第6話 ネクラ勇者、邪教徒の儀式に飛び入りする 後編

 劇後半が始まると、ライトの指揮する騎士団によって、シャドウの住むスラム街が制圧された。

 街に巣食っていた悪は一掃されたものの、犠牲になった弱者も多く――シャドウがお世話になっていた酒場の主人もまた、闘争に巻き込まれて命を落とす。

 暗転でシーンが変わると、登場したのは華やかな衣装と仮面をつけて踊る人々。どうやらこの舞踏会は騎士団の祝勝会として開かれたものらしい。

 そこへ怒れるシャドウが、自らも仮面で変装して飛び込んでくる。といっても、それは俺自身だ。

 きゃあっ、と観客席から歓声。緊張するけど、これは思ったより悪くない気分だな……。

 ライト役と思われる金髪に白い衣装の男は、舞台の中央で女性と踊っていた。

 俺は剣をさや走ると、一気呵成いつきかせいに斬りかかる。《多重高速化マルチアクセラ》こそ使わない

ものの、本気も本気。必殺の一撃だ。

 ところが、すんでのところで俺と目を合わせたライト役は、自らの剣を抜き、先端をほんの少し動かす。と、俺が振り下ろした剣の軌道は、相手の剣先にいなされ、空を斬る。

 ……へえ、これを受けることができるのか。しかもしっかりと踊りのパートナーだった女性をかばう気遣いまで見せている。

 まあ、最初から女性を傷つける意思はなかったけど。

 他の役者たちは悲鳴をあげながら退場し、舞台の上にはライト役と俺だけが残された。

 近づいてみると、相手の身長は俺と同じか少し低いくらい。

 線は細く、剣士として決して恵まれた体格じゃない。目の部分は俺同様、仮面で隠されているが、顎の輪郭や唇は端整で、顔の下半分を見る限りではイケメンっぽい造形だ。

 俺たちに渡された剣は、どちらも斬れないよう刃が潰されている。しかし、鉄であることに変わりはないし、鍛えた剣技を振るうのになんの弊害もない。

 さあ、勝負だ。俺が剣を両手持ちに構えると、相手は片手に持った細身剣の先をこちらに向け、半身に構える。

 得物えものからも、スタイルからも、どうやらライト役は突きに特化した剣術の使い手らしい。

 先手必勝!

 俺は相手に受けられても構わないと、力を込めて剣を振った。

 カカン、キィン!

 案の定、ライト役は連撃にも対応してくる。

 上手いもんだが、その細い剣で何度も俺の剣を受けられるかな! 剣は細ければ細いほど速さも増すが、その分もろくもなるんだぜ!

 ん。なんかモノローグが悪役っぽいが、……ええい、構うもんか!

 悪く思うなよ。お前に恨みはないが、お前が演じる光の剣帝には、ぶつけたい想いがたくさんあるんだよ!

「……ん?」

 だが俺は、いくら攻撃しても相手がビクともしないことに気づいた。華奢きやしやな身体つきのクセに軸は安定し、細身剣は折れる兆候すら見せない。

「はあ、はあ」

 逆に俺の息は上がってくる。

 ライト役の剣士のまわりに、目に見えない壁があるかのよう。俺の攻撃は、

細身剣によってその手前であしらわれ、込めた力は軽くいなされて、外へと追い出される。

 そのせいで、俺の剣は無駄な動きを強いられ、呼吸が乱される。

 受け方が絶妙なんだ。正面から受けようとはせず、微かな払いだけで攻撃を流す。だから、細身剣には無理な力が加わらず、折れることもない。

 卓越した剣術センスと、人間離れした動体視力。そして連動する反射神経。

 全てを兼ね備えていなければできない芸当。

 俺の剣技は《多重高速化マルチアクセラ》との併用に特化した変則的なもの。

 フェイントなどの技術はほとんど磨いてないし、悪くいえば速度だけを求めた単調で一直線な剣。

 それでも、こうも簡単に見極められるもんなのか――?

 なんだ、こいつ。

 何者なんだよ――!

 すると俺の考えを読んだみたいに、ライト役の男は口を左右非対称にゆがませ、ニヒルに笑った。

「オマエも冒険者か? 悪くねェ剣筋だが、所詮は五等か六等星。一等星であるオレ様には、百万光年遠いゼ」

「なッ」

 その強さにも、笑い方にも、しやべり方にも――俺には覚えがあった。

 忘れたいといつも思っている、記憶。

『オレ様を仲間にしたいって? 七等星のクセして、百億光年遠いんだよ』

 そう笑われた、二年前のトラウマが一瞬にして蘇る。

「オレ様の輝きにくらめ」

 防御一辺倒だった相手は、一転して攻めに回る。強い踏み込みとともに迫る剣先。

「ぐっ」

 俺は大きくのけぞってそれを避けた。あまりに鋭い一閃いつせん。攻撃は光の筋にしか見えなかった。かわせたのは、完全に奇跡だ。

 マジかよ――ダウリナ。これ、洒落しやれになってないぞ。

 なにが代役だよ……。なにがスペシャルゲストだよ……。

 あいつ……、劇にを用意してきやがった――!

 光の剣帝、セラ・シュバッツブルク。

 史上最強の戦士と名高い男。

 ひとたび奴の剣がきらめけば、炎も、風も、闇さえも斬り裂くという――

 そして――俺がこの世で一番憎悪している男!

「てめぇええええッ! よくもッ!」

 よくも昔、俺の心に消えない傷をつけやがったなぁあああ!

