開かずの教室の神隠し・七「明かされない謎」
後日。わたしは一人でケーキ店『しらゆき』に来ていた。
ピヨ助くんも連れてくるか迷ったけど、まずはわたし一人で確かめたくて。
前回同様、チーズケーキを注文。貰ったドリンク無料のサービス券で紅茶を頼み、席で待つ。
夏の午前中だからか、他にお客さんはいない。わたし一人ぽつんと座っている。
やがて、ケーキと紅茶を持った店員さんがやってきて、テーブルに並べていく……が、紅茶のカップが二つ置かれた。
「あ、友紀子さん……」
「こんにちは。また来てくれたのね」
「はい。チーズケーキ、好きなので」
友紀子さんはそのまま、わたしの正面の席に座った。
他にお客さんがいないとはいえ、まさか相席してくるとは思わなくてビックリした。
「ちょっとね。あなたと話がしたくて。母さんには言ってあるから安心して」
「えっ、わたしとですか? ……なんでしょう?」
「それは……。鳴美の、ことなんだけど」
友紀子さんは、話しづらそうに目を逸らす。
一方のわたしは、その名前が出ただけで、手にした紅茶のカップを取り落としそうになった。
「し、白鷺、鳴美さん……ですか?」
「いったいどこで知ったの? 私の、妹のこと」
「ええっーと、それはちょっと、学校で」
「学校で? そういえばあの子同好会に……。まあいいわ。それより、こないだはごめんなさいね。知らない、なんて言っちゃって」
「い、いえ。わたしも突然変なこと聞いちゃって。ごめんなさい」
わたしが頭を下げると、友紀子さんは少し笑って、
「あなたは謝ることないのよ。私は……妹が、鳴美がいるのに。いないことにしてしまったから」
「いない、ことに?」
友紀子さんは目を伏せて、少し間を置いてから話し始める。
「……あの子ね。6年前に事故に遭って以来、意識が戻らないの」
「意識が……」
わたしはごくりと唾を飲み込む。
正直、それがなにを意味しているのか、まだわからない。
「外傷は少なくてね、脳も傷ついていないみたいなのに、意識だけが戻らない。不思議な状態でね……。私はその現実から目を逸らしたくて。あなたに鳴美のことを聞かれた時、知らないって答えてしまったの。鳴美は、ちゃんといるのにね。生きているのにね」
「そう、ですね。生きて……いるんですね」
白鷺鳴美さんは、生きていた。
わたしはそれをどう受け止めたらいいのかわからなくて、思考が止まってしまう。きっと、今この場で考えを進めてしまうと、混乱してわけがわからなくなりそうだったから。
逆に友紀子さんの方は話すことができて一安心したのか、目を瞑って一息つく。
「あのあと自分なりに考えて、よくなかったなーって、反省したの。だから……これは、わたしの気持ち」
そう言って、わたしの伝票をぴっと手に取った。
「えっ、あの」
「今日のお代は私が持つわ。……お願い、そうさせて?」
「でも…………。はい。ありがとうございます」
友紀子さんの弱々しい笑顔。だけど、どこかスッキリしたような顔を見て、わたしは小さく頭を下げた。
お礼を言うと、友紀子さんは湿っぽい雰囲気を吹き飛ばすようにニッコリ笑う。
「ねぇ、それよりなにか面白い怪談話とかない? 実はね、鳴美が結構怪談話好きだったの。だから、寝ている横で聞かせれば起きるかなって」
「あ、それならとっておきのがありますよ。『学校のドーナツ』っていうんですけど、これが全然怖くなくって――」
わたしと友紀子さんは、しばらくの間楽しくお喋りをした。
……大丈夫ですよ。鳴美さんは、きっと。もうしばらくしたら、帰ってきますから。
*
「鳴美先輩は生き霊だったってことか。いや、最初からそうだったとは限らないな。怪談から解放されたから、そういうことになったのかもしれない。……うーむ、どっちなのかわからんな」
