第十九話 関東管領(前編)


 ついに上洛軍を興した「海道一の弓取り」今川義元が、尾張を統一したばかりの弱小姫大名・織田信奈に敗北し捕らわれる――「桶狭間おけはざまの合戦」の衝撃は、戦国日ノ本の情勢を一気に覆した。

 自前の領土も兵もほとんど持たない剣豪将軍・足利義輝による新生足利幕府構想は、「管領・長尾景虎」と「副将軍」足利一族の名門・今川義元を武と政の両輪としてはじめて成立するものであり、その義元が織田家に捕らわれて今川家が「死に体」となったことは義輝の構想が破綻したということを意味していた。

 太原雪斎たいげんせっさいと今川義元の双方を失った今川家は、義元の母・寿桂尼じゅけいにの奔走によってかろうじて空中分解・消滅を免れたが、それでも今川家の崩壊を止めることはできなかった。雪斎が「義元の新たなる軍師」と見込んでいた三河の松平元康は、生まれ故郷の岡崎城に帰還し、幼なじみだった織田信奈と同盟した――これで三河は織田家の領域となり、今川家の上洛の道は断たれた。もっとも、義元が織田家に捕らわれているのだから、その時点でもはや今川家の上洛など夢のまた夢となっているのだが――。

 こうなると、武田晴信と山本勘助が越中の国人衆や一揆衆を動かして長尾景虎を越後へ押し戻したことは、かえって裏目となった。

 対長尾景虎同盟とも言える「三国同盟」は、事実上、破綻。

 越後へ帰還した長尾景虎は生涯初の越中一揆討伐へと向かっていたが、すぐに片を付けることは間違いなく、「景虎はいよいよ関東管領・上杉憲政のりまさを奉じて関東へ遠征してくる」「将軍足利義輝が景虎に関東遠征の許可を与え、関白・近衛このえ前久さきひさが越後まで下向してくる」という噂が東国全土を駆け巡った。

 武田家も、北条家も、関東の反北条勢の大名たちも、混乱した。


 いずれにせよ、上洛して将軍の近衛兵として働き畿内の混乱を鎮めるという志を晴信に妨害された長尾景虎が激怒していることは間違いがない。景虎が次に進むは関東か、川中島か。武田晴信は急遽きゅうきょ躑躅ヶ崎つつじがさき館で評定を開いた。

「勘助。今川義元の将星が落ちること、お前の宿曜道すくようどうでは読み切れなかったな。なにが起きている?」

「わかりませぬ」

「わからない、とは?」

「……何者かがそれがしの宿曜道の力に干渉し、今川義元の運命の軌道をねじ曲げているとしか思えませぬ」

「たしかに今回の桶狭間の合戦は、異様なことだらけで、あたしにもさっぱり理解できない。義元は織田信奈に捕らわれていながら出家もせず、首もねられず、織田家から客人待遇を受けて生かされたままになっているという。織田信奈といううつけ姫が侮れない切れ者だということは、尾張に放った歩き巫女たちから聞かされていたが、同時にヘンなサルを飼って連れ回している奇妙人だということも聞いている。『今川家』と『駿河遠江するがとおとうみ』を放置して東海道を切り取りに来ない織田信奈の心中が読み切れない。これほどの大勝利を収めていながら、なぜ国を奪いに来ない? 今川家はもう崩壊寸前なのだぞ。織田信奈はあたしと同様に銭に細かい実利主義者だという。景虎のような義将ではないはずだ――もしかして織田信奈は東国を捨て置いて、機を窺い軍を率いて上洛するつもりだろうか。だとすれば、あれは恐ろしい姫武将だぞ」

 山本勘助も、晴信と同意見だった。天下には、いそうにもない英雄がいるものだ、と感嘆していた。それにしても解せない。義元は日ノ本史上に残る大敗北を喫していながら、なぜ生きているのだ。今川義元の「天命」を操作している者がいるとしか思えない。

「おそれながら御屋形さま――これは千載一遇の好機です。川中島より直江津に抜ける北の道、突破は容易ではござらん。しかし、雪斎と義元なき駿河を奪うは、卵の殻を破るが如き容易さ。当初の計画通りに、駿河を奪う時が来たかと。名目は、当主を失った今川家を武田家が保護し、今川家に代わって駿河を防衛する、ということでよろしいでしょう。寿桂尼どのをはじめとする今川家の人々には、武田家に準ずる待遇を与えて手厚く保護すればよいのです。事実、当主不在となった今川家は、自力では駿河を守りきれませぬ」

「しかし三国同盟はまだ生きている。武田から同盟を一方的に破棄すれば、今川家の残党はともかく、小田原の北条氏康が黙ってはいまい。義理人情の問題ではない。あたしを『同盟破りの女』とみなし、駿河防衛を名目に駿河へと兵を入れて武田に敵対するだろう……景虎を越後に呼び戻してしまった以上、武田は今、北条とめている場合ではないぞ、勘助」

 駿河が敵方に奪われれば、その隣の小田原も危うい。御屋形さまが同盟を破棄せずとも、北条氏康は小田原の西を固めるために駿河を併呑へいどんするでしょう、同盟国を保護するという名目で。結局は早い者勝ちです、と勘助はこんこんと説いた。

 織田信奈の勢力が東へと伸張してこないことが、事態を複雑にしていた。普通に考えれば、織田信奈は三河、遠江、駿河へと一気呵成いっきかせいに今川方の領土を蹂躙じゅうりんするべき好機なのだ。

 副将の信繁は、

「姉上の思いのままに。長尾景虎が現れて以来、姉上は川中島に固執してもともとの目標を見失っている。海を目指し駿河へ向かうか、東山道から上洛するべく美濃へ向かうかは、姉上が決めること。わたしたち武田一家は、総力をあげて戦うわ」

 と姉の晴信に判断を委ねた。そもそも対景虎防衛同盟である三国同盟は、上洛を目指す武田家にとっては「足かせ」でしかない。今川義元の上洛が成功していれば、武田は今川の下風に立たされるところだったのだ。だが、そうはならなかった。こんどこそ、長尾景虎との不毛としか思えない川中島での局地戦に終止符が打てるかもしれない、と信繁は期待していた。

 しかし弟の義信が、駿河攻めに猛反対した。

「待てよ姉上! 勘助もだ! 駿河今川家はこの俺の妻の実家だぜ? 親父どのだっているんだ! 駿河を攻めるっていうのなら、俺と今川家との政略結婚はいったいなんだったんだ? 俺は絶対に認めねえからな!」

 義信は義理堅い。その上、飯富兵部おぶひょうぶとの淡い恋を断念してまで三国同盟成立のために今川家から妻を迎えている。駿河攻めなど、義信にとっては「裏切り」に他ならない。

 晴信にも、義信が激怒する理由は痛いほどにわかっていた。いまだ妻を迎えていない朴念仁の勘助ですら、義信の意見を押し殺すことははばかられた。

「にんにん。ずいぶんと揉めているでござるなあ。大殿さまより密書を授かってきたでござるよ」

 駿河からふらりと戻って来た猿飛佐助が、天井にぶら下がりながら、晴信の胸元へと武田信虎直筆の密書を放り投げていた。

 その密書の内容は、晴信たちを驚かせるものだった。

 武田信虎は駿河に追放されて以来、しばらくは荒れていたが、近頃は今川家のもとで悠々自適の日々を過ごし、時には京を訪れて御所の公家や幕府の要人たちとも会見し、完全に「隠退生活」を送っていたはずだった。駿河で再婚して、子供までいるという。なにしろ戦が生きがいだった男が、戦を捨てたのだ。妻と子を新たに成して、そうとうに色惚けしているという噂まであった。

 しかし、それらの信虎の昼行灯ひるあんどんぶりは、すべて演技だったのだ。

『晴信よ。わしはまだ、色惚けなどしておらぬぞ。すべては今川家の監視の目をすり抜けるための芝居じゃ。京と駿河を往復しながら遊び暮らす日々の裏では、今川家の内部に潜む親武田派の面々の調略になおも奔走しておった。今川義元は名うての戦下手。太原雪斎が築き上げた今川家の軍政の制度は完璧なものじゃが、いつかきっとほころびを見せる時が来ると信じておったのじゃ。晴信よ、とうとう決起の時が来た。今じゃ。ただちに同盟を破棄し、駿河へと出兵し、駿府城を奪い取るのじゃ! 義元が率いていた上洛軍三万は四散し、今や駿河は空白地帯も同然じゃ! そなたが甲斐よりただちに駿河へと兵を進めれば、わしは同時に内部から親武田派の面々を蜂起させようぞ。反対するであろう太郎にもよく言ってきかせよ! 義では家は守れぬ。海を制さずして武田家の存続はない、と!』

 父上の身が危うい、と晴信はほぞを噛んでいた。

「三万の上洛軍が幻の如く霧散した今なお、太原雪斎が残していった今川家の諜報組織は健在だ。父上のこの内部工作はすぐに今川方に知られることになる!」

 山本勘助も身を乗り出していた。信虎の追放を具申し実行させた勘助ではあるが、信虎を死なせるつもりはない。それでは、晴信は「父殺し」の娘ということになってしまう。

「左様。大殿さま……信虎さまは以前より今川家に『油断ならぬ者』と目をつけられておりますれば、今川方に討たれる恐れ、大。これまでは今川家が強大だったからこそ、信虎さまは捨て置いても構わぬ程度の存在とみなされ、安全だったのです。しかし今の今川家には、信虎さまを泳がせておく余裕などございませぬぞ。信虎さまを救援すべく駿府へ出兵なされますか、御屋形さま?」

「いや……出兵すれば、父上は殺される。父上を駿河から甲斐へとお迎えするのが先だろう。その後から、駿河へと出兵し奪おう。まだ間に合う」

「あいや。信虎さまを甲斐へ戻せば、武田家は混乱いたしますぞ。必ずや、信虎さまと御屋形さまの間で権力争いが繰り返されまする」

「姉上。わたしも、勘助と同じ理由で甲斐へ父上を戻すことには反対よ。姉上と父上の和解は、必ず果たさねばならない。でも、まだ早すぎる。姉上が上洛を果たし、天下を手中にしてからよ。主君が二人並び立てば、武田家は崩壊してしまう」

「待てよ姉上! 次郎姉さんもだ! 駿河出兵がいつの間に既定路線になっちまったんだよ? 断固として、俺は反対だっ! だいいち義理を破れば破るほど、長尾景虎は姉上を倒すべき敵といよいよ憎んで攻めかかってくるぜ!」

 晴信は(命の危機にある父上を迎えたくとも迎えられない……これが「父を裏切った娘」が支払うべき代償なのか……)と思わず落涙しそうになり、慌ててうつむいていた。

 そんな晴信の姿を天井にぶら下がりながら眺めていた佐助が、「駿河でバナナを盗んできたでござるよ。御屋形さまもいかが?」とバナナを放り投げて苦笑した。

「軍師どのも、御屋形さまも、心配ご無用でござるよ。大殿はその密書を拙者に渡そうとした折りに、今川方から追っ手を差し向けられて、からくも船で伊勢へと逃げたでござる。かく言う拙者もさんざん追いかけられたでござる。大殿の動き、今川方には最初からバレバレだったようでござるよ。なにしろ目立つお方ですからなあ、うきゅきゅ」

