第二十話 関東管領(後編)



 甲斐の躑躅ヶ崎館つつじがさきでは、武田晴信が逍遙軒信廉しょうようけんのぶかどに命じて「不動明王像」を制作させていた。奇妙なことに、自分自身を不動明王のモデルに用いよ、等身大の立像にせよ、と注文をつけてのことである。つまり、逍遙軒が制作していた仏像は不動明王像という名の「武田晴信像」だったのだ。しかも外見と寸法を生身の晴信そっくりに仕立て上げただけでなく、晴信自身の髪の毛までも材料として用いさせた。

「姉上。これって、呪術的な意味でもあるのかな。自分の身代わりとして作らせた影武者人形に髪の毛を封じるって」

「……ん? あ、ああ。そうだ、これは戸隠対策だ。加藤段蔵が束ねている戸隠忍群や飯綱忍群の中には、予想できない異能者もいるらしい。どのような呪術を用いてあたしに害を為すかわからん。不動明王像と称しているが、実際には身代わりだ」

「加藤段蔵は景虎の出奔を手引きしたかどで越後と手切れして以来、戸隠を守るので手一杯で、姫武将に暗殺など仕掛けてこないと思うけれどもねえ。まあいいや」

 背の高さと胸の大きさ以外はうり二つのわたしが言うのもなんだけど、姉上は世に比類なき美人サネ、そろそろ婿を取って世継ぎを作ったほうがいいんじゃないかねえ、と逍遙軒は不動明王像に漆を塗りながら苦笑するが、晴信は、

「あたしは武田家当主として忙しい。婿取りならばお前と次郎信繁が先だ」

 と首を縦に振らなかった。

「わたしは絵を描いているほうが性に合っているし、次郎姉さんは姉上が独身を貫く限り独身だよ」

「……長尾景虎との川中島での勝負がつくまでは、他のことは考えられぬ」

「姉上は躑躅ヶ崎館に毘沙門天びしゃもんてん像を入れようとしていると聞いたサネ。もしかして毘沙門天像と不動明王像は、長尾景虎の分身と姉上ご自身の分身とで一対。つまり、『おそろい』のお人形遊びなんじゃないかって、次郎姉さんが」

「……の、信繁は景虎のことを意識しすぎる。決して、そういうつもりでは……」

 だがそうなのかもしれない、この地上では、景虎と友として過ごすことはできない。せめて仏界に見立てた想像上の世界でだけは。そう思ってあたしは自分自身を不動明王に見立てて立像を作らせているのかもしれない、と晴信はふと気づいていた。

「太郎ちゃんは西上野にしこうずけを力押しで慌てて攻略しようとした結果、失敗して謹慎中だし、太郎ちゃんを補佐していた真田幸隆も長野業正ながのなりまさの調略に成功できなかった。次郎姉さんは姉上が自分よりも景虎に夢中になっているといつも青ざめているし、父上は駿河を追われて伊勢へ逃走。このままでは武田家はばらばらになっちゃいそうだよ。まあ、わたしはただの道楽者だから、どこにも行きようがないけれども」

「……川中島での戦いは次の一戦で終わる。西上野などは後回しでいいのだ。海津城が完成すれば、甲斐から川中島への補給路は盤石になる。景虎が不毛な関東遠征という泥沼に足を突っ込んでいる隙に……」


 その川中島から、山本勘助が躑躅ヶ崎館の晴信のもとを訪れたのは、深夜のことだった。

 だが勘助が府中へ戻って来た時、晴信は館の裏にそびえる要害山に登り、積翠寺せきすいじ温泉に入っていた――。

 勘助は、片足を引きずりながら積翠寺温泉へと直行した。

「久々だな勘助。海津城、完成したか」

 晴信は湯に浸かったまま、岩陰に伏している勘助と対面していた。考えてみれば奇妙なことなのだが、勘助が四郎勝頼を崇拝する一種の紳士的修道士だという事実は武田家のみなが知るところとなっているので、このような場所で二人が顔を合わせてもその関係を疑う者など皆無なのだ。むしろ晴信は(湯からあがってあたしの胸を勘助に見られては、勘助は「おぞましいものを見てしもうた」と倒れてしまう)と勘助を気遣わねばならなかった。なんでこんなことで年頃の姫武将が逆に男に気遣わねばならんのだ、と思うと馬鹿馬鹿しくもあったが、武田家のきょうだいが戦略方針を巡って分裂しつつある今、勘助には救われる思いだった。

「完成しました、御屋形さま。長尾景虎の関東遠征が二年越しのものになったことが幸いいたしましたぞ。これで川中島を恒久的に武田軍が統治する仕組みが、ほぼ整いました。北信濃の民心を束ねてきた善光寺の秘仏は今、甲斐にあり。川中島に、武田の軍事基地たる難攻不落の海津城あり。長尾景虎が関東から戻ってきた時には、もはや手遅れでございます」

「仏を奪い、武の拠点も築いた。これで北信濃に残るは、山の神――戸隠山と飯綱山だけだな。加藤段蔵が守るご神体の『石』はしかし、巨大すぎて運べぬぞ。春日山城から近すぎるから、戸隠に駐屯し占領することも困難だろう」

「しかし加藤段蔵もまたすでに景虎と手切れしております。長尾景虎は男どもの志をすべて引き受けて男どもをきつけますが、ただひとつのことがらにおいてだけ、男の夢を拒絶いたします。結果、彼らに次々と離反される。そのような宿命の御仁なのでしょう」

「加藤段蔵はむしろ、景虎の出奔を手助けして越後の男武将どもに激怒され、越後を追われた側だがな。しかしその段蔵も、景虎をかどわかして隠すことは結局できなかったのだな……」

「御屋形さま。ご決断の時です。猿飛佐助たち真田忍群を動員し、『石』を破壊いたしましょう」

「……そうだな。村上義清はすでに越後で生涯を終えるつもりになっている。後は、戸隠の連中と、そして景虎自身のあたしに勝ちたいというこだわりだけだ。戸隠の『石』が消え去れば、信濃の山の神々はすべて武田家という人間の力に屈したことになり、景虎が川中島に固執する意味も消える……」

 それでは猿飛佐助と望月千代女もちづきちよめを中心に決死隊を編制し、「石」を爆破いたします、と勘助は告げた。

「しかしながらこの大仕事、入念な準備が必要です。今すぐにはかかれませぬ。しかも景虎がこのことを気取れば、必ずや阻止しましょう。越軍の守りが手薄となった時を狙わねばなりません」

「……景虎は、関東遠征の最中にあたしが西上野や川中島であれこれと謀略を巡らせていることに耐えかねているだろう。景虎が義とやらを実現するためには武田晴信はどうしても倒さねばならぬ宿敵であり、武田家が駿河へ進出するためには川中島での越軍との果てしない死闘を次の一戦で終わらせねばならない。あたしと景虎は、川中島で雌雄を賭けて決戦することになるだろうな。やるならば、その時だな。が、勘助。われらは、正面から越軍と決戦して、景虎に勝てるか」

「ははっ。海津城が完成した以上、よほどの悪手を打たぬ限り敗北はござらん。そして、万が一景虎に押された場合の策も、いろいろと練っております」

「……川中島で、武田家は貴重な時間と将兵を浪費し続けてきた。長かったが、ついにあの景虎に勝つ時が近づいているのだな、勘助」

「御意。勝たねば義信さま信繁さまともに納得いたしますまい。国人衆も同じことです。川中島で消耗戦を続けている以上、国人衆に知行地を与えること、かないませぬ……次の戦に敗れれば、御屋形さまが築き上げてきた武田家の和は崩壊いたします」

「ならばもう一押し必要だな。万が一にも景虎が越後と川中島を捨てて関東に本拠を移してしまえば、景虎との決戦、行えなくなる。関東管領家の復興など絵に描いた餅で、今さらどのような努力をしたところで不可能だが、景虎はあれでいちど引っかかると執念深い。このまま北条との戦いにのめり込んで、あたしを忘れる可能性も、なくはない」

「あ、いや。御屋形さま。それならばそれでもよいとは思いますが……景虎が関東に完全に本拠を移転して越後の守りを長尾政景にでも譲り渡してしまえば、駿河よりも先に直江津の海へと出ることも可能でしょう」

「理屈で言えばそうなる。しかしそれでは意味がないのだ、勘助。あたしと景虎とは、直接決着をつけねばならないのだ。父を救うために毘沙門天などという神仏の物語を背負い込んで越後守護だの関東管領だのの復興のために奔走してきた景虎が正しかったか、父を追放してまでも自ら甲斐の女王となり、東国を新たなる人間の国として造り替えようとしたあたしが正しかったか――どうしても、川中島に景虎を呼ばねばならない」

 勘助は、隻眼を潤ませながら、

「……止めても、どうにもなりませんな。御屋形さまと長尾景虎はお互いに、それぞれのお父上と離別した時から、時間が止まっておりまする。お互いの時間を再び未来へと進めるためには、決戦をする他はありませぬ。御屋形さまの、お心のままに」

 と、こうべを垂れていた。

「ただし、戦場において再び御屋形さまのご家族、ご家来衆に無用な犠牲は出さぬとこの勘助は誓いましたが、軍神・景虎が相手ではさすがに保証いたしかねまする。この勘助、最小限の被害に食い止めて最終的な勝利を御屋形さまにもたらすことはお約束しますが、犠牲は覚悟していただきまする」

「あたし自身の命を含めて、覚悟の上だ。東では長尾景虎が関東遠征に乗り出して破竹の進撃を続け、西では今川義元を倒した尾張の織田信奈の力が急激に増大している。座していては、海を持たない武田は滅び去ることになるだろう。これ以上、時間を浪費することは許されない」

 あたしはこれより武田信玄と名乗る、と晴信は勘助に告げていた。

「武田、信玄? 出家なされるので?」

「あたしは坊主にも尼にもならんが、形式上はそうなるな。あたしの真意は、景虎には伝わる。二人だけの秘密の『合図』のようなものだ。あたしが信玄と改名すれば、景虎は必ず、川中島に来る」

