第9話 ネクラ勇者、仲間づくり相談所へ駆け込む

 仲間が欲しい。

 共に険しい山や谷を越え。

 戦いが始まればお互いの背を預けて。

 ダンジョンの最下層で宝と喜びを分かち合い。

 夜空の下で輪になって大きな火を囲んで。

 憎まれ口なんかを叩きながらも、底の方では深いきずなで結ばれている――

 そんな仲間が。

 この俺、クラム・ツリーネイルの望みは、勇者としてそれほど大それたものじゃないはずだ。

 魔王を倒したいとか、一国一城の主になりたいとか、千年後まで名前を残したいとか、そういうんじゃないんだから――

「うひゃひゃひゃ、ミルク、ミルクを持ってこいなのら!」

 酒場街ネオンブリッジにある《旅の道連れ》亭。その店内に、酔っぱらった少女の声が甲高く響き渡る。

「ミーチカ、ちょっと飛ばしすぎじゃないか?」

「いいの、いいの。酔いつぶれたらネクラさんにおんぶしてもらうのら!」

 ミーチカ・オルレイン。俺の家に居候している魔法士の女の子。ミルクで酔っ払うのはエルフの体質。モフモフのイヤーマフで耳を隠しているから、はたにはただの子どもにしか見えないけれど……。

「ねーねー、クラムン。アタシ、あの葡萄ぶどうしゆが飲みたぁい☆」

 隣のテーブルに置かれているボトルを指差し、猫なで声ですり寄ってくるのは、ルージェント・ルーフレット。褐色肌の盗賊。

 紫色のツインテールを、角みたいな髪飾りでまとめてるのが特徴だ。

 しれっと彼女が指定した葡萄酒のラベルを見た俺は、目を見開く。

「いやあれ、かなり高級なやつだろ。飲みたいなら自分で頼めよ」

「えー。人に奢られたほうがおいしいのに。……あはっ。でもアタシの頼みを聞いてくれない男ってクラムンだけだから新鮮☆」

 そして、ルージェは超厄介な魔性の女でもある。傾国の美女なんて言葉があるけど、彼女が入ったパーティは一晩でぶっ壊れる。だから俺は、絶対に彼女を仲間にしないと決めている。

「オイ、聞いてんのかクラ虫」

 俺の横で、戦士がドンッとテーブルに杯をたたきつける。

 セラ・シュバッツブルク。

《光の剣帝》の異名を持つ凄腕でありながら、女みたいな顔の美青年。

 俺、こいつのこと大嫌いなんだけど、なぜか飲んでるとテーブルにやってくるんだ。お前は仲間じゃないから入ってくんなと追い払いたいところだが、それ言っちゃうと他の連中も仲間じゃないしな。

「勇者はな、エール酒なんて薄いモンより、濃い蒸留酒を飲むべきだゼ。そのほうがカッコいいからな!」

「勇者と酒の種類は関係ないだろ」

 単に好みの押し付けじゃねーかよ。酔っ払うと余計にタチ悪いなこいつ。

「セラさんが少しずつクラムさんを自分色に染めようとしてます……、セラクラ、セラクラですね……」

 頬に手を当てて、うっとりとしているのは、ダウリナ・プランジット。

 タレ目とデカおっぱいが印象的な――げふんげふん。邪神をあがめ、男と男を脳内でくっつけることを信条とする腐女司祭だ。

「マジで俺とこいつで変な妄想するのやめてくれよ……。俺がこいつのこと大嫌いなの知ってるだろ?」

「クラムさんはなにもわかっていませんねー。普段はいがみあってる関係のほうが、私たちは萌えるんですよ?」

「わかりたくないよそんなこと」

「そーそー。ネクラさんは、なんにもわかってない! とことん尊いあたしを養えていることが、どれだけ幸せなことなのかも!」

「そうだな、そういうことは失ったあとに気づ……かねーよ」

 適当なこと言ってんじゃねえぞミーチカ。大体、お前を養う宣言なんか、一度もしたことないんだけど。そろそろうちの家から出て行ってくれないかなお願いだから。

 俺はツッコミに疲れ果て、テーブルに肘をつく。

 もう円卓は、こいつらのせいでめちゃくちゃ。空ジョッキや杯は散乱し、食い散らかされた食器は山になっている。

 なんなんだ、これ。

 俺が欲しかったのは、一緒に過酷な冒険を乗り越える仲間だったはず。

 それなのに、なんで面倒くさい飲み友達ばっかりが増えてるんだよ……!

「良かったわね、クラム。生まれて苦節十八年、やっと仲間ができたのね」

 そう言って食器を片付けるのは、酒場の主であるオヤっさん。女言葉だけどトサカ頭でムキムキな体格をしてる、名物親父だ。

 違うんだよオヤっさん。こいつらは断じて仲間なんかじゃないんだ。

 しかし、否定しようとした俺の耳に、まわりの声が飛び込んできた。

「……相変わらず、あのパーティは騒がしいなあ」

「冒険もせずに飲んだくれてばっかりだよね、あいつらって」

「セラさま。どうしてあんなやからとパーティなんかを……。呪ってやる」

 ヤバい。俺たちって他のテーブルからはパーティだと思われてるのか?

 こんなやつらと仲間になるつもりなんて、一切ないってのに。

「おばちゃん……、おばちゃんに相談しなきゃ……」

 俺は《旅の道連れ》亭が閉まるまで、ぶつぶつと呪文のように、その言葉だけを呟いていた。


 王立冒険局ネオンブリッジ支部の規模は、王都ケヘレンにある本部に次ぐと言われている。石でつくられた頑丈な建物で、三十年前は魔族との戦争の前線基地として使われていたらしい。

 日中は常に開け放たれている表門から支部に入ると、俺はロビーを通り抜け、一階に設けられている《仲間づくり相談所》へと駆け込んだ。

 相談所のなかは小さなブースに区切られていて、俺みたいに仲間のできない冒険者が、机を挟んで座る『仲間づくり』のプロに教えを乞うている。

「あら、クラムちゃん久しぶり。こんなにしばらく来なかったってことは、ついに仲間ができたのかしら?」

 客のいない正面ブースから声をかけてきたのは、俺がいつも相談に乗ってもらっているゆるふわパーマの女性だ。

「助けてくれよ、おばちゃん!」

 駆け寄ろうとした瞬間――おばちゃんの目にカッと殺気が走る。

「誰がおばちゃんかコラァー!」

 おばちゃんは驚くべき跳躍力で机を跳び越えると、俺に向けてパンチを振り下ろす。

 その右腕を覆うのは、かわいい系のファッションには全然似合わない、盾のようにドデカい鋼鉄製の手甲。食らえば、即死間違いなしの一撃だ。

「うわぁあああー!」

 俺は生存本能の命ずるままに、自らに《多重高速化マルチアクセラ》をかけた。

 冒険中でもないシーンで説明するのは不本意だが、《多重高速化マルチアクセラ》は強化魔法の重ねがけによって通常の何倍ものスピードで動くことを可能とする、俺の必殺技ね。

 バゴンッ!

 彼女の拳が砕いたのは――俺ではなく、相談所の床だった。

 嘘だろ。亀裂ができるくらいならまだしも、床が陥没してるよ……。

「は、はがが……」

 これ食らってたら、相当グロテスクな死に方してたぞ。

「今のをかわすなんて、さっすがクラムちゃん♪」

 おばちゃんは立ち上がると、何事もなかったかのようにニッコリと笑う。

「危ないって! 俺じゃなかったら死んでたし」

「えへ。私が遠慮しなかったのは、相手がクラムちゃんだからなんだぞ?」

「かわいこぶってもダメ! ……もういい歳なんだから落ち着いてよ」

「えー。二十五歳はまだまだ若いでしょ?」

「いやいや、身内にまでサバ読まないでよ。俺が生まれたときおばちゃんの年齢は――」

 ゴッ!

