第7話 ネクラ勇者、剣帝との決闘をスッポかす 前編

 誰かのためになにかをするのは、良い気分だよな。

 道に落ちてた財布を巡回騎士の駐屯所に届けたり、毒で倒れてた冒険者に回復薬を使ってやったり、小さな村を困らせていた盗賊団を懲らしめたりさ。

 俺は気づかれないうちにこっそり立ち去って、助かったり、幸せになった人が『誰がこんな素敵なことをしてくれたんだろう?』と思っているところを想像するのが、結構好きなんだ。

 もしかしたら相手は、なにかをしてもらったってことにすら気づかないかもしれない。

 でも、それもまた趣があって良いんじゃないか?

 なんていうか、クールでハードボイルドな自分に浸れるからな。

『誰にも気づかれないのにこんな献身的なことやっちゃう俺、カッコよくない?』的な。

 てか、面と向かって感謝されても、ムズがゆくなるだけだしなー……。

 褒められなれてるヤツならきっと嬉しいんだろうけど、俺みたいに卑屈だと『こんなに感謝してくれてるけど、裏では調子に乗ってると思われてるんじゃないか』とか『上手く謙遜することができなくて、いえいえ……、くらいしか言えない俺、カッコわりぃ』なんて風に考えちゃうわけだよ。

 うん、やっぱり良いことするときは、バレないのが一番だ。

 でもさ……、たとえばその善行をしてあげる相手が『顔を合わせるのもイヤ』ってくらいに大嫌いなヤツだったら、どうだろう?

 不遜で、自信家で、なのに人気があって、俺の持っていないものをたくさん持っているようなヤツだったら。

 お前気づけよって思うよな。俺がこんなに頑張ってやったのに、なにスルーしてんだって。ちょっとはありがたみを感じろよって。感謝感激して、毎日決まった時間になったら俺に向かって礼拝しろって。

 え、そこまでは思わない? ……まあ、最後のは言い過ぎか。

 とにかくだ。そんぐらい、嫌いな相手にはなんにもやってあげたくないってこと。

 ……あーあ。でも、でもだ、どんだけイヤでも、男にはやらなくちゃいけないときってのがあるんだよな……。

 今回は、ぶっちゃけそんなお話だ。

「ふぃー。今日もお酒がおいしいのら!」

 同じ円卓に座っているミーチカはジョッキをテーブルに叩きつけ、真っ白になった口元をぬぐう。

「お酒って……、アナタが飲んでるのはただのミルクでしょ」

「細かいこと言わなーい! 酔えるんらからおんなじらない!」

 ルージェへの返しは、酔ってろれつが回っていない。

「あ、ごめんごめん。お子ちゃまは酔えればそれでいいんだもんね。フフッ、熟成された葡萄酒ぶどうしゆの味なんて、わかりようもないよねっ☆」

 ルージェは挑発し、大人びた優雅な仕草でグラスを傾ける。

「ふん、そういうあなたらって、熟成されたミルクの味はわからないれしょ」

「熟成されたミルクって、腐ってるだけぢゃん」

「ぐぬぬ……」

「まあまあ、ミーちゃん。好きな飲み物は人それぞれでいいんですよ」

 ダウリナが小さなミーチカの身体を後ろからむぎゅっと抱きしめる。

 ちなみに彼女が飲んでいるのは柑橘系かんきつけいの果実酒だ。

「酔っぱらったミーちゃん、温かくて柔らかくて気持ちいいですぅ……」

 そういって、目を細めながら頬をすりすりするダウリナ。

 彼女はさっきから、自分の太ももの上にミーチカの小さな身体をのせてご満悦だった。

 こう毎日毎日ダウリナにおごってもらってたら、ミーチカのやつ、太るんじゃないか――と考えたところで、俺はハッとした。

 西方の国では、牛に酒を飲ませて肉を柔らかくするっていうけど、まさかダウリナがミーチカに酒を飲ませるのも似たような目的なんじゃ。

 い、いやいやいや……。いくらダウリナの宗派が怪しげだからって、偏見は良くないな。

「はぁ。ミーちゃん、食べちゃいたい……」

 俺はエール酒を飲み干して、今の発言を聞かなかったことにした。

 ここは行きつけの酒場、《旅の道連れ》亭。

 俺と同じ円卓に座っているのは、いつもの面子といって差し支えない、三人の女性。

 その一、ミーチカ・オルレイン。魔法士。

 得意な魔法は炎系と念動力。

 外見は酒場にいたらマズいほど幼く見えるが、本当の年齢は俺よりもはるかに上。なぜなら彼女は長命のエルフだからだ。けれど、己の種族を隠すため、とがった耳にはいつもイヤーマフを装着している。

 飲んでいるのはお酒ではなく、ミルク。エルフは魔力が高いだけじゃなく、ミルクで酔うことができる特異な種族なんだ。飲み始めるとすぐに気持ちよさそうに顔をとろけさせるので、ちょっと羨ましい体質だったりする。

 その二、ダウリナ・プランジット。僧侶。

 ヘウレーカ教の司祭で、劇の脚本・演出なんかもこなす才女だ。ちなみに彼女があがめているヘウレーカってのは邪悪な思想を持つ女神とされていて、ダウリナ自身も男同士の行き過ぎた友情(?)に異常な関心を持っている。

 女性の魅力を全て詰め込んだような体型をしている(つまり、おっぱいはデカく、腰はくびれ、お尻は丸い)だけに、趣味の残念感がハンパじゃない。

呪いのアイテムを作ることに関しては定評があるらしいんだけど、そのステータスもマジでいらないよね。怖いし。

 その三、ルージェント・ルーフレット。盗賊。

 子どもの頃からダンジョンで育ったっていうちょっと可哀想な経歴の女の子だ。鍵開けやわな外しといった盗賊の技術については見たことないけど、立ち居振る舞いには隙がないし、頭も切れる。

 身体がエロいのがダウリナだとするならば、彼女は性格がエロい。なにをやらせても挑発的なんだよな。それも意図的にやってる感じだし、見ていてドキドキする。特徴的な褐色の肌も、彼女は自分の魅力を引き立てるための武器にしてる感じだ。

 ついでだから自己紹介すると、俺はクラム・ツリーネイル。勇者。ぼっち歴十八年。趣味はまわりの冒険者たちがしゃべった『仲間っぽい言葉』を録音し、コレクションすること。妄想力の高さなら、誰にも負けない自信がある。

 って、評価されそうな点が全くねえ!

