第3話 ネクラ勇者、出会い系にドハマりする 前編

 酒場街、ネオンブリッジの朝は遅い。

 夜明けまで飲んでいた連中はもちろん、そこで働く者たちにとっても、朝は休息の時間。

 昼過ぎどころか、夕方まで寝ている奴だって少なくない。

 俺はそのなかでは、かなり早起きな方だと思う。

 昼飯前に目覚められたんだから、褒められたっていいくらいだ。

「頭がガンガンする……」

 ただ、体調はめちゃ最悪。窓から差し込む太陽がマジで凶悪な輝きを放っていて、吸血鬼が近くにいたなら睡眠用の棺桶かんおけはどこで買えるのかたずねたい気分だった。

 俺、クラム・ツリーネイルは勇者だ。とはいえ、この世界で勇者なんて珍しくもなく、俺はそのなかでは落ちこぼれた方の部類。

 コミュ障のせいで仲間ができず、いつまでたってもひとりで冒険をしては小銭を稼ぎ、このネオンブリッジに舞い戻って酒場に金を落とす。

 そんなしょうもない生活を二年も続けている。

 それでもパーティを組める予感はまるでしない。

「あーあ、あんなに飲むんじゃなかったぜ……」

 確か昨日も一軒目で歴戦っぽい戦士に声をかけて、見事に玉砕したんだよな。それで、ヤケ酒をしたんだっけ? あー、頭が回らない。

 二日酔いの鈍い頭痛はまだ寝てろとばかりに俺を布団へと叩き返そうとす

るし、手足には重たい鎖がびっしりと巻き付いているかのようだ。

「……ん」

 いや、鎖にしては妙に温かい感触が身体の片側を締め付けている。

 なんだ、寝てるときに変な体重のかけ方でもしたんだろうか。がばっと毛布をめくると――俺の左手には、幼い少女が宿っていた。

「うにゅ……」

 少女はまぶしそうに身体を揺する。

 俺はなにも言わず、毛布を元の状態に掛け直した。

「……?」

 おかしい。なんだこれは。

 てか、誰?

 もう一度、おそるおそる毛布をめくってみる。

「くぅ……」

 あ、やっぱりいるよね。俺の妄想じゃなかったかー。

 さっきは宿っていたなんて妙な表現をしたけど、別に俺の腕と一体化しているわけじゃあないぜ?

 ただ、少女の胸は俺の腕にみっちりと押し付けられ(残念ながら小ぶりすぎて感触はほとんどないが)、片脚は俺の胴体に載せられている。まるで猿が木に登るときの格好だ。

 木といえば――彼女は森に住む種族、エルフのようだった。

 特徴である尖った耳は、寝ていてもたまにピクピクと動いている。

 ……あー、だんだん昨夜の記憶がよみがえってきた。

 そうだ。昨日はこのエルフであり魔法士のミーチカ、それに邪教の女司祭ダウリナと出会って、一緒に酒を飲んだんだった。

 で、途中でミーチカの憧れてる『影の剣王』の偽者が現れて、一戦交えたんだよな。

 そのあと酔い潰れたミーチカが寝たまんまなもんだから、おんぶしてウチに連れて帰ったんだよ。

 俺の家に泊める気は全然なかったんだけど、こいつの家もわからなかったし、ダウリナに預けたら邪教の教会行きだったしな……。

 うん、全部思い出した。

 でも――俺はやはり首をひねらざるを得なかった。

 いくら外見が幼稚だからって、さすがに同じベッドで寝るのはマズいから、ミーチカ用の寝床を用意したよなあ?

 朦朧もうろうとしながらも、俺ってなんて紳士なんだろうと思った記憶がある。

 毛布をしいたはずの床を確認すると――そこには黒焦げの残骸。

 ……なんだ? あれ、もしかしてだけど、俺がかけてやった毛布?

「焦げくさ……」

 俺は鼻をつまんだ。体調の悪さに拍車をかけていたのは、この臭いか。

 要するに、寝ぼけて燃やし尽くして、寢るところがなくなったからこっちに潜り込んできたんだな……。

 さすが、森を焼き尽くす者という称号は伊達じゃない。

 てか、俺も早く離れないと、ああなりかねないんじゃないか……?