「伊勢へ!? 父上が!?」

「なぜ伊勢なの、佐助?」

「『今、わしが甲斐に戻れば、必ずや晴信と揉める。わしには、今の晴信は川中島なんぞで長尾景虎という一種の変人と鬼ごっこをしながら遊んでいるようにしか見えぬ。わしを甲斐から追放しておきながら、実にふがいない。許せぬ。斬りたくなる。この父が邪魔になり動けぬというのならば、海路より西のかた伊勢へと去ろう。必ずや駿河を奪えと晴信に伝えよ』、と――」

 山本勘助が、「なるほど」とうなずき、

「すでに尾張・三河は下克上の家・織田家の勢力内でありますれば、信虎さまは入れませぬ。織田信奈は容赦なく信虎さまを捕らえるでしょうから。ですが伊勢は名門・北畠家と伊勢神宮の神人どもが治める古き国ゆえ、信虎さまを迎えていただけるでしょう。しかも、敢えて北条家へ向かわれなかったのは、やはり三国同盟を破棄させて御屋形さまに駿河を盗らせるため」

 と、信虎の思考の流れを晴信たちに伝えた。

 晴信は、目をしばたたかせながら、

「伊勢とはまた、はるか遠くに行ってしまわれた……父上。駿河を奪ったのちは織田信奈と戦い、東海道筋を西進して自分に会いに来い、そう仰るのですね。今川家なき今こそ、武田が天下を盗る道が目の前に開けた。東海道を堂々と進軍して、瀬田に武田の旗を立てよ、と」

 と唇を噛みながら、「駿河攻めを」と号令を発しようとした。

 だが、律儀な義信はなおも反対した。

「俺に、妻を離縁して駿河へ追い返せと言うのか、姉上!? それだけは断る! どうして姉上も次郎姉さんも、親父どのをそこまで恐れる? 親父どのを甲斐に呼び戻してさっさと和解すればすむことだ! 今さら、斬り合いになんかからねえ!」

「義信。お前が怒る気持ちはわかる。駿河を奪うから妻と離縁しろ、とは言えない……しかし、今、武田がこのまま座して動かねば、天の時をつかみ損ねてしまう。置き捨てられている駿河を、誰かが必ず奪う。父上が伊勢へ向かわれた今こそ、駿河攻めの好機なのだ」

「駿河の次は伊勢かよ。親父どのは、次は京まで行っちまうぜ! どんどん遠ざかるばかりじゃねえかよ! いい加減に仲直りしやがれ! 俺は駿河攻めには絶対に賛成しねえ!」

「でも義信。いずれ長尾景虎は川中島へ来るわ。わたしたちがどれほど止めても、そうなったら姉上はまたしても川中島へ向かう。膨大な時間と将兵が川中島で浪費され、武田は駿河攻めの機会を逃してしまう」

 信繁が義信を説得しようとしたが、義信は、首を縦に振らなかった。

「俺は、碓氷峠うすいとうげを越えて上野こうずけを奪い取る。真田幸隆が上野に詳しい。あいつを軍師として北関東に武田の拠点を作る! 駿河の代わりに上野をぶんどってくる。長尾景虎も、関東への玄関口となる上野を俺に奪われれば、川中島なんぞ放置して三国峠を越え、関東へと出てくる。そこを北条と武田の連合軍が叩けばいい。さしもの毘沙門天も、北条と武田の連合軍が相手なら、勝てる道理はねえ! 姉上と景虎の長年の争いに決着がつく! それでいいだろう!」

 真田幸隆は、北信濃を追われてしばらく上野の上杉憲政のもとに寄宿していたことがある。たしかに、上野の情勢を熟知しているし、上野には箕輪みのわ城主・長野業正なりまさをはじめ、かつての仲間が割拠している――。老将・長野業正は、上杉憲政が越後へ亡命して以後も、関東管領家の家臣として上野に割拠し、絶望的とも言える反北条の戦いを続けていた。

 晴信も信繁も、この義信の戦略に反論することができなかった。

 対景虎戦の主戦場を川中島から関東の上野へ移せ、北条との連合軍を成立させて関東で景虎を叩け、というのだ。

 どうやら真田幸隆どのが、奥方と晴信さまとの間で板挟みになり苦悩しておられる義信さまを見かねて入れ知恵したらしい、と勘助は気づいた。

「御屋形さま。真田どのが動いてくれれば、西上野までは奪えるでしょう。武蔵を支配する北条どのと、西上野を奪った武田とがともに景虎の関東遠征軍を待ち受ければ、挟撃が可能です」

「だが川中島でこんどこそ景虎に勝つために進めている海津城の普請はどうする、勘助」

「そちらは、この勘助と春日弾正とで、着々と進めて参ります。越後へ戻ってきた景虎の目をできるだけ関東に引きつけておき、その隙に海津城を完成させてしまいます」

「……わかった。義信、真田とともに必ず箕輪城を落とせ。しかし、長尾景虎が関東へ出てくるまでの短い期限だ。もしも失敗すれば、駿河攻めに移行するぞ」

「任せておけ、姉上! いいな! 親父どのをさっさと迎えろよ! 親父どのも姉上も頑固すぎる! 日を置けば、どんどん遠ざかっていくぞ!」

 そうか。景虎とだけではなく、あたしは父上とも鬼ごっこを続けているのか、と晴信は嘆息していた。そもそも、父上を追放した瞬間から合戦と謀略の日々にのめり込んでいた。それ以来、あがけばあがくほど、足下まで泥沼にはまっていくような。

 戦えば戦うほど、「幸福」が遠ざかっていくような。

 そんな、気がした。

 あの、なにがあっても動じずに笑いながら受け流してしまう今川義元は今頃、自分を倒して捕らえた織田信奈のもとでなにを思い、どのように生きているのだろうか、とも。義元は今、歴史に名を残すほどの生き恥をさらしている。あたしならば、耐えられるだろうか、と思った。

 本来ならば、父上ではなくあたしが今川家へ義妹という名の人質として送られるはずだった。その運命を受諾していれば、あたしはおそらく今頃、織田信奈のもとに捕らえられていただろう。あたしと勘助が運命にあらがわなければ、そうなっていたのだろう。

 そのような人生も、あるいは、それはそれである意味においては幸福だったのかもしれない、少なくとも合戦と謀略とで心身を消耗し、たいせつな人々を死地に追いやる辛さを味わうことはなかった、と晴信の心は揺らいだ。だがもう、後戻りはできないのだ。逃げていく者がいるのならば、どこまでも追いかけて、手に入れるしかないのだ。

「……姉上……」

 信繁が晴信の手を握りしめている姿をにらみながら、義信はえていた。

「姉上も次郎姉さんも、いい加減に婿を取ればいいんだ。いつまでも姉妹でくっついて、二人して男を寄せ付けねえから、俺や親父どのの気持ちがうまく伝わらねえんだ。まあ、いいや。俺が勝ちゃいいんだ、勝ちゃあよう! 行ってくるぜ!」



 今川家の崩壊。松平元康の離反に続き、武田信虎の出奔。「武田晴信が駿河を狙っている」との情報を、風魔が掴んでいた。三国同盟は、破綻の危機に瀕している。そして、上洛し将軍のもとに留まって三好松永と泥沼の戦いを繰り広げるはずだった長尾景虎は、越後に舞い戻ってきている。

 織田信奈の彗星すいせいの如き出現によって、「今川が西へ向かい、北条が関東を支配し、武田が越後へと向かう」という三国同盟戦略のなにもかもが破綻している。「駿河攻略」の最大の足かせであった父・信虎がすでに駿河を出国した以上、武田晴信が「駿河攻略」という隠してきた野望を顕わにすることは間違いない。時間の問題と言っていい。

 北条家でも、軍議となった。

 小田原城で、風魔から次々と情報を受けていた北条氏康はもう、生きた心地がしなかった。武田北条と結んでいる今川義元が上洛に成功すれば、必ずや京で長尾景虎と対立し、畿内の情勢は応仁の乱の時のようにぐちゃぐちゃになる。なにしろあの「妖怪」とも言うべき松永久秀が絡んで毒を振りまくのだから、親武田北条の今川と反武田北条の長尾がうまくいくわけがない。最終的には今川も長尾もどちらも共倒れ。剣豪将軍は立派な志はあるけれども、東国の情勢をまるで理解できていないわね、と笑っていた矢先のこの事態急変である。

「織田信奈っていったい何者なの。どうやって今川義元率いる三万の上洛軍を倒したの。義元は出家もせずに織田家に捕らわれたままのうのうと暮らしているというし、訳がわからないわ! 保護するという名目で駿河を奪いましょう! そうしないとあの強欲な晴信が駿河に来る! 三国同盟が決定的に破綻すれば、長尾景虎の関東遠征にはもう対抗できない!」

 氏康を悩ませている事態がもうひとつ。

 弱り目にたたり目――関東全土で、未曾有の大飢饉ききんが発生していたのだ。

 民も武家すらも、餓えはじめていた。

「ふぉっふぉっ。まだ三国同盟は生きておるぞ、お嬢。武田晴信は駿河ではなく、西上野へと出兵して箕輪城を押さえ、長尾景虎の関東遠征を牽制する、と使者を送ってきおった。西上野の領有権を認めてくれるならば、ともに景虎と上野で戦える、とな」

 おばばこと最長老の北条幻庵が笑った。

「どちらにしても火事場泥棒だわ! 武田晴信、あの女は……! 放置しておけば、絶対に駿河を奪うに決まっている!」

「でも西上野への武田軍の駐屯を認めなければ、長尾景虎を相手に単独で戦うことになっちゃうよ、お姉ちゃん」

 のんびりした性格の妹・北条氏政が、ご飯に汁をかけながらつぶやいた。あまりにも関東の食糧事情が切迫しているので、氏康は「民の苦しみは北条の苦しみ」と宣言して年貢を大幅に減免した。だから北条家の人間もみな、汁かけご飯でかさ増ししているのだ。

「氏政! 汁はいちどで全部かけきりなさい! どうして、何度も継ぎ足すのよ?」

「えー。だって、うまく目分量ではかれないよ。いちどじゃ、かけきれないよ~。かけすぎたら、溢れちゃうじゃない」

「ああもう。つなは、どうすればいいと思う? ほんとうに晴信は悪辣あくらつだわ。こんな時に限って、いつもの川中島出兵にかからずに、関東に景虎をおびき寄せる餌をくだなんて!」

 氏康と幼い頃からともに育てられてきた義妹の北条綱成つなしげが、珍しく軍議の席で口を開いた。綱成は駿河から亡命してきた一族の娘で、北条の血を引いていないために、このような席では常に立場をわきまえて控えている。が、北条家が擁する最強の武将であることは間違いない。河越夜戦かわごえよいくさも、河越城に籠城する綱成と、奇襲部隊を率いて河越城救援に駆けつけた氏康との呼吸がぴったりと合っていたからこそ、奇跡的な勝利を得ることができたのだ。

「……姉上。最善手は、風魔を動かして織田家から今川義元を救出し、駿河の国主の座に復帰させる、これだと思います。今川義元さえ駿河に戻れば、武田晴信とて駿河を攻めることはできません。ですが」

