第5話 ネクラ勇者、邪教徒の儀式に飛び入りする 前編

「ムッツリさん、明日私とデートしてくださいません?」

「………………はい?」

 いきなりの申し出に、俺は「ムッツリじゃない」といういつものツッコミすら忘れて硬直してしまった。

「ええええええええっ!」

 叫んだのは隣に座っていたミーチカだ。よほどびっくりしたらしく、ジョッキを持つ手は震え、テーブルにはミルクがこぼれている。

 あとでちゃんと掃除しろよ、お前。

 しかし、そりゃビビるわな……。

「なんでまた、と、突然に?」

 俺だって驚かなかったわけじゃないぞ。

 デートっていう言葉には、俺の知らない意味や、別の使い方が隠されているんじゃないか? なんて頭をフル回転させるくらいには動揺してる。

 ここは《旅の道連れ》亭。

 俺、ミーチカ、ダウリナは三人とも冒険者だが、仲間ってわけじゃない。

 それでも最近はよく一緒に酒を酌み交わす、いわゆる飲み友だ。特に飲みの約束をしていなくとも、二軒目にこの店に来るとふたりがすでにいるんだよな。

 ミーチカは容姿が幼いせいでこの店しか入れない上、常連のダウリナにおごってもらう気満々だし。たかる気満々とも言う。

 てか、毎回ミーチカ分のお金も払ってて、ダウリナはよく破産しないよな。

 せっかくだから、俺のもうっかり支払ってくれないかな……なんて。

 ん、本来ならお前が女の子の分を払うべきだろって?

 残念だったな、俺にそんな金銭的余裕はない!

 ……本題からズレた。

 ともかく、なんだかんだほぼ毎日顔を合わせているだけに、これまでわざわざ相手から誘って来たり、俺から誘ってみたりすることはなかったんだ。

 それが一体、どういう風の吹き回し?

「ダウリナ、まさかネクラさんに、ほ、ほほ、れたわけじゃないでしょうね!?」

 あえて変な期待しないようにと心がけていたのに、ミーチカさんがいったああ!

 マジかよ。それ、一度妄想し始めたら帰ってこられる気がしねえよ……。

 だってさあ、うん、この際だからダウリナのスペックを振り返ってみてもいいかな。

 邪教の司祭で、男同士をくっつける妄想を始めるあたりはほんと残念で仕方ないけど、おっとりとした母性本能の塊みたいな性格に、巨乳好きにはたまらないプロポーションがぴっちりとした修道服に包まれているんだからね?

 そして修道服って言っても、背中が開いていたりと妙に露出が多いし、なぜか白ストッキングにはガーターベルトまでついているんだからね?

 背徳感が服を着て歩いているような――というか、服まで含めて背徳感そのものみたいな存在なんだからね?

 そんな女性から告られてみろ。

 ……。

 とりあえずおっぱいをネタに妄想を始めようかと思ったけど、鼻血が出そうになったからやめたよね。

 そうだな……。ひとまずは鼻血が出ても大丈夫な体勢をとれる、膝枕から

のスタートでお願いします。

 ガーターベルトの硬い感触と、太ももの柔らかい感触。

 果たしてどちらが勝つのか――レディ……、ファイッ!

 ……いやいやいや、待て待て待て。

 俺は能天気な自分自身に喝を入れる。

 そんな展開、100パーセントありえないから。

 相手を振り返る前に、自分のスペックを振り返ってみろよ。

 仲間いない歴十八年。彼女いない歴も十八年。

 冒険者ランクはD。ネクラ、童貞、金だってそんなにないし、趣味は酒場を巡って冒険者日記 《飲みログ》を更新すること。

 あん? 《飲みログ》の閲覧者数? 皆無に等しいっての。

 これ惚れられる要素、ひとつでもあるか?

 やべ、考えてたら涙出てきた。なにこの自己分析、新手の修行か?

 しかも子持ちときたもんだ――あ、ミーチカは子供じゃなくただの居候か。

「はい。私、クラムさんに惚れこんじゃいました」

 ところが、そんな俺の低スペックにもめげず、ダウリナは頬に手を当てて、ぽっと顔を赤らめた。

「がーん!」

 ミーチカ……。そういう音は、口に出すもんじゃないからね。

「お、男として、というより、人間的に、って意味だよな……?」

 パッシブスキル、『なるべく相手の好意をネガティブに捉える』発動!

 これこそネクラが身につけるべき究極の自己防衛である!

「両方です。クラムさんのことは、カップルの相手として見てます」

 カ、カップルの相手として、だとお――――!

 破城槌はじようついの一撃で、俺の積み上げた防壁は最終ラインまで破壊された!

「そ、そうなんだ。ふうん……」

 冷静を装ってはみたものの、喉はカラカラだった。俺はジョッキに残ったエール酒を、ぐいぐいと一気に飲み干す!

 ……おかしい、苦味を全然感じないよ?