 仲間ができないのも、半分以上はてめえのせいだ!

 だが、怒りに染まった俺の隙を、クソ野郎は見逃さなかった。

 もちろん冷静だったとしても……、結果は変わらなかったろうけどな。

 ふと気づいたとき、俺はすでに仰向けに倒れていた。どうやら奴の細身剣に胸を突かれ、吹っ飛ばされたらしかった。

 剣先は潰されている上、俺は衣装のよろいを着こんでいた。にもかかわらず、突かれたと思われる胸の部分はズキズキと激しく傷む。

「くっそ、まだ決着はついてねえぞ……!」

 立ち上がろうとするも、その痛みのせいで満足に身体が動かない。そんな俺に、奴は剣を向けて言う。

「残念だよ、シャドウ。これでオレ様とオマエの道は完全に分かたれた――衛兵、そいつを捕らえろ!」

 それは演劇の台詞だった。その声に合わせて、衛兵役の男ふたりが俺の腕をつかみ、舞台の下手へと引っ張ろうとする。

「離せ! この野郎、俺はお前を絶対に許さないぞ!」

 怪我しているところにふたりがかりでは、抵抗してもむなしいだけだった。

 必死にセラにぶつけた罵声もまた、女性客の「キャ――!」という歓声で遮られる。

 束の間のアクションシーンは終わり、幕は再び下ろされた。

「離せって言ってるだろうが、くそ!」

 俺は舞台上手に引き上げたセラを追おうと、衛兵役に抵抗する。

「ちょっと、暴れないでください! どうしたんですか一体!」

「まずい。役が乗り移ってる。現実と演劇の境目が分からなくなってるんだ」

「この人、役者じゃないんでしょう? すごい才能ですね……」

「とりあえず、迷惑にならないところまで連れていくぞ!」

 衛兵役のふたりは自由にしたら危険と判断したらしく、俺は掴まれたまま楽屋まで連れてこられた。

「ふひぃー! 素晴らしかったですぅ、クラムさん!」

 だんだん落ち着いてきた俺を、興奮ぎみで出迎えるダウリナ。

殺陣たても迫力ありましたし、なによりも後半、あんなアドリブができるなんて! ライトに対するシャドウの憎しみが、すごく表現されてました!」

 いや、途中からはアドリブじゃなかったんだけどね……。

「あ、クラムさんどこか怪我してます? 今、治してあげますからね」

 ダウリナは俺の鎧を脱がすと、胸の青あざになっている部分に手を当てた。

 ぽうっと彼女の指から治癒の光が現れ、少しずつあざは元の肌色に近づいていく。

 彼女に治癒してもらうとごくまれな確率で死ぬらしいんだが、今の怒れる俺にはどうでもいいことだった。

「なんで……、あいつがここにいるんだよ」

「あいつって、誰のことですか?」

「本物の光の剣帝だよ! セラ・シュバッツブルク!」

 俺はつけたままだった仮面を投げ捨て、叫んだ。

「え、クラムさん、剣帝さんと顔見知りだったんですか? ということは、もしかしてセラさんとは浅からぬ因縁が? 仮面をつけ、お互いの正体に気付かぬまま傷つけあうふたり……? それってなんてBL!?」

「妄想に走らずにちゃんと話を聞いて!」

「――ダウリナ嬢からは依頼を受けただけだゼ。オレ様にみあう報酬を用意

してくれるってことだったからな」

 よだれを垂らしてエヘエヘ言い始めたダウリナに代わって答えたのは――今まさに楽屋へと引き上げてきた男だった。

 仮面を外したその顔を見間違うはずがない。二度と見たくないと思っていたけどな。

「誰かと思えば、ケッコー前にオレ様を仲間に誘ってきた身の程知らずか。どうりで剣筋に覚えがあるはずだゼ」

 二年前。冒険者になりたてだった俺は、同じく新米に見えた戦士のセラを仲間に誘った。

 そして言われたのだ。「オレ様に一太刀でも浴びせることができたら、考えてやる」と。

 まだ光の剣帝なんて呼ばれてないころから、こいつは高飛車だった。たちの悪いことに、その性格にふさわしい剣の腕も持ち合わせていた。

 俺は酒場の外でセラと戦い――結果、踊らされるだけ踊らされ、観客の笑いものにされたんだ。

 剣なんて……、かすりもしなかった。

 こっちの気を知りもしないで、セラは意地悪に笑う。

「あれからずいぶんたったのに、大して成長してねェなァ。まさかとは思うけどよ、オマエ、まだ仲間とか探してるんじゃねェのか?」

「うるさい! 誰のせいで俺のコミュ障がここまで悪化したと思ってる!」

 酒場で冒険者に声をかけられなくなったのはあれからだ。

 二年たった今も、あの日の光景が頭にちらついて離れない。

 俺が《多重高速化マルチアクセラ》を身につけたのだって、いつかこいつに一撃食らわせてやるためだ。

 あ。しまった、《多重高速化マルチアクセラ》を使えば良かったんだ!

 ダウリナに止められてたどうこうじゃなく、頭に血がのぼって完全に存在を忘れてた!

「だ、大体、お前だって仲間いないだろうが!」

 その悔しさを紛らわせるために、俺は叫んだ。そうだ、光の剣帝に仲間がいるなんて話、聞いたことないぞ!

 絶対、性格が悪いからだろ!

