第5話 そして時は動き出す

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「――――ッ!」

 俺は布団から飛び起きた。

 全身が冷たい脂汗でびっしょり濡れている。

 周囲を見回す。鬼塚家の二階の俺の部屋だ。

 目覚ましの時刻は――午後五時三十二分。

 念のため携帯で日付を確認。五月六日だと分かってようやく息を吐き、再び仰向けになる。

 二度目のタイムリープは成功した。成功はしたが……間一髪だった。やれやれだ。

 冷たくなった雷花の身体の感触がまだ両腕に残っている。怖気おじけと吐き気がこみ上げてくる。深呼吸を繰り返し、動悸どうきが収まるのに数分を要した。

 さて……まず必要なのは情報の整理だ。

 なにしろ、とにかく、ショッキングなことが多すぎた。そして分からないことが多すぎる。

 しかし、不可思議で不可解な事態に遭遇しても、俺はあえてその背後の事情を探ろうとはしなかった。むしろ「まーそんなこともあるかー」てなノリで流した。

 それは何故か?

 號天ごうてんめられるわけにはいかなかったからだ。

 まず押さえるべき事柄は二つだ。

 大門高校にはとてつもない秘密がある。

 そしておそらく、毒島號天は、その秘密を探るためにやってきた人間なのだ。

 俺にKファイトを挑んできたのも、大門高校に潜り込むための口実だったと考えて間違いない。ことによると俺に敗北するところまで予定通りの行動だったのかも……いや、間違いなくそうだ。俺とのKファイトは二度とも接待プレイだったと考えていいだろう。

 背後にどんな勢力があるのかは知らないが、あの能力はスパイにもってこいだ。だから当然、奴はおおよその事情を知っている。俺の疑問のほとんどには答えることができたはずだ。

 だが、俺は五月九日の大門高校に踏み込んでからは、あえてほとんど何も質問しなかった。

 その気になれば百万通りのツッコミができる状況にもかかわらず、だ。

 何も考えずにリアクションしていたら、俺の台詞は「何でやねん!」とか「何やこれ?」とか「どないなっとんねん!」とか「誰やお前!?」とか「どないせえっちゅうねん!」ばっかりになっていたところだ。

 だが、あえて総スルーした。

 そして「これくらいの事態は想定してましたが何か?」風なふてぶてしい態度で通した。超ロングバージョンのノリツッコミというか、ツッコミを我慢できなければ負け、みたいな。

 それもこれも、だ。

 あの場にいる人間はほぼ全員、程度の差こそあれ大門高校の秘密を承知していた。そんな中で俺だけが右も左も分からない残念な子だとバレたら立つ瀬がないだろ。

 要するにカッコつけたかったのである。

 すぐに正解を知りたがるゆとり世代とは違うのだ。

 求めれば無償で与えられる情報というのは、それを与える側にとって都合のいい情報でしかない。

 だからあの場では質問しなかった。訳知り顔で解説してくる奴がいたらそいつこそが疑わしい。

 そうしてカッコつける代わりに、俺は注意深く観察し、あそこで起きたことは細大漏らさず記憶に留めている。そうして持ち帰った情報は慎重に分析しなければならない。

 まずはすべての大本である大門高校の秘密についてだ。

 確定事項として、大門高校は〈魔法〉の力を秘匿している。

 號天が口にしただけで真偽のほどは定かじゃないが、ひとまず〈魔法〉ってことでいいだろう。

 マギーの言っていた『大門高校にしかない独自のVR技術』というワードが手掛かりになりそうだ。現実に存在しないモノをCGで描くのはもうお馴染みの技術だが、メガネなしでも見える立体画像で、しかも物理的なパワーを持った幻像となれば、それはもう〈魔法〉と呼んでも差し支えない代物といえる。その〈魔法の力〉は大門高校にしかないテクノロジーであって、あのムササビ部隊はそれを狙う敵対組織が送り込んだものだろう。

 大門高校の関係者で魔法との関わりが確認できたのは生徒会長・波羅木キララと役員四天王、そしてオリガミ部部長のオリガだ。

 いま気付いたがオリガミ部の部長の名前がオリガってかぶりすぎだろ。偶然とは思えん。親がオリガミ好きでオリガと名付けたのか? それを言えばキララの方がロシア人っぽくはないが。

 このキララとオリガの波羅木姉妹が生徒側の主要人物だな。生徒会が大門高校防衛の任務を帯びているというのは分かる。オリガは文化部の部長にすぎないが……いや待て、ムササビ部隊を迎撃したモンスター軍団の中にはカードゲーム部のグリフォンとベヒモスがいたよな。姿を見せていないだけで参加していたのかもしれない。

 もしかしてだが……大門高校の部活は、すべてなのか?

 俺たち〈神威の拳〉の使い手が入部を拒否されるのは、それが理由か?

 オリガの作ったオリガミ・モンスターは氷のアゲハの前では弱体化した。強力な神気によって魔法の力がかき乱されたという感じだ。

 原理はともかく威と法が相反する、というのはに落ちる話ではある。字面的に。

 カメコから見ては大門高校はいつもと変わらず存在していたが、〈神威の拳〉の使い手である俺や號天にはそうは見えなかった。魔法による目くらましが通じなかったとすれば、あの日大門高校は俺たちの見たままに地球上から消失し、丸ごと異空間に転移していたのだ。

 校舎の時間が静止状態にされていたのは、生徒たちを保護するとともに隠蔽工作でもあるのだろう。つまり生徒全員が大門高校の秘密を知っているわけじゃないってことだ。むしろそうであって欲しい。カメコに「え? 魔法ッスか? 実は知ってました~! フヒヒ……サーセン」とか言われたら泣いちゃうぞ、俺。