 甘い、甘いよ。エール酒って、こんなに甘いお酒だったのか……。

 はぁ……、カップルの相手か。

 その響きに酔いしれていると、隣にいたミーチカの瞳から、ぶわっと涙がこぼれた。

「ダウリナが、ダウリナが洗脳されちゃってるう……」

「失礼だな、おい!」

「ぐすっ、こんなことなら、マインドコントロールを解く魔法を覚えておくんだった!」

「どんだけお前、俺への評価が辛いんだよ!」

「こうなったら洗脳している本人を倒すしかないね。覚悟してよ、ネクラさん。あたしの金ヅ……友達に手を出したこと、後悔させてあげる!」

「今、明らかに金ヅルって言おうとしたよな」

 ひどいのはどっちだ。

「まあまあ、ミーちゃん。私、洗脳なんてされてないですから。はい、ミルク飲んで落ち着きましょう?」

「で、でもお……」

 ダウリナは最近、ミーチカを『ミーちゃん』と呼んでる。ルージェがチカちゃんと呼んでいたから、それに感化されたのかもしれない。

 十代の女の子たちからちゃんづけで呼ばれる百五十代……。

 そういえば、ルージェとはあれ以来会ってないんだよなあ。もしかして住み慣れたダンジョンに帰ってしまったんだろうか。

 だとしたら、サクラだと疑ってしまって、なんだか悪いことをした気がする。

 ま、濡れ衣を着せてしまった原因も半分以上はミーチカにあるけどな。

 まったく、こいつのダメエルフっぷりはとどまるところを知らない。

「それで、明日のデートは受けていただけますか?」

 ミーチカがしゅんとミルクを飲んでいる隙に、追い込みをかけてくるダウ

リナ。

「も、もちろん」

 答えると、ダウリナは心底嬉しそうに表情を綻ばせた。

「良かったー。断られたらどうしようかと思っていたんです」

 ず、ずいぶん積極的だな。なんかトントン話が進みすぎて現実感がまるで湧いてこないんだが……。

「あ、あの、あたしも行ってもいいかな?」

 デートだって言ってるのに、ずうずうしくミーチカが参加を希望する。

「三人でも、デートはデートでしょ?」

 いや、その理屈はおかしい――と思ったけど、よく考えたらデートって定義が曖昧だよな。ふたりだとデート、四人だとダブルデート、では三人は?

 ……謎だ。

 しかし、邪魔だなと思う反面、ついてきてくれたらありがたいかも、って考えてる小心者な自分もいるんだよ。

 ダウリナ、こんなヘタレな俺のどこに惚れたんだ……?

 それこそ謎すぎる。

「ほら、ネクラさんとふたりきりになったら、なにされるかわからないし」

「ウチに住みついといて、なんてこと言うんだ!」

 俺がミーチカに手を出したことが、一度でもあっただろうか。

 ネクラ、ムッツリと散々な呼ばれ方をされようが、俺の心は紳士なんだ!

 ん――そうか。ダウリナは俺のこういうところに惚れちゃったんだな。

 いやー、だったらしょうがないな。

「んー、ミーちゃんを連れていけないのは心苦しいんですけど、明日はちょっと……」

 いつもミーチカに甘々なダウリナが、初めて渋い顔をした。

「そ、そっか。い、いいんだ。気にしないで。ふたりで楽しんできてよ」

「そういうことだ。悪いな、ミーチカ……うっ!」

 調子に乗りかけていた俺の脇腹に、ミーチカが軽くパンチを入れてきた。

ダウリナには大人ぶった対応を見せたくせして、俺には頬を膨らませ、完全にすねている。

「いい? ダウリナに変なことしたら、あたしが許さないんだからね!」

「だ、大丈夫だって」

 大丈夫と言ってはみたものの、保証はできなかった。

 なにが起こるかなんて、誰にもわからない。

 だってこれ、戦争デートなのよね。


 翌日の昼過ぎ。俺は集合場所であるネオンブリッジの中央広場にいた。

 ここはネオンブリッジだけじゃなく、リオレス王国の中心地ともいえる場所だ。

 旧魔法文明時代に敷き詰められた石畳はいまだに欠けひとつなく、あたりにはいくつもの貴重な建造物が建っている。

 正直、少し眠い。結局、昨夜は寝れなくて、革鎧かわよろいやブーツを無駄にぴかぴかになるまで磨いてしまったからだ。

「お待たせしましたー」

 ダウリナが小走りでやってきた。

 さすがしっかりしている、約束の時間よりも十五分早い到着だ。

 ん、俺がいつから待っていたのかって?

「いや、俺も今来たとこ」

 に、決まっているだろ!

 それにしても彼女はいつも通り修道服のままだ。てっきりドレスとかで来るかと思ってたんだけど……、なんだか俺だけ気合が入っているみたいで恥ずかしい。

「どこに行くかは決まっているのか?」

 聞きながらも、実は俺のなかではばっちりプランが出来上がっていた。

 まずはダウリナの好きそうな紅茶のおいしいお店で軽くくつろぎ、次は街を散策しながら適度にお洒落な穴場を教え、夜になったらこの街で星が一番きれいに見える酒場、そして後はそのときの雰囲気に応じて候補を七軒ほど見繕ってある。

 ふっ、酒場だけには詳しい俺だからこそできる、臨機応変に変化させられるプラン。

 完璧に決めすぎない。これが大人の男の余裕だ!

 だが――

「これから行く場所は、アクアフロートにあるんです。これ、どうぞー」

 ダウリナは小さなチケットを二枚取り出し、そのうちの一枚を俺に渡してくる。

「これ……、演劇のチケット?」

 チケットの表面には、ケルピー劇場という文字と、細かな地図が描かれている。

「そうです。特等席をとっておいたんですよー」

 アクアフロートはネオンブリッジからおよそ七十キルメルト(約七十キロメートル)東に進んだ場所にある、海沿いの都だ。

 馬を一日走らせてやっと着く距離だが、ネオンブリッジにはこういうときに便利な、旧魔法文明の遺産がある。

 すなわち、転移装置トランスゲイト

 ネオンブリッジの中央広場は、かつて栄えた巨大文明の中心地だった。

 そのため、ここにはリオレス各地へと一瞬で飛ぶことのできる、五つの転移装置トランスゲイトが残されている。

 他の広場も合わせれば、ネオンブリッジには実に十七もの転移装置トランスゲイトがあるのだ。

「さあ、行きましょう」

「お、おう」

 ダウリナは俺の腕をつかむと、アクアフロートへとつながる、門の形をした転移装置トランスゲイトへと進んでいく。

 現代では鋳造することも、分解することも叶わない、純白の金属《オリハ

ルコン》でつくられた、幅、高さ十メルト(十メートル)ほどの門。

 門の先には、ぐにゃぐにゃと時空のゆがんだ闇が待ち構えている。

 最初はどこに続いているのかと入るのが怖かったもんだが、もうすっかり慣れてしまった。

 今も 闇の向こうからはひっきりなしに冒険者や商人、アクアフロートの住人はもちろん、遊んでいる子供までもが転移してくる。

 転移装置トランスゲイトは、リオレスの人々にとってはなくてはならないものなんだ。

 それにしても――俺はダウリナとふたりで門をくぐりながら、しみじみみしめる。

 女の子と一緒にネオンブリッジを出るなんて、本当にデートみたいだ。

 いや、本当にデートなんだよ。

 生きててよかった!

