第118話 反動 -retributive justice- 09

「で、何の用だ?」


 不機嫌そうなジンに対しても、ダルタニアンはどこ吹く風だった。


「ふっ……何、ジン、君と再び互いの騎士道について語り合いたいと思っただけのこと」

「そうか」


 ジンはそう言うと、ティナに視線を向けた。

 その視線はこう告げていた。

 ──後、任せた


「ふぇっ?」


 ──ちょ、ちょっと待とうか!

 アイコンタクトを返す。ジンは見事にスルーした。人任せにするとはどういう了見だ。


「思えば、僕は君を誤解していたのだろう。しかし! 今は違う! 僕は君の騎士道を、ひいては君の信念を、多少なりとも理解したつもりだ!」

「え? あっ、うん」

「……おい、早くこいつを連れて帰れ、シャルロット・フランソワ」


 ジンはめんどくさげにダルタニアンを横目で見て、ティーカップを片手に微笑むシャルロットに言う。


「ふふっ……せっかくですから、少しくらいはお話してはどうでしょうか?」

「…………」

「そう渋い顔をしなくてもいいでしょう?」

「お前、そんな奴だったか?」

「そういえばそうでしたね。以前は、探りを入れろと命じられていたもので、失礼いたしました」

「……奴か」


 ジンは、あの日の闘技大会で戦った円卓の騎士の顔を思い浮かべた。ザビーナ・マーシャル・ラ・オルレアン。珪化木ペトリファイドウッドの瞳を持つ、苛烈なる女騎士。

 最後にコックピットを掠ったことまでは覚えているが、そこでその場を離れたジンは後がどうなったかは知らなかった。

 シャルロットはくすりと小さく笑みを零すと、隣でミルクティーを飲んでいるクロエに聞こえないようにジンに囁いた。


「ご心配なさらずとも、ザビーナ様はお怒りですよ? 顔に傷を付けた、革命団ネフ・ヴィジオンの双剣使いを許さん、とおっしゃっていましたし」

「……そうか」


 ジンは興味なさげに答えた。記憶する限り、〈ガウェイン〉であれば、ザビーナの〈パロミデス〉に負けるというヴィジョンは見えてこない。よって、彼にとってはある意味、取るに足らない存在と言えた。