 秘密が守られるためにはそれを知る人間は少なければ少ないほどいい。各部活の部長クラスの生徒だけが魔法について知らされていると考えるべきか。そういやマギーのやつも部長のはずだが会えずじまいか。肝心な時に役に立たねえな。

 ああ、そうだ。大事なことを忘れてたぜ。

 紫門校長だ。號天に伝言を残して俺たちが大門高校に入れるようにヒントを与えた校長が無関係なはずがない。生徒会の上にボスとして校長がいたとしても何らおかしくはないしな。

 そうなるとカメコを召喚するチケットを発行したのも校長か? 他の誰かだとしても、校長がそれを利用して俺たちを招き入れたことは間違いない。

 次は大門高校の秘密を狙う敵対組織だが……これについてはさっぱり見当もつかん。どこの国だろうとどんな組織だろうと、魔法の力の存在を知れば喉から手が出るほど欲しがるだろうからな。

 問題はムササビ部隊の切り札としてVTOLに積まれていたあのひつぎだ。

 棺の中身……氷のアゲハの――闇神威の使い手の――人為的アートマンの――星空の瞳の――って、本名も知らないのに二つ名だけは多すぎるあの美少女はどこの誰で、どういう経緯であそこにいたのか。〈神威の拳〉の師匠は誰なのか。日本語は通じるのか。彼氏はいるのか。興味は尽きない。

 そして彼女を迎撃するためにレイハ様に召喚された大門高校の守護神〈K〉だ。

 校内のあちこちに張り出されていた〈Kファクト〉はを召喚するために必要なアイテムだったのか。今回の件で唯一解けた謎だが……代わりに新たな謎が爆裂増えたから伏線が回収されたようには思えんな。

 あのKは本物の親父なのか、それとも魔法によって再現された模造品にすぎないのか。

 雷花のリアクションからすると外見は限りなく本物に近いと考えていいだろう。確信が持てなかったのは、俺自身、親父とは十年以上会っていないからだ。

 身体は〈Kファクト〉で作られた器に過ぎず、親父の意識というか生き霊を降ろして……いや、やっぱり無理があるか。

 こいつばかりはキララに問い質すしかなさそうだ。もしくは親父本人に。

 最後はもちろん――烈雷花だ。

 マギー曰く人類の未来を左右するキーパーソンであり最重要人物らしいが、うっかり死ぬとは何事だ? それも俺をかばって死ぬとか勘弁してくれ。これじゃあアベコベだろ。

 そのせいで真相を探ることもできずにタイムリープするしかなくなったんだからな。

 まあ……俺にも落ち度がなかったとは言わない。鬼塚家で大人しく待っている約束を破って大門高校に行ったのは俺が悪い。だが、それもこれもあいつが前回、問答無用でトランクスを殺害しようとしたからだぞ。

 考えてみりゃ、二度とも雷花が直接の原因で、結果的に後先考える暇もなく大慌てでタイムリープする羽目になったわけだ。そういう運命なのか? 

縁起でもない。

 マギーは、雷花の方が正しい判断を下していると言ってたよな。

 ところが俺は雷花を信じてはいなかったし、雷花は雷花で俺のことを信頼してくれているとは言いがたい。

 そう……俺たちは互いに相手のことは思いってはいても、信用も信頼もしていないのだ。

 十二年も離れて暮らしていたのに、たかが一日二日で姉弟のきずなで結ばれるわけがない。一方的にれている俺でさえ、雷花の突拍子のない行動を警戒してるくらいだからな。

 そもそもあいつは日本に何をしに来たんだ――と考えかけて、俺はすでに答えが出ていることに気付いた。

 烈雷花が来日した目的?

 そんなもの、大門高校の秘密を探るために決まっている!

 当然、おおよその事情は把握した上で覚悟して来ているのだ。下手すると號天よりも詳しい情報を持っているかもしれん。

 入学して一カ月もの間、何も気付かずのほほ~んとアホ面さらして通っていた俺とは立場が違う。

 学校の敷地内で神気が可視化される現象も、今思えば魔法の力との干渉の

せいだと分かるが、俺なんて「不思議だな~でもそんなこともあるのかな~」くらいにしか思っていなかったからな。むしろ呼吸法の鍛錬に好都合だと思ってたくらいだし。迂闊うかつすぎるぞ、俺!

 しかし転入してくるなら俺の入学と同時にすればいいのに、何故一カ月もずらしたのか?

 準備が間に合わなかったのか、入学した俺がどうなるか様子を見ていたのか……あるいは、近々大門高校に何かが起きることを察知して急遽来日したとか? 可能性としてはそれだな。ムササビ部隊の襲撃計画をキャッチして送り込まれてきたってところか。

 じゃあ桃雷花と黒雷花のキャラ差は何だ?

 ギャルと優等生じゃ正反対だが……大門高校に潜入するにあたってふた通りのプランがあったとすれば? ギャルなら俺と同じく何も知らんアホだと思わせられるし、優等生なら生徒会に接触しても不自然じゃない。アプローチとしては優等生が正攻法ならギャルはからめ手か。うむ、これなら辻褄つじつまが合うな。我ながら名推理だ。

 もともと優等生キャラなのに任務のため無理してピンク頭のブチ切れギャルを装ってるとか……何だその羞恥プレイ。逆にもともとギャルなのに優等生の仮面を被っているとしたら? シュレディンガーの姉はどっちに転んでも萌えるしかない。

 現状把握としてはこんなところでいいか。

 これでおおよそ網羅できたはずだが……抜けはないよな?

 あまりに複雑怪奇すぎてワケワカランと思ったが、こうして整理してみると構図そのものは案外単純――じゃねえよ! 謎と驚異がすし詰めになっとるやないか!

