第2会議室の呪い・四「呪」


 昼休みに入った時に比べて、だいぶ薄暗くなった第2会議室。

 もちろん中の様子は変わっていない。長机にパイプ椅子、奥にロッカーが一つ。

 おそるおそる天井に目を向けると……そこに染みは無く、少しだけホッとする。

 でも空気はジメジメしている。窓は閉まっているはずなのに、温く気持ちの悪い空気が漂っていた。


「油断するなよ。おそらく、なにかいるぞ」

「う、うん……なんとなく、わかる」


 霊感とか関係無い。きっとそんなもの無くても、この異様な空気は……なにかがいるって、感じると思う。


 気配。まるで、すぐ近くに誰かがいるような……じっと見られている感覚。

 わたしは思わずぶるっと震えた。


「ね、ねえ、それでどうするの? なにかが出てくるまで待つの?」

「そうだな……。中に入ればなにかしらアクションを起こすと思ったんだが」



 ぴちゃっ。



 ピヨ助くんがそんなことを言った直後、水が滴る音がどこからか聞こえた。


「むっ……見ろ、そこに水が垂れた跡があるぞ」


 ピヨ助くんはそう言って部屋の中央を指す。



 ぴちゃっ。



 見ている側からもう一滴。同じ場所、コの字に並べられた長机のその中に、水が落ちた。


「これって……」


 わたしは顔を上げて、天井を見る。

 すると……さっきはなにもなかったのに、天井がじんわりと濡れていて、小さな染みが生まれていた。それはやがて、ゆっくりと広がり……。


「わ、わわ、ピヨ助くん! なんかきたんじゃない?」


 わたしは慌てて天井から目を逸らし、ピヨ助くんに話しかける。


「そのようだな。……あ」

「天井のあれ、だんだん大きくなってる? わたし見たくないからピヨ助くん見て! やっぱり人の形になってるの?」

「そうだな……人、だな」

「ピヨ助くん? 天井を見てってば。なんでわたしの方を見てるの?」

「そりゃあ……だって、なぁ」

「だってなに? 異変が起きてるのは天井だよ? 早く怪談調査しなよっ」


 わたしがこんなに言ってるのに、ピヨ助くんは上を見ようとしない。わたしから目を離そうとしない。

 ううん、微妙に視線がずれている気がする。ピヨ助くんが見ているのは……。


「天井はいいから、佑美奈。後ろだ」


 ぴっと、小さな羽でわたしの後ろを指す。


「後ろって……」


 咄嗟に振り返ってしまったことを、わたしはすぐに後悔した。

 何故ならそこには……。


「……ねぇ……」


「…………っ!」


 真後ろだった。すぐ側に、水に濡れた女の人が立っていた。青白い顔で無表情にわたしを見るその人と、ばっちり目が合ってしまう。


 瞬間、わたしは思いっきり悲鳴をあげた。


「きゃあああああああ!!」


「お、落ち着け佑美奈」

「ムリムリ! 無理だよ!」


 わたしは素早くピヨ助くんの後ろに回り、肩を掴む。

 正直、動けたこと自体が奇跡だった。足ががくがくと震えている。さっきの石みたく動けなくなるのとは逆の意味で、もう動けない。


「……ねぇ……」


 幽霊がわたしに話しかけてくる。

 あぁ、わたしのことなんて放っておいてほしい。用があるのはわたしじゃないのに! でもそうだ、呪われているのはわたしなんだ、幽霊がわたしに話しかけてくるのは当然だ。呪われるようなことをしておいて、またその場にやってきて、なにもないわけがない。ううん、むしろそのなにかを望んで来たんだ。怒ってるんだ。きっとものすごく怒ってて、わたしはこのまま呪い殺されちゃうんだ。いやだいやだいやだ、怖い怖い怖い……。


「しっかりしろ、佑美奈!」

「ぴ……ピヨ助……くん」


 わたしの頬が、ピヨ助くんの柔らかい羽に挟まれる。


「怖がる必要は無い。思い出せ、お前は怪談や幽霊を怖がるヤツだったか? 信じているでもいないでもない、興味が無かったんだろう?」

「そう……それは、そうだけど、でも! 怪談が本当は怖いものだって教えてくれたのはピヨ助くんだよ!」


 もう、いくつも怪談に遭ってきた。幽霊にも会ってきた。

 信じていないなんて言えない。本当は怖いものだって、実際に感じて理解した。

 そして今、わたしは呪われている。目の前に呪いの幽霊がいる。怖くないわけがない!


「佑美奈、俺は怖いか?」

「えっ……?」

「俺も幽霊だぞ。怖いか?」

「ううん、怖く……ない」

「今まで会ってきた幽霊はどうだ? 怖かったか?」

「それは……難しいけど。でも……」


 今まで会ってきた幽霊とは、みんな普通に会話ができた。

 怖がらずに、普通に……人間と接するように。


「でも……わたし、呪われてるから……」

「しょうがねぇな。そんなに怖いなら、ほら、これでも食え」

「えっ……え、えぇぇぇ?!」


 ピヨ助くんは頬から羽を放すと、ぽんと叩いて見覚えのある紙袋を出した。もちろん、その中にあるものは、


「とっても甘くて美味しいドーナツ! い、いいの? 本当に食べちゃうよ?」


 言いながら、わたしはひったくるように紙袋を奪う。中には、隠されてしまった残りのひとつ。


「報酬の先払いとか言わないでよ?」

「ふん。今回は特別だ。とっとと食え」

「うん! いただきます!」


 すでに袋からドーナツを出していたわたしは、すぐさまかぶりついた。

 あぁ、甘い。まずチョコレートの甘みが口の中いっぱいに広がる。ふんわりしたドーナツからもじゅわっと甘さが広がる。なんだかいつも以上に美味しく感じる。口の中、胃の中が甘さでいっぱいになり、体中にしあわせを感じる。うん、わたしは今、しあわせだ……。


 食べ終わる頃には、わたしはすっかり落ち着いていた。

 うん、もう怖くない。とっても甘くて美味しいドーナツを食べられたから。

 恐怖なんてどこかに吹っ飛んでしまった。

 わたしって本当に、甘い物があればなんでも大丈夫なんだ。


「……ありがとう、ピヨ助くん」

「ふん……。佑美奈にパニクられると面倒だからな。ドーナツは必要経費だ」


 そう言って、そっぽを向くピヨ助くん。

 お礼は、ドーナツのことじゃないんだけどな。



「さて、と。待たせたな」


 ピヨ助くんはわたしの前に立ち、幽霊と対峙する。

 わたしも気を引き締める。怪談調査は、ここからが本番なんだから。


 女性の幽霊は、わたしたちのやり取りを黙って見ていたみたいだけど、ピヨ助くんの言葉にゆっくり首を傾げる。


「わかると思うが、俺は幽霊だ。もとは人間のな。だが……お前はいったい、なんなんだ?」


 会議室がますます薄暗くなり、雨が少しだけ強くなった気がした。

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