 よく考えたら人のことをとやかく言える身分じゃなかったわ……。

 あ、こんな風に並べると、全員クラスがバラバラなこともあってパーティだと思われるかもしれないけど、そんなことは全然ない。

 俺たちは全員、独り者の冒険者だ。

 このメンバーで飲むことは多いけど、パーティを組みたいかってかれたらちょっと、ねぇ……。

 だって、こいつら面倒なんだよ。

 ミーチカはヒモ化を進行させてるダメエルフだし、ダウリナの回復魔法は失敗したら即死効果があるし、ルージェはなんか裏があって危険な香りがぷんぷんするし。

 やっぱ俺の理想とする仲間たちは、断じてこいつらじゃないよな……。

 高望みって言われるかもしれないけど、俺は渋いヤロウパーティを組みたいんだ!

 そう思って、気持ち的に一歩引いて彼女たちのやりとりを傍観してたら、ふいに隣のテーブルの話し声が聞こえてきた。

「明日の決闘、一体どうなるんだろうな」

「俺は光の方に賭けるね。あいつの戦いぶりは見たことあるけど、ありゃ人間の域を超えてるよ」

「光かー。俺は影だな。噂ばっか先行してるが、強さは疑いようないだろ」

「こないだの《潮の翼》団壊滅も、やつの仕業だっていうしな」

 なんの話をしているんだ? 決闘? 光と影?

《潮の翼》団といえば、こないだ俺が成り行きで潰してしまったとこだけど。

「ん、どうしたの、クラムン?」

 ルージェがたずねてくる。聞き耳を立てているうちに難しい顔になっていたらしい。

「なあ、明日って、誰か有名人同士がりあうのか?」

「えっ!? クラムさん、知らないんですか?」

 ダウリナが驚いた表情を浮かべる。

「リナっちー。クラムンはぼっちだから、情報が入ってこないんだよ」

 え、なに、話題から取り残されてるの俺だけ?

「ここの掲示板にも貼ってあるのに……。明日決闘するのは、セラさんですよ」

「あ、なんだ、あのクソ野郎かよ……」

 光がどうのってのは、セラのことか。あいつ、《光の剣帝》なんて大層な名前で呼ばれてるからな。

 うわ、一気に興味が失せたぜ……。

「クラムさん、本当にセラさんが嫌いなんですね。どうしてですか?」

「……言いたくない」

 駆け出しのとき仲間に誘ったらこっぴどくフラれた――なんてカッコ悪くて言えるかよ……。

「でも、あいつと勝負になるやつなんて、リオレスでも数えるほどしかいな

いんじゃないか?」

 悔しいけど、アイツの強さは本物だ。

「巡回騎士団長か、《道化衆クラウンズ》でも出てくるのかよ」

 巡回騎士団長のアルザック・バーレンスタインは、冒険者たちからも一目置かれてる剣士だ。彼が従える四人の部下 《道化衆クラウンズ》もまた、恐ろしく強いと聞く。

 だが、ルージェはアハハと笑って頬杖ほおづえをつく。

「それが、相手は影の剣王なんだよねー☆」

「え――――――――――っ! 剣王さまっ!?」

 俺よりビックリしてみせたのは、ミーチカだった。てか、俺はむしろその叫び声に驚いた。

「なんだ、お前も知らなかったのか」

 さっきまでいかにも知ってそうな落ち着き顔でミルクを飲んでたくせに。

「そ、その決闘、どこ、どこであるのっ?」

 しかもちょっと酔いがさめてるじゃないか。こいつにとって《影の剣王》はどんだけ重要なんだよ。ちょっと腹立つ。

「たしか、王立闘技場だったはずですよ」

「へぇ……。ずいぶんとデカいところで」

 普段は剣闘士が戦ってる場所だ。入ったことはないけど、円形をした観客席には二万人まで収容できると聞いたことがある。

「そりゃね。かたや打倒魔王の期待を背負う天才、かたや全てが謎に包まれた英雄だもん。言いだしっぺは剣帝らしいんだけど、それを聞きつけた興行関係者がもうけられると踏んだみたい。ま、入場料と賭け金をとれば、闘技場を貸し切ったってお釣りが来るよね☆」

「でも、そんな便乗商法、よくセラさんが認めましたよね。彼、お金儲けとか嫌う人なのに」

「手段問わず、《影の剣王》が決闘を受けざるをえない状況を作りたかったんじゃない? 事実、剣王から決闘を受諾するって内容のメールが届いたのも、決闘場で闘ることが決まってかららしいし……」

「へえ。剣王からも反応があったんだ。じゃあ、ついに正体を明かすのか」

 そう口にしたところで俺はルージェがこちらをじっとにらんでいることに気づいた。なぜか同じように、ダウリナも俺に視線を向けている。

「? な、なんでそんなに見つめてくるんだ?」

 なにか俺、悪いことしたか?

「んーん、なんでもないっ☆」

「……まあ、よくあることですよね。大体、メールが本物だと証明する方法なんて、ひとつもないんですから」

 あの、ふたりだけで訳知り顔しないでもらえますか?

 訳がわからないんだけど……。

「じゃあ、明日決闘場に行けば、剣王さまに会えるんだぁ……」

 一方、ミーチカは恋に恋する乙女の表情でうっとりとつぶやく。

「ふーん。チカちゃんは観戦するんだ。セラ相手ぢゃ、さすがの剣王様も負けちゃうかもしれないのに」

 また……。ルージェは意地の悪いことを言う。

「なに言ってるの? 《影の剣王》さまが圧勝するに決まってるもん!」

 ほら、またミーチカがムキになるだろ。

「でも光と影なら、光の方が強そうぢゃない?」

「分かってないなぁ。これだからビッチは。いい? 光あるところには必ず影ができるんだよ?」

 ……すごいドヤ顔で言ったわりにそれ、『で?』って感じなんだけど!?

 全然うまいこと言えてないのに、そのことに気づけてすらいない!

