保健室の子供の声・四「おかあさん」


「はやかわ……ひさこ……」


 早川久子先生。たけるくんはその名前を繰り返す。


「俺たちの考えでは、それがお前の母親の名前だ」

「ぼくの、お母さん? ……その人は、どこにいるの?」

「ここだよ。たけるくん。昼の間、ずっとここにいる……保健室の先生だよ」

「え……?」


 たけるくんはきょろきょろと辺りを見渡す。


「……さっき、怪談の内容が大きく変わるには理由があると言っただろ。お前の怪談の内容が変わったのは、3年前に養護教諭、保健室の先生が替わったからだ」

「先生が、替わったの?」

「ああ。そしてな、お前は元々は先生の息子で、その幽霊だったんだ」

「え……ええ? ちがうよ、ぼくはもっと昔から、ここで怪談を」


 否定しようとするたけるくん。ピヨ助くんは首を横に振って、


「乗っ取ったんだよ。元々あった怪談話を、お前がジャックした」

「乗っ取った? さ、さすがにそんなことしたら覚えてるよ。そんなわけないよ」


 たけるくんの素の反応に不安になったけど、ピヨ助くんは続ける。


「きっと相性がよかったんだろうな。お前は無自覚に怪談を乗っ取った。しかし昔からある怪談話の幽霊と入れ替わったせいで、その怪談に合うように記憶が変えられてしまったんだ」


 わたしは思わずぽんっと手を叩く。


「あっ、そういうことなの?」


 怪談話の内容に引っ張られると、生前のことが思い出せなくなったりするらしい。ピヨ助くんの言う通り、乗っ取ったこと自体忘れているのかも。

 自分が昔からいる幽霊だと、思い込んでいる可能性があるんだ。


「入れかわった? じゃあほんとうに……ぼくのおかあさんが、ここの先生なの……?」


 たけるくんはわたしたちに背を向けて、先生の机をぼうっと眺める。

 まるでそこに先生の後ろ姿があるかのように。


「そうなのかな……。なんだか、そんな気がしてきたよ」

「思い出せたわけではないのか?」

「うん。ぼくってさ、ここに誰かがいたら現れることができないんだ。でも、ここの先生が一人の時に、ずっと写真を眺めているのは知ってる」

「先生が……」


 わたしたちが保健室に突然入った時もそうだった。いつも、そうしていたんだ。

 たけるくんが振り返る。


「明日、その先生に声をかけてみるよ」

「え……でも、どうやって? 先生がいたら現れることができないんだよね?」

「簡単だよ。その先生が保健室を出てすぐに現れればいいんだよ」

「なるほどな。保健室を離れる前に声をかければ、開けてくれるかもしれないか」

「そういうこと。それで本当におかあさんなのかわかると思う。明日試してみるよ」

「うん! それがいいよ、たけるくん!」


 そうすれば早川先生も、たけるくんに、子供の幽霊に会うことができる。

 わたしはなんだか嬉しくなってきた。

 お母さんを探すたけるくんが、先生と再会できるのが嬉しい。



「ふむ。じゃあ今日のところはここまでだな」

「あ、そっか。うん、そうなるよね」


 あっさりした終わり方だけど、わたしたちができることはもうない。

 あとは明日の結果を確認すれば、ピヨ助くんの怪談調査は完了のはずだ。


「ね、お姉ちゃん。いろいろありがとうね。……おかあさんとおとうさんがどうしてるのかって、あんまり考えたことなかったから」

「たけるくん……」


 ……あれ? でも、お母さんを探していたんじゃ……。


「ありがとう、ゆみなお姉ちゃん」

「ううん、どういたしまして! たけるくん」


 ……ま、いっか。真相はもうわかったようなもんなんだから。細かいことは気にしない。

 たけるくんは笑顔で、わたしに手を伸ばしてくる。

 わたしは名前で呼ばれたのが嬉しくて、たけるくんの手をとった。


 ――たけるくんがジト目になった。


「お姉ちゃん……。ハァ、しょうがないなぁ」


 ため息をついて、パッと手を放す。

 わたしはなにがなんだかわからない。


「え? な、なに? わたしなにかした?」

「お前なぁ……油断しやがって。ひやっとしただろ。なにこいつの

「手? ………………あああぁ! そうだ! 子供の幽霊の手を取っちゃだめだったんだ!」


 や、やらかした……!

 ピヨ助くんの言う通りだ。もう終わったと油断していた。でも……。


「あ、たけるくんが手を放してくれたから、セーフだよね?」


 怪談では、手を放してくれなかった場合は死後の世界に連れて行かれるとあったけど、手を放してくれたら大丈夫だったはずだ。


「まーね。本当はアウトだけど、特別だよ?」

「ほっ……ありがとう、たけるくん」


 本当はアウト? 基準がよくわからないけど……助かったんだから、よしとしよう。


「ったく。それじゃあ帰るぞ。……おいクソガキ。いや、たける。明日ちゃんと試せよ。お前のお母さん」

「うん。わかってるよ。……じゃあね、ばいばい」


 わたしたちはたけるくんに手を振り返し、保健室を後にした。




                  *




「ふう、今回は下調べのおかげで楽勝だったな。最後を除いて」

「う……しつこいなぁ。ちょっと、安心しちゃったっていうか……その」


 保健室を出て、一階の廊下を歩く。確かに最後は油断してしまった。あまりにもあっさり調査が終わったのもあるけど、たけるくんが恐ろしい幽霊だなんて思えなくなってしまったからだ。


「ふん。……あんまり油断するなよ。調査で危険は避けられる。だが、それでも怪談は恐ろしいものなんだからな」

「……うん。あの、ピヨ助くん。……ごめんね」


 ピヨ助くんの言う通りだった。どれだけ安心できたとしても、怪談は恐ろしいもの。

 それを忘れてはいけない。わたしは素直に謝った。


「む……わかればいいんだ、わかれば。ほら、行こうぜ。暗くなるぞ」

「あーほんとだ。もうほとんど日が暮れてる。ケーキ屋さん行きたかったな」

「そんな場合かよ。早く帰れ。テストあるんだろ?」

「うわ……なんてこと思い出させるの……」


 嫌なことを思い出し、わたしはとぼとぼと歩き出して……。



『あ~あ……』



「ん? ピヨ助くん、なにか言った?」

「テスト。学期末試験。佑美奈、現実から目を逸らすな」

「ち、ちがうよ! それじゃなくて……ああもう、いいよ。はぁ、帰ったら勉強しなきゃなぁ。ピヨ助くんが代わりに試験受けてくれたらいいのに」

「アホ言うなよ。そんなんできるわけないだろ」

「わかってるよ。言ってみただけだよ」


 でも、代わりに……か。

 そういえば、たけるくんが怪談をジャックして、元々の幽霊と入れ替わったのなら……その元の幽霊はどこに行ってしまったんだろう? 成仏したのかな?

 たぶん、そうだよね。


 ……それよりも、さっき聞こえた声。あ~あ……って。確か怪談を回避した場合の……。


 わたしは少しだけ、引っかかるものを感じつつ。

 学校を出て、その足で『アウラ・ケーキ』に寄り、ケーキを買ってから家に帰った。

 ……勉強には甘い物が必要、だよね?



 そして翌日。


 早川先生は、幽霊を見ることも、声を聞くことも、なかったそうだ。


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