 原形を留めていない毛布を見て、途端に自分の身体に張り付いているものが危険に思えてきた。

 それにしても――彼女を引きはがそうと身をよじりながらも、俺は感心してしまう。

 見れば見るほど、綺麗で純粋無垢むくな寝顔だ。

「まったく、無警戒もいいとこだよな。世間知らず極まれりというか……」

 ほっぺた超やわらかそう。そんなことを考えながら、自分の腹に載ったミーチカの太ももを持ち上げたときだった。

「ふにゅう……」

 ミーチカが大あくびをして、目をこする。

 と、次の瞬間、俺と目覚めたばかりの彼女の目線がぱっちりとあった。

「ん……?」

 最初はあっけにとられていた少女の表情は、みるみるうちに真っ赤になっ

ていく。

 そのときの俺の心境を例えるなら、山を登っていたら頂上側から動物たちが一斉に駆け下りてきたとかそんな感じ。

 噴火。山火事。そういう災いが降り注ぐ予兆だ。

 しかも不幸中の不幸、その災厄から逃げようにも、俺の身体はその災いそのものによってがっちりとホールドされているのだった。

「きゃ―――っ! きゃ―――っ! なんであなたがここにいるの!?」

「ぎゃあ―――ッ!」

 俺が叫んだのは、ミーチカの身体が夏の日差しの下に置かれた鉄板みたいに異常に熱くなったからだ。

 抑えきれなくなった魔法力が、肌から熱量に変わって放出されたらしい。

 ただそれも一瞬。俺の身体はすぐさま宙に浮き、ベッドの外へと吹っ飛ばされた。

「ぐえ」

 とはいえ狭い部屋でのこと。俺はすぐそばの壁に叩きつけられる。

「いたたたた……」

 それはミーチカが酒場でも使ってみせた念動力だった。

 さすが生まれながらに魔法使いといわれるエルフ。詠唱なしでも男ひとりを持ち上げられるとは。

 しかしそんな凄さ俺に、とってはなんの得にもならない。

 背中は打ち付けるわ、熱せられた左半身はヒリヒリするわで散々だ。特に腕は、俺が裸で寝る派だったら火傷してたかもしれない。

「かとーなにんげんのぶんざいで、あたしになにをしたのよ、この変態!」

 完全にお目覚めのミーチカは、ベッドの上でシーツと自分の膝を抱き寄せて、俺をキッとにらみつけてくる。

「……知りたいか?」

「いやあっ! 聞きたくない、聞きたくない!」

 ただ訊ねただけなんだが、なにか恐ろしい妄想でもしたのか、ミーチカは両手で己の耳を塞いだ。

 いかん、思わせぶりな発言に聞こえたか。俺のしやべり方、抑揚ないしな。

「あなたなんて、あなたなんて、すぐに影の剣王さまがぶっ飛ばしにくるんだからね!」

 その言い様には、心が広い俺もさすがに頭をいてしまう。

「あのなあ……。むしろ俺は影の剣王をかたる悪漢から、お前の貞操を守ってやったんだが……」

「…………え?」

 俺は昨日起こった出来事をミーチカに語って聞かせる。

「……それ、ほんとなの?」

「本当だ。なんなら一緒に飲んでいたダウリナに聞くといい。それか、巡回騎士団の詰所に行って、昨日の事件記録を見せてもらうか?」

 さすがにそこまで言えば、疑いようもなかったらしい。

 ミーチカはすぐさまベッドから飛び出すと、床に頭を押し付けた。

「ごっめんなさ――――い!! お酒飲みすぎました!!」

 お前が飲んでたのはミルクだけどな……。

 まあ別に大して迷惑かけられた気もしないからいいんだが、彼女の無用心さはあとあと問題になる気がする。

 ここは彼女自身のために、がつんと言ってやるべきかもしれない。

 うん、そうだよな。

『エルフのお嬢さん、酒場街は子供の遊び場じゃないんだぜ』

 こんな感じの台詞でクールにキメるか。

 俺は心を決めて息を吸い込んだんだが――

「ありがとう、ネクラさん」

「い、いや、気にするな」

 ――このタイミングで潤んだ上目遣いを向けてくるだと…………。

 許せる!

 ぎゅっとして、頭を「よーしよしよし」とわしゃわしゃでたいかわいさだった。

 娘ができたらこんな風に思うのかもな……なんて。

 仲間もできない俺が結婚できるかはさておきだな……。

「まあ、今後は気をつけろよ。あと、俺が立て替えといた飲み代と、お前の燃やした毛布の金額は払ってくれるか?」

「えっ? ああっ!!」

 ミーチカはようやく床で残骸と化した毛布に気づいたらしい。

 けっこう焦げ臭いんだけどな。

 床に敷いたのと上から被せたのとで計二枚。

 改めて、よく火事にならなかったなと思わずにはいられない。

「あたし、寝るときにぬいぐるみの抱き枕がないと落ち着かなくて、魔法力が暴走しちゃうみたいなんだよね……」

「てことは一度や二度じゃないと……?」

「うん、毛布はしょっちゅう燃やしてるんだぁ」

 てへぺろして許されるレベルの悪癖じゃないぞ、それ。にしても、抱き枕ね。また幼さに拍車をかける……って、さっきまでの抱き枕、俺かよ!?

「それで、お金って、い、いくらくらい?」

「銀貨八枚くらいかな」

 金がなさそうな気配を匂わすもんだから、正直だいぶおまけしてやった。

「それくらいならなんとかなるかな。ちょっと待ってね」

 ミーチカは財布の袋を取り出し、中身を手のひらにじゃらじゃら落とす。

 嘘だろ……。なかに入ってるの、銅貨しかないんですけど。

 ちなみに銅貨は五枚で銀貨と同等。

 さっき俺が言った金額を銅貨だけで払おうとすれば、四十枚必要だ。

 でもどう数えても彼女の手のひらには、その半分くらいしか載ってなさそうだった。

「ごめん、足りないみたい。今度払うから、今はこれで」

 そういって、銅貨をあるだけ握って差し出してくる。いやいやいやいや。

「お前……、まさかこれが全財産……?」

「うん、そうだよ?」

「どこか宿の前払いとかしてる?」

「宿?」

 きょとんとするミーチカ。

「おい、今日の夜からどうするつもりなんだお前」

「ああ、大丈夫だよ。エルフの世界ではお金なんてなくても生きていけたし」

「そりゃエルフの森は食物も豊かだし、動物たちとも共生してただろ!?」

「いざとなれば大自然に身を委ねるから!」

 ない胸を叩き、自信満々なミーチカ。

「だから、この大都会ネオンブリッジに大自然はない!」

 俺は額をおさえた。こいつ、昨日の教訓を全然活かせてないじゃんかよ。宿なしのエルフなんて、寝てる隙にさらわれても文句言えないぞ。

「なんかダメなの……?」

 俺からの突っ込みを受けたミーチカが表情を曇らせる。ようやく不安を感じてきたらしい。普通はそれ、三日くらい前に感じなきゃダメなんだぞ。

 酒場で飲んでる場合じゃないだろ、まったく。

「……わかった。そこの床で良ければ、俺が宿を貸してやる」

「え。いいの? 本当に?」

 ミーチカの顔が、一気に明るくなった。分かりやすっ!