 …………あれ、でもちょっと待てよ。

 ネオンブリッジを出ちゃったら――俺の立てたプラン、全部使えなくね!?

 ……ヤバい、完全に想定外だ。

 俺、酒場だけには詳しいけど、その知識は完全にネオンブリッジ限定なんだよ!

 劇場が転移装置トランスゲイトの近くだったらホームに戻ってこられるけど、もし離れていたらアクアフロートでお店探さなきゃいけないかも。

 ウソだろ……。俺の臨機応変さは、あくまで計画に基づいたものなんですけど……。

 ノープランで初デートを乗り切るとか――ハードル上げすぎィ!

 こんなことならカッコつけずに、昨日のうちに行先を聞いておくんだった……。

「クラムさん、どうかしましたか?」

 呼ばれてハッとした俺の鼻を、潮のツンとする香りがくすぐった。

 さっきまで曇っていた空も、門をくぐれば真っ青。アクアフロート側の転移装置トランスゲイトは丘の上にあって、海を見下ろすことができた。

「あー、いい景色だな……」

 アクアフロートは別名 《海の都》。漁業も盛んではあるが、なによりもこの都を栄えさせているのは貿易だ。

 水平線の先にあるいくつかの島国と船を行き来させ、街は渡来品にあふれている。

 丘を下ると、道の左右に建つ家々はいずれも塩害に強い漆喰しつくいの白。だから、青と白の街なんて呼ばれることもある。

 綺麗きれいだけど、俺にとっては完全アウェー。ここに来れば珍しいものも手に入るし、絵画や音楽、それに演劇なんかも流行の最前線をいってるんだけどさ、なんか場違い感を覚えるっていうか……。街を歩いている人もみんなお洒落だし。

「……ん?」

 ところが、いざ丘を下ってみると、印象が以前と妙に違う。

 なんだろ、景色は変わらないんだけど、行き交う人の種類が変わってる……?

「げはははは! お前ら誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ!?」

「全部俺たちのおかげだろうが!」

 大きな声をあげ、我が物顔で通りを闊歩かつぽしているのは、武装した一団だ。露店の店主や買い物客は彼らを刺激しないよう、少しびくついて見える。

「なんか、物騒な連中がいるな……」

 薄手の鎧を着た曲剣使いの男、トカゲを混ぜたような人種・リザードマンの戦士や、他にも武器を腰に提げた連中がぞろぞろ。

 こいつら、俺よりも全然場違いなのに、自分たちで気づいてないのか?

「ああ、《潮の翼》団の方々ですね」

 ダウリナは彼らにちらりと目線をやって、困ったように眉を歪ませる。

「《潮の翼》団? ……なんだ、それ」

 よく見ると、連中の鎧や服には翼をかたどった紋章がついているけれど。

「最近、ここら辺の海に海賊が出るらしいんですよねー。それで、その海賊から商船を守るために雇われてるのが彼らなんです」

「要するに、海の傭兵ようへいってとこか……」

 それならやつらの格好にも納得だ。連中の武装は海に落ちてもいいように軽装だし、リザードマンは泳ぎが上手いっていうしな。

「でも、嫌な感じだな」

 アクアフロートって、もっと華やかで知的な印象なのに、こんなごついやつらが増えたら台無しじゃないか。

 よそ者の俺がそう感じるんだから、住民は余計にそう思っているんじゃないか? 現に、あいつらが通り過ぎるとみんなひそひそ悪口言ってるぞ。

「でも《潮の翼》団を雇うと、実際に海賊をあっという間に追い払ってくれるらしいですよ。だから、貿易で成り立つこの街ではありがたい人たちでもあるんです。その分、お値段も高いんですけどねー」

「なるほどな……」

 俺は通りに出ている露店やレストランの看板を見る。前よりも物価が上がっているのはそのせいか。

 貿易でやってきた品に、傭兵を雇った分の金も上乗せされてるわけだ。

「あ、つきましたよ。劇場はここです」

 目的のケルピー劇場は、海沿いの道を進み、貿易港を通り過ぎたところにあった。

 岸壁の上のような場所で、さっき目にした《潮の翼》団の紋章を掲げた船もたくさん見える。

 外観は思っていたよりかなり大きい。まるで大理石でつくられた神殿のようで、門の前には海に出るという伝説の馬、ケルピーの彫像がある。

 外壁に貼られているポスターは『シャドウ&ライト』というタイトルだ。

 向かい合い、剣を交える男ふたりが描かれている。彼らは双子みたいにそっくりだが、髪の色だけが金髪と黒髪で異なっていた。

「恋愛モノじゃないんだな」

 デートだから、てっきり恋愛モノを選んだのかと思っていたのだが、これなら俺が観ても楽しめそうだ。

「なに言ってるんですか? これ、恋愛モノですよ?」

「あ、そうなの? どう見ても剣劇にしか見えないんだけど……」

 意外だ。ポスターには描かれていないが、ヒロインが登場するのかもしれない。

 そのヒロインと男ふたりで三角関係ってところか。

「うふふ、期待してください。シャドウくんマジメインヒロインなんで」

「シャドウくん……? それって、あのポスターに描かれている男のことか?」

「そうですよー? シャドウ&ライトですから。あ、でも公式的にはライシャド推しなんですけどね」

 ライシャド推し……?