「だけど、どだい無理な話ね。かといって、北条が今、今川家の保護を名目に駿河へと出兵すれば……駿河は簡単に奪えるけれども、晴信とあとあと直接対決させられる羽目に。織田信奈は狡猾こうかつだわ。義元だけ奪って、今川領を完全に放置するだなんて……なんて奴なのかしら。義を知らしめるためと称して城も奪わない馬鹿な戦を繰り返す景虎や、目先の領土欲しさにいつもあくせく戦っている晴信よりも、織田信奈のほうが厄介かもしれないわね」

 西上野へ晴信が兵を出したということは、いずれにしても長尾景虎は関東へ来る。これが、北条一族の出した「現実的」な結論だった。氏康も幻庵も綱成も、甘い希望的観測などはいっさい持たない。むしろ、最悪の事態を常に想定して動く。それでもなお、現実はその想定を飛び越して最悪の中の最悪へと至ることがあるのだ。今がそうだった。義元が織田信奈に敗れ、関東が飢饉に襲われ、上洛したはずの景虎が東国に戻ってくるなど、さすがの氏康もこれほどに最悪が重なるとは考えていなかった。

「おばば。氏政。つな。晴信が西上野で暴れている隙に、われら北条は東の仇敵きゅうてきを片付けましょう」

「関東諸将のうち、反北条家の旗頭といえば、お嬢――関東管領に忠節を貫いてきた箕輪城の長野業正と、そしてもう一家」

「そうよ。南総の里見家よ! 景虎が関東に出兵してくる前に里見家を徹底的に叩いて動けない状態にしておけば、残りの連中は越後人の景虎なんかには従わないわ! 常陸ひたち佐竹義重よししげ、武蔵の太田資正すけまさ成田長泰ながやす下野しもつけの宇都宮や小山。どいつもこいつも坂東武士ばんどうぶしらしく気位が高く、関東管領にすらまともに従わなかった連中よ。ただ、忠義心に篤い長野と、南総に里見独立王国を築き上げて北条と徹底的に争おうという強烈な戦意を持つ里見だけは違う。長野は晴信に任せ、われらは里見家の本城・久留里くるり城を攻めるのよ!」

 決して景虎と里見を合流させてはならぬ、ということじゃなお嬢、と幻庵がこくりこくりと半ば寝落ちしながらうなずいていた。

「急ぐわよ、つな。氏政。このたびの戦に、北条家の運命がかかっているのよ。これまで今川家と北条家とは、唇と歯のような関係だった。今、その今川家が河越夜戦を超える大惨敗を喫して事実上滅んでしまった。たった一日で。北条は、この運命に飲み込まれてしまってはいけない!」



 武田軍に攻められた西上野・箕輪城の長野業正。

 北条軍に攻められた南総の里見家。

 この両者は当然、越後の「義将」長尾景虎のもとへ救援要請を出した。もっとも、正確に言えば景虎にではなく、景虎のもとに亡命している関東管領・上杉憲政に、ではあるが。常識で考えれば、越後守護の景虎には関東まで出兵しなければならない義理はないのだ。

 京から断腸の思いで越後に帰還していた景虎は、電光石火の勢いで越中へと攻め入り、神保家が立て籠もっていた富山城を陥落させるや否や、風のように春日山城へ舞い戻っていた――久々に家族と団らんの時間を過ごせると思っていた矢先の、相次ぐ「関東出兵」の要請だった。

 近衛前久も、新たな姫巫女の即位式を終えれば、すぐに越後へ下向するという。足利義輝は、近衛前久の足止めをついにあきらめたらしい。

 すべてが、「関東遠征」へと流れているかのように、景虎は思った。

 しかし、軒猿のきざるを放って調べれば調べるほど、関東は広大である。

 その広大な大地に多くの諸将が独立し、乱立し、合戦に次ぐ合戦の日々が続いているという。

 武田晴信のように切り取った土地を領国化していかなければ、関東の混乱は治まらないのではないか、と景虎ですら危惧していた。「関東管領」と「関白=関東公方」という二つの権威を頂点に据えて「新たな関東支配体制」を整えるだけでは、気性が荒く独立心が強い関東武士たちはまつろわないのではないか。いわば揚北衆あがきたしゅうのような男たちが無尽蔵に割拠している、それが関東という世界なのだ。

(川中島で晴信を破ることもできず、京で将軍さまのために戦うこともできず、ついに越中にすら兵を入れてしまった。この上、関東へ進めばわたしは四方面作戦を強いられることになる……いくら毘沙門天の化身であろうとも、ひとつしかない身体で四つの戦線を維持し、すべての戦線で義を実現することなど、できるはずがない)

 春日山城の毘沙門堂に一人で籠もり、景虎は「毘沙門天の声」に尋ねた。

 三国峠を、越えるべきかと。

「北条氏康と関東諸将の争いはかねて続いていたが、武田晴信が上野を奪い取ろうとしているというのか。長野業正どのと言えば、今なお関東管領上杉憲政さまに忠誠を誓っている得がたい忠臣。わたしは、そして越軍は、三国峠を越えるべきか」

 これは武田晴信の罠なのではないか、と景虎は危険を感じ取っていた。

 川中島を奪い取るために、関東へわたしを引き込もうとしているのではないか、と。

 関東へと乗り出すことは、生涯の半ば以上を関東に捧げることを意味する。関東を近衛前久のもとに束ねるという事業を完成させない限り、再度の上洛は難しくなろう。

 しかし――この夜ついに、毘沙門天の声は、聞こえてはこなかった。

 己自身の意志で決めよ、と告げられているのだ、と景虎は思った。

 そして同時に、かつて複数の男たちに求婚された時のように叡山や高野山へ逃げてはならない、逃げればそれはつまり敗北なのだ、と暗に教えられたのだとも。

 その毘沙門堂を、はじめて訪れた者がいた。

 毘沙門堂には、景虎以外、何人たりとも入ってはならないという厳命がある。が、ただ一人、その定めを踏み越えることのできる人だった。

 景虎の母。かつて「虎御前」と呼ばれていた青岩院せいがんいんだった。為景ためかげの死後は出家して夫の菩提を弔っている。

「……母上?」

「悩んでいるようね、景虎」

 すでに世を捨てた青岩院が景虎のまつりごとに口を挟んだことは、これまでなかった。

 だが、幾人もの男たちの懇願に応え続けた結果の度重なる戦線拡大の果てに、生涯を費やす事業となる関東遠征に向かうか否かで迷い、人生の転機を迎えた景虎を、捨て置けなかったらしい。

「この毘沙門堂はまるで、母の胎内のようね。狭くて静かで、そして景虎、あなた以外の者は誰も入ることができない……」

「……薄暗くて、わたしの目にも肌にも優しいこの毘沙門堂に籠もると、感覚が冴え渡ります。ですが今日は、なぜか毘沙門天の声が聞こえてこないのです、母上」

「あなたが毘沙門天の化身と信じられるようになったきっかけは、この母が観た夢なのよ、景虎。あなたを身ごもった時、母の胎内に毘沙門天が入ってくる夢を観た……その噂が巡り巡って、あなたの神秘的な姿と相まり、ついにはあなた自身が毘沙門天そのものなのだという伝説になっていった。でも、この母にとってはあなたは人間の子供よ。綾と同じ。なにも変わらない。神の化身などではないわ、景虎」

「では、わたしが聞いている毘沙門天の声は……」

「わたしが観た夢と同じに、あなた自身の内なる心の声でしょう。人は、観たいものを観て、聞きたい言葉を聞くのよ。あなたは余人よりも感覚が鋭い。動物と会話することもできるし、自分自身の内なる心と対話することもできる……あなた自身は関東をどうしたいの、景虎」

「……父上が乱した関東の秩序を、復興したいです。わたしの姫武将としての生涯は、父上の罪を償うということからはじまりました。ですが欲の戦を続け、わたしを毘沙門堂から引きずり出そうとしている武田晴信が蠢動しゅんどうしている限りは、長く関東に留まることはできないでしょう。それに……たとえ関白さまと関東管領さまを関東へお連れして関東公方と関東管領を復興しても、わたしが越後を捨てて関東を領国化しない限りは北条が必ず巻き返すでしょう。こたびの第一回関東遠征でことをし損じれば、川中島よりもひどいことになるかもしれません。かの諸葛孔明の北伐も、成功の可能性があるとすれば第一次出兵の時だけでした。二度目以後の出兵は無残な結果となりました」

「……関東の民は」

 青岩院は、告げた。

「関東の民は今、飢饉で餓えているそうよ。城を盗らない、土地を奪わない義戦を貫くというあなたの志を遂げるならば、関東の餓えた民を救うということを第一の目的として実行すればどうかしら」

「……越後には、直江大和が溜め込んだ膨大な米があります、母上」

「救民のためにその備蓄米を関東へ――たとえ土地を奪わずとも、関東の民の心を掴める。あなたが義将であると証明できるわ、景虎。ただ」

「ただ?」

「できるならばいつか、毘沙門天の化身という影の立場を抜け出して、あなた自身の生を生きてほしい。できれば、景虎の子を……わが孫を、この手に抱いてみたい。この母も、年老いて強欲になったものね」

 青岩院は、たとえ関東復興が夢のままに終わっても、義を貫き民を助けることはできる、と景虎に教えてくれたのだった。

 関東の飢饉を救う……北条家はもともと善政を敷いてきたため、備蓄米などはほとんどないという。関東は、土地こそ広大だが、湿地帯が多く米の生産力はあまり高くないのだ。対する越後には、貿易で稼いだ膨大な富があり米があり黄金がある。

 景虎は、決断した。

「すべての声に応えて、義の戦を貫く」という最初の誓いを果たす、その結果がどうなろうとも、と。

 そもそも関東の秩序の崩壊は、景虎の父・長尾為景が、一族の仇である為景を討つために越後へ攻めてきた関東管領・上杉顕定あきさだを返り討ちにして殺したことからはじまっている。

 景虎のもとに亡命している上杉憲政は、為景が殺した当時の関東管領の孫にあたるのだ。貴公子である上杉憲政がその件を景虎に語ることは決してないが――。

 わたしは父・為景の「罪」を清算するために生まれてきた、その「証し」がこの真っ白い肌と赤い瞳なのだと、景虎は信じている。

 為景が破壊したものを、景虎はすべて復旧しなければならない。青岩院が願う景虎自身の「生」は、その後でやっとはじまるのだ。

 越後守護・上杉家の復興。

 越中一揆との和解。

 関東管領・上杉家の復興。

 この三つの事業を成し遂げた時、やっと、景虎は父の犯した罪から自由になれるのだ。

 その、はずだった。

 越後守護・上杉家の復興は、自ら越後上杉家の名跡を継ぐことで変則的とはいえひとまず果たされたが、残る二つは目もくらむような難事業としか思えなかった。

 京で管領として将軍を支え畿内に平和をもたらすという夢も、越中一揆との和解を成立させねば、困難となっている。

 なにを成そうとしても、常に、武田晴信が立ちはだかってくるのだ。

 あの、永遠に時間が止まっているかのような川中島に、誘い出してくるのだ。

 そして景虎自身も、晴信に呼ばれれば、行かざるを得ない。川中島で晴信と戦っている時だけが、「自分自身の人生を生きている」と実感できるかけがえのない時だったから――。