 とにかく、大門高校の秘密を巡って、生徒たちでさえ気付かぬ間に水面下で激しい闘争が繰り広げられているってことだな。

 そしてどうやら俺ひとりだけが蚊帳の外に置かれているらしい。

 まったく業腹だが、これが事実だ。

「……さて、と」

 俺は布団から起き上がった。汗は引いているが、はらは熱い。

 部屋を出て、階段を降りる。

 洗面所に向かう途中で台所を覗くと、美雪姉が夕飯の支度をしていた。

「みゆ姉、俺、ちょっと出掛けてくるから」

「あら、何の用?」

「少し運動を」

「そう。じゃあ軽くつまんでく?」

「うん」

 顔を洗って戻ってくると、白むすび四個がたくあんと一緒に皿に載ってい

た。有り難い。

 塩のきいた白むすびを頬張りながら、ふと思いついて訊いてみる。

「そういやさ……みゆ姉って高校ん時部活入ってた?」

「入ってたわよ~」

「文化系?」

「まあね。オリガミ部の初代部長だったのよ」

「なーる……」

 美雪姉がよく折り紙を作ってるのを思い出してもしやと思ったが、ビンゴか。例のカニの折り方が美雪姉と同じだったからだ。オリガミ部の伝統的な折り方なのか?

「今の部長がスッゲー美人だって知ってた?」

「ああ、オリガちゃんね~」

「会ったことあんの?」

「ちょっと気難しい子だけど優しくしてあげてね~」

「あっちは俺のこと嫌ってるみたいだけど」

「そんなことないわよ~」

 美雪姉は悪戯っぽく微笑む。

「クロちゃんのこと嫌いになれる女の子なんていないんだから~」

 これは美雪姉の殺し文句だ。身内贔屓びいきだとは百も承知だが、これを言われると俺はつい真に受けていい気分になってしまう。美人だろうとブスだろうと好かれて困ることはないからな。

 しかしマジかよ。あのオリガがデレる展開は想像できないが。

 オリガには初見のイメージで『氷雪の女王』って二つ名をあてがったが、その後本物の氷雪系の凄いのが来たからこの呼び名は改めないとな。氷雪というと白や透明で澄んだイメージだがオリガからは漆黒の意思を感じたから『黒の女王』、セットでキララを『白の女王』にすればいいか。

 白むすびを平らげて熱いお茶を一杯いただくと、俺は道場へ向かった。

 庭を通って道場の裏手に出ると、外の水道で顔を洗っている白袴しろばかま姿の少

女がいた。仙石爽せんごくあやかは俺を見るなり声を掛けてくる。

「あら、いたんですね。道場に顔を出さないから、てっきり……」

「黙れ魔法少女」

 爽は鳩が豆鉄砲食らったような顔で固まった。

「だっだっだっ……誰がまほ」

 俺は左手の人差し指を爽の口に縦にピタリと押し当てた。唇は水道水で濡れている。

「そこは『なぬっ!?』で返すとこだろうが。だからお前はニワカなんだ」

「むむむ~……」

「お前がプライベートで何をしてようと俺の知ったことじゃないが、ガタガタぬかすと師範代にバラすぞ。お前に構ってる暇はない」

 目を白黒させている爽に顔を近付けて小声でそう告げると、俺は道場に足を踏み入れた。

「――そもさん!」

 俺が問いかける。

「――説破!」

 奥に座している師範代が応じる。

 道場に上がり、師範代と相対して正座する。ついさっきまで爽に稽古をつけていたようだが師範代は汗もかいていない。

「やっと稽古する気になったか」

「いえ、今日は師範代に伺いたいことがありまして」

「それでか……で、何だ?」

「単刀直入に伺います。師範代、俺に何かとんでもなく重大な秘密を隠してはいませんか?」

「む――」

 師範代は明らかに動揺した様子だったが、爽のように取り乱しはしなかった。

「秘密か……誰にでも秘密のひとつや二つはあるものだが」

「大門高校の件です」

「大門高校の……?」

「入学する俺に何も教えてくれませんでしたよね? 例えば〈Kファクト〉のこととか」

「ふむ――」

 師範代は腕組みして思案顔になった。しばしの黙考の後、顔を上げて、俺を鋭い目でにらむ。

「秘密か……そうだな。確かに、お前に知らせていない重大な秘密がある」

「ありがとうございました」

「なぬっ!?」

 深々と一礼した俺に、師範代のアレが出た。

「おい……真紅郎? 話はこれからなんだが」

「俺はを知りたかっただけですから、もう十分です」

 師範代は困惑して首をひねった。

「……えーと、つまり?」

「秘密の中身まで教えてくれとは言ってませんよ。俺に教えなかったということは、今はまだ知らせるべき時期じゃないってことですよね? だったらぶっちゃけられても困ります」

「いや、まあ……それは確かにそうなんだが……いいのか、それで?」

「いいんです」

 真相を知らされたところで現在の俺の実力ではとてもじゃないが手に余る。木の棒でその辺にいるスライムをつついてるような段階でいきなり魔王を倒せとか言われても無理だからな。もっとレベルアップしてからだ。

「そうか……しかし真紅郎よ、いよいよその時が来たのかといったん決めた私の覚悟をどうしてくれる!?」

「そんなのとしか。どうしても話したいのなら聞いてあげてもいいですけど」

「いつの間にか立場が逆に?」

「あとですね、重大な秘密を明かす時というのは、こんな風に膝つき合わせて落ち着いてってのはちょっと違うんじゃないですか? もっとこう切羽詰まった劇的な状況でお願いしたいんですが」