 今度は壁が砕け、パラパラと破片が舞い散る。

 拳速はやすぎ。自分に向けられた攻撃じゃなかったからか、反応すらできなかったぞ……。

「夢はね、口にし続けることで本当になるんだよ?」

「それは夢っていうか、ただの現実逃避なんじゃ――」

「なにか言った?」

「ううん、なんにも言ってないよ。おば……、オルヴァちゃん」

「素直でよろしい、クラムちゃん♪」

 俺が震えながら呼び名を変えると、おばちゃんは満足そうに頷うなずいた。名前にちゃん付けで呼んであげると喜ぶんだよな。年甲斐もなく。

「かわいいおいっ子が相談に来たんだもの。姉さんに代わって、私がお悩みを解決してあげる!」

「あ、ああ。お願いするよ」

 相談用のブースに入りながら、俺は改めておばちゃんをまじまじと見る。

 オルヴァ・レジーム。年齢不詳――ということにしておく。といっても、冒険者を引退してからもう十年経つんだから、推して知るべしだ。

 あと、会話からわかるとおり、俺の母親の妹――叔母さんでもある。昔はおばちゃんって呼んでも怒られなかったし、自分から「おばちゃんに任せなさい」なんて言ってたもんだけど、最近は複雑かつ敏感なお年頃らしい。

 ま、普通にしていればかわいい雰囲気のお姉さんに見えるんだけど。ベージュのワンピースからチラッとのぞく少女趣味が入った花柄のインナーも、童顔のおばちゃんにはよく似合ってる。

 でも、彼女はこう見えて勝利の神フーディールを信奉しているんだ。

 フーディールは拳と拳の語り合いが大好きで、信者は皆、格闘術を身につけることを義務付けられる。

 司祭であるおばちゃんは、同時に《煉獄拳闘術デツドリイ・アーツ》という格闘術の師範でもある。大きいおっぱいとは裏腹に、腹筋が驚くほど引き締まってることを、子どもの頃一緒にお風呂に入っていた俺は知っている。

 おばちゃんの強さを伝えるには、右手に装着している《勝利者の進軍フーデイール・ラチエツト》について語るのが手っ取り早い。

 繊細な意匠が施されたその手甲は、毎年フーディール教が催す格闘大会の優勝者に預けられる、伝説の武器である。

 けれどこの十年、彼女以外にその手甲を身に着けた人はいない。

 要するに、教団主催の格闘大会において、おばちゃんは十年間無敗。

 とっくに冒険者を卒業してるくせして、強すぎるんだよおばちゃん。

「そんなだからいつまで経っても結婚できないんだよな……」

「ん、なにか言った?」

「なんにも言ってませんです、はい」

 もしかしてその地獄耳も、煉獄拳闘術デツドリイ・アーツに含まれますか?

 俺はおばちゃんに近況を伝える。家に住みついているミーチカ、俺を男とくっつけたがるダウリナ、明らかに魔性の女であるルージェ、仲悪いのに近くにやってくるセラ。そんなどうしようもない人間関係についても。

「それって、完全にダメなパターンにハマってるわね」

 全てを聞き終わったおばちゃんは、開口一番に言った。

「やっぱりそうなのか」

「ええ。だって恋愛にたとえるとこういうことでしょ? 付き合う気がない女の子と仲良くなりすぎちゃって、みんなふたりが恋愛関係だと勘違いしてる。そんな状況じゃ、他の相手に告白しても相手にされないし、告白されることもないんじゃないかしら」

 頬杖をついているおばちゃんの目が、すっと遠くを見やる。

「私もそういう時代あったなぁ……。姉さんはあの人と付き合ってるのかしら……、なんて変に気を遣っちゃって、告白できなくて……。結婚式に呼ばれて、ふたりの馴れ初めが語られたときに、やっぱりあのときは付き合ってなかったんじゃん、みたいな? そのとき以来、私はもっとなりふり構わず攻めていこうって思ったのよね。まあでも、私が空気を読んだおかげで今のクラムちゃんが生まれたとも言えるわけで、クラムちゃんはもっと私に感謝すべきなんじゃないかしら。どう思う?」

「感謝感激。でもオルヴァちゃん、話逸れてる」

「ああ、ごめんごめん。なんだっけ?」

「仲間にする気がない相手をどうするかって話」

「そうだった。つまりフリーならそれをアピールするべきってことね」

「でも、世の中には複数の女性と付き合う男もいるし、そういう人は告白したりされたりしてると思うんだけど……」

「それはイケメンに限る。で、クラムちゃんは?」

「イケメンでは……、ない?」

「オリヴァ流仲間づくり心得第三条!」

 おばちゃんの表情が真剣味を帯び、口調は軍隊指揮官のそれに変わる。

「復唱。己の顔はオークと思え!」

「己の顔はオークと思え!」

「クラムちゃんはイケメンではない」

「俺、クラム・ツリーネイルはイケメンじゃない!」

「クラムちゃんの顔は?」

「オーク並み!」

「イケメンだけが得するこんな世のなかじゃ?」

「ポイズン!」

 力強く答えると、おばちゃんはパチパチと拍手をくれる。

「パーフェクトよ、クラムちゃん。これで自分を見つめ直せたわね!」

「ありがとう、オリヴァちゃん。俺、なんか勘違いしてたみたいだ」

 自分の弱点を認めてみたら、スッキリしたよ。心の一部がえぐり取られて、風通しがよくなった感じとも言うけど。

「ところで、その一緒にいる子たちのなかで、クラムちゃんと仲間になりたいと思っている子はいるの?」

 ……俺と仲間になりたいやつ? あ、これひっかけ問題か。

「オーク顔の俺と仲間になりたいやつはいない!」

「あ、第三条はひとまず置いといて」

 ……置いといていいんだ。さっきあんなに強く復唱させたのに。

「んー、そうだな……」

 俺は改めて考え直してみる。

 ミーチカは《影の剣王》のパーティ以外には入らないだろうから論外。

 ルージェは思わせぶりなだけ。多分誰にでも気のある態度とってるだろ。

 セラは二年前にヒドいフラれ方したからな……。未だにトラウマだ。

「あるとしたら、ダウリナくらいかなぁ……」

「ダウリナ?」

「あ、さっき話してたヘウレーカ教の司祭なんだけど」

 ダウリナだけは、たまに仲間にしてほしいオーラを出してる気が。

 まあ俺が男パーティ組むって言ってるから、そこに紛れ込んでCPカツプリング祭りをしたいんだろうな。

「まさかとは思うけど……、ヘウなんちゃら教の子が『仲間にしてほしい』って言ってきたら、仲間にするつもり?」

「うーん……、どうだろう……?」

 ハッキリ言って、仲間にすると一番ヤバいのってダウリナだよな。邪教の回復魔法って、低確率で死亡するリスクがあるんだもん。

治癒ヒール》を安心して任せられない僧侶って、どうなのよ……。

「ないない、絶対ないからね。そのなんちゃらレーカ教だけは!」

 俺が答えに迷っていると、おばちゃんが語気を荒げた。

「え、なんで……。あ、そっか」

 フーディール教とヘウレーカ教って、死ぬほど仲悪いんだったっけ。

 当然といえば当然だよな。だってヘウレーカ教のやつらって、フーディール教団のガチムチ格闘司祭たちでCPつくって楽しんでるって噂だし。

 歴史をさかのぼると、フーディールとヘウレーカが大ゲンカしたって話も残っている。ヘウレーカが「アンタんとこの信者って、BL的においしい子ばっかりだよね。拳闘大会のトーナメント表とか、よこしまな目でしか見られないんだけど」と言ったのが、男の熱い友情を重んじるフーディールのげきりんに触れたそうだ。これ、神様の発言じゃないだろ。

