失われた怪談話・七「幽霊よりも甘味が食べたくて」
わたしは机の上で、そっと手帳を閉じる。
「はぁ~……。なんかまだ、頭がぼんやりするなぁ」
昨日は怪談調査のせいで、へとへとになってしまった。
早く放課後にならないかな。今日は甘い物を食べに行くと決めている。
まだ昼休みになったばかりだけど、想いは放課後に飛んでいた。
「ゆみゆみ~。お昼ご飯たべよ?」
「ミカちゃん。そうだね。……あ、今日はパンなんだ」
「うん。最近お気に入りなんだ~」
ミカちゃんは自分の椅子を持ってきて、わたしの正面に座る。
わたしは鞄からお弁当箱を取り出して、ミカちゃんの置いたパンの入った紙袋を見た。
どこかで見た紙袋だ。店の名前すら書いていない紙袋。
「それ、昨日くれたドーナツの?」
ミカちゃんがくれた、チョコファッションドーナツ。あの紙袋と一緒だ。
パン屋さんで売っていたと聞いた。
「そうそう。近所のパン屋さんでね~。ここ数年休業してたんだけど、最近営業再開してさ~。小さい頃よく食べてたから、懐かしくって」
「なんてお店だっけ?」
「ことりベーカリーだよ~」
「へぇ~……。ドーナツは普通だったけど、でも美味しかったよね」
「ここはパンも美味しいよ~。今度行ってみる?」
「うん! 行ってみたい」
わたしたちはそんな約束をして、お昼を食べ始める。
「そういえばゆみゆみ~。こんな話を聞いたよ~」
「……もしかして怪談話?」
「そうだよ~。えっとねぇ」
わたしの返事も待たず、ミカちゃんは話し始める。
『学校のドーナツ』
放課後の誰もいない教室、机に置かれた袋がひとつ。
中には美味しそうなチョコレートドーナツがふたつ。
ついつい食べたくなるけれど、食べちゃいけない。
ドーナツ見たら、放っとけ。
それでもドーナツ食べたなら、気を付けなくちゃいけない。
突然空から血まみれの鶏が落ちてくる。
驚いて逃げても、そいつはどこまでも追いかけてくる。
捕まったら最後だぞ。霊の世界に魂持ってかれる。
ドーナツ見たら、放っとけ。
「って怪談なんだ~」
「血まみれの鶏って……」
「あはは、なんかちょっとグロいよね~」
「う、うん。そうだね。ご飯時にはちょっとね」
お弁当、から揚げ入ってるんだけどな。それで食べられなくなるわけじゃないけど。
「ゆみゆみは気を付けなきゃだめだよ~? ……あれ? この話前にもしたっけ?」
「ううん? 初めて聞く怪談だと思うよ」
わたしはそう答えて、お弁当を食べるのを再開した。
*
放課後、わたしは『甘味処・
駅前通りから路地を一本入ったところにあって、和風の一階建て。入口は小さいけれど奥は結構広い。個室があって落ち着いて食べることができる、隠れ家的なお店だ。
少し値が張るから、ここに来るのはなにかあった時や、自分へのご褒美の時だけにしている。
幸い今日はお客さんが少ないみたいで、一番奥の個室に通してもらえた。
「今日は奮発したよ。白玉クリームあんみつパフェと、わらび餅とお茶のセット」
まずはわらび餅に黒蜜をかけて、ひとつ口に入れる。
「あぁ~……ぷるんとして美味しい。きなこと蜜の甘みが最高~」
ゆっくり味わいながら食べると、お茶を一口飲んでリセット。
次はパフェに手を付ける。
「クリームにあんこって、もう最強だよね。白玉と一緒に……うん、もちもちして甘くて美味しい。素晴らしいよ」
つい一口、二口、スプーンが進んでしまう。ゆっくり味わいたいのに止まらない。
「ご褒美だもんね、堪能しなきゃ。う~ん、最高!」
昨日は本当に色んなことがあった。
わたしはがんばった。だからこれは、そのご褒美。
屋上で、怪談調査。そこでわたしは――。
「……あ、そういえば。聞きたいことがあったんだ。ピヨ助くん」
正面に向かって問いかける。すると、
「あ? なんだよ急に」
ぶっきらぼうに、ピヨ助くんが返事をした。
大きなヒヨコの姿のまま。幽霊のピヨ助くんは、わたしの目の前にいる。
その姿を見て――わたしは昨日のことを思い出していた。
◆
「うそ……本当に消えちゃったの? 無かったことになるの? ……あれ? なにが……?」
