いっしょに……・弐「怪談の幽霊」


 日が落ちて、誰もいない夜の学校。当然廊下は真っ暗で、月明かりが少し先の闇を照らしてくれている。

 ひとまず階段に向かい、そこからもう一度教室まで歩くという作戦になった。

 そこまでしなくてもって思うけど、会うまで何度も廊下を往復させられそうだし、ピヨ助くんの言う通りできる限り条件を揃えて会う確率を上げておいた方が、早く調査が終わるかもしれない。


 わたしのクラスは2年5組。4組までは3階なのに、5組だけ何故か2階という謎配置だった。しかも昇降口のある階段から一番遠い位置にあるから、クラスでは色々と不評だ。……今回の怪談調査には打って付けみたいだけど。


 教室を出て階段まで戻る途中。当然気になるのは廊下の外、学校の裏手にある千藤森林公園だった。

 この森林公園は、昔からある森の一部を公園として利用したもの。最寄り駅の北千藤駅から見て南西部に広がっている森で、千藤高校はこの森のちょうど北側に建っている。

 一応廊下から見える森の部分も森林公園扱いになっているんだけど……。実際公園として使われているのはもっと南の方で、この辺りは真っ暗な森そのまま。ほとんど手を付けられていない。


 昼間は特別意識したことがなかったけど、夜の校舎から見ると……不気味。

 怪談を聞いたからか、そんな風に感じてしまう。


「あっ……そうだ、ピヨ助くん」

「なんだ? やっぱり怖くなったか?」

「ううん、そうじゃなくて……。さっきの話に出てきたこの森で起きた殺人事件って、本当にあったことなの?」

「そのことか……」


 ピヨ助くんは何故だか黙ってしまう。


「ピヨ助くん?」

「……霊に会う前に、あまり詳しいことを話さない方がいいと思ったんだ。が、怪談に出てくる少女も、事件のことを知っていたんだったな」


 促すと、そんな前置きをして話し始めてくれた。


「事件があったのは本当だ。15年……いや、20年前に本当にあった事件だ。女子生徒が殺されていたらしい」

「………………」


 わたしは思わず、もう一度森の方に目を向けてしまう。

 闇の中に、横たわる女子生徒の姿を想像してしまい……。


(聞かない方がよかったかも……)


 正直、幽霊よりもそういう事件があったという話の方が怖い。

 わたしは森から目を背けて、足早に階段に向かった。


「よし。これからお前は忘れ物を取りに教室に戻る。一応下の踊り場から出発しよう」

「それはいいけど……ピヨ助くん。そろそろお前って言うのやめよう? 名前教えたんだから」

「いいだろどっちでも……」

「ピヨ助くん?」


 いかにもめんどくさそうにクチバシを尖らせるピヨ助くんを、わたしはじろっと睨みつけた。


「わかったわかった。お前にヘソ曲げられると面倒だからな。……佑美奈、頼むぞ」

「うん! ……あーあー、しまったなー、鞄忘れて来ちゃったー。教室戻らなきゃー」

「……なんだその棒読み。ヘタクソか。そういうのはいらん、見てて恥ずかしい」

「折角ピヨ助くんに倣って徹底的にやろうとしたのに……」


 ちゃんと名前で呼んでくれたから、それに応えようと頑張ったのに。酷い。


 気を取り直して、わたしは下の踊り場から階段を上る。

 正面の窓から再び真っ暗な森が見えて、思わず目を逸らす。


(なにもいるはずがないのに……ね)


 階段を上りきり、角のところで一度立ち止まった。

 ここを曲がって廊下に出て、女の子がいれば……成功? 成功って表現が正しいのかわからないけど。

 でも、幽霊に会って……その後どうするんだろう。そこから先は、ピヨ助くんに全部任せちゃえばいいのかな。


「どうした、早く行け」

「わかってるよ」


 わたしは意を決して角を曲がり、廊下の先に目を向ける。


「……誰もいないね」

「とりあえず教室まで歩け」


 後ろからの声に、わたしは廊下をゆっくり歩く。

 怪談話では、女子生徒はここで事件について思い出していた。


 森の中で、生徒が殺されていた事件。


 ……そうだ。話の中では、生徒としか説明されていない。

 なのにピヨ助くんは、はっきり女子生徒だと言っていた。

 つまり事件について詳しく調べてあるんだ。

 もちろん、出てくる幽霊が女の子だから、そう言っただけかもしれない。

 でも怪談調査がしたいという執念で幽霊になったくらいだ、それくらいのことは調べていると思う。


 あとでちゃんと説明してくれるかな?

 怪談話や幽霊には興味ないけど、ここまで巻き込まれてしまったらさすがに気になる。


(それにしても、本当に暗い森だなぁ……)


 今さらながら、ここは物騒な場所だと思う。灯りは無いし、奥に入ってしまえば校舎からも見えなくなる。もちろん学校と森の間には塀があるし、道もない森の中にわざわざ入る人もいないはず。

 だけど20年も前とはいえ、生徒が殺されたという話を聞いてしまうと……。


(……チョコレートでも食べようかな。こういう時は、甘い物だよね)


 気を紛らわすために、ポケットからチョコレートを取り出そうとして――


「――――っ!」


 ……

 廊下の向こうから、女の子が歩いてくる。

 しかも怪談にあった通り、わたしが着ているセーラー服と違うデザインの制服だ。

 10年くらい前に制服が変わったのは知っていたけど……。


(出てきたよ、ピヨ助くん)


 幽霊が現れたのに、後ろにいるはずのピヨ助くんの反応がない。

 気付いていない? もしかして見えていないの? 取り憑けば会えるはずって言ってたのに。


(ピヨ助くん……あれ?)


