第117話 反動 -retributive justice- 08

 ダルタニアンとシャルロットは、カルティエ領内の商店街を歩いていた。ダルタニアンの手にはすでに購入した物が入っているのであろう紙袋が握られている。

 ふと、彼は目を細め、街並みと行き交う人々を見つめた。思い返すのは、レーヴェル領の人々の姿だ。


「ふむ……やはり活気があるものだな」

「……そうですね」


 ダルタニアンのつぶやきに、妙に歯切れ悪く返すシャルロット。何か思う所でもあるのだろうか。

 そう思っていると、シャルロットは取り繕うように少し笑って、


「いえ、以前に比べると、少し人通りが少ないような気がしただけです」

「ふむ、革命団ネフ・ヴィジオンによって革命の機運は高まっている。そのせいだろうか?」

「カルティエ領は穏やかなものですよ。オルレアン領ではむしろ、革命団ネフ・ヴィジオン追討の方が盛り上がりを見せていますから」


 それは当然だろう。黒いMCによるコロッセウムの襲撃。貴族の間では、ヴィクトール伯爵の陰謀であることは公然の秘密となっているが、そこに住む人々にとっては違う。

 多くの人々は貴族に反対する集団、すなわちそれを自称する革命団ネフ・ヴィジオンによる無差別攻撃だと考えているに違いない。

 たとえ、それが事実と違っているとしても、多くの人々が受け入れやすいのは反動勢力の仕業とする方だろう。否、統治者たる貴族が己が権益のために、他の貴族に攻撃を仕掛けたなどという発想をすること自体が咎められるべきことになるのだから。

 しかし、革命団ネフ・ヴィジオンの騎士、ジン・ルクスハイトと友誼を交わしたと自認するダルタニアンとしては、友が事実無根の一方的な中傷を受けることは、理解はしても納得のできるものではなかった。


「ヴィクトール伯の仕業だと言うのに……」

「仕方のないことですよ。ザビーナ様自身、斬られたのが堪えたのか、強硬派ですし」


 そう、円卓の騎士ナイツ・オブ・ラウンズの一人、ザビーナ・マーシャル・ラ・オルレアンは、先日の闘技大会の最終戦で、ジンと対戦し、コックピットを掠める斬撃によって、負傷している。

 その後の騒ぎでうやむやになってはいるものの、楽園エデンの最高戦力が、叛乱を企てたヴィクトール伯爵のお抱えという、いわばどこにでもいる一介の騎士に斬られたことを重く見る動きは少なくないと聞く。

 そんなことを苦笑しながら言うシャルロットは、ザビーナ・オルレアンに仕える親衛隊の一員のはずなのだが、そんな呑気な構え方で良いのだろうか。


「しかし、真実を誤認したままで良いはずはないだろう?」


 なおも言い募るダルタニアンに、シャルロットは、苦笑した。


「レーヴェル卿、真実を伝えたところで、混乱は増すだけです。むしろ、革命の機運が高まっている今だからこそ、内輪揉めを表に出してはいけないでしょう?」

「それはそうだが……友が悪く言われるのは気分が良くないというものだ」

「レーヴェル卿。いえ、あえてこう呼びましょう。ダルタニアン・ルヴル・レーヴェル次期侯爵」


 ふと、シャルロットは真剣な口調で、ダルタニアンの名を呼んだ。騎士としてではなく、ダルタニアンが本来あるべき者としての名で。

 ダルタニアンはその名で呼ばれたことを苦々しく思いつつも、顔をしかめることさえしなかった。いや、できなかったのだろう。彼自身、己を騎士として、貴族として定めているが故に。それを否定するのはエレガントではない。


「肩入れのし過ぎは良くありませんよ? 貴方にとって、革命団ネフ・ヴィジオンはどういう存在か分かっていないわけではないのでしょう?」

「ふっ……分かってはいるさ。僕は甘い。己が騎士道に固執するばかりに、目的を見失うような男だ。僕は、彼と戦場で会った時、おそらく、いや、絶対に彼を斬れないだろう。たとえ、無抵抗で首を差し出されようとも」


 騎士とは忠義を尽くす者。楽園エデンに忠節を尽くすことこそ騎士の正しき在り方。そう、騎士とは楽園エデンの剣たる者でなければならない。

 騎士の在り方に準ずるならば、革命団ネフ・ヴィジオンを打ち倒し、斬り伏せることこそ、為すべきことである。

 しかし、ダルタニアン・ルヴル・レーヴェルが忠誠を誓うのは、己が剣に捧げた誓いのみ。そこに楽園エデンという支配体制への思い入れはない。

 ダルタニアンの信ずる騎士とは、貴族とは、己を裏切らず、守るべき民を裏切らず、常に先導者たり、魂の輝きを示す者だ。

 ただ唯々諾々と命令に従い、己で敵を定めることをせぬ者のどこが騎士か、どこが貴族か。

 ダルタニアン・ルヴル・レーヴェルは、立場や柵に、生き様を、魂を縛られるような人間であってはならないのだ。


「しかし! それこそが僕なのだ! 甘くとも! 情けなくとも! 地を這い蹲ろうとも! 己が騎士道に! 誓いに! 矜持に! 嘘をつくのは、僕が僕であることに反する! それを貫き通すことこそが、僕が僕であることの証明なのだから!」