自分で言った言葉の意味がわからない。ついさっきまで覚えていたことが、ふっと頭から消えてしまって思い出せなくなる。もどかしい気持ち。
……焦り。
感情だけがわたしの中に残っている。
ガサッ。
「これ……」
わたしは何故か、紙袋を手にしていた。これのことも思い出すことができない。
だけど……
……ドーナツ。
不意にそんな単語が頭に浮かんで、ゆっくりと紙袋を開けた。
「ほんとにドーナツだ……」
どうしてわたしはドーナツを持っているんだろう。
わからないけど……。
「いただきます」
躊躇無く、わたしはそのドーナツを口にしていた。
「甘い! とっても甘くて美味しいドーナツだ!」
しっとりとした生地に、あまいあまーいチョコレート。
ふわふわした食感と共に、トッピングのシュガーが溶けていく……。
夢のような甘さが口いっぱいに広がっていく。
初めてじゃない。わたしはこの味を、食感を、知っている。
「そうだ……わたしはこのドーナツを……何度も食べてきた」
怪談調査をするたびに。依頼料として。報酬として。
いっぱい、とっても甘くて美味しいドーナツを食べてきた。
それでも、わたしは。
「わたしまだ、ドーナツ食べ足りないよ! ……ピヨ助くん!!」
「……お前ってやつは、とんでもないな。佑美奈」
その声に、わたしはハッとなる。
呆れ顔のヒヨコの幽霊が、目の前にいた。
「リンクが再接続されたんだ。お前がそのドーナツを食べたからな」
「……ぷっ、なにそれ? だとしたらすごいね。紙袋を掴めたの、偶然だったから」
「ちげーよ。俺がお前に持たせたんだ」
「えっ。どういうこと?」
「気付いたんだよ、お前と
◆
そんなわけで元通り。
わたしはピヨ助くんに取り憑かれている。
今日は自分へのご褒美とは別に、おつかれさまの意味も込めて、ピヨ助くんをこの店に連れてきたのだ。
「おい、なんだよ。聞きたいことがあるって言って黙るな」
「あ、ごめんごめん」
つい、昨日のことを思い出してしまい、ぼーっとしてしまった。
わたしは改めてピヨ助くんに問いかける。
「ピヨ助くんって、本名……フルネーム、オドリキュウスケ、なんだよね」
「ああ、そうだが?」
「キュウスケは、漢数字の九に助なんだよね?」
「それがどうかしたのかよ。どうでもいいことなら聞くんじゃない」
「どうでもよくないことだよ。……名字のオドリってさ、小鳥って書いてオドリ?」
「やっぱそれか。はいはい正解だ。ったく、どうでもいいじゃねーか」
「珍しい名字だよね」
「ふん。小さい頃はよくバカにされたぜ」
「あるよね~そういうの。……じゃあさ。ピヨ助くんの家って、もしかしてパン屋さん?」
「……は? なんで……」
「あれ? 違った? ことりベーカリーってパン屋さんかなって思ったんだけど」
「いやいやいや、なんでお前が知ってんだよ!」
「おぉ? 合ってた? わたしすごい!」
思いつきだったけど、どうやら当たっていたようだ。
なんかちょっと嬉しい。
「おい! 答えろ! どうやって俺のこと調べた! 一日しか経ってないんだぞ!」
「あはは、偶然だよ偶然。ミカちゃんがね、ことりベーカリーの近くに住んでいて、今日そこでパンを買ってきてたんだよ」
「あいつか……なるほどな。って、それだけじゃ普通結びつかないだろ」
「そうだね。でもね、そこのパン屋さん、数年休業してたんだって」
「休業……だと?」
「昼休みにミカちゃんから詳しく聞いたんだけどね。……そのパン屋さんの息子さんが、数年前に事故で亡くなって。それで休業しちゃったみたい」
「…………」
「そこでピンと来たんだよ。パン屋さん、ドーナツも作ってるって言うし。名前もことりベーカリーだし。もしかしてってね」
「……そうか」
ピヨ助くんが俯いてしまう。
自分が原因で休業してしまったと聞いて……責任を感じているんだ。
「5年、か。……長いよな」
「……うん」
わたしは頷いて――すぐに首を傾げた。
「あれ?……自分で言っておいてなんだけど、ピヨ助くんってさ、行方不明になってるんじゃないの? 話が合わないよね?」
「ああ、それな。……今は、5年目に死体が発見されたことになっている」
「えぇ?」
行方不明ではなく、死体が発見された――ことになっている? 今は?