「なら賭ける? 負けた方は勝った方の酒代を奢るってことで」

「いいよ。万が一にも剣王さまが負けるなんてありえないし」

 賭けるのはいいけど、お前は金持ってるのかよ。俺、ミーチカが自分で酒代を払っているところ、見たことないんですけど。

「ね、ね。ネクラさんも剣王さまが勝つ方に賭けるでしょ?」

 そう言ってミーチカは上目遣いに見つめてくる。

「……ま、そうだな」

 てゆーか、俺はセラが負けるところが見られればそれでいいや。いつもエラそうな奴の鼻っ柱が折れるんなら、有り金全部を賭けたっていいぜ。

「じゃあリナっちはアタシと同じ剣帝に賭けるよね」

「いいですよー」

「え、ダウリナそっち側なの!? 裏切り者だ!」

 いや、ダウリナは賭けのバランスとってくれただけじゃね?

 ほんと、相変わらず百五十年生きてるとは思えない心の狭さだな。

「うーん……、でも、そもそも決闘は行われるんでしょうか……」

「ま、本人がこれぢゃねえ」

「ですよねぇ」

 膝の上でじたばたするミーチカをほっといて、苦笑するダウリナ。だから、ふたりだけで事情通を気取るのやめてくれない?

「あー、結構飲んぢゃったかも……」

 ルージェはほろ酔い気分に浸りながら、ひとけのない道を歩いていた。足元が覚束ないのも、風の心地よい夜なら楽しく感じる。

「やっぱ人間のつくるお酒はおいしいよねぇ」

 彼女――ルージェント・ルーフレットは《紫煙の迷宮》を支配する魔族だ。

 以前は毎夜、自分のダンジョンまで帰っていたのだが、一度泥酔して逆方向に飛んでしまい「ここどこ?」状態で目覚めてからはやめた。

 今は、ネオンブリッジのはずれにある《銀の魔除け》亭を定宿としている。

 魔族――それも魔王の娘である自分が魔除けをかかげる宿に泊まっている、その皮肉が彼女をさらに愉快な気持ちにさせた。

 ところがそんな浮かれ気分は、突如として感じ取った不穏な気配に水を差される。

(……これは、魔族?)

 ネオンブリッジに来てから、自分以外の魔族の存在を感じるのは初めてのことだった。しかも、相手もこちらに気づいているようだ。

「……誰だか知らないけど、隠れてないで出てきたらどうかなあ☆」

 どこの馬の骨かは知らないが、せっかくの酔いを台無しにしたからには、それなりの用事でなければ許さない。

 呼びかけに応えて路地から出てきたのは、黒いフード付きマントの男。

 体型だけなら、人間とさほど変わらないように見える。

「《七落胤しちらくいん》のおひとり、《堕落の悪魔》ルージェント・ルーフレット様とお見受けする」

 礼儀正しいというよりは、生真面目さを感じさせる物言い。こういう言葉遣いをする魔族は、貴族階級に多い。ということは、どうやらこの邂逅かいこうは偶然によるものではないようだ。

「我はダブート・モンゴメリウス。貴公の兄上、《奈落の聖者》グレマ・ エニシェ様に仕え、男爵位を授かっている者である」

「《奈落》兄の配下ね……」

 グレマ・エニシェは、魔王の第四子にあたる。

 五十歳になるルージェだったが、会った回数は片手で数えられるほど。

 魔王の子 《七落胤》は全員母が違うこともあり、兄妹としてのきずなはほとんどない。むしろ互いを自らの権力を拡大するための邪魔者としかとらえていないのだ。

「ネオンブリッジに足を踏み入れるにあたり、まずはこの街を縄張りとされている貴公に挨拶をと馳せ参じた次第」

 そう言うと、男爵は被っていたフードを取る。ルージェはようやく、相手が顔を隠していた理由を理解した。

 ダブートの頭には、口以外のパーツがなにひとつ存在していなかった。

 目も、鼻も、耳も、眉も、髪すらもない。

 そして唯一残された口もまた、人間のそれではなかった。

 唇がない上に、本来耳のあるあたりまで、ぱっくりと裂けているのである。

 異形の魔族を見慣れているルージェだからいいものの、もしここに他の人間がいたら、恐怖で卒倒していたかもしれない。

「わざわざ挨拶なんて、兄の部下にしては殊勝な心掛けぢゃない。で、ネオンブリッジにはなにをしに来たの?」

「要人の暗殺である。いや、暗殺というにはいささか派手かもしれないが、とにかく殺すことに変わりはない」

 ダブートは淡々と、物騒なことを告げる。

「へー、誰を殺すの?」

「光の剣帝――セラ・シュバッツブルク」

 ルージェは、先ほどまで話題に上がっていた人物の登場に驚く。標的はどうせ、王侯貴族だろうと踏んでいたからである。

「どうして剣帝を?」

「これは異なことを訊く。理由は危険人物リストを作成することを使命とするリオン・シリーズを束ねるルージェント様が一番ご存知かと」

「あー、ちょっと待って」

 ルージェはスマホンを取り出すと、リオンが入れてくれた危険人物リストを開く。

 人間の偵察を使命とするホムンクルス――リオン・シリーズを生み出したのは確かに彼女だが、部下の仕事ぶりなど普段は気に留めていないのだ。

 セラ・シュバッツブルク

 戦闘能力……A

 特殊能力……C

 異常性……D

 将来性……A

 総合危険指数……90

 類まれな剣の使い手で、古今東西のあらゆる技を使いこなします。彼と戦うときには近接戦闘は選ばず、ひたすら魔法での遠距離攻撃に終始すべきでしょう。

 そして彼自身に自覚はありませんが、真に恐るべきところはそのカリスマ性にあります。尊大で自信家の男ですが、それゆえに彼の言葉には力があり、導かれたいと思う人間は後を絶ちません。

 おそらく本当の意味で脅威となるのは、彼が仲間を作ったときに他ならないはずです。

 ……なるほど。魔族の暗殺対象となってもおかしくない書きっぷりだ。

「セラ・シュバッツブルクの危険指数は、人間のなかでは数少ない90超えである。仲間のいない今こそ、叩くべきとき」

「まあ、そうだねっ。でも、ずいぶん簡単にいうけど、セラって結構強いんぢゃないの? いや、ホントよく知らないんだけど」

 興味無さそうに装いながら、ルージェは訊ねる。

 ダブートは腰に剣を提げており、どちらかといえば魔法より、武器の扱いに長けた肉体派の魔族のようだ。

 であるならば、セラとも剣で渡り合うのだろうか。上位貴族である《三大公爵》や《七落胤》ならともかく、ただの男爵では分が悪いように思えてならない。

「うむ。相手は強い。が、隙をつけばどうということはない」

「隙?」

「例えば我が、人間のフリをして決闘に参加したとしたらどうか?」

「……ははーん」

 魔族は魔法とは別に、《孤高能力ソリチユード》と呼ばれる固有の能力をひとつずつ持つ。そして初見ではとてもかわせない、極めて攻撃的な能力を持ち合わせる者もなかには存在する。