「別に、みなしごをひとり引き取ったと思えば心も豊かになるし」

「それ、なにげに失礼なんだけど……あっ、でもダメだ! 年頃の男女は一つ屋根の下で寝ちゃダメってお兄ちゃんが言ってた!」

 その兄貴は、女の子が屋根のないところで寝たらダメだとは教えなかった

んだろうか。

 ……教えなかったんだろうな。エルフって木の上で寝てるイメージあるし。

 まあ、それならいい口実を与えてやろうか。

「ここ、屋根の下じゃなくて橋の下だぞ」

 なんで相手のためにここまで気を遣ってやらなきゃならないのか疑問に思いながらも、俺は木窓を開け、外を見てみろと彼女を手で呼び寄せた。

 空を見上げたミーチカは「うわぁ……」と感嘆する。なんか自分がこの部屋に住むようになった二年前を思い出す。あの頃は俺も、純粋な気持ちで見上げたもんだよな。

 俺の住処すみか は、ネオンブリッジ名物の巨大陸橋――そのアーチのふもとの隙間を埋めるように建てられているのだ。だから屋根イコール橋、という詭弁きべんが成立するのである。

 魔法文明時に建てられたアーチは高いところで百メルト(約百メートル)ほどもあり、現在の文明ではとても再現できない代物だ。

 でも、そいつのせいでぶっちゃけ日当たり悪いし、老朽化が進んで崩れるかもなんて言われてるから、実はその真下は意外と破格の値段なのだった。

 部屋が三つあるのに、一部屋分くらいの値段で借りられている。

 しかも、窓から見ると黒いラインが空を真っ二つにしているように見えるのだから、絶景だ。

「あたし、ここに住むことにする! 屋根の下じゃないなら、お兄ちゃんの言いつけを破ったことにもならないしね!」

 ミーチカはそう言ってにっこり笑った。

「ああ、そうしろ。でも、なるべく早く出て行けよ」

 昨日は嘘で兄を騙ったわけだけれど、本当に一緒に住むことになるとは。

 まあ、腐ってもエルフの魔法士なんだし、すぐにパーティを作って旅に出るだろう。

 影の剣王の仲間になろうとか、そんな高望みさえしなければ、だけどな。


 人間の歴史は、魔族との戦いの歴史でもある。

 魔族を束ねるのは魔王バルザーク。リオレス北部に建つアイオーン城にみ、未だ健在らしいが、人間で会った者は誰もいない。

 いや、会って帰った者がいないと言うべきだろうか。

 老いたとはいえ、あらゆるダンジョンに《開かずの禁呪リフユージア》を一度に施すほどの魔力の持ち主。その戦闘力は、下に控える魔族三大侯爵が束になっても敵わぬといわれている。

《開かずの禁呪》が破られて間もないころは、武勲を立てようといきなり魔王へと挑戦する冒険者も少なくなかった。しかし、アイオーン城から帰ってくる者は誰ひとりおらず、それは当時最強とうたわれていた《蛮勇王》のパーティでさえ例外ではなかった。

 やがてアイオーン城へと踏み込むのは勇気ではなく、無謀とみなされるようになった。

 物事には順序というものがある。

 魔王に挑むなら、まずはその下に控える三大侯爵を倒してからにしろ。

 三大侯爵と戦うなら、その前にバルザークの子供たちが支配する迷宮で、己を試せ。

 そんな暗黙の了解ができあがっていった。

 魔王には七人の子供がおり、それぞれが色を冠した迷宮を支配している。

 ここは、そのうちのひとつ、紫煙の迷宮。

 バルザークの末っ子にして魔王継承権第七位堕落の悪魔が治めるダンジョンだ。

 王位継承権はそれほど高くないものの、バルザークの残忍さと狡猾こうかつさを最も強く受け継いでいるとされる《堕落の悪魔》。

 最深部の玉座にじっと留まることはなく、ダンジョンに入った途端に襲われたなどという話も絶えない。良心なき快楽を追い求め、迷宮に足を踏み入れた者の心を容赦なく弄ぶ。

 ゆえに上位ランクの冒険者でも紫煙の迷宮を選ぶ者はごくわずか。

《堕落の悪魔》に遭遇し逃げ帰った冒険者は口々にその恐ろしさを伝えるのだが、語られる姿形は人によって異なる。

 例えば、紫の煙を吐く牛頭の怪物で、身長は五メルトを超えるとか。

 あるいは、蝙蝠こうもりの翼と、人間の血をすするための管付きの牙を持つとか。

 さらには、消化液をまき散らすドロドロの液体生物なんて話もある。

「うっきゃあー! スマホンだ、スマホンだぁー! うひょおおおー! これでアタシもイマドキ女子の仲間入りよぉおー!」

 だからこそ、誰がわかるだろう。今、我を忘れ小躍りで玉座の間に入ってきた娘が、《堕落の悪魔》ルージェント・ルーフレットその人であると。

 こめかみの上に角が生えていること以外に、人間と外見的な差はない。

 記録によれば彼女が生まれたのは五十年前。優に五百年は生きる魔族のなかでは、少女といって差し支えない年齢であった。

 それも、絶世の美少女。薄い紫の髪は、光が当たると銀髪にも見えるほどきらきら光り、褐色の肌は黒曜石と金剛石を掛け合わせたかのようにつやつやしている。

 髪と肌の色に合わせた服装もよく似合っている。上半身にぴったりフィットしたノースリーブの革鎧を着て、むきだしの肩はつるんとなめらか、短いスカートの裾はほっそりとした太ももを見せびらかす。