「……姉弟子の親切心から言っておきますけれど、一度勝ったからと侮らない方がいいですよ?」

「笑わせるな」


 ジン・ルクスハイトは油断しない。まして、円卓の騎士ナイツ・オブ・ラウンズ相手にそれを見せることは絶対にない。


「ふふっ……それもそうですね」

「さあ、共に語らおうではないか! 友誼を交わした騎士として」

「うるさい」

「ダルタニアンさん、食事中はしーっだよ?」

「ふっ……これは失礼した」

「っていうか、この人うざいんだけど」


 整った顔立ちをしかめるティナに、ジンは何を今更とでも言いたげな調子で、


「知っているが?」

「知ってて全面的に投げんな!」

「うるさい」

「むぅ……」


 ふくれっ面のティナだったが、ジンの前に置かれていたピザを一切れ勝手に取ると、パクつき、目を輝かせる。食べ物で機嫌を直すとは、ずいぶんとお気楽な奴である。

 そこで、ダルタニアンは、ちょうど向かいの席に座る、というよりは座らせられたティナに目を向けた。


「おっと、そちらのお嬢さんは初めましてだったかな?」

「えっ? あっ、うん」

「では、改めて、名乗らせてもらおう。僕はダルタニアン・ルヴル・レーヴェル。騎士の道を歩む者の一人だ。以後、お見知りおき願おう」

「……んくっ、うん、やだ」

「なんと!?」


 少しの間、ダルタニアンには答えず、もぐもぐと口を動かして、口に入れたものを飲み込んでから、小さく答えたティナが一言で切って捨てた。視線すら向けない。

 ダルタニアンは驚愕したように身を仰け反らせる。そんなダルタニアンに、クロエがふんわりした口調で、追撃をかけた。ただし、本人は気付いていないが。


「うーん、お姉ちゃんは、ダルタニアンさんみたいな感じ苦手だと思うよ?」

「……誰にでも共通すると思うが」

「ふふっ……クロエさんも慣れた方がいいですよ? 貴族は迂遠な表現を好むものです」

「ちゃんと我慢してるもん!」

「どうでもいいが、口元を拭け、ソース付いてるぞ」

「えぇー、は、早く言ってよう!」


 そういって手で拭おうとしたクロエの頭をジンは軽く叩き、置かれていたナプキンを手にとって、口元を拭ってやる。


「手で拭うな。みっともないだろう」

「えへへ……ありがと、お兄ちゃん」

「……気にするな」


 そんなジンを心底驚いたという風に、目を丸くしたシャルロットが見ているのに気付き、ジンは顔をしかめた。


「ふふっ……貴方にもそのような一面があったのですね」

「黙ってろ」

「えぇー? お兄ちゃんはいつでも優しいよ?」

「ふふっ……良かったですね」


 そういって優しく、シャルロットはクロエの頭を撫でた。そうしながらも、ジンに多少の非難を込めた視線を送っているのは気のせいではあるまい。


「ちっ……」


 思わず、舌打ちが溢れた。その音が合図だったように、硬直していたダルタニアンが、オールバックの髪を軽く払った。


「ふっ……これは失礼。淑女レディに対して不躾だったようだ」

「レディ……?」

「うっさい」

「お兄ちゃん、ダルタニアンさんの趣味だよ」


 思わずティナに視線を向けたジンに、極めて端的な罵声と、クロエの何気に酷い、注釈じみた言葉が返ってくる。


「お近付きの印にこれを受け取ってくれたまえ」


 ダルタニアンは芝居掛かった仕草で、ティナに、どこからともなく取り出した白いバラを差し出す。その淀みなき仕草、実にエレガント。

 しかし、当の本人はといえば、そんなダルタニアンを胡乱げな目で見て、こてんと首を傾げ、


「えっと……なにこれ?」

「バラの造花さ。銀糸の髪と黒曜石オブシディアンの瞳の君には映えると思ってね。僕の自信作だ。ぜひ受け取って欲しい」

「ふーん、まあ、ありがと」


 ティナは白いバラを受け取り、しばし、手の中で転がして観察した後、すんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ、一言、


「45点」

「……なっ!?」

「なんの評価だ……」

「そりゃ、これの、に決まってるでしょ?」


 ティナが、バラの造花をパタパタ振りながら言う。いや、そういう意味ではないのだが。


「ふふっ……手厳しいですね」

「うーん、まあ、プロじゃないし? 素人にしては良くできてると思うよ?」


 ティナはそう前置きした後、


「けど、まあ、全体的に造形が甘いかな? この辺とかバラの質感が出てないし。でも、一番、評価を下げてるのって、香りなんだよねー」

「なんと!? その香りアロマは、我がレーヴェル領特産の、フレグランス・ド・ロゼッタ種と、南方から取り寄せた、パッション・ド・ルージュ種を混ぜ合わせた、至上の香りだと自負していたというのに」