「全く、クラムちゃんがヘナンチャラーカ教に絡まれてるなんて……」

 よほど嫌いなのか、頑なに『ヘウレーカ教』って言わないおばちゃん。全部合わせるともう言ってるようなもんだけど。

「そもそも、話に出てくる子ってほとんど女子じゃない。クラムちゃんは男パーティを組みたいんじゃなかったっけ?」

「まあ。でもそんなにうまくいかないっていうか――」

 弱音を吐きかけた俺の両肩をがしっと掴むと、おばちゃんは血走った目で俺をにらんでくる。

「いい? クラムちゃんが男パーティを組んだら、私の出会いのチャンスも増えるんだからね?」

「ん?」

「ここに来る冒険者はコミュ障とブサイクばっかりで、出会いなんて期待できないんだから……。パーティメンバーには当たりの子を選んでね?」

「んん?」

「私も合コンに呼べる子が、年々減ってきてるんだから。まったく、みんなどこで男をあさってくるんだか……。早くしてよね?」

「んんん?」

 気のせいか? 俺が相談に来てるはずなのに、おばちゃんの利害が絡んできてるような……。いや、俺を奮起させるためにあえてこういう冗談を言ってくれてるんだよな。さすがおばちゃん。最後に頼れるのは血縁関係。

「大体、クラムちゃんはもつたいなさすぎよ。私のパンチをかわせる人なんて、リオレス中捜しても一握りしかいないんだから。それなのに社交性がクズだと宝の持ち腐れになっちゃうわよ?」

「社交性がクズ……」

「あーあ、そもそもクラムちゃんが義兄さんに似てイケメンだったら、禁断の近親愛に走ってもよかったんだけど……」

「ちょっと。冗談でも言っていいことと悪いことがあるから」

 少なくとも聖職者が口にしていい言葉じゃないだろ。

 続けざまに放たれる言葉に落ち込んだり呆れたりしていると、おばちゃんは俺の肩から手を放して力強く言った。

「わかった。かわいい甥っ子のために、私が見定めてあげるわ」

「見定める? なにを?」

「クラムちゃんの飲み友達が、仲間としてふさわしいかどうか、をよ」

「ええ!?」

「もし仲間としてふさわしくなければ、私が縁を切るように言ってあげる。いずれにせよ、クラムちゃんにとって良い形に持っていくから。そして、私にとってもね……。にやり」

 最後のほうは小声で聞こえなかったが、俺は感動のあまり涙を流した。

「お、お、お」

 俺のことをこんなに考えてくれる、やっぱり持つべきものは身内だぜ!

「おばちゃーん!」

 あまりの頼り甲斐に、俺は思わず抱きつこうとした。

「だから、誰がおばちゃんかコラァー!」

 しかし俺の身体は、さっきよりも鋭さを増したパンチによって吹っ飛ばされた。


「いたたた……」

 相談所を出ながら、俺はみぞおちの上をさすった。パンチを食らう直前に《多重硬質化マルチスチルズ》が間に合ってよかった。冒険中でもないシーンで説明するのは全くもって不本意だが、《多重硬質化マルチスチルズ》は《多重高速化マルチアクセラ》同様に強化魔法の重ねがけで、防御力を上げて傷を負いにくくする技だ。身体の節々が硬くなって動作が遅くなっちゃうのは欠点だけど。

 いやはや、俺の魔法が遅れてろつこつがボッキボキに折れてたら、母さんにどう言い訳するつもりだったんだ、おばちゃん。

「それにしても、あいつらと冒険かぁ……」

 俺はおばちゃんから手渡された依頼書を広げてみる。東の廃墟に出没する《はぐれ魔族》を討伐せよとの内容だ。ちなみにはぐれ魔族とは、特定の住処をもたない魔族のこと。

『この依頼書を使って飲み友達を冒険に誘うように』とおばちゃんは言っていた。冒険に同行して、あいつらをテストするつもりなんだろう。

 でも、だんだん気乗りしなくなってきたな。なんか友人をだますみたいで、罪悪感がある。面倒くさい連中だけど、悪いやつらってわけでもないし、どうしたもんかなぁ……。

「ちょっと待って、クラム君」

 冒険局のなかをとぼとぼ歩いていると、後ろから声をかけられた。振り返ると、相談所の隣に設置された《冒険記録所》のカウンターから、眼鏡をかけた青年が身体を乗り出している。

「どうして最近、記録所には来てくれないの? お兄さん悲しいよ?」

「ウェズさん」

 ここを拠点とする冒険者たちの兄貴、ウェズブック・ドットウィンプス。銀髪で、いつも笑顔の好青年。

 冒険記録所は、文字通り冒険者の功績を記録するための場所だ。ここで記録された功績に応じて、冒険者ランクが上がったり、報奨やアイテムがもらえたりするってわけ。

 ウェズさんは元魔法士で、引退した今も細い身体にぴったりと合った魔導衣をまとっている。いつ見てもキマってて、カッコいいよな。

「いやあ、報告するほどの冒険をしてなくって……」

「嘘が下手だなあ。それなら冒険者として生計が立ってるはずないじゃないか。クラム君はパーティ組んでないから、補助金だって出てないんだし」

「あ、あはは……」

 鋭い。これまでの人助けや魔族討伐を報告すれば酒代に困ることもなくなるんだろうけど、その結果、冒険者ランクも上がっちゃうんだよな。いや、普通なら冒険者ランクが上がるのは嬉しいことなんだけど、俺は仲間を作るためにあえてランクを上げないつもりでいるんだ。

 だって、ランクAなのに仲間がいないとか、痛いじゃん。

「ま、いいさ。詳しく詮索するつもりはないし。冒険のやり方は人それぞれなんだからね」

 そう言ってウェズさんは、俺に赤い液体が入った小瓶を手渡してくれる。

「ほら、これ持っていきなよ」

「え、でも俺、なんにも冒険の報告してないのに……」

 つまり、ウェズさんのおごりってことだろ?

 しかもこれ、魔力まで回復するちょっと高めのポーションじゃ……。

「関係ないさ。僕はいつだって、現役冒険者の味方なんだからね」

 ウェズさん、マジみんなのウェズ兄さん……!

「それにクラム君のことは、こーんなにちっちゃい頃から知ってるし」

 ウェズさんはカウンターと同じくらいの高さに手をかざす。

「ウェズさん、おばちゃんとパーティ組んでたんですもんね」

 パーティ全員でうちに遊びに来たこともあるらしいけど、俺はまだ幼かったし、あんまり覚えてないんだよなあ。

「じゃ、頑張ってね。次はいい報告を待ってるよ」

 手を上げて俺に別れを告げると、他の人と受付を替わるウェズさん。

「ほんと、良い人だよなあ……」

 今からでも冒険者に復帰して、俺の仲間になってくれないかな。

 ……いや、そんな非現実的なこと考えてたら、いつまでたっても恩返しできない。ウェズ兄さんのためにも、早く仲間を作って、ここに冒険の報告をしにこなきゃな。

 そう決意を新たにしていると、

「……クラムさん」

 俺は静かなトーンで呟かれた女性の声に、ぎょっとして振り返った。

「だ、誰かと思えばダウリナじゃないか」

 いつから後ろにいたんだ。全然気配を感じなかったんですが。

 そして、なぜか彼女の目は潤んでいて、今にも泣きだしそうだ。

「クラムさん、水くさいじゃないですか」

「な、なにが?」

 も、もしかしておばちゃんに相談してた内容、聞かれてた?

