第2会議室の呪い・六「叫び」


「あぁっ! いやああぁぁぁ! ……いやあぁぁぁぁ!!」

「みずるさん?! ど、どうしました?」


 ピヨ助くんが出した答えを聞いた途端、みずるさんは悲鳴を上げた。



『呪いで死んだ人間は、怪談に縛られる。怪談に登場する幽霊となって、この世に残り続けるんだろう』



 そんなことあるの? って思ったけど、囚われて神隠しに遭う怪談があるのだから、おかしなことではないのかもしれない。

 それに、そういうことならみずるさんの状態に納得がいく。

 無感情な話し方をすると思ったら、感情豊かに明るく話し始め、甘い物に反応し、自分の好物を思い出したりする。

 みずるさん自身にその自覚はなくて、指摘すると無感情に戻り、首を傾げてしまう。

 怪談に縛られているせいで、はっきりと思い出すことができなくなっているんだ。

 自分の感情も記憶も……雨に流されるように消えてしまう。


 じゃあ、今悲鳴を上げているのは……?


「思い出した! あぁぁ、私は、私は……!」

「み、みずるさん? 思い出したって……生きていた頃の……?」

「決まってるでしょ! どうして、どうして私は、こん、な、こんなっ」


 髪を振り乱し、そのまま倒れるように蹲ってしまう。小刻みに体が震えている。

 わたしはどうすればいいのかわからなくて、動くことができなかった。


「後悔しているのか? ずっと、怪談の幽霊として呪っていたことを」


 ピヨ助くんがみずるさんに言葉を投げかける。

 記憶が戻り、自分が人を呪っていたんだとわかったら……悲鳴を上げたくなるかもしれない。


「ちがうっ! そうじゃない、そうじゃない!!」

「えっ……?」

「むっ?」


 額を床にグリグリと擦りつけ、みずるさんは否定する。


「なんで、どうして、私は鹿! 呪いなんて試したの!!」

「みずるさん……」


 あぁ……。みずるさんは怪談を、呪いを試してしまったことを悔いているんだ。


「呪いなんて無いと思ってた! そんなの無いって証明するって、面白半分で試しちゃったの! なんで……そんなこと、思ったんだろう? しちゃったんだろう? そんなことしなければ私は呪われなかった! 死ななかったのに!!」


 泣き叫ぶみずるさん。その周りが、じんわりと濡れていく。もともと彼女を濡らしていた水が垂れたはずなのに……わたしには、大量の涙が床を濡らしていくように見えた。


「うっ……ううぅぅ……死にたくなかった……それなのに、なんで……こんなっ! あぁぁぁ……ごめんなさいっ、ごめんなさい、ごめんなさい……殺さないで、私は、私は……死にたくないの! あぁぁ、いやぁぁぁ!!」


「みずるさん!」


 わたしは堪らず、錯乱するみずるさんに覆い被さり、その肩を抱きしめた。

 じんわりと、わたしの全身が濡れていく。


「お、おい、佑美奈!」

「大丈夫。みずるさん……落ち着いて」

「いやぁぁぁぁ! やめて、放して! 死にたくない死にたくない私は死にたくない! もうしないから……おねがい、たすけて……。呪いが本当にあるなんて思わなかった……。私が馬鹿だった。こんなことになるなんて……。どうして私がこんな目に? ……私が、悪い……私のせい……だけど……でもやだよ……やだよぉ……」