 相手は人間――そう勘違いさせられたなら、魔族の能力に警戒などしない。

「まさかセラも、人間の主催するイベントに魔族が紛れ込んでこようなんて思わないってことか」

「いかにも」

「でも、その顔ぢゃ難しくない?」

 ルージェは相手のつるんとした口だけの顔を指差す。ダブートの意図は充分に理解できる。が、その特徴的な外見ではだましようもないだろう。

「それも問題ない」

 そう言うと、ダブートは自分の顔を両手でゴシゴシと拭う。すると、手の動きに合わせるかのように、輪郭のはっきりとしていた頭から黒い髪が生え始めたではないか。

 それだけではない。顔を覆っていた手が離れると、そこにはくっきりとした目鼻立ちをした好青年のパーツがそろっていたのである。

「へぇ……」

 ルージェはダブートを少し見直した。色々なイタズラができそうな、なかなか面白い能力だ。

(あれっ? でもこれがダブートの孤高能力ソリチユード?)

 では、どうやってセラを倒すというのだろう。孤高能力をふたつ持つ魔族など聞いたことがないが。

「それでは、挨拶は済ませた。我はそろそろ失礼する」

 人間と変わらない外見となったダブートは、そう言ってきびすを返す。

「あっ、ちょっと待って」

「まだ、なにか?」

「ん、んー」

 引き留めたものの、ルージェはどうすべきか決めあぐねていた。

 セラ・シュバッツブルクとは話したことは一度もない。だが、劇に出演しているのを一方的に見て、面白そうな玩具だと思ったことは覚えている。だから正直なところ、ダブートにそれを壊されるのは面白くない。

 とはいえ、頼んで引き下がってくれるとも思えない。この挨拶もあくまで形式的なもので、ルージェに止める権利があるわけではないのだ。

 どうしよう……?

 今、ここでこいつをっちゃう……?

 ルージェントはまがりなりにも魔王の娘。本気を出せば男爵程度の魔族に負けるなどありえない。

 しかし、ルージェ自身が動いたと分かれば、兄である《奈落の聖者》グレマが黙っていないだろう。

(他のアニキ……。《落日》や《崩落》なら、まだごまかしようもあったんだけどなぁ)

 ルージェは引き留めたダブートに作り笑いを浮かべる。

「その髪が生える変装、ハゲてる人の前ぢゃやめたほうがいいよ。きっと激怒されるから」

「ククッ。心に留めておこう」

 ダブートも皮肉っぽく笑うと、もう振り返ることなく立ち去ってしまった。

 ふぅ、とため息をつくルージェ。

 よりにもよって《奈落》。

 グレマは七落胤のなかでは最も疑い深く、陰険なのだ。

 もしネオンブリッジでダブートが倒されたなら、グレマは間違いなく死体を回収し、徹底的に調べ上げるだろう。

 そこにルージェの得意な魔法や孤高能力ソリチユード、あるいは《グリージアの紫鞭しべん》の痕跡が残っていればアウト。

 グレマの派閥と闘争になるだけで終わるならまだマシ、最悪の場合、人間の味方をしたとして審問にかけられかねない。

 とはいえ、このままほうっておくつもりもない。

 ルージェは《銀の魔除け》亭へと歩を進めながら、すでにひとつのアイデアを固めつつあった。

「ふふっ。偽者を倒すんだから、ここは本物の剣王様に頑張ってもらうしか

ないよねっ☆」


「クラムー。おんぶー」

 我が家へ向かって歩いていると、へべれけになったミーチカが、だらーんと後ろから体重を預けてくる。

「ちゃんと自分で歩け、ダメエルフ」

「けちらなあー、クラムは。そんなだから仲間ができないんらよ」

「そっくりそのまま返すぞ」

 俺、クラム・ツリーネイルは決意を新たにしていた。やはり、コイツの最近の堕落っぷりは目に余るほどになっている。

 ダウリナはそんなミーチカを甘やかす一方だし、ルージェの意地悪な言い方もコイツをムキにさせるだけ。

 きちんとミーチカをしつけられるのって、結局のところ俺くらいしかいなくね? そう改めて思ったんだ。

 パーティ組んでるわけじゃないんだし、この付き合いがいつまで続くかもわからないが、どこに出しても恥ずかしくないエルフに成長させてやることこそ、思いやりなんじゃないか?

 ああ、俺ってなんて良いヤツなんだよ。こんな俺に仲間ができないのは、やっぱり神様が間違っているとしか思えない。

「まあいいや。実はねえ、今日は冒険でお金が入ったから、いいものを買ったんだー」

 そんな俺の気持ちなど露知らず、ミーチカはフンフンと鼻歌まじりだ。

「いいものってなんだよ」

 どうせくだらないものだろ。そう思って訊ねたんだが、彼女は妙に自信ありげに笑う。

「えへ、絶対クラムも喜ぶと思うよ」

 え、俺が喜ぶもの?

「な、なに買ったんだよ……」

「プププ。それは見てのお楽しみ!」

 なんだ、こういう秘密な感じ、他人のパーティがやってるの見たことあるぞ……?

 も、もも……、もしかして――サプライズプレゼントか!

「へぇー。な、なんだろうな……」

 はい、キョドった!

 だって俺、誕生日プレゼントだってもらったことないんだぜ?

 それなのに、平常運転で一日が終わろうとしているときに、プレゼントだと?

 しかもサプライズ?

 え、ちょっと、どんな反応するのが正解?

 さっきまで心のなかでミーチカのダメ出ししてたのに、なんかごめん!

 お前、すげえ良いヤツだったわ! 普段から「賢く尊いエルフ」とか言ってるけど、今ならその痛い自称も全肯定できるわ!

 ……いかんいかん。プレゼントを見る前からテンション上げすぎたらダメだな。喜んでるのがバレても恥ずかしいだけだし。

 俺は努めて冷静を装いながら、しかし気持ち早足になって家路を急いだ。

「クラム、ちょっと速いー」

 不満げに口をとがらせるミーチカ。

「しょうがない。おんぶしてやる」

「え、いいの?」

 今日だけは特別だ。あくまで甘やかしてるわけじゃなく、一秒でも早くプレゼントを見たいだけだからな!

