保健室の子供の声・参「たけるくん」
「だからー、報酬はドーナツ2個。下調べ手伝ったからもう1個。これは正当な要求だよ」
「下調べで1個追加は認めてやる。だが報酬は増やせないな。そもそも理由がないだろ」
食堂では交渉に決着がつかず、保健室に向かいながらもそんな話をしていた。
「おかあさん、どこー?」
「いいじゃんケチケチしないでよ。わたしが食べたいだけなんだから」
「どこらへんが正当な要求だ? おい」
「……おかあさーん」
「ったく、一個で充分だろ? 下調べだって、写真のこと聞けって指示したの俺だぞ」
「そもそも最初から打ち合わせしておけば、あんなに困らなかったよ!」
「そこはあれだ、お前のアドリブ能力を試したんだよ」
「やっぱりわざとなんだ! ぜったいに報酬一個追加だよ!」
「お、おかあさん、どこ……かなー……」
「お前ほんと甘い物のことばっかりだなー。甘い物のことしか考えてないから、甘い物の話しか出てこないんだろ」
「うっ……それは認めざるを得ないけど。ミカちゃんにも言われたことあるし。でもそれとこれとは話が別だよ!」
「お、か、あ、さああぁぁぁん!!」
「えっ……?!」
「むっ……」
夕暮れ時の保健室前。突然そんな大声が聞こえて、わたしたちはビックリする。
「い、今のって、もしかして……?」
「ああ。保健室から聞こえたな」
「なんか、噂されてる怪談とイメージ違うね。なんか元気そう」
「寂しそうな声ではなかったな」
「っ……!! そ、そこに誰かいるのー? 一緒にお母さんを探して欲しいなー」
「あんまり困ってなさそうな感じの声だね」
なんというか、わざとらしい。
「ふぅむ。もしかしてまた改変されてしまったか?」
「っ!! うっ……うう、おかあ……さん」
「あ、ちょっと悲しそうになった」
「ふむ。泣いてるかも知れないな。……どっちにしろ開けなきゃ話が進まん」
「そうだね。じゃあ開けるよー」
ガラガラと、保健室のドアを開ける。鍵はかかっていなかった。
ドアを開けた先には……。
「…………」
保健室の真ん中、男の子が半泣きでこっちを睨んでいた。
「えっと……こんにちは? こんばんわ、かな」
「…………」
男の子は無言のまま、すっと手を伸ばしてくる。
反射的に手を取ろうとしてしまったけど、わたしは慌てて手を後ろに引っ込める。あぶないあぶない。
わたしは少し身を屈めて、
「きみ、お名前は?」
「……たける」
「たけるくんだね。あ、わたしは佑美奈。よろしくね」
「……はぁ。調子狂うなぁほんと。お姉ちゃんたちみたいなのは初めてだよ。だいたいなんなの? その後ろのでっかいヒヨコ」
たけるくんはため息をつくと、じと目でピヨ助くんを見る。
「これはね、ヒヨコの姿をした人の幽霊で、名前はピヨ助くん」
「幽霊? へぇ……初めて見た。人なのにヒヨコって、変なの」
わたしの説明にちょっとだけ興味を持ったのか、目を大きくして子供っぽい顔になる。
一方のピヨ助くんは目を鋭くし、羽を腕のように組む。
「なんだ、思ったより生意気そうなガキだな?」
「……ま、あんな反応されちゃあね」
たけるくんはプイッとそっぽを向いた。
あんな反応? わたしたち、なにか悪いことしただろうか。心当たりはなかった。
「お姉ちゃんたち、怪談の内容知ってるんでしょ?」
「まぁ、うん。そうだけど」
手を取らなかったからわかったんだろう。誤魔化してもしょうがないので、素直に認める。
「またかー。最近そんなのばっかりだよ。誰も手を取ってくれないんだ。冷やかしで会いに来るヤツばっかり」
「そ、そうなんだ……」
怪談話に最初から回避方法がついてるから、当たり前なんだけど……。
なんかこの子、すっかりやさぐれちゃってる。
「お姉ちゃんたちもそうなんでしょ? 幽霊に会えてよかったね。じゃ、ばいばーい」
「ま、待って待って、わたしたちはそうじゃなくて」
「落ち着けクソガキ。俺たちは怪談の調査に来たんだよ。わかるか? 調査」
