第17話 雨野景太と天道花憐と最高の娯楽 後編

「僕は人類を裏切ってしまった……」

 プールサイドにて貧相なレンタル海パン姿で黄昏たそがれる痛いセカイ系妄想にとらわれた中二病男子が一人。……僕だ。

 プール入り口近く、おどおどと周囲を見渡しながら天道さんの更衣が終わるのを待つ。

 結局こうしてプールに来ておいてなんだけど、やはり……つくづく自分には向かない場所に思えた。

 天窓越しの太陽光の下、元気に泳ぎ回る子供達、それをプールサイドから見守る優しげな両親、ウォータースライダーで盛り上がるリア充集団、ベタに水をかけあうカップル。

 ……この風景自体は別に嫌いじゃない。平和で楽しげな風景を心底呪うようなゆがみ方はしていないつもりだ。それどころか、それらをまぶしくさえ感じる程で。

 ただ、だからこそ。自分みたいなのがこの空間に入っていくのが、ひどく居心地悪かった。「(ゲーム部体験入部の時に感じたあれに近いかも……)」

 強い人達の対戦を見るの自体はすごく楽しい。けれど、自分がそこにまざりたいかとなると、話はかなり別ということだ。

「(……おかしい。まがりなりにも『カノジョ持ち』で、今まさにデート中というこれ以上ない程のリア充状況なのに、僕の中にいまだこれっぽちも『リア充感性』が生まれてこないのはどういうわけなのか)」

 キャッキャと水をかけあうカップルをジーッと見つめる。じ、実に楽しそうだ。が……なんだろう、僕にあれが、出来る気がしない。音ゲーの超絶テクを見せられている気分だ。相手に不快さを与えない程度にいいあんばいに水をかける妙と、滝のごとく流れてくる音符を無表情で処理する熟練音ゲーマーに、なにやら共通した職人芸を感じる。あんなの、僕にはとてもじゃないけど無理…………い、いや!

「(なに言っているんだ僕は! そこは根性見せないとだろ! なんでもやらずに切り捨てる姿勢とか、ホント良くない! よし、天道さん来たら、僕らもアレを――)」

 そう、妙な決意を僕がたぎらせた、その瞬間だった。

「お待たせしました、雨野君」

「!」

 突然背後から声をかけられ、ビクンと肩を震わせつつ振り返る。と、そこには――

 ――そこには、天使がいた。

「(……………………。…………おっと、やばい、今軽く一機死んでたぞ、僕)」

 数瞬飛んでいた意識が戻ってきたところで、改めて正面から天道さんの姿を見る。

「ど、どう、かしら?」

 ほんのり頬を染め、恥じらいながら後ろで手を組む天道さんは……かなり攻めた白のビキニを、しかし完璧に着こなしていた。本来露出で魅せるハズのものが、しかし本人の素の魅力度が高いせいで、異常な相乗効果をもたらしている。もはやセクシーだとかエロいとか以前に、素直な感想としてはただ一言――

「ありがとうございました」

「雨野君、それは水着の感想としておかしすぎるでしょう」

「い、いや、もう、存在として、ただただ『感謝』の域ですよ、これは」

「いえ、そんな武を極めた先の境地みたいな感想を言われても……」

「似合ってますとか、そういう凡庸な感想をまず言いたくないレベルなんです」

「似合ってますとか、そういう凡庸な感想をまず言って下さるかしら!」

「似合ってます」

「よろしい」

 ようやく天道さんが満足げに微笑ほほえむ。……む、難しいな、女性に対する賛辞って。

 僕はそろりと周囲をうかがう。……まあ当然ながら、案の定、とんでもない視線が集まっていた。それも、老若男女一切問わずだ。

 空に巨大UFOが現れたから見るのと同じ感覚だ。プールに天使が降り立ったら、そりゃ、見る。見ない理由が無い。

 僕がその危惧した通りの注目状況に冷や汗をくも、しかし天道さん本人はケロリとした様子で僕へと微笑みかけてきた。

「雨野君も、水着、似合ってますよ」

「今、この状況で貴女あなたがそれを言いますか」

「白くてなまめかしくて柔らかそうで、実に美人さんな体つきだと思いますよ?」

「天道さん、それ僕、められている気全然しない」

「私、ライ○ップのCMでも意外とビフォーの人相が好みだったりしますから」

「天道さん、それいよいよ僕、誉められている気がしない!」

 僕は今、ひっそりと今日から筋トレを始めることを決意した。

 そうこうしている間にも、流石さすがに視線がそれなりに散り始めた。最初に危惧していたような、厄介な人が絡んでくる雰囲気でもない。

 僕がほっと胸をで下ろしていると、天道さんはクスクスと笑った。

「雨野君は、ちょっと私を過大評価しすぎですよ。私をなんだと思っているのですか?」

「え? 少なくとも僕にとっては天使以外の何者でもないですけど……」

「おっとすいません、いきなりのド直球で私、動揺が隠せません。十秒程お待ち下さい」

 そう言うと天道さんは僕に背を向け、なにやら大きく深呼吸を繰り返し始めた。うーん、やっぱり背中も凄くれいだなぁ。あれ? どうして翼が無いのだろう? あ、僕の心がよこしまだから見えないのか。そうかそうか、それなら色々納得いくな、うん。

 僕が割とガチでそんな推理をしていると、復帰した天道さんが若干ビジネスめいたいつもの「天道スマイル」で僕に向き直ってきた。

「お待たせ致しました。さて、何しましょうね?」

「えっと、それなんですけど……」

 言って、ちらりと脇の浅いプールエリアを見る。すると天道さんが「ああ」と微笑んだ。

「あまり泳ぐつもりもないですけど、ちょっとぐらい水にれておきましょうか」

「は、はい」

 僕と天道さんは、ビーチを模したなだらかな浅瀬へと入水していく。適度にぬるい水が足に心地良い。そうして膝下あたりまでつかったところで、僕は天道さんに向き直り思い切って水をいきなりかけ――る勇気は無かったため、口で提案してみた。