「オレ様は仲間ができないんじゃねェ。あえて仲間をつくらないだけ。オマエとはスタンスが全然違ェんだよ。……それより、約束の品を受け取りてェんだが」

 セラは俺から目を逸らし、ダウリナにそう告げる。

「ああ、そういえばそうでしたー」

 ちょうど俺の痣が消えたところで、ダウリナは腰の小袋から細かな紋様の入った腕輪を取り出した。

「なんだ、それ」

 このクソ野郎がなんの見返りもなしに演劇に出るとは思ってなかったけど、その腕輪は特に高価そうにも見えなかった。金や宝石が使われているわけでもなし、アンティークのような古さも感じない。

「私が作った呪いのアイテムですよ」

「呪いの?」

 俺が問い返すと、セラがハッと鼻で笑った。

「知らねェのか? そこのダウリナ嬢はただの演出家じゃねえ。呪いのアイテムを作らせたら第一級なんだゼ?」

「へえ……」

 セラの言い方はいちいちムカつくが、それは初耳だ。

 死霊使いネクロマンシーくらいしか能がないのかと思っていたけど、腐っても司祭だな。

「《狂戦士の腕輪バーサクバングル》。ご注文の通り、怪我をすると自動で《治癒魔法》をかけてくれる腕輪です」

「なんだそりゃ。呪いのアイテムってわりには便利すぎじゃないか?」

「ただし、一度つければ死ぬまで外れませんけど」

「一気に呪いのアイテムっぽさが増した!?」

「あと、疲れたときも自動的に回復してしまうので、眠れなくなったりする

かもしれません。セラさん、ご自身で装着するおつもりなら、覚悟した方がいいですよ」

 あ、それ俺は無理だ。睡眠欲は人間の三大欲求のひとつ。ベッドに潜ってからなかなか寝つけないの、結構苦痛だもんな。

「上等。眠らなくて済むのなら、その時間もダンジョン攻略に当てられるってわけだ」

 ところが、そのマイナス要素すらセラにとっては魅力的らしい。

「そんなものつけなくたって、僧侶を仲間にすればいいだろ」

 曲がりなりにも光の剣帝。リオレス最強の戦士と言われている男。

 腹立つがこいつを仲間にしたいやつなんてごまんといる。それこそ影の剣王の仲間になりたいミーチカみたいに。

 認めたくないけど、黙ってりゃ超絶イケメンだしな。中性的な顔立ちで、りんとしていて。仮に俺みたいに口下手でも、酒場に行けばみんなほっとかないだろ。

 そんな恵まれた状況にありながら、呪いの腕輪に頼る意味がわからない。

「へっ、オレ様についてこられる仲間なんざ、いるわきゃねーだろ」

 なのにセラは、こんな憎まれ口を叩いてばかり。

「ついてこられるとか、こられないとかいう話じゃないだろ! 仲間はお互いを支えあって――」

「お花畑」

 多少なりとも心配してやったのに、セラはそんな俺に軽蔑の目線を向けてきやがった。

「オマエ、やっぱ冒険者に向いてねェよ」

 それは二年前、やつに惨敗したときにも言われたことだ。

「支えあう? 戦いの場で、そんな悠長なことできっこねぇよ」

 セラは己の左手に《狂戦士の腕輪バーサクバングル》をためらいもなく装着する。そしてそれを見せびらかすように掲げ、宣言する。

「オレ様は、ひとりで魔王を倒す。意見をしてェんなら、オレ様の身体に一

太刀でも浴びせられるようになってからにするんだな」

「……そうかよ。なら勝手にしろ」

「言われなくとも。オレ様は何者にも縛られない。これまでも、そしてこれからもな」

 セラは衣装のマントを翻すと、高らかに笑い、楽屋を出ていった。

 まだ舞台では演劇が続いてるってのに、やかましくてはた迷惑なやつだ。本当に自分のことしか考えてない。

「ほんとよくあんなのに依頼したな。ムカつかないのか、あいつに」

 俺は妙にだんまりしたままのダウリナに顔を向けたんだが――

「リアル喧嘩ップルキタコレ……。ライシャド、ふへ、これが私の見たかったライシャドやでぇ……」

 いつのまにか彼女はまた自分だけの世界に入り込み、人様には見せられない弛緩しかんした表情になっていた。

 めんどくさいから、さっさと現実に戻ってきてください……。


「さっきの、どう見てもクラムンだったよね」

 仮面舞踏会のシーンが終わったあと、ルージェは隣にいたミーチカに語りかけた。

 ダウリナに連れられていったところを見ると、なるほど、どうやらこの演劇には彼女が一枚噛んでいるらしい。

 それにしても影の剣王役として本人を出すとは、なかなか面白い趣向だ。結局、最後まで本当の実力は出さなかったようだが。

 それに思わぬ収穫もあった。ライト役――光の剣帝を演じていた男。華奢な体躯たいくとは裏腹に、彼の剣技は紛れもなく超一流だった。

(ふふっ。ライト役の子、イケメンっぽかったし、今度ちょっかいかけてみよっかな☆)

 まさかあちらまで本物の《光の剣帝》なんてことはないと思うが。

「あれ? どうしたの、チカちゃん」

 気づくと、なぜかミーチカが神妙な面持ちでうつむいている。演技とはいえ、影の剣王が負けているところを見て不機嫌なのか。それとも倒されたクラムの怪我を心配しているのか。

