保健室の子供の声・弐「保健室の先生」
放課後になるとすぐに、わたしはピヨ助くんと共に保健室へと向かった。
怪談『保健室の子供の声』。
ミカちゃんが話してくれた内容は、ピヨ助くんが5年前に調査した内容と全然違うらしい。
でもわたしはもう知っている。怪談話は改変されていくものだって。
人に伝わる過程で、より怖く、より驚くように、話は変えられていく。
それを教えてくれたのは、他ならぬピヨ助くんなんだけど……。
その辺りのことを、5時限目が終わった後に聞いてみた。
「こうも違うと、どっちにしろ調べ直しだ。改変の過程も気になるしな」
「そんなに違うの?」
「ああ。タイトル通り、保健室の中から子供の声が聞こえてくる、という基本部分は同じだ。だが聞こえてくる声は母親を探す声ではなく、子供が遊んでいる声だ」
「遊んでるって、楽しそうな声ってこと?」
「そうだ。そして外で聞いているのがバレると、一緒に遊ぼうと誘ってくるんだ。そこで保健室のドアを開けてしまうと……」
「そこからは同じ? 中に子供がいて、手を伸ばしてくるんだっけ」
ピヨ助くんは首を横に振る。
「いいや。……ドアを開けた瞬間、問答無用で人形にされてしまい、おもちゃにされて、最後には四肢をもがれて殺されてしまうんだ」
「うわっ、こわっ! そんな危ない怪談だったの? それは確かにさっき聞いたのと全然違うね」
「だろう? 随分マイルドになったもんだ。それに、この怪談は……」
「うん? 他にもなにかあるの?」
「……いいや、なんでもない。放課後になったらすぐに保健室に行くぞ」
それ以上は話を聞くことができなかった。
……保健室のドアを開けたら、問答無用で殺されてしまう。
今朝見たあの夢でも、そんなようなことを話していた。
映像の無い、声だけの不思議な夢。
声の感じは、わたしと同じ年頃の男の子と女の子だったと思う。
あれはきっと、この『保健室の子供の声』のことを話していたんだ。
授業が終わりホームルームが終わると、すぐに教室を飛び出して、わたしたちは保健室に向かった。
もちろん、まだ日は暮れてなくて……。
「ピヨ助くん。よく考えたら急いだらだめなんじゃない? まだ日が暮れてないよ?」
ミカちゃんから聞いた話では、放課後夕暮れ時の保健室だったはずだ。
今行っても怪談に遭遇できないかもしれない。
「いいんだよ。今回は5年前の調査が役に立たないかもしれない。まずは下調べだ」
「下調べ……あ、そっか。なるほどね」
前回はピヨ助くんが生前調査した内容が鍵となっていた。
でも内容が大きく変わってしまっている今、その情報が通用しないかもしれない。
「かなり改変されているからな。きちんと下調べしてからじゃないと危険だろ」
「慎重だね」
「当たり前だ。怪談は怖いものなんだぞ。しっかり安全を確保してから調査をするんだ」
「……そっか」
ピヨ助くんの言葉に、ドキッとしてしまう。
『私は危険が伴う怪談に誰かを巻き込んだりしないわ。巻き込む時は、徹底的に調べて安全を確保してからよ』
夢で女の子の声が言っていた言葉と同じだ。
あれはその女の子と男の子の会話だった。もしかしたら男の子の方は……。
「おい、佑美奈? なにぼーっとしてるんだよ」
「え……してないよ?」
「またどうせ甘い物のことでも考えてたんだろ。ドーナツならやらんぞ。依頼料は払い済みだからな」
「わ、わかってるよ。もう。……それで? 下調べって具体的になにするの?」
「ちょっとな、気になることがあるからそれを調べる。もしかしたら、改変の手がかりになるかもしれん」
「おお、もう目星が付いてるんだ?」
「まーな。5年前と今とで、怪談以外にも変わったことがあるんだ」
「怪談以外で、変わったこと……?」