「ふふっ……」


 シャルロットは、野に咲く花のように可憐で、控えめな笑みを零した。貴族としての上品さを忘れぬ態度、実にエレガント。


「そうでしたね。貴方はそういう方でしたね」


 くすくすと楽しげに笑うシャルロット。そんな彼女に、ダルタニアンは堂々たる態度で笑みを返した。


「ですが、公衆の面前で、そのような大声を出すのはいただけませんよ?」

「…………」


 ダルタニアンは気が付いた。行き交う人々が微妙な目で自分を見ていることに。しかし、ダルタニアンはそこで怯むような男ではなかった。


「ふっ……ぜひ、聞き届けてくれたまえ! 君達が私の騎士道の証人だ! 私が! このダルタニアン・ルヴル・レーヴェルが道を踏み外した時は! 私を嗤って欲しい! 所詮はその程度の器だったのだと! その時、私は己の過ちに気付くだろう! その時、私は己が騎士道に背いたことを恥じるだろう!」


 逆に堂々と開き直られると、人は馬鹿らしくなるもので、言い終えたダルタニアンに視線を向けるものはほとんどいなかった。

 しかし、ダルタニアンはその視線の中に、確かに感じていた。騎士を名乗る者への期待、あるいは、その堂々たる態度への称賛を。

 数は少ない。だが、それはダルタニアン・ルヴル・レーヴェルという騎士を多少なりとも認めた者たちが、わずかでもいるということに他ならない。

 騎士とは、貴族とは、民の期待を、不安を、背負う者。何の期待されなければ、何の信頼も受けなければ、それは騎士としても、貴族としても、相応しくない。


「ふっ……これもまた、騎士としての試練。心して受けなければなるまい」

「…………」


 隣のシャルロットから向けられた、じとーっとした視線にダルタニアンは気が付いた様子はなかった。しかし──


「レーヴェル卿?」

「……何かね? フランソワ卿」

「堂々としたお姿、見事でした。貴方の言葉を借りるなら、エレガントと言ったところでしょうか?」

「あ、ありがとう」


 なぜだろう。にっこりと笑うシャルロットの目が笑っていない。というか笑みが黒い。

 褒められているはずなのに、まったくそんな気がしないのはなぜなのか。


「ですが、このような場所で名乗りを上げるのは良くありませんよ? 私になんと言って付いてきたのか、忘れたわけではないでしょう?」

「ふ、ふっ……む、無論だとも」


 そう、この情勢だ。貴族を狙う者は絶対にいる。革命団ネフ・ヴィジオンはかなり的を絞っているようだが、追従する他の反動勢力は、そうとは限らない。

 むしろ、その多くが、歯止めの利かない勢力である可能性が高い。恨み辛みで動いている組織ならなおさら。

 女性を一人で出歩かせるのは危険だというのはもちろんだが、一目見て貴族らしいエレガントな振る舞いをするシャルロットが、そういった組織に目を付けられては大事であるというのも、ダルタニアンが同行を申し出た理由の一つだった。

 にもかかわらず、自ら貴族を、騎士を名乗り、護衛のつもりで付いてきたシャルロットを逆に危険に晒すなど、なんたる無様か。


「ふふっ……分かっているのなら構いません」

「はい、以後気を付けます」

「私は何も言っていませんよ?」


 にっこりと言うシャルロット。ダルタニアンは本能的に身の危険を感じて、


「すいませんでした」


 頭を下げた。迷わず頭を下げた。もし、カルロスがいたら、呆れたように溜息を吐いたことだろう。また、侯爵令息の立場が下がった、と。


「ふふっ……謝られても困ってしまいます。頭を上げてください」


 そういうシャルロットの口調はいつもの調子だった。ダルタニアンはそんな彼女の顔色をうかがいながら、顔を上げた。


「改めて謝罪してさせて欲しい。私の意識不足だった。申し訳ない」

「いえ、気にするほどでもありませんから。ジェラルド様の、ひいてはセレーネ公爵のお膝元でそのような愚挙に出る者がいるとも思えませんし」

「そうだろうか?」

「と、言いますと?」


 上品に首を傾げるシャルロットに、ダルタニアンは己の懸念を伝えた。


「セレーネ公の為政者としての手腕は聞き及んでいるが、同時に、政敵や叛逆者には容赦がないというのも事実。目の敵にしている貴族や民は少なくないと聞く」

「……ヴィクトール伯のような動きを見せるものがいる、ということでしょうか?」

「無論、僕も何か掴んだわけではない。しかし、ヴィクトール伯の件には、三公の意向があったようだ。それを見るに、把握していながら野放しにしている可能性はあるのではないか、と」

「ふふっ……」

「それが何者かは分からないが、ヴィクトール伯の付けた火種は、革命だけではない。願わくば、表面化しないことを祈るばかりだが……おや、どうかしたかね? フランソワ卿」