 ミーチカはおもむろにイヤーマフを少し持ち上げると、怪訝けげんに呟いた。

「炎の精霊が、ざわめいてる……」

 耳を澄ましてみるが、ルージェには役者の台詞や舞台の音楽以外は聞こえない。

「さっすがエルフ。精霊の声なんか聞こえるんだぁ」

 なんの気なしにそう言うと、ミーチカは盛大に驚いた。

「なっ、なんであたしがエルフだってわかったの!?」

「あ」

 まずい。エルフだと知っているのは、リオンのつくった危険人物リストを見ていたからだった。

「い、いやいや、今イヤーマフの隙間からちらっと見えたからね」

「な、なんだ……。あ! 内緒だからね、あたしがエルフだってこと!」

 本当は全然見えてなんかいなかったが、上手くごまかせたらしい。

(チカちゃんがバカで助かった……)

 しかし、何十年もリオンとしか話していなかったせいか、ボロが出やすくなっている。気を付けなければ。

 そんなことを考えていると、ミーチカが席を立ち上がり、劇場の外へと歩き出した。

 どうしたのだろう。ルージェもつられて立ち上がる。ミーチカが心配なのではなく、単純に面白そうなことが起こりそうな匂いを察知して。劇に夢中の観客たちからはウザがられるが、全然気にならない。

「チカちゃん? まだ演劇終わってないよ」

「剣王さまが負けるお話とか、観る価値ないし」

「なにそれ。舞台にいたのは剣王さまぢゃなくてクラムでしょ」

「……ネクラさんでも、負けるのは嫌なの!」

 その想いは、剣王に対してのものなのか、クラムに対してのものなのか。

「複雑なお年頃なのねー」

 ルージェにとっては、どちらでも同じなのだが。

「あのね、あたしはあなたの何倍も年上なんだからね!」

 明るいロビーに出ると、ミーチカは再びイヤーマフを持ち上げ――いちいち動かすのが面倒になったのか、今度は首まで下ろした。

 尖った耳をピクピク動かすと、すぐさまロビーのベンチへと向かう。

 彼女の進む先では、黒いフード付きマントを頭まですっぽりと被った男が、背を向けて座っていた。

「……?」

 ルージェは不審に思う。次の回の客かと考えたが、今日の公演は、今やっている一回きりで終わりのはずだ。

 とすると、誰か他の客が出てくるのでも待っているのか?

 男は貧乏ゆすりをして、ブツブツと独り言を呟き、見るからに落ち着かない様子だ。

「あなた――」

 ミーチカが声をかけると、フードの男は驚いて振り返った。

 マントに隠されていた彼の手が、一瞬だけ見えた。そこに握られていたのは、魔法札ルーンシートが大量に貼り付けられた球体。

爆裂玉エクスフイア!?」

 驚いて思わず叫んでしまう。

 世の中には、才能を持たない者でも魔法の恩恵にあずかれるアイテムがある。

 爆裂玉エクスフイアもそのうちのひとつ。中心に火薬を詰めた球体に、魔法力のこめられた火炎札フレアシートを貼ったものだ。

 投げつければ着弾したポイントで爆発し、敵にダメージを与える。

 決して珍しいアイテムではない。冒険者ならば金さえ払えば誰でも手に入れられるものだ。不快なことに、ルージェ自身も幾度となく、ダンジョンに

踏み込んできた冒険者からぶつけられてきた。

 けれど男が手にしているものは、通常購入できる、蜜柑みかんほどのサイズの球ではない。

 なんと、人間の頭部にも匹敵する。

 爆裂玉エクスフイアは大きさが倍になれば、爆発規模は十倍になると言う。

 もし男の手にあるものが爆発したならば、ロビーはおろか、劇場までも吹き飛びかねない。

「うう…………わああああ!」

 ルージェの叫びに動転したのか、男は爆裂玉エクスフイアを振りかぶり、ミーチカに向かって投げようとした!

「わっ、バカ!」

 ルージェはとっさに腰に提げたむちを掴み、振り抜く。狙いは違わず、その先端は男の手首に絡みつき拘束する。

 だが、一瞬遅かった。鞭は投げる向きを逸らすことには成功したものの、投げること自体を止めるには至らなかったのだ。

 爆裂玉エクスフイアは手を離れ、強い勢いで天井に向かって飛んでいく。

(あ、やば……)

 ルージェは、劇場内にいる人々の全滅を予期した。

 魔王の娘である自分ならともかく、爆裂玉エクスフイアが弾ければ、もろい人間やエルフでは助からないだろう。

(もったいなっ!)

 爆裂玉エクスフイアが天井に着弾し、ロビーにまばゆい光が降り注ぐ。

(ここにはもう少し遊べそうな子たちがたくさんいたのに……!)

 あっけない幕切れを残念に思いながらも、ルージェはぐっと目を閉じた。

 周囲が閃光に包まれたのは、ほんのわずかなあいだであった。

(……………………? やけに静かね)

 光のあとにやってきたのは、爆風でも、爆音でもなく――静寂。

 うっすら目を開けると、そこにはなにもかもそのままの風景が残っていた。

「え、なんで……?」

「ふぬぬぬぬ……!」

 いや、なにもかもというわけでもなかった。

 目の前のミーチカが、一分くらい呼吸を我慢し続けているかのような、真っ赤な顔をしてワンドを握っている。

 へたりこんだ男、ミーチカ、ルージェのあいだに、赤黒い奇妙な球体が、フワフワと空中を漂うようにして落ちてきた。

 先ほどの爆裂玉エクスフイアの直径を五倍ほどに膨らませた、大人ひとりくらいなら収納できそうなほどの大きさ。

 よく見れば――球体の色はうねるように絶え間なく変化している。

 それは炎と煙を包み込んだ、空気の塊だった。

 爆裂玉エクスフイアの爆発力、破壊力が、この球のなかに凝縮されているのである。

(爆風を、魔法力だけで無理やり抑え込んだの……?)

