失われた怪談話・六「時を回す」


「ピヨ助くん!」


 校舎裏。わたしはピヨ助くんに駆け寄った。

 だけど呼んでも反応がなくて、肩は……叩きにくかったから、頭をぽんと叩いた。


「あれ? ピヨ助くん?」


 それでも反応が無く、わたしは何度かぽんぽんと叩きながら、正面に回り込む。


「ねぇピヨ助くん? ピヨ助くんってば!」


 明らかに様子がおかしかった。

 まん丸な瞳は、なにも映していない。

 無機質で作り物のような目とクチバシ。まるで本物の着ぐるみのようだ。



「せっかく会えたのに……。どうすればいいの?」


 揺さ振ってみてもまったく反応がない。魂が抜けてるみたいだ。幽霊なのに。

 わたしはどうしたらいいか途方に暮れてしまう。


 思わず天を仰いで――屋上のフェンスが目に入った。


「そういえば……屋上で見た風見鶏って、この辺りだったよね」


 上の方は暗くて見えづらい。なんとか目を凝らしてフェンスの上を探してみたけど、風見鶏の姿はどこにもなかった。


「『失われた風見鶏』……かぁ。よくよく考えると、不思議な話だよね」


 そもそも風見鶏って? 怪談の内容には、風見鶏が無くなったとか、そういう話はなかった。

 怪談そのものが消えかけていたみたいだけど、それとタイトルは関係ないはず。

 ピヨ助くんも、話の舞台は屋上なのに、こんなところにいるし。


 これってもしかして、ぜんぜん情報が足りてないんじゃ?


「うーん……。あ、そうだ。こんな時は」


 わたしはポケットからピヨ助くんの手帳を取り出す。わからない時は、怪談調査手帳を読めばいい。

 もっとも『失われた風見鶏』のページには、怪談の内容しか書かれていなかった。


(だけど、ピヨ助くんが事前調査をまったくしていないなんてこと、あり得ないんだよね)


 この手帳は開かないページがある。

 もしかしたら今なら……。


「あっ、次のページが開けた!!」


 思った通りだ。ピヨ助くんが下調べした内容が書かれている。

 わたしはそのページを読み進める。


「なになに……もともと屋上には風見鶏がついていた。だけど何年も前の台風で、根元からポッキリ折れ、どこかに飛ばされてしまった。あっ、そういうこと?」


 そもそもこの怪談。台風で飛ばされて無くなったはずの風見鶏が、何故か屋上にある、という話だったんだ。

 時間と共にその部分が端折られてしまい……何故か、時間を回すとかいう違う話になっていた。


「タイトルに名残はあるけど、だいぶ改変されちゃったんだね」


 しかもその結果、怪談そのものが消えてしまいそうになるなんて。


「あれ? もう1ページめくれる」


 さらにめくると、そこには殴り書きのようなメモ。

 いいや、メモというよりも、自分の言葉を書き残したような感じだった。

 それは――。




“これだ。この怪談だ。失われた風見鶏に触れば、飛べるかもしれない。1年前のあの日に。”




「……これって。もしかしてピヨ助くんは」



『風見鶏に触ったら、どこかの時間に飛ばされる』



 失われた風見鶏の怪談の最後に、こう書かれていた。

 ピヨ助くんは1年前に飛ぶつもりだった。それは……。


「鳴美さんを助けるために……?」


 鳴美さんが開かずの教室で神隠しに遭ったのは、ピヨ助くんが死んでしまう1年前。

 ひとりで怪談調査に挑んだ鳴美さんを、止めようと考えたのかもしれない。


 わたしは手帳の続きを読む。



“問題は俺の存在がどうなってしまうのか、わからないことだ。

 念のため、記録を残しておく。俺は、”




……」




 ピヨ助くんの……名前?



「おい、なに人の手帳勝手に読んでんだよ」

「あ、ごめ……えぇっ?!」


 振り返ると、そこには――。


「ぴ、ピヨ助くん! 生きてたの?!」

「いや生きてないんだが」


 ごもっとも。思わず変なことを聞いてしまった。


 ピヨ助くんは不機嫌そうに、ジト目でわたしを見ている。

 さっきまでの無機質な瞳ではなく、ちゃんと光が宿っていた。

 クチバシも滑らか過ぎるほど滑らかに、着ぐるみなんかじゃなく生き物みたいに動いていた。


(名前を呼んだから、戻った? ううん、今はそんなことどうでもいい!)



