第107話 epilogue-03

 すでに漆黒の帳が落ちた深夜。男は、未だ勝利に沸く領都の主街区に背を向け、ある場所に向かっていた。

 革命団ネフ・ヴィジオンの登場と、それによってもたらされた劇的な勝利。

 真紅の瞳の少年は、男のことをその程度の器、と評したが、なるほど納得するしかあるまい。

 男と同じ名を名乗る男、否、革命団ネフ・ヴィジオンの本当の意味でのリーダーたる男──《テルミドール》の手腕はそれほどに見事だった。

 幾度となく領民に問いかけ、同時に、自らの意見を巧みに浸透させ、最後には力を見せることで、混乱を収束させただけでなく、領民たちの心を掴んだ。

 領主を殺したのは革命団ネフ・ヴィジオンでもなければ、男たちでもないにも関わらず、革命団ネフ・ヴィジオンは領主なき後の領都を完全に掌握したのだ。

 これでは貴族も黙っていないだろう。もはや、革命の火は、新たな火種は楽園エデン中に散らばった。

 今回のような革命団ネフ・ヴィジオンを装った貴族の陰謀もこれからは増えていくであろうこと想像に難くない。

 何より、真っ先に手を出しそうな人物を、男は知っているのだ。今は止めようとも止められるとも思えないが、男でもその動きを鈍らせる楔程度にはなれる。

 操り人形が、繰り手に杭を打とうというのだ、それ相応の覚悟をしなければならない。

 しかし、それでも成し遂げると決めたのだ。あの強き意志を秘めた赤き瞳のように。


「やれやれ、だから人任せはやめとけって言ったんだよ。信用は安くないってねえ」

「……君か」


 突然聞こえてきた声に、ゆっくりと振り返った男は、フードマントを深く被った女を捉えた。片手でナイフを弄び、廃屋の一つに身を預ける女。それが誰なのか、男は知っていた。

 直前まで全く気配を感じられなかったが、男程度の素人に気配を悟られるような女ではない。当然と言えるだろう。


「アンタだけは見逃すわけにはいかない、それくらい分かってるんじゃないかねえ?」

「ふっ……知っているとも。私だけが真実を確信しているのだから」


 そうだ。彼らの企みがどのようなものであったか、この叛乱が彼らの手を離れるまでの計画を、男は知っている。

 それ故に、彼らが男を見逃すはずがないということを男は確信していた。


「しかし良いのかね? 君達の拙速な行動は、これからの楽園エデンを大きく混乱させることになったのではないか?」

「はっ、アタイは代理人エージェントだからねえ。そんなことは知ったことじゃあない」


 女の答えは実に淡白なものであった。いや、実際、興味はないのだろう。女は自身を剣と定義している。主人の振るうままに振るわれることこそが、彼女の意思なのだ。


「ただ言わせて貰えば──」


 そう言って、女はフードの下の赤い唇を吊り上げた。


楽園エデンの混乱? 結構なことじゃないかい。アタイみたいな戦場でしか生きられない奴には、平和は肩身が狭いもんさね。そして、それは今を壊す力だ。ご主人様には好都合だろうさ」

「それが君達の望みだと?」

「さあねえ? アタイが知るわけないだろう? 全てはあの愚か者ロマンチストの頭の中さね」

「なるほど、君達の立てたのは失敗のない作戦だったわけか。目論見通りヴィクトール伯を抹殺し、私を殺して革命団ネフ・ヴィジオンの動きを抑えられればよし、それに失敗しても、関係者ごと、君達と関係のあるマレルシャン子爵に領都を制圧させてもよし、それすら失敗しても、楽園エデンに混乱を起こし、付け入る隙を作れる、と。そう考えたわけだ」


 なるほど、確かにその全ての結果が彼らにとって都合が良い。その後の展開を有利に進めることができる。しかし──


「君達が、その程度のことを予測できないほどの者達を敵に回しているとは思わんがね」


 そう、彼らの敵は、革命団ネフ・ヴィジオンだけではない。同格の立場にいる残りの三公もそうだ。セレーネ、アマリリス、その双方共に、この程度の策を見破れぬような暗愚であれば、革命団ネフ・ヴィジオンはもっと容易く彼らの喉元に刃を突き付けただろう。


「そりゃあそうさね。だが、奴らは静観している。その間ならまだやりようもあるってもんだよ」

「静観がいつまでも続くとでも?」

「さあねえ、まあ、アタイのやることは何も変わらない。命令通り、仕事をこなすだけさね」


 そう言って、フードの女は懐から拳銃を取り出し、男に向けた。


「くっ……」

「時間稼ぎのつもりだったのかい? そんなことしても助けはこないさね。アンタの護衛はここに来るまでに消しておいたからねえ」

「…………」


 嘘を積み重ねた臆病者の自分のために、彼らを死なせてしまったとは、男は忸怩たる思いに駆られた。


「長距離通信施設はアタイが壊したし、空輸路は切れている。アンタには打てる手なんてはなっからないんだよ」

「……そうかもしれないな、いや、そうだろう」


 そう、男に打つ手はなかった。元より、男はここから脱する手段など持っていなかったし、事前に自分が死んだ時のために準備をしておくこともなかった。

 しかし──


「私はここにいる。そう叫ぶだけで、その行動には価値があるのだと。強き意志の下に、己の成すべきことを成す。それが何より価値のあることなのだと。そう教えてくれたのは彼らだ」

「どういう意味だい?」

「君には分からんさ。己の意志を持たぬ君には。翠玉の名を背負う君の主人あるじに伝えたまえ、私はここにいる。私は己の意志をもって、君に刃を向ける、とな」

「はっ、笑わせるねえ。だが、その伝言は伝えとくさね」

「ああ、君達皆に感謝する」


 それはあらゆる者に込めた感謝だった。

 己の人生を形作ってきた人々に。

 短い間だったが同志であった者たちに。

 自分の目を覚まさせてくれた紅い瞳に。

 今目の前にいる暗殺者に。

 そして何より、これを聞くであろう誰かに。

 全てに捧ぐ、男なりのけじめだった。

 ──ふっ……そろそろ幕引きか。

 直後、勝利の凱歌から取り残された廃墟に、一発の銃声が響いた──

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