 ならばそれがしも出家して剃髪ていはつし、道鬼とでも名乗りましょう、御屋形さまのために鬼となってでも「天下最強」への道を切り開きましょう、それで崩壊寸前となっている武田家の和を守ることもできましょう、と勘助は答えていた。

「お前が剃髪するのか? いよいよ貧相になるから、よしておけ……先に嫁を取らぬか、勘助」

「すべては長尾景虎との勝負に勝ってからのことでございます。ですが、まあ、御屋形さまは剃髪なさらぬほうがよろしいでしょう」

「当然だ。髪は乙女の命だ」

「御意。ですが、人間の男女には不浄な毛というものがございましてな。そのような不浄なものが生えておらぬ幼子と比べて、大人の女の身体のなんとおぞましいことか! 想像しただけでこの勘助、この世の残酷さ恐ろしさに憤慨して倒れそうになりまする!」

「……お前も、初対面の時からその妙な童女への信仰心だけは変わらんな……まあ、いい」

 海津城の城主に春日弾正を命じ、同時に「高坂」と改名させよ、と晴信改め信玄は告げていた。高坂は、北信濃の名族の名である。春日弾正による川中島支配力を高めるための策だった。

「しかし御屋形さま。長尾景虎ほどの者、あるいはこのまま関東遠征に成功してしまい、海津城完成の報を知っても越後に戻ってこられなくなるということも」

「……残念だが、それはない……どれほど景虎の志が美しく、その理想が高邁こうまいであろうとも……いちど壊れてしまったものはもう再び元に戻すことはできないのだ、勘助……諸行は無常也、だ。必ず、景虎は川中島に来る」

 御屋形さまは今、甲斐から追放してしまった父・信虎のことを思っているのだ。その心中を察しながら、勘助は瞑目めいもくしていた。



 武田晴信と山本勘助による川中島奪取の策謀が進む中――足利体制下での関東府の拠点とも言える古河城を落とした長尾景虎は、十万の関東遠征軍を率いて武蔵から多摩川を越えて北条家の本国・相模に入り、鎌倉をも横断。

 ついに、北条氏康が籠もる巨城・小田原城の包囲を開始していた。

 武蔵の河越城、江戸城、相模の玉縄城といった北条方の拠点はことごとく景虎の進軍を阻止しようとせずに籠城に徹し、景虎が望む野戦での一撃決戦を避け続けた。その結果、景虎は無人の野を進むが如き勢いで一気に小田原まで進軍していたのだ。

 道案内役を買って出た老将・長野業正は、体調を崩すことが多くなっていたが、

「古河城を落とした今、焦ることはございません。河越城、江戸城と順番に攻略して、まずは武蔵を完全に固めてしまいましょう。北条三代が拡張し続けた小田原城はとてつもない巨城にて、十万の軍勢をもってしても容易には落ちませぬ」

 と慎重論を説いた。だが、問題があった。直江大和が越後の米をすべて関東へと輸送したが、宇佐美・直江の目論見では関東軍は総勢三万程度になるはずだった。しかし現実には、景虎の人気と「行けば食える」という噂が噂を呼んで、その数が十万にまで膨れあがってしまった。十万もの軍勢を食わせることは、難しいのだ。つまり、関東遠征軍には、長々と戦う時間が残されていなかったのだ。

 そのことを知っている北条氏康は、どれほど景虎のもとに集まった関東諸将から罵倒されようとも、卑劣と侮られようとも、小田原城の城門を固く閉じて決して出てこない。玉縄城も河越城も、同様である。関東武士の聖地である鎌倉の防衛すら放棄して、氏康はひたすらに決戦を避け続けた。

 小田原城攻めを開始したその日。

 景虎は小田原城に籠もる城兵たちが見える最前線にまで陣を進めて、床几しょうぎに腰を下ろしながら米代わりの酒を飲み、弁当に箸をつけるという暴挙に出ていた。

 どれほど決戦を挑もうとしても、自分に野戦では勝てないと知っている北条氏康は出てこない。

 策を用いて戦に勝とうとする武田晴信ですら、ここまで逃げ続けることはできないだろう。北条が三代がかりで奪い取ってきた上野、武蔵、相模、鎌倉。氏康は、そのことごとくを、北条三代が築き上げてきた「関東の覇者たる北条」という自尊心とともに投げ捨てた。

 越後の荒々しい男武将たちのもとで育ってきた景虎には理解しがたい種類の人間であり、驚くべき忍耐力だった。

(これでは、わたしが氏康をいくら挑発したところで、無駄だ。なんというしたたかな女だ……まるで諸葛孔明との決戦を避け続けた司馬仲達だ。だが、鎌倉の防衛まで放棄するとは、これでも関東武士なのだろうか)

 短気な景虎は「いっそ女の衣装でも贈ってやるか」と思い詰めたが、そもそも氏康は女なので、意味がなかった。

 ならばわたし自ら銃弾が届く距離まで接近して、北条軍の将兵たちの忍耐力を決壊させる他はない、と景虎は決断したのだった。関東武士たちは、「武」に関しては日ノ本のいかなる武士よりも誇り高い。いかに氏康といえども、将兵たちが「ここまでされてまだ逃げ隠れするのか」と激高すればもはや抑えきれなくなるはずだった。鎌倉はそれほどの聖地である。かつて源頼朝が日ノ本史上初の武家政権――幕府を開いた土地であり、源氏から幕府の実権を簒奪さんだつした元祖北条氏もまた鎌倉に政庁を置いてきたのだ。その元祖北条氏を打倒した足利家は、やまと御所との対立問題があったために京に幕府を置かざるを得なくなったが、鎌倉に関東公方を配置して東国を支配させてきた――。

「景虎! 弾が当たったらどうするんだ、やめろ! 引っ込め!」

 宇佐美定満が景虎の手を引っ張るが、景虎は「宇佐美こそ危ないぞ」と床几から動かなかった。

 小田原城のやぐらから銃弾が次々と景虎めがけて撃ち込まれてくるが、景虎には当たらない。ぎりぎり射程距離の範囲に景虎は入っているが、しかし、この当時の種子島の命中精度は低い。数もごく少なかった。西国ではすでに種子島の量産が開始されているが、東国ではまだ物珍しい存在だったのだ。

 やがてその種子島の弾も、尽きた。

 景虎の豪胆ぶりを目の当たりにした関東諸将は騒然となった。毘沙門天の化身という噂はまことだった、と。だが、長期戦は困難と見た景虎の挑発を、氏康はなおも押さえきってみせた。

 やむを得ず徹底的な力押しをはじめたくとも、総攻めにかかる戦意を持つ軍団は越軍本隊・長野業正軍・里見軍を主体とするおよそ三万のみで、七万の兵は「しばし様子を見ましょう」と唱えて動かない。

 戦意が高かった太田資正おおたすけまさには、武蔵での河越城・江戸城に対する押さえ役を任せている。下野しもつけ常陸ひたちの諸将は、さほどの戦意がない。北条軍を敗走させ続け、相模の小田原城まで攻め寄せたことで、諸将はおおむね満足してしまっている。しかしそれよりもなによりも、兵糧がないのだ。諸将に「戦え」と命じても、兵たちがえている。

 毘沙門天は霞を食っていればいいが、人間は義だけでは食えないからな、と鎌倉での後詰めを命じられて後方戦線に留まっている政景が笑っている顔が思い浮かび、景虎は思わずかっとなった。足下に、青竹を振り下ろしていた――。


 ――宇佐美の再三の要請に折れた景虎は、本陣を安全な位置へ移した後、宇佐美、直江、そして長野業正の三人を呼び寄せて軍議を開いていた。

「長々と攻城戦を続ける兵糧はない。そして氏康はどのように挑発されようとも絶対に戦わないつもりだ。どうすればいい」

「ですから気前よく兵糧を配りすぎたのです、お嬢さま。十万のうち七万は、餓えをしのぐために集まってきた無駄飯食らいです。慈悲は無限大でも、兵糧は有限なのですよ」

「まずいことになってきたぞ景虎。越軍は関東遠征での乱取りや村々の襲撃を禁じていたが、大軍に膨れあがった連合軍の兵士たちは餓えている。あちこちで乱取りを開始しつつある。しかも、この小田原周辺の民はみな、あらかじめ作物をすべて刈り取って小田原城に入ってしまっている――広大な関東の平野を利用した焦土戦術とでも言うべきか」

 直江大和は「仮に乱取りを黙認したところでこの飢饉ききんでは集められる兵糧には限りがあり、兵糧はあと二週間も持ちません」と訴え、宇佐美定満は「無駄飯食らいになっている七万を解散させて総兵数を三万に減らし、全軍撤退すると見せかけて北条氏康を引き出し、野戦決戦に持ち込むしかない」と進言した。

 長年の間、氏康と戦ってきた長野業正はしかし、

「……偽りの撤退をしたところで、氏康は出てこないじゃろう。出てくるとしても、綱成や氏政ら、北条一族の妹たちを繰り出して様子を見るじゃろう。北条氏康とはそれほどに用心深い姫武将じゃ。大義も名分も武士としての見栄や誇りもなにもかも捨てて、ひたすらに実利を取る。決して負けない戦をやる」

 と、宇佐美が考案した「偽りの撤退戦術」がうまくいかないことを告げていた。

「だが爺さん。氏康は、河越夜戦では少数で関東管領軍を奇襲したぜ。勝ち馬に乗るべき時は乗ってくるはずだ」

「それものう、宇佐美どの。総大将の上杉憲政さまと関東諸将との間に風魔を放って不和の種をき、内部分裂を誘っておいてからのことよ。乾坤一擲けんこんいってきの奇襲に天運を委ねたのではないぞ」

「箱根山に結界を張っている山の民・風魔か……日ノ本の忍びではないらしいな。軒猿衆を配置してはいるが、なかなか包囲網にかからねえ。こいつは一筋縄ではいかねえな」

「むしろ十万の大軍、しかも寄り合い所帯という意味では、河越夜戦の折の関東管領軍と、今の景虎どの率いる関東遠征軍とは、よく似ておる。氏康は風魔を用いて、景虎どのとわれら関東諸将の和を分断する策に出てくるのではないか」