なんだろう……なにか変わったんだろうか? あれこれ思い浮かべてみたけど、わたしには思いつかなかった。
「着いたぞ。……よし、まだ中にいるな」
ピヨ助くんは保健室のドアに顔をぶつけ――すり抜けて、すぐに戻ってくる。
さすがのわたしもピンと来た。
「あ、もしかして変わったのって」
「この中にいる養護教諭だ」
そう言うと、ピヨ助くんは保健室のドアをガラッと一気に開けた。
「え、ちょっ……! ピヨ助くん?!」
「わっ、びっくりした……。あら? あなたはさっき、ミカさんと一緒にいた……」
早川先生が振り返る。
手元のなにかを見ていたようで、慌ててそれを机に置いた。
「あ、えっと、すみません。弓野佑美奈です」
「弓野さんね。次からはノックしてくれるかしら」
「はい……本当にすみません」
謝りながら、横目でピヨ助くんを睨んだ。
ピヨ助くんは素知らぬ顔で、保健室の中を見て回っている。
もう……絶対わざとだよね。
突然開けるなんて酷い。まだ心の準備ができてなかったのに。
「具合が悪いわけじゃなさそうね?」
「は、はい。ちょっとお話がしたくて」
「なるほど、いいですよ。……そんなに緊張しなくても大丈夫よ? そうやって保健室に来る子、結構多いから。さあ、そこに座って」
わたしは勧められるままに、診察で使うくるくる回る丸椅子に座った。
そういえば、先生は女子からよく相談を受けているって、ミカちゃんが言ってたっけ。
(それで……いったい、なにを話せばいいの? ピヨ助くん!)
下調べとピヨ助くんは言うけど、こういうことをするのは初めてだ。なにをすればいいかわからない。
なのにピヨ助くんは打ち合わせ無しでドアを開けてしまった。
(投げっぱなしとか酷い……。あ、でもこれって、報酬多めに請求できるよね)
怪談調査に協力する代わりに、ピヨ助くんからはとっても甘くて美味しいドーナツを貰う契約をしている。
これがあるからこそ、興味のない怪談を調べるのに協力しているのだ。
……協力することになっちゃった、と言った方が正しいんだけど。でも、あんなに甘くて美味しいドーナツと出会えたんだから、わたしは後悔していない。
「はい。麦茶でいいかしら」
「えっ! あ、わざわざすみません!」
そんなことを考えている間に、早川先生は麦茶を注いでくれていた。ありがたくコップを受け取る。
「本当に、もっとリラックスしていいのよ? ミカさんもいっつもここでお茶を飲んでいくから」
「あはは……そうなんですか」
ミカちゃんは遠慮しなさそうだもんなぁ。目に浮かぶよ。
「そっか、弓野さんが例のゆみゆみ……」
「えっ……? 例の……なんですか?」
「ううん。ちょっとね。ミカさんから、甘い物好きの友だちがいるって話をよく聞くから」
「……えぇ?」
ミカちゃん? いったい、先生になに話してるの……? 今度聞き出さなきゃ。
「ま、それはともかく。話ってなにかしら。なにか相談事?」
「あ……えーっと」
ちらっとピヨ助くんを見るが、保健室内をあちこち物色していて、助けてくれる気配はない。
……絶対多めに報酬(ドーナツ)貰うからね。
「なにか、話しにくいこと?」
どうしよう、なにを話せば……。たぶんピヨ助くんは情報を引き出して欲しいんだろうけど、そんなノウハウわたしにあるわけがない。
いきなり怪談のことを聞くのはおかしいし、まずはなんでもいいから話をして場を繋ごう。
話題、話題……。こういうとき話し好きのミカちゃんなら、すらすらと話が出てくるんだろうなぁ。
すらすら出てくる……話題……。
「……早川先生は、甘い物好きですか?」
「えっ……? そ、そうね。嫌いではないわよ」
結局出てきたのはいつもの甘い物のことだった。
ああ、ピヨ助くんが白い目で見ている気がする!