 誰がやったのかなど明白だった。

 今、うんうんとうなっているミーチカをおいて他にいない。

(さすが、エルフの巫女候補だっただけのことはある……!)

 ただのバカでワガママな少女、というわけではないらしい。

「なにぼーっとしてるの、ビッチ!」

「ビッチいうな!」

 ミーチカは爆発を抑えるのがやっとで、しかもそれは時間稼ぎでしかない。

 この球体をどこかへ追いやるのは、ルージェの役目だ。

 放心状態の男の腕から鞭をほどき、そのまま先端で爆風を押し込めた空気の塊を絡めとる。

「んりゃあ!」

 ルージェは鞭を出口の方向へと振るった。海沿いに建った、劇場の外に広がるのは、爆発を抑え込むのに最適な大量の水――海だ。

 爆炎の塊は鞭の先端から離れまっすぐに飛び、海上までたどり着くと、ぼちゃんと沈む。

「はあっ」

 ミーチカが大きく息を吸い込み、床にへたりこむと同時。

 バアーン! という盛大な爆音とともに、海と天とをつなぐのではないかと思えるほどの、猛烈な水しぶきが起こった。

 どうやら塊は、無事に水中で爆発したらしい。

「つ、つかれた……。あたし、さっき人生で一番集中したかも……」

 肩で息をするミーチカ。無理もない。彼女が爆発を抑え込んでいなければ、今ごろここは地獄と化していたのだ。魔法力はもちろん、それ以上の気力を消耗したに違いない。

「さて、どういうことか聞かせてもらえる?」

 あやうく楽しみを奪われるところだったルージェは苛立いらだちを抑えきれず、フードの男に詰め寄った。

「う、うう」

「どこかのネクラぢゃないんだから、黙ってちゃなにもわからないんだけどお?」

 ルージェは怒りにまかせて強引にフードをはがす。

「……! ちょっと、あなたって……」

 そこにあったのは、彼女たちが想像すらしていなかった顔だった。

 ミーチカたちがロビースタッフに連れられて楽屋にやってきたのは、演劇が終わってすぐのことだった。

「あれ、どうしてミーちゃんたちがここにいるんです?」

「え、えーっとねぇ……」

 ダウリナからの問いを気まずそうに受けるミーチカの顔に、俺はすぐひとつのことに思い当たる。

「ま、まさかお前、俺たちのことをつけてきたんじゃないだろうな」

「なわけないでしょ!」

「嘘つけ! じゃあなんでここにいるんだよ!」

「そ、それは、そう! このビッチが演劇を観たいっていうから仕方なく付き合ったっていうか」

 いやいや、それは無理あるだろ。お前らこのあいだ会ったときめちゃくちゃ相性悪かったくせに。

 ところが――

「ルージェさん、あなたもこの道に入られたんですね!? そういえば以前お会いしたときも興味がおありだったようでしたし! 歓迎します!」

 あからさまに嘘っぽい話なのにダウリナは真に受け、目を輝かせている。

「い、いやぁ、興味っていうか、ねぇ……。あっ、そんなことより、こいつよこいつ」

 ダウリナの熱量に圧倒されながらも、ルージェは鞭で手を縛った男を前に突き出す。

「この子がさ、特大の爆裂玉エクスフイアを使って劇場を爆破しようとしてたの! アタシが間一髪のトコで止めたから良かったけどねっ。ねえ、お手柄じゃない、これ」

「あっ! なに手柄を横取りしようとしてるの!? 爆発を止めたのは賢く尊いエルフのあたしなんだからね!?」

「そうそう、チカちゃんも頑張ってたんだー」

「むむーっ! なにその上から目線で手柄譲ってやってる感! そんな風にされたらあたしが嘘ついてるみたいでしょ!? 本当に爆発を止めたのは、気高いエルフのあたしなんだもん!」

「こんなので怒るなんて、チカちゃん心せまーいっ☆ 気高いの逆で、気低いよねっ」

「なんですってぇー!」

 目線のあいだでバチバチと火花を散らすふたり。

 相変わらず仲が悪いな。ていうか、マジでお前らなんで一緒にいるの?