 加藤段蔵と戸隠忍群がいてくれれば、あるいは風魔に対して結界を張れたかもしれないのに、と景虎は思った。だがすでに、「高野山出奔」という景虎の迷いのために越軍は加藤段蔵との共闘関係を失ってしまっていた。それに、加藤たちは戸隠を守護する山の民だ。武田晴信が戸隠を狙っている今、遠く関東にまでは出てこないだろう。

「佐竹どのや里見どのとも相談したのじゃが、この上は景虎どのに厩橋まやばし城に入っていただき、長尾家の本城を春日山城から厩橋城に移転していただくのが最善手かと思われまする。越後の守りは政景どのや宇佐美どのらに預けて、上野から関東を支配していただきたい」

「いや、それはできない。わたしは春日山城に生まれ、春日山城に育った」

「わかります。わかりますが、景虎どのが越後へ戻れば、北条は再び息を吹き返しましょう。氏康もそれがわかっていて、景虎どのの撤退をひたすら待っているのですぞ」

 景虎は目を閉じて、どこまでも平野が続く関東とはまるで異なる故郷の山々を思い返していた。あの、進軍を阻み続ける越後の雪ですら懐かしい。

 直江大和が「関東もそうですが、越後は諸豪族の集合体にすぎません。下越の揚北衆あがきたしゅうにしても、中越の北条きたじょう高広らにしても、強力な武威を誇る景虎さまが不在となれば、長尾家からの独立を画策しはじめましょう」と長野業正に言い含めていた。

「そうですか……越後も関東と同様の政情なのですな。しかし景虎どのの武威をもってすれば、越後の国人衆を問答無用で家臣団化して絶対的な主君として君臨することもできましょうに。逆らう者を順番に倒していけば、容易なことかと」

 お嬢さまがそのようなお方でしたら、さっさと厩橋城を直轄支配しておりますよ、まして厩橋城への本城移転など夢のまた夢でしょう、と直江は苦笑いしていた。

「長野業正。進言はありがたいが、春日山城から関東まではあまりに遠すぎる。思い切って関東への本拠移転を断行すれば、越後の諸将が動揺し、必ずあの武田晴信が好機到来とばかりに川中島から越後をうかがう。武田晴信が川中島を狙う限り、わたしは春日山城をいつまでも留守にはできないのだ」

「……そうでしたな。武田晴信が……わが箕輪みのわ城に攻め寄せてきた時はからくも撃退できましたが、あれは義信が率いる部隊で、武田本軍ではござらなんだ。あの野望の姫武将は今後も、西上野と川中島の両面で、景虎どのを妨害し続けましょうな」

 これ以上十万の大軍で小田原城を包囲していては、軍規はますます乱れ将兵もいよいよ餓え、関東の民をさらに苦しめるばかりになってしまう。救民のための軍が、民を略奪する軍へと変貌してしまう。それでは、関東遠征は義戦でもなんでもなくなってしまう。

 景虎が「あと二週間のうちに氏康を引き出して決戦する他はない。なにか手段はないだろうか」と唇をんでいると――。


「越後より、関白・近衛前久このえさきひささま、ご到着」


 馬上で鎧兜に身を包んだ「武家関白」近衛前久が、関東管領・上杉憲政うえすぎのりまさを連れて本陣へと乗り込んできたという。

 近衛さまを新たな関東公方に推すという話は、北条との戦いを終えてから関東諸将に切りだすつもりだったはずだ。今、合戦中にその話を持ち出せば関東諸将は動揺する。だから当面は厩橋城に留まっていただくはずだったのに、なぜ今? と景虎は戸惑った。

 宇佐美も直江も、関白の小田原参陣についてなにも聞いていなかった。

 使者曰く、厩橋には関白の「影武者」を置いてきたのだという。

 近衛さまはどこまでも東国武士の統領として振る舞うおつもりらしい、と景虎は思った。


 風魔経由で近衛前久の小田原入りを知った北条氏康は、「ついに反撃の時が来たわね」と微笑んでいた――しかしその氏康の頬は、げっそりとこけていた。当主の氏康も妹の氏政も、小田原城に入った足軽兵や領民たちとともに、少量の汁かけ飯だけでひたすらに餓えをしのいでいたのだ。そうでなければ、これほど逃げ続け隠れ続けながら、「いっそ決戦を」と涙を流して訴えてくる北条軍の将兵らを思いとどまらせることなどできなかった。

 鈴を鳴らし、闇の中に風魔衆の統領・風魔小太郎を召喚した氏康は、「ただちに工作を開始して」と小太郎に告げていた。

「関東諸将の間に、噂をばらまくのよ。かつて川中島で武田と景虎が長対陣した折には、あの二人の姫武将がただならぬ恋仲にあって密会を重ねているというあり得ない噂が駆け巡って、両軍の将兵の士気を下げた。今回も同じ手を用いるの。姫武将同士の逢瀬おうせなんて嘘臭い話でも、士気が落ちている戦場の将兵たちは信じる。まして男と女の仲ならば、容易に信じる。しかも今、小田原を囲んでいる関東十万の将兵の誰もが、心のうちでは、美の化身たる長尾景虎を己のものにしたい、と羨望しているのだから――その男どもの野心の炎を、ちょっとだけあおってあげれば、あとは燎原りょうげんの炎の如く燃え広がる」

 小太郎は「御意」とだけ返答し、姿を消した。小太郎の声は独特のもので、男なのか女なのかわからない。その「面」に覆われた素顔も、誰も見たことがなかった。

 冷徹な北条氏康は、武田信玄とも長尾景虎とも異なっている。殿方を理想化することもなければ、恐れて忌避することもなかった。「姫武将」という立場が武器ともなり、同時に致命的な弱点ともなることを、知り抜いていた。

 長尾景虎は、上洛した折に関白・近衛前久と恋にちた。

 だから近衛前久は、将軍足利義輝の猛反対を受けながら、異例中の異例とも言える東国下向を強行した――長尾景虎と結ばれるために。

 武家と公家。道ならぬ恋のために、在原業平ありわらのなりひらの如く都を捨てて関東へと。

 近衛前久は都では名うての美男子で、「姫武将殺し」である、と。

 この最後の「前久が美男で姫武将殺しと呼ばれている」というあだ名の件だけは、事実だった。

 その事実にわずかな嘘を巧みに織り交ぜた「噂話」という名の毒を、小太郎率いる風魔衆が十万の関東遠征軍へと向けていっせいに放っていた。


「関東諸将よ、私が関白・近衛前久である。このたびはやまと御所の姫巫女さま、および、わが義兄――幕府の『大樹』こと将軍足利義輝より、関東公方に就任し上杉憲政・長尾景虎とともに関東の戦乱を鎮めよという内諾を授かり、下向することとなった」

 風聞の「種」が蒔かれて芽を出しはじめたまさにその時、近衛前久は小田原城を包囲している関東諸将の主要な面々を呼びつけて「関東公方就任」を宣言していた。近衛は景虎よりもはるかに性急である。義輝の制止をようやく振り切って関東に下向したことに高揚していた。その上、藤原家の頂点に立つ御曹司である彼は、下々の噂話など意に介さない。自分と景虎との醜聞が関東遠征軍の間に広まりつつあることは知っていても、その噂がこの景虎の関東遠征にとって決定的な「落とし穴」になるであろうことには気づいていなかった。

 しかも、悪いことに――「私は今日より公家ではなく武家として生きる」と決意して総髪に甲冑姿という武家らしきいでたちで関東諸将の前に現れた若き関白・近衛のその顔立ちは、当人の意志とは無関係に、どうしようもなく「公家」だった。色白で面長で、まさに「貴人」という言葉がふさわしい高貴な美男子である。近衛が厩橋城から連れてきた関東管領・上杉憲政も東国を代表する風流人として名高かったが、都の殿上人はやはり格が違った。近衛家の「血筋」が、近衛前久の顔と容姿にはっきりと受け継がれていたと言っていい。

 この日、景虎は朝から例の「月のもの」を迎えて陣屋で寝込んでいた。風魔衆による暗殺を警戒しながら宇佐美定満と直江大和がつきっきりで景虎の看護に当たっていたこと、敵味方の誰も信用せず用心深い長尾政景が柿崎景家や北条高広ら越軍の主力武将とともに東相模における重要拠点である鎌倉の玉縄城包囲に当たっていたこと、老体にむち打って小田原まで進んできた副将の長野業正もまた熱を出して寝込んでいたことなど、様々な不運が重なっていた。その結果、「なんと関東の平野とは広大なことか。なんと相模湾とは美しいのか」としびれを切らせた近衛前久が暴走してしまったのである。

 同席を求められた関東管領・上杉憲政は、関白の命令に逆らうことができず、やむを得ず関東諸将と近衛との仲立ち役を務めるべくこの「関東公方就任宣言」の席に出席していた。だが、関東に生まれ育った彼は、まるで関東武士たちの事情を知らない近衛とは違う。上杉憲政は、関東遠征軍が空中分解するさまを容易に予見できた。

(関東公方就任宣言など、早すぎる。性急すぎる。小田原城はすでに兵糧も戦意もない。あと一押しで落城するんだ。景虎が十万の軍勢に小田原城を攻めよと大号令をかければ、それで。それなのに……関白さまは、ご自分と景虎どのの醜聞を意に介していないのか? 大変なことになる。大変なことに……!)