「うーん、はっきり言うけど、くどい。っていうか、身に付けるような造花なら、仄かに香るくらいじゃないと」

「……はっ!?」

「どっちもいい匂いで好きなんだけどなー、これは、配合率が悪いというよりは組み合わせが悪いね」

「うおっ……!?」

「だいたい、繊細な香りが売りのロゼッタと、強い芳香が売りのルージュ混ぜたら無粋な香りになるに決まってるでしょ」

「ぐはっ……!?」

「そうだね……わたしなら、ロゼッタと混ぜるなら、東方系かな? でも、あえてロゼッタとルージュを混ぜるなら、やっぱり、ちょっとだけにするのがいいかも」

「ふっ……完敗だ……」


 ダルタニアンは真っ白な灰になってうなだれた。ティナは、あっ、これ返すね、と言ってダルタニアンの白い騎士服の胸ポケットに造花を突き刺すと、コーヒーを啜った。


「……なんだ、あれ?」

「わたしは知らないよ?」

「ふっ……勝った」


 カップをソーサーに戻し、灰になったダルタニアンを見て、どやっ、と胸を張ってみせるティナに、ジンはとりあえず、溜息を吐いた。


「ふっ……またしても、己の未熟さを突き付けられた気分だ。ぜひ、君の名を聞かせて欲しい」

「まあいいけど……ティナ、そう呼んで。そっちの人も」

「ふふっ……私も自己紹介がまだでしたね。改めまして、エルネスト・フランソワ伯爵が次女、シャルロット・フランソワと申します。よろしくお願いしますね、ティナさん」


 座ったままだったが、その礼はカーテシーを思わせる上品なものであった。実にエレガントである。


「よろしくね、シャルロットさん」

「…………」

「ダルタニアンさん、気にしないで、お姉ちゃんは素で忘れてるだけなんだよ!」

「ふっ……」

「……わざとだと思うが」

「兄妹そろって、全力でとどめを刺しに行かなくてもいいのに……」

「お前が言うな」

「お姉ちゃんがクリティカルだね!」

「ふぇっ?」

「三人とも五十歩百歩ではないでしょうか?」


 ダルタニアンは燃え尽きていた。どうやら、女性にぞんざいに扱われるのは、彼にとってダメージが大きいことらしい。


「ふっ……僕はこの程度では折れはしない!」

「あっ、復活した」

「ティナ嬢、君の立ち振る舞い、君の慧眼、どれも実にエレガント。だからこそ、僕は君の眼鏡にかなってみせる。楽しみにしていたまえ」

「え? うん? えーっと、まあいいけど? あっ、でもバラはたぶん才能ないと思うけど」

「ぐふっ……」

「また灰になったね!」


 一方は呆れたように、もう一方は微笑ましげに三人を見ていたジンとシャルロットはふと、ある気配に気が付き、同時に同じ方向を見た。


「何の用だ?」

「申し訳ありません。予定より遅れてしまっていますね」


 ほぼ同時に口にした言葉は正反対と言って差し支えない内容だったが、二人の視線を受けた白髪の老執事は、正確に45度に腰を折り曲げ、


わたくしの気配に気付くとは、ジン様もシャルロット様もご成長なされて……爺やは嬉しゅうございます」

「嘘を言え」

「ふふっ……よくおっしゃいますね?」


 ジンが冷たく睨み据え、シャルロットが淡い笑みを浮かべる。しかし、そんな二人に対してさえ、老執事は、表情筋の一筋すら動かさなかった。


「いえいえ、買い被りにございます」

「まあいい、何の用だ?」

「荷物をお預かりしようと思いまして。ジン様も苦労なさっているように見受けられましたから」

「では、お願いしても構いませんか?」

「フットワーク軽いな、お前」

「お任せください。いえいえ、そのようなことは」


 まったく、どの口が言うのか。

 ジンが呆れていると、どう考えても一人では持てないであろう荷物を、執事はまとめて手にし、一礼すると、


「それでは失礼いたします。おっと、その前に一つ助言を。年をとると物忘れが酷くなってしまうものでして」

「前置きはいい。なにが言いたい?」

「ジン様、シャルロット様。直観はいつもお二人をお助けするものであることをお忘れなきよう」

「は?」

「それでは、今度こそ失礼いたします」


 そして、老執事は、再びその場から姿を消した。

 どうなっているのかはいまいち理解できないが、あの執事に関してはそういう人種だと解するほかない。


「……何なんだ? アレ」

「ふふっ……なんでしょうね?」


 荷物を取りに行くのはめんどくさいが、どうせ、クロエを送り届けなければならないのだ屋敷に寄る理由が増えたところで、そう問題ではあるまい。


「ああ、そういえば」

「なんだ?」

「ジェラルド様に会う時はお気を付けください」

「話したのか?」

「いえ、そちらは話していませんが、闘技大会の件はほとんど話すことになってしまいました」

「…………」


 ジンの頬を冷たい汗が伝った。ジェラルドがジンがMCに乗って戦ったことを、まして円卓の騎士ナイツ・オブ・ラウンズと交戦したなどと知れば、どんな無茶を吹っかけてくるか分からない。