「敵味方入り乱れた大立ち回りの最中にか?」

「それこそ俺と師範代が敵味方に分かれて斬り結びながらとか」

「それは燃えるな。私の話を聞いたお前が己の犯した過ちに気付いて膝を折るんだ」

「何で俺が悪ちしてる前提なんですか!?」

「案ずるな。介錯はしてやる」

「だから!」

 ひどい師範代もあったものだ。もちろんこの場ではジョークだが、実際そんな状況になったら必ずそうするだろう。

「答えづらい問いに答えてくれた礼に、俺もひとつ秘密を打ち明けますよ」

 空気が和んだのに気をよくして俺は口が軽くなった。

「今まで誰にも話してませんが、実は俺には夢があるんです」

「ほう、どんな?」

 師範代の顔からぬぐったように笑みが消えた。

「なん……だと?」

「だから、俺が思うところの最高にいい女だけを集めてハーレムを作るんですよ」

「捨ててしまえ、そんな夢は!」

「いいじゃないですか」

「よくあるか!」

「師範代、落ち着いてください」

 どうしてそんなに鼻息を荒げるのか意味が分からない。

「男の子なら誰でも抱くような素朴な夢ですから。女の子が将来の夢は何って訊かれて『お嫁さんになる』っていうのと同じ程度にありふれたやつです

よ?」

「どうしてハーレムである必要がある?」

「俺、嫌いな女子っていないんですよね。美人でもブスでもだいたい可愛いって思っちゃうんで」

「好き嫌いがないのは悪いことではないが、そこはひとりに絞らないと」

「無理ですよ。女の子と出会った瞬間に運命を感じて『あ、俺この子と結婚する』って思うことがわりと頻繁にありますから」

「頻繁にだと……お前はもっと硬派なタイプだと思ってたが……しかしハーレムはないな。だいたい日本の法律では――」

「少年の夢にリアリティを持ち込まないでもらえますか? そういう無粋な真似は教育者としてどうかと思いますが」

「高校生になったんだろ!? 少しは自覚を持て!」

「虎鉄だって似たような夢は持ってますよ」

「お前と一緒にするな!」

 ちなみに虎鉄というのは師範代の長男で俺にとっては弟分だ。虎鉄は仙石に憧れているようだが全然相手にされていないという残念な情報はわざわざ師範代の耳に入れるまでもないか。

「ハーレムといっても誰でもってわけじゃないですよ。ひとまず候補を七人に絞ろうかと」

「まだ続けるつもりか、その与太話を。どこから七人という数が……待て、分かったぞ。曜日毎に日替わりだな?」

「まあそうです。あと『鹿鼎記ろくていき 』でも主人公が七人のヒロインを全員嫁にしてましたから」

「主人公がゲスすぎて金庸きんようファンの間でも賛否両論の問題作を人生の手本にするんじゃない!」

「俺を誰だと思ってるんです? 南雲真紅郎ですよ? いずれ何だかんだで地球を救うほどの男なんだから、嫁が七人いたっていいじゃないですか」

「おまっ……」

「あと、その七人の候補の中には師範代も入ってますからね」

 師範代がスッと立ち上がり、納戸に向かうと、白鞘の刀を携えて戻ってきた。俺の前に片膝立ちになり、居合いの姿勢を取る。

「真紅郎……話の次第によっては、お前を斬る」

 俺のけい動脈のあたりに涼しい風が当たっている。師範代は真剣そのものだ。持ち出してきた刀も模造刀ではない。

「私はお前の師匠の妻だぞ? 飛天流では同門の大先輩だ。それを捕まえてハーレム入りの嫁候補に加えるとはどういう了見だ?」

「言ったじゃないですか。最高の女だけを集めてハーレムを作るって。いい女のランキングを作るなら上位七人に師範代が入るのは当然でしょう?」

「お前な……親子ほど歳が離れているんだぞ?」

「親子ってほどですか? みゆ姉より年上ってだけで。全然若いし美人だし背が高くてスタイルよくて性格もいいし何より強いし、料理の腕以外におよそ欠点がないじゃないですか。トップ3から落ちる理由がない」

「むう」

 早くも頬が緩みかけている。チョロいなー。

「あと、師匠の嫁なのにって言いますが、それこそ逆ですよ」

「何が逆だ?」

「師範代がランクインしていないと師匠から絶対クレームが入るじゃないですか。『エエ女ランキングになんでワシの嫁が入ってへんねん!』と」

「それは……」

 可能性の話だが十分あり得るどころか間違いなくそうなると師範代も気付いたようだ。

「それに、師匠には惚気のろけ話をさんざん聞かされてきましたからね。師範代のどういうところが可愛いとか、百万回は聞いてますよ。あの人、師範代のことが好き過ぎるんだから。どこがどう好きかエピソードを交えて具体的に言いましょうか?」

「いや……いい」

 師範代の殺気は急激に萎えた。師匠の話を出されると弱いが逆も然りだ。この夫婦は付き合いたてかってくらい仲がいい。

「誤解のないように言っておきますけど、ランキングは見た目とか年齢で決めてるわけじゃないんで。例えば仙石なんてランク外だし」

「何故だ? 可愛さでは爽が一番だろ」

「あんなのはバッタモンもいいとこですよ!」

「バッタ……」

「師範代のフォロワーってだけで足元にも及ばない劣化コピーじゃないですか。目の前に本物がいるのにまがい物なんて評価に値しない。師範代と比べたら仙石なんて月とスッポン、提灯ちようちんに釣鐘ですよ。そもそも骨の太さが違う! 筋肉が違う! 眼力と殺気が違う!」

