第112話 反動 -retributive justice- 03

「というわけで、こいつは無関係だ。いいな?」

「うんうん、仲良しさんなんだね」

「……人の話を聞いてたか?」

「えぇー、聞いてたよ?」

「……聞いていたようには見えないが?」

「聞いてたもん。お兄ちゃんの彼女さんなんだよね?」

「だから、こいつはただの仕事仲間だと……」

「うんうん、分かってるよー」

「どこがだ……」


 金髪の少女──クロエ・カルティエは、ジンが何を言っても幸せそうにほわんほわんした笑みを浮かべるだけで、人の話は一つも聞いていなかった。


「ぷっ……」


 そんなやり取りを眺めていたティナが噴き出す。くすくす笑いながらジンの方を見ている辺り、ジンがやり込められている状況がよほど面白いらしい。


「ちっ……」

「露骨に殺気を飛ばされた!?」

「で、クロエ一人か?」

「しかもスルー!?」


 外野がうるさいが気にしないでおこう。


「うん、お兄ちゃんがいるから護衛は要らないだろうって。それに、今、お客さん来てるの。シャル姉さんのお友達なんだってー」

「…………」


 不吉な名前が聞こえたような気がするのだが、気のせいだろうか。

 嫌な予感と共に、一人の女性の顔がちらついたが、ジンは努めてそこから意識を逸らした。


「この情勢で、一人娘を護衛もなしに送り出すなよ……」

「えぇー、さっきまではちゃんといたんだよ?」

「あの執事か?」

「うん! もう帰っちゃったけど」


 まあ、あの執事ならば、ジンどころか誰にも気付かれずにクロエを護衛することも、いつの間にか姿を消すことも容易いだろう。もしかしたら、今もどこかでクロエを見守っているかもしれない。

 そう思ってジンが、ヘリポートのロビーを見回すと、柱の影に、きっちり斜め45度に礼をする件の執事の姿が目に入った。

 唇が動く。「お嬢様をお願い致します」そう読めた。というか、ジンが読唇術を学んだのは家を出てからなのだが、何故知っているのだろうか。


「ジン、どうしたの?」

「いや……」


 ティナに声をかけられ、一瞬だけ意識を逸らした間に、執事は姿を消していた。本当に何者なのだろう。


「どうやら護衛は俺が担当らしい」

「やっぱりー。あっ、お兄ちゃん、今日は泊まってくの?」

「客がいるのなら俺は──」

「泊まっていくよね! ありがと、お兄ちゃん!」

「は……?」


 思わず間の抜けた声が出た。クロエは、完全にジンの答えを黙殺していた。それどころか、断定した挙句、お礼まで口にする徹底っぷりである。


「ぷっ……」


 ティナがまた吹き出した。うつむいて口元を押さえているが、必死に笑い出すのを堪えているようにしか見えない。


「おい……」

「ぷっふふっ……な、なに?」

「さっさと消えろ」

「ジン、それは横暴だと思うんだけど?」

「……そうか」


 無言で手を伸ばし、物理的にティナを排除しようとするが、それより先に、クロエが動いた。

 身を竦めてジンの手を避けたティナの腕を取り、上目遣いにティナを見つめると、


「お姉ちゃんも一緒に来るよね!」

「ふぇっ? わ、わたし?」

「だって、お兄ちゃんの彼女さんなんでしょう? じゃあ、わたしのお姉ちゃんってことだよね!」

「やっ、違うと思うんだけど?」

「えぇー、違わないよー。だって、わたし、お兄ちゃんの妹なんだよー?」

「やっ、そもそもそこにも血縁関係はないような……?」

「ちゃんと一緒にお風呂入ったことあるもん!」

「それ兄妹の基準じゃないような……? (このロリコン野郎……!)」


 ティナが戸惑った表情でクロエに答えながら、目だけでジンを睨み付けて殺気を飛ばすという器用な技を披露していたが、睨まれた当の本人と言えば、めんどくさそうに赤黒い髪を掻き回すだけで、特に反応を示すことはなかった。