 近衛前久の「関東公方就任」宣言。これを突然聞かされた関東諸将は戸惑い、激怒しながら口々に異を唱えた。

 関東における反北条家の一番手とも言える南総の里見義弘をはじめ、下野の宇都宮や小山、那須、常陸の小田や佐竹ら、ほとんどすべての関東諸将が、

「関東は武家の世界。長らくわれらを押さえつけようとしてきた都の公家を関東公方に迎えるなど、決してあり得ぬ」

 と憤慨したのである。

 近衛前久が理想として描いていた公武合体策は、あまりにも新しすぎた。周到な根回しこそが必要だったのだ。関東諸将の誇り高さと公家への拒絶感を知っていた宇佐美も直江もそのつもりで、近衛の関東公方就任の件については先延ばしにしていた。結局は景虎が強すぎたことが、近衛の先走りを招いたのだ。

 打倒北条を悲願としている里見義弘は、あと一歩で小田原城を落とせるところまで来たというのに関東遠征軍が空中分解してしまっては生涯悔いを残すと焦り、

「関東公方には、代々、足利家の者が就く。これが関東の習わしでございます。ただいまの関東公方・足利義氏あしかがよしうじは北条家の血を引く者にして、北条家が担いでいる傀儡かいらいゆえ、われらは正式な関東公方として認めてはおりません。ですが、だからと言って関白さまを関東公方に頂くこと、われらは同意できませぬ。幼いながらも、北条の血が入っていない関東公方家の足利藤氏あしかがふじうじさまをこそ、関東公方に就けるべきかと。関白さまは幼き藤氏さまの後見人として後ろ盾に回っていただければ」

 と近衛を説得しようとした。

 しかし近衛前久は、

「聞け。かつて源頼朝を将軍として担いだ鎌倉幕府は、その源氏将軍を三代で滅ぼし、都より藤原摂関家や姫巫女さまのご一族を招いて形式的に将軍の座に就けていたではないか。当時の公家将軍は傀儡ではあったが、公武は関東において緩やかに合体されていた。今のような戦乱もなかった。武家と公家とが融和されていたからこそ、元寇げんこうという国難にも対処できた。関東武士と都の公家とが分裂した瞬間から南北朝の戦乱がはじまり、応仁の乱から現在の戦国の世へと至ることとなったのだ。私自身が関東を支配するつもりはない。関東管領・上杉憲政の権威のもと、長尾景虎に実行支配させる。公家将軍を関東武士が担いでいた当時のかたちに戻せ、それで公武は再び合体し、東国の戦乱は終わる、と私は言っているのだ」

 と反論した。近衛の言っている理屈は正しいかもしれないが、鎌倉幕府の記憶など、もう関東武士には残っていない。むしろ後醍醐ごだいごと足利との泥沼のような内戦が続いた南北朝の動乱以来、関東武士は足利幕府の足を引っ張り続けた公家に対しては警戒心と嫌悪感しかない。

 これは「建武の新政」の悪夢の再来だ、公家が長尾景虎の武を利用して関東を簒奪しようとしている、と諸将は憤った。

 佐竹義重が、諸将を代表して近衛に斬りかからんばかりの勢いで詰め寄っていた。

「関白どの、だまらっしゃい! ワシら関東武士は公家の犬ではないわ~っ! この件、景虎どのもご承知なのか? だとすれば、景虎どのへの求心力も低下してしまう!」

「景虎と私とは、京で志をともにすると誓い合った仲だ。私が関東公方の座を望んでいる件、むろん景虎も承知の上である」

「……む、む……景虎どのは殿方からの頼みを断れぬお方。関白どのにだまされておるのじゃ~っ!」

 佐竹義重は(ほんとうだとしても、それを今ここで言うのか。なんたる浅慮!)と近衛の甘さと正直すぎる直情的な性格に戸惑っていた。たしかにこのお方は、どこか景虎どのと似ている。二人は乱世を憂う「志士」として肝胆相照らしたのだろう。佐竹義重はそう理解し納得しようとした。

 しかし。

 この時、佐竹義重が内心恐れていたことが起きた――北条氏康が関東諸将の心に蒔いた「近衛前久と長尾景虎の恋」という醜聞が、近衛の発言によって爆弾のように引火し、炸裂していたのだ。

 もっともこの噂に動揺していた男が、武蔵・おし城主の成田長泰だった。成田長泰は、行人包に顔を隠して堂々と関東を進軍していた長尾景虎に熱烈な恋をしていたのだ。有力な関東諸将のほとんどが男武将だったことが、氏康が用いた「噂爆弾」を限りなく有効にした。越後ほど極端ではなくても、平将門の時代以来、古参の名族揃いである関東では、姫武将は散見されるが「大名」格の姫武将はほとんど見られない。これは関東武士の「公家嫌い・西国嫌い」とも関連がある。西国との関係が深い今川家や武田家とは違っていた。今川家は、太原雪斎が京で育ててきた今川義元を駿河へ呼び戻して主君の座に就けたのだし、武田信虎は保守的なイメージが強いが実は京の公家衆たちとの関係が深く、早くから姫武将という風習をよく取り入れていた。そして、関東における最大の例外が、西国から下克上を果たして関東へ侵攻してきた北条家なのである。

 ともあれ「景虎を公家などに奪われたくない」ともだえた成田長泰は、公の席で口にしてはならない言葉を、思わず近衛前久に対して吐いていた。

「関白さまは、長尾景虎どのと京で恋仲になられたのだとか。こたびの異例の関東下向も、景虎どのとの身分違いの恋を成就するために都から逃れるためであったと聞いておりますぞ! 関東公方は名ばかりで支配せずと言うが、景虎どのを妻にするのであればつまり関東は関白さまの国ということになりますな……!」

 なにを言っている、無礼な、と近衛前久は顔をしかめていた。

 しかしその怒気をはらみながらも高貴な近衛の表情がまた、成田長泰たち関東諸将の疑惑を深めた。

「景虎は武家。私は公家だ。まして景虎は生涯不犯を誓っている。恋仲になどなろうはずがない。私は戦乱の世を立て直すという志を景虎とともに果たすために敢えて都を捨てて関東へ来た。関白自らが関東公方に就任し公武合体を成し日ノ本の戦乱を終わらせるというわが構想は、断じて私個人の欲得から出てきたものではないし、まして景虎と恋仲になど――姫巫女さまに誓って、私も景虎も公私混同などしておらぬ!」

「関白さまは、都では『姫武将殺し』と呼ばれる名うての風流人であったとか。そのご尊顔を拝して、噂はまことであったとこの成田、確信いたしました。景虎どのとの間になにもないと言われても、信じられませぬな」

「……ぶ、ぶ、無礼者めが! 景虎をけがすような発言は許さぬぞ! あの者は、父親が乱した関東に秩序を再興するために生涯を捧げて戦っておるのだ!」

「景虎どのがそのおつもりだとしても、関白さまとの関係が潔白だとは、にわかには信じられませぬな! そもそも関白さまは、関東足利家をなんと考えられる! 足利家から関東公方の座を奪うということは、公家が武家を飲み込むということ! われら都にまつろわぬ関東武士を滅ぼすおつもりか!」

「関東公方足利家は、同じ足利の分家でありながら都の将軍家に刃向かい続けてきた。その結果が、この東国の大乱ではないか! 足利宗家の将軍・義輝はわが義兄! 私の関東公方就任は、足利宗家の意志と考えよ!」

「将軍の命令であろうとも、公家に仕えることなど、呑めませぬ!」

 事態は紛糾した。

 関東諸将とのめ事については百戦錬磨の関東管領・上杉憲政が、近衛前久の耳元に口を寄せて、

「彼らは気位が高く、これまでの歴史的経緯から公家に対しては疑心暗鬼なのです。頭を深々とお下げください。誠心誠意、異心なきことを訴えてくだされば、彼らの心も少しは収まりましょう」

 と近衛をなだめたが、「公武合体」という美しい理想がこのようなかたちで崩れ去っていくさまを目の当たりにして、これでは戦国日ノ本はいつまでも終わらぬ、この国は内輪で揉めている間に南蛮諸国に侵食されて滅び去ることになる……と衝撃を受けていた近衛もまた、完全に頭に血が上っていた。

「断る! 関白たる私を愚弄したことも耐えがたいが、無私の心で関東へと入って来た景虎を色狂いの娘扱いするとは、許せぬ! こやつらは、自分たちで景虎を関東に呼んでいながら……!」

「そこをこらえて、頭をお下げください。この関東では、関東公方も関東管領も、関東諸将に担がれるお飾りにすぎません。関東で生きていくには、忍耐が必要です」

「関東管領たる者がそのような弱腰だから、関東はこれほど乱れたのだ! 主君が家臣たちの顔色をうかがい続ける限り、関東の戦乱は堂々巡りになる! 叛意はんいを抱いた者は、景虎に成敗させればよい!」

「関白さま。それを言ってはなりません!」

 景虎が「必ず敵を許し決して殺さない」ということを、すでに関東諸将は知り抜いている。

 北条方から景虎陣営へ寝返っていた武蔵松山城主の上田朝直うえだともなおは、

「拙者は松山城へ戻り申す。ご免!」

 と席を立ち、小田原包囲軍から抜けて帰国してしまった。

 景虎から謀反とみなされても、討伐はされまい。もしも討伐されても、降伏してびれば必ず命は助かる。人質とて、よほど悪質な叛意を示さない限りはまず取られる恐れはない。

 関東諸将の心は景虎の「殺さず」という慈悲の精神と、近衛前久の「公武合体」という飛躍しすぎた理想論との間で揺れ、一人、また一人と、(関白に関東を明け渡すわけにはいかぬ。北条を倒しても、公家に関東とそして景虎どのを奪われてしまうのならば、まったく意味がない。それに、ここで勝手に帰国しても、景虎どのに殺されることはない。ならば……)と「帰国」へ傾いていった。

 あの景虎に救われた唐沢山城主の佐野昌綱の失望は、とりわけ大きかった。佐野もまた、景虎に魅入られ恋に墜ちていた一人だったのだ。


 激怒して近衛のもとから去った成田長泰は、景虎が寝込んでいた本陣へと乱入していた。

 この時、景虎は寝台の上に一人きりで、宇佐美定満、直江大和ともに席を外していた。

「景虎どの! これはどういうことか!」

 朝から激しい腹痛に襲われて伏していた景虎には、なんのことかわからない。

「……これ、とは? 乙女の寝所に無断で入るなど、無礼だろう」

「関白・近衛前久との恋仲の噂でござる!」

「……近衛さまと……わたしが? まさか。あのお方は公家の頂点、わたしは越後の武士にすぎない。身分が違う……それに」

「身分の壁を越えるための、公武合体というわけですな? 関八州は、近衛前久にあなたが用意した引き出物か!」

「……わからない。なにを言っているのだ? 小田原城攻めはどうなっているのだ」

「では、近衛前久との祝言の噂は嘘だと仰せか」

「……祝言? あり得ぬ。わたしは、生涯不犯を誓っている身だ。毘沙門天の力と引き替えに、生涯不犯を通さねばならない。悪いが、わたしは誰のものにもならぬ。なれないのだ」