 ふたりがもめているあいだに、ダウリナは男に近づき、被ったフードをはがす。

「……レナードさん?」

 その顔を見て、彼女はきょとんとした。

 その理由は俺にも分かった。

 なぜならそいつは、劇場のポスターで見た、シャドウ役の青年だったからだ。

「どうして……心配してたんですよ? 連絡がつかなくなって」

「……」

 ダウリナに優しく話しかけられても、青年は目を伏せ黙り込んだままだ。

「お兄さんは、一緒ではないんですか?」

 黒髪の彼は、レナード兄弟の弟の方らしい。

 てことは、ポスターに描かれてたもうひとり、ライト役だった金髪が兄貴か。

「お前、劇場に来てるなら出演してくれよ……」

 俺は憎まれ口を叩かずにはいられなかった。双子の主役が両方ともいなくなったからこそ、俺やセラが出演しなきゃいけなくなったわけで。

「いや、そんなの問題じゃないでしょ。この人は劇場を爆破しようとしてたんだよ? もう大変だったんだから!」

 ミーチカが興奮ぎみに言う。

「……どうして、そんなことをしようとしたんですか? レナードさんは、演劇を誰よりも愛しているのに。……誰かに、恨みでもあったんですか?」

 ダウリナの問いかけに、やはり答えようとしないレナード弟。

「あんな大きさの爆裂玉エクスフイア、個人の力では手に入らないよね」

 壁に身体を預けながら、ぶっきらぼうに言い放ったのはルージェだ。

「最近この街を騒がしくしてる《潮の翼》団にでも、脅されたんじゃないのぉ?」

「ど、どうしてそれを……!」

 お、ようやくレナード弟に反応があった。ルージェは意地悪そうにフフンと笑う。

「アタシぃ、悪い奴らには鼻が利くのよね」

「自分も同類だもんね」

「チカちゃんは黙ってる。で、連中ってさあ、裏では海賊でしょ、あれ」

「海賊? あいつらは船を守る傭兵だって聞いたぞ。その海賊から」

「クラムンは相変わらずお人好しだね。そんなのさあ、自作自演に決まってるぢゃん」

「自作自演……?」

「自分たちで海賊もやってるってこと。そうすれば傭兵としてありがたがられるし、敵が身内なら安全にお仕事できるでしょ?」

「な、なるほど」

 そりゃあくどいやり方だな。でも、今日街を歩いていたやつらならやりかねないかも。すごい感じ悪かったしな、あいつら。

「でも、なんでそれが劇場の爆破に繋がるんだ?」

「……《潮の翼》団の連中にとって、ヘウレーカ教が主催する公演は邪魔なんですよ」

 そう呟いたのはレナード弟だ。

「どういうことだよ。演劇なんて、やつらの仕事にはなんの影響もないだろ?」

「前回 《ジャキョート!》を公演したとき、やつらの自作自演があやうくバレそうになったらしいんです。船で同じ公演を何度も観に来ていた常連さんがいて、その人が二度も海賊に襲われたらしいんですよ……」

「え、なんでそれでバレそうになるんだ?」

 そりゃ二度も自作自演に付き合わされたら、少しは見破れる可能性は上がるかもしれないけど。

「あいつらだってバレないように、海賊を演じるときは覆面なりをつけてるだろ?」

 それこそ、さっき舞台に上がったときの俺みたいに。顔の印象なんて半分も隠れればがらっと変わるし、全部隠していたならそれこそわかるはずがな

い。

「もちろんやつらは変装しています。でも、ヘウレーカ教の公演を観に来る常連さんは、ある特殊能力をお持ちの方が多いので……」

「――声、ですね」

 ダウリナがレナード弟の話を受けて、そう言った。

「そうです。何度もヘウレーカ教の公演に来るような人は、ドラマ盤やボイス集でとても耳が発達してるんです。だから海賊に二度出くわせば、前回の傭兵が今回の海賊――つまり、同一人物がローテーションしているだけだと気づいてしまう」

 そういえばダウリナも言ってたよな。仮面をつけていても、常連さんなら声でキャスト変更に気づく、と。

「それで、やつらは僕ら兄弟をさらったんです。主役ふたりがいなくなれば、公演は中止になり、自作自演に気づく人も海を渡ってこないだろうと……」

「ところが予想に反して初回公演は行われた」

 ルージェがレナード弟の言葉を遮るように言った。

「それであなたに爆裂玉エクスフイアを持たせて、劇場を爆破しようとしたの? お兄さんを人質にとられたら、弟としては逆らえないもんね。あはっ、超自分勝手☆」

「僕は誰も傷つかない、ただの閃光玉だって聞かされてたんです……! それで騒ぎが起きれば公演が中止になるだろうと……。まさか、爆裂玉エクスフイアだったなんて……!」

 あー。魔法アイテムの効果なんて、冒険者じゃなきゃ見た目で判別つかないか。

 観客を危険にさらしたといっても、こいつは完全に被害者だよな。脅された上に騙されてたわけだし……。

「どうする。巡回騎士団に言えば、動いてもらえる材料は揃ってると思うが」

 俺はこの公演の責任者であるダウリナに問う。

 悪事を働いているとわかった以上、《潮の翼》団を放っておくわけにはい

かないだろう。悪人には、しかるべき裁きが必要だ。

「もちろん、巡回騎士団にはお伝えします。けれど……、《潮の翼》団をすぐに捕えるのは難しいかもしれません。爆裂玉エクスフイアをレナードさんに使わせるあたり、保身には気を配っているようですし……」