「み、み、水をおかけしてよろしいでしょうかっ!」

「へ? えーとそれは……ああ、そういう……」

 一瞬目を丸くしたものの、周囲で……先程とは別のカップルが水のかけあいを始めていたのを見て、納得する天道さん。

 彼女は僕の方を振り向くと、なぜか精悍な顔つきでうなずいた。

「ええ、いいでしょう」

「で、では……」

 そう言って緊張しながらも僕は両手で水をすくうも……そこで、天道さんが突然待ったをかけてきた。僕の指の隙間からちょろちょろと水が漏れる中、天道さんは続ける。

「しかし、やるなら明確にルールを決めた方がいいでしょう」

「る、ルールですか」

 あ、あれ? なんか僕の思ってた「カップルの水かけっこ」から既にして少し離れてきているような……。

「当然よ。勝利要件が設定されていない攻撃の応酬など……不毛なことこの上ないとは思わないかしら、雨野君」

「いや、あまり思わないですけど……」

「それはせんりよね、雨野君。だってこのまま水のかけあいを始めてしまえば、私と雨野君は、どちらかが体温低下で亡くなるまで水をかけあうわけでしょう?」

「そんな悪夢みたいな『水かけっこ』、初めて聞きましたよ!」

 サスペンス映画におけるサイコ殺人犯のリア充カップル殺害方法みたいな発想だった。

 天道さんは依然真剣な表情のままで続ける。

「だからこそ、何をもってこの試合を終了とするのか。それはとても重要なことよ」

「ほどほどに楽しんだらそれで終わりでいいのでは……」

「雨野君は以前言いました。白黒つけない回線切断は悪であると」

「まさかこの場面でその発言を持ち出されるとは思いませんでした」

「つまり、たかが『水のかけあい』だろうと、白黒はちゃんとつけるべき。それは、私と雨野君の共通認識のハズじゃないですか」

「うん、ごめん天道さん、僕今正直『この人超面倒くせぇな』って思っています」

「む、雨野君はルール設定なしでいいとおつしやる? なるほど。……では雨野君、始めましょうか……生きるか死ぬかデツド・オア・アライブの――私達の『戦争デート』を」

「勝手に『花憐プールサイド』始めるのはやめて下さい。そんな物騒なルビ形式でのデートじゃなくて、普通にデートしましょうよ!」

「普通に……きゃっきゃと無為に楽しく水をかけあうだけで、貴方あなたは満足なのですか!」

「大分満足ですけど!?」

「いいでしょう、ではやりましょうか。――無益な水のかけあいというものを!」

 くわっと目を見開く天道さん。

 かくして僕らの「水のかけあい」は始まった。

 まず僕が恐る恐る、天道さんのおなかあたりに、ぴちゃっと水を飛ばす。天道さんも同様に、僕のお腹あたりに水を返してくる。それを、交互に、無言で、繰り返す。

 ぴちゃり、ぴちゃり、ぴちゃり、ぴちゃり、ぴちゃり、ぴちゃり。

 …………。

 と、天道さんが、なんだか酷くむなしそうに歯を食いしばって告げて来た。

「くぅ! こんな生産性の無い争いの先に、一体何があるというのですか雨野君!」

「すいません! 確かに僕にもよく分からなくなってきました!」

 なんだこれ! 楽しくないにも程があるだろう! どうなってんだ世の中のリア充は!

「や、やはり、天道さんの指摘とおり、多少はルールがあった方が楽しいのかも……」

 僕がそう告げた途端、天道さんは今日イチじゃないかって程の笑顔を見せてくる。

「ほ、ほぅら、やっぱりそうでしょう! まったく、雨野君の優柔不断で、時間を無駄にしてしまったわ! 最初から私の言うとおりにすれば良かったのに!」

「そ、そうかもしれないですね、すいません、反省です」

「分かればよろしい。というわけで、ルールを作りましょう、ルールを!」

 そうして、き活きと検討に入る天道さん。

 ……そうして、三分後。

「では……行くわよ、雨野君!」

「ええ……いつでも来て下さい、天道さん!」

 そこには、一定距離離れつつ、互いに鬼気迫る表情で向き合うカップルの姿があった。

『…………』

 試合開始宣言から三秒が過ぎる。……未だ互いにピクリとも動かない。

 四秒が過ぎる。近くにいた家族連れがけんのんな空気を察知して若干ざわつきだす。

 そして五秒が経過した――その瞬間だった。天道さんの肩がわずかにぴくりと動く。それを攻撃の予備動作と見て取った僕は、とつに左方向へ移動。次の刹那、先程まで僕の頭があった場所を無慈悲な弾丸――またの名を「ただの水しぶき」がいでいった。

「ちぃっ!」

 天道さんが舌打ちする。僕はニィと微笑むと、自分の持ち時間――十秒をたっぷり使いながら、脳内で素早くルールの再確認を行う。

「(相手の髪を濡らした方が勝ちというこの勝負。野球のように攻守交代があり、攻撃側が一ターンに水を放てるのは、一発限り。それが終わるか、もしくは制限時間の十秒が過ぎれば、攻守交代。これを何度も繰り返し、先に相手の髪を濡らした側が勝ち!)」

 そんなルールのはんすうをしているうちに、既に七秒が経過していた。

 ……と、天道さんがれた様子を見せる。僕は「ここだ」と狙いを澄ますと、バシャリと大きく水を放つも――しかし、それこそが天道さんの作戦だった!

「な……」

 その動きは読んでいたとばかりに回避する天道さん。しまった……誘われた!

 僕の攻撃が失敗に終わり、天道さんに攻撃ターンが回る。僕はこの動揺を立て直そうと息を大きく吸うも、次の瞬間――

「はぁっ!」

「(な、速攻だと!?)」

 自分の攻撃ターンになった瞬間に水を放って来る天道さん。てっきりまた十秒たっぷり使ってくるものと思い込んでいた僕は咄嗟に回避行動を取るも……僅かに間に合わず。

 僕の前髪がしっとりと濡れてしまったところで、試合は終了となった。

 その場で膝に手をつき、がくりとうなれる僕。

「……負けた……」

「私の勝ちね!」

 堂々と胸を張って勝ち誇る天道さん。

 僕らはそのまま、しばし互いに勝利や敗北をみ締める。

 と、そうこうしていると、ひりつくような真剣勝負を終え若干満足を得た僕と天道さんの脇で、他のカップルがきゃっきゃっとはしゃいで楽しげに水をかけあい始めた。

「あはは、ちょっと、やめてよぅ、もう。……えい!」

「わっぷ! こら、ずるいぞぅ! そーれ!」

「やーん♪」

『…………』

 彼らの「水のかけあい」にはルールもクソも無く、遊びの質としては僕らがやっていたそれの方がはるかに上。だというのに……だというのに!

『…………』

 僕と天道さんは、カップルの幸せオーラたっぷりなはしゃぎっぷりをまじまじと見つめた後。そろりとお互い、無言で目を見合わせ。

『…………』

 二人、とぼとぼと、酷い負け犬の如く水から上がっていったのだった。



 水のかけあいをして以降、なぜかめっきりテンションが下がってしまった僕らは、とりあえずプール内の施設をアテもなく見て回ってみたものの……人の混雑もあいって、イマイチ積極的に食いつけるものもなく。

 また、やはり水着状態の天道さんに集まる視線の熱量はどうしたって普段より高くなりがちで、流石の天道さんといえど少しへきえきし始めてしまっていた。

 結局プールを一周したところで、僕から彼女に切り出す。

「……そろそろ、アーケードゲームの方にでも行きましょうか」

「そ、そうね! それがいいかもしれないわねっ、ええ!」

 途端、分かりやすく目をキラキラ輝かせる天道さん。僕は苦笑いしつつも「じゃあ行きましょうか」と天道さんを促して歩き出す。

 ――と、そうして、そそくさとプール出入り口近くまでやって来た時だった。

「……? なんだ?」

 これまでに行っても天道さんにばかり注がれていた視線が、別方向に割れている。

「? 何かあったのでしょうか?」

「さあ……少なくとも事故とかではなさそうですけど」

 悲鳴や怒号が飛び交い、騒ぎの中心に人だかりが……という類の話ではなく、それこそ天道さんへの注目と同じように、ちらちらと一帯の皆が何かを盗み見ているような空気。

 それは、出入り口に近付けば近付く程顕著になり、ついには天道さんへの注目に勝るとも劣らないレベルに感じられたあたりで……ようやく僕らにも、その注目の正体が理解できた。