 誰のものにもならぬ、と景虎から告げられた成田長泰は、前後不覚となり、その心は千々に乱れた。

 決して、景虎を利用して関東を支配したいのではない。それでは近衛と同種のやからということになり、関東武士の名折れとなる。だが……成田長泰は、弱々しく伏せって震えている景虎の白い肌と赤い瞳に魅入られてしまった。このまま引き返しては、失恋したことになってしまい、永遠にこの娘を手に入れられぬ、と惑った。

「毘沙門天の力と引き替えに……修験道や仏僧と同じく、あなたは純潔を守ることで神通力を得ている、そう仰るのですな?」

「わたしの場合は神通力のためというのとは少し違うが、俗世の執着を断ち切ることで毘沙門天の化身として生きられるという点では、似たようなものかもしれぬ。越後の諸将にはすでに、納得してもらっている。わたしが、生涯夫を迎えぬことを」

 これほど美しい女人が。そんなことはあり得ぬし、許されぬ、と成田長泰はいよいよ惑乱した。景虎が途方もないお人好しで、男から頭を下げられて救いを求められれば否とは言えないことはすでに成田長泰も理解していた。このままでは近衛前久が景虎を奪ってしまう。すでに奪われているのかもしれない。近衛の関東公方就任を阻止しても、その時は関東管領・上杉憲政が……! いや、上杉憲政はもう何年も越後で暮らしている。景虎に琵琶を教えているという。もしかしたら……。

「……ならば、力ずくで手に入れねばならぬようですな。ご免!」

 成田長泰は、激しい嫉妬に身を焦がしながら、景虎の白い手を掴んで押し倒そうとした。景虎は腹痛でほとんど身動きができない状態だったが、加藤段蔵から学んだ「術」を用いて自分の腕を掴んだ成田長泰の身体をふわりと宙へ浮かせると、「なにをするのだ、無礼者め!」と慌てて放り投げていた――。

 このような忌まわしい時に、なぜこの男は。

 怯えた景虎は青竹を手にとって、転がされてうめいている成田長泰の額を打ち付けていた。

「景虎! 短気はよせ! 関白が関東公方就任を宣言しちまったらしい。関東諸将は騒然となり、関東遠征軍は空中分解しつつある! こらえろ!」

 景虎のために特製の食事を運んできた宇佐美定満は、景虎が怒りと恐怖とに震えながら成田長泰を青竹で叩いている光景に出くわして、慌てて二人の間に割って入っていた。

「しかし宇佐美。この男は、伏せっているわたしの純潔を奪おうとした! 他の罪は許せても、これだけは許せぬ! この男は斬る!」

「宇佐美どの、それがしを斬るなら斬れ! だが、罪など働いたつもりなどない! それがしが奪わねば、あの近衛前久に奪われてしまう!」

「……成田の旦那。行け。さっさと出て行かないと、景虎があんたを斬っちまうかもしれねえ。生涯不犯の誓いを脅かされた時、景虎は……我を忘れる。こいつは北条の罠だぜ。疑心暗鬼を起こさせて関東諸将を分裂させる。河越夜戦の時と同じ手だ。あんたら、何度引っかかったら懲りるんだ?」

「……北条の罠であろうがなんであろうが、もはや関東と景虎どのを奪おうとした近衛前久への疑いと諸将の怒りは解けませんぞ、宇佐美どの。景虎どのに早く殿方をめとらせておけば、よかったのです。これほどの女人に生涯不犯などと言われれば、男はみなおかしくなってしまう。景虎どのはかつて男どもの求婚に耐えかねて越後から出奔しようとしたそうですが、次は関東からも逃げることになるでしょうな。おさらばでござる!」

 成田長泰は額から血を流しながら、去っていった。

 宇佐美定満は、「天の時が景虎の手からこぼれ落ちた」と思わず嘆息していた。

 成田長泰に襲われそうになった景虎は咳き込みながら、寝台の上で膝を抱えて小刻みに震えていた。

「……宇佐美……成田だけではないのか。多くの関東武士が、わたしと近衛さまの噂とやらを真に受けて……そして嫉妬し、怒っているのか。わたしを、手に入れたいと。わたしを穢したいと。わたしを……犯したいのか、彼らは」

「……景虎。あいつらだって、ケダモノじゃねえ。人間だぜ。善の心も悪の心もある。女人に対しても、肉欲もあれば、憧れの心もある。ただ……お前は美しすぎ、そして、近衛の旦那もまた美男すぎた。関東武士はこれまでの歴史的経緯から、公家に対してぬぐいがたい劣等感がある。劣等感が疑心暗鬼を生み、嫉妬心を生む……そこを北条氏康に、うまく利用された。上杉憲政がどうにか鎮めようと奔走したが、逆効果だった。あの旦那もまた美男子で、しかも越後の府中で長らく暮らしていたからな」

「……関東遠征は、そのような理由で失敗に終わるのだな、宇佐美……わたしが男武将ならば、このようなことにはならなかったのではないか。わたしはもう……男どもと同じ世界で、生きていたくない。わたしは、ずっと子供のままでいたかった。乙女になど、なりたくなかった……」

 ふるふると震えている景虎の背中を、宇佐美はそっとでていた。

「生老病死は人の定めだ、景虎。お前が越後の守護代の家に生まれたことも。為景の旦那の娘として生まれたことも。姫武将として生まれたことも。なにもかも、宿命としか言えねえ。お前がほんとうに、もう限界だというのならば……直江の旦那に頼んで、高野山へ連れて行ってもらうこともできるが……」

「仏の世界も武家の世界も同じだ。変成男子へんせいだんしとならなければ、女人は救われぬ、宇佐美。わたしは、穢れている……今だって、この寝具を脱げば、太股は血まみれだ」

「そうじゃねえ。血は生命の源だぜ、景虎。お前がたしかに生きているという、証しだ」

「わたしはいっそ、縫いぐるみになってしまいたい。愛らしい。そして、罪がない。血を、流さない。誰も、殺さない」

「……景虎」

 宇佐美が関東行軍中に縫い上げたうさぎの縫いぐるみを、景虎はそっと腕の中に抱きしめていた。

 いつしか、青ざめた表情を隠せないでいる直江大和が、入室していた。

「お嬢さま。宇佐美さま。上杉憲政さまが諸将と近衛さまの間を調停するべく、別人のように奮闘されておられますが、事態は悪化の一途を辿たどっております。諸将が揉めているだけならばまだしも、空腹に苦しむ兵士たちの不満までが、爆発してしまいました。もはや小田原城への総攻めは不可能です。佐竹義重と小田氏治は、ともにこの騒動に対しては冷静ですが、小田原からの撤退を進言しております」

 直江は、「関東遠征はこれまでうまく行きすぎました。兵站へいたんに夢中になっていたわたくしの失策です」と唇を噛んでいた。

「かつてお嬢さまが越後守護代となった時、春日山城でわたくしと宇佐美さまは一芝居を打ちました。二人が景虎さまを奪い合って一人が失脚する。そこまで自作自演で『景虎さまの奪い合い』という寸劇を盛り上げておいて、諸将から景虎さまの婿を決めるまで五年の猶予を引き出す。あの折りは、宇佐美さまと田舎芝居の詳細を詰めて慎重にことを運んだものでしたが……わたくしも、老いました」

「……直江。わたしが今さら高野山へ登って出家すると言えば、お前は失望するか。それとも」

「お嬢さまに失望することなど、決してございません。わが力の限界をこそ、恥じております。かつて、綾さまに代役をお願いしてお嬢さまをあの長尾政景の手から守り、さらにお嬢さまを越後守護代にお就けした頃は、お嬢さまを自らの妻にしたいと煩悶はんもんする越後の男どもの心が手に取るようにわかったものです。彼らの煩悩と恋心を見通せたからこそ、読み切れたからこそ、わたくしはすべてに先回りすることができたのです。お嬢さまをずっと自分の娘のような目で見てこられた宇佐美まには、できなかったことを……ですが、わたくしももう、老人ですね。関東でも越後と同じことになる、こんな簡単なことすら、今のわたくしにはわからなくなっていたのですね……わたくしはお嬢さまにお仕えする間に、いつしか過去に植え付けられたきずを癒やされ、救われていたのかもしれません。ですが」

 宇佐美定満は、かつて若かりし頃、直江大和は景虎に越後を救う希望を見出すと同時に、密かに景虎に恋に近い感情を抱いていたのだ、その矛盾した感情に彼自身が苦しんでいたのだ、だからこそ長尾政景たちの「先手」を打つことができたのだ、とやっと気づいた。景虎にはしかし、伝わっていないらしい。直江は、景虎には伝わらないように語っているのだ。それでいい、出来た男だ、と宇佐美は思った。

「お嬢さま。出家はいつでもできます。どうか婿をお取りください。ただし相手は、お嬢さまご自身が恋された殿方でなければなりません。いつのことになるか、わかりませんが……近衛さまとの醜聞の噂はそれで消えます。そして、関東遠征であろうが、川中島出兵であろうが、上洛であろうが、なんでも構いません。今いちどやり直しましょう」

「……恋をすれば、わたしは死ぬ。毘沙門天が、そう告げた」

「それは、お嬢さまの思い込みです」

「……わたしは殿方に恋をすることができない。どういうものか、まるでわからないのだ。わたしにとって殿方とは、父上や政景のように恐ろしい獣のような存在か、あるいはお前と宇佐美のように優しくわたしを見守り支えてくれる存在か……その、どちらかでしかない。わたしは、身体は成長したが……心はまだ子供なのだろうか」

