第8話「失われた怪談話」

失われた怪談話・壱「ピヨ助くんの手帳」


「はぁ…………」


 午前の授業が終わり、わたしはため息をついた。

 今日も授業がまったく頭に入らなかった。

 見た目は真面目に授業を受けているように見えるみたいで、指されてなにも答えられずにいると、怒られるよりも心配をされてしまった。


 こういうのはよくない。わかっているんだけど……。


「わたしは本当に大バカだよ……」


 なにをしていても、どうしても考えてしまう。

 三日前。『杉の木のつかいさま』を試した時のことを。


 つかいさまとのお別れの手順を間違えば、一緒に占った人との縁が切れてしまう。


 ちゃんと聞いていたはずなのに、わたしは間違えてしまった。


 わたしとピヨ助くんの場合、縁はそのまま霊的な繋がりのことを指すんだと思う。

 とっても甘くて美味しいドーナツが繋いでいた、わたしたちのリンク。

 そのリンクが切られて、ピヨ助くんは……怪談の幽霊に戻ってしまった?


(それなら……いいんだけど。でも……)


 わたしはずっとポケットに入れていた、手帳を取り出す。


 ピヨ助くんの調


 ピヨ助くんが消えたあと、足下にこれが落ちていたのだ。

 とっても大事なものなのに……どうして落としていったんだろう?

 これがないと怪談調査ができないはず。


(まさか満足した? それでわたしにこれを残して……)


 ううん、と首を振る。

 ピヨ助くんは怪談調査がしたくて、その執念で幽霊になったのだ。そう簡単に満足するとは思えない。


 ただ、鳴美さんのことがある。

 ピヨ助くんは否定していたけど、やっぱり先輩を助けるために調査をしていたんじゃないだろうか。

 鳴美さんを解放できて、満足していた可能性はあると思う。


「うぅ~ん……わからないよ」


 いくら考えても答えは出ない。

 わたしはもう一度盛大なため息をついて、机に突っ伏した。


「はぁ…………。間違えちゃいけないところだったのになぁ」


 思考がループして、また三日前のあの時のことを考えだす。

 違うことを考え始めても、すぐにそこに戻ってしまう。その繰り返しだ。


「……どうして、いっつも忘れちゃうんだろうなぁ」


 怪談は、幽霊は、怖ろしいものだって。

 絶対忘れちゃいけないのに。わたしは油断をしてしまう。


(ピヨ助くん……)


 わたしの油断のせいで。大バカだったせいで。

 ピヨ助くんは消えてしまった。


(もう、会えないのかな……)




「ゆみゆみ~? なんかすっごく物憂げな顔してるね~?」

「えっ、あ……ミカちゃん」


 顔をあげると、すぐそこにミカちゃんの顔があった。

 机の正面にしゃがみ込み、顔を覗き込んでくる。


「ここんとこおかしいよね。なにか悩みがあるなら、相談に乗るよ?」

「そんな……ううん、だいじょうぶ、だよ」


 そんなことない、とは言えなかった。

 さすがに自分でもおかしいとわかっている。

 でも……それを説明することができない。


「ん~。じゃあそんなゆみゆみに、はい。これでも食べよ?」

「えっ……これって」


 小さな紙袋。中身は見えないけど、きっと……。


「ドーナツ……?」


「正解~。あれ? よくわかったね。透けて見えてた?」

「う、ううん? なんとなく……そうかなって」


 無地の茶色い紙袋。大きさ的にも、ピヨ助くんが出してくれていたのとそっくりだ。


「ゆみゆみに~って思ってね。朝買ってきたんだ~」


 ミカちゃんが紙袋を開けて、ドーナツを一つ取り出す。

 チョコファッションドーナツ。オールドファッションにチョコレートをかけた、シンプルなドーナツ。


 ……少しだけ、あのドーナツを期待していた自分がいる。


「ゆ、ゆみゆみ? ほんとうに大丈夫?」

「え、な、なんで?」

「だってゆみゆみがドーナツを見てがっかりするなんて。初めて見たよ」

「う、うそ?! わたしがっかりしてた? そんなことないよ、嬉しいよ」

「そう? あ、なんかちょっと元気出てきたね~。はいどうぞ」

「あ、ありがと……」


 ドーナツを受け取ると、ミカちゃんは自分の分を取り出して食べ始める。

 それを見て、わたしもぱくっと一口食べる。


「ちなみに~味は普通だと思うよ」

「……うん、そうだね。どこで買ったの?」

「近所のパン屋さんだよ~。ことりベーカリーっていう小さなお店でね~」

「へぇ……初めて聞いたよ」


 甘い物好きのわたしは、この辺りの甘い物屋さんは制覇している。

 だけどさすがに、パン屋さんは範囲外だった。そうだよ、パン屋さんだって甘いパンを売っているんだ。わたしは慢心していた。パン屋さん見落としておいて、なにが制覇か。この街にはまだまだ可能性がある。よし、今度菓子パン巡りをするぞ。


「よかった。ほんとうに元気でてきたみたいだね」

「あ……」


 ミカちゃんがニカッと笑うのを見て、わたしはどれだけ彼女に心配をかけていたのか、ようやく気付くことができた。

 涙が出そうになるのを堪えて、わたしはミカちゃんに笑顔を返す。


「……ありがとう、ミカちゃん」

「えへへ~、どういたしまして」


 本当にありがとう。ミカちゃん。


 いつまでも落ち込んでたってしょうがない。

 わたしが今、するべきことは……。


(ピヨ助くんがどうなったのか、ちゃんと調べなきゃ)