先生は頬に指を当てて考える仕草をすると、
「駅前に、喫茶店『星空』ってお店があるんだけど」
「あ! わたしそこよく行きます! スフレパンケーキが美味しいんですよね」
「そうそう。さすがね、やっぱりこの辺りのお店は網羅しているのかしら?」
「もちろんです。食べに行ったことのないお店はありません」
わたしはきっぱり言い切る。
「本当に、すごいわね……。星空のパンケーキは私もよく食べに行くのよ」
「そうなんですか? ふわっふわで美味しいんですよね……。行くといつもダブルで頼んじゃいます」
「私はシングルでしか頼んだことがないんだけど、ダブルだと多くないの?」
「足りないぐらいですね」
「……ふふっ、ミカさんの言っていた通りね。本当に甘い物が好きなのね」
「はい! 大好きです」
「世界中の甘い物はすべて自分のものだと思っているのよね」
「はいっ! わたしのものです!」
わたしは満面の笑みで答える。
が、すぐに真顔になった。
「って、それミカちゃんが言ってたんですか?!」
「そうよ? さすがに話を盛ってると思ったんだけど……そうでもなさそうね」
「あ……いやぁ……ほ、他には? 他にはなにか言ってましたか? 甘い物以外で」
わたしは恥ずかしくて、無理矢理話を変えようとする。
「他には? そうねぇ……最近怪談話にハマッているって」
「えぇ? そ、そんな」
そんなことはない、と言いかけて口を閉じる。
もしかして、これって怪談のことを聞くチャンス? 怪談話が好きとか思われたくないけど……。
「そ、それほどでもないんですけど……あ、そーだー! 早川先生は、この保健室の怪談話、聞いたことありますかー?」
なるべく自然に聞いたつもりなのに、早川先生はちょっと驚いた顔をしたあと、小さく笑う。
「子供の声のでしょう? よく聞かれるのよね、生徒たちに。ミカさんにも聞かれたっけ」
「え、そうなんですか?」
「ほら、怪談の内容的に、保健室の中にいる私は幽霊を見てるんじゃないかって思うみたい。……でも残念。私は幽霊を見たことないし、声も聞いたことないの」
「へぇ……ちょっと意外ですね」
わたしがそう言うと、先生は首を傾げる。
「あら、もっと残念がると思ったけど。でも怪談話ってそういうもんでしょう? 噂は広まるけど、実際に見たって人には会えない。人づてに聞いた話ばかりじゃない?」
「そ、そーです、ね~……」
先生、目の前に実際に幽霊を見た人がいます。もっと言えば、その幽霊がすぐ側にいますよ。
でも先生の言ってることもわかる。
わたしは、自分以外に幽霊を見たって言う子に会ったことがない。
友だちの友だちから聞いたっていう話ばかりだったと思う。
ここでふと、わたしは大事なことを確認しなければいけないことに気が付いた。
「……そういえば早川先生って、いつからこの学校にいるんですか?」
「と、唐突ね?」
「え? あ、ごめんなさい。例の怪談話が、昔は内容が違ったって噂があって……」
「そうなの? それは初めて聞く話ね。……でもごめんなさい。私がこの学校に来たのは3年前。その頃から、今噂されている話と同じだったと思うわよ?」
「そうですか……」
ピヨ助くんの言う通り、この5年の間で先生が替わったらしい。
裏は取れた……けど、これって大した情報じゃないよね。怪談の内容が変わったのはその前みたいだし。
やっぱりわたしにはこういうの向いてないなぁ……。
「おい、佑美奈。これについて聞いてみてくれ」
「え……?」
気が付くと、ピヨ助くんは先生の後ろで、机を指……羽で指している。
そういえば保健室を開けたとき、先生は見ていた何かを机に置いた。わたしの高さじゃよく見えなくて、んっと背筋を伸ばして覗き込むと、手帳くらいのサイズの白い紙が置いてあるのがわかった。
ううん、ただの紙じゃない。あれは……あの大きさは、裏返しにした写真?