「今はわからずとも、いずれ、その時が来るでしょう。できれば、わたくしと宇佐美さまが生きているうちに、その時が来てほしいものですが」


 諸将と兵士たちの相次ぐ離反で、関東遠征軍が騒然とする中。

 近衛前久と上杉憲政、そして病躯びょうくを押して長野業正が。

 景虎と宇佐美、直江の前に揃い踏みしていた。

 長野業正は、もはや長くは生きられないだろう、と景虎は心を痛めた。この行軍は、老いて病を抱えた彼には厳しすぎたのだ。

「景虎どの。関東武士の失態をお見せしてしまい、申し訳ございませぬ。拙者が近衛さまをお止めできていれば。かくなる上は、小田原城の囲みを解いて撤退する他はござらぬ。兵糧が尽きた上に士気が落ち、和が乱れております。事態は河越夜戦同様となりつつあり、このまま次々と兵が帰国すれば氏康が得意の奇襲をかけてくる恐れがあります」

 景虎は痛む下腹部を苦しげに押さえながら、

「わたしも、床に伏していた。月に一度はこうなる。関白さまとわたしが同席できていれば、このようなことには。申し訳ない」

 と業正に詫びるしかなかった。が、業正は、

「景虎さまはお若いのです。命の火が、燃えているのです。朽ちていく拙者にとっては、むしろ目出度めでたいことです」

 と微笑を浮かべていた。

 そして近衛前久は、「諸将のあらぬ疑いを解くためでおじゃる」と、白塗り・お歯黒・書き眉の「公家化粧」姿で景虎たちを驚かせていた。すでに鎧も脱いでいる。

「あんた、『武家関白』じゃなかったのか?」

 と宇佐美が思わず近衛の異変にたじろいだが、近衛は、

「公家は公家、武家は武家。麻呂は思い知ったでおじゃる。はじめからこの公家姿で関東諸将の前に顔を見せておれば、景虎と麻呂の醜聞など一笑に付されてそれで終わりでおじゃったわ……人は、生まれながらに己の血と身分に縛られているでおじゃる。関東まで来てもなお、麻呂は藤原家の人間である宿命からは逃れられなかったでおじゃる」

 と、みやびな公家言葉で返答していた――もう、近衛の感情は誰にも読み取れない。入念な化粧とその公家言葉によって、すべてが隠されてしまっていた。

「公武合体の夢は、しょせん夢でおじゃったな。麻呂は、関東でこの日ノ本の現実をよく学んだでおじゃる……これより麻呂は、武士を蔑むでおじゃる。しょせん武力を持たぬ公家にできることは、その血筋を誇り武士を見下し、都で風流と策謀に生涯を費やすことのみと、思い知らされたでおじゃる……それに麻呂が関白然として徹底的に武士を蔑めば、景虎への関東武士どもの疑惑も、いずれは晴れよう」

 近衛さまは痛く失望しておられる……景虎は、このようなかたちで夢破れた近衛の心情を思うと言葉が出てこなかった。小田原攻めの最中に関東公方就任を宣言した近衛が性急すぎたことは言うまでもない。だが、景虎もまた、あまりにも性急に小田原城まで攻め上ったのだ。

 なによりも、彼自身が唾棄だきしてきたであろう「お歯黒」の仮面を被ってしまった近衛は、もはや武士に対して心を開くことはないだろう、義兄の足利義輝に対してすら。そう思うと、景虎は(将軍さまの運命もまた、破滅へと向かいつつあるのではないか)と案じずにはいられなかった。

 近衛さまは、変わられてしまった。心を閉ざされてしまった。

 きっと近衛さまとわたしとは、このまま永遠にたもとを分かつことになるのだろう。

 そう思うと、景虎はこみ上げてくる涙をついに抑えきれなくなった。

 無言で、落涙した。

 そして、奔走も虚しく関東諸将の分裂を防ぎ得なかった関東管領・上杉憲政は――。

「景虎。きみとぼくとの間の醜聞も、このままでは消えない。ぼくは越後にあまりにも長居しすぎた。このままでは、関東に秩序を復興するというきみの夢は完全に頓挫してしまう。元はと言えば、東国一の貴公子などと自惚うぬぼれてきみを口説き落とすことができれば関東を奪い返せるなどという浅ましい計算から越後へ亡命したぼくの責任だ。しかし、ぼくにはもう領土も兵もない。今のぼくにできることは……」

 上杉憲政は、景虎が興した関東遠征事業の大義名分を守るために、景虎自身の夢を守るために、なによりも景虎への「礼」を尽くすために、一大決意をして景虎のもとを訪れていたのだった。

「景虎。上杉家の家督も関東管領職も、すべてきみに譲る。ぼくには子がいない。落日の関東管領家のために無私の義戦を続け、長年にわたり尽くし続けてくれたきみを、ぼくの猶子ゆうしとする。ぼくの名より――『憲政』より一文字を与えよう。『上杉政虎』と改名するがいい。ぼくに残されているもののすべてを、きみが持っていけ。きみはこれより、関東管領・上杉政虎となる。たとえ北条が支配する関東の古き秩序を復興できずとも、関東管領上杉家を、きみが守り残すんだ。もう、関東遠征を繰り返さずともいい。婿を迎え、上杉家の世継ぎを産んでほしい」

 上杉憲政もまた、景虎に「夢」を託した。

 近衛前久が「やめておくでおじゃる。上杉家と関東管領職などを継げば、景虎はそれこそ生涯を関東に縛られるでおじゃるぞ」と憲政に忠告したが、憲政は「関東管領の存在こそが、景虎にとって消えない呪いとなっている。上杉家の血筋などは、ぼくの代で終わりでいい。これで景虎は解放される。もう、上杉家に忠誠を尽くさずともよい。彼女自身が上杉家そのものになるのだから。今は無理でも、いつか、必ず」と首を縦に振らなかった。

 宇佐美定満も直江大和も、景虎を止めなかった。上杉憲政は今、景虎に深々と頭を下げて泣きながら「ぼくが生きた証しをきみが継いでくれ」と懇願している。景虎が、拒絶できるはずがなかった。すべての男の夢を、景虎は背負い、そして叶えねばならないのだ。

「……憲政さま……」

「これで、ぼくときみとの醜聞の噂も立ち消えになる。それに、関白さまの関東公方就任の計画が泡と消えた今、きみがぼくの猶子となり関東管領となる以外に、関東戦線を崩壊させずに防ぎ止める道はない」

 いつかどこかで聞いた言葉だった――このお方は、どこか兄上に似ておられた。だから、恋に墜ちることができなかったのだろうか。憲政さまに恋をして死ぬのであれば、それはそれでよかったというのに。わたしはまだ、童女のままなのだろうか。あの武田晴信がいまだに殿方と恋に墜ちないのと同じに。

 景虎は上杉憲政の手を取り、そして赤い瞳を再び涙に濡らしていた。

「鎌倉の鶴岡八幡宮で、お受けいたします。関東は必ず、関東管領のもとに」


 小田原城の包囲を解いた景虎は、鎌倉の鶴岡八幡宮へと後退し、「関東管領就任」の儀式を強行した。ひとつには近衛前久の関東公方就任計画に徹底的に反対する関東諸将の分裂を防ぎ止めるためであり、上杉憲政との醜聞を打ち消すためでもあった。小田原城を落とせなかった時点で、景虎の関東遠征は事実上、失敗に終わった。

 上杉憲政は、父・長尾為景が破壊した関東の秩序をついに復興できなかったと悔い嘆く景虎を見ていられなくなり、今後の景虎の関東での苦戦を予期し、関東の秩序の「形式」だけでも景虎は復興を果たした、というかたちを与えたかったのだ。十歳になる以前より関東の戦乱に巻き込まれ、流転の生涯を送ってきた上杉憲政にとって、景虎は自分に安住の地を与えてくれた女神そのものに等しい。景虎が生涯不犯を貫くのであれば、「関東管領」と「上杉家」という自分の肩書きだけでも、遺産として与えたい。そう願った。

 景虎が「関東管領」に就けば不毛な関東遠征を繰り返すことになる、と危惧した宇佐美定満がこの話を結局は受けたのも、景虎自身の関東に対する負い目が少しでもこれで癒やされれば――という希望ゆえだった。そしてもうひとつ。景虎が関東武家にとっての絶対の聖地・鶴岡八幡宮で北条家を差し置いて関東管領に就任するという「挑発」を北条軍が黙って見ていられなくなり、鎌倉へ攻めてくることを期待してのことだった。

 河越夜戦の再現を果たすために、鶴岡八幡宮に集まって酔いしれている関東遠征軍へと氏康自身が奇襲を敢行する。

 この薄い可能性の糸を、宇佐美は掴み取りたかった。

 太刀持ちには、「ついに景虎さまが、越後守護から関東管領へ。関東を統べる女王へ――関東管領上杉家そのものを継がれたのだ。感無量である。南無阿弥陀仏!」と号泣している柿崎景家と、対照的に「……」と寡黙な斎藤朝信の二人が選ばれた。二人とも、今回の関東遠征では北条高広とともにいくつもの城を落とす大功をあげた。景虎はどれほど関東の城を席巻しようとも関東の土地を切り取らないから、彼らには「感状」が与えられるだけであり、実利はない。それでも、「上野、武蔵、相模に越軍の城代を置かねば関東遠征など不毛ですぞ」とぼやく北条高広を除く越後の男武将たちは嬉々として景虎を支え、戦い、忠誠を誓い続けていた。彼らは、景虎が「関東という土地」を欲して戦っているのではなく、父・為景が壊した関東の秩序を復興するために戦っていることを知っていた。同時に、近衛前久の関東公方就任計画が近衛自身の暴走と風魔衆が蒔いた噂とによって立ち消えになってしまったことを、景虎が深く悔いていることも――。

 この儀式を強行する当日の早朝。

 陣幕で準備に入っていた景虎は、軒猿を通じて武田晴信の動きを知った。

 直江大和が、景虎に事実を淡々と報告した。

「山本勘助が川中島に海津城を完成させたそうです。ついに。甲斐から上田を経由して川中島へと至る新たな補給路を繋げられました」

「……そうか。西上野に姿を見せないと思ったら、川中島を奪い取るために動いていたのか……上野に割り込んで越軍の退路を断つのではなく、川中島へ今いちど出てこい、と……晴信め」