 俺はミーチカをおんぶすると、こっそり《高速化》の魔法を自分にかける。そして巨大な橋の下に建つ我が家に一目散にたどりつくと、天にも昇る気持ちで階段を駆け上がり、扉を開けた。

 さあ、プレゼントの箱はどこだ!?

 しかし、部屋のなかを見渡しても、それっぽいものは置いてない。

 代わりに俺の目に飛び込んできたのは――部屋にぶらーんとるされた網だった。

「おまっ……!」

「えへへ。いいでしょー。ハンモックだよハンモック! これで寝ると、木の上で寝てたことを思い出せてぐっすり眠れるんだっ!」

 俺は衝撃のあまり言葉を失った。

 あ、あ、あ、穴が。網をぶら下げるために、部屋の壁にガッツリと大きな穴が開いている! 賃貸なのに!

「もちろん普段はあたしが使うけどー、どうしても揺られたいなら、クラムも特別に使っていいよ」

 いやいやいや、この穴、どうすんだよ。

 ここの大家さん怖いのに、出て行くときに怒られるぞ……。いや、今はそんなことよりも……。

「プ、プレゼントは……?」

 俺の声は凄く震えていた。だって、一応訊いてはみたけどさ、答えはわかってるんだもん。わかりきっているんだもん。

「ほぇ、プレゼントってなに?」

 ほらね! ミーチカはアホ面で首をかしげる!

 ……やっぱり全部、勘違いかよ!

「……お前なぁ、ハンモック設置とか、どんだけウチに居座るつもりだよ!」

 部屋に穴開けられたことも含め、だんだん腹が立ってきたぞ!

 ほんの数日、宿屋に泊まれるお金ができるくらいのあいだだけ部屋の隅を貸してやるつもりだったのに、我が物顔すぎるだろ!

 元々こいつに一般常識を求める気はないけどさあ。それにしたって少しは遠慮しろよ!

「え、クラムさん。ハンモックで寝てみたくないと……? ほーら、ゆらゆらだよ?」

「そりゃあ一度は揺られてみたくも……じゃない!」

 ハンモックをリズミカルに揺らして、俺を催眠にかけるつもりか!

「俺が言いたいのは、もっと他にお金を使うところがあるだろって話!」

「えー、でも宿は無料で借りられてるし、酒代はダウリナが全額払ってくれてるし……。んー、あとなにかあったっけ?」

「その施しを当たり前みたいに感じてるのが問題! お世話になってる人に還元しようと思わないの? てか、俺がなにも言わなくても、家賃の一部を払ってくれるくらいの心意気は、見せてもかまわないと思うんだよね」

 あとはプレゼントをくれるとか、サプライズを仕掛けてくれるとかね!

「やれやれ、これだから人間は器が小さい」

「ヒモエルフにだけは言われたくない!」

「あはは。尊く賢いエルフが、ヒモになんてなるわけないじゃない」

「鏡、鏡!」

 俺は部屋に備え付けられた鏡を指さし、声を荒らげた。

「ん……、おい待て。この高そうなぬいぐるみはなんだ」

 俺はハンモックの上に、真っ白な犬を模した抱き枕が寝そべっていることに気づく。ミーチカの三分の二くらいの大きさはあるんじゃないかってほどデカい。

「よく訊いてくれたね。その子は、セルゲイちゃんⅡ世だよ!」

「誰!?」

 偉そうなのか可愛いのかよくわからないネーミング!

「あたしの眠りを助けてくれた偉大なるセルゲイちゃんⅠ世の後継者。ちなみにセルゲイちゃんⅠ世は森を出る前に名誉の戦死を果たしました」

 わざとらしく涙を拭うそぶりをするミーチカ。

 魔力の暴走で燃やしたんだな、お前が。

「こんなもん買う金があったら、宿屋を借りろよ!」

「こんなもんってなによ! セルゲイちゃんⅡ世と宿屋、どっちが大事なの!?」

「俺が知るか! もう出てけよお前!」

「お金がないもん!」

「だからそんなもん買うからだろ」

「そんなもんってなに――」

 以下、同じようなやりとりを散々繰り返した俺たちは、お互いを相手にするのが馬鹿らしくなってケンカしたまま眠りについたのだった。

 窓から注ぎ込んでくる光のわずらわしさに目を開ける。少し身体にだるさが残っているが、二日酔いはそれほどなく、清々しさを感じる朝だ。

 いや、目の前にぶら下がってるハンモックがなければ、だけどね。ミーチカはまだセルゲイちゃんⅡ世を抱きしめて夢のなかをたゆたっている。

 くっそー。ミーチカには絶対言わないけど、俺もちょっとハンモックを使ってみたい。普通に生活してたら使わないよな、ハンモックとか。

 ミーチカがいないときにこっそり寝転がってみよ。

 スマホンを見ると、時刻は朝の九時。昨日話してた光と影の決闘は、確か昼の十三時からだったか。俺は全く行く気がないけど、ミーチカは行くつもりなんだろうな。昨日もやたら張り切ってたし。

「影の剣王ねえ……」

 そんな得体の知れないやつのどこがいいんだか。

 いや、嫉妬してるわけじゃないからね。ミーチカに好かれようが好かれまいが、俺には全然関係ないし。

 それにしても、気持ちよさそうに寝てやがる。小動物を連想させるミーチカを見ていたら、イタズラ心がむくむくとわきあがってきた。

 新たな発見。どうやら俺にはSっ気があるらしい。今はこの、安らかな寝顔を壊したくてたまらない。

 よし、俺からサプライズプレゼントをくれてやろう。

 起こさないよう気をつけながら、俺は一通りの細工を完了する。

 よしよし……、これで起きたときに絶対ビックリするぞ。

 ――コンコン。

 と、仕掛けが終わったところで、部屋の扉が叩かれた。

「だ、誰だ?」

 こんな時間に……まさか大家さんじゃないよな。ハンモックの穴を見られると困るんだけど――

「あっ、クラムン。アタシアタシ」

「なんだ、ルージェか」

 相手がわかり、俺は安心して扉を開く。そこには紫の髪をした少女が澄ました顔で立っていた。ミーチカと違って朝に強いみたいで、眠そうな雰囲気はまるでない。

「珍しいな、こんな時間に」

「嬉しい?」

「ん?」

「だからぁ~、早い時間からアタシに会えて、嬉しいかって聞いてんの」

「う、嬉しい」

「うんうん、素直でいいねっ☆ やっぱり思ってることは口に出していかなきゃ、いつまで経ってもネクラが治らないよ?」

 いや、あんま思ってなかったけど。今のはムリヤリ言わされただけだし。

 ………………あれ?