 ダウリナは、ふうと息を吐いた。

「明日以降の《シャドウ&ライト》公演は中止にするしかありませんね」

 レナード弟の話を聞いているあいだに、彼女の心は固まっていたようだ。

「《潮の翼》団にもそう伝えてください。そうすればお兄さんも解放されるはずです」

「司祭様。申し訳、ございません……」

 レナード弟は膝をつき、うめくように泣き出した。

「いいのかよ、それで」

 そうせざるを得ないのは俺だって理解できる。けど、ダウリナがあっさり決断したことには、驚かずにはいられなかった。

「脚本も演出も、全部パアになるんだろ?」

「そうだよ。それこそ海賊たちの思うつぼだよ!」

 ミーチカもその理不尽に憤慨してみせる。

「いいんです。この演劇は、人を幸せにするためにつくったものです。この公演をきっかけにひとりでも不幸になる人が出るのなら、それこそ意味がありませんから」

 脚本、演出の両方を手がけた苦労は、並大抵のものじゃなかったはずだ。みんなに喜んでもらえる、それだけを支えに頑張ってきたことは容易に想像がつく。

 なのに、その無念さをダウリナは全く表情に出さない。

 ほんと……、趣味は腐ってるくせに、心は聖母かよ。

「でも、さすがに今日は飲みたい気分ですね。みなさん、巡回騎士さんへのお話が終わったら、一杯付き合ってくださいますか?」

 ダウリナはそう言って、にっこり笑った。

 その夜は盛り上がった。俺、ミーチカ、ルージェで飲んでいると、途中でダウリナとレナード弟、それに解放されたレナード兄も合流し、おいしい魚介料理を食いつくした。

 いや、アクアフロートの酒場も悪くない。今日出かける前に想像してたお洒落で雰囲気の良いディナーとは違ってたけど、いつも以上に賑やかで、新鮮な飲み会だった。

 レナード兄弟は反省しきりだったけど、酒を飲み始めたら普段の明るさを取り戻した感じだったな。ネクラな俺にも積極的に話しかけてくれてさ。

 あーあ、ふたりが冒険者なら仲間に誘うのにな……。なんで俳優なんだよ。

 巡回騎士団から帰ってきたダウリナの話だと、やっぱり現時点で《潮の翼》団を捕まえるのは難しいみたいだ。

 どうやら《潮の翼》団はリオレス王国の上層部ともコネクションがあるみたいで、確固たる証拠を掴まなきゃ動いてもらえないらしい。

 レナード兄が人質から解放されたのも、やつらが俺たちをなめてる証拠だよな。「どうせお前らに俺たちは捕まえられない」って思ってるんだろうし。

 みんな楽しげに騒いでいたものの、やっぱむしゃくしゃした気分だったのか、飲むペースはいつもより早かった。

 そのせいか、日をまたぐころにはみんな酔いつぶれ、テーブルに突っ伏して寝てしまっていた。

 この店は朝まで開いているから、このまま放置しといても大丈夫だろう。

 俺は立ち上がると《憩いの船着き》亭を出た。

「クラムさん……?」

「わっ」

 後ろから声をかけられ、俺はびっくりした。振り返ると、ダウリナが酒場の外に出ていた。

「気づいてたのか?」

「だってクラムさんだけ、いつもよりお酒の進むペース遅かったですからね」

 くすりとダウリナが笑う。

 飲む量だけはどうしても増やせなかったんだよ。《多重高速化マルチアクセラ》は一気に酔いが回ることが弱点。他のやつと同じように飲んでたら、とても使いもんにならないからな。

「まさか……行くおつもりですか?」

「まあ……俺のスピードならやつらのアジトに忍び込んで、証拠を掴んでくるくらいわけないからな」

「どうしてそこまでしてくれるんです?」

 ダウリナは訊ねてくる。忍び込むだけとはいえ、相手は悪党。見つかれば殺される可能性が高い命がけの行為だ。

 仲間でもないダウリナのためにそんな賭けに臨むのは、確かにナンセンスかもな。

「――嫌いじゃなかったから、かな」

 だから、俺が言えるとすれば、そんな答えしかなかった。

「え?」

 余計に怪訝な顔になるダウリナ。

「『シャドウ&ライト』だよ。最後の方は楽屋にいて観られなかったけど、これでも俺、オチはどうなったのか気になってるんだぜ?」

 絶対、シャドウがライトをボコボコにして、改心させたって信じてるけどな。

「それなら、私も一緒に――」

「お前はお前のやるべきことをしろ。俺は俺にしかできないことをする」

 ちょっとカッコつけすぎかもしれないが、俺はシャドウの台詞を借りた。

 劇団員を人質にされて、その仕返しを演出家がやったなんてことになったら、それこそ劇をおじゃんにされかねない。

「でも、クラムさんだって、勝手なことをしたら巡回騎士さんに捕まってしまうかもしれません……」

「バカだな。バレなきゃいいんだよ、バレなきゃ」

 俺にはひとつ狙いがあった。

「影の剣王に手柄を譲っちゃえばいいのさ。ほら、俺って背丈や格好が剣王の噂とほとんど同じだからな」

 我ながらいいアイデア。影の剣王はめちゃくちゃボランティア精神にあふれるやつで知られてるから、正義を行う分には誰も疑わないだろう。

「……ぷっ。あははははは!」

 だが、それを聞いたダウリナは涙を流さんばかりに笑い始めた。

「……なにか俺、おかしなこと言ったか?」

「いいえ、なんにも」

 彼女はそう言って涙を拭う。泣くほど面白かったのかよ。

 ダウリナのツボ、よくわかんねー……。

「そういえば、クラムさんには、まだ演劇に出てもらったお礼をしていませんでしたね」

「お手製の呪いのアイテムならいらないぞ!」

 セラに《狂戦士の腕輪バーサクバングル》を渡していたのを思い出し、俺は即座に断った。

 だってあれ、つけたら一生外れないんだぜ?

 俺のついてなさは天下一品。

 もらったら最後、自分で使うつもりがなくても絶対、事故的にはめるハメになる!

「いいえ、クラムさんにあげるのは、呪いじゃなくて、祝福です」

「祝福?」

 意味がよくわからないでいると、ダウリナは俺の頬に顔を寄せた。

 内緒話でもするのかと思ったら、そのまま柔らかいものが、耳の近くに触れる。

 え、なに今の。

 髪が当たったわけじゃないよね?