『あ』

 僕と天道さんは、二人、そろって声をあげる。なぜならその注目の中心に見えたのは、とある女性の後頭部――――後ろからでも分かる程の海藻類だったからだ。

 キャラに似合わない爽やかなアクアマリン色の水着を身につけ、その無駄に出るとこ出たボディで主に男性の注目を一身に集める女性。

 彼女はなにやら一人、入り口前でおどおど、そわそわと所在なさげに動いている。

「……雨野君、あれ、明らかに……よね?」

「……ですね」

 天道さんと二人顔を見合わせる。……正直対応に困るものの、流石に無視して出て行くのもおかしな話だ。仕方なく二人で声をかけようと近付いて行くと……その直前、彼女――星ノ守千秋は、突然色黒な爽やかイケメンに声をかけられた。

「やあキミ、なにか困ったことでもあるのかい?」

 白い歯をキランと輝かせて爽やかに笑う健康的な色黒イケメン。実際目的はナンパなのかもしれないけれど、傍で見ている分には割と感じのいい声のかけ方だった。本当に「心配」も二割ぐらいは入っている印象だ。

 しかし――だというのにもかかわらず、チアキは必要以上にびくーんとおびえ、小動物のように肩をプルプル震わせながら彼に涙目で向き直った。

「ええ!? あ、あのあの、いえいえ、そのその、じょ、じょぶじょぶ、です」

「は、はい? も、もう一度ゆっくりしやべってくれるかい?」

 首をかしげ、一歩近付く色黒イケメン。そりゃそうだ。が、チアキ的には近付かれたことが余計にプレッシャーになったらしく、更にテンパって応対する。

「じ、じじ、自分はまち、まち、あわあわ、せ、してるだけ、ですです、のでので」

 もはや一人輪唱みたいになっている。彼女の、言葉を繰り返しがちなクセを知っている僕や天道さんとしては「ああ、待ち合わせ中か」と理解できたものの、初対面の男性にそれを分かれというのも酷。彼は一旦チアキを落ち着かせようと、あまり悪気はない様子ながら――しかしちょっとどうかと思う気軽さでチアキの肩に手を伸ばした。

『ちょ――』

 流石にそこで僕と天道さんが同時に声をかけようとしたところで……なにかを察知したのか、突如こちらを振り向いたチアキと、バッチリ目があった。

「あ……」

 瞬間、チアキの顔に、これまで見た事ない程の切ないあんが浮かぶ。

 そうして、色黒男性もまた動きを止めてこちらを見る中……チアキはその瞳にうるうるとたっぷり涙を溜めると……突如、ダダダダッと、猛烈な勢いで走り出した。

「え、ちょ――」

 ――明らかに、僕達――というより僕に向かって来るコース。

 そうして、彼女はこちらが反応する間もなく、するりと僕の背中に回り込むと……その両手でぎゅうっと僕の右側の二の腕へとすがり、背後から例の男性に向かってぱくぱくと口を開け閉めした。

「あの、あのあのっ、こ、このこの、人、その、じぶ、自分の――」

 相変わらず全く何も言えていない。しかしどうやら色黒イケメンさんは本当に根っからいい人だったみたいで……爽やかに微笑むと、色々察してくれたのだった。

「ああ、ちゃんとカレシさんが来たのなら良かった。じゃあ、オレはこれでー」

 まあ、察し間違えているのだけれどね! 色々と! 致命的に!

 色黒男性がさつそうと去っていく中、右腕には未だぎゅうと縋るチアキの手の感触。

 そして天道さんがいる左側からは……。

「…………」

 なにやら、振り向けない「圧」を感じさせるオーラ。なんだこれ。超怖い。

 僕はその現実から逃げるように、まず右側のチアキを振り向いた。

「おい、チア――」「…………」

 文句の一つも言ってやろうとしていたものの、なんか、めっちゃ涙目で震えながら上目使いされている。……言えない。いくら敵対存在と言えど、こういう人間に厳しい言葉をかけられる程、僕は鬼畜じゃない。

「…………」「…………」「…………こほんこほん」

 結果として僕とチアキが意味もなくくっついてジーッと見つめ合ってしまっていると、左隣からせき払いが聞こえて来た。天道さんだ。……僕だってラブコメの鈍感主人公じゃないのだから、それの意味するところは分かる。分かるけれど……。

「…………」「…………」

 なにコイツ、全然放してくれないんですけど。既に涙は引いて、若干落ち着いたフシまであるのに、全然手を放す気配ないんですけど。

「……えーと、そこのワカメさんや」「なんですか、もやしさん」

 人の二の腕をぐにぐにしながら悪態をつきつつ、それでいてしかし放す素振り一切無く、淡々と応じてくるチアキ。……いや、ホント、なんなの。デート中の男の腕に掴まる水着女とか、ちょっと洒落しやれにならないアレさなんですけど。なにこれ。なんで僕急に修羅場みたいになってんのこれ。……ハッ、そうか嫌がらせか! なるほどなるほど、だったらこちらも力くで振りほどいてや――

「……け、ケータなのがしやくですけど、ま、まだちょっと震えているので、仕方なく支えにしといてやりますよ……。…………ふぅ……」

「…………」

 ――出来なくなりました。じ、事情が事情すぎる! 別にあの男の人絶対悪い人じゃなかった感あるけど、でも、僕と同じくぼっち感性のチアキが慣れない水着状況で異性に声かけられて心底ビビる気持ちは、痛いほど分かるわけで。

 しかし、震えるような小声だったチアキの言い訳は天道さんに聞こえていなかったらしい。左側の「圧」がまったく消えない。しかし逆にチアキは徐々に元気を取り戻し、結果として……。

「まったく、なぜこんなところにケータがいるのですか」

「それはこっちの台詞せりふだって。なんでチアキがいるんだよ……」

「…………」

 デート中に別の女とイチャイチャ密着して話す男を後ろから無言で見守るカノジョ、という、なんだかとんでもない風景が出来上がってしまった。

 僕は冷や汗をだくだくと掻き始める。と、チアキが不快そうに顔をしかめた。

「なんか二の腕がベタついてます。キモイですね、ケータ」

「お前……!」

 ホントなんなのこの人!? 敵だ敵だと思ってきたけれど、ガチで敵すぎるだろう! どういう相性の悪さなんだよこれ!