 なぜ、彼女の姿は正しく世間に伝わらないのか。

 それはおそらく――人間たちのプライドのせいだろう。

 紫煙の迷宮に挑むのはそれなりにベテランの冒険者ばかり。

 恐ろしい悪魔を相手にしたならともかく、こんな小娘に惨敗したとなれば、嘲笑されるのは目に見えている。

 ゆえに戦いに敗れた者は一様に口をつぐむか、あるいはホラを広めるのだ。

「うるさいですよルーさま」

 彼女を注意したのは、玉座の掃除をしていたメイドだ。

 真っ直ぐに切りそろえられた前髪に、眼鏡。無表情にルージェをにらみつけながら、手はせっせとほうきを動かしている。

「スマホンスマホンって。またスマホンをねだりに来たんですか?」

「違うぢゃんっ! なによ、ご主人サマを物乞いかなにかみたいにさぁ」

 むっと不満を露にしたルージェだったが、すぐに機嫌を直し、メイドに向かって手に持ったものをかざす。

「ぢゃーん! 見て驚きなさい! 冒険者の誰かが落としていったんだ☆」

 それは平たい水晶板。人間たちの使う魔法文明の利器、スマホンだった。

「物乞いじゃなくて、落し物あさりですか。魔王の娘ともあろうお方が」

「うっさいなあ、リオンは」

 ルージェは猫のようなつり目を、意地悪に細めた。

「アタシにつくられた、ただのホムンクルスのくせに。同じの十体いるし、一体くらい機能停止させても構わないんだけどぉ?」

 リオン、と呼ばれたメイドはそんな物騒な台詞にもまるで動じない。

 それもそのはず。彼女はルージェによってつくられたホムンクルス――魔法生命体なのである。元々感情もなければ、心もないのだ。

「ご自由にどうぞ? でも他の九体はリオレス内で諜報活動中ですよ。私がいなくなれば、身の回りのことは全てルーさまご自身でやっていただくことになりますが?」

 ルージェはうっと言葉を詰まらせた。この紫煙の迷宮にいるのは、彼女ら以外は怪物ばかりだ。

 魔王の娘として生まれたときからちやほやされてきたルージェに、炊事や洗濯、掃除などできるはずもなかった。

「ま、まあいいわ、今日のアタシはご機嫌だからっ☆」

 慌てて取り繕ったが、機嫌がいいのは本当のことだ。

 前からルージェは、スマホンが、そしてそれを通じてあるものが欲しくてたまらなかったのである。

「いやーん、これでアタシにも仲間ができちゃうぢゃん……」

 うっとりとスマホンを抱きしめるルージェ。

「…………は? 仲間?」

 それを見つめるリオンの瞳は冷ややかだ。

「前から冒険者のきずなってのに、アタシ興味を持ってたのよね。ほら、あいつらってよく言うぢゃん? 『ここは俺に任せて』えーっと」

「『先に行け』ですか?」

「そうそれ! こないだのあれ最高に熱かった! アタシ的に今言われたい言葉ナンバーワンなんだよねっ☆」

「そんなこと言ってルーさま、足止めしようとした戦士をガン無視して、先に行った方を片付けたじゃないですか。私、あのときほどルーさまが鬼畜だと思ったことありません」

「こまかーいっ。アタシぃ、リオンのそういうとこ嫌いなんだよね」

「ご自分でつくっておいてよく言いますよね。ところで、スマホンを手に入れると、どうして仲間ができるのですか?」

「うひひ、気になる?」

「いえ、全く」

「聞いてよぉ。これよ、これ」

 ルージェは興味無さそうに立ち去ろうとしたリオンの肩を捕まえると、半ば強引にスマホンの画面を見させる。

「《仲間さがし》ってサイトなんだけどね、ここに仲間募集の告知がぢゃんぢゃん入ってくるの。そのうちのめぼしいのにメールすれば、すぐに仲間ができちゃうぢゃん?」

「そんなに簡単にできるもんですかね。仲間なんて」

「カンタンカンタン♪ どれ、さっそく人間の男をちょいちょいっともてあそんであげますかね」

「もてあそぶって……、仲間じゃないんですか?」

「そだよ? でもぉ、あたしの趣味に合わなかったら身も心もあたし色に染めたあとにボロ雑巾みたいに捨ててやるけどねっ☆」

 要するに、ルージェは退屈なのだ。

 三十年前、人間側と魔族側の勢力が拮抗きつこうしていたころには、人間のなかに紛れ込んで色々悪さをしたものだ。けれど、アレクシア平原の戦いで魔王軍が弱体化してからというもの、貴族はなるべく迷宮の外に出ないようにとお達しが出ている。

 けれど、この静かな玉座に座っていたところで、一日は無為に過ぎていくだけ。

 迷宮をうろうろしてみても、出会うのは最深部を目指そうなんてはなから考えていないようなしょぼい冒険者ばかり。

 どうせなら、刺激ってものが欲しい。

 敵ではなく、味方としてならば、もっと人間も面白いのではないか?