「わ……分かった。もういい」

 師範代は居合刀を背後に置いて正座し直した。

「お前の言ういい女の基準がだんだん分からなくなってきたが……しかし女子に好き嫌いがないと言っておきながら仙石爽に対してはえらく辛辣だな」

「師範代への好きさ加減では仙石に負けませんから」

「だからそれはもういいと言っている!」

 師範代は紅潮した頬を手で隠した。褒められるとすぐ照れるところが可愛いんだよな。

「ちなみにですが……」

「まだあるのか」

「暫定第二位はみゆ姉です」

「なぬっ!?」

 師範代が再び居合刀を引っつかんで腰を浮かせる。

「腹違いとはいえ実の姉だぞ!? しかも人妻だ。お前……まさか人妻好みか!?」

「違いますよ。だってほら、ランキングに自分が入ってないと知ったらみゆ姉、ねるに決まってるじゃないですか」

「なっ、そうか……拗ねる、か……」

「みゆ姉に拗ねられると面倒臭いじゃないですか」

「そう……だな。確かに」

「だから二位です」

「よし、許可する」

 何の権限でかはよく分からないが許された。

 ちょうどいいタイミングで俺の携帯が鳴った。呼び出しに応じる。相手はカメコだ。

『ふぇぇぇん……捕まったッス~』

「ホイきた」

 電話を切って立ち上がる。

「そういうわけで師範代、俺はこれから暫定一位の女をきます」

「その言い方はよせ。品がない」

 関西弁に引っかかった師範代だが、すぐに言葉の意味を理解した。

「暫定一位だと? どういう女だ?」

「自己中だし凶暴だし人の言うことには全然耳貸さねーし、一緒にいて心が安まる暇もない、もしかすると相性最悪かもしれないじゃじゃ馬なんですが……スッゲーいい女なんです。だから一発いてこまして俺のことを認めさせてやらないと」

 師範代は軽く溜息を吐いた。

「正直そんな女はやめておけと言いたいところだが……お前の好みなら仕方がないな。やるなら徹底的にやり込めてやれ」

「師匠に倣って?」

「うるさい、さっさと行け!」

 師範代が白鞘の柄に手を掛ける。俺は転がるようにして道場を飛び出した。

           


 それからおよそ十分後。

 例の建設中のマンションの七階で――

 エメラルドブルーの繻子サテンに蝶と龍の刺繍ししゆうがあしらわれたチャイナドレスに身を包み、近寄りがたいほど高貴なオーラをまとった麗人然とした艶姿の烈雷花が、俺の目の前に現れた。

 それだけで俺はもう、目頭が熱くなってしまった。

 ほんの小一時間前に俺の腕の中で氷のように冷たくなっていた女が、生気あふれる姿で蘇り二本の足で立っている。嬉しすぎて鳥肌が立ちっぱなしだ。体内に溜まっていた疲労物質が丸ごと甘露に転換した気分。どうやら俺は自覚しているよりもずっと本気で雷花のことが好きらしい。

 やったぜ。タイムリープ万歳だ。

 すぐさま駆け寄って抱き締めたかったが、そうはいかないと気付いて愕然がくぜんとなる。俺にとっては三度目でも、雷花にとって南雲真紅郎と直接会うのはこれが初めてなのだ。

 シット! これだからタイムリープってやつは!

『モゴ~~~~~~~ッ』

 不意に、右手の方から、くぐもったうなり声が聞こえてきた。

 俺の意識を現実に引き戻したのは、ダクトテープで手足を縛られ、口を塞がれた状態で床に転がされているカメコだった。カメコの丸見えのパンツには鎮静効果があるらしい。激情に駆られそうだったのに一瞬にしてクールダウンできた。

「ようカメコ、無事で何よりだが……これから俺はそこの御令嬢と交渉しなきゃならん。ちょいと派手にやるからな。うっかり巻き込まれて死なないように隅っこで大人しくしてろ」

『モガ~~~~~~ッ!?』

 カメコを〈虹渡らせ〉でフロアの隅に強制移動させる。

「今のは……何をしたの?」

 雷花が俺の技を見咎みとがめて口を開く。

「それがあんたの得意技ってわけ?」

「すぐに分かるさ。これから食らわせるからな」

 俺は全身から〈龍虹ロンホン〉を放った。

 虹色の波紋がフロアを、壁を、天井を伝わり広がる。

 神気によるスキャンにより、このフロアの見取り図が俺の脳内に出来上がる。

 雷花もこれ以上の問答は無用と悟って戦闘態勢に入った。

 ピンク色の旋風が雷花を中心に渦を巻き、次第に圧力を高めていく。

 深いスリットの入ったスカートの裾が風にあおられる。

 まったく奇妙な成り行きだ。前回、俺は雷花を口説くためにここへやってきた。今回も目的は同じだが、今やその覚悟の中身はまるで違っている。甘ったるい気分で闘える相手じゃないと知っているからだ。

 雷花は親父とお袋からガチの戦闘訓練を受けている。俺のは古流剣術とケンカ殺法だ。同じ土俵で勝負ができるとは思うな。同じ〈神威の拳〉の使い手として力を示す――それだけだ。

 雷花の手の中に奇術のように飛剣が現れる。打たれる前に仕掛ける!