 やば、おばちゃんがヘウレーカ教を嫌ってたのもあって、悪口を言ってるっぽく思われたかもしれない!

 俺は背筋に冷や汗が流れるのを感じたが――

「あんなに素敵な殿方と交流があるなんて、私聞いてません!」

 続いて彼女の口から出た言葉に、思わずコケそうになった。

「殿方って、ウェズ兄さんのこと?」

「兄さん!? もう兄弟の契りを交わすところまでいっているなんて……。はああ、私としたことが、不覚です。ヘウレーカ教の司祭として失格です! この目はいつのまに節穴になってしまっていたんでしょうか!」

 ……あかん。

 今にも壁に頭を打ち付けそうなくらいに自己否定始まっちゃってる。

「いや、違うから。ウェズさんはみんなから兄さんと慕われてるんだって」

「え、そうなんですか? じゃあ、おふたりは特別な関係では――」

「ないない。てか、ダウリナだって記録所に来るんだから、ウェズさんのことは知ってるだろ?」

「私は普段、ヘウレーカ教会の近くにある出張記録所に伺ってますから」

「あ、そうなんだ」

 ダウリナはヘウレーカ教会に毎日通ってるみたいだし、そう考えるとこっちの支部まで来るのは遠回りかもな。

「今回はたまたま近くを通りかかったから利用してみたんです。でもこれからは、こちらの記録所に足しげく通うことにしますね!」

 ふんっと鼻を鳴らして意気込むダウリナ。

「え、なんで?」

「だってクラムさんは、これからも仲間ができない限りは冒険報告をしないつもりなんでしょう?」

「そりゃ、まあ……」

 仲間できないうちから、むやみにランクを上げたくないからな。

「だったら私が、クラムさんの活躍をウェズさんに教えてさしあげないと!好きな人に会えないばかりか、生きているか死んでいるのかさえわからないなんて、悲恋にもほどがあるじゃないですか!」

「……誰と誰が悲恋だって?」

「だからウェズ×クラですよ、ウェズ×クラ!」

「掛け算して呼ばないで!」

 ダメだこいつ、早く話題を逸らさないと……。そう思ったとき、俺はおばちゃんから渡された依頼書を持ったままであることに気づく。

「ところでダウリナ、明日って暇だったりしないか?」

 こうして俺は、きょとんとするダウリナを冒険(という名目のおばちゃんチェック)に誘ったのだった。


 翌日。俺、ミーチカ、ルージェ、ダウリナの四人は、一日レンタルの馬に乗り、目的地へと向かっていた。

「それにしても、どういう風の吹き回し? クラムンがアタシたちを冒険に誘うなんて」

 訊ねてきたルージェに、おれはしどろもどろになりかけながらも答える。

「俺ひとりじゃ、はぐれ魔族を倒せるか不安だったからさ。今回は一緒についてきてもらおうと思って」

「……ふーん、そうなんだ。まあいいけど」

 なんだよ、ふーんって。俺の嘘はお見通しだとでも言いたいんだろうか。しかし、それ以上踏み込んでこないところを見ると、具体的にこちらの狙いに気づいているわけでもないようだ。

 気をつけないと。このメンツのなかだと、ルージェの勘が一番鋭いからね。俺がこいつらと縁を切ろうとしてるんだってことがバレたら、絶対に厄介なことになる。

「ううう……。この振動、どうにかならないの……? とことんしんどい……」

 そう言って、気持ち悪そうな顔で俺の胸に身体を預けているのはミーチカだ。ちなみに、四人いるけど馬は三頭。森で暮らすエルフのくせに、ミーチカはひとりで馬に乗れないらしい。

「だから飲みすぎるなって、昨日あれほど言っただろうが」

 酒場で冒険に行こうと誘った途端、上機嫌でミルク飲みまくりやがって。馬に乗れないのはともかく、服にゲロでもされたら大変なんだけど。

 そんなダメエルフをかばうように、ダウリナが言う。

「責めないであげてください。ミーちゃんは今日の遠足が楽しみだったんだよねー?」

「べ、別に楽しみになんてしてないし……」

 顔をふせるミーチカ。

 ――うん。楽しみかどうかはともかくとして、ツッコんでいいかな。

「これ遠足じゃねーよ! 冒険だよ冒険! 魔族を討伐しに行くんだよ!」

 ダウリナはハッとした表情になる。

「そうでした。お弁当をつくっているあいだに、主旨を忘れて――」

「忘れないで! 俺たちが冒険者だってこと!」

 いくら仲間ができないからって、そこ忘れたらおしまいだからね!?

「すみません、昔からうっかりしてて……」

 だろうな。うっかり邪教に入団しちゃうくらいだもんな。

「そう言えば、今日はセラさんがいませんけど、ご都合悪かったんですか?」

 不思議そうに首をかしげるダウリナ。はい、またうっかりが出てますよ。

「なんで俺がセラを呼ばなきゃいけないんだよ。絶対嫌だよ」

 あいつは俺にとって、飲み友達ですらないからね。いつも勝手に同じテーブルに飲みに来るだけだから。非公認キャラだから。

「大体、呼んでもあいつは来ないだろ」

 あえて仲間をつくってないとか言ってるくらいだし。

「クラムさんが誘えば、セラさんは飛び上がって喜ぶと思いますけど」

「それ、ダウリナの空想の世界でだけだから」

 ダウリナの脳内では、俺とセラはCPされちゃってるんだもんな。うう、おぞましい。

「そうですかねー……」

 なんで不満そうにしてるかわからないけど、そうなんだよ。俺とあいつはお互いのことを嫌ってるの!

 そうこうしていると、廃墟の街が見え始めた。昔は人が住んでいたらしいんだけど、魔族の軍勢に襲われてからは誰も住みつかなくなってしまった。煉瓦れんがの壁は壊れ、屋根が丸ごと崩れた家も多い。ところどころに、巨大な爪で引っ掻いたような跡、炎に焼かれ炭化した木材も散見される。

 十年前に街を占拠した魔族たちは、《銀の逆鱗シルバーラース》という、その当時最強とうたわれていたパーティによって滅ぼされた。しかし最近、再びこの付近には魔族と思われる脅威が出没するようになった。命からがら襲撃から逃れた旅の商人は、相手はまるで獣人のようだったと証言している。