「調査……? 調べてどうするのさ」
怪訝な顔をするたけるくん。まあそうだよね。
「怪談を調べ、真相を見つけ出す。怪談の本当の意味と、幽霊が本当に言いたいことを調べるのが、俺の目的だ」
「ふーん……。でも幽霊なんでしょ? あんたも」
「幽霊だろうと人間だろうと同じことだ。クソガキが」
ピヨ助くん、子供相手にちょっとムキになってない? しょうがないなぁ。
「あのね、たけるくん。ピヨ助くんは生前から怪談を調べていて、死んでも調べ続けるほどの執念を持ってるんだよ」
わたしがそう補足すると、たけるくんはぽんと手を叩いて、
「そっか、ちょっとおかしい人だったんだね」
と言って納得した。
「なんだとクソガキ」
「まぁまぁピヨ助くん。さっきから子供相手に大人げないよ」
「そーだそーだ。……ヒヨコなのに大人げないだって。ぷっ、くくく、あははははは」
あ、やっと笑った。たけるくんはピヨ助くんを指さして笑っている。
ピヨ助くんは不服そうだが、大人げないという指摘が意外と効いているのか、何も言わなかった。
「……でだな。たけるだったか。自分の怪談の内容が、ここ数年で大きく変わったことに気が付いているか?」
気を取り直して、ピヨ助くんは本題に入る。
「ぼくの怪談が? うーん……どうなのかな。よく覚えてないよ」
「覚えてないの? たけるくんの意志で、怪談の内容を変えたんじゃないの?」
「どうして? ……よくわからないけど、噂されるうちに変わったんだと思うよ。そういうもんなんでしょ?」
たけるくんの言う通り。幽霊の意志とは関係なく、噂が伝わる過程で内容が変わってしまうこともある。前にピヨ助くんがそう教えてくれた。
でも今回は、たけるくんがこの怪談をジャック、乗っ取ったはずなんだけど……。
わたしが返事に困っていると、ピヨ助くんが答えてくれる。
「それにしては内容が大きく変わり過ぎているんだ。俺が調べた5年前からな。……いや、正確には6年前か」
「え……?」
6年前?
ピヨ助くんが死んだのは5年前。6年前ということは、少なくともその1年前からこの学校で怪談を調べていたことになる。
「小さな変化なら、時間と共に起きるだろう。……だかここまで大きな変化の場合、何かしらの理由がついているものなのだ」
「ふーん。じゃあぼくの怪談も、なにか理由があって変わったっていうの?」
「そうだ。本当に覚えてないのか?」
たけるくんは腕を組み、考え込む。
「うーん……そう言われてもなぁ。ぼくはやっぱり、みんなが話す噂のせいだと思うんだけど」
……なんだか雲行きが怪しくなってきた。わたしはそっとピヨ助くんに話しかける。
「ね、ピヨ助くん。本当に怪談ジャックなの? ぜんぜん自覚なさそうだよ?」
「ああ……。だが、そういうものなのかもしれない」
「……どういうこと?」
「とにかく、先生の子供だってのは間違いないはずだ」
「それはそうなんだろうけど」
「ねーねー。じゃあさ、そこまで言うなら説明してよ。大きく変わった理由ってなんなの?」
たけるくんは腰に手を当てて、そんなの無理だろ、という感じでふんぞり返った。
「もちろん説明してやる。まず……お前の探しているという、お母さんについてだが」
「あ……ちょっと待って。ねぇたけるくん。お母さんってどんな人?」
わたしはつい、ピヨ助くんを遮ってそう聞いていた。
「おい、佑美奈……」
「ごめん、ちょっと聞いておきたくて」
本当は、ピヨ助くんに任せておけばいいんだと思う。でも、この子が本当に早川先生の子供なら、話を聞いておきたい。
「お母さん? ……いつも働いてたよ。ぼく、一人で留守番すること多かった」
「そうなんだ。お母さんは優しかった?」
「うん……。夜にならないと帰ってこないけど、いつもお菓子買ってきてくれた。お父さんはもっと遅かったけど、寝る前まで遊んでくれたよ」
「そっかぁ……いいお父さんとお母さんだね」
「なんだよお前……幸せそうな家族じゃないか」
「しあわせ……。うん、そうだったと思う。でも」