「リンクを再接続した際に、時の狭間に捕らわれていた俺の身体が解放されたんだ。もちろん5年前にな。だからすぐ発見され、事故死ってことになった」
「はぁ~……。本当に、怪談ってすごいね」
怖いというより、なんかもう、ただただすごい。
ちょっとやそっとじゃ驚かないと思っていたけど、さすがに驚いた。
「それでもピヨ助くんはヒヨコの姿のままなんだね」
「……そうなんだよな。もうわけわかんねぇ」
失われた風見鶏とピヨ助くんは混ざったまま。怪談話も。
「……あ、違う。そうだピヨ助くん、『学校のドーナツ』改変したでしょ? 内容少し変わってたよ?」
「お、もう聞いたのか? 相変わらずはえーな。どうだ、怖かっただろ」
「怖いっていうか……そもそも血まみれの鶏に襲われるって、前にわたしが言ったのそのままだよね?」
「そうだな。パクリ――もとい、参考にさせてもらったぞ」
「パクリって、もう……。別にいいんだけどさ」
「それでどうだったんだよ。怖かったか?」
「怖いっていうか、ちょっとグロかったよ」
前にぜんぜん怖くないって言ったこと、ずっと気にしてたんだろうか。
だったら――。
「……うん。でもそれだけだね。まだまだだと思う。ぜんぜんホラーじゃないよ」
「ぐっ……。自信あったんだが」
がくっと肩を落とすピヨ助くん。
幽霊にとって、自分の怪談が怖いかどうかは大事みたいだね……。
「あぁそうだ。俺もお前に話があった」
ピヨ助くんはすくっと顔を上げる。
「うん? なんだろ?」
「その……あれだ。言ってなかったなと、思ってな」
「言ってなかった? まさかまだ、なにか秘密が……」
「違う違う。そうじゃねーよ」
ピヨ助くんは一度咳払いをしてから続きを言う。
「佑美奈。……昨日は、ありがとな。俺のとこまで来てくれて」
カラーン。
「えっ……ピヨ助くん……?」
「そんな驚いた顔すんじゃねーよ!」
わたしは今のピヨ助くんの台詞に、よっぽど驚いたようだ。
まさかわたしが、手に持ったスプーンをテーブルに落とすなんて。
甘い物好きとして、あり得ないことだ。
「だ、だってまさか、ピヨ助くんにお礼を言われると思わなかったから」
「ふん! 俺はちゃんと感謝をするぞ。……ただ佑美奈の場合、報酬のドーナツがあるからな。あまりそういうことを言う機会が無いだけだ」
「あはは、契約だもんね、確かにそうかも」
あんまり気にしたことはなかった。
契約、ギブアンドテイク。お互い気を遣わずに、協力関係を築いてきた。
「……うん。言う機会、少ないよね。じゃあわたしからも。
ありがとう。ピヨ助くんのおかげで、色んな幽霊に……人に、会えたよ」
ピヨ助くんだけじゃない。怪談調査を通じて、色んな人と仲良くなれた。
怪談話にはまったく興味のなかったわたしだけど。
今は少しだけ、好きになってしまったかもしれない。
「お前はほんと、変わったヤツだよ」
「ピヨ助くんに言われたくないなー」
わたしは笑って、パフェを口に運ぶ。
ああ、本当に美味しい。甘い物ってしあわせな気分になれる、究極の食べ物だと思う。
ううん、もしかしたら今は、しあわせな気持ちをブーストしてくれているのかも。
「佑美奈。こうなったからには、本当に全部の怪談を調査するぞ」
ピヨ助くんは立ち上がる。……座ってたんだ、というくらいちょっとしか高さが変わってないけど。
「今回のことで気付いたが、お前は俺とは違う視点で怪談を見ている。その違いはきっと、調査の上で役に立つ。だからこれからも、俺の怪談調査を手伝って欲しい」
「…………」
「……おい」
「…………」
「おい! 大事なこと言ってんだから、パフェ食べるの一旦やめろ!」
「あっ、つい。止まらなくなっちゃって」
一口食べたらもう一口食べたくなる。怖ろしい、いや素晴らしい食べ物だ。
「ピヨ助くん安心して。もぐもぐ。ちゃんと手伝うから」
「だから食いながら話すな。……ったく。結局変わらないな、佑美奈は」
「ん~……」
確かにお行儀が悪かった。
わたしは飲み込んでから、改めてピヨ助くんの顔を見る。
「しょうがないよ。だってわたしは――」
やっぱりもう一口。スプーンで白玉を口に運び、その甘さと美味しさにしあわせをたっぷり感じてから、続きの言葉を言う。
「幽霊よりも甘味が食べたいんだから」
幽霊よりも甘味が食べたい
「失われた怪談話」了
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