せたな」
俺は地面に腰を下ろしたまま、ふうっと息を吐いた。
体力も魔力も、ギリギリのところだった。敵がルージェに気を取られていなかったら、こうも簡単には倒せなかったかもしれない。
「ちょっ、あれ死体じゃない?」
「もしかして殺人?」
と、血だまりに倒れたダブートを見つけて、通行人が騒ぎ始めた。
「皆さん、落ち着いてください。この死体は魔族のものですから」
「魔族? ネオンブリッジに魔族が入り込んだってのか」
「はい。でも、この一体だけです。もう倒しましたから平気ですよ」
司祭服のダウリナが言うと、説得力があるよな。彼女が邪教徒だとは知らない人たちは、安心した素振りを見せる。
しかし、魔族だとはいえ、このまま死体を放置しておくわけにもいかないよなぁ……。
もしかしたら体内にウイルスが残っているかもしれないし、どこかで火葬にでもしないと。
「クラム・ツリーネイル……」
「ん。ルージェ。今なにかつぶやいたか?」
どこかから呼ばれた気がして、俺はそばにいたルージェに訊ねる。
「え、クラムンが喋ったんぢゃないの?」
どうやら彼女は彼女で、こっちの声だと思ったらしい。
まさか、ダブートの仲間? きょろきょろとあたりを見回すが、それらしき人影はない。
「貴様は確かに、我のウイルスを浴びたはずだ」
後処理をするべく、ダウリナがスマホンで巡回騎士団へ連絡しようとしたとき――彼女の足元にあった死体がガバリと起き上がった!
「ひゃん!」
驚いたダウリナが、飛び上がって後ろに下がる。
「それなのに、なぜ生きているのだ。クラム・ツリーネイル……!」
「ダブート……!」
それは、こっちの台詞だ。
俺はヤツの心臓を確かに貫いた。現に、ダブートの顔は死人そのもので、白目を
「いや、そんなことはどうでもいい。許さん……許さんぞ。よくも、よくも我の半身を滅ぼしてくれたなぁああぁあ!」
ダブートは両手で己の服を掴むと、腹のあたりを大きく引き裂いた。
そこに浮かび上がっているのは――ダブートの、もうひとつの顔だった。
いや、それは顔を呼んでいいものなのかはよくわからない。そこには眉も
鼻もなく、ただ大きなふたつの目玉と、肉食魚のような尖った歯を持つ口があるだけだったのだから。
「アナタ、二体で一体の魔族だったのね」
ルージェの言葉を肯定し、ダブートは叫ぶ。
「その通り! 《
「なん……だと」
てことは、さっき俺が殺したのは、顔の変形を担っていた方か。じゃあ、今喋っている《腹》の方のダブートが、ウイルスを操る魔族!?
だとしたらヤバい……!
もう俺は《
「まあまあ、ちょっと落ち着こうか」
ルージェも相手の危険性を知っているのか、
「落ち着いてなどいられるか! もはやどうとでもなるがいい! この街に住む者は全員、皆殺しだぁああぁぁあああ!」
言ってるそばから、ダブートの口から霧状の水蒸気が溢れ出す。
「みんな、できるだけ遠くに離れろぉー!」
俺が柄にもなく声を張り上げた、そのときだった。
「ネクラ勇者ぁー! やっと見つけたぁあああー!」
そんな声が頭上から聞こえて、俺はハッとした。
空を見上げれば――
「燃え尽きてあたしのセルゲイちゃんに詫びろぉおおおおー!」
ミーチカは持っていたワンドをベルトに差し込むと、俺と同じ顔をした魔
族の肩に着地。
そのまま両手の指でダブートのこめかみをがっちり掴むと、
「んぎゃぁあぁぁぁぁあああああー!」
次の瞬間、ダブートの目や鼻から毛穴まで、全身の穴という穴から真っ赤な炎が噴き出した!
ヤツが放出しようとしていた霧も、あっという間に蒸発してしまう。
「《
ミーチカはすちゃっと着地すると、カッコつけた口調で言う。
「お、おま……!」
なんだその究極魔法!? エゲつねえ!!
しかも、明らかに俺に向けて使ったんだよね、今の!?
「これをくらった者は、あっという間に体温が上昇し、まるで炎に焼かれるような苦しみを味わうという……」
いや、本当に焼けてるから。
セルゲイちゃんがどうとか言ってたけど、もしかして俺が残していったイタズラに怒ったの?
でも今の、くらったら間違いなく死亡する類の魔法だよね!?
「トコトン尊いあたしの技で、反省を――って、焼けてるぅー!」
「やっと気づいたか馬鹿」
「そ、そんな……力の加減、間違えた!?」
「どうやったらそこまで間違えるんだよ……」
「あれ? ク、クラム!?」
そこでようやくミーチカは俺に気づき、震える手で指さしてくる。
「どうしてそっちに。……嘘。人違い?」
そしていまだ燃え盛るダブートの方を振り返り、足をガクガクさせた。
「あたしまさか、なんの罪もない人を犠牲に……」
「いや、俺にも殺されるほどの罪はないと思うんですが!」
俺たちの動揺を尻目に、ルージェは大声で「あははは!」と笑い親指を立てる。
「グッジョブ。この街の平和は、チカちゃんによって守られたよっ☆」
だからさぁ、そういうこと言って調子乗せるのやめてくれ。これ以上ミーチカのダメエルフっぷりが進行したら、どうするつもりなんだよ!