 どうやら冒険局は、《銀の逆鱗シルバーラース》が滅ぼし損ねた魔族なんじゃないかと疑っているようだ。

「あ、きたきた。こっちだよー」

 街に入る門――といっても、もはやその周りを取り囲む外壁はないんだけど――までたどりつくと、そこにはすでにおばちゃんが待ち構えていた。

「えーっと、誰?」

 馬を降りながら、ルージェが俺に訊ねてくる。

「仲間づくり相談所のオルヴァちゃん。冒険者としては大先輩だし、どうして俺たちに仲間ができないのか、アドバイスをもらおうと思って」

「どうも、うちの甥っ子がお世話になってます♪」

「え、甥? ってことは、クラムンのおばさん!? 何歳!?」

「二十五歳よ。だからおばさんって呼び方はやめましょうね」

 真実を知っている甥っ子の前で、今さらっと嘘ついたな。

「私はとっくに冒険者を引退した身だから、今日はいないものと思ってちょうだい。あと、私のことはオルヴァちゃんって呼んで♪」

 にっこり笑うおばちゃんに、二日酔いのミーチカがつれない態度をとる。

「ふん。ネクラさんのおばさんだかなんだか知らないけど、とことん尊いあたしにアドバイスなんて、百年早いよ」

 俺に助けてもらわないと馬も降りられないくせに、強気な発言だな。

 しかし、こいつの場合、百年早いはあながち大げさじゃない。年齢はおばちゃんと百歳以上離れてるわけだし。全然、それらしく見えないけど。

「あなたがミーチカちゃんね? 話に聞いてた通り、かわいらしいわね」

 おばちゃんに頭をでられると、ミーチカはふふんと胸を張る。

「かとーなにんげんのくせに、礼儀はわきまえているみたいだね。アドバイスを聞いてあげなくもない!」

 おい百五十歳。ちょろすぎんだろ。

「あはっ☆ オルヴァちゃん、けっこう美人さんだね。アタシ、綺麗な人ってだーい好き」

「あら、ルージェちゃん。嬉しいこと言ってくれるわね」

 握手をかわしながら、ルージェは小声でつぶやく。

「もう少し色気があると言うことないんだけど、アタシの手でかわいい系のおねえさんキャラをド変態に開発するっていうのも、なかなかいいかも。ぞくぞくきちゃう……」

 おばちゃん、逃げたほうがいいかもしれないぞ。おばちゃん自身も大概だけど、ルージェはそれ以上の変態だから。男女見境ないし。

「オルヴァさん。色々とよろしくね」

 だから色々ってなんだ。妙な含みを持たすな。あと、おばちゃんの身体をめまわすように見るな。

「ダウリナ・プランジットです」

 最後にダウリナが馬から降り、頭を下げる。

「よろしくお願いします。仲間づくりのアドバイス、ぜひほしいです!」

 俺の企みに一切気づくことなく、彼女は純粋な眼差しをおばちゃんに向ける。こ、心が痛い。

「あらよろしく。……へナンチャラ教にアドバイスなんてあげないけど」

「ひっ」

 しかし、ダウリナに対してだけは冷たく言い放つおばちゃん!

 ダウリナが後ずさったのも無理はなかった。だって、目だけ笑ってないんだぜ? 歴戦の冒険者だけが込められる殺気みたいなのも加わってて、めっちゃ怖かったわ。

「……クラムさん、なんだか私って、オルヴァさんに嫌われてます?」

 ダウリナはススッと近づいてくると、俺に訊ねてきた。

 そりゃ気づくよね。他の人への態度と、明らかに違うもんね。

「おばちゃんはフーディール教なんだよ。あとは察してくれ」

「フーディール教! 私、《火炎拳》のゲイルと、《冷凍脚》のマイオンのCPは完璧だと思います! 技も性格も正反対なふたりが大会で対戦するたび、何度萌え死にかけたことか……!」

「だから、そういう会話を慎もうって話!」

 天然すぎて全然わかってない!

「あ、フーディール教の方はこういう話題お嫌いなんでしたよね……。わかりました。今日ばかりは、お口ふさぐのがんばります」

 ダウリナは唇を固く結ぶ。まあ、今日は俺とCPできる男が他にいないから、気をつけてさえいれば大丈夫かもな。

 俺たちは門の前に馬を繋つなぎ、その周囲に魔物除けの銀粉を振りまく。これを怠ると、馬が狼や魔物に食べられる恐れがある。前に遠出したとき、銀粉をまくのを忘れたせいで、徒歩で帰らなきゃならないわ、レンタル屋に賠償しなきゃならないわで大変だったんだよな……。

 さて、はぐれ魔族を探すとするか。

「ねえクラムン」

 廃墟の街へ足を踏み入れるとすぐに、ルージェが話しかけてくる。

「オルヴァ・レジームが親戚だなんて聞いてなかったんだけど」

「ルージェ、おばちゃんのこと知ってるのか?」

 俺は驚いて訊ねる。

「そりゃスマホンで危険人物リストを見れば……ぢゃなかった。冒険者を引退したとはいえ、《煉獄拳闘術デツドリイ・アーツ》のオルヴァといえば有名だしね」

 ……拳闘大会のチャンピオンだしな。フーディール主催の大会は、裏の世界じゃ賭けの対象にもなってるみたいだし、盗賊のルージェが知っててもおかしくはないか。

「しかし、なるほどね……。確かにクラムンの戦い方って、《煉獄拳闘術デツドリイ・アーツ》に通ずるものがあるっていうか……。身内だったからか……」

「あー。おばちゃんは俺の修行相手でもあるからなー。師匠ってほどでもないけど、参考にはさせてもらってるかも」

「なに話してるの?」

 前を歩いていたおばちゃんがしやべっている俺たちに気づいて近づいてくる。

「いや、なんでもない」

『おばちゃん』呼びを聞かれたのかと思って、俺は慌ててごまかす。

「ふうん? ところでルージェちゃん、そろそろ腕の見せどころよ?」

「え?」

 いきなりそう振られて、ルージェはげんに首をかしげる。

「だって、はぐれ魔族を捜すんでしょ? こういうときは盗賊が痕跡を見つけなきゃ、ねえ?」

 当たり前のように言うおばちゃん。

 な、なるほど、ひとりで冒険してたときはしらみ潰しに捜さなきゃいけなかったけど、盗賊がいるとそんなこともできるのか!

 さすがパーティを組んだことのある人は違うぜ!

「こ、痕跡? あは……」

 ところが、仕事を任された女盗賊は見るからに顔をひきつらせた。

「どうしたの? 魔族の追跡なんて、盗賊のスキルとしては初歩の初歩じゃない」

「しょ、初歩の初歩だよ、うん。アタシくらいの盗賊になるとね、あは、もう目をつむってても痕跡をたどれるっていうかー」

 視線を泳がせ、完全に挙動不審になるルージェ。

「まさかお前……、できないのか?」

「ク、クラムンなに言っちゃってんの? できるできる。ん、んー。た、たぶんー、あっちのほうぢゃないかなぁー?」

 うわ、超適当に右の道を指さしやがった。できないにしても、せめて痕跡を探そうとする演技くらいしようぜ!

「痕跡をたどるなんて、かとーなビッチビチにできるわけないよ。できるとしたらせーぜー、利用できそうな男の後ろについてまわるくらいでしょ」

 二日酔いと馬酔いが合わさって青い顔をしてるくせに、ケンカ売る元気はあるんだな、ミーチカ。

「ちょっと、聞き捨てならないんだけど。アタシが男についてまわる? 男がアタシについてまわるの間違いでしょ?」

「はいはい。無能なビッチにかわって、あたしが見てくるよ」

 ミーチカは肩をすくめたあと、愛用のワンドを振るった。

 すると、彼女の靴は地面から離れ、小さな身体はふわりと宙に浮く。

「おお」

浮遊フロート》の魔法というよりは、彼女が得意とする《念動力サイコキノ》で自分自身にかけてる感じだ。しかし、やはり二日酔いが悪影響をもたらしているのか、軌道はふらふらして危なっかしい。

 まさか落ちやしないだろうなとハラハラしたけど、しばらくするとミーチカは親指大に見えるほどの高さで停止した。

 確かにあの位置からなら、街全体を見渡すことができるな。はぐれ魔族が屋外に出ているなら、すぐに見つけることができるだろう。

「なにか見えるかー?」

 俺は大声でミーチカに訊ねてみる。だが、姿が小さいせいで反応してくれているのかもよくわからない。

 ――ポトッ。

「ん?」

 頭の上に、なにかが落ちてくる感触があった。

「雨降ってきた?」

「雨? こんなに晴れてるのに、ですか?」

 ダウリナが怪訝な表情を返す。

 彼女の言うとおり、空は晴天そのもの。ミーチカ以外には、雲ひとつすらありはしない。じゃあ、一体なにが落ちてきたんだ。そう思って頭を触ると、髪には白い液体がついていた。指のにおいを嗅いでみると……、なんか酸っぱいにおいがする。

 このにおいは、俺がよく知ってるにおいだぞ……。

「お、おげぇえええ……」

 太陽の光を浴びて、きらきらと輝く――ゲロ。

 うわ汚い! ミーチカのやつ、はるか上空で吐いてやがる!