 俺は二重の星形を描くように両手を振るった。複雑に交差する虹のレールが何本も、床から壁を伝い天井まで描かれる。

 烈風を纏った飛剣が打たれる。しかし飛剣が貫いたのは俺の残像だ。

 俺は雷花の右斜め後ろに瞬間移動していた。即座に雷花の足刀蹴りが飛んでくる。

 しかしそれも空を切った。俺はすでに雷花の死角に移動している。

 雷花は身体を沈めて足払いを仕掛けてきた。俺は虹のレールに乗り再び瞬間移動する。

 俺は雷花の徒手の間合いの内側へ踏み込んで攻撃を誘っては即離脱を繰り返し、二周してから元の位置へ戻った。一筆書きであらかじめ虹のレールを

そのように敷いておいたのだ。師範代との対戦でレールが一本だと簡単に移動先を見切られることは分かっていた。だが東京の地下鉄路線図並に複雑な軌道を描けば予測は難しくなる。ぶっつけだが成功したようだ。

 雷花は拳法の套路とうろ を一式やり終えたように汗ばんでいた。眉を吊り上げて俺を睨む。

「どういうつもり? 人をおちょくってんの? 逃げ回るだけじゃ勝てないわよ」

「ただ逃げ回っていただけだと思うか? 俺の攻撃は

「――――!?」

 雷花は自分の身体の異変に気付いた。

 エメラルドブルーだったチャイナドレスが虹色に輝いている。

 それは、俺が至近距離から放った〈龍虹〉だ。数十もの手形がドレスをすっかり染め変えたのだ。そして〈龍虹〉の手形とは、つまり――〈虹でドーン!〉だ。

 俺はパチンと指を弾いた。

 ドババババババババァン!!

 爆竹よりも盛大な破裂音が立て続けに鳴り響いた。

 ドレスにスタンプした〈龍虹〉を一斉に爆裂させたのだ。

 数十発の掌打しようだを四方八方から全身に打ち込まれたような衝撃に、雷花の身体はカンフー映画さながらにきりみを打ちながら派手に吹っ飛んだ。

 俺は〈虹渡り〉で先回りして雷花を背中から抱き止めた。飛剣を使えないように両腕ごとしっかり抱き締める。ドレスが破裂してほとんど裸になった雷花の身体の弾力を、体温を、髪の匂いを、生命の息吹を全身で受け止め、俺は天にも昇る気分だった。

「フフ~ン、俺の勝ちぃ~」

 頭突きを食らわされるよりも先にぴったりと頬を寄せ、耳元にささやく。

「というわけで、俺のお嫁さんになってもらうぜ」

「ファッ!?」

 俺の腕を振り解こうとしていた雷花は驚いて暴れるのをやめ、何を思ったかプ~ッと噴き出した。

「お、お嫁さんって……新娘シンニヤン!?」

 大笑いしながら、太股のキャットガーターに挟んでいたスマホを取って操作する。

 俺のズボンの尻に突っ込んでおいた携帯が鳴った。左手でそれを取り出し、応答ボタンを押して電話に出る。

「――雷花レイフア我愛你ウオアイニー

 告白を聞いた雷花は目をみはって俺を見た。

「シン……クロー……!?」

 俺は雷花の頬にキスして、携帯のカメラでツーショットを撮った。我に返った雷花は大慌てで飛び退き、顔を真っ赤にしてわめいた。

「シシシ、シンクロー、ああああんた、あた、あた、あた」

「スクラッチ?」

「違うわ! シンクロー、あんた、あたしが誰だか知ってる!?」

「姉貴だろ」

「だったら自分の姉に対して、その……」

「弟がお姉ちゃんのこと大好きだと何か問題あるのか?」

「弟が姉に対して『我愛你ウオアイニー』とか言わないのよ! それは日本語で」

「日本語で『愛してる』だろ。事実だから問題ない」

「普通に『あなたが好き』っていうのは『我喜歡你ウオシーホアンニー』って……」

「『俺と結婚してくれ』は?」

「結婚は……『嫁給我吧ジアゲイウオバ 』?」

「じゃあそれで」

「それでじゃない!」

「弟が姉に対してよく言うありふれた台詞だが」

「女の子が爸爸パパに言うならアリだけどそれはないわよ!」

「自分を負かした男と結婚するんだろ? だったら俺にもその権利がある」

「そんなことは言ってない!」

「確かに聞いたぜ。この耳でな」

「そんな腐れた耳は削ぎ落としてやる!」

 飛剣はドレスと一緒に吹っ飛んでいたので雷花は手刀で攻撃してきた。俺はその手首を取って関節を極め、再び抱き寄せる。

「十二年もほったらかしていた弟との再会だぞ? 濃厚なスキンシップでブランクを埋めさせろ! その胸で思う存分甘えさせろ! 俺を抱き締めろ!」

「くおの……スカプラチンキがぁ~ッ!」

 バチィ!

 雷花のお団子の髪が解けて逆立ち、強烈な電撃が俺の身体を貫いた。

 窓際まで弾き飛ばされた俺に、鬼の形相の雷花が肩をいからせながら近寄ってくる。怖い。

「えーと、あの……姐姐ジエジエ……?」

と――お呼び!」

 ドォン!

 目も眩む雷光を帯びたパンチを正面からまともに食らった俺は、窓ガラスをぶち破って虚空に投げ出された。


           3


 翌朝――五月七日(三回目)。

 ゴールデンウィーク明けでダルそうな生徒たちに混じって、俺は冴えない気分で登校していた。もちろん休みボケなんかじゃない。まったく別の理由による。

 マンションの七階からダイブしたから?