「もう! 大変だったんだよ、ピヨ助くん!」

「大変だっただあ? もとはといえば佑美奈、お前がドジったせいでこうなったんだろ! なんだよ反省くらいしてると思えば、ったく――」

「本当に、大変だったんだから!」

「お、おい?」


 わたしは思わずピヨ助くんに抱きついていた。


「いろんな人に助けてもらって……やっとここまで来たんだよ」

「あー…………そうか。まぁ、なんだ。頑張ったんだな。佑美奈」

「うんっ……ごめんね、ピヨ助くん……」



 初めて抱きついたけど、ピヨ助くんの身体は羽毛でふわふわで、思った以上に気持ちがよくて。

 わたしは落ち着くまで、しばらくそのままでいさせてもらった。




                  *




「もう大丈夫か?」

「うん。あはは、ちょっと気が緩んじゃったかなぁ」


 わたしは照れながら、ピヨ助くんから離れる。


「ピヨ助くんこそ、大丈夫なの?」

「ああ……。全部、思い出したぞ。『失われた風見鶏』、俺が死んだのは……このでだ」

「怪談の中で? どういうこと?」

「それはだな……いや、もういいだろう。話す必要はない」

「えぇー?! ここまで来てそれはないよ! わたしはちゃんと、真相を知る覚悟をしてきたんだよ?」

「うるさい! お前には関係無いことだ」


 ピヨ助くんはそう言ってそっぽを向いてしまう。


「……ピヨ助くんは、鳴美さんを助けようと思ってこの怪談に遭ったんだよね?」

「そうだ。その通りだ。よし、真相はわかったな。終わりだ」

「むっ……」


 おかしい。明らかになにかを隠そうとしている。

 一番誤魔化しそうな、鳴美さんのことはあっさり認めたのに。

 他にどんな秘密が……。


「あ。……ねぇピヨ助くんさ、風見鶏にんだよね?」

「……そうだが」

についてたよね、風見鶏」

「だからどうした。この話は終わりだと言っただろ」


 フェンスの上の風見鶏に触ろうとしたのに、ピヨ助くんはその下、校舎裏にいた。

 これはつまり。



「ピヨ助くん、もしかして。触ろうとして……?」

「くっそ! お前、ほんとこういう時だけ鋭いのな!」



 くるっと振り返ったピヨ助くんは、珍しく顔を赤くして恥ずかしそうに怒っていた。


「あぁー……なるほどねー……」

「やめろ! そんな目で見るな! あぁ、ったく。忘れていたかった……」


 今度はがっくりと肩を落とす。自分でもショックだったのだろう。気持ちはわからないでもない。

 屋上のフェンスを登るなんて、危ないに決まってる。落ちたら助からない。誰でもわかることだ。恐くて登ろうと思わないよ、普通なら。


 まったく、ピヨ助くんは……。それだけ鳴美さんを助けたかったってことなんだから、恥ずかしがることないのに。



「……でもそんな事故があったなら、もう少し話題になってそうだけどね」


 屋上から生徒が落下。結構なニュースだ。

 それこそ、怪談話になっていてもおかしくない。


「仕方ないだろ。誰も俺がここで死んだなんてんだからな」

「えぇ? そんなはずないでしょ。さすがにこんなところで死んでたら……」


 とい子さんの怪談のように。校舎の中からでも見えてしまう。

 すぐに発見されたはずだ。


「言っただろ。俺は『失われた風見鶏』のんだ」

「うん、言ってたね。それがどう関係あるの?」

「さっきの鋭さはどこいった? 失われたはずの風見鶏が屋上にある時点で、すでに時の狭間に入り込んでいるんだよ」

「えっ……そうなの? じゃあ、時の狭間で死んじゃったから」

「そうだ。誰にも発見されていない。行方不明になっているだろう」


 行方不明。たけるくんと会った時にその可能性は考えたけど、本当にそうだったなんて。


「だがな。そこでおかしなことが起きた」

「おかしなこと? まだなにかあるの?」

「『失われた風見鶏』は、忘れられて消えそうになっていた怪談だ」

「うん。鳴美さんから聞いたよ」

「あの人ちゃんと帰ったんだろうな? ……まぁいい。死んだ時、消えかけの怪談と、怪談調査を続けたいという俺の執念が。その結果」

「……あっ、もしかして」


 わたしは思わず、一歩引いてピヨ助くんの全身を見る。



「ヒヨコの幽霊になり、怪談『学校のドーナツ』が生まれたわけだ」

「ああー! なるほど!!」



 今、ようやくすべての謎が解けた気がする。

 ピヨ助くんが死んでしまった理由も、ヒヨコ姿の幽霊になった理由も。


(風見鶏、ニワトリとひとつになって……ヒヨコ姿に!?)