 僕はもう力尽くで腕を振りほどきたい衝動を必死で抑え……なんとか彼女に自発的に離れてもらうべく、目の動きも使ってチアキを諭しにかかった。

「ほ、ほら、チアキ。そっちに、ほら。天道さん」

「? ちゃんと気付いてますよ? こんにちはです、天道さん」

 僕の腕に掴まったまま、ぺこりと天道さんに笑顔で会釈するチアキ。これには天道さんも思わず反射的に「あ、こんにちは」と返す。

 …………。

「いやいやいやいや、おかしくない!? チアキ!? 分かるでしょ!? ほら、一応僕がお付き合いさせて頂いている天道さんが、今、まさに一緒に、いるわけで! ね!?」

「? はい、つまりデートですよね? じ、自分だってそれぐらい分かりますよ!」

「だったらなぜそんなに堂々とこの状況を維持・継続出来るわけ!?」

「? はて? ケータの言っている意味がよく……」

 本当に不思議そうに首を傾げるチアキ。僕から見える角度的に、妙にその胸の谷間が強調される。……く!

「なんでだよ! 僕、ほら、デート中なわけ! ね? で、まあ海藻とはいえ一応はメスに分類される存在が腕にずっと縋っているとか、ほら、あまりに……」

「? なんですかそれ。ふふっ、おかしなケータです。それじゃまるで、自分がケータにベタベタするのを、天道さんが嫌がっているみたいじゃないですか。変なの」

「変なのはお前だよ! え!? なに!? 分かっててやってるの!? 悪意パないな!」

「? ケータこそ、変ですね。天道さんの『厚意』、ちゃんと伝わってますか?」

「だから『好意』とか恥ずかしげもなく言うのやめろよ! 本人の前で!」

 気付けば、天道さんが若干気まずそうにうつむいてしまっていた。……くぅ!

 そこで、ようやくチアキも何か思うところがあったらしい。そろそろと……ゆっくり息を整えながら僕の腕を放す。…………う、うぅ……なんかチクリと胸が……。

「た、確かに、あんまり二人のデート風景を崩すのは良くないかもですね……」

「いや絶対良くないだろう。なんでその結論に行くまでに時間かかってんだよ……」

「む。ケータ、気にしすぎでは? そうそう『彼女』に見られているわけでもないでしょうに……」

 なにやら周囲を窺いながらそんなことをのたまうチアキ。……いやいや。

「今めっちゃ注目されてますけど。カノジョさんはもちろん、周囲からも。なんか水着美少女二人に囲まれて修羅場っている男、的な、もんの凄い注目のされかたしてますけど、僕ら」

「……び、美少女……」

「そ、そこで変に照れないでくれる!? あと天道さん、こっそり不穏な笑顔のまま距離離してかないで! チアキは人見知りが高じてたまたま僕に縋っていただけだから!」

 僕が説明すると、ようやく天道さんが……流石に全ては納得していない風

ながら、それでも場に戻って来てくれた。

 僕はほっと胸を撫で下ろすと、改めて、チアキにたずねる。

「で? 実際、なんでチアキがこんなところに? 生息場所探し?」

「海藻としての本能とか無いですから!……じ、自分だってあまり来たくなかったですけど……でも、妹が『たまにはいいじゃない』と誘ってきたので……」

「ああ、そういやなんかチアキと対照的な妹さんいるって言ってたっけ」

 僕が納得していると、今度は天道さんが質問する。

「? でも、その妹さん、今はご一緒されていないようですが……」

「ですです! そうなんです! うちの妹ってば、自分と違ってとっても可愛かわいくて、ファッションにも凄くこだわる人なのですけど……だからこそ、今日も自分の方が大分早くレンタル水着決めて入ってきちゃって」

「ああ、なるほど、それで一人で心細そうにしているところを、男性に声をかけられてしまったのですか」

「は、はい、情けないところをお見せ致しました……」

 しゅんと落ち込むチアキ。僕と天道さんは顔を見合わせ……その後、天道さんが彼女の肩に優しく手を置いた。

「でしたら、妹さんが来るまで、私と一緒に待ちましょうか、星ノ守さん」

「へ? ええ!? あ、あのあの、それは光栄ですけど、でもでも……」

 わたわたと慌て、僕をチラリと窺い見るチアキ。僕はぽりぽりと頬を掻いて、少し視線をらしながらつぶやく。

「まあ……別に急ぐ用もないから、数分ぐらい、僕は別にいいけど……」

「ケータ……」

 瞳をうるうるさせながら見つめて来るチアキ。……なんだろうなぁ、どうにも僕、敵だ敵だと思っている割には、コイツの弱っている姿が酷く苦手というか……。

「こほん!」

 なんだかまた天道さんに咳払いされてしまった。

 天道さんはニコニコと笑顔のまま……しかしどこか黒いオーラを身にまとわせながら、先を続けてくる。

「いえ、ここは、私だけで大丈夫です。雨野君は先に行ってて下さい」

「へ? い、いや、僕とはいえ一応男が居た方がさっきみたいな無用なトラブルも……」

「大丈夫です。雨野君も一緒に星ノ守さんの『可愛い妹さん』を待つ必要はないです」

「い、いや、でも、結局は外で一人ぽつんと待ちぼうけ食うんなら僕もここで……」

「雨野君」

 ギラリと怪しくきらめく天道さんの瞳。気付けば僕はビシィッと敬礼してしまっていた。

「待機命令了解致しました、上官!」

「うむ、よろしい! 行きたまえ、雨野……えっと、二等兵!」

「はい! ご武運をお祈り致します、上官!」

 僕は背筋をピンと伸ばして、規則的な歩行で男子更衣室へと去って行く。

 そんな僕らに、チアキがどこかあきれた様子で呟いた。

「……こ、交際って、なんなんですかね?」

 ごめんチアキ。その質問には、僕も天道さんも、まだまだ答えられそうにないんだ。



「お待たせ致しました」

「いえいえ」

 結局天道さんと合流したのは、僕が更衣を終えてプールを出てから約十分後のことだった。僕は休憩所の椅子から立ち上がると、天道さんと二人、アーケードゲーム施設方面を目指す。

「むしろ、意外と早かったなと思ったぐらいです」

「ええ、実はあれから割とすぐに妹さんいらっしゃいまして。……本当ならもう少し星ノ守さんと二人でお話したかったんですけどね」

「? どうしてチアキと?」

「? だって同じゲーム好き仲間じゃないですか。そりゃ話したいですよ」

「……ゲームの話だったら、僕としたらいいと思いますよ」

 なんだか少し面白くないものを感じてそんなことを言ってしまうと、どうやらそれを敏感に察したらしい天道さんが、僕の表情をのぞき込んでくすくすと笑ってきた。

「なんですか雨野君。もしかして、嫉妬してくれているんですか?」

「べ、別に、そういうんじゃ……! ただ、えーと、そう、チアキが嫌いなだけです」

「ふふっ、星ノ守さんと私の関係に雨野君が嫉妬してくれるだなんて、面白い」

「だ、だから、違いますって。そんな、嫉妬なんて……」

 わたわたと言い訳する僕と、柔らかく笑う天道さん。……なんだか分からないけど、とりあえずチアキに二の腕を握られていた件は忘れてくれたよう――

「では、張り切ってアーケードゲームに向かいましょうか」

「ええ……って!?」

 ――でもなかった。なぜか天道さん、僕の右側に回って、わざわざさっきチアキがつかんでいた二の腕に掴まってきた。身体的な接近はうれしい。心臓が高鳴ってもいる。けれどこれは……このドキドキは……。

「(なんか嬉しいだけのドキドキじゃないんですけど! なにこれ! 怖い!)」

 また天道さんが何も言わずに、普通に笑顔なのが、かえって怖い。なんだこれ。これに関しては嫉妬してくれて嬉しい……みたいな風に、イマイチ浮かれられない。ネトゲでミスしてパーティメンバーに優しく「どんまい」と言われている時と似た痛みだ。直接不満を言って貰えないのが、かえってつらい! 謝る機会さえ与えて貰えていない感じだ!

