第2会議室の呪い・五「呪いの幽霊」
「わかると思うが、俺は幽霊だ。もとは人間のな。だが……お前はいったい、なんなんだ?」
ピヨ助くんの問いかけに、女性の幽霊は……。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……ってなんか言えよ」
じっと黙ったままで、なにも答えてくれなかった。答える気がないというよりは、話が通じていない、下手したら声が聞こえていないのではと不安になる感じで、つまりまったくの無反応だった。
改めて幽霊を見る。まず……びしょ濡れだ。頭から水をかぶったみたいに、ぽたぽたと止めどなく水が垂れ、水たまりができそうなくらいだった。
服装はセーラー服。この学校の昔の制服だ。わかってはいたけど、かなり古い幽霊らしい。髪はセミロングで、肩よりは長い。真っ白な肌に黒髪が張り付いている。表情はなく、ぼうっとわたしたちの方を見ていた。
「参ったな、もしかして喋れないのか? さすがにそれは想定外だぞ」
「うーん……。幽霊さん、わたしたちの声、聞こえてますか? これ、着ぐるみみたいだけどヒヨコの姿になっちゃった人間の幽霊なんですよ」
「なんだその紹介……間違ってはいないが」
そんな風に話しかけてみると、
「私は……」
「あ、喋ったよ」
ゆっくりと口を開く幽霊さん。
途切れ途切れに言葉を紡いでいく。
「私は……呪いの……幽霊」
「呪いの幽霊か。それはそうだろうが、怪談で出てくる死んだ作業員は男だと思うが?」
そう、なんだよね。呪いの体験談部分に女の人の幽霊は出てくるけど、呪いの発端である天井の染みは作業員の怨念だ。本当にあったことかどうかは置いといて。
幽霊さんは無表情のまま呟く。
「それは……」
「そもそもだ。事故は本当にあったことなのか?」
「わからない。私は……」
「私は……?」
わたしも気になり、ごくりと唾を飲み込む。
「作られた……幽霊。みんなが噂して……そこから生まれた存在……だから」
「むっ……? そう、なのか?」
「怪談から生まれた幽霊……。あれ? 別にピヨ助くんの推理、外れてはいないんじゃない?」
天井の染みを見て、想像を膨らませ……怪談が生まれた。
幽霊も同じようにして生まれたわけだ。
その結論は期待していたものとは違ったかもしれないけど、ピヨ助くんの説は概ね当たりだと思う。なのに、ピヨ助くんは不満げだ。
「いや……。霊がなにも無いところから生まれるなんて、あり得るのか?」
「うーん、言われてみれば、ちょっと違和感あるような」
「実際……私はこうして生まれた。……だから私は、あなたのような感情はない……。ただただ、呪われた人の前に現れるだけ」
「そういうものなのか……?」
怪談と共に作られたから、感情が無い。機械的に、呪われた人の前に立つ存在。
それじゃまるで、ロボットみたいだ。お化け屋敷の仕掛けと変わらない。
ピヨ助くんが納得いかないのも、わかる気がした。
「ピヨ助くんは、なにか別の理由があって、ここに幽霊がいるんだって思ったんだよね」
「ああ。天井の染みに隠された真実があると思っていた」
「隠された真実……」
ピヨ助くんは、作業員の事故は無かったと考えている。ということは……。
「まったく知られてない事件かなにかがあるんじゃないか、ってこと?」
わたしがそう言うと、ピヨ助くんはまん丸な目を少しだけ大きくしてわたしを見る。
「少しは考えるようになったじゃないか。……天井の染みには語られることのない、知られていない何かがある。怪談の幽霊になってしまった人がいる。しかし長い時間怪談として語られ、改変、存在が変わってしまった。……そう考えていたんだが、な」
ピヨ助くんの言いたいこと、そして解明したいことがなんなのかわかった。
怪談に語られることのない真実が潜んでいる場合があることは、わたしも知っている。
改変されて、別のものになってしまうことがあるのも。
今回もそのパターンで、だから幽霊と話をすれば解明すると、ピヨ助くんと鳴美先輩は考えたんだ。
でもそれは……。
「私は……作られた存在。隠された真実なんて……無い……」
ピヨ助くんたちの結論は、幽霊が作られることはない、というのがベースになっている。
だけど女性の幽霊さんは頑なに、自分は作られた存在だと言い切る。
「……なんか、脈無さそうじゃない?」
「むう……。いやしかし……」
難しい顔で、羽を組んで考え込んでしまうピヨ助くん。
やっぱり納得いかないみたいだ。
ピヨ助くん自身が幽霊だから、譲れないのかもしれない。
「あ、そうだ幽霊さん。お名前聞いてもいいですか?」
「お前は毎度毎度……。作られたって言ってる幽霊に名前なんてあるわけが」
「……名前? 私は、みずる。あなたたちは?」
「ってあるのかよっ!」
つっこむピヨ助くん。
わたしもダメ元で聞いたんだけど……。本当に名乗ってくれるとは思わなかった。
しかも、心なしか雰囲気が変わったような……? 気のせいかな。
わたしは改めて幽霊さん――みずるさんに向き合って、小さく頭を下げる。
「わたしは弓野佑美奈です。こっちのヒヨコはピヨ助くんです」
「ピヨ助? ヘンな名前」
「ヘンかなぁ、似合わない名前だとは思うけど」
「おい、名付けたのお前だぞ」
「どういうこと? 名付けたって?」
「なんでもない。気にするな。……で? みずると言ったな。お前の方こそ、その名前どうした? 作られた存在なんだろ?」
言われると、幽霊のみずるさんはゆっくりと首を傾げる。
「……さあ。わからない。でも私は……みずる。怪談より生み出された……幽霊」
「ああもうそれはいい。俺は怪談を調査し、その真実を解明するのが目的だ。さっきも言ったが、俺はこの怪談には隠されたなにかがあると考えている」
「そう……。でも、私は怪談話から生まれた存在。それ以外はわからないし、なにかが隠されてるとも思えない。……怪談の通りに、呪いを実行するだけ」
「呪いを実行だと? お前が呪われた人に取り憑いて驚かせているってことか?」
「ええ……そういうこと……」
視界に入る濡れた女の人はもちろん。
窓に手形を付けたり、足首を掴んだりするのも、全部みずるさんがやっている……ってこと?