 なんだ、それは。……い、嫌な予感しかしない。

 ロビーではグッズが販売されていて、たくさんの客が群がっていた。遠目からだと売り物の全部はわからないけど、パンフレット以外にもスマホンに移して聞くことのできる音楽盤を売っているみたいだ。

「あれ、なんなんだ? 劇中に使われる音楽でも入ってるのか?」

「いえ、あれはドラマ盤ですね。あとボイス集」

「……ドラマ盤? ボイス集?」

「はい。キャストの声を楽しむためのアイテムです」

「……さっぱりわからん。声だけ聞いて、なにが楽しいんだ?」

「え? クラムさんも自分でボイス集作ってるって聞きましたけど」

 ミーチカ、あいつ俺の密かな趣味をバラしやがったなあああ!

 しかし……、なるほど。みんなそうやって孤独を紛らわせてるわけね。

 って絶対違うだろ。俺みたいなぼっちがそんなにたくさんいてたまるかっての。

 俺たちはスタッフにチケットを渡し、劇場へと入る。

 なかには椅子がずらりと並べられていて、ステージを見やすいよう一列ごとに段差まであった。外装だけでなく、内装もかなり豪華なつくりだ。白を

基調にして、随所に金の装飾があしらわれている。

 ステージにはまだ幕が下りているが、その刺繍ししゆうも女神が描かれた美しいものだ。

 けれど、劇場中央の席に腰かけた俺は、めちゃくちゃ落ち着かない気分だった。

「あのさあ……、なぜか俺以外、男が見当たらないんだけど……」

 さっきはごつい男が多くてうんざりしていたのに、今はむしろ恋しい。

 少しずつ埋まっていく観客席には、もう見事に女の子しかいないんだ。

 ていうか……、みんな俺に慈愛に満ちた表情を向けてくるのはなぜ?

「それは仕方ないですよ。ヘウレーカ教徒は大半が女性ですからねー」

 ダウリナが知り合いらしき女性客に手を振りながら、さらっとおかしなことを言った。

「あ、なんだって? ……この演劇、ヘウレーカ教が絡んでるの?」

「はい。ステージの幕にヘウレーカ様が描かれているでしょう?」

 うお! あの女神、ヘウレーカだったのかよ! 美化しすぎじゃね!?

 ……なーんて言おうものなら、ここの客全員を敵に回しかねない! 俺はすんでのところで自らの口を塞いだ。

「ケルピー劇場で行われるヘウレーカ教主催のイベントはいつも大人気ですから。国外からも船を使ってたくさんのお客さんが観に来られますし、イベントメインのツアーが組まれるくらいなんですよ?」

 国外には転移装置トランスゲイトもないし、気軽に来られるもんじゃないはずだが。

「演目が変わる度にわざわざ遠方から来る人もいるのか?」

「いえ、同じ演目でも何度も来られますよ」

「は? それ意味あるの? 同じもの観てたら飽きるだろ」

「そんなことありませんよー。いつも新しい発見に満ちてます」

 ……そんなもんなのか?

 俺は後ろに座った、三人組の客の声に耳を傾けてみる。

「今日の儀式ミサ、楽しみだね。キャストは《ジャキョート!》とほぼ同じなん

でしょ?」

「ほんとこういう日はヘウレーカ様を信じててよかったって思えるよねー。チケ優先で予約できるし。あたしもう三回分とっちゃった」

「でもさ、噂で聞いたんだけどぉ、今日はレナード兄弟、出ないらしいよ」

「ウッソ! ポスターもレナード兄弟なのに!? 兄弟えができないなんて、詐欺じゃんそれ」

「でもその分、新しいCPの開拓ができるかもしれないよね」

「開拓なんて能動的なモンじゃないでしょ、ただ沼に落ちてるだけでしょ」

「違えねえ」

 ギャハハ、と笑いあう三人。

 ヤバい。話してる内容の半分くらい意味わかんねえ。

 ていうか、演劇だろこれ。儀式ってなんだよ、儀式って。

 ヘウレーカ様に演目を捧げる的な、そういう意味なのか? 

 冷や汗をかきはじめたところで、劇場に音楽が鳴り響き、幕が上がり始めた。

 俺は一体、なにを目の当たりにしようとしているんだぜ……?


「うー、まさか演劇を観に行くなんて……」

 ケルピー劇場の外で、ミーチカは途方に暮れて立ち尽くしていた。

 家からクラムをつけてきたものの、チケットの必要な場所に入るなんて想定外だ。

 当日券を買おうにも、前売券だけで席は全て埋まってしまったらしいし、まわりの客に譲ってもらおうにも、目をぎらつかせた人ばかりで、とてもそんな頼み聞いてもらえそうにない。

「もうやだっ!」

 ミーチカは劇場前の石ベンチにどかっと腰を下ろした。大体、なんで自分がこんなストーカーまがいのことをしなければならないのだ。

 全ては、ふたりが自分を仲間外れにするのがいけない。お酒を飲むときは

いつも三人なのに、いきなりのけ者にして出かけるなんて。

(このまま、ふたりがこ、ここ、恋人とかになっちゃったりしたら、どうしよう……)

 そんなことになったら、ダウリナにもうお酒を奢ってもらえなくなるし、クラムの家からも出て行かなきゃならなくなるかもしれない。

(やだやだ。そんなの、絶対に許さない!)

 他にもモヤモヤする理由は残っている気がするが、とりあえずはそのふたつだけでもミーチカにとっては大問題だった。

(ふたりには悪いけど、いい雰囲気になりそうだったら邪魔するしかないよね、うん!)