 突き詰めると、ルージェの関心とはそういったものであった。

「ほどほどにしといてくださいね。人間のなかにも厄介な敵はたくさんいるんですから」

「ほんとにぃー? あたし、そんな張り合いのある相手に一回も会ったことないですけどぉー?」

「それはルーさまが最近の人間界を知らないからですよ」

「……なによ、自分は分身をダンジョンの外に出せるからって」

 リオンは他の九体の同型ホムンクルスと常に意識を共有している。なので人間に関する知識も豊富で、しばらく人間の街に出ていないルージェを上から目線でたしなめることが多い。

 だが、それも今日までだ。

(ふーん。この出会い系サイトで、人間の仲間たくさんつくっちゃうんだもんねー☆)

 ルージェはさっそく《仲間さがし》に入る。と、すでにスマホンの元の持ち主はサイトに登録済だった。

「あらら」

 登録名はルージェントに変更できたものの、性別とクラスが再設定できな

くなっている。そのふたつはよほどのことがなければ変わらないから、おそらく詐欺を防止するための、運営の方針なのだろう。

「前の持ち主は盗賊で男……。うーん……。まあ、いっか。会ったときに意外性があって面白いかも」

 あとは、誰に声をかけるかだ。

「やっぱり声をかけるならまずは勇者だよねっ☆ でも、あんまりがっついてない、ウブなのがいいなあ」

 ルージェは紫色の豪奢ごうしやな玉座にどっかりと腰を下ろすと、検索欄に『勇者』『おとなしい』と入力した。


 今夜も俺は、《旅の道連れ》亭にやってきた。

 普段は二軒目として利用することの多いこの店だが、今日は一軒目から。

 その理由は、心のゆとりってやつだ。

 一緒に喜んでくれ。なんと俺にも――ついに仲間ができそうなんだ!

「ネクラさんお疲れー」

 酒場の扉を開くと、テーブル席に見知った顔があった。

「なんだ、ミーチカも来てたのか」

「そりゃ来るよ。あたし、この店しか入れないんだから」

 そういってごくごくとミルクを飲むミーチカ。どうやら俺の妹という設定を利用して、酒場の年齢制限を回避しているらしい。

 俺たちは三日前から同居するようになったわけだけれど、お互いに出掛けるのは別々。

 当然だ。俺たちは一緒に住んでいるだけで、仲間じゃない。

 それぞれ理想のパーティを求めて行動するのは自然なこと。

 念のため言っておくが、別に『どうせなら一緒に冒険に行く?』って誘ってくれなかったことにすねてるわけじゃないからね。

「こんにちは、ムッツリさん」

 同じテーブルにはダウリナも座っていた。

「ふたりして変な呼び方するのやめてもらえないかな……。あと、ふたりはもしかして――」

「いえ、パーティを組んではいませんよ。たまたまお店で会ったんですー」

「そうそう。ここはダウリナが払ってくれるんだ。うらやましいでしょう!」

 自慢げに胸を張るミーチカ。

「ミーチカちゃんかわいいから、ついおごりたくなるんですー」

「えっへん! クラムもあたしにおごってくれてもいいんだよ?」

 なんだこいつ、着々とヒモみたいな地位を築きつつあるぞ。

 エルフはもっと高潔な種族のはずなんだが、一体どこで間違えた。

 ……それにしても、四人掛けにふたりか。

 俺は悩む。こういうとき、同じテーブルに座っていいものなのか、と。

 ミーチカひとりなら、別に気にしないんだが、女の子がふたりでさっきまで和気あいあいと話してたわけだ。

 そこに男がひとり加わったらどうなるだろう。

 まず、ガールズトークはおしまいになるわけだろ? 空気はがらりと変わって、別の話題を始めざるをえないだろ?

 そうなったとき、俺に次の面白い話題を提供できるだけの能力があると思うか?

 しばらくすると絶対に沈黙の時間が始まって、元からいたふたりは思うわけだ。

『こいつ、なんでわたしたちの席に座ってきたの?』『別の店にしとけばよかった』って。

 ああダメだ。このテーブルには座るべきじゃない。

 しかし、だ。ここで別の席を選ぶのもいかがなものだろうか。

 万が一、俺が座ることを期待してくれてたんだとしたら――感じ悪くね?

 進むも地獄、戻るも地獄。

 なんて迷宮だ!

「クラム、ちょっとそこ邪魔なんだけど」

 ドン、と後ろから押されて、俺はその勢いのままミーチカたちのテーブルに着席してしまう。

 振り返るとそこには、ウインクをする道連れ亭のオヤっさん。

 言葉はいらなかった。

 俺、オヤっさんと心が通じあってる。

 女言葉を使うトサカ頭のムキムキオヤジじゃなければ、仲間に誘っていたところだぜ……!