 正直、こっちの方がよっぽど恥ずかしいというか、笑ってしまいそうになる。

 おかげで幽霊になれたんだろうけど……だめだ。


「ぷっ、あはははは! そっか、だからヒヨコの姿だったんだ、あははっ」

「おい、そんな笑うとこじゃないだろ」

「ご、ごめんごめん。でもずっと謎だったことが解けてスッキリしたよ」

「……本当に忘れていた方がよかったかもな」


 なかなか笑いが止まらなかったけど、深呼吸してなんとか自分を落ち着かせる。



「ふぅ。さ、これで怪談調査は終わりだね。そろそろ帰ろっか、ピヨ助くん」


 ピヨ助くんにも会えたし、真相もわかった。

 怪談『失われた風見鶏』の調査は終わり。あとは帰るだけだ。


「……そうだな。怪談調査は終わりだが……佑美奈。お前とはお別れだ」

「……え? ピヨ助くん、なに言って……」


 思わず言葉を止めてしまう。

 ピヨ助くんは真剣で、冗談を言っているような顔ではなかった。


「言っただろう? ここは時の狭間だ。捕らわれたら最後、外には出られない」

「うそ……わたし、ここから出られないの?」

「安心しろ。俺と佑美奈のリンクを切れば、怪談の外に出られる」

「リンクを切る?! どうして? どうして切ると出られるの?」

「俺とのリンクを完全に切ることで、お前の時間が元に戻るからだ」

「時間が戻る? ……あ、無かったことになるってこと? 全部……?」

「今日ここでのことが無くなるんだ。ま、一緒に俺のことも忘れちまうかもしれないが。……夢だったと思ってくれ」

「無理だよ! ていうか嫌だよそんなの!」


 わたしはピヨ助くんの頭を両手で掴んだ。


「お、おい? 佑美奈、放せ。痛いだろ」

「怪談調査で色んな人と会った。みんなと仲良くなれたよ」

「安心しろ、そいつらのことは忘れないはずだ。俺がそこにいなかったことになるだけで」

「だめだよ、ピヨ助くんと一緒に仲良くなったんだから、いなかったことになんてできないよ」

「……いや、だが」

「だがじゃないの! 絶対ピヨ助くんを助けるんだって決めたんだから。わたしはそのためにここに来たんだよ。

 ……忘れたの? こないだの怪談調査、図書室で調べ物したから、ドーナツひとつ追加でくれるって言ったでしょ。まだもらってないよ」

「言ってねーよ。お前が一方的にくれって言ってただけだろ。……ったく、しょうがねーな」


 ピヨ助くんはどこからか、例の紙袋を取り出す。


「あっ、ドーナツ!」

「これは、俺が夜食に食べるために持ってきたドーナツだった」


 わたしは頭から手を放して、紙袋を受け取ろうとする。

 だけどピヨ助くんは自ら袋を開けて、羽を中に入れる。


「お前は売ってる店を知りたがったが、残念ながらこれは売り物じゃない。……俺の親が作ったドーナツだったんだ」

「えっ……?」

「死ぬ前に食べればよかったよ」


 ピヨ助くんが、袋から取り出したのは――


「あっ――ピヨ助くん! だめ!」

「じゃあな。その手帳はやるよ。大事にしろ」



 ――



 ピヨ助くんの羽の中で、風見鶏は勢いよくクルクル回転し、光が溢れ出す。

 直感的にわかった。ピヨ助くんは無理矢理リンクを切るつもりだ。



「ピヨ助くんはそれでいいの? 消えちゃっていいの?」

「ああ……。死んでから、いくつも怪談調査ができた。もう、十分だ」

「ウソだよ! だって、すべての怪談を調査するんでしょ!」

「すべて……か。俺は――俺は……」


 ついに光でピヨ助くんの姿が見えなくなる。声も聞こえなくなる。


 わたしは咄嗟に手を伸ばし、ピヨ助くんの羽を掴もうとして――。



 ガサッ!



 紙袋を掴む感触がして、光が消えた。



 そこは、誰もいない学校の屋上。ちょうど日が沈みきるところだった。

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