 しかし、ふたりはもうミーチカの目の届かない場所だ。

 状況は極めてまずい。劇場を出てくるころには、もうカップルは成立しているかもしれないのである。

「こうなったら、劇場ごと燃やしてしまうか……」

 そんな仄暗ほのぐらい考えが、ミーチカの頭をかすめたそのときだった。

「んふっ、なにか困ってるのぉ?」

 顔を上げると、見覚えのある女性がのぞき込むようにして立っていた。

「ああーっ!」

 紫の髪に褐色の肌。身軽で露出の多い服装に、腰には丸めたむち

「チカちゃん久しぶりっ☆ 元気にしてた?」

「あのときのビッチビチ!」

 指差すと、彼女は少しイラッとした表情を見せる。

「ルージェント・ルーフレット! お子ちゃまは人の名前も覚えられないのかな?」

「大事な人の名前なら覚えますー」

「あはっ☆ 絵に描いたように反抗的な態度。あたしがクラムンに手を出したのが、そんなに気にいらなかったのぉ?」

「ふんっ、ネクラさんなんてどうでもいいんだけど!」

 ベンチから腰を上げて歩き出そうとするミーチカの肩に「つれないなあ」としなだれかかってくるルージェ。

「ちょっと、くっついてこないでよ!」

「んふ。これ、なーんだっ?」

 そう言ってルージェが胸元から取り出したのは、

「ああっ! 演劇のチケット!?」

 しかも、それが二枚。

「どうしたの、それ!」

 当日券はないと言われたのに。思わず声が大きくなってしまう。

「そりゃヘウレーカ教団に潜伏していたリオンの分身に譲ってもら――ぢゃなかった、前売券を買ってたんだぁ」

 ルージェが得意げにチケットをぴらぴら揺らす度に、それを目で追うミーチカの頭も揺れる。

「でもさぁ、一緒に観ようと思ってた人が急に来られなくなっちゃって、一枚余ってるんだよねぇー」

「ビッチのことだし、どうせ出会い系でつかまえた男とでも来るつもりだったんでしょ。だませなくて残念だったね!」

「いちいち指差すのやめてよね。それにアタシはサクラぢゃないってば」

「ふん、どうだか」

 つんとした態度を続けるミーチカだったが、チケットから視線を離せない。

「あーあ、もったいない。後ろの方でステージは遠いけど、観客席は一通り見渡せる、良い席なのになぁ」

「へ、へぇー」

 ミーチカの手は、無意識のうちにチケットへと伸びていく。

「この回が終わったら、チケットもただの紙切れになっちゃう。誰か一緒に観てくれる人はいないものかしら」

「そ、そんなにもったいないなら、あたしがもらってあげてもいいんだけど?」

 ミーチカの指が、チケットに触れようとしたそのときだった。

 ルージェの身体が離れたかと思うと、手の甲にぴしりっと軽い傷みが走る。

「いたっ!」

 ルージェが鞭でミーチカを叩たたいたのだ。

「なにするのよ、ビッチ!」

「……素直ぢゃないなぁ」

 手を押さえ前かがみになったミーチカを見下ろして、ルージェが怪しげに微笑む。

「人におねだりするならぁ、もっとやり方ってものがあるでしょお?」

「やり方って……?」

 上目づかいのミーチカを満足げに眺めると、ルージェは逆に持ちかえた鞭の柄で、地面を指し示す。

「とりあえず、そこにひざまずきなさいよぉ」

「ひ、ひざま……?」

「そっ、できるだけ無様ったらしくね☆」

 ミーチカはきょろきょろとあたりを見回した。ここは劇場前。当然のことながら人通りは多い。

 しかも喧嘩けんか するように向かいあうふたりには、周囲の視線がばっちり集まっていた。

(こんなところでこのビッチにひざまずいたりしたら一生の恥じゃない!)

 おまけに、相手はさらなる要求を加えてきた。

「それで演劇が終わったら、今夜一晩はアタシに絶対服従するの。どう、簡単でしょ?」

 ルージェは妖艶に、べろりと唇をめる。

「だ、誰がそんなこと……」

「あっれえ、いいのかなぁ? リナっちにクラムンをとられちゃって。あのコに暗がりで誘惑されたら、クラムンの理性なんて一瞬で崩壊すると思うけど? そしたらチカちゃん、仲間外れになっちゃうねえ」

「う、うう……」

 痛いところをつかれて、ミーチカは涙目になる。ふたりが自分のそばから離れてしまったら、また自分はひとりぼっちだ。酒場に入ることもできず、憧れの影の剣王を探すことさえできなくなってしまう。

「わかったならさっさとやりなよ」

 一瞬、冷めた声を出したかと思えば、

「ほら。ひっざまっずけ☆ ひっざまっずけ☆」

 今度は心底楽しそうに、手を叩いてはやしたてるルージェ。

(この女……。本気で性格ひんまがってる!)