「あー、押された勢いでうっかり座ってしまったわー。これは不可抗力以外のなにものでもないわー。別に全然座りたいわけじゃなかったんだけどー」

「ネクラさん、誰に向かって言い訳してるの?」

 悲しい生き物を見るような瞳を向けないでくれ。

 お前はそんな男の家で世話になっているんだぞ。

「オヤっさん、エール酒一杯!」

 手を挙げて注文したとき、ポケットに入れていたスマホンがピロリン、と鳴った。

 俺は急いで取り出すと、画面を確認する。

「ちっ、違ったか……」

 画面には、スマホンの内蔵魔法力が15%以下になったことが表示されていた。

「なになに、どうしたの?」

「いや、メールが来たかと思ったんだが、ただのシステム連絡だった」

 答えながら自分の魔法力を流し込み、スマホンに補充する。

 と、ミーチカが俺のおでこに手を当ててきた。

「大丈夫? 熱でもある? あたしたち、ちゃんとここにいるよ?」

「? どういう意味だ?」

「いや、わたしとダウリナ以外に、ネクラさんにメール出す人なんていないでしょ」

 なんて失礼なやつだ。親がいるよ、親が!

 ……なんて、三日前なら答えてただろうな。

 今は、違うんだよこれが。

「……いるよ。つい最近、メール仲間ができたんだ」

「な、なんですって―――!」

 ミーチカはバン、と机を叩き立ち上がったが、すぐに腰を下ろしてミルクを飲む。

「メール仲間ってなに?」

「知らないで驚いてたのかよ!」

 てへっと笑うミーチカ。どうやら仲間という言葉に敏感に反応しただけらしい。

「このサイト知ってるか?」

 俺はミーチカにスマホンを手渡す。

《仲間さがし》

 俺が今一番アツいと思っている冒険者向け出会い系サイト。

「ここに登録すれば仲間募集中の冒険者にメールを送れるし、逆にメールをもらえたりするんだよ。すごくないか?」

 四六時中仲間を探している俺にとってはまさに夢のようなサイトなんだ!

「ふーん、そんなサイトが……。いつから登録してるの?」

「一年前くらいかな?」

「ダメじゃん。一年いて仲間ひとりもできてないじゃん」

「そっ、それは俺の問題なんだよ。ほら、右上に『これまでに二千ものパーティが結成されました!』って書いてあるだろ?」

「うそくさー」

「私もあまりいい話聞かないですよー、そういうサイト。お金、けっこうかかるんじゃないですか?」

「ダウリナまで……! 《仲間さがし》は基本無料の超優良サイトだよ」

 と言いながら、俺は無料の前についている『基本』という言葉の恐ろしさをすでに充分理解していた。

 ここで知り合った相手とは《仲間さがし》を通じてしか連絡をとりあえないし、しかも一通メールを出すたびに料金が発生する。

 しかも、料金がかかるのはあぶれている勇者だけ。

 ちゃっかりしたものである。

「まー、たとえ無料でもあたしはやんないかな、こういうの」

 ため息をついてスマホンを突き返してくるミーチカ。

「顔を見なきゃ人柄なんてわからないし」

「そんなこといいながらこっそり『影の剣王』で検索してんじゃねーよ」

「なっ、なんでわかったの!?」

「検索履歴が残ってる」

 影の剣王が登録してるわけないだろ。謎の剣士で通ってるのに、出会い系で見つかるとか、喜劇にもなりゃしない。

「最初にメールを送ったのは、クラムさんの方ですか?」

「いや。実はメールはむこうから送られてきたんだ」

「運営さんも大変だね。架空の人物をでっちあげてまで金づるを確保しようとするなんて」

「実在するんだよ! 相手はルージェントっていってさ。登録内容や文面からして、めちゃくちゃ渋くてダンディな盗賊だと思うんだ」

 俺の理想とする男パーティ結成のためには、なんとしてもおさえておきたい人材だ。

 なにより、俺のプロフィールを見て興味を持ってくれたんだぜ? そんな希少な人をどうしてないがしろにできよう。

 俺もルージェントにふさわしい自分であろうと、メールの文面、一通につき一時間は考えちゃうもんね!

「渋い盗賊ですか。いいですね。攻めの要素を感じます……! いえ、普段なら年上受けは譲れない、むしろオヤジ受けを布教せずにはいられない私ですが、総受けのクラムさん相手であれば話は別……!」

 突如、異様な熱量で語り出したダウリナは、はっとなにかに気づく。

「でも待ってください。だからこそ、クラムさんが攻めなのでは? ああああ、神は私にどちらか一方を選べというのですか……! 罪深い……!」

 ハアハアと息を荒らげて、苦しそうにしながらもなんだか幸せそうだ。

 とりあえず、ちょっと落ち着け。

「なんだかよくわかんないけど、ふたつで悩んでるなら、両方選べばいいじゃない?」

 適当に放たれたミーチカの発言に、ダウリナが食いつく。

「リバーシブル……! その手がありましたか……!」

 唇の端から流れ出たヨダレに気づき、ダウリナは慌てて布を口に当てる。

 それで多少なり我に返ったのか、いつもの穏やかな微笑みを彼女は作る。

「いいえ、やっぱり安直に両方を選ぶのは、私の教義に反します。ここはふたりが会われているところをじっくりねっとり見させていただき、判断したいところですね」

「えっ、会う!?」

 なんでそんな流れになるの?

「お会いにならないんですか?」

「だって、メール始めたのまだ三日前だぜ? どう考えても早すぎる」

 大体、なんでダウリナの妄想のために俺がルージェントと会わなきゃいけないんだよ。

 そういうのはメールを交換しながら、自然と雰囲気ができあがってくるもんだろ?