「じゃあ昼休みに廊下が水浸しになったのって、あれもみずるさんがやったの?」
わたしがそう聞いてみると、
「廊下……うんっ、そうだよ。実はこの怪談話試したの、あなたが久しぶりなの。だからちょっと緊張しちゃって、足跡付けるだけだったのに転んで思いっきり水をぶちまけちゃった」
みずるさんは突然饒舌になり、声のトーンも上がった。
やっぱり気のせいじゃなかった。雰囲気どころか口調まで変わってる。
わたしたちがぽかんとしていると、
「……そういえば……足首も掴んだ。これも……怪談の通りに」
感情の無い、ゆっくりした話し方に戻ってしまった。
「…………」
「…………」
思わずわたしとピヨ助くんは目を見合わせる。
これは……。
「えっと……さっきの、足音は?」
わたしは試しに、さらに突っ込んで聞いてみることにした。
「……あっ、あれね。驚いた? ちょっと怖がらせようと思って。全力で走ってみたんだ」
「え、えぇ。あれはものすごく、怖かったです」
「よかった、走った甲斐があったよー。でもその後ちょっと焦ったんだからね? まさか会議室に戻ってくるなんて思わなかったからさー。初めてだよ、こんなの」
「そうですよね……呪われたのに戻ってくる人はいないですよね」
「俺たちみたいに怪談調査が目的じゃなければな」
ふっと、みずるさんのテンションが落ちる。
がくっと肩を落とし、暗い雰囲気になるのが目に見えてわかった。
「……そう。でも……もう、これでわかったと思う。私が呪いを実行している……ただそれだけ。隠された真実なんて無い……」
思った通り、無感情に言葉を紡ぐ。元の状態に戻ってしまった。
「……ね、これどう思う? ピヨ助くん」
「どうもこうも、感情無いなんて嘘だろ」
そうだよね、と心の中で呟く。
時折見せる、明るい雰囲気。砕けた口調。
怪談から生み出された、感情の無い幽霊だとはとても思えない。
「おい佑美奈、これはお前の得意分野だ。ほれ、いつものあれ」
「いつものって……」
ピヨ助くんがわたしになにを期待しているか、すぐにわかった。
それは構わないんだけど、いつものって言われると……なんかちょっと複雑。
「ま、いっか。……みずるさんみずるさん、甘い物、好きですか?」
甘い物の話をして、みずるさんから話を引き出す。
引き出せるかはともかくとして、甘い物の話なら得意だ。
「甘い物? 大好き! 特にチョコレートムースのケーキが好物だったよ。そういえば幽霊になってから、食べてないなぁ」
みずるさんはすぐに乗ってきた。
……って、今はっきり、幽霊になってからって言った?