たけるくんはそこで、俯いてしまう。
「ぼくは自分がもう幽霊だってわかってるよ。死んじゃったってことだよね。……お父さんとお母さん、どうなっちゃったかな」
「……それは」
「ふん。普通に生活してるに決まってるだろ」
「ちょっと、ピヨ助くん」
冷たいことを言うピヨ助くんを、わたしは止めようとする。だけど、
「なんだよ、おかしなことは言ってないだろ。今まで通り普通に働いて、普通に暮らしている。毎日を普通に過ごしているはずだ。……それとも、毎日泣いて過ごしていて欲しいか? 後を追って自殺して欲しいのか? どうだ、たける」
「ぼくは……うん。普通に暮らしていてほしい。元気でいてほしいよ。……泣いてくれてないのは、ちょっぴりさびしいけど」
「ふたりとも……」
……そうだ。たけるくんの境遇は、そのままピヨ助くんにも当てはまるんだ。
自分が死んで、そのせいで両親が普通の生活を送れなくなってしまっていたら……とてもやりきれない。
ピヨ助くんも、両親のことが気になってたりするんだろうか……。
「おかあ……さん……」
たけるくんが悲しそうな声をだす。
わたしは少しでも元気を出してもらいたくて、考える。
「たけるくんのお母さんは、甘い物好きだった?」
「お前はまた……」
「いいでしょ、別に」
早川先生は喫茶店『星空』のパンケーキをよく食べに行くって言ってたし。
「うーん、わからない」
「じゃあたけるくんは? ケーキとか好き?」
その質問に、しかしたけるくんはとんでもない答えを返した。
「ううん。ケーキって女の食べ物でしょ? ぼくは男だから食べないよ」
「えぇぇ?! そんな……もったいない」
仰天した。信じられなかった。同じ人間……いや幽霊だけど、そんな人がいるだなんて。
「ほう? なんとも偏った考えだな。男だって甘い物くらい食うだろ」
「えー? 食べないよ! かっこわるいし」
「かっこ悪い? 違う、それは違うよたけるくん! そういうことじゃないんだよ! いい? 甘い物っていうのはね、ケーキっていうのはね、誰が食べても幸せな気持ちになれる、素晴らしいものなんだよ? そこに男女の差はない。平等なしあわせがそこにあるんだよ。わかる?」
「え、えーっと……わからない」
「俺もよくわからんぞ」
わたしが熱く語ったのに、たけるくんとピヨ助くんは引いていた。だけどわたしは負けない。
「なんでわからないの? ああもう、今ここに、ケーキがあれば! その素晴らしさを教えることができるのに。甘い物を食べてる時っていうのはね、こう……自分の中で、甘みと共にしあわせがふわっと広がっていくんだよ。辛いことがあった時、疲れてしまった時、甘い物を食べるとふっと心が軽くなるの。明日からがんばれる。そういう気持ちになる。活力になる。元気になる。それこそが、誰もが求めているしあわせなんだよ。甘い物を食べることで、誰でもしあわせになれるんだよ。だからね、たけるくんがもし甘い物を食べる機会があれば、しっかり味わってほしい。しあわせを感じてほしい。わたしのこの言葉を思い出してほしいんだよ!」
わたしは拳を握り、語りきる。これできっと、ふたりにも伝わったはず。
「お姉ちゃんこわいよ……」
「食べる機会なんてあるわけないだろ……。俺たち幽霊なんだぞ」
「えぇー……?」
ますます引いてしまう二人。
おかしいな……なんで伝わらないんだろう。この甘い物にかける想いが。
「ハァ……ったく。もういい、単刀直入に聞くぞ。たける、早川久子という名前に聞き覚えはあるか?」
「あ……」
わたしがショックを受けている隙に、ピヨ助くんはついにその名を出してしまう。
するとたけるくんは……。
「はやかわ……ひさこ……」
ぼうっと宙を見て、名前を繰り返す。
驚いているのか、思い出せそうなのか、それともまったくわからないのか。表情からは読み取れなかった。
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