 はらわたを煮えくり返しながらも、ミーチカはその小さな膝を曲げた。

「これこれ、相手を屈服させるこの瞬間がたまんないのよねぇ」

 ミーチカの片膝がつき、ルージェがよだれをたらさんばかりの恍惚こうこつとした表情を浮かべた――そのときだった。

 ミーチカは腰からワンドを抜くと、その先端をくるりと回す。

「あっ!」

 発動した念動力により、ルージェが手に持っていたチケットが空中に舞う。

「じゃーんぷ!」

 ミーチカは曲げた膝を思いっきり伸ばして跳ぶと、そのうちの一枚をがしっと掴んだ。

「ほんとに、ひざまずくとでも思ったの? ばーかばーか!」

「くきぃー! この泥棒ネコッ!」

 ひらひら漂っていたもう一枚のチケットを掴み取ると、ルージェは逃げ出したミーチカを追う。

「やーいやーい!」

 こうしてふたりは、遅ればせながらもクラムたちのいる劇場へと入っていった。


 演劇の主人公は、ふたりの少年だった。

 ひとりは、ライト。光を表す名前なだけに、目立ちたがり屋で明るい性格。人が集まれば、いつもその輪の中心にいる。

 もう一方の主人公、シャドウは、影を意味する名前の通り、口下手で暗い性格。いつも孤独に片隅で生きている。

 同じ孤児院で育った、正反対なふたり。ある日、殴り合いの喧嘩になった彼らは、そのときの口論からお互いの夢が同じだと知る。

 彼ら共通の夢――それは生まれ育った国を平和で豊かなものにし、自分たちのような孤児が生まれないようにすることだった。

 それからもライトとシャドウはたびたび衝突を繰り返しながらも、互いのことを認め合うようになる。そして、どちらが夢を叶えられるか、勝負することにしたのだった。

 やがて青年になったライトは、憧れていた王国騎士団に入る。彼は類まれな剣の腕を認められ、騎士団でも一目置かれる存在、《光の剣帝》となる。

 かたやシャドウは孤児院のあるスラム街に留まる。そして剣一本で裏世界の実力者たちと渡り合い、ちまたでは《影の剣王》とうわさされる。

 そこまで鑑賞して、俺はようやく理解した。

 ……なるほど。このお話は実話をモチーフにした演劇なんだ。

 まあ、本物の《光の剣帝》は騎士じゃないし、《影の剣王》は素性不明だから、どれだけリアルと整合性があるかはわからないけど。

 俺がどっちのキャラクターに共感したかといえば……、言わなくてもわかると思うが、もう圧倒的にシャドウだ。

 なんだかシャドウって、俺の性格にそっくりなんだよな。特に人助けしたときになにも言わずに立ち去っちゃうところなんか、本当にうなずいてしまう。

 別に感謝されたくないわけじゃないんだけどさ、どうも面と向かってお礼言われるの、こっ恥ずかしいんだよな。

 しかし――ふと、ここにはいない少女のことが脳裏に浮かんだ。

 この劇……、剣王のことを熱烈に信奉しているミーチカが観たら、物凄く怒るだろうな。

 だって、あいつ剣王を盲目的に崇拝して、完璧超人だと信じてるし。

 シャドウって、むしろ性格的には完璧どころかダメ人間だもんなー。ネクラだし、ムッツリスケベ……。

 本当に、この場にいないのが幸いだ。今日ここで観た演劇の内容は、絶対にミーチカには話さないでおこう。


「ムカつくーっ! なんなの、あたしの影の剣王さまをあんな性格に描くなんて!」

 ところがミーチカは、クラムたちの後ろでまさに同じ演劇を鑑賞していた。

「いやいや、あなたのぢゃないから」

 座席にひじをつき、ルージェが苦笑する。チケットの指定席が隣なのだから、よく考えたら逃げるのも追いかけるのも大して意味がなかった。結局ふたりはいがみあいながらも仲良く横に並んで演劇を観ることになったのである。

(ま、面白い展開にはなってきてるよね)

 転移装置トランスゲイトをくぐるクラムとダウリナ、そしてその後ろをこそこそと追うミーチカを発見したときにはなにごとと思ったが、こう愉快だとリオンからチケットを奪い取った価値もあったというものだ。

 ミーチカを屈服させられなかったのは残念だが、それはこれからじっくりと。

「それにしても剣王さま、剣王さまって……。ほんっと、チカちゃんってクラムンのことが好きなんだね」

 こうも開けっぴろげに自分の気持ちを口にしているのは、あきれもするが、逆に清々すがすがしくもある。

(そういう子を自分色に染めていくのが燃えるんだけどね)

 そう思ってニヤニヤしていると、ミーチカが怪訝けげんな声をあげた。

「は? なに言ってるの? あたしが好きなのは剣王さまであってネクラさんじゃないんだけど」

「……え? だから、同じことでしょ?」

 ルージェには、ミーチカがなにを言っているのかわからなかった。リオンの危険人物リストには、影の剣王=クラム・ツリーネイルだとしっかり書かれていたではないか。

 そんな優れた人物だからこそ、エルフの巫女候補だったミーチカや、未来のヘウレーカ大司教と目されるダウリナといった、超有望な人材が集まっているのではないのか?

「同じって……、どこが? ……ああ、この演劇で剣王様がネクラさんみたいな性格に描かれてるからなにか勘違いしてるの? あたし、今舞台にいる剣王さまは全っ然認めてないから!」

「え、なに言ってんの?」

「? だから、そっちがなに言ってんの?」

 目を合わせて首をかしげるふたりだったが、はたとルージェはある可能性に気づき、笑い声をあげた。

「あははははっ☆ なんだあ、そういうこと! やーん、アタシ全部わかっちゃった!」

「なによ、どういうこと? 説明してよ」

 ひとり納得したルージェに、ミーチカが不満そうに訊ねてくる。

「んーん。なんでもない」

 しかし、それを教えてやるルージェではない。こんなに面白い関係性、ネタばらしするのは今ではないだろう。

「ヤラしい女。悪だくみしてる顔だよ」

「そりゃあね。あー今、アタシ人生で一番面白いかも」

「キモちわる」

 気持ち悪かろうが構うものか。

 ルージェはこれからのことを想像して、ニヤニヤがおさまらなかった。


「このわからず屋が!」

「……わからず屋はお前の方だ」

 舞台の上では、シャドウとライトが互いの信じる正義をぶつけ合っていた。

 相手の強さを認め合いながらも、別々の道を行くふたり。

 うーむ。王道とはいえ、なかなか熱い展開だな。

 しかし、ヘウレーカ教が主催しているなんていうからもっと男同士がベタベタしたり、イチャついたりしているのかと思ったけど……。

 想像していたより全然普通の物語じゃないか。ていうか素直に面白いぞ!

 自らの生まれ育ったスラム街を守り続けたいと思うシャドウには共感しっぱなしだし、なんだかんだライトも憎めないキャラだしな。

 オレ様キャラだけど、実は自分自身を追いつめるためにビッグマウスになってるところとか、むしろ応援したくなる。

 実物の《光の剣帝》とはえらい違いだぜ。あっちは少し話しただけで胸クソ悪くなってくる性格してるからな。

「シャドウ……、オマエはこんなところでくすぶるべき男じゃない。今すぐ騎士団に入り、オレ様の右腕になれ」

 そう説得するライトだったが、シャドウはかたくなにその申し出を拒絶する。

「騎士団に入れば、もっと手っ取り早くこの国を良くできるんだぞ!」

「確かに効率的なのはそっちかもな」

「だったら――」

「けれど、それでは見過ごされ、犠牲になってしまう人たちもいるんだよ。そして、そうなるのはいつも弱い人たちだ」

「く……」

「ライト……。お前はお前のやるべきことをしろ。俺は俺にしかできないことをするつもりだ。それが一番いい」

 シャドウ、なんていいやつなんだ。うーん、こういうやつが仲間だったらなぁ……。

 しかしこのアツい男の友情が、女たちに理解できるものなんだろうか。

 なんか、客層に対してこのお話って、間違ってないか?