「そうやってタイミングを逃すのがネクラさんの悪いところだよね」

「うっ!」

 ぐさっときた。

 ミーチカのやつ、人の気にしていることをついてきやがる……!

「相手のことを考えてるような発言をしてるけどさ、結局クラムは傷つきたくないだけでしょ。これまでだって何度も仲間ができる機会はあったのに、自分でことごとく潰してきたんじゃないのー?」

「ミーチカちゃん、言いすぎです。いくら冒険に誘ってもらえなかったからって」

「ふん、別にあたしはこんな人なんかとダンジョンに行きたいわけじゃないんだからね!」

 そう言って、ミーチカはツーンと顔を背ける。

 いきなり喧嘩腰になったと思ったら、こんな人なんかときたか。

 さすがに頭に来たぞ俺も。

「わかったよ、やってやろうじゃないか」

 俺にだって、それくらいの甲斐性かいしようはあるってとこを見せつけてやろうじゃないか。

 会ってみようという趣旨のメールを、俺は怒りをぶつけるかのように書き上げた。

 勢いのままに書くと、意外と短時間でいけるもんだな……というか、会おうなんてメール、まともに考え出したらとても一日や二日じゃ書きあがらないしな。

「……くっ」

 しかし、いざ送信しようとなると、ぷるぷると指先が震えてしまう。

 いかん、まじで内容これでいいのか?

 これ間違ったら、二度とメール返ってこないかもしれないぞ。

 いいところまで来てるのに、激情にかられて失敗したなんてことになったら、今度こそ俺は立ち直れないかもしれない。

「いや、やっぱりやめ――」

「じれったい」

 ミーチカが腰から抜いたワンドをひょいっと動かす。その動きに合わせて、俺の指は勝手にスマホンを押していた。

『メールは無事送信されました』

 いや、無事じゃないし。事故だし。

「なんで、なんで念動力を使った!?」

 俺はミーチカの襟をつかんで揺さぶった。

「いや、ネクラさんはこうでもしないと送信できないでしょ」

「そうかもしれないけどおおお!」

 こうしてる場合じゃない。今なら送信を取り消せる。

 キャンセル、キャンセル、と思ったらすでにメールには『開封済』のマークが点滅していた。

「お前ェエェ……。これでダメになったら一生恨むからな……!」

「かとーなにんえんのふんらいで、あたひの頬をふねらないで! ふへ、ほめんごめん。はなひてくらはえ」

 頬をつねられたミーチカは涙目で懇願する。

 このトラブルメーカーに、おしおきの意味はあるのか?

 わからない。しかし、やらずにはおれないのだ!

 そのとき、ピロリン、とスマホンが鳴った。

「きたあああ!」

 神の福音か、死の宣告か。

 なにはともあれ、俺はテーブルに投げ出していたスマホンに飛びついた。

 そしてメールを開く。

 その内容に、俺の思考は一瞬停止し、そのあと興奮が月に届く勢いで噴出した。

「うおおお、ルージェント、明日ネオンブリッジに来るって!」

 思わずミーチカに抱きついた。

 なんだお前。

 俺にとっての天使だったのか。

「よかったねえ。あたし、つねられ損だよ……」

 複雑そうな表情をするミーチカの気持ちはよくわからないが――ついに俺にも、春が来ちゃうのかもしれない。


「へぇー。ここがネオンブリッジかあ。三十年前は廃墟みたいなさびれた街

だったのにねえ」

 ルージェはネオンブリッジの街並みをはるか上空から眺めていた。魔法力で空を飛ぶなど、彼女にとっては朝飯前の芸当である。

『貴族は迷宮の外に出てはいけないことになっていますが』

 などと堅いことをいうメイドのリオンを説得するのは面倒だったが、スマホンを手に入れてからたった四日で、ルージェは仲間候補第一号と接触することとなった。

「クラム・ツリーネイルね。なんだかネクラっぽかったけど、そういう子の方がからかいがいがあるってモンぢゃんね☆」

 くすりと妖艶に笑うと、ひとけのない場所に降り立つ。

 服装はいつもとさほど変わらないが、頭に生えた角だけは、まわりにぐるぐると髪を巻いて、お団子状にすることで隠していた。少し先っぽが見えてしまっているが、これなら髪飾りかなにかだと思われるだろう。

「さて、まずは冒険証を手に入れなきゃ」

 リオンから聞いた話だと、それがないと冒険者の酒場に入れない場合があるらしい。

 そうでなくともクラムから「冒険証を見せて」と言われたらおしまいだし、ぜひとも入手しておきたいアイテムだ。

 そのためにルージェが訪れたのは、ネオンブリッジの中心にある冒険局の支部である。

 ここで試験を受け、冒険者としていずれかのクラスに適性があれば、冒険証を発行してもらえるらしい。

(あはっ、冒険局に入った魔族は、あたしが初なんぢゃないかな)

 そんなことを考えながら、大きな白い建物の門をくぐる。

 なかにはいくつかの受付があり、ルージェは看板を見て『冒険者試験受付』と書かれた方へ向かう。

 なにかを記入していた受付の老人はルージェの気配に顔を上げ、そして驚きを露にした。

 無理もない。あまりにルージェが美しすぎるのが悪いのだ。

「お名前は?」

 しかし、老人はきっと表情を引き締めなおす。

「ルージェント・ルーフレット。アタシぃ、どうしても今夜までに冒険証がほしいんだぁ☆ 今日は冒険者の試験ってやってるの?」

 甘えた声を聞かせると、老人はごほんとせきをしてみせる。

 自分を落ち着かせようとでもしているのだろう。

「そりゃ無理じゃ。志望クラスがひとつに絞られておっても、受験者は必ず全てのクラスの適性テストを受けにゃならんし、冒険者としての心構えについて講義を聞いたりもせにゃならん。最低でも三日は必要じゃぞ」