 甘い物を食べたら、そんな考えが浮かんだ。

 こうなったのもわたしが間違えたせいなんだから、きちんと調べよう。


(動かないと、ずっとこのままだもんね。……でもその前に)


「ミカちゃん、ドーナツおいしいよ」

「うん! おいしいね~ドーナツ」


 ふたりで食べる美味しいドーナツを、ゆっくり味わうことにした。




                  *




「うーん……やっぱり、手がかりはこれしかないよね」


 放課後、誰もいなくなった教室で席に座り、わたしは腕を組み机の上を睨んでいた。


 視線の先にあるのは、一冊の手帳。ピヨ助くんの怪談調査手帳だ。


「気にはなっていたんだよね」


 この手帳には不思議なところがある。


 わたしは手帳を開き、適当にパラパラパラっと――

 途中で開けないページがあって、ばさっとまとめてめくれてしまうのだ。

 一カ所だけじゃなくて、いくつもそういうページがある。

 糊付けされているわけじゃない。どちらかというと、ビニール袋が静電気でぴったりくっついてるのに似ている。ぴったりくっついていて、めくろうと指で擦っても一緒に動いてしまう。開きそうなのに開かないのがちょっとイライラする。


 逆に開けるページはというと……。


「……わたしとピヨ助くんが調査した怪談だけなんだよね」



『いっしょに……』

『保健室の子供の声』

『開かずの教室の神隠し』

『校庭のサッカーボール』

『第2会議室の呪い』

『杉の木のつかいさま』



 この六つの怪談が書かれたページだけ、開くことができるのだ。



「あ、ちゃんと『いっしょに……』が『とい子さん』に訂正されてる」


 なんだか懐かしい。

 ピヨ助くんとふたりで、色んな怪談を調査した。

 ページをめくっていくと、当時のことが思い出される。

 ……杉の木のつかいさまのページは、読むのが辛いけど。


「そういえば、『学校のドーナツ』は?」


 ピヨ助くんの怪談である『学校のドーナツ』が見当たらない。

 自分の怪談だから、書いていないのだろうか?


(ぜんぜん怖くない話だしね)


 わたしは杉の木のつかいさまのページを読み終えて、手帳を閉じようとして――





   失われた風見鶏





 ――そんな文字が目に飛び込んできた。



「失われた……風見鶏?」


 わたしは閉じようとした手を止めて、書かれていたページをしっかり開く。



『失われた風見鶏』



 どうやら怪談のタイトルのようだ。

 聞いたことないし、調査もしていない。それなのに……このページは開いた。


「…………」


 わたしは意を決し、怪談を読み始める。






『失われた風見鶏』


放課後の誰もいない屋上、フェンスの上で風見鶏がカラカラ回る。

とっても古い風見鶏、そこにあったかわからない。


ついつい眺めてしまうけど、すぐに帰ったほうがいい。

ニワトリ見たら、放っとけ。


天を眺める鶏は、時間をくるくる回してる。

ずーっと見つめていたならば、時の狭間に捕らわれる。


風見の鶏に触ったら、どこかの時間に飛ばされる。

ニワトリ見たら、放っとけ。






「こ、これって……!」


 読んでいる途中で気が付いた。

 内容はまったく違うけど、でも似ている。


 ピヨ助くんの『学校のドーナツ』に。


 わたしは少し忘れかけていたあの話を思い出してみる。






『学校のドーナツ』


放課後の誰もいない教室、机に置かれた袋がひとつ。

中には美味しそうなチョコレートドーナツがふたつ。


ついつい食べたくなるけれど、食べちゃいけない。

ドーナツ見たら、放っとけ。


ふたつのドーナツの穴は、霊の世界を覗く穴。

ドーナツ食べれば、霊の世界が見えてしまう。


霊の世界を覗いたら、魂そのまま持ってかれる。

ドーナツ見たら、放っとけ。






「……うん、やっぱり似てるよね」


 ニワトリ見たら、放っとけ。

 ドーナツ見たら、放っとけ。


 ここなんてニワトリをドーナツにしただけだし。

 他のところだって、霊の世界を時間や時の狭間に置き換えれば、ほぼ同じ内容になる。

 そもそも話の構成がまったく同じだ。


「偶然? ……ううん、これはきっと……」


 ここまで一致しているのが、偶然なわけがない。

 怪談調査をしてきたわたしにはわかる。これは。



「『学校のドーナツ』は『失われた風見鶏』が!」



 間違いない。

 怪談は人から人へと伝わるうちに、時間をかけて改変していくことがある。

 でも稀に、なにか大きなきっかけによって短期間で大幅に改変することもあるのだ。


「そっか、ピヨ助くんが5年前、死んだ時に調査していた怪談は……!」


 失われた風見鶏。


 わたしは立ち上がり、教室を飛び出した。




                  *




「飛び出したはいいんだけど……わたし、この怪談に遭えるのかな?」


 屋上への階段を上りながら、わたしは根本的な疑問に突き当たっていた。


 わたしが霊感を持っていたのは。

 条件を満たせば必ず怪談に遭遇するようになっていたのは。


 ピヨ助くんに取り憑かれていたからだ。


 ピヨ助くんとのリンクが切れた今……わたしに、いわゆる霊感というものは残っているんだろうか?


「……行ってみるしかないんだけどね」


 遭遇できなかったら、できるまで。

 何度でも挑戦すればいい。


 わたしは屋上の扉を開いた。



「…………えっ?」



 そこはピヨ助くんとよく話をする、いつもの屋上だった。

 風見鶏は見当たらない。

 だけど代わりに……。



「久しぶり、ゆみちゃん」

「なっ、鳴美さん?!」



 制服姿の白鷺しらさぎ鳴美なるみさんが、笑顔で手を振っていた。

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