 それ自体は別にどうってことはない。ちゃんと空中で受け身を取ったからな。

 問題があるとすればその直後、俺に続いてカメコも窓から投げ捨てられた

ことか。

 そのせいで華麗に舞い戻って第二ラウンドと洒落込むつもりが、カメコをキャッチしてそのまま帰るしかなくなってしまったからな。

 カメコを質量爆弾にして俺もろとも殺害するつもりだったのか、あるいはダイナミック返却か。

 たぶん後者だと思うが、雷花を怒らせたのは間違いない。

 どうしてこうなってしまったのか。

 師範代には雷花をと宣言したが、それはプロポーズするという意味ではなかった。

 当初のプランでは、本気で闘って〈神威の拳〉の実力を見せつけ、そのうえで大門高校の件について協力を持ちかけるという流れだったはずだ。

 口説き文句だってちゃんと考えていた。

『大門高校の秘密については俺も承知しているし、お前が何しに来たのかも分かっている……だがな、いくら〈神威の拳〉が魔法に対抗できるといっても、事態はとてもじゃないが独りで手に負えるスケールじゃなくなってるんだ。お互い好き勝手に動いて足を引っ張り合ってちゃらちが明かない。でも逆に、俺たち姉弟が協力すれば――だ。そうだろ?』

 そんな感じで理路整然と説得する予定だったのだ。

 学園に隠された大いなる謎と陰謀に対して姉弟の絆で立ち向かうという美しくも熱い展開になっていたはずなのだ。

 どこでどうボタンを掛け違ったら、生き別れの姉に萌え狂う色ボケの弟という痛すぎるキャラを全力で演じる方向に転ぶのか。信頼を勝ち取るつもりがドン引きさせてどうする!? それが偽らざる真心からの行動だったとしてもだ。

 俺は深々と溜息を吐いた。

 角を曲がると大門高校が見えてきた。登校中の生徒たちが合流して一気に増える。

 いかんいかん。落ち込んでいる場合じゃないと気合いを入れ直す。我が母

校はもはや一瞬たりとも油断できない修羅の巷と化しているのだ。

 全方位に意識を向ける。休み明けということで数日ぶりに顔を合わせたクラスメイトと談笑する姿があちこちで見られる。〈龍虹〉のレーダーでスキャンしてみると、十メートルほど先を歩いている女子生徒が気になった。赤毛の三つ編みをお団子にしたあの髪型は――?

「ララーニャ!」

 声を掛けると、赤毛の少女はビクッと肩を震わせて立ち止まった。背後を振り向いてキョロキョロと周囲を見回す。

「誰を探しているのかな? ララーニャちゃん」

 すでに〈虹渡り〉で少女の背後に回り込んでいた俺は、彼女の耳元に囁いた。

「はうっ!?」

 ララーニャは車の前に飛び出して立ち往生した猫みたいに固まった。俺は彼女の頭の天辺から靴の先まで観察した。どう見ても一年生の制服だ。

「あんた、うちの生徒だったのか」

 ムササビ部隊に混じって大門高校を襲撃した兵士が生徒ってのはどういうことだ?

 そうか、あんな部隊を送り込むのに事前に調査していないわけがないよな。つまり斥候だ。大門高校の秘密を探るために生徒として潜入していたということか。

 待てよ。大門高校に留学生がやたら多いってのは……もしかして、全員外国のスパイじゃないよな? もしそうならスパイだけで学年ごとにひとクラスできるんだが。

「あ……あなたは……ナグモ・シンクローさんですね」

「よく知ってるな」

「けっこう有名ですから」

「日本語が流暢りゆうちようだ。よく訓練されてる」

「生まれはスペインですが、日本に住んでもう五年になります」

 スパイになるために訓練されたというより、そういう人間が選ばれて送り込まれてるわけか。

 しかしこの落ち着いた物腰といい、礼儀正しくて控えめながらはっきりものをしゃべるところといい、ちゃんと育てられたお嬢さんって感じだ。第一印象からして率直に好ましい人物といえる。下心で助けておいてなんだが正しい選択だったな。

「ところでララーニャちゃん」

「あ、あの……すいません。私、という名前ではありませんが」

「じゃあどうして振り向いた?」

「そ、それは……同じ名前の知り合いがいて」

 ここにきて急にぎこちない愛想笑い。これは露骨に言い訳っぽいな。この子、スパイには向いてないぞ。たぶん。

「まあいい。俺が知りたいのは別のことでね」

「何でしょう?」

「瞳の中に星空があるあの女の子は、何者だ?」

「……はい?」

 ララーニャ(仮)は小首を傾げた。

「氷のアゲハは?」

「星空に、氷……それって、何かの謎かけですか?」

「心当たりはない?」

「申し訳ありません」

「いや、いいんだ。だろうし、謝るこたあない」

「――?」

「呼び止めて悪かった。心当たりができたら教えてくれ」

 別れようとしてきびすを返したが、思い直してそのままさらに半回転してララーニャ(仮)の肩に手を掛け、頬を寄せる。まるでフェイントからキスするような動きになったが、であって他意はない。

「ムササビ部隊には参加するな。全滅の憂き目に遭うぞ」

「……え?」

「忠告はしたからな」

 立ちすくむ赤毛の少女を残して、俺は立ち去った。

 こんなことで未来が変えられるとは思えないが、タイムリーパーとして余計なことを言わずにいられなかっただけだ。

 そういやムササビ部隊にはキララの言葉を聞いて投降しようとした兵士もいたが、あいつらもスパイとして潜入していた生徒だと考えると合点がいくな。しかしスパイの疑いが濃厚な留学生をホイホイ受け入れる大門高校側は何を考えているのか。謎は深まるばかりだ。

 ほどなくしてドタドタと足音を立てて俺に追いすがってくるやつがいた。

「うぇっへへへ~見た見た! 見てたッスよぉ~!」

 振り向く必要すらない。カメコことかまち芽衣子だ。逆か? どっちでもいいが。

「何で登校中に路上でチューしてるッスか!?」

「誰も路チューしてねえよ。ちゃんと見てなかったろ、お前」

「やっぱスマホだと咄嗟とつさにズームできなくて不便ッスよね~」

 さすがのカメコもデジイチを用意する暇がなかったか。スマホの画面を見せてくるが、離れた場所から撮っているため画角が広すぎる。確かに角度的には路上キスに見えるか。あと周りの生徒からガン見されてるし。