「戸隠山・飯綱山への攻勢も進めているようです。戸隠山を武装占拠するためというよりも、どうやら運搬が困難なご神体の『石』を破壊するつもりらしいです。それで、加藤段蔵たち戸隠忍群は目的を失い、四散しましょう」

「直江。あの者がわたしを越後から連れ出したことをまだ怒っているのか? 加藤段蔵と和解し、ともに戸隠の『石』を守れ」

「怒ってはおりませんが……戸隠の結界を破壊されれば、川中島から春日山城への道を塞ぐ『壁』を武田に突破されます。和睦の使者を送りましょう。しかし、ひとつだけ、武田に奇妙な動きが」

「奇妙な動き?」

「武田晴信、姫大名という地位は捨てぬままに、なぜか出家。武田信玄、と改名したということです」

「……武田……信玄……」

 戸隠の山で邂逅かいこうしたあの時に、晴信が「仮名」として用いていたあの名前を、今になって。

 自らの「本名」にした、というのか。

 いつまでも関東に関わっていないで川中島・善光寺平に出てこい、とわたしを呼んでいるのだ、と景虎は瞬時に理解していた。

「直江。武田晴信、いや、武田信玄をこれ以上捨て置いては、関東の仕置きも上洛も頓挫する。わたしが上洛し、あるいは関東に遠征するたびに、あの者はわたしの志を妨げるために画策する。そして、海津城が完成した今、川中島はもはや半ばあの者に奪われたも同然。武田信玄と川中島でこんどこそ決戦し、倒さねばならない……関東管領上杉家の名跡を継いだことさえも、無駄になってしまう」

「それではこの儀式が終わり次第、越後へと引き返しますか」

「分裂騒動で四散しつつあるとは言え、まだわが手許には士気が高い三万の兵がいる。本来ならば、北条との決戦を行いたい。だが、北条氏康が小田原城に籠もったまま鎌倉を放置し続けるというのならば、後顧の憂いを断つためにいったん越後へと戻り、川中島で武田信玄と雌雄を決する他はない」

 自分と景虎との醜聞は、景虎にとって命取りとなる。景虎とそして武家の前で再び素顔を見せまい、「公家」として振る舞わねばならないと決意した近衛前久はこの時もお歯黒・白粉の麻呂姿で陣屋を訪れていたが、「越後へと帰る」という景虎のこの言葉を聞いて、激高していた。

「景虎、それはならぬでおじゃる! そなたは今日より関東管領でおじゃるぞ! その関東管領が関東から出払ってしまえば、北条氏康は必ず反転攻勢に出るでおじゃる! これはすべて武田信玄の挑発でおじゃる! 川中島など関東にも畿内にも関係のない土地でおじゃる。村上義清ももはや北信濃に帰るつもりなどない! 武田など捨て置き、関東にあと一年、踏みとどまるでおじゃる!」

 直江大和が、「ですが武田を捨て置けば春日山城まで脅かされます」と関東の地図を広げ、

「上杉憲政さま、新たに関東公方となられる足利藤氏さま、そして関白近衛さまのお三人には、関東公方の本拠地たる古河城に留まっていただく、古河城を新たな関東府の御所となし、上野は長野業正どのに、武蔵は太田資正どのに守っていただく。そしてお嬢さまの再度の関東入りをお待ちいただくということでどうでしょうか?」

 と近衛前久に提案した。が、近衛は、

「関東管領の位を捨てた憲政、実権なき童女の足利藤氏、公家の麻呂が古河に留まっても、関東諸将の多くは従わぬでおじゃる。成田や宇都宮、小田らは言うに及ばず、佐竹義重も里見も気位の高い者ども。麻呂は、関東における公家の無力を思い知ったでおじゃる。この武家の国は、畿内とは違う……どこまでも広大な平野が広がる関東には、いざという時に逃げ延びる叡山も吉野の山もないでおじゃる。武なき者どもが古河城に籠もったところで、半年持ちこらえられるかどうか」

 とすっかり弱気になっていた。北畠顕家きたばたけあきいえにならん、と関東へ勇躍してきた近衛だったが、公家にまつろわぬ関東武士の実情を突きつけられた今、景虎不在の関東を束ねて守りきる自信などすでに喪失していた。「公武合体」という新しき夢を描く先見の明を持っていた近衛前久だが、「胆力」が欠けていたと言っていい。剣の腕前は一流である。合戦を恐れるということもない。むしろ、自分に武家の血筋と八千の兵力と忠誠無比な一族郎党があれば、自力で天下統一のために戦えたものを、と嘆いてきたほどに好戦的な男である。しかし、現実には公家である彼は一兵の兵力すら有していない。結局、やまと御所を離れた自分には関東の武家どもを従わせる威光などないのだ、それどころか景虎の美しき夢に泥を塗ってしまった……という失望と後悔が、近衛を弱気にしていた。

 さらに、困惑顔の宇佐美定満が将軍・足利義輝からの書状を届けてきた。

 武家の棟梁とうりょうたる足利義輝は、関東は公家に対してまつろわぬ土地。近衛前久が関東公方に就任することはできまい、近衛を関わらせれば景虎の関東遠征を失敗させてしまう、ともとより近衛の先走りを危惧していた。そこで、関東で近衛と関東武士たちの対立が表面化し遠征が頓挫してしまう前に、いったん景虎を越後へと引き上げさせようと、策を講じて「書状」を送ってきたのだった。しかし、その書状は、義輝も近衛も想像していなかった「景虎の関東管領就任」の儀式当日に届いた。義輝は、一歩及ばなかったのだ。あるいはこれが景虎の天命だったのかもしれない。

『以前景虎と揉め事を起こして今は三好家に厄介になっている小笠原長時が、故郷の信濃に帰りたい、と余に懇願してきた。義将・長尾景虎は罪は罰すれど罪を犯した者をことごとく許すと聞く。小笠原長時の罪を許し、彼を信濃に戻してやってはくれぬか』

 すでに義輝は、武田信玄を信濃守護に任命している。小笠原長時はもう信濃守護ではなく、この命令にはほんとうは道理はない。だが、

『武田晴信は余との約定を無視して川中島を奪おうとしている。これは足利幕府に対する不忠であり、そなたへの不義である。ただちに川中島へ出兵して武田晴信との雌雄を決せよ――余は、いつまでもそなたの上洛を待っている。余の心を示すために、そなたにわが名より一文字を与える。これからは、長尾輝虎、と名乗ってほしい』

 と、義輝の書状は「義」の論理を盾に景虎を説得していた。彼が書状を書いた時点で、晴信が「信玄」と改名したことを、義輝はまだ知らなかった。にもかかわらず、義輝は景虎と晴信との川中島決戦を望んだ。

 今、わたしを巡る人々の運命のすべてが「川中島」へと集約されつつある、と景虎は感じていた。川中島に海津城を築き上げ、信玄と改名した武田晴信も。京で三好松永との政権を巡る抗争に奔走している足利義輝も。そして近衛前久が構想した「公武合体策」が破れ、暗礁に乗り上げているこの関東遠征の成否も――。

「なにもかもが、川中島での武田軍との決着をつけなければ、先へと進めずに暗転してしまう。今日より上杉家を継ぐわたしは、急いで川中島という籠から飛び立たねばならない。もう……信玄と、川中島で過ごしている時間は、ない」

 近衛前久は、「景虎が越後へ去れば、麻呂と憲政がどれほど古河で踏ん張ったところで、諸将は次々と北条方へと寝返るであろう。ことに、小身の国人連中は……己の『土地』を一所懸命に守るべく、その時その時の強き者になびき続けるでおじゃる。関東武士とは畢竟ひっきょう、そういう連中でおじゃる。麻呂の公武合体の夢は、ここで終わるのでおじゃるな」と目を閉じていた。近衛が抱いていた武家への憧れは、彼自身が武家となることを拒絶された心の傷が発端となって、今や武家への嫌悪感へと変貌しつつあった。さらには、ともに「公武合体」を進めてきたはずの義兄弟・義輝への怒りも抱いていた。義輝は京の幕府を立て直すために景虎を欲し、近衛は関東の地に公武合体を成すために景虎を欲した。男女の恋とは違うが、結局は、景虎の奪い合いであった、といっていい。その奪い合いに、義輝が勝利しつつある、と近衛は思った。関東に公家が下向しても決して関東武士たちはまつろわない。義輝の言葉が正しかったのだ。やはり義輝は武家の統領であり、自分は公家の統領なのだ。両者がともに交わるということは、ない――。

「景虎よ。いや、今日より上杉政虎であったか。あるいは、輝虎と呼ぶべきか。そちが越後へ去れば、関東遠征の構想は瓦解するでおじゃる。それでも、麻呂を振り切って越後へ戻り、またしても川中島へ行くでおじゃるか。ならばもはや、麻呂が関東に留まる意味も、なくなるでおじゃる」

「……近衛さま。必ずや次の一戦で、武田信玄を破ってご覧に入れます。長対陣も和睦もありません。わたしはこれまで、決して敵味方の将兵を無駄に犠牲にしない美しき戦を、心がけて参りました。ですが、近衛さまと上杉憲政さまを古河城に捨て置いて川中島で信玄と鬼ごっこを続けるつもりはありません。わが命を賭して、武田軍と正面から激突し、撃破いたします。この戦、短期決戦にして、越軍の全力を傾けた最終決戦といたします。どれほどの犠牲を払ってでも武田信玄をちゅうし、ただちに関東へ舞い戻ります。お約束します」

 そう。もう……鬼ごっこではない。わたしは、武田信玄を、討たねばならない。関東のためにも、近衛さまのためにも、将軍義輝さまのためにも……東国にも西国にも「秩序」の復興が必要なのだ。それは足利将軍家であり、幕府であり、御所であり、関東府である。今、それらのすべてが瓦解しつつある。北信濃の領土問題など、今の日ノ本全体から見れば、小さな問題にすぎない。それがなぜわからない信玄。それほどまでに、わたしと戦いたいのか。それらすべての古き秩序を破壊しなければ、新たな世直しなどはできないと言うのか。どちらかの命が尽きるまで、この戦いは終わらないのか。