 ダウリナは俺と目を合わせ、にっこりと微笑む。

「クラムさんが無事に帰ってこられますように」

「まっ、ままま、まかせとけ!」

 俺はなんとかそう返すと、夜の街を駆け出した。

 走りながら、熱くなっている自分の頬を触ってみる。

 それはどんな強化魔法の重ねがけよりも、効果のある祝福だった。

「……おい、聞いたかよ」

 翌日の酒場は、とある噂で持ちきりになっていた。

「ああ、聞いた聞いた。このアクアフロートに影の剣王が出たんだって?」

 クラムたちが昨夜飲んでいた《憩いの船着き》亭もまた同様だった。テーブルを囲んだ男たちは、酒を酌み交わしながら熱っぽく語る。

「ただ出ただけじゃねーぜ。最近幅を利かせてた《潮の翼》団ってあったろ」

「ああ。いけすかない奴らだよな。あいつらに喧嘩売られたことは一度や二度じゃねぇ。でも……、今日はなんか目にしなかったな。街も静かだったぜ」

「それがやつら、影の剣王に一夜で壊滅させられたんだと」

「壊滅……ってどういうことだよ」

「いやな、昨日は深夜まで《潮の翼》団の全団員を集めた大集会が開かれてたらしいんだがよ、その最中にアジトに侵入者があったんだな」

「当然、普通ならそんなやつリンチだ。けど、その侵入者は向かってきた全団員を逆にボコボコにしちまった」

「しかもその騒動で、《潮の翼》団の悪事が明るみに出て、団員は全員、巡回騎士団にしょっぴかれたらしい」

「悪事って?」

「あいつら大量の海賊旗を隠し持ってやがったんだ。過去に海賊が奪ってった財宝も隠してあったんだと」

「マジかよ。くそっ、自分らで海賊と傭兵を両方やってたのか。つまりやつらのせいで酒が高くなってたんだな」

「剣王はその悪事を全部見抜いてたのか?」

「わざわざ集会の日を狙ったのも、団員たちをひとり残らずこらしめるためか」

「しかも、剣王は《潮の翼》団をやっつけたあとに、こう言ったんだってよ。『思ってたのと違う』って」

「歯ごたえがなかったって? そんな多勢に無勢をやっといて。すげえな……」

「で、肝心の、俺たちの英雄はどんなやつだ? 巡回騎士どもは剣王を見たのか?」

「それがよ、巡回騎士団がつくころには忽然こつぜんと姿を消してたとか。でも黒っぽい服装で、若い男だったらしいぞ」

「なんだそれ。今までの情報と大して変わんねえー!」

「そんだけ素早いってことだろ。そうでなきゃあ、《潮の翼》団をひとりで潰すなんて絶対に不可能だ」

「だよなー。いやー、やっぱ影の剣王が、冒険者最強か?」

「間違いないな。あー、剣王の仲間になりてえ……」

「お前の腕じゃ無理だろ。それに、剣王は仲間をつくらねえ」

「剣王なら、ひとりでだって上位級の魔族と張り合えるだろうしなー……」

 すると、そばで静かに飲んでいたひとりの冒険者が立ち上がり、男たちに訊ねる。

「そんなに強ェのか? 影の剣王ってヤツは」

「ああ? なんだいきなり。今の話聞いてなかったのかよ。圧倒的だよ、圧倒的!」

 背後から近づいてきた冒険者には目もくれず、男たちは酒を飲み続ける。

「ヘェ。まさかとは思うけどよ、オレ様より強い可能性もあンのか?」

 怪訝に思い、男のひとりが顔を上げた。そして、口をあんぐりと開けて硬直する。

 だがその正体に気づいたのはその男だけ。別の男は背を向けたままぞんざいに答える。

「当たり前だろ。剣王だぞ剣王。全ての剣士の王様だから剣王なんだよ」

「バカッ! こいつは――」

 仲間が声を大きくしたことに驚き、全員が近づいてきた冒険者を見た。

 そこにいたのは、白く輝く鎧を身にまとった、金髪の美青年だった。

「ひ、光の剣帝」

「セラ・シュバッツブルク……!」

 男たちが驚いて半立ちになった拍子にテーブルが揺れ、置かれていたリンゴが転がって端から落ちる。

 だがセラは、リンゴが床につく寸前、目にも留まらぬ速さで細身剣を抜いた。

「……?」

 次の瞬間、落ちたはずのリンゴは元の位置に戻っていた――だけではない。

「そのまんまじゃ、食べにくいだろ。切り分けといてやったゼ」

 一拍おいて、その果肉はパックリと綺麗に八等分となる。

 その芸当を見た男たちは、自分たちも同じように切り分けられるのではと思い、ひいい、と悲鳴を上げた。

「最強ってのァ、オレ様のためにある言葉だと思ってたんだがなァ……」

「も、もちろんですぜ、ダンナ!」

「最強は光の剣帝! 皇帝は王より強し! これは間違いありやせん!」

「……それは、手合わせしてみねェとなんとも言えねェな」

「へっ?」

 ビビりまくってゴマをする男たちだったが、自信家の剣帝の口かられたのは、意外な言葉であった。

 セラは自らの切り分けたリンゴに食らいつき、じゃりじゃりと噛み砕きながら笑う。

「昨日のつまらねェ決闘のせいで、オレ様はフラストレーションが溜まってんだ。オマエらも、光と影、どちらの剣が最強か、興味があるだろ?」

「ま、まさか」

「夢のドリームマッチが実現!?」

 男たちは興奮し、言葉の意味が重複していることにも気づかない。

「そう、決闘だ! いっちょハッキリさせてやろうじゃねェか。最強の称号は、オレ様のためにこそあるってな!」

 酒飲みたちの歓声のなか、セラは自らの剣を高々と掲げ、そう宣言した。

 すでに昨日、影の剣王本人と対峙たいじしていたとは露知らずに――

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