「いえ、ただ、結局藪をつついたのですね、と思っただけですから」


 ダルタニアンは冷たい汗を流した。そう、3ヶ月前、残党狩りに協力していたダルタニアンは、シャルロットに忠告されていた。首を突っ込みすぎるな、と。

 しかし、ダルタニアンはこの3ヶ月の間に現当主である父に調査を具申し、ヴィクトールの反動と今では呼ばれる一件の裏に、革新派貴族とセレーネ公派、エスメラルド公のそれぞれが暗躍していたという結論を得ていた。もっとも、詳細は分からなかったのだが。

 いや、おそらくは、知っていて当主である父が、ダルタニアンには、黙したということだとは、分かってはいるのだが、得られた情報はそれだけだった。

 まあ、何れにせよ、忠告を無視して動いたという事実には変わりない。


「ま、待ってくれ、フランソワ卿! これには深い訳が──」

「ふふっ……言い訳は聞きませんよ?」

「も、もちろんだとも! 私は自分に言い訳はしない!」

はですか?」

「無論、僕も、だ!」

「では、申し開きをどうぞ」

「そうとも、あれは、2ヶ月半前、まだ夏の陽気が香る昼下がりのことだった……」

「ふふっ……随分と詩的な物言いですね。ですが、今は端的にお願いしてもよろしいですか?」

「あっ、はい」


 くすくすと軽やかに笑いながら言うシャルロット。しかし、ダルタニアンはそんな彼女に威圧された。さすがは、あのジェラルドの弟子と言うべきか。


「私は、父上にヴィクトール伯の暗躍を含め、すべて話したのだが、その時に、私自身の懸念を伝えたのだ。その時、父上は私にこう尋ねた。レーヴェルとしてどうするべきだと思うか、と」

「レーヴェルとして、ですか?」

「そうとも。私はレーヴェルという家の誇りにかけて、その正義を歪めることは許されないと思っている。レーヴェルという名を、そこに背負う正義を、その血脈に伝えられてきた先人の矜持を、私は継がなければならない! 私はレーヴェルの嫡子として生を受けたのだから!」

「…………」


 シャルロットは何も言わなかった。しかし、その沈黙は肯定的なものであることに間違いはなかった。いや、ダルタニアンが己の貴族精神ノブレス・オブリージュに従って言った言葉に半拍するのは無粋だと考えたのだろうか。

 心地よい沈黙の中、次の目的地に向けて歩き出した時、シャルロットが小さく付け加えた。


「声、気を付けてくださいね?」

「……申し訳ない」

「いえ、追求は後でもできたことですし、急かした私も良くありませんでした」

「ふっ……レディファーストは騎士の嗜み。フランソワ卿に応えるのはやぶさかではないさ」

「ふふっ……相変わらずですね。貴方は」

「常に、僕は僕に恥じぬ僕でありたいだけのこと」

「それができるからこそ、貴方は貴方なのでしょうね……」


 その時、シャルロットはふと何かに気が付いたように振り返った。そして、しばし背後の人混みと、その向こう側にある車道を見つめていたが、


「……考え過ぎですね」

「フランソワ卿?」

「いえ、行きましょうか。レーヴェル卿」

「ふむ……」


 釈然としないながらも、前を向いたダルタニアンもまた、ふとあることに気が付いた。それは視線なき視線だった。目は向けられていなくとも、気配を探られている、そんな気配。

 ダルタニアンは、侯爵家の嫡子である。当然、それは多くの人々の視線を集める立場だ。人々に向けられる種々の視線を前にも堂々とし、時には悪意や殺意を読み取らねばならない。そんな立ち位置。もっとも、そんな情意に関しては、ダルタニアンは鈍感なのだが。

 結果として、ダルタニアンは視線には、敏感になっていた。

 相手はダルタニアンの気配をうかがっているにも関わらず、そこに敵意は一切感じられない。ダルタニアンが鈍感なだけかもしれないが、彼はそれはないと確信していた。

 むしろ、感情の感じられない無機質な視線だ。

 そこで気付く。似たような視線を向けられたことが最近なかったか。


「ふっふっふっ……はっはっはっ!」


 ダルタニアンの口角が歓喜に吊り上がった。

 ──ああ、なんという! なんという僥倖!


「どうかしましたか?」


 ダルタニアンは、尋ねるシャルロットに微笑み、威風堂々とした足取りで、通りにある店のテラス席へと歩いていく。

 そして、溢れ出すパッションのままに、気配の主へと声をかけた。


「ふっ……こんなに早く再会できるなど、まさしく運命的ではないか! ジン!」

「ちっ……」

「やっ、偶然だと思う」

「おまえが言うな……」

「ふぇっ?」

「先ほど、来ていること自体は聞いていたように思うのですが……」

「あっ、シャル姉さんにダルタニアンさん、こんにちは」


 ダルタニアンの前に座る、真紅の瞳の少年──ジン・ルクスハイトは、疲れたように溜息を吐いて、天を仰いだ。

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