 と、ともあれ、少なくとも表面的には天道さんはいつも通りの天道さんであり。僕側は多少の緊張をはらんでいたものの、それなりに穏やかな会話を交わしつつ、次の目的地へと向かった。

「わぁ、意外とちゃんとしてますね!」

 アーケードゲームフロアに着いた途端、嬉しそうに瞳を輝かせて僕の腕から離れる天道さん。僕が正直寂しさより安堵を覚えていると、彼女は笑顔で振り返りながら提案してきた。

「さぁ雨野君、張り切って色々対戦しましょう! ね!」

「…………そ、ソウデスネー」

 来ました、僕のフルボッコターン。

 とはいえ、今の僕には……というか、元々僕に拒否権はない。僕は天道さんに袖を引かれながら、多種多様な対戦ゲームをこなし、そして惨敗し尽くした。

 格闘ゲームではパーフェクト負けを喫し、音ゲーでは僕なんかがまるでついていけない難易度を選択され、それでもクイズゲームでは一緒に座ってあいあいと協力プレイで楽しめる――かと思いきや、ほとんど全ての問題を天道さんが前のめりで解いてしまう始末。

 そうして、せめて何かいいところをと気合いを入れて臨んだクレーンゲームでは……僕が無駄に千円飲み込まれる中、天道さんがたった百円で意中の「げーまーウサギ」というモフモフぬいぐるみをゲット。

 嬉しそうにぬいぐるみを抱きかかえる天使の如き彼女の前で、一人、がくりと項垂れるへっぽこ青年という悲しい地獄絵図が出来上がった。

 天道さんが苦笑いしながら僕に声をかけてくる。

「ご、ごめんなさい雨野君。私ほら、おすまし優等生モードならともかく、ゲームとか関わっちゃうと手加減するとかいう発想が全くなくて……」

「天道さん、そのフォロー、余計にキツイッス」

「で、でもでも、このウサギさんはデートのいい思い出になりましたよ、うん!」

「僕とのデートで、しかし『自力で』取ったウサギさんですけどね……」

「あは……は……」

 流石の天道さんもそれ以上のフォローの言葉を持たない様子で笑う。

 と――そんな風にカノジョさんがバリバリ気をつかってくれているにもかかわらず、突如、そんなものをぶち壊す程の節操無い笑い声が場に響き渡った。

「ぎゃはははは! だっせー! ぽこにーちゃん、だっせー!」

「ぽこにーちゃん、ぼくよりへたー!」

「く……!?」

 例の坊主兄弟である。ちなみに全くもって解説とかしたくないが、どうやらこの「ぽこにーちゃん」とは「へっぽこにーちゃん」の略称のようである。僕の人生史上、最も屈辱的なあだ名だ。

 兄がショータで弟がソータというらしいこの兄弟は、アーケードゲームコーナーに来た時点で再会してしまっていた。で、それから今までずーっと僕と天道さんの対戦に張り付いては、僕の敗北をげらげら笑っているというわけだ。

 あ、ちなみにご両親はといえば、僕らに謎の会釈をした後、しっかり脇の自販機コーナーで休憩中だ。いやいやいやいや、なんですっかり知り合いのお兄さんお姉さんに預かって貰うモードになってるんですか、貴方達。今日の朝会ったばかりですけど、僕ら!

 いつものように項垂れる僕の背中にぺしぺしと手を置いてきたショータが、僕に向かって嫌らしく微笑んでくる。

「たしかにねーちゃんが超つえーけど、やっぱり、ぽこにーちゃんもヘタだよな?」

「ぐ!?」

 更には一回り小柄な弟、ソータまで、僕の尻あたりに小さい手でぽんぽんやってきた。

「ねぇねぇ、さっきのぽこにーちゃんまちがったもんだい、ぼく、わかった」

「うぐぐ!?」

 先程プレイしたクイズゲームの話だろう。実は天道さんにいいとこ見せようと、僕が見切り発車で答えた子供用アニメ問題があったのだけれど……盛大に外してしまったのだ。

「やーいやーい」「やーいやーい」

「…………」

 はや、こうして坊主兄弟に両サイドからあざけられるのが当たり前みたいになっている僕。

 ……そんなしょーもなさすぎるカレシを前に、天道さんは苦笑を続けた後……なにやら、急に思いついた様子で切り出してきた。

「あ、そうだ、折角だから雨野君とショータ君で、一度対戦してみたら?」

「悪魔ですか!」

 何を言い出すんだうちのカノジョさんは! そんなに初デート中のカレシを追い詰めてどうしたいんだこの人は! 

 僕ががくぜんとする中、そのショータ……坊主兄弟の兄が、「やるぅ!」と元気に手を上げる。弟もまた「やれぇ!」とはしゃいでいた。ついでに天道さんも「やろー!」と二人に笑顔で合わせている。……天使の皮をかぶった悪魔か!

 僕は汗をだくだく垂らしながらも、フッと前髪を掻き上げて彼らに告げる。

「ま、まあ、小学生相手に本気出して勝負するのもあれですからね。ここは、皆で協力してわいわいクイズゲームあたりを――」

 僕の発言を華麗に無視して一つのゲーム筐体を指差す天道さん。

「じゃあ、勝負はあの、マケオカートで!」

『わーい!』

「(あかん、このカノジョ、明確に着順つける気や)」

 なぜかモノローグが関西弁になってしまう程に動揺する僕。な、なんなんだよこの人は! ゲームに関してはどんだけシビアなんだよ! ガチ勢やエンジョイ勢がどうこうってレベルじゃないよもう! カレシと小学生をマジで競わせる人って何なの!? もしかしてチアキのことまだ少し怒ってらっしゃるの!?