あっさりなんか引き出せちゃったけど……とりあえず会話を続けてみる。
「そうなんですか? あ、普通のチョコレートならありますけど。食べますか?」
「ほんと? わ、チョコレートだ! って私が持つと濡れちゃうなぁ。……あ、私の口に放り込んでくれない?」
「く、口にですか?! わかりました……」
わたしはポケットから一口サイズのチョコレートを取り出して、包装を解く。みずるさんの口元にそうっと運んで……。
「はい、どうぞ」
「あーん……んん! 久しぶりのチョコレート! 最高~!!」
まさか、幽霊相手に『あーん』なんてすることになるとは思わなかった。
みずるさんは頬に手を当てて、しあわせそうにぴょんぴょん飛び跳ねる。
(あー……なんかもう、まったく怖くないんだけど)
さっきまであんなに怯えていたのが嘘みたいだ。
甘い物関係なしに、もう怖くないかも。
一部始終を黙って見ていたピヨ助くんが、とうとう耐えきれなくなったのかぼやく。
「この学校の幽霊は甘い物好きが多いのか……?」
「女の子に甘い物好きが多いだけだと思うよ?」
「そうそう! 女の子は基本的に甘い物が好きなんだから。ねぇ?」
「はい。もっとも、わたしは普通以上に好きです」
「お前のそれは異常レベルだけどな」
「よっぽど好きなんだ? いやぁ甘い物とか久しぶりに食べたわ。ありがとね。えーっと、ゆみなちゃんだっけ?」
「はい、そうです。……みずるさん」
もう間違いない。みずるさんには感情がある。
そして……記憶も。
「みずるさんって……本物の幽霊なんじゃないですか?」
「うん? どういう意味? 見ての通り私は幽霊だけど……私は……」
話している途中で、みずるさんの表情がふっと消え、
「意味……わからない。私は……幽霊。作られた……幽霊」
まるでスイッチが切られたかのように、無感情な喋り方に戻ってしまうのだった。
「ふむ……。なんとなくわかってきたぞ。おい、みずる」
「……?」
ピヨ助くんはずいっと前に出て、みずるさんを指……羽で指す。
「俺はこれまでの会話で、お前にも感情があると確信した。生前の記憶があることも間違いない。
つまりだ! お前は怪談から生み出された幽霊などではない。なにかがあって死んでしまい、幽霊となったんだ。元はちゃんと人間だったはずだ!」
「人間……だった? ……うそ、でも……だって、私は……違う」
あれ……?
わたしもピヨ助くんと同じことを考えていて、もう間違いないと思っていた。
きっと最初にピヨ助くんが推理した通りで、なにか隠された真実があるんだと思う。
でも……ピヨ助くんがはっきり指摘しても、みずるさんは認めようとしない。
「しらばっくれても無駄だぞ。お前のその、甘い物が好きという記憶はどこからきた?」
「あっ……私は確かに甘い物……チョコレートムースのケーキが好きだよ。でも……あれ……?」
みずるさんは頭を抱えて、辺りをきょろきょろと見渡し始めた。
「ピヨ助くん、これって……ちゃんと記憶があるわけじゃないんじゃない?」
「むぅ……」
「語られてないなにかがあるにしても、みずるさんから話を聞くのは無理なんじゃないかな」
「だが……他に方法がない。隠された真実があるのは、もう間違いないんだ。なんとか聞き出す方法を考えなければ」
「それが難しそうって話なんだけどね」
とはいえ、本当に他にアテがないんだろう。ピヨ助くんは縋るように手帳を捲っている。
……これはもう、根気よく会話を続けるくらいしかないのかもしれない。
声をかけようとしてみずるさんを見ると、なにかブツブツと呟いていた。
「私……私は……どうして……ここにいるの? あ……ううん、怪談の……天井の染みの……呪いだから……。私は……呪いに……。染みが……天井に……人の形を……」
そこからは、呪い、天井の染み、という単語を何度も繰り返すだけになってしまった。
ピヨ助くんもその呟きに気が付いて、じっと真剣な顔で聞き入っていた。
「呪い……か。待てよ?」
「ピヨ助くん、なにかわかったの?」
「ああ……どうやら、難しく考えすぎてしまったようだ」
「難しく? どういうこと?」
「それをこれから説明してやる。……おい、みずる。お前も俺の話を聞け」
ピヨ助くんが声をかけると、みずるさんはこっちを向き、縋るような表情を見せる。
「あ……ね、ねぇ、私って……一体? この記憶……ああダメ、思い出そうとすると…………頭の中で雨が降ってるみたい、なにも見えなくなって、ざーざーうるさくて……」
それを聞いてますます納得したのか、ピヨ助くんは強く頷いた。
「うむ。……いいか、もう一度言うが、お前は元人間だ。死んで幽霊になったんだ」
「私は……幽霊。人間……だった」
「お前がいつ幽霊になったのかはわからない。だが、死んだ理由はわかったぞ」
「えっ、そうなの?」
言い切ってしまうピヨ助くんに驚く。今の流れで、どうしてわかったんだろう。
わたしはさっぱりわからなかった。
「教えて……私は……どうして……死んだの……?」
「それはな」
ピヨ助くんは、羽で天井を指す。
「この第2会議室の、天井の染み。その呪いによってだ」
張り替えて消えたはずの、天井の染み。
右手を挙げたような、人の形に見える。
転落死した、作業員の怨念。……呪い。
「あっ、もしかして呪いの被害者……?!」
例えば、怪談に出てくる生徒。
車道に飛び出して死んでしまったあの生徒が、幽霊となっていたら……。
「私が……呪いの、被害者……」
「そうだ。お前は怪談を試してしまい、本当に呪われ、死んでしまった。しかし呪いはそれで終わらなかったんだ」
呪いが終わりじゃない?
それってまさか……。
「…………!!」
わたしはその怖ろしい答えに気付いてしまい、言葉を失う。
「呪いで死んだ人間は、怪談に縛られる。怪談に登場する幽霊となって、この世に残り続けるんだろう」
そんなことって……。
ピヨ助くんがそう告げると、みずるさんは、
「あ……ああ、あぁ……ああああっ!! いやあぁぁぁぁ!!」
突然、大声で悲鳴を上げ始めた。
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