「それを聞いたジェラルド様は、教育的指導が必要だ、と」

「……悪いがクロエを任せていいか?」

「共感はしますけど、それは無理というものでしょう?」

「…………」


 恨めしげにシャルロットを睨むジンに対し、シャルロットは少し楽しげに、


「自業自得ではありませんか?」

「ちっ……」

「ま、まさか、またしても敗北を喫したというのか!?」


 思わず零れた舌打ちは突然の叫び声に掻き消された。視線を後ろに戻すと、声の主は案の定、ダルタニアンだった。なぜか頭を抱えているが。

 その前で、また、ふむんと胸を張っているのはティナだった。


「…………」

「何の勝負なのでしょうか?」

「あっ、お兄ちゃん、シャル姉さん」

「……なんだ?」

「なんでしょう?」

「これ、どっちがおいしい?」


 そう言ってクロエが差し出してきたのはカップだった。中に注がれているのは紅茶だ。


「そ、そうとも! まだ決着は着いていない! 着いてなどいないのだ!」

「どの道わたしの勝ちだけどねー」

「ほら、早く早く!」


 急かされた二人は、戸惑いながらも、それぞれのカップを口にし、続けて交換してから一口飲むと、


「こっちだ」

「ええ、こちらですね」


 同時に同じ方を指差した。そして、それと同時に、ダルタニアンが膝をついた。そこにはただ敗北者の姿があるのみだった。実にエレガントではない。


「ね? わたしの勝ちだって」

「なんの勝負だ……」

「ん? やっ、なんか悔しかったみたいなんだよねー。で、紅茶なら負けないって言うから、買ってボコっただけ」

「……そうか」


 どうやら、バラの造花を酷評されたダルタニアンが、紅茶を淹れる巧さで勝負を仕掛け、満場一致でティナが勝利したということらしい。はっきり言おう、どうでもいい。


「レーヴェル卿の方も美味しいかったですよ?」

「ふっ……フランソワ卿。慰めなど必要ないさ。むしろ祝福して欲しい。敗北を認めるのもまた騎士の勤め。敗北を糧に新たな研鑽を積むことこそ、騎士の正しき姿。そうとも、この敗北はすなわち、また一つ、超えるべき壁を見つけたということに他ならないのだ!」

「ふふっ……それでこそレーヴェル卿です」

「復活早っ!」

「ダルタニアンさんは元気だもん」


 おそらく、元気だからではないだろうと思うのだが。


「おまえは何がしたかったんだ……?」

「え? いや、なんかいらっ、てきたからやっただけだけど……」

「…………」


 ジンの口から溜息が漏れた。


「ふっ……せっかくの再会に溜息など無粋だとは思わないかね? ジン」

「…………」


 ──誰のせいだ、誰の。


「やっ、たぶん、あんたのせいだと思うけど」

「なっ……!?」

「……お二人とものような気がするのですけど……」

「シャル姉さんが正解だと思うよ?」

「おまえらが言うな」

「わたし何もしてないと思うんだけど! 思うんだけど!」

「反省がないな、おまえは」

「うぅ……ジンが酷いよぅ……」


 ティナはなぜかシャルロットに泣きつき、シャルロットもなぜか、自然に受け入れて、ティナの頭を撫でていた。


「あっ、お姉ちゃんずるい! わたしも!」


 クロエがシャルロットに抱き着く。突然抱き着かれたにも関わらず、ちゃんと受け止めていた。さすがに騎士として鍛えてあるのが分かる。

 ティナとクロエはシャルロットに撫でられてご満悦の様子だ。しかし、端から見ていた限りでは、シャルロットとティナはほとんど会話していないと思うのだが。


「ふっ……」


 ダルタニアンが頬をわずかに赤く染めて、シャルロットたちから目を逸らした。しかし、その碧眼は、ちらちらと三人の方をうかがっている。

 そんなダルタニアンに、ジンはしばし黙り込んだ後、


「……どうした?」

「ふぁっ!? ふ、ふっ……なんでもないさ」


 なぜか慌てた様子のダルタニアンに対し、ジンは興味をなくしたらしく、視線を空へと向けた。

 朝に比べて、雲が増えてきている。一雨あるかもしれない。

 そうしていると、咳払いを一つ下ダルタニアンが、ふと真面目な口調で話しかけてきた。


「時にジン」

「なんだ?」

「君はあの件をどこまで知っているのかね?」

「さあな」


 ジンは、ダルタニアンの質問には答えなかった。3ヶ月前の事件に、ジンがどの程度関わっていて、どの程度内実を知っているかなど、あえて語るべきことではない。


「知っているのなら教えてはくれまいか。僕は真実を知りたい」

「……知ってどうする」

「決まっている! あのような謀に関わった者がいるのなら、その罪を裁かねばならない! それこそが、レーヴェルの役目なのだから!」


 ジンは思いがけずといった調子で笑いをこぼした。バカにしたように、一方でどこか呆れたように。


「くくっ……だからおまえはバカなんだろうな」

「ど、どういう意味かね!?」

「言葉通りだ」

「ふっ……ジン、それは聞き捨てならないというもの! 僕のどこがバカだと言うのかね?」

「すべてだ」

「なんとっ!?」


 絶句するダルタニアンに、微苦笑しながらジンは一言、


「まあ、嫌いじゃないがな」

「ふっ……」


 満足げに笑むダルタニアンに、ジンは顔をしかめた。


「気持ち悪い」

「ふっはっはっは!」

「喧嘩を売ってるのか?」

「ふっ……やはり君と僕は分かり合えるということか」

「……──っ!?」


 何かを言いかけたジンは、突然、背筋を走り抜けた悪寒に、硬直した。

 周囲を見回す。そう、老執事は言ったはずだ。直観は身を助けると。

 違和感を探す。今日一日の間に見逃したそれをもう一度捉え直す。

 そして──

 ジンはそれを見つけた。

 空に向けられた銃口を──


「ティナ! 後ろだ! 来るぞ!」


 シャルロットに抱き着いていたティナが瞬時に身を離し、ジンの視線の方に振り返る。

 直後──

 ──銃口が火を吹いた。

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