「ほら、始めますよ、雨野君。準備して下さい」

「うぐぐ……」

 天道さんに肘を持ち上げられ、マケオカートのシートまで連行される。

 ショータは隣のシートで既にバッチリスタンバイ中。見れば休憩コーナーからご両親が申し訳無さそうに一礼しており、天道さんは笑顔でそれに応えていた。……いやいやいや、なぜその優しさを、一応はデート中のカレシたる僕には向けられないんでしょうか、天道さん。

 とはいえ、勝負をここまでセッティングされてしまっては、逃げられない。

 僕は泣く泣く着席すると、キャラ選択を始めた。

 扱いやすく平均的な能力のキャラ、ハンドリングの操作性が良いキャラ、最高速が低いもののちあがりがいいキャラ……様々な選択肢があるが、中でも僕は……。

「……ぽこにーちゃん、へたなのにそういうのつかうから……」

「う、うるさいなぁ」

 僕のシート裏からいつの間にかひょいっと覗き込んでいた弟の方――ソータが呆れた様子で呟く。……確かに、彼の指摘通り、僕の選んだキャラは重量級――スピードが出るものの操作が難しい、上級者向けキャラだった。

 隣ではショータが普通にスタンダードなキャラを選択している。

 コースは割と複雑に入り組んだ、コースアウトの危険もある上級者コースが選ばれた。

 自信ありげにニィと不敵な笑みを向けてくるショータ。……こいつ、まさか、やり慣れているのか!? 対する僕はと言えば、家庭用のこのゲームにこそ弟と慣れ親しんでいるものの、アーケードのそれは一回二回やったことあったかなぐらいだ。

 正直、腕に自信があるかと言われればNO。というか……そもそも、家庭

用でも弱い。

 ちらりと他の席を見る。本来は同じ店内で四人まで同時対戦出来るようだけれど、今は僕とショータの二人だけだった。……いよいよもって、言い訳のきかない状況。一応レースにはCPUキャラも出て来るものの、それはあくまでにぎやかしだ。

 コース紹介デモが流れた後、スタート地点にカメラがやってくる。

 スタートのタイミングを告げる点灯ランプが現れ、カウントダウンを開始する。

 赤……赤……緑!

 緑ランプの点灯とともに一斉に発車するカート達。右のショータはタイミング良くアクセルを踏んでスタートダッシュを決めて飛び出して行く。対する僕はといえば……。

〈ボシュゥ、キュルキュルキュル……〉

「…………」

 見事にスタートダッシュを失敗、盛大なエンスト演出に見舞われていた。背後でソータがケラケラ笑う。……くぅ!

「ま、まあ、ハンデをね、うん」

「だっせー!」

 ショータが笑いながら見事なハンドルさばきでCPUカートの群を抜け出して一位を独走する。……あれ、やばい、あいつ、マジでくない?

 僕は焦りながら大分遅れてスタートを切ると、コース上に設置された「アイテム」を回収した。このゲームにおけるアイテムは、いわゆる下位勢の救済措置だ。敵を妨害したり自分を加速したりと、様々なメリットが得られるアイテムをランダムで獲得出来るのだが、下位であればあるほど強力なものが出やすい。つまりは分かりやすく逆転の一手。

 現状トップたるショータは少し加速するだけのアイテム。対する僕はといえば……。

「っしゃ、蹴散らせ蹴散らせぇ!」

 巨大化してライバルカート達をはじき飛ばしながら高速で加速してゆくアイテムだった。

 ソータが呟く。

「あ、ずっこい」

「な、何をずるいことがあろうか。戦略だよ、戦略」

「せんりゃく、ずっこい。にーちゃんがんばれ!」

「おう、ソータ! ぽこにーちゃんごときにゃ、まけねーぜ!」

「余裕ぶっていられるのも今のうちさぁ!」

 完全にアイテムのみの力で全十二キャラ中四位まで上がって来た僕は、アイテム効果が切れる中必死にピーキーなキャラの操作に努める。が……。

「……雨野君、やっぱりそのキャラ扱い切れないんじゃ……」

「う……!」

 壁にガンガンぶつかる僕のキャラを見て、背後から天道さんが冷たい声を漏らす。

 ……正直に言おう。僕、普段こういうキャラ、全然使わない、ぬるいヤツです。普通に快適に走れるのがなにより一番いいと思っているタイプです。タイムアタック? なにそれって感じの人です。ごめんなさい。

 じゃあなんで使ったのかという話だけど、まあ、正直見栄と慢心ですよね。小学生相手にはこれでいいだろうっていうアレですよね、ええ。救いようのないヤツです。

 当然ながら、壁にぶつかりまくっている隙にコンピューターにさえガンガン抜かれていく始末。が、下位に行けばいいアイテムが出て、それで巻き返すも、また抜かれ、下位に行き、アイテムで巻き返すを繰り返す僕。

 その間もずっと悠々とトップを保っているショータが、余裕しやくしやくでこちらの画面を見ながら声をかけてきた。

「あはは、ぽこにーちゃん、ちょーおもしれぇ」

「今面白さは要らないんだけどね!」

 そうこうしている間にも、もうラストたる三周目。ショータは一位で、僕は……アイテムのおかげで再びの四位。けれどまだまだ差は大きい。が……。

「ん、雨野君、意外と扱えるようになってる?」

「おかげさまで!」

 ここに来てようやく、どうにか壁にバンバンぶつかる状況だけは避けられるようになってきた僕。そうなると最高速自体は速いキャラのため、ぐんぐん追い上げる。

 そうして、団子状態の二位、三位が見えて来たあたりでアイテムを回収。それは……。

「う……」

「あ、ハズレだ! 《ばくだんルーレット》だ!」

 ソータが叫ぶ。それは、このゲームで基本「はずれ」とされるようなアイテムだった。効果は……ランダムでCPUを除くプレイヤーキャラのどれかを爆発させるというものだ。ただし――なんと九割の確率で自分が爆発する。

 正直、メリットよりデメリットの方が遥かに大きいアイテム。だから「ハズレ」。拾ったら残念とされるお邪魔キャラみたいなアイテムだ。

 僕はとりあえず使用を保留したまま、まずは団子状態の二位、三位を抜き去った。

 ようやく二位につける。と、ショータのキャラの背が見えて来た。

「わわっ」

 ショータが焦る。どうやら僕の状況を見て、若干プレイをおろそかにしてしまっていたらしい。最高速に任せてぐんぐん迫る僕のキャラ。

「これ、案外分からないわよ……!」

 背後で熱のこもった声を上げる天道さん。場面は既にゴール前直線だ。

 ぐんぐん迫る僕のキャラ。ショータは僕のコースを邪魔する様にハンドルを切るも、それが却って自身の減速につながり、逆に僕の追い上げを許してしまっている。

 結果……。

「あ、やばいよ、にーちゃん! けっこうギリギリだ!」

「わかってる!」

 ソータの心配げな声に、ショータが応える。そう、このままいけば、僕にもワンチャンありそうな状況だった。

 場の全員が息を呑む、ゴール数メートル前。

 僕はここで――――ここぞとばかりに、《ばくだんルーレット》を使用した!