 だがその思いを振り切って、景虎は「関東管領復興」という生涯の大事業に手をつけることを決意していた。晴信が川中島ではなく上野に出兵したことが、最後の一押しとなった。

 毘沙門堂を出た景虎は、広間に越後の男たちを集結させていた。

 宇佐美定満。

 直江大和。

 長尾政景。

 柿崎景家。

 北条高広。

 斎藤朝信。

 そうそうたる武将たちを前に、

「関東管領・上杉憲政さまを奉じて、関東へ出兵する。わが父・為景が破壊した関東の秩序を、わたしとお前たちとで再興する。関東管領さまも、関白さまも、わたしを頼られている。これ以上逡巡しゅんじゅんすることはできない」

 と、宣言した。

 景虎を支え育ててきた宇佐美定満も直江大和も、「やめろ」とはもう、言わなかった。すでに、京から越後へ帰還した時から、この日が来ることを覚悟していたらしい。

 ただ、悲しげに景虎の横顔を見つめていた。

 胸の痛みを感じながら、景虎は関東遠征軍の陣立てを定めていった――先鋒には景虎に激烈なまでの忠節を誓っている猛将・柿崎景家。中軍には、かねて「関東遠征派」だった北条高広と長尾政景の二人。後詰めに、本庄繁長率いる揚北衆。軍師役には、宇佐美定満。言うまでもなく関東管領・上杉憲政も遠征に形式上の「総大将」として同行する。春日山城の留守居役に、直江大和と村上義清。進軍の総勢は八千。残りの兵は春日山城の防衛にあてざるを得なかった。常に、武田晴信が川中島から春日山城を襲撃する可能性があるからだ。

 広大な関東を平定するには、あまりにも兵は少なく、三国峠越えの長い行軍路は厳しい。季節はすでに秋から冬になろうとしていた。

 それでも、景虎は父・為景が犯した最大の罪――「関東管領殺し」を償うために、三国峠を越えようとしていた。


 越軍八千は、関東への玄関口にあたる上田の魚沼に集結し、三国峠を越えてついに広大な関東八州へと進軍した。

 関東管領・上杉憲政は、長尾政景とともに従軍した。景虎が上洛した時にはもう半ばあきらめていたが、ついにこの時が来た、と憲政は上気している。だが、関東遠征派の首魁しゅかいであるはずの長尾政景は、

「川中島なんぞでの武田晴信との鬼ごっこなど、くだらんと思い、関東遠征派などという派閥を組んではいたが、まさか実現してしまうとはな。しかも、よりによって御所から関白を迎えて関東公方に据えようとは……景虎は底抜けの馬鹿だ。そして、上杉憲政。貴様もな」

 と浮かない表情のまま行軍を続けている。

 軍神・長尾景虎、立つ。

 越軍、関東遠征を開始。

 この情報が関八州に雷鳴の如くとどろくや否や、関東の諸将はかたずを呑んで越軍の動きを注視することとなった。

 上野最大の要地は、中央に位置する厩橋まやばし城である。東は下野しもつけ、北は越後、西は信濃、そして南は武蔵へと連なる「関東のへそ」とも言える城で、なんとしてもこの厩橋城を北条方から奪わねば越軍は進退できない。

 しかし三国峠から厩橋へ出る途上には、北上野の要所・沼田城が立ちはだかっている。利根川支流が築いた河岸段丘かがんだんきゅうの段差を天然の城壁として用いた「丘城」で、もともとは沼田氏という国人の本城だったが、主君・上杉憲政の亡命以後、来たるべき長尾景虎の関東遠征を前に上杉派と北条派との間で激しい争奪戦が繰り広げられ、この時はすでに北条方が押さえていた。

 景虎が電撃的な出兵を敢行したその時、北条軍の主力はまだ里見戦に投入されていた。景虎は柿崎景家ら先鋒隊に命じて、沼田城を攻略させ、たちまちのうちにこれを落とした。越軍の兵士たちは毘沙門天の真言を唱えながら一心不乱に崖をい上がり、沼田城本丸を奪い取ってしまった。

 関東で景虎が武威を直接示したのは、この戦がはじめだったが、越兵たちのあまりの異様な士気の高さと、本猫寺一揆衆を思わせる死を恐れぬ強さに、人々はただ驚き呆れるばかりだった。

 北条高広が「関東遠征を継続するためには、上野に長尾軍の拠点が必要です。それがしを城代に」と主張したが、「沼田の城は沼田家の者に返すだけだ」と景虎は突っぱね、厩橋城へと連なる街道を突き進んだ――。

 天然の要害と呼ばれていた沼田城が嘘のようにあっけなく陥落したさまを観た厩橋城の国人たちは「このまま北条方として戦うか」「景虎に降るか」で対立して騒然となり、たちまちのうちに越軍に飲み込まれた。

 沼田城と厩橋城をほとんど犠牲も出さずに攻め落とした景虎の武威を観た上野の諸将は、あっけにとられた。

 また、景虎が落とした城も土地も奪わないことが知れ渡り、さらに飢饉のために籠城が困難となっていたことが、景虎に有利に働いたと言える。

「わたしは上杉憲政さまを関東へお戻しし、北条家を征伐するために来た。こたび越軍が落とした城は奪わず、もとの城主に再び返す。降伏した城の諸将と領民には、越後から運んできた米を分け与える」

 この景虎の布告を聞いた上野の主要な国人のほぼすべてが、続々と景虎のもとに降伏・帰順を申し出てきた。

 だが、越軍が三国峠を越えるよりも早く独力で武田義信軍を撃退し、上野における最強の武人と讃えられることになった箕輪城主の長野業正が、なぜかまた参戦してこなかった。

 また、景虎率いる越軍の圧倒的な強さを直接見ていない下野や武蔵、常陸の諸将は、景虎と北条との間でなおも揺れ動いており、反応がはかばかしくない。

 景虎は厩橋城に留まり、関東諸将に「関東管領家復興の義戦をはじめる。関東遠征軍に参戦せよ」と次々と使者を送った。

(ここまでは、諸葛孔明の第一次北伐と同じだ。ここまでは……)

 かつて、いにしえの唐国で山奥の小国「しょく」の丞相じょうしょうを務めていた諸葛孔明は、漢王朝復興という大義のため下克上の国「魏」が支配する旧都・長安を奪回するべく北伐軍を興した。長安周辺の諸豪族や異民族が次々と諸葛孔明になびいた。諸葛孔明は、魏の主力部隊が集結する前に長安を奇襲するか、あるいは奇襲せずに主力決戦を堂々と行うか、二択を迫られた。その結果――主力決戦に敗れた。第二次北伐以後は、魏が長安の守りを完全に固めてしまったために大きな成果をあげることはできず、ついに長安を奪回し漢王朝を復興することはできなかった。

 わたしの関東遠征も同じだ。この第一次遠征で北条を倒せなければ、北条氏康は守りを固めてしまうだろう、関東の秩序復興は困難になる、と景虎は知っている。しかし、北条氏康が里見と戦っている隙に小田原を奇襲するという卑劣な手を、景虎はやはり用いたくはなかった。義戦なのだ。関東諸将を関東管領のもとに集結させ、同時に北条軍をも一箇所に集結させて、ただいちどの堂々たる決戦で北条を倒す。それ以外に、身体の弱い自分が関東を関東管領の名のもとに平定する道はないと思われた。

 それに、「救民」という母の言葉が景虎の背中を押していた。越軍の兵たちに乱取りや狼藉ろうぜきを禁じ、上野から集まってくる将兵や慰撫いぶした土地の民たちには次々と越後から輸送した米を提供した。命令に反し義にそむいた越兵はやむを得ず処罰した。

 だが、現実主義者の北条高広が、厩橋城で開かれた軍議の席上で、ついに景虎に激しく意見した。

「沼田城ではそれがしは折れましたが、この厩橋城だけは越後軍の武将が直接統治しなければなりませんぞ。厩橋は、関東、信濃、越後を繋げる絶対的な要地にございます。諸葛孔明の北伐になぞらえれば、長安と蜀との中継地点にあたる漢中に匹敵する城。私利私欲なく大義のために戦ったかの諸葛孔明ですら、漢中を北伐作戦のための軍事基地・兵站へいたん基地として、そして魏の侵攻を阻むための防衛拠点として支配し続けました。漢中が落ちれば蜀もまた滅ぶ、と諸葛孔明は理解していたのです。厩橋は、それがしが統治いたします。城主にせよとは言いませぬ。城代で構いませぬ。これは、それがし個人の稼ぎや欲とは別の話です。この城は越軍の関東遠征の要なのです」

 この時ばかりは宇佐美定満と長尾政景の両名も、北条高広の意見に賛同した。

「越後から関東は遠い。それに、景虎。お前もすでにその目で見たとおり、関東は広大だ。越軍は、上野をはじめとする関東諸将をかき集め、北条軍と戦うために南下する。その際、兵站を維持するためには、上野の厩橋に拠点を築き上げなければならねえ。これほどの大遠征だ。補給線の維持こそがなによりも重要なんだ。諸葛孔明の北伐が失敗した理由も、兵站に手間取ったことにある。山中の天険の地である蜀から魏領内への食糧輸送には、大変な労力が必要だった。諸葛孔明は魏軍に持久戦略を採られ、兵糧が尽きて撤退するという不毛な遠征を繰り返した。まもなく季節は冬になり、三国峠は雪に覆われる。そうなれば、越後から新たな兵糧は届かない」

「フン。俺も忠告しておく。ましてや、貴重な兵糧を上野の田舎侍や土民どもにくれてやるなど、愚の骨頂よ。飢饉から民を救済すると貴様は言うが、そんなことは関東を平定してから考えることだ。順番が逆だ、景虎。こうして貴様が救った関東の国人どもと領民どもは、腹が満ちればまた北条になびき貴様に叛くぞ。なぜそれが理解できん。人はな、与えられた恩義などはすぐに忘れて、屈辱と怒りだけを記憶し続ける生き物なのだ。疑うのならば、俺を見ろ。この俺が、貴様に心服していると思うか?」

 兵站については直江大和に一任してある。直江ならばやり遂げてくれる、と景虎は答えた。宇佐美は「そうか。直江の旦那ならば、兵站を維持するための策があるのだろう」と渋々うなずいたが、政景は納得しない。

「景虎よ。戦場で敵に米を配り歩くなど、婦人の仁だ。こうやって厩橋に居座って北条との一撃決戦を望むのは、匹夫ひっぷの勇だ。食い物なんぞいくら与えても独立心旺盛な関東武士は靡かんし、北条氏康は戦えばすなわち負けるとわかっていながらお前との一撃決戦など絶対にやらん。どうせ三国峠が雪に覆われる前に越軍は撤退する、と氏康はわかっている。このままさっさと関東を南下し、小田原城を奇襲しろ」

 王道を行く景虎と、覇道を目指す政景とは、常に意見が対立する。

 越後亡命以来、両者の仲立ち役として動いていた関東管領・上杉憲政が、速戦奇襲を唱える政景をなだめた。

「政景。きみの意見は戦術的には正しいが、戦略的には問題がある。いいかい。関東の情勢についてはぼくがもっとも詳しい。景虎は上野の大部分をたちまち平定したが、西上野の箕輪城を守る長野業正がまだ帰順していない。業正は、落ち目だったぼくに忠実に仕えてくれた猛将だが、河越夜戦でぼくが大敗した折りに息子を戦死させている。その後、姫武将相手に負け続けてなるものかと頭に血を上らせたぼくが碓氷峠うすいとうげを越えて武田晴信と戦った時も、業正は『無謀な戦です』とぼくを止め続けた。関東から逃げだしたぼくを担いでいる景虎のもとに参じるなど、頑固者の業正にとっては気分がいいことではないだろう……それに」