「み、みんな逃げろ!」

 あぶねぇ! 俺はすんでのところで舞い落ちてくるゲロをかわす。しかし、ホッとした瞬間、俺は近くにいたおばちゃんにぶつかった。

「わわっ」

 勢い余って、俺はおばちゃんを巻き込んで倒れてしまう。

「いてて、オルヴァちゃん、大丈夫?」

「あんッ!」

 そう気遣った俺は、手に柔らかい感触を覚える。こ、これはおっぱいだ。まじか、硬い腹筋と、こんなに柔らかいおっぱいって、両立できるもんなのかよ!

 って、感心してる場合か!

「クラムちゃんったら、昔からおっぱい好きなんだから。こんな偶然を装わなくても、お願いしてくれたら触らせてあげるのに」

 ポッと頬を赤らめるおばちゃん!

「懐かしい。昔から一緒にお風呂入ると私のおっぱい触ってたもんね」

「うわぁ……」

 絶句するルージェ。こ、子どもの頃ってそんなもんでしょ?

 マズい、早くどかなきゃ。このままだとまわりから誤解されるだけじゃなく、母さんにもあることないこと吹きこまれかねない!

「ご、ごめんおばちゃん! 今のは不可抗力っていうか――」

 慌てて飛び退いた俺の身体に、

「誰がおばちゃんかこらぁー!」

 鋭い鉄拳がめり込んだ。

 慌ててると出ちゃうよね、昔からの呼び方って。

 地上へふらふら降りてくると、倒れ込むように俺に身体を預けてくるミーチカ。

「き、気持ち悪い。こんなときに空中浮遊なんてするんじゃなかった」

 お前のせいで、俺もさっき宙に浮いたぞ。魔力じゃなく、物理の力で。

「あはっ☆ アタシがビッチビチなら、チカちゃんはゲッロゲロだね☆」

「うう……」

 もはや言い返す気力もないみたいだ。二日酔いの身体で無茶するから。

 魔族も見つけられてなかったみたいだし、ほんと散々だな。

「では、次は私にお任せください」

 張り切って前に出たのはダウリナだ。

「ふん、ヘナンチャラーカ教になにかできるの?」

 意地悪におばちゃんが言っても、ダウリナはへこたれない。

「見ててください。ここはたくさんの方が亡くなられている土地なので、ヘウレーカさまのご加護をたくさん受けられるはずです」

 ダウリナはすうっと息を吸うと、叫んだ。

「ここに眠っている死者のみなさーん、朝ですよー!」

 ボコボコッ!

 彼女の呼びかけに応えて、地面から十体近くの《動く骸骨スケルトン》が現れる!

「すごい。邪教司祭の本領発揮だな!」

 でも女子が幼馴染を起こしにきたみたいな軽いノリで、場の空気をホラーに持っていかないで!

「さあ、骸骨のみなさん。この地に潜む魔の者を見つけてくださーい!」

 なるほど。骸骨を操って、ローラー作戦を展開しようってわけだ。これはなかなか効果ありそうだぞ――なんて思ったのもつかの間、ダウリナの命令を受けた骸骨たちの窪んだ目は、一斉にルージェへと集まる。

 ガシャ、ガシャ、ガシャン――

「ちょ、ちょっと、なんでアタシに向かってくるわけ!?」

「あ、あれ? おかしいですね」

 ダウリナが唇に手を当てて原因を考えているあいだにも、包囲網を狭めるように、物言わぬ骸骨たちがどんどんルージェに迫ってくる。

「は、早くとめてー!」

 ルージェが悲鳴をあげて頭を抱えたとき、

「――破ッ!」

 おばちゃんが《勝利者の進軍フーデイール・ラチエツト》を装着した右手をブンッと振り回した。破壊力の凝縮された回転に巻き込まれた骸骨たちは、砂糖細工みたいに粉々に吹き飛ぶ。

「こ、怖かったぁ……」

 バラバラになった骸骨を確認して、ほっと地面にへたり込むルージェ。

 ……確かに、今のは怖いわ。俺もとっさには動けなかったもんな。

「リナっち、気をつけてよね!」

「すみません、すみません!」

 怒られて平謝りのダウリナ。まあ彼女の神聖魔法が低確率で暴走するのは知ってたけど、なにもおばちゃんがいるときに失敗しなくても。

「だからヘナンチャラーカ教は……」

 これで完全に、おばちゃんのなかのダウリナの評価は確定したな。ただでさえヘウレーカ教ってことで悪印象だったのに――

「それにしても、なんでルージェばっかりに向かってきたんだろう。暴走したんなら、他の人が襲われてもよさそうなもんだけどな」

 俺はダウリナが骸骨に出した命令を思い出してみる。確か『この地に潜む魔の者を見つけ出せ』だったか。

「あ、あははっ☆ アタシが魔性の女だからかなっ☆」

 なぜか焦った様子で立ち上がるルージェ。

「死人にも伝わるアタシの魔性っぷり! やん、自分が怖ぁーい!」

 そしてダウリナと肩を組むと、ルージェは冷めた声でボソッと告げる。

「ちょっと、今度からあの魔法使うときには、捜索対象や攻撃対象をもう少し絞ってよね。名前を言うとか、指差すとかさ」

「わ、わかりました」

 ……よくわからないが、今の失敗はダウリナだけが原因ってわけじゃなさそうだな。

「……あなたたち、揃いも揃って全然ダメね」

 ルージェが襲われた理由について考えていると、おばちゃんが盛大にため息をついた。そして俺の飲み友達をひとりひとり指差していく。

「敵の足跡も追えない足元の不安な盗賊」

「むっ。……鍵開けは得意だし」

「口から呪文じゃなくゲロを出す魔法士」

「ふ、二日酔いさえなければ……」

「死者を冒涜した上に暴走させる僧侶」

「ご、ごめんなさーい!」

「あなたたちは仲間をつくる、つくらない以前の問題! 冒険局に勤める人間として、よく冒険証をもらえたわとびっくりするわ!」

 仲間づくり相談所でいつも冒険者たちをしつするノリで、興奮気味におばちゃんが責め立てる。

「オ、オルヴァちゃん、そこらへんで」

 言い過ぎじゃないかと思ったからとめたんだけど、

「オルヴァ流仲間づくり心得第五条。言ってごらんなさい」

 そんな俺に、おばちゃんは心得の内容を答えさせようとする。

「……一角獣ユニコーンは、駄馬とは群れない」

 一角獣は、その角が霊薬の材料になることから、常に狩人たちから狙われている。だから孤独を愛し、姿が似ているからといって、馬と群れることはない。襲われたとき、まず犠牲になるのは自分よりも足の遅い、他の馬だからだ。

 つまりこの心得の意は、低レベルな冒険者は低レベル同士で固まったほうがいい。高レベルの冒険者は、低レベルとパーティを組むくらいならひとりでいたほうがいい、ということ。

