第119話 反動 -retributive justice- 10

「う……くっ……」


 ティナは痛みに顔をしかめながら、目を覚ました。腕に力を入れて、身を起こそうとするが、身体の重さに挫折し、地面に伏す。


「重っ……ってか、いったぁ……」


 いつに間にか雨が降り出していたのか、髪も服もぐちゃぐちゃに濡れて泥まみれになってしまっている。その上、瓦礫か何かが背中に積もっているのか、身体が重い。

 このままだと危険だとは思うのだが、身体の自由はどう頑張っても利かなかった。ならば、助けを求めるほかない。


「くぅ……ジン、聞こえる……」


 思いの外か細い声が出た。声を張るにしても背中を圧迫する瓦礫か何かが邪魔だった。

 しかし、当の本人はかなり近くにいたのか、すぐに返事が返ってきた。


「ティナか?」

「ジン、上の退かして……立てないから」

「ここの下か?」


 ジンがそう言うと、背中から揺れが伝わってきた。どうやら、ティナの位置を確かめるために背中に乗っているものを揺らしたらしい。


「うん……そこの下」

「了解した」


 ジンが答えると、物音と共に、一気に背中が軽くなった。瓦礫を蹴ったか何かしたのだろう。

 ティナがもう一度腕を踏ん張ると、今度は抵抗なく身を起こすことができた。ふらつきながら立ち上がると、こちらに手を差し出すジンの姿が見えた。素直に甘えることにして手を取ると、ジンは強く引っ張ってティナを持ち上げてくれる。

 どうやら、ティナは、陥没した下水道に落ちていたらしい。その後、崩れた瓦礫に埋もれてしまったということらしい。

 建物の瓦礫に刺さったりしなかったのは運が良かったというべきか。


「無事か?」

「うん……身体が痛いだけで、たぶん大丈夫」


 身体をぺたぺたと触って確認した後、ぐっと伸びをしてみせる。痛みはするが、出血はおそらくない。打撲や内出血はあるだろうが、問題になるほどではなさそうだ。

 ただ、髪や服が水を吸って気持ち悪いし、下水道に落ちたせいか嫌な臭いがする。顔をしかめたティナに、何を勘違いしたのかジンが一言、


「無理はするなよ」

「心配してくれるの?」

「倒れられたら邪魔だ」

「だよねー」


 珍しいと感心したティナがバカだった。まあ、それにしたって、心配していない訳ではないのだろうが。


「それで、状況は?」

「現状、銃火器装備のMCがいることしか把握していない。さっきのは爆弾か何かを打ち上げたんだろう」

「うーん、お仲間・・・かな?」

「おそらくは。まあ、手口が雑すぎるが」

「狙いはセレーネ公爵家、ってとこ?」

「ああ、おそらくな。お前の言っていた通り、厳戒態勢のセレーネ領に比べればここは緩い」

「んー、でも、MC持ってるんだよね?」

「数は知らないがな。どこかの貴族が糸を引いている可能性もある」

「もしかして、ヴィクトールのお仲間だった?」

「さあな。どちらにせよ、潰すことに変わりはない」

「ん? じゃあ、わたしたちが動くの?」


 ティナが尋ねると、ジンは少し黙り込んで考えた後、


「いや、カルティエを頼る方がいいだろう。俺たちがやり合う意味もない。対応はジェラルドさんに任せる」

「おっけい。クロエちゃんたちは?」

「……今のところ見つけていない」


 ジンは珍しく、本当に彼にしては珍しく、青い顔で不安げな様子を隠さずに、そう言った。


「わたしみたいに落ちてるのかな」

「さあな」

「どっちにしろ探さないといけないってことだよね?」

「ああ」


 そう言ったジンは、ティナに背を向けて、瓦礫の中へと足を踏み出す。その足取りがどこか頼りなさげで、拳は強く握り締められていた。

 ティナは、ジンの隣に追い付くと、固く握られた拳の上に手を重ねた。そして、ゆっくりと拳を解かせて、手を握る。

 3ヶ月前のあの日、ジンはティナを励ましてくれた。なら今度は、ティナが返す番だ。

 困惑した様子のジンに、ティナは柔らかく笑む。気休めかもしれないけれど、今のジンにはきっと必要なことだと思えたから。


「きっと大丈夫だから、ね?」

「……すまない」

「気にしないで」

「…………」


 ジンは何も言わなかった。しかし、普段なら振り払うであろう手は離さなかった。

 口ではなんと言っていても、ジンはクロエのことを本当の妹のように大事にしている。わざわざ休暇をとってまで会いに行くのもその証拠だ。

 そんなクロエを失うのではないか、それが回り回って自分の責任ではないか、と思えば、ジンも弱気にも不安にもなるのだろう。


「そんなに距離離れてないよね?」


 ティナは周囲を見回してからジンに確認を取った。先ほどの攻撃のせいで、街並みはすっかり変わってしまっているが、持ち前の記憶力でティナは、自分とジンがそう遠くまで飛ばされている訳ではないことを確信していた。