 そんな風に思ったんだが――

「キャ―――ッ!」

 前編が終わり、一旦幕が下りると、客席中から黄色い歓声が飛んだ。

 うお、なにが起こったんだ!?

 後ろに座っていた三人組も、ヤバいくらいの熱を込めて語りだす。

「んほーっ! シャドウ&ライト――いえ、シャドライ激アツ!」

「なに言ってんの! ライシャドよ、ライシャド! これは薄い本が厚くなりまする!」

「喧嘩ップル萌えー! グッズコンプ決定です!」

「私たちは今、伝説の始まりに立ち会っているのよ!」

 三人組だけではない、観客席にはシャドライコールが巻き起こる。

 いや、ライシャドコール? どっちも同じくらいの数が、競い合って劇場内をうねる。

 一体なにが起こっているんだろう。

 まるで――そう。

 会場全体におかしくなったときのダウリナが乗り移ったかのようだ。

「ダ、ダウリナ。この劇場はいつもこんな感じなのか?」

「いえいえ、今日は公演初日ですからね、特に情熱のあるお客さまが多いんですよー」

 ダウリナはそう答えると、にこにこしながら周囲の様子を眺めている。

 なんだ? 俺は違和感を禁じえなかった。

 おかしい。絶対おかしいぞ。普段なら男同士が会話をしていたり、やりとりを想像しただけで、別人かと見まごうほど興奮しているのに。

 俺は震える指で彼女を指差した。

「ダウリナ、お前……、偽者?」

 信じられない。いつのまに入れ替わっていたんだ。

 あ、昨日、まさか俺に告白してきたダウリナも偽者だったのか!? だったら全てに説明がつくぞ。

 嘘だ、嘘だと言ってくれーッ!

「なに言ってるんですかあ。私は本物ですよ」

「偽者はみんなそう言うからな! 本物ならまわりと一緒に興奮してなきゃおかしい! 今すぐ鼻血を出したら本物だと認めてやる!」

「クラムさんに、どういう風に見られているのか分かって少しだけショックです……」

 くそっ、偽者のくせにしおらしい態度をとりやがる!

「私は何回も観てますからねー。耐性がついてるんですよ」

「何回もって、この演劇、今日が初演だろ? さっき自分で公演初日だって言ったじゃないか!」

「はい。これでも私、関係者なんですよー?」

 ダウリナは、入り口で売っていたパンフレットを差し出してきた。

 あれ、パンフなんて買ってなかったよな? 前から持ってたのか?

 俺はそれを疑いの目を持ってじっくりと読み――驚きのあまり身体をのけぞらせた。

 脚本・演出:ダウリナ・プランジット

「ま、まさか、この演劇を作ったのって……」

「はいっ、私ですー」

「あの、シャドウってさ。まさかとは思うけど……」

「もちろん、クラムさんがモデルですよー?」

「なんで俺をモデルにした!?」

「言ったじゃないですかー。私、クラムさんに惚れこみましたって」

 頬に手を当てて、ぽっと顔を赤らめるダウリナ。

 ん、どういうことだそれ。惚れこむってつまり……。

「まさか、カップルの相手として、っていうのは……」

 ダウリナ自身のカップルの相手という意味ではなく――

「はい、ライトと掛け合わせるカップルとして、ふさわしいと思いました! 

クラムさんと一緒にいると、私の創作意欲がどんどん高まっちゃって」

 俺はそれを聞き、がくっとうなだれるしかなかった。

 残酷すぎるよ! 勘違いならその日のうちに矯正しなきゃ!

 一晩悩ますのはダメ、絶対!

「それで、モデルになった俺に観に来てほしいと思ったわけか……」

 ミーチカを連れてこなかったのも、ふたりっきりになりたかったからじゃなく、剣王をテーマにした作品だったからね。はいはい、アンダースタンド。

 なんかもう、後半を観るのが馬鹿馬鹿しくなってきたな。自分がモデルだと思ったら、シャドウを冷静に観ていられる自信がないよ……。痛々しくて。

「いえ、単に観に来てもらったわけじゃないですよ?」

「え? どういうこと?」

 なにか、他に期待してもいいのか?

「ふふっ、こっちに来てください」

 そう言うと、ダウリナは俺の腕を掴んで椅子から立ち上がらせる。

 休憩中の観客たちの隙間を縫うようにして連れてこられたのは、ステージ裏の下手。

「な、なにをするつもりだ……」

 ステージ裏では慌ただしくセットが組みなおされているが、ダウリナは俺を人目につきにくい暗がりへと誘い込んだ。

「さあ、服を脱いでください」

「え、なに、なに?」

 状況が掴めない俺は、ダウリナに脱がされるがままになる。

「ちょ、ちょちょ、脱がすにしてもこんなところで……」

 ステージの裏だぞ、裏。幕が上がったらスポットライトのすぐ横!

 わざわざそんなところで、なにをするつもりだよ。

「ダ、ダメだ。や、やめて――――ッ! 誰かに見つかっちゃう!」

「あっ、ダウリナさん、見つけました!」

「ひぃっ!」

 ほら、言わんこっちゃない!

 あっさり見つかっちゃっただろ! 半裸状態で俺、どうやって言い訳すればいいんだよ!

 と思ったら、俺たちを見つけたのは、舞台でシャドウ役をやっていた青年だった。服装はさっきとは変わっていて、腕のなかには幕が下りるまで彼自身が着ていた、シャドウの衣装一式がある。

「時間がありません。早くこれに着替えてください」

 そう言うと、シャドウ役の青年はダウリナを止めるどころか、一緒になって俺の服を脱がしにかかる。

 なるほど、さっぱりわからん!