「それに?」

「相模の小田原まで攻め進むためには、広大な武蔵という国を通過しなければならない。武蔵の主要な城――河越城、江戸城、岩付城、松山城はすべて北条方が支配している。それらすべてを無視して小田原へ進軍するのはさすがに無茶だよ。たとえ小田原城を奇襲で奪い取れても、越軍は帰り道を失ってしまう。今、北条氏康が南総の里見を攻めているのは、里見と越軍が連合すれば面倒になるとわかっているからだろうが、小田原へと越軍を釣り出して武蔵を塞ぎ、越軍の退路を断つ『罠』としても有効だよね」

「……フン。なるほどな。諸葛孔明の第一次北伐の際にも、長安奇襲を進言した魏延ぎえんの意見は却下されたが、あれは諸葛孔明が臆病だったのではなく……」

「長安を奪った後、守りきる算段がつかなかったということもあるだろうね。奇襲して点としての長安を奪っても、東と西から挟撃されればとても守れない。孔明は長安の西側の涼州りょうしゅう一帯の豪族衆を自軍に帰順させて背後を固めてから、長安へ進出するつもりだったんだよ」

「しかし現実問題として、諸葛孔明は北伐に失敗した。魏延の長安奇襲策を採用していれば」

「それは、肝心の野戦に負けたからだよ。景虎ならば、北条に勝てる」

 時間を取るか、地勢的な理を取るか、これはどちらが正しいとも断言できない。いずれにせよ、これは結果論としてしか判断できない問題だった。宇佐美定満は迷った結果、関東を熟知した関東管領・上杉憲政の意見を重んじるべきだ、と景虎に告げていた。

「政景の小田原奇襲策も捨てがたいが……直江の旦那が兵站問題をどうにかしてくれるというのならば、長野業正と武蔵・下野・常陸の国人衆の帰順を待ったほうがいいだろう、景虎。少なくとも、武田軍の猛攻をしのいでみせた猛将・長野業正は、関東遠征軍に引き入れねばならねえ」

「……そうだな、宇佐美。憲政さまの一の忠臣を捨て置いて関東をこれ以上切り取ることは不義にあたるな……しかしわたしが厩橋城に留まったまま彼の参陣を黙って待っていては、北条氏康を利することになるだろう」


 その北条氏康が、動いた。

 氏康は、景虎が関東に出てくるよりも先に南総の里見家を叩いて越軍との合流を阻止しようとしていたが、いざ三国峠を越えてきた景虎のあまりの侵攻の速さは氏康の想定をはるかに超えていた。景虎は、野戦では無敵の神将だが、攻城戦はあまり得手ではない。それに、関東の地勢にも疎い。屈指の「丘城」である沼田城攻めにある程度手こずるだろう、と考えていたのだ。

 だが、沼田城どころか、上野の中心にあたる厩橋までをも瞬時に奪い取られていた。

 しかも、気が短い、長期にわたっては戦えないので常に決着を急ぐ、と言われていたはずの景虎が、その厩橋城に腰を据えて動かない。

 冬になれば越軍は越後へ戻る羽目になる。だから焦って進軍を急ぐはずだ、と氏康は読んでいた。しかし、動かない。

 そんな氏康のもとに、下野の山城・唐沢山城を支配している佐野昌綱まさつなが、北条方から景虎方へと寝返ったという知らせが入った。佐野昌綱の領国もまた、飢饉に苦しんでいた。佐野昌綱は景虎の武威を見たわけではないが、目の前の食糧を求めての寝返りらしい。

「いけない。もしも景虎が関東を本格的に領国支配するつもりでいるのならば、城を奪わぬ義将という評判は大嘘だったことになるけれど、同時に北条家存亡の機だわ! 上野に居座られてしまっては、関東から景虎を駆逐できなくなる……! その上、下野までが景虎に靡いたら、北関東はことごとく景虎のものに!」

 青ざめた氏康は里見家との合戦を中断して急いで北武蔵の要衝・河越城へと入り、さらに利根川の南に位置する松山城へと進んだ。

 厩橋城まではまだ距離があるが、松山城からは上野・下野いずれへも兵を進められる。

 松山城を大本営と定めた氏康は、妹の氏政に命じて、下野・唐沢山城の攻略を命じていた。三万の大軍を預けての決死の攻略戦である。唐沢山城にも、兵糧がない。故に、難攻不落の山城と呼ばれる堅城であろうとも、今ならばすみやかに落とせるはずだった。

 一方で、氏康自身は松山城に留まり、厩橋城の景虎を牽制した。越軍は強いが兵数が少ない。北条には、数の有利がある。この段階で武蔵一国はなおも北条のものであり、西上野・箕輪城を守る長野業正は、箕輪城攻略を焦った武田義信軍をかろうじて追い払った直後にその武田方の真田幸隆から調略を受けており、去就定まらぬ状態だった。

 剛直な老将・長野業正は心情的には旧主・上杉憲政のもとにはせ参じたいが、かつてともに上野で同僚として過ごしたこともある真田幸隆に「義信さまの軍を撃退したことで、あなたの武名と面目は保たれました。上杉家はもう命運が尽きた家ですよ。この上、一族を滅亡させてまで忠義を貫かずとも」と口説かれ、河越夜戦で失った息子のことを思い懊悩おうのうしているという。

 このため、西を長野業正に、南を北条氏康に挟まれたかたちになっている景虎は、唐沢山城へ兵を割くことができない。

 景虎が厩橋城に留まっているうちに、唐沢山城を落としてしまえば、越軍の下野への進出は阻止できる。

 下野を守り通せば、常陸も武蔵も北条から離反することはない。

 上野で止めることができる。冬が来れば、越軍は上野から撤退せざるを得なくなる。

「おばば。越軍がもしも二万の大軍であれば、防ぎ止められなかったわ。でも八千ならば、一部隊としてしか動けない。武田晴信が川中島や西上野にさんざんちょっかいをかけてくれているおかげで、防ぎきるめどがたちそうだわ」

 北条幻庵を相手に汁かけ飯をいただきながら、氏康はようやく一息ついていた。とにかく、今の関東には兵糧がない。妹の氏政に家督を譲る芝居を打ってでも餓えた領民を慰撫しなければならないと覚悟させたほどの有様である。対する越軍には、大量の兵糧がある。対陣が長引けば長引くほど、関東諸将は食糧を求めて越軍に靡く。が、唐沢山城を押さえてしまえば、関東諸将の動揺は収まる。数に劣る越軍は上野から出られない。

「そううまくいけばいいがのう、お嬢よ。長尾景虎。あれはただの人間の小娘じゃが、ある意味ではほんものの毘沙門天の化身ぞ。唐沢山城攻めが逆目に出ねばよいがのう」

 百戦錬磨の長老・幻庵は、なにごとかを予感していたかのようだった。


 唐沢山城、三万の北条軍に包囲される。

 この一報を軒猿から聞いた景虎は、「ただちに唐沢山城を救援する」と決めた。しかし、松山城に北条氏康が、箕輪城に長野業正が、それぞれ兵を率いて待機している。長野業正はなおも景虎方に参じないまま、籠城の準備をはじめていた。どうやら、旧友の真田幸隆が業正の動きを封じ、武田方に引き入れようとしているらしい。またしても武田晴信が、と景虎は憤った。

 現状では、厩橋城の兵を動かすことはできない。

 しかし景虎は、五十騎の旗本衆のみを連れて唐沢山城へ行く、と宇佐美たちに告げた。この時、景虎はすでに馬に乗っている。

「宇佐美よ。諸将よ。これは北条征伐と関東管領復興のために起こした義の戦だ。北条征伐のために関東諸将に参戦を呼びかけておきながら、今、北条方からわが方へ加わってくれた唐沢山城を見捨てるわけにはいかない。わたしは北条軍を断ち割って、単騎で唐沢山城へ入ろうと思う。わが義心を関東の諸将に知らしめる」

 慌てた上杉憲政は「ぼくが長野業正のもとへ出向いて直接参陣を頼んでこよう。短気はよすんだ」と景虎を止めた。

 さらに、宇佐美定満が「唐沢山城主の佐野昌綱は兵糧が目当てだ。あいつは叛服はんぷく常ない男で、越軍に忠誠を誓うような奴じゃない! 北条との決戦に命を賭ける時期はまだ先だ!」と景虎を説き伏せようとした。

「いや、問題ない宇佐美。関東武者たちは武勇のみを頼むという。ならば、わたしが五十騎の旗本衆とともに敵中突破を敢行しようとする姿を見ても、驚きこそすれ、徹底的に遠巻きに弓矢や鉄砲の弾だけを浴びせて槍も合わせずにわたしたちを討ち取ろうとはしないだろう。唐沢山城を包囲している総大将が北条氏康ならば容赦なくやらせるかもしれないが、幸いにも北条氏政は人が良い姫武将だという。ならば、可能性はある。千や二千の兵を率いて突撃するよりも、はるかに勝算が高くなる。わたしは敵勢の『気』を感じることができる。きっと、突破できる穴を見つけてみせる」

「だがよ、景虎! ただ五十騎で三万の敵兵へ突っ込もうだなんて、無茶すぎる。お前、怖くはないのか……!?」

「宇佐美。わたしだってもちろん恐ろしい。しかし、毘沙門天の化身ならば、勇気を奮い起こせるはずだ。それに――戦場で倒れる時はいつも通り、わたしが倒れる。そこで、戦は終わる。旗本衆を巻き添えにはしない」

「それじゃあ、五十騎で三万の北条軍へと突撃。その上、その死兵の先頭に立つというのか? お前……」

「宇佐美。わたしは討ち死にするために戦っているのではないぞ。突破できる『気』が見当たらねば、無駄な突撃はしない。だから川中島では、わたしは武田晴信の陣に突撃をかけられないでいるだろう? 突撃する時は、勝機を掴んだ時だけだ」

「だとしても」

 ただ一人、長尾政景だけが、

「行くのなら行け。お前が倒れれば、毘沙門天の化身ではなかった。それだけのことよ」

 と景虎の無謀な出陣を容認し、逆にけしかけてきた――あるいは、政景もまた、信じていたのかもしれない。景虎が奇跡を起こすことを。

 しかし、景虎を見守り続けてきた宇佐美定満は、どうしても納得しなかった。その宇佐美のひげと髪にいつの間にか白いものが混じっていることに、景虎ははじめて気づいた。あの若々しかった宇佐美も歳を取り、老いはじめているのだ、と知ると、不意に胸が苦しくなった。

「なあ、景虎。もういいんだ。お前は、毘沙門天になりきらなくてもいい。たとえ三万の北条勢を五十騎で断ち割って唐沢山城へ入る奇跡を成し遂げたからって、お前は決して……幸福にはなれない……人間でないものへと、さらに近づいちまう。俺はお前に義の戦を説き、直江は慈悲を説いたが……お前を『神』にするつもりなんて、なかった。関東全土にお前が毘沙門天の化身としての武威を示しちまえば、もう後戻りはできない。引き返すなら、今だ」