『え』

 僕以外の全員がほうける。その、結果は――

〈ボンッ!〉

『あ』

 ――ある意味当然のように、僕の大爆発だった。最近主人公っぽい運命に恵まれていた僕だけれど、やはり補正とやらはないらしい。普通に、確率通りに、自爆。結果――。

「っしゃああああ! ぽこにーちゃんのばーか!」

「やったね、にーちゃん! ぽこにーちゃん、よわーい!」

 ショータが一位。僕は……ゴール前でCPUにガンガン抜かれて八位という、あまりにさんたんたる情けない結果に終わったのだった。



『…………』

 結局、例のレースゲームを最後に、大して会話らしい会話もなく《アラウンド1》を出た僕らは、現在、無料送迎バスに二人並んで着席していた。

『…………』

 ぐったりとうつむく僕と、さっきから無言の天道さん。……地獄みたいな空気だ。またどういうわけか、こういう時に限って、バスが空いているおかげで、なんか並んで……しかも他の客もある程度間隔を空けているため、ホントに二人きりな感じで座れてしまったし。

『…………』

 ちらりと天道さんの様子を窺う。彼女の膝の上に乗せられた《げーまーウサギ》が心なしか僕をにらみつけている気がした。……窓の方を見る。

 まだ発車もしておらず、景色も何もないだろうに、天道さんはさっきから顔を窓側へ向けたままで表情が見えない。角度が悪いのか光で反射さえもしてくれない。……いたたまれない。窓の外でこうこうそびえる《アラウンド1》の外観が物悲しい。

 僕はもう、いっそ消えてしまいたい気分にさいなまれる。……なにをしているんだ僕は。今日一日……振り返ってみれば、天道さんに「いい印象を持たれる場面」なんて何一つ思い当たらなかった。《アラウンド1》自体は楽しんでくれていたみたいであるものの、それは僕の功績でもなんでもない。《アラウンド1》が素晴らしかっただけだ。

「(大してプランもないのに、デートするなんて言い出したのが間違いか……)」

 僕は昔からこうだ。ゲームスタイルもそう。自分のプレイを見直したりするぐらいなら、大して深く考えもせず、愚直に再挑戦を重ねてしまう。成長力の無い原因だ。勿論その後に、徐々に、じわじわっとプレイの中から成長はしていくのだけれど……それをデートにまで適応してはいけなかった気がする。

「(やっぱり、僕には荷が重いのか……)」

 ふと、三角君の顔が浮かぶ。ことゲームの対戦相手という意味では、やはり彼こそが天道さんの相手として適任だったのではないだろうか。最近僕は彼とちょくちょく遊ぶようになったけれど、やはり三角君の適応力たるや凄い。それこそ「主人公力」の塊だ。……天道さんと同じ側に属す者の、資質だ。

 ゲームのスタイルに正解はないとは思う。けれど、やはり、相性として合う、合わないはある。一部のゲームのネット対戦に「エンジョイ対戦」「ガチ対戦」という組分け機能が実装されてるのがいい証拠だ。どっちが正解とかはない。けれど、どっちが好みかは、確実にあるはずで。

 僕と天道さんは、それが、やっぱり違うのだろう。そしてその感性は、ゲームだけのことにとどまらない。だから、やはりどこかで決定的にズレてしまう。

「(……特にさっきのレースの、最後のアイテム使用かな……決定打は)」

 きっとあれは……天道さん的には、許せない愚行だったのだろう。ゲームを真剣にやっていないように見えたのだろう。……そう言われたら、僕だって何も返せない。

 けれど……。

「…………?」

 ふと気付くと、隣で天道さんがなにやら肩を小さくふるふると震わせていた。

 一体何事だろうか? まさか、怒りに打ち震えているのだろうか?

 僕は酷く恐ろしくなってきたものの、とはいえ、カノジョの震えに気付いておいて、怖いからと何も声をかけないというのも如何いかがなものか。

 僕はごくりと唾を飲み込んで覚悟を決めると……天道さんの肩に手をかけ――

「……ぷっ、あははははははははははは!」

「!?」

 ――刹那、突如ぬいぐるみごとお腹を抱えて大きく笑い出す天道さん。同時に、バスのドアがプシュウと閉じ、発車のアナウンスが流れる。

 バスが動き出して身体が揺れる中、天道さんは苦しそうに身をよじってまだ笑っていた。

「ふふ、うふふふ……くふ、ふ、ふ」

「……えーと……天道さん?」

 わけも分からずぼうぜんとする僕に、天道さんは人指し指で目尻の涙を拭いながら応じて来る。

「ご、ごめんなさい、ちょっと待ってね雨野君。も、もう、収まると思うから」

「は、はぁ」

 そう言ってからも結局十秒程天道さんは笑い続け、それから、「ふぅ」と一息ついて、ようやく僕を見てくれる。

 ……その表情に、僕の危惧した「怒り」のようなものは一切見られなかった。

 キョトンとする僕に、天道さんは説明してくれる。

「いや、その、貴方の負けっぷりがあまりに面白くて。で、でも、ほら、なんか空気的に笑っちゃいけない感あったから、必死に耐えていたのだけれど……それで却って余計ツボに入っちゃって。ご、ごめんなさいね」

「い、いえ、それは別にいいんですけど……。……えっと、じゃあ、怒っていたわけじゃ、ないんですか?」

 僕の質問に、今度は天道さんが不思議そうに首を傾げる。

「私が怒って? どうして?」

「い、いや、だって。天道さんから見たら……僕のプレイ、フラストレーション溜まったんじゃないかなって……」

「え? ああ……なるほど。そういうこと」

 天道さんは何か得心した様子で微笑むと、窓の外、田舎郊外の闇の中で輝く《アラウンド1》をどこか優しげな眼差しで見つめつつ、答えてきた。

「確かに、今日一日、スポーツ含めて雨野君、上手いプレイは何一つなかったわね。『勝負に真剣』とも、言い難かったかもしれない」

「す、すいません……」

 恐縮する僕。しかし天道さんは……とても穏やかな表情で振り返ると、しっかりと僕の目を見て告げてくる。

「でも、ずっと『楽しみ、楽しませることに真剣』ではあったでしょ?」

「え?」

 言われて、しかし、イマイチピンと来なかった僕は首を傾げる。天道さんはクスクスと笑って「やっぱり無自覚なのね」と呟いた。

「確かに雨野君は負けてばっかりだったわ。けれど……以前キミが言った通り、ちゃんと負ける度に悔しがってた」

「そ、そりゃ悔しいですからね。悔しいって言いますよ」

「そうね。でもそれって……案外普通のことじゃないのよ、雨野君。少なくとも私やゲーム部の面々なんかは、心の中で悔しいと思っても、表面の態度には殆ど出さないわ。代わりに、後から死ぬ程練習に打ち込んだりしちゃうけど」

「……えーと……」

 こ、これは、「お前はホント子供だな」と言われているのだろうか。

 実際僕は、昔から弟とばかりギャーギャー対戦しているから、どうにも勝負事の感想はすぐ口にしてしまうクセがついてしまっている。というのも、変に心に秘めて無言で勝負とかしてしまうと、必要以上に真剣になりすぎて、果ては兄弟げんにまで発展してしまいがちなためだ。だったら、悔しいなら悔しい、ムカツクならムカツクとちゃんと口にした方が、後々の禍根は少ないと……経験的に身についてしまっているところはあり。