「ああ。だが、おまえとクロエは近くにいただろう?」

「うーん、でも、たぶんシャルロットさんが庇ってたんだよね、最後に見た時」

「……そうか」


 少し、ジンの肩の力が抜けた気がする。どうやら、ジンは思いの外シャルロットを信用しているらしい。ダルタニアンの知り合いということは、闘技大会の際に知り合ったのだろうが、ジンにしては妙に信を置いているように感じる。

 とはいえ、この状況だ。気にはなっても聞く余裕はない。


「ジン! ティナ嬢! 無事だったか!」


 その時、大きく手を振りながら、二人の名を呼ぶ影が現れた。ダルタニアンだ。彼の象徴たる純白の騎士服を泥で汚し、汗と雨に濡れ、崩れたオールバックのブロンドを張り付かせながらも、その立ち姿は実に堂々としている。

 そこには、この状況下でも、否、この状況下だからこそ、矜持を捨てぬ、彼の騎士道がある。実にエレガントであった。


「ダルタニアンさん、クロエちゃんたちは?」

「すまないが僕も探している最中だ。怪我人も多くてね。僕の手の及ぶ距離で助け出すので精一杯だったのだ」


 そう言いながら、ダルタニアンは屋根だけが残る建物の影に視線を送る。そこには怪我をした人々が寝かされている。手足を失っている者もいたが、ダルタニアンが処置したのだろう。千切った布などを使って、応急処置が行われていた。


「ちっ……」


 ジンは舌打ちをこぼしはしたが、文句は言わなかった。傷付いた人々を一人で救い続けたダルタニアンに、そんな文句を吐くのは筋違いだと理解しているのだ。とはいえ、苛立ちを抑えきれないのは事実だった。


「ダルタニアンさん、怪我人はこれで全部?」

「いや、この周辺だけさ。傷の浅い何人かは、救出を手伝ってはくれているが、正直、手が回っていないのが現状でね」


 ティナはしばし黙り込んで、怪我人を見つめ、その後、ジンにちらりと視線を向けた。

 ジンと目が合う。いつもは強い意志を宿す真紅の瞳は揺らいでいた。


「ダルタニアンさん、治療に使えそうなもの探してきて、そのものじゃなくていいから。後、煮沸に使えそうなものも」

「口惜しいが医者はいない……もしいれば、もっと多くの人々を救えたというのに!」


 本当に悔しげに言うダルタニアンに、ティナは柔らかく笑んだ。これほど高潔な貴族が、楽園エデンに残っていたとは思わなかった。いや、そこはさすがはレーヴェルと言うべきだろうか。


「わたしがやる。資格とかは持ってないけど、技術うではあるから」

「本当か!?」

「そればっかりは信用して、としか」

「ふっ……信じるとも! ティナ嬢、ここは任せた! 僕は君の言う通り、使えそうな物を見つけてこよう!」

「うん」


 ダルタニアンは、また雨の中へと走り去っていく。彼の人を助けたいという思いは本物だ。きっと、ティナが考える以上のものを見つけてくれるだろう。


「さてっと」


 ティナは、屋根の下にも入らず、相変わらず雨に打たれっぱなしになっているジンを見た。頬を伝う雨がまるで涙のように見えて、ティナはぎゅっと拳を握った。

 そして、大きく息を吸い込むと、ジンの背中を思いっきり叩き、一息に叫んだ。


「腑抜けんな! ダルタニアンさんはダルタニアンさんのやるべきことをやってくれてる! わたしはわたしのできることをやる! なら、ジンがやることは決まってるでしょ!」

「……ああ」


 驚愕に目を見開いたジンは、自嘲気味に口角を歪めると、うなずいた。その真紅の眼には、強い光が少し戻っている。

 ジンは、濡れ濡った赤黒い髪を払うと、


「ここは任せた」

「おっけい。二人とも無事に連れ帰らないと許さないからっ!」

「任せておけ」

「うん」


 そう言って走り出したジンを、ティナは慌てて呼び止めた。


「ジン! これ!」


 ティナは懐から取り出した物をジンに向かって投げる。拳銃だ。本来は任務のために持ち込んだものだが、結局使う機会はなかったので弾は有り余っている。


「濡れたから壊れてるかもしれないけど! 一応!」


 ジンは答えなかったが、受け取った拳銃に代わって、何かを投げ返してきた。


「うわっと」


 あわや受け止め損ねたものを確認すると、それはナイフだった。これを使えということなのだろう。

 顔を上げると、すでにジンはいなかった。


「もう……まあいいけど、じゃ、わたしもがんばろっか!」

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