「あ、こ、これは違うの、なんでもないのよ?」
わたしのあからさまな視線に気付いて、先生は慌てて写真を手に取り、胸に抱える。
「え……。あ、ええっと……」
その反応にわたしはちょっと驚いてしまい、微妙に手を上げた状態で固まってしまう。
先生は写真を抱えたまま、
「本当になんでもないのよ。これはね、私の子供の写真なの。それを見ていただけだから」
「はぁ、子供の写真だったんですか。裏返しだったので、見えてなかったんですけど」
「え?! あ、あはは……いやね、私ったら。余計なことまで言っちゃったわよね、今」
先生は顔を真っ赤にして恥ずかしがっているけど、写真はそっと胸ポケットにしまってしまった。
「あ、あの~……先生のお子さん、って」
早川先生、結婚してたんだ……ちょっと意外。年齢はわからないけど、まだまだ若く見えるし、そういう雰囲気も無かった。指輪も……うん、してない。
「……お願い、言いふらさないでね?」
「大丈夫ですよ、わたしはそんなお喋りじゃないですから」
「ミカさんには絶対言わないって約束してくれる?」
「はい。ミカちゃんに話したら、全校生徒に広まっちゃいますからね」
「……ある意味怖ろしい子よね、ミカさんって」
「でも、広める内容は選んでるんですよ。なんでもかんでも広めたりはしないです」
「そうなの? でも一応……お願い」
「わかりました。先生がそう言うなら、ミカちゃんにも誰にも話しません」
「ありがとう」
先生は、ふう、とため息をついてから、話し始めてくれた。
「……見ていた写真は、さっき言った通り私の子よ。でもね……もう、会えないの」
「え? 会えないって…………あっ。その、ごめんなさい! わたし、変なこと聞いちゃって」
わたしはそこでようやく、先生の心のとても大事な部分に無遠慮に踏み込んでいることに気が付いた。きっと、他人が軽々しく触れてはいけない領域。
「……弓野さん、あなたは優しい子ね。そんな悲しそうな顔しないで?」
「で、でも……」
「だったら、いい? これは先生とあなただけの秘密。ね?」
「はい……。わかりました」
結局話はそこで終わり。
わたしはピヨ助くんと一緒に保健室を後にした。
*
「あーあ……とんでもない話を聞いちゃったよ」
廊下に出て、わたしはため息をつく。
まさかあんなに重たい話を聞くことになるとは思っていなかった。
「ちっ……。バレないようにと、なにも触らないようにしてたのが裏目に出たな。こっそりめくって写真を見れば良かった」
「やめなよ……趣味悪いよ?」
ピヨ助くんが鼻を鳴らして、わたしを横目で見る。
「ふん。だが佑美奈、お前も勘付いたと思うが……」
「勘付いたっていうか……。もしかしてっていうか」
「あの先生の言い方。あれはつまり、先生の子はもう死んでいるんだろうな」
「うん……わたしも、そうなんだと思う」
もう会えない、死んでしまった子供の写真を見ていたんだ。そしてそれは……。
「ここからは俺の推測だが、怪談『保健室の子供の声』の内容は、3年前、あの先生が来てから変わったんだろう」
「うう、それってやっぱり……」
「どういう経緯でそうなったのかはわからないけどな。保健室から聞こえてくる子供の声の正体は、先生の子供の幽霊だ」
先生の話はショックだったけど、その後すぐに、わたしもピヨ助くんと同じ連想をしていた。だから余計に、わたしの心は重くなる。
「……でもそんなことってあるの? 怪談話は昔からあるのに」
「わからんが……だが、そう考えれば内容が大幅に変わったのにも納得がいく。怪談の主である、霊そのものが入れ替わったんだからな」
「つまり怪談を乗っ取ったってこと?」
「お、いい表現だな。怪談ジャックだ」
思いつきで言ったのだけど、ピヨ助くんはその表現を気に入ったようだ。
わたしは少し呆れて、
「なんかほんと……怪談って、いい加減だよね」
「怪談話というのは、そもそも人の噂話だ。いい加減で当たり前なんだよ」
「ヘンに説得力あるね、それ」
噂話だからいい加減で当たり前。そう言われてしまうと、納得するしかない。
それにしても、怪談の幽霊の正体が先生の子供だなんて。
お母さんを探している幽霊……か。
「よしっ。下調べはばっちりだ。少し時間をおいて、日が暮れた頃にもう一度来るぞ」
「うん……。あ、そうだ。下調べ手伝った分、ドーナツもらうからね?」
「は? そんなのやるわけないだろ」
「ダメだよ。いきなり保健室のドアを開けた件もあるんだから。絶対もらうよ」
「そんなことあったか?」
わたしたちは食堂に移動して、飲み物を買って時間を潰すことにした。
ピヨ助くんに報酬のドーナツの数を交渉し、ひとしきり文句を言い終えて……。
夕暮れ時。再び、保健室にやってきた。
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