 振り返って声をかけようと思うのに、それができない。前から歩いてくる女の子から目を逸らすことができない。声も出せない。これも怪談の効果?


(大丈夫……囁かれるだけだから。大丈夫……)


 自分にそう言い聞かせて、落ち着こうとする。よくわからないけど、こういう時パニックになっちゃいけないんだと思う。

 この怪談自体には害は無い。すれ違いざまに不吉なことを囁かれて、ちょっと怖い思いをするだけだから。


 女の子はもう、目の前まで迫っていた。長い髪の子で、紺色のセーラー服を着ている。


「………………」


 わたしはやっぱり目が離せない。声も出ない。代わりに、ごくりと唾を飲み込む。

 やがて、すっとわたしの脇を通り……


「いっしょに死にましょう?」


(……きた!)


 わたしは慌てて振り返る。今度は首が動いた。するとそこには……。



「ふん……なるほどな」

「…………なぁに? これ。どういうこと?」


 偉そうにふんぞり返るピヨ助くんと、喧嘩腰の女の子が、睨み合っていた。



(えぇー……。なんか、シュールだなぁ)


 おかげで怖いのが吹っ飛んでしまった。


「ようやく会えたな、怪談『いっしょに……』の幽霊」

「あら? もしかしてあなたも幽霊なの? どう見ても人間じゃないわよね」


 女の子は声のトーンを変えてそう言うと、くるっと振り返る。


「こっちの子も普通の子じゃないみたい。すれ違った後の私が見えちゃってるし?」

「ど、どうも……あはは。あの、あとはピヨ助くん……そっちのヒヨコにお任せしますので」


 もうわたしのことは放っておいて欲しい。あとは幽霊の二人に任せてしまいたい。

 だけどそうもいかないみたいだ。幽霊の女の子は、わたしとピヨ助くんを交互に見て、首を傾げる。


「どうなってるの? これ。ずーっと幽霊やってきたけど、こんなの初めてだわ」

「だろうな。俺も他の霊に会うのは初めてだ」


 ピヨ助くんはそう言うと、バサッと小さな羽を広げる。


「だが、こうして会えたのもなにかの縁! さあ、この怪談話の真相を聞かせてくれ!」


 わたしはちょっと引いて、


「ピヨ助くん……なにかの縁って、そういう風に仕向けたんでしょ」

「余計なことを言うな、佑美奈!」


 冷静にツッコミを入れると、ピヨ助くんは怒り出した。彼なりのプランがあるようだ。しかし女の子は、その話に目を輝かせる。


「なになに? それどういうこと? なんか面白そうね!」


 あ……笑った。この幽霊、ノリノリだ。

 改めて見ると、女の子の幽霊は髪の長い美人さんだった。今は無邪気に笑っているけど、全体的に大人っぽい雰囲気がある。背もわたしより高いし。女の子というより、お姉さんという印象だ。


「ふふっ。いいわよ、なにが聞きたいの? 何でも聞いて? その代わり、これがどういうことなのか教えてね?」

「ああ、構わんぞ。いくらでも教えてやろう。まずこの状況だが――」

「あ、待って、ピヨ助くん」


 わたしは気になることがあって、説明を始めるピヨ助くんを遮る。


「あの、幽霊さん。できたら名前を教えてもらえませんか?」

「またお前は……」

「名前? それくらい、いいわよ。名前は……あれ? 名前……? なんだっけ?」

「お、覚えてないんですか?」


 ピヨ助くんの時はあからさまに誤魔化されたけど、この幽霊さんは本当に覚えてなさそうだ。


「う~ん……ずっと名乗ることがなかったのよね。あ、私こう見えて幽霊歴長いから」

「は、はぁ……」


 ちなみに幽霊歴は20年ですよ、と教えてあげるべきだろうか。


「じゃあねぇ……とい子。私のことは、とい子でいいわ」

「とい子さん……ですか?」

「今なんとなく思い浮かんだ名前だから、たぶん本名じゃないと思うけどね」


 なんていい加減な……。なにもないよりは呼びやすいからいいけど。


 女の子の幽霊、とい子さん。思ったよりあっけらかんとしているけど、でもこの人は、


「とい子さんって、やっぱりそこの森で」

「こら佑美奈! そういう話は俺がする!」

「あ、ごめん。つい……」


 なんとなく流れで聞いてしまった。調査は全部ピヨ助くんに任せようと思っていたのに。

 とい子さんは森に視線を向けると、首を傾げる。


「森? 森……。そうね。佑美奈ちゃん、だっけ?」

「は、はい、そうです」

「半分正解ってところね。……私は確かにあの森で死んだけど、でも、あなたの知っている事件で死んだのは……」


 とい子さんは微笑んで、少しだけ溜めてから続きを口にする。



「私じゃないと思うわよ?」



「……え? どういうこと、ですか?」


 20年前、森で殺されたのはとい子さんではない?


「ふふっ……」

「…………」


 とい子さんは艶然と笑む。

 ピヨ助くんはそんなとい子さんを、黙ってじっと見つめていた。


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