「うん、やっぱりそうだよね」
その日の午後、わたしは昼過ぎに学校に来て、自分の教室でピヨ助くんと会っていた。
出してもらったとっても甘くて美味しいドーナツを食べつつ、わたしは午前中の出来事を報告した。
また勝手に動きやがって、と文句を言われたけど、鳴美さんの今の状態を話したら、クチバシを結び神妙な顔つきになり、最後まで黙って聞いてくれた。
ピヨ助くんの見解は二つ。すべてはさっき友紀子さんから聞いた通りで、鳴美さんは事故に遭い意識不明、友紀子さんは現実から目を逸らし、妹はいないと答えた。そのせいで存在が消えていたように錯覚しただけ。それが神隠しの真相。
もう一つは、神隠しで存在が消されていたが、解放されて元に戻る際に、辻褄を合わせるためにそういうことになった、というもの。
どちらが正解かは、今となっては誰にもわからない。
「でもピヨ助くんは、最初忘れてたんだよね? 鳴美さんのこと」
「そうだな。……でも、思い出せているんだよな、俺」
「え、まさかいなくなったショックで存在を忘れたとか言わないよね? ピヨ助くんそんなナイーブじゃないよね?」
「お前、だんだん俺の扱い雑になってきたよな。……無いと思いたいが、言い切ることができないんだよな。ったく、ほんと厄介な怪談だぜ」
ピヨ助くんの言う通り、怖ろしくて、とても厄介な怪談だと思う。
でも、放課後に校舎を彷徨っている女の子を追いかけるというのは、まるでストーカーだ。結構長いこと追いかけてようやく開かずの教室に辿り着くわけだし……被害者は少ないのかもしれない。
よほど好奇心旺盛な、怪談好きでなければ。
「ねぇ……ピヨ助くん。ちょっと思ったんだけど」
「……なんだ?」
「ピヨ助くん、この怪談に遭えなかったんだよね。彷徨う女の子を見付けられなかったって」
「生前の話な」
「生前だけじゃないよ。こないだだって、ピヨ助くんは一度も見ていない」
「そうだが……それがどうかしたか?」
「彷徨う女の子は、幽霊の、鳴美さんの影で……自分の意志が反映されてるって言ってた。ピヨ助くんが見付けられなかったのは、間違った答えを持ったまま来て欲しくなかったんじゃない?」
答えを間違えれば、今度はピヨ助くんが囚われてしまうから。
ピヨ助くんは廊下に視線を向けて、
「……ふん。余計な、お世話だ」
鼻を鳴らして呟いた。
素直じゃないなぁ……ピヨ助くん。
わたしはふたつめのドーナツに取りかかる。
うん、甘い。わたしの頭もあまーくとろけそうだ。
だからだろうか。わたしは何気なく、こんなことを聞いてしまった。
「ピヨ助くんも、実は生き霊ってことはないの?」
「はぁ?」
ピヨ助くんは最初ぽかんと呆れ顔になったが、すぐに真剣な顔になり、
「俺はこれとは違う別の怪談を調査しようとして、死んで、幽霊になったんだ。鳴美先輩のように、生き霊ではない」
「……はっきり言うんだね?」
「自分のことだからな。……死んだ理由については、いまだに思い出せないが」
少しだけ、ピヨ助くんも生き霊であることを期待していた。
怪談調査を続けていけば、ピヨ助くんは元の姿に戻れるんじゃないかって。
でも、はっきり否定されてしまった。
わたしはなんとなく黙って、残りのドーナツを味わう。
……ああ、本当になんて美味しいんだろう?
しっとりとした生地にかかったチョコレート。囓った瞬間にぱりっと割れて、口の中で甘さが広がった。ふわふわしたドーナツ本来の甘さと相まって、スペシャルな甘さを生み出している。
これぞ、しあわせの瞬間。食べ終わってしまうのが勿体ない……やっぱり、やめられない!