「よくできました」

 おばちゃんは三人に向き直ると、最後つうちようと言わんばかりに声を張る。

「要するにあなたたちは、私のかわいい甥っ子の仲間には、全然ふさわしくないってこと!」

 三人は、しーんと静まり返った。うう、最初から決別するつもり満々だったし、おばちゃんのダメだしは予定通りなんだけど、心苦しくなってきた。

 いや、お前らが大人しく黙ったままとか、らしくないだろ。味方するわけじゃないが、なんか言い返せよな。

「べ、別に私、ネクラさんの仲間になろうなんて思ったことないし!」

 そうそうミーチカ。そういうのでいいんだよ。ゲロ吐いたおかげでだいぶ体調戻ってきたみたいだな。

「あたしは《影の剣王》さまの仲間になるの! あたしの理想はとことん高いんだからね!」

「じゃあなんで、クラムちゃんと一緒にいるの?」

「え?」

 えへんと胸を張るミーチカだったが、おばちゃんに鋭く攻め込まれると、途端に気弱になって指をいじいじし始める。

「そ、それは……クラムといると生活費がかからないし……」

 そこはもうちょっといい理由を思いつこうぜ。悲しくなってくるから。

「あと、あたしたちが一緒にいてあげないと、クラムのネクラさんはもっと悪化すると思う! だから、ついていてあげないとね!」

 うお、今度は上から目線だ。うん、離婚するカップルの気持ちが少なからずわかった気がする。お互いを尊重しあうって大事だよね。

「あのね、ミーチカちゃん。慣れ合いでやっていけるほど、冒険者は甘い職業じゃないわよ。生き別れるなら良いほう。……ときには死によって、永遠に会えなくなることもあるんだから」

 最後は目を逸らすようにしておばちゃんが言い、ミーチカはグウの音も出なくなる。

 だって、言葉の重みが違うよ。

 おばちゃんが冒険者を引退した理由は、俺だって知ってる。

 ――パーティの要だった勇者を、魔族との戦闘でうしなったからだ。

「あたしは……」

 ミーチカが、それでもなにかを口にしかけたときだった。

 ――グロォォオオオン……!

 そんな化物のたけびが聞こえたのは。

「今の……」

 その場にいた全員が顔を見合わせ、にわかに警戒心を取り戻す。

「……ああ、はぐれ魔族だ」

 しかも、かなり近い。俺たちは雄叫びのした方角へ視線を走らせる。

「いた、あそこ!」

 ルージェが廃墟の屋根を指差す。そこには人狼のような、毛むくじゃらの魔族が前かがみで立っていた。

「あれがはぐれ魔族か……!」

 魔族は知能の高い生き物だ。人より優れた頭脳を持つ者も少なくない。

 けれど、パッと見た印象ではそのはぐれ魔族に理性らしきものは感じられなかった。見開かれた目はひどく充血し、口の端からはよだれが泡になって垂れている。

「おそらく十年前の生き残りね。《孤高能力ソリチユード》は、どんなに傷を負っても再生してくる……といったところかしら」

 ちなみに《孤高能力ソリチユード》というのは、魔族それぞれが持つ固有能力のこと。魔法とは違い、完全に体質に依存した力である。

 それにしても、なんてタイミングで出てくるんだ。

「ようし、あたしがとことん尊い魔法士だって、見せてあげるんだから!」

「ま、言われっぱなしなのはしやくだし、アタシもがんばっちゃおうかな☆」

「待ってください。私もオルヴァさんに認められたいですー」

 我先にと、魔族へ向かって駆け出す三人。

「あ、ちょっと!」

 ダメだ、こうなったら引き留められない。想像してたとおり、怒られた子どもが親にいいところを見せようとする心理全開だよ。空回りしないといいんだけど。

「あの威圧感。元は伯爵級の強さと見たわ」

 おばちゃんは魔族を見やり、あごに手を当てる。

「理性を失って見えるのはなんでなんだ?」

「おそらく、十年前の戦闘で脳をつぶされたんじゃないかしら。それで再生に長い年月がかかったし、知能もすっかり失ってしまった……。そう考えると納得がいくわね」

 そう言って、なにかを確認するように《勝利者の進軍フーデイール・ラチエツト》を装着した右手をにぎにぎと開閉するおばちゃん。

「うん……、たとえ理性を失っているとはいえ、あの子たちじゃあれを相手するのは無理ね。私たちで、あの子たちを守らなきゃ」

 急いで後を追おうとするおばちゃんの肩を――俺は掴んでとめる。

「どうしたの? クラムちゃん」

「安心して。《勝利者の進軍フーデイール・ラチエツト》の出る幕はないよ」

「え?」

「まあ、のんびりいけばいいよ。あの三人、やるときはやるからさ」

「いや、だってあんなダメな子たちが魔族を相手にするなんて」

「いーからいーから」

 俺は距離を縮めながらも、彼女たちの戦いを見守ることにする。

 三人の先頭を行くのは、一番足の速いルージェ。敵の接近に気づいた魔族は、屋根を蹴って彼女に襲いかかる。

「がっついちゃって、かわいくなーい☆」

 魔族の鋭く尖った爪を、ルージェは余裕をもってかわす。

 すぐに向き直り、次の一撃を繰り出そうとした魔族は、その刹那、紫の筋によってがんじがらめにされた。ルージェの持つ紫色のむちが一瞬にして相手の動きを封じたのである。

「壁ドン、体験してみる?」

 ルージェはクンッと鞭を持った手を軽く動かす。と、まるで魔族の巨体は重みを無視したように浮き上がり、廃墟の壁に強く叩きつけられる。

「な……!」

 うん、おばちゃんが驚くのもわかるよ。

 おばちゃんのパンチをけられるやつはリオレス中捜してもあまりいないだろうけど、そのなかにはきっとルージェも入る。

 もしかしたら飲み友達のなかで戦闘能力の底が一番見えないのって、あいつかもな。まだ全然、本気を出してないっぽいし。

 壁にぶつかった拍子に鞭の拘束が緩んだのか、魔族は再び雄叫びを上げると、ルージェに襲い掛かろうとする。

 そこへどこからともなく飛んできたのは――三本の白い矢だ。

 野生の勘が働いたのか、魔族は遠距離からの攻撃にも気づき、大きな腕を振るって矢を打ち落とそうとする。だが、矢は空中で軌道を曲げ、防御をするりとかいくぐってその胴体に突き刺さる。