 気付かないわけはないので、ただ単純に興味がないだけなのだろう。


「じゃあ、一緒に寝たこともあるよ!」

「ああうん、兄妹って難しいねー」

「妹だもん! 妹だからね! 妹なんだよー!」

「えっ? あっ、はい」


 クロエの剣幕に圧され、ティナがうなずく。


「だから、お姉ちゃんはお姉ちゃんなんだよ!」

「えっ? いや……うん?」

「だって、お兄ちゃんの彼女さんでしょー」

「やっ、だから違うって」

「だからお姉ちゃん!」

「論理が破綻してるような……?」

「えぇー、わたしとお兄ちゃんが兄妹で、お兄ちゃんの彼女さんなんだよね、だったら、お姉ちゃんだよ!」

「う……? うん? そういうことになるの……かな?」


 クロエの押しの強さを前に、ティナもたじたじになっていた。というか、押し負けてそのままうなずいていた。

 ティナは、ジンの凍土めいて冷たい視線に気が付いたのか、ジンに近付いてくると、耳元でささやいた。


「(ねえ、この娘なんなの?)」

「(昔世話になった人の娘だ)」

「(やっ、そういうこと聞いてないからっ!)」

「(押しが強いのは昔からだ。人の話を聞かないのもな)」

「(それも見たら分かるからっ!)」

「(特に害はない。少々面倒だが)」


 そう、ちょっと面倒くさいだけで害はないのだ。ついでに言うならば天然なので、悪意もない。いや、むしろ厄介だろうが。


「(うわぁ……っていうか、完全に恋人認定されてるっぽいんだけど……)」

「(おそらく何を言っても覆らないだろうな。不本意だが)」

「(ジンはそれでいいの?)」

「(どうせ無駄だ。嫌なら我慢しろ)」

「(……い、嫌じゃない、けど……)」

「(何か言ったか?)」

「うっさい、ジンのばか!」


 唐突に振るわれたティナの拳を、素早く出した片手で受け止め、ジンはため息を吐いた。


「なんなんだ、おまえは?」

「デリカシーのないジンが悪いもん!」

「は……?」


 にこにこしながらジンとティナのやり取りを見ていたクロエは、にっこりと太陽のような笑顔を浮かべ、


「今のはお兄ちゃんが悪いね!」


 そう断言した。いや、今の流れで、何故そうなったのか。


「いや、どこにそんな要素があった?」


 しかし、ジンの疑問は二人には完全にスルーされた。実に理不尽である。


「あっ、自己紹介がまだでした……わたしはクロエ・カルティエだよ! よろしくね、お姉ちゃん!」

「わたしはティナ。ジンの……友達? みたいなものかな? よろしくね、クロエちゃん」

「うん、ティナお姉ちゃん!」

「ティナお姉ちゃん……」


 何やらティナが嬉しそうにしている。お姉ちゃん呼びには疑問を呈する割に、お姉ちゃんと呼ばれるのは嬉しいらしい。先ほどのことといい、どうにもティナという人間は理解し難い。


「いつもお兄ちゃんがお世話になってます」

「え? いや……むしろ、わたしが世話になってるような……?」

「そんなことないよ? 今だってそうだったもん」

「ふぇっ? ち、ちがっ、違うからね! そういうんじゃないからね!」

「えぇー、嘘つきはよくないよ?」

「う、嘘じゃないもん!」

「ほんとー?」


 クロエにじっと見つめられたティナは、その視線に耐えかねたように目を逸らした。その瞳の輝きはどこまでも透き通り、清洌にして純粋だった。何故だろう、自分が汚れてるように感じる。


「……違いません」

「うんうん、そうだと思ったんだよー」


 敗北感に打ちひしがれながらも、ティナは、妙なものを見る目で傍観していたジンに近付くと、またしても耳元で囁いた。


「(ねえ、この娘なんなの?)」

「…………」


 先ほどと全く同じ質問だが、込められた意味は全く違う。無言でしばし考え込んだジンは、


「さあな」

「やっ、それ答えになってないし」

「俺も理解しかねている」

「一緒に暮らしてたんじゃ……?」

「それでも、だ」

「……つまりは諦めろってこと?」

「ああ」

「お兄ちゃん情けなっ!」

「黙れ」


 ジンの真紅の瞳に、冷たい怒気が宿るが、今の状況では大して怖くなかった。というか、むしろ、あのキラキラした純粋な目の方が怖い。全く違う意味で。


「ってか、ジンってカルティエ家に住んでたの?」

「数年前までな」

「(……だから『双剣』なんだ?)」

「(否定はしない)」


 ふんふんとうなずいて納得した様子のティナに、突然、後ろからクロエが抱き付いた。


「お兄ちゃんばっかりお姉ちゃんを独占してずるいよー! わたしも仲良くなりたいの!」

「そいつを持っていてくれるなら大歓迎だ」

「あれ? わたし、お荷物みたいな言い方されてる……?」


 抱き着かれたままティナが首をかしげる。お荷物というか、この二人を同時に相手にするのは面倒なので、二人まとまってくれたら楽だ、というのがジンの心境である。


「お姉ちゃんは今日はわたしがもらうからね!」

「好きにしてくれ」

「え? あの、わたし、そもそも仕事中なんだけど……」

「行こっ! いいよね!」

「えっ? あっ、はい」


 またしてもティナが押し負けていた。というか、そもそも押しに弱いような気がしなくもない。


「ティナ、クロエを任せた」

「あっ、うん。りょーかい……って、あれ?」


 ジンが勝手にどこかに行こうとしているのに、ワンテンポ遅れて気が付いたティナは、


「ちょ、ちょっと待って! 待ってよね! ねえってば、聞いてる? 待ちなさいってば!」


 仮にも同じ屋根の下で育った妹みたいな少女を、初対面の他人に押し付けて逃走しようとは、どういう神経をしているのか。


「ああもう! ジンのバカ!」

「大丈夫だよ? お兄ちゃんは優しいから、お姉ちゃんとわたしを放って行ったりしないって」


 残念ながら、ジン・ルクスハイトという男は、ティナの知る限り、無邪気に信用していいような相手ではない。

 と思っていたら、人混みの中で突然立ち止まったジンが素早く踵を返し、ティナたちのもとへ帰ってきた。なぜか、妙に顔色悪く、汗を垂らしている。


「……で、どこ行くんだ?」

「ほらね?」

「やっ、絶対なんか違うからっ! こいつさっきまで本気で逃げる気だったからっ!」

「……さっきのは冗談だ」

「絶対嘘だよね、それ! むしろ、なんか脅されたみたいになってるよね!?」

「……気のせいだ」

「目を逸らしながら言うな!」

「もう、喧嘩はダメだよー!」


 いや、喧嘩ではないのだが。そう、ただ追求しているだけで。というか、無鉄砲で誰だろうと喧嘩を売っていくような性格のジンが本気で恐れる相手とは何者なのだろうか。


「だ、そうだが?」

「むー、なんか納得いかないんだけど……」

「ほら、行こっ!」

「あっ、ちょっと引っ張らないでってば!」


 クロエに引き摺られていくティナを見送り、見失わないように自分も歩き出したジンは、ふと、行き交う人々の中に視線をやって、足を止めた。


「…………」


 しばらくそうしていたが、


「いや、ないな」


 そうつぶやくと、視界の隅に入った白髪の執事を見なかったことにして、足早に二人の少女を追いかけた。

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