「ええー、講義ぃ? ヤダヤダ。そんなのつまんないからパスしたいな~」

 大体、そんな時間はない。クラムとの約束は今日の夜。あと六時間ほどしかないのだ。

「まあ、関係者の推薦があれば、話は違ってくるがな」

 そういう老人の視線はちらちらと下を向く。どうやらルージェの谷間に気をとられているらしい。

「なんだ、じゃあおじいちゃんが推薦してくれればいいのね」

 そう言って、ルージェはさらに谷間を強調するように前かがみのポーズをとる。

 老人の鼻の下は完全に伸びきった。これはあとひと押しといったところだ。

「お、お前さん、どのクラス志望じゃ?」

「えっとねえ、盗賊かなっ」

 ルージェは《仲間さがし》に登録してあるクラスを告げた。

 よくよく考えてみると、五つのクラスのなかでは一番自分に合っているかもしれない。

 ルージェの得意な武器は、盗賊もよく使うむち

 今も愛用している《グリージアの紫鞭》を腰に丸めて提げている。

 彼女の場合、本気を出すと大地を根こそぎえぐりとってしまうから、易々と

人前で使うわけにはいかないが。

 老人はきょろきょろとあたりに人がいないことを確認すると、ルージェにささやきかける。

「腕に自信はあるのか?」

「まあね」

「なら、わしとひとつ賭けをせんか?」

 老人はぬへりと、あからさまに悪巧みしている顔になった。

「わしの用意した錠前をここで開けることができたなら、お前さんを推薦してやろうじゃないか」

「開けられなかったら?」

「なに、それでも推薦してやることに変わりはない。ちょっと条件が加わるだけじゃ」

 言いながら、老人の両手はわしゃわしゃと下品に開け閉めされる。

 なんてわかりやすい。人間ってほんとに、愛おしいほどおバカだ。

 こんなに歳をとっても、考えることは変わらないのだから。

「いいよ、それで。時間もないし、はやくその錠前ってのを持ってきてよ」

「もう取り消しはできんぞ。くっくっく」

 老人はゴトリ、と受付の上に置いた。

「へえ……。けっこーヤバい感じの錠じゃない」

 それは見るからに重厚で、年季の入った錠前だった。ところどころ錆びた鉄には魔力が宿っており、鍵穴はなんと三つに分かれている。

「そりゃそうじゃ。これは魔族公爵グノーブルの支配する館についていた錠前よ。その錠をこれまでに開けられたのは、伝説の盗賊シャーウッドのみ。長年ここで盗賊を育てとるわしさえも、何度挑戦しても解錠できたことがないのじゃからな!」

「へー、じゃあアタシが二人目だね」

「わはははは! わしが人生を捧げたといってもいいこの錠、さあさあ、開けられるものなら開けてみるがいい!」」

「おっ、開いた開いた」

「おっと、制限時間を決めておらんかったな。わしも鬼ではない。今から半刻ばかりはくれてやろう!」

「もう開いたんだけど」

「それが過ぎても錠前がびくともしていなかったときには……じゅるり。わかっておるだろうのう。今さらナシにしてほしいなんて泣き言は聞かんからな!」

「だから開いたって」

「ぐへへへ…………は? 開いた?」

 ゆがみまくっていた老人の顔が、開いた錠前を突きつけられたことで固まる。

「うん。残念だったね、おじいちゃん」

「あいた…………」

 外れた錠前の金属部品をいじりながら、老人はぽかんと口を開いた。

「わしの春が……。いや、それよりもわしの人生って一体……」

「ちょっとお、聞いてる? 冒険証ちょうだいよお」

 目の前で手を振ってみると、老人は大きな印を押された推薦状をルージェに手渡した。

「ありがとね、おじいちゃん☆」

 それを別の受付へと持っていくと、本当に簡単な手続きだけで冒険証を発行してもらえた。

「チョロいもんね」

 冒険局を出たルージェは妖艶に笑った。

「……バカなおじいちゃん。最初から身体を要求しとけばいい思いができたし、自尊心を傷つけられることもなかったのに」

 冒険証を服の隙間にしまうと、ルージェが代わりに取り出したのは一本の鍵だった。

 錠前が開いたのは、ルージェに盗賊としてのたしなみがあったからではない。全てはこの『魔王の鍵』のおかげだった。

 これさえあれば、魔族の作り出したあらゆる扉、錠前、封印を開くことができるのである。

「ま、でもあのおじいちゃんはアタシのタイプじゃなかったからなー。やっぱり弄ぶなら純情な男か、けがれを知らない乙女だよねっ☆」

 ぺろりと舌を出す。そういった相手の方が汚し甲斐があるというものだ。

「はてさて、クラム・ツリーネイルってのは、アタシを満足させてくれるのかなっ☆」

 まだ時間はたっぷりある。

 ルージェはしばらく街をぶらついてから、待ち合わせの場所へと向かうことにした。

 ネオンブリッジの酒場街にある《旅の道連れ》亭へ。

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