「俺、住んでるところをルージェに教えてたっけ?」

「ああ、それは前に跡をつけ――違う違う。酔っ払ってたときにしやべってたよ、クラムンが」

 ? 記憶にないけど、そうなのか。

「とりあえず、あがるか?」

 水くらいなら出せるけど。

「いや、いいよここで。長話してるほど時間ないし」

 そう言うとルージェは通路の壁に背を預ける。ま、ミーチカが寝てるし、外で話した方がいいか。そう思って俺も部屋から出た。

「で、どうしたんだ? 俺に会いに来たんだろ?」

「わ、チカちゃんに会いにきたのかもしれないのに、クラムンったら自意識過剰ぢゃない?」

「怒るぞ」

「ウソウソ。実はあんまし良くない噂を耳にしたからさあ」

「噂?」

「うん、情報通の盗賊仲間から聞いたんだけどさ、今回の決闘に乗じて、セラ・シュバッツブルクの殺害を企ててるヤツがいるみたい」

「あのクソ野郎を殺す? 決闘で?」

 物騒な噂もあったものだ。あいつ、誰かから恨みでも買ったのか? 俺はめちゃくちゃ憎んでるけど、世間的には人気者だと思ってたんだが。

 しかし、殺害ね。光の剣帝を――

「いや、無理だろ。あいつなら、観客席から矢を射かけられてもかわしそうだぞ……」

 実際、あいつとは二度も戦ったからな。悔しいがその強さは認めざるを得ない。

 卑怯なはかりごとで簡単に殺されるようなら、俺だって負けやしないって。

「でも、魔族が相手だったら?」

「ま、魔族? なんか一気に話がうさん臭くなったな」

「いやいや、アタシに話してくれた盗賊仲間、あんまり不確かなことをいう人ぢゃないんだってば。魔族が影の剣王に変装して、決闘の最中に殺すつもりなんだって」

「マジかよ……」

 相手が魔族なら、確かにセラでも苦戦を強いられるかもしれない。

「ね、ちょっとヤバい話でしょ?」

「それが本当なら、本当なら…………」

 俺は感極まって、高々と拳を突き上げた。

「――――やっっっっったぁぁぁあああ!」

「………………は?」

 どうやら彼女は、俺がセラのことを心配していると思っていたらしい。そんなわけないのに!

「じゃあ、明日からはセラのことを考えなくても済むんだな! 魔族様万々歳だ!」

「あ、あのー。クラムンはそれでいいわけ?」

 俺の歓喜の雄叫おたけびに、あっけにとられるルージェ。

「いいもなにも、その企てに協力して募金を集めたいくらいだ!」

「あ、そうなんだ……」

 やべ、浮かれすぎたか。ちょっとルージェに引かれてしまった。

「でもさぁ、その魔族は影の剣王の名前を騙って、悪事を働こうとしてるんだよ?」

「……それが?」

 あれ、なんだろ。

 俺はここにきてようやく不審に思う。

 ルージェって、なんでこの噂話を俺のとこに持ってきたんだ?

 もしかして、俺にセラ殺害を止めさせようとしてるわけ?

 やらねーよ?

「だって俺、影の剣王が誰かすら知んないし、そんなやつの名声なんてどうなろうと関係ないし」

 大体、名声とかある時点で死ねって感じだし。

 しかし、なおも食い下がるルージェ。

「確かに知らないかもだけど、クラムンは影の剣王に助けられてるぢゃん」

「俺が?」

 いつ? そんなことあったか?

「《潮の翼》団を壊滅させたの、クラムンでしょ? 本来なら巡回騎士におとがめ食らってもおかしくないのに、あれ全部、影の剣王がやったってことにしてるぢゃん」

「え、なんであれをやったのが俺だって知ってんの!?」

 あのことは、俺以外にはダウリナしか知らないはずなのに!

「ふふっ。やっぱりねっ」

 ルージェがペロリと舌を出したので、俺は自分のヘマに気付かされた。

「カ、カマかけたのか」

「ホンっト、クラムンって騙されやすいよねっ☆」

「こ、このことは秘密にしといてくれないか?」

 結果的に《潮の翼》団の悪事を暴けたから良かったものの、あんな討ち入り同然の行為は処罰されてもおかしくないからな。

 それに、《影の剣王》に罪をなすりつけたなんてミーチカに知られたら、マジギレされかねないし……。

「もちろん。秘密にしとかなきゃ、弱みを握ってることにならないし」

「脅す気満々かよ……」

 俺はガクッとうなだれた。厄介なヤツにバレてしまった……。

「アタシはねぇ、恩を返せないようなカッコ悪いオトコになってほしくないだけだよ。クラムンはそんな人ぢゃないよね?」

 うわ、あざとい……。ルージェって、俺のツボを熟知してるよな。

「……わかったよ。《影の剣王》の偽者を見つけて、退治すればいいんだろ?」

 そういや、ミーチカと初めて会った夜も、ゼインとかいう《影の剣王》を騙る偽者をぶちのめしたんだよな。

 自分が《影の剣王》になりすましたりもしたし……、ほんと俺、剣王様の偽者と縁があるよな。

「頼んだよ。アタシはほかに用があるからさ。ぢゃねっ☆」

 人に役割を押し付けるだけ押し付けといて、ルージェ自身で偽者を探すつもりは全くないみたいだ。ルージェらしいけど。

 手を振って彼女が立ち去ったあと、俺は盛大にため息をついたのだった。

 それからしばらくして――俺は装備一式を着込み、ネオンブリッジをぶら

ぶらと歩いていた。腰には剣を提げ、いつでも戦える用意は調えている。

 もう十時近いというのに、街は静かなものだ。ほんと、ここって夕方から活気づく場所だよなあ。ミーチカ同様、まだベッドのなかで寝ていたり、二日酔いに悩まされたりしてるんだろう。人がほとんどいない。