 すでに軍師でもなければ、姫武将長尾景虎の後見人でもなかった。

 宇佐美定満はただ、この少女を地上に引き留めたかった。景虎は今、人間の身でありながら天に昇ろうとしている。

「……宇佐美。嫁を取って跡継ぎを作れ。わたしが戦死したら、守護の座は政景に。宇佐美と、そして直江と、三人で越後を守ってほしい」

 政景、てめえも止めろ! と宇佐美が吼えた。

 政景はしかし、

「フン。いったんやると決めた以上は、誰がなんと言おうがやり遂げようとする娘だということは、お前がいちばん知っているだろうが――だがな、景虎。やり遂げることと、やり遂げようとすることとは、違うぞ。お前は、『やり遂げようとする』過程にこそ価値があると信じている。救いがたい愚か者よ。すべては『やり遂げる』という結果なのだ。結果にだけ、価値があるのだ」

 わたしはそうは思わない、政景、と景虎は呟き、そして厩橋城から旗本勢を率いて飛びだしていた。


 北条氏政は、信じられない光景を見た。

 長尾景虎が総勢四十五名の旗本勢だけを率い、三万の北条軍が包囲していた唐沢山城へと行軍してきたのだ。五十騎のうち五騎は、景虎の強行軍について行けずに中途で脱落したらしい。

「お姉ちゃんは、景虎は厩橋城を動けないと言っていたのに。どういうこと……!? あんな少人数で、いったいなにをするつもり? 背後に伏兵がいるの? なにかの策略?」

 音もなく北条の本陣に姿を現した風魔忍びたちが、慌てる氏政に告げていた。

「いえ、伏兵はおりません」

「長尾景虎は、あれだけの人数で唐沢山城を救援するつもりです」

「そんな。信じられないよ。そんなこと、できるはずがない。どうやって三万の北条兵を蹴散らすつもり?」

「蹴散らすことはできません。ただ、包囲網を断ち割って唐沢山城に景虎自身が入城することはできるはずだ、あの異形の姫武将は本気でそう考えています」

「自らの関東遠征が義戦であることを知らしめ、毘沙門天の化身であることを知らしめることで、孤立した唐沢山城の将兵たちと、関東全土で北条に屈服している国人たちの士気を鼓舞することができると」

 それほどの勇気を、まだ幼いとも言える姫武将が持ち得るものだろうか? 景虎と氏政とはさほど年齢が変わらないはずだった。

 北条氏政は「お姉ちゃんなら、問答無用で包み込んで討ち取るだろうけど……できないよ。どうしよう。どうしよう」と震えていた。


 この時、白馬にまたがっていた景虎は甲冑かっちゅうさえも着けていない。

 甲冑を外し、重量を限界まで減らすことで、馬の「速度」にすべてを賭けていた。

 怯えながらも「最後の一兵となっても景虎さまをお守りいたします!」と叫ぶ旗本勢たちに、「そなたたちはここで待機せよ。わたしが先導して道を開く」と伝えながら、三万の北条兵の陣形を、そして「気」を、感じ取っていた。

 まぶたを閉じ、精神を集中した。

 恐怖。死。父の姿。荒ぶる鯨海げいかい。自らの心の臓の鼓動。

 天と地の間に、ただ一人、景虎は存在していた。

 なんという孤独だろう、と景虎は思った。

 龍の背中が見えた。妙高みょうこうの山々だった。隣に、晴信がいた。

(武田晴信。わたしは、天の高みまで昇りつめる。捕らえられるものなら、捕らえてみよ。わたしを地へと引きずり下ろしたいのならば、追いついて引きずり下ろしてみるがいい。わたしは、どこまでも駆ける)

 北条軍の将も兵も、ただただ息を飲んで景虎を凝視している。

 三万の軍勢が、今、文字通りの「金縛り」にあっていた。

 唐沢山城の城門へと連なる「道」を、景虎は心眼で捕らえた。

 その小さな一点をこじ開けるために。

「運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり」

 馬上で景虎はそう唱えながら、ただ一騎で北条軍三万へと突っ込んでいた。

 しばし、北条軍は時間が止まったかのように静まりかえっていた。

 彼らはほとんど恍惚こうこつとした表情で、神を見るかの如く、景虎を凝視していた。

 が、三万の北条軍の誰かがまず「景虎が動いた!」と叫んだ。

 防げ! という悲鳴が木霊こだました。

 その瞬間に、北条軍の将兵たちは、「天」から引き落とされて関東の大地へと引き落とされ、臨戦態勢に入っていた。

「死」が、景虎に迫っていた。

 矢が目の前を飛び交い、銃弾が馬の鼻をかすめ、凄まじい轟音と三万の関東武士たちの雄叫おたけびが耳を突き破らんばかりに襲ってきた。

 だが、北条方の兵たちが放つ一本の弓矢も、一発の弾丸も、人馬一体となって高速で大地を自在に駆ける景虎には当たらなかった。

 これほどの攻撃が、当たらないはずがない。

 しかし、直撃すべき矢も銃弾も、景虎は、そして景虎を乗せた白馬は、まるで龍のように大地の上を跳ねながら紙一重で避け続ける。一歩も退かない。右へ左へと揺れつつも、ひたすらに、前へ、前へと、がむしゃらに突き進みながら。

 こんなものは、人間の武将がやる戦ではない。

 北条氏政は、衝撃のあまり下知することができない。

「なぜ、三万の敵軍の中を、駆けられるのだ。なぜ、前進できるのだ」

「……人間ではない……!」

「ほんものの毘沙門天だ!」

「撃つな! 矢を射かけても、毘沙門天の化身には当たらない!」

「かくなる上は接近し、押し囲んで槍で討ち取る他はなし!」

 誇りある関東武士たるわれらが姫武将一人に怯えていてはならぬ! 関東武士の名折れよ! と勇気を奮い起こし、腕に覚えのある幾人もの北条武者たちが、槍を構えて次々と名乗りをあげながら謙信に打ちかかっていった。

「数が多い。不殺のおきて、守れぬかもしれぬ。許せ」

 景虎は、十文字槍を構えると、四方から攻め寄せてくる北条武者たちを一人、また一人と薙ぎ払っていった。

 北条方の槍先は、景虎の身体には当たらない。

 見えるはずのない背後からの攻撃をすら、景虎は避ける。避けながら、同時に相手を打ち倒す。これは目が開いている者の動きではない、「気」を直接感じ取って動いているのだ、もしかして景虎はほとんど目が見えていないのではないか、と風魔忍びの一人が氏政に漏らしていた。

「見えていない? 景虎が盲目だという話は、聞いていない、けれど……」

「あのわずかに見える赤い瞳と白い肌は、日光に弱い者特有のものです。動物でも人間でも、ごく希に生まれてきます。あるいは神として崇められ、時には不吉の象徴として怯えられる。忍びの里へ預けられる者もおります。景虎は、薄暗い場所では目が利くでしょうが、これほどの日光を浴びているとほとんど見えないと思われます。それで、あのような信じがたい蛮勇ばんゆうを奮うこともできるのやもしれません」

「……そんな話……嘘のような……でも」

 幾たびも決死の覚悟で打ち合いを挑んだ男たちは、ことごとく景虎の槍に突き飛ばされ、馬上から転がり落ちていた。

 ひたすらに唐沢山城を目指して突き進む景虎を討ち取ることは、誰にもできなかった。

 しかし景虎は身体が弱い。その体力は、限度を超えようとしている。

 次第に、息があがってきた。

 心の臓の鼓動が、早鐘のように速くなっていた。

(宇佐美。すまない。息を吐くことすら辛い。これまでかもしれない)

 景虎は、非力な己の肉体の限界を悟り、「死」からはもはや逃れられぬ、と思った。

 だが――。

 あり得ない光景を見せつけられた北条軍の将兵たちの心が、折れた。彼らは、不屈の闘志と無限の勇気を放ち続ける景虎の姿をもはや直視できなかった。誰もが「夜叉羅刹やしゃらせつとは是なるべし」と怯え、「景虎に怯えるは武士の恥にあらず」「関東武士であろうとも、神を殺すことはできぬ」と口々に叫びながら、いっせいに大地を割るかのように左右へと逃れて景虎に「道」を譲っていた。

 景虎は、わたしは今、生きながらに天の高みに昇った、と悟った。だが、そこに喜びのような感情はなかった。北条氏康では、わたしを天から引き落とすことはできぬ、晴信でなければできぬ、そう、思った。そして次の瞬間に、「できる限り致命傷を与えぬように戦ったが、あまりにも打ちかかってくる敵が多すぎた。もしかしたら、わが槍で人を殺めてしまったかもしれぬ」と罪の意識に怯えた。

 だが、その思いを押し殺しながら、蒼天そうてんへ十文字槍を高々と掲げていた。

「旗本勢よ、今だ! わたしが通る道をまっしぐらに駆けよ!」

 景虎は千々に乱れる心をかばいながら、真っ二つに割れた北条勢のまっただ中を中央突破し、四十五騎の旗本勢とともになにごともなかったかのように唐沢山城へと入城を果たした――。

 景虎を迎えた唐沢山城に籠城していた佐野家の将兵たちは、全員が狂乱していた。

「なんと。信じられぬ!」

「景虎どのが龍の如く、三万の北条兵を断ち割って」

「われらを救いに来られた……!」

「まことの毘沙門天が降臨した!」

 彼らは感涙し、全員が命を捨て、猛然と城から打って出ていた。

 北条氏政は「ダメ。ダメ。退却! 退却! 退却の鐘を!」と全軍に退却を命じたが、その時、すでに北条軍三万はいっせいに崩れていた。

 関東全土に、この唐沢山城の奇跡は、たちまちのうちに伝わっていった――。


 唐沢山城から潰走かいそうした北条軍の将兵たちは、もはや景虎に抗う戦意を喪失していた。

 松山城で氏政たちを出迎えた北条氏康は、この事態をにわかには理解しきれなかった。

「わずか五十騎足らずで、三万の包囲軍を突破して唐沢山城へ入城……!? 軍記物語じゃあるまいし、そんな馬鹿なことが」

「ほんとうなんだよ、お姉ちゃん。容赦なく遠巻きにして矢と鉄砲を撃ち続ければ、討ち取れただろうけれど……それでは北条軍と関東武士の名誉を汚すことになる。腕に覚えがある北条軍の勇者たちが槍で景虎を倒そうと次々に勝負を挑んで、そして」

「そのことごとくを突き倒し、斬り捨て、突破してしまったというの?」

 うん。あれはもう人間じゃないよ。毘沙門天の化身という噂はほんとうだよ! と氏政がまるで景虎を崇拝しているかのように瞳を輝かせるので、氏康は「あなたまで景虎を拝んでどうするのよ! あれは、ただの小娘に決まっているでしょっ!」と妹のおでこをぺちんと叩いていた。

 北条家最強武将、「つな」こと北条綱成つなしげが、厩橋城攻めの総大将役を務めたいと氏康に切りだした。

「関東諸将は、唐沢山城の奇跡を見聞きして動揺しています。これ以上景虎を捨て置いては、『武』こそ力と信じている関東諸将は次々と北条から離反します。あたしが景虎と決戦します」