「……お前本当に、ドーナツ食べてる時幸せそうだよな」
「当たり前のこと聞かないでよ。わたしは今本当にしあわせなんだから」
「はいはい。わかったわかった」
わたしはゆっくりと咀嚼し、最後までしっかりと味わう。そしてピヨ助くんに一言。
「ごちそうさまでした! ピヨ助くんこそ、最近わたしの扱い雑じゃない?」
「随分間の開いたツッコミだな! ったく……」
わたしは笑って、買っておいた紅茶のパックにストローを差して飲み始めた。
そしてふと、自分の席から廊下に目を向けて、この間のことを思い出す。
「そういえばさ、ピヨ助くん。もう一つ、気になったことがあるんだけど。いい?」
「ああ? 今度はなんだ?」
「結局、開かずの教室は食堂があった場所が正解だったよね。行方不明になったのは外だけど、最後に目撃されたのはそこだったって」
「鳴美先輩がそう言ってたな」
「ということは、旧2年5組はまったく関係なかったってことだよね? じゃあどうして、何があって、5組だけ2階に移されたの?」
「ん? ……あぁ、そういやそうだな」
もともとそうだった……と考えるのは、やっぱり無理がある。昨日入った多目的教室は、そのまま教室として使える部屋だった。それなのにわざわざ5組を2階にしたのには、なにか理由があるはずだ。
ピヨ助くんは腕……じゃなかった、羽を組む。
「俺はてっきり、女子高生が行方不明になり、ポルターガイストが起きるようになったからだと思い込んでいた。それが違うとなると……移された本当の理由はわからないな。先輩はなにか掴んでいたかもしれないが」
「……うん」
『ちゃんと調査したのよ? 根拠もばっちりだったのに。……でも、そうよね。この怪談ものすごーく古いのよね。こっちの話はノイズだったわ』
鳴美さんがそんなことを言っていたのを思い出す。
あれは、怪談とは別に、2年5組の謎があるって意味かもしれない。
「ま、いいだろ」
「え、いいの? ピヨ助くん」
「俺の知る限り『2年5組』が絡む怪談は、今回の『開かずの教室の神隠し』だけで、しかもそれは間違ってた」
「へぇ、そうなんだ。ちょっとホッとしたような」
自分が過ごす教室が、なにかの怪談の舞台じゃなくてよかった。
「それでも気になるなら、鳴美先輩に聞けばいい」
「鳴美さんに? ……夢の中で話せたのって、わたしから話そうと思って話せたわけじゃないし、えーっと、リンク? あれも切れちゃってると思うよ?」
「そうじゃねーよ。どうせ本当にどっか寄り道してるんだろうけど、そのうち帰って来るだろ。……目を覚ましたら、いくらでも聞いてこい」
「あ……うん! そうだね、そうするよ」
そうだ、鳴美さんは生きていて、いつか目を覚ますはずなんだ。
寄り道するとは言っていたけど、帰るべき場所へ、帰るはずだから。
2年5組が移された理由は少し気になるけど、危険は無いみたいだし。その時の楽しみにとっておこう。
わたしはしばらくピヨ助くんとくだらない話をしてから、家に帰ったのだった。
◆
失われた鳴美のメモ書き
――あーもう! これは間違い! 全然関係無かった! ――
大きく×の字が書かれている。
・開かずの教室は旧2年5組で間違いなし!!
十数年前。ある教室で教師が首を吊って自殺するという事件があった。
受け持ったクラスが荒れていたというのもあるが、その教師自身もなにか抱えていたようだ。
当然学校はその教室を封鎖。年度を越えても、使用されることはなかった。
時が経ち、やがて事件は忘れられ、教室の正確な場所もわからなくなる。
気が付くと、封鎖された教室は無くなっていた。
ただ事件のあったという2年5組の教室は、今も3階から2階に移されたまま。
この事件に纏わる怪談は生まれなかったが『2年生の5組の教室だけ何故か2階にある』という謎を残した。
もちろん、ちょっと考えればその教室が3階にある多目的教室だとわかるんだけど。
事件自体が忘れられているから、そこまで気にする人はいないようだ。
問題は、この話が怪談『開かずの教室の神隠し』のベースになっているかもしれないこと。
教室が封鎖されて、今は何処にあるのかわからないなんて、まんまそのもの。
この事件に纏わる怪談は無いって言うけど……。
開かずの教室の怪談のベースになっているからこそ、他の怪談が生まれなかったのかもしれない。
うん、きっとそうだ。そうとしか思えない。
私は、開かずの教室は3階にある旧2年5組、多目的教室だと確信する。
◆
――ぎぃ。
幽霊よりも甘味が食べたい
第4話「開かずの教室の神隠し」了
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