「しかし、さっきの話、どのくらい真に受けたもんかなぁ……」

 俺はまだ半信半疑だった。情報元も盗賊仲間だって言うし、どれだけ信憑しんぴよう性があるんだろう。

 地方の村ならともかく、ネオンブリッジのような都市には戦い慣れた冒険者や騎士たちがうじゃうじゃいる。

 もし正体がバレたら大勢の人間を相手することになるだけに、魔族も好んで街に潜り込もうとはしないだろう。

 まして、円形の闘技場――その中心で魔族の姿をさらそうもんなら、逃げ場なんてなくなる。

 死ぬのを覚悟してなきゃ、無理だよな……。

「ま、ルージェの顔は立てつつ、適当に探しているフリして終わらすか」

 そうすりゃ魔族を倒せなくても、俺が剣王を騙って《潮の翼》団を潰したことも黙っておいてくれるよな。

 うん、そうしよう。決闘は昼だし、午前中だけ頑張れば、おいしい酒だって飲める。

 ――なんて、考えてるとダメなんだよ……。

 これ、宇宙の摂理だよなー。必死になって探すと見つからないのに、諦めてるとすぐ見つかるの。

 俺の目の前を《影の剣王》を絵に描いたような男が歩いているじゃないか。

 黒いフード付きのマントを羽織り、髪も黒。美形だが、切れ長の目は冷淡さをたたえている。

 しかもめちゃくちゃ無表情で、作り物みたいな印象を受ける顔立ち。

 思わず俺は、その男の後ろについていく。けれど、後のことはまるで考えていなかった。

 どうすんだよ。すっごいそれっぽいけど、いきなり攻撃はできないよな。

 こいつは《影の剣王》を騙る偽者なのか。さらには本当に魔族なのか、なにもはっきりしてないんだし。攻撃してもし間違ってたら、俺は犯罪者だ。

 てことは……、話しかけるしかないのかよ!

 初対面の、しかも通りすがりの人に声かけるとか、コミュ障が一番苦手とするところだぞ!

 み、見なかったことにしようかな……。

 いや、人をハメるのが好きなルージェのことだから、どこかで俺のことを観察しているかもしれない。だとしたら、こんなあからさまに《影の剣王》ですって感じの男をスルーするのはマズい。

 え、ええい! どうとでもなれ!

「あ、あのー」

「……なんだ」

 ありったけの勇気を振り絞って声をかけると、男はこちらに振り返った。

 そうだ。『もしかして《影の剣王》ですか?』って訊くのはどうだろう。光の剣帝と影の剣王の決闘を楽しみにしているヤツは多いし、『剣王のファンです』って雰囲気でいけば違和感ないだろ。

 で、サインください、から、一歩踏み込んで探りを入れる――これだ!

 よし、そうと決まれば、あとは声に出すだけだぞ!

「え、えーっと……。あなた、もしかして魔族だったり?」

 やっべ!

 テンパったせいで、アホかってほどストレートな質問をしてしまった!

 せっかく良いアイデアを思いついたのに、実現できない俺の口の馬鹿!

 うわぁ、絶対変な人だと思われたよ。大体、失礼にもほどがあるし!

 だが、男の目に、さっと警戒の色が混じるのを俺は見逃さなかった。

 あ、あれ?

「ほう。我の正体をあっさりと見抜くとは……」

「ええっ!?」

 そんなにあっさり自分の正体をバラしちゃっていいの!?

 まだすっとぼけても大丈夫なタイミングだったよ!?

 い、いやそれよりも俺、すごくね!?

 声かけた相手が本当にお目当ての相手だったなんて。

 なんか無駄なところで運勢使い果たしちゃった感ハンパない!

 い、いやいやいや、違った。

 そもそも俺はコイツを発見したくなんかなかったんだって。

 むしろ不幸、ここに極まれりって方が正しいだろ。

 目の前の男は、無表情なまま呟く。

「クラム・ツリーネイルか」

「え、な、なんで俺の名前を?」

 俺、そんなに有名な勇者だったっけ。一応、二年は冒険者やってるけど、自分じゃそれほど成果出せてないと思ってるんだが……。

「異なことを訊く。貴様も抹殺対象だからに決まっている」

「え、俺が?」

 ……抹殺? 魔族の敵認定?

 誰かと勘違いしていませんか? いやでも、俺の名前を呼ばれたし……。

「我が名はダブート。《奈落の聖者》様に仕える魔族男爵。いざ尋常に勝負」

「ま、まさか、俺ってセラの仲間だと思われてる? 違う、違う。俺、あのセラの野郎とはパーティでもなんでもないからね。全然仲よくないし。そ、そりゃあ一度は仲間に誘ったこともあったけど、むしろトラウマを植え付けられただけっていうか」

「もはや問答無用」

「わわっ」

 魔族男爵ダブートが向けてきた剣を、俺は自らの剣で受けとめる。

 ヤツの武器はなだらかなカーブを描く曲剣。刺突よりも斬撃を重視した技を使うに違いない。

 どうする? 《多重高速化マルチアクセラ》を使うか?

 ……いや、まだだ。《多重高速化》には大きな欠点がある。

 強化魔法である《高速化アクセラ》を何重にもかけることで、目にも留まらぬ速さで動ける《多重高速化》だが、その分、行動は予め決定しておかなければならない。つまりは、不慮の事態に対応できないのだ。

 相手は魔族。俺の妄想の及ばない技を、もしかしたら持っているかもしれない。

 まずは手の内を探らなければ――

 ガッ、カカンッ、キィン!

 敵の剣をさばきながら、俺はそんな風に考えていた。

 そして、あれっと気づく。

 なんで俺、こんなに余裕を持って敵の剣をかわせてるんだろ?

 魔族だっていうから警戒したのに、一撃一撃は全然軽いし、特段速いというわけでもない。

 こいつ……、大したことなくね?

