第106話 epilogue-02

 長い銀髪を揺らしながら、少女は鍵を外し、ドアを開けた。

 そこは、小綺麗な貴賓室のような場所だったが、窓には鉄格子が嵌められていた。つまりは、身分の高い者を閉じ込めておくために使われる部屋であった。

 少女はそのままゆっくりと歩いて部屋の中央へと向かうと、鉄格子の嵌められた窓の前に座っていた透き通ったブロンドの少女に、少々硬い声音で声をかけた。


「やあ、初めましてになるのかな? ルイーズ・マルグリット・ラ・マレルシャンさん? まだ寝てはいないよね?」

「…………」


 ブロンドライトの少女──ルイーズは、ゆっくりとした動作で振り返り、話しかけてきた少女の顔を見て、少々驚いたような表情を見せた。


「あら? わたくしはてっきり本家様辺りが、粛清してくるのではないかと思っていたのだけれど、貴女様がいらっしゃるとは思いませんでしたわ」


 少女はルイーズの瞳の色──碧眼に薄っすらと宿す翡翠に気が付いたらしく、納得したように言った。


「なるほど、本家様、ってことは、推測は間違ってなかったわけだね。先祖帰りかな?」

「ええ、とはいえ、わたくしはその先祖ほど優秀ではなかったようですが」

「そうかな? 結構、優秀だと思ったけど?」

「ふふっ、その立役者の貴女様に言われても嬉しくありませんわ」

「わたしじゃなくて、〈ガウェイン〉だけどね」

「貴女様も散々、わたくしの策を乱してくれたではありませんか」

「そんなにわたしは優秀じゃないよ? 過大評価しないで欲しいんだけど」


 銀髪の少女は苦笑をしつつ、そう言う。緊張しているのだろうか。妙にその笑みは乾いていた。しかし、ルイーズはむしろその言い方に眉をひそめた。


「そもそも、先祖帰りも何もない貴女様に、そのような言い草をされては、わたくしでも少し腹が立つと言うものですわよ?」

「…………」


 少女は言葉に詰まったように黙ってうつむくと、わずかに顔をしかめた。


「それとも、その紫水晶アメシストを宿しながら、あのお方の──」

「それ以上は言わない方が身のためだよ?」


 ルイーズは心臓を鷲掴みにされたような感覚を前に、息を詰めて、苛立ちから出た攻勢から一転して冷たい汗を流した。

 たった一言で、ルイーズは動くことも声を出すことすら叶わなくなっていた。

 目の前の少女の雰囲気は先ほどまでの、緊張を見せながらも、どこか気安さを感じさせるものとは全く違う。

 冷酷かつ無慈悲に、ただ見ている。その紫水晶アメシストの瞳には、陶器めいて無機質な輝きが宿り、焦点はルイーズに合ってはいなかった。空間そのものを観察するような、そういう印象を受ける目だった。

 まさしく、人を支配する者の覇気。従わねばならないとプリミティブに理解させるだけの威圧感。いや、もはや、従う以外の発想は出てこないほどだった。

 それはルイーズと同じ年頃の少女が持つものでは到底なかった。

 一瞬にして威圧された。まともに思考も動かなくなったルイーズに気が付いたのか、少女はふっと雰囲気を柔らかくした。少しだけだったが。


「はぁ……はぁ……」


 息を止めていたせいか、酸素を求めて荒く息を吐くルイーズに対し、少女は相変わらずの無機質な瞳でそれを観察し、ゆっくりと口を開いた。


「気付いたみたいだったから忠告しておこうと思っただけだから、そんなに怯えなくていいよ?」

「…………」


 これのどこが忠告なのか、と抗議したかったが、ルイーズの口は上手く回らなかった。それほどまでに気圧されたのだ。


「私は貴女をどうこうする気はない。今のところは。だけど、そこ・・に触れるのならば、容赦する気はない」

「……認める、ということですか?」

「事実は変えられない。貴女が今考えていることは正しい。けれど、今の私にはそのことは不都合になる。それが分からないような愚かじゃないよね?」

「……ええ、心得ております」

「そう、ならいいや。約束だから、よろしくねー」


 ルイーズが重々しくうなずくと、少女はあっさりと覇気を振り捨て、ずいぶんと気の抜けた調子でそう言った。


「あっ、でももし、あなたが、約束を破ったらその時は──」


 また、一瞬にして空気が変わった。白銀の少女に覇気が戻る。


「貴女の全てを灰燼に帰す。その覚悟だけはしておいて」

「…………」


 覇気に圧され、口を開くこともままならないルイーズは、弛緩した身体をなんとか操って何度かうなずいた。


「おっけい、じゃあ、またね、ルー」

「……あ、愛称で呼んでいいとは言っておりませんわ」

「えー、残念。まあ、せっかくだから仲良くしてよね」

「どの口で仰っているのですか?」

「敬語禁止ー」


 不満そうにそんなことを言う少女は、先ほどまでは、あの覇気を纏い、ルイーズの生命など、風に飛ばされていく灰の一欠片ほどにも頓着しないような人間だったはずだ。

 その間にある深淵とも言えるほどの落差をルイーズは全くもって理解できなかった。


「わたくしには、貴女様が分からないのですが?」

「だから敬語禁止だって。んー、まあ、分裂してるように感じるとは自分でも思うけど。わたしは嘘は言ってないよ? アレも嫌いだけどわたしの本当のことには違いないからねー」


 能天気に言ってのける少女に、ルイーズは今度こそ絶句し、呆れたようにかぶりを振ってから口を開いた。


「……分かったわよ。これでいいかしら?」

「そうそう。わたしのことはティナって呼んでね、ルー」

「勝手に愛称で呼ばないで欲しいのだけれど」

「むー、じゃあ、勝手に呼ぶもん」

「…………」


 頭痛がした。まるで駄々っ子である。本当に、この少女はよく分からない。


「あっ、そうそう。トウカさんだっけ? 今回のお礼に一緒にいられるように頼んどくねー」

「やはり帰らないのね?」

「本人に言ってね。近い内に会えるようにするから……って、そろそろ時間かな? 《プリュヴィオーズ》に頼んで監視全部外してもらったんだけど、もう時間切れだね」

「ええ、しばらくは会いたくないわね」

「……酷いと思うんだけど。思うんだけどー」


 若干しょんぼりした少女は、じゃあね、とだけ言って、なら背を向ける。監視はいないらしいので、背後から強襲すれば、ルイーズにも脱獄にチャンスはあるかもしれないが、目の前の少女に試してみる気は到底起きない。

 代わりに、ドアへ歩いていく少女に、ルイーズは一つ質問をぶつけた。


「一つ聞いてもいいかしら?」

「ん、なに?」

「貴女はどうして、そこまでして革命団ここに執着するのかしら?」

「…………」


 少女は答えず、そのままドアまで歩いて行き、半ばほどまでドアを開けたところで、ようやく質問の答えを口にした。

 考えていたのだろうか。しかし、ようやく開いた口から飛び出した言葉には確信が宿っていた。


「私はただ、あの時、あの場所での出会いと、わたしの、価値と意味が証明したいだけ……いや、信じたいのかな?」


 そして、少女はいっそ狂気すら感じさせる口調で、


「いずれにせよ、そのためならば、私は全てを壊すことさえ厭わない。その先にある答えが間違っていたとしても」


 パタンとドアが閉まった。そして、少女はルイーズの前から姿を消した。


「……貴女様は、いっそ狂いたいと願ったのですか?」


 虚空に向かって問いかけたルイーズに答える声は、もちろんなかった。

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