「ま、待って! まずは俺になにをさせるつもりか教えてくれ!」

 俺が叫ぶと、ようやくダウリナとシャドウ役の青年は顔を合わせた。

「ダウリナさん……、説明してないんですか?」

「だって、先に説明しちゃうと断られるから」

 にこっと笑うダウリナ。

「じゃあしょうがないですね」

「しょうがなくねえよ!」

 納得するの早すぎるよ青年! 初対面なのに思わず突っ込んじゃったよ!

 なんなの、ヘウレーカ教の関係者ってみんな他人のおかしな言動に対して甘すぎるんじゃないの?

 自分の服はあらかた取り上げられてしまっていたので、俺はしょうがなく青年に差し出されたシャドウの衣装を着ながら話を聞く。

「実はですね、僕はダウリナさんから急遽きゆうきよ呼ばれた代役でして……。本来主演を務めるはずだった双子の兄弟に、一昨日から連絡がつかなくなっているんです」

「は? それって、ポスターに描かれていた?」

 そういや後ろにいた三人組も話していたな。レナード兄弟がどうとかって。

「はい。演技の部分はなんとか代わりをできたんですけど、どうしても殺陣たてのシーンが練習不足、迫力に欠けてしまっていて」

 シャドウ役の青年が申し訳なさそうにがりがりと頭をく。

「おい、嫌な予感しかしないぞ……」

 そしてダウリナの口から、さらっとトンデモなお願いが入る。

「クラムさん。今日だけでいいので、一番盛り上がる殺陣は代役をお願いします♪」

「断る!」

 そんな大事なことを、軽いタッチで頼んでくるな!

 ところが、ダウリナはまさか断られるとは思っていなかったのか、ひどく驚いた表情を見せた。

「な、なんでですかー。あの光り輝く舞台の上に立てるんですよ?」

「それが嫌なの! 目立ちたくない!」

「女の子たちから黄色い歓声を浴びせられるんですよー?」

「ぐっ、で、でも女の子たちの脳内では、俺はライトとくっつけられるんだろ? 大体、顔が変わるんだから、いきなり代わるなんて無理が生じるだろ!」

「そこは大丈夫です。脚本をいじって、殺陣のシーンは仮面舞踏会に変えましたから」

「強引な脚本だな、おい!」

 仮面舞踏会があるなんて設定、前編で一度も出なかったけど!?

「問題ありません。女子はみんな好きですから、仮面舞踏会。知っていますか、どんなにしまらない顔の人でも、仮面をつけるとイケメン度が200%くらい増すんですよー」

「俺が不細工みたいな発言やめようぜ……」

 俺が悪いのは目つきだけなんだ……。そう自分に言い聞かせてるんだから。

「まあ、ドラマ盤やボイス集で耳を肥やした常連さんには、ちょっとした声だけでキャストが変わったって気づかれちゃうでしょうけど」

「え、台詞あるの? なおさら断る!」

「お願いしますよー。『シャドウ&ライト』が成功するかどうかは、クラムさんにかかってるんですから」

 ダウリナは胸の前で手を組んで、うるんだ瞳で俺を祈るように見つめてきた。

 くっそ、反則じゃねーか、その表情。

「わかりました。クラムさん台詞をしやべらなくていいですから。ただ剣術を披露してくれればいいです」

「俺からもお願いします!」

 シャドウ役の青年も、ここぞとばかりに頭を下げてくる。

「わ、わかったよ……」

 あーあ、こういう押しに俺、弱いんだよなあ……。何度似たような形で損してきたか。

「ありがとうございますー。やっぱりクラムさんは素敵ですっ♪」

 屈託なく笑うダウリナ。これ、計算でやってるわけじゃないんだよな。

 ルージェとはまた違った意味で、魔性の女だよ……。

「あ、わかってると思いますけど、《多重高速化マルチアクセラ》は使わないでくださいね」

 額と目を隠す仮面を渋々つけていると、ダウリナがそんなことを言ってきた。

「え、なんで?」

「なんでって、お客さんに高速化したクラムさんが見えると思います?」

「あー……」

 そりゃそうだ。ランクAの冒険者ですら捉えられないものを、どうして一般人が目にすることができるだろう。

「それ以前に、ライト役が俺の動きを視認できないか」

「いえ、ライト役の方だけは、クラムさんが《多重高速化マルチアクセラ》を使ってもついてこられると思いますよ」

「……てことは、ライト役も」

「殺陣は別の方に頼んでますー」

「へえー……」

 なんか……俺の《多重高速化マルチアクセラ》、ちょっと安く見られすぎてない?

 そりゃ俺よりも強いやつなんて星の数ほどいるけどさぁ、《多重高速化マルチアクセラ》は一応かなり時間をかけて身につけた奥義なんだぜ?

 そうそうついてこられるやつなんていないと思うんだけど……。

「クラムさんは、あくまで相手に勝つつもりで剣技を披露してください。最後には負けてしまうと思いますが、それでオッケーです」

 あん? ちょっと引っかかったよ、今の言い方。

 普通に戦えば、俺に勝ち目なんてないみたいじゃないか。

「うっかり勝っちゃったらどうするんだ? 演劇の流れめちゃくちゃにならないか?」

多重高速化マルチアクセラ》がなくたって、これでも二年間、ひとりで冒険に立ち向かってきたんだ。剣技だってそこそこ使うぜ?

「そこはご心配なくー。相手もスペシャルゲストなので」

 ダウリナはライト役の勝利になんの疑いも持っていないようだ。

 ふーん、そうですか。

 ……適当に流して剣を振るつもりだったけど、俄然がぜんやる気が湧いてきたぞ。

 負けなきゃ筋書きはメチャクチャになるのかもしれないけど……悪いが、俺は演劇だとはいえ、俺の大嫌いな光の剣帝を名乗る奴に負けるつもりはないんだよ!

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