「相手の女子は誰ッスか?」

「たぶん一年生だ。スペイン出身で名前はララーニャじゃない。分かってるのはそれだけだ」

「何ですかその変な情報は」

「それを調べるのがお前の役目だろ」

 大門高校の正門にさしかかる。やはり、いた――奴だ。

 毒島號天が水遁の術で身を隠しながら地面に寝そべり、女子のスカートの中を覗いている。カメコのパンツならいくら見てもいいが、ララーニャのパンツを見るのは許せない気がするのは何故だろう。

 俺は號天の腹の上で立ち止まった。まるで裸足で砂浜の波打ち際に立つような独特の感覚。

「カメコ、俺はここで用事があるから先に行ってろ」

 怪訝けげんな顔をしつつ玄関に向かうカメコを見送る。

 さて――俺は三度目だが、號天からするとこれが初遭遇ってことか。

 號天がエクストリームな覗き魔ではないことは分かっている。ここで登校してくる生徒全員を調べているのだ。同じ〈神威の拳〉の使い手がいれば当然分かるだろうし……おそらく魔法使いも然り、だ。そう考えると初日から情報収集を怠らない働き者といえる。

 俺はどういう態度で接するべきだろうか。最初から存在には気付いてはいたわけだし、不審を抱いて当然だ。とはいえお前のことなんかお見通しだぜ、という不敵な態度で挑むのも面白そうだし。

 どちらにせよこいつは〈Kファイト〉を口実に大門高校に乗り込むつもりだ。俺との対戦で実力を測り、そこそこ激闘を繰り広げてからほどよいところでわざと負ける――そこまではシナリオ通りなのだろう。

 前回の対戦は俺が変に意識したせいか微妙に噛み合わなかったが、今日は心置きなく全力で闘えそうだ。だいたい結果が同じなら俺が構わないんだよな? そして八百長だとしても、俺が勝つからにはライバル兼親友という役割はきっちり果たしてもらうからな。

 挨拶代わりの一撃を叩き込んでやろうかと思ったその時――一陣の風が吹き込んできた。

「――――!?」

 風に巻き上げられた土煙を顔に浴び、反射的にまぶたを閉じる。

 そのほんの一瞬の後、深い淵に大きな石を放り込んだような音が響いた。

 次に開いた目に飛び込んできたのは、水のバリアーを踏み破って號天の顔面に両足で着地している女子生徒の姿だった。

 赤銅色に日焼けして黒光りする肌。

 輝くピンクに見えるストロベリー・ブロンド――それをツーテールに結っ

ている。

 ロイター板よろしく號天の顔面を踏み切り、数メートルの距離を跳躍する。

 着地の瞬間、短すぎる制服のスカートがフワリとめくれる。

 ほとんどひものようなTバックの下着のため、形のいい締まったヒップが丸見えだ。全裸で焼いたらしく、尻に日焼けの跡はない。細すぎない長い足のラインが溜息が出そうなほど綺麗だ。

 ピンク頭の黒ギャル風女子は、俺にチラと一瞥いちべつをくれると、モデル歩きで颯爽さつそうと玄関に向かう。

 その艶やかな後ろ姿に目を奪われながら、俺は思わず頬を緩めた。

 ようこそライカ――俺たちの学園せんじょうへ。


 俺の名は南雲真紅郎。

 そして我が最愛の姉の名は烈雷花。

 俺たち姉弟が果たして無事に五月九日以降を迎えられるかどうかは、この時点では誰にも分からない不確定の未来だ。

 そしてこれは後になって知った事実だが、この日、インターネット上の匿名掲示板に奇妙なスレッドが立てられた。そのタイトルは――

【今日は《何度目の》五月七日だ?】

 これが果たして何を意味するのかは、いずれまた別の機会に語ることになる。

 

完全に蛇足かもしれないが、ひとつだけエピソードを加えていいだろうか。

 この日、あれやこれやのイベントを終えて空き時間ができた俺が最優先でやったのは、獅子丸剣児教諭を探すことだ。捕まえることができたのは結局放課後になってからだったが。

「やっと見つけたぜ獅子丸先生!」

「やあ、真紅郎君。何か用かい?」

 相変わらず毛玉ウサギを抱いたままと応じる獅子丸教諭。

「いや、逆ですよ。先生の方こそ俺に用事がありますよね?」

「君に用事……? ああ、あれかな? 君らが入れる部活がないのなら自分たちで作ればいいんじゃないのかな~って思ってたんだけど」

「それです、それ! 是非やらせてください」

「僕が考えた新しい部活だけど、いいの?」

「いいんです!」

「名前はね――

「はあああっ!?」

 我ながら失礼極まるリアクションだが、ビックリしすぎたんだから仕方ないだろ。

「コッ……コスリ部? 何ですかそれは!? ソイネイングクラブは!?」

「あ、そっちの方がいい?」

「まずコスリ部が何なのか教えてくださいよ」

「英語で添い寝を『コスリープ』っていうでしょ? でも『コスリープクラブ』だと長いし『コスリープ部』だとプとブが続いて発音しにくいから、省略して『コスリ部』でどうかなって。ソイネイングは造語としてあんまりだし……」

「バカっぽさならどっちも大差ないです! それにもう俺の中ではソイネイングが用語として定着してしまってるんですから」

「いつの間に?」

「いつの間にやらですよ!」

「だったらしょうがないね~」

 こうしてめでたくソイネイングクラブは発足の運びとなった。またもや命名者がこの俺になるというくだらねータイムパラドックスのオマケ付きでな。

 これだからタイムリープってやつは――

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真リアルバウトハイスクール -Double Dagger-/雑賀礼史 ファンタジア文庫 @fantasia

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