「グォオオオオオオ!」

 紫色の血を流し、苦しそうにあがく魔族。

 刺さった矢をよく見れば、その正体は緩やかに曲がった骨。

 これでこの矢を操っていたのが誰か、はっきりした。

「死霊さんが誘導してくれる《肋骨の矢リブ・アロウ》です♪」

 うん。街中とかじゃ戦闘能力ほぼ皆無だけど、ダウリナって、廃墟とか洞窟とか、幽霊が出そうな場所で戦わせたら相当強いよな。

 しかもあの矢、ただ敵を追尾するだけじゃなさそうだ。矢は魔族に当たってからも、どんどん身体の内側へと食い込んでる。

「ウグロォオオオ……!」

 痛ったー、見てるだけで痛いわあれ。

「お願いだから、今のはアタシに当てないでね……」

 さっきダウリナの操る骸骨に襲われたばかりのルージェが、冷や汗をかきながら言う。

「大丈夫ですよぅ。さっきみたいな失敗は、たまにしかありませんから」

『滅多に』じゃなく『たまに』くらいの頻度なのが怖いんだよな。油断したころにやってくる、みたいな。

「ビッチビチ、邪魔! あたしのとことん凄い魔法に巻き込まれたくなかったら、そいつから離れて!」

 やっと追いついたミーチカが、ルージェに向かって叫ぶ。

「精霊よ、あたしの代わりにやっつけて! 《紅の昇竜プロミネンス》!」

 ルージェが飛び退くとほぼ同時、魔族を中心にして、紅蓮の竜巻が勢いよく巻き上がった。ここが廃墟の街じゃなかったら、大火事を起こしかねないほどの巨大な炎の柱だ。

 適当な呪文を口ずさみ、ワンドを軽く振っただけで、この威力。

 ミーチカは生まれながらに魔法士と言われるエルフだ。炎の魔法を使わせたら、ランクAの魔法士でも彼女の足元にも及ばない。

「へぇー……、なかなかやるじゃない」

 見直したというように、おばちゃんが呟いた。

「だろ? っていたたた!」

 なんだか自分が褒められたみたいに嬉しくなったんだが、そんな俺の耳をおばちゃんが強くつねる。

「だろ、じゃないでしょ」

 そしてギリギリまで顔を近づけ、俺に問う。

「クラムちゃんはあの子たちを仲間にしたいんだったっけ?」

「ち、違うけど」

「だったら今の反応はおかしいでしょ。そもそもクラムちゃんはイケメンだけの男パーティを組まなきゃいけないんだからね!」

 そ、そんなにおかしいかなぁ。……うん、言われてみればそうかも。

 しかし、イケメンだけの男パーティか……。目的は全然違うものの、おばちゃんの言ってることってダウリナとほとんど大差ない気がしてきた。

「大体、冒険者はいつも本来の力を出せてこそ! あの子たちはムラッ気がありすぎる。まだまだ認めるわけにはいかないわ」

 手厳しいなー、まあ本当のことだけどさ。

 そんなことを話していると、ミーチカの生み出した炎の竜巻が次第に小さくなってきた。

 完全に火が消え去ると、さっきの魔族が倒れているのが見えた。毛がびっしり生えていた皮膚は真っ黒に焦げていて、もはやどんな顔だったのかすら判然としない。

「ふふん、やっぱりあたし、とことん尊い!」

 偉そうにミーチカが言うと、とどめをさせたかどうか、魔族の死体を間近で確認しようとする。

「あ、ミーチカ。油断するなよ!」

「へ?」

 おばちゃんの仮説が正しいなら、こいつには高い再生能力があるはずだ。

 案の定――魔族は黒焦げになりながらもバッと起き上がり、俺たちとは逆方向に逃げ出した!

「あーッ! あたしのお手柄が! こら、逃げるなー!」

 慌てて駆け出すミーチカだったが、いかんせんチビで歩幅が狭すぎる。四足で獣に近い速度で走る魔族に、ついていけるはずもない。

「はあ、肝心の詰めが甘いんだよな……」

 今日は俺だけ活躍してないし、とどめは任せてもらうとするか。

 素早く《多重高速化マルチアクセラ》をかけると、俺は逃げる魔族を追おうとした。

 ところが――魔族が道を曲がった瞬間、汚い叫び声が廃墟の街に木霊する。

 それは明らかに、さっきのはぐれ魔族の断末魔だ。

「な、なんだ?」

 走り出し、すぐさま俺は曲がり角にたどりつく。するとそこには純白のよろいを着た剣士がいて、己の剣についた魔族の血を拭き取っていた。

「あれ……? クラ虫がなんでここにいンだ?」

 魔剣 《ガランシェラッド》を持ち、リオレス最強ともいわれる剣士セラ。

魔族は一瞬にして微塵に切り刻まれたらしく、もはや再生する気配は欠片かけらもない。

「それはこっちのセリフだよ、セラ!」

 遅れて追いついたミーチカが、魔族の死骸を見てぷんぷんと怒り出す。

「とどめはあたしの魔法でさすはずだったのにー!」

「はは。そりゃ悪りィことしたな、ミーチカ嬢。いや、クエスト・ボードにオレ様向きの仕事が貼ってあったからよ」

 誰が依頼をこなすかは早い者勝ち。

 それはわかってるけど――またいいところを持っていきやがった。

「あたしたちも、その魔族を倒すために冒険してたの! それなのにいきなり出てきて、とことんきたない!」

「いやぁ、知らなかったのにきたないとか言われてもよ……。それにしても、このメンツで冒険してたのか。ならオレ様も呼んでくれりゃいいのに……」

 少し寂しそうにするセラ。へっ、誰がお前なんか呼ぶか。

「…………クラムちゃん、このイケメンは誰?」

 ひとり状況についていけてないおばちゃんが、俺に訊ねてくる。

「ああ、セラ・シュバッツブルク。《光の剣帝》って言ったほうがわかりやすいか? 昨日言ったろ。大嫌いなのに、同じテーブルで飲もうとするやつがいるってさ」

「《光の剣帝》セラ・シュバッツブルク……」

「どうかした?」

「クラムちゃん……、でかしたわ」

「は? なにが?」

 俺の問いには答えず、放心した様子でふらふらとセラに近づいていくおばちゃん。

 ……あ、マズい。これは変なスイッチが入っちゃったっぽいぞ。

「ん、なんだ。オレ様になにか用でもあんのか?」

 突然目の前までやってきたおばちゃんを、セラは訝いぶかしげに見つめる。

「用はないけど、愛ならあります」

 おばちゃんの瞳は、少女みたいにキラキラと輝いている。

「愛……? は、はぁ」

 予想どおり、意味不明という表情を浮かべるセラ。

 かわいそうに、同情するぜ。ほんと、この人はイケメンに目がなさすぎるんだよな。面食いも、ここまで来るとタチが悪い。

「私はオルヴァ・レジーム。セラ・シュバッツブルクさん、あなたが私の、白馬の王子さま?」

 しかも、愛が唐突な上に思い込み激しいんだよ。その歳になって、どうしてそういう恥ずかしいセリフを無邪気な乙女みたいな口調で言えるのかね。

「え、おいクラ虫。なんなんだこのお姉さん」

「わあ! 私のことをお姉さんと呼んでくれるの? 結婚する?」

 ああ、俺がおばちゃんおばちゃん言うせいで、ただの『お姉さん』が褒め言葉に昇格してるよ。

 しかし、いきなり結婚を口にするのはダメだぞおばちゃん。どんなに器の大きい相手でも、引くこと間違いなしだから。

「は? え? ちょ、クラ虫。助けてくれ、この人、なんか怖い」

 たじたじになっているセラ。きっと、竜や高位魔族を相手にしてもあんな顔はしないだろうに。おばちゃん色んな意味で強すぎ。

「大丈夫。俺の親戚なんだけど、適当にあしらっといても問題ないから」

「そ、そうなのか?」

 問題なく、飽きるまで惚れ続けるから。

 それこそ、ストーカーみたいに重い愛で。

「……ネクラさんは、あの人に仲間づくりの相談をしてるんだよね?」

 ミーチカが訊ねてきたので、俺は「ああ」と頷く。

「なんか……、ネクラさんに仲間ができない理由のひとつが明らかになった気がするよ」

「奇遇だな。実は俺もそんな気がしてたところなんだ」

 ムラっ気のある冒険者はダメとか、どの口が言うかね。

 俺はセラに迫り続けるおばちゃんを眺め、ため息をついた。

 結局、なーんにも変わってないよな、俺の冒険環境。

「さて、《旅の道連れ》亭に帰って、飲むとするか……」

 今日ははぐれ魔族を倒した分、お金もたんまり入りそうだしな。

 ランクが上がらないよう、記録所には他の人に行ってもらうとして――

 あ、ウェズ兄さん。記録所にきちんと報告しにいけるのは、まだまだ先のことになりそうです。

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