《多重高速化》を使ってない俺の強さって、マジでたかが知れてると思うんだけど……。

「お前、こんな腕でセラに勝てるつもりなのかよ」

 俺はダブートの剣を強く弾き返す。

 こんなトロい攻撃じゃ、きっとセラなら寝起きでも対処するぞ。いや、寝たままでカウンターを仕掛けてくるかもしれない。これじゃセラだけじゃなく、《影の剣王》にも失礼だろ。

「無論、これだけではないさ」

 だが、ダブートは不敵に笑う。まだ奥の手を隠しているかのように。

「ネオンブリッジに来た魔族は、お前ひとりなのか?」

「さて、ひとりと言っていいものかな?」

 ふむ、いまいち不明瞭な回答だけど、要は仲間がいるってことだろ。弱っちいコイツはむしろおとり――

 まあいいや。コイツさえ倒せば、光の剣帝の前には誰も立たない。決闘は

中止になる。

 そうなりゃセラ殺害計画も破綻するだろ。

 別にアイツを守りたいわけじゃないが――《多重高速化》を使って、終わらすか。

 ようやく俺は妄想を膨らませる。相手はひとりだ。高速化した瞬間に剣を振り上げ、頭から胸まで一撃で切り裂いてやる。

 脳と心臓と両方潰されたら、どんな魔族でも間違いなく死ぬだろうからな。

「相手が悪かったな、ダブート。俺の妄想がキマった時点で」

 相手の剣をさばき、《多重高速化》をかけようとして――俺は失敗した。

「勝負は決まって――う」

 続く言葉が出てこなかった。俺の動きはむしろのろくなり、ふらふらとステップは乱れる。

 どうしたんだ、身体が熱い。まともに立っていられなかった。動悸どうきが激しい。膝をつくと、口から大量の赤い液体が溢れだした。

 ――なんじゃ、こりゃ。

 血。血じゃないか。

 俺、相手の剣で斬られたか? いいや、全部さばききった――はずだ。

「相手が悪かったのは、お前の方だったようだな。クラム・ツリーネイル」

 熱いと思っていた身体が、急激に冷えていく。吐き気がひどい。俺は朦朧もうろうとする頭を振り、ダブートの方を見た。

 すると、なぜかヤツはぼやけて見えた。

 一瞬、視界がかすんでいるだけかと思ったが、違う。ダブートの周囲に、白いもやがかかっているのだ。

 まさか――あれは毒の霧か……!

「ふふ。これこそ、我が剣帝を倒せると考える根拠よ」

 剣など不要とばかりに、さやに収めるダブート。勝負はついたってことかよ。

 毒消し……。俺は気力を振り絞り、腰の革袋から青緑の液体が入った小瓶を取り出す。こんなときのためにちょっと多めにお金を払って手に入れた、

毒全般に即時効果を発揮する魔法アイテムだ。

「無駄だ。我が使ったのは毒ではない。もはや貴様の命運は尽きている」

 ダブートの言ったことは確かだった。小瓶の蓋を弾き、飲みほしたはいいが、なんの効果も現れず、ついに俺は仰向けに倒れる。

 迂闊うかつだった。こんな攻撃を仕掛けてくるなんて……。これじゃ、セラに勝ち目はない。

 アイツ、相手が弱いと思ったら、絶対に余裕ぶっこいて勝負を長引かせるだろうしな……。

「そうだ。良いことを思いついたぞ」

 ダブートはそう言って、倒れた俺のそばでかがみ込む。

「一石二鳥である。貴様の顔をもらっていくとしよう」

 な、なにを……。

 抵抗しようとしたが、身体は言うことを聞かない。ダブートは俺の顔に触れ、ニヤリと笑った。

 いや、笑ったのはダブートではなかった。そこにいたのは――俺だ。

 ほんの瞬きほどのあいだに、ダブートの顔は俺とそっくり、うりふたつになっていたのである。

「ククク……。これで俺を影の剣王だと疑う者は誰もおるまい」

「おいおい……」

 むしろ疑う人は増えたと思うけど!?

「せっかくだ。この顔を使って、ネオンブリッジにいる他の危険な冒険者も殺していくとするか。ミーチカ・オルレイン。ダウリナ・プランジット。ククク……、グレマ様の元へ帰れば、我は伯爵くらいにはなれるかもしれんな」

 嘘だろ、洒落になってない。その顔を使われたら、なんだかんだ頭の切れるルージェはともかく、ミーチカやダウリナはコロッと騙されるぞ。

「ま、待て……」

 俺は遠くなっていくダブートの後ろ姿に手を伸ばす。

 ……ダメだ。俺は上体を起こすことさえできなくなっていた。

 全身の感覚がない。も、死ぬ。死んでしまう。

 誰か、助けてくれ……。

「あれー? ムッツリさん、どうしたんですか?」

 そのとき、俺の耳に届いたのは、聞きなれた響き。

「そんな風に倒れていても、スカートの女の子はまたいでくれないと思いますよ?」

「ダ……ダウリナ」

 そこには司祭服を着た、青い髪の彼女が立っていた。

 幻じゃないよな。今、俺が一番会いたかった人だ!

 看取ってほしいとかじゃなく、回復要員的な意味で。

「それにしても、服を真っ赤にして、ワインでもこぼしたんですか? あ、お酒の瓶まで落ちてます。もしかしてあのあとも、別のところで飲んでいたとか? それなら誘ってくださればいいのにー」

 しかし、彼女は事の重大さに気づいていないようで、スネた態度を見せている。

 この状態、酔いつぶれているだけに見える!?

「い、いや、違……」

 誤解を解かないと、このまま放置されかねない。

 くっ、口が回らない。頼む、見捨てていかないでくれ!

「しょうがないですね。二日酔いに効くかはわかりませんけど、今、回復魔法をかけてあげますから」

 やれやれとため息をつきながら、ダウリナが俺の上に手を差し出す。

 やった! 想いが通じたぞ。

 邪教の司祭であるダウリナの回復魔法は、低確率で死につながるらしい。けど、今はそれを気にしている場合じゃなかった。かけてもらわなくても、このままだと死にそうだしな。

 それになんだかんだ言って、これまでダウリナの回復魔法で死んだことないし――、今回も大丈夫だろ。

 なんて……、俺はなにひとつ学習していなかった。

 そういうときこそ、全ては悪い方向へと回るものなのだ。

「あっ」

 ダウリナの細い指から溢れていた白く神々しい光が、突如として真っ黒に染まった。

「ぐはっ!」

 俺は再び血を吐き出す。

 し、心臓を直接ぎゅうっと握りつぶされるような苦しみが襲ってきた。

 も、もう今度こそ――

 死にゆく俺が最後に聞いたのは――動揺したダウリナの声だった。

「し、失敗しちゃいました。……ど、どうしましょう!?」

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