 景虎は、「敵味方に甚大な犠牲が出るために、決して実戦では用いぬと決めておりましたが……毘沙門堂にて、すでに必勝の陣立てを考案しております。武田信玄を討ちます」と近衛に告げ、そして就任式に出席するために立ち上がっていた。

「わたしには、政虎という名と、輝虎という名。いずれも選びがたいです。ですから、これからは――わたしも、出家名を名乗りましょう。上杉謙信、と」

「上杉……謙信、とな!?」

 武田信玄の「招集」に、景虎は、いや上杉謙信はかくして、答えていた。誰に理解できずとも、信玄には理解できる。謙信が、「川中島で最後の決着をつけよう。わたしの志が正義なのか、そなたの野望こそがまことの力なのか。いずれが、日ノ本の戦乱を収めるにふさわしいか。すべてを、次の一戦で決めよう」と信玄の挑戦に応じたことに。

 この、赤い瞳と白い肌を持つ越後の少女を「姫武将」として育成し続けてきた宇佐美定満と直江大和は、景虎の唐突な改名になんらかのただならぬ運命を感じ、そして、「オレたちは」「お嬢さまを、ここまで連れてきてしまったのですね」と震えていた。しかし、それは景虎がついに東国武士の頂点に立ったという感激の震えではなかった。

「あの虎千代が、越後守護・長尾景虎となり、そして」

「関東管領・上杉謙信に」

 景虎は、父・為景が壊した関東管領上杉家を自ら継ぐことで、そしておそらく短いであろう命を関東の平定に捧げて奔走することで、為景の罪を生涯を賭けて償おうとしている。

 もう景虎は、二度と京の地を踏めないのではないか。

 誰とも恋に墜ちることなく、このまま天の高みに昇りきって、孤独に生涯を終えてしまうのではないか。

 オレたちは――ほんとうに景虎を「幸福」にできたのだろうか。

 関東管領・上杉謙信の誕生。

 もはや、東国武士の誰も、彼女に触れることはできない。

 なんびとも、神聖にして侵すべからず。

 上杉謙信は、すでに人間の少女にあらず。毘沙門天の化身である。神がすべての男の夢を叶えるためには、いかなる男の求愛も拒み続けねばならないのだ。

 だが。

 ただ一人だけ――反骨の武将・長尾政景だけが、あきらめていなかった。


「……愚か者め……景虎め。なにが、『上杉謙信』だ。空っぽの生涯を、空虚な己の心を、そのような虚飾で満たせると思うな。関東管領も。上杉家も。お前の満たされない心の穴を埋めるための、ただの観念にすぎん。必ず、この俺が地上へと引きずり下ろしてやる」


 俺は宇佐美とも直江とも違う。貴様を、己の娘のように慈しむ感情など、かけらもない。俺の心に渦巻くものは、欲望のみよ。もしも武田信玄が次の川中島の合戦で貴様を倒せねば、もはや信玄に見切りをつけ、この俺自らが貴様を奪う。越後がどうなろうとも、綾がどう思おうとも、構わん――。

 政景は自分自身にそう言い聞かせながら、景虎の関東管領就任式の準備にかかっていた。


 北条氏康は、ついに小田原城から出てこなかった。

 景虎を相手に河越夜戦を再現できるなど、徹底した現実主義者の氏康は当初から期待していなかった。ただ景虎をいったん関東から撤退させられればそれでいい、たとえ五度十度と景虎が関東に遠征してきても、そのたびに籠城し、時間切れを待てばいい、と全人生を賭けた「長期戦」を覚悟したのだった。

 鶴岡八幡宮にて、長尾景虎は上杉憲政から上杉家の家督と関東管領の職を移譲され、「関東管領・上杉謙信」となった。

 鶴岡八幡宮の大銀杏いちょうのもとにたたずむ謙信のその異形の美しさを、関東諸将たちは羨望の目で見つめ続けていた。成田のように打擲ちょうちゃくされようとも、謙信を娶りたい、と多くの関東武士たちは煩悶した。

 とりわけ、唐沢山城で彼女に救われた佐野昌綱は、この時より死ぬまで謙信への思いを断ち切ることができず、魅入られたように謙信に謀反し続けることになる。謀反すれば謙信が現れる。そして、佐野の罪をとがめずに許す。ただ謙信にはべるよりも、謙信に逆らいその毘沙門天の力をもって徹底的に叩きのめされ、そして「そなたの罪を許す」と謙信に告げられるほうが、佐野はより深い法悦を得られるのだった。そして関東諸将の多くが、次第にこの佐野と同じような心理状態に陥っていく。

 だが、関東管領となり関東武士の頂点に立った謙信に、武士としての純然たる忠誠を誓う硬骨漢たちもまた、関東には揃っている。

 鎌倉をち、近衛騒動の折に北条方に寝返った武蔵松山城を電光石火の速度で奪回した謙信は、関東の押さえを委ねた三将に「しばし関東を頼む」と告げていた。

「長野業正。太田資正。佐竹義重。それぞれ、上野、武蔵、常陸の押さえを頼む。わたしは必ず、武田信玄を討って一刻も早く関東へと舞い戻ってくる。それまで、古河城に新たに政庁を開かれる近衛さま、憲政さま、藤氏さまのお三方をお守りし、補佐していただきたい」

「了解いたしました。それがしに残された生涯を賭けて。古河城の上杉憲政さまと越後とを繋ぐ上野の道、必ずこの業正が死守いたしまする」

「任せてくれやあ! 犬わんわんは無敵だあ! 畜生! 吾輩の犬どもを小田原攻めへ連れて行っておけば、風魔衆なんぞに好き放題されることも……くうう! 安心しな! 武蔵一国、吾輩が切り取ってやるぜえ!」

「それにしても主君の色香に惑うとは、成田は情けなや! ワシは戦にすべてを捧げた坂東太郎! 生涯、この甲冑を脱ぐことはない! 決して北条づれには靡かぬ、負けぬ、引き下がらぬぅ!」

 だが問題は山積していた。老体に鞭打って関東遠征に参戦した長野業正は病篤く、太田資正は北条を支持している自らの一族と対立しており、常陸統一を目指す佐竹義重は同じ常陸の国人・小田家らと不仲な上、会津の蘆名あしな家らが支配する奥州への野心も抱いている。関東管領職を捨てた上杉憲政が、これら関東諸将を束ねることは難しい。まして謙信との醜聞を否定するために「お歯黒の麻呂」となり、武家との間に壁を作ってしまっている近衛前久には。

 北条高広がなおも「いずれにせよ関東を平定するためには厩橋城だけは越軍が支配しておかねばなりませんぞ。関東管領におなりになった今ならば大義名分がございます」と進言したが、謙信はこの時も「関東管領になったからといって、関東の土地を奪っていいわけではない」と北条の言葉を採用せず、春日山城へと向かっていた。

 北条高広は、(謙信さまが首尾良く武田信玄を次の戦で仕留められればよいが、謙信さまはどこまでもお優しく、そして敵に甘い。もしも信玄を仕留め損ねたならば、関東は謙信さまの留守を狙って蠢動しゅんどうする北条と、そして西上野を狙う武田の両者にじわじわと侵食されていく。上野厩橋城は越後防衛のためにも絶対に失えぬ要地。やれやれ。汚れ役を買ってでも、守り抜かねばな。北条氏康にわたりをつけねばなるまい)と首を振っていた。


 謙信が関東遠征軍の副将として信頼し重用した長野業正は、謙信が越後へ去ってまもなく病に倒れ、ついに謙信に再会することなく箕輪城で病没した。長野業正は、自分が死ねば箕輪城はいずれ武田軍に奪われることとなり、謙信の第二次関東遠征計画に重大な支障が生ずることを予期していた。よほど無念だったのだろう。息子に、

「拙者が死んでも葬儀をあげてはならぬ。拙者の遺骸は、謙信どのをお迎えするための一里塚に埋めよ。決して武田・北条には降伏してはならぬ。もしも長野家の武運が尽きたならば、潔く一族ともに玉砕せよ」

 と遺言し、息を引き取った。謙信が関東を留守にしている間、北条の猛攻に耐えかねた諸将のうち誰かが北条に靡けば、謙信はその将を討伐し、そして「許す」。これが習慣化してしまえば、謙信はひたすらに裏切った諸将を討伐して「許す」ことを繰り返す、まるでもぐら叩きのような無意味な関東遠征を延々と続けねばならない。「決して敵に降伏するな、長野家は一族ともに玉砕せよ」という長野業正の鬼の如き、そして非常識な遺言は、謙信の生涯を案じて出た言葉だったのだろう。決して謙信にそむかずに忠義を貫き、堂々と玉砕する――そのような先例を築くことで、関東諸将の謙信からの離反を防ぎたかったのだろう。

 だが、北条氏康はその長野業正の上を行った。氏康は、徹底的に敵対勢力を潰す「力押し」を避け、武力行使というむちとともに「懐柔策」を織り交ぜて関東諸将を徐々に切り崩していく。もしも長野業正があと一年か二年生きていれば、関東諸将は謙信のもとにひとつとなっていただろう。しかし、そうはならなかった。

 が、越後へ帰国したばかりの謙信は、長野業正がまもなく没することをまだ知らない。川中島で武田信玄を討つ。それで自分を縛っているすべての時間が動きはじめ、すべての秩序を復興することができる。そう、信じていた。

 近衛前久。上杉憲政。足利義輝。彼らに残された時間はもう少ない。

 東国と西国を荒らし続ける下克上勢力――北条氏康と三好松永勢を駆逐し東西の秩序をともに回復させるためには、どうしても、川中島での武田信玄との決戦に勝ち、そして、信玄を討たねばならなかった。

 義を掲げて越後守護代の家から二度の上洛を果たし関東管領へと一気に駆けのぼった上杉謙信と、甲斐信濃の大地に根を張りながら一歩一歩這うように領土を切り取り神々の力を奪い取り人間の国を築き上げてきた武田信玄。

「第四次川中島の合戦」はかくして、両者の「決戦」の舞台となるべくしてなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る