「それはできないわ。つながもしも景虎に敗れれば、北条家は崩壊してしまう。河越夜戦の時のように、知略を練って勝てる条件をじわじわと整えていかなければ。景虎を相手に、一か八かの博打ばくちは打てないわ」

「たしかにそうです。しかし……」

「おばば? 武田晴信からの援軍は? 去就を定めかねて揺れていたはずの箕輪城の長野業正は、いっこうにこちらに使者を送ってこない。どうやら、長野はもうあてにできないわ。晴信自身が武田軍を率いて西上野に入ってくれないと、西と南からの挟撃策は崩れる」

 幻庵は、上野名物の「焼きまんじゅう」をもりもりとほおばりながら、

「武田晴信からの援軍は三百ということじゃ、ふぉっふぉっ」

 と笑った――氏康は手許のむちを思わず地面へと叩きつけていた。

「なんですって!? あの女……! こんな時にかたちばかりの援軍をよこすだけで動かないだなんて? なんのための三国同盟なのよ?」

「三国同盟はすでに事実上破れておる、お嬢。さりとて、晴信とてこのまま景虎が関東を平定するさまを黙って見ているはずがない。『現在、川中島に海津城を建築中。年が明ければ完成する予定。海津城ができあがればただちに川中島へ出兵して、越後を脅かす。それまで耐えられよ――ただし長年のよしみがある北条に忠告しておくが、決して景虎と正面から決戦してはならない。年明けまで耐えられなかった場合は、どうなっても知らぬ』とのことじゃ」

「年明けって。景虎が上野で年を越すはずがないでしょう。三国峠が雪に包まれる前に、越軍は越後へと撤退する! 晴信はいったいどういうつもりなのよ! 要は、北条と景虎が噛み合うさまを眺めて漁夫の利を得ようとしているのね!」

 お嬢がそもそも川中島で景虎と晴信を噛み合わせようと画策したのがことの発端じゃて。まさか景虎が周囲の弱き男どもから乞われるままに片っ端から「義戦」を開始するなど、想像もしておらなんだからのう、と幻庵はさらに笑った。この間、健啖家けんたんからしく焼きまんじゅうを食べ続けている。

「お姉ちゃん。越軍は関東では年越しできないんだよね。だったら、それまで我慢しようよ。たしかにじっとしていれば、次々と離反者は出るかもしれないけれど、越軍が越後に帰国すれば討伐できるよ。もう少しの我慢だよ」

 氏政のとぼけた声が、錯乱寸前だった氏康を落ち着かせていた。

「……そうね。そうだったわ。景虎は上野では越年できない。救民と称して兵糧を無駄に配り歩いているから、年を越すにも兵糧がない。必ず年末には越後へいったん引き返すはず。景虎が去ってから、北条を離反した連中を叩いて帰順させてしまえば、今は越軍に荒らし回られている関東を再び北条の手に取り戻せる」

 しかし、冷徹なはずの氏康の読みは、こんどばかりは当たらなかった――景虎は冬が訪れ雪が降りはじめても厩橋城から動かず、ついに越軍は関東で年を越したのである。


「お嬢さま。越後の備蓄米、すべて三国峠より運んで参りました。春日山城に蓄えた金銀を、上田から三国峠を越えるための『山道』の整備と、備蓄米の買い占めにことごとく投じたので、長尾家の蔵はもう空っぽですよ」

 景虎が厩橋城に諸将を集めて自ら琵琶の曲を聴かせるという「年始の宴」を開いていたところに、ついに直江大和が到着していた。不可能と言われていた冬の三国峠越えを敢行し、しかも膨大な量の兵糧を輸送してきたのだ。

「直江、大義。輜重を任せれば、やはりお前は頼りになるな」

 オレは軍師として頼りにならねえってことが言いたいのかよ景虎、と宇佐美定満がぼやいたが、景虎は苦笑するばかりだった。

 宇佐美は「唐沢山城の合戦」以来、ひたすらに「もうこんな無茶は二度とやるな」と景虎の身を案じるばかりで、ほとんど軍略を出してこない。

 まるで口うるさいだけで心配性の親のようだ……と景虎は口では迷惑がりながらも、そんな宇佐美の姿を眺めながら、宇佐美は自分にとってはずっと父親であり兄だったのだ、とようやく心で理解していた。

「お嬢さま。これ以上の補給はもう不可能ですよ。ないものは出せません。関東の飢饉はまだ続いております。虎の子の兵糧を、可能な限り倹約せねばなりませんよ」

 直江大和もまた、宇佐美定満がいつの間にか老け込んでいることに少々驚いたらしかったが、その直江もまた景虎から見れば気づかないうちに歳を重ねていた。無類の釣り好きで遊び回っている宇佐美はともかく、童貞とやらを貫いて清らかに生きている直江は歳を取らない、となんとなく信じていた景虎は、またしても衝撃を受けていた。

(人は老いる。老いて、死へと近づいていく。不思議だ。あれほどケンカを重ねてきた宇佐美と直江なのに、老いはじめた、と気づかされると同時に、かけがえのない人たちだったのだ、と気づくとは……)

 どうしたのですかお嬢さま? と直江大和がいぶかしんだ。

「ともに関東遠征へ行こうと誓ったはずの近衛前久さまが来ないことを心配しているのですか? 近衛さまは姫巫女さまの即位式を終えられ、すでに越後に到着しております。雪が溶ければ三国峠を越えて関東へ入られます。もっとも、あのお方は軽忽けいこつですし見込みが甘い。関東には来ないほうが、お嬢さまにとっては幸運だと思いますが」

 景虎は、「い、いや、近衛さまのことは疑っていない。あの方は必ず来られる……なんでもない」と唇を尖らせると、

「宇佐美、直江。この兵糧は、飢饉で苦しんでいる関東の民たちに無償で分け与える」

 と宣言していた。

 直江大和は「なんのためにわたくしが苦労して兵糧を運んできたと思っているんですか? もう補充はできないのですよ。あなたには戦略というものがないのですか」と呆れ、宇佐美は「景虎。お前さえ無事に越後へ帰ることができるのならば、オレはもうなにも言わねえ」とうなずいていた――。


 唐沢山城で景虎が発揮した神がかりの武辺の伝説と、不可能と信じられていた冬の三国峠越えを達成した直江軍の合流、そして「関東の民に越後の米をすべて分け与える」という義将の宣言。

 関東全土の国人衆は、いっせいに景虎のもとへとはせ参じた。唐沢山での景虎の一騎がけ伝説を耳にした武士たちは景虎を「毘沙門天の化身」と崇め恐れ、彼らが統治している領国の民たちは誰もが生き延びるために食糧を求めた。

 まず、関東管領・上杉憲政が直接箕輪城へ乗り込んで説得した結果が出た。

 ついに、真田幸隆の調略と旧主・上杉憲政への義理との間で揺れていた箕輪城主・長野業正が景虎のもとにはせ参じたのだ。

 長野業正は老将である。すでに、病を得ていたらしい。これまで腰が重かったのも、病が最大の理由だったらしい。

 河越夜戦で息子を北条方に討たれ、上杉憲政が越後へ亡命した後も上杉方として上野で粘っていたが、つい最近まで武田義信軍の猛攻を受けていた。武辺者の長野業正は意地だけで城を守り通した。しかし、すでに身体は老いさらばえ、気力も萎えつつあった。旧友の真田幸隆のもとに降るか――と心が折れかけていたところに、景虎の「唐沢山城の合戦」の奇跡を知り、そして上杉憲政自身が乗り込んできて「河越夜戦の折はぼくが愚かだった。関東から逃げだした関東管領のために戦えとは言わない。どうか、景虎を助けてやってほしい。彼女は、常に自分を頼ってきた男たちの祈りを聞き遂げようと戦い続けてきた。この関東遠征では、誰かが、彼女を支えねばならない」と頭を下げたことで、ついに決断した。

「残り少ない拙者の命、長野一族の命運とともに、ことごとく景虎どのに委ねましょう。これより、拙者が南関東への道案内役を果たさせていただきまする」

 かたじけない、と景虎は長野業正の手を取ってうなずいていた。

「戦で命を落とした息子や郎党、将兵たちの復讐のために戦えと言われれば、拙者は断っておりました。残り少ない命を、そのような虚しい恨みのために浪費したくはない、と。しかし憲政さま曰く、景虎どのは関東の秩序と義を再興するために戦われていると聞き、事実、関東の民に越後の兵糧を与えるさまを見ました。そして今、景虎どののお顔を拝見いたし、確信いたしました。あなたの義を、純粋さを、信じまする」

「お身体の具合はいかがです、長野どの。ご無理をなさらぬよう」

「景虎どのこそ。それがしの命を、そなたの義戦のために使い切っていただきたい」

 長野業正と景虎とは、顔を合わせるや否や、意気投合していたと言っていい。

 これで、西上野の脅威は去り、上野のほぼ全域が景虎方に靡いた。

 武田晴信による西上野からの牽制策は、破綻したのだ。

 上野を代表する猛将・長野業正が上杉憲政と長尾景虎のもとに合流したことから、北条と景虎の間で揺れていた関東諸将はいっせいに景虎方へとはしった。

「ワシが『坂東太郎』じゃ~っ! 関東武士には意地がある! 西国からやってきた北条づれには決して屈服せぬ! 景虎どの、わが武勇をとくとご覧あれ!」

 常陸の佐竹義重。常在戦場。常に甲冑を着込み面当てをつけて、地べたに転がって寝ているという一種の奇人で、合戦が飯よりも好きという名うての猛将。佐竹家の家督は父・義昭が握っているが、合戦は常に率先して義重がこなす。病弱な父親には似ても似つかぬ豪傑である。ちなみに、親父臭い口調だが、実は十代の少年である。頬当てを外すと力が出ないらしい。

「吾輩たち武蔵の面々も、景虎さんよう、あんたに乗ったぜえ! 嫌々ながら北条に従っていたが、吾輩らしくもねえ! やめたやめた! 犬わんわんの餌をくれるってんならよう、北条との決戦、やってやるぜえ!」

 武蔵・岩付城主の太田資正。武蔵の諸将は、武蔵の南の要地・江戸城と北の要地・河越城を押さえた北条に屈服させられて渋々従属していたが、太田資正を皮切りに、忍城おしじょう主の成田長泰らがいっせいに景虎方へと寝返っていた。

「犬わんわん、とは?」

 太田資正は、北条が操る風魔衆の策略戦に対抗するべく、忍びを用いようとした。しかし「武辺」にこだわる関東武士には、「卑劣」な忍びを扱う風習がなく、実力のある忍びを雇えなかった。時折伊賀、甲賀から東国へ腕利きの忍びが流れてきても、北条、武田が雇ってしまうのである。ついに、犬を用いた。犬の嗅覚ならば、風魔の裏をかける、と気づいたのだ。逆に言えば太田資正はそこまで追い詰められていたということだ。

「岩付城はよう、犬わんわんの太田王国と呼ばれていらあ! 人間よりも食い扶持ぶちがかかるんだぜえ!」

「……わかった。犬にも兵糧を与えよう」

 さらに――。

 常陸の小田氏治うじはる。「やってやるぜえ! 北条をボコボコにしてやんよう!」と叫びながら威勢よくはせ参じたが、その身体は北条との戦でボロボロだった。闘志だけは高いが戦えばすなわち負けるので、一年中怪我をしているらしい。