「今日はなんだかんだ働いたなぁ……」
俺たちは《旅の道連れ》亭で飲んでいた。メンバーは昨夜と全く一緒である。
「ねえ、そういえばどうだったの? 今日は《光の剣帝》と《影の剣王》の決闘だったんでしょ?」
店のオヤッさんがオネエ言葉で訊ねてくるが、
「俺は観にいかなかったんだよ」
疲れていたのもあるけど、元々観にいく気もなかったし。
結局、本物の《影の剣王》は闘技場に現れなかったそうだ。ま、当然か。主催者に決闘を受ける旨のメールを送ったのも、きっとダブートの部下あたりだろうしな。
「あたし、あんなものを観にいったつもりないんらけど」
ミーチカはご立腹で、ミルクを飲むペースが速い。
闘技場にはいつまで経っても主役の片方が現れず、ブーイングの嵐となったらしい。しかしそこは運営側も考えたもので、ダンジョンから連れ帰った大型の魔物とセラを戦わせる趣向へと見世物を変更した。
セラはセラで「スッポかされた」と思い、怒りのはけ口を探していたみたいで、結果としてド派手なショーになり、客の多くは満足して帰ったんだと。
不満が消えなかったのは、こいつみたいに決闘じゃなく、《影の剣王》の正体に興味を持っていた連中くらいだろうな。
「ほんと、お金の無駄らったよ」
「お前は払ってないだろ」
知ってるぞ。お前が結局、ダウリナにチケット代をおごってもらったことくらいは。
「また、つまらぬことにダウリナのお金を使ってしまった……」
「罪悪感を覚えてる風に言ってもダメだから」
前髪触りながら、
そこでルージェが、葡萄酒の入っていたグラスをチーンと指で弾いた。
「ところで、ここはクラムンのおごりってことでいいんだよね?」
「え、なんで」
「昨日賭けてたぢゃん? 《影の剣王》が勝つ方にさ」
あ、そういえばそんな賭けもしてたっけな。
「でも、そんなのノーカンだろ? 勝負自体、なかったわけだし」
「いやいや、《影の剣王》が来なかったんだから、《光の剣帝》の不戦勝。つまりは、剣帝に賭けてたアタシとリナっちの勝ちぢゃん」
ええっ!? そういう理屈になんの?
「で、でもそれならミーチカだって、影の剣王に賭けてたじゃないか。俺だけがおごるなんておかしくね?」
「なに言ってるの、ネクラさん。あたしがお金なんて残してるわけないじゃない! 有り金はハンモックとセルゲイちゃん2世に消えたの、知ってるでしょ!?」
「偉そうに言うことじゃないぞ、それ」
「まあ、影の剣王が不戦敗になった原因はクラムンにもあるわけだし? ここはおごるのが筋ぢゃない?」
「は、はぁあああ?」
まさか剣王が不戦敗になったのは、俺が偽者を倒したせいだって言いたいの?
それは理不尽にも程があるんじゃね?
俺、ルージェにけしかけられて動いたんですけど!
いや、ちょっと待て――ルージェが魔族を倒そうとしたのって、最終的にこれが目的?
自分が賭けに負けたくないから、不安要素を取り除こうと?
しかも、俺に自ら賭けに負ける行動をとるよう仕向けるなんて――
なんて性格ひんまがってるんだ!
ちょっとどころじゃなく、ぞっとしたわ!
「全くです。クラムさんは、もう少し自分について知るべきだと思います。いえ、気づくべきと言いますか……」
「ダウリナまで!」
なんでだよ!
ここまでやっといて俺のせいとかないだろ。責められるべきは、闘技場に来なかった、《影の剣王》本人だって!
ああ――ちょっと魔族を倒したからって、調子に乗るなよって言いたいのか?
身の程を知れと。飲み代はそのための勉強代だと。
「まあ、死にかけたのは事実だし、油断はダメだなってのは改めて思ったが……」
「えっ、クラム死にかけたの? あの魔族と戦って? ぷぷっ、ざまあ!」
「ミーチカお前いい加減にしろよ」
マジでお前の分は払わねーぞ。
「やーん、怖いわー。クラムが苦戦した魔族を一撃で倒してしまったあたしの尊さが怖いわー」
くぅーっと嬉しそうに歯を見せて、テーブルの下で足をバタバタさせるミーチカ。
「お前どこまで自己肯定的なんだよ……」
言っとくけど、ダブートの半身は俺が倒したんだからな!
「クラムも頑張ってちょっとは強くなんなきゃね! それこそ、剣王さまの足元に及ぶくらいにはなんないと」
「へーへー」
俺がミーチカを怒りきれずにいるところを傍観しながら、
「あはっ。やーっぱふたりとも、なんっにもわかってないなぁ☆」
「ですねぇー」
ルージェとダウリナはしたり顔で、ふたりにしかわからない会話を楽しむのだった。
どんだけイヤでも、男にはやらなくちゃいけないときってのがある。
ま、セラみたいなイヤなヤツでも、死んじゃったら一瞬くらいは可哀想に思うかもしれないし、誰だか知らない剣王様の名誉も守れたしな。
ホント俺、自分で自分を褒めたいと思う。
だから、普通ならさ、なにかご褒美をもらってもいいはずだ。なのに、その日の飲み代を逆に全員分払わなきゃなんなかったのは……、やっぱどう考えてもおかしいだろ!
なあ、そうは思わないか?
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