 しかしそれを天道さんの前でまでやってしまっているとは。恥ずかしくてぽりぽり頭を掻いていると、しかし、天道さんはまるで責める調子ではなく続けて来る。

「雨野君は自分のことを『ぬるい』って言うけれど、でも、私は雨野君のそういうのって、『ぬるい』ことに真剣なようにも見えるっていうのかしらね」

「う、うーん、そ、そこまで大層なこと考えてはいないんですけど……実際小学生相手にガチで挑んで負けているわけですし……」

「ええ、そうね、情けないわね」

「ぐ……」

「でも、そういうところが、私は、雨野君凄いなって、思うの」

「ごめんなさい、なにを誉められているのか全然分からないんですが!」

「そう? たとえば……そう、例のショータ君とソータ君。今日、もし私がゲーム部の人達と一緒にここに遊びに来てたら、最終的にこうしてあの兄弟と仲良く一緒に遊べるような事態には、絶対ならなかったと思うのよね」

「す、すいません、僕がへっぽこなばかりに、デートへ闖入ちんにゆう者を許して……」

「いえ、だから、そこが、雨野君の凄いところだと私は思うのよね」

「…………ごめんなさい、本気で評価ポイントが分からないんですけど……」

「そう、それが全然分からないところもまた、雨野君の凄いところなのよ」

「すいません、僕みたいな凡人がそこまで意味不明に誉められると、最早気味悪さしか残らないのですけど」

 テキトーに書いた作文がコンクールで賞とか取っちゃうみたいな状況だ。現代社会への問題提起がどーたらこーたら評価されているのはいいけど、自分はそんなことをテーマに書いた覚えは一ミリもない、みたいな。

 僕が本気で戸惑っている様子を見て、天道さんは自らの唇に指先を当てて「んー」となにやら可愛らしく思考すると……何か思い当たった様子で、続けて来る。

「ショータ君とのレースの最後の場面。あそこで貴方がアイテムを使ったのは、『勝つため』じゃなかったわ。ただ勝ちたいなら、あのままマシンパワーで抜き去れば良かった」

「え? あ、す、すいません、勝負に真剣じゃなくて――」

 僕は咄嗟に謝ろうとするも、天道さんはそれを手で制し……そして、瞳に理知的な光を宿らせながら、答え合わせをするかのように告げて来た。

「『どっちに転んでも、あの二人にとっては確実に面白くなるから』――それが、あの場面での貴方のアイテム使用理由よ。そうなのでしょう? 雨野君」

「…………」

「ショータ君が爆発しても、今回みたいに貴方が爆発しても。どっちにしろ――子供達は、あのまま普通に淡々と勝負が決まるより盛り上がったでしょうね」

「……えーと……」

 その図星な指摘に、僕は頬を掻いて視線を逸らす。……やばい、自分のカノジョのゲームスタンス知りながら、それでも子供っぽい盛り上がりのためだけに馬鹿なことして勝ちを逃したのバレてる。

 天道さんのどこか呆れを含んだ声が痛烈に僕のへと響く。

「……まったく。私のゲーム部への誘いを断わった時から、ホント、全然変わらないのね、キミは……」

「う!? す、すいません、あの、天道さんのゲームスタンスに無駄に反発する意図とかは一切なくですね……」

「ええ、知ってるわ。貴方は決して無駄に勝ちを逃したんじゃない。ただ『私の前で格好つける』ことより『あの二人を楽しませる』ことを優先しただけなのでしょ?」

「ぐぅ!? あ、あわ、えと、その、け、決して天道さんを疎かにする意図は……」

 やばい、振り向けない。こ、これはもう、彼女、相当鬼気迫る表情でいらっしゃるに違いな――

「……貴方のそういうとこ、好きよ、私」

「へ!?」

 ――何か今とんでもない発言を聞いた気がして、ぶんと振り向く。と……今度はなぜか、天道さんが窓側に視線をやってしまっていた。真っ暗な田園風景の中に建つ小さな民家から漏れるあかりが外を流れていく。

 ……僕は、天道さんと密着して座っているにもかかわらず……なんだか不思議と穏やかな気分になり、窓の外を見たままの彼女に語りかけた。

「僕も、天道さんの、僕に全然容赦してくれないところ……凄いと思います」

「なにそれ、全然誉められている気しないのだけれど」

「いえ、本当に。よく考えたら……天道さんが手を抜いて僕に勝たせてくれたりしたら、それこそ、僕は今日、本気で悔しがることさえ出来なかった。きっと天道さんはそれが分かっていたんですよね? やっぱり凄いですよ、天道さんは」

「……私は、不器用に真剣勝負しか出来ないだけですよ」

「知ってます。でも僕は、天道さんのそういうところこそが、好きですよ」

「……!」 

 びくぅっと震える天道さんの肩。……流石の僕も、これは「あ、照れてるんだな」と分かった。

 なんだかくすぐったい……だけど満ち足りた沈黙の時間が流れる。

 僕はしばらく時間を置いた後、そっと雑談を持ちかけた。

「……ところで天道さん、この前出たファイヤー・タクティクスやってます?」

「あ。ええっ、勿論よ! そうそう、その話したかったのよね! 雨野君は結構進んでいるのかしら?」

 顔をキラキラさせて振り返る天道さん。それに胸を張って答える僕。

「今第九章です」

「く、負けてるわ。私は第七章よ。ゲーム部や鍛錬に時間割いていると、こういう部分で後れを取るのよね……」

「あ、そういえば知ってました? 第六章でフラグ立てとかないと、第十二章であるアイテムが手に入らないらしいですよ」

「え、そうなの!? ああ、もう、やり直さないと……」

「やり直すんですか!? 大したアイテムじゃないらしいですし、僕はもういいかなと思って進めてますけど」

「ふ、まったく、雨野君はそういうところが甘いのよ。これだからぬるい人は駄目ね」

「む、お言葉ですが、天道さんはそういう感じだから中々進まないのでは?」

「く、言うじゃない。でもこういうところで時間をかけてこそ――」

「いえいえ大事なのはそこじゃ――」

 ……静かな車内風景。遊び疲れた身体。宵闇迫る田舎町の中をゆったりと走るバス。

 ふと、彼女との会話が僅かに途切れたタイミングで、僕は思わずぽつりと漏らした。

「…………お見それ致しました。上原師匠の言う通りでございました」

「? なに、雨野君」

「なんでもないです。あ、それと、第十章でのレベル上げなんですけどね……」

 そうして、引き続きゲーム話を天道さんと続けながら……僕は、頭の隅で、デート前に聞いた上原君の発言を噛み締めていたのだった。


「結局は、好きな人と二人で仲良く喋るだけの時間が、なにより幸せなもんなのさ」

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