 武蔵の松山城主・上田朝直ともなおからも、「今はわが城に北条軍が入っているが、上田家は景虎どのにお味方したい」との密書が届いていた。

 下野からは宇都宮広綱ひろつな小山秀綱ひでつな那須資胤すkたね

 そして、関東制覇を目指す北条にとって最大の仇敵、上総安房かずさあわ里見義堯よしたか里見義弘よしひろ親子。

 景虎の神がかりの武勇と、越後の兵糧米とが、関東のあらゆる人間を景虎のもとへと集結させることになったらしい。

 景虎と上杉憲政を囲んで、関東諸将が次々と名乗りをあげている中――。

 大変なことになったな、と宇佐美はため息をついていた。

「おいおい。直江。まずいぜ。景虎のもとに来れば飯が食えると思っていやがる。このままじゃあ、関東遠征軍は十万を超えるぞ! こいつら全員を食わせ続けるなんぞ、とても無理だ!」

「三万ほど集まればそれでよかったのですが。十万のうち、戦意がある兵は三万程度でしょう。七万は、食糧目当ての烏合うごうの衆です。長期戦は困難となりましょう……それに、関東の飢饉はまだ続いております。兵糧の現地調達も難しいですよ」

 お嬢さまが惜しげもなく関東に兵糧を配りはじめたことも計算外でしたが、あまりにも唐沢山城で「強さ」を見せすぎました、と直江大和は眉をひそめていた。

「関東の窮民に兵糧を与えて慈悲を示し、失脚していた関東管領を押し頂いて関東に義を示す。お嬢さまは、わたくしと宇佐美さまの理想を、志を、こうして見事に実現してくださいました。ですが……」

「いくらなんでも、頼りにされすぎだ! 川中島も越中もまだ片付いていないんだぜ。景虎がこのまま関東に留まれるのならばともかく、いずれ越後へ戻らねばならねえ。こいつらすべてを救うことなど、人間の少女にすぎない景虎には無理だ。兵糧には限りがあり、景虎の体力にも限界がある。唯一の可能性があるとすれば、北条氏康との主力決戦。それしかない」

 長尾政景もまた、宇佐美と直江に「連合軍を結成するならば、味方は厳選せねばならんのだ。景虎は誰もかもを拾い上げようとする。どいつもこいつも味噌みそくそも一緒だ。これでは兵を集めすぎだ。あいつは加減を知らん。いつぞやの求婚騒ぎの時と同じではないか」と危機感を吐露していた。

「俺は景虎が関東の王になることには依存はない。むしろこのまま景虎が上杉憲政とともに関東に居着いてくれれば、主不在となる越後は自動的に俺のものになるから、ありがたい。景虎に関東遠征を勧めてきたのも、そういう打算があったからこそよ。だがな、武田晴信は必ずよたび川中島に出てくる。山本勘助が普請している海津城が完成してしまえば、もはや川中島から武田軍を駆逐することは不可能となるぞ。川中島での武田晴信との堂々巡りの戦いに決着をつけずして、関東管領の復興も足利幕府の復興も、ただの夢物語に終わる――あの娘は、自分にすがるあらゆる男の祈りと願いを聞き遂げねばならないと思い込んでいるのよ。さっさと身を固めさせて人間の世界に引きずり落とさずに、貴様ら二人が景虎を過保護すぎるほどに守ってきた結果は、まもなく出る。むろん、『悲劇』としてな」

 政景の皮肉に対して、宇佐美も直江も、反論することができなかった。


 景虎、上野厩橋城で越年。

 しかも雪の三国峠より、越軍の補給部隊が来たる。

 ついに、長尾業正が景虎のもとに合流し、雪崩を打ったように関東諸将のことごとくが景虎方へと奔った。

 武蔵岩付城の太田資正が景虎方に奔ったことは、北条にとっては一大事なのである。岩付城は武蔵のほぼ中心部に位置し、岩付城に景虎が兵を進めれば武蔵を貫く主要な街道筋を押さえることができる。つまり――武蔵の大部分はもはや景虎の掌中に落ちたも同然であり、景虎は相模・小田原城までまっしぐらに突き進むことができるのだ。

 しかも、下野の諸将も、「反北条」の中心人物たる常陸の佐竹義重と南総の里見家も、みな景虎に加勢した。

 北関東から武蔵、南総にかけての広大な地域を、唐沢山城のただ一戦で景虎は傘下に入れてしまったことになる。

 関東遠征開始時には八千しかいなかったその軍勢は、すでに十万を超えたという。

 対する北条は国人衆に次々と離反され、動員兵力が激減していた。つまり、戦力差は逆転している。

 さらに。

 松山城主・上田朝直に異心あり。

 風魔忍びからこの情報を掴んだ北条氏康は、即座に松山城からの撤退を決めていた。上田を暗殺して松山城であくまでも粘るという道もあったが、そのようなことをすればひとたび景虎についた関東諸将はもう戻ってこない。

 だが、氏康にも光明はあった。景虎が調達した越後の兵糧がどれほど膨大であろうとも、このような野放図な分配を続けていればいずれ尽きる。そして、武田晴信の言葉が確かならば、長きにわたる川中島での合戦に決着をつける武田の最終拠点・海津城がまもなく完成するはずだ。

「松山城は放棄するわ。もはや景虎の攻勢を『面』で守ることは不可能。『点』での各個防衛に戦略を変更。武蔵の最終拠点・河越城と江戸城、関東管領の居城たる下総の古河城、鎌倉防衛の拠点・玉縄たまなわ城、そして北条家の本城である相模・小田原城を中心に、分散して籠城。兵糧は不足しているけれども、耐え抜くのよ。景虎は愚かにも兵糧を十万の関東遠征軍の将兵に配り続けている。耐えていれば必ず兵糧は尽きる。絶対に景虎と戦ってはならないわ。ひたすらに城門を閉じて餓えを凌ぎ、時間が尽きるのを待つのよ」

 北条氏康の知謀は、この「北条家滅亡」の危機に面して、最大限に発揮されている。広大な関東平野に景虎を引き込む一種の「焦土戦術」を氏康は採用していた。そもそも、すでに関東平野は飢饉状態である。実際に焦土戦術を行わなくても、はじめから関東には兵糧がないのだ。しかも、巨大なひとつの「公界」を形成している小田原城の城内には、小田原の領民たちを彼らが育てている作物とともにことごとく収容することができる。

 厩橋城から小田原城までの距離は、果てしなく長い。

 景虎は小田原城に氏康が隠れれば、短期決戦を目指して小田原城まで追いかけてくるはずだ。その行軍途中で必ずほころびが出る。風魔衆を駆使して、破綻させてみせる。

 景虎のもとに集結した「関東遠征軍」が三万ほどであれば、氏康は決戦を主張する綱成の意見を採用しなければならなかっただろう。だが、景虎のもとに集まった兵は十万である。寄り合い所帯とはいえ、河越夜戦の折りに上杉憲政が率いていた大軍とはまったく違う。仮に七万が傍観しても、景虎率いる三万が野戦で戦えば、全軍をあげて挑む北条軍など容易く打ち破れるだろう。北条の兵は、相次ぐ国人の離反によって大幅に減っているのだ。しかも、みな景虎を「まことの毘沙門天」と恐れており、士気は下がりきっている。

「姉上。景虎は年を越えても越後に戻りませんでした。この上まだ、時間切れを待つのですか。蓄えも少ないままに籠城を続ければ、士気はさらに下がります。北条軍が誇る五色備ごしきぞなえのすべてを投入して、乾坤一擲けんこんいってきの勝負に出るべきです」

 主戦派の綱成は氏康の消極的すぎる「焦土戦術」に異を唱えたが、氏康は「あなたが討ち死にするとわかっていて、そんな命令は下せないわ」と首を縦に振らなかった。

「つな。長尾景虎は強い。途方もなく強い。戦の天才としか言いようがない。でも――あの女には、惜しいことに『時間』という概念がない。あるいは、乏しい。まるで地上を這い回るわたしたち人間とは時間の感覚が違うかのように。景虎に勝てなくてもいい。城に籠もって、隠れ続けていてもいい。わたしたちは、毘沙門天を名乗るあの軍神に対して、『時間』を武器として戦うのよ」

「ですが。景虎をここで倒さねば、おそらく武田晴信が、因縁の川中島で景虎を相手に一大決戦をするでしょう。臆病にも逃げ続けて時間切れを待つ戦法を採った北条は、生き延びても、武田の下風に立たされます。後世の歴史家たちは、こぞってそのように書き記すでしょう。武田晴信と長尾景虎は、戦国の英傑であったと。しかし北条氏康は、小田原城に籠もり卑劣にも景虎と決して戦おうとしなかった、と……」

「……構わないわ。北条家の悲願、関東平定。関東に、畿内の情勢に左右されない恒久的な独立王国を築くというお爺さまの宿願。わたしの代で『実現』しなければ、北条家三代の戦いが払った犠牲は無駄だったことになってしまう。だから……これで、いいのよ」

 綱成は「姉上」と氏康の白い手を握りしめ、唇を噛みながら耐えた。

 氏康率いる北条軍本隊は松山城を逃げるように捨てると、小田原城を目指して撤退に次ぐ撤退を重ねた。しかしその道中には、景虎方へと寝返った国人衆の拠点が無数に点在している。敵中の逃避行だった。

 多摩川を渡り武蔵を抜けて相模へ到達した時には、氏康を守る兵士の数は半減していた。

 小田原城で餓えながら籠城しなければならないという絶望的な焦土戦術。半数の兵士たちが討ち死にとそして餓死を恐れて、逃散したのである。しかも彼らには、景虎のもとへ行けば食える、という逃げ道があった。義将・景虎は、降伏した兵を決して殺さない。すでに、関東全土にこの事実は伝わっていた。これもまた、景虎のもとに関東諸将が集まり続けている一因であった。

 氏康が小田原城に到達した時には、もはや戦う気力を残している兵はほとんどいなかった。

 誰もが、空腹に苦しみ、敗走に疲れ果て、そして「毘沙門天」長尾景虎の影に怯えきっていた。

 小田原城に領民が次々と駆けこむ中、厩橋城から十万の大軍を率いて景虎が出陣したという報が飛び交った。目指すは関東公方の居城たるべき古河城と、そして北条家の本城・小田原城だという。

 しかもすでに古河城は、戦いらしい戦いもないままに、あっけなく落ちたという。

 北条の傀儡ではない新たな関東公方さまをお迎えし、関東管領・上杉憲政さまとともに古河城で「関東府」を再興していただく、と景虎は宣言したという。関東諸将の城も領土も、越軍は奪わない。かつての関東公方体制のかたちに――わが父・為景が破壊してしまった「本来あるべき関東の秩序」を復興すると景虎は宣言し、その言葉のすべてが「本気」であることを景虎とともに進軍する佐竹義重、長野業正ら関東諸将もまた信じて疑わないのだという。

 まもなく、下克上の戦国時代を日ノ本にもたらした北条家は三代目――氏康の代で滅亡する、と関東の誰もが震撼した。

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