 わたしはぽんぽんと背中を叩く。


「みずるさん。辛かったんですね。……苦しいですよね」


 みずるさんがゆっくりと顔を上げる。目を見開いて、驚いた顔でわたしを見つめる。

 その瞳に、再び大粒の涙が溢れ出した。


「うぅぅ……ゆ、み、な……ちゃん……うわああああああああっ」


 今度は正面から、みずるさんを抱きしめる。

 みずるさんの体は冷たかったけど、その涙は、とても暖かかった。




                  *




「……落ち着いたか? みずる」

「うん……なんとか。ゆみなちゃんのおかげ。ありがとう」

「ううん、これくらい……」


 どうしても、放っておけなかったから。だって、みずるさんのしたことは……。

 みずるさんに見つめられ、わたしは思わず目を逸らしてしまった。


「ところでヒヨコ君。……ピヨ助君だっけ?」

「なんでもいい。なんだ?」

「私……どうすれば、いいかな。私はずっとみんなを呪ってきた。さっきは否定したけど、考えたくもないくらい嫌なの。もう、これ以上ここにいたくない」


 みずるさんは悔しそうに、唇を噛んで俯いてしまう。

 わたしもみずるさんには早く解放されて欲しい。怪談と、呪いから。


「……そうだな。みずる、お前が怪談の幽霊だと言うのなら、その役目を終える方法が一つだけある」

「本当……?」

「ピヨ助くん、さすがっ!」


 ピヨ助くんのまん丸頭をぽんぽん叩いて褒めたのに、ピヨ助くんは神妙な顔のまま、何故かわたしの後ろに回る。そしてとんっと背中を押した。


「簡単な話だ。今、呪われているこいつを……」

「ぴ、ピヨ助くん?」


 なにを言うつもりなのかわからなくて、思わずビクッとしてしまう。

 ピヨ助くんはみずるさんを見つめ、



「……助けてやれ」



「……えっ?」

「ゆみなちゃんを……助ける?」


 ピヨ助くんは頷く。


「佑美奈の呪いを解くことは、怪談の内容に反することだ。そうすれば、お前もこの呪いから解放されるだろう」


 それを聞いたみずるさんは、少しだけ考え込んでから答えた。


「ゆみなちゃんの呪いを解くのは……私でも、できると思う」


「ま、待って! ピヨ助くん、本当なの? 本当にそれでみずるさんは呪いから解放されるの?」


 正直まだ理解が追いついていない。どうしてそうなるのか、わたしにはわからなかった。


「……佑美奈。今までに何度も話に出てきただろう。例えば俺が、怪談調査をやめると言ったら、俺はどうなると思う?」

「消えちゃうんだよね……? ピヨ助くんは怪談調査がしたいっていう、執念で幽霊になったんだから。それをやめたら消えて……あ」


 そうか、怪談の内容に反することをする、というのはそれと同じだ。

 つまり……。


「え……じゃあ、みずるさん消えちゃうの?」

「当然そうなるな」

「き、消えたあとはどうなっちゃうの?」

「正直……それは俺にもわからない。消滅するのか……成仏するのか。だからみずる。その覚悟があるなのら、佑美奈の呪いを解くんだ」

「私は……」


 呪いを解けば、消えてしまう。

 成仏ではなく、消滅の可能性がある。


 ピヨ助くんでもわからない、その先の話。

 そんなの決められるわけがない。どうなるかわからないのに、わたしだったら決められない。だけど……。



「悩むことなんてない。ゆみなちゃん、私はあなたの呪いを解くよ」



 みずるさんは、あっさりそう答えたのだった。


「みずるさん……」

「だって……わかっちゃったから。私は作られたんじゃない。呪いで死んでしまった人間だったんだって。でもね、ゆみなちゃん。あなたはこんな呪いで死んじゃダメだよ。私みたいになっちゃダメ。……それにさ」


 みずるさんは私の目を見て、笑顔になる。


「なにより、ゆみなちゃんを殺したくないよ。チョコレートももらったし……慰めてくれたから」


 気が付くと……。

 水浸しだったみずるさんの足下が乾いている。

 それだけじゃない。びしょ濡れだったみずるさんの全身が、もう濡れていなかった。


 顔に髪が貼り付いていたからわからなかったけど、可愛らしい、人懐っこい笑顔をする人だった。


「さっきのチョコ、美味しかったなぁ。ゆみなちゃん。ピヨ助君。私はもう、未練なんてないよ。本当に、ありがとうね……」


 いつの間に晴れたんだろう。窓から光が差し込み、みずるさんを照らす。


「みずるさん……!」

「さようなら。……呪いは、私が消えたら解けるよ。だからもう、こんな呪い試したらだめだからね?」

「う、うんっ。でも、みずるさん、待っ――」


 引き留めようとして、言葉を止める。

 みずるさんが望んでいるのは――。


 みずるさんはもう一度わたしに笑顔を向けて、部屋の窓を開け放つ。


「長かったな……。長かったんだよね? いったいどれだけの時間こうしていたのか、もうわからないよ。……どれだけの時間、私が自分を見失っていたのか、考えたくない。でも……やっと私は……本当に、みずるとして……」


 きっと、わたしには理解の出来ない、途方もない苦しみなのだろう。

 その苦しみから解放されるのを、わたしが止めることなんてできないんだ。


 みずるさんが窓から身を乗り出して、両手を広げると……ふっと、その姿が光と共に消えてしまった。


 代わりに、涼しい爽やかな風が、ふわっとわたしの頬を撫でる。

 濡れていたはずのわたしの制服は、もともと濡れてなんてなかったかのように、乾いていた。


「……みずるさん、成仏できたのかな……」

「さあな。だが、あんな清々しく消えていったんだ、消滅ではなく成仏できたんじゃないか?」


 消えてしまう寸前のみずるさんは、とても晴れやかな顔をしていた。


「……そうだよね。うん、そうだと思う」


 わたしは少しの間黙祷をして、第2会議室を後にした。

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